はてなキーワード: 決壊とは
俺「やり残したこととかないの?」
父「ない。みんなよく育ってくれた。」
俺「そう。やり残したことなく死ねるなら最高じゃん。俺もそうなりたい。」
死ぬ3年ほど前から、ストゼロとキングピースで昼夜自傷行為のたしなんでいた。
同居する母は父を慰め、病院への通院をすすめていた。
強く支えようとするほど希死念慮は強くなり、ゾンビのようになっていった。
アイコスやウォーキングマシンをプレゼントしてみたが、実家に帰るときれいなままホコリをかぶっていた。
一緒に飲んで慰めてみたが、俺の気持ちは落ち着くが、父には何の効果もなかった。
本当は生きたい事は分かっていた。
けど相手の無意識を健在化させ、死にたい病を治療する術は俺にない。
ある時から父を生かそうとすることを諦めた。
会うたびに、父に感謝の手紙を書いて読み上げたり、一緒に飲みに行って父との思い出話をしたり。
準備が始まったが全く悲しくなかった。
式はそつなくこなせればいい。
ただ、葬儀に来る人の事を考えた。
(みんな時間と金を使って悲しい気持ちを体験しに来る。来てよかったと感じてもらいたい)
俺が泣けないのは仕方ないとして、父の死を気にしてない感じだと顧客満足度は上がらない。
せめてもの思いで、喪主挨拶でみんなが感動するような文章を書いた。
俺が幼少期のエピソード → 仕事が大変だったのに家族にこんな風に尽くしてくれた → 急な死で悲しいの構成。
式当日、覚えるのはめんどくさいので紙に書いて胸ポケットに入れていた。
眼が潤ってきた。
(あれ?字読めないじゃん)
W杯開幕の2日目、9月10日のチリ戦で日本代表は初戦を飾り、混戦が予想されるプールDの暫定トップに立った。
4年ぶりのW杯、みんなは楽しめただろうか。
おはようございます、こんにちは、こんばんは、レビュー増田です。
9月18日、日本時間午前4:00、日本はイングランドと対戦する。
今回のW杯はフランス開催で時差もあり、試合を追いきれないので、 試合前の予測などを書くか迷ったが、日本代表の初戦に先立って行われた イングランド vs アルゼンチン戦が、観るものをして慄然とせしむる内容であったのと同時に興味深いものでもあり、この相手に日本代表がどう戦うか、思案が止まらなくなってしまった。
素人考えではあるけれども、試合の予測というのはそれ自体楽しい。
みんなとも一緒に、大一番前の井戸端会議を楽しみたい。
件の試合だが、前評判の高いアルゼンチンに対して、不調を囁かれるイングランドは、チームを引っ張る欧州最優秀選手オーウェン・ファレルを出場停止で欠いた上、試合開始3分でFLトム・カリーがレッドカードを受け、14人での戦いを強いられる。
ファレルに代わって出場したSOジョージ・フォードが前半だけで3本のドロップゴールで一気にアルゼンチンを突き放し、その後も正確なキックを重ねて完全に試合に鍵をかけてしまった。
未明に披露されたキックの芸術は試合を追っていたファンに衝撃を与え、X(旧Twitter)では「ドロップゴール」がトレンド入り。
ひらがなの名前の女子(?)アカウントまで、ピッタリとしたワンピースから覗く胸の谷間を強調した写真とともに
ぷろふ見てね☆
ドロップゴール
#〇〇凸待ち
などというというポストを投稿するなど、予測できない方向に「ドロップゴール」が飛んでいく事態となった。
さて、前評判の低さも人数のビハインドも跳ね返し、強豪の底力を見せたイングランドに日本代表はどう戦っていくのだろう。
大いに話題となったョージ・フォードのドロップゴールだが、イングランドがこういったキックを披露するのは初めてではない。
2003年、オーストラリア大会において、当時のSOジョニー・ウィルキンソンが強力FWの後ろから幾本ものドロップゴールを決め、ウェブ・エリスカップを初めて北半球にもたらした。
直接蹴りこめばいいのなら、ボールを持ち込むより簡単じゃないか、と言いたくなるドロップゴールだが、実際はそう簡単ではない。
前に落としてショートバウンドさせたボールを真っ直ぐ蹴るのはそれだけでも難しく、ゴール正面からの線上でないと入らない。
その上、オンプレー中に蹴るので、相手DFは必死に詰めてくる。
SOがプレッシャーを受けないために十分な距離が必要で、そのためにはFWが壁を形成し、SHは正確で速く長距離のパスをほとんど真後ろに投げなくてはいけない。
試合後、ジョージ・フォードが「ドロップゴールは常にプランにある」とインタビューに答えていたのは驚きだ。
それだけでなく、正確なキックの全てが恐ろしい。
オンプレー中であれ、ペナルティであれ、ゴールから中央の線上で放たれるイングランドのキックは大きなプレッシャーになるだろう。
イングランドからすれば、中央で日本陣内の10mまで持ち込めばそれだけで日本に圧力を与えられる。
オンプレー中に蹴るだけでなく、キックで得点できる状況に持ち込めばいいので、戦術としては南アフリカよろしく接点の後ろからハイパントをあげ、FWをぶつけて落球をさそい、引き摺り込んだスクラムからペナルティをとってキックで得点、という方法が考えられる。
実際、日本のアタッキングコーチ、トニー・ブラウンも「イングランドはキックを使ってくる」とコメントしている。
多くの解説者も同様だ。
ハイパントなどのアタッキングキックは、チェイサーをぶち当てることができればノックオンを誘ったり、陣地を前進できる反面、基本的には相手にボールを渡す結果になりやすい。
しかも、相手のナイスな処理ですれ違われて、大きなゲインを許しかねない不確実性がある。
ハイボールの競り合いも強いので、ハイパンも勝算があり、蹴ってくる可能性は十分あるが、体格で勝るイングランドには、もっと低リスクで圧力を与える方法がある気がしてならない。
大型FWや突破力のあるセンターで、接点の脇で身体を当てながらゴリゴリ前進するだけで、日本にとっては大きな脅威なのではないだろうか。
「彼らはボールを動き回すことを好む。私たちは彼らのプレーをそのように認識している」
「私たちは彼らの脅威が何か知っているし、それをシャットダウンする計画を持って臨むよ」
日本代表は硬いスクラム、アンストラクチャーな展開から松島のような創造性のあるランナーのゲインなどの魅力的な攻撃オプションがあるが、国際的な「日本独自の強み」と認識されているのは、ボールを連続に展開する早さだ。
日本は持つと違いを出せるのだ。
なので、持たせない、そう言っているのではないだろうか。
総合すると「イングランドはボールを離さず近場を押してくる」「日本の受けをみて、縦の走り込みや展開で一気にランのゲインを狙う」「同時に接点の反則を誘う」というような戦術をメインに、適宜ハイパントなどを絡めてくるというやり方が考えられる。
そして「ディフェンス時にはプレッシャーをかけて日本の攻めを停滞させてキックを蹴らせ、カウンターのランでタックルを外しながらビックゲインを狙う」
実際、自分の同僚のラグビー経験者と話題になった時も「蹴らないんじゃないですかね?普通にやると思いますけど(もちろんドロップゴールも敢えてまでは狙ってこない)」という意見をもらった。
主力を2枚欠いたとて、地力はどう考えてもイングランドの方が上なのだ。
さあ常にオプションを複数持っているイングランドに対して、では日本代表が取れる戦術は?
自分が予想するのは「イングランドの攻める機会と時間を減らす」という戦略だ。
イングランドがボールを持っている時の攻めはハードで、簡単には止められない。
ではどうするかといったら、ボールは1つしかないのだから、こっちに来た時に離さないで、相手の機会と時間を潰してしまえばいいのだ。
まあ要は日本は日本の伝統の戦術で、蹴らずにハイテンポでボールを回し続けて、相手を攻撃し続けるという手段があるということだ。
ただ、これは80分続けるには消耗が激しい。
なので、前半の20分くらいまではリスク覚悟で蹴って、身体の衝突を避けたり、危険を伴うが、スクラムで時間をかけて、時間当たりで体力が消耗する機会を減らすのではないだろうか。
イングランドのスクラムは相手を圧殺できるので、時間潰しと引き換えに点数も持っていかれる可能性があるが・・・
60分でなるべくボールを保持したいとして、相手にボールがあったときにはどうするか。
そうなると、なるべく中央の侵入を許さないようにしつつ、接点でプレッシャーをかけて、相手の攻めを停滞させ、キックを誘発してボールを獲得する、またはジャッカルを狙う、ということになる。
イングランドはプレッシャーをかけてキックの得点を狙い、日本はダラダラと攻め続けてロースコアでの競り勝ちを狙う。
どちらかのディフェンスラインが決壊すれば、トライが決まり大量得点となる。
どうだろう、自分は双方のこんな作戦を予想したが、みんなはどう予測する?
観戦もしやすいことだろう。
ああだこうだと言い合いながら、大一番を待ちたいと思う。
みんなも是非、予想を楽しんでみてほしい。
JTC時代に、新入社員として、Bさんのような社員のサポートにつけられたことがある。
と自己紹介したBさんはホラン千秋に似た、いかにも海外営業といった容姿の独身女性であった。
「私も異動してきたばかりで何も分からないの」
と困ったように微笑むばかりであった。
どんなにつまらない社内向けの書類でも、OSのアップデートでも、Bさんは胸にメモを押し頂くようにして、別の社員に教えを請いにいった。
わたしは能力は人並み以下だが、危機察知能力の高さには自信がある。
初日、Bさんから一日半かかると聞いたパソコンのセットアップが1時間弱で完了した時、
(この人の言うことは本当に信用できるのか?)
という疑問が生まれた。
「開催はだいぶ先だから今することはないの。
何もすることがないのはつらいかもしれないけど、緩急のある仕事だから仕方ないわ」
ともっともらしい話を聞いていた。
しかし、念のため、わたし自身の予習を兼ねて過去のメールを読み返すことにした。
すると、Bさんが回答する必要があるメールが何通も月単位で放置されていることに気付いた。
JTC風にいうと、「ボールはこっちにある」というやつである。
プロジェクトはとっくに動き出していたのだが、Bさんが返信を怠ったせいで数か月ストップしてしまっていた。
相手方から数度にわたって催促のメールが届いているメールさえあった。
なぜ返信しないのか聞くと
と会話を打ち切られてしまった。
わたしは数日目にして、まずい状況に身を置いていることに気付いた。
そこでチームに「状況の」やばさをアピールしつつ、彼女の顔を立てながら、プロジェクトの遅れを取り戻そうと必死になった。
Bさんはとくに焦るでもなく、
「増田さんは配属されて一か月なのに、もう何年も働いているみたいね」
とまんざらでもなさそうだった。
わたしはBさんに仕事を教わっているという体であったので、成果物はすべて彼女の個人フォルダに保存することになっていた。
自動で保存される更新履歴を見るかぎり、彼女はもう自身のフォルダを開いていなかった。
おもな作業者はわたしを筆頭としたBさん「以外」の社員であり、作業の進捗を管理し、遅れや不足に気付くのもわたしたちだった。
Bさんは仕事に優先順位をつけることができないという点で、会社員として絶望的だった。
期日等は考えずに自分がこなせる単純な仕事だけ片付け、それ以外は放置して忘れてしまう癖があった。
わたしは彼女のタスクに気付くと、その背景と彼女がとるべきアクションを説明して、例えばメールならわたしが背後で文章を読み上げてタイプしてもらった。
わたしの時間がとれなくなると、メールの本文を代筆して送り、名前だけBさんのものに変えてもらった。
簡単なタスクを与えずに放っておくと、気まぐれに取引先のメールに
などと返信してしまうことがあった。
それに気づくたびに
「Bの部下の増田です。その日程は別件の立ち合いのため厳しいです。
×日、または△日でいかがでしょうか」
取引先の担当者たちは察しがよく、Bさんのメールに返信することをやめ、わたしと直接やりとりするようになった。
Bさんは「契約書」や「議事録」といった基本的なビジネス用語、また「アダプタ」や「URL」といったPC関連の固有名詞をまったく知らなかった。
「クラウド」や「AI」といった近年の技術をすべて「システム」と呼び、
「学校で習わなかった」
と不満そうにしていた。
と言うのでその通りにすると感謝されるが、知識やノウハウよりも、自身の向学心を表現することに満足してしまうようで、マニュアルは一度も開かれないままだった。
実際、目の前にあることに対する好奇心は強いかただったと思う。
会議などに出席する機会があると
などとうれしそうにしていた。
なお、わたしはその時、彼女の代わりに翌日提出予定の議事録や報告書を起草していた。
ある昼下がり、顧客との打ち合わせに向かう前に急ぎの仕事を片付けていると、彼女が言いにくそうに話しかけてきた。
「あのね、増田さん、気付いてるかもしれないけど、わたし、実は…」
(またわたしの知らない熟成案件が?まさか今から会う会社関連のなのか?)
「わたし、実はキティちゃんが好きなの!このポーチもキティちゃんだし、定期入れもキティちゃんなの!」
(え?今、その話するの?私、あと15分で打ち合わせに入るんだけど?というか、Bさんもですよね?)
彼女は放心状態のわたしに対して、キティちゃんとの出会いから、ご当地キティちゃんを追いかけて京都や沖縄を旅したことについて語ってくれた。
彼女のお気に入りの旅行先は南国で、「何もしないでぼうっとするのが好き」とのことであった。
わたしは何の医学的知識もないのに、彼女の口内炎の経過を毎日30分近く聞かされることになった。
口内炎が完治する頃には、チームの全員が彼女の口内炎について直接聞いて知っていた。
数分後に経営会議を控えた幹部を呼び止めてブリーフィングすることすらあった。
季節は真夏となり、わたしは名実ともにBさんの業務を代行していた。
その頃にはBさんは社内外で完全に孤立しており、話の長いBさんに話しかける人はいなくなっていた。
「みんなオトコだから若い女性が好きなのね。だからわたしに冷たいんだ」
「この会社は古いから、新しい仕事のやり方が受け入れられないんだ」
彼女とて社内外の担当者が彼女をスルーしていることに気付いていたはずで、無理やりでも責任転嫁することで自分のプライドを守っていたのだと思う。
同時期に私は驚くような事実を知った。
口癖のように「わたしも配属されたばかり」と言っていたBさんは、実は私に1年前に異動してきていた。
しかも、だいぶ若々しく見えるが、新卒入社して勤続30年近い管理職世代の社員だったのである。
当時、わたしがBさんに感じていたのは、自分が理解できない存在に対する本能的な恐怖であった。
私が英日ネイティブだという話をすると
「私の年も氷河期で一番入りたい企業に入れなかった友人がいたわ」
(わたしがBさんの英語能力を目にする機会はなかったし、彼女の同期(管理職)によれば彼女はバブル世代である。
しかし、わたしたちの間に横たわっていたのは、世代や学力の差といったレベルでは片付けられない、まったくの断絶であった。
彼女は瀟洒なスーツを着て滑らかな日本語を話す、かぎりなく会社員に近く、(わたしの考える)会社員ではないものだった。
わたしは早朝のランニングをやめて、仕事の整理をする時間を作った。
毎朝「今日自分がすること」と「今日Bさんにさせること」の二つのリストを作って、スマホでスキャンし、会社のメールアドレスに送信した。
趣味を楽しむ心の余裕はなくなっていた。
書店に行って本を選ぼうとしたが、何を選んだらよいのか分からなかった。
学生時代は図書館で借りるしかなかった学芸文庫だって買えるのに、何を手にとってもときめかなかった。
本を選ぶことができず、例のメモ用のフリクションペンを買った時、自分が変質してしまったように感じた。
会社の最寄り駅に近づくと、吐き気やめまいに悩まされるようになった。
「自分が同期の中でも期待されていないから、Bさんのお守りを押し付けられたのかもしれない」
という疑念を振り払うことができなかった。
わたしは同級生から海外の労働事情について聞いていたので、日本の終身雇用制について好意的にとらえていた。
しかし、何かの予算で1000万円という金額を見た時に、Bさんが
と不満げに漏らしたことがあった。
それを聞いた瞬間、数々の疑問が湧いてきた。
年功序列とはいえど、新卒一括採用という一発勝負で、何もできない社員に1000万円が現実的に思える額の給与を与えるのはどうなの?
子供のような年の社員にお世話係をさせてまで引き止める必要があるの?
それ宝くじとどう違うの?わたしのオポチュニティはどうなるの?
仕事が極端にできない社員には引導を渡して、パソコンも契約もない、指示が一行で完結するような仕事に就かせた方が本人も周囲も楽なんじゃないの?
とくに出来がいいわけでもないのに、そんなことを考えてしまう自分を嫌悪した。
結局、わたしは冬頃には会社に対する信頼を失っており、1年を待たずに外資系企業に転職した。
会社の育成計画的にはわたしも失敗作なので、その点に関して言い訳をする気はない。
しかし、Bさんは給与について文句を言いつつも、おそらく転職機会がないという消極的な理由から、今も会社に居残っている。
災厄のような社員を解雇できず、中途半端な高給を与えて飼い殺すシステムは疑問だし、そのつけを他の人に払わせるのはもっと疑問。
オレオレFCはホームで柏レイソルと1ー1で引き分け。3連勝を逃した。前半はミスが生じ、40分に柏FW細谷真大に先制ゴールを決められた。後半、相手が退場者を出て、攻めに転じながら、無得点が続いたが後半ロスタイム、FKからDF岩田がヘディングで合わせて同点に追いつき、敗北から救った。
【写真】後半ロスタイム、岩田がヘディングで同点ゴールを決める。
負けなかった。しかし試合後、同点ゴールの岩田は「一番最低の試合。柏にも失礼な試合」。残留争いに巻き込まれている柏と痛恨のドローに終わった。イレブンの表情には悔しさと同時に不甲斐ない自分達への怒りが充満。その思いを代弁するように厳しい言葉が口を着いた。
前半は柏の気迫に圧された。相手のハイプレスに苦しみ、なかなか自分達のペースが握れない。ボールを奪われてはカウンターを許しながら、耐え凌いでいたが、前半40分に遂に決壊。左サイドを抜け出されると、柏FW細谷に決められた。前半はシュート僅か1本で、サポーターからは不満のブーイング。GK望月は「前半はここ最近で一番悪かった。(失点は)各々がセルフジャッジしてしまった。そこでマークが緩んだところを突かれた」と悔やんだ。
後半開始からFWトーマス・ノレジーを投入。システムを4ー2ー3ー1にし、好機を窺った。同35分には柏DF立田悠悟がFW浅田への危険なプレーで一発退場し、数的優位に立ちながらも、なかなかゴールを奪えないまま、時間だけが過ぎる。それでも、敗色濃厚だったロスタイム、FKからDF小野寺のクロスに岩田が頭で合わせて同点に追いついた。
プロ初ゴールが同点ゴールとなったが「正直、あまり覚えてないです」と岩田の表情は晴れず。野河田彰信監督も「一番、恐れていた事が起きたな。自分らで壊してしもうた試合やんか。失点もミスやったし、結局、自分勝手に判断されても困るし、舐め取った。その辺が今日は出たんちゃうか」と、おかんむりだった。
MF鈴木潤主将は「悔しいです。相手も残留、上昇を目指して戦っているので、慢心はなかったけど、結果的にそう思われても仕方がない。3月に控え選手が自分達の分まで頑張って勝ってくれたので、今度は僕達が結果で示したかった」と、前回、控え組だけで圧勝した相手に不甲斐ないプレーをした自分達への悔しさを口にした。
試合後、監督、選手と緊急ミーティングを開いたと言う。「負けなかったじゃなく、勝てなかった試合だと皆で共有し合った。まだまだ自分達は甘い。もう一度、見直して次に臨みたい」と糧にする事を誓った。12日の天皇杯3回戦(対ジュビロ磐田戦)を挟み、次節16日のアウェー・セレッソ大阪戦で仕切り直す。
○…柏は終盤の失点で勝利を逃した。前半から積極果敢に攻め、同40分に細谷が決めて先制したが、後半35分に立田が退場してからは防戦一方に。それでも耐え凌いでいたが、ロスタイムに失点し、9試合ぶりの白星を逃した。
前回3月31日の対戦で、控え組に0ー3と屈辱的な大敗を喫した相手へのリベンジはならず。井原正巳監督は「自分自身の采配を含めて、突き詰めていきたい。勝ち点1はポジティブに捉えるしかない」と話した。今季6点目を挙げた細谷は「いい時間帯に取れた」としながらも「終わらせ方は課題」と厳しい表情だった。
ネオナチですね。
6/30(金) 5:48
ウクライナのゼレンスキー大統領(左から3番目)や、環境活動家グレタ・トゥンベリさん(右から3番目)らによる会合=29日、キーウ(ウクライナ大統領府提供・ロイター=共同)
【キーウ共同】スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥンベリさん(20)が29日、ウクライナの首都キーウ(キエフ)を訪れ、ゼレンスキー大統領と会談した。南部カホフカ水力発電所のダム決壊による環境への影響について意見交換した。
ロシアが核攻撃に踏み切ったらアメリカはどこに報復するか? 米政権内で行われていた机上演習の衝撃的な中身
ゼレンスキー氏は、ダム決壊が農業や生態系に重大な損害を与えたと指摘。ロシアが支配する地域では、避難が遅れて人的被害も大きかったと述べた。グレタさんは、戦争による環境への影響に注目する必要性を訴えた。
岡部芳彦
2日前
注目度の高いグレタさんなので「グレタ・ゼレンスキー会談」に注目が集まりがちですが、同席の訪問者も重要です。グレタさんは、スウェーデンの元副首相マルゴット・ヴァルストローム、欧州議会のハイジ・ハウタラ副議長(フィンランド)、アイルランドのメアリー・ロビンソン元大統領らの国際グループの一員としてキーウを訪問しました。カホフカダムの破壊後、ゼレンスキー大統領は、グレタさんはじめ60人以上の世界の政治家や公人に対し、環境破壊の罪でロシアを非難する事を呼び掛けました。グレタさんの反応は早く、6月9日にはツイッターで「ロシアによるいわれのない全面的なウクライナ侵略の継続としてのこの環境破壊は、世界が言葉を失うもう一つの残虐行為である。我々の目は再び、自らの犯罪の責任を問われなければならないロシアに向けられている。」とコメントしています。
2日前
米外交・安全保障専門オンライン誌「ディプロマット」東京特派員
グレタさんがゼレンスキー大統領と会うことで、世界中の若い環境保護家を中心に反プーチン網をぐっと強めるだろう。グレタさんとプーチン大統領の確執は以前から世界中で知られているからだ。
グレタさんは2019年9月、ニューヨークで開催された国連気候行動サミットで温暖化対策を訴えた。サミットに合わせて若者らによる大規模なデモ行進も行われ、グレタさんは「各国のリーダーは未来と今の世代を守る責任がある」と訴えた。これに対し、プーチン大統領は「世界が複雑で多様だと誰も教えていない」と述べ、グレタ氏をまるで世間知らずのように扱った。これに対し、グレタさんは「なぜ大人たちは子どもが科学を評価して勧めるのをあざ笑ったり、脅したりするのか、理解できない」と反論した経緯がある。
三牧聖子
2日前
ロシアの侵略行動の影響は人間だけにとどまらず、自然環境にも甚大な影響を与えている。著名なZ世代環境活動家グレタ氏との面会は、ロシアの行動の環境破壊的な側面を、世界の人々、特に若い世代に伝える効果もあったのではないか。今月6日、ロシア占領下のウクライナ南部にあるカホウカ水力発電所の巨大ダムが決壊し、多くの住民、動植物が巻き込まれ、生態系や生物多様性にも大打撃を与えた。ロシアはダム決壊への関与を否定しているが、いずれにせよ、一連のロシアの侵略行為の中で起こったことだ。ウクライナは「エコサイド」と批判し、国際刑事裁判所(ICC)や国際法律事務所グローバル・ライツ・コンプライアンスとも連携して、実態の解明につとめてきた。昨今、「エコロジー」と「ジェノサイド」の合成語であるエコサイド(大規模な環境破壊)について、国際刑事裁判所(ICC)で裁く犯罪に加えることを求める声も大きくなっている。
全員バカ
「植物には二酸化炭素が必需で、熱帯や温帯のように暖かく湿潤であればあるほどよく育つことを学んでいないアスペルガー、学習困難少女をいつまで野放しにしているのか。欧州の友人たちは異口同音に、『バカ餓鬼』と今や嫌悪をもって呼ぶ。紳士たちまでも。一友人は『昔はこんな餓鬼は、□□□を受けて当然だった。親ならそうしていた。そういう子はそうして痛みを体得し、矯正されたものだ』と深憂している。だがもはやその存在は犯罪者である。バンデライナの核は環境破壊を引き起こさないと云う。劣化ウラン弾、今輸送中であるクラスター弾もだ」
ただ、ふと当時のことを思い出したため、書くことにした。
内容としてはあまりにも自分勝手な感情の書きなぐりかつ湿度が高く文も長いため、読みにくいし見苦しいと感じるところが多々あると思うが、ご了承いただいた上で読んでもらいたい。この言い回しが少しでもめんどくせえやつだな、と思った人はもう読むのをやめた方がいいだろう。
自分は2年前までTRPG(テーブルトークロールプレイングゲーム)というもので遊んでいた。これは、簡潔に言うとゲーム機を使わずに紙とペンとサイコロだけでやるRPGである。
機械の役割をGMと呼ばれる人間が行い、ソフトの役割をするシナリオを持ち寄って、PLに提供するのが流れだ。PLは自分で自分の動かすPCを作り、GMが進めるシナリオ進行に従ってPCを動かし物語をエンドに導くという遊びだ。
遊ぶ時には、テーブルの部分にちなんで「卓を囲む」という言い回しをする。
このTRPGにはいくつかシステムというものが存在するのだが、自分がよく遊んでいたのはクトゥルフ神話TRPGというシステムだった。
このクトゥルフ神話TRPG略してCoCは、おそらく日本の中で1番プレイ人口が多いTRPGであり、シナリオも盛んに出回っている。TRPGにおいてはメジャーなシステムと言えるだろう。
自分はこれを遊んでいたとき、AとBという友人と卓を囲んでいた。2人とはSNSで知り合い、気があってよく遊ぶようになったという間柄だ。この2人に加えあと5人ほどよく卓を囲む人たちがいて、固定メンバーと化していた。
数年は楽しく遊べていたのだが、ある時しこりを感じるようになった。
それは、2~4PLシナリオで感じる疎外感や焦りといったものがあった。
ここで〇PLというものの説明をしておこう。TRPGのシナリオには人数制限が設けられているものがある。その制限されているPL似合わせて〇PLシナリオと呼ばれるのだ。
その人数制限のシナリオにおいて、自分の中で勝手に問題が起きた。
BとどちらがAとシナリオを回るかの取り合いが勃発していたのだ。
Bにその気はなかったと思うが、自分としては取り合いだった。
どういう状況かと言うと、Aが「これ行きたい」と言ったシナリオが人数制限のもので、その枠に入ろうと自分とBがすかさず立候補するというものだ。
枠が空いていたりした場合は2人とも一緒に回れたのだが、2PLのときなど地獄だった。
我先にAとシナリオを回るのだとあの時は躍起になっていたのだ。
自分はもともとAとはとても気が合い、趣味や思考がとても似通っていた。そのため、自分はAと喋ることが好きで若干依存気味の感情を抱いていた。
対してBとは楽しく話はできるものの、所々価値観が合わないと感じる点があった。勿論スルーできる程度のものであったし、そんなことを気にするよりもBと遊ぶことの方が楽しかった。
しかし、CoCのシナリオで遊ぶほど、自分のBへの苛立ちや不満は積もりに積もって行った。
CoCに限らずTRPGのシナリオというのは基本的にネタバレ厳禁であり、内容を知って通ることはタブーだ。そのため、通っていない場合は卓を感染したりすることが出来ない。
この仕様から、自分が通っていないかつAとBが一緒に行ったシナリオの話に自分は関わることが出来ず、その話で盛り上がるAとBに対して疎外感を感じることが多々あったのだ。
なにより、そのシナリオで「うちよそ」というPC同士で深い関係を作り上げ、その発展系の話を目にすると気が逆だって仕方がなかった。
これが2PLならまだすぐに他の人と予定を立てて行けばいいのだが、4PLになるとそうもいかず、フラストレーションは溜まっていった。
今、冷静になって考えてみればそんなことは割と良く起こることだし、ずっとAと一緒に回るなんてことは不可能だ。だいたい、自分だってBに対して同じことをしていたこともあるだろうに。とんでもない棚上げである。
しかし当時の自分はそんなことに気づけずに表では平然としつつ裏では嫉妬の炎を滾らせていた。
なにより、この炎が燃え盛っていたのにはもう少し理由があった。
まず、Aとの自分同卓にはに必ずと言っていいほどBが一緒にいるのに、AとBの同卓には自分がいないことがちらほらあった。
例えば2PLであればBがKP(CoCにおけるGMの呼び方)やったり、4PLなら必ずA、B、自分になったりした。
しかしAとBの2PLは他の人がKPをしているものもあったし、AとBで約束していた4PLで自分はいなかったりなどあった。
自分とAが回るシナリオがBが通過済みのものが多かったのもあるだろう。すかさず「回すよ」と言われてKPとして入ってきた。勿論Bからしたら親切心なのだろうが、まるで割り込まれるように感じてしまっていた。
また、4PLではいつもAとBがペアになるような組み合わせなっていて、Bは自分とペアを組むのを拒否しているような素振りが見えた。
AとBとの4PLに関しては、約束をしている時に他のメンバーどうする?と話が進み、○○と××でいいんじゃない?と勝手にメンバーが決められ、その中に自分が上がることがなかったりなど、そういうことがわりとあった。
Aがそういったことを言い出すことは無かったが、Bはまるで自分と一緒に回るのを拒むように自分に声がけをしなかった。これは勝手な思い込みだし被害妄想だ。事実は違うかもしれないが、どうもあの時の自分にはそう思えたのだ。
それに加え、BはSNSでよく「私のAさん」「AさんのPC全部私の(笑)」などとよく言っていた。別に、他意はなくノリで言っていたものなのだろうが自分はとても腹が立った。
それに、その自分がおかしくなっていた時期、よくBはAの名前をSNS上であげて呼んでいた気がする。
もちろん、被害妄想の面もあるためそんな事ないかもしれないが、少なくとも自分にはそう感じた。
こういったことが度重なり、自分はどんどん嫉妬まみれのモンスターに成り果て、Aの隣を奪い合うように卓の予定を入れていった。
しかし、そんな関係が長く続くわけがなく、決壊した。Aが突然自分とBとの縁を切ったのだ。
突然のことに驚いて呆然とした。自分は何をやらかしてしまったのだろうと、焦ってAに連絡した。そしたら言われたのだ。
「正直、もう疲れた」
「2人に振り回さて、もうTRPGをしたくない」
「2人以外とも回りたい」
と。
ショックだった。それと同時に、自分はどれほど馬鹿なことをしていたのかと思い知らされた。
こう言われてしまったら、もう自分の異常性を受け入れざるを得ない。
こうして他者に依存し嫉妬に駆られる自分は、ここで反省したとしてもまた同じことを繰り返し、他の人をAと同じ目似合わせてしまうと思ったからだ。
やめて暫くは卓がしたいという気持ちに駆られることも多かったが、今は卓のない生活にもなれ、違う趣味を見つけるのこともできた。
あの時の自分は本当におかしかったし、AにもBにも大変申し訳ないことをしたと思っている。
なんの落ちもないが、これで自分の話は終わりだ。
ただ、ふと当時のことを思い出したため、書くことにした。
内容としてはあまりにも自分勝手な感情の書きなぐりかつ湿度が高く文も長いため、読みにくいし見苦しいと感じるところが多々あると思うが、ご了承いただいた上で読んでもらいたい。この言い回しが少しでもめんどくせえやつだな、と思った人はもう読むのをやめた方がいいだろう。
自分は2年前までTRPG(テーブルトークロールプレイングゲーム)というもので遊んでいた。これは、簡潔に言うとゲーム機を使わずに紙とペンとサイコロだけでやるRPGである。
機械の役割をGMと呼ばれる人間が行い、ソフトの役割をするシナリオを持ち寄って、PLに提供するのが流れだ。PLは自分で自分の動かすPCを作り、GMが進めるシナリオ進行に従ってPCを動かし物語をエンドに導くという遊びだ。
遊ぶ時には、テーブルの部分にちなんで「卓を囲む」という言い回しをする。
このTRPGにはいくつかシステムというものが存在するのだが、自分がよく遊んでいたのはクトゥルフ神話TRPGというシステムだった。
このクトゥルフ神話TRPG略してCoCは、おそらく日本の中で1番プレイ人口が多いTRPGであり、シナリオも盛んに出回っている。TRPGにおいてはメジャーなシステムと言えるだろう。
自分はこれを遊んでいたとき、AとBという友人と卓を囲んでいた。2人とはSNSで知り合い、気があってよく遊ぶようになったという間柄だ。この2人に加えあと5人ほどよく卓を囲む人たちがいて、固定メンバーと化していた。
数年は楽しく遊べていたのだが、ある時しこりを感じるようになった。
それは、2~4PLシナリオで感じる疎外感や焦りといったものがあった。
ここで〇PLというものの説明をしておこう。TRPGのシナリオには人数制限が設けられているものがある。その制限されているPL似合わせて〇PLシナリオと呼ばれるのだ。
その人数制限のシナリオにおいて、自分の中で勝手に問題が起きた。
BとどちらがAとシナリオを回るかの取り合いが勃発していたのだ。
Bにその気はなかったと思うが、自分としては取り合いだった。
どういう状況かと言うと、Aが「これ行きたい」と言ったシナリオが人数制限のもので、その枠に入ろうと自分とBがすかさず立候補するというものだ。
枠が空いていたりした場合は2人とも一緒に回れたのだが、2PLのときなど地獄だった。
我先にAとシナリオを回るのだとあの時は躍起になっていたのだ。
自分はもともとAとはとても気が合い、趣味や思考がとても似通っていた。そのため、自分はAと喋ることが好きで若干依存気味の感情を抱いていた。
対してBとは楽しく話はできるものの、所々価値観が合わないと感じる点があった。勿論スルーできる程度のものであったし、そんなことを気にするよりもBと遊ぶことの方が楽しかった。
しかし、CoCのシナリオで遊ぶほど、自分のBへの苛立ちや不満は積もりに積もって行った。
CoCに限らずTRPGのシナリオというのは基本的にネタバレ厳禁であり、内容を知って通ることはタブーだ。そのため、通っていない場合は卓を感染したりすることが出来ない。
この仕様から、自分が通っていないかつAとBが一緒に行ったシナリオの話に自分は関わることが出来ず、その話で盛り上がるAとBに対して疎外感を感じることが多々あったのだ。
なにより、そのシナリオで「うちよそ」というPC同士で深い関係を作り上げ、その発展系の話を目にすると気が逆だって仕方がなかった。
これが2PLならまだすぐに他の人と予定を立てて行けばいいのだが、4PLになるとそうもいかず、フラストレーションは溜まっていった。
今、冷静になって考えてみればそんなことは割と良く起こることだし、ずっとAと一緒に回るなんてことは不可能だ。だいたい、自分だってBに対して同じことをしていたこともあるだろうに。とんでもない棚上げである。
しかし当時の自分はそんなことに気づけずに表では平然としつつ裏では嫉妬の炎を滾らせていた。
なにより、この炎が燃え盛っていたのにはもう少し理由があった。
まず、Aとの自分同卓にはに必ずと言っていいほどBが一緒にいるのに、AとBの同卓には自分がいないことがちらほらあった。
例えば2PLであればBがKP(CoCにおけるGMの呼び方)やったり、4PLなら必ずA、B、自分になったりした。
しかしAとBの2PLは他の人がKPをしているものもあったし、AとBで約束していた4PLで自分はいなかったりなどあった。
自分とAが回るシナリオがBが通過済みのものが多かったのもあるだろう。すかさず「回すよ」と言われてKPとして入ってきた。勿論Bからしたら親切心なのだろうが、まるで割り込まれるように感じてしまっていた。
また、4PLではいつもAとBがペアになるような組み合わせなっていて、Bは自分とペアを組むのを拒否しているような素振りが見えた。
AとBとの4PLに関しては、約束をしている時に他のメンバーどうする?と話が進み、○○と××でいいんじゃない?と勝手にメンバーが決められ、その中に自分が上がることがなかったりなど、そういうことがわりとあった。
Aがそういったことを言い出すことは無かったが、Bはまるで自分と一緒に回るのを拒むように自分に声がけをしなかった。これは勝手な思い込みだし被害妄想だ。事実は違うかもしれないが、どうもあの時の自分にはそう思えたのだ。
それに加え、BはSNSでよく「私のAさん」「AさんのPC全部私の(笑)」などとよく言っていた。別に、他意はなくノリで言っていたものなのだろうが自分はとても腹が立った。
それに、その自分がおかしくなっていた時期、よくBはAの名前をSNS上であげて呼んでいた気がする。
もちろん、被害妄想の面もあるためそんな事ないかもしれないが、少なくとも自分にはそう感じた。
こういったことが度重なり、自分はどんどん嫉妬まみれのモンスターに成り果て、Aの隣を奪い合うように卓の予定を入れていった。
しかし、そんな関係が長く続くわけがなく、決壊した。Aが突然自分とBとの縁を切ったのだ。
突然のことに驚いて呆然とした。自分は何をやらかしてしまったのだろうと、焦ってAに連絡した。そしたら言われたのだ。
「正直、もう疲れた」
「2人に振り回さて、もうTRPGをしたくない」
「2人以外とも回りたい」
と。
ショックだった。それと同時に、自分はどれほど馬鹿なことをしていたのかと思い知らされた。
こう言われてしまったら、もう自分の異常性を受け入れざるを得ない。
こうして他者に依存し嫉妬に駆られる自分は、ここで反省したとしてもまた同じことを繰り返し、他の人をAと同じ目似合わせてしまうと思ったからだ。
やめて暫くは卓がしたいという気持ちに駆られることも多かったが、今は卓のない生活にもなれ、違う趣味を見つけるのこともできた。
あの時の自分は本当におかしかったし、AにもBにも大変申し訳ないことをしたと思っている。
なんの落ちもないが、これで自分の話は終わりだ。
だが日本では許されない。
なぜだ?
イスラムでは酒は飲めない。
日本は飲める。何故だ?
我々は明瞭な科学的根拠はなくても文化的に社会合意されたルールにしばし法的強制力を持たせる。
一夫多妻で誰が困る?
そうはならん、法で禁じる、
誰か(不倫したい人とか)が不幸になるかもしれんが、社会コストとして諦めてくれ。
(大麻を有害だから禁じていると思っている人は根本的に勘違いしてる、違います)
日本国民が「大麻は不要、禁じるべき」と判断したから立法したにすぎない。
不倫をすれば叩かれる。
多数派の日本人が守りたい文化、価値観、共通の倫理として信じているからだ。
ズルするやつを、他人事と見逃すと全てが崩れる、例外が例外ではなくなる。
あれが許されるなら、あれもこれも
ファミリーマートに入った時になるメロディはファミマ特製のものではなくて、パナソニック/ナショナルが1982年から作っている赤外線入店センサー、メロディサインシリーズ。
EC5117/EC5227/EC5347型。一番安いのは4000円。
東京などJR東日本の駅には緑の文字盤の時計が吊るされていて、JR東のコーポレートカラーの緑の特注品に見える。
しかしこれはSEIKOの親子時計(駅や工場など時間狂いが許されない箇所に使われるシステムで、正確な親時計が30秒or1分毎に指令を出して子時計が運針する)のうち、バックライトがなくても視認できる蛍光塗料を使った商品で特注ではない。つまりは目覚まし時計が緑なのと同じ。
無印の横長で四角い「駅の時計」は国鉄ものと誤認されがち。だが国鉄は秒が刻まれた時計を採用していたので間違い。
目盛りが分刻みのあのデザインを使っていたのは地下鉄の交通営団。天井の低い銀座線、丸の内線で使っていた。
名古屋でもういろうは売られていたが、ういろうの名産地と言ったら小田原だった。
だが東海道新幹線が開業すると、ういろう販売店の内、名古屋の青柳総本店だけが車内販売権を獲得。当社は電車が名古屋を出ると「名古屋名物ういろう」と売りまくったためにういろう=名古屋と利用者に刷り込まれた。
漢の時代の中国で四季に合わせて漢詩を詠む事が教養となり、それを日本も倣った。漢詩→和歌→俳句→散文と受け継がれ、風流と教養から手紙の頭などに必ず季節を入れるのが常識となった。
この為に日本の特徴的な季節である梅雨などは無視されるか夏に入れられている。
梅雨前線が停滞することで起きるので青森~台湾~中国沿岸部しか梅雨にならず、中国沿岸部の梅雨は軽度でしかなかったため。
商店街が銀座を名乗るのは賑やか、高級のイメージと思われているが、最初に銀座を名乗った戸越銀座がそう名乗ったのは本物の銀座で使われていた煉瓦を舗装に使ったため。
関東大震災の復旧で銀座の舗装をやり直す事になり、それまで使われていた煉瓦の敷石が戸越に譲渡された。戸越は煉瓦舗装で雨の日でも泥まみれにならなくなったので「戸越銀座」を名乗った。つまり銀座の根拠は煉瓦舗装。
ペリーの黒船は蒸気機関車と混同されて鉄製+石炭蒸気船のイメージがあるが、木造の帆船。
木に腐食防止のコールタールを塗っていたので黒く、普段は帆走していて港での移動にのみ蒸気機関による外輪を補助的に使っていた。
昔のヨコハマタイヤが看板広告に使っていた、タイヤの中に濃い顔があるデザインは頭おかしい系怖いデザインとして有名だが、実はヨコハマタイヤの意匠ではない。
アメリカのBFグッドリッチ社がディーラーサイン(取扱店)として配布していたもの。(The Smileage!)。だからヨコハマタイヤのも取扱店の目印で、大村崑のオロナミンCホーロー看板と同じ。
BFグッドリッチが使っていたのは戦前~戦後初期と古く、また白黒イラストに赤文字だったのだが、戦後下ってから何故かヨコハマタイヤが色付けして復刻。その姿で多くの幼子を泣かせた。
錆びると紫外線遮蔽力が弱い白目部分と赤い唇の塗料が先行して剥げ易く、目と口から赤い錆汁を垂らすようになる。サイレントヒル。
尚ヨコハマタイヤは古河財閥とBFグッドリッチの合弁。戦争で関係が切れていたが戦後に関係が復活したのでキャンペーンデザイン統一した意味があったのかもしれない。
BFグッドリッチ社はオーチスエレベータ等も擁するユナイテッド・テクノロジーズ社に吸収されて消滅。タイヤのBFグッドリッチブランドはミシュランが持っている。
google:image:BF GOODRICH TIRES SMILEAGE
新幹線は固有名詞になっているが、元は単に幹線鉄道に平行する新しい幹線、って意味。
元は瀟湘八景で、中国湖南省の水郷地帯を季節を違えて八か所描いた山水画。
「四季」と同じくこれが日本で教養化されたもの。元が侘び寂び的であるので日本で更に洗練された。
山水画だけでなく連句を詠む/選ぶ、散文に登場させる、浮世絵、写真、単に選ぶなどのスタイルで流行した。
晴嵐、晩鐘、夜雨、夕照、帰帆、秋月、落雁、暮雪のテーマをなるべく入れる事が求められ、何も入っておらず単に綺麗な景色8選だと無教養と評される。
金沢八景は全八テーマが網羅された景色であり、多くの漢詩や俳句や浮世絵が作られた。
当地は沈降海岸(リアス海岸)で入り江と小さい島が多く松島のような絶景で富士山詣での返りにわざわざ訪れたりするほどの景勝地だった。
後に埋め立て等で景色は全て失われて八景の由来も判らなくなったが、「眺めが素晴らしい金沢」みたいな駅名である。
だがその駅により周囲の埋め立てが進んで八景が無くなったのだから皮肉である。
数年前の鬼怒川決壊氾濫で、過去にも「鬼が怒った」ような暴れ川だったと考える人が居るが、単に鬼怒川の源流付近を昔「けぬ」と言っていたからである。
前橋から奥日光、群馬から栃木西側に掛けてけぬ(毛野)と呼ばれていた。後に上野国(こうづけのくに)下野国(しもつけのくに)となるが、読みの「こうづけ」の「け」は「けぬ」の「け」であって、漢字の方で脱落してしまったもの。
ビショーネという。google:image:biscione
故安倍晋三前総理も若い時に乗っていたというアルファロメオのエンブレムには十字架とビショーネが描かれているが、これはアルファの象徴という訳ではなく、都市国家ミラノを支配していたヴィスコンティ家の紋章である。
ミラノの商人や貴族はビスコンティ家より紋章が描かれた皿を下賜され、忠誠の証しとして家に飾っていた。
余談だが安倍総理が乗っていたアルファは年代的にアルフェッタという車種と思われる。https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b4/1978_Alfa_Romeo_Alfetta_GTV_%287254572400%29.jpg
実はこの年代のアルファはソ連製鋼板の品質に由来する品質問題を抱えていて評判を低下させた時期である。自動車用鉄板は防錆の為に亜鉛メッキされているのだが共産国ソ連の生産管理のダメさによって亜鉛メッキがちゃんとされておらず錆だらけになってしまう。
なぜソ連製鉄板など使っていたかというとデタントでソ連との交易を増やそうというイタリア国策である。だがこれはイタリアが東寄りだったいう訳ではなく旧枢軸国の独裁国でフランスなどに経済制裁されていたスペインにも工場進出しており単に節操がない。
当時日本の鉄鋼が米国を打ち負かす程の伸長をしており、日本製鋼板を使っていればこんな事にならなかった。アルファに乗っていた安倍氏は卒業後に日本の鉄鋼会社に勤めていたというのが皮肉である。
あと一つ入らないから続く→https://anond.hatelabo.jp/20230613182714