はてなキーワード: メンタルヘルスとは
頭の悪い人が持ってる資格という印象があるんだけど、実社会で役立つ資格なの?
介護職みたいなポジションで、施設運営には必要な人材だけど儲からない分野だから給料は安いとか?
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000116049.html
1.公認心理師とは
公認心理師とは、公認心理師登録簿への登録を受け、公認心理師の名称を用いて、保健医療、福祉、教育その他の分野において、心理学に関する専門的知識及び技術をもって、次に掲げる行為を行うことを業とする者をいいます。
(1)心理に関する支援を要する者の心理状態の観察、その結果の分析
(2)心理に関する支援を要する者に対する、その心理に関する相談及び助言、指導その他の援助
公認心理師(こうにんしんりし)とは、「心理に関する支援を要する者の心理状態の観察・分析」・「心理に関する支援を要する者との心理相談による助言・指導」・「心理に関する支援を要する者の関係者との心理相談による助言・指導」・「メンタルヘルスの知識普及のための教育・情報提供」(第2条)を行う、公認心理師法を根拠とする日本の心理職唯一の国家資格である。
年収は、「300万円以上400万円未満」が最も割合が高いが、就業形態で分けると、常勤勤務における年収は、「300万円以上400万円未満」と「400万円以上500万円未満」が約21%と割合が高い一方、非常勤のみでは「200万円以上300万円未満」の人の割合が一番多い
近々図書館の司書さん達にお礼を言おうと思っている。その前にでも自分の頭の整理のために書いておきたい。
そして誰かの参考になればいいな思う。
タイトルの通り自分は3年前まで本が全くと言っていいほど読めなかった。本を開いても1~2行読んで「あ~もう無理」って感じですぐ閉じて、すぐ自己啓発系youtubeに逃げていた。当時だと西野亮廣、与沢翼、メンタリストDaigo、よくわからない弱小自己啓発系youtuber、俺的名言集など。
今でこそ笑い話だが、当時は「こんなに役に立つ情報が無料で見られるなんて、youtubeってマジ天国じゃん! これを吸収して俺は人生を逆転するんだ!」とか本気で思っていて、与沢翼がアップした1時間尺くらい(人生の本質とか何とか)の動画×5本くらい(10本くらいあったが途中で断念した)を1つ10時間くらいかけて見て、ノートに一言一句書き写すとかっていうことをやっていた。
「本なんて読まなくても、youtubeの動画を見れば人生逆転できる!」って本気で信じていた。
そして自分はそんな自分のことを「俺、周りよりも頭いい!」と思い込んでいた。
今思えば、陰謀論者みたいだな。
高卒。ここまで正社員経験無し。公務員試験受験に落ちてから、ずっとコールセンターでフリーター人生。
仕事も降格1回。会社もクビ2回。ナンパにも10年くらいハマったり。ってくらいに馬鹿である。
どうだ?
みんなよりもクソな人生だろう。
※メンタルヘルス、精神医学系の本を何冊か拾い読みした結果、おそらく自分にはADHD、ASD系統の性格傾向があると思われることがわかった。だがこれはあくまで「傾向」だ。でも少なくとも100%定形ではないだろう。自分の感覚だと3割くらいはその気があると思う。
話を戻す。
書いた通りのバカで、でも謎に「いつかは人生逆転してやる!」って息巻いていた。
でも実際はなかなか行動に移せず、その鬱憤を自宅に帰ってきてはyoutubeの自己啓発動画を見て「俺はやれるんだ!」って自分を高めては、翌日また現実の世界に打ちひしがれて帰ってくる・・そしてまたyoutubeを見る、という日本全国どこにでも居そうな陰キャ生活を送っていた気がする。
仕事のプレッシャーと職場の人間関係からなるストレスから発症したと思う。
(日付を見て気づいたが、ちょうど3年前の今頃だったと思う)
http://www.toyama.med.or.jp/wp/?page_id=1347
※「パニック障害」ってどんな病気? ~公益社団法人富山県医師会~
症状としては死への恐怖が一番強かったかな。
主治医に診てもらっても、自分の辛さがなんだか伝わっていないような気がして。とりあえず薬を出されて終わり。そんな感じだった。
「めちゃくちゃしんどいのに、お医者さんは何もしてくれない。それなら自分で調べるしかない」
それが図書館に行くことの始まりだった。最初はポジティブな理由でもなんでもない。
「この病気を自分で調べなきゃ自分が死んじゃう」そこがスタート地点。
最初はメンタルヘルス、うつ病、パニック発作、パニック障害とかの本をとりあえずひたすら読んでいった。
本の読み方とかもよくわからずに。ただむさぼるように読んで行った記憶がある。今の症状について、医者からほとんど何の説明もなかったからだ。だから知識が欲しかった。
本を読みいろいろな知識を得ていくうちに「あれ? 本ってもしかして人生を逆転出来るツールなのでは?」と思うようになる(単純)
ちなみに、この時の自分は読書の本当の凄さにはまだ気づいていなかった。
ただなんとなく、当時見ていた自己啓発系youtubeよりも多種多様な情報が図書館にはあるな。これを頭に入れることが出来れば、自分は今のクソみたいな環境から脱出出来るのでは?
それくらいの解像度だった。
たまたま18時に終わる仕事だったので、図書館に直行して閉館の21時まで入り浸る毎日を過ごすようになった。
1冊読み終わったらまた1冊。そしてまた1冊と次々に違う本を読んでいった。
いわゆる「乱読」というやつである。ただその時は「よーし、乱読するぞ」なんて思っていなかった。
「目の前にモンスターが出てきたから、とりあえず倒す!」くらいの感覚だった。
幼少期に多少読書をしていたとはいえ、こんなにも本を読んでいない。ましてや大学にも行っていないし、仕事で文章を読んでもいる訳でもない自分が、急に読めるようになる訳はない。
パニック症関連の本はある意味必要に迫られていたので、中身をなんとか頭に入れることが出来たが、当時の自分にとって自分に関連性のない分野の本は全くと言っていいほど頭に入ってこなかった。
図書館には「旅」のコーナーがあるので、旅日記、旅行記。それから写真集、絵本など、文章が少なく、写真や絵が多い本から初めてみることにした。これが意外と自分には合っていて徐々に自分を本に慣れさせて行くことが出来た。
旅行系の本は結構充実していて「一度は行ってみたい世界の絶景」みたいな本とか、「島、海、空」に特化した写真集なんかも何度も読んだ。とっても楽しかった(書きながら思い出している)。ああいう本はたぶん知らないうちに、自分の心を豊かにしてくれたんだなと思う。
俺の実家は宗教が複雑に入り乱れており、新興宗教に入信した兄弟もいたような家庭だったので、宗教には興味があったんだ。
「宗教学? 宗教を信じるための学問?」って思っていたくらいよく知らなかった。
その後も、少しずつ少しずつ。1日30ページずつとかではあるけれど、読書は続けていった。
その頃のジャンルは宗教学、人間関係、旅、メンタルヘルス、ハンディキャップ、働き方、思考方法など。
そうして徐々に、文字が多い本(いわゆる新書など)も読めるようになっていったと思う。
余談だが図書館の環境も良かったと思う。自分が通っている図書館は音楽が流れソファが用意され、読書をするには最高の環境だった。
読書をするためにわざわざカフェに行って、お金を払う必要がなかったのは大きい。
選書もとても良く、新しい本から古い本、海外の翻訳本まで次から次に読みたい本が見つかる。こんな素晴らしい図書館に出会えたのは本当に運が良かった。
そうして3年が経った今年。
3年前には本を開いても1~2行しか読むことが出来ず、youtubeの自己啓発動画に逃げ、動画の先にいる配信者を盲信していた自分が、今では読書を3~4時間は平気で行うことが出来るようになり、読むジャンルも法律、社会学、経済学、起業関連など、多少難しい本を読めるようにもなった。
それから、これまで乱読に近い読み方をしてはきたが、これがいわゆる「リベラルアーツ」という学問に当たるということも最近知った。
https://www.obirin.ac.jp/academics/arts_sciences/what_is_liberal_arts.html
そして自己啓発系動画は現在も見るには見るけど、以前と違い盲信することは無くなった。
Twitter(現X)のバズツイートや、インフルエンサーの情報発信を見ても、安直に信じることも無くなったし、必ず別の可能性を考えられるようになったと思う。
自分にとって本を読むことは、偉人、先輩方との対話であり、その本が入っている本棚、図書館は偉人たち、先人たちといつでも話が出来る場所だと思うようになって来た。
何かを考えるときも「あの本にはこんなことが書いてあったよなぁ・・」と頭の中で引用出来るようになってきた。
頭の中に様々な専門家が常時いるようなイメージだ。口寄せの術。
この3年。変な自己啓発本やビジネス書の類(書店で平積みされているようなやつ)は、ほとんど読んで来なかったことも大きい。
今までは「与沢翼のブチ抜く力」とか「西野亮廣の革命のファンファーレ」「あなたを癒やす100の名言」みたいな本ばかり読んで、わかった気になっていたが、そのような本に盲信することはもう無いだろう。
ただ、おかげさまで有益な情報はある程度取捨選択出来るようになったので、その意味では今後は目を通すことはあると思う。
岡田斗司夫は図書館のことを「貧乏人が行くところ」と評したが、自分は「司書さんがプロの目線で有象無象の中から、適切な本を選んでくれる最高の場」と言いたい。
最近は「得た知識を抽象化していつでも引き出せるように」訓練している。
読書を始めたきっかけは精神疾患とはいえ、本が読めるようになったこと。
また、読書のおかげで新たに人とのつながりも出来るようになってきた。これは予想外の副産物でもあった。
新しい人に出会った時に「本を読んでいます」というと、話が発展することが多くなったし(今までは、AVの話しやナンパの話し。風俗や借金の話ししか持ちネタがなかった)、読書サークルなんかにも通えるようになった。
そして今までは読んだ本(学問)同士のつながりを感じることが出来なかったのだけど、リベラルアーツという言葉を知ったおかげで、これまでの読書が一本の線でつながるような気がしてとても嬉しいんだ。
今後も引き続き勉強をして行きたい。 あと今後は文学作品も読んでいきたい。
だいたい、みんな「読書」って言うと、小説などの文学作品のことを語る人が多い。
自分のようにリベラルアーツ系の読書から入って数を重ねる人は一般的では無いのかもしれない。だからこそ小説を読むのは知らない世界を知れそうで楽しみである。
自分はこれまで、生活に苦労してきて、かつ学歴にもコンプレックスがあったりしたが。
ここから先の人生は読書が出来るということを武器にして、豊かに生きていきたい。
そして「自分って高卒なんだよな。結局大卒には勝てないんだよな」
読書は楽しい。死ぬまで続けたい。これからも自分に心の豊かさをもたらしてくれるものだと思っている。
そして読書ができる人は実はそんなに多くない。だいたいの情報はyoutubeなどのネットで得られる世の中だからだ。
電車に乗っても、子供から学生、そしてサラリーマンに至るまでみんなスマホをいじっている。スマホに夢中だ。
youtubeの切り抜き動画や対談動画にも、有益なものは非常に多いが、元をたどると古典などの本からの情報であることが多く、だからこそ読書は他人と差別化が図れるものだと思っている。
これからも続けて行きたい。
いつか、通信制でもいいので大学にでも行こうかな。そんなことを最近は思う。
そして図書館の司書のみなさん。ほんとうにほんとうにありがとう。
いろいろな人が読んでくれたようで本当にうれしい。
書いた後に、改めて自分でも振り返ってみたが、これほどまでに読書が継続できた理由のひとつは、やはり図書館の環境がとても良かったこと。
それから、オンラインで参加していた読書サークルに私よりも知的な方々が沢山いて(博士課程の学生や、大学の講師など)、「このまま読書を続けたらどう変わって行けるのか」という、少し先の未来を自分に見せ続けてくれたということが、大きかったんだという事にも気づいた。
読書サークル内では日夜テキストチャットで議論のようなものが繰り広げられていて、最初は会話に全くついて行けなかったけれど、だんだん話していることが理解できるようになってきた自分が嬉しかったりした。
いろいろな意味で運もあったのだと思う。
読書サークルにたまたま知的で素晴らしい方がいらっしゃった事。
友だちが少なく、親の介護も無く、仕事で要職についている訳でも無かったがために、逆にプライベートの時間を、読書にフルベット出来たこと。などなど。
この文章を書いてから、ナンパをしていた時代に毎日の様に行って、よくたむろしていたビル(飲み屋やカラオケ、ホストクラブやダンスクラブが入店していて、たまり場になっていた)に用事があって行ってみたんだ。
派手な服装の女性と、その女性を口説き落とそうとしている男性。
ウェーイって騒いでいる学生。
怖めの車で迎えに来た怖めのお兄さん。
仲間で歩いているホストくん達。
その人の「親友」の定義にもよるけど、親友って別に依存する相手じゃないでしょ。
自分が親友だと思っていた相手が、実際には向こうがそんなに親しいと思ってなかったとしても、「あ、そう」で終わる話。
メンタルヘルスを維持したいなら、自分が依存しているもの(中毒)をリストアップして、少しずつでも解決していった方がいいよ。
日本のツイフェミが言ってる性加害の話は、安全圏でワガママ言ってるだけ。
アメリカではもっと深刻なレイプ被害などがあるから議論が進む。
そんなに欧米のような国がいいなら、さっさとアメリカにいってきて、半年か1年過ごしてみて、その上で
https://nypost.com/2023/09/04/virginia-school-kept-teen-gender-transition-secret-suit/
バージニア州の高校生が家出し、複数の州で性的人身売買を受けた。その理由の一つは、高校が彼女が男性であると認識している児童の両親に告げず、そのことで執拗ないじめを受けたことが訴訟で主張されている。
現在16歳の祖母であり養母でもあるミシェル・ブレアさんはワシントンのセージ審査官に対し、「彼らは娘を守る権利を盗んだ」と語った。
問題のある幼少期を過ごし、精神的健康上の問題を抱えていたセージさんは、2021年8月10日、14歳でアポマトックス郡高校に通い始め、そこで男性代名詞や男性名で呼び、男性用トイレを使うなど、自分を男性であると認識し始めたという。ミシェルさんが先月バージニア州連邦裁判所に起こした訴訟に対して。
しかし、学校職員はセージさんの男の子になりたいという願望に積極的に関与し、彼女が度重なるいじめを受けていたことを知っていたにもかかわらず、性転換を「意図的に隠蔽」し、手遅れになってセージさんが逃げ出すまで両親を巻き込むことはなかった。その後、彼女は4つの異なる州で数か月間にわたって複数の男にレイプされたと訴訟は主張している。
2021年8月11日、新学期が始まったばかりのある日、セージさんはバスの中で男子生徒たちから悪質ないじめを受け始めた。少年たちに「男の子に見える」と言われ、「男の子が好きになるまでレイプする」と脅され、学校から締め出すと脅迫された。訴状によると、彼女が謝らない限り彼女の髪をバスの窓に押しつけ、どこに住んでいるか知っていると言って撃つと脅したという。
翌日、セージさんは2人の指導カウンセラーと面会し、自分が少年であることを伝え、バス事件について話し合った。しかし、職員らはミケーレさんにいかなる情報も開示していないと裁判所文書は述べている。
訴訟によれば、セージさんはその月を通じて、男子トイレや廊下で男子生徒らに「触られたり、ナイフによる暴力や強姦で脅されたり、廊下の壁に押しつけられたり」していじめられ続けたという。
カウンセラーらは、新学期の最初の12日のうち8日はセージさんと会ったが、ミシェルさんには、子どもの「性の不一致」についてカウンセリングを行っており、「彼女を男性として肯定している」ことは伝えなかった。訴状によると、男子生徒からの既知の脅迫にも関わらず、女子生徒が男子トイレを使用したという。
裁判所文書によると、いじめがあまりにもひどくなったため、他の保護者もいじめについて学校に報告し始めたという。
8月25日になって初めて、カウンセラーはセージが男子トイレを使っていること、そして「安全上の懸念」だけを理由にミケーレさんに伝えたが、それでも親には子供の性自認の変化や、そのせいで彼女が受けたいじめについて伝えていなかった。と提出書類は主張している。
同紙によると、カウンセラーはミシェルさんに「(セージさんの)体に自傷行為の傷があることに気づいた」と語ったという。その同じ日に、ミケーレさんは「ドラコ」という名前が記載された学校の定期券を見つけ、セージさんは自分が男性であることを母親に告げ、彼女が受けた脅迫と感じていた恐怖を打ち明けた、と訴訟は主張している。
訴訟によれば、セージさんはミシェルに対し、カウンセラーが「そうするように指示」していなかったら「男子トイレを使わなかっただろう」と語ったという。
しかし、恐怖に駆られた少女は「精神異常に陥り、逃亡を決意」し、その夜、寝室の窓からこっそり抜け出し、両親に宛てたメモを残した、と訴状は主張している。
訴状によると、メモには「あなたは自分の仕事を果たした。イエスはあなたを愛している」と書かれていたという。
「このまま残ったらどうなるのかが怖い。用心してください。ここには悪い人たちがいます」と彼女は言い、「愛を込めて」と手紙に署名した。
セージさんは「見知らぬ成人男性に誘拐され、レイプされた」後、ワシントンDCに連れて行かれ、他の2人の男たちに残されたまま、やはり薬物を投与され、レイプされたと訴訟は主張している。
その後、この2人の男が彼女をメリーランド州まで車で連れて行き、登録済みの性犯罪者と一緒に彼女を置き去りにし、その男が彼女を強姦し、他人に性的人身売買を行った後、彼女を部屋に閉じ込めた、と訴訟は主張している。
ブレア首相の弁護士バーナデット・ブロイルズ氏は、ボルティモアでセージ氏は最終的に連邦当局によって救出され、「悪夢は終わるはずだった」とワシントン審査紙に語った。
しかし、ボルチモアの国選弁護人アニーサ・カーンが両親がセージ君の新しい性自認を「十分に肯定」していないと主張したため、州がセージ君の監護権を取得したと訴訟は主張している。
セージさんは少年のための少年施設に収容され、「そこで再び性的暴行を受け、薬物にさらされ、医療的および精神的医療を受けられなかった」と訴状は主張している。
セージさんは2021年11月12日にその施設から逃走し、別の小児性愛者に拾われてテキサス州に連れて行かれ、「そこで再びレイプされ、薬物を投与され、飢えと拷問を受けた」と訴訟は主張している。
裁判所文書によると、2022年1月24日に当局がテキサス州でセージさんを救出した後、最終的にセージさんはミシェルさんに返されたという。
彼女に起こった出来事の結果、セージさんは複雑性心的外傷後ストレス障害と診断され、「おそらく残りの人生で治療が必要になるだろう」と訴訟では述べており、セージさんは入院と外来を繰り返していると記されている。帰国してからの治療。
ブレア氏の別の弁護士、メアリー・マカリスター氏はポスト紙に次のように語った。「もしセージさんの両親が彼女の精神状態を十分に把握しており、彼女が最初に自分のアイデンティティに疑問を持ち始めたときに必要なメンタルヘルスカウンセリングを提供する機会を与えていたら、こうしたことはすべて防げたはずだ。」
「むしろ、学区も国選弁護人事務所も、自分たちのほうが親よりもよく知っていると判断したのです。彼らの傲慢さの結果、セージは何度も犠牲になりました。」
遺族は現在、アポマトックス郡教育委員会、スクールカウンセラー2人、カーン氏に対し、不特定の損害賠償を求めて訴訟を起こしている。
https://anond.hatelabo.jp/20230914181924
俺の母親がこの後輩母タイプに近かったけど、病院行ってないだけでかなり重いメンタルヘルス患ってたんだと思う。
あとマイマザー含めてこの手の人って日焼けしたら死ぬんじゃないかってくらい日焼けを恐れて外出するとき異様な格好したりする傾向があるように思える。
そして外でもエアコンの温度設定や風量にめちゃくちゃ厳しく、いきなりかなり偉そうに調整の指示を始める。
あとエロ本見つけたとき獣みたいに発狂してたな。精神崩壊して男声で人間が出さないような叫び声あげるんだよ。
要するに社会生活普通に送るために最低限必要な精神的キャパや知能水準に全くまーったく足りてないで大人になった個体なんだと今になって思う。
もう3年間一切会ってないし連絡取ってない。
人手不足で、中途採用の技術者(うちは製造業)もなかなか採れない。
人手不足なのに、それを知りつつ会社は増産体制をとり、現場が悲鳴を上げている。
弊社、パワハラ横行が問題視され、高ストレス者が他社よりも高い水準であるらしく、改善しようとはしているが、上司を見ていると、口だけでしかない。
離職者も増えているらしい。若手中心だと聞いたし、自分の観測範囲では学卒入社のプロパー2名が会社に見切りをつけて辞めていった。
ちな、自分は、深夜残業があり、その時の上司も性格のきつく、メンタルやられそうになり、
産業医面談にて訴え、環境調整が必要かどうかの話が上司にいったのだが、後日、上司から、
「この会社でやっていけるのか」
と言われただけだった。
全社中(支店は子会社でも)で有名な性格のきつい上司の下で結構大変だったのだけど、
それを訴えて、メンタルきついと相談したら「この会社は性格のきつい人が多いから、あなたが慣れないといけない」
と言われただけ。
会社が「産業医面談推奨」と言うから面談したら、こういう結果だ。
あと、サービス残業もある。
労働組合もあるのだけど、活動が行き届いてる部署と、そうでない部署がある。
うちの部署は、あまり活動が行き届いていないから、相談してもよさそう。
まー、パワハラ上司に対処できるようにしていきたいけど、人を大事にする会社じゃないのかも?と思うなどした。
ちなみに、パワハラとは具体的に、
・職場で同僚全員が見ている前で、部下を罵る
・会話の際、必ず部下が間違っている前提で話す、どんな時でも部下が間違っている前提でしゃべる
それも、同僚が見ている前でやる
・大量の仕事を振り「納期厳守で残業はするな」と矛盾した指示をする
・人格否定をする。何か仕事のミスが発生した際(ミスというか上司とのコミュニケーション不足が多いのだが)、部下の人格に言及し「お前の性格が問題があるから」と必ず性格の問題にする。それを全体ミーティングの場で行い、特定の部下に集中砲火をする。
言葉足らずだったので細くすると、会社としては就業環境改善、メンタルヘルス対策、は取り組んでいる。
ということは、部署の問題でもあるのだが。それか経営陣の、うちの部署に対する理解が乏しいのか。たぶん、どっちも。
キツいなら辞める、が答えかもしれないけど、
製造業の中では利益は出ている企業なのだけど、ただ、徐々に年々落ちてはいる。
だから、利益が出ているから変わらない、という意見も一理あるかも。
ただ、今大丈夫だから将来大丈夫とも言えず、社長も経営陣もそれは言ってて、「管理職に言っても何も変わらないから若手に直接訴えたい」と若年層との会話は積極的にやってた。
なので、会社を変えようとする流れがあるのは、確か。
まず大前提として、小児性愛者がその性的欲望を「実際の」小児に対して実行するということは、現代においては大多数の国で刑法上の犯罪でもあり、社会通念上も許されない行為とされている、ということは踏まえた上で。
小児性愛者向けの非実在表現によるポルノグラフィの供給・流通については、そもそも「小児性愛」という性的欲望のかたちをどうとらえるか、という根本的な立場の違いによって、2つの異なる考え方が生まれてくる気がする。
要は、小児性愛という欲望自体が病理なのか、そうではないのか、ということだ。行為は犯罪でも欲望そのものは病理でないとするのなら、欲望自体に介入する根拠は乏しい。病理であるのなら「当事者のメンタルヘルスのためにも」(パターナリスティックな)介入が可能になる。
そして、そうした心理的傾向---特に、特定の対象に対する選好・執着・嗜癖・依存など---が病理かどうかを決めるのは、究極的には医療専門家集団ではなく社会的なコンセンサスだ。たとえばADHDは昔は「不注意」という傾向だったが、いまは労働現場における時間管理やタスク処理に対する要請水準が厳しくなったことで、立派な「障害」になった。アメリカの福音派や保守派教会は、昔は同性愛行為を宗教上の罪としていたが、90年代以後はゲイ男性の性的傾向を障害とみなして「治療」する修復療法(reparative therapy)を盛んに行っている(あまり効果はない)。我々が今後、それらと同じような手つきで小児性愛と当事者を扱うかどうかということだ(これは、シロクマ先生がお好きな医療化という論点とも深く関わってくる)。
小児性愛の実践が「犯罪」であり「悪」であるということについては、現代社会では一定のコンセンサスが確立したといっていいけど、「現実世界に被害者がいない形で解消される小児性愛という欲望のありかた」自体を病理とみなすべきかどうかについては、どこかに絶対の正解があるわけではない。今のDSMやICDやMSDマニュアルにどう書いてあろうと、それは私達の社会の観念の反映であり、相互作用的に規定されているのだから。これは我々自身が考え、議論し続けなければならない問題だ。「小児性愛を題材とした非実在表現によるポルノグラフィの流通」の是非も、その結論しだいで変わってくる。
俺、今民間の障害児向け児童養護施設で相談員やってて、仕事自体は好きだし向いてたんだけど、給与めちゃ低いんだよね。
家族増えたこともあり同じ職種でもっと安定した職場ねーかなと転職決意。
県が運営してる障害児療育とか障害者生活介護とか障害分野狙いで、県庁福祉職受けたら無事合格。
説明会でよくしてくれた職員さんに礼の連絡入れたら、福祉職で採用された奴は希望ほぼ通らずほとんどが児童相談所勤務になるらしい。
児相の人手不足ってずっと言われてきてるから、そこを補填する意味で人員割くのはしょうがないのはわかるが、絶対嫌だ。
子供の命守るために必要な仕事だってのは重々承知してるけど、今直接関わってるケースの中で児相から上がってくるやつ、親が本当にやばい。
虐待云々ってあくまで結果で、大体親がもともと精神疾患あったり愛着障害あったり、人と真っ当にコミュニケーションが取れない超やべーやつなんだよ。その結果として被害が弱い子供に行くっていう。
YouTubeとかTwitterでちょっと検索するだけでも、子供保護された結果児相職員に粘着&逆恨みして告発するヤバい親が蔓延ってんじゃん。「児相絶許」とか「クソ児相」ってアカウント名がゴロゴロ出てくる。
人員足りてなくて担当ケースも膨大なのに、こんな奴ら日常的に相手にしたら職員のメンタルおかしくなるだろ…と思ったら、厚労省が児相職員対象にこんな統計出してた。
https://www.mhlw.go.jp/content/11900000/000861913.pdf
>回答児童相談所のうち、「メンタルヘルス不調による連続1か月以上の休業者が1名以上いる」
やっぱ職員も三人に一人くらいの割合でおかしくなっちゃうんだな。
じゃあ職員がおかしくならないようにと、こんな研修実施してる児相もあった。
「これ以上調べるなら帰り道気をつけろよ」
こういうことを他人から言われ慣れなくちゃいけないのだとしたら、俺はそこまでして他人の子供を守ることはできないと思って、これ見た直後に辞退の電話した。
まだ配属決まったわけでもないのに勿体無いとは思うが、初年度うまく希望の事業所入れたとしても異動で児相に行く可能性は高いしな。児相運営してない自治体探すわ。
事件前に介入するとクレーマー親からは「拉致」、介入せずに事件が発生すると世間から「怠慢」と文句言われることはあっても、子供を危険から保護して助けたことを褒められるって、守秘義務の関係上ないって話も聞いた。児相で働いてる人って献身スゲーな。
「自分は優れた存在である」「他人から良く思われたい」という感情があると、他人の目を気にしてしまい、他人の価値観に合わせて生きるようになりがちだ。
例えば、好きな子に自分を好きになってもらいたい場合、相手の好み(ストライクゾーン)を調査して、自分が相手の好みにピッタリになるように努力すれば、結果的に相思相愛になれる。
もちろん、自分を変身させる演出をするにしても限界はあるので、ど真ん中になれるのは稀かも?身長が180cm以上のモデル体型が好きという子がいた場合、170cmぐらいならシークレットブーツを履いたり、人工的に足の骨を折って伸ばす手術で数センチなら伸ばせるけど、身長が160cmとかだと20cm盛るのはきつい。その場合は他の部分でカバーするしかない。せめて髪型を変えるとか。
でも相手の好みと自分の好みが違い過ぎた場合、無理して相手の好みに合わせても、途中で演技がつらくなってメッキがはがれて終わり。
完璧に相手の好みに合わせることができたとしても、そのときには自分の好みを全部捨てて合わせているわけだから、自分の価値観(好み)ではなく他人の価値観(好み)に合わせて生きるロボットみたいになってしまう。全然楽しくないよね?
プライドの役に立つ使い方は、「他人から良く思われたい」ではなく、「自分で自分を見たときに、自分を良いと思えるようにしたい」という形に転換した方が、メンタルヘルスを維持できる。
つまり、プライドは外側=他人に向けるのではなく、内側=自分の内に秘めて使う分には、向上心の材料にできる。
他人から良く思われたいという感情を減らせば、他人から誹謗中傷されても平気になってくる。「おまえに私の何が分かるというのだ!全然分かってないじゃないかバカ野郎」と喝破できるだろう。
の3つで構成されている。
数学などの純粋な論理の世界では、好きか嫌いかで真偽が決まっているわけではない。また多数決で真偽が決まるわけでもない。
(ペアノの公理を採用して)「1+1=2」が正しい話とした場合、偉い人が「1+1=3」と言っても間違いだし、貧乏人や悪党が「1+1=2」と言っても正しいということになる。
あるいは、人類70億人のうち69億9999万9999人が「1+1=3」と言っても間違いだし、たった1人が「1+1=2」と言っても正しいということになる。
つまり、真偽は誰が言ったか(発言者)によらず、内容(命題)だけで決まっている。
これを誹謗中傷に当てはめて考えると、内容だけを吟味して、実際の当人とどれほど合致しているかだけを見ればいい。誰が言ったかはどうでもいい。
例えば、長期間風呂に入れず体が臭い人Aさんがいた場合、「Aさんの体臭は臭い」と言われた場合、これは現実のAさんと合致しているので正しい指摘ということになる。臭いことが良いか悪いか、という感情による価値判断とは切り離して事実か否かを検証しよう。
(相手の話をよく聞くと、良い悪いという言葉は、好きか嫌いかの言い換えになってる場合が多い。論理ではなく感情を表明してるだけと分かる)
もしも、Aさんからアンモニア臭がして何かの病気の兆しだった場合、専門の医師が診察すれば病気の早期発見につながり、Aさんは死なずに助かるかもしれない。そうすると体が臭かったことを指摘されたことは、Aさんにとって不利益ではなく利益だったということになる。
このようにして、誹謗中傷の内容を検証して、指摘の正当性を確認する作業と、その後に発生する価値判断(有用/害悪)は切り離して扱うべきだろう。
なので私の場合、アンチの批判は無料のコンサルタントを雇っていると考えるようにしていて、役に立つ情報だけを拾い上げ、その他自分にとって役立たない情報は不採用にしている。
誹謗中傷の大合唱になった場合も、アイデア出し1000本ノックのつもりで、「もっと良いアイデア持って来いよ?もうお終いか?」ぐらいに見ている。
物理的に殴られて骨折するわけじゃなければ、言葉で何を言われても平気になろう。
自分のことを知らない匿名の相手は、予想で自分のことをプロファイリングしてもたいていは的外れなので、バカが喚いているぐらいにしか見えない。
たまにコールドリーディングが上手い人がいて、プロファイリングが正確な場合もあるけど、自分に役立つ情報を提供しなかった場合は無能として切り捨てるだけ。本当に役立つ指摘・情報を提供してくれた場合は感謝してる。
(物は言いようで、相手に受け入れられる言い方ができない/下手な人もいるけど、上述のようにプライドを出さなければ、きつい言葉でも平然と聞けるようになる)
戦争の歴史を学ぶと、自分の周りに言うことを聞くイエスマンばかりを集めてしまうと、自分に不都合な情報を提供してもらえなくなり、判断ミスを犯す場合がある。
cf. [asin:4478117047] 「東大生が教える 戦争超全史」
戦争の話はわりと詳しいのだが、脱線するのでここでは割愛しよう。
もしも、リーダーが自分の周りに反対意見をガンガン言ってくる生意気な部下であっても登用することができれば、戦争で負けそうになったとき生意気な部下は隠さずに報告するだろう。
「○○方面で、武器が補充できなくなったので陥落するのは時間の問題です」と聞けば、被害を最小限に食い止めるための損切りもできる。分からないと突っ走って玉砕=負けが確定。
このように自分の周りに、美辞麗句を並べるだけのイエスマンしかいなかった場合、適切な判断材料となる情報が得られなくなる弊害がある。
自分の周りに批判的な意見を述べるアンチのような部下でも置いた場合、適切な判断材料となる情報が得られやすくなる。
このようにイエスマンとアンチのPros/Consを検討すると、アンチの誹謗中傷があっても、むしろ役に立つということが分かる。
この段階に至ると、自分からアンチを探して対話ができるようになる。
改善案がセットで提示されていない場合、その指摘は価値が低い。点数をつけるならば50点以下だ。よって無視しても良い。
もしも自分が他人を批判する場合は、GOサインの基準として、本人を目の前にして(=実名で)言えるか?という基準を設けている。
本人を目の前にして言えないなら、それは陰口であり、悪口になってしまうので言わない。
本人を目の前にして言えるなら、それは陰口ではなく、相手に利益をもたらす=親切で言ってるつもりなので正々堂々と言う。物理的に遠距離とかでなければ、直接会いに行って伝えるのがベスト。その方が誤解が生まれにくい。
直接民主主義の基本は対話であり、ソクラテスも対話は魂の産婆術と言って重視していた。
人々の間にある齟齬を解消して、利害関係を調整するには、武器による戦争ではなく、言葉による対話が重要であることは言うまでもない。
従って、アンチが誹謗中傷してきた場合は、自分の場合は直接会って話を聞くように心がけている。
しかし、頭が悪い連中が相手だと、直接会って話すことを怖がり面会を拒否してくる場合がある。ヤクザの脅しと勘違いするアホが多い。こういうアホとは直接話をしても得られる利益が少ないので捨ててOK。
現代人はインターネットで遠隔のコミュニケーションに慣れており、直接会って話すという機会が減っている。
コロナの影響もあるので、一概に直接会わないことが悪いとは言えないのだが、それでもやはり大事なことは直接会って話す方が伝わると思う。
(思考実験:もし直接会うことが重要ではないと言う人がいたら、君の父親と母親が直接会ってなければ君は存在していないという事実をどのように評価するか説明しなければならない。インターネットでメッセージを交換するだけでは子供は生まれない)
特に必要もないのだが、思う所あって3月後半ぐらいから徐々に生活リズムを整えている
毎日朝に起きる、夜に寝る
朝・昼・晩、三食をちゃんと食べる。すぐに歯を磨く
朝には太陽光にあたる
こまめに風呂に入る
全然充足感がない
正直、これだけやればもう少しメンタルヘルスが向上するものと思っていたが、まるでそんなことがない
朝に起きてるので洗濯物は洗いやすくなる。よくわからん突然の訪問者にインターフォンで起こされる危険性がない。あとは特に良いことなし
なんだか生活リズムがズタズタだったときのほうが楽しく毎日を生きていたような気がする
一番整うのはラジオ体操とストレッチ。正直これさえやれば後はいい。規則正しい生活はどうでもいいから身体をちゃんと動かせということ
https://news.yahoo.co.jp/articles/a2db64ea2f73ca254034f757495ca0c41b3e4337
この件は裁判で真実が明らかになるだろう。でも、誹謗中傷はどんな場合でも許されないって、マスコミは忘れているんじゃないかな。人の命を奪うような行為に加担することは許されない。報道の責任と倫理を持って、真実を伝えるべきだ。ただのスキャンダル追求ではなく、人々の尊厳とメンタルヘルスを尊重する報道姿勢が求められるんだ。被害者を救い、社会を変えるために、マスコミは責任を果たすべきだ
テラスハウスは共同生活する男女の恋愛模様を描くリアリティー番組。原告側によると、花さんは令和元年9月から撮影を開始。翌2年3月に入居者の男性とのトラブルで花さんが激怒する場面がインターネット配信されると、SNS(交流サイト)で大量の中傷が寄せられ、花さんは同5月に自ら命を絶った。
この文章にもないな。
原告側は、花さんがフジテレビ側に提出した誓約書の違約金条項で、演出などについて強い拘束を受けていたと主張。番組には出演者が中傷を受ける構造的な問題があり、被告側は出演者の健康状態の管理や中傷への対処などの安全配慮義務を怠ったとしている。
キレてバックドロップかけたらまずいだろ。
この主張はひどすぎ。
フジテレビは「原告の主張には当社と認識が異なる点がありますが、見解は訴訟の中で主張していきます」とするコメントを発表した。
そらそうだろう。