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はてなキーワード: 権力関係とは

2020-08-04

anond:20200804171501

から君主制権力関係を前提にしている時点でLGBTかわいさに持ち上げるようなものじゃねえって言ってるだろ

別にそこ否定してねえよ

2020-07-23

2020-07-16

闘争が嫌いなので人生に向いてないとわかった

人間関係とはつまり闘争であることが、大人になるにつれてわかってきた

あらゆる人間関係利害関係権力関係であり、良い人生を送るには他人を打ち負かす力こそが大切

自分闘争が弱くて嫌いなので人生に向いてないとわかった

2020-06-19

anond:20200618223016

丁寧に持論を説明してくれて感謝です。

ただ、そもそもの話として、私としては、元増田文章からボス」が周囲からちやほやされてる・強権を振るってるような権力構造を読み取ってなかったんですよね。むしろ

それ以降あまりボスイラストRTすることはなくなった

同じCPがメインのはずのボスは参加していなかった

などで、全然ちやほやされてないっぽいな、主導権をずっと握ってるわけでもないんだなという印象でした。

前段に関してはすっかり視野から抜けていたのですが、後段に関しては、一種クーデターというか、ボスを出し抜いて本を出すことによってボス地位を失墜させる目論見なのかなという憶測を働かせていました(神絵師ボスが別人というのは、もしも権力関係があるなら奇妙なことですが、これまで神絵師さんに権力欲が少なかったり売れっ子余暇がなかったりして権力闘争にかかずらってこなかったということなのかなと)。いや、最初からこんな物騒な語彙を使って考えていたわけではないですが、自分の頭の中にあった図式を他人説明しようとするとそういうことになるよなと。

ただ、

逆に、「アンソロに参加しないこともあるぐらいの人を『ボス』って表現するの、ずいぶん偏ってない?」という点に注目してます

というご指摘を踏まえると、偏っている、歪んでいるのは元増田所属している界隈ではなく、その界隈を眺める元増田目線であるということになりますね。

これは別の増田が、

アンソロとか企画して人脈がある人がさ、はじめて同人イベントに売り手として参加したあなたジャンル内で孤立しないように、さも「もとから読んでましたよ~」ってテイで声掛けしてくれて(それを「接近してきた」と感じたみたいだけど、どうしてジャンル内で影響力ある人が同人誌1冊出したばっかの人に接近、すり寄る必要あんの?)、打ち上げにまで呼んで周りの人とつなげてくれたわけじゃん。そんな面倒で、自分の得にならないことやりたくないよ普通は。

でもその人は、ジャンルを盛り上げるために、サークル初参加の人に気を使って声掛けして、ジャンルカップリングあなたが嫌な思いをしないように整地するっていう仕事をやってくれてるんじゃん。あなたみたいな人に「ボス」とか馬鹿にされたり嫌われるリスクも背負った上で。

anond:20200618030053

と指摘していましたが、確かに元増田が「ボス」について語っている表面的な事実関係を信用するならば、他人同人誌の感想から自分語りにつなげちゃうような困ったところはあれど、同じコミュニティ新参にも積極的に声をかけて、イベント打ち上げに誘ったりしてくれる、まあ親切な人のように読めるという(いますよね、そういう、他人他人をつなげることを趣味にしてる「顔の広い」ひと。まあそういうひとは往々にして空気が読めなかったりするわけですが……)。

そうだとすると、私の書いた増田元増田の「ボス」「取り仕切る」などの表面的な言葉遣いに惑わされて、その背後にある正確な事実関係が読めていなかったということですので、読みの浅さを恥じなければいけないなと思うところです。

(ていうか、「神絵師」さんのフォロワーが「フォロワーは私の30倍以上、ボス10倍以上」ってことは、「ボス」は元増田の3倍程度のフォロワーしか持ってないわけで、ここから「あ、オフラインでの行動力はあったとしても作家としての影響力はそんなにないんだな」ということを読み取るべきでしたね。猛省)

ということは、元増田の言う「ボス」は

のではなく、あくま

という可能性が高いわけで、こういうポジションのひとなら存在しうることは認めます。こういうひとがいたからといってその界隈がおかしいというのはおかしいですね。私が「お前の界隈おかしいよ」と書いたのは間違いだということになるでしょう。

ですが、間違いなのは主語選択についてです。私は繰り返し「お前の界隈おかしいよ」と書きましたが、「界隈」の情勢についての元増田認識が歪んでいる可能性が示された以上、言うべきは「お前の認識おかしいよ」だったということになるのでしょう。考えてみれば、私が「おかしい」と言った対象は後半では元増田感覚に及んでいるのですから、「界隈」そのもの問題なのではなくお前の同人に対する認識おかしいんだよ、と論難した方が論旨に一貫性が取れていたでしょうね。

まあ、もちろん、本当に元増田が言う通り「ボス」がアンソロにまで口を出すような権力者であり、界隈そのものヤバい、という可能性も残されているわけですが……(もちろん厳密に考えるならば、政府会社のようにしっかりと組織の形が定められている場合と異なって、こういう人間関係では影響力や人望と権力とのあいだはシームレスというか本質的区別不可能なわけで、そういう意味では「ボス」が何らかの権力を有しているのは間違いないのですが、しかしそんなのは人間が2人以上いれば発生することですからね)

ご指摘いただいたおかげで、私の主張に内在していた欠点を炙り出すことができました。ありがとうございます

2020-06-18

anond:20200618193745

アンサーありがとう! すごく興味深いやり取りをさせてもらって嬉しい。でもたぶん、既にエクスキューズをしてくれているように、半分くらいは読解に関することかも。そして私の書き方も、示したいポイントからちょっとずれてた気がします。補足させてください。

アンサー内でも触れてくれているように、「ある特定主催者がいる」というところはまあそこそこよく見る、普通の話だと思うんですよ。そして、同人文字書き男氏としては、それを踏まえて、「でも、元増田がその主催者を『ボス』だの『取り仕切ってる』だのって表現するの、権力のにおいがヤバくない? あるいは実際にそう表現されちゃう権力関係があるならますますヤバくない?」みたいなことを問題視してるのだと読み取りました。

私もこの点は完全に同意です。権力感ありありの表現不思議に感じるし、実際に権力構造があればそれはおかしい。アンソロまで激しく干渉されるとしたら超怖いですね。近づかんとこ、ってなります

ただ、そもそもの話として、私としては、元増田文章からボス」が周囲からちやほやされてる・強権を振るってるような権力構造を読み取ってなかったんですよね。むしろ

それ以降あまりボスイラストRTすることはなくなった

同じCPがメインのはずのボスは参加していなかった

などで、全然ちやほやされてないっぽいな、主導権をずっと握ってるわけでもないんだなという印象でした。だから同人文字書き男氏のアンサー内の最後選択肢、「そいつの関知しないアンソロが編めないようになってんの?」については、明確に元増田記述とは異なる状況ですよね。元増田のいう「ボス」は参加してなかったらしいわけだから。逆に、「アンソロに参加しないこともあるぐらいの人を『ボス』って表現するの、ずいぶん偏ってない?」という点に注目してます

以上のように、たぶん私と同人文字書き男氏では、受け取った印象がそもそも結構違うんだと思います。「ボス」「取り仕切る」という言葉イメージをどれくらい重要視したか、という差なのかもしれません。たとえば、もともとの元増田表現が「みんなが『ボス』だと持ち上げてる人がいる」的な権力構造に関する言及だったら、「お前の界隈おかしいよ」には全力で同意しますよ。

あとはたぶん、同人文字書き男氏の

そんなやついねえよ。

って書き出しに私が引っ張られてしまったのもあると思います。いやいや、そういう立場人間自体はいたよ、みたいな。なので、私が出した情報は「とりまとめ的な立場によくいる人が実在したケースを知っている。そのケースでは私が『ボスだ』と思うような権力構造はなかったけど」という内容になったわけです。

まとめると、「お前の『界隈』おかしいよ」にちょっと疑問符をつけたかった、というところでしょうかね。

界隈の構造そもそもおかしいのか? 元増田の感じ方にややバイアスがあるのか?

であれば、私はさしあたり後者に一票なので。

これでちゃんと返答になってるといいんですけど。

2020-06-04

こばるさん(@sha_k_br)のブログを読んでの感想

私は、ただの通りすがりである

====

今までは、ただ荒れている海を時たま平和なところから眺めていただけだった。

そして、たまたま見かけた漂流物に対して思ったことを気まぐれに書いて見ようと思った。

ここから書くことは、現段階書いている私には公開するかもわからない文章であり、該当のブログ記事に対して思ったことを気ままに書くだけなので何かを伝えるというつもりは一切ない。自分のなかのことを整理しようと思っただけのことで、こばるさんが何を思おうと私は興味はないし、これを読めというつもりもない。

発端はそのブログであっても、おそらくは私の思ったことまとめに終始すると思われるからである

以上のことを踏まえて読むかを決めてもらいたい。

これは自己保身という人もいるかもしれないが、私にそのつもりはない。

匿名で、なんの影響を被ることもない場所で、ただ書き散らかす文章から一切の重みはないということを読んだ人皆に伝えるという意図の、私の責任感の表れと取ってほしい。この文章はただの電子ごみだ。

さて、まず該当ブログurlを貼らせてもらう。

ヌメさんへのネットリンチに加担し続けている人たちへ

私は、このブログ題名名前があがっている方のCFにまつわる問題を時たま眺めていた。最近出来事などの一連も一通り見ていたつもりではある。

私には、一切法律的知識CF知識はないため、収支報告を求めるものに、「まあそりゃあ疑念が湧いたら事実確認をしたくなるよね」程度のことを思うことしかできない。これは、お使いに行かせた子供お金をちょろまかしていないか確認したい、というような感覚と似ているのでCF適用できるのかは私には判断はつかない。

私はここで、この方の問題について白黒をつけたことを書くつもりはない。あくまで、こばるさんのブログについて思ったことを書くというつもりだからだ。

このブログ記事は「CFした方がネットリンチをされている」という前提で書かれている。(題名からしてそう)

なので私がそのことについて書くということは、その前提に対して物申すということになってしまう。

そうなると、私の考えたいことと外れていくと思うのでとりあえずそこは保留にしておく。

以下、本文を引用しながら書いていく。

ヌメさんへのネットリンチに加担し続けている人たちへ。

あなたたちは愚かです。

優しさに賢さが追いついていない人、賢さに優しさが追いついていない人、その両方が見受けられます

優しさに賢さが追いついていない人は、大局を見る能力がありません。「優しい」という自己イメージに捉われて、その表面的な振る舞いからはみ出す勇気がないだけの愚か者です。

賢さに優しさが追いついていない人は、あなたが学んできた知識を、愛情を持って世界還元しないところを見ますと、やはり愚かだと思います

あなたのための寛容な世界づくりを、自ら放棄し続けているあなた方は、全く賢くありません。

声を上げる人の、精神高潔さを知りなさい。

そしてあなた自身の恥を知り、愛を知りなさい。


正直言うと、私はこの「優しさ」や「賢さ」という言葉が何を指しているのかがわからないため、ここは飛ばす。

ただ、「寛容な世界づくり」という言葉から弱者にやさしい世界をということなのだろうかということを何となく推察するに、この人々は強者に当たるのだろう。そのあとの、声を上げる、などは最近話題トーンポリシングもろといった感じである。これ以降のところで語気語調で判断するな、といった内容のことが書いてあることだし。

トーンポリシングに関しては、議論の場は対等な人同士が様々なものを用いて議論をするという理想があるが、そこにも権力関係があるのだということを自覚しよう、といったものであると私は認識している。(何かで読んだ、何だっただろう…)

恥を知り愛を知る、は、まあちょっとよくわからない。思いやりだろうか。悔い改めるとかだろうか。

あなたは愚かです。しかあなたの愚かさは許されます

5年後、10年後に、あなた自分自身の行いを恥じたとき過去あなたの行いを誰も責めてはいけません。

もちろん、今あなたがそれを行なっているならば、咎められるでしょう。法に基づき裁かれることもあるでしょう。

あなた積極的または消極的加害行為が、今、あなたからの加害を受けている人の心の安寧よりも、優先して認められることはありません。

しかし、あなたの今の幼稚さは許されます

あなたはかわいそうです。然るべき手段で裁かれた後、あなたあなた自身からも許されることを願っています


これはまあ、おおむね一般的な考え方であるように思われる。罪は裁かれ償いをしたら一種チャラである。あとは良心問題

まずあなたは、あなたが何に依らなくても、あなた自身が当たり前に存在してよいのだということを、深く理解してください。

これはまず一番最初に、あなたの心の底の底に置いておくべきあなた自己肯定感です。

あなたが今それを得られていないなら、とても悲しく、残念なことです。

自分自身の心を明かし、賛同でなくとも肯定されることが、あなた世界を信頼できる根拠になるということを、ぜひ知ってほしいと思います

自分自身の心を明かす勇気を、あなたの愛する、信頼できる人に向けてください。

その信頼が報われたときあなたあなたのための自己肯定感を得られるはずです。

その経験を得たとき、その自己肯定感や誇りが、他者にとっても同じ、誰にも脅かされてはならないものだということを、想像できる人になってください。


ここはいささか唐突に思われた。なぜここで自己肯定感の話なのだろうと率直に思った。

自己肯定感がないからこそ、曰く「愚か」な行為をしているという考えであるのかと推察するが、「自分自身の心を明かし、賛同でなくとも肯定されることが、あなた世界を信頼できる根拠になる」という点では、賛同/肯定をされた時点でその賛同/肯定されたものが、結論として善であろうと悪であろうとその内容はかまわないように受け取られる。

それとも、「愚か」なことであってもその自己肯定感が生まれたらばそれ以降回心できるはずといったようなことなのだろうか、私には少々やはり呑み込めない。

ある層に受けることを言ってしまったらその承認におぼれてしまい、そこから抜け出せないこともあるのではないか、等々考えてしまう。

まあやっぱりよくわからない。

また、「中立」の立場をとり、自分を冷静だと思っている方へ。

あなたが行動をしない限り、あなたは無敵です。

あなたが何かを決めない限り、あなたは誰にもジャッジされることはありません。

あなたは、いつでも世情に合わせて、怒られないための「正解」を選ぶことができます

あなた卑怯です。安全場所で、物事を見定めているつもりになっている自分自身のことを恥じてください。

あなた対立する勇気を持っていないのなら、あなたは有力な参謀にはなり得ません。

そのことを理解し、自身のことを省みてください。


私としてはここが一番の山場であった。ここで、こばるさんは他者に対して「対立する勇気」求めている。

私はここが一番引っかかった。

意見を表明する勇気」ではなく、「対立する勇気」であり、「中立」、決めかねるという一つの判断否定していると思うからだ。

以下は、浅い知識によるものから最初に書いたことを思い返して、あまり真に受けないで読んでもらいたい。

私は、この言葉を読んだとき、エポケーという言葉を思い出した。

エポケーは、判断停止や判断中止とも言われる。これは、懐疑的もの見方として生まれもので、常識などを棚上げし、事実を見るというようなことである。「これまではそうだった、だからこれからも違いない」ここに対して待ったをかけるようなものと私は習った記憶がある。思考停止とも違うということも。

判断を停止するということは、結論を下すことを中止するということで、こうだった場合にどうなるかといった想定をしてその場合結論としてはどうなるか、と考えることをやめるわけではない。

判断停止をし、意見表明をしないということは確かに叩かれるものがないという点で「無敵」かもしれない。

しかし、むやみに敵を作るような行為は慎んだほうがよいのではないだろうか。対話可能と思えないのならば、口をつぐむということも選択肢に入って来るのではないだろうか。そこで人は絶対意見を言わねばならないというのは酷であると私は思う。

立場を明らかに意見を表明できないのは、冷笑主義でもない限りそれ相応の判断停止の理由があるのではないか

または、明らかにするほどのことではないという一種の”判断”でもあるだろう。

ここをおして判断を迫るのならそれ相応の論拠を明確に提示していく必要があるだろう。

また、全貌を知らないままに下した判断には危険性があるのではないかと言いたい。

ヨクシラという言葉があるが、ヨクシラで首を突っ込み盲目的に突っ走るというのは恐ろしいことである。むやみやたらに判断を求めたらいいというものではないと考える。

ただ、これはヨクシラで判断を下し動いている人々に対して判断を下し行動することをやめろといいたいのではなく、その判断に基づいて物事を見ることに固執しかねない、という危険性を留意しておくべきではないかという意味であり、柔軟性があるのなら、意見を表明するという言語化を通して自身の考えをまとめることができ、それを叩き台にしていろいろの人との対話をすることで自身の知見を深めることができるため、それ自体をすべて悪いとは思わない。

これはヨクシラでない人であっても同様のことがいえると思っている。固執することは恐ろしいことである

そして、これらの話はどちらか、いずれか、なんらかの想定されるコミュニティに与するという話ではないと思う。

私は、「対立する勇気」という言い方にどうしても、二項対立ですべてを説明しようとする姿勢が見えてならない。

人々はそうそ一枚岩ではないだろう。学校クラスの分裂ですら、賛成反対と大きく分けてみた中をのぞけば、容易にその中の分裂が見える。

「有力な参謀」という言い方も、ある組織構造を持った何かを想定しているように思える。

ここ以降は、声を上げるリスクについての説明などで、黒人男性黒人若者に対し言っていた言葉彷彿とさせるものだった。

以降に関しては特に思うところはない。しいて言うなら、「数は力」という言葉と、黒人差別意識させること自体だろうか。(全体な気がしてきた)

「数は力」に関しては正当性があると思ってのこの書き方なのかもしれないが、それはマイノリティマジョリティの流動にしかならないのではと思ってしまう。

数は結果であることが望ましいのではと、素朴に思う。まあ、綺麗事なのはわかる。正当に数を得られるように頑張ってほしいものだ。

政治について学んでおらず、社会学に関しても知見が浅いので、これは当たらないかもしれない。(田中角栄しかでてこない程度の知識である。)

黒人差別意識させる書き方をしてることが引っかかるのは、これは黒人差別と同じものではないからだ。

ここからは本格的に蛇足であるが、考えたので残しておく。

ネットリンチは悪いものだ。

差別だって犯罪だってそう名のつくものは悪いものだ。だってリンチ差別犯罪からネットリンチ批判することに是非は問われないだろう。

ただ、ネットリンチというレッテルを誰か他者に貼ることはどうだろうか。

私は、この悪者としてのレッテル他者に貼ることが端的に言って怖い。

これを叩かれるのが怖いということだとは勘違いはして欲しくない。

ここでは、叩かれることは問題ではない、他者レッテルを貼ることが問題なのだ

それをするのは、覚悟必要だ。

その時周りなどは関係ない。私とその人との問題しかない。間違っていた場合のことを考え、極力それをしないように努めなければならないと私は考える。気分としては推定無罪、のような感じだ。自分責任を取れないと思うから責任を持って私はどちらに加担することもしない。

私は当事者でもその近くでもないからだ。

誰かが言ってるから、そんなことで自分の行動を決めてはならない。

大勢迎合することも好ましくない。責任に欠ける。

こばるさんのこのブログ記事は、前提がもう、ネットリンチというレッテルを誰かに貼っている。

想定されているだろう個別具体的な人々はいるのだろうが明確にはされていないから、私にはわからない。ネットリンチは無くさねばならない。

しかに当該の方にネットリンチと(法的、公的に)されることをしている人はいるのかもしれない。

それならば、その人は然るべき罰を受けるべきだ。

私もそのネットリンチをしている人々に対してのみに当てられたものだったら特に何も言おうとは思わなかった。

しかしこの記事では、ネットリンチとこばるさんが思うものについて、ネットリンチだと断定しない人間(中立)への批判がされていた。

私はそこにとても引っかかりこんな長文乱文を迷いながら書いている。

繰り返しになるが、ネットリンチだと判断するのは、ネットリンチ批判するその個人がしなければならないと私は思う。少なくとも、公的な場で決まりきっていないなら、そうなる。

それはしかし、「どう見ても正しさの欠片もないもの」と「正しいけど程度として問題があるように思えること」など、いろいろなものがあるのではないだろうか。私刑は正しいことではない。

少なくとも私は、ネットリンチというレッテルは、どこまでいったら貼って良いものなのかの知識はない。

こばるさんはそのような発言をして批判をするのなら、せめて、明確にネットリンチがなされていると自分が思う根拠を示す必要があったのではないかと思う。

このブログは、黒人差別問題彷彿とさせる。

しかし、黒人差別と同等なほどに、誰がみても、正当性を持って、ネットリンチと言えるものなのだろうか。こばるさんがネットリンチだと思っているものは。

ネットリンチというレッテルを使わずに、自分が目に余ると思う行為をしてる人たちについての問題提起をするということだって、一考の余地はなかっただろうか。ネットリンチとされなくても、人道的に嗜められるべき行為などはある。

私は少なくとも、一連を見てて何に義があるかというのは、簡単に言えるものではないと思っている。

いろいろなひとがいろいろなところでいろいろのスタンスで話してるのを見かけるからだ。

そこまで注視してない私ですら様々な意見を目にするのだからもっと様々な人がいるだろう。

私が見てる中にも、見てない中にも、ネットリンチに当たる行為があるのかもしれない。

ただ、私は誰かから困っていると言われたら、然るべき対応を、としか言えない。

手に余ることをするのは、無責任だ。

デマの流布をしないことが、一番私としては誠実な態度だと考える。

こばるさんの想定には私のような問題を外部から眺めている人間などが入ってないのかもしれない。ただ、この書き方はあまりにも広範な人を巻き込んでの批判ではないかと思う。

声を上げることそのもの正義、ではないと私は思う。

後半の論調的にはネットリンチ気づきつつ口をつぐんでいるサイレントマジョリティーを想定されているようにも感じられたし、基本的にこのブログ記事は、正義は我にあり、と信じて書かれているように思われる。

なので、正当な判断をしたらきっとこばるさんの側につくとこばるさんは信じているのだろう。

個人的には、正義は我にありと信じてやまない、揺らがない態度というのは、少々怖いものだと思う。

たとえ考えが変わらなく思えても、問い続けることは大事ではないだろうか。

乱文なので、また編集をすると思います。ここまで読んだ人がいたら、お疲れ様です。文意通らないとこあるかもだけど許してちょんまげです。

頓珍漢なこと書いている気もするけど、暫定的に。

2020-05-26

人格ある他者性的対象としてしま原罪を背負った対人性愛者。

権力関係が対称でない異性しか性的対称として見れない異性愛者。

非常に可哀想存在なので一刻も早く治療してあげたい。

2020-05-02

anond:20200502014235

これそのもの男尊女卑が発生した原因なんだよな

最初のうちは「守ってくれない、利益武力で獲得して来ない男にはまんこを使わせない」という形で女が男を使役するが、

依存が行き過ぎると逆に「従わない女は守らない、利益も配分しない」という形で男が逆襲して権力関係が逆転する

2019-12-23

この社会から権力関係を用いた暴力をなくそうと思うなら、それには賛同するけれど。

権力関係の単純な転覆を主眼としているマイノリティがやってることは、ただの権力闘争

そういうもの賛同すれば、論理的必然として、動きが進めば進むほど、マジョリティ暴力を振るわれるだけ。

喝采するリベラルとは要するにマジョリティの中の自殺志願者でしかない。

自分だけは絶対暴力を受けることはないという根拠なき確信のもとの賛同こそ、滑稽にもマジョリティしぐさ。

こういうばかげた茶番はあと何度繰り返されるんだろうか。

2019-12-15

いじめの訴えを担任相談してもいいことなんかないです。担任としても迷惑なだけです

いじめを訴える文章、そのまま教室掲示 栃木小学校

https://www.asahi.com/articles/ASMD46V8RMD4UUHB01N.html

われ中学校教師

さすがに

>赤ペンで「その痛み、つらさを知っているからこそ、人に優しくなれる」「負の連鎖をどこかで断ちきろう」などと感想書き込み、他の児童文章と一緒に教室に張り出した。

はありえないと思うが、でも生徒からいじめ相談されても対応できないし対応したくないという気持ちはすごくわかる。

自分教師になってから思ったけど、いじめの訴えを担任相談したら何とかしてくれるかもしれない、なんて勘違いは今すぐやめろ。

生徒は自分担任に期待しないで直接教育委員会通報してほしい。

よほど普段から会話してて信頼関係がある担任ならともかく、そうでないなら担任相談するのは一番やってはいけない行為です。


よろしいですか?

あなた担任先生はクソ雑魚です。何の権力もないです。人間以下の奴隷ロボットだと思ったほうがよろしい。

私自身の認識もそうです。私は3年目の新人ですが、ただの決められた業務をこなすだけの奴隷です。

忙しすぎて業務外のことをやってるよゆうなんてないし、権力関係でも無力です。私もいじめられてるようなもんです。

いじめられっ子にはいじめられっ子を救うことはできません。そんなことができるならまず自分を救ってます

だいじなことだから二回言うけど、ただの担任いじめ解決する力なんてありません。

せめて相談するなら最初から教頭先生校長先生に、保護者経由でいわないと意味がありません。

私はたまたま幸運にも今の時点では生徒からいじめ被害相談されたことがありません。

でも相談されても私には何もできません。

多分実際に言われたら、私はその生徒から事情を聴いた後O先生とT先生相談するでしょう。 

いじめ相談を受けたのですがどうしたらいいでしょうかと。

今回の事件のように紙で相談されたなら生徒から話を聞く前に先にO先生相談するかもしれません。

子供は、いじめ相談をうけた担任は、他の業務差し置いてまずいじめ対策に動いてくれると思うかもしれません。

なんでそういう勘違いをしてるのかわかりませんが、あり得ません。

そんなドラマみたいな嘘っぽい話はないです。ほかの業務の方が大事です。

私は報告や相談もなく業務以外のことをやってたら怒られるのです。

まして勝手に考えて行動したりしたら何をされるのか恐ろしいか絶対にやりません。だって私ただの奴隷だし。

そして、相談したO先生やT先生は、私に対して説教をするでしょう。

あなたがふがいないからこういうことになるんだと。

そうやってさんざんうんざりする話を聞かされた後に、どうすればいいでしょうかと指示を求めると適当な助言しかくれません。

なんとことはなくてO先生やT先生もどうすればいいかからないし何もしてくれないのです。

かといって校長先生相談してくれるかというとしてくれない可能性が高いでしょう。

あなたがなんとかしなさい」だとかいうに決まっているのです。

いじめじゃないけど、実際に相談したことがある例を挙げます

休み時間中に生徒同士が教室内でけんかした時に同じようにO先生とT先生相談したことがあります

その時には事情を報告させられ「お前がちゃんと生徒たちを見ていないから」と怒られたあと

結局「けんかをしないように注意しよう」「今後はより一層生徒たちの様子を見るように」さら問題が起きたらその時に相談して」といわれただけでした。

それで話は終わりです。

先生はみんな忙しいし、生徒たち一人ひとりに興味なんて持ってる余裕がありません。

生徒についても、まじめに勉強してくれる子は可愛いけどそうでない子はただの厄介者しかありません。

そういう教師の余裕だとか一人一人の自律性なんてものはとっくに死んでいます

これ以上余計な責任を負いたくないし、できる限り問題なんかなかったことにしたいです。

何も問題がなくても業務を回し切れないのです。 

これ以上問題を起こさないでほしいとしか思えません。


というかね。子供マジで教師をなめてかかってるし注意したらガチ切れするしすぐに暴れるし同じ人間とは思えないです。普通に怖いです。

https://www.yomiuri.co.jp/national/20191214-OYT1T50156/

なんでこんな危険な生き物の世話を安月給でしなきゃならんのかと。危険物取扱手当ほしい。

それでも自分が受け持ってるクラスの子くらいは可能範囲で面倒見ようと思ってますほとんど義務感だけです。楽しくないです。

この時期は特に入試広報奴隷作業が忙しすぎて無理です。 

学校いじめ対策をしてほしいなら、いじめ対策専門のスタッフ学校が用意できるように運動してください。

担任いじめ対策なんて無理ゲーです。担任なら何とかしてくれるって俺は仙道じゃないんだよ。

私はもう生徒のことが可愛いと思えなくなってきてるし、教師に向いてなかったんでしょう。

転職活動したくともその時間すらないからずるずると続けてるだけで、自分がつぶれる前に辞めるしかない。

俺は教師をやめるぞジョジョー!ってはやくやりたい。 やめたい。

2019-10-27

anond:20191027091756

同性愛より異性愛の方がよっぽど汚いよな

男と女じゃ権力関係が非対称だし

ペドフィリアは許されないのになぜ異性愛が許されてるのか疑問

2019-10-20

anond:20191020125054

特権階級から投げかけられる一方的断罪言葉に対して、マイノリティとして真面目に誠実に批判しないと潰される、というのは現象としてはその通りなのだが。それを規範化するのはトーンポリシングしかないよね。

まあ既に権力関係は対等になりつつあるから、真面目に取り合わなくても潰されることはないだろうが。一切言及してない人も、または「でも批判者側の言葉も聞いた方が…」くらいの穏当な立場の人も、内心では「あの人らは無理のあるこじつけで気に食わないものを叩いてるだけ」って気付いてる。

まあここで油断してたら以前の立場に逆戻りだから油断してはいけないのだが、ある程度安心して論を練ることのできる時代になったのはありがたい。

2019-09-03

anond:20190903191840

誰も言ってないで。その程度の「相応しくなさ」や。主催社と参加者権力関係も無さそうやしお互い好きに文句言ったら程度の問題ってことや。

2019-07-22

Twitterのせいで民主主義は死んだ

自民党民主主義を唄っているが、民主主義ではない。江戸時代から引き継がれる世襲権力関係ズブズブで、帝国主義真骨頂

それが完全に悪いとは言い切れない。この世は結局金とコネ、行ってしまえば江戸時代から続くコネ人間関係によって、自然災害その他諸々への早急な対応

規律の取れた行動が(他国よりかは)とれる。日本という国の特殊な所が、権力が腐っても腐りきらないところ。ブラジルメキシコみたいにならず、

上に全部任せておけば、それなりの倫理観とそれなりの行動力近代化も全部お上がしてくれた。フランスが成し遂げられなかった事を日本簡単にやった。

民主主義と言えるのは、民主党くらいだった。まぁそこも世襲華族の残りカスが沢山いたけど、少なくとも国民の味方ではあった。

全部上に任せていた国民らしく、政治を知らず夢を語り、あっけなく、なにも出来ず砕け散った。まぁでも少なくとも、国民が初めて選んだ党だったわけだ。

自民党権力を得ているのは、自民党を選んだのではなく、民主党ダメだったからだ。消去法だ。

自民党もその間に成長した。テクニカル的な不景気時代民主党に任せ、後は中国に学びコネ権力を使い、相場操縦をし始めた。

中国ほどの強権性は無くても、コネを使って機関投資家情報操作をある程度防げた。民主主義ではない、独裁に近いけれど、昔と同じく独裁でそこそこの政治が出来た。

ネットデータ分析して科学的に動いてる。

一方民主党は何をしたかネットを操るのではなくネットに飲まれたという方が正しい。

閉鎖的で先鋭化しがちな意見しか見ず、常識はずれの言説を世の中にまき散らし、ドン引きされるようになった。

これは凄い事だ。10数年前までは自民党応援してます、何て言ったら「右翼や」なんて言われたものだけど、今は民主党応援してると「左翼だ」とドン引かれる。

民主主義真骨頂であるtwitterは民の声であり、衆愚であることを世の中に知らしめた。

結局政治お上に任せた方が良いのだ。それでいいのだ。……。

2019-07-10

anond:20190710090507

「逆」でも何でもない、権力関係問題だろ。

女版家父長制や女上司セクハラバラエティでのおばさんから若い男へのセクハラなんて腐るほどある。

おじさんへの容姿いじり、古い価値観=おじさんレッテル、全部セクハラなのに、今現在は男だけ無視されてるだろ。

差別普遍的にあるけれど、今は女にだけ焦点が当たってるだけ。

それに気付けないのは君がセクハラ気質だってことを証明している。

2019-04-20

anond:20190420190642

そうだな。お前の母親フェミニズム思想に基づいた虐待行為をしていた。

親子という権力関係悪用した不当な攻撃だ。

だがお前の個人的トラウマフェミニズム個人攻撃全てを否定するのはただの傲慢だ。

2019-03-10

anond:20190310135443

そもそもヤクザの組長が仁義とか任侠とかもっともらしいこと言ってるだけで、末端の鉄砲玉がやってることは全然違うってだけのようにしか思えんわな

仮にそういう権力関係があってすらそうで、もちろん実際はそんなものはない

2019-01-21

anond:20190121191233

イオンは元々撤去したいが付き合いがあるから断りにくい、と思っていた所に

いいタイミング千葉市長が声かけてきたからそれをダシにしただけなんだよな

社会的権力イオンの方が千葉市長より圧倒的に強いだろう、と言う常識も分からないようなのが

権力関係が逆だと思ってるだけ

2018-11-04

どうしても言いたくて

コレのブコメを読んで感想

校則違反で校外学習外す、鹿児島 肌着の色、公立女子生徒 | 共同通信 - This kiji is

https://this.kiji.is/431037591501063265

次の問題が目についてので持論を少々。

下着肌着混同する人なんなの問題

不要ルールと罵る人多すぎ問題

人権まで持ち出す話飛躍しすぎ問題

校則法律より軽い問題

ではそれぞれについて。

下着肌着混同する人なんなの問題

 勝手に読み違えて猛烈に怒っている人はたくさんいる。相手の言っていることを正確に受け止めた上で批判しなくては届かないので落ち着いた方がいい。

不要ルールと罵る人多すぎ問題

 どんな文で書かれた校則かはわからないので類推する他ないのだが、「色指定パターンか「ふさわしくない肌着を禁ずる」みたいなパターンかと考える。これは本当に不要ルールだろうか。これが設けられている理由は、透け防止や学校の風紀維持であり、トラブルを未然に防ぐために決められているのではいか。この「トラブルを未然に防ぐ」目的に対して行き過ぎた校則かどうかが論点になるべきだが、「黒のタンクトップがだめだった」「校外学習に参加できなかった」という事象に引っ張られすぎてしまい、そこが議論されずに不要認定されている。

人権まで持ち出す話飛躍しすぎ問題

 なぜ肌着を注意したら人権侵害なのか考えた。すると「普段見えないはずの部分を権力立場を利用して無理矢理見た」という非人道的行いがあったと考えているのではないかと思った。もしそうならば話が飛躍しすぎている。仮にそのような検査方法が取られていたなら、300名に対し制服を脱ぐよう強要確認したことになるが、こっちの方がニュースになる気がしてならない。ニュースになっていない以上、透けた肌着校則に照らし合わせて注意したと考えるべきだが、それが人権侵害に当たるという主張も飛躍しているといえる。

校則法律より軽い問題

 校則法律関係ないのだから強要するのはおかしいといった論調があった。一理ある。一理あるが他人共生する社会生活においてその考えは通用しないことは自明である。それに特別権力関係論といものも有るらしい。法律より軽くても、法律上従わせることができる関係存在しているのはどうやら確からしい。そうなってしまえば、校則違反法律問題ない という主張は正当とは言えない。

これらの問題を抱えたブコメは総じて元記事問題提起を無視していると考える。

記事は「校則妥当性」と「校則違反処罰妥当性」を提起していると言える。

校則妥当性」についてだが、先に書いたように「色指定」か「ふさわしくない肌着を禁ずる」みたいな校則とするとトラブルを未然に防ぐ目的で制定された校則と考えれば妥当と言えるのでは無いか。このように言うと、では色付き肌着がもたらすトラブルは何か、や、トラブル発生までの論理的メカニズムを示せという意見があるだろう。人を従わせ罰することができるルールなのだから合理的理由を求めるのは正しいことだ。だが、校則制定でその手法採用できるかと言われればNOだろう。なぜなら色付き肌着がもたらす影響を論理的に展開できないからだ。カラフル肌着を着てても何も起こらないかもしれないし起きるかもしれない。起きたとしても肌着が原因だったかなんてわからない。では論理的説明できないのならば、何か起きてから決めましょうとなってしまう。学校がそのような態度でいて誰が得をするのでしょうか。だからトラブルを未然に防ぐ目的に対して行き過ぎた縛りであるかどうかという観点で考える必要がある。この観点から言えば行き過ぎているとは思えないので妥当だと考える。

校則違反処罰妥当性」についてこそ、この記事は考えるところが多いと思う。

みんなも考えて欲しい。

2018-10-19

anond:20181018221901

胸が大きいですね〜とか連発


これは文言からして明らかにセクハラ判断できるからそもそも問題とならない。

文言判断場合でも主観問題とならず、一般的に見て性的屈辱を受けうるか判断する。

問題となるのは、カワイイですねーといった文言からセクハラ要素が見出せない場合。その場面ではじめて当事者権力関係とか発言回数とか文脈議論される。

2018-10-18

anond:20181018140326

パフェ食べるのが可愛いって褒めるのはセクハラではないと思う。

セクハラというのは当事者主観ではなく発言者とそれを受ける人との権力関係をふまえて類型的に心理的圧迫を与えうるかをみるというのが判例です。だから、部下が異性の上司カワイイ発言しても、上下関係を前提とすると上にたいしては心理的な圧迫を与えたとは評価しにくいと思う。上司としてはその部下を遠ざけることも可能なんだから

逆にファッションが素敵だという一見ニュートラル発言でも、例えば正社員派遣に言ったりすると、時と場合によってはセクハラになりかねないと思う。

2018-08-28

早稲田大学現代文コースセクシャルハラスメント報告書がひどい

 今年の6月頃、早稲田大学文学学術院で起きたセクシャルハラスメントが初めてメディアで取り上げられた。

https://president.jp/articles/-/25434

 被害者現代文コースという修士課程学生だった女性で、加害者は同コース教授であった渡部直己渡部被害者女性に「俺の女になれ」と迫ったり、じろじろ体を眺めたり、授業中高圧的な態度で接したり、指導をするという名目研究室に呼び出して密室で二人きりになるなど、深刻なセクハラ行為を行っていた。

 プレジデントオンライン掲載された上記記事きっかけに、SNSメディア等でこの事件は大きく広まることとなった。大学調査委員会を設置し、渡部早稲田大学退職した。一見収束に向かっているように見えるかもしれないが、渡部一人の退職でこの事件を終わらせてはいけない。加害者は、渡部一人ではないのだ。

 事件拡散されるきっかけとなったプレジデントオンライン記事にも明記されている通り、被害者女性に対し、渡部セクハラ行為を口外しないよう口止めし人物がいる。その人物渡部と同じコース所属する水谷八也教授である。また、被害者女性からセクハラ被害について相談を受けていた女性教員に口外しないよう圧力をかけた人物もいる。その人物市川真人准教授である。 

 今般早稲田大学被害者女性関係者からヒアリングした証言をもとに報告書作成した。しかしその内容は、被害者や当時の学生達の証言無視し、水谷市川教授側の証言一方的採用した杜撰ものだった。

プライバシー観点から報告書の実物をここに掲載することは出来ないが、以下、問題と思われる点を箇条書きで記す。

被害者や当時の学生などの証言を軽視し、教授側の発言を重視している

 渡部によるセクシャルハラスメントに悩んでいた被害者は、友人同席のもと、当時現代文コース主任を務めていた水谷と三人で面会を行った。また、精神的に落ち込んでいた被害者に代わり、友人は水谷と二人で二回目の面会も行った。

 被害者及び友人の申立書によると、水谷は「この件を口外しないでほしい」「口外すると現代文コースの存続に関わる問題に繋がるから」「被害者自身にも隙があり、渡部勘違いしてしまうのもうなずける」といった趣旨発言をしているにも関わらず、水谷本人が否定していることだけを根拠に、報告書では被害者及び友人の主張を認定していない。

 

教授発言採用する根拠不透明

 前項の通り、この報告書では一貫して教授側の発言に重きが置かれている。たとえ当時の在学生らの複数目撃証言が集まっていたとしても、教授本人が否定をすれば、報告書は在学生らの目撃証言認定しない。一体報告書は何を根拠教授側の発言重要視してるのだろうか。教授側の否認が在学生らの証言よりも信憑性の高いものであるという根拠は、どこにあるのか、

 また、報告書では「本委員会認識している資料からは、同発言(※教授側の問題発言)の存在認定することはできなかった」という言い回しも登場する。しかしこの「本委員会認識している資料等」とは何なのか。在学生らの証言よりも信じるに足る「資料なのだろうか。言わずもがな、本報告書において、その「資料」が明らかにされることはない。

報告書全体が冗長かつ分かりにくい文章構成されている 

 この報告書非情冗長で、一読しただけでは意味が取りづらい文章構成されている。その狙いは明らかに問題の核心や責任所在を誤魔化すことにある。先述した被害者水谷の面会時における水谷の笑い方など、取るに足らない些末な事柄を詳述しているにも関わらず、被害者や友人に口止めを迫る場面など、事態の核心は「認定できない」の一点張りである

 水谷セクシャルハラスメント被害実態認識していながら、「大したことじゃないか第三者機関には口外しないでほしい」と被害者沈黙させようとしたことは、被害者関係者などの証言が一致するところだが、報告書はその点を深追いすることはしない。ささいな問題をおおげさに取り上げたり、論点をすり変えたりして、読者を拒むような悪文で責任逃れをしている。

 早稲田大学作成した報告書は、明らかに公正さを欠いている。水谷市川を始めとする今回の事件隠蔽に関わった教授陣に不自然なほど有利な記述ばかりだからだ。

 また上記の他にも、合意なく女性学生の腰を抱いて体を密着させるなどのセクハラ行為を行っていた青山南に関する記述なども、本報告書には含まれている。青山セクハラ行為に対しても、在学生らによる複数目撃証言が集まっているにも関わらず、青山本人が行為否定しているというだけで、報告書青山セクハラ行為認定していない。

 これが調査と言えるだろうか? 

 

 どんな加害行為を行ったところで、教授が「やっていない」と主張すれば黒が白になる。そんなことがまかり通っていいはずがない。教授学生の間には、絶対的権力関係がある。その力の差を利用して学生が反抗できない状況に追い込んだ上で、このような加害行為に及ぶとはなんと卑劣なのか。

 そして、被害を受けた学生よりも加害者側の教授学校体制を守ろうとする早稲田大学対応にも大きな問題がある。セクハラ隠蔽に携わった全ての教員が自らの責任を認めるまで声を上げ続けたい。

2018-08-01

anond:20180801150758

根拠のない決めつけは不快なのでやめていただけますか。職場などなら相手感情配慮するって書いてますよね?

増田という何の権力関係もない場所相手自由発言を妨げようというのならそれ相応の理由必要で、迷惑というのがどの程度かについて考える必要がある。

程度や内容を無視してとりあえず相手迷惑だと思ったからやるべきではない、とはならない。

子どもに教える道徳としては「相手がいやがることはやめましょう」でいいかもしれないが、実際に相手に何かをやめろと要求すると相手自由権を侵害する。

それでも自分の側に理があるというのなら、それはこういう理由ハラスメントなのだ、などといった大義必要だろう。

anond:20180801105230

いいや、ハラスメントになるかどうかは当人気持ちだけでなく社会的状況も問題になる。

実際の人間関係権力関係がある職場とそれが薄い増田では、同じ行為を行い同じように相手が嫌だと思ったとしても、ハラスメントになるかどうかは異なる。

増田での行いと現実での行いには当然差をつけている。

2018-06-12

ふるさとってさ

大学講義プロジェクトX映像見たんだけど

その中でダムで沈んでしまう村の桜を移植して再生する、っていう事業があったのね

そしてその桜を移植して、そこは第二のふるさとになったっていう話で、結構感動したんだけど

でもそこでは間違いなくふるさとは壊れてて

でも新しいふるさととしての桜が生まれた、というエピソードなんだけど

俺は地元愛とか持ってないんだけど

これ見て、ふるさとってじゃあ、後天的に人々が決める、共有するものなんじゃなかろうかと

俺はまだ地元愛とか持ってないけど、いずれ何がしか経験コミュニケーションの中で守りたい地域が出てくる

そうなったときふるさとって呼ぶんじゃないかと思ったのね


普通場合でも、ふるさとって長くそこに住んだ経験があって初めて

意識的無意識的かはおいといても)「ふるさと」へとなっていく、守りたいと自覚できるようになる

そういう意味でもふるさと後天的ものであって

まれ場所として最初から決まっているとか、親によって決まるものでもないんじゃないか


どこかに住みついて、そこの人とコミュニケーションをとって、愛着を持つようになる過程ふるさとになる

ということに意識がいくと、こういうことを支援したり、そうしたふるさと意識を持った人々がふるさとを守るため

あるいはこの場合は、新しいふるさとを他の人々と共有するため行動を起こす

そういうことも、何かこう権力関係の中で利権を争うみたいな官僚やら政治家やらの動き以上の

根本的な人々の政治なのかもなと思いました

どっとはらい

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