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はてなキーワード: 市民権とは

2023-05-30

古の昔から異能に目覚める話は沢山あったけど

この世は憂きことばかりにて来世にて添い遂げなんとするのが江戸時代禁止令が出るくらい大流行した心中だったので、現世に絶望して転生にワンチャン賭ける志向自体は古くからあった

異世界転生が市民権を得てるのも少なからず厭世感が漂ってるからでわざわざ戻ってきてもしょうがないって思う人も多いだろう

https://togetter.com/li/2157035

異世界転生がある程度の隆興を得る背景は

小宇宙(コスモ)とか超人パワーとか悪魔の実とかの世界を考えるよりも

ゲーム世界」が楽だからよね

チート文化が元からあって

ロボットから魔法までなんでも対応でき

世界ルールシステムとして示せて

根底知識のある程度の共有を前提として描ける

物語ゲームのメインストリーのifで良い

こんなに楽なテンプレはそうそうなくて

当然「僕ならこう書く」も増える


こういうのに無理に世相を見出そうとすると、どうしても論が歪になるよね

現実クソゲーとある程度の人が思ってないといくら供給があってもここまでの一大ジャンルにはならないと思います

女性向けの場合類型花より男子みたいなイケメン金持ちが私を取り合ってくれないかしらみたいなシンデレラストーリーが今でも人気ですけど

もはや男性向けとなるとゼロ年代みたいに学園の中でも夢を見れないか異世界に行くしかない…

みたいな結論ありきの論構成になる


リベサとかポリコレサブカルが人気なの分かるんだよ

勝手他人の内心を規定して

お手軽にマウントとれる

そりゃ止められない

みたいな話よね

2023-05-14

最近ゲーム部活化しすぎててだるい

ソシャゲ毎日ディリーだの稼ぎだのやらんといけなくてこんなんまじの部活動だし

流行ゲームは何故か対戦ゲーに偏ってて上手くなる方法考えなきゃいけないとかこんなんもはや運動部だし

流行りのゲームをやるのが死ぬほどだるい

ゲーム市民権を得ても結局世間様のくそだるい同調圧力ゲーム世界にまで入って来ただけで良いことなかったやんけ

将棋を指す」が市民権を得るにはどうすれば良いか

また酷い記事が出た。

https://news.yahoo.co.jp/articles/4817db45280b8b63c91e52855ec4e43452681fae

将棋を打つ」に「将棋を差す」である

人間は知らない言葉は喋れないはずなのに、なぜこの記者存在しない言葉記事に書けるのだろう?不思議だ。

それはともかくとして。

間違いなく棋士ちゃんと突っ込まないのが悪い。

専門家なんだからしっかり啓蒙してほしい。

藤井六冠が就位式か何かの記者会見かで言及すれば一発で解決すると思う。

「さあみなさんご一緒に!将棋は?」

「指す!!!

漢字は?」

「指!!!

「持ち駒は?」

「打つ!!!

日本平和でありますように!

2023-05-11

商業イラストレーターやってるけど

イラストを納品する時にお互いにメリットがあると合意が取れた時にイラストレーターの名前が出る。実際、自分名前が出ていない仕事もめちゃくちゃいっぱいある。そういったイラストレーターの名前が出ない仕事に関してはたぶん、何割かはAIイラストに持っていかれるんじゃないかと考えている。つまるところ「望むような絵が納品されれば書き手は誰でもいい」ということだろうから

名前が出るような仕事は俺の名前にも価値があるということなのでそこは当面は大丈夫じゃないかなと。

 

なんとなく「AIイラストレーターを使ったら企業の信頼が落ちるから使われない」みたいな主張をしている人をちょこちょこ見かけるけど、申し訳ないけど外から見て「この仕事AIイラストレーターだな」とわかることはほとんどないと思う。

もちろん俺の目から見て「この絵違和感あるしAIじゃねーかな」と思うことはあるけど、でも別に振り向き絵の腰の関節がおかしいとか指がふにゃふにゃとかそんな絵を描く普通イラストレーターも普通にいるし。名前が出てない以上、AIイラストに対して何らかの表示をしなければならないという法律でもできない限り魔女裁判しかならないんじゃないかという気もする。もう7年くらいやってる俺のTwitterにも「今回の絵、これまでと感じが違いますけどAI使いましたか?」とか言ってくる奴いるしな。

 

今回のキャラデザは〇〇さんにお願いしました!みたいなデカ仕事AIイラストレーターに成り代わるまでは相当かかると思うし、もしかしたらAIイラストレーターがそこまでの市民権をえることはないかもしれない。

でも、そういう超絶トップ層がする仕事けがイラストレーターの仕事じゃないというか、むしろもっと名前も出ないような仕事のほうがメインなんだよね。そういう仕事は単価も安い。でもAIならその単価よりももっと安い価格で請け負うことが出来るはず。そういう仕事は徐々にAIイラストに取って代わられていくと思う。ちょっとした挿絵いらすとやに取って代わられたみたいに。

いらすとやは完全にいらすとや仕事からみんな「いらすとや使いやがって~~」ってできるけど、AIイラスト仕事は将来的にはもっと人間が描いたイラストに近づいていくだろうからきっとわからない。

2023-05-05

anond:20230504230548

トラバもらった狂人多いって書いた増田です。

住んでて狂人多いなって思いますよね? 自分だけじゃなかった…

狂人の多さもだけど、共産党激強なことに引越してきて一番驚いたかも。

地元だとそれこそ共産に入れるって大っぴらにしたらかなりの変わり者としてなんとなく距離置かれるくらいのノリまであるから、こんな市民権得てる土地があるんだ…みたいな。

こないだの市議選でも思ったより共産議席減らなかったよなとも思った。

2023-05-04

イキリオタク

オタク市民権とは関係なく

傍若無人趣味をひけらかしても興味ない人達からしたらうるさいだけだし

自分勝手に悪目立ちするヤツは身内からも嫌われるってだけやろ

オタク問題じゃなくてお前の社会性の無さが問題なんだよ

2023-05-03

https://anond.hatelabo.jp/20230503084650

(市民権を得た)と勝手勘違いした一部のオタクヤンキー顔負けの害悪となりつつある

その判りやすい例が撮り鉄

アニオタは仲間同士で聖地巡礼に行くこともよくあるが

その一部は修学旅行先でトラブルを起こす中高生のごとく

周囲に迷惑をかけまくっている

2023-05-02

萌え」の復興こそが腐れきったヲタク価値観是正する

元始、「萌え」と「エロ」は別物であった。

昔のヲタクは可愛らしい2次元女性を見ることで、なんとも表現しがたい感情が「萌え」出てていたのである

萌え」という表現はあまりにも文学的だ。それは簡単に言ってしまえば「恋」なのだが、2次元美少女に恋をしている人というのは常識外れで逸脱した人間だという当時の感覚があったため、ヲタクたちは社会から身を潜めるようになる。子どもでもないのに2次元キャラを好きになる、ましてや恋愛感情を持つなんておかしい。そういう無意識下の抑圧がヲタクたちの衝動ますます2次元へと駆り立てることになる。

恋と言い表せないこの感情を彼らは「萌え」と呼んだ。

萌え」は性的感情昇華させる手段であった。結局彼らはどこかで「エロ」を求めていたのだろうが、露骨に「エロ」に走ることはなかった。それは彼らのヲタクとしてのプライドのようなものであった。ヲタクコミュニティ形成されるにつれ、作品真摯に向き合うことが第一義とされた。エロは瑣末なものとされた。それは「エロ」を前提とするエロゲーにまで及んだ。ストーリーを感動的なものにすることで、それらは「泣きゲー」と呼ばれた。これは彼らのプライドであった。

しか現在社会世代交代に従ってヲタク市民権を勝ち取るに至った。2次元が好きなことは普通とされ、日常会話で深夜アニメの話が出ることは珍しくなくなった。だが、それと同時にヲタク文化ローコンテクスト化が進んだことは否定できない。これはヲタク産業が拡大し競争原理が働いたがゆえ、より分かりやすく「エロ」いものウケるようになってしまたことに起因する。

コスプレも最早コスプレのテイをなしていないものが増え、エロを書かない絵師の居場所も無くなりつつある。これは以前のヲタク文化ではありえない話である。「作品真摯に向き合うこと」がまず守られていない。それはコンテンツ制作側と受け手の両方に言えることだ。

最近エロ広告非難されることに対して表現の自由だとか言う人もいるけれど、そんな節操ないことをしていたら社会から批判されるのは当たり前だと思う。おっぱいが大きいだの貧乳だので騒ぎすぎ。気持ち悪いと思われるのは当然。だからもう一度原点である萌え」に立ち返るべきだと思う。「エロ」は所詮コンテンツの表面をなぞるだけの浅い思考にすぎない。もっと深く作品と向き合って、自分の中で一度完結させて欲しい。他人意見をすぐに求めないで欲しい。ヲタクもっと一人の時間を作るべきだ。そこから萌え」は生まれる。今のヲタクは浅い。

2023-04-29

オタクコンテンツは終わりです、残念でした

オタクコンテンツは終わりです、残念でした…

…とだけ書いて終わるのは雑なので、個人的偏見等を込みで色々思うところを書いていく。

おそらくここで語るもの陳腐凡庸面白みのないものであろう、しかしもし興味を持っていただけたら読んでもらえると幸いである。

オタクコンテンツ一般化とその弊害

オタクコンテンツはみなさんご存知の通り一般化した、街中にはアニメVtuberなどとコラボした商品散見され、街中でアニソンが流れていたりする。

アニメ漫画の話をしても嫌がられないし、むしろそのような話を積極的にしてくる人もいる。

オタクコンテンツ一般に広まったせいで過度に一般化してしまったと私は思っている(これはあくま偏見である)

というのもまずは売れるかどうかという数値が前提にくるからである

もちろんこれらは"商品"であるため、売れるのがいいというのは間違いがないし企業としては売れなければ価値がないというのは間違いないであろう。

そこで問題にしたいのはオタクコンテンツ精神性というふわっとしたものになる。

これらコンテンツ個人的偏見等込みではあるが迫害歴史であったと私は思っている。話をすればキモがられ、売っている場所隔離されるそのようなものであった。

しかしそのような状態であってもコンテンツを作り続けた人たちがいた、彼らは自身の溢れ出るもの解放させコンテンツを作り続けた結果今のように市民権を得ることができた。

このようなコンテンツ最初はごく一部の人間が面白がり小さいコミュニティ、もしくは執着に近い発掘欲を持つ人間にの評価されていた。

また自身面白いと思うコンテンツ他者に知らせたいものでさまざまな機会で、さまざまなツール面白いと思う感情を広げていった。

そして一般層にまで広がり市民権を得たということだ。

問題はここからで私は一般層はもの評価する能力がない、もしくはあったとしてもそこまで高くないと思っている。

動物悲劇があれば泣くし、子供が頑張れば感動する。弱者サクセスストーリで涙し、悪徳企業に怒り、永遠の愛でしんみりする。

しかしわかりやすい感動にしか反応しない、もっと正確にいうならばわかりやす感情の変化にしか反応しないのだ。

感動というものはさまざまなものがあるが大きくまとめれば感情の変化であろう。

感情の変化というものは各人のセンス知識経験依存するものだ。感動するという行為にも才能と経験必要になる。

例えばよくピカソの絵を見て誰でも描けるとかこれが芸術なんだとかい人間がいる。しかピカソ写実的な絵も描くことができ、キュビズム本来なら同じ平面上に存在しないものを写実性を捨て記号化することにより同時に存在させるようにしようとした試みであることを知ればそれは難しいことがわかる。

知識がなければピカソの絵を見ても評価できないのである

コンテンツというのは歴史の流れがあり新しい評価基準表現感性を探求するという性質がある。

しかしそれらを評価するためには今までのコンテンツへの理解などが必要になる。

一般層の人間はこの知識経験がない、そのため評価基準他者依存することになるかもしくはわかりやすものしか評価できなくなる。

さてさまざまなコンテンツの多くは営利活動の結果生まれ産物である営利活動評価を行う際に基準となるもの収益であろう。

当然のことではあるが収益性のみを考えた場合、新しいコンテンツ評価するようなオタクコミュニティ(ここではこのような人やコミュニティをまとめてオタクコミュニティと呼ぶことにする)と一般層、どちらの方が人口が多いであろうか。

考えるまでもなく後者だ、そして後者はわかりやすものしか評価できない。

ではどうなるか

企業としての答えは明白だ、わかりやすものを作れば良い。

ただ、わかりやすすぎるとそれはそれで消費者が怒る。

なので1手先しか考えていないようなわかりやす一見深そうで薄いコンテンツ生産されていく。

コンテンツ生産者の話

また、クリエイター視点に立ってみよう。

間違いなくオタクコミュニティー向けの作品を作るクリエイター一般層に評価はされないだろう、わかりづらい作品を作るので歓迎されることはないだろう。

では誰がコンテンツを作るようになるか、これは間違いなく一般層のクリエイターになる。

というのも感情が近いので作りやすいのだ、またオタクコミュニティー向けの作品を作るクリエイター比較して、コンテンツ自体に執着が薄い(無いわけではないし一部の方はとても強いと理解しているが集合として見た時の話である)ので仕事と割り切れたりするという強みもある。

企業からすると一般層のクリエイター収益も産みやすく優秀な金の卵であるが、オタクコミュニティー向けの作品を作るクリエイター収益を産まない腐った卵であろう。どちらが優遇されるかは明白である

このようにしてクリエイターの層が更新されていく(新陳代謝といえばそうかも知れない)

クリエイターが変わっていくとコンテンツ自体オタクコミュニティー向けのものから一般層向けのものへと大部分がシフトしていき、そのうち入れ替わる。

そうしてオタク向けのコンテンツ一般向けのコンテンツへと狂気希釈されていく。(私はこれを一般層の文化的侵略だと呼んでいる)

そのような状況であってもオタクコミュニティー向けのコンテンツを作る人は作るだろう、しか評価はされづらくなる。

もしくはそのようなクリエイター時代の変化などさまざまな要因で一般層向けのものを作ることもあるだろう、映画などにある細かいネタや裏設定はそのようなクリエイターの少しばかりの一般層への反乱ではないかと思えて仕方ない。

企業から観点を考える

さてオタク向けのコンテンツオタクコミュニティから一般層向けのコンテンツへと変わっていくという話をした。

ここで一般層の評価基軸をもう一度説明すると他社が評価しているか、わかりやすい感動かという軸で評価している。

後者と比べ前者は容易にハックすることができる評価基準である資本マーケティング勝負に落とせるからだ。

まり一般層のコンテンツは、芽が出そうなものに対して資本という栄養剤を投与することで完成する、そして一般層に収穫され消費されるのだ。

私は最近コンテンツ話題になる期間が短いのはこのような背景があるからではと思っている。短くしないと次のコンテンツを消費できなくなるからだ。

ここで一つ誤解を解く必要があるが、私はこのような企業行為に対して悪だと断罪するつもりはないし、営利活動を行う団体として収益を上げるのは正しい行為だと考えている。

ただその商品ターゲットが変わっただけである

最後

このようにしてオタクコンテンツは終わっていくし、すでにアニメ漫画などは終わっていると私は考えている。終わっていなかったとしても一般層にリーチしないのでそのようなコンテンツを知り得る人はごく僅かであろう。

これが悪いのかどうかと言われるとそうではなくただ集団の行動の結果であるしかいえない。

しかし、間違いなく言えることは一般層がオタクコンテンツに入ってきた瞬間にそれは終わるということだ。

もっと正確にいうならば物事評価できないもの多数決という言葉に負け評価基準を渡してはならない。

その先に待っているのはコンテンツ破滅であると私は考える。

ここまで長々と書いたが私の本心最後に書いておこう。

推しの子あんまりきじゃない、

[]ザ・スーパーマリオブラザーズムービー

総評

130点ヤッター! 点数の基準は「上映時間映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」。多分世間では娯楽映画という評価であり、事実娯楽映画なんだけど、ゲームという文脈においてガチだった(この辺後で詳細語りますわ)で130点なのでした。

130点の理由

見終わった瞬間、あれ、この映画って存外、なんか手堅くまとまってて100点くらいなのかな? 娯楽映画としてよくできているけれど、やっぱ弱点はあるよね、とは思ったのです。

主人公マリオの悩みみたいなものも、その克服も描かれてはいたんだけれど深い描きというよりはあっさりと乗り越えたし、アクションシーンの出来はどれも良かったんだけどアクション娯楽映画ありがちな失点として、アクションシーンの連続になりすぎて、ドキワク感が全体でのっぺりしちゃったところは実際にある。

あと、これはフォローしがたいけどエンドクレジット後のおまけカットみたいなの(2種)は蛇足感があった。

でもそうやって、脳内で「映画減点表」みたいなのを作り、同時に「映画加点表」みたいなのもあり、合計計算して出てきたスコアは100点だったんだけど、見終わった感情的満足感は130点だったんですよ。ズレが有る。

こういう映画ってたまにあって、それは自分言語化できてない、なにかスペシャルな要素があるって証拠だと思うんですね。

じゃあその+30点どこから出てきたんだよというのが、この感想を書いた理由です。

勇気を出して挑戦する、というテーマ

主人公マリオニューヨークで配管工業を営む青年。作中はっきりとは語られてないけれど、イタリア系移民大家族暮らしていて、年齢は20歳ちょいなのかな。新卒で入った会社を飛び出して、弟ルイージを巻き込み、いきなり配管修理事務所を起業して、全財産を叩いてCMを流したところから物語は始まる。

会社を飛び出した経緯の詳細は語られていないけれど、「何をやらせてもダメ」「できることがない」とモラハラを受けていたフシがあり、マリオは「自分は役立たずなんじゃなかろうか」「いいやそんなことはない、やればできるはずだ」の二つの気持ちの間で揺れている。

おっかなびっくりだし、確信はないし本当は自信だってないんだけど、ルイージに対してお兄ちゃんぶりたい気持ちだけはあって、まぁ虚勢を張っている。

映画になって肉付けされたこマリオ像ってのは、結構好感度ありました。

主人公マリオのもってる「自分は役立たずなんじゃなかろうか」なんて悩み、誰にでもあるじゃないですか? はっきり言っちゃえば、具体的な問題の表出は違えども、全人類の99%が成長過程の中で経験するものでしょう。

それにたいして「やればできるはずだ」っていう根拠のない自分自身の鼓舞だって、誰でもやるでしょう。

これらは映画を含む既存ストーリーメディアでは、勇気とか挑戦とか言われるたぐいのテーマ類型です。この類型は多くの、それこそほとんどすべての物語作品で見ることができます内面問題弱気を乗り越える勇気の話は、物語作品王道ですから

歴史上、ストーリーメディアはそれに対して勇気づけるための物語を何千何万と語ってきた。美しくまたはおぞましく、ハラハラ・ドキドキするような物語をたくさん作ってきた。「勇気を出す理由」「その褒美」について、あらゆる物語が手を変え品を変え洗練したストーリーを紡いできた。

そういう歴史あるテーマ歴代傑作の洗練に対して、この映画エピソードづくりや演出最高峰かというと、そんなことはない。マリオの閉塞感もその打開も、徹底的に演出されているわけではない。もちろん赤点ではないんだけど、その部分で言えば「凡庸ファミリー映画」ですらある。

でも正しくそこがこの映画の中心なのです。

たぶん「それ」が、映画としての物語性や演出を厳密に評価した評論家一般ユーザーの間で、この映画評価が真っ二つに別れちゃった理由だと思うのです。

ビデオゲーム

あらゆる人々の実際の人生における、自信のなさ、不安感、でもそのなかで勇気を振り絞って、はたから見ればどんなにくだらなくてもその当人にとっては難題である目の前の課題に挑んで見る――そういう勇気に対して物語メディア物語としての洗練や感動をもって応援してきたわけですが、じゃあそれで現実の人々の不安感や自己否定ちゃん払拭できたかといえば、そうではない。物語の大好きな自分は、それでも物語のない世界は暗闇だと思うわけですけど、世のすべてが照らされて現実問題駆逐されるなんてことはなかったわけです。

でも、全く同じ問題に対して、ビデオゲームは別の方法論で挑んできました。

それは成功体験です。

問題点がある。失敗する。ゲームオーバーしてしまう。つらいね、くやしいね。でも何回かやってみようよ。工夫してみようよ。ほら!さっきよりいい感じ!よし!一個クリア!先に進めた!すごい!ほら、つぎの課題が来たぞ!ジャンプだ!パンチだ!やったぞ!進めたぞ!!

そういう、課題と克服、工夫や練習での突破、つまりは直接的な成功体験で、「キミはできるんだ!」と全存在で訴えかけてきてくれるわけです。ビデオゲームをする人にはあまりにも自明で、やらない人には分かりづらいかもしれませんが、任天堂のみならずすべてのビデオゲーム本質はこれで、これでしかないんです。

何か挑戦すべき課題突破するべきステージでも強敵でも生産目標でも集めるべきコインでもなんでもいいですけど、課題があって、それは最初は難しくて無理かもしれないけれど、ゲーム世界調査して構造を知り、工夫して、練習すれば、達成していける。

努力すればなんとかなる」。

そのことを、人間の子守では到底無理なほどの忍耐(なんせ機械なので)で、何千回でも、何万回でも人間の子どもたち、時には大人にも付き合ってくれた。それがビデオゲームの達成した最も尊い部分だと思います。「レベルを上げる」「レベルが足りない」という今や日常会話でも違和感なく使えるこのフレーズには、「いまは無理でもいずれできる」「できるようになるはずだ」という、生きる上で本当に重要価値観が込められていることがわかるでしょうか?

スーパーマリオ歴史ってほぼイコール、家庭用ビデオゲーム歴史です。そして、ビデオゲーム歴史は、「挑んでみなよ!なんとかなるよ!」というメッセージ歴史なのです。任天堂こそは、それを声高く叫び続けるゲームデザインをしてきた企業でもある。

諦めないという、その尊さ

前述のように、『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』は既存物語メディアの、少なくとも映画文脈で言えばそのシナリオ演出が傑作に達していないかもしれない。でも、そこにビデオゲームという別の文脈が持ち込んである。そしてそのことに制作陣は自覚的です。

まり、彼らはわかっていて、わざとそう作ったのです。マリオ任天堂と、そしてなにより地球で生まれて40年になるビデオゲームという新顔の娯楽を本気でリスペクトして作ったのです。

マリオは作中「諦めが悪い」「しぶとい」とピーチ姫などに評されます。実際、マリオ映画終盤になっても結構ミスをする。敵の攻撃を食らってパワーアップが解除される、しかも頻繁に。

それをマリオは「スマート物事解決できない」という評価だと受け止めてちょっとしょぼくれたりもするのです。が、とんでもない。

それは「ミスをしてもなげださない」という意味であり、「ゲーム主人公」として、そして「マリオを操るプレイヤーとしての我々」としても、それは最上級の素質です。

そう考えてみると、この映画白眉は序盤、キノコ王国にたどり着いたマリオピーチ姫への同行許可を得るために、練習コースに挑戦した部分だったと思い出されます

マリオは何十回も何百回もミスをする。回転する棒にビビって飛び込めない。移動する床をうまくジャンプできない。ブロックを壊そうとして目測を誤って落下する。

そういった失敗は『スーパーマリオブラザーズ』をプレイしたことのある人々にとっては、あるあるだし、わかるし、お前もか……。なわけですよ。

でも同時に、それを何十回も繰り返せば、あんなに難しいと思えた難所もクリアできるようになるし、ピーチ姫が疲れて寝ちゃった夜中もずっとプレイして、ミスを繰り返して、ヒャッフゥ!と突破できるようになるのもまた、自分自身のことのように、わかるわけです。

『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』における「課題勇気、挑戦」はそのようなものなのです。だからブルックリンクッパが現れたって絶望したり家族が死んでスーパーパワー覚醒したりする必要はありません。映画的な意味での過剰なドラマ表現をしなくても、マリオは「やるぞ!」とちゃん理解できるのです。

ビデオゲームが産まれ、親しまれ、市民権を得て、もはや一般的な共通理解となった現代社会において、視聴者理解感覚はもうその段階まで達している。だからこそ映画ドラマの形を拡張して、巨大なリスペクトを持ってゲーム文脈を抱きかかえることができた。

映画ゲームも大好きな自分として、『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』はそのような映画であると受け止めました。

+30点はあるよ、ちゃん実在するよ! 家族が死んだり国が滅びたり医師生命を失ったりしなくても、そんな悲劇がなくても、僕たちはちゃんと「攻略してやればクリアできるんだぜ」という、穏やかに前向きな価値観ゲームから予め受け取っているんだ。そういう意味で、とても良い映画でした。

クッパ大王リサイタルはとても可愛かったしね!

2023-04-27

anond:20230427233711

そう、仲間内で歌上手〜いって言い合うのとかはいいとしてうたってみたとかいうタダのカラオケ上手い人達市民権得すぎてて気持ち悪いんだよな

2023-04-26

anond:20230426030113

集団を変えるにはコミュニケーション必要でそれはつまりコミュマイと矛盾してる

少なくともコミュマイ当事者当事者性で以てアイデンティティポリティクスを展開するシナリオは明らかに難しそう

あるとすればある種のシティズンシップポリティクス的な代表者性によるものなのだろうけどコミュマイが文字通り市民権を得るというハードルそもそも越えられるのか?という疑問は残る

まあ何が言いたいかっていうと、他人を変えるより自分変える方がカロリー少なくて済むよってこと

2023-04-25

「反フェミ」の害化について

ついフェミほどの悪評ではないにしろ、「反フェミ」という存在twitter民アングラ連中にとって「目の上のたんこぶ」になっていることは周知の事実だろう。


そもそも、何故反フェミが生まれたか言及しよう。

時は2020年あたりに遡る。このころはまだ「フェミニスト」という存在が、ある程度は市民権を得ていた時代だ。具体的には

女性イラストレーターフェミニストの意見や行動をリツイート言及する

女児を持つ父親アカウント特にフェミニストをヨイショする

ということが普通に見られていた。今ではあり得ない光景だ。


今ではある程度フェミニストに反論したり、フェミニストの悪口を言うと「あるよね~」と同意を得られているが、当時はフェミニストに文句を言おうものなら、袋叩きにされていた。

男は女の犠牲になるのは当たり前、男は女性に従うべき、男は女性アプローチするな、男は意見するな、性に興味を持つな、などなど。

男児への加害発言虐待的な教育も「正しい事」として受け入れられていた。

今で言うと「まともな感性」を持っている人は、非常に肩身の狭い思いをしていたわけだ。


その中で、すももや青識、YS小山といった人はフェミニストを叩き続けていたのである

フェミニストが苦手とする「統計」や「論理」、「事実の指摘」といった面でフェミニストに交戦していたわけだ。

しかし彼らには欠点があった。それは「反フェミ」は「反フェミ」であって、固有の思想を持たないのだ。


彼らの活躍があってかは知らないが、次第にフェミニストは弱体化していった。

度重なる内ゲバによるインフルエンサー離脱フェミニストの高齢化による騎士離脱過激化によるフェミニスト内でのドン引き特に大学生フェミニストは社会に出てあまりのイージー具合に怒りが収まる、などなど。

今の大学生若い集団は「フェミニストは頭がおかしい、きもい、おばさん」みたいな扱いをしている。

大学フェミニズムを学んでいる人は、「フェミニストはいいけど、ツイフェミヤバイ」と思っている。


結論を言えば、反フェミは敵を失ったのである。かつては「社会」が敵だった彼らは、「一部のイカれた狂信者」が敵になった。

しかし反フェミは、まだ社会と戦い続けている。勝利したにも関わらず、彼らは「社会」に対して「イカれた狂信者」向けの言説を飛ばし続けているのである

フェミニストはヤバイから、「男女論を語ってる奴はヤバイ」になりつつある。


しかしこれはこれで正しい道なのかもしれない。そもそもフェミが初期から言っていたように、「男女で物事を語る」事自体間違っていたのである

「皆平等に扱おうね」と言う話の中に、男女で分ける必要はない。故に、男女論を語る人は必要無いのである

フェミが「反」フェミである以上、フェミニストが弱体化した今彼ら・彼女らも弱体化すべきだ。

2023-04-24

anond:20230424004913

その90%とか統計あるわけでもないし

ネット意見市民権を得る程度に数がいるのは間違いないし

しろ匿名ネットの方が赤裸々な本音が出やす

別に助けたところで報酬があるわけでもないし

自分の身の安全が一番大事なんでこっちも繊細ヤクザにならせてもらうが

10%を90%が叩きのめして無言にしない限り男としては関わらないのが最適解になるのは変わらないんで

女同士で互助の仕組みを作って男に頼らないか社会構成員として男が安心して社会参画できるように制度を整えてくださいな

男ならか弱い女を助けるべきであるみたいな社会規範は当の女さんによって盛大に破壊された令和の時代なのに

なんもメリット設計しないまま男の無償の「ご協力」に頼るのはもうやめようよ

2023-04-18

anond:20230418110535

「人気がある/ない」の基準による。

別に誰も知らない打ち切り必至の零細作品だったわけではない。

しか一般人気の薄いマニアック作品ではあった。

少年ジャンプでの連載終盤にはかなり叩かれてもいた。

アニメ化されたことでだいぶ市民権を得た感覚はある。

anond:20230418012824

いやいや、待ってくださいよ。ヤニカスにも市民権を与えてくださいよ!東口喫煙所にいるやつは皆死ねと?そういうんですか?

2023-04-17

海外への出稼ぎ話題になってたので

自分の例を出してみる。現在英語圏ヨーロッパ在住でメーカー系の技術職として働いているが、お金だけ見ると海外移住決断した事が正直自分の中で正しかたかどうか良くわからない。どちらかというと損をしたケースとして。

移住時の状況】

現在

という感じ。

ちなみに地方都市周辺の町または村?在住なので求人数は大都市に比べて少ないし、アジア人が圧倒的に少ないので少し寂しく感じる。移住から8年近く経つが、いまだに完全に英語モードで12時間以上働くと頭が疲れるし、早くリタイアしたい気分になる。上記にも書いたがコロナ/戦争以降インフレやばいので生活水準を下げるか転職してがっつり給料を上げるか、給与交渉するか、副業投資をするかみたいな状況である。現政権が駄目過ぎてストだらけで国が機能不全気味で次の国政選挙までは期待できない。良い点は家が日本よりも大き目で自然が多いのでハイキングには素晴らしいのと羊とか馬と気軽に触れ合える所か。あとは日本で働いていたら恐らく関わることのなかった色々な人達交流することで価値観が広がったなと思う点もそうだし、自分マイノリティー側に立つ事で視点が180度変わった事もかな。

余談であるが、ビザに関してだが、自分家族ビザだったんで全自己負担永住権取るまでにビザ手数料移民が払う医療保険料で全部で100万近くかかったと思う。(既に毎月給料から保険料引かれているのにビザ申請時に二重払いしなければいけないのは今でも納得できていない)労働ビザ場合雇用者側が手数料負担するが、ビザ出せる会社は多くはないのでスポンサー探しは相当大変のようであるビザの期間の途中で簡単転職しづらいのもあるらしい。

他にも沢山大変な事というかトラブルが多すぎて書ききれない事もあるが、やっぱりユートピアは無く、価値観文化などのどの部分が妥協出来て譲れないものは何かを移住前に考えておいた方がいいと思った次第。

2023-04-13

ほぼほぼ禁止

ほぼほぼ」なんて頭悪そうな日本語すぐに廃れるだろうと思ってたら今や完全に市民権を得ていてすごく嫌

百歩譲って喋ってるときポロっと出ちゃうくらいは許すよ百歩譲るよ

でも文章に書くのはダメ。ほんとに禁止

ほぼほぼ

↑よく見てよこの字面これどう見ても異様でしょ。一瞬でゲシュタルト崩壊するし

それなりの文章を書くときにこれを採用する奴の気が知れない

禁止ったら禁止



2023-04-10

anond:20230410072941

いやスマン、バレリーナ響いたわ。想像力無い感じ?

苦労どうこうでちょうど今見てるスーツって海外裁判ドラマの6話「長年の親友」思い出した。

信号無視してぶつけてきやがったタクシーの運ちゃん9.11関連の市民権闘争死ぬほど苦労した移民で、裁判のやり方熟知してるからだいぶ手強い敵になるの。

まぁ結局裁判エリート主人公上司が勝つんだけど、移民が"どんだけ苦労してきたか"察した上司はぶつけてきた運ちゃんに凹ました車の修理代だけ要求して、ほかは何もいらんって和解にしてくれる。

流石いろんな発明をしてきたアメリカって国だなって思っちゃったわ。

ちゃんと人の苦労が想像できるんだなって。

そんな日記

p.s.

ちゃんが温情に礼を言おうとしたとき上司が「言うな、俺のメンツのためだ」って返すの。

それも事実なんだろうけど、その話通しで見てるとメンツだけじゃないって伝わる作りの上で、ひけらかさないのクッソ格好よかったわ、スーツ面白いからおすすめ

2023-04-06

anond:20230406173440

アメリカ場合天皇じゃなくてアメリカ合衆国憲法がそれにあたるな


大統領就任式では

「私は合衆国大統領職務を忠実に遂行し、全力を尽して合衆国憲法を維持、保護擁護することを厳粛に誓う」って宣誓するし

米国市民権をとるとき

合衆国憲法を支持し、擁護する」って宣誓しなきゃいけない

2023-03-31

[][] らくだい魔女 フウカと闇の魔女

2023-03-30

謎解きゲーム、クソオタクが外に出て"いい大人趣味"として名乗れる程度に市民権得たのはいいと思うけど実際のところもっと面白い娯楽はいくらでもあると思う

2023-03-15

コオロギより先に遺伝子組み換え食品をなんとかしろ

遺伝子組み換え食品に対する漠然とした不安という世論のせいで、割高なコーン食わされていると思うと腹が立つ。


企業サイドもそれに乗じて、遺伝子組み換え食品を含まない安心食品ですクソみたいなマーケティングを行っている。

大衆無知教育の敗北の所為であってギリギリ許せるけど、企業がそれに乗じて意味不明付加価値を創出しようとしてるのは許せない。

倫理観が終わっている。やってることはマイナスイオンを売りにして消費者を愚弄した家電メーカーと大差ないだろ。


なんなら食料供給専門家も、遺伝子組み換えじゃない作物の減少と価格の高騰を受けて、

遺伝子組み換えでない食糧の安定供給に向けたサプライチェーンの構築を目指すみたいなことを言ってて頭を抱えた。

そんなことするまでもなく、遺伝子組み換えシフトする方向に持っていけよ。

企業にしても専門家にしても、本末転倒努力をしているようにしか見えない。


逆に言えば、遺伝子組み換え食品ですら理解が進んでいない日本において、昆虫食市民権を得るはずもない。

技術課題コスト問題などは、世論を前にすれば些末な問題に過ぎない。

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