はてなキーワード: 地元意識とは
- ワールドカップを開催する意義・効果
- ワールドカップを開催することによって、日本におけるスポーツ振興はもとより、国・開催自治体のイメージアップや国際化の推進のみならず、我々の基本理念であるスポーツ施設の整備を通じた地域の活性化・地域の人々の地元意識の高揚等、大きな社会的・文化的な波及効果が期待される。
- ワールドカップ開催を通じて地域特性を生かした個性豊かな地域づくりを進め、「スポーツ文化」を育み、地域から世界に向けた情報発信・世界の人々との交流を実現し、それらをもって多極分散型国土形成に資するべきであると考える。
- ワールドカップの開催自治体選定に当たっては、できるだけ広く、また、地域バランスを配慮し、日本全国でワールドカップを開催することによって、これら効果を日本全国へ広めることを基本理念とする。
スペックの欄に書いた通りうつ病を患っている。そのため仕事ができない。
原子力関係のシンクタンクで働いていたところ、ある日ストレスの多さから突然自殺未遂をし、以降休職している。
しかし先日、精神障害があるのでこれ以上雇えませんという宣告を勤務先から受けた。
ハローワークに行って障害者枠で仕事を探そうとしたが、「主治医から『仕事ができる』と言われないと仕事探しは出来ない」と門前払いされた。
大学の非常勤講師にでもなるかと思ってJrec-INを見てみても、能力的な面や専攻的な面、そもそも業績を上げていない(零細学会で一回発表しただけ)より、自分が出来そうな講師職はなかった。
理系の研究職ならまだあるだろうが、文系で「若者の『地元意識』を数理統計的アプローチから明らかにする」という謎研究を修士課程でしていた身としては、研究を生かせる職があるとは思えない。
SPSS(重回帰分析・二項ロジスティック解析)とかEXCEL太閤、KH CODERなら何とか使えるが、それらが使えても何の足しにもならない。
プログラミングや数学(高校時代文系クラスだったため数ⅢCは受けていない)、英語が出来ないため、プログラマーとして働くこともできない。
実家に帰って仕事を探すにしても、実家は熊本の山奥である。一件だけ工場のライン工があったが、体力がないので長続きはしないだろう。土木作業員や警備員も同様の理由から候補から外れる。
普通免許も持っていないため、できる仕事も限られてくる。外回りの営業職はまず無理だろう。
そもそもコミュニケーション能力が皆無だと医者から言われたため、高度なコミュニケーションや感情労働を要する仕事(コンビニやファミレス、居酒屋の店員、営業職)も向かないだろう。
結果できる仕事もほとんどないことになる。フリーターすら無理である。バイトすらできないなら詰みである。
しかし家賃(6万7000円)を払うのもやっとで、生活できるとは思えない。
親に金を無心するにしても、実家もお金がほとんどないとのことなので、お金を無心することは出来ない。
社会保障の緊縮化が叫ばれる中、生活保護を受給するのも難しいだろう。
貯金も尽きそうになる中、お金がないのは致命的である。東京の自宅を引き払って実家に戻るにした場合、恐らく二度と東京には戻れず、実家に軟禁され続けることだろう。
その場合仕事もないし一生ニートになるしかないが、その場合貧乏な実家にさらに迷惑をかけてしまうことになる。
宝くじ一等当たれば話は別だが、そうでないなら人生詰みである。
コミュニケーション能力がないためコンビニバイトすら務まらないということは先述したが、コミュニケーション能力の欠如は友達がいないという形でも顕在化する。
友達がいなければ自身が抱える孤独とかを吐き出せる相手もいないということになる。また、友達がいないことは社会から孤立していることを表している。
社会から孤立している人が人的資源を使って今の窮状から脱することは出来ない。詰みである。
大学時代、オタクコンテンツの消費者のインサイトを探るための参与観察の一環として漫画研究会に所属していた。そこで友人関係を築いておけばよかったと後悔することしきりである。
うつ病をり患しているという事情も勘案せねばならないが、それを差し引いても日々の生活の楽しみがまるでない。
戦隊モノや仮面ライダー、ウルトラマン、一部の深夜アニメ(日常系)が好きだったのだが、最近そういうのを見ても面白さとかを感じることはなくなった。ゲームも同様である。
成城石井に行くために秋葉原に行くことが結構あるのだが、そこでアニメや漫画、ラノベ、ゲームを楽しんでいる人を見ると嫉妬で頭がおかしくなりそうになる。
そのほかに楽しみがあればいいのだが、それもない。大学学部生の頃までは鉄道模型とかトンネル巡りとかしていたのだが、お金がないせいでそういった趣味にももはや手を出せない。
楽しみがなく生ける屍になっている。楽しみがなければ生きる希望もない。生きる希望がないことは人生詰みである。
自殺すれば楽になるとは思っている。他人に迷惑をかけ続けている以上、けじめとして自殺しなければならない思っている。しかし自殺すらできない状況である。
先日も神奈川県のダムで自殺未遂をして警察に保護され、父親が迎えに来たが、熊本から神奈川まで往復数万円かかった。そういった経済的支出が出来るほどの余裕は実家にはない。
今度自殺未遂したら一生実家に軟禁するぞと両親から言われた。実家に軟禁されれば仕事することも、金を稼ぐことも、鉄道模型やトンネル巡りもできなくなる。
実家の通信回線は貧弱なので、アニメや特撮をインターネットで見ることもできない。
つまり、今度自殺未遂をしたら仕事もお金も友達も楽しみもすべて親により永遠に奪われることになる。それだけは何としても避けたい。
今年末にスピリタスを一気飲みして自殺しようかと考えていたが、それもかなわぬ夢となりそうだ。
家族や周辺の人々に不幸をまき散らしている自分がいてよい道理などない。詰んでいる人生から離脱することすらできない。これを地獄と言わずに何と言おうか。
実家に戻ったら二度と東京には戻れないし、働けるような職もない。つまり一生ニートでいることが確定である。何としてもそれは避けたい。
だからと言って東京にい続けるにしてもランニングコストがかかりすぎて、お金を費消することになる。お金が無くなれば生活できなくなり詰みである。
次自殺するような真似をすれば実家に一生軟禁確定である。だからと言って無駄に生をむさぼっていても詰んだ状況から脱出する術は一向に見いだせない。
結局自分の人生は詰んでしまったのだ。自殺できないので、来世に期待すらできない。
クソみたいな人生なので皆さん嗤ってください。
田舎もんと言うのは、
始終じぶんとことよそとを比べて必死になってるような根暗なカスのことですよ。
こういうやつ。
こういうこといってる奴がムカつくのはね、
よく読んでください。
バカにしてる「っぽいし」だの、
鼻にかけていると「感じる」だの、
全部曖昧でしょ。
http://anond.hatelabo.jp/20160123095829
京都批判してる増田には具体的なエピソードや指摘が一杯あるでしょ?
けど東京に「偉そう」とか言う奴って具体性が無くて、
「こちらをバカにしている気がする」みたいな言い方が異常に多いんです。
何故か?
地方出身者だからっていちいち気にしてたら何も話が進みません。
ていうか今話してる相手がどこ出身かとか知らないし気付かないよ。
じゃあ関西のどのあたりなのかもさっぱりわからない。興味も無い。
そばに居る奴が「よそもん」だと気付ける、って前提が既に
人の出入りの乏しい地方でしか生活したことない人の発想なんです。
そんで「東京出身者は地方出身者をバカにする」とか言ってるの。
バカ丸出しでしょ。
「ない」ということに気付かなかったけど、
地元意識過剰(に見える)な地方出身者と接するうちに気付きました。
自分達の「なさ」に。
誰でも入ってこれる誰でも去っていけるし
どうってこともないただの場所です。
通り道みたいな。
だからこの手の東京を意識して言いがかりつけて来る田舎もんにむかつくのは
「自分の劣等感とシャドーボクシングしてる人間の醜態が見るに耐えないから」なのです。
大学では訛りすごい奴は大体人気者で真似されてましたし
地方出身者だから馬鹿にするなんて場面見たこと一度も無いですよ。
要するにこいつら、東京に触れたことがないんでしょう。
そんなに東京を意識するなら上京して暮らしてみればよかったのに、それはしない。
しないなら地元に満足して地元最高と思って暮らしてればいいのに
チラチラと東京を気にして不満を溜め込む。
「自分が気にしてる対象が自分を見下している」という設定です。
ストーカーとかもみんなそういうこと言うでしょ。「バカにしやがって」って。
触れることもない相手へ勝手に膨らました劣等感を一発逆転出来る理屈は
「相手が自分を馬鹿にして居る、差別して居る」と言いがかりをつけて
道徳的優位に立つことなんですよ。
ほんと気色悪い。
普通に東京で暮らして東京で活躍してる地方出身者なんかいくらでも居る。
彼等みたいになってみればいいじゃん。
もしくは自分の地元を愛して満足して暮らしていけばいいじゃん。
どっちも出来ないのは誰のせいでもなくて自分の心の整理が出来てないだらしない人間でしょ。
純然たる醜態だよ。
ここぞとばかりにその人いじめそうで怖い。
長年温めた東京への妄想と劣等感を全部その人にぶつけんじゃねーの。
そういう生き方こそまさに
次がヤンキー弁護士からのヤンキー政治家で、そのころから某ヤンキー精神科医がヤンキー分析を行っていた。
身体的コミュニケーションがうんたら、要は今までと違ったタイプの型破りな教師や弁護士が出来てきているということで、自分なりには社会の多様化が進んでるとの理解だった。
では昨今のマイルドヤンキーはどうなのか。
エグザイルを好きな奴が周囲にはいないし、地元意識が強そうなのもいない。
イオンモールにいけばおばさんと若い女性、学生が時間潰しに来ていて、男性はいてもヤンキーには見えない。(自分もそうである)
古着屋かドンキあたりには、っぽいのがいる。やはり多様化の中の一部なのではないかというのが実感。
近隣にはトヨタやホンダ系の工場があってその従業員がたくさんいるが、彼らがマイルドヤンキーっぽいかなという印象はある。
接客や営業に従事していないのでそれほどかっこを気にする必要もなく、そこそこ安定した収入はあるが消費意欲はあまりなくアベノミクスの影響化にあり、保守的である。
で、じゃあ彼らに何を売っていきたいの?マーケティング層として捉えてどうするの?と考えると皆目わからなくなる。
この言葉を生み出したと言われる博報堂の社員はどんだけイケメンなんだよと思い、調べてみて、そっと画面を閉じた。
オマエモナーが死んで久しい。