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はてなキーワード: 研究生とは

2020-08-29

コロナでの大学研究のやりかた

コロナ人生が変わってしまった人は多いと思う。私も仕事雰囲気が変わり始めている。

私は運がいいことに、やりたいこと興味のあることを比較的できる研究者を某旧帝大でやれる機会に恵まれている。専門は化学。だが、それも音をたてて変わり始めている。

もともと将来の仕事を何にしようと明確に描いたことはなかった。幼少期に育った地域比較英才教育とは程遠い地域であり、貧困家庭も多かった。友人の家に行くと昼間からおじさんがゲームをしていたり、パチンコや酒に明け暮れている、そんな地域である小学校でありながらも学級崩壊に近いことが起きており、義務教育の内容をきっちりと終えることができなかったと記憶している。そんな状況を深く考えることはなく、私は周りの事象に対して疑問を持ち、調べるのが好きだった。なぜ水は雨として降ってきて、山を流れて、コンクリートの隙間から流れていくか。そんなことが気づいたときには不思議だったと思う。幸いにして先生にも恵まれた。疑問をもち、それを自分のペースで解決するのが好きであり、校庭のはじっこで疑問点などを書き出していたとき理科若い先生理科室に誘ってくれた。そこには違う世界があり、好きなだけ実験していいと言われてのめり込んだ。ガスバーナーをつけてよくわからない化合物を熱して色が変わる、気体がでる。一つ一つが楽しくてしょうがなかった。だが先生がある日突然学校に来なくなってしまい、程なくして全校集会が開かれた。持病の喘息でなくなったらしい。どうしたらいいのかよくわからいくらい、悲しかった。狭い実験室の僅かな道具から世界の広さをあれ程教えてくれた先生がこの世からいなくなってしまったのが悲しかった。学問世界を広げてくれるというのを肌で教えてもらえたと実感している。

当時はショックだったが、中学校から親の転職関係引っ越し比較普通地域引っ越ししまった。小学校ときにはサワガニを追ったり、カエルを捕まえて、ビーダマンからでてくるビー玉の平均距離などをひたすら数える子供であったが、引っ越し地域では勉強熱心な地域であり、誰も放課後には遊んでいる子供はいなかった。塾に行くとのはなしだったが、恥ずかしながら塾という単語を知らなかった。動物を捕まえた数よりも試験の点数を重視する地域であり、ひどく狼狽したのを覚えている。小学校での経験があってか理科数学が楽しくて仕方がなかったが、何故か閉塞感があった。あくま中学高校でのお勉強というのは与えられた範囲でやる学びであり、そこに自由度は少なかった。結果的勉強はできたのでとにかく自由を求めていた。高校には入ったが、倫理先生哲学議論ばかりしていた。こう考えると私は先生に恵まれているのだが、先生に学びの自由を求められる場所はと聞いたとき日本には殆どないと言われてしまった。あ、そういえばといって、それがきっかけとなり京都にある大学に行くことになった。

大学自由であった。毎年謎に作られる像やコスプレ卒業式で有名な大学であるが、学生多様性がまったくもって違っていた。そこでも縛られるのが苦手な私は大学で授業に行けなかった。ただ、大学図書館にはホコリを被っていながらもたまらなく刺激的な書籍が非常に多くあり、図書館毎日通った。楽しくて楽しくて仕方がなかった。たぶんそれは小学生の時に一人で課題を設定して、問題解決をする。そういうプロセスであっただろう。数式、活字が踊っているようにすら感じた。一般教養の授業でもムラ社会議論する授業や、紙飛行機を飛ばす授業など色々あり、不思議な授業であったと思う。ただ相変わらず大学の専門の授業は指定教科書から逸脱していなく、面白くなかった。ある意味授業に関しては圧倒的に劣等生であったが、たまたま行った授業のときに言われた印象的な言葉がある。「結婚は何回でもできるが、研究室選びは一度しかできない。」人生パートナー何度でも選べるが、人生の専門となる研究室は一度しか選べないとのことだった。へそ曲がりな私は研究室で変わったことがやりたいと思い、研究室を巡ったが、どれもこれも古臭いホコリを被った図書館で聞いたことがあるような内容だった。日本最高学府学問として理解できてしまうということが非常に悲しかった。ただ、たまたま非常に尖った研究室があり、そこで私を拾ってもらえた。やはり私は先生に恵まれていた。研究室は今思えば世界的に有名で先駆的な研究室であり、そこで自由研究を行う機会に恵まれた。朝から晩まで先輩後輩教員ディスカッションしながら、自由自在に研究をすることができる。研究費も潤沢であり、装置も多くあるために闇実験自分の考えるすべての実験ができてしまった。卒論テーマ自分でかってにテーマ設定をして卒論発表までさせてもらえた。今思えばあんなことに、というテーマであったが、当時は楽しくて仕方がなかった。卒論が終わった当日、テーマの変更を推奨された。初めて方向性提示されたが、一言であった。ここには恩師の力があったと思う。結果的に与えられたテーマとは関係なく、M1勝手実験をして修士論文を3本書いた。楽しくて仕方がなく、博士課程に進学した。博士では論文12本書いた。ちょっとした自慢である

博士資格名刺の角に書くことができる運転免許のようなものであるというのはよく言ったもので、単なる認定試験である。友人が大学ポジション公募に出す中、私は自分学問を切り開くのだと思い、博士研究員をすることに決めた。なんとなく海外日本より風通しが良いだろうと思い、日本研究から支援をうけて、海外に2年間いけることになり、それまでに一切したことがない分野に飛び込んだ。将来学問を切り開くためには甘んじて先達のいる学問をすすめるよりも、開拓者であるべきという精神である。ただ現実は厳しかった。言った先の研究室では私は初めての外国人であり、装置の使い方、実験の仕方、単語すらわかっていなかった。学部生に単語意味から教えてもらいながら、教科書を端から端まで読んで、理解した。論文は2年間で3000報くらい読んだ。めちゃくちゃ勉強し、1日の睡眠時間は3時間程度だった。結果的に分野での最高峰論文誌に数報報告することができて、ライフワークが見つかったと思った。ただこの辺りから研究に対する見え方が変わってきたと思う。日本人会でいつも飲んだくれている友人がいた。大学では見たことがないが日本人の友人を探しているようだった。何が楽しくて研究をしに海外に来ているのかというふうに聞くと彼は出身研究室に戻るので1年間遊びに来ていると話していた。悪い冗談かと思っていたが、実際に彼は日本出身研究室で職を得て戻っていった。不思議ものである

当時の海外での受け入れ研究室教員にぜひともこの国で残って研究をすすめるべきだと言われた。日本講座制の影響もあり若い研究者活躍しにくいということを聞きつけていてくれていたらしい。ただそのときに今まで私を支えてくれた恩師たちの姿が頭をよぎり、日本に恩返しをするべきではないかと思った。施されたら施し返すという精神である日本に戻るためには公募書類を出さないと行けないのだが、不思議と通らない。面接にすら呼ばれない。それまでに分析していなかった私が悪かったのだが、どうやら日本ではコネというのが幅を効かせているらしく、面接にすら呼ばれない。それとずっと付き合っていた婚約者との結婚もあり、フットワークの軽い私はならば日本に帰ろうと、日本に帰り、講演ツアーを行った。幸いにしてその一つが目に止まり研究プロジェクトの一環で雇ってもらえた。そこでも好きに研究をしていいと言われ、論文を好きに書いた。楽しかった。研究だけしてたまに論文を書けばいいというのは至極楽しかった。ただ、学生研究ができないのがとてつもなく寂しく、コネはなかったが、海外の訳のわからない研究室研究をしているよりも経験つん日本研究している私は魅力的に見えたのか、公募に通った。めぐり合わせというのは不思議ものである

こうしてやっとただの研究者から大学教員になることができた。恒久的に研究ができるというのは非常に幸せであり、研究以外も楽しんだ。毎週の授業というのはライブである。そのへんのストリートミュージシャンよりも自分の一つ一つの発言学生に聞いてもらえることができ、研究に対するスタンスなど伝えることもできる。学問というのは積み重ねの学問である。積み重ねがあるから新しさがわかる。ひとつひとつ丁寧に教えていき、学問の楽しさを伝えたが、やたらと聞かれるのは単位がとれるかかどうかであった。研究室でも熱意をもって新しい実験の仕方や、研究分野の掘り下げのための論文読み込みを学生と一緒に行った。ただ、学生から文句が出てそんなに頑張りたくないとも言われてしまった。悲しい。私はそんなに魅力がないのだろうか。大学教員というのは研究以外の思った以上の雑用があり、それに追われていた。ただ、そのたびに今まで知的教育享受してき立場からそれを授与できる立場にならねばと思い、一所懸命に振る舞った。その結果ここでの学問結果をなんとかして論文にすることができた。これからすべてが軌道に乗る、そう思っていた。

そんな先のコロナである実験を専門としている私は当然大学に来なければ研究をすすめることができない。だが、緊急事態宣言あおりをくらい、研究室での研究活動オンライン中心になり、さらに愛妻は妊娠中であったために下手な行動はできない。研究が中心であった私の生活は転換を余儀なくされた。学生と最新の実験成果を共有できない、授業はオンラインとなりzoomの先では、全く授業を聞いていない学生いるかも知れないという状況で苦しかった。価値観も変わらざるを得ない矢先に子供が生まれた。福音であった。

学問というのは先んじてその場で役に立つものではないが積み重ねだと思っている。子供も同じで、毎日毎日状況が日進月歩である。首を動かすことがしんどそうだった子供が、今では自分の力で首を動かし、光の導く先を必死に見ようとしている。大学で学びをしている学生一時的にやる気を失っている子もかつては私の子供と同様日々ひとつひとつできていくということが楽しかったのだろう。相変わらず大学での研究活動制限されている。以前ほどの自由担保されておらず、どうしても何かしらを管理する必要がある。その一つ一つの行為が私には苦しい。ニュートンスペイン風邪タイミングで新たな学問をみつけた。私にはそれほど頑張ることはできるかわからないが、研究を行い、学生希望や考え方を論理的に教えるというのが現在の職での義務であろう。間違いなく私の研究生産性は下がったが、価値を下げず上げることが義務であると思い、日々努力している。

2020-08-10

フォースのもんもこ力を信じるのだ

Mpegというのは1秒の動画をおおよそ30枚のJpegにわけてパタパタあにめをするようなものだ。

このさいに、メインとなるJpegをIフレーム これは選抜だな

それにたいしてPフレーム Bフレームというのがあり

Pフレームメンバー Bフレーム研究生

努力が違う。

わかったな。Mpegは 偉い選抜Iフレームがたまにいて、全体を修正

普段Pフレームというメンバーがなんとかして

たまにBフレームという研究生がださせてもらえる

 

運営からすると1曲を選抜(I)ばかりで構成すると高い

どうやって研究生(B)を混ぜていくか 使いやすいのはP(メンバー

この配合比率アート

2020-07-18

anond:20200718173924

からソーシャルディスタンスっていわれてるじゃん。

握手できることと

隣にたてることは

ちがうんだよ

選抜どころか研究生のとなりにすら、ソーシャルディスタンスだと、たてないよ わたし

3人よると鎌倉大仏級の密集っていうのがあって、会場・・・ドーム研究生Inの場合 医学的に密集ですか?=内部的な自主ルール 人数/m3が一定以下にならないこと

AKB

あっちゃん↑、研究生何人よべばいい? ↓現場スタッフ

                           ←日テレ

2020-07-10

全ての親は受験生の子供にモノクロレーザー複合機を買い与えろ

タイトル調子に乗りすぎたことを最初に謝る。ちょっと盛ったタイトルにしてでも親世代に読んでほしい話なんだ。

私は6年前に浪人をした。幸運にも大学にはきちんと受かり、いまは大学院にも進学して研究生活を謳歌している。いや、コロナのせいで大学に入構できず満足に研究できているかは別だが、とにかく院生としてそれなりにやっている。

高校生ときにやっておくと将来役立つこと」として数学だとか世界史だとか、色々なものが挙げられていると思う。私はここに「モノクロレーザー複合機を買う」を挙げておきたい。受験勉強をしていると大量のコピーを取る羽目になる。デジタル教科書スマホ教材が注目されるが、なんだかんだ学校ではアナログ教材頼りだ。自分高校生ときは自宅のインクジェット複合機でよくコピーを取っていたのだが、非常に時間がかかるしインクも大量に消費する。しかも汗や糊でインクがにじむ。環境言い訳をするのは良くないが、勉強モチベーションが下がる要因ではあった。

そこで、浪人したときに「勉強コピーするのって9割以上はモノクロなんだし、モノクロレーザー買ったがよくないか?」と親に相談し、キヤノンSateraシリーズ複合機を買ってもらった。メーカーはどこでもよいが、単に価格コムで安かったかキヤノンにしたと記憶してる。

これが学習効率向上にかなり寄与した。なんと言っても印刷速度が早い。インクジェットでの待ち時間ストレスだったが、それがマシになった。また、印刷物も汗でにじみにくい。手汗が多い体質の人間ならわかると思うが、あのストレスから解放される。さらに、インク(トナー)交換頻度が圧倒的に下がる。大量に印刷していても、受験勉強程度の使い方であれば1年は余裕で持つだろう。1年程度の受験勉強期間であれば交換せずに済むと思う。

加えて、今頃になってこの日記を書いていることからも分かるかもしれないが、モノクロレーザー複合機大学入学後も大いに役立つ。高校予備校に比べるとデジタル化されているとはいえ印刷コピーは何かと必要になる。また、大学でも大半のコピーモノクロで事足りる。(カラーコピー必要ときだけコンビニに行けば良い。)

日々の課題課外活動院試の出願。自宅で気軽に使える高速な印刷環境何度助けられたことか。

ちゃんとしたメーカーのモノを買えば5年以上は使える。スマホPCなどと異なり、技術的に陳腐化することもあまりない。2~3万円で済むのだから子供のためにぜひ買い与えてほしい。

2020-07-08

anond:20200708214055

乃木坂46に発注します 研究生だけでいいですか?

欅坂46に発注します 平手友梨奈がいなくていいですか?

2020-07-06

日本では 乃木坂選抜は走っていって研究生のドタマけってもOK プロレスじゃないよぅ? 機能といいますそのあとにニフラム使うの忘れずに(自費)

2020-05-30

女流棋士アイドル化してきた

AKB研究生みたいな見た目のやつが増えてきた。

ルックス上がった。

昔は声優もブスばっかりだったんだけどな。

世の中全体がAKB研究生みたいなルックスになってきててブスができる職業が無くなってきた。

2020-04-29

ニートの兄がムカつく

ニートの兄がムカつく。

2浪1留で現在3流大の大学院生わたしは1浪して東大卒業し、今年社会人になった。

社会人になってから、兄がむかつくようになった。何がムカつくか。

英語研究。なんでもそう。わたし文字通り眠たいときサボりたいときも、勉強プライベートの充実を頑張ってきた。就職活動で強みがないことを恐れて、全額奨学金留学したり、無能すぎて辛い思いをした長期インターン研究生活を頑張った。

今も現在進行系で目標を定めて楽しみながら頑張っている。反面、兄は意味があるのかわからないオンライン英会話TOEICスクールエンジニアスクールなどに親の金で通い、そのどれでも成果を出さなかった。楽な方に、楽な方に流れているにも関わらず、頑張っているアピールをする。

隣の部屋から聞こえてくるフィリピン人おべっかと、兄のオーイヤー、アイノーという糞の垂れ流しみたいな英語が本当にイライラする。

2020-03-20

故郷に錦を飾らんと旧帝大入学して早数年

いよいよ卒業式を迎えることとなった。我が学生生活は、長い長い学生生活であった。

座学が苦手な小生にとって大学講義苦痛でならなかった。だがなんとか単位を取り切った。自分自分を褒めたいと思う。

一方、演習は手を動かして作業できたのでとても楽しかった。

研究生活は得るものも多かったが一方で苦しいものだった。結果を出すために夜遅くまで研究室に篭り、徹夜をすることもあった。

これからはお賃金をもらって、かつ1日8時間しか労働をすることを許されない生活が始まる。当分はこのギャップに戸惑うこととなるだろう。

大学生活で得た学びや人間関係を大切にし、春から新生活を過ごしていきたいと思う。

ところで、肝心の卒業式コロナウイルス感染拡大防止のために中止になっちゃったよ‼️‼️‼️

ぴえん😭😭😭

2020-02-14

anond:20200214205526

まあ院試の段階で落ちる奴は無理して入ってもその後酷いことになるから、適性が違うと思うか、研究生勉強し直すか、だな。

2020-02-02

日本博士課程に進学する奴は天才かアホだと思う。

私は自分能力は並である判断したので米国大学院に進学した。

米国博士課程は厳しいと聞いていたので、留学前はかなり気構えていたのだが、案外そんなことはなかった。もちろん、課題研究TA業務に追われ、日本大学院に在籍していた頃よりも3倍程度は忙しいのであるが、精神的にはかなり楽に感じている。日本にいた頃は、将来への不安を感じたり、就職して楽しそうな友人が眩しく見え、本業研究に集中できないこともあった。しかし、こちらの大学院院生の人数も多く、学部生との関わりも多いので、そのような感情を感じることも少なくなった。その結果からか、研究勉強にも身が入るようになり、日本いたころでは想像もしていなかった場所まで来れたと思う。もちろん、母国語で会話できないという辛さはあるが、研究生活全般としては非常に充実した日々を送れている。

そろそろ卒業後の進路を考える時期に来ているのだが、日本大学には戻れる気がしない。日本大学研究環境が良くなってほしいという想いは今も持ってはいるが、少子高齢化の影響がこれまで以上に大きくなることを考えると、日本大学がかつての輝き(実際に見たわけではないので存在したのかもわからない)を取り戻すのは厳しいのではないかと思う。研究はしたいけど、日本でバシバシ成果だせるほどの天才である自信がない中間層米国大学院が良いのではないだろうか。ほとほどの英語料理ができれば特に不便はない。日本人が外国で成果を出しまくれば、日本政府が彼らを呼び戻すために日本大学研究環境改善に本気で取り組むという微かな希望も持っている。できることな母国研究したいが、求められないのなら仕方ない。自分を求めてくれる場所で結果を出すだけである

2020-01-28

中肉中背でドブスな地味女先輩のせいで一発で性癖歪んだ

その先輩は俺が学部4年生のとき史学科の博士課程に在籍していた。

俺が所属するゼミ教授研究室人間だったのでたまにうちのほうのゼミに呼ばれて顔を出してた。

正直その女先輩の印象は悪かった。

化粧ド下手糞、髪ぼさぼさ、ドブス、下ばっか向いてる、声が小さい、うざいくらい喋りがバカ丁寧、質問するにも意見言うにも前置きが長くてクソ冗長

うちに呼ばれる博士研究生には他に男2人がいたけど、その人たちもいかにもコミュ障オタク丸出しで正直気持ち悪かった。

から博士課程のお兄さんお姉さんがたがうちのゼミに顔を出す日はうちらは妙に緊張したムードになってたし、

数カ月に一度訪れる「めちゃくちゃ退屈で面倒な日」としてゼミ同期は舌打ちしていた。

「人文系博士ってやっぱ変な人ばっかなんだな。全員キショいやん」

同期の一人がそう吐き捨てたのを聞いたことがある。

やっぱりあの人たちは普通感覚からすると異人だった。

そんななか、事件が起きた。

当時の俺は大学敷地内で大便をひり出す便所を決めていた。

履修説明会やらイベントやら以外でほとんど誰も足を踏み入れないようなホールにあるトイレだ。

俺はウンコブリブリ出る音を人に聞かれたくない乙女な面があったのだが、

そこだと静かゆえに集中して全力で排便できた。

ある日、いつものようにホールのに乗り込んだ俺は広い多目的トイレボタンを押そうとしたのだけど

珍しく使用中ランプがついていた。

仕方がないので、普通の大便トイレ使おうと移動してズボン脱いでケツを出すとこまでいったけど

やっぱりいつもの場所じゃないからクソは出ずに屁だけが出るばかりだった。

しびれを切らした俺は、多目的トイレの前に戻り先客が出てくるのをずっと待つことにした。

5分くらい待っただろうか。

多目的トイレのドアが開くと出てきたのは博士課程の男だった。

軽く会釈すると、驚愕の形相で俺の顔を見つめてすぐに目を逸らされた。

「(こいつほんとコミュ障だな)」

不快感がこみあげてくるやいなや、なんとその後ろに博士の地味ブス女ともう一人のブサイク男先輩もいることがわかったのだ。

俺が呆気に取られていると、その二人はが完全に地面を見つめるレベルに下を向きながら我先にと出て行こうとする。

汗で濡れた髪を真っ赤な顔にへばりつかせながら、そそくさと俺の横をすれ違う地味ブス女先輩の顔から

ザーメンらしき真っ白い粘着質の液体がボタッと地面に落ちるのを見た。

誇張抜きに人生で一番ショックを受けた出来事だった。

衝撃のあまり便意を完全に失ったというのに俺はなぜか、ついさっきまで彼らが乱交セックスをしていたと思しき

多目的トイレ内にフラフラと入っていき、便座に座り込みずーっと呆けていた。

あんな地味な先輩がよりによってこんなことするのか……」

そんなことばかり考えて頭が混乱していた。

相変わらずのドブス顔、真っ赤になった頬、汗で乱れた毛先、ザーメン

あの衝撃的な一瞬を何度も何度も思い出しているうちに、下腹部ジンジンと浮き上がる不思議感覚に襲われ

それが陰部にまで広がり、なんと俺はその場で果ててしまった。一切触れていないのに。

今思えば、あれは広義のNTRだったんだと思う。

全く性とは程遠い人間確信していた女先輩が、実は貞操観念がぶっ壊れた行為に及んでいたという"裏切り"。

それを実際に目撃してしまたことで想像だにしないほどのショックを俺は受けたということだろう。

その晩から俺は毎日ドブス女先輩をオカズオナニーしまくった。

記憶を薄れさせたくなくて、また博士課程乱交トリオがうちのゼミにやってくる日を心待ちにしていたけど

結局そのイベントは訪れぬまま俺たちは卒業に至った。

あの出来事で俺の性癖性的嗜好破壊的なまでに歪んだと言っていいだろう。

トイレ事件の日以来、俺はそれまで行ってた可愛い子が多いと評判の短大との合コンには一切行かずに、

電通大首都大かいかにも地味ブスが多そうな大学とのコネクション構築に奔走した。

ドブス地味女先輩の幻影を追い続けるようになったのだ。

そうこうしてあの先輩と同じ属性であるどうしよもなく地味でブスで真面目な彼女ができた。

セックスはもっぱら多目的トイレで行い、顔射で果てるというのが必須パターンとなった。

欲を言うと3Pまでいきたかったけど、周りの男友達には到底頼めなかった。

どいつも俺の彼女の顔を知ると冗談めかして「お前どうしちまったんだよ!!四谷怪談じゃねえか!!」

なんてイジっていたけどそういう女を彼女に選んだ俺に割とガチで引いてるのが伝わったからだ。

これから俺は彼女トイレで一緒に抱いてくれる清潔感のないオタクを探す旅に出ることになるだろう。

ネットを頼るつもりだ。

でもそれで俺の欲求が完全に満たされないとは予感している。

結局のところ、相手はあの博士課程の女先輩本人じゃないとダメなんだろう。

そして乱交場所トイレもあの大学のあのホール多目的トイレでなければ……。

もう一度ドブス地味女先輩と会いたい。

セフレにしたい。

悶々としながら俺は生きている。

2019-08-02

親友が癌になった話

高校生の時、僕には親友がいた。

彼と僕は三年間とも同じクラスに属し、同じ部活に入っていた。部員数はとても少なかったため、必然的に僕達は仲良くなった。授業が終わったら部活が始まるまで、二人で教室に残って宿題をした。部活が終わったら、夕暮れの中、自転車を押して二人で他愛もない話をしながら帰っていた。

高校二年の冬、彼は肩が痛いと言い出した。僕達は皆、ただどこかでぶつけただけの軽い打撲だろうと思っていたが、その痛みは次の年の夏まで続いていた。さすがに何かおかしいと思った彼が病院に行き、検査をうけると、骨の癌だということがわかった。

彼は、一言でいえば、人望があった。筋骨逞しく文武両道で、理知的だった。それでいてユーモア冗談が好きで、いつも周りの人々を笑わせていた。何よりも、彼は優しく、思い遣りのある人だった。だから、彼の周りにはいつも人が集ってきた。それは彼の入院中もそうだった。抗癌剤副作用にもめげずに、面会に来た友人達に気丈にふるまい、退院した後はどうしようかなど、将来の希望を語っていた。実際、彼は退院し、志望していた大学に入って大学生活を楽しんでいた。彼女もできたようだった。

しかし、子供の癌は進行が早い。化学療法殲滅できなかった癌細胞が他の組織転移し、彼の癌は再発した。癌切除手術、抗癌剤退院、再発して入院、手術、抗癌剤退院入院、その繰り返し。筋骨隆々だった彼の体は段々と痩せ細り、頬もこけていった。抗癌剤副作用は彼の精神をも蝕み、面会をする度にぽつぽつとネガティブ言葉を吐くようになっていった。誰が見ても、彼の予後絶望的だった。

僕にできることは何もなかった。衰弱していく彼を真横で見ていてもなお、死相の出てきた顔を間近に見ていてもなお、僕にできることは一切なかった。そのことが僕はとても悔しかった。だから何か僕ができることを探して、考えついたのが、生命科学研究者になることだった。

馬鹿馬鹿しいと思われるかもしれないが、僕は死後の世界について考えていた。人が死ぬとどうなるか、僕達は知りえない。だからこそ、死後に天国のような世界があり、そこに彼がいる、そんな可能性が存在する。死んだ後、無に帰すならばそれでいい。だが、天国のような世界があった場合、僕は生前こんな風に頑張ったと、彼に報告したい。生命科学の発達は、かつては治療する術のなかったような病気に対する治療法を確立させてきた。だから僕は生命科学の発達に貢献し、それを彼に報告したいと考えた。今振り返ってみると、なんて馬鹿馬鹿しい考えなんだろうと自分でも思う。

博士課程を卒業し、がむしゃらに研究活動を行い、数年が経った。どうやら研究者の道で成功するには、情熱、実力、コネ、運の全てが必要らしい。生命科学の発達に貢献したい、という漠然とした動機でやっていけるほど甘い業界ではない。それに最近、ある致命的なことに気づいてしまった。

僕は彼のことが好きだった。片思いだった。高校生の時にはただの憧れだと思っていたが、大学生になり、自分同性愛者だと気づいてから、彼への想いを認識した。もちろんそのことは彼には伝えていない。伝えないまま、彼は数年前に死んでしまった。しかし、死んでもなお、彼を慕う気持ちは変わらない。僕は、死後の世界で彼と逢えるという一粒の可能性に賭けて、辛い研究生活を送ってきた。

しかし、最近致命的なことに気づいてしまった。なんで今まで気づかなかったのだろう。

それは、もし死後の世界で彼に報告できたとしても、彼は僕のことを気味悪く思うだろうということだ。彼は彼女と一緒にいる方が楽しいに違いない。

彼への想いは今も変わらない。ただ、目的を失った僕は、宙ぶらりんのまま、見えなくなった将来を悲観している。

読んでくれた人へ最も伝えたいことは、大切な人には定期的な検診や人間ドックを受けさせた方が良いということだ。特に子供には。

2019-06-23

ラボの異性付き合いに悩んでいる話

国立理系女子大学院生愚痴です。

まず初めに書いておくと、私のラボブラックラボではありません。

先生方にもラボメンバーにも恵まれて本当に良い研究生活を送っています

自分所謂いじられキャラポジションに収まることが多く、始めは嫌な思いをしていたこともありましたが、自分気持ちよりも「何か振られた時にどう振る舞えば相手が喜ぶか」ということを優先して行動するようになっていました。

その理由としては本気で嫌がっていても相手はそう受け取ってはくれないし、例え相手に伝わったとしてもノリの悪い奴だというレッテルを貼られて人間関係が拗れる方が余程面倒くさいと思ったからです(今思うとこれが一番の原因だったと反省しています)

大抵のことは受け流せるようになりましたが、ただ一つどうしても生理的に受け入れられない弄り方があります

しかしたら皆様も聞いたことがあるかもしれませんが、

あいつらデキてない?」

あいつ、お前のこと好きかもよ?」

といったように、第三者勝手に友人以上の関係であることを妄想しそれを当人押し付け言動です。

「え、そんなことで?」と思う方もいらっしゃるかもしれません。

また、それを良いきっかけに実際にお付き合いまで至った方々も(もしかすると)いらっしゃると思います

私はそのような方々の考え方を否定するつもりは一切無いですし、そのように考えられることをむしろ羨ましく思います

ただ、私はどうしてもそれを言われた瞬間からその人のことを友人だと一切思えなくなってしまます

しろ

「周りにそう思われないように相手と関わることや無駄なことを喋るのを控えよう」

とまで思ってしまます

なぜ自分もここまで拒否してしまうのか分かりませんが、「自分が全く対象としていない相手との関係勝手想像させられること」や「彼らがくっつけば面白い」という個人感情無視した身勝手な行動にしか思えないのです。

現在私はその人と同じ授業を取っており、顔を合わせる機会が多いのですが、顔を見るだけで吐き気動機が止まらなくなるため、相手申し訳ないと思いながら存在認識しないよう努めています

また、メッセージアプリ等でも相手から接触されるだけでも上記の症状が起こるため誰にも言えませんがブロックをしています

今までの人生20数年間、自分相手不快にさせないように、むしろ自分と仲良くしてくれる相手に喜んで欲しいという気持ち関係を構築しようと努力してきました。

それがこのようなくだらない理由で崩れてしまうことが本当に情けないし涙が出てきます

もし私と同じ症状の方がいらっしゃいましたらどうすれば良いのかお伺いしたいです。

また、上記のような異性間の弄りを現在進行系で誰かに行なっている方は、相手が嫌がっているという可能性を視野に入れて欲しいと思います

以上一学生愚痴でした。

2019-06-08

パートナーを持つ人が羨しい

僕は27歳の理系大学院生だ。

国立大学研究室に通い、研究生活は良いスタートを切れていると思う。

先日も、僕がファーストオーサー論文に、すごくポジティブなreferee commentが返ってきた。

指導教員は、いわゆるブラック研究室とは無縁の人で、教育的配慮の行き届いた接し方をしてくれており、不満はない。

なにより、こんな年齢でも実家暮らし学生をさせてくれている両親に、最大の感謝をしないといけない。

ただ、巷間言われるように、理系学生には、同世代女性と知り合う機会が全くと言っていいほど無い。

僕も例外ではなく、先月会話をした身内以外の女性は、顔見知りの中華料理屋のおばちゃんくらいだろう。

趣味の場に出会いを求めよとの声も聞こえるが、僕は生憎ハードコアアウトドア活動趣味で、これがガチガチの男社会なのだ

かといって、クラブナンパする勇気もなく、マッチングアプリを使う気も起きず、ともかく恋愛に対して、浄土宗の如く他力本願的な態度を取ってきたのである

そんな感じの僕は、彼女が今まで27年間の人生で一度もいたこともなく、二人きりで出掛けたことのある女性は一人を除いて存在しない。

その女性Aとは昔の知り合いであり、ひょんなことから再会し、似たような趣味を持っていたこから、二人で食事などに出掛けるような関係になった。

何もすることなく、そんな中途半端な期間が1年くらい続いた。

モテない童貞(これがポリコレ的にNGなのは認識しているが、恋愛における自らのダメさを手っ取り早く表現する目的なので、海容を願う)である僕には告白する勇気もなく、時間が過ぎた。

2年ほど前のある日、女性Aからまりがけの旅行に誘われた。

ようやく何かが進展するのではと、当然期待は高まる

意気揚々と落ち合った途端、女性Aから彼氏がいると告げられた。

目の前がグラグラしたが、とりあえず旅行は無事に終え、僕は、餅で押し出された二年グソのように女性Aに告白した。

そのとき可能性は確かに存在し、僕と付き合うとメールをもらったが、女心と秋の空、すぐに、やっぱり僕とは付き合えないと二伸があった。

前置きが長くなったが、彼女がいない僕でも考察するに、パートナーという存在を持つ人は、本業にとてもポジティブフィードバックがかかっているのだろう。

僕は色々あって、研究室には年下の先輩がいるのだが、彼は非常にアクティブに成果を挙げている。

彼女を持つ彼は、彼女からすごく好意を持たれているのだと(聞きたくもないのに)教えてくれる。

僕はと言えば、還暦を目前にした夫婦の冷え切った仏頂面が家で待つのみだ。

毎日携帯自分を好いた人からメッセージをもらうことは、研究にとてもポジティブ効果をもたらすに違いない。

もちろん、両親は僕の研究したいという進路選択応援してくれる、最大の理解者だ。

両親を悪く言いたい意図は一切なく、パートナーを持つという状態効用を思っただけだ。

極めて幸せ境遇にいる僕は、功利的で我侭なことを考えているに過ぎない。

2019-05-14

大学卒業後も論文を読みたい

東大修士課程にいるんだけど、卒業後に論文を読めないのかと思うとかなり辛い。

  

数学理論物理とかなら、arxivとかあるだろうけど。

工学とかバイオなら、ネイチャーとか読みたい。レビュー論文を読めなくなるのは激痛。

  

あと、できれば、web of scienceみたいな論文を探しやすくするのは読みたい。

  

例えば、放送大学はどうかと思ったけど、アクセスできる論文はそこまで充実してなさそう。(エルゼビア社の奴だけで、ネイチャー系やレビュー系やレター系はあまりなさそう?)

  

どうすればいいのだろうか。

この世の最先端技術をいつでも学びたいと思う需要はあると思うのだが。

どっか、裏技みたいなものは無いものか?

  

海外ウェブで学べる大学コースの聴講生とか。

研究生とかはコネなきゃ難しそうだし。

2019-05-12

anond:20190512221600

酵素を使うようになったからじゃなかったっけ。

J-STAGEBLUE BACKSのサイト最近それっぽい論文記事を読んだ記憶がある。

追記

BLUE BACKSはこの記事だな

洗剤のサイズ10分の1にした男の「波瀾万丈な研究生活」がすごい

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59091

J-STAGEの方は見当たらない

https://www.jstage.jst.go.jp/article/senshoshi1960/37/2/37_2_53/_pdf花王洗濯洗剤について説明してくれている。

昭和47年ごろの最近の動向なんかも引っかかるがコンパクトになった理由は書かれていない https://www.jstage.jst.go.jp/article/senshoshi1960/14/10/14_10_408/_pdf/-char/ja

2019-04-16

anond:20190416212411

まり小説家をしながら研究生博士号があれば無給だが学費必要なしの席があると思う)をやるべきやったんや

2019-03-22

anond:20190321230838

写真付きでどうぞ

2019-02-10

NGT派閥まとめ

山口真帆

山口さんに同調しているメンバーSNSプロフィールからNGT48」の表記を削除することで結束を明らかにしている。

名前所属
山口真帆チームG
菅原りこチームG
長谷川玲奈チームG
村雲颯香チームG

「反山口真帆」派

山口さんからSNSフォローを外されており、山口さんの「敵」であるとしてネット民から叩かれているメンバー

名前所属
太野彩香チームNIII
西潟茉莉奈チームNIII
荻野由佳チームNIII
佐藤杏樹チームNIII
山田野絵チームNIII
加藤美南チームNIII

フォロー外しのタイミングに違いがあり、概ね以下の順で叩かれている

その他

上記2派閥に含まれないメンバー。敵ではないと考えられている。再開された正規メンバー公演は、下のメンバーうち(元研究生)の6人によるもの

名前所属
高倉萌香チームNIII
小熊倫実チームG
中井りかチームG
本間日陽チームG
清司麗菜チームNIII(元研究生)
西村菜那子チームNIII(元研究生)
ゆりチームG(元研究生)
日下部愛菜チームG(元研究生)
中村歩加チームG(元研究生)
奈良未遥チームG(元研究生)
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