はてなキーワード: ブラック研究室とは
俺悪くないよね?
地方の中の更に局所的な過疎によって小学校に人がおらず、1学年1クラス(30人くらい)だった
女子が7人しかおらず、皆ほんのりした恋心はあったんだろうけど誰かが付き合うみたいなことはなかった
思えばこの6年で異性とやり取りする免疫みたいなものを得られなかったんだと思う
1学年7クラスになった
そういう意味では大チャンスだった
なんとなく好きな子もできたけど、既に自分の容姿その他がイケてないことに気づいていたので、アクションを起こせなかった
あと、これも局所的だと思うが誰かが付き合うみたいな噂を一切聞かなかった
恋愛は漫画の中か、過去のものだと思っていた(後から知るがそれは違った、俺の時代は全盛期だった)
あと好きな女子には別の好きな男子がいたのもアクションを起こせなかった理由だと思う
好きな子は学力が220人中30番目くらいだった、俺は20番目くらい
頑張れば同じ進学校に行けると思っていて、そしたらワンチャン仲良くなれるんじゃないかと思ったが
それで終わり
またしても浮いた話をまるで聞かない
ひょっとしたら俺の知らないところではあったんだろうか、あったんだろうね
俺はもうクラスの女子に興味を失っていて、二次元に傾倒していた
自分の自信がなかったのも大きいし、接点もなかった
部活は小学生の時に暴力的な鬼コーチにあたって嫌になって以来所属していない
好きな子は居た
でも浪人生だしね、それどころじゃないよね
結果詰んだ
バイトで出会った子も淡く好きだったけど、コンビニ2人体制だったのがまずかった、話すチャンスがあんまない
あと実家通いだったのもよくなかったかもしれない、人脈が築かれない
研究が忙しすぎた
驚きの不景気により諸々それどころではなかった
が、引きこもっていた時にネットで仲良くなった2chねらーとオフ会をした
びっくりするくらい常識人が集まり、その中の女子に死ぬほど惚れた
30kg痩せて、見た目も気にしたけど
まあわかる、そういうんじゃないよな
謎の新人(モデル30代)の面倒をなぜか個人事業主の俺が見ていた時にコロナになった
仕事の面倒をみてやりつつ、週5フルタイム雑談しながら仕事した
4ヶ月耐えたがとうとう惚れてしまった
スラブ系のぴえん系で高飛車なんて趣味じゃないしーと思ってたんだけど、そういう人っておっさんと絡んでるから妙に知識があって面白いんだよね
歴代彼氏を聞いて引いた、世界が違う、モデルってそんなモテるのか?
この期間に筋トレやら美容やら服やらを再開したが、高校生の時にやっときたかったなぁとか思った覚えがある
いま一番楽しい
3年で200人くらい会ったと思う、馬があったのが6人(不定期が常に10人くらい)
誤解ないように言うと、かなり健全な方だし、皆の想像するような港区系は1人しか居ない(今のパパ活界隈はマジで全系統がいる)
今はもう彼女作る気がない、年も年だし、今この年とスペックでやると彼女じゃなくて奥さんしか寄ってこないみたい
結局のところ問題なのはどれだけ女性と一対一で向き合ってきたかなんじゃないかと思う
自分の良くなかったのは高校で好きな人ができなかったことと、大学〜社会人まで男社会すぎたこと
そして男社会に入り浸った結果、出会いを求めるのではなく2次元に傾倒してしまったこと
良かったと思うのは2回重い恋をしたこと(死ぬほど苦しかったけど)、そのことで少し努力するモチベーションができたこと
1回もしてなかったらどうなってたんだろうなあ
ネットにはそういう人も結構いるよね、それはもうしょうがないんじゃないか?惚れるのは理屈じゃないし
_____
え、まってまって雑じゃないよw
金はあるから中年になったら女遊びしようかなーとずっと思ってたところにコロナが来た感じなんだよ
今は遊びっていうか大切なパートナーって感じだけど
_____
もう少し考えたんだけど、先々のことを考えすぎるのも良くないなと思った
高校の時は大学で上京するつもりだったから、彼女なんて作ろうと思えなかった、お別れするの寂しいし
今は「将来結婚しよ〜」って言われても「やだ、彼氏探せ」って言うし
うっかり惚れないように人数増やして分散してるから上手くいってる
気軽さが大事だと思う、彼女作りたい人はマチアプとかで「女子の知り合い」をたくさん作ればいいんじゃないかな?彼女とか結婚とか頭から外して
若ければできるはず、デート代全部出すくらいすれば
そうだ、金って便利だよ
どのくらい貢げばデートしてくれるのかが分かる、つまり自分に不足してる魅力は金に換算するといくらなのか?と
仲良くなって割り勘までいけたらゴールみたいな
結局ギャルゲーじゃん
文学部の増田がバズってて興味深かったので、理系の話をしてみようと思います。
まず前提として共有しておきたい話ですが、「理系」といえどもその領域はとても広いです。総合大学では大抵の場合、国公立では理学部と工学部、私立では理工学部で理系が全部まとめられてしまいます。
ちなみに理学部と工学部の違いですが、「学問が世の中に役立つか」という基準で(おおまかに)学問領域が別れています。
例えば増田が所属する機械科の場合、機械は世の役に立ってナンボなので工学部判定。電気系、情報系、土木系もこれにあたります。逆に、理学部では研究が必ずしも世の中の役に立つ必要はなく、学問として追求するのが目的となります。ニホニウム誕生の際、研究者がインタビューで「世の中の役には立ちません」と発言したことが話題になっていましたが、理学部的にはこれでOKなんですね。しかし、最近は理学部であっても世の役に立たない研究は予算がつきづらく、苦労されているらしいです。
さっそく就活かよ!と思われるかもしれませんが、工学部は様々な産業に技術者を輩出するのが大きな役割の一つ。「大学は就職予備校ではない、研究機関だ(キリッ)」なんて言う人がネットにちらほら居ますが、工学部の場合この限りではないんですねぇ。
結論としては、世間で思われている通り工学系の就活はかなり楽です。
日東駒専、4工大以上の入試難易度の大学であれば東証プライム上場企業を十分に狙えます。旧帝国大や早慶のような難関大学は言わずもがなですが、MARCH/地方国公立クラス以上であれば(就活ガチれば)優良企業を選び放題です。
機械科の場合は特に引く手あまたで、増田の場合ESは通って当たり前。場合によっては書類選考が免除、という状況でした。人手不足&コロナ明けで企業の採用意欲が旺盛、という情勢の追い風もありましたが、文系24卒増田と比べて大変な優遇っぷりでした。
とりあえず手に職付けたくて根性があるなら、機械科はマジでおすすめです。
そんな就活最強完全無欠の工学部ですが、憐れポイントも存在します。その一つは皆さんご存知の男女比です。
ご存知の通り男女比が酷いです。増田の機械科では多く見積もっても9:1で男子ばっかりです。増田は同じ学科の女子の友達いないです。
そして技術職で就職する場合、工学部の男女比がそのままスライドするので、男女比問題が就職後も続きます。増田の就職先では四季報に乗ってる男女比が9:1です。特に女性は人事部など文系総合職に片寄るので、実態はさらに男ばっかりでしょう。
本当に出会いは無いです。増田は生涯彼女なしDTなので、大学時代に何とかしないと本当にヤバいので焦っています。
しかし、これは学科によって大きく事情が違います。例えば化学系、生物系の場合は比較的女子が多く、実験も多いので異性と出会う場は多いです。しかし、化学系と生物系は就活市場での需要が少なく、機械・電気などに比べ就活の難易度が上がります。これは完全に偏見ですが、就活難易度と男女比はトレードオフにあるように感じます。
また、片寄った男女比なので女子の肩身も狭いでしょう。そういうの気にせずガツガツいける女子であれば、出会いが多くていいんじゃないすか。知らんけど。
一番の憐れポイントはこれでしょう。実験や課題、研究でシゴかれるため非常に忙しいです。具体的にどれだけ忙しいかと言うと、過労死ラインを普通に超えたり、倒れる学生が出るほど酷いです。
増田の場合、学部1,2年ではバイトは不可能なほど忙しかったです。土日潰せば何とかバイトもできますが、それだと本当に過労でヤバい状況になると思います。
特に学部2年の時が一番キツかった。土曜にも授業が入り、授業時間と課題に取り組む時間で過労死ラインを超えました。これは増田の頭や要領が特別悪い訳ではなく、同期の友人たちも似たような状況でした。
そしてブラックな研究室も多いです。増田の大学ではパワハラの話は聞かないものの、過労がヤバい研究室の話はよく聞きます。生命科学系では「ピペット奴隷」なんて呼ばれたりするそうですが、どの領域でも似たような状況になっている研究室は必ずあると言って良いでしょう。
特に、優秀な学生ほどこの沼に嵌まりやすいです。自分からガンガン研究を進めますし、教授も期待してどんどん負荷をかけてしまうため、ある日突然、リミットを超えた学生が倒れる、なんてことが起こります。
多くの研究成果を出しており、優秀な学生が集まる研究室は要注意です。教授が学生にかける負荷(タスクの量)が強く、学生も優秀でやる気があるので無理をしてでも負荷に応えてしまいます。また、そういった研究室はもれなく人気で人数が多く、教授が学生の面倒を見きれない→放置気味になって過労、というコンボが起こります。
逆に、地味で人数が少ない研究室はユルくて安全です。特に、教授が積極的に手を動かして実験するような研究室は優良です。ブラックな教授は、実験を学生に丸投げしますからね。
あと、課題をバカスカ出す教授の研究室は黄色信号です。もちろん例外もありますが(増田の研究室は例外だった)、少し気を付けた方がいいです。
あとあと、工学系のサークルはもれなくブラックです。ロボット作ってコンペ出たり、エコランや学生フォーミュラやってるようなサークルね。こういうサークルはもれなくやる気で優秀な社蓄予備軍が集まるため、そのへんのブラック企業が裸足で逃げ出すほどブラックです。過労で肺に穴空いて入院とかフツーに聞きますからね。本人たちは好きでやっているんでしょうが、体壊してまでやることじゃねえだろと。
っていうか、普通にヤバいこと起こってるのに当人はそういう体質を全く改善しようとしないのがマジで終わってます。大会で結果出すために平気で健康を犠牲にしますからね。
そして全然上手く回っていないにも関わらず新しい大会とか始めてさらにブラックを加速させたりするので、本当に目も当てられません。アホかと。睡眠不足で脳みそ壊れたんか?
しかし、彼らが教授連中や就活で評価されることはあれど、ブラック体質が問題視されることはないんですよね。
そして彼らは研究室でも頑張ってしまうので、過労ブラック研究室が滅びない。マジでやめてほしい。
人生において最初でおそらく最大の挫折。それがこんなことになるとは思いもしなかった。
辞める前に今までの記録を残しておこうと思う。
私は元々好奇心が旺盛であり、なんでも「面白そう!楽しそう!」で物事を決める人間であった。
高校も「この学校面白そう!全寮制だって!」の一心で家から離れ、3年間寮生活を送った。
また、大学の学部を選ぶときも「高校の化学めっちゃ楽しかったし、化学科に行こう!」の気持ちだけで1浪して都内の化学科に通った。
友人たちは、いわゆる楽単と呼ばれる楽に単位が取れる科目の情報を集め、楽に卒業までの単位を集めていた。
しかし私は、興味のある科目は全て取り3年生になってもほぼフルコマという大学生活を送っていた。
大学4年生になる春を迎えた瞬間、世界に疫病が蔓延する。そう、新型コロナウィルスである。
このまま大学生活を送っても、まともな研究ができなさそうだなと思った自分は1年間休学をした。
休学している間はアルバイト漬けの1年であった。
平日の昼間に週6で入れる若者である私は重宝され、1年間楽しいアルバイト生活を送った。
楽しすぎて103万円の壁を余裕で超えてしまったのもこの頃である。
そして、2度目の4年生を迎える2ヶ月前、就職か大学院進学かの選択を迎えた。
元来、研究をしたいテーマが決まっていた私は大学院進学しか考えていなかった。
家の近くの某国立大学の先生がそのテーマを研究していたので、そこを目指して院試の勉強を始めた。
無事合格し、卒論も書き終え、希望に胸を膨らませてその大学院に入った。
やりたいと伝えていた研究テーマは別の人に渡され、私は別の1年目のテーマを任されることになった。
その研究も教授の思いつきで方針が変わる、後出しジャンケンで取ったデータを捨てられる、パワハラ、アカハラは日常茶飯事であった。
人格否定もあったかな、個室でよく詰められました。過去の自分の選択も否定されました。今思うと教授の人格が破綻していたのかな。
それが4ヶ月ぐらい続くとその人の顔すら見たくなくなりました。相談もできなくなりました。
結果が出ない→叱られると思って相談ができない→進め方がわからなくなる→結果が出ない
の悪循環。
この頃から、家ではよく笑うようになりました。研究室の辛さを忘れるように。
その後、家でよく笑う自分と研究室で陰鬱になる自分、どっちが本当の自分がわからなくなりました。
9月の半ばに「このままじゃ2年での卒業は難しい。」と言われて心が折れました。
元々1浪1休なのにこれ以上遅れられないと思いながら生きていた矢先、この一言は自分の心に大きな穴を開けました。
同級生は就職や結婚といった人生のイベントを徐々に始めている。
持っててよかった、教員免許。
「大学院は出来る人がもっとできるようになればいい、無能は去るべきだ。」と言った教授、ありがとうございました。お言葉に甘えて去ろうと思います。
ブラック研究室なんて、潰れろ。
んふふ
二人で遊ぶの楽しかったなぁ
あそこって女子比率くそ低いからさ、ブラック研究室系分野の修士となればなおさらでさ、まあ選択肢がないよね
今は新生活が楽しいからそういうことをする気にはならないけど、
すっごい上から目線で言うと、
ゆっくり丁寧に仕留めてくれれば仕留められる気がするので、うまいこと仕留めてください
焦らないでね
おみくじにも焦るなって書いてあったでしょう
付き合う前は目をかっぴらいてと書いてあったのでね、安直な判断はしたくない今日このごろです、
いいところ
·とにかく育ちがいい
気になるところ
·私の性癖的には白くて細い人が好きを公言しており、当てはまらない点
·正直まだ価値観とか深い話はしていない点
まあね、こういうのはね、期待感だけ味わって楽しみにするのが賢い使い方ですかね
いい友人にしたいな
いい友人にしたい
私ならできる
ブラック研究室ってブラック企業と並んでもいいくらいマジで危険な存在だと思うんだけど、なんでみんなそれが普通みたいな風潮なの?
朝から夜遅くまで、泊まりながら研究室にいて土日も研究室って冷静に怖くね?理系の人達はそれが当たり前みたいな感覚なのマジでおかしい
会社で「平日は終電まで会社にいて、土日出勤もしてる」って言ったらお前その会社やべえよってなるよね?それを教育機関がやってるのどうなの?
博士は(かろうじて少ない)お金貰える人もいるけど修士だったら基本もらえないだろうし。
もっと学校とかなにかしらの団体がしっかり規制するべきだと思ってる。でも会社とかと違って学費払ってるから「好きでやってるんでしょ」のスタンスなんだろうなー...好きでやってる人もたくさんいるだろうけどそれでも過労だと思う。現に鬱とかなってる学生の人たくさん見る
アーニャ頑張れ
タイトルの通り。卒研、というか研究室と指導教員がしんどすぎて死にたい
マジでしんどすぎて乱文すまん
俺→どっかの国立4年/理系(生物系)/研究室に配属されて約半年/1ヶ月前くらいに終活した/大学はほぼ研究のみ
怒鳴られたり罵倒されたりみたいなハラスメントはないけど、なにかやる度に自分の出来の悪さを皮肉混じりに指摘されてそれを見ては死にたくなる
発表用のスライドを何日もかけて作って割といいんじゃないか...?って思ったら案の定指摘という名の怒られ発生。
こういう実験やるといいかもねって言われて実験したらそれ意味あんの?って言われる
質問しても「〜が分かってないのはヤバいよ」資料とか借りたい時に少し伝え方を間違えると「それは私に〇〇しろってこと?」 もう俺の理解力と日本語力とビジネス力がないのは分かったからやめてくれ...
実験の報告やらなんやらでも指摘する時は社会に出たら〜の皮肉つき。「もしこれが会社だったら職失ってるぞ」みたいなこと言ってくる。毎回。
いやまあ俺が無能なのがいけないんだけどさ、それでもかなり傷つく
専門的なことも分かるわけないじゃん まだ配属されて半年も経ってないからなんとなく研究の仕方がわかってきたぐらいだよ というか学部卒で全部理解しようとしたら普通に考えて無理です
別に無断欠席とか遅刻とかほうれんそうしないとかのガチ社不ムーブしてるわけじゃないのになんでこんな言われなきゃいけないんだ..
ガチのブラック研究室はハラスメントとかやばいって聞くけどうちはそういうのはない。ちょっとした事で勝手に俺がメンタルやられてる感じだから誰かに相談しようにもしにくいんだよな...そもそも俺が考えすぎってのもあるだろうし
同期も多分同じ事思ってるけどお互い口に出さずに頑張ろうね...とだけ言ってる そりゃ同期で研究室の愚痴言えないか
チャットの通知がスマホにくる度に内容読んでいなくても動悸がする。それでもすぐ返信しなきゃと思うから読むけど、電車内で半泣きになったことも何回もある。マスクしてるからバレないけど
教員からしたら全然研究もせずに勉強もしてない無能チー牛だって思われてんだろうな、俺
ほぼ毎日少なくとも週4で朝から晩まで研究室いるんだけどな。無能なりに周りに比べたら頑張ってると思うんだけどな。
無給(どころか金払ってるのはこっち)でなんでこんな言われなきゃいけないんだ?
何しろ今死ぬほど研究したりしてることが社会に出てからほぼ使わないのがマジで辛い。
研究せずに遊びたいとまでは思わない、せめて研究が楽しいと思えるような毎日でありたかった
やってる研究自体は嫌いじゃないのに研究室が苦痛すぎて毎朝死にたい
学部4年のガキが甘えてんじゃねえよって思うよな
でも本当にごめん 俺にはマジで辛い
もう寝る前なんだけど今寝たら朝が来るから寝たくない 明日が憂鬱
「挫折は?」と聞かれたら私は間違いなく大学院での経験を取り上げると思う。
ほぼ書き殴り。
私は元々興味で突っ走るような人間だった。
学部でシラバスを見て「これ面白そう!」なだけで取る講義を決めるような人間だった。
大学院についても「ここの研究面白そう!」で決めて院試も特に苦労することなく合格、迷わず入学した。
だが、それがいけなかった。大学院経験者ならこの時点で察すると思う。
ブラック研究室でした。表向きが綺麗なだけで実情は教員が人格破綻していました。
研究報告で成果が出ない/少なければ特にM2は教員から恫喝される研究室でした。
それ以外にも男性にはパワハラ、女性にはセクハラが日常茶飯事。
その結果、2年間で先輩、同期、後輩が片手で収まらない人数消えました。
修士1年生の時は講義受けて単位取って練習実験で特に問題無かった。
修士2年生ではコロナの影響で研究室が4月から6月まで閉鎖、7月に私は就職活動が終了し、2021年3月には修了できる筈だった。
しかし元々実験が下手くそ、そして研究も思ったように全然進んでいなかった私。
9月頃から「お前は卒業できない」「留年だ」と教員から圧がかかり始める。「馬鹿だ」「間抜けだ」「お前は椅子に座ってぼーっとして何もしていない」等の人格否定も入り始める。
もっと早く周りに助けを求めれば良かったかな、10月に完全に不登校になりました。
朝起きられなくなり目が覚めても直ぐに身体を動かせなくなりました。3時間は布団から動けない。
自宅から大学まで1.5時間かかりますが通学に耐えられなくなりました。電車自体乗るのが辛い。
両親は共に働いており帰ってくるのは夕方。怪しまれないように帰ってくる前に何とか布団から起き上がって近所の本屋やネットカフェなど、何とかして時間を潰す。
もう自分が情けなくて仕方なかった。
11月に教授から電話がかかってくる。親に不登校状態が伝わる。
今の状態、研究室に行くのがもう辛いと伝える。親の反応「そんなの逃げだ甘えだ、ちゃんと行け」
・・・・・
その電話後、大学の学医に今の状態を伝えた。不登校状態のこと、電車も厳しいこと。「さっさと病院行け、多分診断書出る」
心療内科受診。親が自宅から病院に対し受診を止めさせるよう妨害もしてきたが今の状態を話す。適応障害の診断がおりた。休学を勧められる。
さっさと休学届と診断書を出して休むべきなのだが、休学届には親及び教員の捺印が必要である。
だが先述のように親が元々「精神疾患は逃げ甘え」論者+研究室の教員も信用出来ない状態であり、親については休学推奨だと言われた皆を話したが最終的に理解が得られなかった。
そして12月になった。研究室に行けない状態が続き教授からの連絡で留年が確定した。
自分も、両親も、大学も、研究室も、内定先企業も誰1人として望んでいない留年である。全員揃ってLose-Lose。
休学か退学か、の二択が言われた。留年してもう一年出来るとは思ってないのであろう。勿論当の自分も修論を書けるビジョンはもう無かった。
内定は取り消された。勿論内定先企業には何ら罪は無いので、後日誠心誠意謝罪を行った。
また後で分かった話だが、研究室側については前々から退学者が相次いでおり、今回の一件が決め手で獲得した科研費をある程度大学に没収されたらしい。
ブラック研究室なんて潰れろ
気持ちが落ちつかなくて、twitterの140字では収まらなくて、ずっと見る専だったここに初めて書き込む。
わたしの専攻は入試的にはゴリゴリの理系だったし、宮廷レベルの大学なので周りはみんな院に行く。それでわたしも3年生の12月までは自分の専攻の大学院に行くつもりだった。でも、わたしの専攻はいわゆるピペド的なやつ。企業と連携している専攻もあるらしいけど、わたしのところはそうではなく色々ググったら就職の役には立たない事を知った。専攻で学んでることは好きだけど、卒論もやってないのに研究を修士二年やれるのかわからないし、その後就職する見込みがないなら院行く意味ないと思って、4-6月で卒論進めながら教授とかに相談して決めようと思ってた。
そこにコロナが来た。
4月から大学は必修授業のない学生は立ち入り禁止で、教授とは一度も顔会わせず月一の研究計画書の提出と添削だけ。これがずっと続いたらやばいと思った。研究に向いてたらいいけど、向いてなかったら二年地獄だし、zoom会議もしてくれない教授の研究室なんて…
この時点で誰かに相談すればよかったんだけど、友達とか全然いないタイプの人間なんだ。同じ学部に話したことある人はいないし、軽音サークルの人とは音楽の話しかしない。就職課やエージェント?に相談する勇気もなく、教授にコンタクトをとる方法がわからなかった。ってか、レポートとかじゃない私用でメールを出すにはメール送信の許可を事務にもらう必要があると思って必死でHPで申請書探してた。今思えば阿呆らしい。
三年の時民間のインターンは10回くらい?申し込んでいたけど、いつも適性検査で落ちていたから民間は無理だと諦めてしまった。
座学だけは出来たので、色々ググった結果公務員試験なら受かると思ってギリギリで申し込んだ。初学の法学の区分で受けたけど、試験が遅れたおかげもあって余裕で通る。でも、面接で全部1日目で切られた。で、公務員試験が遅れたから、官庁訪問終わった時点で院試の出願期限三日前。公務員試験、クリアすれば官僚になれると思ってたんだよね。こんなことなら地方とかも出しとけばよかった
それで院試出そうと思ったけど、やっぱり研究に適正あるかわからんし、ブラック研究室の匂いがする。迷ってとなりの研究室にアポ取ったら、去年の研究不正の処分がまだ決まってなくて実験許可がでないかもと言われた。今いるm1は秋には全員研究室移籍するらしい。そんなことある?色々調べてるうちに出願期限、不戦敗になっちゃった
秋に卒論やりながら、自分にはそこそこ研究適正あるなって自信がついた。
で、似たようなことやってる文理横断系の地方大の院を見つけて藁にもすがる気持ちで出願した。
でも、受ける前からずっと行きたくない気持ちがあった。その大学じゃ文系の院卒だし、そもそも専攻自体就職ないから、文系院卒じゃ未経験の就職はキツイって聞く。だいたい、それやるのになんで地方行く?っていう話。今の研究室より確実にランクも落ちる。でも、今年の卒論優秀賞も貰ったのに留年するのも嫌で、受けに行ってアッサリ通る。
卒業決まって進学先に挨拶とかしなきゃいけない、それがマジでしんどい。贅沢な悩みよね、留年すればよかったじゃんって声が聞こえる。学部内で優秀な方だっていうくだらないプライドだったな…院のあいだに会計士でも取ろうかと思ってるけど、その時にはもう同期には追いつけないだろうな
研究職に就くつもりで大学に入学し、研究室に配属された後もバリバリ頑張るつもりだった。
でも研究室に所属して初めて、全く予想しなかったところで、研究職への道を挫折しかけている。
それは「同じメンツの人達と毎日長時間過ごすことが苦痛」ということだ。
研究室に配属される前から、大学に12時間滞在して勉強していることはままあった。
でも1人で過ごす12時間と、ほとんど他人と一緒に過ごす12時間は全く異なるものだった。
別に自分の行動に難癖を付けるヤツがいるとかじゃない。むしろ皆いい人なんだと思う。
でも、なんかもう自分の行動や表情が他人に何か思われるというのが苦痛なんだ。
しんどそうな顔をした時「大丈夫?」と心配されるのも、楽しそうな顔をしている時に「楽しそうだね!」と言われるのも、どちらも心に負荷がかかってしまう。
「大丈夫?」は、相手の気遣いであり有難いこと(あるいはただの社交辞令)だし、「楽しそうだね!」は話の種か見たままを言っているだけだと思う。
でも他人に表情をチェックされて管理されているような居心地の悪さがある。
思えば小学校から高校にかけて、休み時間になれば教室から出て行き、1人で校内をフラフラしたり図書館に行って過ごすことばかりだった。
大学入学以前から研究職として働くつもりだったのが、この有様。
研究室が辛すぎてこのままだと精神を病んでしまう気がして逃亡した。
といっても自分のゼミ発表の日はきちんとこなし、無断欠席する勇気はなかったのでおばあちゃんに入院してもらったことにして木金2連休をもらった。
研究室生活初の2連休をもらった朝、どうするか途方に暮れていた。友達は研究しているか仕事しているので、当日突然付き合ってもらうのは無理だった。
どうしようかな〜と思いながらふと思った。
温泉に行こう。
ということでじゃらんで昨日から1人で泊まれる電車で行ける宿を探し、速攻予約して9時には電車に乗っていた。
現地は全然なにもなく、とりあえず川を眺めてたり、人気のパン屋のために往復1時間歩いたり、森の中突っ込んだり(死ぬつもりとかじゃなくて趣味です)してた。
16時には宿にチェックインして、とりあえず横になりながらネトフリで見てみたかった梨泰院クラスを見てた。ご飯食べて温泉に入って買ってきた日本酒を飲みながら梨泰院クラスをみた。チェックインした時突然の予約でしたね、って言われたから研究室が辛くて衝動的にきましたと言ったら夜に特別にお菓子くれた。世界が優しい。眠くなったから寝て朝起きたらとりあえず温泉行って朝ご飯食べて梨泰院クラスをみた。
そうしたらずっと止まってた生理がきて、うぉーーーーーー!!!私はストレスから解放されて正常な体を手に入れたんだーーーー!!!と喜びに震えた。
みんなも辛くなったらおばあちゃんが入院したことにして温泉に行こう。
みんなの優しさにつられてうちの現状と大学のブラックさを吐き出してみた…けど、うちの研究科卒業した人なら誰でもわかる事例ばっかりあげてしまったのでびびって即消しました。
みんなに報告があるとすると、昨日と今日はめちゃくちゃ楽しかったのと、来週からは実験器具とか席を他の研究室に用意してもらって気持ちを新たに頑張るよ。とかですかね。
あと詳細は消したけど訴えたいのは、みんなが想像するブラック研究室やセクハラなどは大学に告発しても卒業や修了と引き換えに揉み消される問題ですね。そもそもパワハラ相談窓口になるような先生は研究科の中でも立場が下だから面倒な役職を押し付けられてるわけで、たかが数年で卒業する学生より、腐ってても実績のある先生と仲良くして自分のキャリアを守る方が大切なわけです。私は妙な正義感出してしまって立場が余計悪くなってしまったけど、いつか誰でも素敵な研究室ライフを送れる世の中になりますように。
当方ブラック研究室の大学院生。この数ヶ月コロナで自粛のためひたすら家で過ごしていた。
そうやって過ごしているうちに自分の本当の気持ちに気づいてしまった。
成長やら生産性やらキャリア形成やら他者貢献やら心底どうでもいい。
ただ毎日ダラダラして家族と一緒に過ごせればそれ以上の幸せは無いのだと。
私はそれは優秀な学生であった。
学業に勤しみ、実験の腕を磨き、日々成長して邁進していればその先に素晴らしい人生があると信じて疑わなかった。
しかしどんなに優秀な学生であったところで、それは優秀な奴隷への道でしかなかったのだ。毎日自分の労力と時間を切って渡す。そんな日々に私の求める本当の幸せがあるととても思えなくなってしまった。
毎日家の中で自由に過ごし、家族とともに食事をとる。毎日好きな時間に起きて寝る。
この至上の幸福をこの先どのように守っていけばいいんだろう。
もうすぐ夜が明ける。また研究室に行かなくちゃならない。
嫌だなぁ。
今の状態を鬱というには甘えだろうか…
しばらく研究室に行けてない、行きたくなく家に閉じこもってかれこれ2週間経ち、空腹を抑えるだけの無気力な生活が続いている
こうなったのにも原因があるのだが客観的に見た自分の状況を知りたくて今に至るまでを対話形式で書いてみた。
3月
4月
教授「お前は俺の下につけ」
ボク「わかりました!テーマなど貰えるのでしょうか?」
ボク「え、これって液晶じゃないんじゃ…」
この時から教授の押しの強さや先輩方の研究に対する意欲の低さに違和感を覚えていた。
5月
ボク「展望など教えていただけないでしょうか?研究の参考にしたいもので」
教授「お前は先の事ばかり考えすぎた、今言われていることをやれ」
この時から外部も視野に入れ行動、ちょうど同じレベルぐらいの他大学に液晶の研究をしていらっしゃる有名な先生を見つけ訪問、とてもホワイトで自由な研究室であることや研究室の学生の意欲の高さに感動する。
6月
教授「そろそろ大学院推薦願書の締めだが君の分が届いていないようだが?」
ボク「他大学も視野に入れているので一般受験で受けようと考えています」
この研究室がやばかった時の保険&訪問先の研究室への魅力から、受験までの間のこの研究室の様子を見て進路を決めようと決意
推薦進学すると他大学の受験が実質不可能になるので教授にはこの段階でばれる
7月
ボク「あの、この合成が終わったのですが次はどうしましょう?」
教授「好きにやれといったはずだ、テーマから何から1から自分で決めろよ、俺に頼るな忙しいんだ」
この時点でヤバいと思った。研究のテーマを自分で見つけて実行するなんて普通なら優秀なM2(大学院2年生)かD1(M2のさらに上の1年生)からの仕事だと後で准教授から聞いた。この時点で漠然とした気持ちから研究に身が入らなくなり、院試勉強に精を注いだ。
8月
9月前半
教授「お前院試も終わったんだからそろそろテーマ決めろよ、そのために学会の話もってきたからさ笑」
ボク「院試期間研究はしなかったので急に言われても厳しいです…ちなみにエントリー期限は…?」
教授「3日後だ。オレのメンツもかかってんだから絶対に出ろよ。ちなみにエントリーにはテーマ必要だから笑」
結局、3日間で死に物狂いで調べて考えてを繰り返したものの素人が考え付くアイデアなんて殆どその道の専門家にやりつくされているものばかりで、院試前にもしもの為に考えていたかなり無謀なテーマで提出した。
9月後半
教授「この装置使っちゃダメ、うちでは400℃までしか使ってないから」
ボク「念のため説明書を調べたのですが1100℃まで可能なようです。ボクの使う温度は700℃なのでやらせていただけないでしょうか?」
教授「お前リスク考えろよ、こんな意味のない研究の為に装置ぶっ壊すリスク負うつもりかよ?」
議論の中心となるデータを得るための測定がわけのわからない理由でつぶされ、学会に出すためのデータが1つに絞られてしまう。
10月
ボク「あの測定装置が使えない現状で今のテーマに沿った研究は厳しいです…」
教授「じゃあ仕方ないから提出したテーマに沿った別の研究考えて」
提出したテーマは広義の語句(機能改善といった類の語)を多く含むものだったのでまだ切り替えが効いた。
ボク「テーマと計画を考えました。試薬を発注すれば何とか結果がでるかもしれません」
教授「でるかもじゃダメだろ、出さないと試薬発注の意味がないだろ?来年はもういないお前の為に試薬発注なんてしてたら研究室に手つかずの試薬が増えるだけだろ?」
結局、自分が使おうとしている装置は誤差がひどく、±3程度の誤差が出てしまっていました。これでは結局発注してもその誤差が原因で信頼できるデータではなくなってしまうためこの計画も没になりました。
最後の覚悟で教授に研究相談をしに行きましたが、まあわかっていたことですがまともに取り合ってもらえませんでした。何をやっても否定されるこの状況が自分には耐えきれず、研究室に通う事すら難しくなっていき、結局連続で休みを頂いて2週間目になってしまいました。
まさか大学院を外部にするというだけでここまでの仕打ちを受けるとは夢にも思いませんでした。そして家から出る気力も最近はなくなり引きこもっています。これっていわゆるアカハラなんですかね…
野依センセだけじゃない。有機合成系の研究室というのは,基本的にブラックになる傾向がある。
合成の論文を見ると,少ない場合で数ステップ,普通は数十ステップの合成経路が書かれている。この合成経路の完成には膨大な人手がかかるからだ。教授やら偉い人が「なんとなくこの物質はこういう経路で合成できるんじゃないかな」とあたりをつける。場合によっては何通りもの経路を考える。で,そのステップの一つ一つを下っ端の助手やら院生やら学部生やらが実験してみる。
一発で合成が成功することなんてほとんどない。で,そうなると「溶媒変えてみろ」となり,数十通りの溶媒を試してみる。だめだと「触媒変えてみろ」になって,全部の溶媒と数十種類の触媒の組み合わせを試してみたりする。それでもだめだと「温度変えてみろ」「圧力かけてみろ」「光当ててみろ」とかなる。それらの膨大な試行錯誤によって一つのステップが完成したりダメと判明したりする。
一歩一歩が院生の数ヶ月をつかう作業で迷路を解いていく。それが有機合成化学という分野だ。でもって,多くの研究分野では複数の研究室が競争してたりする。たとえ合成経路が完成しても,他の研究室に先を越されたら何の意味もなくなる。
国立大学の研究室に通い、研究生活は良いスタートを切れていると思う。
先日も、僕がファーストオーサーの論文に、すごくポジティブなreferee commentが返ってきた。
指導教員は、いわゆるブラック研究室とは無縁の人で、教育的配慮の行き届いた接し方をしてくれており、不満はない。
なにより、こんな年齢でも実家暮らしで学生をさせてくれている両親に、最大の感謝をしないといけない。
ただ、巷間言われるように、理系学生には、同世代の女性と知り合う機会が全くと言っていいほど無い。
僕も例外ではなく、先月会話をした身内以外の女性は、顔見知りの中華料理屋のおばちゃんくらいだろう。
趣味の場に出会いを求めよとの声も聞こえるが、僕は生憎、ハードコアなアウトドア活動が趣味で、これがガチガチの男社会なのだ。
かといって、クラブでナンパする勇気もなく、マッチングアプリを使う気も起きず、ともかく恋愛に対して、浄土宗の如く他力本願的な態度を取ってきたのである。
そんな感じの僕は、彼女が今まで27年間の人生で一度もいたこともなく、二人きりで出掛けたことのある女性は一人を除いて存在しない。
その女性Aとは昔の知り合いであり、ひょんなことから再会し、似たような趣味を持っていたことから、二人で食事などに出掛けるような関係になった。
モテない童貞(これがポリコレ的にNGなのは認識しているが、恋愛における自らのダメさを手っ取り早く表現する目的なので、海容を願う)である僕には告白する勇気もなく、時間が過ぎた。
ようやく何かが進展するのではと、当然期待は高まる。
意気揚々と落ち合った途端、女性Aから彼氏がいると告げられた。
目の前がグラグラしたが、とりあえず旅行は無事に終え、僕は、餅で押し出された二年グソのように女性Aに告白した。
そのとき、可能性は確かに存在し、僕と付き合うとメールをもらったが、女心と秋の空、すぐに、やっぱり僕とは付き合えないと二伸があった。
前置きが長くなったが、彼女がいない僕でも考察するに、パートナーという存在を持つ人は、本業にとてもポジティブなフィードバックがかかっているのだろう。
僕は色々あって、研究室には年下の先輩がいるのだが、彼は非常にアクティブに成果を挙げている。
彼女を持つ彼は、彼女からすごく好意を持たれているのだと(聞きたくもないのに)教えてくれる。
僕はと言えば、還暦を目前にした夫婦の冷え切った仏頂面が家で待つのみだ。
毎日、携帯に自分を好いた人からメッセージをもらうことは、研究にとてもポジティブな効果をもたらすに違いない。
もちろん、両親は僕の研究したいという進路選択を応援してくれる、最大の理解者だ。
ブラック企業という言葉が市民権を得てしばらく経ちますね。毎年、ブラック企業大賞なるものが発表され、だれもが聞いたことのあるような企業が名を連ねます。それに対し、ブラック研究室という言葉も有名なものの、どこの研究室がブラックだとかいった情報は大学内部の学生でないとなかなか知りえないものがあります。ましてや研究室の内情は所属している学生しか分かりません。
今回は、そんな研究室の中でも異質なケースとして、自分が修士課程の2年間過ごした研究室の話をみなさんに紹介したいと思い、筆を執りました。必ずしも拘束時間が長く、人格否定を行うような研究室だけが悪い環境ではないということ、メディアなどでよく見かけ、有名で人気な研究室が良い環境であるとは言えないということだけでも皆さんに覚えていただきたいです。後進の方々の研究室選びの参考に少しでもなれば幸いです。
第一に、とにかく人員が不足していたというのがあります。まず、先生(教授・講師)はあまり研究室にいませんでした。先生たちは予算の獲得や大学内外の事務に追われるため、多忙になります。基本的に助教や研究員・博士課程の方が下の修士・学士課程の学生の面倒を見ることになります。これだけなら普通なのですが、先生が後先考えずにどんどん仕事を受けてしまうことにより、プロジェクトに対して人間が足りていない状況が常に生じます。(先生曰く「断るの苦手なんだよね~」とのこと。)その仕事は研究だけではなく、各メディアの取材や研究室見学など多岐にわたります。自分が研究室に配属されて一年は、講義を受けるほかに、(詳しくは後述しますが)研究室の立ち上げ用に物を発注したり組み立てたり、見学者対応をやる日々で、ほとんど研究はしなかったように思います。さらに、月一くらいの頻度で(今はだいぶ減りましたが)先生のお友達を呼んで講演兼パーティーをやる準備や、先生の思い付きで増える仕事などに日々忙殺されていました。また、インターンやアルバイトといった形で外部の学生を呼んで研究してもらうこともあり、その人達は雑用をする義務はなくお金をもらいながら成果を出していたのに対し、学費を払っている学生は雑用に追われるといった状況もありました。事務スタッフも教授が所属している社団法人の経理をさせられたり、共同研究先の企業から出向(?)の形で来てた研究員の方も、後述の巨大予算の運営周りの仕事をやらされたりとひどい状況でした。
第二に、新設の研究室で、研究を行う環境づくりをゼロから始めなければいけないことがありました。これは事前からわかっていたことではありましたが、自分の想像以上の大変さでした。情報系の研究室なんて机と椅子とPCを発注すれば、あとは個々人の研究に応じて必要なものを買い足していくだけだろうと思っていました。しかし、先生の方針で、リビングラボという生活空間と研究室が融合したような形態でラボを運営することが決まっていたため、それを満たすような研究室の構築に修士の最初の一年は消えました。なぜ一年もこのようなことをしていたのかというと、9月ごろに先生がとある巨大予算を獲得し、学生・スタッフを増員するとの方針でキャンパスを移動することに決まったからです。一度ゼロから作り上げた研究室をもう一度ゼロから作り上げることになりました。自分としてはキャンパス移動ですら最初に聞いていた話と違うので、とても不満に思いました。通学時間も10倍以上増え、それだけでも大きな負担となりました。(授業は元のキャンパスでやることがほとんどで引っ越すわけにもいきませんでした。)
このような状態でまともに研究が回るはずもなく、助教(自分の所属する学科・専攻で博士までとった唯一の人)はやめてしまいました。そこから、特任研究員の方に学生指導の仕事が集中します。(本来、特任研究員は助教とは違い、学生の指導ではなく自分の研究に専念するという名目で雇用されます。)そして、社会人博士の方がその有能さゆえに研究室内の仕事を一手に引き受けこなしてくれたおかげでなんとかなっていた(?)のですが、当然彼らも自分の研究は進みません。
第三に、教授・講師間でうまく連携が取れていなかったようにも感じました。二人とも物事を放置・後回しにしたり散発的に進んだりと、計画性とは無縁の進行でした。ミーティングでもその場の思い付きのアイデアで話を発散させるばかりで収束には向かわず、学生はどうしたらいいか当惑することが多かったです.
さらに、二人の共感性の低さも研究室内の人間関係に大きくヒビを入れていました。特に事務の方々への接し方や飲み会の席(講師は酒を飲まないので主に教授ですが)での学生に対する発言は聞くに堪えないものがありました。(詳しくは後述)
また、学内の期限(修論の題目の提出など)を過ぎてから学生に通知したりと時間・期限に非常にルーズでした。そのことを詫びる様子もなく平然としている様子も腹が立ちました。その結果、学生や事務員が期限を守らない印象を外部に与えていたのではないかと懸念しています。
オーサーシップ周りに関しても不満が残りました。これは自分ではないのですが、大して面倒を見てたわけでもないのに、camera readyになって急に講師が「見るからオーサーに載せろ」と主張してくることがありました。 教授もゴーストオーサーの常連だからかそれには強く言わず結果的に受け入れられる形となりました。学生側としては教員陣の命令に背くわけにもいきませんしね。(この話に関しては、この研究室に限らず、分野としてそういう傾向があるのかなあと思います。他研究室の話は詳しく知りませんが。)
このように研究室としての体を全くなしておらず、自分を含め最初3人いた同期修了出来たのは自分だけで、1人が休学、1人が留年という形になりました。(もう一人修了者はいますが、別の研究室がなくなった結果移ってきた人です。)
次に、研究室の主である教授の性格が合わず、人間として尊敬できなかったということについて話したいと思います。上司と合わないということはよくあることだと思いますが、よくあることだからこそ、記しておきます。
初めに、衝動的な発言や暴言が多く看過できないということがありました。衝動的気質に相まって、酒癖の悪さがそれを助長していました。例えば、論文を提出できなかった学生に対して「負け犬じゃん」といったり、昔自死した学生に対して「勝手に死んだんじゃん」などといったことがありました。(なお、これらの発言は学生や職員に窘められ即座に撤回しましたが、そう思っていたという事実は消えないと思います)。その他にも配慮のない発言が多くありました。
また、自己顕示欲の強さとマウンティング(いわゆるイキり)が挙げられます。「君たちは潤沢な資金のあって、待遇のいいこの研究室に来てラッキーだ」などといった身内へのイキりを聞いた時は、上で書いたような現状に疲弊していた自分の感情を逆なでするのには十分でした。また、自分は偉く、自分が言ったことはどんな無茶でも通ると思っているきらいがあり、無茶な予算申請で事務の人を疲弊させることが多くありました。それにあきれ果てた事務の人が次々とやめることがあり、その結果事務仕事が逼迫することもありました。怪しい予算の使い方をしていて、機構の人に怒られたみたいな話を聞きました。大学に目をつけられているのはいわずもがな。
内弁慶というわけではなく、外部の人間に対しても自分を良く見せようとしていることが多く、鼻につくこともありました。自分にはこのような先生の在り方が、いわゆる口だけの軽薄な人間に感じられてしまいました。いい環境を作りたいとは口では言いつつも自分は何もせず下の人間が苦労したり(「然るべきとき然るべき場所」というアイバン・サザランドの言葉をよく引用しますが、これが「然るべき場所」なら笑止です。)、自分は人脈のハブだといいつつスタッフをなかなか引っ張って来れなかったり(前の大学にいるときこの業界で悪評が立ち、人が来たがらないとの噂)とあきれかえることが多かったです。他にも「教育が最優先」と口では言いつつも後回しにしたり、下の人間に任せているようなことなどとにかく「口だけの人間」というイメージです。隔月で1回20分ほどの面談で教育したということなのでしょうか。
専門用語を拡大解釈して援用することで知識人を気取るようなスタンスが多く見受けられたのも癪に障りました。例えば、「インピーダンスマッチング」という、高周波の電気信号の伝送路において、入力と出力のインピーダンス(電圧を電流で割った値で直流回路では抵抗にあたります)を合わせるという意味の言葉があります。この単語は力学などでも用いられます(こういった多分野に共通する背景理論を研究しようという思想を持っているのが我が学科・専攻です)が、これを特に理論的背景もなく「折り合いをつける」くらいの意味で使って、さも各分野に精通している感を醸し出すことに長けていました。他には「バウンダリーコンディション」とかもありますね。微分方程式で言うところの境界条件です。これを前提・条件みたいな意味で使います。(こちらについては検索すると若干引っ掛かりますが。)これらにツッコミを入れた学生は以降食事会に呼ばれなくなりました。自分に媚を売らない用済みな人間は簡単に切り捨てるようです。こういった拡大解釈した単語を用いてアナロジーを使い、自分の分野に話を引き寄せるのは上手いなと感じていて、知識がない人を煙に巻いたうえで自分の得意技を披露するのは、非常に参考になると思いました。
3つ目に研究分野であるHCI研究(と研究者コミュニティ)との不適合について書きたいと思います。これは研究室自体の問題というより、自分との相性の問題ですが、研究に着手できなかった大きな要因のひとつです。
そもそも、自分はどちらかというと、巨大で合ったり高性能であったりするものを着実に組み上げていくのが好きで、アイデア勝負だったり、プロトタイピングといった手法だったりが受け付けなかったというのがあります(同じような人のエントリ https://swimath2.hatenablog.com/entry/2018/07/30/205255)。
また、この研究分野は、一見役立たなさそうなおもちゃのようなものに、理屈をこねくり回して正当化させるのが多いように感じ(もちろんすべての研究がそうというわけではありません)、興ざめしてしまったのも要因の一つです。元々内向的な性格なのもあって、自我・意識などに興味があり、ならば「人に興味があるということであり、工学的なアプローチで人の研究をやれるのはこの分野だろう」という薄い理由で選んだのもあって、この不適合はモチベーションに意外と大きく関わりました。学部時代の成績は良い方で(必要な進振り点はそこそこの学科でしたが、コース内ではトップクラスと周りには言われていました)院試も第一希望で通りましたが、勉強ができるということが研究できるというわけではないという言葉を痛感しました。ただ、この研究室を選ばなければ、自分ももっと研究が出来ていたのではないかと思い、研究室の選択を毎日後悔しています。
それではなぜ、このような大きな問題点が数多く存在しながら、この研究室に進学してしまったのでしょうか?
第一に、自分の所属していた学科は、院試が卒論の研究室配属より前に存在し(実質4か月で卒論を書かないといけないのです)、自分の研究および研究室への適性がいまいちわからないまま、修士で進学する研究室を決めなければいけないという点が挙げられます。(一応研究室に配属されてプチ研究のようなことをするのですが、研究室生活とは程遠いので参考にするのは難しいです) それに加え、卒論の研究室と修論の研究室を別にするという慣習があり、卒論配属後合わないから冬入試を受けようというのも難しいです。
第二に、サークルの先輩(同じ研究室ではないです)にこの研究室を勧められたというのがあります。サークルの飲み会の時に、同じ分野で研究をしている先輩に、「この研究室はいいところだし、一期生として面倒を見てくれる」と勧められたというのがありました。当時は若く、盲目的に先輩の話を信じてしまいました。悪い噂が流れてこないなら大丈夫だろうと。それに先生の記事はネット上で見たこともあり、先生の研究も科学雑誌を通して知っていたこともありました。学科内でも新設の研究室に関わらず人気があり、これは安パイだろうと考えていました。今考えると人気・有名だから自分にとっていい環境だろうと考えるとは愚かなことです。(ちなみに、この先輩はD取得後うちの研究室の内定を蹴り、他の研究室のポストに就くそうです。)
第三に、一番重要ともいえる点ですが、上でも書いた通り自分の大学では新設の研究室で、情報が流れてこなかったというのがあります。今思えば前の大学のOBの方などに話を伺うなどをすればよかったとも思いますが、学部の勉強やサークルに追われていてそこまで気が回らなかったし、回っていたとしてもする余裕まであったかわかりません。しかしながら、新設の研究室に進学するというのは大きなリスクをはらんでいるということはもっとしっかりと自覚するべきでした。これを読んでいる方でもし新設の研究室に行くという人がいれば、もう一度自分の選択をよく考え直してほしいです。
ブラック研究室といえば、拘束時間が長いとか日常的な人格否定などがやり玉に挙げられやすいですが、最近では放置系ブラックなどという言葉も耳にする通り、劣悪な環境というのは色々な形で存在しています。また、他人にとっての良い環境が自分にとっても良いとは限りません。トルストイは著作に「幸せな家族はどれもみな同じようにみえるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある」(望月哲男訳、光文社古典新訳文庫)との言葉を残しています。研究室も一つの小さなコミュニティであり、同じことが言えるのではないでしょうか。これから研究室に配属される人には慎重に自分の進路を考えていただきたいと思います。このエントリを通して構成員がみんな幸せになるような運営に変わってくれると嬉しいです。