はてなキーワード: @niftyとは
自分が@niftyのADSLと契約したのが2000年だったと思う。インターネットが、時間を気にせずに、生活の中にがっちり組み込まれたのはそれ以来だ。以来22年。2003年くらいからブロゴスフィアなるものが登場した。ネット論壇は高度で刺激的で、礼儀を守りつつ論争的であった。自分の体感的には2008年くらいから、「あれ?」と思うことが多くなってきた。はてなブックマークもそこから如実に子供の言い合いのような罵倒コメントが増えてきた。それまでは仮に、イラッと来る言論があったとしても「お言葉ですが、かくかくしかじかの理由で、お考えには多少の齟齬があるのではないでしょうか」くらいにぐっと堪えたものである。2008年ぐらいから急に「やーいやーい、うんこちんちん」みたいな反応が多くなった。
何が変わったんだろうと考えてみると、だいたいゆとり世代が成人し始めるのがそれくらいからであった。ゆとり世代は17年間続いたので、今がちょうどネット活動世代のヴォリュームゾーンかも知れない。明らかに、日本語を読めてない人たち、過度に構図を単純化する人たちが増えてきた。
「ウクライナ兵の決死の戦闘に敬意。終結するまでロシア 軍を叩き潰すしかないが、報道がきちんとなされているか懸念。」
これが従前からの、人命を守るために早く降伏しろと言う彼の持論からの手の平返しと叩かれた。
手の平返しだろうか。以前からのロジックとかけ離れているのであれば、その解釈をまず疑うべきではないだろうか。
「人命のためには降伏が早い方がいいが、それもできないというならば人命を犠牲にしても終結までロシア軍を叩き潰すしかない」
と読めば何の矛盾も無い発言であるし、実際、これ以後の氏のコメントを見るにこの解釈が妥当なのだと思う。報道がきちんとされていないという橋下氏の主張は、ゼレンスキーが全体主義的な強権を発動して国民を盲目にしていると言う橋下氏の見解に沿っている。このtweetの主眼が後段にあるのは明らかだ。
しかし大半の人がそれを読めていなかった。
ウクライナ戦争への評価の話ではない。単純に日本語読解力の問題である。
次に相手に都合がいいように解釈してみると言う精査の段階を欠いている。端的に言えば自己肯定、万能感が強すぎる。客観性が欠如している。
更に悪魔視した相手だと罵倒の限りを尽くしても構わないとする、異論排除傾向と念のために礼儀を守っておこうと言う安全策をとらない無謀さが顕著である。
昔はよかったとは安易には言いたくない。
しかし今の20代30代のヴォリュームゾーンは20年前と比較しても明らかに水準が低下している。IQが30くらい下がっている印象を受ける。
私は「インターネット上で故人のブログが閲覧できる」ということを知り、廃墟サイトまとめを閲覧していた。
そもそも一体なぜ私が故人のブログに興味を持ったのかということについて述べたいと思う。中学生の頃、図書館で南条さんの本を借りた。当時私はリスカやアムカを常習的に行っていた。そのような自傷行為がきっかけで南条さんの本に辿り着いたと記憶している。
本には、南条さんという人物について、また彼女がインターネット上に残したものについて書かれていた。
「死んだらインターネットで公開したものが残り、さらには書籍化されるパターンもあるらしい」
衝撃だった。
南条さんは、生存した証をインターネット上に残して死んだ。いや、「生存した証がインターネット上に残ってしまった」と言い表した方が正しいのかもしれない。
さて話を戻すと、インターネット上で閲覧できる故人のブログというのが、二階堂さんの「八本脚の蝶」という日記サイトだった。利用されていたのは「@niftyホームページサービス」で、このサービス名から推測できるように、当時はまだ世の中に気軽に開設可能なブログサイトは広まっていなかったのかもしれない。
二階堂さんもまた、南条さんと同様にに生存した証をインターネット上に残して死んだ。特筆しておくべき点が、二階堂さんは南条さんと異なり「自らの意志で生存した証をインターネット上に残して自殺した」という点である。
私は、南条さんも二階堂さんもインターネット上でリアルタイムにて追うことができなかった。そのことについてなぜか「残念だ」と感じてしまうの自分自身の気持ちが不謹慎でたまらなかった。
インターネットではブログサービスの代りに増田が流行り始めた。私は主にメンタルヘルスについて発信している増田を好んで見ていた。そのうちそのクラスタ内のある増田について「どうやらあのアカウントの持ち主は自殺したようだ」と囁かれている場面に何度か遭遇するようになった。
このような場面を目撃し私は、非常にモラルの欠けた発言になるのだが「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と感じるようになっていた。
さて、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化され河出書房新社より発売された。文庫化されるという情報を得た時点で既に私は、自分の心の中で妙にひっかかるものを感じていた。故人の尊厳について考えた。
前置きは長くなったが、本編の日記を読んで感じたことを述べていこうと思う。
私はいつの間にか、2001年当時自分が何をしていたかということについて思いを馳せていた。2001年6月13日水曜日、私は小学6年生だった。私は6年生のゴールデンウィークに旅行先で体調を崩し、風邪をこじらせてしまい入院した。自宅で寝ていると熱がぐんぐん上がり、布団に包まっても寒くて寒くてたまらなかった。後になって改めて親とその話をしていると、どうやら熱性けいれんを起こしていたらしい。
ところで北海道の運動会は春に行われる。私は運動会当日までに退院することができた。当時の担任の先生が「持久走どうする?」と確認してきたので、私は「徒競走だけ出ます」と答えた。グラウンド5周の1キロなんて走りたくなかったのである。
私にとってそんな小学校最後の運動会が終わり、初夏なのか蝦夷梅雨(北海道にも一応梅雨のような時期が一瞬だけ存在する)なのかわからない曖昧な気候の中で、小学校生活を送っていた。おそらくそれが、私の2001年6月13日水曜日だったのではないかと思う。
2002年4月8日、月曜日。おそらくこの日に私は中学1年生になった。中学校に進学したといっても、私が通っていたのは小中併置校だった。わかりやすく説明すると、小学生の教室が校舎の2階にあって、中学生の教室が3階にあるということだ。つまり中学生になると階段を上る段数が増えるだけのことである。
私は新学期の校舎の何とも言えないにおいに敏感な子どもだったので覚えているが、小学生のフロアと中学生のフロアとでは、においが異なっていた。中学生の階の廊下や教室は、やはり中学生らしい大人っぽいとでも言ったらいいのか、とにかく少し変なにおいがしたのを覚えている。
4月も8日頃となると、多くの会社にとっては新年度の区切りを迎えてから数日経過したというところで、まだ新しい環境には慣れていないという時期ではないだろうか。
2002年4月8日の月曜日、二階堂さんにとってのこの日は、ある本に引用されていた詩を見つけることができた日ということになっている。どうしても読みたくて探していたのだという。彼女にとってのちょっとした記念日であるように感じられる。
2002年の3月末~4月初旬の彼女の日記を確認してみると、すっぽりと更新されていない空白の期間になっていることがわかった。年度末から年度初めは、やはり忙しかったのだろう。
彼女は文学部哲学科を卒業した後、編集者・レビュアーとして働いていたようだ。新年度が始まって早々しかも平日に、ずっと探していた本が見つかったという出来事を日記に書くほどに、彼女は本に対してかなり熱心な人物だったんだろうとぼんやり想像する。
2003年4月1日火曜日、この日は平日だ。
平日だが、二階堂さんの日記は「その一」「その二」「その三」「その四」「その五」「その六」「その七」、これに止まらず「その八」「その九」、さらに続き「その一〇」「その一一‐一」と綴られている。私はそのことに気付き、なんだか雲行きが怪しくなってきたと感じた。「その一一‐二」「その一二‐一」「その一二‐二」と日記は続くが、いくら新年度の決意表明にしても長編すぎやしないだろうかと思う。「その一二‐三」の日記の次に、彼女はやっと翌日の4月2日を迎えられたようだ。
しかしその4月2日水曜日の日記のタイトルは「その一」とある。この日は「その七」まで綴られているが、分割されている記事もあることを踏まえるとトータル9回更新されたということなのだと思う。おそらく当時はスマホなど普及していなかったはずなので、勝手な個人的な予想になるが、彼女は自宅で夜中になるまで複数回にわたってブログ記事を投稿したのではないかと考える。もしくは、職場のPCから小分けして投稿していたという可能性も考えられる。しかし、2002年4月8日月曜日の日記から判断する限り、彼女であれば絶対にそんなことはしないのではないかと思う。
一投稿あたりの文字数は、今でいうブログ(いわゆる収益化を目的としたブログ)と比較するとかなり少なく感じられる。
しかし彼女の複数回に及ぶブログ投稿を現代の増田で例えるなら、短文の増田をかなりの回数にわたって連投しているという状態に置き換えられるのではないかと思う。多くの人はそのような増田のことを、はてなーもしくはいわゆる「病み増田(メンタルヘルス系の内容を扱う増田の中でも特に思春期の中高生が該当するように思う)」に分類すると思う。事実私も、一晩にかけてそのように連投しているアカウントを見かけると、どうしてもメンタルヘルス系の悩みでも抱えているのだろうかと見なしてしまう。
さて連続して投稿された日記の内容はというと、私が生きてきた中でそのタイトルも作者も聞いたことがないような本からの引用である。また、彼女が数年前に受け取ったと思われる知人からの手紙を引用している投稿も見られる。
ふと私は、おそらく二階堂さんは思考の整理のためにブログを使うというやり方をとるタイプの人間ではないだろうかと感じた。というのも私も時たまTwitterをそのような用途に用いるからである。そしてどういうときにその思考の整理をするかというと、それは「ものすごく死にたいが、どう対処していいか方法が見当もつかないとき」である。これについては、もしかするとピンとくる方もいるかもしれない。そのようにしばしば私はTwitterで思考の整理を行う。なぜなら自分自身の脳内の回転及びそれによって生じる思考をインターネットに吐き出さなければ、到底処理しきれない状態に陥っているからだ。
そしてなぜあえてインターネットに吐露するのかというと、リアル社会には私の話を聞いてくれる人が存在しないからだ。私にとって、リアル社会で相手の様子を窺いつつ的確なタイミングでふさわしい言葉で相談を持ちかけるという動作は、極めて難しい。過去に何度も相談時のコミュニケーションに挫折する経験を重ねたことがきっかけで、そのような事態に辿り着いてしまったのではないかと疑っている。
彼女の本心は今となってはわからない。そのため私のような人間が、勝手に彼女と自身を重ね合わせ、どこかに類似点があるのではないかとあれこれ想像してしまう。
ふと、彼女の死とはこのような在り方でよかったのだろうかと思わず考えてしまう。死後に自分の作品が残るとは、そういうことなのだと思う。
2003年4月に私は中学2年生になり、無事に厨二病を発症した。インターネットに本格的に参入したのは、この時期だったかと記憶している。休み時間には、情報の担当教諭がヤフージオシティーズのアカウント取得を手伝ってくれた。
やはり、当時はまだブログがそこまで一般的なものではなかった。私はまずは無料レンタルスペース(現代でいうレンタルサーバーのようなもの)を契約し個人サイトを作っていた。そしてレンタル掲示板を設置し、同盟バナー(ハッシュタグで繋がる文化など当然存在しなかったため、共通の趣味で繋がる同盟という文化が主流であった)を貼り、繋がっていた。あの頃はそのような時代であった。
私は夜な夜な日記(これはノートに綴った日記であった。というのも夜はインターネットができない家庭環境にあったのだ)を書き、アムカをするようになっていた。田舎特有の地域性、そこで生じた問題、そして本来の私の性格と一体何が根本的な原因であるのかはわからないが、ちょうど家庭内でもそこそこ大きな出来事が発生し、私は混乱のさなかにあった。
やがて私は個人サイトの別館を作るようになった。それはおそらく現代でいうTwitterの複垢(サブアカウント)のような類に非常によく似ているのではないかと思う。私はやがて、いかにも「メンヘラポエム(笑)」と晒されそうな文章を拙いながらも公開するようになっていた。
私は日本におけるインターネット内でポエムが馬鹿にされる風潮にいまいち納得がいかないので補足するが、あの頃は「テキストサイト」とカテゴライズされる個人サイトが充実していた。現代詩ともエッセイともいえない、インターネットならではの文章をポートフォリオのようにまとめた個人サイトは、当時かなり多くみられたように思う。
このように、思春期も相まって私は何かと思いつめて過ごす時間が多かった。先に述べたアムカをするようになったのは、確か半袖を着なくなった秋頃だったかと記憶している。
二階堂さんの日記は2003年4月26日の土曜日で更新が途絶えている。4月26日というと私の誕生日の翌日なのだが、そんなことなど今はどうでもいい。4月26日の日記は、6回更新されている。「その一」「その二」「その三」、そして「お別れ その一」「お別れ その二」「お別れ その三」という題で投稿されている。
そしてその後に、おそらくこれは投稿時間を設定したことによる自動投稿なのではないかと思うのだが、「最後のお知らせ」が更新されている。その内容は、「2003年4月26日のまだ朝が来る前に自ら命を絶ちました」という旨を報告するものである。
人の死についてあれこれ憶測することが心苦しいが、おそらく夜中のまだ朝が来る前に、最期のまとめとお別れの言葉を、何人かの対象に向けてそれぞれ投稿したのではないかと思う。そして、2001年から更新が続いていた日記をありがとうございましたという言葉で締めくくり、パソコンをシャットダウンしたのかどうかはわからないがきっと彼女のことなら身支度を整えてどこか高い建物へ向かい、そして亡くなったということだと思う。
断っておくと、私は『八本脚の蝶』すべてを読破したわけではない。二階堂さんが好んだ幻想文学などの専門分野について私は詳しくないため全文の理解が困難であるという言い訳により、私は挫折した。しかし何とも言えないモヤモヤとした疑問が残った。
冒頭で私は「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と述べた。再度ここで明記するが、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化された。
もしかするとインターネットに生きた証を残して自殺するということは最悪な選択肢なのではないかと私は思った。というのも、自らの意志に構わず書籍化され、需要や編集者の熱意があれば数年後に改めて文庫化されるというパターンもあり得るということが今回わかったからである。
果たして彼女はそのようなことを望んでいたのだろうかと、厚かましくも疑問に感じてしまう。世に広まるということは、全く想定していないターゲット層にまで届いてしまうということだ。もしかすると「自殺なんて弱い人間が行うことだ。自殺をする人間は敗者だ」などと主張する層に触れ議論を呼ぶこともあり得るかもしれない。
事実、書籍化された『八本脚の蝶』は私のような読者にまで届いたし、加えて私は今こうしてこのような文章まで書いている。果たして私のこのような行為は許されるものであろうか。
文中で軽く触れたが、私にとって増田は思考の整理のためのツールとして役立っている。
私は物心ついた頃より、「この子はぼんやりと過ごしているねぇ」と周囲から見なされることが多かった。しかしその一方で、「あなたは随分と真面目だね」などと言われる場面もたびたびあった。その理由について私は、私の脳は必要以上に過剰な思考を行っているためではないかと考えている。
私にはストレスや言いたいことを溜め込む傾向がある。「我慢しちゃだめだよ」とかなりの数の人たちから言われた経験がある。しかし、言える相手に言える範囲で相談をし、さらに増田で大量に噴出しても追いつかないのが残念ながら現状なのだ。
私は、増田を含むインターネットとは「最後の砦」であると考えている。リアル社会で捨てきれない期待をインターネットに託している。もし私がインターネットに見捨てられたなら、どうにかして確実な方法で間違いなく命を絶つと思う。それほどまでに私はインターネットに縋り付いている。
果たしてインターネットは苦しみの最中に置かれた人間にとっての救いとなるのだろうか。
今となっては、様々な利用目的によりインターネットは利用されている。インターネットで事業を興し収入を得る個人も随分と多く見かけるようになった。しかしインターネット上に人が増えたわりに、一向に私はそこで救われることがないように感じる。
私はリアル社会の中で、絶望に絶望を重ねている。冷静に振り返ると自滅して傷ついている場面が多いようにも感じられるが、何らかの救いを求めてインターネットに入り浸っている。もしも私がインターネットに絶望しきってしまったのなら、それは完全に終了の合図だ。「死」以外に何もあり得ない。
インターネットを彷徨っていると、「死ぬ以外の選択肢が無いために死ぬという選択を取った」という人間が多数存在することに気付かされる。
二階堂さんが一体どうして「八本脚の蝶」というウェブサイトを立ち上げたのか私にはわからない。もしかすると彼女の日記のどこかで触れられているのかもしれない。
しかし、私にはそのことについて何時までもこだわっている時間は無い。正直に言うと、小康状態を保ちながら生きていく上では、他人のことを気にかける余裕など皆無なのだ。そして当然なことであるのかもしれないが、健康な人間にとっても同様に、いわゆる「生きづらい人」を気にかける余裕というものは本当に無いらしい。最悪の社会だと思う。
しかしその「最悪な社会」だからこそ、インターネットは救済希望者を受け入れて欲しい。私の意図することをより明確に言い表すなら、「すべての利用者がインターネットを通じて他者を救済する世界であって欲しい」。
相変わらず私はぐちぐちと思考の飛躍や感情の上下運動に振り回される様子を、増田のしかも匿名で披露している。どうかこのことに何らかの意味があって欲しい。
私は自分自身の人生について、「あまりにも辛く、ほとんどの時間を疲れ果てた状態で過ごし、さらに今にも死にたくなる瞬間がたびたび勃発してしまう」ものであるように感じている。それならば、私の不幸によって同じようにどこかで苦しい思いをしている誰かが救われて欲しい。
「自分自身とよく似たパーソナリティの人物の言動や思考を知ること」は、抱えている苦しみを解消することにかなり役立つのではないかと思う。そのような情報を医療機関で提供してもらう機会が少なく、私はインターネットに救いを求めている。そういうわけで私は毎日欠かさずインターネットを利用している。
私はインターネットヘビーユーザーのまま亡くなっていったすべての人たちを観測したわけではないが、目にした限り彼らは社会に対する憎しみを叫ぶことなどせずにこの世を去っていったように思う。彼らに共通することとしては、後世に何らかの表現方法でアドバイスを残し、そして希望を託して亡くなっていったように感じられる。
私は彼らから希望を託された側として生を続けたいと思う。そしてそれがいつまでの期間になるかはわからないが、インターネットに救いを求めつつも、積極的に自分自身の不幸を開示していこうと考えている。
nanapiが今月末でサービスを終了することが発表された。【重要】暮らしの情報サイトnanapi 更新停止のお知らせ | nanapi [ナナピ]
nanapiは何かと検索するとヒットすることも多く、日常生活におけるためになる情報を発信してきたが、ついに更新を
終了し、ページ自体はアーカイブとして残すという決断をしたのだそうだ。
ここ数年、無料で提供されてきたニュースサイトやウェブサービスの有料化や終了が相次いでいる。記憶に新しいのは
ジオシティーズだろうか。過去にはInfoseek Iswebや、フリーティケットシアター、そしてプロバイダ系では@niftyが
接続会員向けに提供してきた@homepageなどが存在していたが、いずれも閉鎖してしまい、現在1990年代~2000年代の
貴重な個人サイトを再び見ることはほとんどできなくなってしまった。
閉鎖の理由は昨今では必須とされるhttps通信にどうしても対応できないとか、既に利用者も減っておりこのまま継続
する必要が無いと判断されたなどいろいろな理由が考えられるが、ここ数年で一気に普及してしまい終了につながる
ことにもなりかねない問題が出てきた。コンテンツブロック(いわゆる広告ブロック)機能の定着である。
コンテンツブロック機能は、過去から一部のユーザーにとっては当たり前のように利用されてきたが、hostsを書き換
える方法や、その機能を搭載したブラウザを導入し設定をしてようやく使えるようなものが多かったため、2013年あたり
までは大きな問題にはならなかったのだろうと思う。しかし2014年、続けて2015年に転機が訪れた。
2014年の「uBlock(現在はuBlock Origin)」と、2015年のiOS9で搭載された「コンテンツブロッカー」の登場である。
それ以前は、NoScriptやAdblock PlusがPCでは主流のコンテンツブロックソフトとして使用されてきたが、上記ソフト
と比べてしまうと洗練されておらず、使いこなすにはそれなりの知識が必要とされた。uBlockはメニューから1クリック
するだけで特定のコンテンツを許可または無効化したり、フィルターの強度を調節したり設定をすることが非常に容易に
できるようになった。元々、増田はFirefoxのビルトイン画像無効化機能とNoScriptを使うユーザーであったが、2014年に
はいわゆる口コミでuBlockの存在を知り、インストールをした。NoScriptとは違う、インストールするだけであらゆるコ
ンテンツが表示されなくなることに衝撃を受け、当時はまだ使用回線がADSLで遅かったのもあり、それ以来使用するよう
になる。光回線になってからしばらく使用を辞めたが、あまりの広告の多さにあっけらかんとなってしまい、もはや中毒
だなと思いつつもコンテンツブロックは使い続けることになってしまった。
iOS9は既にご存知と思うが、解説すると、コンテンツブロック機能が入ったアプリを導入して有効化することにより、
ページを読み込む際にコンテンツをブロックする機能だ。無料または有料で提供されているアプリをインストールしなけ
れば使うことができない。しかし、これもまた、今までの同じような機能よりも格段に洗練され使いやすい。日本人にお
けるiPhoneの普及率がそれなりに高いことも相まって、また2015年にはすでにスクロールに追従して表示される広告や、
ページの閲覧を妨げるような広告が非難されていたこともあり、一気に普及した。
しかし、コンテンツブロックが普及したことによって無料で提供されていたサービスが終了したり、有料化をすることに
増田もウェブサイトを作って運営していたことがあり、現在でもその一部は続いているが、無料サービスが終了すること
によって提供し続けるにはそれなりの資金を必要とするため、広告を掲載している。しかし、毎週欠かさず更新をしてい
ても、閲覧数が増えるのと広告収入が増えるのは比例しなくなっており、全盛期には1日2,000円ほどあった運営収入は、
現在では多くて1日に500円程度、酷いと100円を下回っている状態となってしまっている。サイトへの訪問者数は増えて
いるのに、広告による収入が増えない、これではサーバーの増強をしようとすると自費で賄わなければならず、何度かは
増強したが、これ以上増強をすると赤字となってしまう。そんな状況になってしまったのだ。このままではサイトを閉鎖
するか、身を削ってでも維持するかを選択させられそうな状態になってしまった。nanapiでは、個人が運営するサイトと
は違い、多くのライターを雇って記事を増やし続けたため、ライターに払える分の収入がほとんど広告から得られなく
なったとして今回の更新終了という結論に至ったと考えても不思議ではないだろう。実際に理由は書かれていないため憶
測にすぎないが、実際ライター単価は上昇傾向にあり、今後そのようなビジネススタイルで運営されているサービスは同
じような末路を迎えるようになるのではないだろうか。
ご存知の方も多いと思うが、アットウィキが今年になってから、コンテンツブロック機能を利用してサイトを閲覧した際
に「広告ブロック禁止」と表示するようになった。アットウィキには元々アットページズという無料ウェブホスティング
サービスがあったが、2018年02月末で閉鎖してしまっている。減り続ける広告収入の中苦渋の決断でブロックしている
ユーザーに対してメッセージを発信するようになったが、すぐに回避方法が発見されてほとんど意味を成さなくなって
しまった。どれだけ難読化しようとしてもページの内部を見られるJavaScriptで実装している機能のため、すぐに回避手
段ができてしまう。元々無料で見ることができていたニュースサイトのほとんどの記事も、現在では月額制サービスに
移行してしまい読むことができないものも増えてしまった。月額制サービスというのは継続的に利用するのであれば払う
価値があるとは思うのだが、たまたま検索して見つけた記事を読むために払うというのに月額制サービスしか存在しない
のはどうかと思う。ログインせずに一定期間はその記事だけ1記事分の料金を支払えば見られるみたいなサービスのほうが
使用されるのではないかと思うが、まだそういったシステムを実装するのは難しいようだ。Google Contributorというも
のが海外では展開されているが、日本ではまだ展開されていない Google Contributorが利用できる国 そのため、現在では
コンテンツブロックをした人からも収入を得る方法が、サイト自体への寄付か、有料化という選択肢しなくなってきて
しまっており、今後もコンテンツブロック利用者が増えれば、もはや無料で提供してきたものは終了せざるを得なくなる
だろう。アフィリエイト収入という手もあるが、しつこいくらいにAmazon等への商品リンクを載せるサイトにはすでに
嫌悪感を抱く人も多いように思う。noteという日記の続きを有料化するサイトもあるが、そういったプラットフォームに
は頼りたくない人も多いだろう。既にウェブサイトを収益化して維持するという手法は通用しなくなっているのではない
だろうか。
YouTubeは動画を共有するサイトだったが、現在ではYouTuberと呼ばれる人が低品質なテレビ番組のようなものを投稿する
ことによってかなりの収益を得る方も出てきたようだ。残念ながら、増田はYouTuberを嫌いというよりは、あの手の安っ
ぽいテキストの後ろで人間が踊るような動画はあまり好きではない。vTuberは新しい文化に思えたが、既に引退者もかな
り出てきているようだ。ほとんど毎日動画を撮影してテロップ等を付けてアップロードするといったような作業は普通の
人間が続けるのは大変だと思う。検索するとYouTuberブームも相まって大量の必要ない動画が出てくるため、ほとんどYou
Tubeの検索機能は使用しなくなってしまった。Google検索にもいえることだが、あまりにも公式ではないウェブサイトが
ヒットしすぎではないだろうか。YouTubeはこれからも批判を受けつつも動画共有サイトとしては最大手なので続くと思わ
ウェブサイト運営での収入には大した期待をしない、もう続ける必要が無いと感じれば見てくれている方がサイト運営者
なら閉鎖をしてしまってもいいと思う。個人サイトでも有名なサイトであれば閉鎖理由を諸事情とかじゃなくて収入が
得られなくなったとでも書いて閉鎖すれば多少の影響力はあるだろうか?などと考えてしまう。Google Chromeはこれから
コンテンツブロックの制限を厳しくし、サイト改竄的なコンテンツブロック機能を使用できなくする予定のようだ。
これからどうなるかはわからないことだらけだが、ウェブコンテンツは完全無料ではない。そのことを日記を見て感じて
いただければと思う。
何が悲しくて5月の陽気が心地よい日曜日にこんなブログを書こうとしているのか。
それは今回話題にする@niftyから先ほどお電話いただいたからでして。良いことも悪いことも文章にするには鮮度が大事だなって思ってるので書きます。まあ今から書くのは悪いことなんですけど。結構怒っているのでよく分からん文章になってしまっています。悪しからずご了承ください。
私は@niftyでWiMAXの契約を4年程度続けていました。今年に入って携帯の買い替えをすることになり、それにあわせてWiMAXの契約解除を行おうという考えに至りました。
私の場合契約更新月が3月で、3月の間に解約をすれば解除手数料がかからないということで同月初旬にウェブ及び電話口にて解約を行いました。
行ったはずでした。
結果的に言うと解約は成立していませんでした。10連休明けに通帳記帳をした際、4月分の利用料が引き落としされていることに気付き、すぐにカスタマーサービス(0570-03-2210)に電話をかけ、3月中に解約をしたとの旨伝えた上で対応を待ちました。
この時に「5月現在解約されていない。今解除したら解除手数料10,000円強頂く」と言われましたが、先に書いた通り私は3月時点で電話口にて解約の意志を伝えています。@niftyは会話内容を録音していますので、当然言質は取れているはずで、この解除手数料は取られないだろうと思っていました。
電話をかけてから約一週間後の今日、改めて前述の電話番号から電話にて回答を頂きました。
結果、「お客様が3月にお電話されたのは長期継続キャンペーン窓口。だから今現在まで利用されていたプランの解約は行われていない」と。
はっきり言って意味がわかりません。そもそも3月当時電話でやり取りをした際に相手方は「こちらは長期継続キャンペーン窓口です」などとは一言を言っていません。その上こちらが「解約してください」と言っておりその際あわせて現在のプランについても調べているのだから何を解約するくらい分かるはずでは?日本語が不自由なスタッフしか@niftyにはいないのでしょうか?
今になって電話番号の検索をしてみたところ悪評がたくさん掲載されており、インターネットの力を頼らなかった当時の己を恨んでいます。
ちなみにこちら。もしこの文章を見られている方で@niftyでの契約をお考えの方がいらっしゃったらぜひこちらを参考にしてください。
・jpnumber
https://www.jpnumber.com/numberinfo_0570_032_210.html
・電話帳ナビ
https://www.telnavi.jp/phone/0570032210
・jpnumber
https://www.jpnumber.com/freedial/numberinfo_0120_982_364.html
・電話帳ナビ
https://www.telnavi.jp/phone/0120982364
今回の件はたっっっかい社会勉強料と考えることにします。いいさ!15,000円くらい損したけど稼いですぐ取り返してやる!
……15,000円稼ぐのも楽じゃないんだけどなあ……
フレッツ光で利用してるんだけど、夜間の混雑時間帯の速度低下が酷すぎ(DOWN 1Mbps、UP 300Mbpsとか。誤字ではない。)、手の届く範囲内で検証したところネックはISPの@niftyだと断定できたので、ISPを乗り換えようと思いサポートに解約の電話をした。
結果、「本当に混雑が原因なのか調べるからスピードテストの結果と、tracerouteとifconfigの実行ログをくれ」と粘られたので、しぶしぶspeedtest.netでの速度測定結果と、コマンド行は残してコンピュータ名とユーザー名だけ*でマスクしたtracerouteとifconfigのログを問い合わせフォームから送った。
問い合わせフォームの文字数制限が3,000文字なのに対し、tracerouteとifconfigのログが5,000文字ほどあったので2回に分けて送信する羽目になった。
2日後、もらった回答は
「スピードテストは『BNRスピードテスト(http://www.musen-lan.com/speed/)』を使え、やり直せ」
「コンピュータ名とユーザー名がマスクされていると調査ができない、やり直せ」
だった。
百歩譲ってスピードテストのサイトに指定があって、それを俺に伝えなかったのはオペレーション不備だと思うがまぁ許そう。
測定サイトによって多少の結果変動はあるから、特定のサイトに統一して条件を揃えたいという理由はあるかもしれないからね。
それでも今どきFlash使うBNRを指定ってどうなのかとは思うんだけど。Chromeじゃデフォでブロックされてるよ。
でも「コンピュータ名とユーザー名が伏せられていると調査できない」ってどういう理由?
聞いたら『本当にお客様の環境で実行されたものなのか特定できないので…』と言われたんだけど、
逆に、コンピュータ名とユーザー名が載ってたら俺のMacで実行されたものだと特定できるの?どんな技術だよ。
もしコンピュータ名unkoでユーザー名chinkoだったらそんな恥ずかしいの開示しないといけないの?
というか、実際にunkoでもchinkoでもなかったとしても、マスクの代わりにそれに置き換えて送ってたら調査してたよね?
たぶん、
素人が適当に切り取って本当に必要な情報が欠落したログを送ってくると困る
↓
↓
「一切手を入れない」がルールなのでコンピュータ名とユーザー名のマスクも許さない
コンピュータ名もユーザー名もプライバシーやセキュリティ上気軽に開示するものではないと思うし、
どう考えても技術的に調査には不要な情報なんだからそこは許容すべきところではないのか?
サポートスタッフが情報を受けて、技術チームに調査依頼のチケット発行するみたいなオペレーションなんだろうけど、
電話口のサポートスタッフの口ぶりからすると、技術チーム側が調査NGとして蹴ったっぽいんだよね。
「コンピュータ名とか必要ないですよね?」なんて言われても実際どうなのかなんてたぶん知らないだろうし、
なんか既視感あるなと思ったら八尺様だった
あれが全部ミニ八尺様だと思えばかわいく見えるな
NifmoっていうNiftyのやってる格安SIMがあるんだけど、
2月に解約したつもりが、今月までずっと毎月270円取られてた。
俺以外にも同じ罠にハメられてる奴は多い。
https://twitter.com/search?q=nifmo%20270%E5%86%86&src=typd
いやー情弱でしたわーで済ませていいのかコレ?と思ったので一応まとめておく
もっとわかりやすいまとめが既にたくさんあるので無意味な気もするが…
@niftyってのはメールアドレスのサービスで、Niftyユーザーは全員強制オプションっぽい。
いまどきメールアドレスとか誰も要らねえよとは思うけど、
Nifmo契約中は無料になってるので、まあいいかって大抵の人はなるでしょ。
ただ、Nifmo解約して@niftyだけ契約してる状態だと月額270円取られるって仕組みなのね。
この時点で罠の臭いがプンプンするわな。
それはさておき俺の話に戻ると、1月20日頃にNifmoを解約しようとしたんだわ。
ただ、解約しようとしたら、解約は10営業日前に申請する必要があるらしい。
なんだよ10営業日って。インターネット申し込みさせてるくせに書類作ってハンコ何個も押してんのか?
で、翌月に1日でも掛かったら翌月分は全額徴収。日割なんて概念は無い。
そんなわけで、1月20日に解約しようと思ったのに2月分の月額を丸々取られたわけよ。
これが1個目の罠ね。
で、2個目の罠が@niftyの解約なんだけど、@niftyの解約は1月20日の時点ではできないのね。
その時点ではまだNifmo会員だから必須オプションは解約できないって立て付けなのかな?
Nifmo解約日の2月3日以降になるとようやく@niftyの解約ができる。
1個目の罠の時点でもうNiftyとは二度と関わりたくないと思わされてたのに、
2週間後に@niftyの解約を覚えてるとか無理ゲーにもほどがあるじゃん?
そんなわけで、解約日には認識してたはずの@niftyの解約を3ヶ月ほど忘れてたってわけ。
ホント、今度こそ二度と関わりたくないわ。
https://www.kokusen.go.jp/t_box/form.html
特にどうにもならんのだろうなとは思う。
@niftyが強制オプションになってる合理性がないよね、抱き合わせ販売だよね、
って攻め手はあるのかもしれんが、実際どうなんでしょうね。
Niftyがコジマ傘下になって契約がガンガン増えるようになったら
俺みたいな被害者も増えるんじゃないですかね。
まずはキャリコネか@niftyの問題なのか知らんが、引用するならリンク貼れよ。行儀悪い。批判だけはご立派かよ。
https://news.nifty.com/article/economy/business/12117-5448/
さて、表題の件、エンタメの仕事は特殊なんだよ。中に入ったことない人は分からんだろうよ。
A&Rの仕事だったら新人発掘やら関係づくりやらでライブ見に行くわけよ。それは仕事かって話。
打ち上げにも出たりするわけよ。付き合いやらそれこそ新人発掘で口説くために。あるいはイベントに出てもらうために、ってのもあるな。
そこには、特権使ってソールドしてるライブを見たいから見に行くってのも間に入ってくる。
このあたりは直属の上司でも部下の行き先を切り分けたるのは難しい。全ての行動に理由つけさせたら萎縮するし、短期的に成果がでないけど重要な動きができなくなる。
この問題って、飲み会は残業代が出るのかって話と構造としてはかなり似てるんじゃないか。
接待だって、部の飲み会だって、労働時間に入れないよね?ごく一部の反例とかお呼びでないから。世の過半がそうしているかを聞いてるからね。当たり前だけど。
エンタメの仕事の特殊さなんて外部からは分からんだろうし、実情を理解できないだろうから、そうやって少しでも近い話として理解してもらえると嬉しい。
その前提に立って、少しでも前に進められないものだろうか。
それにしても、働く=意思に反してやらされてる苦行 って前提で批判をしてる連中にはヘドが出る。
お前がカスな仕事をしていることと、こちらがやりたい仕事をやりたいようにやりたい、ってことには一切関連性はない訳で放っといてくれよと思う。
ちなみに、この問題を適法化しようとすると正社員雇用を止めて、業務委託の個人事業主の集団に変えていくことになる訳です。実際多くのレーベルがそれ導入してるけど、悲惨だよ。ローンも組めなければ、来年の契約更新も不安。そっちの方が労働者のためってことでいいのかな。
適法化するだけだったら簡単だからね。その辺はき違えて、コンプラコンプラ叫ぶだけのネット住民()は社会のガンってか、弱い者イジメしかできないうんこ野郎に過ぎない。正論かざしてオナニーして何が楽しいんですか、と。
こちとらアーティストを食えるようにしたくて必死なんだっつーの。
あとは社員のために会社があるって前提もムカつく。早く雇用の流動化をまともにやんないと日本という泥船ごと皆で沈むだろうよ。
ちなみに、社員を食わす意識もってない経営者なんて速攻でそのスタンスは伝わって愛想つかされるから、当然そんな意識は持ってる前提ね。
会社で朝ぱそこん開いてまず増田を開いて昨日書いたのにブクマついてないか一覧からチェックする(もちろんはてブアドオン導入済み
次にホッテントリを開く
記事自体が気になるものは元記事を開き、そうでないものはブクマアイコンをホイールクリックしてブクマページを開く
がーーーーーーっと開く
昼休み中にまたがーーーーっと開く
帰り際に見きれなかったものについて日付をつけたお気に入りブックマークフォルダに保存しておく
こっからが本題
そうやって見きれなかったブクマフォルダが最古では6年前のものがあって、今見るとすごく感慨深くておもしろいよ、という話ですた
@nifty:デイリーポータルZ:スーパーで普通に買えるうまいもの
今見てもわくわくするようなエントリだね
↑に「生きざまを見よ!」とあるので、見てみたら別の意味ですごかった。
いわゆる optimisation なのだろうかな。
ちなみに顔写真は↓
昨年の2015年11月末に引越して住所変更の連絡をした全リストです。これから引越しをする人の備忘録になればと。
なお、私は、妻なし、子供なしです。