はてなキーワード: ゆるオタとは
ハロウィンギャルのイラストにつけるセリフとして、いわゆるオタクにやさしいタイプか、辛辣なタイプか決めかねたからアンケートを取ってみた
ギャルと一言でいってもキャラデザやシチュエーションによっていろいろ変わってくると思うけど、
いわゆるトーヨコでウリをやってるような子やハロウィンで渋谷でコスプレするような子については後者のイメージがあって、
それをそのままフィクションでも感じたいんだなと思った
別にやさしくされたいわけではない、いちゃらぶしたいわけではない。
性欲を満たしたいだけ。
キャハハと笑いながらさげすまれることで興奮することもある。
殊勝さや純情さというギャップ萌えもあるのかもしれないけど、オタクが想像しうるギャルの共通認識に近いほうが共感を得やすいんだろう
ただgdgdいっといてなんだけど一番大事なのは自分のリビドーだ
お金にならないブクマやいいねのために大衆に迎合するものをつくっていたら、自分の魂が死んでしまう
お金をもらわないなら好きなように作ればいいんだよ
何故仮面ライダーのオタクは無関係のコンテンツのDiscordや掲示板でライダーの話をするのか
「フォームチェンジ」「スタイルチェンジ」「ドライバー」このあたりの単語が出ると一切仮面ライダーに関係ないのに突然ライダーの話をしようとする
そうするとどうなるか
隠れていたほかのライダーオタクが『ここはライダーの話をしていいのか』と勘違いしてさらにライダーの話題を出す奴が増える
そしてよくわからない言い回しや字幕付きのスクショの無断転載を駆使したAIもびっくりのワンパターンテンプレ会話でレスが埋まり、コミュニティの機能に支障をきたす
ゲームやアニメ、トレカ界隈のいわゆるオタクコンテンツのコミュニティの至るところで上記の流れを見てきた
彼らは『仮面ライダーはオタクコンテンツ界隈ならみんな知ってて当然だし盛り上がるだろう』とでも思っているのだろうか
自分の好きなものを語る楽しさも、それが通じることの喜びも理解はできる
だけどTPOをわきまえてくれ
https://anond.hatelabo.jp/20240718120400
上記の文章を読んで、実際の女性ファッションとしての縞パンではなく、美少女イラストで流行した縞パンを語りたくなったので書く。
ブラウン管が全盛期の時代(1990年代末頃まで)のPC美少女ゲームすなわちPC-98のエロゲでは、パンツにレースやフリルを描き込むのが流行っていた。これは実際にレースのパンツを履く女性が多かったという訳ではないし、エロゲユーザー(いわゆるオタク)の間でレースのパンツが好まれていたという訳でもない。CG(コンピューターグラフィックス)イラストを製作する側の都合が大きな理由だ。
当時のCGイラストではやたらと細かい模様が使われていた。パンツに限らず女性の服装にはやたらとレースやフリルが使われていたし、人物とは関係ないゲーム画面のUI(ユーザーインターフェース)の装飾にもレリーフ模様がやたらと使われていた印象がある。細かい模様はブラウン管との相性が良く、ブラウン管の滲(にじ)みによって立体感が表現できたのである。
【参考】→ 『 「昔のドット絵はブラウン管の滲みを前提にデザインされていた」に疑問の声』( https://togetter.com/li/1131267 )
こうしたドット絵を当時は手打ちで描き込んでいたのである。当時のCG制作ソフトは機能が貧弱であり、ドットの一つ一つを手入力するしかなかったからだ。どうせドットを手打ちするならばと、ついでに細かい模様を描き込もうという気にもなるだろう。なにせPC-98のモニタ解像度はわずか640x400しかなかったのだから。
しかし、Windows95が普及しモニタ解像度が上昇すると共に液晶モニタも流行すると、ドットで細かい模様を描き込むテクニックは通用しなくなる。ブラウン管と違って液晶モニタではドットの一つ一つが滲まずにクッキリと映るからだ。その上、高解像度表示のために拡大すると、そのドットが大きく表示されてギザギザに表示されてしまうのである。
フォトショップなどのCGソフトを用いてパンツの横縞模様に3D効果を施せば、臀部が立体的に表現されるのだ。それも、解像度の拡大にも耐えうる形でだ。拡大しても縞模様はギザギザになることもなく、滑らかな曲線を保ったままになる。
ちなみに、ラグビーのユニフォームにも横縞模様が多用されるが、理由としては横縞模様による膨張効果によって体が大きく見えるからだという。
レースのパンツから縞パンへと、美少女イラストの流行が転換した時期は1997年だと私は考える。
美少女ゲームブランドにおいては、エルフからLeaf(アクアプラス)へと業界トップが入れ替わる時期である。エルフはドラゴンナイトシリーズ、同級生シリーズ、遺作シリーズなど写実度の高い絵柄でドットを細かく書き込むことに定評があり、パンツはレース模様が主流だった。一方でLeafから発売されるゲームは、雫(1996年)、痕(1996年)、To Heart(1997年)、こみっくパーティー(1999年)とアニメ調の絵柄であり、パンツは縞パンが多かった印象にある。
1996年発売のPCアダルトゲームで年間売上高No.1のゲームが『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』(PC-98、エルフ)であり、1997年では『To Heart』(Windows95、Leaf)だったことは、まさしく美少女ゲームの流行が「エルフ・PC-98・ブラウン管モニタ・写実調・レースのパンツ」から「Leaf・Windows・液晶モニタ・アニメ調・縞パン」へと転換したことの象徴と言っても過言ではないだろう。
実際に美少女ゲームの絵柄の流行においても、みつみ美里(アクアプラス所属)の作風が主流になったことから明らかなことだ。
インターネット上での縞パン流行の始まりは、ビスケたん(2002年)だろう。美少女ゲーム会社由来の流行ではなく、インディーズ(いわゆる同人)発信の文化としてだ。この頃から美少女イラストにおいてはパンツが縞パンであることが好まれるようになったのだろう。
とはいえ、そうしたインターネット文化を『ネットランナー』というソフトバンク系列の情報誌がぽよよんろっく(渡辺明夫)のイラストと共に後押ししたことから、インターネット上の縞パン流行は完全なるインディーズとまでは言えないだろう。
そうした縞パン文化を今も引きずっているキャラクターとしては、初音ミク(2007年)が有名だろう。公式設定として初音ミクのパンツが縞パンとされた訳でもないのに、ファンが勝手に縞パンのイラストを描いたことによって、初音ミクといえば縞パンという印象がいまだに拭えないのだ。
ちなみに今から15年前といえば2009年だが、この頃になると縞パンはブームを過ぎてもはや陳腐化された時期といえるだろう。それを象徴するのは、当時放映された『けいおん』アニメ1期の6話である。文化祭のライブで澪が転倒してスカートの中を衆目に晒してしまうのだが、そのパンツを直接描かずして縞パンであると隠喩的に表現するシーンがある。パンツそのものは描かなくとも、水色と白のボーダー柄だけで縞パンと認識するに決まっているという信念がひしひしと伝わってくる。
【参考】→『 澪のパンツのシーンに秘められた裏話!』( https://x.com/K_onkinenbi/status/1422165281061756929 )
これも毒親がいけなかったのか、毒親にプラスして環境ガチャを外しまくったのがいけなかったのか、
どちらにもまったく問題は無くて、生まれ持った元増田の知能の問題なのか・・・
まずは下記の2点の解決だと思うんですけど、
いちばんの問題は『自分以外の何か』になろうとしていることだと思うんですよね
いろいろ否定されて・いろいろな事情に拘束されて、自信をなくした陽キャDQN(キョロ充)は、
なぜかオタクコミュニティに混ざろうとしたり、自分は○○が好きなオタクと自称を始めたりするけど、
陽キャDQNは陽キャDQN、これは生まれついての性質で、自信無くした程度じゃあ変わりやせんのです
オタク気質も生まれついての性質で元増田はオタク気質では無いってだけです
性質が外向いている人は、いわゆるオタク趣味って言われるコミュニティに居場所はないし、
無理矢理そういうコミュニティにいてもまったく楽しめないから、自分が楽しめそうな外向き趣味(みんなでウェイウェイする)を探しましょうね
まずは『みんな自分にマウントしようとしている(思い込み)』問題から解決やな
増田はよっぽど、好きなこと禁止 or 否定されてされて生きてきたんやろな
あと、これすごく思うことなんだけど、自分以外の何かになろうとは思わない方がいいよ
いろいろ否定されて・いろいろな事情に拘束されて、自信をなくして、
外でウェイウェイやらないキャラになったとしても(過去もウェイウェイしたことなくても)
陽キャDQNは陽キャDQNで生まれついての性質、オタク気質も生まれついての性質
性質が外向いている人は、いわゆるオタク趣味って言われるコミュニティに居場所はないし、
無理矢理そういうコミュニティにいてもまったく楽しめないから、
新年早々すでに今年(いやもはや人生?)いちばんの衝撃的な発表からしばらく経ちましたが、そろそろ自分の気持ちを整理して生活していきたいので思ったことを全て書き記していたのですが、せっかくなので情報の海に流して偶然受け取られた方に読んで頂ければなと思い、公開します。
「30歳になる節目と共に、新しい道を選ぶことを決めましたが、」
30歳でこの先の自分をどうしたいかと、考えること、これは本当にごく自然なことではないだろうか、一昨年マリウスが22歳という多くの人が就活して勉強に熱量を注いで世界の役に立ちたいと決断して飛び立ったように。それが私の1番初めに感じたことでした。
人間生きていれば時期や粒度は人によって異なるとはいえ、これを生きていきたい、あれをやりたいと立ち止まって考えたことは一度はあるはずで、それを年齢で区切る人もいれば、人生の出来事軸で区切る、はたまた全く別の軸で区切る(場合によっては自分の意思と反して区切らざるを得ない場合もある、例えば直近で起きたような天災などもそれに含まれるかもしれません)人もいる、その中で彼は30歳という年齢を区切りに人生を考えたまで、そういうことなのだろうと。ケンティーしかケンティーの人生の責任は取れない=つまり全ての最終決断はケンティーしか下すことは出来ないので、今回の決断を受け止めることが私たちにできる唯一のことなのだと(受け入れるとはニュアンスが違うこと強調させてください)
Sexy Zoneのことを本格的に好きになる前から、彼はグループの広告塔として常にいちばん前を歩き続けてくれることで時には傷ついてしまうような茨の道をグループで歩いていけるような花道に変えていたし、他の事務所やグループには出来るのになぜ出来ない?の世界の不思議をいつも彼なりのアイデアで解決してきたし(それでも出来ない/私たちがやらせてあげられないことは沢山あったけれど)、やりたいことを口に出しながら自身を磨き続けて実際に夢を掴み取ってきた人であることは誰がどう見ても明らかなので、そんな人の一世一代とも言える決断を誰が止められようか、いや誰も止められない(もしかしたらメンバーだけは、、、止められたのかもしれない、どうだろうか、それは彼らのみぞ知る)
ただ、私はSexy Zone、たとえ今後名前が変わったとしても、というアイドルグループの中島健人がとても尊敬していて強く愛してしまったからこそ、その姿がこれからもう見られなくなってしまうのだと思うと、彼らの未来、具体的に言えば4月前後の彼らがそれぞれどう進み変わっていくのか、その新しい形を応援出来ると思えるのかどうか、を考えることよりも、本当にただただ悲しい気持ちだけが頭と心をぐるぐると流れ続けて、ああ本当に悲しい、そしてなぜだか悔しい気持ちが混じってきて胸の中にいっぱいいっぱいに広がり、溺れて息が出来なくなりそうになるような感覚を持ちました、くるしい、くるしい、頑張って続きを書きます
公式として出ている媒体をもとに私個人が読み取った範囲+ケンティー、アイドル、芸能界に限らない人間の普遍的だろうと思われることを材料に書かせて頂くと、この大切な決断はきっかけはともかれ精神的な肉体的なもしくは外部的なものであれ、決してそこまで突発的なものではなく、様々な物事を積み重ねの上で下されたものなんだろうなあ、というのは伝わってきました、きっと前々から考えていたことが、何かしらのきっかけで現実味を帯びてきてそれを現実にするかどうか、たとえ発表のタイミング自体は突発的であったと感じたとしても、たとえ直近で言っていたことと多少文脈が噛み合わない部分があると感じたとしても、たとえどんなに素晴らしいパフォーマンスを直前まで見せてくれていたとしても。逆に全く察させずあんな素晴らしいドーム公演をやり遂げた彼らは本当に最高のアイドルです(皮肉にも)
繰り返しますが真実は彼らのみぞ知るので、これ以上の勝手な憶測とそれらを書き綴ることも控えますが(理由はそれをやって彼らが意思を変える訳ではないので単純に無意味だと思うので)、少なくとも今まで広告塔をやっていたSexy Zoneというアイドルブランドを置いていくことは彼にとっても並大抵の決断ではなかったのは容易に想像が出来て、これまで同じように、グループから離れてソロで活動することを決めた同事務所の方を見れば、それがどれだけ逆にハンデとなりうるかも(ファンの方には失礼に当たってしまうことを事前にお詫びしますが、多くの方がお世辞にも成功しているとは言えないのではないでしょうか?)、厳しい芸能界を長くそれなりに賢く生き抜いてきた彼ならそれを分かっていないはずがなく、ただ彼自身の夢(今まで語ってくれたもののその先を含めて)という観点から天秤にかけた時に重かったのがソロで活動する、だったのかもしれません。
とはいえ、中島健人がいるグループのファンとしては本当に悲しくて、もう少し、もう少しを重ねて一緒に頑張りたかった、頑張らせてほしかった頑張ってほしかった、Sexy Zoneというアイドルグループのエースである中島健人と共に。
そして、1オタクとしては純粋に今回の1件でケンティーが30歳という自分に課した期限のようなものを飛び越えてでもこのままグループを続けたいなと思えるほどの喜び(それはシンプルな私たちのメンタル的な愛が足りなかったのかもしれないし、数字やそれからもたさられるお仕事なのかもしれない)をファンである私たちが与えられなかったのかもしれないと本当に申し訳ない気持ちで、彼を含むSexy Zoneからもらってばかりだったのだなと思わされてしまったし、今のグループ活動状況でソロになった場合に何がどう変わるのかが私たちからはあまり見えてこないゆえ、グループでも良いのではと、どうしても思ってしまって、どうにか腹落ちしたい、これからじゃなくて今納得したい、足掻かせてほしいと、わがままになってしまっています(まだ公に出来ない大きなお仕事があるのかもしれない)(やっぱり3人にはしがみついてでも止めてほしかったでも必死に止めたかもしれない)(本当に彼は卒業するの?という現実味がいまだにない、夢みたい、信じたくないからかもしれないのですが)
それゆえ、彼らの未来に対する前向きな決断に、かもしれないかもしれないを並べてまくってこんなこと、って何だか後ろめたいような気持ちにもなってしまうし、彼らにいろいろな意味で甘えさせてもらっていた⇔私たちも甘やかしてしまっていたのかもしれないのかなあ、アイドル⇔ファンのギブアンドテイクのバランスが歪になっていたのかもしれない、ということにも気付かされて、また悲しいやら切ないやら、、、こんな複雑な感情得たことがないのでいかに彼らの存在が自分の中で大きかったのか、大きくなっていたのかをこんな形で知るなんて、、、
我ながら本当に話の枝葉分かれがすごいなと思いつつ、数字の話が出てきたのでここで少し触れると、
※この段落に関しては筆者である私の原体験が強く結びついている+他界隈について言及しますのでご興味のある方だけお読みいただき、適宜、次の段落まで飛ばしてください※
私は幼い頃からいわゆるオタクで、この数十年間その生き方を全うしてきました。
その中で何度か心が折れたことがあり、その原因は全て「数字」でした。
今や社会人としてビジネスにおける数字の重要性は嫌でもいうほど理解しているつもりではあります(かつ私もエンタメの世界の端くれです)が、1人のオタクとして「数字」はその人生の中で大きな苦しみでした。特に学生時代、大好きなアイドルがいたのですが(過去形になっていますが今でも大好きです!)、ファンであれば売られているCDやグッズを全て買わないといけないような売られ方とそれを当然のように受け入れるファンの雰囲気に圧倒され「全てを買うことが愛の証明なのか?」と苦しくなり一時離脱した時期があったり、また別の音楽コンテンツを好きになった時には封入されているイベントの先行チケットのためにCDやDVD/Blu-rayを積みたくても生活のために積むことが出来ず無力さを感じる一方で周りのファンダム内で何十何百枚積む人が数多くいる状態に(本当に申し訳ないのですが)気持ち悪さを感じてしまい担降りをしたりしてきました(このコンテンツについてはもう怖くて戻れません)今となっては、学生だったこともあり使えるお金が限られていたというのと好きなものに良い意味でも悪い意味でも一直線だったので本当に青かったなと思っています、推し活は出来る範囲で、でも最大限が大事!ですよね!
Sexy Zoneが正直数字面で苦しい思いをしてきたことはファンであれば痛いほどに理解していることかと思いますが、私は、数字以上に、彼らが出演したテレビ番組で他の出演者から愛されたりパフォーマンスや立ち振る舞いを見た他のオタクの皆さんが褒めてくださったり、何よりライブで魅せてもらえるコンセプトセットリスト舞台美術、そしてパフォーマンス、MCで綴られる言葉、それらが合算されて総合芸術として得られる唯一無二のエネルギー、自分でも意味がわからないけれど、彼らを見ていると元気になれるんです。他にもっともっと沢山沢山あるのですが、そんな数字だけでは測れないエンタメの素晴らしさを私に教えてくれたのは間違いなく彼らSexy Zoneで、それを突き詰めれば、もしかしたら国民的の例に挙げられているSMAPと嵐のように皆が触れている媒体(テレビ)が絞られていた平成の時代から、この好きがかなり多様化しすぎたゆえにそもそも国民的になりづらい令和の今の時代でもこのSexy Zoneは本当の意味で国民的になれるのではないか、そんなことを勝手に夢見てしまっていましたし、昨年のドーム公演を受けて勝手な確信のようなものを持ってしまっていたのでした、
最後の公演になるとは思っていませんでしたが、ここまで思わされたということはきっと4人の気迫のようなものがあの公演には宿っていて本当に素晴らしかったということで、私はそれをいいように自分の中で捻じ曲げて受け取っていただけでした、
一昨年のマリの卒業はその過程(発表〜カウコンの卒業…その後の彼と現Sexy Zoneの関わり方までも含めてもいいと思います)のていねいな描かれ方のおかげで本当に悲しくて寂しいことであったけど、多くの人が理解はせずとも受け留める状態まで引き上げた上で送り出すことが出来たし、オタクである贔屓目なしに本当に美しい巣立ちで、そして新しいグループのあり方をあの短くでも尊い時間で証明してくれたのではないかと思っています。
だからこそ結論は同じであったとしても、今回既に発表された方法とまた別の違った形でこちらに伝えてもらえたかもしれない、これも甘えだとわかりつつ、どうして、、、とまた別の悲しさに押しつぶされそうになりますが、これも私たちには見えない理由や意図が彼らの中には確実にあると、これまでの彼らの歩みを踏まえてそう思います。
また今回の件について、オタクであるかに関わらず一般の方も含めて多くの方が「アイドルを辞める?!」と勘違いされていました(本人曰く、一人でもアイドル、咳をしても一人、ごめんなさい、後者は言ってません尾崎放哉)
本人は発表翌日ドラマの宣伝のため、終日テレビ出演があり、その都度自身の言葉で一人でもアイドルであることを強調していましたが、これは中島ケンティー健人=Sexy Zone =アイドルの方程式が驚くほど人々の認知に刷り込まれていた、ということの証明であり、つまり合間のSexy Zoneが卒業すること=アイドルも辞める?!となってしまったということです。
一つだけ彼に問えるのであれば、この方程式を成り立たせてしまうくらいにはあなたはSexyのアイデンティティを構築し、確立した張本人であり、多くの人があなたのことをそのように認識していたんだよ、このことを分かった上でその決断に至ったのですか?と(こんなことは聞けたらいいですよね、聞けないんですけどね)
前半で彼が広告塔としてグループを率いてくれていたかを話しましたが、今回の卒業報告を受けて、端的にいうとグループの温度差を指摘する声が見受けられました。その時で思い出したことがあります。
※この段落に関しても筆者である私の原体験が強く結びついているので以降はご興味のある方だけお読みいただき、次の段落まで飛ばしてください※
私は中学高校と体育会系の部活に入っていたのですが、ハッキリ言って学年の仲はそこまで仲良くありませんでした。部活を使って青春をシンプルに楽しみたいから、部活を使って内申点を上げたいから、競技が好きだから、など目的やモチベーションもかなりバラバラだったと思います、ただ部活の始まりの集合から終わりの挨拶までの間だけは不思議と全員が同じ方向を向いて部活に取り組み、大きな揉め事もなく(何ならどちらというと問題が起きそうになったら阻止していました、それは揉めた方が面倒だからでした)、最後まで全うすることが出来ました。
部活と仕事(人生)なので根底が全然違うかもしれないのですが、この経験から私はグループが必ずしもずっと仲が良くて同じくらい意欲的で同じ目的で進まなければならない、とは思っておらず、逆にそんな状態存在しないな!と社会人になりますます実感したので、各々の得意分野で活躍しながら、グループとして集まった時にぎゅっとなり最大火力のパワーを出せるSexy Zoneの形がとても心地よく見えていました(だからこそ好きになったのかもしれませんね)
もちろん告知や発信はするに越したことはないです!が、グループの中で彼が一番それに長けていて楽しめる人物だったから、先陣を切ってやっていただけであり、他のメンバーも彼には出来ない部分でそれぞれの好きや得意を発揮していた認識だったので、もちろん、メディアの取り上げや世間的な認知に差異は大きく出てしまったのですが、誰も何もやっていない、誰が良くて誰が良くない、なんてことは全くなかったと思うのです。彼らは外側から格差をつけられたことはあっても、内側ではずっと対等な人たちでした。
表に見えるようにやらないとダメなんですか?表で見えることをやれば偉いんですか?
一つ疑問なのは、グループを去りソロ活動を決めた彼は事務所に残る、という選択をしました。
私は逆に意外でした、本当に海外志向なのであれば現在の事務所は昨年の一連の騒動を踏まえて世界的に見れば大きく傷がついた事務所と言えるからです。
実際に一連の騒動に不安を感じた(これを明言している方もいればいない方もいますが)方は事務所を去ることを決め、新しい道を進み始め、その選択はもはやされてもおかしくない選択の一つとして存在するようになりました。
彼のいう、1人のアイドル、俳優として成功したいの中に海外というフィールドは確実に含まれている中で、あえて事務所には残る選択を取ったのか、
と書きながら、最近インタビューや映画にまつわる番組、海外ドラマへの出演などで海外志向なのでは?と思っていただけで、発表の中には「国内外」とあり、あくまで国内と海外いずれも守備範囲としてどちらかへの偏りはないのだろう、と思います、その中で事務所に残る決断を取ったことのリスクは今までの積み重ねがあったとしてもまだまだ残っている状態でのこの決断をしたこと、この重みを事務所よ、心の底からわかってあげてほしい、本当に大切にしてあげてほしい、彼を彼らを全てから守ってほしい、
さて、この簡単に言葉にまとめられない思いに蓋をして、彼らの決断に対して今すぐに背中を押すと決める必要もなければ今持っている気持ちにすぐ整理がつける必要もないはずなので、彼らがまず掲げている3月末まで、少しずつ大丈夫だと思えるようになってきたら、その大好きなアイドルたちの姿を最後までしっかり目に焼き付けておこうしかないのが現状できる精一杯で、やっぱりどうやってもSexy Zoneがだいすきで、このままだいすきでいたいからこそ、今はまだ新曲すら聞くことも出来ていない心の状態ではありますが受け止められるよう、時に身を任せたいと思います。
こんな長々と書き綴りましたが、
最後に、やっぱり、誰かに怒られてしまうかもしれませんが、1オタクの本音のひとつをもう一つだけ書いてしまうと、
「やっぱりSexy Zoneがいい!」
「やっぱりSexy Zoneにいてほしい!」
ってお互い言ってもいいんだよ!
まだ許す!許せる!間に合う!
最後の最後で、こんなこと言ってごめんなさい、でもそれでも現段階の5人の姿が少なくとも私にとって最強で無敵のアイドルに見えていることは強調したいです。
でも私は一介のファンであり、彼らの人生に直接的に触れることが出来ません。その中で1番は5人が、それぞれが、少しでもしあわせになれること!だからこそ、そんな未来が来てほしいと、だからまず目の前の区切りまで、一旦祈り続けます。
書き癖で、()や、が多く読みづらい部分もあったかと思いますが、ここまで読んでくださった方がもしいれば、私の話を聞いてくださってありがとうございました。
過去人と関わるのがヘタクソで、考えて考えて行動してやっとしがみついた生き方がいわゆるオタサーの姫ポジで、ああ自分はこうやって、中途半端に人をたぶらかすようなやり方で生きるか、過去のように誰とも上手く喋れなくて勝手に被害妄想を増やす生き方しか現状できないのかもしれないって話なんだよ。
知らんがなって話だけどね。意図的に露悪的に人にチヤホヤされようとしてるなら悪だけど、私としては真面目に人間関係をやってこれなんだよ。でもなまじ考えてるフリしてるのが余計どうしようもなくて、最初から軽薄な人間だったって話なんだけどね。もちろん年月が経てばなるようになるのはわかってるよ、(悪い道でもいい道でも)ただ現状が。
同世代と見ているもの・普段の生活すべてが違いすぎて会っても話すことがない。
友人・知人にいわゆるオタクは1人もいない。
なさすぎてどんどん疎遠になる!
なんなら会話が苦痛。
オタク友達とか出来たら楽しいんだろうか?この歳でどうやって作るのかよくわからないけど。
この年齢(女性)だとそろそろオタク卒業して仕事か家庭でみんな忙しいのでは。
男性も変わらんか。
お茶にごすときは健康の話題とかしてるけど、喋りながら興味なさすぎて苦痛すぎて早く帰りたい一択だもんな
久々に会うと親に、もっと外に出て人と話せ!ってぎゃーぎゃー言われる。
今日も言われた。
習い事とか行けば?って。
リセット症候群の気があるから知り合っても絶対そのうち縁切ってしまうし。意味あるか?
世の中の人は何を話してるんだろう?
うちの親は喋っていないと死ぬタイプだが、ずーっとあらゆる友人・知人の話をしてるな。
会ったこともない親の友人を何人も細かく知ってる。個人情報とかいう概念はなさそう。
そんな弾は私にはない。
そこまで友人知人を信用できない。
後悔する。
というか、何を喋っても後悔している気がする。
楽しく話したあとも、何であんなこと言ったんだろう?ってずーっと落ち込む。
結果楽しかった日も、楽しくなくなるんだよな。
うわーってなる。いつもそう。
人と関わると常にこれになる。
あと、自分に過去があることが常に嫌で、自分の過去を知ってる人を見ると記憶消したくなる。
私の全てを忘れてほしい。
本当に嫌。今も完璧じゃないけど、過去の未熟だった頃の自分が嫌い。恥ずかしい。存在を消したい。
別に現在の自分は割と好きだが、時が経てば嫌いになる。わかってる。
なぜみんなそう思わないのか?
不思議。
芸能人とか、アーカイブがこの世の色んなところに残りまくっていて死にたくならないんだろうか?
この世には脳の仕組みが陽タイプと陰タイプの人間がいて、陽の人間は細かいことを気にしない。
うちの親はこれ。
心へのダメージをほぼ受けない。
私は真逆。陰。
これは無意識・フルオートで行われるためやめろと言われてもやめることができない。
出来るもんなのか?
それって面白い?
それとも裏で嫌だなー帰りたいなー話したくないなー苦痛だなーと思いながら頑張って喋っているのか?
そっちなら、なんか安心するけど。
この前学生時代のオタク友達と秋葉原で飲もうとなって、大学卒業以来にきたら様変わりをしててびっくりした。いわゆるオタク向けのショップやゲームセンターは激減して、ピカピカの商業施設とコンカフェばっかり。怪しい絵画を売ってるお姉さんが消えたかわりに、コンカフェの客引きメイドが死ぬほど増えてた。
ポジティブに考えれば大衆的な店が増えて綺麗になったのだが、この街にそんなことは求めてない人のほうが多い。ただ駅出てすぐは、アキバらしいなって思えるところも残ってた。ラジ館、ゲーマーズ、アダルト商品のビル。Vtuberみたいのがスクリーンいっぱいにコンドームやアダルトグッズを紹介してて笑った。
けど電気街を少し進むと自分が知ってる秋葉原の雰囲気ではない。大通りのでっかい看板も駅でみるような原神やアズレンといったソシャゲの広告。昔は18禁のゲームとかがでかでかとあって、こんなゲームの看板出せるのすげぇなとか思ってたけど。まぁ18禁ゲー業界は風前の灯だから広告出せないのは当たり前か。
自分はアラサー世代。アニメ全盛期と勝手に思ってる08-12年あたりがちょうど中学、高校生だったので、そこで深夜アニメにハマったよくいるタイプ。シュタゲなんてまさに秋葉原を舞台にした当時の流行り物だったし、東京のオタクは秋葉原に行くものっていうイメージがあった。
当時はハマってた作品やイラストレーターさんの画集や設定資料集を集めるのが趣味で、それ目的でよく秋葉原に来てた。当時からAmazonや楽天なんかはあったが、秋葉原はそこらで買うより安く手に入ることが多かったし、そもそもネット上にほとんどない品もよくあった。
こういったお宝探しが好きだったので、友人とはるばる1時間近くかけて東京の外れの方から通っていたのを覚えている。どこでも買えるものでも、あえて秋葉原で買ってたときもあった。正確には覚えてないけど大学生くらいまでは定期的にきてたと思う。
今でもアニメはそこそこみるんだけど、就職で環境が変わったのと、グッズへの情熱や収集欲が失せたのもあって、しばらく秋葉原には来ていなかった。
ただたった数年でここまで秋葉原という街が変わると思っていなかった。まぁ渋谷も宮益坂が商業&オフィスビル群に変わったことを思えば、街が変わるのは普通なのかもしれないが、街の属性自体はそこまで変わってないと思うんだよね。
新宿もここ数年でトー横キッズやたちんぼなんかが問題になってるけど、元々非行少年や風俗嬢のいる街だし歌舞伎という属性にはあってる気がする。自分が好きだったお店が潰れたから、そう思うだけかもしれないが、秋葉原は属性を半分くらい失ってどこにでもある街になった感じがすごい。
オタクの街という属性は半分くらいであとは雑多な繁華街。まぁメイドカフェやコンカフェ好きにはよかったのかもしれないが、いわゆるサブカル全般の街としては死んでいってる。一応コンカフェにもいったけど、歌舞伎にあるコンカフェと全く変わらなかった。
そして相変わらず外国人の方も多かったが、彼らはこれで満足しているのだろうか。昔から通っていた外国人は同じような感想を抱いてるのかな?
古のオタクからすれば、自分が通っていた学生時代からすでに変わっていたよと言われそうだが、アラサー世代にはこの数年が一番変わった分岐点だったと思う。
単純に今のオタクの生態がどうなってるのかも気になる。グッズは基本メルカリとかネットなのかな?コミケ終了後に秋葉原回るコミケ4日目なんて言葉があったよね。もはや今はコミケが2日間しかないけど、そんな概念は消滅したのだろうか。そもそも自分のように収集欲が失せたオタクが多いのか。
一つはっきりしているのは、秋葉原はオタクにとってもう唯一無二の街ではないということ。いわゆるオタクな感じを求めてアキバに行くことはもうないかもと思った。
世の中には三つの話があると思っていて、
1.倫理学や人類文化学や政治学や法学等を含めた、専門家が調査や学説や歴史等に基づいて、学術的な定義を積み重ねて行う学術的議論(これは体系的な知識が必要で、素人が簡単に参入できない)
2.データや文書や遺伝子検査血液検査などの単なる事実の集合(+専門家による解釈)
で、いわゆるオタクやネット民は1と3を混同した話し方をしていることがよくあるので物凄く気になるんだよな。
1と3は明確に相容れないものなので。
正義とは何か、差別とは何か、などの議論は基本的には1の領域である。
なぜならネット民は差別に関する定義の変遷、思想の変遷、歴史や諸問題、学説、論文、法制度、各国や各種団体の対応、社会問題に関する体系的知識を専門知として得ているわけではないから。こういった学説や論文は査読や批判反論、再反論など長い道のりを経て、洗練されてから1つの学説としてのポジションを獲得する。
オタクの言う「定義」は、『その辺の人が特に専門的体系的知識もなく関係ないまま、ただ個人的になんとなく考えてたこと』だったりするので、こんなネット空間に触れていたら大衆の知性がどんどん落ちていくのではないかと危惧している。
内容が「人による」「人の考え方次第」の域を出ない素人談義にすぎない。1なら定義はズレないし内容が人によるとか人次第にはならない。
議論が可能な程度に統合された意見ではない。単なる積年の感想だ。
差別という言葉を日常的に聞いたことがあって辞書で引いたレベルの知識量で適当に使ってるだけの耳学問だろう。
専門家は123を完全に区別して使っているが、ネットの有象無象は123を混同しており、そんなネットの有象無象の意見をさらに参照・引用して(例:HNマスダ氏は○○○を唱えているが、のように)メチャクチャなネット談義が活発に行われている。
誰の判断なのだろう?この人の?個人的にいいと思う、悪いと思う、こう思う、なら分かるのだが、ここでも断定されている。
1と3が区別できてないのだろうと思う。
そこを取り違えて自分たちが行っている安全のための差別をさも自分たちが正義かのように語るのが危険なわけでさ。そうして差別は拡大していくんですよ。
拡大するかどうかにつき、この人に差別史の知識はないだろう。やはり、1と3が混同されている。
この後も似たような語調が続くのであるが、
例えばすでに存在する学説の引用であるならまだわかるのだが、市井の人がなんとなく自分なりに定義することや感想を持つことを、定義とは言わないし、見解とは言わないのだ、ということをネットに親しむ人は分からなくなってしまうのではなかろうか。
人の認知は必ず歪むし人は利己的である。3のように誰でも思ったことを言うだけなら、マッド気質の人が殺人の自由を主張することだって意見になってしまうし、適当なことを意見として言うことも可能だ。定量化もされていないままの意見は議論にはならない。
だから、3は3として、体験や感想は体験や感想として重視され尊重されるが、1とは区別しないと社会全体がまともな議論のできない国へと変わっていってしまう。
その社会的な損失を考えると頭が痛い。
燃やすという単語もそうだが、オタクやアンフェミども、真面目に教養がない。
大学レベルの社会科の知識がない。どころか、中学生レベルでも怪しいやつしかいない。
本も読まないから下手したら小学生レベル。亜種で論文だけ読んでるが社会科の知識はない基礎なしタイプもいる
彼らの意見のほぼ全てが、検索避けをしましょうとか推し活のタグの使い分け?とかそういうレベル、いわゆるオタク文化のローカルルールにすぎず、常識がない
法や社会科や倫理といった実社会のルールや学問からはとんでもなく遠い床屋談義ばかりで驚く。そらツイフェミと会話なんかできるわけない。
一般女性ツイフェミは大学で授業を受けたり学術的なジェンダー本をよく読んで勉強熱心だし、そもそも大学教授や研究者がツイフェミの走りだし
いわゆる女性蔑視的な法クラや学者先生はまだ会話できるだけマシなのだが、古代人は女性が採取をし男性が狩をしていたという説やフロイトを見てもわかる通り、大昔の女性蔑視に染まった学説を支持していたりするだけで、批判の対象とはなれど、デタラメを言っているわけではない
数年間会っていなかったネットの知り合いと飲みに行った。
彼のことを仮にAとする。
Aとは10年以上の付き合いで、出会った頃はよくオフでも遊んでいたし、プライベートな話も気兼ねなくできるくらいの仲だった。
最近はお互いに引っ越して物理的な距離が広がってしまったことと、活動ジャンルが被らない、というかそもそも俺の方がいわゆるオタク的なコンテンツから離れていることもあって、相互フォローのTwitter(ここではしゃらくさいのでXではなくTwitterという認識で書く)でなんとなく近況を把握している、くらいの関係性になっていた。
先日、俺がAの住んでいる地域へ旅行することになり、その旨をツイートしたところAから「夜なら予定が空いているから飲みに行かないか」と誘われた。
オフで顔を合わせるのは5年ぶりのことで、俺は結構楽しみにしていた。
でも、実際にAと飲んで帰る頃には悲しい気持ちになってしまっていた。
なぜかと言うと、Aの出す話題が「インターネットの悪い部分」の煮凝りばかりだったからだ。
関西人でもないのに、イントネーションがぐちゃぐちゃの関西弁で喋る。
Twitterでよく見る、しかし元ネタはよく知らないミームを慣用句のように多用する。
極め付けにひどかったのは、肉を食べながらヴィーガンを茶化す話を振ってきたことだった。
「こんなに美味いのにヴィーガンの人たちは食べられないなんて損してるよな」から始まり、「どうすればヴィーガンに肉を食べさせることができるのか」という大喜利を繰り広げてきた。
そこで飛び出してくる発言からは、Aがヴィーガニズムという思想やそれに伴う生活実践を上っ面しか知らないこと、そして知らないにも関わらず、Twitterをはじめとしたインターネット上で展開されるヴィーガンをバカにした言説を完全に内面化してしまって「バカにしてもいい属性」としてヴィーガンのことを認識しているのだということが滲み出ていた。
俺はそれを聞きながら、正直かなり不快だった。
しかしAはAなりに、5年ぶりに再開した友人を楽しませようと思って話題を選定しているのかもしれないのに、「ネタにマジレス」されたAはどう感じるだろうか、と想像して、俺はそのヴィーガンネタを軽く流してしまった。
Aと直接顔を合わせたのだから普段Twitterには書けないようなプライベートな話もしたかったが、そんな調子で何の実りもない時間を過ごして解散してしまった。
プライベートなことは一切喋らなかったし、俺から話題を提供することもなかった。
俺の方から話題を降ればよかったのかもしれない。最近仕事はどうなのかとか。
でもAはTwitterで「仕事がつらい」という話をよくしていて、もしかしてこんなにも身のないインターネットの話しかしないのは現実逃避なのか、それなら下手に現実を思い出させることなく逃避させてやった方がいいのか、などと考えてしまって、何も踏み込めなかった。
Aの態度があまりにもインターネットの嫌な部分そのままで、ブロックできないアカウントからのリプライを受け続けているという感覚に近かった。
これはちょっと不味いぞ。
集団の規模が単純に半分になるということは、支配や扇動の容易さが単純計算でも倍になる。
単純に半分にするのではなく、実際には「特定の属性に偏って半分になる」ということを考えるとリスクの跳ね上がりは5倍以上と考えて良い。
これはドリッヒ・ラングの言う「26%による過半数支配」の法則を思い出し貰えれば手っ取り早いだろう。
ある特定の集団が実質的には多様な価値観で分布しているほど、その集団を支配するのは容易ではなくなるということだ。
それは同時に規模が大きければ大きいほど、集団全体の中のごく一部を狙って扇動しても、それを全体に波及させるのは難しくなるということでもある。
男オタクと女オタクが分断された場合、「オタク全体」を扇動するのに比べてその難易度は大きく下がる。
たとえば男オタクをコントロールしたいなら「なぜ女性キャラクターのポスターは攻撃されるのにBLは許されるのか」を軸にすれば良く、逆に女性オタクであれば「なぜBLは気持ち悪いと扱われるのにロリコン文化は平然と根付いているのか」で騒いで見れば良い。
そしてこれらの扇動を行う者たちの最終目的は「オタク的な文化の破壊」であり、それは男オタクと女オタク双方にとって害のあるものだ。
だが男オタクと女オタクが分断されてしまえば、「攻撃されているのは男オタク(女オタク)の文化であり、女オタク(男オタク)に害が及ぶことはない」と錯覚させられる隙が生まれる。
マルティン・ニーメラーの「彼らが最初共産主義者を攻撃したとき」に詠われるように、特定集団への差別活動が行われた場合は、同じ論理によって自分たちが攻撃される可能性を警戒する必要がある。
だが、分断を行われるとその警戒意識が薄れるどころか、むしろ自分たちが攻撃に加わる側に回るリスクさえある。
オタクの権利を守るために最も重要なのは、あらゆるオタクが団結して巨大な一つの群体としてその他の勢力と戦えるようにすることだ。
たとえそれが悪臭を放つ者たちを含むカードゲームオタクであろうが、性暴力に目をつぶる者たちで溢れたジャニオタであろうが、迷惑行為を繰り返す者たちへの自浄作用を発揮せぬ鉄道オタクであろうが、それぞれのオタク達がそれぞれの抱える癌細胞と日夜戦っている同じ悩みを抱える同士であることを信じて団結するべきなのだ。
オタク達よ分断と戦うのだ。
切除すべきは「迷惑行為を行う一個人」「異常な思想を持つ一個人」であり、「自分の理解できない価値観を持つ特定の集団」ではない。
理解が出来ていないのならば大きなオタクの枠組として団結を続けるべきだ。
理解をした上で、犯罪行為を行っていることが確かであるならばそのときに個別に警察に突き出せば良い。
オタク達よ、今真に恐れるべきは分断されることだ。
を拝見しまして!めっちゃわかるよ!比較対象がしんどいし、減点方式になってしまうよねどうしても…となったのと、あとブコメとかにやっぱ婚活アプリはいまいち…と書いてあったのを見て、増田も何か書きたくなりました!
増田は5年以上前だけど婚活しており、婚活アプリに至るまでに一通り婚活イベントに参加していたので、思い出しながら書こうと思います。昔のことだから情報が古いところも多いと思うけど…。
〇増田
女。婚活時20代半ば。地方民。婚活期間9カ月ほど。ザ・小企業な勤め先での飲み会ではブサイクネタでいじられまくる見た目。専門資格などもなし。男友達0人。オタク。会社でとんでもなく年上の先輩と増田をくっつけようとする動きがあり謎にランチタイムやデート組まされたりして恐怖を覚える&年を経るごとに孤独死への恐怖がMAXとなり婚活を開始。アプリ経由で結婚、子育て中。
まだあるのかな?同じく婚活をともに戦う友達と2回ほど行きました。1回目は入店後ビックリするくらい誰も男性グループが来ず結局1時間タダで友達と酒盛りして退店。他に3組ほどいた女性グループも同じように順次退店。本当誰も来なくて友達とずっと笑いながら飲んでて、これはこれで楽しかった。数カ月あけて2回目は入店後すぐに男性グループとマッチング、見た目も中身もゴリゴリ体育会系営業職さんグループとお話をすることに。同期との話とかをたくさんしてくれて、それを聞く感じ大企業に勤めてそうな雰囲気ではあったけど、いかんせんこの後コイツら持って帰ってやることやるぞ!という気合いを感じすぎたので申し訳ないが一緒に退店するのはお断りした。喪にはレベルが高かった。
あとお互い様になるけど、どうしても身分が分からない人同士の交流になるから婚活する場というより男女でバッと盛り上がりたい、カジュアルな恋活をしたい人向けかなと思いました。
後述のオタク向け婚活パーティで仲良くなった女の子3人と行きました。男性3000円、女性2000円だったかな。対面式じゃなくて、長いテーブルに男女交互に座る形式だった。選んだ街コンが悪かったのだけれど、年齢制限がなくてほぼ親子くらいの年の差の男性がズラリ…。しかもわざわざ県外から来たとかいうどうみても地元のイベントで出禁食らったからわざわざこんなところまで来たんだろというクソキモセクハラおじさんとかがいたりして辛すぎた。許可なく女性の二の腕と太ももは触っちゃダメなんだよおじさん。もう地獄過ぎる帰りたいと思ってたら同い年くらいの話しやすい男性がいたのでLINEを交換するも、3回目のお茶で「会ってほしい人がいるんだ!」とマルチ商法の先輩を連れてきて増田にヘッタクソな営業をかけ始めたのでもう心が死んだ。
絶対に参加者の年齢なり傾向なり絞った街コンしか行っちゃダメだと思いました。あとやっぱり身分が分からないから、婚活の練習って感じで行けば良いと思います。いやゴメンやっぱぶっちゃけオススメはしない。思い出して心が死んだ。
●普通の婚活パーティ(オススメ度→当たって砕けろ精神ならアリ)
男女同額で5000円だったかな。度胸を付けるために1人で行ってみました。増田がさっきからぐちゃぐちゃ書いている身分どうこうも、婚活パーティなら運営が確認した上での参加になるから安心(※運営会社によるのでルールは各パーティごと要確認)。34までという括りのパーティだったので男性側の参加者も20代、30代半々でそんなにうわぁ…な人もいなかったように思う。女性も若くてオシャレな人多かったよ。いわゆるお見合い回転ずし→フリータイム→気になる異性の番号3つ書いて提出→休憩→再びフリータイム→最後に気になる異性の番号3つ再び提出という形式だったかな。朝から夕方まで知らん人としゃべり続けるからめちゃくちゃ疲れる。お互い合わないな…と思う人とも回転ずし中だと強制的に決まった時間は2人で一生懸命自己紹介カード見ながら話さなきゃいけないし。フリータイム誰とも喋れなかったらどうしようと不安にもあり、希望提出のところではジャッジする緊張感とされる緊張感もあった。でも変な度胸は付くよ!副作用として目が肥えてしまうというのもあるかもしれないけど…。結果として穏やかそうですごく良い人とマッチング出来て、何回か観光地にデート行ったりした。ただ増田の仕事の異動と重なり全然会えなくなりフェードアウトしてしまった。ものすごく良い人だったのでめちゃくちゃ後悔している…。
●オタク向け婚活パーティ、いわゆるオタコン(オススメ度→友達作るならアリ)
増田はオタクなのでオタク向けの婚活なら同じ価値観の人と出会えるのでは!?と思い友人を誘って参加。上述の婚活パーティと同じ運営会社だったので身分の保証はクリア、料金とプログラムも基本的には同じだった。オタク話なら男性相手にもめちゃくちゃ花が咲くぞ~と思っていたのだが、これが大きな間違いだった。オタクということは趣味がニッチなわけで、そのニッチな穴にうまいことマッチしなければ、それはそれは盛り上がらない会になるのである…。増田はゲーム、漫画、手芸が好きという紹介カードを持って臨んだのだが、まずそれに当てはまらない男性との会話がおしまいになり、ゲーム、漫画が好きと言ってもジャンル、作品は星の数ほどあるのでそれがマッチしない男性との会話もおしまいになった。例えば電車が好きな男性を盛り上げる力が増田には無かったし、ゲームが好きと言っても主戦場にしているハードがニンテンドーなのかソニーなのかでもうまったくすべてがおしまいになる。結果として誰ともマッチングしなかった。とほほ。
だが思わぬ産物を得た!休憩時間中、参加者女性同士がものすごく盛り上がり、男性陣とではなく女性陣とLINEを交換しまくった。さすがに1,2回遊んでフェードアウトがほとんどだったが、何年も経った今も年に数回集まって遊べるかけがえのない友達を得た。いや得るもの間違ってるけど(笑)、これはこれですごく良かったと思っている!
●婚活アプリ(オススメ度→人によるだろうが個人的には1番オススメ)
そしてたどり着いた婚活アプリ!婚活イベント色々参加してきたけど、やっぱりいきなり知らん人とたくさんお話するのしんどいし、緊張で変なテンションになってしまうので会う人を絞って会えば良いのではとなり登録した。男女で差額のあるカジュアルめなアプリは会社の既婚の男の先輩がヤリモクで未婚のフリして登録していると言っていたので、男女同額の身分保障がしっかりしている超大手が運営しているアプリを選んだ。男女同額の方が男女ともに本気度が違うんじゃなかろうかと思うので同額の方が個人的には安心した。短期決戦だ!と3カ月コースを課金。
ここからは婚活というかひたすら就活のような日々だった。まず増田はブサイクなので数多の婚活増田記事にあるような何百もいいねがつくようなこともなく、ぽつりぽつりといいねが付き、付けてくれた人の中からいいなという人の紹介ページを端から端まで読み込んでは返信をした。志望動機と自己PRじゃん!となっていた。ぽつりぽつりじゃ間に合わないので増田も毎日男性の新着を見に行ってはいいねを付けていった。いざ交流がはじまっても調子よくメッセージをやり取りしていたはずなのに理由もわからずいきなり切られたり、逆に切ることもあった。結局メッセージのやりとりがたしか20人ほど、実際に会ったのは3人。メッセージをある程度やり取りしていた人たちだったので会ったら全然違うジャン!ということは無かったし、双方会話が残念過ぎて終了ということもなかった。ただ1人目の人には増田が残念女だったようでやり取りを切られてしまったのと、2人目の人は会った段階から元カノの話ばかりするので切った。そして3人目が今の夫である。たしか増田からいいねを押した男だった。
そして今にいたる。腹立つことも多いが、婚活していた頃の自分には見えていなかった未来なので刺激的ではある!
「自己肯定感が~」とか「この年齢じゃ~」とかで婚活するとかしないとかで悩んでいる人、とりあえず一旦考えるのやめて、思考停止で動いてみたら良いと思います!動いてみて合わなかったら辞めたらいいし。増田も何回ブッチされたか分からないけどしぶとく生きているからみんなで生きよう。
撮り鉄界隈よりはマシだが正直似たりよったりだと思う。
大半がどことなく冴えない小太りのザ・オタクで、独身30代~50代も多い。
せいぜいサバゲーでイキってるのが関の山で大方はネットでウィキペディアの記事を読みながら後出しじゃんけんで軍師様を気取っている。
その卑小さは出来の悪いなろう小説のイキリ系主人公を彷彿とさせるが、何故か彼らはアニオタを嫌悪し見下している事が多い。
実際はそこらのアニオタ以下なのにね。ハッキリ言って軍事趣味・サバゲー趣味なんてアニメなんかよりよっぽど異性から敬遠され嫌われていますよ?
身内でホモソーシャルを形成し身内でしか通用しないワードで語るが界隈外の人間と会話する時も平気で使用するものだから会話が成り立たずキモがられる。
そんな様子を見て「論破してやった!!!」とイキるの浅ましさは軍師様どころかそこらの一般人よりも悲惨。
兵器のスペックや軍隊の規模など、『数値』に拘るその姿勢は、鉄オタが『同じ構図』に異常に固執するのとよく似ている発達障害しぐさ。
軍事大好きな癖に捻くれてるのか保守にもネトウヨにもならず日本sageや出羽守ムーブを愛好する。
まともな保守からはチンカスの蛆虫扱いされているが自分達は国を憂う国士様(笑)を自認しているから救い様が無い滑稽さ。
オタク嫌いアニオタ嫌悪を隠さない癖に、ふと気づけば銀英伝やガンダムで政治を語っちゃう幼稚さは
ラブライブや推しの子を観ている一般アニメオタクよりも随分「オタク」しておりその異様さと幼稚さを敬遠されている。
同族嫌悪なのだが謎のプライドが彼らを「オタクなのにオタクを叩く」という、ヨxist並の気色悪い自age他sageをするので
ネガティブな話題を嫌うネットユーザーからはますます相手にされなくなる。
中流階級かそれ以上のパパ・ママに甘やかされた大人子供が大半なのに、どっかの軍事小説の主人公にでも憧れているのか
親子関係が上手くいっておらずクラスでも孤立した孤高の青年を自認している。
実際は良い歳して親に甘え反抗し普通にキモいし性格も口も悪いから嫌われているだけなのにね。
1960-70年代は景気は良かったが
ヤーの子がよく暴れ、テレビでは洋画放映、読売ジャイアンツが強く、沖縄米軍系のフィンガーファイブ、野球チームジャニーズのフォーリーブス、スーパーカーブーム、ドリフターズ、スポコン、魔法使いアニメなどとわりとお伽噺な文化
大臣が佐藤栄作と田中角栄だしたぶんアメリカ風の政策だったんだろう
しかし70年代にはガンダムやタモリのようなマニアっぽいコンテンツが現れ、パソコンも現れ、いわゆるオタク文化が栄えていく(やや官僚ぽい文化だ)
60−70は今思えば景気が良かったのになんで荒れた?と思うと公害問題など分かりやすい大きな不正問題のスピンだな
一方、現代は円安だが社会問題が見えにくく敵がよく分からなくされている
LGBTや同性婚や夫婦別姓、SDGSなんぞ小集団問題が話題にされ、大きな不正はメディアに出ない
でもまあいうなら、現代の公害は派遣会社と節税商品(保険不動産)だろうな
バブル崩壊もそのせいだ
ここずっと推し活推し活うるさいメディアが多くてうんざりする。
自分は漫画もアニメもゲームも好きだしいわゆるオタクではあるが、別に推しはいないし必要ともしていない。
好きなアーティストはいるけどただ楽曲が好きなだけで本人が推しというわけではないし、好きな漫画やアニメもあるけどストーリーや世界観が好きなだけで特定のキャラを推してるなんてこともない。悪役だろうと全てのキャラがそれぞれ作品にとって必要な存在だと思ってるので、逆に特定のキャラのアンチをしたりということもない。
好きな漫画の話になると大体「どのキャラが好き!?」みたいな話になるが「特にいない」と答えると場が白けるので最近は「箱推しです!」と上手くかわす技を覚えた。
「推しがいると人生楽しい!」「推しがいるから毎日頑張れる!」というけど、別に推しがいなくても人生楽しいし毎日頑張れてると言いたい。
それはもう悲しい限りの。
あの頃のあの人の書き込みはまだ見ることができる。
でも今その書き込みをしてくれることはもはやありえない。
(追記)
当時私は10代後半、大学デビューならぬ大学に入ってパソコンを買ってもらってネットを始めた。
その人はそのコミュニティの中では重鎮的な立場で(ただ、管理者とかコミュニティ役職とか、そういうのは無い)、落ち着いた発言内容が印象的だった。
揉め事があれば仲介をしてくれたり、発現する内容は細かい言い回しなどにも配慮しているところが見られた。
いわゆるオタクコミュニティで男性だけのコミュニティだし、そこの内容からして、現在まで同じような趣味の傾向で独身であることは間違いない。
なんでこうなってしまったんだろうな
昔は、アニメに偏見を持ってるやつらからアニメを守れ!みたいな正当性みたいなものをでっち上げることができた
作品の批判に対しても「アニメだから評価しないんでしょ?」みたいに言えた
でもアニメが日本の文化ですみたいな扱いを受けるようになったゼロ年代後半ごろからオタク以外もアニメを消費し始めて
いわゆるオタクと一般人の差みたいなのが希薄になるとオタクは言い訳を失なった
シンエヴァでは「動きがしょぼいよね」という純粋な感想に対して、リアルタイム世代オタクおじさんが凸ってるのをよく見た
古参オタクが作品の面白さよりも、庵野秀明という人物像を語り始め、お前は庵野のことが分かってねーなぁとか言い出すわけだ
そもそも庵野は王立宇宙軍のロケット発射とかナウシカの巨神兵のシーンとか、「問答無用のすごさ」で評価された人だったけど
すごさを提供できなくなった枯れた庵野作品を語るには監督の人物像が話題の中心にならざるをえない
だから取り巻きの樋口も加えてムラ社会になり、作品消費というよりもギョーカイ消費ばかりになってしまった
そんなおっさんオタク連中の事情に忖度せずに、シンエヴァを面白くないと言う若いオタクとかカジュアルなひとが非常に本質的に映画を批評しているのは救いだなと思う
監督の人物像とか過去の功績を錦の旗に掲げて若者の純粋な感想を攻撃するおっさん信者はホラーでしかない
昔の「庵野を守れ」は、「アニメを守れ」につながったけど、今の「庵野を守れ」はただの老害なだけ
オタクは、作者の政治思想と作品は別だろ!とかいうけど、庵野界隈はそれしかしないというほどに作者と作品の関係をこすり続ける
シン〇〇はエヴァもゴジラもウルトラマンも庵野の人物像が批評の中心だ。
庵野はアニメーターとして評価されてきたのに、映像の出来がひどければそりゃ若者オタクや一般人は「しょぼい」と言うだろう
「その辺の無名の低予算アニメのほうが動く」という感想はごもっともすぎる
そして仮面ライダーでも同じことになったわけだ
あーまたかよって感じ
これから行楽シーズンだろうから注意喚起もかねて、基本的には個人的な愚痴とお気持ち。
一般に旅行に行くと相手の価値観や相性が分かるという話を聞くが、オタクと旅行に行くとより強くオタクの負の面を感じることができるぞ、という話だ。
自分は成人済みのいわゆるオタク女で、周りの友達も同様の趣味を持っている。
で、長期休暇のタイミングで友人複数名と旅行に行くことになった。泊りがけの国内旅行だ。
そのメンバーの一人にA子という友人がいた。A子は一人旅が趣味で旅慣れているという話で、率先して旅行計画を仕切っていた。自分はあまり旅行経験が無い方だったから出発前はA子のことを頼れる存在だなあとありがたく思っていた。ただ前から「友人と旅行に行くとなぜかギスギスするから一人旅の方が好き」と聞いていたのだが、それがフラグだった。
所かまわずぬいぐるみやアクスタを出して写真を撮り出す、大声かつオタク特有の声のトーンで下品な話をする等、完全に周囲から浮いている。コミュニケーションもどこかおかしくて会計のときに店員に対して声優志望の中学生が出すような猫撫で声で喋ったり、逆に話しかけられているときは上手く喋れず口ごもったり。すべての振る舞いがオタク丸出しで恥ずかしくなった。
同行した他の友人たちは周囲の視線に若干気づいているようで、周りに人がいるときにはあからさまにトーンを下げたり軽くA子を無視していたりしたけど、A子は何も察さずにオタクムーブを続けていた。自分は一度やんわりと注意してみたが、気にも留めていない様子だった。
最悪だったのがホテルで同世代の女子グループと会ったときで、そこでもオタク喋りをするから自分たちがいなくなったあとにクスクス言われているのが聞こえてきた。それはもうしっかりと引かれてた。でもA子はそれさえ気づかず、ホテルの廊下で早口で喋り続けていた。思いだしても血の気が引くが、なんだか学校の記憶が蘇るような気分だった。
さらに、これはこちらにも非があることだが自分は旅行中体調が優れず、同行者には申し訳ないと思いながらも軽い旅程にしてほしいとA子たちに頼んでいた。しかし結局A子は散歩が好きだとか言って有り得ないくらい歩かせてきたり、食事量が少ないことを責めるように大声で言われたりと、記憶が消えているんじゃなかろうかと思う程全く配慮してくれなかった。
ずっとこんな具合だったので、自分の体調が悪かったこともあり途中でとうとうA子への限界が来てしまった。
自分はA子と二人一室だったホテルの部屋を理由を付けて別にしてもらい、その後も露骨に一人だけ別行動した。
協調性が無い行動をした自覚はあるが、普通友人がそこまであからさまな態度をとっていたら何があったのか、何かしてしまったのかくらい気にするはずだ。それくらいグループ旅行中に別行動するというのは常識的に有り得ない行動だと思う。せめてこれで察してくれと思い、実際他の子は理由を察して申し訳なくなるくらい気遣ってくれたが、結局その後もA子の対応が変わることはなかった。蘇る「友人と旅行に行くとなぜかギスギスするから一人旅の方が好き」というA子の発言。「なぜか」ギスギスするのではなく、明確な原因があるだろう。一人旅の方が好きなのは結構だが、ただ他者を慮りつつ旅行する素養が無いだけなのでは?口を開けば旅行の雰囲気を最悪にする言葉が出てきてしまいそうだったが、他の友人達にこれ以上心労をかけたくなかったのでそこからはほぼ無言を貫き、旅の終わりだけを祈った。もう二度とオタクと旅行に行きたくないと思った。
ここ数年のオタクコミュニティーの中では「自由なオタクたれ」という風潮が蔓延し、奇抜な言動の数々も「推し」が絡めば武勇伝かのように語られることさえある。しかし大部分のオタクは根本的に社会からズレている。そうしたオタクの言動は、一般にはただの奇行だ。面白がられているようで、世間からは普通に引かれている。あのときホテルで同世代の女子にされた反応が全てなんだろう。
そうやってオタクが嫌悪される原因も、オタク趣味自体というより、オタクの異様な公的自意識の欠如・想像力の低さから周囲を不快にさせる言動にあるのだと体感した。自分らしく生きるべきだと叫んだり自己肯定感ばかり上げるのは勝手だが、少なくとも一般社会と関わるときにはそのズレを認識しておく必要があるんじゃないだろうか。
勿論全てのオタクを主語にする気はないが、「自分は違う」と思考停止することは危険だと思う。今から思えば驚くべきことに、A子はオタクの社交性の無さを取り上げた増田やツイートをRTして「こうはなりたくない!オタバレせずに世間に擬態しなきゃ!」だとかよく言ってるタイプだった。服装やメイクにもこだわっているほうだ。彼女の自己認知では、自分は世間に上手く擬態できている側、なのだろう。自己認知が都合の良いように歪むことは往々にしてあることだが、オタクは特にその傾向が強いように思われる。「自分ももしかしたら…」と自戒するくらいが丁度いい気がする。
そして、もしA子本人がこの増田を読んでいたら、そうやって自分を省みてくれたらと思う。
やんわり注意しても駄目、態度で表してみても駄目となると直接伝える他ないが、プライドの高いあなたのことだから友人にそんなことを言われたとしたら羞恥心からすぐに関係を切るか、他責に走るかどちらかだろうと予想はつく。どうして公的自己意識は低いのにそんなにも私的自己意識ばかりが高いのか疑問だが、そういう厄介なところも含めてあなたとはまだ友達でいたいと思ってしまう。ここまで書いてきたこと以上に、あなたといて楽しかったことはたくさんある。あなたの魅力もたくさん知っているしこれからも一緒にいたい。でもこうした言動が続くならそれももう難しい。これまで上から目線に書いてきたが、何を隠そう自分もオタクだ。A子のように(もしかしたらそれ以上に)負のオタク言動・奇行をしてしまっているかもしれない。大体この年代の一般女性は日曜からオタク口調で増田に陰湿な長文を書いたりしないし。変わるべきところがあるのは自分も同じだ。
だから私達は一度、自分たちの言動をきちんと振り返らなければいけないと思う。一般人に擬態したいと服装やメイクに力を入れるのもいいが、外見だけの話をしているわけではない。個人的な意見を言えばあなたはオタクのままでいいし、オタクのあなたが好きだ。それでも自分の言動で周りがどう思うのかは、人として最低限考えられるようになるべきだろう。他人との旅行はそれが出来るようになってから行ってくれ。
引用元①bilibili.com/video/BV17d4y1H7mh ②youtube.com/watch?v=WZXaikqal4U
※二次元とはいわゆるオタク系作品を指すがそれっぽくても除外されてるのがある為①の人の基準が謎。参考程度に。
順位 | タイトル | 売上(円換算) |
---|---|---|
30位 | メメントモリ | 48.4億 |
29位 | Shadowverse | 53.8億 |
28位 | ワールドフリッパー | 54.7億 |
27位 | 食物語 | 57.7億 |
26位 | 未定事件簿 | 63.1億 |
25位 | 雀魂 -じゃんたま- | 65.1億 |
24位 | 恋とプロデューサー~EVOL×LOVE~ | 65.9億 |
23位 | エーテルゲイザー | 66.1億 |
22位 | アナザーエデン 時空を超える猫 | 68.3億 |
21位 | バンドリ! ガールズバンドパーティ! | 68.4億 |
20位 | 無期迷途 | 97.3億 |
19位 | パニシング:グレイレイヴン | 112.3億 |
18位 | ガーディアンテイルズ | 115.3億 |
17位 | シャイニングニキ | 119.1億 |
16位 | 遊戯王 デュエルリンクス | 123.9億 |
15位 | プリンセスコネクト!Re:Dive | 138.6億 |
14位 | ブルーアーカイブ | 144.1億 |
13位 | 遊戯王 マスターデュエル | 154.4億 |
12位 | 光と夜の恋 | 216.6億 |
11位 | NIKKE | 217.4億 |
10位 | アズールレーン | 235.2億 |
9位 | ヘブンバーンズレッド | 260.5億 |
8位 | 崩壊3rd | 260.5億 |
7位 | あんさんぶるスターズ!!Music | 332.0億 |
6位 | 陰陽師 | 409.3億 |
5位 | Tower of Fantasy(幻塔) | 471.1億 |
4位 | アークナイツ | 488.4億 |
3位 | Fate/Grand Order | 943.8億 |
2位 | ウマ娘 プリティーダービー | 965.6億 |
1位 | 原神 | 7,694.3億 |
注目ポイントは1位の桁違いぶりと、11月リリースにもかかわらず11位に食い込んでるNIKKE。①による23年1月分の集計ではNIKKEは3位と勢いが伺える。
二次元縛りをなくしたの直近1月の情報だと1位はテンセントの王者栄耀(Honor of Kings)が不動。ただし94%が中国市場での収益で実質ドメスティックタイトル。2位-3位がmiHoYoの原神(41%が中国から)とテンセントのPUBG Mobile(79%が中国から)で競っている。以下欧米人気のカジュアルゲームや国内長寿お化けゲーのモンストなどを挟みつつ9位にNIKKEがつけ、FGOと競っている。NIKKEはテンセントなので、テンセントが二次元ジャンルでも包囲網を展開してきたことが分かる。
ちなみに参考ページによると2022年の世界のゲーム市場全体が約24兆円、うちモバイルゲーム市場が50%を占め約12兆円と主要な戦場となっている。
モバイルゲーム全体売上の国別では米>中>日>韓…という具合だが、二次元系となると欧米比率が下がる。グローバルタイトルの原神の比率を参考にすると、中国35% 日本23% 米国16% 韓国6% 台湾2%といった具合で、米国の存在感はあるもののやはり東アジア人がお金を使っていることが分かる。
なので、二次元ゲームに限ったランキングだと最大消費国である中国で(も)サービスしているゲームを中心とした順位に、中国外(筆頭が日本)ゲームの順位補正が加わる感じになる。
乙女ゲー最上位の光と夜の恋に至っては、日本人男性声優やクリエイターを使っているが実質中国版のみと思われ、それでも日本版ポケGO(非二次元だが)に近い売上を出している。