はてなキーワード: 奇想天外とは
今日こそパスポートの申請をしに立川へ行った。それからグリーンショップへ立ち寄りストレリチア用の鉢を買う。やっぱりポット剥き出しより鉢カバーをかけたりお洒落な鉢に植えた方が部屋の雰囲気も良い。もしかしたら今育てている大半の植物の値段より高いかもしれない。如何せん2000円以上払うとなると小さなサイズだが塊根植物といったレアな植物が買えるから用具にはあまりお金をかけようとは思わなかった。しかし今日は特別。ストレリチアとはいってもノンリーフ種だからね。
帰宅後、昨日買っておいたグラム68円の鶏胸肉でお手軽カオマンガイを作る。そして食べながらアマプラで荒野の千鳥足を観る。
チャンネル恐怖のコンテンツなのでb級映画だと思っていたがそれらとは一線を画していた。なんだろう、専門用語をあまり知らないから詳しいことはわからないけれど、センスのある怪作だと思った。戦国自衛隊を観た時も同じことを思ったが、すっごい男くさい(ただし荒野の千鳥足のジャンルは一応スリラーなので気持ちの悪い要素が多い。これこそ奇想天外映画祭で上映されそうば作品)酒は飲みまくるは、女は寝る要員だったし、ギャンブルはするわ、狩り(実際のカンガルー狩りのシーンがある)はするわで今の時世じゃこんな映画生まれるわけないね。それに日本のど田舎で生まれ育ってきた私にとって都会からやってきたインテリがいまいち田舎に馴染みきれない感じもわかる笑
12時から映画が始まるのでめずらしく11時以前にベットから起き上がり、準備をする。
ぎりぎり5分前に到着することができた。奇想天外映画祭2023の上映作品の1つだった子供たちをよろしくを観る。
この作品は、当時全米一暮らしやすいと言われていたシアトルに集まってくるストリートチルドレンの生活を撮ったドキュメンタリー映画である。フィルム撮影のどこかぼんやりとしたあたたかい質感やシアトルの賑やかな雑踏によって生まれた浮世離れした空気感のなか、ストリートチルドレンの常に死と隣り合わせの過酷な現実とそんな暮らしの中でも彼らの一抹の輝かしい青春を映し出した作品だった。どの子供達も家庭に居場所がなく街に流れてきて、同じような背景を持った者同士集まり、物乞い、売春、ドラックディーラー、ゴミ漁りで生計を立てていた。そういった生活を送っているせいか、女の子は特にスレた雰囲気を醸し出し、世を見る沈んだ目は中学生には見えないが、何気ない言動や行動、笑っている姿はやっぱり年相応で、どうかこの子供達が安住の地にたどり着いてほしいと願わずにはいられなかった。タイニーという痩せた14歳の女の子が売春で留置場に捕まった時、アルコール依存症の母親は施設に入っており面会に来れず、来てくれた好きな男の子がフロリダへ旅立つと知った彼女の噛み締めるように泣いた顔、同じく留置所に入ったが父親は逮捕されていて会いに来れず、ただ一人きてくれたのは児童指導員だけでその後自殺してしまった17歳の男の子。彼らの抱える深い孤独。観終わった後、暗い気分になる。
帰宅後、英語版ウィキペディアを読むとなんと子供達のその後が簡単に書いてあった。売春婦のまま殺されてしまったり、喧嘩の最中刺されてそ致命傷となったり、AIDSで亡くなったりと20代のうちに命を落とすものもいれば、生き延びて親となった者もいた。80年代の作品ではあるが、どの国・時代にも彼らのような子供たちはいるのだろう。私が育った田舎町では、家庭環境が良くなかった子は中卒のまま街へ流れていくケースが多い。小学校の同級生で一人いるが、元気にやっているだろうか。
現代の東京という大都市で、目露酢(メロス)という若者が暮らしていました。彼は優れたフリーライターであり、その的確な記事で人々の心を魅了していました。
ある日、メロスの友人であり、彼にとっては兄のような存在である芹塗ん手薄(セリヌンティウス)は冤罪で逮捕され、死刑が宣告されてしまいました。
メロスは彼の無実を信じ、心底から訴えるために行動を起こすことを決意しました。時間は限られており、たった1週間だけが与えられたのです。
メロスは心を鼓舞し、街の喧騒を飛び越えて走り出します。彼は東京のあらゆる角を駆け抜け、セリヌンティウスの無実を証明するための証拠を探し求めました。新聞社を訪れ、事件の真相を語り、証人の証言を求めました。
彼は自分のスマートフォンを手にし、ソーシャルメディアやオンライン上で呼びかけをしました。彼の努力は広がり、多くの人々が彼の行動に共感し、彼の側に立ってくれました。
週が経ち、メロスは多くの証拠を集めました。彼はそれらをひとまとめにし、セリヌンティウスの裁判所に持ち込みました。その証拠は明確で、セリヌンティウスの無実を証明するものでした。法廷はざわめき、緊張が高まります。メロスの心は震えましたが、彼は信じることを決して諦めませんでした。
そしてついに判決が下されます。セリヌンティウスは無罪とされ、解放されたのです。メロスは喜びに満たされ、市民たちの称賛を浴びました。彼の闘争は勇気と正義の象徴となり、多くの人々の心に深く刻まれました。この物語は、冤罪や誤った司法判断に対する意識を高める契機となり、社会にポジティブな変化をもたらしました。
かつて、現代の東京にはユニークな存在であるメロスという青年が住んでいた。彼は不思議な能力を持っていて、走ることで時間を逆行させることができたのだ。ある日、彼の友人セリヌンティウスが突然宇宙人に連れ去られてしまった。メロスは絶望しましたが、諦めることなく走り出しました。
彼は風を切り裂き、タイムトラベルの力を駆使しながらセリヌンティウスの行方を追いました。過去と未来を行き来し、異次元の世界を駆け抜けるメロスの姿はまさに奇跡的でした。彼は時空を超えた大冒険を繰り広げ、宇宙人の邪悪な陰謀を暴き出すために全力を尽くしました。
最終的に、メロスは宇宙船の中でセリヌンティウスを見つけました。彼は巧妙なトラップに囚われていましたが、メロスの特異な能力と勇敢な行動によって彼を解放することができました。二人は喜びに満ちた笑顔で抱擁し、帰還の瞬間を迎えたのでした。
この奇想天外な冒険譚は、人々の想像力をかきたて、現実と非現実の狭間で揺れ動く魅力的な物語として人々の心に刻まれたのです。メロスの走りはただの足運びではなく、不思議なパワーを宿し、友情と勇気を融合させた驚異的な力の象徴となったのであります。
もっと変な話にして!
かつて、現代の東京にはタイムマシンを駆使する冒険家メロスが存在した。彼はある日、多額の借金に悩まされることとなりました。しかし、彼は運命を変えるため、タイムマシンを使って過去に戻る決意を固めました。
メロスは過去の自分と出会い、財政管理や投資についての知識を伝えました。彼は自分自身の未来を変えるために、借金のリスクを避けるようアドバイスしました。また、彼は未来の自分に対しても計画的なお金の使い方や貯蓄の重要性について教えました。
メロスの行動の結果、未来の彼自身は借金をゼロにすることに成功しました。彼は財政的な自由を手に入れ、新たな人生を歩むことができました。この奇妙な時間旅行の物語は、過去と未来が交錯する中で、借金問題に直面する人々に希望と示唆を与えました。
メロスの勇気と決断は、負債の苦境にあえぐ人々にとっての道しるべとなりました。彼の冒険は、お金に関する教訓や適切な計画の重要性を啓示し、借金からの解放を夢見る人々に勇気と希望をもたらしました。
許す!
「今までの文脈から次に出てくる単語(正確にはトークン)を予測する」って(ChatGPTが)言ってたけど、本当なのか。
バス会社の生産性を高める方法を聞いたら次のように答えられた。
バス会社の生産性を高めるためにエキセントリックで一見めちゃくちゃにも思える奇想天外な策を提案します。それは、「バス・カオス・マラソン」というコンセプトです。
バス・カオス・マラソンは、一定期間にわたり、バスがランダムに運行されるイベントです。バスは通常の時刻表に従わず、予測不可能なパターンで出発します。これにより、乗客はエキサイティングでスリリングな体験を得られるとともに、バス会社は生産性向上の機会を得られます。
この期間中、バス運転手は各バス停でサイコロを振り、出た目に応じて次の行動を決めます。例えば、「1」が出たら5分待機、「2」が出たら15分待機、「3」が出たら直ちに発車する、などです。
バス停にはカオスポイントが設置され、乗客はバスが到着するのを待つ間、エンターテインメントやゲームを楽しむことができます。これにより、乗客は待ち時間を楽しんで過ごすことができ、ストレスを感じることが少なくなります。
バス・カオス・マラソンの期間中、通常の乗車券に加えて「カオスチケット」が販売されます。これは、乗客が運行カオスに参加し、サプライズとスリルを楽しむことができる特別な乗車券です。
バス・カオス・マラソンは、SNSやメディアを通じて大々的に宣伝され、話題性を高めることで多くの乗客が参加したくなるようなキャンペーンを展開します。
このようなエキセントリックで一風変わったイベントにより、バス会社は顧客の関心を引きつけ、利用者数の増加や収益向上に繋がる可能性があります。また、乗客はこのユニークな体験を通じてバス利用の楽しさを発見し、リピートカスタマーになる可能性が高まります。さらに、このイベントは、バス運行のルーチンを変えることで、運転手の仕事に変化をもたらし、モチベーション向上にもつながるでしょう。
学習データのなかにバス・カオス・マラソンという概念について書かれたものがあったのか、あるいはそうでなくてもバス→カオス→マラソンの順に出力されるモデルになるのか。
ケーブルテレビSTBでは見られない場合が多いようなのでBSパススルーとか
地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報要確認
・01 [ある2人の人物の名前]阿部一二三・詩 あべひふみ・うた
・02 『宇宙兄弟』
・03 レアル
・04 奇想天外
・05 錦織一清 にしきおりかずきよ
・06 [すべて][5つ]静岡県 鹿児島県 三重県 京都府 福岡県
・07 あの
・08 [近似値]79万9728人
・09 [角度]108(度
・10 マレー
・11 [2択]転 入 届
・13 3(つ
・15 鴨居 かもい
・16 『THE FIRST) SLAM DUNK』
・17 [2択]離れている
・18 太田道灌 おおたどうかん
・19 [ふるさとクイズ][大分県]自動車(クラシックカー)
・21 伯仲 はくちゅう
・22 オズワルド
・23 3(番
・25 [3択]4 千(平方メートル
・26 ロールパンナ
・27 大腿骨 だいたいこつ
・29e [2択]大老 たいろう
これ↓のことね
曲名と同じ歌詞が出てくるタイミング(その多くはサビの部分)で、曲名を含む曲紹介が出てくるやつは、個人的にはなんか鳥肌立つくらい良い演出だなぁと思ってる。
例えば、true tearsのオープニングみたいなやつ。
今期放送アニメ全部のOPをチェック、、、と言いたいところだが全部チェックするのは難しいのでdアニメストアで配信されている2023年春アニメのOPを全部チェックしてみた。ありなし判定には多少の表記ゆれを含む。OPが存在しないアニメ(5分アニメなど)は除外してある
曲名表示時の歌詞:「ビーチ・浮き輪・サンダル カモメも楽しそうです!Yeah」
作品名:異世界ワンターンキル姉さん ~姉同伴の異世界生活はじめました~
曲名表示時の歌詞:「明日のピースのために レベル上げ重要↑」
作品名:MIX MEISEI STORY ~二度目の夏、空の向こうへ~
曲名表示時の歌詞:「ありふれたこのフレーズも 君とつけたメロディなら」
曲名表示時の歌詞:「舞い散る世界を繋げMotive Rain (Never fading out!!)」
曲名表示時の歌詞:「夜明けの星が 目の前に落ちた」(※日本語訳)
OP曲名:ワナビスタ!(鳳 ここな(石見舞菜香)/静香(長谷川育美)/カトリナ・グリーベル(天城サリー)/新妻八恵(長縄まりあ)/柳場ぱんだ(大空直美)/流石知冴(佐々木李子))
曲名表示時の歌詞:「秘密♡Melody ありのままで期待しちゃいけない」
曲名表示時の歌詞:「たとえ誰かを傷つけたとしても 譲れない光があるんだ」
作品名:異世界でチート能力を手にした俺は、現実世界をも無双する ~レベルアップは人生を変えた~
曲名表示時の歌詞:「例えばこの世の全部を変えられる 枯れ木に花を咲かせる程の奇跡を」
曲名表示時の歌詞:「死んだ 死んだ 今日も死んだ 手 足 頭が取れちゃいそうだ」
OP曲名:SWITCH!(あおま(内田彩)、みーみ(小倉唯))
曲名表示時の歌詞:「僕らを 育ててる そのきもちは たからもの」
OP曲名:ドキメキダイアリー(asmi feat. Chinozo)
曲名表示時の歌詞:「ずっと僕は君のもんだ 最愛すぎて時空歪んだ」
曲名表示時の歌詞:「さあ全力メタ盛りフォーゼ 全部を守りたい」
作品名:BIRDIE WING -Golf Girls' Story- Season 2
曲名表示時の歌詞:「Venus Line Venus Line 鮮やかな打球(きぼう)は空を切って」
OP曲名:刹那の誓い (feat. 由崎司)(Neko Hacker)
作品名:贄姫と獣の王
OP曲名:ぐらでーしょん feat. 北澤ゆうほ(KANA-BOON)
曲名表示時の歌詞:「ふたりだんだん近づくたびに 代わりない感情がふんだんに」
曲名表示時の歌詞:「この躰千切れたとしても 諦めちゃいない」
作品名:ゴー!ゴー!びーくるずー
OP曲名:ゴー!ゴー!びーくるずーのうた(ササキトモコ(東京ハイジ))
曲名表示時の歌詞:「ほら、想像は遥か遠くまで おいてかれないように駆け出した今」
作品名:ウマ娘 プリティーダービー ROAD TO THE TOP
OP曲名:Glorious Moment!(ナリタトップロード(中村カンナ)、アドマイヤベガ(咲々木瞳)、テイエムオペラオー(徳井青空))
OP曲名と同じ歌詞:なし(「glorious one moment」という歌詞はあり)
曲名表示時の歌詞:「眩しくて 眩しくて 僕は目を逸らしてしまう」
OP曲名:絆ノ奇跡(MAN WITH A MISSION × milet)
曲名表示時の歌詞:「何を引き換えにしようとも 何度だって汚すよこの手なら」
46本中、OP曲名と同じ歌詞が存在する曲は25本、OP曲名と同じ歌詞を歌っているときに曲名クレジットが表示されるアニメ作品は6本(君は放課後インソムニア、絆のアリル、魔術士オーフェン、勇者が死んだ!、BIRDIE WING、彼女が公爵邸に行った理由)だけでした
案外少ないね!
春アニメ以外だと、最近では『NieR:Automata Ver1.1a』OPのAimer「escalate」の「赦せなくて escalateして escalateして」のときに曲名表示されるのすき
この間、アド街でヴァニラ・ファッジのYou keep me hanging onがかかっていたのでサブスクで聴いていたら
(ヴァニラ・ファッジのメンバー構成など勿論知らない。というか知っている曲が↑の曲のみ。つーかそもそもこの曲、オリジナルはSupremesなのな。それも知らんかった)
カーマイン・アピスというと自分の中では「ブルー・マーダーの人」というイメージである
とりあえずwikiで見てみたら、なんだこの経歴。滅茶苦茶だ(なんとなく「ジェフ・ベックのせいで流浪の人生になった」感じがするんだが気のせいだろうか)
まあ、「すごく昔から活動しており、奇想天外な人達との組み合わせでドラムを叩き続けてきた人」という認識で良いのだろうか
(田村直美やFENCE OF DEFENSEの人や果てはカルメンマキ…謎すぎる
が、「自分がほんの少しだけ知っている」この人達のイメージがブルー・マーダーのカーマイン・アピスと結び付かないだけなのだ
wikiを読んでいると別に奇想天外な繋がりというわけでもなかった)
日本人だとこれほどバンドとか渡り歩かないよね。バンド休止期間にソロで出すとかはあるけど(そこら辺も日本人らしいというか終身雇用的というか)
ごめん1行目までで限界だったわ
まんさんの文章はなぜこうも読みにくいのか
2022-07-19
■看護師になった妻が泣きながら帰ってくる
妻、今の職場に3日くらい前に退職希望と伝えていて手続きも進んでいるらしい。
今回は妻の希望の職場・地域(妻の地元近く)に合わせて転居して、
そのかわり私はフルリモートで働けるポジションに移動したりと色々あったから、
なんとなく言い出しづらかったようだ。
よかった、ほっっとした。
とりあえず学位がほしいということだから、大学の資料などいろいろ取り寄せの申込みした。
入学の条件は満たしてるしUoPeopleなんかいいと思うんだけどな。
妻が「いろんなことに興味があってどの学部に行くか迷う」と言うから、
「なにも編入じゃなくて、高校生に混じって受験したっていいじゃない。お金にならない勉強でもなんでもいいよ」と言ったら、ニカッと笑った。
なんて二人でいろいろ想像しながら話してたら妻もにこにこしてきて、
久々に明るい将来?(大げさかな)を思い描けてる気がする。
皆さんお世話になりました。
-------------------------------------
思い出と愚痴を、吐き出させてくれ。
最初、若い男性社員たちは「かわいい若い子が入ってきた」という扱いをしいていた。
それがだんだんと「うちの部署にもあんな子がいれば」という扱いにかわる。
雰囲気はぼーっとしている感じがするが書類だとか事務処理だとか気が付いたら終わっている。
ミスもほとんどなく、小さなことでも気が利く(女性らしさというわけではない、業務上かゆいところに手が届く、そんな感じ)。
会社主催のイベントで少し話した。興味があったのだ。正直、見た目も好きだった。
かなりレベルの高い資格(身バレするかもしれないので控えるが)やなんというか男性っぽい特殊な資格も多数もっていた。
「本当は大学に行きたかったけど親が…」と残念そうに語っていた。
私のようなものがなんの障壁もなく適当に予備校に行き漫然と大学へ進学したことをどう思うのだろう?と少し不安になった。
付き合うことで違う一面もわかってきた。
やや常識やマナーにかけるところがある、ややがさつかもしれない、プライベートでは以外とおおざっぱだ。
それも嫌いじゃなかった。何より、よく本を読み、多趣味で、自分より年下ではあるが”できるやつ”であるところが好きだった。
強いたわけではない。ただなんとなく「どっちでもいいけど、働かなくてもやしなっていけるよ」と言ったら「そうしてみるか」と彼女が言った、それで、決まった。
子どもがなかなかできなかった。
彼女はまたハケンを始めたが私よりもかなり収入が低いことを悔しがっているようだった。
そして「看護学校に行く」と言い出した。賛成した。
看護師の妻がいる同僚や上司がよく言っていた「稼ぎがよすぎて・・・」となかば迷惑そうに。
それを思い出して「いいね」と内心にやりとした。
今の時代どうかと思うが、手書きの課題が毎日大量にあり、私と夕食を食べた後寝ずにやっていた。
会社で働いていた時は、こわもての現場系の社員に怒鳴られてもびくともしなかった、ぼーっとした雰囲気を崩さなかった、そんな彼女が、目を真っ赤にして帰ってくるのだから。
実習でああいわれた、こういわれたと落ち込み悔しがり怒る彼女の語ることはにわかには信じがたかった。
いわく「論理的思考力がない」「社会人としてマナーがなってない」「声が小さい」「字が汚い」「やる気を感じない」「馬鹿なのか」「看護師の才能がない」
どれも私のもつ妻像とかけ離れていた、そしてなによりこんなことを言われたくらいで泣く彼女ではないはずだろう?
会社ではこんなことでは眉1つ動かさなかったのに、なぜ?ただ疑問ばかりが浮かぶ。
看護師の現場というのはそれほど雰囲気のおかしい場所なのだろうか?
ウェブ上で「看護師あるある」を見て妻に聞いた「これ誇張だよね」「いや違う、これよりひどい」そう即答した。
実習に毎日行くこと、課題を全て終わらせること、それは大変であったようだ。
だが「看護師資格」を取るための国家試験は妻には簡単だったようで特別な準備はせず相当な正答率で軽々と受かっていた。
すると、少なくとも2週間に1度は泣いて帰ってくるようになった。
他に泣く人がいるのかと妻に聞いた。
普通の会社だとして、インターンで絶対に誰か泣くとか30歳を過ぎた社会人が泣かされるとかそのようなことが普通なのだろうか?
しかし、たいてい月に1度は泣いて帰ってくる。そしてもはやその理由すら話さないようになった。
妻は「泣いた分がんばる」というが、どんどん体調も悪くなっているように見える。
やめてほしい。正直に言って、唯一の大切な人間、それも同居人が苦しんでいるのを間近で見るのはストレスだ。
でも、もう病院では働かないでほしい。あのころの”できるやつ”に戻ってほしい。
妻や派遣を見下してる?という問いについては
→見下してないです
(事務作業とぼかして書いたけど特定の専門知識・資格が2つほど必要)
ただ当時妻は実家がごちゃついていて正社員フルタイムはきびしかったから派遣してたみたい。
いまはそれも整理(亡くなった)がついてるけど。
妻の学歴と持ってる資格にあまりにも落差があって、なかなかマッチする正社員募集がなかった。
それで大学へ行くか他の道に行ってみるかで、
もともと興味のあった看護学校を選んだということらしい。
ともかく私から見れば妻は“すごくできるやつ”だったよ。
そして理不尽なダメ出しされたりしても泣いたりする人ではなかった。
できるやつに戻ってほしいってのは、
あの頃の自信(落ち着いていて冷静な)のある
にこにこぼやーっとした元気な妻に戻ってほしい。
そんな気持ちで書いた。
普通にやめてみればと言ってもなかなかうんと言ってはくれないから、
ただやめろと言うんじゃなく、学費出すから大学にでも編入して勉強してみたいことをするよう勧めてみよう。
不妊治療⇒私、妻ともに決定打とはいえないまでもマイナス要素があるので治療はしている。
私はもともと子供に興味がなく、妻はいてもいなくてもどちらでも…と言っていた。私はこれについても少し悩んでいる。
「あなたのような看護師もできない人が保健師をできるわけがない」と言われたらしく、それで乗り気ではないようだ。
なんというか妻は、自分の仕上げた”仕事”にはある程度自負というか自信のようなものがあるが、
”自分自身”や自分の意見とか考えには、自信がないようで、だから、
「あなたに保健師はできない」と言われると「そうなのか」と思ってしまう、そんな嫌いがあるように思う。
私相手であれば、妻は、立て板に水のごとくこの世の森羅万象について自らの考えや感想を述べ、
奇想天外な空想や持論を話して聞かせてくれるのだが(会社ではとても静かだったのでおどろいた)、
それ以外となると、かなり静かに「仕事に必要なことだけ」話すタイプなんである。
まあだからこそ、なぜ職場で何らかの標的になるのかわからない。
上司に口答えしたり、自分の正しさを声高に主張したりするタイプではないのに・・・。
他の職場にすれば?⇒
妻もずっと大病院(2年くらい)にいたわけじゃなく、それから自分に合う職場を模索して、
ゆったりとした療養タイプの病院や小さな施設的なところで働いたりもしてる。
超短期のバイトで健診センターや老人ホームの夜勤を体験したりもしている。
ちなみに最初の病院ではナースシューズに水をかけられたり、皆の前で大声で晒上げられたりと、
いじめなんじゃないかということもされたらしい(これは最近になってはじめて教えてくれた)。
妻が看護師として働いている現場をこの目で見たことはないけれど、
最初の病院や次の病院でも師長さんからの評価はよかったようで、
「今日面談でほめられた」とニコニコ嬉しそうに話していたのを覚えている。
実際、何かの研修に先輩と一緒に特例的にいかせてくれるという話もあったそうだ。
今度お互いの休みの合うときに、妻にこのエントリみてもらいつつ、
妻が自分自身に納得できて、それでいて疲弊しない、そんな答えが出るよう話しあってみたいと思う。
「できるやつ」って本当に下に見てるつもりはない
「○くんはできるやつだから、僕が推薦させてもらった」
それからなんとなく、できるやつってのが自分の中で一種すごく良い称号みたいになってるところがある。
プライベートではよくふざけて言うしね。
こんなに嫌な印象を与える言葉だなんて思ってなかった。
誤解を与えて申し訳ない。
私は妻に「いいやつだなぁー」とか「できるやつ!」と言われることもあるけど普通に喜んじゃってる。
もし部下に先輩はできるやつだと言われたら...まあ悪い気はしないけど、
その部下のこと“面白いやつ“だと思うだろうな。
同僚に言われれば単純に嬉しい。
まあこの話はこの辺にしておこう。
妻、今の職場に3日くらい前に退職希望と伝えていて手続きも進んでいるらしい。
今回は妻の希望の職場・地域(妻の地元近く)に合わせて転居して、
そのかわり私はフルリモートで働けるポジションに移動したりと色々あったから、
なんとなく言い出しづらかったようだ。
よかった、ほっっとした。
とりあえず学位がほしいということだから、大学の資料などいろいろ取り寄せの申込みした。
入学の条件は満たしてるしUoPeopleなんかいいと思うんだけどな。
妻が「いろんなことに興味があってどの学部に行くか迷う」と言うから、
「なにも編入じゃなくて、高校生に混じって受験したっていいじゃない。お金にならない勉強でもなんでもいいよ」と言ったら、ニカッと笑った。
なんて二人でいろいろ想像しながら話してたら妻もにこにこしてきて、
久々に明るい将来?(大げさかな)を思い描けてる気がする。
皆さんお世話になりました。
-------------------------------------
思い出と愚痴を、吐き出させてくれ。
最初、若い男性社員たちは「かわいい若い子が入ってきた」という扱いをしいていた。
それがだんだんと「うちの部署にもあんな子がいれば」という扱いにかわる。
雰囲気はぼーっとしている感じがするが書類だとか事務処理だとか気が付いたら終わっている。
ミスもほとんどなく、小さなことでも気が利く(女性らしさというわけではない、業務上かゆいところに手が届く、そんな感じ)。
会社主催のイベントで少し話した。興味があったのだ。正直、見た目も好きだった。
かなりレベルの高い資格(身バレするかもしれないので控えるが)やなんというか男性っぽい特殊な資格も多数もっていた。
「本当は大学に行きたかったけど親が…」と残念そうに語っていた。
私のようなものがなんの障壁もなく適当に予備校に行き漫然と大学へ進学したことをどう思うのだろう?と少し不安になった。
付き合うことで違う一面もわかってきた。
やや常識やマナーにかけるところがある、ややがさつかもしれない、プライベートでは以外とおおざっぱだ。
それも嫌いじゃなかった。何より、よく本を読み、多趣味で、自分より年下ではあるが”できるやつ”であるところが好きだった。
強いたわけではない。ただなんとなく「どっちでもいいけど、働かなくてもやしなっていけるよ」と言ったら「そうしてみるか」と彼女が言った、それで、決まった。
子どもがなかなかできなかった。
彼女はまたハケンを始めたが私よりもかなり収入が低いことを悔しがっているようだった。
そして「看護学校に行く」と言い出した。賛成した。
看護師の妻がいる同僚や上司がよく言っていた「稼ぎがよすぎて・・・」となかば迷惑そうに。
それを思い出して「いいね」と内心にやりとした。
今の時代どうかと思うが、手書きの課題が毎日大量にあり、私と夕食を食べた後寝ずにやっていた。
会社で働いていた時は、こわもての現場系の社員に怒鳴られてもびくともしなかった、ぼーっとした雰囲気を崩さなかった、そんな彼女が、目を真っ赤にして帰ってくるのだから。
実習でああいわれた、こういわれたと落ち込み悔しがり怒る彼女の語ることはにわかには信じがたかった。
いわく「論理的思考力がない」「社会人としてマナーがなってない」「声が小さい」「字が汚い」「やる気を感じない」「馬鹿なのか」「看護師の才能がない」
どれも私のもつ妻像とかけ離れていた、そしてなによりこんなことを言われたくらいで泣く彼女ではないはずだろう?
会社ではこんなことでは眉1つ動かさなかったのに、なぜ?ただ疑問ばかりが浮かぶ。
看護師の現場というのはそれほど雰囲気のおかしい場所なのだろうか?
ウェブ上で「看護師あるある」を見て妻に聞いた「これ誇張だよね」「いや違う、これよりひどい」そう即答した。
実習に毎日行くこと、課題を全て終わらせること、それは大変であったようだ。
だが「看護師資格」を取るための国家試験は妻には簡単だったようで特別な準備はせず相当な正答率で軽々と受かっていた。
すると、少なくとも2週間に1度は泣いて帰ってくるようになった。
他に泣く人がいるのかと妻に聞いた。
普通の会社だとして、インターンで絶対に誰か泣くとか30歳を過ぎた社会人が泣かされるとかそのようなことが普通なのだろうか?
しかし、たいてい月に1度は泣いて帰ってくる。そしてもはやその理由すら話さないようになった。
妻は「泣いた分がんばる」というが、どんどん体調も悪くなっているように見える。
やめてほしい。正直に言って、唯一の大切な人間、それも同居人が苦しんでいるのを間近で見るのはストレスだ。
でも、もう病院では働かないでほしい。あのころの”できるやつ”に戻ってほしい。
妻や派遣を見下してる?という問いについては
→見下してないです
(事務作業とぼかして書いたけど特定の専門知識・資格が2つほど必要)
ただ当時妻は実家がごちゃついていて正社員フルタイムはきびしかったから派遣してたみたい。
いまはそれも整理(亡くなった)がついてるけど。
妻の学歴と持ってる資格にあまりにも落差があって、なかなかマッチする正社員募集がなかった。
それで大学へ行くか他の道に行ってみるかで、
もともと興味のあった看護学校を選んだということらしい。
ともかく私から見れば妻は“すごくできるやつ”だったよ。
そして理不尽なダメ出しされたりしても泣いたりする人ではなかった。
できるやつに戻ってほしいってのは、
あの頃の自信(落ち着いていて冷静な)のある
にこにこぼやーっとした元気な妻に戻ってほしい。
そんな気持ちで書いた。
普通にやめてみればと言ってもなかなかうんと言ってはくれないから、
ただやめろと言うんじゃなく、学費出すから大学にでも編入して勉強してみたいことをするよう勧めてみよう。
不妊治療⇒私、妻ともに決定打とはいえないまでもマイナス要素があるので治療はしている。
私はもともと子供に興味がなく、妻はいてもいなくてもどちらでも…と言っていた。私はこれについても少し悩んでいる。
「あなたのような看護師もできない人が保健師をできるわけがない」と言われたらしく、それで乗り気ではないようだ。
なんというか妻は、自分の仕上げた”仕事”にはある程度自負というか自信のようなものがあるが、
”自分自身”や自分の意見とか考えには、自信がないようで、だから、
「あなたに保健師はできない」と言われると「そうなのか」と思ってしまう、そんな嫌いがあるように思う。
私相手であれば、妻は、立て板に水のごとくこの世の森羅万象について自らの考えや感想を述べ、
奇想天外な空想や持論を話して聞かせてくれるのだが(会社ではとても静かだったのでおどろいた)、
それ以外となると、かなり静かに「仕事に必要なことだけ」話すタイプなんである。
まあだからこそ、なぜ職場で何らかの標的になるのかわからない。
上司に口答えしたり、自分の正しさを声高に主張したりするタイプではないのに・・・。
他の職場にすれば?⇒
妻もずっと大病院(2年くらい)にいたわけじゃなく、それから自分に合う職場を模索して、
ゆったりとした療養タイプの病院や小さな施設的なところで働いたりもしてる。
超短期のバイトで健診センターや老人ホームの夜勤を体験したりもしている。
ちなみに最初の病院ではナースシューズに水をかけられたり、皆の前で大声で晒上げられたりと、
いじめなんじゃないかということもされたらしい(これは最近になってはじめて教えてくれた)。
妻が看護師として働いている現場をこの目で見たことはないけれど、
最初の病院や次の病院でも師長さんからの評価はよかったようで、
「今日面談でほめられた」とニコニコ嬉しそうに話していたのを覚えている。
実際、何かの研修に先輩と一緒に特例的にいかせてくれるという話もあったそうだ。
今度お互いの休みの合うときに、妻にこのエントリみてもらいつつ、
妻が自分自身に納得できて、それでいて疲弊しない、そんな答えが出るよう話しあってみたいと思う。
「できるやつ」って本当に下に見てるつもりはない
「○くんはできるやつだから、僕が推薦させてもらった」
それからなんとなく、できるやつってのが自分の中で一種すごく良い称号みたいになってるところがある。
プライベートではよくふざけて言うしね。
こんなに嫌な印象を与える言葉だなんて思ってなかった。
誤解を与えて申し訳ない。
私は妻に「いいやつだなぁー」とか「できるやつ!」と言われることもあるけど普通に喜んじゃってる。
もし部下に先輩はできるやつだと言われたら...まあ悪い気はしないけど、
その部下のこと“面白いやつ“だと思うだろうな。
同僚に言われれば単純に嬉しい。
まあこの話はこの辺にしておこう。
STAP細胞の研究は、マウスがないと成り立たない、マウスの権威は若山教授しかいない
若山教授は最初から意図的に偽のマウスを小保方氏に提供したのではないか?と疑う
小保方氏が若山教授から受け取ったマウスは本物なのか偽者なのかは若山教授しか分からず、小保方氏は信じるしかないのではないか?
もし、最初から若山教授がマウスに小細工をしちゃったら、全ては狂ってしまうのではないか?
そして、小保方氏をはじめ、理研の全員が騙されてしまうのではないか?
予告見たときはチップとデールがきゃっきゃしてる子供向けアニメだと思っていた。だってチップとデールだし…。
新作で、気軽に見れて、何なら頭空っぽでも見れるような作品を期待して再生したわけだ。
………
……………
…………………あれ、没案ソニックじゃん?
自分は一体何を見ているんだろう。
コナンも相変わらず奇想天外な解決方法すぎてコナンが高校生な無茶設定忘れそうになったし、シンウルトラマンもなにをやってるのかって感じのツッコミしかない映画で、ドクター・ストレンジもサム・ライミまじカオスにしてくれたなって感じの映画、本当にカオス作品続きだったのだ。
そこに現れたチプデ。
まじで最近のカオス映画はあれでも秩序があったんだなって思えたし、奇抜なことをやってやろうとしたシンウルトラマンやストレンジを鼻で笑うように
チプデのくせに…。
この感想は一周回って感情を殴ってくる大号泣作品だったとかいう意味では全くなく、筋道も通ってない酷い映画というわけでもなく(むしろシンウルより脚本しっかりしてる)言葉の通り本当に無茶苦茶!でしか無い映画だったのだ。
とりあえずディズニーがチプデをつかって伝えたかったメッセージはこうだ。
両者は2本別々の作品だが、文庫化された当時、一冊にまとめられたもの。
共通するテーマは旅。いずれも見開き2ページで一話完結。さまざまなエピソードを収録している。
高度経済成長を経て経済大国となった70年代半ば、ブームになったのはハワイや香港などの海外旅行。
おりしもジャンボジェット機が就航し、高価だった海外旅行が庶民の手に届くようになった時代。
それまでの日本人の旅行といえば、熱海など温泉旅行。そして企業など慰安旅行が当たり前で、宴会どんちゃん騒ぎに温泉コンパニオン。
そんな温泉社員旅行のノリで、庶民たちが海外ツアーに出かけると、一体何が起こるのか。。。
バスタブを初めて使い、トラブルになる場面、当時のお土産の定番だったジョニ黒をネタにした作品、常磐ハワイアンセンターにダンサーを引き抜かれて本場のハワイではすっからかん、お土産にアロハシャツを棚ごと買い占める成金、といった当時の世相をユーモラスに描いている。
こんな客もいた。
英語をしゃべってみたくて、外人のスチュワーデスをコールするが、全く通じない。ワンスカッッチャンドワーラープリーズ!などと必死に連呼するも歯が立たず、添乗員を呼びつける。
スコッチの水割りを頼んでるのに英語が通じないんだと添乗さんに話すと、そばでその日本語を聞いていたスチュワーデスがオー!スコッチ・エンド・ウォーターのことね、とはじめて理解した、という。
全く英語のわからない外人スチュワーデスも困ったもんだねえ!と添乗さんに文句をいうオチ。
こういう人、いるよねぇ。。
安孫子先生の人間観察とそのユーモアあふれる描写の仕方は本当に好きでした。
海外旅行ツアーが大ブームになった70年代、一方、国内では、一人旅がブームとなっていた。
当時の日本の歌謡曲も、心の旅(1973)、岬めぐり(1974)、いい日旅立ち(1978)など一人旅をテーマにした曲が流行していた。
こちらの作品ではサラリーマン生活に疲れ、癒しを求めて一人旅にでた孤独な青年の旅先での小話が描かれている。
添乗さんが日本人の集団心理を切り取ったものだとすれば、こちらは日本のそうした組織風土に疲れて旅に出た青年を描いている。
モーレツ、と言われた時代が去り、しらけ世代という言葉が登場した70年代半ばというのは、どこかに誰も知らないところへ出かけたい、そういう時代だったのだろう。
なかでも印象深いのは、寝台列車に乗って、普段通勤していた駅に到着した朝、カーテンを開け、ホームで通勤列車を待つサラリーマンにわざと、お酒を飲んでくつろぐ姿を見せつけるエピソード。
線路わきでのんびり昼寝をしていたら、蒸気機関車の音にむっくり目が覚まし、
いまどきSLなんてめずらしいねーなどと、近くでのんきにSLを眺め、見送るエピソード。
驚愕したのは、朝からポジションを決めて待っていた撮り鉄たち。
線路わきから突如、人がにょきっと立ち上がって姿を現したため、予想外の出来事に動揺。邪魔だ、どけー!と叫んでも機関車の音で聞こえない。
「添乗さん」では、ホンモノをゲットすること、象徴的な意味での旅の証明としての戦利品を収集したり体験することが旅の重要なアジェンダとなっている。
例えば、マカオでニセモノに騙される日本人や、ビーチでナンパを試みたツアー客が間違えて日本人女性に声をかけながらも外人女性だけを探し求める姿などを風刺している。
一方、「さすらいくん」のほうでは、旅の目的は疲れ切った日常から逃避する場所を求めた癒しであり、ぬくもりだ。旅先の情報など何一つ収集しないし、旅の思い出を語る誰かもいない。
どちらも哲学的な意味での旅の本質をさらっと描いているのが秀逸だ。
この2作品は、旅というテーマを通じて、当時の日本人が何を思い、旅先にどんな夢を描いていたかを、
藤子不二雄Ⓐ先生にしかなしえないユーモアでもって簡潔に描写している、という点で同氏の傑作のひとつ。
どうもありがとうございました。
今日は酒を飲まなかった。えらいぞー俺。
でも今コンビニダッシュすれば普通に買えるんだよな。どうにでもできる。
そうだ、俺にはまだ選択肢がある。未来を変える力と言ってもいい。
昔からそういう瞬間が好きなんですよね。なんでもできる時間、何をしてもいい瞬間。
俺はこれを「余白がある」って呼んでるんだけど。
余白が好きなんだよな。
読書でも序盤中盤は好きだが終盤はどうも苦手だ。
ミステリは残りページ数に比例して読む気が失せる。というより終盤まで読んだら満足してしまうんだよな。
オチはもちろん気になるんだが、なんとなく読みたくない。読めばおおって思うものもあるけどさ、違うんだよ。
確定させたくないというか。
だいたい固定されてるじゃないですか。どれほど奇想天外で斬新奇抜なオチだとしても、その数十ページの、1万文字にも満たない文字数のなかに収まってる。
そういう状態がやだなーって思う。退屈を感じる。
人生で大切なのって余白だと思う。
詰めが甘いってよく言われる。
Yo I feel like a floater 右に左 Sign to get
You know S.O's flippin' on some o' layin' back
Fiery Monkey D's excursion like that
My feathers on my fiffer feffer feff
Back in tha 良き頃に Trip and いつでも Trip
I love Elizabeth But 振る舞え like Jo = Josephin
So, you say like this " Oh, Christopher Colombus! "
Sittin'on tha roof あかく翔んでく 宙見上げれば天地が逆さ
I do, I do, Ido 深呼吸 描く星座のサーカス move
どっから来たんだ 見つけに行く? 複雑? いや単純なはず
Tu - lulu, Tu - lulu 歌って地球人の Main amplifier
I wanna here you So good, So good, So good
アテカンで歩いて行く 'Cuz I'm crazy cool
Guess all I'll do 太陽を Steal and turn into
I'm tha parashootin' fool もしくはよく出来た Rocket
POP THA BUBBLE IN THA TROUBLE OF FASHION
LISTEN UP CLEAR UP THA 言語プロセッサー
POP THA BUBBLE IN THA TROUBLE OF FASHION
LISTEN UP JUST GIVE 'EM AN UPPER CUT
POP THA BUBBLE IN THA TROUBLE OF FASHION
LISTEN UP CLEAR UP THA 言語プロセッサー
POP THA BUBBLE IN THA TROUBLE OF FASHION
LISTEN UP JUST GIVE 'EM AN UPPER CUT
" Oh, Christopher Colombus! "
Your brain 着想開始 It's like a puzzle
E-Yo tell me 一体 Where is it born in?
Flame rain もしや Mid night radio?
You can do teleportation with me!
So so good,,, Supre freak でも OK よ
S と N を握り大胆にコラージュ
ユーモア満載 Scientific attack!
POP THA BUBBLE IN THA TROUBLE OF FASHION
LISTEN UP CLEAR UP THA 言語プロセッサー
POP THA BUBBLE IN THA TROUBLE OF FASHION
LISTEN UP JUST GIVE 'EM AN UPPER CUT
POP THA BUBBLE IN THA TROUBLE OF FASHION
LISTEN UP CLEAR UP THA 言語プロセッサー
POP THA BUBBLE IN THA TROUBLE OF FASHION
LISTEN UP JUST GIVE 'EM AN UPPER CUT
REVOLUTION GYEA GYEA GYEAH!
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LISTEN UP CLEAR UP THA 言語プロセッサー
POP THA BUBBLE IN THA TROUBLE OF FASHION
LISTEN UP JUST GIVE 'EM AN UPPER CUT
POP THA BUBBLE IN THA TROUBLE OF FASHION
LISTEN UP CLEAR UP THA 言語プロセッサー
POP THA BUBBLE IN THA TROUBLE OF FASHION
LISTEN UP JUST GIVE 'EM AN UPPER CUT
COZMIC TRAVELA POP THA BUBBLE IN THA RIDDLE TROUBLE OF FASHION
COZMIC TRAVELA POP THA BUBBLE IN THA DOUBLE TROUBLE OF FASHION
COZMIC TRAVELA POP THA BUBBLE IN THA TRIPPLE TROUBLE OF FASHION
COZMIC TRAVELA POP THA BUBBLE IN THA REAL TROUBLE OF FASHION
" Oh, Christopher Colombus! "
以上のお話によって、郷田三郎と、明智小五郎との交渉、又は三郎の犯罪嗜好癖などについて、読者に呑み込んで頂いた上、さて、本題に戻って、東栄館という新築の下宿屋で、郷田三郎がどんな楽しみを発見したかという点に、お話を進めることに致しましょう。
三郎が東栄館の建築が出来上るのを待ち兼ねて、いの一番にそこへ引移ったのは、彼が明智と交際を結んだ時分から、一年以上もたっていました。随したがってあの「犯罪」の真似事にも、もう一向興味がなくなり、といって、外ほかにそれに代る様な事柄もなく、彼は毎日毎日の退屈な長々しい時間を、過し兼ねていました。東栄館に移った当座は、それでも、新しい友達が出来たりして、いくらか気がまぎれていましたけれど、人間というものは何と退屈極きわまる生物なのでしょう。どこへ行って見ても、同じ様な思想を同じ様な表情で、同じ様な言葉で、繰り返し繰り返し、発表し合っているに過ぎないのです。折角せっかく下宿屋を替えて、新しい人達に接して見ても、一週間たつかたたない内に、彼は又しても底知れぬ倦怠けんたいの中に沈み込んで了うのでした。
そうして、東栄館に移って十日ばかりたったある日のことです。退屈の余り、彼はふと妙な事を考えつきました。
彼の部屋には、――それは二階にあったのですが――安っぽい床とこの間まの傍に、一間の押入がついていて、その内部は、鴨居かもいと敷居との丁度中程に、押入れ一杯の巌丈がんじょうな棚があって、上下二段に分れているのです。彼はその下段の方に数個の行李こうりを納め、上段には蒲団をのせることにしていましたが、一々そこから蒲団を取出して、部屋の真中へ敷く代りに、始終棚の上に寝台ベッドの様に蒲団を重ねて置いて、眠くなったらそこへ上って寝ることにしたらどうだろう。彼はそんなことを考えたのです。これが今迄いままでの下宿屋であったら、仮令たとえ押入れの中に同じような棚があっても、壁がひどく汚れていたり、天井に蜘蛛くもの巣が張っていたりして、一寸その中へ寝る気にはならなかったのでしょうが、ここの押入れは、新築早々のことですから、非常に綺麗きれいで、天井も真白なれば、黄色く塗った滑かな壁にも、しみ一つ出来てはいませんし、そして全体の感じが、棚の作り方にもよるのでしょうが、何となく船の中の寝台に似ていて、妙に、一度そこへ寝て見たい様な誘惑を感じさえするのです。
そこで、彼は早速さっそくその晩から押入れの中へ寝ることを始めました。この下宿は、部屋毎に内部から戸締りの出来る様になっていて、女中などが無断で這入はいって来る様なこともなく、彼は安心してこの奇行を続けることが出来るのでした。さてそこへ寝て見ますと、予期以上に感じがいいのです。四枚の蒲団を積み重ね、その上にフワリと寝転んで、目の上二尺ばかりの所に迫っている天井を眺める心持は、一寸異様な味あじわいのあるものです。襖ふすまをピッシャリ締め切って、その隙間から洩れて来る糸の様な電気の光を見ていますと、何だかこう自分が探偵小説の中の人物にでもなった様な気がして、愉快ですし、又それを細目に開けて、そこから、自分自身の部屋を、泥棒が他人の部屋をでも覗く様な気持で、色々の激情的な場面を想像しながら、眺めるのも、興味がありました。時によると、彼は昼間から押入に這入り込んで、一間と三尺の長方形の箱の様な中で、大好物の煙草をプカリプカリとふかしながら、取りとめもない妄想に耽ることもありました。そんな時には、締切った襖の隙間から、押入れの中で火事でも始ったのではないかと思われる程、夥しい白煙が洩れているのでした。
ところが、この奇行を二三日続ける間に、彼は又しても、妙なことに気がついたのです。飽きっぽい彼は、三日目あたりになると、もう押入れの寝台ベッドには興味がなくなって、所在なさに、そこの壁や、寝ながら手の届く天井板に、落書きなどしていましたが、ふと気がつくと、丁度頭の上の一枚の天井板が、釘を打ち忘れたのか、なんだかフカフカと動く様なのです。どうしたのだろうと思って、手で突っぱって持上げて見ますと、なんなく上の方へ外はずれることは外れるのですが、妙なことには、その手を離すと、釘づけにした箇所は一つもないのに、まるでバネ仕掛けの様に、元々通りになって了います。どうやら、何者かが上から圧おさえつけている様な手ごたえなのです。
はてな、ひょっとしたら、丁度この天井板の上に、何か生物が、例えば大きな青大将あおだいしょうか何かがいるのではあるまいかと、三郎は俄にわかに気味が悪くなって来ましたが、そのまま逃げ出すのも残念なものですから、なおも手で押し試みて見ますと、ズッシリと、重い手ごたえを感じるばかりでなく、天井板を動かす度に、その上で何だかゴロゴロと鈍い音がするではありませんか。愈々いよいよ変です。そこで彼は思切って、力まかせにその天井板をはね除のけて見ますと、すると、その途端、ガラガラという音がして、上から何かが落ちて来ました。彼は咄嗟とっさの場合ハッと片傍かたわきへ飛びのいたからよかったものの、若もしそうでなかったら、その物体に打たれて大怪我おおけがをしている所でした。
「ナアンダ、つまらない」
ところが、その落ちて来た品物を見ますと、何か変ったものでもあればよいがと、少からず期待していた彼は、余りのことに呆あきれて了いました。それは、漬物石つけものいしを小さくした様な、ただの石塊いしころに過ぎないのでした。よく考えて見れば、別に不思議でも何でもありません。電燈工夫が天井裏へもぐる通路にと、天井板を一枚丈け態わざと外して、そこから鼠ねずみなどが押入れに這入はいらぬ様に石塊で重しがしてあったのです。
それは如何いかにも飛んだ喜劇でした。でも、その喜劇が機縁となって、郷田三郎は、あるすばらしい楽みを発見することになったのです。
彼は暫しばらくの間、自分の頭の上に開いている、洞穴ほらあなの入口とでも云った感じのする、その天井の穴を眺めていましたが、ふと、持前もちまえの好奇心から、一体天井裏というものはどんな風になっているのだろうと、恐る恐る、その穴に首を入れて、四方あたりを見廻しました。それは丁度朝の事で、屋根の上にはもう陽が照りつけていると見え、方々の隙間から沢山の細い光線が、まるで大小無数の探照燈を照してでもいる様に、屋根裏の空洞へさし込んでいて、そこは存外明るいのです。
先まず目につくのは、縦に、長々と横よこたえられた、太い、曲りくねった、大蛇の様な棟木むなぎです。明るいといっても屋根裏のことで、そう遠くまでは見通しが利かないのと、それに、細長い下宿屋の建物ですから、実際長い棟木でもあったのですが、それが向うの方は霞んで見える程、遠く遠く連つらなっている様に思われます。そして、その棟木と直角に、これは大蛇の肋骨あばらに当る沢山の梁はりが両側へ、屋根の傾斜に沿ってニョキニョキと突き出ています。それ丈けでも随分雄大な景色ですが、その上、天井を支える為に、梁から無数の細い棒が下っていて、それが、まるで鐘乳洞しょうにゅうどうの内部を見る様な感じを起させます。
「これは素敵だ」
一応屋根裏を見廻してから、三郎は思わずそう呟つぶやくのでした。病的な彼は、世間普通の興味にはひきつけられないで、常人には下らなく見える様な、こうした事物に、却かえって、云い知れぬ魅力を覚えるのです。
その日から、彼の「屋根裏の散歩」が始まりました。夜となく昼となく、暇さえあれば、彼は泥坊猫の様に跫音あしおとを盗んで、棟木や梁の上を伝い歩くのです。幸さいわいなことには、建てたばかりの家ですから、屋根裏につき物の蜘蛛の巣もなければ、煤すすや埃ほこりもまだ少しも溜っていず、鼠の汚したあとさえありません。それ故ゆえ着物や手足の汚くなる心配はないのです。彼はシャツ一枚になって、思うがままに屋根裏を跳梁ちょうりょうしました。時候も丁度春のことで、屋根裏だからといって、さして暑くも寒くもないのです。
三
東栄館の建物は、下宿屋などにはよくある、中央まんなかに庭を囲んで、そのまわりに、桝型ますがたに、部屋が並んでいる様な作り方でしたから、随って屋根裏も、ずっとその形に続いていて、行止ゆきどまりというものがありません。彼の部屋の天井裏から出発して、グルッと一廻りしますと、又元の彼の部屋の上まで帰って来る様になっています。
下の部屋部屋には、さも厳重に壁で仕切りが出来ていて、その出入口には締りをする為の金具まで取りつけているのに、一度天井裏に上って見ますと、これは又何という開放的な有様でしょう。誰の部屋の上を歩き廻ろうと、自由自在なのです。若し、その気があれば、三郎の部屋のと同じ様な、石塊の重しのしてある箇所が所々にあるのですから、そこから他人の部屋へ忍込んで、窃盗を働くことも出来ます。廊下を通って、それをするのは、今も云う様に、桝型の建物の各方面に人目があるばかりでなく、いつ何時なんどき他の止宿人ししゅくにんや女中などが通り合わさないとも限りませんから、非常に危険ですけれど、天井裏の通路からでは、絶対にその危険がありません。
それから又、ここでは、他人の秘密を隙見することも、勝手次第なのです。新築と云っても、下宿屋の安普請やすぶしんのことですから、天井には到る所に隙間があります。――部屋の中にいては気が附きませんけれど、暗い屋根裏から見ますと、その隙間が意外に大きいのに一驚いっきょうを喫きっします――稀には、節穴さえもあるのです。
この、屋根裏という屈指の舞台を発見しますと、郷田三郎の頭には、いつのまにか忘れて了っていた、あの犯罪嗜好癖が又ムラムラと湧き上って来るのでした。この舞台でならば、あの当時試みたそれよりも、もっともっと刺戟の強い、「犯罪の真似事」が出来るに相違ない。そう思うと、彼はもう嬉しくて耐たまらないのです。どうしてまあ、こんな手近な所に、こんな面白い興味があるのを、今日まで気附かないでいたのでしょう。魔物の様に暗闇の世界を歩き廻って、二十人に近い東栄館の二階中の止宿人の秘密を、次から次へと隙見して行く、そのこと丈けでも、三郎はもう十分愉快なのです。そして、久方振りで、生き甲斐を感じさえするのです。
彼は又、この「屋根裏の散歩」を、いやが上にも興深くするために、先ず、身支度からして、さも本物の犯罪人らしく装うことを忘れませんでした。ピッタリ身についた、濃い茶色の毛織のシャツ、同じズボン下――なろうことなら、昔活動写真で見た、女賊プロテアの様に、真黒なシャツを着たかったのですけれど、生憎あいにくそんなものは持合せていないので、まあ我慢することにして――足袋たびを穿はき、手袋をはめ――天井裏は、皆荒削あらけずりの木材ばかりで、指紋の残る心配などは殆どないのですが――そして手にはピストルが……欲しくても、それもないので、懐中電燈を持つことにしました。
夜更けなど、昼とは違って、洩れて来る光線の量が極く僅かなので、一寸先も見分けられぬ闇の中を、少しも物音を立てない様に注意しながら、その姿で、ソロリソロリと、棟木の上を伝っていますと、何かこう、自分が蛇にでもなって、太い木の幹を這い廻っている様な気持がして、我ながら妙に凄くなって来ます。でも、その凄さが、何の因果か、彼にはゾクゾクする程嬉しいのです。
こうして、数日、彼は有頂天になって、「屋根裏の散歩」を続けました。その間には、予期にたがわず、色々と彼を喜ばせる様な出来事があって、それを記しるす丈けでも、十分一篇の小説が出来上る程ですが、この物語の本題には直接関係のない事柄ですから、残念ながら、端折はしょって、ごく簡単に二三の例をお話するに止とどめましょう。
天井からの隙見というものが、どれ程異様な興味のあるものだかは、実際やって見た人でなければ、恐らく想像も出来ますまい。仮令、その下に別段事件が起っていなくても、誰も見ているものがないと信じて、その本性をさらけ出した人間というものを観察すること丈けで、十分面白いのです。よく注意して見ますと、ある人々は、その側に他人のいるときと、ひとりきりの時とでは、立居ふるまいは勿論もちろん、その顔の相好そうごうまでが、まるで変るものだということを発見して、彼は少なからず驚きました。それに、平常ふだん、横から同じ水平線で見るのと違って、真上から見下すのですから、この、目の角度の相違によって、あたり前の座敷が、随分異様な景色に感じられます。人間は頭のてっぺんや両肩が、本箱、机、箪笥たんす、火鉢などは、その上方の面丈けが、主として目に映ります。そして、壁というものは、殆ど見えないで、その代りに、凡ての品物のバックには、畳が一杯に拡っているのです。
何事がなくても、こうした興味がある上に、そこには、往々おうおうにして、滑稽こっけいな、悲惨な、或は物凄い光景が、展開されています。平常過激な反資本主義の議論を吐いている会社員が、誰も見ていない所では、貰もらったばかりの昇給の辞令を、折鞄おりかばんから出したり、しまったり、幾度も幾度も、飽かず打眺うちながめて喜んでいる光景、ゾロリとしたお召めしの着物を不断着ふだんぎにして、果敢はかない豪奢振ごうしゃぶりを示している、ある相場師が、いざ床とこにつく時には、その、昼間はさも無雑作むぞうさに着こなしていた着物を、女の様に、丁寧に畳んで、床の下へ敷くばかりか、しみでもついたのと見えて、それを丹念に口で嘗なめて――お召などの小さな汚れは、口で嘗めとるのが一番いいのだといいます――一種のクリーニングをやっている光景、何々大学の野球の選手だというニキビ面の青年が、運動家にも似合わない臆病さを以て、女中への附文つけぶみを、食べて了った夕飯のお膳の上へ、のせて見たり、思い返して、引込めて見たり、又のせて見たり、モジモジと同じことを繰返している光景、中には、大胆にも、淫売婦(?)を引入れて、茲ここに書くことを憚はばかる様な、すさまじい狂態を演じている光景さえも、誰憚らず、見たい丈け見ることが出来るのです。
三郎は又、止宿人と止宿人との、感情の葛藤かっとうを研究することに、興味を持ちました。同じ人間が、相手によって、様々に態度を換えて行く有様、今の先まで、笑顔で話し合っていた相手を、隣の部屋へ来ては、まるで不倶戴天ふぐたいてんの仇あだででもある様に罵ののしっている者もあれば、蝙蝠こうもりの様に、どちらへ行っても、都合のいいお座なりを云って、蔭でペロリと舌を出している者もあります。そして、それが女の止宿人――東栄館の二階には一人の女画学生がいたのです――になると一層興味があります。「恋の三角関係」どころではありません。五角六角と、複雑した関係が、手に取る様に見えるばかりか、競争者達の誰れも知らない、本人の真意が、局外者の「屋根裏の散歩者」に丈け、ハッキリと分るではありませんか。お伽噺とぎばなしに隠かくれ蓑みのというものがありますが、天井裏の三郎は、云わばその隠れ蓑を着ているも同然なのです。
若しその上、他人の部屋の天井板をはがして、そこへ忍び込み、色々ないたずらをやることが出来たら、一層面白かったでしょうが、三郎には、その勇気がありませんでした。そこには、三間に一箇所位の割合で、三郎の部屋のと同様に、石塊いしころで重しをした抜け道があるのですから、忍び込むのは造作もありませんけれど、いつ部屋の主が帰って来るか知れませんし、そうでなくとも、窓は皆、透明なガラス障子しょうじになっていますから、外から見つけられる危険もあり、それに、天井板をめくって押入れの中へ下り、襖をあけて部屋に這入り、又押入れの棚へよじ上って、元の屋根裏へ帰る、その間には、どうかして物音を立てないとは限りません。それを廊下や隣室から気附かれたら、もうおしまいなのです。
さて、ある夜更けのことでした。三郎は、一巡ひとまわり「散歩」を済ませて、自分の部屋へ帰る為に、梁から梁を伝っていましたが、彼の部屋とは、庭を隔てて、丁度向い側になっている棟の、一方の隅の天井に、ふと、これまで気のつかなかった、幽かすかな隙間を発見しました。径二寸ばかりの雲形をして、糸よりも細い光線が洩れているのです。なんだろうと思って、彼はソッと懐中電燈を点ともして、検しらべて見ますと、それは可也かなり大きな木の節で、半分以上まわりの板から離れているのですが、あとの半分で、やっとつながり、危く節穴になるのを免れたものでした。一寸爪の先でこじさえすれば、何なく離れて了い相なのです。そこで、三郎は外ほかの隙間から下を見て、部屋の主が已すでに寝ていることを確めた上、音のしない様に注意しながら、長い間かかって、とうとうそれをはがして了いました。都合のいいことには、はがした後の節穴が、杯さかずき形に下側が狭くなっていますので、その木の節を元々通りつめてさえ置けば、下へ落ちる様なことはなく、そこにこんな大きな覗き穴があるのを、誰にも気附かれずに済むのです。
これはうまい工合ぐあいだと思いながら、その節穴から下を覗いて見ますと、外の隙間の様に、縦には長くても、幅はせいぜい一分ぶ内外の不自由なのと違って、下側の狭い方でも直径一寸以上はあるのですから、部屋の全景が、楽々と見渡せます。そこで三郎は思わず道草を食って、その部屋を眺めたことですが、それは偶然にも、東栄館の止宿人の内で、三郎の一番虫の好かぬ、遠藤えんどうという歯科医学校卒業生で、目下はどっかの歯医者の助手を勤めている男の部屋でした。その遠藤が、いやにのっぺりした虫唾むしずの走る様な顔を、一層のっぺりさせて、すぐ目の下に寝ているのでした。馬鹿に几帳面きちょうめんな男と見えて、部屋の中は、他のどの止宿人のそれにもまして、キチンと整頓せいとんしています。机の上の文房具の位置、本箱の中の書物の並べ方、蒲団の敷き方、枕許まくらもとに置き並べた、舶来物でもあるのか、見なれぬ形の目醒めざまし時計、漆器しっきの巻煙草まきたばこ入れ、色硝子いろがらすの灰皿、何いずれを見ても、それらの品物の主人公が、世にも綺麗きれい好きな、重箱の隅を楊子ようじでほじくる様な神経家であることを証拠立てています。又遠藤自身の寝姿も、実に行儀がいいのです。ただ、それらの光景にそぐわぬのは、彼が大きな口を開あいて、雷の様に鼾いびきをかいていることでした。
三郎は、何か汚いものでも見る様に、眉をしかめて、遠藤の寝顔を眺めました。彼の顔は、綺麗といえば綺麗です。成程彼自身で吹聴ふいちょうする通り、女などには好かれる顔かも知れません。併し、何という間延びな、長々とした顔の造作でしょう。濃い頭髪、顔全体が長い割には、変に狭い富士額ふじびたい、短い眉、細い目、始終笑っている様な目尻の皺しわ、長い鼻、そして異様に大ぶりな口。三郎はこの口がどうにも気に入らないのでした。鼻の下の所から段を為なして、上顎うわあごと下顎とが、オンモリと前方へせり出し、その部分一杯に、青白い顔と妙な対照を示して、大きな紫色の唇が開いています。そして、肥厚性鼻炎ひこうせいびえんででもあるのか、始終鼻を詰つまらせ、その大きな口をポカンと開けて呼吸をしているのです。寝ていて、鼾をかくのも、やっぱり鼻の病気のせいなのでしょう。
三郎は、いつでもこの遠藤の顔を見さえすれば、何だかこう背中がムズムズして来て、彼ののっぺりした頬っぺたを、いきなり殴なぐりつけてやり度たい様な気持になるのでした。
四
そうして、遠藤の寝顔を見ている内に、三郎はふと妙なことを考えました。それは、その節穴から唾つばをはけば、丁度遠藤の大きく開いた口の中へ、うまく這入りはしないかということでした。なぜなら、彼の口は、まるで誂あつらえでもした様に、節穴の真下の所にあったからです。三郎は物好きにも、股引ももひきの下に穿いていた、猿股さるまたの紐を抜出して、それを節穴の上に垂直に垂らし、片目を紐にくっつけて、丁度銃の照準でも定める様に、試して見ますと、不思議な偶然です。紐と節穴と、遠藤の口とが、全く一点に見えるのです。つまり節穴から唾を吐けば、必ず彼の口へ落ちるに相違ないことが分ったのです。
併し、まさかほんとうに唾を吐きかける訳にも行きませんので、三郎は、節穴を元の通りに埋うずめて置いて、立去ろうとしましたが、其時そのとき、不意に、チラリとある恐しい考えが、彼の頭に閃きました。彼は思わず、屋根裏の暗闇の中で、真青になって、ブルブルと震えました。それは実に、何の恨うらみもない遠藤を殺害するという考えだったのです。
彼は遠藤に対して何の恨みもないばかりか、まだ知り合いになってから、半月もたってはいないのでした。それも、偶然二人の引越しが同じ日だったものですから、それを縁に、二三度部屋を訪ね合ったばかりで別に深い交渉がある訳ではないのです。では、何故なにゆえその遠藤を、殺そうなどと考えたかといいますと、今も云う様に、彼の容貌や言動が、殴りつけたい程虫が好かぬということも、多少は手伝っていましたけれど、三郎のこの考かんがえの主たる動機は、相手の人物にあるのではなくて、ただ殺人行為そのものの興味にあったのです。先からお話して来た通り、三郎の精神状態は非常に変態的で、犯罪嗜好癖ともいうべき病気を持ってい、その犯罪の中でも彼が最も魅力を感じたのは殺人罪なのですから、こうした考えの起るのも決して偶然ではないのです。ただ今までは、仮令屡々しばしば殺意を生ずることがあっても、罪の発覚を恐れて、一度も実行しようなどと思ったことがないばかりなのです。
ところが、今遠藤の場合は、全然疑うたがいを受けないで、発覚の憂うれいなしに、殺人が行われ相そうに思われます。我身に危険さえなければ、仮令相手が見ず知らずの人間であろうと、三郎はそんなことを顧慮こりょするのではありません。寧むしろ、その殺人行為が、残虐であればある程、彼の異常な慾望は、一層満足させられるのでした。それでは、何故遠藤に限って、殺人罪が発覚しない――少くとも三郎がそう信じていたか――といいますと、それには、次の様な事情があったのです。
東栄館へ引越して四五日たった時分でした。三郎は懇意こんいになったばかりの、ある同宿者と、近所のカフェへ出掛けたことがあります。その時同じカフェに遠藤も来ていて、三人が一つテーブルへ寄って酒を――尤もっとも酒の嫌いな三郎はコーヒーでしたけれど――飲んだりして、三人とも大分いい心持になって、連立つれだって下宿へ帰ったのですが、少しの酒に酔っぱらった遠藤は、「まあ僕の部屋へ来て下さい」と無理に二人を、彼の部屋へ引ぱり込みました。遠藤は独ひとりではしゃいで、夜が更けているのも構わず、女中を呼んでお茶を入れさせたりして、カフェから持越しの惚気話のろけばなしを繰返すのでした。――三郎が彼を嫌い出したのは、その晩からです――その時、遠藤は、真赤に充血した脣くちびるをペロペロと嘗め廻しながら