はてなキーワード: シライとは
急にネタバレするんだけど、この映画を見た人は呪われるでヤンスって映画なのね
ホラー系Youtuberの主人公が妊娠中に秘境の儀式に乗り込んで子供に呪いをかけられて
その呪いを弱めるにはその呪いの印と呪文を他人に知らせなければならない
みたいな感じで、作中ではドゥンドゥン人が死んでいくファウンドフッテージもの
映画の冒頭で「娘の命を助けるために呪文の印を覚えて呪文を唱えてクレメンス!」って
主人公が頼んで
映画の最後で「呪文の印と呪文を唱えると呪われるでヤンス、ごめんねテヘペロ」って終わる
で、この感想でやれ「リング」だ、やれ「呪怨」だってのが出てくるんだけど
シライサンはシライサンを知っている人のところに三日に一回ランダムで来る。
シライサンの出勤は三日に一回で一人限定なので、10人知っていると来る確率が10分の1になる。
映画内でも「世界中の人にシライサンの存在を発表しようZE!」という解決策が提示される(破棄される)
で、この映画のエンドロールで脚本家の名前が作中の登場人物の名前になっていて
「この映画は作中の物語と地続きです。これを見たお前もシライサンを知ってしまいましたね^^;」
というオチがついて終わる。
似ている(確信)。
少なくともリングよりも映画の作りとしては似ている(強い確信)
呪詛は先に述べた通りファウンドフッテージもの(作中のカメラで撮影されたドキュメンタリー風の映像で構成される作品)なんだけど、他の作品同様に「いや、このカメラ何のために回してるねーん」ってカットがけっこうあってそこが引っかかる人にはつらいのと、
モロに蓮コラが出てくるので集合体恐怖症の人には相当つらいのと、虫さんとグロがいっぱい出てくるのでそういうのが苦手な人にはつらいのと、なんか時間が行ったり来たりするのでそういうのを整理するのが苦手な人にはつらいのを除けば万人にオススメできる作品
主人公も人生に疲れたあんまりかわいくない竹内結子みたいでイイ
お暇なときにでもどうぞ
ゴールデンカムイ作者の「単行本でめちゃくちゃ加筆する」宣言について「本誌派には未完成品を読ませるつもりか」って言われてるようだけど、
そして、それに対して「何が問題なの?」「単行本で加筆があるのは当たり前」って反論されてるようだけど、
反論している人はたぶんゴールデンカムイの単行本21巻が発売された当時(2020年3月)やその前後のいきさつを知らないのだろうと思う。
というわけで、当時~その後に何があったのかということを自分が知っている限りで説明してみようと思う。
自分一人の説明では足りないかもしれないので、補足がある人は遠慮なく補足してほしい。
「ゴールデンカムイ」全話無料公開&原作者・野田サトルの直筆メッセージも
https://news.livedoor.com/article/detail/21961052/?_clicked=social_reaction
ゴールデンカムイがあと3話で完結、しかも最終話が更新される日まで全話無料公開という企画が発表された。
で、作者が発表した直筆コメントの「単行本でめちゃくちゃ加筆する予定」という文言が物議を醸している。
今までのゴールデンカムイのあれやこれやを知っている人からすれば「またか…」「相変わらず本誌派を馬鹿にしやがって」となり、
最近ゴールデンカムイにハマった人からすれば「単行本で本誌の内容に加筆されるのはよくあることだし、何が悪いの?」
「単行本で加筆されたからって本誌版が未完成ってことはないでしょ」となり、両者の間には温度差がある。
確かに、雑誌連載されている漫画が単行本化する時に作者が作画や台詞などを加筆修正することはよくある。
特に週刊連載なら、本誌掲載時にはどうしても粗くなってしまった絵や多少のミスを修正したりするのはある程度仕方ないと思う。
だが、ゴールデンカムイの加筆修正はそんなレベルではないのである。これから説明しよう。
ゴールデンカムイの単行本での加筆修正で一番騒動が巻き起こったのは、おそらく単行本21巻だと思う。
ヤンジャンアプリのコメント欄やツイッターが大荒れし、離脱する読者も相次いだ。
具体的にどこが大きく変わったのかというと、21巻の最後に収録されている211話「怒りのシライシ」だ。
樺太から北海道へ帰ってきたヒロインのアシリパが物語のラスボス的存在・鶴見中尉と初めて正式に対面する重要な話だが、
この話の7~15ページ目の範囲はほぼ全て単行本での加筆修正部分である。
つまり、
・鶴見が暗号解読に必要なキーワードを吐かせるために地下にアシリパを幽閉する計画を語るシーン
なぜ作者がこれほど大幅な修正をしたかというと、上記のシーンがなかった本誌掲載時には、
鶴見と会う前のアシリパが「(鶴見が)どんな男かはひと目見ればわかる」と話す
→鶴見の顔を一目見たアシリパが、一瞬の隙を突いて突然空に矢を放って逃げ出す
という流れになっており、「せっかくヒロインと鶴見中尉が対面したのに会話なし?」「『ひと目見ればわかる』って何がわかったのか?」
それにしても、これほど重要なシーンを単行本で加筆したのはやりすぎだったのではないだろうか。
いくらラスボス的存在のキャラとは言え鶴見にほぼ一方的に悪を押し付け、ヒロインのアシリパは悪くないことを強調するような加筆にはだいぶ否定的な意見も多かった。
そもそも、ある漫画のファンが本誌を買う一番の理由は単行本派よりもいち早く先の展開を知りたいからだろう。
つまり、それだけその漫画を楽しみにしているコアなファンということだ。本誌を読んでそれを元に考察記事を書く人も少なくない。
だが単行本でこれほどの加筆が行なわれてしまうと、せっかく本誌を読んで単行本派より早く先のストーリーを知ったとしても無意味になってしまう。
考察記事を書いていた人は、書き直さざるを得なくなる。本誌を買うメリットがあまりなくなってしまうわけだ。
(ゴールデンカムイに考察記事が少ないと嘆いている人も見かけたが、単行本での大幅な加筆修正があることも考察勢が減っていってしまった大きな原因の一つだと思う。)
しかも、上記のことがあったときのゴールデンカムイは当然無料公開中ではなかった。
本誌派の読者は本誌と単行本、それぞれにお金を払って違う展開を読んだことになる。
その後の単行本でも21巻レベルでこそなかったものの、やはり本誌で批判された部分を単行本で加筆修正する・
あるいは批判があったわけでもないのになぜか加筆修正するという行為は繰り返され、そのたびに読者の間で論争が起きた。
21巻以降、もともとエグみのあるネタが多かったこれまでと比べても人を選ぶギャグやエピソードが増え、やはり賛否両論が沸き起こった。
具体的には、
(多くの人のトラウマになった話。これまでの動物を食べるシーンと違い、数日を一緒に過ごしたシマエナガを食べようとする際の杉元の表情が恐ろしい)
(様々な殺人犯が登場してきたが、子供ばかりを狙う殺人犯はいなかったため拒否反応を示す人も多かった。
ちなみに本誌では25巻に出てきた少年の飼い犬・タローが惨殺され、上エ地が少年の首を絞めようとするシーンももっと長かったが、
本誌の時点で残虐すぎると批判が殺到したためか単行本ではカットされた)
・精〇探偵
(他の人も言っているが、さすがに液体描写はやりすぎだったのではないか。
下品すぎると言って脱落した人や、本気でショックを受けていた宇佐美ファンも多かった)
(これまでもモブキャラの死体を使ったギャグはあったが、登場してからある程度時間が経ち、ファンも付いていた房太郎の死体が車から飛び出すギャグには賛否あった。
房太郎の死の直後、白石が「大阪房太郎(正しくは大沢房太郎)」と名前を間違えるギャグにも不謹慎だと非難の声が上がった。このギャグは単行本で削除された)
などだ。
「作者が自分の漫画で何を描こうと自由じゃないか」という反論もあるだろう。
でも、読者は何も単なるわがままで上記のような描写を批判したのではないと思う。
ゴールデンカムイは(作者がそれを望もうが望まなかろうが)今やアイヌ文化を扱った代表的な漫画としてメディアで取り上げられている作品だ。
せっかくアイヌ文化に興味を持って漫画を読んだ人がエグすぎるネタを拒絶して読むのをやめてしまったら元も子もない。
ただでさえ姉畑やラッコ鍋などの時点で受け付けなかった人もいたのだから、それ以上に過激なネタは控えるべきだったのではないだろうか。
「こんなヤバい漫画を展示した大英博物館や、観光客誘致に使っている北海道、心広すぎw」
作者と編集部は、アイヌ文化を描いている漫画で悪趣味なネタに走ったことを真剣に恥ずかしいと思った方がいい。
・14巻では七人のアイヌ殺しの謎を知るウイルクが、19巻ではキロランケが死んでしまい、「本当に謎は解けるのか?」と不信感を持った読者が多かった。
結局27巻で鶴見の口から過去の真相が明かされたが、この間に離れてしまった読者もいた
・暗号解読に刺青が24枚必要という設定だったはずが、いつの間にか24枚全部なくても解けるとキャラほぼ全員が知っていたということになる(読者に全く説明はなし)
・物語の当初からキャラたちが求め続けていた黄金がようやく見つかったが、黄金の半分が北海道の土地の権利書の購入に使われてしまっており、読者の感慨も半減してしまった
・謎多きキャラ・尾形が金塊争奪戦に参加している目的は初期から伏せられたままだったが、304話にしてやっと明かされた目的は政治的なものではなく、個人的な動機に過ぎなかった
・鶴見が黄金を求める本当の理由が最新話(現時点で312話)になっても曖昧なままになっている。また、部下の月島を騙した事件の詳しい真相も不明なまま
などが挙げられる。
21巻以降こういう重要な謎がなかなか解決されないまま、いまいち意味があるとも思えない回想シーン
(例えば25巻の「上等兵たち」や28巻の杉元の過去など)をやっていたので、ストーリーが停滞してしまったと思う。
数年単位で漫画を追っていた身としてはキャラたちの変化も気になる。
良い方への変化なら成長と受け取れるが、どうもキャラが悪い方へばかり向かっている気がする。
・主人公の杉元は戦闘能力が高いだけではなく、初期にはとっさの機転で危機を回避したりとクレバーな面も目立ったが、最近ではほぼ戦闘力(というか暴力)一辺倒のキャラになった。
28巻の回想で士官候補生たちに急に喧嘩を売ったり勇作をビンタしたりするシーンがあったが、初期の杉元はここまで野蛮ではなかった
・以前のアシリパは自分の父が姉畑を脱獄させたのかもしれないと気にしたり、偽アイヌ村でたくさんの敵を殺した杉元のことを地獄に落ちるのではないかと心配したりしていたが、
今では父親のしたことや杉元の殺人について気にする描写がなくなった
・白石は戦闘力こそないものの脱獄(脱出・侵入)の腕前はピカイチという設定だったが、サッポロビール工場編、五稜郭編、蒸気機関車編のいずれでもその腕前を生かせていない
・尾形は冷徹で皮肉屋なスナイパーだったが、だんだんと生い立ちの問題が強調されはじめ、最後には精神錯乱状態に陥って自死という悲惨な結果を迎えた
・月島は鶴見の忠実な側近として登場したが、徐々に鶴見への不信感を抱えたキャラという設定になり、最終章に入っても鶴見について行くのかどうかはっきりしないキャラになった
・鶴見や土方は以前はもっと大物めいたキャラだったが、北海道を日本から独立させて新しい国家を作るという壮大な目的に達する気配が少しもないまま、
土方は死亡・鶴見も杉元に倒されるのでは?という展開になっている
他にもあるが、ざっとこんなところだろうか。
ゴールデンカムイはキャラクター人気も非常に高い作品だ。このようなキャラの変化について行けず、読むのをやめてしまったという人を何人も見かけた。
無料公開で一気読みした人にとっては、上に挙げたようなことはどれも些細なことかもしれない。
だが何年も作品を追いかけ、キャラを応援してきた人にとっては違うのだ。
「キャラのファンがキャラに夢を見すぎただけ」という意見もある。確かにそういう面もないわけではないと思う。
でも、ゴールデンカムイのキャラグッズを購入していた層はそんな「キャラに夢を見ていた」タイプのファンだったのではないだろうか。
ストーリーを壊さない程度に、ファンが最後まで応援したくなるようなキャラを描き切ることはできなかったのか。
特にそのキャラのファンというわけではなくても、どんどん魅力だった面を失いかっこ悪くなっていくキャラたちを見ているのは忍びなかった。
作者が自分で考えたキャラの魅力を把握していないかのような様子には理解に苦しむ。
とまあ、思いのほか長くなったが大体このようなことがあって数年来の読者は少しずつ去っていった。
そして、単行本での大幅な加筆修正や癖のあるギャグにも肯定的なファンばかりが目立つようになり、
あまつさえ作品に対するネガティブな感想を排除するような攻撃的な読者が増えていった。
「人が去ったと言ってもそんなに多くないんじゃないの? ネットではこんなに人気だし…」
「読むのをやめた人がいても、無料公開でそれ以上に新規の読者も入ったんじゃない?」と思う人もいるかもしれない。
でも事実、ここ数巻のゴールデンカムイの初動売り上げは下がり続けているのだ。
匿名掲示板・5ちゃんねるに「コミックランキング売り上げ議論スレ」というスレッドがある。
オリコンチャートの漫画単行本売り上げランキングに載っている売り上げ部数(電子書籍は除く)を元に、
その単行本が発売後およそ1ヶ月程度でどれほど売れたか(=初動売り上げ)をまとめているスレッドだ。
もちろん発売日から日にちが経ってもその漫画を買う人はいるし、電子書籍で買う人もいる。
でも、「紙の単行本を発売日後すぐに買う」人の数はその漫画にどのくらい根強いファンが付いているかというある程度の目安になる。
ゴールデンカムイがアニメ化した後の15巻から追える範囲で初動売り上げの推移を見ていくと、
(一番右端の矢印は、前巻から売り上げが上がったか下がったかを表す)
15巻 29万 1580部 ‐
16巻 32万 3995部 ↑
17巻 26万 7279部 ↓
18巻 29万 5117部 ↑
19巻 26万 2729部 ↓
20巻 25万 4168部 ↓
21巻 23万 9891部 ↓
22巻 22万 5296部 ↓
23巻 21万 9403部 ↓
25巻 22万 3234部 ↑
26巻 20万 8601部 ↓
(全話無料公開後)
27巻 20万 5874部 ↓
19巻以降しばらく初動売り上げ部数が下がり続け、3期放送後の25巻で少し上がったが、26巻からはまた下がっている。
注目すべきは、去年の全話無料公開後に発売された27巻は初動売り上げが上がる…かと思いきや下がったことだ。
電子書籍で買った人が多かったともとれるが、それにしても単行本の売り上げが下がるという事態は普通なら考えにくい。
「無料で読んだ結果それで満足してしまい(または思ったよりもつまらないと感じ)、単行本を買うまでもないと判断した人が多かったのでは?」
「何度も無料公開を繰り返したことで、お金を払って読んできたファンとしては馬鹿らしくなって愛想を尽かしてしまったのでは?」
そう思ってしまう。
ゴールデンカムイの累計発行部数は、28巻までが発売されている現在で1800万部だそうだ。
「そんなものなの? もっと売れてると思ってた」という声を見かけたが、確かにネット上でかなり話題になっている割には発行部数が少ないと感じる。
このくらい話題になっていれば、本来なら発行部数が3000万~5000万部くらいは突破していてもおかしくなさそうである。
これまでの経緯を見るに、作者や編集部は初期からの読者の意見を蔑ろにして、単行本での大幅な加筆修正があることを売りにし、
人を選ぶギャグを増やし、謎解きや伏線回収を疎かにし、多くのファンが付いているキャラたちの整合性をとることにも気を遣わなかった。
それで以前からの読者が離れると、そのたびに無料公開をおこなって新規の読者獲得に躍起になってきた。
売り上げを伸ばしたいなら無料公開よりも、以前からの読者の意見や漫画のストーリーとキャラクター、
そして何よりアイヌや北海道という作品のテーマをもっと大事にした方がよほど良かったと思う。
今回の無料公開で公式は「狂った犬の様に伴走(はし)れっ!」というキャッチコピーを使っている。
ゴールデンカムイが本当にアイヌの人々に寄り添っているなら、このキャッチコピーを選ぶことはなかっただろう。
一年ほど前、日本テレビの番組「スッキリ」でアイヌと犬をかけたギャグが炎上した時、ゴールデンカムイ公式は特に抗議の声を上げなかった。
アイヌ文化を漫画のネタとして都合よく消費はしたいが、厄介ごとには首を突っ込みたくない。ざっくり言うとそういうことではないのか、と疑ってしまう。
https://www.asahi.com/articles/ASP8V575NP8VUCVL00C.html?iref=pc_extlink
今回の全話無料公開を受けて、「すごい大盤振る舞い!」と喜んでいる人をたくさん見かけるが、一方でこう思っている人もいると思う。
「少し前にも全話無料公開したばかりなのに、大丈夫なの? 何かウラがあるのでは?」
あなたの勘は正しい。
恐らくは減った分の読者を少しでも取り戻そうとして、または最終回に向けて何となく盛り上がってる感を出したくて、
今回の全話無料公開を打ち出したのだろうと個人的には推測している。
最終回の後には「ゴールデンカムイ展」が開催されるが、そこに1話が本誌に掲載された時からの読者は果たして何人くらいやって来るのだろうか。
かく言う私も最初のアニメ化後にゴールデンカムイを読み始めた勢で、今の読者の中では古参にあたるのかもしれないが最古参ではない。
概ね樺太編(21巻くらい)までは、多少の疑問がありつつも楽しんでいた。
でもその後の展開は上記に書いたような疑問続きで、どんどん読むのが苦痛になっていき、実際に何度か読むのをやめてしまった。
それでも結局戻ってきたのは、せめて結末がどうなるのかだけでも知りたかったからだ。
(かつての面白さが戻ることはないだろうし、失望するだけだとはわかっているのだが。)
それほど、以前のゴールデンカムイはストーリーにもキャラにも魅力があった。
ともあれ、ここまで来たからには残りの2話も読むつもりだ。
あれほど素晴らしかった作品がなぜこんなことになってしまったのか、本当に残念でならない。
何か事情があるのなら切実に知りたいと思っている。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 102 | 12704 | 124.5 | 48 |
01 | 40 | 11248 | 281.2 | 39 |
02 | 40 | 5896 | 147.4 | 54 |
03 | 32 | 11759 | 367.5 | 64.5 |
04 | 31 | 2608 | 84.1 | 31 |
05 | 13 | 1382 | 106.3 | 27 |
06 | 26 | 1267 | 48.7 | 30 |
07 | 63 | 5864 | 93.1 | 43 |
08 | 108 | 7123 | 66.0 | 46.5 |
09 | 97 | 8886 | 91.6 | 42 |
10 | 154 | 16970 | 110.2 | 45 |
11 | 150 | 18539 | 123.6 | 49.5 |
12 | 251 | 23793 | 94.8 | 42 |
13 | 195 | 15311 | 78.5 | 48 |
14 | 134 | 11273 | 84.1 | 44.5 |
15 | 118 | 13782 | 116.8 | 52.5 |
16 | 156 | 15420 | 98.8 | 46 |
17 | 136 | 17942 | 131.9 | 44.5 |
18 | 163 | 13002 | 79.8 | 33 |
19 | 118 | 13932 | 118.1 | 41.5 |
20 | 124 | 14931 | 120.4 | 40 |
21 | 155 | 10622 | 68.5 | 32 |
22 | 168 | 15863 | 94.4 | 45.5 |
23 | 117 | 16425 | 140.4 | 56 |
1日 | 2691 | 286542 | 106.5 | 44 |
本多平直(7), WT(6), シャツイン(4), ビストロ(3), 本多(4), 14歳(11), LO(3), ミルクレープ(3), ゲームフリーク(4), エンジンブレーキ(3), 元服(4), 性交(29), 捕まる(12), 刺身(10), 立憲民主党(13), 農家(14), ポケモン(17), ショタ(7), 味覚(8), 迎える(9), 専業(6), メニュー(14), 議員(25), フリーランス(9), バイク(10), 専業主婦(20), ごはん(11), 舌(8), 実況(8), 認知(20), 酒(33), 同意(33), 説教(13), 事例(13), ダサい(12), ジェンダー(14), 接種(12)
■「だれかに認知されるのがとにかく嫌だ」という感覚 /20210607231548(58), ■妻からの「今日なに食べたい?」に対する返答をストックしたい /20210607133145(40), ■時代の寵児的な漫画 /20210607234817(32), ■酒がないとマズいもの /20210608120217(29), ■皆の創作の歳の差恋愛もの(エロ漫画)で無理な種類ある? /20210608084400(29), ■最近の若い子のファッションバグってる。 /20210608130243(21), ■本多議員の発言そのものに問題はないのでは? /20210608150428(20), ■『ゼルダの伝説 夢をみる島』みたいなSwitchのソフト教えて /20200927163106(16), ■やっぱVtuberダメだわ。 /20210607160345(15), ■シライサンの話してええか? /20210608100727(12), ■農家が謎 /20210607212518(12), ■論破しかされたことがない /20210608031240(12), ■転生もののAVのネタ思いついたから聞いてくれ /20210608145003(10), ■純文学に関する雑感 /20201118193233(9), ■明日37になるからこれだけは言わせてくれ /20210607120212(8), ■ /20210608122027(8), ■バイクが難しすぎて草 /20210608135640(8), ■自分がブサイク・ブスだと自覚がある友たちよ!みなさんはどうやって苦痛のZOOM会議を乗り切っているんですか? 照明とか買ってますか? /20210608182119(7), ■トロフィーワイフは誤用である発言と、それへのブコメ /20210608114400(7), ■ワクチン打たないつもりの人 /20210608165139(6), (タイトル不明) /20110608000317(6)
1.シライサンはシライサンを知っている人のところに三日に一回ランダムで来る。
2.シライサンは目を合わせていると停止し、反らすと迫ってくるテレサ仕様。
要するに「この怪談を知ってしまった人は……」系のホラー映画。
コレ系の怪談とちょっと違うのは「シライサンを回避する方法がない」ということだ。他の怪談だとだいたい「次の人に伝えたらセーフ」となるリング方式が多いんだけど、シライサンはシライサンを知っている限り永久にやってくる。
そのほかに映画内のルール(描写)だと、シライサンは第三者にも見えます。映画内の描写でいうなら「シライサンを知っている第三者」としておく。シライサンを知らない第三者がシライサンに遭遇するシーンがないので。ただ、当選者以外にも視認できるのは間違いないです。
作中で示されている解決方法=妥協策としてシライサンは3日に1回、1人のところにしか来れない縛りがあるので、仮に100万人にシライサンを教えちゃえば300万日=約8000年に1回しか来なくなるからシライサンを全世界に発信しようぜ!というもの。作中では「他人を犠牲にできない」みたいなクソしょうもない正義感に邪魔されたナシということになる。
で、映画のエンドロールの脚本が「映画の登場人物」になっており、要するに「あなたもシライサンを知ってしまいましたね」という裏オチがついて終わる。
いや仮に映画がコケて10万人しか見てなくても800年に1回しか現れない怨霊は怖くないんよ。それだったら酩酊したおっさんの暴走車のほうがよっぽど怖い。
とにかくシライサンは稼働率が低い。100人知ってるだけで年1くらいでしかこなくなる。まぁ、年1で来たら怖いけどさ。でも100人なんかアホで交友関係が広いJKがちょっと呟いたら一瞬やで。
シライサンは怨霊として人を呪い殺すということに対しての意識が低すぎる。「殺すのは3日に1人、目をそらした人だけでいいです」じゃないんよ。貞子パイセンの「ビデオ見たやつは1週間で絶対殺すわ。10000人同時視聴したら1日で10000人殺す」とかカヤコ先輩の「家に入った奴絶対殺す」くらいの殺意を見せてもらわんと。
殺意たんねーよ、笑い止まんねーよ。
シライサン、とにかく全編ふわっとした映画だったわね。SNSを下敷きにした設定は実際よく考えられてるんだけど、よく考えれば考えるほど怖くなくなるのは「作った人が頭良すぎるんだろうな」って感じでちょっとかわいそう。
あ、第三者から見える設定は後々有名霊になったシライサンが甲子園の観客席のど真ん中で目撃されたり、渋谷のスクランブル交差点で目撃されたりと面白いことにしかならないのでやめた方がよかったと思います。
今 冷たくなっていく 二度と目を覚まさない 俺は
俺は桜を見ていた 今立っている足元には多くの死と俺と無念と怒りと死と涙とオニギリ、巻き込まれて死んでいった無数の動植物の死骸と黄金の精神 が埋まっている 今 薄桃の春が美しく咲いている この足元から立ち上る命で 春を感じる
https://youngjump.jp/goldenkamuy/
長い。今北産業
・選挙に行け
・ゴールデンカムイを読め
誰しも、それが最後の言葉になる可能性がある。だから今伝えたい。ゴールデンカムイをよめ。
ネタバレなし
以下の文章にはネタバレ、いわゆるスポイラーはありません。これにより記事はより空気力学的に洗練され、その結果としてより高速で疾走できるようになりません。
アンサイクロペディアはウィキペディアのパロディであることを知らないのであれば、充分注意して、救急箱を手放さないようにしてください。
ゴールデンカムイ最新刊17巻は今日発売されたばっかりだ。ぜんぜん間に合う。買ったか?ゴールデンカムイとは、2016年まんが大賞を受賞し、イギリスの大英博物館の看板になるくらいすごいのだ。
かってないのか?いつお前はチタタプ言えるかな?ってこのアシリパさんに言われなくていいのか?
http://www.kamuy-anime.com/character/asirpa.html
ゴールデンカムイは、まず出てくる登場人物全員の気迫が違う。エンジン音が違う。全力だ。
ボーっと生きてる人などいない。荒れ狂う葛藤をかかえながらも怒らず笑わず表情筋が動かずボーっと生きてる「ように見える人」もいるのだ。
ヒンナヒンナをネタバレなしに説明するなら、アニメ公式のいうhttps://twitter.com/kamuy_anime
冒険・歴史・文化・狩猟グルメ・ギャグ&LOVE和風ラッコ鍋ウエスタンがしっくりくるだろう。
舞台は気高き北の大地・北海道。明治時代後期、日露戦争をくぐり抜けた「不死身の杉元」杉元佐一は、ある目的のために大金を欲っしてた。
一攫千金を目指し 砂金を求めて北海道に渡ってきた杉元を待ち受けていたのは、網走監獄の死刑囚が隠した莫大な埋蔵金への手がかりだった。
圧倒的で、畏怖の念を抱かせるほどの大自然! VS 凶悪、変態で【禁則事項です】な死刑囚! そして、誇り高き変顔の天才アシ(リ)パさんとの出逢い!
404
シライシ@shirasiri 安定のいつめん てかマジ久しぶりやろ海(笑)
#白石#アシリパ#杉元佐一#くりからもんもん#cute#kawaii#pink#二階堂#関節#みんながみんな狂人#f4f#北海道開拓の村
この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。
出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。
雑多な内容を羅列した節があります。
https://tonarinoyj.jp/episode/13932016480028986524
読んだ?血は戦争が始まったら怖くても否が応でも血を見なきゃいけなくなる。苦手とか言ってられなくなる。
選挙に行こう、我々は無血で政治を決めるやり方を生み出した。我々にできること一番のことは選挙に行くことだ 並ばなくていい期日前投票制度もあるし 投票率上がるから会場で献血みたいにジュースとカップラーメンくれ。
選挙行ってもムダだって?まぁすぐに恩恵はわからんさ。筋トレと一緒だ。 続けるか否か
昔海で遊んだ経験があれば 海で楽しいという思いをしていれば 辺野古を埋め立てようという議員に投票はしない そうニュースで語る人を見た
知らないと、本当にどうでもよくなってしまうのだ。
開拓され消えた樺太のアイヌの村は 消えていった。北海道のアイヌもそうなる 厳ついグルグルピアスが言う。
知ること それが行動の第一歩だ
この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。
https://anond.hatelabo.jp/20190319222712
・相性ぴったりの政党はどこ?ドキドキ♡えらぼーと占い(追記)
https://mediasapuri.jp/2019/04/24/7565/
政治は、投票率の高い世代の意見を重視する。意見がないと、いないものとして扱われてしまう。
議員に意見を出す方法は、何も投票だけではない。指先や喉から言葉を出力して、それを届けることができる。どこに?「住んでる都道府県」+知っている政党 でググってメールアドレスをゲット。
~について意見を聞きたい、回答を選挙の参考にしたいと伝えれば、民の望む方向へオールを漕ぐだろう。
正直、「あたしこのパイ嫌いなのよね」とニシンのパイを食べなくても、現状それしかないのだ。ニシンの部分を避けてカリカリのところだけ食べる選択肢もある。ニシンはニシンを食べたい人が食べればいい。
・ンチャヌプコロ
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/54833
心で感謝しているのに、 それを態度で示そうとしないのは、 プレゼントを包んだのに、 渡さないのと同じことだ( ジグ・ジグラー)
足立区で同性愛者同士が接触すると対消滅(アナイアレイション)が起こるようになった。それでどうなるかというと、水素爆弾10発分(広島に落ちた原子爆弾で計算すると6600発分)の爆発が生じ、衝撃波は地球を三十周する。
そんな威力なら足立区どころか日本そのものが危ないのではないか、と思われそうだが、そのとおりである。足立区が滅びるついでに日本も滅んでいる。しかし日本など足立区の付属物にすぎないので、ここでは論じない。
対消滅はある物質と完璧に対応する反物質のあいだでしか起こらない。
アリストパネスが語ったところによれば、人間はもともと頭が二つで手足が四本ずつの生物であったが、その欠けるところない有能さを恐れた神々から真っ二つに割られ、今のわれわれのような頭がひとつで手足が二本ずつの姿になった。同性愛者たちはその太古の記憶を保っているのだという。自身の完全な半身を忘れないひとびと。
そして、その熱情が、神話的な完璧がゆえに足立区を滅ぼすほどに爆発する。
滅びからまた生じるたび、足立区のひとびとはまずドクター・シライシの像を建てる。百万回以上生滅を繰り返した今となってはその業績を語る史料も残っていないが、足立区の伝承によれば、「足立区で真実の愛を発見した最初の人物」であるとされている。研究者ではなく、政治家だったという説もあるが、詳しいところは判然としない。
世界中からもうひとつの半身を求めるひとびとが押し寄せ、ささやかなマッチングが成立するたびに京すら超えて垓に達するジュールの熱を放つ。
ーーあだちというまちには、底ぢからがある。
ともに、ちから強く生きてきた、
あだちのまちの仲間たち。
だからいま、
ふみだそう、新たな一歩を。
ここ、あだちから。
そもそも『宇宙塵』の半世紀前の号に載ってた短編やら30年前のマイナー雑誌に載ってた短編やらを発掘して誰でも手に入れられるアンソロにまとめたってだけでめちゃくちゃ偉いんだから、表紙を伴名練の好みに沿ったものにするくらいは当然の権利だろう。嫌ならそれこそ買わなきゃいい。
個人的な感想をいえば、シライシユウコ絵が「マンガ・アニメ的絵」だという意識はあまりなかった。林静一から中村祐介に至るイラストレーターの系譜(もちろん彼らにくらべたらややまんが的ではある)に連なるような存在として認知していた。
ヒョーロンカの人があれを「萌え絵」と呼んでたけど、は? 萌え絵? どこが? って感じだよなw 節穴アイにもほどがある。これでよく評論家が務まるな。
萌え絵ってのは『紫色のクオリア』や『ロケットガール』や『ふわふわの泉』や『スプライトシュピーゲル』や『涼宮ハルヒの憂鬱』や『ある日、爆弾がおちてきて』や『イリヤの空、UFOの夏』の表紙みたいなやつのことを言うんだよ。
あ、『ふわふわの泉』はファミ通文庫で『ロケットガール』は富士見ファンタジア文庫の方な。ハヤカワ文庫JAじゃなく。『ある日、爆弾がおちてきて』もメディアワークス文庫じゃなくて電撃文庫な。
まあ節穴ヒョーロンカ様の目には『サマー/タイム/トラベラー』あたりも「萌え絵」に見えちゃうのかもしれないけどねw シライシユウコ絵が萌え絵に見えるマンはマジで表象とか文化史とかに口を出す資格ないと思うよ。思想信条じゃなくて能力の問題として。
『なめらかな世界と、その敵』あたりが萌え絵とオサレ絵の境界線上な感じしない? まあこのへんは人によって判断が分かれるところだろうけどさ。
だが、他人の感じる「恥ずかしさ」を「時代遅れ」と切り捨てることなく、あるいは読者同士で向き合うことで、ある方向へ流れていけるかもしれない。そこから先は、未来の話だ。作家たちの語るべき領域だ。
時代遅れって切り捨てていいと思うよ。
俺、伴名練と同年代だけどさ、中学の頃って『アリソン』の表紙ですらオタクっぽくて敬遠されてたりしたんだぜ。『マリア様がみてる』すら堂々と読むの憚られる雰囲気あったよ。
そこから、あちこちに萌え絵があふれて、多くの人がそれを受容する時代になったんだよ。いい年こいた大人が堂々と萌え絵の本を読む社会になったんだよ。マジで意識のアップデートを実感するよ。
新しい表現が生まれて自由競争の結果覇権を握ることによって萌え絵が駆逐されるなら進歩だけど、最近は萌え絵がはびこってけしからん! なんてのはただの反動だろ。
そもそも発端のtweetした人、こんなtweetもしてるんだよね。
「オラ女性SF作家特集のブログ記事書くぞ!!!」どーせ「それはSFじゃない」とかボロクソ言われるんだろうけど知るかボケ~。ゼロスタートなのでオススメ教えてください!特に国内作家。
国内の女性SF作家がゼロスタートって、こいつ菅浩江も新井素子も高野史緒も上田早夕里も読んでないの? って話だよな。
『そばかすのフィギュア』も『永遠の森 博物館惑星』も『アイオーン』も『ムジカ・マキーナ』も『華竜の宮』も読んでなかったんすね、っていう。
いや別に読んでないのは何も悪いことじゃないけど、それでSF界のジェンダー問題に物申しちゃうの失笑しない? お前完璧に門外漢やんけっていう話でしょ。何偉そうに「SFの表紙って女の子ばっか」みたいなこと言ってんの? アホなの? 2019年にSF界隈で流行ってた作品のうち『天冥の標』と『三体』と『息吹』の表紙には美少女おらんやんけ。『アステリズムに花束を』も『なめらかな世界と、その敵』もオサレ系の絵であってそこまで萌え萌えしてないよな。
SF1,000冊とか言うつもりないけど本屋でハヤカワと創元の棚の前に並ぶだけで吹っ飛ぶ固定観念を後生大事に抱え込んだやつなんて最初からお呼びじゃねえんだよ。
最初からSFに興味なんてないんだろ? だったら「SFの表紙はどれも恥ずかしいから手に取れない!」じゃなくて「SFに興味ない」って素直に言えばいいんだよ。別にそれは何も悪くないよ。俺も海外文学とか(SF・ミステリを除けば)興味ないもん。興味ないくせに「SF小説とかアンソロの表紙って漫画・アニメ絵の女の子ばっか」なんて言うからツッコまれるんだよバーカ、って感じ。
(アンソロの表紙が美少女ばかりって真顔で言ってるってことは『年刊日本SF傑作選』の存在自体を知らないってことだよな。『傑作選』も知らないやつがSFの表紙は○○ばかりとか言う資格ある?)
アニメ絵が嫌いなSFファンやSFに興味がないアニメ絵好きが口を出すならともかく、アニメ絵が嫌いでSFに興味のないやつがSFの表紙のアニメ絵に口挟む権利がマジでどこにあるんだ? お前関係ないやろ、と、アニメ絵好きのSFファンとしては思うのです。
・あるSF編集者が自分の担当したアンソロジー本(『日本SFの臨界点』と『2010年代SF傑作選』)の表紙を掲載し、そのツイートが広くバズった。
・それを見てある読者が twitter で以下のような発言を行い、反響を呼んだ。
「なんでSF小説とかアンソロの表紙って漫画・アニメ絵の女の子ばっかなの?恥ずかしくて持ち歩けないんだけど。自らターゲット狭めてマーケット小さくしてる気がする。(中略)誰も彼も「売れるから」で思考停止している気がしてならない。」
それに対して当該編集者がfusseterで以下のような反論を行った。
・「女の子」に関して
・イラストレーターには『性別を指定しない抽象的なキャラクター像』で発注したもので、『女の子』ではない,
・キャラクター的であることそのものに対する違和感にしても、少なくとも現場ではそういうものにしようという意向ではなかった。
・「恥ずかしい」に関して。
・特に若年層ではキャラ絵が「恥ずかしい」と思う感性はあまりないはず。
・キャラ絵が想像力を狭めるということはなく、むしろ想像力を喚起するもの。
・表紙に対する意見について
・表紙を描くイラストレーターたちにも評判を気にして傷つくなどの感情はあるんだから、そういう人に届く危険を認識したうえでSNSを使え。
・事実として違う(SFマガジンの書評欄に見られる書籍の表紙を引き合いにだして)。
・今回の表紙の意図について
二者間で応答された論点は以下のように要約される。
1.なぜSF小説・アンソロの表紙はキャラ絵の女の子ばかりなのか
1.は事実認識としては適当ではない。ただ、主観的で不正確な感覚でも、その感覚が広範に共有されていればシーンに対する認識としては強度を持つ。
たとえば、読者の記憶に残りやすい「目立つ」コンテンツの表紙にアニメ絵率が高かった(ように思える)場合、多くのユーザーは「表紙にアニメ絵ばかり」という認識を持ち、関係するアクターやシーンの振る舞いもその認識に沿って動いていく可能性がある。
ハヤカワは伊藤計劃の『ハーモニー』『虐殺器官』の文庫化の際に、伊藤計劃作品のアニメ映画でキャラデザを務めたredjuiceを起用した。ちなみに表紙に、ではない。本をすっぽり覆うタイプのオビにイラストを反映させたのだ。実質的には「アニメ絵の表紙になった」とみなされても仕方がないし、事実そのように勘違いしている人も散見される。
シライシユウコのイラストレーションに対するファンダムの記憶は伊藤計劃や百合SFと密接に結びついており、2010年代の「気分」を確実に決定づけていた。
「シライシユウコが表紙を描くこと」は他のイラストレーター(キャラ絵寄りであれそうでないであれ)が担当するより確実にある種の指向性を帯びやすい。
どういう指向性か、と問われるとなかなか言語化しにくいが、このイラストレーターが伊藤計劃の『ハーモニー』の単行本版の表紙を担当したこと、伴名練のデビュー作である『少女禁区』の表紙を担当したこと、ライトノベル作家の短編が多く採られた『ゼロ年代SF傑作選』の表紙も担当し『2010年代SF傑作選』がその「再登板」でもあること、百合SFブームを決定づけた『SFマガジン』の百合SF特集号の表紙も担当していたこと、等々から鑑みて、「百合SF」に代表される近年のSFを代表するイラストレーターとみなされうる、といったところだろうか。
もちろん、シライシユウコは上記以外にも多くのすばらしい仕事を残している。ヤングの『時をとめた少女』など『2010年代SF傑作選』よりも「少女性」が強い絵も描く一方で、円城塔の『エピローグ』(単行本版)やヴァーリイの『逆行の夏』などのようなさほど「少女性」が目立たない絵もある。
そうしたイラストレーターが表紙を担当することで、某評論家のいうように様々な出自、トーンを持つ収録作のイメージを一つのカタにはめることになるのは否めない。それはイラストレーターの罪ではない。
『日本SFの臨界点』に関して言えば、伴名練が編纂するということで『なめらかな世界と、その敵』での「キャラ絵の人物がアップになっている表紙」が文脈的に意識されているのだろう。
『なめらかな世界と、その敵』の収録作はジュブナイル的な色彩を帯びた作品が多く、表紙の選択はかぎりなくマッチしていたと思う。だがその文脈を発表年代も書き手もバラバラなアンソロに持ち込むのは(表紙を決めるのは編集者なので作家ではなく編集部として)作品群を「私物化」、あるいは領土化する行為として糾弾されてもしかたがない。
とはいえ、アンソロジーを編集するのはひとつの創作活動でもある。DJのようなものだ。どんな作品を選ぶか、どんな順番で収録するか、といったことが作品個々の印象や読み味を大きく左右し、「一冊」のイメージを決める。その点で、表紙を「私物化」するのも表現の一部であるかもしれない。増田個人の意識としてはアンソロの表紙もまた(アンソロ自体のコンセプトにもよるが)「私物化」されるべきと考える。
ハヤカワは伴名練という作家に過剰な文脈を背負わせすぎなきらいもあり、それはあまりよろしくないと感じるが、『日本SFの臨界点』は伴名練の作品・批評のひとつとして見なすべきではないか。
アンソロを編纂するということはそのくらい暴力性を孕んだ行為なのだ。「埋もれた作品を発掘する」などといった無邪気な善性だけで成り立っているものではない。作品について一切指向性を持たせたくないのなら、表紙をつけず、amazon あたりで短編単位でひとつずつ売るしかない。
2.に関しては編集者の反応があまり噛み合っていない。「恥ずかしい」と感じることはどこまでも個人的な感情なので、「若者には違和感がない」と反論してもあまり意味がない。発端となったツイートで「恥ずかしい」に続く文がマーケティングの話なので、マーケティングの話をされていると思ってもしょうがないというか、増田も普通に読んでればそう取ると思うが。
また、編集者の立場としてはイラストレーターを守りたい気持ちで「いや、恥ずかしくないんですよ」と反論したくなるのもわかる。表紙についての議論をすることに対してやや脅迫的ともとれる言辞をしているのも、そうした仲間を守りたい意識のあらわれだろう。その判断は編集者として間違ってはいない。
ともあれ、その人が「恥ずかしい」と感じたならば「恥ずかしい」のは仕方がない。また、読者や作家にもそうした感覚に共感する人々が一定数存在するようなので、そうした心情を斟酌しないのはいかがなものかと思う。最低でも文面の上ではそうした消費者の感情に向き合うふりくらいはしておくべきではなかったか。
Twitterではよく「表紙が恥ずかしくて買えないとかガキか」という意見が目にされたが、そういうマウントの取り方もよくないと思う。
3.については(元の発言者は重要視していないとしているが)完璧に食い違っている。片方は「キャラ絵にすることでターゲットを狭める」と主張し、もう片方は「キャラ絵にすることでターゲットを広げる」と主張している。百合SFブームを仕掛け成功させたことや、この論争がそもそも『2010年代傑作選』と『日本SFの臨界点』が"バズった"結果生じたものであることを踏まえると、(編集者もまたマーケティングのプロではないにしろ)編集者側に理があるように思える。
SFというものはキャラクター文化と親和的なのだから、そっち方面から未開拓の読者を拾った方がよいと判断するのは筋が通っている。「キャラ絵で買わない新規消費者」より「キャラ絵がついてることで買ってくれる新規消費者」ほうを多く見積もっているのだ。興味を持ってくれる読者層を有効に開拓してこなかった業界の怠慢を一挙に巻き返そうとしている節はあるにしろ。
ある一定の方向へ突出しすぎている表紙を出すことでそれ以外の読者を切り捨ててしまう可能性はある。たとえば、ライトノベルの表紙絵はキャラ絵を好む読者以外へのリーチをハナから諦めている。キャラ絵を用いてる点では『臨界点』と変わらないが、よりパラメータがいわゆるオタク寄りに調整されている。最近、スニーカー文庫のハルヒが角川文庫から再発されるにあたり、有名ないとうのいぢの表紙から実写を用いたいかにも一般向けの表紙へ切り替わったことがあった。これは「キャラ絵を切り捨てる層」への訴求を試みた例だろう。
ハルヒのメインターゲットであった層を掘り尽くしたので、本来ターゲットにしていなかった層も掘る余裕が出てきたのだ。メガヒット作ならではの展開といえるだろう。
間口を広く取れるのは後者だ。特定の層により訴えるのは前者だ。
どちらを取るかは出版社の戦略次第だ。ハヤカワが大手より体力の低い中小出版社であることも考慮にいれるべきかもしれない。
だが、特定の層に訴えるマーケティングはときにその層に含まれていないと感じた消費者への疎外感を生じさせる。そのことには出版社は自覚的であるべきだろう
個人的な感想をいえば、シライシユウコ絵が「マンガ・アニメ的絵」だという意識はあまりなかった。林静一から中村祐介に至るイラストレーターの系譜(もちろん彼らにくらべたらややまんが的ではある)に連なるような存在として認知していた。
『臨界点』のイラストもそこまでキャラ絵として意識していなかった。「恥ずかしい」と感じられるキャラ絵とは、それこそライトノベルの表紙絵くらいのレベルだと思っていたのだ。
たとえば、『臨界点』がライトノベル的な表紙であったら、増田も「切り捨てられた」と感じたことだろう(それはそれとして本を買いはする)。
こんなことを萌え絵に対して不感症になっている典型的な日本人の謗りを受けそうであるし、実際そういう面も否めないのだろう。増田はよくTwitterで論争になる公共の場所で広告に使われる萌え絵について「恥ずかしいだろ」と(その是非とは別のレイヤーで)思ってしまう人だ。本当に「恥ずかしさ」の基準はひとそれぞれだなと思う。
今回話題になった表紙が即女性に対するオブジェクティフィケーションにつながるとは思わない。
一方で、キャラ絵を用いたSF小説の表紙が女性という表象にまったく何も背負わせていないとも思わない。本人たちが意図するしないにかかわらず、文脈的には「百合SFムーブメントを作り上げた編集者」が、「伊藤計劃の百合SFやSFマガジンの百合特集号の表紙を描き、百合のイメージが強いイラストレーター」や「百合SFムーブメントの一翼を担った新進作家」と作ったものなのだ。人はそこに「少女」を見る。その「少女」は私たちの築き上げてきた「少女」のイメージを背負っている。そこに無自覚ではいられない。
私たちはどのレベルの「恥ずかしさ」で合意するのか。SFという貧しく狭い領域でマーケティングとコンプライアンスをどう天秤にかけていくのか。
今はまだ問いの出ない問題だ。作家にしろ編集者にしろ読者にしろ、一個人ではどうにもならない問題でもある。
だが、他人の感じる「恥ずかしさ」を「時代遅れ」と切り捨てることなく、あるいは読者同士で向き合うことで、ある方向へ流れていけるかもしれない。そこから先は、未来の話だ。作家たちの語るべき領域だ。
余談。あるミステリ作家が「消費者の意見に対して真剣に向き合わず、味方を囲い込んでる」と例の編集者にキレてブロックしたことについて。むしろ、fusseterの文面ではTwitterでの論争の不毛さに触れているように、犬笛にならないように注意を払っているように感じた。よくやるように擁護ツイートのRT連発みたいな行為にも走っていないし。
個々のフォロワーたちが発言したり群れたりするのは止められないだろうし、それを「味方を囲い込んでる」ように見えたとすれば、多分に先入観が強い。
「意見に向き合え」というのはその通りだと思う。本人がおそらく可能な限り真摯に向き合っているつもりなのはfusseterで重ねられるエクスキューズからも読み取れるが、だとしても人はどこかで何かから目を逸らしてしまうものだ。当事者になればなるほど防衛機制は強まる。ただ例の編集者は自分に対して意見を言ってくる人を尽く敵と見做して戦争をしかけるタイプには見えないし、あの作家の言うことなら無碍にはしないはずなので、ブロックする前に意見交換を行なって互いの認知を均したほうが幾分有益であったはずだ。
この問題については意見を出してる作家や業界関係者でさえ恐る恐るというか、批判にしろ擁護にしろ通り一辺倒のことしか言っていない印象がある。
その穏当さが党派的な対立を強めていはしないか。業界のトピックとして捉えるなら、公の場で作家同士でもっと突っ込んだ話し合いを行うべきではないのか。
『スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼』 「何人も人を殺している凶悪犯ですよ!」(千葉雄大?)
『グッドバイ~嘘からはじまる人生喜劇~』 「目に入らないんだよ!」(大泉洋)
『37セカンズ』 「ママがいなかったらなんにもできないでしょ!!」
『ロニートとエスティ 彼女たちの選択』 「Look at me! これが本当の私なの!」(レイチェルマクアダムス)
『AI 崩壊』 「いけぇー!!」「〇〇んだ~!!」(大沢たかお)
『前田建設ファンタジー営業部』 上地、高杉両名が何か叫んでいた
『ロング・ショット 僕と彼女のありえない恋』 日本語のボイスオーバーで南海キャンディーズが叫んでいる系
『コンフィデンスマンJP プリンセス編』 「願い下げでぃっ!」長澤まさみ
『映画ドラえもん のび太の新恐竜』 「飛べないんだ!生きていけないんだよ!」(のび太)
『弥生、三月-君を愛した30年-』 「弥生ーー!!」(多分成田凌) 波瑠が明らかに叫んでるシーン但し無音もあり
今 冷たくなっていく 二度と目を覚まさない 俺は
俺は桜を見ていた 今立っている足元には多くの死と俺と無念と怒りと死と涙とオニギリ、巻き込まれて死んでいった無数の動植物の死骸と黄金の精神 が埋まっている 今 薄桃の春が美しく咲いている この足元から立ち上る命で 春を感じる
https://youngjump.jp/goldenkamuy/
長い。今北産業
・選挙に行け
・ゴールデンカムイを読め
誰しも、それが最後の言葉になる可能性がある。だから今伝えたい。ゴールデンカムイをよめ。
ネタバレなし
以下の文章にはネタバレ、いわゆるスポイラーはありません。これにより記事はより空気力学的に洗練され、その結果としてより高速で疾走できるようになりません。
アンサイクロペディアはウィキペディアのパロディであることを知らないのであれば、充分注意して、救急箱を手放さないようにしてください。
ゴールデンカムイ最新刊17巻は今日発売されたばっかりだ。ぜんぜん間に合う。買ったか?ゴールデンカムイとは、2016年まんが大賞を受賞し、イギリスの大英博物館の看板になるくらいすごいのだ。
かってないのか?いつお前はチタタプ言えるかな?ってこのアシリパさんに言われなくていいのか?
http://www.kamuy-anime.com/character/asirpa.html
ゴールデンカムイは、まず出てくる登場人物全員の気迫が違う。エンジン音が違う。全力だ。
ボーっと生きてる人などいない。荒れ狂う葛藤をかかえながらも怒らず笑わず表情筋が動かずボーっと生きてる「ように見える人」もいるのだ。
ヒンナヒンナをネタバレなしに説明するなら、アニメ公式のいうhttps://twitter.com/kamuy_anime
冒険・歴史・文化・狩猟グルメ・ギャグ&LOVE和風ラッコ鍋ウエスタンがしっくりくるだろう。
舞台は気高き北の大地・北海道。明治時代後期、日露戦争をくぐり抜けた「不死身の杉元」杉元佐一は、ある目的のために大金を欲っしてた。
一攫千金を目指し 砂金を求めて北海道に渡ってきた杉元を待ち受けていたのは、網走監獄の死刑囚が隠した莫大な埋蔵金への手がかりだった。
圧倒的で、畏怖の念を抱かせるほどの大自然! VS 凶悪、変態で【禁則事項です】な死刑囚! そして、誇り高き変顔の天才アシ(リ)パさんとの出逢い!
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シライシ@shirasiri 安定のいつめん てかマジ久しぶりやろ海(笑)
#白石#アシリパ#杉元佐一#くりからもんもん#cute#kawaii#pink#二階堂#関節#みんながみんな狂人#f4f#北海道開拓の村
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出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。
雑多な内容を羅列した節があります。
https://tonarinoyj.jp/episode/13932016480028986524
読んだ?血は戦争が始まったら怖くても否が応でも血を見なきゃいけなくなる。苦手とか言ってられなくなる。
選挙に行こう、我々は無血で政治を決めるやり方を生み出した。我々にできること一番のことは選挙に行くことだ 並ばなくていい期日前投票制度もあるし 投票率上がるから会場で献血みたいにジュースとカップラーメンくれ。
選挙行ってもムダだって?まぁすぐに恩恵はわからんさ。筋トレと一緒だ。 続けるか否か
昔海で遊んだ経験があれば 海で楽しいという思いをしていれば 辺野古を埋め立てようという議員に投票はしない そうニュースで語る人を見た
知らないと、本当にどうでもよくなってしまうのだ。
開拓され消えた樺太のアイヌの村は 消えていった。北海道のアイヌもそうなる 厳ついグルグルピアスが言う。
知ること それが行動の第一歩だ
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・ンチャヌプコロ
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/54833
心で感謝しているのに、 それを態度で示そうとしないのは、 プレゼントを包んだのに、 渡さないのと同じことだ( ジグ・ジグラー)