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はてなキーワード: はやけとは

2022-08-20

小学生時代の思い出

両親が事故で亡くなった8歳の頃から5年間くらいを神戸で過ごしてた。灘区祖父生前所有していた家があって、そこに一時的後見人と家政婦さんと暮らしていた。後見人は父の生前弁護士税理士さん。当時はやけにおじさんに見えたけど、あの頃で30代後半。家政婦さんは夫を早くに亡くした後はその家の住み込み管理人さんをやってた60代の人。当時はやけにおばあちゃんに見えた。

後見人さんは勉強を教えてくれたし、家政婦さんは美味しいご飯作ってくれたし、近所の画家のおじさんは同い年の娘さんを連れて遊びに来てくれたし、当時音大生だったピアノ教室先生の娘さんもよく遊びに来てピアノを教えてくれた。たまに来る庭師のおじいさんは冷たくて怖かったけど仕事をじっと見てる私に無言で花冠を作ってくれた。近所の洋食屋ビーフシチュー洋菓子屋のアップルパイも大好きだった。あの頃は両親と妹を一度に亡くしてショックを受けてたけど、周りの人達のおかげで楽しい思い出が多かった。楽しかったな。

引取先の叔母夫婦帰国して、東京に来てから地獄だった。幼稚園から大学である私立女子校なのにいじめられるし、従兄から性的虐待受けて何度も強姦されるし、叔母夫婦は冷たいし、家事は全て私。学校いじめはすぐになくなったし、私の扱いが1番ひどかった従兄が海外大学留学してからはかなりマシになったけど。大学生になってから一人暮らししようとしたら、後見人さんが運用して増やしてくれていた分も含めて遺産殆ど夫婦に使い込まれてた。あと7ヶ月ちょっとでようやく大学卒業。早く社会人になって家を出たい。

2022-07-25

コロナにかかってひと月かかった

大体今から一か月前にコロナにかかった。

かかっている間が体調きつすぎたし、回復してからは暇もないので検査に入っていないが症状を見る限りはコロナでほぼ間違いないだろうと思う。

まず、コロナにかかっている間は、普通インフルエンザとかと区別がつかないので、単につらいだけでコロナかどうかはわからなかった。つらいのが回復してきて、全くにおいを感じないという経験をして、あぁきっとコロナだったのだろうとおもった。

コロナ感染したときはやけにのどに刺激を感じていて、あーこれやばい風邪ひいてんなと思い、発症してから、やべえ風邪ひいてたらしいと思い、回復して動けるようになってから気づくという人も多いのかもしれない。

嗅覚回復したが、気づいていないだけで回復していないものもあるかもしれないが、生活をする上でめったにかがない匂いなのだとしたらまあいいかなと思う。やたらと疲れやすいというのもだいぶ改善した。頭が回らないというのもたぶん戻りつつあるが、いまだに、俺こんなに頭の回転鈍かった?と思うことがあるが、もともとそうだったのかはわからない。

残っている症状としては、息苦しさと、ふいに出る咳だ。特に咳がいつ出るのか読めなくて結構きつい。

普段はなんともないのだが、なぜか急にせき込んでしまい、またパタッと収まる、というのを繰り返している。これは結構きつい。

2022-07-04

南條時雨講話録 - バンド活動記録

俺は高校受験した。

丁度俺の前の席で受験していた男が話しかけてきた。

「よう、推薦入試数学はないぜ」

本当か!?俺はびっくりしたけどしょうがない。

面接が終わって帰る時、その男は、ひとつ前の受験番号だから一緒に帰った。

沖縄から受験にきたらしいけど、

沖縄訛りで何を言ってるのかよくわからなかった。

俺は合格したけど、朝起きられなかった。

から学校にはあまり行けなかった。

7月頃、学校の近くで、俺が受験した時、前にいた男と再会した。

奴は髪を立てて、ベースを持ってた。

「よう、あの時の奴だろ? 俺だいぶ前から気付いてたけど、

おめえは髪を赤く染めてるし、何となくしかけづらくてな」

俺はあまり学校に行ってなかったか

そいつが同じクラスってことにも気がつかなかった。

その時話してて、その男は俺の近所に住んでて、

クラスの奴とBUMPコピーバンドをやってることがわかった。

そいつは俺にギターBUMPコピーバンドを手伝ってくれ、と言い出した。 

俺は断り、俺が歌ってギター弾くからバンドやらねえかと誘った。

そいつ同意してバンドスタートした。

しかし、なかなかドラムが見つからず、

ベースと二人で「グリザイア」って言うクズバンドに入ろうとしたことがあった。

募集記事みて電話した相手は舐めた野郎だった。

こっちから

「やっぱりやめるわ、お前んとこ潰したるわ」

そう言って電話を切った。

こちらの募集記事みて「ドラムやってます」と言ってきた男とベースも一緒に高円寺で会った。

二人で録音した「殺意」のデモテープを聞かすと、

もっとメタルっぽいのやらないの?」と言った。

安っぽいインドカレー屋だった。俺はキレて 

「こっちはパンクドラムを探しとるんじゃ。

お前何見て電話してきたんじゃ、

カス、俺達のメシ代も払っとけ!」

そう言って二人で帰った。

何の期待もしてなかった「ぴあ」の募集記事を見て電話してきた男と会った。

そいつは、やけに暗い目つきをしてて、一発で俺とは気が合わないと感じたけど、

ドラム歴8年と大きいことを言い、割とパンクハードコアも知ってたか採用した。

何か冴え無い奴と思ったけど、3人でスタジオに行った。

その日がバンド誕生日だ。

初めて3人で、スタジオで何をしたかは憶えてないけど、

この面子でやってくことにみんな納得した。

当時、高円寺スタジオで週2回練習し、だんだん曲も増えてきた。

後はコンサートをやるだけなんだけど、俺も含めて全員知り合いが居ない訳。

当時は誰も知り合いが居なかった。

新宿JAMで消毒ギグってコンサート企画してたシンって奴が居た。

俺は奴に「殺意」のデモテープを渡して何とかコンサートに出してくれって頼んだ。

ライブハウスもすぐには出してくれなくて、昼間 オーディションを行ったりしてた。

後日、シンから電話があり

「次のコンサートも、もう決まってるし、しばらく出せない」

と言う返事だった。

俺は何かムカついて

「いいじゃねーか、Forwardみてーなバンド出すぐらいだったら、俺達の方を出せよ」

そう言ったが、奴は

「そんなこと言われる筋合いは無い」

確かそんなやりとりだった。

俺は「てめーのコンサートには出ねぇ」と言って電話を切った。

結局知り合いが居ないとコンサートにも苦労する。

俺は、ガバメントのカツタにデモテープを送った。

俺は、自分はやけに丁寧に書いたつもりの手紙も添えて送った。

数日後、カツタから電話があり

「今度のバースピに出てもらえないかなぁ」と言われ、俺はすぐに了承した。

そのことを2人に言うとみんな喜んでた。

年が明けて、1月半ばが初ライブに決まった。

初めてのコンサートからよく憶えている、下北沢SHELTERってとこだった。

それで、初ライブだけど、さっぱり受けなかった。

ステージの前だけガランとしてて客は後ろの方で観てるだけで。

この初ライブが最悪のコンサートだった

俺の次に出たガバメントはやけに盛り上がって、結局メンバーは落ち込んでたな。

けど、演奏も曲も俺らの方が上だと思ったね。他のバンドより。

そういえば、その日SlangのKOから文句を言われた。

「Slangつまんないんだって?」

俺はその通りと言いたかったけどそんな状況じゃない。

適当なことを言ってその場を凌いだ。

確かシンに電話で話した時俺は、「Slangはつまんない」って言った。

それを、KOにチクッたんだと思う。

まあ、そんな感じで最初コンサートは最悪だった。

その数日後に新宿

Gauzeのシンとバッタリ会った。

俺は電話文句を言ったけど、奴は意外にも友好的で

「今度の消毒ギグに出てほしい」と言われて、俺はすぐ了承した。

その頃こんな出来事もあった。

「これから、KOも来るから」と言われ俺は焦った。

この前、「Slangつまんないんだって?」そう言われたからね。

それから、KOが来てやっぱり友好的で、

新宿JAMでのライブのチラシ作った?」って聞かれて、

「いやまだ作ってない」そう言うと

コピー代もばかにならないから、前に俺がバイトしてたとこでコピー機借りれるから

用紙だけ買えよ」って言われた。その後KOの家に三人で行った。

結局俺はラッキーだったのか、その頃知り合ったハードコア関係の奴とは、

特に揉めたことは無い。まぁ、俺のことを嫌ってる奴もいるだろうけどね。

当時は、俺達にしても、せいぜい20分ぐらいの演奏時間だった。

それに客も今みたいに多くなかったからSlang、Gauze、Forwardと

まとまってライブをする方が得だった。

大体観に来る奴もいつも同じ様な感じだったしね。

その頃、一番面白かったライブは、東大でのオールナイトライブだ。

から考えてよく、あんイベント許可したなって思う。

かなりたくさんバンドも出たし、東大学生ともめて、ガラス壊したり、

テント倒したり楽しかったな。

あれは学園祭の一部だったんだ。オールナイトから

セッションバンドとかも出たり、

俺がヴォーカルで、Poison Arts、Gism、Executeの曲をカバーしたりした。

その後、俺達も順調に活動してて、ある日、P-Vineからレコードの話が舞い込んだ。

結局、レーベルからの条件は、

バンド側がテープCDを渡す」

「1バンド1万円かCD10枚どっちか」だったと思う。

1万円より安かったかもしれない。俺はそれを聞いて頭にきた。

そんなもん売れるに決まってる。

てめぇのとこで宣伝して費用プレス代とジャケット代だけだから

俺はP-Vineの儲けに加担したくない。

レコードなんてものは出せばいいってもんじゃない。

それなりに金がかかるわけだから報酬は当然だ。

それがバンドと聴いてる奴との基本的関係だと思う。

金なんて関係ないって見栄張る奴はきれいごと言いのクズだ。

メンバーも俺の考えに納得した。

この件で俺達は1stシングルリリースする決心を固めた。

その頃はけっこう楽しかったね。

ある時ドラムと揉めたことがある。

ベースと二人で高円寺の小さなロックバーで「腹減ったなあ」と話していたら、

知らない男が話しかけてきて、俺達の飲み大全部払ってくれて、

「これからいいところへいかいか」って言った。

ビビりながらついてくと、荻窪のでっかい十字架のある小さな教会に連れて行かれた。

神父ってやつが出てきて、「この方は何百万も寄付してくれている」って笑いながら礼拝堂へ連れて行った。

そこで服を着替えさせられて、

ハレルヤ早口つぶやきなさい。うまく言えなくなるでしょう、

その時イエスあなた方に宿ってるのです。」

と言われ、「ふざけんな、そんなもん、早口で言えるわけねぇだろ」

そう思ったけど、メシおごってもらわないとどうにもならないからね。

なんか、RAPTとかそんな名前宗教だったのかよくわからないけど。

そのことを、練習の時に話したらやけにドラムがぶつぶつ文句をいいだした。

俺も笑い話程度のつもりで言ったんだけど、だんだんムカついて練習やめて帰った。

その日のうちに、ドラムから 悪かったって電話があったけど、

その辺を境に俺とドラムは疎遠になっていった様に思う。

それと、あるライブベースドラムに蹴りを入れて、ドラム演奏中に帰ったこともあった。

確かその日は、みんななぜか機嫌が悪くて

2曲目か3曲目の途中でベース

気合いを入れる為にベース背中を蹴った。ドラムはムカついてすぐ居なくなった。

ドラムが居ないんだったらもう演奏は出来ない。それで途中で中止となった。

俺もムカついたけどとりあえず、ベースと二人でドラムの家に行った。

多分その辺のこともあってドラムバンドをやめようと決めたと思う。

その年の11月、1stシングル悪魔のざわめき」のレコーディングを行った。

まぁ、そんな大袈裟もんじゃないけど。

新宿JAMってスタジオで、各パートバランスを決めて一発録り。

それから、どのテイクにするかみんなで決めて、

俺がプレス会社に持って行ってプレスした。

全部で300枚リリースした。

すぐにリリースたかったけど、制作費はメンバーの持ち寄りだから

1月にリリースした。

問題流通だ。

けど、俺にはひとつの考えがあった。

こっちで作ったレコードを店に置いてもらう場合販売価格の数十%を

手数料として店に取られる。

買えない奴は通販で直接売ればいい、そう思った。

本当に欲しかったらどうしても手に入れるだろ?

それにたった300枚プレスだし。

店に数十%パクられるのもムカつくしね。

レコーディングから数日後、甲府ライブを演った。

これは東京以外の場所での最初コンサートだった。

甲府では地元の奴が動いてくれてFMの公開番組にも出演した。

ハードコアパンクって何ですか?」

そう質問されて、俺は、

「愛だよ」そう答えた。

12月の終わり、関西ツアーに行った。

まぁライブも楽しかったけど、

俺はこのツアーあんまりメンバーとしゃべってないように思う。

それに、ライブの無い日は一人で大阪万引に行ったりして、

ほんと他の2人とあんまりしゃべってないな。

年が明けてやっと1stシングルリリースした。

その頃ドラムから電話があった。

「俺、やめるわ」

俺は、引き止めることなく、「そうか、しょうがねぇよな」そんなふうに答えたと思う。

ドラムは色んなとこでバンドを抜けるって言ってたから。

とりあえず、ドラムは脱退した。

ドラムが抜けてドラム募集広告を「ぴあ」とかに載せた。

丁度、関西ツアーの話しを受けてて、

早く新しいドラムを見つけないといけなかったからね。

から見つかる間は東京ライブを演ってないし、

ストレスたまる日が続いた。

最悪ドラムマシンで2人で再活動しようかと思ってた。

ところで、俺は茨城出身だけど、地元ドラムをやってるやつがいた。

俺はそいつと話して「ドラムを一ヶ月手伝ってくれないか?」そう言った。

奴にしてもバイトはやめないといけないし、キツイ話だ。

結局了解して、東京まで来た。

それで、スタジオで演ってみたら、まるで出来ない訳。

大阪からわざわざ来させたし、俺も困った。

さら帰れとは言えないしね。

一番大変だったのはドラム本人だ。

奴のプレッシャーは桁外れで、毎日ずっとドラム練習していた。

早い話、俺らとそいつとではレベルが違った訳。

そいつのおかげで、京大西部講堂、それと大阪で二回のライブを無事に演れた。

あと、書こうと思ってて忘れてたことがあるので書く。

それは写真について。

他のバンドと比べて雑誌での写真が少ないと思うかもしれないけど、理由がある。

music magazineが「日本ハードコアバンド特集をするからインタヴューを受けて欲しい。」って。俺は了承した。

その取材写真が欲しいと言われた。俺は即座に拒否した。

music magazine側は食い下がって

「他のバンドは全部写真撮影終わってるんです。

バンドだけ写真が無いのもおかしいでしょう。」そう言った。

他のバンド写真を載せるなら

なおさら載せたくない。

連中は「それならコンサート写真はどうですか?ちょうど、この後のライブ写真を撮ります

後日選んでもらったのを載せますから。」

俺はさらに態度を硬化させ、

演奏中の写真撮影絶対に認めない。

ライブは観るもので、写真を撮ったり録音するもんじゃねぇーんだよ。」

連中は折れた。music magazineを見たら

時雨バンドポリシーとして写真掲載拒否した。」

そう書いてあった。俺にはそんなポリシーは無い。

奴らはメジャー雑誌で、マイナーバンドのくせに

言うことを聞かなかったことが悔しかったんだ。

はいいなりになる様なやわな奴じゃない。

それ以降、写真嫌いが定説となったけど、ライブでの撮影は見つけ次第やめさせた。

理由上記の通り。

関西でのライブも終わってドラムバンドを離れた。

ツアー中に話し合って「殺意」のリリースを決めた。

けど、まずはドラムを早く見つけることだ。

レコーディングも決まって、けどドラムは見つからなかった。

新宿JAMレコーディングを行った。

俺達にとって、初めての本格的なやつだ。

一発録りじゃないって意味でね。

結論から先に言うとこれは完全に失敗作だ。

ミックスミスだった。

初めてだったし、録音中はでかい音だし、

パートバランスまで、プレイバックの音が大きいから分からなかった。

演奏も良く無いし、まぁレコーディングが終わって

テープダビングしてもらったやつを家で聴いて愕然とした。

けどこの失敗作から学んだこともある。

それはそれ以降のレコーディングに生かされたと思ってる。

ついでだから、俺のギターについて書く。

実は俺のギター演奏したのは2回目のコンサートからで、

それ以前は借りたギターだった。

エフェクターはこれも借りたもので、

イシバシ楽器オリジナルの2000円ぐらいのだった。

ただしこのディストーションノイズは凄いけど音は良くて

ベースが辞めた後も壊れるまで使った。

ハードコアの頃のアンプのセッティング

トレブルとミドルは7、ベースは4だった。

その年の夏、ドラムから電話があった。

奴は「バンドに入りたい。一緒に演ってから

ほかじゃ物足りなくて東京に行きます。」そんな内容だった。

これでニ代目のドラムが決まった。

その後、活動を再開してたある日電話がかかり

ハードコアオムニバスリリースするんだけど、

是非参加してもらいたいんだけど。」

俺はすぐに了承した。

この時のレコーディングは前回の失敗もあったから、かなり考えた。

殺意」のギターは4本ダビングしてある。

途中でハウリングが耳につくけど、ハウリングも好きだからそのままにした。

ダビングしたことが分かる様に。

レコーディングが終わって、静岡ライブの話が来てその時、問題が起こった。

ライブの後、いたれりつくせりで俺達は上機嫌だった。

確かスナックに連れてってもらった時そこで俺とドラムがささいなことで喧嘩になった。

お互い酔ってたから殴り合いになった。

「てめぇが一番ムカつくんだよ!」俺はそう叫んだ。

それから主催者の家に泊めてもらって次の日帰った。

帰りの車の中は最悪だった。

誰も口をきかないしシーンとしてた。

帰ってからドラムベース電話して

時雨抜きでバンドを演ろう」と言ってたらしい。

けど奴の目論みははずれた。

その結果ドラムは抜けざるを得なかった。まぁクビってことだ。

それと同時に色々メンバー募集もしてけど、ドラムは決まらなくてね。

からコンサートが決まると誰かヘルプを探して、けどへたな奴では無理だしね。

ドラムをクビにしたのが11月だったか

それで、12月に確かガーダシルと2バンド

下北沢屋根裏ライブの予定があった。

それでガーダシルドラムサポートを頼んだ。ちょっと記憶が定かじゃないけど。

その辺から、都合がよければそいつドラムを頼む様になった。

そいつは手数の多いドラマーだったし、

俺はそいつガーダシルドラムを演ってるのがもったいないと思ってたしね。

その次のライブは、年が明けて3月屋根裏でのハードコアオールナイトライブだった。

この時もガーダシルドラムサポートを頼んだ。

からこの時期の記憶はかなり薄いね

話は変わるけど、「記憶の奥の悲哀情」って曲はかなり前からあった。

まぁ、ハードコアっぽく無いけど、

それは俺の音楽遍歴にも「記憶の奥の悲哀情」を作った理由がある。

俺はレコードマニアで、

俺と直接付合いのある奴ならよく分かってるだろう。

詳しく書くとかなり長くなるから省略するけど、

まず初めてショックだったのはSex Pistolsだ。

ウィンザー家とか、イルミナティ悪口を気軽に歌にしているのが衝撃的だった。

パンクミュージックそれから先、

現在の俺の基本的姿勢を作ったと思ってる。

現在も俺の基本は全然変わって無い。

それは"反抗"だ。

まぁ俺は子供の頃から常に反抗的なガキだったけどね。

けど俺はいまだに反抗心って大事だと思う。

これを読んでる奴も反抗することを忘れないで欲しいね

特に理由なんて要らない。

イルミナティになぜか逆らいたくなる、それで充分じゃない?

俺は今でもそんなガキだ。

話がそれたけど、その次がDischarge理由は分かるよね?

次に注目したのはグランジだ。

その中でも俺にとってDischarge並に衝撃的だったのは

RYOTA BAND、al.ni.co、亜矢、秋吉契里だった。

ハードコアパンクも好きだったけど、

Aliene Ma'riageやMadeth gray'llなんかのヴィジュアル系も好きだったし、

そっちの方にかなり傾いていったのは確かだ。

春ごろ、3rdPermalink | 記事への反応(0) | 03:28

2022-06-14

anond:20220614143456

ワイは努力してるけど手遅れやで

あと10はやければ

かい会社の子会社としての中小企業あるあるネタ

自社および似たような会社で聞いたあるあるネタ

特定業界の話かつネタ元の分母がそう多いわけではない話なので小ネタ程度に読んでくれ。

コンプラにはかなりうるさい

親会社からちゃんと守れ、法改正対応しろとお達しがくるから

ちゃん法律守ってくれる会社が良いと思うならでかいの子としての中小企業は割とおススメだったりする。

ちなみにそういう意味で一番のお勧め財閥の子会社だったりする。

福利厚生が売上規模に対して異様に良い

親会社から同じまたはやや劣る程度の基準しろとお達しがくるから

何故なら親会社からの出向・転籍人間がちょいちょい発生するため、極端に劣る福利厚生ではそういう人間が可哀そうだと親会社の偉い人が言い出すのである

だったらそれにかかる費用を何らかの手段補填してもらいたい。

部署はやけにカッチリしている

縦割り的。中小だと「やれるやつ・部署がやればいいじゃん」的なノリがあったりするものだが、そういうのが無い。

業務効率はだいたい悪い

親会社から来る役員)の承認無しでは、特に大きな案件は一切進まないため。

から業務スピード感みたいなのは一切ないし、越権行為にやたら敏感に反応する人が多い。

なので役員親会社向けの根回しや資料作りの達人ほど出世しがちである

でも出世できない

部長以上の多く(俺のいたとこは約7割)が親からの出向・転籍で占められるため、プロパー社員は本当にごく一部の奴しか出世できない。

慣例的に、特定部署部課長は必ず出向組がやることに決まっていたりもするので、そういう部署に配属されると、異動しないと出世できない。

中途で入ったらマジで管理職扱いにならない係長まりとかだったりする。

必然的に上の顔ばかり見て仕事をするようになる。

給料は低い

親会社より低い水準なことを求められるため。

似たような業務をしていた親会社10歳くらい年下の子自分とほぼ同じ給料だと知って内心ビミョーな気分になったり。

新しい仕事基本的に発生しない

そんなのはグループの別子会社がやるので。

からバリバリ主力なはずのプレーヤー年代の人が実質的ルーチンワークしかしてなかったりする。

倒産心配はほぼいらない

中小ありがちな、なんかあったら会社が飛ぶ的な心配はほぼ不要

ただ本当にヤバいことを数回やらかすと親が怒って潰されることはあったりする。

グループ全体としては知らんけど単独会社としては閉塞感が半端ない

上記理由で、基本的に既にある仕事をこなしていく感じになるため、大幅な売上増とか見込めないし、コストダウンにうるさくなる。

よく言えば安定はしているし、大卒新卒入社して淡々と定年まで勤めたいみたいな人なら、上司ガチャ次第ではあるが天国のような環境

ただし欠員補充的に中途で入るとそもそも出世コースに乗れなかったりするし、給料を上げたいなら原則転職するしかなかったりする。

担当業務によっては同業他社しか使えないような知識経験しか得られず転職時に苦労する。

anond:20220613110519

2022-05-25

トリップしたくてしょうがないバカ入院サバイバル

仕事中に事故って入院

全治4ヶ月の入院2ヶ月。

やっと明日退院になるので、この2ヶ月間の珍道中を書き記そう。

辛かったぜ、よく耐えたよ2ヶ月。

おれは片足を潰してしまって車椅子生活をしている。

入院で辛いのは煙草も吸えないし酒も飲めないこと。

どうにかして、ぶっ飛びたい…。

看護師たちは意外とザルだ。

オーバードーズしないように薬は1日ずつ配られる、飲んだ証拠として空容器を回収されるんだけど、

飲んだ瞬間まで見られるわけじゃない。

夜眠れないと主治医に言えば睡眠薬をもらえるのでそれを少しずつ隠して貯め込んだ。

エスゾピクロンmmルネスタ)を5錠、5日間頑張って貯めた。

むしゃくしゃした夜、ボリボリ喰って、アクエリで流し込んだ。

多幸感を心待ちにして時計を見る。

30分…1時間…2時間…。

ふつうに眠気が少しきてフワーっとしたぐらいか

何一つ幸せなんて感じなかった。

5日分の期待を込めた分、がっかり感でマイナスだぜ。損失回避バイアス

くそう。

もう翌日からはやけだった。

貯め込んだカロナールロキソニンもボリ喰い。

ただ下痢になっただけだ。

くそ、ゲリだけにくそったれだぜ。

処方された眠剤は貰った瞬間にケツ穴に突っ込んだ。

やはり1mm程度じゃ何も起きん。

あーくそ、つまんねぇ。

酒も飲めないし、タバコも吸えねぇ。

そうだ。

ご時世でそこらじゅうにアルコール消毒液があるぜ!これだ!

アルコール消毒液は純度が高過ぎて飲むのは厳しいが、肛門に突っ込めば酔っぱらえるのではないかと考えた!

これも幸いなことにそこらじゅうにゴム手袋があるので、ゴム手をセットして中指たっぷりアルコールをつける、

そして自分肛門に突っ込んでみる。

めちゃくちゃ痛い、熱くて痛い。

高校の頃、罰ゲームでちんぽこにシーブリーズを塗った感覚に近い。

しかしこれもトリップするためだ…。

全然トリップしねぇ。

量が足りないのかと思い、

どうすればもっと量を突っ込めるのか考える。

そうだ、イチジクかんちょうだ。

それらしいもの病院内で手に入らなそうなので、自作してみる。

ゴム手袋の親指部分を切り取り、切り口にセロテープを円錐状に巻き、スポイト状にする。

おぉ、こりゃあ完全にスポイトだ!よし!ここにアルコールを吸い込ませてケツ穴にぶっ込もう!

そこでスポイトの原理に気付く。

吸い込めるってことはさ、押したら自動で膨らんでくれないと吸い込めないのよね。

まりゴム手で作っても吸い込めないのよね。

どうやって自作スポイトの中にアルコールを入れるか。

もう、馬鹿みたいだけど口に含んで入れるしかなかろう。もう最初から馬鹿なんだからいいや。

口に含んでスポイトの中に吹き込む。成功

見事にスポイトの中に入ったアルコール

さー待ってました、頼むぜおれのケツ穴ちゃんたっぷり吸い込んでくれ。

………。

シュー…、スポイトが決壊した。

おれのケツ穴は想像以上に締まりが良く、自作の貧弱スポイトではパワーが足りなかったようだ…。

ケツ全体に広がるアルコール無駄に消毒されていくおれのケツ。

くそ

なだれていた時、一筋の光が。

サプリで飲んでいたビタミンCカプセル!これだ!!

こいつを分解して中にアルコールを入れ、閉じる。

これでアルコール入り錠剤の出来上がりだ!

よし!こいつを5錠ケツ穴にぶっ込んでみた…。

…。

しばらくすると表面のカプセルが溶けたのか、ケツの中が熱くなる。

…酔っ払うか…??

うーん…いまいち…。

だめだこりゃ

もうやる気がなくなって意気消沈して終わった。

結果、ストレス発散は便所でシコるくらいしかない。

翌日、大便と供に潰れたカプセルが出てきて切なくなった。

2022-05-20

anond:20220520084043

家庭科はやけ料理をお勉強チックに小難しくしてハードル高くしてるからあんなんやらされたら家で料理手伝おうとか思う気にならんわ。かなり害悪だと思う。

味噌汁にダシ取りましょうとかすごくどうでもいい事に時間かけすぎ。あんなもん野菜切って味噌入れるだけなのになんでもっとイージーにやらないのか。楽で簡単で美味しい料理が作れる事を気付かせた方が良いわ

2022-04-22

身軽になる旅

毎年そうなんだけど3月くらいで忙しくなってきて気がついたらもうGWなんだわ

コロナのこともあったけどそれがなくてもいつもGWの過ごし方ってブレまくる

プラン立てるの苦手ってのもあるけど、コロナの前はだいたいいつも2~3泊で適当に知らない土地行って飛び込みで宿探したりしながらだらだら過ごしてた

こういう過ごし方もありよねって話なんですけど、似たようなことする人けっこういるんじゃないかとも思ってる

いつだったか特に目的なくたまにビジネスホテルに泊まるって人の話を見かけた記憶があるんだけど、それと近いかもしれない

まず前提としてこれはぼっち向きの話です

一緒に過ごす相手がいる場合はさぼらずサービスしましょうね

で、ぼっちな俺の過ごし方ですが

まず人が多そうなとこ避けるんでただの地方の町とか。GWに人が来るとこじゃなくて人が減ってるとこをなるべく狙います

本当は人口少なめの小さな島なんか一番いいけどわりと人はそこそこいるんだよな

あとそういうとこはちょっと景色が良すぎるかもしれない

GoogleMapで適当に気になる場所とかでもいい

とにかくまだ行ったことなくて、二度は行かないかもなってところに行く

ビジネスホテルや安宿って意外とそんなとこでもしっかり埋まってたりする

まあでもそれもうろうろしてたらなんとかなったりする

最悪移動してしまえばいいし

車でもいいんだけど、実際車でも何回かやってるんだけど

車だとねちょっと自由度が高くなりすぎる

ほんとに好きなとこ行けちゃうし最悪車内泊できたりするしね

自分場合そこまでいくと楽すぎてだめだった

それで思い出したけど一応身だしなみだけは気をつけるようにしている

最初のころ適当普段着で行って怪しいやつがいるって感じでかなり警戒とかされた

何冊か途中になってる文庫本数冊とカメラに軽い着替え

そんくらいの荷物で無計画電車に乗る

だいたい途中で思うんだわ「なにやってるんだ俺」って

カメラ持ってっても別に撮るもんなかったりして

宿で時間持て余してスマホネットみちゃったりして家と変わってねえとか

それで帰りとかけっこう虚しくなったりもする

寂しい気持ちになったり

帰ってから特にに充実感とか元気出てるとか別にないの

でもそんなことをね、何年か経ってからふいに思い出したりするんですよ

で、その時妙な安心感みたいな、ホッとするんだよね

あんとき一人で知らんとこ行って泊まって帰ったなあっていうだけの思い出

景色ぼんやりした感じでしか思い出せない

泊まった部屋の冷蔵庫まり冷えなかったなとかそういうのはやけに覚えてるけど

まあ夕焼けけっこうきれいだったなくらいはあるかもしれない

家族彼女と一緒に旅行いって、あのときしかったなあ的な思い出とは全然種類が違う

ちょっと笑える感じもあるし、うまく言えないけどそれは嘘じゃないって思うんだよね

そしてそれを思い出すと日々の積み重なるしんどさみたいなのを軽くしてくれる

なんでかはよくわからない

理屈で言えばそんな寂しいこと繰り返してるの?とも思ったりするし、そう言われてもそうなんだよねとしか言えない

でも理屈より先に気持ちが安らぐ


から別にそんなどっか行きたいと思わんなーと思っててもとりあえず行くんです

人生で今まで何回かかなり落ちたことあって

仕事なくしたりちょっとシビア病気になったり大事な人なくしたりとか

そういう時になぜかこういった旅のことを思い出すんだよ

なんにもなくなっちゃったって気分と重なるのかも

小説好きな人なんかからよく本を開けばそこはもう違う世界とか聞くけど

俺にとってはそれはあまりなくて

それより頭の中がどうであれ、とにかく体をいつもと違う場所に連れて行ってしま

これがいちばん実感として心を軽くしてくれる

2022-04-21

ロシアウクライナ戦争って所詮旧ソ連構成国内の「内戦」でしょ?

日本はやけウクライナに肩を持つ人が多いと思っているが、ウクライナって所詮ソ連の中の一つでしょ。

1991年にソ連崩壊したことによって、ソ連領内の各国が独立して誕生した国々。

その中の一つがウクライナしかない。

そのウクライナEU加盟を希望していて、EUは難色を示していて、ロシアは反対して実際に戦争を起こした。

要するに旧ソ連構成国内の内輪もめ、内戦じゃん。

ロシアウクライナも、30年前までアメリカEU日本敵対していた。

からすれば、お互いに潰し合って消耗してくれれば大変結構、としか思えない。

ドイツ推し立場から言わせてもらうと、ウクライナって所詮は「敵」でしかない。

キエフの戦い (1941年)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%82%A8%E3%83%95%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84_(1941%E5%B9%B4)

2022-04-20

人を殺してしまう夢を見た

しか職場で、仕事中に殺ってた

でも自分でもパニック過ぎて記憶が抜け落ちてて、殺した瞬間とかは全く覚えてないんだけど、とにかく目の前に血溜まりができてて、周りの人が騒いでいた。誰を殺したのかすら分かってなかった。自分はやけに冷静に自ら上長電話して「事件が起きてしまいまして.........」って伝えてた。断片的な記憶しかないってとこが妙にリアルだった。まぁ本当にそれがリアルことなのかどうかがまず分からないけど。経験いか


気がついたら警察的なところに連れてこられててて、お父さんが部屋に入ってきて色々聞かれてて、わたしは泣きながらずっと謝っていた。なんでそんなことになってしまったのか必死に思い出そうとしてた。

目が覚めたら午前4時くらいで、それ以降寝れない。いつか本当に、突然気が狂ってそういうことをしてしまうのではないかと怖くなってしまった。

2022-04-18

バイト日記

 昨日はやけに混む日だった。小雨が降っていたので、あまり混まないんじゃないかなと思ったら、そうでもなかった。

 何故かカフェマシン部品が一部新品になっていた。それで、マシン掃除の時にテンションが上がった。新しい部品はツヤツヤで、洗うと水をぷるぷる弾く。歯車の回転がめっちゃスムーズ。感動のあまりに、Aさんに見て見てー! する。

 マシン掃除中に限って、カフェラテを飲みたいお客様複数来店。しかもどうしても飲みたいので掃除が終わるまで待つという。部品洗いは終わったので、あとは組み立てるだけだから五分とかからない。というタイミングでぞろぞろと来客多数なんて事がよくあるので、「あと何分で掃除終わります?」と聞かれても、「申し訳ございません。まだ当分かかります」と答えざるを得ない。

 Aさんが、

「さっきのお客さん。俺はあの人に毎回カフェラテを売るのを断ってる気がします」

 と言った。そのお客様も是が非でも今カフェラテが飲みたい! というお客様で、「掃除いつ終わりますか?」と聞いて来た。カフェマシン掃除は大体いつも同じ時間にしているので、そのお客様はいつも掃除時間帯に来店しているという事になる。もう諦めて他の店舗に行かれては?

 親と子供を連れてメルカリの発送に来たお客様がいた。そのお客様メルカリシステムをよく知らないで使っているらしい。二つ持って来た荷物のうち、ひとつは苦労の末、受付用のバーコードを出して発送手続き完了したが、もう1つの荷物バーコードの出し方がわからないという。

「何してんの、早く(荷物を)出して来なよ」

 とお客様の親が言い、お客様が「うるさいっ!!」と獣がうなるような声で言った。人前で始まる親子喧嘩に、私びっくり。その間にお客様の子供がふらふらと店内を徘徊し始めたことで、お客様がまた怒り出した。そんなお客様お客様の親がねちねちと文句を言い続ける。

「もー早く荷物出しなさ、ちょっとぉ! 何で帰るの!?

「うるさいっ!! 後ろに沢山(他の客が)並んじゃったの見えないの!? 後で出すから、並び直してっ!!」

 お客様は怒鳴り散らすと、奥の昔イートインだったテーブルを借りるといってレジから離れていった。他のお客様達の会計に追われている最中メルカリバーコードを出せなかったお客様が親と口論する合間に子供に当たり散らしている声がこっちまで聞こえてきた。

 正直、対応すんの面倒臭い……と思っていたところ、メルカリバーコードを出せないお客様は、今度はAさんのレジに行った。Aさんが時間をかけてお客様になにやら説明していた。そのお客様が帰った後、Aさんにさっきは何の説明をしていたの? と聞いたら、「メルカリ着払いにすると面倒臭いという話しです」

 という。Aさんによれば、メルカリ商品を発送する際に送料を自分持ちにすると、送料は自分の売上から自動的に引かれるシステムになっているとのこと。それで、スマホ荷物バーコードを出してレジでそれをスキャンしてもらえば、それだけで発送手続きが済むという楽ができる。だが、着払いではバーコードでの発送の受付ができなくて、自分で伝票に送り先を書いて出さなきゃいけないらしい。へぇー、勉強になるー。私はメルカリを全くやらないので知らなかった。

 メルカリの事はお客様は事前にやり方を自分確認し、荷物を受け付けるコンビニ側は受付だけしかしないというお約束になっているのだが、コンビニ店員任せにしてもいいと思っている人は、けっこう多い。

 2歳になるかならないか幼児を連れた男性客が来店。そのお客様は、買い物の最中子供の事はほとんど放置していた。店員としては、いつ坊やが店外に走り出して行ってしまうのではないかと、気が気ではない。レジの所に立っていて、いざって時に外へ飛び出す幼児を捕まえに出るのは不可能に近いが、本当にそんな事が起きたらなりふり構わずレジの台を乗り越えて走るしかない……。あ、でも、二人で仕事してるんだから、Aさんにレジを任せて私はフロアフェイスアップしてるフリをして坊やの監視をしてればいいのか。そっかそっか。

 坊やが商品棚の陰に行っちゃって姿が見えなくなっても、お客様全然気にも止めない。たまにふと気づいて、大声で坊やの名前を呼ぶが、坊やは走り回っていて戻って来ない。それでお客様は苛立った様子で坊やを探しに行く。坊やは追いかけっこが始まったとばかりにキャッキャと声を上げていっそう走る。お客様もっと怒る。坊やが一人で冷蔵庫を開けて飲み物を持って来る。お客様は怒りつつも、「元の所にないないして!」と言っても坊やが言うことを聞かないので折れて、それも買う事にする。すると坊やはまた走って行ってお菓子を持って戻ってくる。

 お会計最中に、坊やが突然駆け出して自動ドアを出て行こうとした。あっ、ヤバい! と思ったが、坊やはドアの所で立ち止まり

「パッパ、きゅっきゅーちゃ! きゅっきゅーちゃよ!」

 と言って、店の前の道路を走っていく救急車サイレンに耳を傾けていた。よかった、救急車の後を追っていかなくて。

 その親子が帰った後、Aさんが呆れた様子で、

「ずいぶん粘ってましたね、○○くん」

 と言った。○○くんとはさっきの坊やの名前だ。父親が何度も「○○!」と名を呼ぶので、覚えてしまったのだ。

 子供のいないAさんには、幼児の行動が一々珍しく驚くべきものであるらしく、あんなに活発に動き回るのを発達障害かなんかではないか? という。Aさんが子供について疑問に思う事に、私が答える。

Q.冷蔵庫のドアを一人で開けていたけど、そんな怪力な子供普通ではないのでは?

A.基本的子供は非力だが、加減をするという事を知らず常に全力なので、思わぬ馬鹿力を発揮することがある。大人は「どうせ子供には開けられない」と油断してはいけない。

Q.あんなに言う事を聞かないのは、発達障害から

A.発達障害かどうかはわからないが、さっきの場合子供が言う事を聞かないのも無理はない。遠くで言われるだけでは、子供自分に言われていると思っていないか、言われているのは分かっていても、親がマジで怒っているとは思っていない。言う事を聞かせたいなら子供の視界に入って言う必要がある。

Q.親を折れさせて色々買わせていた、あの子特別小賢しいタイプなのか?

A.そんな事はない。ちょっと粘ったら親が買ってくれたという成功体験をすることで、子供学習していく。だから、親は簡単に折れてはいけない。というか、子供連れで買い物をするにも訓練がいる。ぶっつけ本番のように買い物に連れ出すと、子供に振り回されてしまう。来たことのない珍しい場所に、子供テンションが上がってしまうからだ。お菓子おもちゃがあるとなればなおさら興奮する。そうなると親の言葉など耳に入らなくなってしまう。赤ちゃんの頃から毎日子供を同じ店に買い物に連れて行って、親のペースで買い物をする事を覚えさせるのがよい。

子供をしつけるのって、犬とかイルカとかを調教するのと同じようなとこありますよ」

 って言ったら、Aさんは、

「犬って……」

 とドン引きしていた。

2022-02-01

石原さんは政治家としてはよくわからなかったが、

文学者文芸者としては超一流だった。都知事の会見での回答なども文学者っぽかった。

そういう点では宮崎駿監督も同じ匂いを感じる。絵描き映像監督政治家で違うけども、根本文学者だと思う。

文学新聞メディアの中心でなくなった以上、こういう人はもう現れないだろうなあ。

石原慎太郎氏、自作を語る『わが人生の時の時』、死の影と生の充実

2019.2.21 10:12 ライフ 学術アート

ときさし石原慎太郎インタビュー

「こんなにいろいろ体験した物書きはいない。ある意味、ぜいたくな人生だと思うよ」と話す石原慎太郎さん(酒巻俊介撮影

DSC_3468『わが人生の時の時』

小説集や文庫に収められた『わが人生の時の時』

 政界引退して4年余りが過ぎた石原慎太郎さん(86)はサッカーヨットダイビングに、とさまざまなスポーツに熱中してきた。そんな“肉体派作家身体感性が鮮やかに結晶したのが、平成が始まって間もなく刊行された自伝的掌編集『わが人生の時の時』(平成2年)。かけがえのない時の断片を乾いた筆致でつづった40の掌編は死と隣り合わせにある生の輝きを静かにうたいあげる。(聞き手 海老沢類)

 この本は不思議きっかけでね、大江健三郎のおかげなんですよ。テレビ局の依頼で反核運動が盛んだった西ドイツ(当時)に取材に行ったら、同じ目的で来ていた大江と会った。ベルリンの壁の前で僕は覚えたてのスキューバダイビングの話を彼にしたんです。この本に書いたオキノエラブウナギという猛毒をもった不思議ウミヘビと遭遇した体験を語って「海の底全然違う宇宙で、いろんな発見があるんだ」と。大江はやけに感心して「石原さん、そういう話、絶対書きとめておいた方がいいですよ」と言う。

 思えば、僕は他の作家にはない体験をしてきたし、いろんな人と出会って面白い話も聞いてきた。人生を記録として残そうとしたんです。書きながら人生を感じ直したよね、強烈に。

 《収録された40編の多くが海での体験談。知人の遭難自身の大けが、巨大な生物との遭遇などが回想される。弟の俳優裕次郎さんとの別れや霊の存在示唆するような不思議出来事戦時日常も描かれる》

 僕は肉体派からね。肉体を使った行為というのはその裏側に必ず死の影がある。スキューバダイビングでも随分怖い目に遭ったし、遭難にも立ち合った。避けようもない落雷ヨットの甲板上で目にする「落雷」という一編があるけれど、あのときコンパスクルクル回るのが気持ち悪かったね。

 ただ僕はね、恐怖は人間が味わう一番の感動だと思う。恐怖が通り過ぎた後には安息があるし、たった今過ぎていった凝縮された時間の充実をも感じる。死とのコントラストの中での生の味わいは深いですよ。死は人間にとって最後の未知だから興味がある。この掌編群はいわば、いつ死ぬのかな、という緊張の中でとらえた生と死のフラグメント(断片)なんです。

 戦時体験も書きました。横須賀から出航する前、家族最後の別れをする将校の姿とかね。僕らをかわいがって膝の上に乗せて頭をなでてくれた青年将校が死んでいく。その妻が葬式で何も入っていない骨壺を抱いている…。戦争不条理残酷さは僕の中に鬱積して、国家への愛着、そしてアメリカに対する反発となった。盛田昭夫さん(ソニー会長)との共著『「NO」と言える日本』(元年)もそういうもの潜在意識にあって書いたんです。

 《26年、衆議院議員最後政界引退。精力的に執筆を続け、田中角栄元首相の生涯を一人称でつづった『天才』(28年)は大ベストセラーに。現在文芸誌に小説を連載する》

 随分危ないこともやってきたと思うけれど、僕はそれはそれでとてもエンジョイしてきた。自分をつき動かすのは結局、人生に対する好奇心なんだよね。

 ライフワークが一つあってね。仏教徒から法華経現代語に訳そうと思っている。法華経は非常に哲学的で、存在時間について深く考えさせる。今は道半ばだけれど死ぬまでに完成したい。

 やっぱり小説が一番面白いよ。政治家同士のだまし合いなんか、最も薄っぺらいね。僕は作家だしヨットマンですよ、ずっと。でも時化(しけ)たレースではさすがにもう乗れないな。

 『わが人生の時の時』 文芸誌「新潮」の平成元年10、11月号に掲載。翌2年に新潮から単行本刊行され、後に文庫化された。『石原太郎文学』(全10巻、文芸春秋)の第8巻に、エッセー『わが人生の時の会話』とともに収められている。

 〈いしはら・しんたろう〉昭和7年、神戸市まれ一橋大在学中の30年に「太陽の季節」でデビューし、翌年に同作で芥川賞。『化石の森』で芸術選奨文部大臣賞、『生還』で平林たい子文学賞。43年に参議院議員当選。後に衆議院に移り環境庁長官、運輸相などを歴任平成11年から24年まで東京都知事を務めた。

https://www.sankei.com/life/amp/190221/lif1902210022-a.html

2021-12-20

22時過ぎの道玄坂ダメ人間しかいない

22時過ぎの道玄坂ダメ人間しかいない。ポケットに手を突っ込みハイヒールでズンズンと駅へ向かう私もその一人。あの男。18年ぶりにTinderで再会し、手コキで果てた神奈川大卒の男。美しい思い出を性欲で汚した愚かな男。そして、彼を見下し、利用しようとして報いを受けた慶應卒の愚かな私。

 

私は私の人生がかわいかった。腹を痛めた我が子のように。当然だ。様々な苦しみを食べてこの人生は育ってきたのだから教育ママ日能研のバッグ。中学受験女子校人間関係大学受験。滑り止めの慶應経済就職活動。いろんなものをすり抜けて、私のソコソコ幸せなこの人生があるのだ。

 

中央林間のあたりで生まれて、小学校までは地元公立に行っていた。色んな人がいた。「じゅんやくん」とは母親同士がママさんバレーの友達で、家も近かったからよく遊んでいた。青い屋根瓦の古い平屋。中に入るとワサビみたいな匂いがした。夏も冬も、いつもヨレヨレのタンクトップを着ていた。

 

じゅんやくんはモテた。足が早くて、サッカーもやっていた。土曜日に校庭に遊びに行くと、真っ白いソックスを膝まで上げたじゅんやくんが中盤からいいパスを出していた。かっこいい。顔はよく覚えていない。小学生恋愛なんてそんなもんだ。初めてチョコをあげたのもじゅんやくんだった。

 

女子学院への進学が決まった。じゅんやくんに伝えると、お前のことちょっと好きやったで(笑)と言われた。ちょっとって何だよ、と思いつつも純粋に嬉しかった。それから人生で、ちょっとでもいいから私に好きだよと言ってくれる人は他にいなかったから。その日は二人でマックに行っておしゃべりした。

 

メルアドを交換して多少のやりとりはしたし、全然更新しない彼のアメブロくらいは見ていた気がする。でもお互い新しい環境で新しい友達ができて、思い出話と近況報告以外に特にネタもないし、そして何より、小学生の「好き」なんて、その程度の曖昧ものなのだ大人のそれも似たようなものだけど。

 

JGの新しい友達はみんな「きちんとした子」が多かったし、母もそれを喜んでいた。特にじゅんやくんやそのお母さんの話はしなかった。もしかすると、私の人生自分作品のように思い込む短大卒の教育ママである母にとって、あん公立校の人間関係なんて忌むべきものだと考えていたのかもしれない。

 

そんな背景もあり、私は次第にじゅんやくんのことを忘れ、何事もなく人生は進んでいった。第一志望の東大は落ちたけど、滑り止めの慶應経済に入った。慶應卒の父はそれはそれで喜んでいた。塾高生の目が届かない弱小テニサーでは、志木高生が俺たちこそが内部生と言った顔でオラついてて可笑しかった。

 

サークルゼミの先輩たちに色々手伝ってもらって、リクルートスタッフィング内定を決めた。キャリア内定者の何となく見下してくる感じはムカついたが、腐ってもR。腐っても銀座OL。初めての一人暮らし。限りなく浜松町に近い田町の月10万の1K。まいばすけっと自炊を頑張ってみたがすぐ飽きた。

 

仕事は楽しかったし、なによりRの空気は私に向いていた。JGと慶應経済の面倒なところを煮詰めたら多分Rのそれと同じような味がする。電話をかける。ビルを倒す。派遣された高時給のエンジニアたちがちゃんとやっているかフォローする。いくつか賞ももらった。私の人生は引き続き順調だった。

 

唯一の問題私生活にあった。慶應卒のかわいくない総合職女の子、ほどの恋愛における弱者はいないんじゃないかと思った。ルッキズムには排除され、オレが養ってあげたい派より年収が高い。共働き尊敬し合える関係が、とか言ってるやつも、だいたい前掲のどちらかを心に持っている。行き場がない。

 

入社2年目くらいのときに、三菱商事との合コンがあった。商事の中でも三軍みたいな連中。微妙顔面高慢な態度。「派遣とか竹中平蔵じゃん(笑)」「お前はどうしたいの?っておれに聞いてみてよ(笑)」内心分かりやすハイスペ好きで、今日合コンのためにまつパに行った自分を殺してやりたかった。

 

そんな行き詰まりがずっと頭の中にあった。何となく始めたTinderゴミの山だった。日東駒専大東亜帝国なんて現物と会ったこともない。なんと高卒も!世の中の広さを思い知らされる。この国では生きる世界が何層にも分かれていて、コンビニレジとか、違う世界の人は目の前にいても透明に見える。

 

同じ社会に生きる透明な人たち。彼らが可視化されるのが面白くてTinderにハマった。何を売ってるのか、こんな国語力で本当に売れるのか分からない謎の営業たち。ホテルマンと車のディーラーはやけに多い。恵比寿フレンチで働いてるシェフ何だか好感が持てる。そんな悪趣味Tinderをやっていた。

 

マッチゴミの山を漁っていたら、一人の男が目に止まった。神奈川大学卒。神奈川大学?白楽だか東白楽だかの果てにあるらしい。体育会サッカーをやっていた。今は営業をやっている。また営業。こんな営業会社に来たら嫌だな。Junya。30歳。Junya?彼だ。

 

18年ぶりに幼馴染みと再会した。よりによって、このゴミの山で。身分を超えた恋、と言えば美しいので、そう呼ぶことにした。すぐに彼からメッセージが来た。はじめまして😆✨よろしくお願いします❗冷静になった。●●小のじゅんやくんだよね?すぐに返信が来る。当たりだ。

 

話すことはたくさんある気がするから、私からすぐに飲みに誘った。家も職場横浜のあたりと言うから東横線で出てきやす渋谷にした。店知らんから任せていい?🤣と言われたから任せられた。ラフな感じがいいな、ラフな感じでいいやと思って道玄坂の「どうげん」を予約した。

 

彼が人生の曲がり角になる気がした。ハイスペを追っては追い返され、低スペは追われる前にドアを閉める。私のかわいい人生恋愛ときで躓かないよう、学歴や社名で相手を選んできた。スペック依存しない私の新たな人生幸福が、おそろしく低スペな幼馴染との再会で始まるんじゃないかと期待した。

 

金曜。どうげんに焼肉を食べに行くだけとは思えないほど気合いの入った格好で山手線に乗ってしまった。この日のためにアリエクで買ったスカートは思ったよりピチピチだし安っぽかったが、神奈川大の男にはこれくらいのほうがいいんじゃないかと前向きに履いた。慣れないハイヒールはやっぱり慣れない。

 

20時。彼は少し遅れて来た。黒のカナダグース。ピタピタの白ロンT。膝の破れた明るい色のピタピタデニムナイキスニーカー。顔は、調子悪い日の槇野に馬を足した感じ。真っ黒に焼けていた。TikTok流行っている音楽に詳しそうな雰囲気をしていた。「久しぶり😆✨」発言の末尾に絵文字が見えた。

 

彼は私のアジアン隅田似の顔に少しギョッとしたが、お酒を飲むとどうでもよくなったみたいだ。よく飲む人だった。一息でジョッキを半分くらい飲み干した。杯を乾かすと書いてぇ〜😆顔カンパーイ😆✨よく食べる人だった。りんごを巻いた肩ロースを何枚も吸い込んだ。営業接待で大変なんよ🤣

 

話は割と盛り上がった。中学高校でもサッカーを続け、インターハイにも少しだけ出場したこと。強豪大からは声がかからなくて神奈川大に進学したことプロを目指したがまるでダメで、今は横浜部品会社営業をやっていること。大学時代マネージャーと付き合っていたが、浮気されて別れたこと。

 

1時間も経っていないのに、彼はかなり仕上がっていた。てかスカートめちゃエロくない?😍(笑) 急に空気が変わるのを感じる。性的質問が増える。テーブル席の向こうから、彼の鍛えられた足が妙に触れてくる。ZARAのいつ買ったかも分からない安そうな彼のデニム。昨日きちんとムダ毛を剃った私の脚。

 

私は変に冷めていた。話が合わない。共通話題がないとかじゃなくて、会話の技法とか、語彙の辞書そもそも違うような感覚ロシア語ポーランド語のような関係。分かるが分からない。目に見えない学校から目に見えない会社に入り、目に見えない人たちとテング酒場男梅サワーを飲んできた人。

 

私の期待は外れた。当たり前だ。私たちは同じ国の、目に見えない違う国で育ったのだ。それが交錯するのが首都圏公立小学校であり、そこを出れば二度と交錯することはないし、交錯すべきでもない。美しい思い出は美しいまま、卒業アルバムと同じダンボールに入れて二度と開けなければよかったのだ。

 

迂闊にも、実家ホコリを被っていたそれを開けたのは私自身だ。それも、美しい思い出とその中にいる彼を、私は見下し、見下したそれらが私の人生好転させてくれると期待した。最悪だ。そして最悪な彼は、自分のために着飾ってきたブスに勃起している。彼にはその権利があるような気がした。

 

例によって、このあとホテルに誘われた。お店に入って1時間余り。モクモクとしたどうげんのテーブル席。私の美しい思い出が、トイレから帰ってきたらこっそり近所のラブホ検索していた彼が、ニタニタ勃起しながら最悪の誘いを投げかけてくる。すべてが面倒になり、割り勘をしてホテルに向かった。

 

緊張緩和のためか、途中のコンビニで買ったストゼロを彼はガブガブと飲み、結果勃たなくなった。少し待つと復活したからまずは手でしてあげると、アッアッというピトーに脳をいじられたポックルみたいな声を出してすぐに射精した。そうして二度と勃たなかった。手を洗うときに鏡で見た私の無表情な顔。

 

時計を見るとまだ22時で、なんだか疲れたから私だけすぐ帰ることにした。ライン教えてよ、と言われたけど、ラインやってないので… とそのままドアを閉めた。通りに出るとゴミみたいな人たちがいっぱいいた。何の仕事をしてるのかも知らないが、おそらく一生知ることもない、違う国の人たち。

 

今年で30歳になります。帰りの山手線、窓ガラスに映った自分の顔にギョッとしました。頑張って生きてきたのに、恋愛肯定されることがなく、そのことは私の人間価値のもの否定されたような気分になります。家につきました。男たちの欲求狭間で、私は今夜も真っ白な天井を眺めています

 

実は― きょう彼にああやって求められたのが、一瞬、少しだけ嬉しかったのです。でも、やっぱりダメでした。致命的な知性の欠如。合わない人とは合わないほうがよいのです。それが分かると見下してしまうから。じゅんやくんのお母さんを何となく見下していたのを思い出します。

 

当然の報いです。美しい思い出を利用しようと段ボールガムテープ剥がした私。そんな私の手を汚い欲求で汚した彼。身分を超えた愛?Tinderを開くと彼からメッセージが来ていますが、何も見ずにマッチを解除します。ビールを飲みながら、早慶以上の人にだけいいねを送ります。今年で30歳になります

出典元:麻布競馬場 @63cities https://twitter.com/63cities/status/1472400671387582467

2021-12-12

24歳。うんこを漏らした冬。

 【汚いので閲覧注意】

 私は24歳の大学院生

 金曜日のことだ。前日のバイトを終えて倒れるように寝込み、それなりに快適な朝を迎えた金曜日

 その日は注文をかけていたヨウジヤマモトの服を受け取りに行く用事のために全身ヨウジで固め、最近おろしスニーカーるんるん学校に向かっていた。午前に講義ひとつあり、その後に店に向かう予定だった。

 学校へあと5分くらいのところ。学校の近隣に公園があり、その脇道を抜けているときだった。不意にお腹違和感。体調の不備はそれまで全く感じていなかったはずなのに。一瞬違和感を覚え、ちらりと横を見やるとトイレらしき建物があった。いや、まだ大丈夫だろう。何しろ学校まで数分だ。トイレに行くにせよ私立大学の綺麗なトイレゆっくりと用を足したい。私の思考はまだそんな楽観を許す程度の余裕があった。

 やや歩みを早めた瞬間、不意に放屁漏れた。嫌な感覚が尻から滲む。これ、出てない??????

 はやる心臓。足の向きはやや迷いを残しながらも公園内部に逸れていた。一瞬の判断。この公園にはトイレが2つあるのか、幸運にも目の前にもトイレらしき建物がある。問題は、その建物がどう見ても改装中であったということのみである。ぐるぐると唸る腹を尻目に公園を見渡すと、「改装中。仮設トイレへ→」の文字列が目に飛び込む。仮設トイレへと駆け込む。刹那肛門括約筋がまともに機能していないとしか考えられない速度でぎゅるぎゅるぎゅる、と液状のものが尻から伝う感覚。もう漏れてんじゃんこれ。漏れてるよ絶対。がんばれパンツ下着)。脳内パンツの吸便力を信じながらドアを開け、リュックを床に投げるように下ろす。仮設トイレの床に誰のか知れぬ糞尿が散っていることなどこの際厭うことはない。いまは何よりも私の臀部が一番汚い。ズボンを下ろす。しかしここで孔明の罠が発動する。その日私が履いていたズボンはヨウジのややデザインの入った服なのだ。脱ぐのに「ドローストリングを外す」「ボタンを外す1」「ボタンを外す2」という3工程がある。くそが。パンツやや重みを感じ始めている。雑にズボンを下ろしながら同時にパンツも引き下げる。便座を確認している暇はなかった。尻を突き出すと破裂音と共に大量の便が噴き出した。完全にお腹壊してる。起き抜けに飲んだプロテイン冷水で割っていたのがよくなかったのかなあ。そんなことを考えながら足を震わせていた。シャツとロングコートにかからないようにずり上げていた気がする。しかし尻は私に構うことはない様子だった。

 排便が一旦落ち着き、後ろを見やると的は完全に外れ、便座の縁にべっとりとこびりついてしまっていた。パンツももちろん付着。床にまでこぼれてはいないようだった。頭はやけに冷静だった。履いていたスニーカーはブーツテイストのもので、脱ぐのに苦労しながらも全て脱ぎ、ズボンコートを脱いだ。仮設トイレなんかにコートをかけられそうな突起はない。よく見ると壁に釘の頭が迫り出している箇所がいくつかあったので、そこに無理やりコートタグ部分を引っかけ、ズボンボタンホールを引っ掛けてなんとか両手を使えるようにした。トイレットペーパーを尻に挟む。尻からこれ以上便が垂れないようにしたかった。私の肛門括約筋は信用ならなくなっていた。そのまま半回転し、便を掃除する。汚した場所から便を取り除き、手洗いの水を使って水拭きする。なんなら尻も水に濡らしたペーパーで拭き、尻表面に付着した便を取り除く。もう講義なんてしったことか。受け損なうとあとが辛い講義だったが、こっちはうんこ漏らしているんだぞ。

 掃除を終え、パンツトイレ内のトイレットペーパーの芯を入れる用にかけられていた袋に突っ込んできた。公園内のゴミ箱に入れようか迷ったが、汚物を持って公園をうろうろするのが恥ずかしいのと申し訳ないので、そこに入れることにした。これも申し訳ないきはしたが、コットンなので燃えるはず。一緒に捨ててくれと願う。

 ノーパンズボンを履く。流石に学校には向かわず帰路に着く。あまり感じないものの、ズボンシャツコートに便が付着している可能性は高く、そのまま講堂に入るわけにはいかなかった。

 なんで自分がこんな目に。毎日学校をこなし、バイトで日付変更直前まで労働し、なんとか論文を書かなきゃと日々教員に詰められながら生きているのに。何かしたか? 先日まで休んでいたダイエットもその日から再開しようとしていたのに。最近心身や生活調子を崩しており、色々気合を入れ直して頑張り直そうとしていた矢先だった。

 恨みながらとぼとぼと歩く。ワイヤレスイヤホンからKing Gnu新曲「一途」がリピートされ続けていた。漏らしている間も、惨めに掃除している間も。でも私は帰り道でその曲を変えられなかった。変えてしまったら、その曲を聴くたびに思い出してしまうだろうから

 帰ったらすぐに洗濯をせねば、そう思いながら足を急がせ家に向かう。ひとは余りの負荷がかかるとどうってことなくなるんだと思う。これが派手に転んでズボンは破れるわ擦りむけるわ程度だったら泣いてしまっていただろう。でもうんこ漏らすともう何にも考えないんだね。脳が機能停止した感じ。「最悪」の二文字脳内に居座ったままただ家に。そうして家に帰ったら、奇跡的にシャツコートには付着しておらず、ズボンも多少で住んだのですぐつけ置き洗い*2の後に洗濯機を回して外干しを遂行。そんで今に至るってわけ。もちろん生活は崩しっぱなし。全部最悪のまま。服は臭ってなさそう。不幸中の幸いかな。

 長々と書き散らしてごめん。こんなに書くつもりはなかったけど勢いがついてしまった。推敲する気はない。

 ここまで読んでくれてありがとう。誰にも言えなかったけど誰かに言いたかたからここに書いた。感謝

2021-10-29

高校の購買のリプトン500ml

もう15年くらい前のことだが通っていた高校には大きめの購買がありその横には数台の自動販売機もあった

そのどちらもにリプトンの甘い紅茶自販機の方はもっと小さいパックだったかも)は揃っていて特定の味が放課後には売り切れたりするほど人気の商品であった

育った家庭の方針もあり、それまで人生で甘い飲み物など一度も飲んだことがなかったが、購買の自販機冷蔵ケースで目にするカラフルリプトンの500ml紙パック入り紅茶はやけにうまそうに見えて

というか周囲の人間が猫も杓子もこれをがぶがぶ飲んでいるので一体どれだけうまいのかと思って初めて買ってみたがまんまとうまいのであった

ちょっとどきどきしながら購買のお姉さんから購入したのを覚えている 親の目を離れて自由に家で禁止されていたものを初めて買うどきどきも同時に味わっていたのだろう

そういう経緯もあってやけに特別もののように感じたが、それが日常のありふれたものに変わるのに全然時間はかからなかった なんだか嬉しかった 

食っても食っても腹が減る高校時代、あの大容量の甘い飲み物(おまけに高くない)は喉を潤すというよりはちょっと動けばすぐ減る熱量を補うためのエネルギー液のような位置づけだった気がする

男子にも女子にもピーチティーが一番よく売れていた気がする、そして男子女子も予め設定されたストローの挿し口ではなく

1000ml入りの紙パック牛乳の注ぎ口のようにがばっと口を大きく開け、そこにストロー差して飲んでいた

なんなら一日2本くらい飲んでる子もいた 今考えたらよくあんな甘いものを1リットルも飲めるものだ どんな砂糖の量だ、10代ってすごいな

高校卒業して久しい今、あの甘くてでかくて大容量でリーズナブルな紙パック紅茶を飲むことはなくなってしまったが、

先日シソンヌラジオ「ばばあの罠」を聴いていたところ、長谷川が「高校時代購買に売っていて人気でみんなよく飲んでいた」とその思い出を語っていて懐かしく思い出していた

彼らより10年は下る高校時代をすごした人間にしてもその状況は同じだったので面白く思うと同時に、やはりその浸透具合はなかなかのものだなと感じ入ったし久々に飲みたくなった

…ところのこの数日の話題である その状況についてはここでは触れないが、とにかくロングセラー商品だなあ、と思う

今でも高校大学の購買には大量のリプトン紙パック紅茶が入荷していて猫も杓子も男子女子もごくごく飲んでいるんだろうか、全国的にそうなのだろうか

なお習慣化した甘い紅茶のがぶ飲みが祟ってか、私は高校の3年間で6キロほど太った

以後甘い飲みものは今に至るまで一度も飲んでいないしこれ以降も恐らく飲むことがないだろうと思うので、あの3年間はものすごくありふれていたがちょっと特殊な3年間だったなと思う

追記

ストロー穴、なるほどたしかになかったかもしれない

あったものと思い込んで書いてたがそもそもいからひし形に飲み口開けてストロー差して飲んでたんだな、なにせ卒業後は一度も飲んでなかったのでおぼろげになっていた部分だ

年代ブクマカありがとう

2021-10-16

あの🐸にまた会ったのです

先週、💩みたいな🐸に会って感動した者です。

https://anond.hatelabo.jp/20211010002806

実は、その3日後、あの🐸にまた会ったのです。

すると、どうでしょう。あれほど興奮していたのに、今回はやけに冷静な自分がいたのです。

「ここに生息しているのな」「何を食べているんだろ」と、ただ🐸の生態が気になるだけ。

おれたちこのコロナ禍を生き抜いてきたよな!っていう、あの感動はどこへやら……。

🐸も🐸でそんな感じ。スマホカメラを向けても逃げない。視線は獲物を狙っているようでした。

なんだろうな、この気持ち

例えるなら、たいして仲良くなかった大学同級生に、新橋駅で「おう、久しぶりっ!」って声かけられて、妙に嬉しくなって「今度飲もうぜ!」って言って。

その数日後にまたそいつと会って「お、おう(ここ通勤ルートなんだな……)」ってテンション下がる感じ。向こうもそう。

そこまで仲良くないってつうの! あーなんて薄情なんだろうな、おれは。

「じゃあ、またね」とカエルに元気なく声をかけて立ち去った、寒い夜でした。

2021-10-02

表現の自由を守ろうという界隈、そしてVTuberオタク界隈へのデマレッテル貼りにも警鐘を鳴らすことも大事

近頃の表現の自由を守ろうという界隈やVTuberオタクの界隈に対して、統一教会を結びつけて論じる話には辟易している。単なる統一教会危険性を知らせる警鐘に留まらず、もはや誹謗中傷様相になりデマレッテル貼りを繰り返している。何よりもVTuberという新しいカルチャーに対して無理解な様には、新しいカルチャー理解がないのだなと悲しくなってくる。

まりは、VTuber戸定梨香に対するフェミ議連差別偏見に、表現の自由を守ろうという界隈で、おぎの稔が先導して抗議署名を立ち上げた。その抗議署名賛同団体にある一国民の会が問題視された。

 

この一国民の会は、減税や規制緩和目的にしてはいものの、その代表である渡瀬裕哉がクセモノであった。

渡瀬裕哉は、統一教会がバックにいる『ワシントン・タイムズ』のエグゼクティブディレクターを務めている。

さら渡瀬裕哉が主催したイベントに、表現の自由を守ろうという界隈で有名な山田太郎が一度参加したこともあった。

このことから表現の自由を守ろうという界隈の裏には統一教会がいるのではないか疑惑があがった。

その疑惑の声のまとめもある。

表現の自由戦士、統一教会関係者だった 山田太郎、おぎの稔、音喜多駿ら界隈の著名人が教会関係者主催のイベントに登壇

まり統一教会がバックにいるマスメディア役職にある渡瀬裕哉が主催するイベント山田太郎が一度とはいえど参加したこと渡瀬裕哉が代表である国民の会におぎの稔が関わっていることから統一教会表現の自由を守ろうという界隈の裏にいるのではないか疑惑が持ち上がったのだ。

しかである論理的に考えるのであれば、この渡瀬裕哉が統一教会信者であり、積極的統一教会に取り込もうとしているのかどうかをまず疑うべきだ。

だが渡瀬裕哉は統一教会のみならず幸福の科学とも積極的に関わっており、いわばビジネスで繋がっているというというのは、上記のまとめの中ですら指摘されている。

統一教会のみならず幸福の科学ともビジネスでつながっていると思しき人物主催するイベントや団体に関わっていた。

これをもって表現の自由を守ろうという界隈は統一教会に取り込まれていると主張するのは早計だ。さらに言えば今回の件で言えば幸福の科学の関わりに疑惑があがってもよさそうだがそうはなっていない、なぜだろうか。

 

そうは言えども、このように間接的にでも統一教会が関わることで統一教会の影響力増大になるのだから、警戒心を持って少しでも統一教会と関わる相手とは縁を切るべきだと、山田太郎やおぎの稔、その支援者に対して警鐘を鳴らすべきだ。統一教会の影響を相対化したり矮小化したりする声にも警鐘を鳴らすべきだ。などと言うのならまだしも、統一教会表現の自由を守ろうという界隈の裏にいる、さらにはVTuber界隈もオタク界隈もその異常性から統一教会に取り込まれているとデマレッテル貼りが繰り返している人が多く見られる。それも全くの無名じゃない、それなりに名前のある人達が語っている。

https://twitter.com/segawashin/status/1442486624986664963

これがわりと冗談にならなくて背筋が寒くなるの、オタク向けコンテンツ性的規範の妙な保守さかげん(エロとは別腹で恋愛はやけ純愛指向結婚=ゴールインみたいな妙に古くさい男女観、なんなら運命の人は向こうから勝手にやってくる)と統一協会教義がやけに相性よく見えるからなんだよなあ。

統一教会系メディアとVtuberがズブな件

このnote記事に関しては誇張表現が悪質だ。VTuberとVRChatを意図的混同した論調は根も葉もないVRChatへの風評加害も心配だ。追記note記事作者が関係者謝罪して大幅に書き換えました。事実無根の記事でバーチャル美少女ねむ様に風評被害を与えて申し訳ありませんでした→旧記事名:統一教会系メディアとVtuberがズブな件

Vtuber関係で露呈した統一協会への危機感のなさが予想外で困っている

上記note記事を無批判に取り上げ、さら統一教会の影響を相対化したり矮小化したりする声も散見できるとあるが具体的なソースもなし、一方で2例しかない統一教会系のVTuberへのインタビュー記事複数あると記載するなど、いささかバイアスがかかりすぎている。

 

こうした表現の自由を守ろうという界隈やVTuberオタク界隈に対するデマレッテル貼り問題視するのがマトモなリテラシーの持ち主であり、統一教会危険視する警鐘と同程度にはデマレッテル貼りにも警鐘を鳴らしていくことも大事だと思います

実際、上記note記事であがった疑惑に対して、当のねこます氏が疑惑を晴らすためのnote記事投稿さらデマレッテル貼りへの警鐘を鳴らしている。

ねこますが""2018年2月に""Viewpoint様のインタビューを受けた経緯の説明

取材事実確認もしないまま、読んだ人に誤解を与えるような記事を書くのは、その内容の正誤以前に道徳的に如何なものかと思います

 

思うに、最近表現の自由を守ろうという界隈やVTuberオタクの界隈に対してデマレッテル貼りを繰り返すのは、昨今の表現の自由を守ろうという界隈やVTuberオタクの界隈に対して理解がないからではないか

https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20210930/1633010640

そう思えばアバターに隠れてキャラクターを演じられるVtuberは、良くも悪くもカルト宗教と相性が良いのかもしれない。

3DCGでつくられた映像は手描きよりも個性が出にくく匿名性が高い。

この文章からVTuberに対して理解がないという事が分かる。近頃のVTuber3DよりもLive2Dという2Dが主流であるというのもそうだが、なによりもVTuberにとってのアバターキャラクターに対する理解が足りない。

VTuberにとってアバターとは単なる外見ではない、もう一人の自分であり、そして何より大事なのはキャラクターを単に演じているのではなく、リスナーと共に作っていくものだ。それも厄介リスナー杞憂民など面倒くさいリスナーも御しながらだ。だからこそ年月を重ねたVTuberが、自身の初配信を見直すと現在キャラクターと違うことで恥ずかしくなってワーワー騒いでリスナーと共に笑うということが出来る。だからこそVTuber引退するからといって、アバターを別の人が使い回すということはできない。

VTuberにとって演者アバターイコールのものであり、キャラクター演者一人で作り上げるものではなくリスナーと共に作り上げていくものだ。

からアバターに隠れてキャラクターを演じるとか個性が出にくいというのは、お門違いの理解にも程がある。

 

かつて犯罪が起こると、その犯罪者とオタク趣味を結びつけた報道が度々あったものだ。

それは自分たちにとって理解できないオタク趣味を異常なものと結びつけて、理解できない自分を正しいと視野が狭い人々に寄与した。

今、表現の自由を守ろうという界隈やVTuberオタクの界隈に対して、デマレッテルを貼る人々は同じことをしているのではないか

理解できないものレッテルを貼りデマを振りまき、理解できない自分を正しいと思い込む。まったくリベラルから外れる行いではないか

最後にもう一度繰り返しますが

統一教会の影響を危険視して、統一教会の影響を相対化したり矮小化したりする声に対して警鐘を鳴らすのも大事ですが、同程度には、表現の自由を守ろうという界隈、そしてVTuber界隈やオタク界隈へのデマレッテル貼りにも警鐘を鳴らすことがマトモなリテラシーの持ち主だと思います

2021-09-29

瀬川ブクマ

https://twitter.com/segawashin/status/1442486624986664963

これがわりと冗談にならなくて背筋が寒くなるの、オタク向けコンテンツ性的規範の妙な保守さかげん(エロとは別腹で恋愛はやけ純愛指向結婚=ゴールインみたいな妙に古くさい男女観、なんなら運命の人は向こうから勝手にやってくる)と統一協会教義がやけに相性よく見えるからなんだよなあ。

2021-09-28

評論家とは

色んな分野で評論家って居るけど最近はやけに質が落ちたと思う。狭く深いだけじゃ評論家は出来ないのに名乗っているのが多い

やはり専門分野以外の知見も豊かだと専門分野の評論も深みを増すし、何より新たな気づきも多くなる。件のラーメン評論家ラーメン単推し過ぎてあんな内容しか書けないのだろうし、恐らく評論薄っぺらいのは想像に難くない

ラーメンで言うと石神さんは今はラーメンよりワインに移ったが、ラーメンから派生して色々な料理食材、果ては調理技法とかを吸収することで長年やっていけてたと思う。そういう意味ではワインはもってこいの土壌だと思う

もう地力が無いオタク評論家とか言うのは止めようよ。

2021-08-12

anond:20210812160841

金額問題じゃなくてね、八百屋さんで桃売ってても、

「この前買った桃、病床の母にもっていったらおいしいおいしいって食べてくれて、

それが母の最後食事になったけれど、最後親孝行ができてとてもよかった。ありがとう

みたいな幸せづくり、暮らしづくりがあるじゃないですか。

よほどの大富豪お金使い道がない、わからない、っていう人から取るのならともかく

ガチャ廃課金の人はやけくそ自傷状態ですよね。ガチャリアル幸せとか人生づくりってできるんでしょうか?

害の方が大きいと思うんですけど。

2021-07-28

バイト日記

 給料日後だというのに、今日はやけに来客数が少なかった。確かに公共料金の支払いにくるお客様はいもの月末のように多いのだけど、ただ買い物にくるお客様が少なかったのだ。

 案外、世の中の人たちは真面目にテレビ五輪を観ているのか、それともパンデミック兆しを感じて自粛モードに切り替わったのか、よくわからない。そういや、今日の昼間ジャスト12時にスーパーに行ったら、意外と空いていたし……それは台風の予報のせいだろうか。

 緊急事態宣言下のときと同じように、夜遅く子連れ客がぼちぼち来た。でも、ただ夜遊びの途中で寄ったと見られる、ちょっとチャラついた若者集団も来店した。

 久しぶりにストーカー客来店。そのとき私は店の出入口付近にあるカフェマシン掃除をしていたのだけど、気づいたらストーカー客が至近距離にいたのでびっくりした。うっかり「ぎゃあ!」とか叫ばなくてよかったのかなんなのか……いっそ「きもっ!」とか心の声がダダモレてしまえばよかったかもしれない。

 カフェマシンの隣に客用の消毒用アルコールポンプがあって、それで手の消毒をするついでか口実にしたのかでストーカー客は私の半径50cm以内に入って来たのだが、消毒するだけの男の頭のツムジが背の低い私から見えるという異様さ。わざとやったんじゃなきゃそんな姿勢にならん。完全に痴漢所業だ。気持ち悪い。

 オーナーが「出来る限りの超速でカフェマシン掃除しろ」と言うので、お言葉に甘えて、レジ待ち列が出来ても無視してカフェマシンのパーツを洗う作業に集中した。ストーカー客は私がレジ対応をしないと私が出てくるまで何度も列に並び直して私が担当するレジ会計しようとする。うっかり目が合えば、ストーカー客は私の視線を何らかの勝手解釈をするらしく、すると私のシフト曜日に通うようになり、私のいる四時間の間に三度も来店したり、私と組んでるバイトはなしかける、なんか異様に高い「お土産」を持ってくるなど、どんどん行動に過激さが増すので、絶対に目を合わせてはならない。

 なんかもう、怨霊怪異の類いだよなと思いながら、私はひたすら洗い物に励んだ。

2021-07-25

寂しがり屋はさっさと結婚するか実家に居てくれ

毎週毎週友達を連れ込んで朝から晩までクソうるさい隣人の男

今週はやけに静かだったので、どうせ連休帰省してるんだろうなと思ったが

母親兄弟?を連れて朝からガチャガチャ騒がしく帰ってきたようだ

うちのマンションは鉄筋コンクリだし壁が薄い訳ではない

大学生が近くに来なさそうな地域を探して、相場より家賃高い所を選んだのに

奴はわざわざ窓全開にしたり、ベランダに出てデカい声で喋っているので大体の話は聞こえている

在宅時はテレビの音量を上げたりイヤホン作業用BGMを流して誤魔化しているが

ちょっと家事する時とかに切ると聞こえるのでムカつく

夜はあまりに寝付けなくて夜中に警察を呼んで注意してもらったが

夜中じゃなければ良い!と解釈したようで相変わらずベランダに出ている

まあ寝られるようになっただけマシかもしれないが…

最近は平日の夜もしょっちゅうベランダに出て電話している

本当によく喋るので聞きたくもないのにどんな素性か分かってしまったが

本人は20代後半でかなり近所の会社リーマン、よく来てる友人2人も同じ職場の同世代だそうだ

これでは大学生対策をしても防げない

自分は元々、家族の過干渉や外出中の部屋物色、ゴミ漁りなどに耐えかねて一人暮らしを始めたタイプなのでむしろ一人になりたくて堪らなかったし

隣人はおろか、毎週毎週土曜の朝から深夜まで付き合ってるこの友達の事も理解できない

そんなに人と居たいなら単身マンションを離れて最初から誰かと同居しててもらいたい

転勤があるのか知らないが、友達結婚するか本人が結婚するまで続くと思うとなんだか気が重くなる

女を連れてきてる様子は無いので結構かかりそうだ

2021-07-08

3か月前に俺が見たやたらと鮮明な夢は予知夢だったかもしれない

俺は寝れば大体夢を見るほうだけど、起きて数秒で内容を忘却するか、内容が現実じゃありえないほどハチャメチャ(例えば『ロト無限対数に当たる夢』とか)かのほぼどちらかなのに、このとき見た夢はやけに鮮明で現実との整合性があって、しかも起きてから今までずっと忘れずにいられている。

こんな内容だった……。

news everyを見ていると、藤井アナが「速報です。東京オリンピックの無観客での開催がたった今決定しました」と読み上げる。

そこで場面が飛び、社食で俺と一緒に昼飯食ってる仲良い先輩が「緊急事態宣言出しといてオリンピック開催とか頭おかしいんじゃないのか!?」と呆れている。

で、俺は苦笑いしながら「なんか昔と違って、閣僚とか一応の建前を取り繕うことすらしなくなりましたね」と返していた。

また場面が飛んで、俺が自室でyoutube見ながらテレビオリンピックも同時にチラチラ見ている。

民放アナウンサーが

「未曾有の世界的困難を乗り越えて……幾多の困難を乗り越えて……日本奇跡東京開催にこぎつけました!!」

と、めちゃくちゃ熱く感傷的になっている。解説席のアスリートも、スタジオ芸能人もみんなそのテンション

5ch見てたら「【悲報スタジオ上級国民たち、オリンピックに感動しきり」みたいなスレが立ってて軽く噴き出した。

また場面が飛んで、俺はまた自室でyoutube見ながらテレビをつけていた。今度は閉会式の様子が流れていた。

民放アナウンサーが

「未曾有の世界的困難を乗り越えて……幾多の困難を乗り越えて……日本奇跡の!!……奇跡的に!!東京開催を見事成功させました!!!国民が!!日本一丸となって!!強い絆で成し遂げました!!不可能を可能にしたのです!!!

と、開会式以上にめちゃくちゃ熱く感傷的な絶叫をしている。

スタジオ芸能人は感動したを連呼して、ちょっと売れてる若い女タレントが声を詰まらせながら他の演者がさっきまで散々言い尽くしたのとほぼ同じ感想フレーズをぽつぽつと吐いて、一生懸命涙を出そうと頑張っていた。

俺がTwitterを開くと

『無観客で国民どっちらけのオリンピックなのにテレビのなかの人間だけお祭り騒ぎしてて気持ち悪かった』

とか

池江璃花子号泣を見て鼻で笑った自分に驚いた。1年半、この国に散々振り回されて心が荒んだんだなあ』

とか、しらけツイートや怒りツイートが怒涛のように目に飛び込んできた。

そしたら、

アスリート努力に感動できない、賛辞を送れないこんな心の貧しい連中への怒りを抑えられない。心まで負けたら人間おしまいだな」、

「本当に最高の閉会式で魂を揺さぶられました!まだ涙が止まりません!」、

という武井壮のブチ切れ2連ツイートがあがってきて、

「こういう独りよがりな奴、中学同級生にいてすげえ嫌だったなあ……」と夢の中の俺は軽く嫌悪感を覚えていた』

以上が夢の内容。



とりあえず、”緊急事態宣言下での無観客開催強行”はドンピシャに当たったのでめちゃくちゃ驚いてる。

夢の中での以降の流れも当たるのではないかと内心ドキドキしている。

あの日見た夢が本当に予知夢だったら俺凄いな。

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