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はてなキーワード: フランス映画とは

2022-04-10

anond:20220410005426

教養というか、日本映画ってフランス映画とかの芸術映画のノリだよね

小さい映画館とかでやってる外国無名映画みたいな。

ヨーロッパカタカナの賞がほしいいんだろうな〜。

というキョロ充的なダサさはある。

 

以前韓国映画の半地下ってやつが大きな賞取ったけど、本当はああなりたいんだよな。

2022-02-28

フランス映画と青ブルマースウェーデンエロ本

寝ぼけた頭とブルマー

朝5時に目が覚め、することもないのでスマホをいじっていると、以前言及したブルマー情報局というサイトで、フランス映画「Peppermint Soda」でブルマーが見られると書いてあった。しばらくはブルマーについて調べるのはよそうと思っていたのだが、目覚めた直後には自制心があまり働いていないせいだろうか。ついつい時間を費やしてしまった。たばこを吸ったことはないのだが、禁煙をしていてつらいのは目ざめの一服我慢することじゃないか、とあてずっぽうで考えた。

映画「Peppermint Soda」の概要

原題は「Diabolo menthe」で、1977年に公開された青春映画だ。監督はDiane Kurysで、女優でもある。ウィキペディアによれば半自伝的な作品が多い。以下、英語版ウィキペディアから抜粋する。

舞台1963年、13歳のアンヌと15歳のフレデリックは両親が離婚したユダヤ系姉妹である。二人は母とパリに住み、夏休み海辺で父と過ごすが気まずく感じている。二人の通う学校規律が厳しい。

妹のアンヌは思春期入り口にいるがあまり社交的ではなく、成績もよくない。周囲で何が起きているかを母や姉から盗み聞きして知ろうとする。成績は良くなく標準以下で、不公平教師対処しないといけない。あるときは姉の一年前に書いた小論文剽窃したのが見つかっている。また、初めての生理男の子と話すことや、問題を起こした後で母と問題対処しなければならない。

対照的に姉のフレデリックはより外向的で政治的意識も高い。特にアルジェリア問題反核運動に関心を持っている。自分よりずっと年上の人に片思いをして、初めて本格的な恋の痛みを感じ始めている。また、初めて逃げだした友人や、価値観の違いによる友情喪失経験する。

で、どこにブルマーが出てくるの?

例えばyoutube予告編に出てくる。大体0:38頃である

https://www.youtube.com/watch?v=lGpU3y8RAFM&ab_channel=DulacDistribution

他にももう少し鮮明な画像があるページもあったが、「映画無料ダウンロード!」と書いてある危険そうなサイトだったり、映画での性的なシーンをつなぎ合わせた違法アップロードだったりするので、リンクは張らない。どうしても気になる方は英語フランス語タイトル検索してほしい。

で、肝心のブルマーを見てみると、ブルマーというよりは極端な短パンに見える。前列右から2番目の子を除いて、他の国のようなショーツブルマーではないようだ。さらに、生徒によって短パンシャツの色が違っている。フランスではブルマー制服として採用されたのではないらしい。

しかし、逆にそこが興味深い。この仮定が正しければ、制服ほどの強制はなかったにもかかわらず、1960年代フランスではブルマーに近い短パンを生徒が自主的に着ていた可能性があるからだ。もちろん何の証拠もないし、強制ではないにせよブルマをはく雰囲気があっただけでも強要されたように感じた人もいるだろう。ただ、当時のファッションの傾向としてブルマ的短パンが許容される風土があったのやもしれない。奇しくも60年代ミニスカートが初めて流行した時代である。当時の青ブルマーはおしゃれの先端だったのだろうか。

少女の体と芸術

この映画ちょっとだけ年端もいかない少女下着姿や乳房が映っている(該当シーンがアップらされていたのも、リンクを貼らなかった理由の一つだ)。昔の芸術系の映画にはたまにあるが、やっぱりショックだ。ショックなのはそのためらいのなさと、どうしても一瞬は美しいと感じてしま自分感覚だ。

ここでは表現の自由検閲の是非については議論しない。専門外なので解像度の低い議論はしたくない。

ただ断っておくと、今は少女の裸体を(少なくとも実在する児童写真映像なら)禁じるのは当然だと思う。悪の定義が「なにも知らぬ無知なる者を……自分利益だけのために利用する」ことならば、まさにその定義に該当するからだ。性についてまだ知らない相手同意なく性的に扱うのは間違っている。

一方で、グーグルで「少女 ヌード」と画像検索すると一件も引っかからない。正しい処置だと思う。けど、大企業によるあからさまな検閲は正しくてもなんだか怖い。

映画配信とかも怖いと感じるのがそれで、どのような理由であれ、いつ同意なく内容を差し替えられてしまうか、それが怖い。

余談

ところで、表現の自由に調べてみると興味深い事実に行きあたることがある。

たとえば英語版wikipediaの「Pornography_in_Europe」を読んでいると、「Like Denmark and the Netherlands, Sweden does not regulate pornography and the country has no age laws for the possession or viewing of pornography.」つまりスウェーデンでは18歳未満であってもエロ本を見ることは違法ではないのだ。「Some shops follow a voluntary limit and do not sell to minors.」ともあり、実際には売らない店もあるらしいのだが、売るなと法で定めているわけではない。

またフィンランドでは「It is legal to sell pornography in any store, but magazines may not be sold to buyers less than 15 years of age, and hardcore is restricted to buyers aged at least 18.」つまりソフトコアなら15禁、ハードコアなら18禁とわかれているらしい。

ただし、どちらの国でも18歳以下のモデルは禁じられている。

以上、全くの余談だ。

まとめ

次回は?

一応、初めてテニスの見せパンはい選手について書こうとは思っている。ただし、いつになるかはわからない。数ヶ月後くらいかな。

こっそり追記

ブクマは一時期43まで行った。現在42。

ドイツに一歩及ばず。

2022-01-30

35越えて消費活動キャラ作ってるやつは駄目

お前の生み出せるものキャラを形作れよ。

クラシック聞いてようが、ソシャゲに100万課金してようが、AKB全員言えようが、車がクッソ高くても、京都検定持ってようが、別に格好良くもねえし格好悪くもねえ。

消費活動がなにかであーだこーだ言っていいのは30までにしろ

ロスタイムで35だ。

35にもなって「俺、コーヒーの味めっちゃ分かるから。効きコーヒー出来るから」とか「俺、あのアイドルがまだ地下だった頃から追っかけてて顔と名前覚えられってっから」とか、全部どうでもいいんだよ。

マジでよぉ……ただ与えられたもの摂取してウンコにするだけのウンコ製造機の一種しかねえ行動によお……プライド持たないでくれねえかな。

どうでもいいんだよ。

お前が日曜日プリキュア見てようが、フランス映画字幕もなしに見てようが、どうでもいいんだよ。

それでダセーとかカッコイイとか別に考えねえから

マジくっそどうでもいいんですよ

2021-09-09

ブルマー地帯ハンガリー代替としての野外レオタード

序文

ポーランドではブルマーを何と呼んでいたか調査が難航したため、僕は気分転換のためハンガリーについて調べた。そこで、思いがけない事実を見つけた。どうやらハンガリーではブルマーでは少数派で、レオタードが中心であったらしい。しかも、学校によっては今でも使われている形跡があるのだ。以下、ハンガリーレオタード事情について概説する。

ハンガリーの体育とレオタード歴史

Így tornázott a nagyi meg a dédi: az iskolai testnevelés története képekben - Dívány

ハンガリーでは、体育の授業は内務相や文化相を務めたKuno von Klebelsbergの時代に導入された。ウィキペディアによれば、彼は地方小学校を作り、大学近代化し、ハンガリー文化海外に紹介する機関を創設した。その一方で、彼はハンガリー至上主義者であり、かつてのハプスブルク帝国内の少数民族に対してその優位性を主張していた。また、トリアノン条約によるやブルジョア共産主義革命などの原因として、ユダヤ人非難していた。

さて、当時の体操着を見てみよう。男子制服は、写真を見ると白いシャツに短パンそれからおそらく革の靴であった。女子は、次のページを見る限り1930年代では、膝の上まであるワンピースタイプ運動着であった。初期のレオタードである

それ以降の写真を見ていると、女子は短パンになっていくように見える。

だが、次のサイトを見ると、30年間から40年前はレオタード使用されていた、と書かれている。2018年記事から1979年から1989年に該当する。

Ilyen volt a tornaóra régen! | nlc

男子ポーランドのようにノースリーブに短パンなのに対し、女子靴下ナイロン製のレオタードだった。また、お尻にゴムの跡がついて苦痛だった、男子がうらやましかった、とも書いてある。

この下の記事によれば色は青か黒、赤はめったになかった。また、素材のせいか汗をかくとべたついて嫌だったそうだ。

Ebben tornáztunk 30 éve! | nlc

学校のものかどうかはわからないが、60年代レオタードこちらで見つけることができた。

Terror Háza Fotó

以下は70年代レオタード

Május elseje régen – IV. | elekfoto

Tornaóra – 1976. – Szegvár Online

学校の外でのレオタード

ところで、次のページを見ていただきたい。

szeged.hu - Lányok, asszonyok a Tisza-parton és konflisban

こちらでは、レオタード姿の女子が外でジョギングしている写真がある。1981年のことであるレオタードが室内着だと思っていた自分は面食らった。よく、ブルマーで校外を走らされるマラソン大会苦痛だった、という女性の声をしばしば聞く。ましてや、より体型の出るレオタードというのは、率直なところ驚いてしまった。

現に、当時の苦痛を訴えるブログがヒットした。

Jobb nő - lesz - Faluság(短パン写真もあるが、おそらく例外的ものだろう)

身体を伸ばすバレエならともかく、高校の体育で伸縮性のあるレオタード不要ではないかしかも、それで市街地を走らなければならないとは。ブログの主はそう口にしつつ、じろじろ見られることを苦痛理由として挙げている。まったく、その通りだ。どうしてこんなことがまかり通っていたのかという疑問が浮かぶが、ブルマーが30年も通用していた国の人間が言えた義理ではない。繰り返すが、露出度の多い衣装強制には反対する。

しかし、だ。現在グーグルで「iskola testnevelés」(学校 体育)と検索すると、レオタード姿の女子が少しだけヒットするのである2010年代前半の記事が多い)。これが私立なのか公立なのかはわからない。おそらく例外だとは思う。上記レオタードとは色も違う。ほとんどが日本と同じようなシャツに短パンだ。だが、ハンガリージェンダー意識は、日本よりも保守的である可能性がある。

まとめ

今後の展望

気が向いたら、他の国の事情について調べる。

また、映画の中でブルマレオタードがどう表現されてきたか、についても調べたい。しかし、先日「フランス映画 ブルマー」と検索したら、なぜかフランス書院のページしか引っかからず、ずっこけた。

また、それとは別に20世紀の体育の授業を見ると、まるで軍事教練のように男子上半身裸の例が多い。このあたりの規範についても時間があればまとめたい。

それと、ウィキディア制服のページを見ると、日本統治下の台湾で、提灯ブルマーモンペ採用されているのが見えた。もしこれが提灯ブルマーならば、なぜ台湾韓国ではショーツブルマーにならなかったのか。最初からパンだったのならともかく、疑問である

School uniform - Wikipedia

服飾史、まったく沼が深くて驚いている。

2021-08-04

anond:20210804201353

「恋の渦」ですね、ありがとうございますフランス映画だと男2女1の映画結構あるような気がしてきました。

2021-06-23

黒人モデルが大好きなんだけど

タイトルの通り、

肌がぬらっと光るようなアフリカ系の黒人モデルハイクラスな服を恐ろしくカッコよく着こなしているのが大好きなんだけど、これって社会的にアウトな発言かな?

自分的にはフランス映画がたまらなく好きとか言うのと同じ感覚なんだけど…

2021-05-28

anond:20210528114214

フランス映画で散々不倫しまくった後うっかり道路で轢かれて終わるのあった気がする…

2021-02-12

必読書コピペマジレスしてみる・海外文学編(2)

(1)はこちら。anond:20210212080317

キャロル不思議の国のアリス

好き。ただし、当時の人にしかからないパロディジョークが多く、というかこの本を通じてしか残っていないのもあるので、純粋に笑えるかどうかはわからない。とはいえ、わからないなりにナンセンスさは楽しく(「ぽっぺん先生シリーズにも引き継がれている)、トーベ・ヤンソンなどいろいろな人の挿絵も楽しめるし、こじらせ文学少年文学少女とも仲良くなれるかもしれない。大学時代読書サークルは楽しかったなあ。

ドストエフスキー悪霊

ドストエフスキー小説基本的に頭がおかしい。ドストエフスキー自身ギャンブル依存症ユダヤ人嫌いのヤバいやつだし。

登場人物基本的自己主張が激しくて感情に溺れやすく、数段落数ページにまたがって独白する。プライド無駄に高くて空想癖がひどく、思い込みが激しくて人の話を聞いちゃおらず、愛されていないのに愛を語る。そしてそんな奴らが大好きだ。

ぜひとも増田ロシア文学沼に落としたいのだが、いかんせん「悪霊」を含む五大長編から挑戦するのはハードルがあまりにも高いので、「永遠の夫」か「賭博者」か「地下室の手記」か「白夜からおすすめロシア文学はいいぞ。

ところで、高校時代の友人曰く「ドストエフスキーにはまるのは自己愛自己嫌悪の衝突を必死プライドで支える人間、言い換えるとモテない」とのこと。ひどい。

チェーホフ桜の園

こっちはスマートなほうのロシア文学一家が没落して家や土地を売らないといけないのに、家の経済状態をわかっておらず(認めず)すぐに物乞い金貨を上げちゃう現実の見えていないお母さんのキャラが強烈。ギトギト描写するドストエフスキーに対し、勘所をびしりと抑えるチェーホフ

実家のお母さんと(特にお金関係で)うまくいっていない人におすすめ

チェスタトンブラウン神父童心

未読。怪作「木曜日だった男」は読んだんだが。ミステリはあまり読んでいないのでそのうち読む。

プルースト失われた時を求めて

誰もが冒頭のマドレーヌの香りから想起されるママンとの思い出についてしか語らず、たぶんみんなちゃんと読んでないかなのだが、実は無職マザコン自分の性の目覚め(野外オナニーを含む)やソープ通いや失恋の思い出について延々と語っている話で、何度語り手に向かって「働け!」と言いたくなったことか。

しかし、実のところ登場人物の九割がLGBTという当時としては非常に先進的な小説で、さらに当時炎上していたドレフュス事件という両陣営を真っ二つに分断した冤罪事件ネタにもしているので(今でいえばMeTooやBLMに相当する)、実は差別反差別についていろいろ語っている増田たちにすごく刺さる内容だと思う。俺差別してないし~、あいつは〇〇人だけどいいやつだよ~、的な態度もぐさりとやられている。最高でしかない。

ちなみに、金に苦労しないボンボンがうだうだ恋愛で悩む小説が好きになったのはこの本のせい。「アレクサンドリア四重奏」とかね。

カフカ審判

不条理ギャグすれすれで訳もわからずひどい目に合う小説。いきなりこの小説チャレンジするのはしんどいので、まずは「変身」か岩波文庫短編集を読んで、カフカのノリが気に入ったら読むといいんじゃないかな。

読んでいるとカフカがお父さんのことめちゃくちゃ苦手だったってのがびりびり伝わってきて気の毒(カフカは線の細い文学青年、父は叩き上げビジネスマン想像できるでしょ?)。お父さんとの関係がこじれている人におすすめ

魯迅『阿Q正伝』

最高のダメ人間小説精神勝利法なることばはどこかで聞いたことがあるんじゃないだろうか。作者は当時の中国人意識の低さを批判したつもりらしいが、万人に刺さる内容。

ちなみに自分ダメ人間、情けないやつ、どうしようもないやつが大好きなので「指輪物語」のゴクリ(ゴラム)だとか、「沈黙」のキチジローだとかが大好きです。

ジョイスユリシーズ

さえないおっさんが妻の浮気を知りながら一日中ダブリンの町をウロウロするだけの寝取られ小説で(途中で女の子スカートをのぞいて野外オナニーもする)、このリストの前に出てきた「オデュッセイア」のパロディでもある。

これだけだと何が面白いのかよくわからないのだが、実は当時の反英的な機運の高まっているアイルランド空気活写している。それだけではなく小説の様々な実験手法の見本市みたいになっており、和訳もすごい。たとえばある章では英文学の様々な文体歴史順に真似て英文学の発展をパロるのだけれど、和訳ではその章は祝詞に始まって漢文になり、漱石芥川文体を経て現代小説になるという離れ業で訳している。これがもっと無茶苦茶になると「フィネガンズウェイク」になるのだけれど、すでに言語の体をなしていないのでまだ読めてない。

上記説明ドン引きしないでください。「ダブリン市民」をお勧めします。

トーマス・マン魔の山

結核療養サナトリウム小説北杜夫ファンの間で有名な「ねーんげん的」の元ネタ。あらゆる知識を山のサナトリウムで吸収した主人公運命いかに! 「ノルウェイの森」で主人公京都山中精神病院にこの本を持っていくのは村上春樹なりのジョークか。

ただし、やっぱり長いので美少年萌えな「ヴェニスに死す」か陰キャの悲哀「トニオ・クレーゲル」にまずチャレンジするのがおすすめ

はまったら「ブッデンブローク家の人々」や「ファウストゥス博士」を読もう。

ザミャーミン『われら』

洗脳エンドのディストピア小説なんだけど、増田で「一九八四年」が古いと言われてしまうんだったらこれはどうなるんだろ。読むんだったら他の「すばらしい新世界」とか「ハーモニー」とかと読み比べて、ディストピア概念現実社会の変化に合わせてどんな風に発展してきたからを考えながら読むと面白いのかも。

ムージル特性のない男』

未読。長すぎる。

セリーヌ『夜の果ての旅』

未読。

フォークナーアブサロム、アブサロム!

文学サークルの友人に勧められて読んだんだけど、とんでもない小説だった。あらすじとしては、野望に取りつかれた南部人種差別主義者自分帝国を作るために理想女性結婚するが、その女性黒人の血が混じっていたために離婚して別の女性結婚することから始まる、二つの家系因縁なのだが、時系列しっちゃかめっちゃかなのでとにかくその男の妄念とその子孫の不幸ばかりがじりじりと迫ってくる。あまりにもすごかったのでフォークナーの他の作品は読めておらず、黒人差別を扱った小説も怖くて読めていない。

ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』

未読。

サルトル嘔吐

読んだがよくわからなかった。うつ状態ときには時間の経過さえも苦痛で、それを救ってくれるのは音楽だけだ、的な話だったか。とにかく本を読み漁っていたころ、新潮文庫サルトル短篇集を意味も分からず読んでいたのを思い出す。わけもわからないままヌーベルヴァーグを観ていた頃だ。さっき出てきた高校時代の友人曰く「フランス映画のあらすじはセックスして車で逃げて殺されるだけだ」とのことだが、起承転結還元できない小説を楽しむようになったのはこの頃からだった。

ジュネ『泥棒日記

未読。

ベケットゴドーを待ちながら

短いのですぐ読める。ゴドーはいまだに再臨しないキリストアレゴリーだという説もあるが、実際のところはよくわからない。意味の分からない話だけど、僕らの人生結構意味不明だよね、みたいな感じか。

ロブ=グリエ嫉妬

未読。「消しゴム」は数年前に読んだが理解できなかった。

デュラス『モデラートカンタービレ

未読。「愛人」は読んだが記憶のかなた。まだ幼くて没落する富裕層とその爛れた愛を十分に楽しめなかった。

どうでもいいが自分が年上萌えに目覚めたのは「海辺のカフカ」のおねショタシーンです。

レム『ソラリスの陽のもとに』

レムの作品の中では一番好き。たとえ出てくる科学技術描写が古くなっても(SFだとこういうことはよくある)、理解できない対象として立ちふさがるソラリスという惑星描写は古びない。

SFは考えうるあらゆる可能性を検討し、人類の達成しうることや宇宙の中での意味について想像力の境界をどこまでも遠くまで広げていく文学だ。中には人類がろくでもない理由で滅亡してしまったり、人間など取るに足りないという悲観的なヴィジョンに至ってしまったりするものであるが、それでさえ美しい。なぜなら、想像力がヒトという種の肉体に縛られまいと羽ばたいた結果なのだから

最近SFをろくに読んでいないが、元気が出たらまた読みたいものだ。

ガルシアマルケス百年の孤独

初めて読んだラテンアメリカ文学。起こりえないことが起こり、名前がややこしいので誰が誰だかすぐに混同され、しかもそのすべてが意図的である。混乱してもとにかく読み進めてほしい。目の前で起きる不可解な出来事をまずは楽しもう。

慣れてきたら、これが不条理しか言いようのない南米歴史の縮図だとかそんなことを考えてみるのもいいかもしれない。この本のおかげでボルヘスに、バルガスリョサに、ドノソに出会うことができた。

一説によるとこの本が文庫化されるとき世界の終末が近づくという本の一つ(未確認情報)。新潮社がなぜか頑なにハードカバーしかさない。ちなみに「薔薇の名前」にもそうした風説がある。

ラシュディ『真夜中の子どもたち』

インド独立の瞬間に生まれ子供たちが全員テレパシーの使い手だった! こんな話があの岩波文庫に収録されるんだから世の中わからない。

主人公は裕福な家で育つが、じつはそれは出産時の取り違えによるものであり、誤って貧しいほうで育ってしまった子供復讐にやってくる。それも、真夜中の子どもたち全員を巻き込む恐ろしい方法で。

インドパキスタンの分裂、人口抑制政策、そういったインド歴史ちょっと頭の隅っこに入れておくと面白いが、昼ドラ的な入れ替わりの悲劇の要素のあるSFとして娯楽的に読める。権力を持った強い女性に対する嫌悪感がほんのりあるのが難点か。

ちなみに、「悪魔の詩」も読んだが、(亡くなった訳者には本当に申し訳ないが)こっちのほうが面白かった。あれは当時のイギリスポップカルチャーがわかっていないと理解が難しい。

ブレイクブレイク詩集

独自神話的なヴィジョンで有名らしいんだが、邦訳あったっけ?

ベルダーリンヘルダーリン詩集

未読。

ボードレール悪の華

卒業旅行パリに持って行った。たぶん時期的には最高だったと思う。とにかく血だとか死だとか堕落だとか退廃だとかそういうのに惹かれる人生の時期というのがあり、まさにそのときに読めたのは幸せだった。もっとも、所詮自分はそれらを安全から眺めていただけだったが。

ランボーランボー詩集

同じく卒業旅行パリに持って行った。残念ながらフランス語はわからないのだが、フランスサンドイッチは最高だった。当時はまだピュアだったのでキャバレーフレンチカンカンは見に行っていない。

エリオット荒地

未読。

マヤコフスキーマヤコフスキー詩集

未読。

ツェランツェラン詩集

未読。詩をあまり読んでいなくて申し訳ない。

バフチンドストエフスキー詩学

ドストエフスキー作品カーニバル的、つまり一斉にいろんな出来事が起きてしっちゃかめっちゃかになって、日常価値観が転倒する、みたいな内容。確かにドストエフスキー作品爆弾抱えた人間が一か所に集まってその爆弾が一斉に大爆発、的な内容が多い。

ただ、これ以上のことは覚えていない。実はあまり文芸批評は読まない。

ブランショ文学空間

未読。

以上

疲れたので続編をやるかは不明日本文学哲学思想海外文学ほど読んでないし。まとめてみて、遠ざかっていた文学に久しぶりに手を伸ばしたくなった。

皆様も良い読書ライフを。

2020-11-30

今更鬼滅を見た

休日、姪っ子に頼まれて仕方なしに連れていったら老若男女入り乱れててびっくりした。

ジャンプ10年くらい緩く追ってたレベルから当然話も知ってるけど同時期なら鬼滅より約ネバの方がレベルが高いと思ってるし、そこまで琴線には触れなかった。

約ネバやアクタージュの方が断然面白い

ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ

俺の横になかなか見ない美人が座って少しテンションが上がった。

長身香水がうっすら香ってブランドのバッグを持ってる女性だった。すごく綺麗にしていて目を引くし姪っ子もすごく綺麗な人ってこっそり言ってきた。

どうやらカップルで来たらしくヒールを履いた長身女性と比べても見劣りしない身長で仕立ての良さそうなスーツを着ているいかにも成功者の男と一緒だ。

こういうカップルアニメ映画デートなんてことに鬼滅の人気を感じる。それこそ気だるいフランス映画とか見てそうな二人なのに。

映画が始まると彼女は泣きっぱなし。姪っ子も号泣で泣く女2人に挟まれて戸惑う俺。確かに映像はよかった。面白かった。なんで伊之助達が目覚めたかとかなんで縄を切っちゃだめってわかったかとかそういう重箱つつきが無粋なくらい泣かせる脚本に音声がついていい映画だったと思う。

エンドロールも終わって泣きすぎた隣の女性が彼に「毎回見る度に杏寿郎が生き残るんじゃないかって思うんだけどやっぱり死んじゃうの……」って涙声で言っててこの美しい女が何度も煉獄の死を見に映画館に足を運んでることを察した。

彼氏が腰を抱いててどうせこの後慰めながらディナーでもしてお泊まりなんだろうなと思うと映画より泣けた。

2020-11-15

anond:20201115023607

フランス映画観ろ!

どこで感動したらいいのか、そもそも何が言いたいのか訳わからん

2020-11-10

フレンチ・カンカンの穴あき見せパントップレスのショー

カンカンとの出会い

フレンチ・カンカン、というかラインダンスとの出会いは、おそらくは文明堂のCMだ。それからドレミファソネットどしたらできるの」で有名なso-netのCMだ。なぜかこのCMではおじさんの脚線美を見ることになるのだがそれはさておいて、Youtube検索すると今でも天国と地獄に合わせて踊る動画確認できる。

カンカン歴史、当時の見せパン

本題に移ろう。Can-can dressについてはウィキペディアではおおよそこのように述べている。ドレス基本的に何層にもなった大量のフリルがついていて、当時の下着の上に縫い付けられていた。脚は黒いストッキングや網タイツで覆われていた。つまりレオタード姿のソネットCMフレンチ・カンカンではないのである。足の動きの速さからしてまるで違う。

衣装ではなく、カンカンダンスのものについては、日本語版ウィキペディア英語版ウィキペディアで書いてあることが若干違う。おそらく英語から訳したときの版が違うのだろう。

両者の記述を比べてみたが、フレンチ・カンカンにおける見せパン起源はかなり曖昧らしい。足を思い切り上げてスカートの中が見えてしまう動きは、ショーの場では1820年代にアクロバット的な動きで知られるCharles Mazurierがバレエの大開脚を取り入れたことにさかのぼるようである。初期のダンサー娼婦セミプロ役者だけであったのだが、1890年代になるとムーラン・ルージュではトゥールーズロートレックの絵で知られるLa Goulue(食いしん坊さん、的な意味)やJane Avrilなどの高給を取るスターが生まれた。La Goulueのページでは当時の衣装とセットの見せパン確認できる。これらのスター生活は華やかだが晩年は不遇であることもあった。この二人もビジネスの失敗や大恐慌財産を失い、寂しく亡くなっている。

さて、カンカンは足を高く蹴り上げるので、当然スカートの中身が丸見えになる。しかも、それや当時としてはよりスキャンダラスであった。というのも、当時の下着であるpantalettesは衛生上の理由からロッチ部分が開いていたからである。要するに性器丸出しになるわけであるもっとも。そのあとにこんな記述がある。カンカンのための特別下着を用いていたという記録はないが、ムーラン・ルージュでは下着露出は禁じられていたことになっていた、と。どうもこのあたりの記録は曖昧というか[要出典]をつけたくなる箇所が多い。ウィキペディア普段自然科学記事を読むことが多いが、そこよりも曖昧記述が多い印象だ。文体もなんだか違う。

ところで、今のフレンチ・カンカンとして知られる、大人数の女性10分以上高度な振り付けを続けるスタイルは、1920年代アメリカで人気が出たスタイル逆輸入したものでそうである

実際、19世紀から20世紀初頭にかけては女性の脚部を見せるということでかなりスキャンダラスものとしてみられていた。また、陰部を覆う白い生理用(?)下着と黒いストッキング対照エロティックだとして見られていた。さらに、体を折り曲げてスカートを後ろからまくり上げ尻を見せる動作もあったという。先述のLa Goulueはこの芸で知られていたとのこと。また、前の席の客の帽子を蹴り飛ばすほど近づいて、スカートの中身を見せることもあった。もっとも、顔を思い切り蹴られる危険もあったのだが。

結論から言うと、当時のフランスに見せパンのものであったかどうかはわからないが、パンツが見えることは覚悟の上だった、ということになりそうだ。女性器が見えていたかどうかまでは根拠が怪しい。もっとも、今ほど表現自由でなかった当時のこと、そんなことを文学絵画で記録に残せたかどうかは怪しいものだ。ちなみに女性器を堂々と描いて当時の偽善的風潮に反発したクールベの「世界起源」が1868年ヌードスキャンダルを生んだ「草上の昼食」が1863年である

著名なキャバレーについて

パリはいくつも有名なキャバレーがあり、それは近現代芸術芸能に多大な影響を与えてきた。たとえば、ムーラン・ルージュ活躍した人物としてFrank SinatraやCharles Aznavourがいる。それらのすべてをここで述べるのは大変なので、地球の歩き方広告が載っていたと記憶しているものピックアップして簡単に述べる。子どもの頃、トップレス女性旅行ガイドに載っているのを見てドキドキしていたものだ。もっとも、その女性の姿はせいぜい五ミリくらいの大きさしかなかったのだけれども。

学生時代パリを訪れたときには、そこには寄らなかった。一日中美術館で過ごしてぐったりしていたし、まだ女性経験がなくて図々しくなれなかったからだ。今となってはいい思い出である

ムーラン・ルージュ

赤い風車で名高いキャバレーで、ここを舞台にした映画は数知れず。トゥールーズロートレック作品群でも有名。著名なダンサーも多く、全員を紹介するのはとても無理だし、別のキャバレーにも出演していて、キャバレー別に紹介するとややこしくなるので端折る。

ところで、ウィキペディアだけからヌードがどの程度ショーに盛り込まれていたかはわからないが、1893年舞踏会に裸の女性いたことがスキャンダルになったそうである。なんでもヌードモデルが活人画として周囲を歩き回り、裸の女性が深夜にテーブルに立っていたとのこと。一方、英国劇場のように活人画、すなわち生きた人間絵画再現する目的としてならヌード猥褻ではない、という意識もあったようである。例えば英国では劇場ヌードが現れたとき当局1930年代に裸の女性が動くことを禁じた。この禁令をかいくぐるために、モデルたちは活人画のように止まったままとなった(ストリップ記事を参照)。また、戦後日本でも「額縁ショー」と呼ばれるストリップのさきがけのようなものがあった。動かなければ猥褻ではないという謎理論がまかり通っていたのである。当時のGHQが何を意図していたのかはよくわからない。

これまたよくわからないのがゾラ1880年小説「ナナ」では、ヒロインがヴェリエテ劇場でほぼ全裸披露して観客を魅了するという場面があるのだが、実際のところどうだったのだろう? 本記事カンカンについてなので劇場ヌードについては語りつくせないので、今後の課題としておきたい。

1889年開業1915年に一度焼失するも再興し、ドイツ占領時代にも営業を続けて今に至る。

フォリー・ベルジェール

モネ絵画「フォリー・ベルジェールのバー」舞台としても知られる。また、黒人系の女性Josephine Baker活躍したキャバレーとしても知られる。バナナ型のスカート以外はほとんど身に着けていないエキゾチックな姿がオリエンタリズム流行した当時ヒットしたのだが、後にその恰好人種差別的だとされるようになり、そこからネグリチュード黒人意識の発展にも寄与した。また、彼女黒人人権活動家としても知られている。最近グーグル彼女の生涯を記念するドゥードゥルトップにした。

1869年開業1872年に今の名前になる。けばけばしい衣装で知られ、時としてヌード披露されることで知られる。

リド

映画「ファイアbyルブタン」で有名。セミヌードを含む映画公式予告がyoutubeに上がっている。身体をやわらかな特殊素材のように扱ったショーは性欲やエロスの向こう側に行ってしまっており、すごいものになっているとしか言えない。リンクを貼ったら怒られそうなので検索してください。もちろん、そこまで独特なものではなく、もっとわかりやすいショーもある。

ユニークなのはそのショーの一部をyoutubeの公式チャンネルで公開していることだろう。かなり古い白黒のものである。それと、公式ホームページ見ていたら驚いたのだけれども、リド自体には12歳以下の子どもでも入場できるそうであるヌードトップレスがないショーならOKなのか、それとも芸術ヌードならOKなのか。フランス映画年齢制限がないやつでも割と普通におっぱい出てくるし、表現規制の国ごとの温度差を示す実例であるのかもしれない。

1946年開業1920年代の人工的な砂浜をその前身とする。

クレイジーホース

ストリップティーズ」の項目によれば1960年代全裸のショーが行われた、とある

現に、創業者であるアランベルナルダン芸術性を伴った女性ヌードショーを見せるという着想に至ったそうで、要するに最初から全裸である

とはいえ、ただの全裸ではなく、巧みな照明技術により女性の裸体をキャンバスのようにとらえ、万華鏡のようなカラフルかつシャープな模様をダンサーの肌に映し出していることに特徴がある。ただ脱いだだけではないそうだ。1951年開業

余談

天国と地獄の曲を初めて聞いたのは文明堂CMと、音楽ファンタジーゆめでだ。後者CG黎明期であったせいかサイケデリック表現が多く、当時の感覚としても幾分薄気味悪いと同時に、今から振り返ってみると技術の未熟さ(失礼!)から来るアルカイック芸術のような独特の魅力があったように思われる。

ところで、この曲は地獄オルフェとしても知られている。タイトルからすると、ギリシア神話オルフェウスが死んだ妻を冥界から取り戻そうするとする話のはずだ。なのに、なんでこんな軽快な曲なのだろうと思って調べたら、ギリシア神話パロディ的なオペレッタからだそうだ。なるほど。

まとめ

今後の展望

こうしたレオタード姿のラインダンスカンカンではないと述べたが、それではこれはいからあるのか調べたい。おそらく日本国内では宝塚歌劇団関係している。また、バーレスク的なものとの関連について知りたく思う。そもそもバーレスクとは何か、僕はよくわかっていない。日本語版ウィキペディアバーレスクの記事には、乳首と陰部に前貼りを貼っただけの姿でパフォーマンスをする女性写真がある。リンクは張らないが、鍛えられたきれいな体だなあ、僕も筋トレ頑張らなきゃなあ、とは思う。しかし、欲望はそこまで感じなかった。隙がないのである

また、劇場において全裸が許容されたのはいからか、それも調べねばならない。

だが、まずはラインダンス調査に移りたく思う。

2020-04-04

anond:20200404145658

フランス映画で見た雑なフランスパンの扱いが忘れられない。台所のそのへんにポーンと置かれ、雑に素手で毟って食べてた。現実でもああなのかな

2020-03-29

フランス映画

1934 白き處女地

1935 女だけの都

1936 L'Appel du Silence

1937 Légions d'honneur

1938 Alerte en Méditerranée

1946 ファルビー

1947 Monsieur Vincent

1948 Les Casse-pieds

1950 のん大将脱線の巻

1951 田舎司祭の日記

1952 夜ごとの美女

1954 青い麦

1955 Les Évadés

1956 赤い風船

1956 夜と霧

1957 リラの門

1958 危険な曲り角

1959 Les Étoiles de midi

1960 真実

1961 地獄決死

1962 明日太陽

1963 Un roi sans divertissement

1964 Le Monde sans soleil

1965 ビバ!マリア

1966 Fruits amers

1967 パリめぐり逢い

1968 夜霧の恋人たち

1969 Le Grand amour

1970 愛のために死す

1971 La Veuve Couderc

1972 夕なぎ

1973 Projection privée

1974 パラード

1975 アデルの恋の物語

1976 タタール人砂漠

1977 クラブタンブール

1978 Un papillon sur l'épaule

1979 I... comme Icare

1980 アメリカの伯父さん

1981 検察官

1982 美しき結婚

1983 人生小説

1984 田舎日曜日

2020-01-02

欧米の人って残念ねー。で、終わっちゃいけないんだろうなー。

いや。例の大手自動車会社の元会長ではないが。

トルシエしろビーンに似た人も。

なんか、フランスって大学入試哲学があるとか、ナントカ

フランス映画、音楽、好きだよ。パリ症候群になりそうー。

実際の彼らの掲げている理想と、実際の行動とのギャップには、驚くよ。

こっちが、期待しすぎなのかな。。

ギリシャ哲学ソクラテスの弁明とは、ほど遠い人物だな。

甘んじて、罰を受けずに、逃げ延びる人が何か、主張しちゃうってさ。

  

印象でしかない。

人間評価って、多面的に行われる方がいいし。

ある意味無敵の人というか、元々強者立場にいる人が、更にルール無視してというか。

  

戦国時代武将とか、中国戦国時代を考えると、

太平の世を治めるために、法律ルールガイドラインを考えたわけで。

日本人は、割とルールを守りましょうってのが、江戸時代からの流れというか。

  

もう、司馬遼太郎的な感じでサラリーマン出世していく時代でもないし。

上司忖度していたら、引き上げてもらえる。ゴマすっていたらいいよ、って時代じゃないしなー。

グローバルな時代って、なんでもありな、異種格闘技戦というか、総合力だよな。

総力戦

強くならなきゃね...。

  

欧米の人って残念ねー。で、終わっちゃいけないんだろうなー。

何が正しいかだなんて、後付けでしかない、って世界なんだろうな。。  

  

  

2019-12-29

シティハンター実写版2019)を見た

なんか評判は良いけどこれなんというかせいぜい「良いクソ映画」じゃないかなあ。

原作の受容のされ方というのは結構ひとそれぞれなのかなと思う映画だった。

私は原作結構シリアスな話だとおもっていたのだけれど、この映画では8割がなんとも反応に困るギャグ

しかもこれは原作通りと言えばそうなんだけどセクシャルギャグがつるべ打ちで来るので、私のようなKKOであってもさすがに辟易するレベルだった。

シナリオギミック自体原作っぽいと言うか、原作読んだの相当昔なんで覚えてないんだが類似のヤツあったような。シティハンター的にはおかしいんだけど、これフランス映画だしな・・・と思った違和感が終盤でうまいこと回収されるのは上手いと思った。

あとおもったがフランス映画界だとポリコレとかそういうのはあんまりうるさく無いんかな?ということ。はてなで人気のフェミニストの方々はそもそも見ないだろうけど見たら激怒するような描写連続だったんだが、フランスでヒットしてそのまま日本に入ってきているわけだよな。

2019-12-19

フランス映画シュヴァルの理想宮』観てきた。

https://www.youtube.com/watch?v=UNNcvUg-d34 予告。

https://cheval-movie.com/ 公式

日々村から村をまわる郵便配達員のシュヴァル。寡黙で不器用な男がある日、愛娘アリスのために“おとぎの国の宮殿”を建てるという奇想天外の挑戦を思いつく。村人たちに馬鹿にされながらも、来る日も来る日もたった1人で石を運び、積み上げ続けるシュヴァルだったが、過酷運命容赦なく彼に襲い掛かる…。


この映画はあれだ。コミュ障アスペな爺さんでも、昔は、周りの人が気を利かせて嫁さんをあてがったりするし、昔の嫁さんはそういう男性にも理解を示すってことだね。

2019-11-23

邦画特有のダサさに(ネット上の)日本人達は嫌気が刺しているらしいけど

外人も同じようなこと考えてるのかね?

たとえば、フランス映画特有シャレオツ感と意図的レトロっぽくしたカメラの色合いとかを見てネットフランス人は「ミーのお国はどーしてこんなに映画がダッサイでしょ~~~シェーーーーー」とか言ってるんかな。

アメリカ映画もドッカンドッカンハリウッドじゃない場所で作られたのも、まあなんつうかアメリカっぽいなあって所があちこちに散りばめられていて、それを見てアメリカネチズンが「どうして君はいつもそんなに怒っているんだ?そう言われるたびに僕はこう答えてきた。だって格好悪いじゃないか。って、そしたら今度は、じゃあ見なけりゃいいじゃん。お決まり文句だ。聞き飽きてる。でも僕は自分の国で生まれたってだけの理由で見たい映画を見ることも辞める気はない。これはそんな僕の話だ」と口にしているのだろうか。

2019-11-15

ガチアクションガチRPG系のエロゲを遊ぶ気持ちが分からない

ストーリー系のエロゲ理解できるんだよ。

エロシーンのやたら長いフランス映画茶番パートがやたら長いAV中間地点に存在する作品としてこの世にあるのが。

エロメインで悪戯痴女行為プレイヤー操作が関与することで臨場感を上げるタイプゲームもそういうプレイとして理解が出来る。

でもがっつり作り込まれアクションゲーム普通のPRGにエロ要素があるとかのはちょっと理解できないなあ。

別々でよくない?

アクションゲームは最高に面白いアクションゲームを遊んで、エロエロで楽しむほうがいいじゃん。

なんで一緒くたにする必要があるんだ?

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