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2024-10-21

anond:20241021170600

夫婦が同性がいい」ってのは文化・広義の宗教に基づく発想。

もともと神社教会管理してた名簿を国に移したのが今の戸籍からね。

未だに結婚式神前でやるわけで。

 

そして「夫婦の別姓を公的に認めて欲しい」はその鏡返しの文化宗教に基づく発想だ。

夫婦別姓であることに、夫婦同姓だったこれまでの伝統と同じ(宗教的)価値を与えよ』なんだよね。

 

合理的に言ったら、増田の言う通り、ただ個人で名乗るだけで済むのだ。

でもそれじゃ済まない。宗教的な感情が満たされないので。

 

宗教なので、言うだけ無駄というわけです。

2024-09-17

神前藩は江戸初期に消滅してしまった藩なので、あまり名が知られていない。

 

神前藩の産業は、筆と墨の生産で、台湾との貿易もさかんに行われており、港はいつでも喧騒に包まれていた。

ところが藩の奉行たちが強欲だった

貿易には輸出租庸調がかかるうえ、年貢額も毎年割高になり、職人たちの扶持は下がる一方だった

毎年、年貢の申告日が近づくと、職人たちは親戚の通夜にきたかのようにしんみりしており、いまにも泣き出しそうな顔もあった。

一方、藩奉行たちの扶持は、事実上、毎年上がってゆき、そのことで越後藩の呉服屋が、毎年着物販売祭りを開催するほどになった

これには、巧妙な絡繰りがあった

奉行たちは、奉行所の一部を徐々に民営化してゆき、そこに天下れば、同じ仕事でも奉行所よりも扶持が多く貰えるのである

もちろんその民営奉行所には、奉行所の補助扶持が、たっぷり降りるのである

こうした偉い奉行たちの顔ぶれと政策がずっと変わらないので、毎年、奉行志願者が増えていった

このころにはもう、藩校筆墨技術科は、定員割れが起きていた

まりに筆墨の生徒が減ったので、お白洲の御沙汰文書には、筆墨技術科講習が、刑罰として書かれるようになった

職業自由はこのように強引に奪われたが、それでも職人たちの人口減少は止めることができなかった

職人たちは少ない人数でもしばしば一揆をおこしたので、斬首晒し首もしばしば行われた。

しか一揆は止まらず、あまり斬首の人数が増えた

人不足の火葬場では、火葬が間に合わず、疫病が発生した。

これは人から馬にも感染するコレラだったため、商人たちは物資を運ぶのに、隣藩から運送屋を借りなければならなかったが、

隣藩も貸し渋るのももっともで、運送料の高騰による物価高も起きた。

 

神前藩の悪い噂は、そのうち幕府にも届いた

幕府藩主家を摂り潰し、幕府直轄領とし、疫病に感染していないと思われる者は藩外に転居させた。

しかし多くが藩領に閉じ込められ農業をするしかなくなった

食料不足ときどき幕府によって補われたものの、餓死する者も多かった

コレラ対策がようやく出来たのは、藩主家のお取り潰しか10年後だった

 

追記

誤字等訂正追加したよ

2024-06-25

anond:20240625161310

惜しい。

 

例えば夫のATM能力とかも独占することになっている。

結局はセックスではなくて、子育て契約からな。

ちなみに教会とか神社とか、どこの国でも神前結婚するのは、それが契約からだぜ。神の前で誓わないとな

2024-06-08

anond:20240608114733

式の後の食事会に家族とか不確定要素を呼ぶのがわからん

すごくわからん風習のある地域なのか、なんもわからやんやつの想像での釣りか?


披露宴と書いてないから身内だけの小さな式(ご飯とかないほんとに小さなやつ)+食事会で、昔の結婚式って感じか、プランナーも残ってるし

てかそんな規模でプランナーついてくるんだ

三次会一般でいう二次会)がキャッチにひかれてか…

で、カラオケ……


今の時代結婚式知らんけど、高校生が考えた みたいな感じになってるなぁ

一時金勿体ないし家族うざいか夫婦だけでこじんまりとか気の合う友人だけで みたいな規模と

家族だけでひっそりみたいなのがごちゃっと混ざったんかねぇ

まあでも式を神前教会わからんけど飯食えないところでやったらこの流れになるか

親族カラオケというのがほんまにわからんけど

2024-04-30

anond:20240430174606

結婚式神前とか教会とかで行われて親族とか特に近い友人とか人数少な目

披露宴披露宴会場に移動してから行う。司会者が司会進行して行う。ケーキカットはここ。親の挨拶とかお色直しとかやるとこ

二次会新郎新婦ラフな感じでホントにただの飲み会

その区別が無さそうだからエアプって言われる

自分結婚するまで自分自身区別ついてなかったから仕方ないとも思う

2024-01-06

anond:20240105145424

人が自らの利益のみを一方的に主張するには勇猛心がいる。

然し徒党をくんでこれを為す時には勇気はいらぬ。

隣組座、マーケット座、この組合的結合には、やっぱり善人的蒙昧がある。

他の立場に対する省察自我、我慾、罪への批判全般的情勢に就ての公平なる観察、それらのものは、もはや必要ではない。

それらのものが有るならば、人は勇気なくして我慾を主張しうるものではない。

即ち既に中世より、古代より、かゝる善人はたくさんいた。

善人尚もて往生を遂ぐ、即ち危く素懐をとげる、いわんや悪人をや。

わが罪を自覚する故に、悲愴に又勇猛心をもって悪へ踏みきる罪の子は、神前座席に於ては善人よりも愛せられるのである

現代詐術 坂口安吾

https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42811_26156.html

2023-10-29

ただ試合見に来ただけなのに優勝者に最敬礼されてー

神に相撲見せる文化とかも、結局の所本体は優勝したはずの選手に最敬礼させることにあるんだろうな。

仮で一番偉い人間を作ってから、そこより更に上に居る人がいますアピールで敬意を表す。

神前試合されてー。

神になりてー

2023-09-26

初詣から9ヶ月、何も成さないまま今年が終わりつつある

はいわゆる書かないタイプワナビなんだが、今年こそそれを卒業する予定だった。

結局今年も書かないまま過ごしている。

去年の冬にぼっちざろっくの1日8時間練習に舌を巻き、俺もせめて少しは手を動かさねばと初詣神前の誓いを立てた。

三日坊主でその誓いは破られ、なんとか形に戻そうとするも仕事は忙しくなる一方。

膨大なストレスを手短に発散するために、趣味即物的ストレス解消へと偏っていく。

気づけば今年の70%がもう終わっている。

なんだったんだろうこの人生は。

このまま死ぬまでワナビなんだろうな。

2023-07-21

[] そのななひゃくさんじゅう

トマーッス

 

本日日本において自然公園の日神前結婚記念日烏骨鶏の日、ナツイチの日となっております

さて、この日記で二年目も終わりということでしょうか。

それとも、今日から三年目でしょうか。

とはいえタグ付けしたのはこの日ではないので明日から三年目という感じでいいでしょう。

一体、いつまでやるんでしょうね。

きっと私が飽きるか、倒れるかまでやるんでしょうね。

まぁつまり、書かれなくなったら飽きたんだろうなって思ってください。

そんな感じでいきましょう。

 

ということで本日は【程良い距離感いか】でいきたいと思います

程良い距離感いか!程良い距離感ヨシ!

 

それでは今日も一日、ご安全に!

2023-07-17

宮崎駿君たちはどう生きるか」の検証にもならない独り言/ジブリ映画感想レビュー

大学2年の時にニーチェを読んだ。ニーチェサリンジャーを読まないといわゆる「基本的人権」が認められない世界観の中で、避けられない選択肢だったので、読んだ。そして意味がわからなかったので、本屋普通に並んでる様な文化人解説本をいくつか読んだ記憶があり、その後読んだ年齢の倍以上経てその殆どを忘れてしまってる。

さて、先日「君たちはどう生きるか」を鑑賞した。何故かネタバレを極端に避ける風潮があって私の周りでも内容に触れる人は極端に少ない。

ただ「理解するのが難解な作品である」といった趣旨投稿をしている人は何人もいた。

果たしてそうなのだろうか?という疑問を持ったので本増田を書いている。

特にメモをとってわけでもないので、ディテール齟齬がある部分は勘弁いただきたい。

1、話の骨子

真人空襲(?)で母親を失くす

その後、母親の妹が新しい母親となり、母親実家疎開(?)をする

亡くなった母親の思い出もあり、新しい母親真人は心を開けない

金持ち仕草抵抗のない父親が車に乗せて初登校をしたため、ガキ大将的な奴と喧嘩になるがMMA能力があったため圧倒する

帰り道に石で自分の頭を殴り✳︎1 かつ犯人を言わないという知的な叱られ対策を行う

亡くなった母親の残した「君たちはどう生きるか」に出会う ✳︎2

その後成長した少年は新しく生まれた弟と家族と共に東京に戻る

ご覧の様にストーリーは極めてシンプルである。そして、✳︎2の描写が本作品の大部分を占めている。

2、おしいれのぼうけんなのか否か

いやいや、おしいれのぼうけんのさとしとあきらのぼうけんは実際に異世界へ行ったのであるよ。そういう人もいるだろうし、多感な子供がおしいれに罰として閉じ込められるという昭和のみ許された罰によって生じた脳への過大なストレスで発生したイマジネーションの中の世界という人もいるだろう。

今回は後者の説をとらせて貰いたい。

真人はあまりに強く石で頭を打ってしまい、かつ慣れない場所でのストレスから母親が残してくれた「君たちはどう生きるのか」に没頭してしまう。

この原著小学生の時に読んだことがあり、その歳からは3倍以上の歳となってしまったので

あるが、コペルくんという快活な出来杉くんが日々体験した葛藤かに、「叔父さん」が真摯に答えてくれるという内容で、漫画化されて話題になった時の売り文句を見ても感じたのだが、児童文学の姿を借りた思想書/啓蒙である

うっすら覚えている内容も、格差によるキャズム父親金持ち仕草でいきなり浮きまくって喧嘩となり、派手な登校拒否スタートとなった真人とは重なる点も多く、「叔父さん」の回答は真人の心に刺さるものが多かったろう。

聞くところによると反戦主義者であった吉野源三郎は、自由言論活動抑制された戦前、戦中において、その活路を児童文学見出したようだ。

吉野源三郎ニーチェの対比については東洋哲学視点で語る人は少なくない。戦前、戦中においてはニーチェが死んだと評した絶対的価値観と同様のものがこの国に溢れていたのは事実だろう。

そういった意味では吉野源三郎日本ニーチェと感じる人はいてもおかしくないのだろうけど、昭和小学生であった自分には全く刺さらなかった一冊であった。

なんにせよ、真人少年はこの本を読み、心の中のぼうけんへとでかける。

3、これは大事ものから

庭にある「塔」はよそから飛来した飛翔体で、大叔父は「これは大事ものから」と新しい建築物で囲った。

ここで思い出すのは聖書の一節である

「新しいぶどう酒は新しい革袋に盛れ」(ルカ5章38節)当時の慣例を無視したイエスは、新しい思想は、新しい環境にて受け入れかし的な意味で言ったらしい。

健全なる精神健全なる身体に宿れかし」

と宿るじゃ大きく意味が異なるので、この辺も解釈によって随分と違う。

さておき。この大叔父の言っている「これは大事ものから」は絶対的価値観で、この絶対的価値観を装飾したり保護したもの戦前、戦中に世に溢れていた「常識なのだろう。

この常識に対して、「君たちはどう生きるのか」は児童文学というN国ハックを成功し、無事相対的価値観真人少年に届けることに成功する。

✳︎母親も塔で行方不明になった時期があり、大叔父は姿を消したままなのは絶対的価値観に対する「疑問」を持ったことに対して、思想警察等の介入を招いたという事なのでは?といった解釈もなりたつ。一方で、隠れキリシタンマリア像的な「進歩的思想」を表すものとも受け取れるがその場合はいくつかの齟齬生まれる。

4、アオサギの指すもの

本作でトリックスターとして描かれるアオサギ古代エジプトのベヌウを始めとして様々な宗教で描かれている。

混沌に現れたベヌウがアトゥムとなりそしてラーとなったが古代エジプト神話創世記で、ベヌウはその後もフェニックスになったり、旧約聖書で忌むべきものと描かれたりと様々な存在であり続ける。

全てのアオサギは嘘つきだとアオサギは言った。これは本当か?!

という問答が本作ではあったが、アオサギは「相対的価値観」のメタファとして描かれたのでは?と私は思う。

敵か味方か、友人かわからない存在

見る人によって、見る時によって解釈が異なる存在相対的価値観象徴としてこの上ない。

ソクラテスの良き友人であり、ソクラテスソクラテスとならしめ、そして死に追いやった「ダイモン」はその後「デーモン」となり絶対悪となる。

アオサギは創世の核から、忌むべきもの、そして後世では聖職者キリストとしても解釈をされている。相対的価値観象徴として登場するに相応しい扱いのブレブレさ。

嘘つきを「悪」や「忌みもの」と置き換えたとしても時代、そして答えるものスタンスでその答えが変わるだろうアオサギトリックスターに据えたのは、アオサギ不死鳥火の鳥としての立ち位置だと考えても中々に面白いのではないだろうか?

5、ペリカン反戦

わらわらが空に舞うシーンとペリカンの登場をみて、多くの人が空襲によって生まれるはずの命が奪われていったのをイメージしたのではないだろうか。

出雲大社をはじめ、神道結婚式では玉串をおさめるさいに、新郎新婦螺旋の様に左右に交わりながら神前に進む。

この「螺旋」という存在は、永劫回帰もつながる東洋思想の根幹となるもので、すべてのもの平等に無価値で、それぞれが相対的価値をそれぞれに対して持ち、または持たない。

下の世界は明示的に「地獄」と表記されてたのであるが、おそらく描かれてるのは冥界だろう。

ニーチェが死んだと評したものはそれ以前のキリスト教における始まりのある絶対的価値観というのが有力な説であるが、その絶対的価値観を作った人物の1人であるアウグスティヌスが「聖心、自己犠牲」の象徴とし、その後も様々な紋章で愛されたペリカンが魚の内蔵餌にし、上の世界での誕生を待つわらわらの命を次々と奪っていくのは宮崎駿フラットな「反戦思想」が読み取れる極めてシニカルメタファーではないだろうか。

ペリカン第二次世界大戦でも輸送機爆撃機のノーズアートとして愛用をされていたのは、ミリタリーに造詣の深い宮崎駿なら知らないわけはないだろうと考える次第である

6、インコがよくわからない。

インコ軍団の描かれかたは、当時の日本軍部の急進派やポピュリズム扇動された国民イメージとさせる。

ところが、インコアオサギペリカンの様に何かのメタファとして使われてた例を少なくとも私は知らない。

あえて言えば、ポピュリズム扇動される一定数の国民は今も変わらない、その人たちはみな同じ様ち聞いたことを繰り返す。

これらに対しての皮肉を込めて、鸚鵡はアレだからインコにするか、となったくらいしか思いつかない。

1シーン、インコたちが「陰謀論者」を彷彿とさせるセリフを言ってたのが気になるが、それにしても偶然の一致だろう。

何故、インコなのかは本当にわからない。

まとめ

本作は極めてシンプル構成少年の成長の数年間を描きつつ、そのきっかけとなった一冊の本バックボーンを深く掘り下げた作品だと思う。

ただ、その一冊が示すところは当たり前の様に社会実存する不条理や、固定された常識を「畜知」として個々の持つ倫理観や、相対的価値観を持って超越すべきと描くものだった上に宮崎翁の表現だ。わかりやす理解が困難であるところが極めてわかりやすい。

現象界では常に変化が起こり、全く同じ真理などは存在せず、全てのものに等しく「無」だけがその拠点として存在すると、ナウシカ宮崎駿は伝えたかった気もするのだけど、これすら三連休の最終日にしこたまアルコールを飲んで歩くのすらおぼつかない私の中だけの相対的宮崎駿である

なんにしても本作の序盤の数分で感じるスパイダーバース同様の狂気は、宮崎駿存命の間しか味わうことが出来ない、スタッフロールと引き換えに命を削った各コマを作り上げた人々の命の結晶である時間は貴重だ。一方、チケット代なんて酒を2、3杯飲むのと引き換えられる程度の数字が書かれた概念しかないだろう。

よっぽど忙しい人や、ジブリ宮崎駿が嫌いな人も最初10分で良いから見てほしい。

そんな狂気に溢れた作品であった。

おまけ 

昨晩、地下室からのふしぎな旅を改めて読んだ。柏葉幸子は素晴らしい。

宮崎駿引退するまでに一回で良いか柏葉幸子作品監督をやりたいはずと、私は勝手に思っており、君たちはどう生きるかもその色眼鏡で鑑賞するといくつかのシーンから妄想が膨らむ。「鈴木くん。柏葉幸子は素晴らしいぃぞぉ」という宮崎駿の声が脳内で響く。

2023-06-14

anond:20230613231020

鉄道オタクは生まれつき異常者というレッテルを貼っていい」

直木賞作品読んでるやつってメンヘラばっかだよな」

餃子好きなやつって本人の体臭が元からクセーんだよな」

フローラ選ぶやつって自己中が多いんだよな」

ラグビー好きはホモばっかだよな」

コーヒー党って息がくせーのを誤魔化そうとしてるの多いよな」

クラブミュージック好きな奴の大麻吸引率ってヤバいよな」

神前結婚したやつは不倫しがちだよな」

全部事実ワロタwww

2023-06-13

撮り鉄は嫌いだけど「鉄道オタクは生まれつき異常者というレッテルを貼っていい」という風潮も嫌いだ

言うに事欠いて鉄道趣味ってキチガイを集めやすいんやなw」とは……。

お前の好きなものが同じように扱われたらどう思うんだよ。

直木賞作品読んでるやつってメンヘラばっかだよな」

餃子好きなやつって本人の体臭が元からクセーんだよな」

フローラ選ぶやつって自己中が多いんだよな」

ラグビー好きはホモばっかだよな」

コーヒー党って息がくせーのを誤魔化そうとしてるの多いよな」

クラブミュージック好きな奴の大麻吸引率ってヤバいよな」

神前結婚したやつは不倫しがちだよな」

みたいな?

こういうの自分の好きなことでやられた嫌な気持ちになるだろうし、どこかで「え?それは違うだろ?」ってなると思うんだよ。

鉄道は何が面白いのかしらねーけど趣味として母数が多いかキチガイが目立つだけじゃねと俺は思ってる。

フーリガンがトラ箱によく入るのもサッカーヤバイいんじゃなくて母数の多さによるものかなと。

ただ、「母数が多いというのがキチガイを加速させやすい」ってのは理屈として成立しうるきがする。

人間って同種で群れるとどうしても調子こきやすくなるけど、ガチヤバのキチガイ同士が群れない限りは調子こいたヤバい集団はそうそう出来ない。

でも趣味として母数が増えると1000人に1人クラス狂人が同じ場所に10人も20人も集まることもあるし、それに感化されて「あれがセーフなら俺らもハメ外すか」って一回り二回りマシだった連中まで同じレベルで狂い出しうる。

たとえばアイドルオタク奇行といえばジャニーズラブライブが有名だけど、アレも母数の圧倒的多さによって同じ波長のキチガイが揃いまくってキチガイ連鎖でばよえ~ん!ばよえ~ん!した果ての結果なのではと。

まあ結果として「鉄道は人気の趣味からキチガイが騒ぎ出すことが多い」というのは事実としてありうるけど、それが「鉄道趣味とするやつは最初からキチガイ」ってのは違うと思わけよ。

それは置いといて、キチガイとして暴走してる奴らの数と、その暴走行為普通に暮らしてる人間迷惑をかける頻度の高さから俺は撮り鉄大嫌いだ。

サッカーオタクアイドルオタクとか騒いでもぶっちゃけドームの近くとかぐらいじゃん。

イベント期間は半径1kmぐらいは近寄らんようにすれば電車バスまらん限りはまあ耐えられる。

でも撮り鉄はその電車バス積極的に停めにかかるし、一般人からしたら神出鬼没としか言えんような鉄道オタク以外にとってどうでもいいようなタイミングで集まって騒ぎ出すからマジで嫌だ。

本当、嫌い。

撮り鉄、大嫌い。

でも「撮り鉄は生まれつきのキチガイから~~」っていうのは単なる暴論だから気に食わねえ。

敵を同じくしてるからって共闘したくねえんだよなあこんなバカとはよお

2023-05-07

初詣ホットドッグとかの屋台よくかんがえたバチ当たりじゃないだろか

神前で肉をだすのかよ

しか名前ちょっとお犬様をかろんじてないか

私見です

2023-02-22

読み方が思ってたんと違う名字

名字×
神戸こうべかんべ
神吉みよしかんき
神代かみよましろ
神前かみまえこうさき
かみじん

2023-02-18

日本結婚」は同性婚を見てもいない

要点は下記の通り。


欧米結婚では「愛を神に誓う」が、日本結婚は愛など前提にしていない

日本同性婚制度が大昔から存在してもおかしくないが、発生していない

憲法改正なしで同性婚を導入するべきではない



キリスト教結婚では「神に愛を誓う」が、日本結婚は愛など前提にしていない


キリスト教、というかカトリック教徒における結婚は「配偶者への永遠の愛を神に誓う」儀式によって成立する。

「健やかな時も、病める時も~」っていいうやつだ。

プロテスタント結婚式を教会で挙げるので、本質は変わっていない。

欧米人にとっては神に愛を誓うことで結婚は成立するのである

言い換えると愛する者同士は結婚する風習がある。

(もちろん、実際に愛し合っているか問題ではない)

欧米において、同性愛者同士が愛し合っているなら結婚を認めることは文化的に筋が通っている。


一方、日本歴史的に「結婚式」が存在していなかった。

結納夫婦のみでの三々九度的なもの宴会存在していたが、神前や人前での儀式存在しない。

現在神前式はキリスト教結婚式を参考にして明治時代に開発されたものである


近世以前の庶民結婚ではハレの日が存在せず、淡々同棲が始まることも普通だった。

大抵の結婚は家の都合や成り行きで決まり、ぬるりと「男女の組合せ」が「夫婦」となっていた。

これが日本結婚で、そこに「愛を誓う」というプロセス存在しない。


このように「欧米結婚」と「日本結婚」は、「カミ」と「GOD」、「保険」と「共済」のように似て異なる風習である

同性愛者が「我々は愛し合っているか結婚したいのだ」と主張しても、「日本結婚からは「まあ、嫌い合っているよりはいいかもですね」という感想が出て来るだけであろう。




日本同性婚制度が大昔から存在してもおかしくないが、発生していない


日本歴史的男性同士の同性愛タブーとしていない。

それに加えて、日本嫡子を跡継ぎにすることへの拘りが弱く、それなりの武家であっても養子を迎えて跡継ぎに据えることも多かった。

この2つから考えると、日本では男性同士の結婚が行われ、養子を跡継ぎにする事例が多々発生していてもおかしくない。

何故発生しなかったのか。

しっかり供給しろという気持ちでいっぱいである。


しかしながら、現実非情だ。

そのようなことは起きなかった。

日本では同性婚ハードルが低かったにも関わらず、発生しなかった。



憲法改正なしでの同性婚を導入するべきではない


日本においては男性同士の同性愛が広まっていたにも関わらず、男性同士の結婚が発生しなかった。

そして、男女は愛と関係なく結婚をしてきた。

欧米では愛する者同士が結婚するという風習から同性婚が認められることは妥当性があるが、日本においてはそのような風習がないため、「日本結婚」が同性婚を認める理屈がない。

日本結婚」は男女間のみに発生する風習であったから、憲法は「両性の合意のみ」と定義したのである


それでは同性婚日本で実現するにはどうするべきか。

憲法改正が正道である

政治上テクニカル手法では「憲法24条は同性同士の結婚禁止するものではない」という解釈で「法律上結婚」において同性婚の導入は可能であろう。

逆に言えば、法律同性婚禁止することも実現可能なのだ

憲法改正がなければ、同性愛者はそのような不安定立場に立たされる。


日本結婚」に同性婚を取り入れるのであれば、国民投票による憲法改正必須だ。

国民投票を経れば、同性婚日本の新たな風習として始まっていく。

時が経てば、胸を張って「同性同士の結婚我が国風習で、国民投票で認められている」と言えるようになるだろう。



最後


個人的に「欧米に倣って同性婚を導入しよう」というのが気に食わない。

日本ホモフォビアが決定的になった理由は、欧米に倣ったかである

その過ちを全く反省せず、脳死で「欧米では~」と同性婚を導入しようとするなら、それは愚かとしか言いようがない。

何より同性愛者をバカにしている。


イスラームは2070年から2100年の間に世界最大の宗教人口となる見込みだ。

彼らの圧倒的多数派が同性愛禁止している。

日本結婚」に同性愛をしっかりと組み込んでおかなければ、50年後に「世界では~」と言って同性愛禁止するであろう。

同性愛者は遠い国の人達ではない。

隣人が末永く安心して夫婦夫々、婦々とかい呼び方になるのか? これも決めなければならない)でいられるよう、しっかりとした地盤を作っておこう。

長文読了感謝


2023-01-04

神社でお祈りするとき合掌している?

一昨日に神社作法増田https://anond.hatelabo.jp/20230102150139)が盛り上がっていたから、なんとなく神社作法を調べてて驚いたことがあるんだけど、神社でお祈りするときって合掌しないのが正しいんだな。

「二礼二拍手一礼」の作法最近広まってからやったんじゃなくて、それより前からその作法でお参りしていたというコメントを人を結構見かけたけど、昔から正しい作法を知っているなら、やっぱり二拍手の後で手を下ろして一礼していたんだろうか……?


かに「二礼二拍手一礼」と神社の参拝の作法になっているけど、この文言では合掌しろとは一言も言っていない。

で、そもそも論だけど、合掌は仏教作法だ。神道でそんな作法があるわけない。でもみんな合掌してるよな。

ちなみにお寺の参拝方法は「合掌して一礼」だから、合掌することが明言されている。


「合掌」のウィキペディアのページではこう書いてある。

日本では仏教に関する儀式の際に行われるだけでなく、お詫びをするときやお願いをするときに、相手を持ち上げるための仕草として使う例もある。また、食前食後の挨拶の際に合掌する例もあるが、これは仏教由来の習慣である神道では柏手として手を打ち合わせるが、その後は両手を下ろし、お辞儀して礼拝する(神道拝礼では、合掌はしない)。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%88%E6%8E%8C

神道拝礼では、合掌はしない」と明言されてしまっている……。なんてこった、これまでも俺の参拝方法は誤っていたのか。

ソースウィキペディア(笑)みたいな人が絶対いると思うから、ここはわかりやす権威を借りよう。神社トップ神社本庁のページでは以下のように記載されている。

まず、神前に進み姿勢をただします。

背中を平らにし、腰を90度に折り、拝をします。この時の拝は2回行います

胸の高さで両手を合わせ、右指先を少し下にずらします。

肩幅程度に両手を開き、2回打ちます

指先を揃えます最後にもう1回拝をします。

https://www.jinjahoncho.or.jp/omairi/osahou/sanpai

合掌をするともしないとは文字では明言していない。「指先を揃えます。」は合掌を表しているんじゃないのか?と思うかもしれないが、これは文字通りの意味であって手を合わせることを説明していない。

なんでわかるかって、神社本庁のページの「拝礼作法」の欄には、丁寧に動画まで掲載してくれるという至れり尽くせりっぷりだから、それを見るとバッチリ正しい参拝方法がわかるぞ。

件の動画は34秒しかいかちゃんと見てくれ。動画の25秒辺りで二拍手を終えた後、手を下ろして一礼している。

から、二拍手した後、そのまま手を重ねて合掌して一礼するのが正しいわけではなく、手を下ろすのが正しいってこと。

「二礼二拍手一礼」「鳥居の前で軽く一礼」に続く第三の正しい神社の参拝方法として、そのうち広まると思う。

今のうちに正しい参拝方法を行って、君も参拝のマウント取りができるぞ!

2023-01-02

本日増田神社詣で、大にぎわい(笑)

みんなお屠蘇がまわり過ぎてて、神前暴言吐き過ぎやで(苦笑)

2022-12-16

anond:20221216102229

俺の時は式は神前披露宴ドレスに着替えたりしてたな

あと結構驚いたのは結婚式結婚披露宴は別モノって事。結婚するまで同じものだと思ってた

2022-10-13

なぜ日本では偽物の教会結婚式をするの?と聞かれたら答えられるようにしておこう

外国から言われてみれば奇妙な日本結婚式

アメリカ人友達「偽物の教会で、お葬式の曲が流れる不思議結婚式に出たのよ」「それ、日本標準的結婚式です…」

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1956479

これはつまりブライダル業界結婚式」だが、なんでこうなったのか?。

 

イエから逃避行

今主流のこういう結婚式の始まり1970年代なんだが、その元は60年代にある。

日本のイエ制度明治に出来たようなもんだが(武家を除く)、昭和初期には堅固なものとなり、更に国家天皇がイエに擬製されて人間はそこから逃れる術はほぼ無かった。ゲマインシャフト国家有機体論の合体だ。

戦争に負けるとおせっかい焼きのアメリカ自由の形だけを作って置いていった。国家権力だけは縛ったからあとは勝手に使うがよいと。

それで戦後時代下り生活レベルが向上すると段々と生活人生上の自由が増大化していった。

 

イエというのは家督であり、継げるのは長男一人だけだ。しかしその他の女子次男以下も生き方制限された。

長男は適齢期になると親が勝手に縁談をまとめて「あの家の娘と一緒になれ」。断った場合勘当されて死ねと言われる。

次男以下は中学尋常小学校)を出ると「小僧」の勤め先を親が決めてくるので、そこに入る。小僧っていうのは商家に住込みの店員見習いだ。然程の長時間労働ではないが「仕事」ではなくて24時間主人に仕える事が求められる。全人格労働だ。

こういう風習があったので会社勤めが一般化しても昭和中期まで独身者会社の寮に住込みが基本だった。勿論集団生活で雑居だ。プライバシーかいう事を気にする者はアメリカかぶれの不良である

女子妙齢になるとやはり親が勝手に嫁ぐ先を決める。断るのはアメリカかぶれの不良であるそもそも断ると生きていく術が無い。本人が何とかなっても家族村八分になる。

商家に女版小僧として働くというケースもあった。勿論住込みの全人格労働だ。これも妙齢になると主人が見合い相手を見つけてくるので恋愛期間なく結婚せねばならない。

 

都会と田舎の落差と中島みゆきの『ファイト

戦後まれ団塊世代が成人する60年代末になると都会ではそういう古いイエに縛られない核家族が増え、子供用個室が出来たりもした。

でもそれは都会の話で、田舎の方ではまだ古いイエに縛られたままの人間が多かったのだ。

例えば中島みゆきの『ファイト』は1982年の歌だが、「薄情もんが田舎の町に砂かけんのか、出てくならお前の身内住めんようにしちゃる」と言われて長距離切符燃やそうとしたが出来なかった。東京行の文字が滲んだ切符をまだ持ってる、っていう節がある。

なんでこんなキツイ歌詞を考えつくの…と思うがこれは中島みゆき深夜ラジオに送られて来たリスナーハガキの内容を切り貼りした歌詞なんである

まり1970年代末~1980年代頭にもこういう思いをした人は居たという事だ。

「ファイト」の語感だけで元気を振るう歌だと思っていると衝撃を受ける事と思う。苦難や挫折が生々しいのだ。

 

それで団塊世代は色々な方法田舎因習から逃れようとした。

勉強を頑張って東京大学に進む事が出来るように先生に親を説得してもらう(余計な勉強なんかして更に大学に進もうなんて親不孝のアメリカかぶれの不良である)。

集団就職に参加する。

一度商家に入り、数年奉仕し18or20歳年齢制限クリアして暇を貰い、水商売に入る(増田の親のパターン。単に不良である)。

 

ロマンチックラブイデオロギー

そういう状況だったから古い世間では自由恋愛=不良であった。それは流行恋愛歌に乗せられて人の道を踏み外すアメリカかぶれの不良である

一方、若者からすれば自由恋愛とは誰と恋愛してもいいよという状態の事だけじゃなくて因習から逃れる解放テーゼだ。

人は好きな人と結ばれる権利がある。それを称揚すべきであるロマンチックラブイデオロギーだ。

そういう訳で沢山のフォークソング自由恋愛称揚されるようになった。1960年代には社会への異議申し立てという歌詞が多かったのが、70年代になると安保闘争挫折相俟って現状肯定恋愛称揚などのポジティブ系にシフトしていく。

 

有名なのが吉田拓郎の『結婚しようよ』1972年で、僕の髪が伸びたらチャペル結婚式を挙げよう、というもの

チャペルキリスト教会礼拝場の事なのだが、実際に多く使われるのはミッション大学礼拝場だ。要するに学生結婚したいねという欲求惹起する歌だ。

もう一つ有名で披露宴でも使われるのがチェリッシュの『てんとうむしのサンバ』(1973年)で、夢の国の森の小さな教会結婚式を挙げました、という歌詞

 

こういう曲のヒットにより「小さなキリスト教会での挙式」というのが憧れとなり、実際にミッション大学併設の教会での挙式が多く行われた。因みに式の前に洗礼を行って形だけでも「キリスト教者」になっておく。

ただ、ミッション校の教会は限られていてパイが少ないし両方の親族が沢山来たら礼拝堂に入らない。

でもそれがまた「イエvs.イエ」の結婚式へのアンチテーゼとして働いた訳だ。

 

なんでキリスト教会なの?と言えば、それは第一西欧への憧れであり、第二に「日本古来の神式仏式でないから」だ。神式仏式にはイエの因習表象をまとっていた。

今は厳かな神式も人気で特に鎌倉鶴岡八幡宮の舞殿で行われる神前式は人気だ。これには団塊/全共闘の残した軽いノリへのアンチテーゼ権威的なものを好むというテイストもあるだろう。

でも今の神前式を選ぶのと60年代の仏/神前式意味が違うのだ。現代のは一度因習との結びつきが嫌われて廃れ死んだ後に、「博物館入り」して個人にとって安全になったものだ。安全になったので「自由意思で選択」しているのである

 

花嫁夜汽車に乗ってとついでいくの」という『花嫁』(はしだのりひことクライマックス 1971年)なんか歌詞をよく確認してみたら駆け落ちなのな。こいつを披露宴で掛けるのはヤバそうだ。

 

それ以前の結婚式はどうだったのか

それ以前の結婚式仏式/神前とあったが、特に都市部だと著名な特徴があった。

それは「祝言(しゅうげん)として能の演目高砂』の一節の謡いを仲人がやる」という事。俗にいう「高砂や~」である

https://www.youtube.com/watch?v=Zm1Se2fRnvU

これをこの調子仲人が謡う。これは都市部では必ずやる。絶対にやる。だから仲人はこの祝言を暗記して慣れない能の謡い方を練習した。それを笑った落語もある。「高砂や~」って練習してる時に「とうふ~」と豆腐売りが来ちゃって混じって覚えちゃうのな。

これは恐らく江戸時代後期には一般化していたと考えられるが、廃れた時期ははっきりしてて団塊世代の適齢期だ。

 

老松という地名

ちょっと脱線だが老松町という地名があったり地名変更で無くなったが祭り町内会名や祭り神輿山車の提灯なんかで出てきたりする。

それらは長寿を願った年寄臭い地名に見えるかも知れない。

でも昔は結婚式では「必ず」高砂祝言を謡ったのだ。『高砂』の内容とは、神主兵庫県高砂で老女老男に出会い、我らは片や高砂の、片や大阪市住之江区住吉大社老松だと言われる。小舟に乗って去った老夫婦の後を追って船で住吉に向かうと、住吉明神が神々しい舞を見せた、というものだ。

まぁ今は埋め立てで遥か内陸になってしまって阪堺電軌じゃないと行けませんがね…。

この「老松」なのですよ。昔は結婚式で必ず仲人高砂を謡った。故に門出の歌なのですな。

関東大震災下町が壊滅すると多くの人が板橋区とか池袋世田谷杉並などの郊外に移り住んだ。すると農村人口が増えて村から町になり区画も分割される。そこでめでたい瑞祥地名として新婚の門出と長寿と願って老松町というのが増えた。

でもその後字面年寄臭いって事で消えてしまった。『高砂』が廃れた現在から見るとやっぱ年寄臭く見えるけど、それは習俗が途絶えて常識が消えたせいなんでありますな。

団塊結婚式に戦中戦前派は大憤慨

会場が教会だったり披露宴フォークソングとか歌うし高砂やはやらないしで、この新しい結婚式保守的な人らは憤慨していた。

どのくらいかというと、わざわざ入試問題に新型披露宴批判したり、親戚のオヤジマイクを渡されてフォークソング披露宴への憤懣ぶちまける説教演説したのを現代文の問題で出したりするくらい。そんなのを入試に出すなよ。過去問としてアーカイブされて10年以上参照されるんだぞ。

 

定着と業界

しか芸能人などが次々とキリスト教式で挙式するようになる。するとこれは大きな需要であるからブライダル業界」が立ち上がり、洗礼とかがない宗教的に気軽なキリスト教結婚式提供するようになったのだ。それまでは互助会のような組織が主だった。

ホテルなどでの挙式よりは断然安い。しか教会での式よりは断然高い。

 

から団塊のイエへの抵抗から始まったブームが大きくなって70年代中頃に業界化し、80年代には完全に一般化してこっちが主流になったのである。だが80年代には色々行き過ぎて珍妙な式が行われており、それでまた年配者の顰蹙を買ったようだ。ハイジみたいなブランコ新郎新婦が登場とかラブソングカラオケ熱唱とか色々おかしい。

 

から「なんで偽物の教会でやるの?」と聞かれたら「それが昔は近代的な解放だったんだよ」「その意味社会から消えても形式業界がそのままになってるんだよ」「貴方の国の若い人らもハングルひらがなを混ぜて書く事があるけど、それも同じ抑圧からサブカルチャー解放意味があるんじゃないの」と言えばよい。

 

それとは別にやっぱあの形式結婚式にはダサさを感じるし、偽物の教会中途半端教会建築への理解の少なさが出ちゃってる。標準的形式の練り直しはすべき時期かもしんない。

2022-09-02

お客様は神様です」について

三波春夫オフィシャルサイト

お客様は神様です」について

https://www.minamiharuo.jp/profile/index2.html

三波春夫」といえば、『お客様は神様です』というフレーズがすぐに思い浮かぶ方が少なくないようです。印象強くご記憶いただいていることを有難く存じます

 ですが、このフレーズ真意とは違う意味に捉えられたり使われたりしていることが多くございますので、ここにちょっとお伝えさせて頂きます

 

 三波本人が生前インタビューなどでこのフレーズ意味を尋ねられたとき、こう答えておりました。

 『歌う時に私は、あたか神前で祈るときのように、雑念を払ってまっさらな、澄み切った心にならなければ完璧な藝をお見せすることはできないと思っております。ですからお客様神様とみて、歌を唄うのです。また、演者にとってお客様を歓ばせるということは絶対条件です。ですからお客様絶対者、神様なのです』

 歌手として歌を歌う、「セリフ入り歌謡曲」や「長編歌謡浪曲」で歴史上の人物物語を歌い語る、その折の三波春夫の心構えを表現した言葉であり、お客様に歓んでいただくことを歌手人生第一義として追及して生きた、三波春夫らしい心情を表したものでした。

 また、三波春夫舞台お客様が楽しみにお越しになり、三波も一所懸命舞台をつとめるといった、楽しさや高揚感がいっぱいの、歓び合う場での思いを表したものでした。

 そしてその始めは、「お客様は神様です」という型にはまった言い方ではありませんでした。いきさつについての本人の著述最後にご紹介いたしますが、“お客様神様とみる”という心構えであることを舞台の上で話したことが始まりで、それは芸能生活としては22年目、歌手デビューから数えると4年目の1961(昭和36)年のことでした。

 その後、漫才トリオレツゴー三匹さんが「三波春夫でございますお客様は神様です」という表現流行させて、「お客様は神様です」という言い方が世の中に定着したというのが経緯です。

 三波にとっての「お客様」とは、聴衆・オーディエンスのことです。また、「お客様は神だから徹底的に大事にして媚びなさい。何をされようが我慢して尽くしなさい」などと発想、発言したことはまったくありません。

 しかし、このフレーズ真意と離れて使われる時には、「お客様」は商店飲食店乗り物のお客さん、営業先のクライアントなどになり、「お客様イコール神」となります

 例えば買い物客が「お金を払う客なんだからもっと丁寧にしなさいよ。お客様神様でしょ?」という風になり、クレームをつけるときなどには恰好の言い分となってしまっているようです。店員さん側は「お客様は神様です、って言うからって、お客は何をしたって良いっていうんですか?」と嘆かれています

 また、クレーマーカスタマーハラスメント問題を取り上げている番組などでは「“お客様は神様です”というのがありますからね」と、真意を紹介することなく引き合いに出されることもあります

 このようなフレーズへの誤解は三波春夫生前から有りましたが、言葉文章などでの短い説明ではこと足りないと思うのは、生前三波春夫も、現在の私もです。説明となるものを挙げるとしましたら、三波春夫ライブをご覧いただいて心意気を感じ取っていただくことだったのかもしれません。

 “雑念を払って澄み切った心で歌う”というような心構えに至ったのには、三波春夫のそれまでの人生経験が土台としてありました。

 16歳で初舞台を踏んだ浪曲世界は、芸がまずければ「下手くそ! 聴いてられないぞ!」と、お客様舞台に上がって来てサッサと幕を引いてしまわれるような、目や耳の肥えたお客様ばかりでした。幸いに途中で「やめろ!」と言われたことはなかったそうですが、舞台に立つ時は常にお客様との真剣勝負でした。

 20歳では応召して陸軍に入隊することとなり、戦場を駆け巡り、終戦後はシベリア捕虜となり、4年間の抑留生活を送りました。

 抑留中、絶望の中にある仲間を励ますために、また自分自身希望を持って生きるためにも時間を見つけては一所懸命浪曲を語って聞かせ、皆で演劇も創りました。藝で、いかに人に喜んでいただけるかを徹底的に追及し始めたのは、このときからでした。

 戦後浪曲世界に戻り、33歳で歌謡界に転向して歌手となったのですが、プロとして藝を向上させるには自分自身の心を磨き、鍛えてゆかなければならないと思い、“求道者”と言われるほど真面目に生きました。男性歌手初の和服歌手であり、歌手座長の芝居と歌謡ショーの大劇場の1ヶ月公演の一番手であったことを始め、前例が無いなどということは恐れずに、「常に新しい藝を、新しい作品を」をモットーにしておりました。

 永六輔さんは三波春夫のことを「歌う学者」と呼んでくださいましたが、酒タバコは嗜まず、空き時間は本を読み、作詞エッセイ歴史本を書くために原稿用紙に向かっている人でした。

 笑顔トレードマークのようでしたが、いつも人に笑顔を向けられる自分であるようにと、心がけていました。日常、腹の立つこともありますし、不愉快な思いもしますが、そのまま仕事に入ってしまっては良い舞台はつとめられません。ですから、心の持ち方のスイッチをいつでも切り替えて笑顔が出来るように、と努力していました。

 これらは、若い時に先輩から普段暮らし方が舞台に出るんだよ」と教えられたことを心におき、より良い舞台をつとめられるように、お客様に歓んでいただける歌手であるために、の切磋琢磨でした。

 

 三波春夫が藝一筋に生きた姿勢は、DVDなどでお目にかける舞台などに表れているかと存じます。ご興味がおありになりましたら、どうぞご高覧くださいませ。

 最後に、三波春夫自身が「お客様は神様です」について著述している文章をご紹介させていただきます

                       

株式会社三波クリエイツ 代表取締役 三波美夕紀

 

三波春夫著『歌藝の天地』

1984年初刊 2001年文庫化 いずれもPHP研究所)より

   

お客様は神様です」の発端

 お客様は神様です」という言葉流行ったのには、びっくりした。よく、この言葉真意はどこにあるのかと聞かれるが、私も、その答えに困ることがある。テレビなどで、短い時間で喋るには、うまく説明が付かない。

 皆さんのほうでは、面白がって、「お客様は仏様」だの「うちのカミサンは神様です」とか、「選挙民は神様じゃ」などといった言葉になって広まっていった。いやはやどうにも賑やかなこと。

そのあげくに、「こんなふうに言われるのは、どう思います?」とくる。

 しかし、振り返って思うのは、人間尊重の心が薄れたこと、そうした背景があったからこそ、この言葉流行ったのではないだろうか?

 私が舞台に立つとき敬虔な心で神に手を合わせたときと同様に、心を昇華しなければ真実の藝は出来ない―――と私は思っている。つまり、私がただ単に歌を唄うだけの歌手だったらならば、きっとこんな言葉は生まれなかったと思うのです。浪花節という語り物世界を経てきたからではないだろうか。

 つまり浪花節台詞の部分は「瞬時のうちに一人で何人もの登場人物を的確に表現」しなくてはならない。そうしなければ、決してドラマは語れないのである

 われわれはいかに大衆の心を掴む努力をしなければいけないか、そしてお客様いかに喜ばせなければいけないかを考えていなくてはなりません。お金を払い、楽しみを求めて、ご入場なさるお客様に、その代償を持ち帰っていただかなければならない。

 お客様は、その意味で、絶対者の集まりなのです。天と地との間に、絶対者と呼べるもの、それは「神」であると私は教えられている。

 あれはたしか昭和三十六年の春ころ、ある地方都市学校体育館だった。

司会の宮尾たかし君と対談の際にこんなやりとりがあった。

 「どうですか、三波座長お客様のこの熱気、嬉しいですね」

 「まったくです。僕はさっきから悔やんでいます

 「!?

 「こんないいところへ、何故もっと早く来なかったんたろう、と」

ここで、お客様はどっと笑ってくれる。ここまでは、昨日通りの対談内容。

すると、宮尾君はたたみかけて、

 

 「三波さんは、お客様をどう思いますか?」

 「うーむ、お客様神様だと思いますね」

ウワーッと客席が歓声の津波!私ははっとしたが、宮尾君もびっくり。客席と私の顔を見比べて、

 

 「カミサマですか」

 「そうです」

 「なるほど、そう言われれば、お米を作る神様もいらっしゃるナスキュウリを作る神様も、織物を作る織姫様も、あそこには子供を抱いてる慈母観音様、なかにゃうるさい山の神・・・・・・

 客席はいっそうの笑いの渦。その翌日から毎日このパターンが続いて、どこもかしこも受けまくった。宮尾君は、お父さんが落語家であり、本人も研究熱心だから司会者としても一流。漫談うまい

 こうして、このやりとりを続けて全国を廻るうちに、レッツゴー三匹舞台を見て、おおいに流行らせたのである

追記

“翌日から毎日このパターンが続いて…”とありますが、三波と宮尾さんが自発的にしたのではなかったのです。山陰地方を廻るツアー中のこの出来事でしたが、”三波春夫が、お客様神様だと言う面白い場面があるよ”という評判がすぐに広まり、各地の主催者さんから「あの場面、必ずやって下さいねお客様も待っていらっしゃいますから」と言われ、連日この2人のトークの場面をやらなければならなくなった、というのが真相です。

2022-07-22

統一教会じゃないけど親が新興宗教にはまっていた話

宗教二世と言う単語が俄に話題になっており、そう言えば私もそうだったなと思い、なんとなく当時の思い出を振り返りがてら

父親がはまっていた崇教真光について記そうと思う。今までROM専だったので、至らない所があったら申し訳ない。


崇教真光との出会い、並びにどういった宗教であったか

かい時期は覚えていないが、確か小学校にあがったあたりで父親が入信。

ある日いきなり家族を車に乗せて連れて行かれたのが西千葉にあった真光の道場(真光は支部道場と呼ぶ)であった。


崇教真光と言うのは、神道系の流れを汲み、基本は教祖のもと真光大御神と言う神様を祀る新興宗教で、

一番の売りは、御神霊(おみたま)を言うものを装備して手を3回たたくと、手から目に見えない光が出て、

その光を当てると病気は治り食事は美味しくなり機械は治り悪霊は退治できると言う物であった。


この御神霊は初級中級上級などのランクがあり、初級はたしか5万円だか7万円だかを払い、

3日間泊まり込みの研修を受けたら誰でももらえるヒノキの棒のような物であった。

私も小学校2年か3年の時に受講させられてゲットした覚えがある。普段ネックレスのようにして首からさげ、

胸元に御神霊を入れるポケットがある専用のシャツを作ってそこにしまっていた。

から外す時は、水に濡らすなとか心臓より低い位置においては行けないとかなんか細かいルールがあったけど忘れちゃった。


とにかくこれで御神霊をゲットした者同士でお互い手かざしをして、病気煩悩などの悪いところを祓う修行をする場

と言うことで道場と呼ばれているようだった。


手かざしをする時の流れは、暇そうな人が集まる待機所に行き「すみません、○○をお願いしてもいいですか(なんて言ってたか忘れった)?」

と聞いて了承を得ると、二人で道場に行き、まずはお互い正座をして向き合って座り、

祝詞をパクったような呪文を唱えてから額に10分間照射するのが始まりだった。


その後は後ろをむいて肩首、うつ伏せに寝て背中腎臓のあたり、足裏の順で指圧をして硬い所を見つけたらしばらく手かざしをすると言う流れで、

体が軽くなったと喜ぶ人も居たが、たぶん指圧効果だったと思う。

たまに父親がなんだかんだ理由をつけて若い主婦の鼠径部あたりを執拗施術?してたのは今思うと普通に痴漢セクハラの類だったんだなとは思う。




■真光との付き合いや家族の事

宗教との出会い上記の通り。典型的モラハラDV親父だったため、母親を始めとして兄2人と妹を含めた4人兄弟は誰も逆らえずに入信。

定期的に道場に行っていたが、おそらく父親含めて誰1人信仰心から行っている者は居なかった。

逆らったり不満を漏らしたりすると、分厚いガラスの灰皿やゴルフクラブが飛んできたり、良いと言うまで正座もしくは町内をランニングなどさせられた。

母親は朝から晩まで会社で無給の事務員をやらされ、空いた時間道場いかされ、家事をやるものは居なく家の中は荒れ放題であった。

やっていた時期は自分小学校1年から6年生ぐらいまで


おそらくは父親自身さびしさの穴埋めと承認欲求のために家族全員入信と信仰を強いられたのだと思う。

「○○さんのお家はご家族ですごいのね」

今思うと全てがこの一言をもらうためにやっていたように思える。


例えば真光では、体調を崩して熱が出るのは体の自然状態なので、なるべく解熱剤などを使わないようにし、

手かざし自然治癒で治そう。ただし本当にやばい時はちゃんと使わなきゃダメだよみたいな教えがあった。


これを先の一言をもらうために、熱が41度出ようが右足に古釘がささって切断寸前までいこうが家族病院と薬の使用禁止し、

無理やり病院に連れて行ってくれた先生を呼びつけ罵詈雑言を浴びせ殴るけるをし、自身経営する会社の金を横領

道場に高級車や多額の献金をし、子供学校を休ませて道場にかよわせ、真光一の子供が集まるキャンプに参加させ、

岐阜総本山での大集会に参加させてってここまで書いて思ったのですが、宗教と言うか父親の話ですねこれ。



これだけでは何なので、普段道場での過ごし方について少々


大体土日ともに朝6時ぐらいに起こされて父親の車に乗せられて道場に連れて行かれる。

この時献金用(なんかお金を紙につつんで2礼2拍手かなんかしながらうやうやしく神前に置いていた記憶が)の100円と

昼飯代などを渡され、妹と二人でおいて行かれる。

母親会社につれていかれて無給で仕事の残務処理を、父親ゴルフなどをしにいっていた。

父親目的は「○○さんのお子さんは熱心ですごいわね」と言われる事で、

信仰心を満たすためでは無かったためこれはすごく理にかなった行動だと思う。


そして私と妹は、道場内にある託児所のような場所で、布教用の新聞を折る内職をしたり、信者同士で手かざしをしたり、

マイッチングまちこ先生の絵の人が書いた布教用?の漫画を読んだり、道場長(支部長)が幹部候補生(無給で道場雑務を処理する青年奴隷)に

パワハラしてるのに怯えたりしながら、ゴルフ帰りの父親が迎えに来るまで時間を潰していました。


当時の数少ない娯楽で楽しみにしていた事が2つあり、1つ目は手かざし中にたまに憑依した霊が手かざしの光を嫌がると言う設定で、

普通のおばさんが「ワシは武士だ!」とかいい始めたりする突発イベントだった。私は2回しかたことが無かったが、

最初は「まぶしい!やめろ!」とか言って目をつぶったまま光を避けようと抵抗してたが、

最後は「あたたかい…」とか言いはじめて最終的にはなんかお礼とか言ってた。

もう1回はなんか頭揺れてうーうー言ってただけ。今思うと後者寝不足な人が眠気に抗ってただけなのかもしれない。


もう1つは布教(?)に連れて行かれる事であった。これ自体面白くもなんとも無かったが、外に出られるってだけで嬉しかった。

主婦が5人1組ぐらいのPTをいくつか組んで、ワゴン車で移動して死亡事故があったところを皆で手かざしをしたりしたのだが、

たまーに「手がピリピリする!」とか言う人が出てくると、そこにどうやら成仏できない霊がいるみたいな設定で皆で集中砲火をするのが面白かった。

その浄化作業の後は阿佐ヶ谷姉妹玄関開けると居る人たちってネタそのままの行動をしてた。


これのために子供会の野球もやめさせられたし、友達全然遊べなかったのが辛かった。


当時一番嫌だったのが、金曜日から日曜日にかけて行っていた総本山での大集会(なんか名前がついてた気がするが忘れた)。

金曜日の夜に背もたれを倒せない古いバス10台ほどに分乗して千葉道場を出発し、皆で寅さん映画などを見ながら金曜日の夜を過ごし

土曜日の早朝に岐阜総本山へ到着。全国、というか外人さんのために通訳とかもあったからおそらく世界中から数ヶ月に一度ここへ集まり

手かざしのおかげで病気が治った、事故にあわずにすんだ、なんかしらの災いから逃れられたなどの今で言う嘘松体験のような物を

泣きながらやる発表会や、ありがたいお話を聞いたり、青年会かなんかの歌や踊りを見たり、みんなでお祈りをささげたりしながら、

集会1番の売りである教祖様手ずから信者に向けての一斉手かざし(※通常は1on1でやるものだが、教祖様は凄いので大ホールに集まっている

全員に一斉に、しかも両手で光を浴びせることができた)を受けて良かったねと言ってまたバスで1晩かけて帰る。

2夜連続で狭く揺れるバスでの宿泊は車に乗ると確実に酔う私には拷問に等しかった。マジで2晩中吐いてた。


たこ集会にはアントニオ猪木をはじめとした国会議員が数名来ていた。その他芸能人も何人か来ていたが、覚えているのは丹波哲郎のみ。

大霊界とか言う映画撮影総本山を使ったらしい。

小学校低学年だったため、子供でも知ってる猪木と、映画を見させられた丹波哲郎以外は名前を知らなかったし覚えていない。

全国から岐阜に集まっちゃうぐらい言う事聞いちゃう信者に顔を売ると言うのは、政治家や人気商売有名人にとって計り知れないメリットがあるんだろうね。

教団側も内外への広告塔として利用価値あるし、統一教会政治家がずぶずぶなのも何を今更としか思えなかったし、

参加している芸能人はともかくとして、政治家がどこまで本気で信仰しているのかは怪しい所だと思う。



■その後というか話の締めくくり的な物

父親はその後、思春期を迎えた兄2人を暴力支配できなくなり、母親には小学生だった私と妹を連れられて離婚され、

会社銀行没収され、すっかり存在を忘れられていたが、数年前に膵臓がんにかかり長男に会いに来た所、玄関の扉も開けずに追い返されたとの事。


とっぴんぱらりのぷう



追記

読んでくれてありがとう自分の中ではとっくに整理がついてたつもりだったけど、改めて文章にしてみると無視してただけで

100%飲み込んだわけじゃなかった感情とかが見つかって良かったと思う。

全部じゃなくて申し訳ないけど、いくつか適当に返信を


最後ググったけど秋田の話?

上には書いてなかったけど、私が小学2年生の時に母親に連れられて秋田に逃げた事があった。

その時は確か3ヶ月ほどで見つかり連れ戻されたんだけど、そこの児童館かなんかで聞いたフレーズでやけに記憶に残っていた。

当時は個人情報にそれほどうるさくなかったから、学校への問い合わせで見つかったっぽい。

その失敗を踏まえて数年後にまずは母親が単身で家出して、生活基盤を整えてから私達を迎えると言う計画に出たが

場所計画などがバレないように私達には内緒にして行った物だから、妹と2人でお母さんに捨てられたと絶望したのはまた別の話。

(※兄2人は知らされていた)


崇教真光勧誘には会ったことないけど、勧誘に連れてく子供他人の子供だった(そういうケースもあった)というのは新鮮な驚きだったわ

勧誘基本的主婦積極的に狙ってた。主婦を釣ればほぼ確実に子供がついてくるし、財布を握っているケースも今より多かったからだと思う。

結果として託児所みたいなところがあって、そこに子供を預けて行くシステム千葉道場にはあった。他の道場宗教はわからないけど

どんな宗教でも主婦を狙うのは基本っぽいから、似たようなケースはあると思う。


経営者の親父は親父で経営者同士の会合とか政治家もいる会合とかで出会った人間に言いくるめられて入ったんだろうな

これはわからないけど、私個人見立てとしては、めちゃくちゃお金を稼いで社会的には成功したのに人に好かれない寂しさからはまったんだと思っている。

でもさ、反対意見を言った社員を角材でぶん殴ったり、泣き止まないからって理由子供を3階のマドから吊り下げたり、雪の降る夜に裸で追い出したり

高速道路に捨てていったり、今だったら即懲役になるような事をやるような人が自分を変えないまま新たな居場所を見つけようとしても、嫌われたり避けられる体験が増えるだけなんだよね。

離婚以降は真光をやめて新興宗教転々としてたって噂に聞いた。


>結局、信仰宗教って最強の弱者ビジネスに思える。経済的身体的、精神的な弱みに漬け込みお金と人を集め、それを目当てに寄ってくる人間を利用する。

これはめちゃめちゃ居た。ガンなどの医師からさじを投げられた人たち、今思うと自閉症だったんだなって人のご両親が熱心にお祈りしてた。あと家庭内不和あたりは本当に

石を投げたらあたるぐらい居た。上得意だったと思う。日常解決できない問題の救いを求める場所って言う意味では良いと思うんだけど、

割りと強引な勧誘がね…。


2020-11-05

中学生一年かの昼休みクラスの後ろの方で、男どもが盛り上がって誰かを胴上げしていた。

楽しそうだったので僕も無邪気に参加したあとに訳を聞くと、どうやらクラス加藤くんが女子告白して成功したらしい。

めでたい事だなあと感心していたら、どうやら相手女子は僕の右隣の席にいる神前さんらしく、加藤くんは僕の左隣の席だったようだ。

まり僕の席はできたてホヤホヤカップルの間に挟まれる形になっていた。

その奇妙な構図はクラス中の注目(胴上げするほど騒いだから誰でも知ってる)を集め、僕は周りの目線にとても恥ずかしい思いをしたことをよく覚えている。

からの熱い視線に緊張する僕は、とにかく加藤くんの怒りを買わないように、隣の神前さんは丁重にお取り扱いをすることに決めた。

神前さんは僕の班の班長で、一本気でハキハキした明るい女の子だった。

儚く守ってあげる存在ではないが、勉強は得意でないようだったので親切すぎるほどに優しく教えてあげた。

すると大変素直に感謝されるので、なるほど加藤くんも好きになるのは分かる、僕は好意を寄せるようになった。

とはいえ、当時僕は好きな女子別にいたし、人の彼女なので何かしようと言う気はなかったんだけど。

それでも最初は緊張で吐きそうだった座席で過ごす日常はとても楽しい毎日に変わっていった。

そんなこんなで数ヶ月経った頃、神前さんは親の都合で遠くに引っ越すことになった。

最後の当校日、彼女クラスの全員に手紙を書いて配ってくれた。

数十人いる全ての男子女子当てなので、班長をやるくらい真面目な神前さんらしいなと思った。

ただそれだけいると、中にはテンプレ文の手紙をもらう子は多かったらしい。

しか特に仲がいい子だけには新しい家の住所が書かれていたそうだ。

僕の手紙には感謝の文面と住所が書かれていた。

友達からも住所が書いてあっただろ?と指摘されて、周りから見てても僕らはそれなりに仲良しに見える関係だったんだとこのとき初めて自覚した。

なお彼氏立場である加藤くんの手紙に何が書いてあったかは知らないし、僕としても神前さんと特別な別れはなかった。

ただ手紙の内容にテンプレ要素は一つもなく、彼女に取って僕は有象無象の一人ではない存在だったことは充分に分かった。

神前さんとの思い出はこれで終わりだ。

もらった手紙最後には新しい住所に連絡をちょーだいねとあったが、シャイボーイの僕は結局何も送ることはなかった。

ケータイとか中学生が持てる時代じゃなかった)

そして、その事を後悔しながら、後から何度も手紙を読み返してはクネクネする人生を送ることになる。

途中で転校したこと神前さんの写真卒業アルバムにも載らず、姿形は僕の頭の中でぼんやりしか記憶しか残っていないが今でも大切な思い出である

2020-09-28

anond:20200928114128

自由だけど神前での誓いを破る人なのねって国民に思われちゃうよね。

2020-03-30

anond:20200330021252

これは、かなり格好よく編集してる安来節だと思う。本来安来節は、この1.5倍遅い。

この路線が好きなら、吉田兄弟三味線もいけると思う。

三味線は、もう一人有名になった人がいた記憶あるけれど、忘れた。

尺八でも有名な人いた気がするけれど、忘れた。

ちょっと変わり種で、元修験層で修行の一環として学んだというひちりき奏者の人が居る。

この人の神前に捧げる演奏は、目に見えない物を呼び寄せるから面白いよ。周りの人もうわっと反応してた。

神田明神お祭り奉納の一つで参加してたけれど、情報が出てこないや。

2020-02-15

anond:20200215141536

真っ赤に焼いた斧の刃を素手で持って落とさずに境内を歩いて神前三方に乗せたらOK

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