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はてなキーワード: 徒競走とは

2018-10-26

anond:20181026190435

いや上手いやつを活かして勝つためのやり方を覚えるのもスポーツのうちだろう

徒競走全員1等賞みたいな世界をお望みか

2018-09-23

運動会徒競走で毎回最下位だった私に追い抜かれて恥ずかしくないの

街を歩いていても私より速い人滅多にいないんだけどどういうこと?

2018-08-31

横綱はいるのに縦綱はいない

中島みゆきも「私は横になるからお前は立て」って言ってるし

縦割りの社会はクソ、徒競走はみんな横並びに、って人が言うし

日本人は縦に憎しみを抱いているのかもしれないね

2018-08-20

Mr.インクレディブルを見ていると悲しい気持ちになる

今日風邪で早退した。

タオルケットにくるまって、鼻水をすすりながらネットぽちぽちしている。

怖い話読んで怯えてみたり、

美味しいカルボナーラの作り方を調べてみたり、

最近流行りの映画は何かと調べて見た、特に意味のないことをするのが最高に楽しい

くだらないこと is 人生

ピクサーMr.インクレディブルの続編が公開中らしい。

家族愛テーマに据えたこ作品はそこそこ好評のようだ。

Mr.インクレディブルという映画が、私はあまり好きではない。

嫌いというわけではないけれど、苦手だ。

世の中には、特別な人とそうでない人がいるんだよ。

そういう風に言われている気分になるからだ。

それっぽい言葉で言うと、選民意識ってやつかもしれない。

私がこの映画を見たのはまだ小学生の頃のことで、当時そんな言葉は知らなかったけれど。

前評判も妙なすりこみもないまっさら状態で見て、作品中に流れるそんな空気を感じた。

このことを誰かに言ってもあまり共感されたことはない。

両親に言うと、「はいはいあんたは特別人間だよ」とテキトーに返された。

例えば、保険会社で働くボブは神経質な上司に悩まされ、鬱屈している。

スーパーヒーローだった輝かしい過去を忘れられない。

俺はもっとすごいやつなんだ、こんな身分自分にふさわしくない。

じゃあ、彼の言う、こんな仕事しかできない普通の人たちはいったい何なんだろう。

若い頃、ボブは自分ファンである子供シンドロームを無下にした。

そりゃあ、危険仕事最中だし、仕方ないと思う。

しかし、私には、普通の人が特別な人に並び立ちたいと願ってはいけない、と言っているように見えた。

その後、それが遠因となって大問題となったあとでも、後悔する様子もなければ、謝ることもない。

それから、最終盤、「ゆっくり」走って徒競走で2位になるダッシュ

私が1位の子だったら、妙な手加減されてすごく嫌な気分になると思う。

そもそも、この映画におけるスーパーヒーロの行動原理は良いことをしたい、家族を助けたい、ではなく能力を思う存分使いたいであるように見える。

それは人として当然の欲求かもしれない。特別な力や才能を持つ人は得てしてそう思うものなのかもしれない。

でも、その様子が、「俺は一般人とは違うんだ。こんなやつらとは一緒にしないでくれ」というように描写されると、一般人たる私は何なんだろうな、と悲しい気分になる。

今作におけるヴィランであるシンドロームスーパーヒーローとしての能力を持っていないことも印象的だ。

訴訟を起こし、ヒーロー引退きっかけを作った人物もそうだった。

彼らヒーローたちにとっての敵は、常に好意的でない一般人たちだった。

私は、自分特別人間ではないという自覚がある。

あの物語に私が登場するのだとしたら、すっ転んでモンスターから逃げ遅れたところをヒーローに助けられて、ありがとう!さすが!すごい!という役どころだと思う。

もしくは、冴えない保険会社オフィスにぴったりな冴えないOL

シンドロームにすらなれないだろう。

この映画好きな人自分のことを特別だと、スーパーヒーロー側の人間だと思っているのだろうか。

そちらの方が健全なような気もする。

うがった見方だろうなとも、私が卑屈すぎるだけとも思う。

じゃあ、どういう展開なら納得したんだ、と言われても答えることもできない。

ただ、なんとなく悲しいなあと思う。

2018-06-29

「娯楽や芸術に優劣はない」という考え方がわからない

まず前提として、「客観的」にどれが優れていてどれが劣っているかを「論理的」に「科学的」に論証することがほぼ不可能だということは認める。

問題はそういうことではなく、個人主観的評価の中で本当に優劣はないと言い張っていいのだろうかということ。

ゲームが好きなオタク自分の大好きなゲームが本当にペタンク現代芸術と同じ価値だと思っているんだろうか。

ゲームオタクは当然のようにペタンク現代芸術を下に見ているだろう。それが個人の中での優劣ってものだ。大好きなゲームペタンク現代芸術なんかと同じわけがない。同じなのであればゲームだけやってるのではなく、いろいろな趣味を探すだろう。あらゆるもの無意識のうちに順位をつけているかゲームを最優先する人生を送っているわけだ。

「娯楽や芸術に優劣はない」と言いながら、自分では明らかに順位をつけている。なぜこういう発言が出てくるのか。これは結局劣等感から来ているのではないだろうか。

たとえば世間で高尚とされる趣味を持っている人はいちいち「娯楽や芸術に優劣はない」などとは言わない。こういう発言をしているのは大体オタクだ。

オタクは「娯楽や芸術に優劣はない」と発言することによって、低俗と見られがちな自分趣味世間で高尚とみなされている趣味が同じ価値だと主張しているわけである。つまり相手価値毀損することによって相手自分と同じところまで引き摺り下ろすということをしている。

「どれも娯楽だろ」「娯楽に優劣なんかあるかよ」ともっともらしいことを言って、すべてを自分レベルに落として均質化しようとする。

オタク教養がないのでこういう理屈で満足なんだろう。それに芸術に親しんでいる人たちもいちいち世の中の娯楽を批判して敵を作るようなことは積極的にはしない。

芸術に親しんでいる人たちは理論勉強しているか芸術もわかり、かつもちろん娯楽もわかるが、一方でオタクは娯楽しかからない。オタクは娯楽しかからないのに、その価値観で芸術酷評して「優劣はない」などと言っている。

要するに自分たちの理解できないもの理解する気もなく批判している。

こういうオタク自分は賢いと思っているのを見るたびにとても滑稽だと思う。

「娯楽や芸術に優劣はない」などと言いながら多様性理論理解する気もない。主張の意図としては相手理解せずに理解する気もなく自分と同レベルと言い張るという自爆行為である自爆行為でありながらプライドだけは高く、むしろ自分趣味こそ至高だと信じている。

そういう謎の生命体がオタク

「娯楽や芸術に優劣はない」という言葉オタク他人と同等になれる魔法なのだ。「お前らも俺と同じだろ」というわけだ。

オタク競争のない世界が好きらしい。ネトウヨでありながらも、徒競走でみんなで一緒にゴールという価値観をあわせ持っている。自分に都合の悪いところは競争しない。

そんな世界にはもちろん創造性もないわけだが、オタク向けコンテンツを見ていると、それもそうかと思ったりもする。

2017-07-28

父の新しい趣味

昨年、父が定年退職した。

父は40年以上ずっと運送会社で働いていた。趣味も車で、休みの日は必ずドライヴテレビも見ない、本も読まない、ネットもやらない。昔はよく料理をしてたけど、今はぜんぜんしてない。

学生時代映画監督になりたかったらしい。だからだろうか、私が小さいころはよくカメラを持ち歩いていろんなもの撮影しまくっていた。8ミリハンディカム? くわしいことはわからない。とにかくビデオカメラで何でも撮ってた。旅行運動会七五三etc

でもいつしかそれもやめてしまった。それからは車一筋。ドライヴけが人生って感じだった。

私は父が心配だった。そんなんじゃボケちゃうよ。それにいくら車が好きだからって、もうなるべく運転は控えて欲しい。年なんだから

父はひとりで暮らしている。母は私が2才の時に癌で亡くなった。それからずっと父娘で暮らしてきたが、私は3年前に26で結婚して家を出た。

私は父にノートパソコンプレゼントした。父が車以外のことで時間を潰せるようになればいいなと思って。オンライン将棋なんかを勧めてみた。それが半年前。

で、驚くべきことが起きた。父がパソコン動画編集にはまってしまったのだ。

映画青年の血が騒いだのだろうか。父は短期間に相当な知識技術を身に付けていた。

スポーツカー ベスト10』なんていう2分ぐらいの動画を作ったりしてる。ランキング形式で車の映像が流れるのだ。

その車の映像、どうやって手に入れた!? BGMもついてるし、解説テロップも入ってる。文字がボヨーンと飛び出したりして。すげー。

いやー、よかった。これで老後の趣味ができたねー。

なんて、安心してたのも束の間。

なんと父は私の小さい頃の映像編集し始めたのだ! ねえ、その古いテープ達、どうやってパソコンに取り込んだの?変換とかできちゃうもんなの?とんでもない機材とか買ってない?大丈夫?散財してない?

その手の知識が全くない私はとにかく心配心配で。こんなことは簡単に出来ると父は言うのだけれど。本当だろうか?

そんな父から、先日、DVDを渡された。なんとそれ、私の思い出ムービーだっつうじゃないですか。いやあ、さすがに身構えた。

で、観たんですが、これがかなりぶっとんでまして。。よく言えば前衛的。はっきりいうと、めちゃくちゃ。

映像はいきなりビデオレター風に始まる。どこかの山の登山口にひとりで立つ父。カメラの前でぎこちなく笑いながら手を振ってる。テロップが出る。

なぜ高尾山!? どういう意図があるの?しかもこれ、三脚立てて一人で撮ったの!? 松居一代スタイル!?

父が私に呼びかける。

  • 覚えてますか~、ここは大昔に君とふたりで来た山です!

そうだっけ!? ごめん、覚えてない。。あ、でもなんか、すごく小さい頃、山の中でゴンドラに揺られたような記憶が、あるような無いような、、あれが高尾山

そこでなぜかBGM

永ちゃん!?なぜそのチョイス!?明るい山並みとぜんぜん合ってないよ。。完全に夜景向きの曲じゃん、、、

映像が変わり、実際に私が緑の中を歩いてる場面が流れる。すごくちっちゃい。たぶん幼稚園のころだ。何だかぐずっている。カメラの奥から父の腕がにゅっとのびて、私を抱き上げたところでフェードアウト

今度は私が運動会で走ってる映像が流れ始める。

これは良かった。なんと幼稚園から小学校5年までの私の徒競走映像ちょっとずつ繋いであるのだ。(ちなみに6年の時は休んだ)

走りながら成長してゆく私。たまにスローになったりして。かっこいいじゃん!BGM爆風スランプじゃ無ければさらに良かった。次から音楽担当は私にやらせて。

そっかー、父は毎年、私が走るところを必ず撮ってくれてたんだね。

そのあとも、七五三海水浴さくらんぼ狩り学芸会、お誕生日会と、まあ懐かしい映像が次々と。知恵熱が出そう。

さて、問題はここからですよ。再びカメラの前に現在の父が登場。

なんと私が小2の時に書いた手紙カメラの前で読み上げやがった!

完全に松居一代じゃん! 暴露ノート的なやつじゃん!もしかしてオマージュ!?影響受けたの!?

しか手紙文章テロップに起こして、ピアノBGMなんかつけちゃって、映画エンドロールみたいにして晒すという、、、まさに鬼畜所業。。

  • パパへ

おたんじょうびおめでとう

パパのオムライスが好きです

ごはんを食べるとき

パパはおもしろいはなしをたくさんしま

わたしケーキ屋さんになったら

たくさんケーキをたべてね

食べ物の話だけかいしかもこれ、テロップにする意味ある!?

ビデオはここで終わる。いやー、すごかった。いろんな意味で。

手紙、ずっと持ってたんだね。

私、ケーキ屋になりたかったんだなあ。ケーキ、作ってみるか。よし、今度作って父に食べさせよう。

代わりにオムライスを作ってもらおう。あれはね、世界一うまいんだ。

2017-07-02

徒競走で手を繋いでゴールするのが非難されるのは

ちゃんと順位をつけることで、子供に勝ち負けとか、体力・能力の差とか、思い通りにならないこともあるとかそういうことを教えるためだと思ってたんだけど、それだったら車イスの人も思い通りにならないことがあってもしょうがないとはならないのか

2017-05-17

中学高校の頃の記憶ほとんどない

気がつけば25歳になっていた。今まで小学校中学校義務教育を経て高校大学へ進み、今は就職して働いている。

仕事をしている時や、ふと何気ない瞬間に中学高校の頃を思い起こそうとするのだが、ポッカリと穴が開いてしまっているかのように記憶が無いことに気がついた。

正しくは、要所要所の嫌な記憶はあるのだが、楽しかったエピソード自分がどういう人間だったのかという記憶が無い。

成人式の時「増田雰囲気が変わったな。落ち着いた」と言われた。

中学校の頃のこと覚えてる?ほら増田は○○してたじゃん?」と言われたが、全く思い出すことができなかった。

皆は、私の覚えていない思い出を共有していて、しか本来であれば私もその記憶を共有しているはずなのだが、私にはそれができず、大変モヤモヤした。

高校同級生と久々にご飯を食べたときも同じような経験があった。

皆は私のしらない私を知っていて、私はそれが本当かどうかもわからない。

そのくせ、保育園児・幼稚園児の頃の記憶は残っていて、私はそこから置いてけぼりを食らっている気持ちになる。

庭で押し車を押していた記憶火遊びをして怒られた記憶徒競走女子に抜かれた記憶

幼稚園記憶は鮮明なのに、それよりも後の時系列である中学高校の頃の記憶が不鮮明というのは、何なのだろうか。

原因を考えたが、別段目立った原因のようなものは無い。

人間記憶力は不思議ものだと思うし、皆は実際どれくらいのことを覚えているのかが気になったので、増田ポスト

2017-03-23

昭和の頃ってまだサッカー普及してないよ

http://anond.hatelabo.jp/20170323113641

そのゴールインってサッカーのゴールじゃないでしょ。

徒競走マラソンのゴール到達を指すんじゃないの。

フォワードとかハットトリックとか持ち出されても。

2017-02-24

左に寄りすぎたところに右により過ぎた物が来ると発狂する

話題になってる某小学校土地問題

実家の近くなので今度あそこにできるんだなと以前から知ってました。

それもかなり右よりだなと。

ちなみに豊中市公立学校北部セレブですが、南部DQNの集まりですw

もっというと日教組無駄に強い。

ン十年前の話ですがとあるサイトを見る限りあまり変わってないのかw

http://www5.plala.or.jp/ysk/kimigayo-toyonaka.htm

http://mid.parfe.jp/kannyo/onbudtoyonaka/katu-hou/H14/H14-6-H13-sotu-tyou-seimei.htm

これ以外に経験したものとして

入学式卒業式日の丸なし、君が代歌った記憶なし

音楽教科書最後のページはプリントを貼るように指示される

小学校修学旅行広島でなぜか公園以外にあるとある慰霊碑の折り鶴まで作らされる

 というかそっちがメイン(ry

夏休みの登校日は大体8月6日原爆関係映画を見せて感想文を書かせる。

通知表評価安心の二段階

運動会徒競走順位付けなし

道徳の名ばかりで授業がない。というか「にんげん」という怪しい本を使った授業になる

 なのでこの辺の子どもは道徳意味を知らない

・というかなぜか授業中にチマチョゴリコスプレやらせ

中学校受験しようと思えば全力で圧力がかかる

歴史近代史だけ無駄に力が入る

高校受験学力が高いかよほどの強い意志がない限り特定学校受験しかさせてもらえない

・その指定された高校には毎年教師が視察にやってくる

成人式になると市民会館の前で日教組の旗を持って突っ立ってる

覚えているだけでこれだからもっと思い出せば沢山あるはず

そんなところに正反対思想を持った学校が来るとなれば

ご近所の選挙区同胞の有名政治家予算委員会サボってでもすっ飛んできますよw

自分場合不幸中の幸いだったのが中学3年間のうち2年が退職した爺さん講師(今思えばバリバリ保守思想)に当たることが多かったので

日教組洗脳を受けず済んだっぽいw

2017-02-15

http://anond.hatelabo.jp/20170214154857

半身不随の人「私は徒競走をしてはいけないのか?佐川急便配達仕事はできないのか?」

流行ネタに乗っかった寒い阿保が煽ってきてるけど

俺は元増田のいってること置き換えてるだけだから

何かがおかしいならそれは元増田おかしいか

2017-02-09

過疎化の進む田舎運動会はこんな感じだったなーという覚書

・小中合同など、数校が合同で実施、それでも人数が少ない

兄弟姉妹がいる家庭が非常に多く、観覧にくる世帯数も生徒数全体の半分程度

・全体的に時間稼ぎがひどい

・入場行進で運動場を3周、退場時も2周、合同開催でも校庭1周分に児童生徒全員がおさまってしまうが故のサービス周回

・開会/閉会時のPTA会長あいつの持ち時間が1人15分もあって各校の会長が頭を抱える、長いので子供は全員座らされる

・入場行進とは別に集団行動が出し物として存在していて、マイク越しの指示に従って右向け右とかをしばらくやらされる、通称北朝鮮ごっこ

騎馬戦組体操などが人数的に実施できなくなり廃止

・代わりに男女を分けずに全員参加できそうな盆踊り的なものや新種目が導入される

ムカデ競争の1チームの人数が3人だったり、綱引きが5人1チームだったりと各競技が小規模

・メインレース徒競走は2人ずつ走るタイマン

・走る前に1人ずつ名前プロフィール、意気込みコメント付きの入場アナウンス、走った後は1組ごとに金銀メダルの授与とインタビューで細かく時間を稼ぐ

・学年によっては徒競走とは別に、違う名前のついた徒競走もある、BGMと開始前に世界観説明するために小芝居があるのが相違点

競技の合間には各陣営応援イベントが細かく挿入される

・記録が伸びるほどに時間が稼げるので大縄跳びの練習が妙にスパルタ

運動が好きでもあまり楽しくはなかった

2016-10-13

人間将棋やる意味マジで失われると思う

バイクの方が早いからといって徒競走はなくならない」というのをよく聞くけどこれは詭弁だよね。

バイク人間が上に乗って動かす乗り物だしそれを操縦する人間スペックで旧式でも新型に勝てたりもする。

でも将棋マシーンと人間関係は同じ「将棋」という乗り物をどう動かすかを競争するものなんだからどっちが「乗り手」として優秀かが否応なく比べられる。

今はギリギリ人間が勝ってると言えなくもないか問題が大きく顕在化していないだけで、すぐにバイク徒競走詭弁では誤魔化しきれなくなるよ。

2016-08-31

http://anond.hatelabo.jp/20160831215217

先日の相対的貧困の話もそうだけど

徒競走で手を繋いでみんな一緒にゴールとか

みんな平等みんな一緒の価値根付いてるなとは思う

2016-01-26

ゆとり世代徒競走で手をつなぐ」っていう皮肉あったろ

俺25歳でゆとりど真ん中なんだけど、あれみんな勘違いしてると思うんだ。

徒競走で手を繋いで一斉にゴールというものを”競争をしない、好まない”ことの象徴とする人が多いけど、

本当は競争がなかったわけではなく競争が表面に出なくなって何をやっているのかわからなくなっていったんだと思う。

徒競走って全員参加じゃないのよ。各々どの種目に出るのか事前に決めておく。

運動会のなかで徒競走は目玉の一つであり、おのずと志望者と定員の倍率は高くなる。

体育の授業を使っての選考会や学級会で割り振りを決めるわけだけど、

当然でそこで強い権限もつのは運動神経の良い者やクラスの中心人物である

徒競走なんて皆に注目される場には綺麗なスターしかでてこないの。徒競走に参加していることそのものが勝利だった。

そして旧世代では徒競走のビリになっていただろうタイプといえば、校庭の隅で走り幅跳び砲丸投げを行っているんだよ。当然誰も見ていない。

配点にも競技で偏りがあって、走り幅跳び砲丸投げなんて勝っても微々たるもので全く存在感なんてない。

めちゃめちゃ練習して体育でいい成績残したって、学級会で支持を得られなければ結局選ばれない。

運動会のものが一つの競技で、それは他人自分を認めさせるという頑張り所がよくわからない戦いなんだよ。

世代での敗者はそれでも注目はされた。マラソン大会ハイライトにビリの巨漢がくるように。

ゆとり世代の敗者は黙殺されてたんだよね。いじめなんかで騒がれることあるけど村八分になって不登校ってパターンがやはり多かったと思うよ。

2016-01-12

http://anond.hatelabo.jp/20160112205258

皆が見てるものを見ておけば

皆の話題についてけ無いし、営業先で話の種にも出来るだろ。

それに徒競走でも学校試験でも、ランキングを付けるのは当然のことだろ

2015-10-12

運動会

最近はてな民組体操を叩くのに必死だけど、こんどはムカデ競争か。

そんなにみんなでおててつないでゴールするような徒競走とかがみたいのか。

そもそも運動会に行く機会なんかあるのか。子供いないんだろどうせ。

2015-10-10

根元的な自信の不足

自分でない誰かになれば、社会的に認められると思っていた

なぜなら、自分は認められるべきに値しない人間であり、自分でない人全ては社会的に認められているからだ

から自分が言いたいことではなく、認められそうなことを言ってきたが、もう見破られていたらしい

カウンセラーには「『こう言えばいいんでしょ』という気持ちで言っている」と見抜かれた

「言えばいい」や「言えば評価される」ではなく、あえて「言えば『いいんでしょ』」という言葉を選んだのは、僕がその言葉を発すれば認められるとは本心では思っていなく、就活生という立場から、言わなければならないという僕の投げやりさを見抜いた上での言葉だったのだろう

何にしても成功すればまぐれ、失敗すれば自分のせいと自分を厳しく律してき(いじめ抜い)たツケが、根本的な自信の不足として回ってきた

小さい頃から劣等感を探していた

同学年の姉と弟を見て、普通なら彼らのように友達を多く作り、徒競走で1~2位になる程度の運動ができ、算数ができ、家に帰ったら毎日友達の家に遊びに行く、ものを無くさない、それが全部できてない僕は普通ではないと

他のことに注力したって、ますます普通ではなくなるんだから劣等感を埋めるはずはなく、後ろめたい気持ちが広がった

このようなスペックふたりに劣る僕は、親の言うことに従うことしか生きる道はないと思っていたのだろう

習い事だって学校だって、行きたくなかったって行かなければならない

習い事行きたくないと騒ぎながらも連れていかれる姉と弟の横で、僕は自分意思なんて必要ないんだ、無駄なんだと思った

家で親に従わないと生殺与奪の権にかかわるので、そっちに全振りし人間関係を疎かにしたツケがまわってきている

本当なら一秒でも早く自室で横になりたいだけなのに、他人に認められようとすることが間違っている

2015-07-22

運動会の思い出

なんか地区だかなんだかの運動会の練習みたいなのをやってるのを見かけたので。

子供の頃住んでいた田舎では小中9学年あわせて200人いくかいかないかぐらいだったからなのか、敷地が隣接してたからなのか、運動会が小中合同だった。

小学生の時から中学生の出し物を見ているので、自分中学生になったらああいうことをやるんだろうと漠然と思っていたら、

自分中学に上がった年から少子化の影響とやらで出し物が変わった。

中学男子が毎年やっていた騎馬戦が消えて、中学女子が毎年やっていたその土地に伝わる謎の盆踊りっぽいダンスも消えた。

自分は体が同学年男子の中で群を抜いて小さかったので、騎馬戦で担ぎ手にはならないであろうことが予想できていたのもあって、

珍しく目立てるぞ、と割と楽しみにしていただけに、プログラムが決まった時は結構凹んだ記憶がある。

他にも、全員参加の徒競走では、一組の人数を4人から2人に減らして露骨時間を稼いだりしていた。

今思えば、半日ぐらいの時間をもたせるだけの出し物を考えるだけで教師陣も大変だったんだろうなー、とは思う。

でも、だからって、5つしかない強制参加の部活ユニフォームを着て練り歩く、部行進とかいう謎の出し物で

30分近くひたすら校庭をぐるぐる歩いたり並んだり止まったりし続けるのはどうかと思うけれど。

しかも「集団行動」という出し物も別であって、そっちもクラス別に先生の号令に従ってひたすら行進したり回れ右したりするっていう……いったい誰が得するんだこれ。

色々と引き伸ばし策を講じても、さすがに単純に出し物の数を減らすと間がもたなかったのか、

騎馬戦盆踊りが消えた代わりに、全学年参加で踊るソーラン節と、チーム対抗の20人21脚的なやつが入ってきた。30人31脚にならないあたりが悲哀を誘う。

どうやって見つけてきたのかわからないが、隣の隣の町からやってきたソーラン節講師というおじさんおばさんたちを招いて、毎日ソーラン節振り付けを覚えさせられた。

まあ、グルグルと網を引き揚げる動きは楽しかったので今でも浴槽でバシャバシャいわせて遊ぶことがある。

本番の日、20人21脚では本番のテンション疾走する周囲のペースについていけず

両隣に肩で吊り下げられる形になってしまって足が地面に着かなくなって転倒、胸をノーガードで地面に強打して、呼吸困難になる経験をした。

寄ってきたやたらガタイのいい担任女教師は、地面で息ができずにアワアワしている俺を見て、

「本番でコケるなんて気合いが足りない」「早く立って続き走って、みんなが迷惑してるから」と言い捨てた。絶対忘れてやらない。

昼食時には、我が家は祖父が昨年亡くなったばかりだったので、

母子家庭一人っ子という家庭が小中見回しても自分だけで、家庭ごとにビニールシートを敷いて食べる食事場所ものすごく居心地が悪かった。

大体みんな5、6人ぐらいが1家族で、多いところは12人とかきてる。2人だけで食べてる人はどこにもいなかった。

小学生のクソ猿が何匹か寄ってきて「なんで二人だけで食べてるのー?ねえねえなんでー?さびしくなぁいー?」とか言ってきたので、傍目にも割と目立ってたんだと思う。

母もなんか申し訳なさそうにしていて、でも別に母親が悪いわけでもないしなあ、と思いながら適当なことを言って追い払ってた気がする。

ああ、なんか嫌な気持ちばかりよみがえってきた。あれー?運動会、なんか別にいい思い出ねぇなこれ。

ちなみに翌年、翌々年は二年連続で当日に高熱を出して、バファリンで無理やりおさえながら手慣れたソーラン節を踊る羽目になった。

背は大して伸びなかったけど、20人21脚は誘導役のサザエさんポジションになったおかげで二度とコケなかったし、まあいいか。

2015-01-13

思いついたことのハキダメ

アダムとイブが禁断の果実リンゴを食べただとか、米国原爆を落としたことだとか

いろんな話やら歴史やらが記録されているし、

食べ物に異物だとか悪者を斬って成敗するだとか、徒競走で手をつないで一緒にゴールするとか、

ベビーカーを押す人を邪魔だとか言うのも

後になって問い詰めて罪を償えと叫んだとしても、しばらく経ったらその問い詰めたことが悪いとなるかもしれない。

きっと史実だけになってしまってわからなくなっちゃう。

史実とか全然しらないけどさ。

今、しかないよね、ほんとうの意味で今しかない。自分が悪いと思ったことを悪いと言って叩けるのは今。

2014-10-21

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.excite.co.jp/News/bit/E1413780573565.html

キャラ弁どころか両親揃っての行事の参加も一部では禁止されているらしいよ。母子父子家庭との不公平是正らしいけどね。

それ、単に「子供1人に対し保護者1人分しかスペース無いから」じゃね?

例えば親子遠足だと親子一緒にバスから保護者2人分の席なんて無いのが普通だよね。

こういうのって、本来意味無視されて別の意味が付け加えられて都市伝説化している感じがする。

徒競走でお手て繋いでゴール」は保育園のまだ一人でゴールまで走るのが無理な低年齢児に対してやっていたもの、って話を思い出した。

2014-08-02

やはり運動会では個人競技での競争はやめるべきじゃないのか?

そろそろ運動会の季節なので書いておく

運動会競争をするのはやめるべきという話があり、これに対する批判も多い

しかし、これは全く見当違いの話でもない


たとえば、男と女競争しないのは性差による身体能力の差を考慮に入れているからだろう

もっと極端な話をすれば、ボクサー体重による階級分けだ

これは明らかに体格による区別であって、この階級分けなしではもはやボクシングというスポーツ自体が成立しない


では、運動会では体格による階級けが行われているだろうか

学年や性別で競技を分けることはあるが、体格を考慮に入れて競技することはほぼ無いだろう

また、学年別とは言っても年齢はおおよそ一年近い差のある子どもだっている

無論、同じ歳だから同じように成長する、というわけでもない


集団競技なら体格差が全てにおいて有利というわけでもないからセオリーでは不利とされる体格の選手活躍することもある

しかし、単純な個人競技(徒競走など)においてはかつ見込みなどみじんもない

体格の劣った生徒は初めから諦め、競技が終わるのをやり過ごすしかない

スポーツというのは対等な条件で、勝てるチャンスがあるからこそ楽しいのではないのだろうか

2014-08-01

オンリーワン価値が無い時代

つい数年前まで、おててつないで全員でゴールする徒競走個性重視採用ナンバーワンにならなくてもいい等の甘言が踊っていたような気がするが

社会生産性の低下と景気悪化コピーの横行と物量作戦によってオンリーワン破綻した。

このナンバーワン至上主義にはほとほと愛想が尽きた。

AKB商法

AKBメンバーを揃えて各々の個性の幅を広げ、各メンバーが客をつかむことで人気と金を得る。と、思いがちだが、総選挙というイベントで全てのオンリーワンが否定される。

順位付けと金儲けをつなぎあわせたことでソーシャルでは格差が顕著化し、個性順位の図式は覆ることはない。圧倒的に魅力的な個性は、順位の下位カテゴリに成り下がった。

ソーシャルゲーム

多数のゲームが登場する創作の中でも、個性は死んだ。

説明する必要もないほどのコピーゲームの中で、イベントと称して順位付け+金儲けの定式が顔を出すことでキャラクター個性は否定される。

順位=金が全てで、お前の大好きなキャラクターに見せかけた小さなデータは、ソーシャル上の話題で消費されるためにある。これを否定するにはソーシャルを否定しなければならない。

そうすれば、そのキャラクターは消滅するパラドクス内包するため、プレイヤーには絶対に否定出来ない歪な存在だ。

SNS

SNSとしての規模が大きくなればなるほど、ユーザー個性死ぬ。多数の同調圧力罵詈雑言によって、個性は簡単に屈する。そんな炎上が今もどこかで起きている。

広がりつながることを目的としているSNSは、広げなくていいことを誰かに教える場として有用だ。

では使用しなければよいのではないか?しか現実はそれを認めない。「同調しない者には死を」これはリアルに起こった複数事件を的確に表している。

もうわかっただろうが、問題ソーシャルだ。

ソーシャル要素は人間ボーリング装置であり、地ならしだ。全世界海抜ゼロメートル以下へコモディティ化しようとしている。堤防は各々のリテラシーと理性だが、ゆっくりと小さな穴が開き始めている。

ここから逃れるには、早々にコンテンツ価値基準を上げるか、金の価値を落とすしかない。

後者日本経済頼みだが、前者は己の意識で代えられる。

ソーシャルを賑わすだけに与えられる射幸心を捨て、己の中に確固たる判定基準を持て。その基準を培う経験好奇心を求めろ。

オタクになれ。今のヘラヘラ笑ってコンテンツを食いつぶし、話題の奴隷である情けない人間ではない。論と経験と様々なコンテンツを受け止める度量を持つ人間になれ。

教養という言葉死語になり、誰かの言葉が無いと自我を保てない人間大勢いる。

それを良とせず、自分オンリーワンであるという意識を、「アイデンティティ」を確立したいのであれば、1つ意識を変えて見るのも悪くないだろう

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