はてなキーワード: 鎮圧とは
日本は私の知る限り、まだ南京大虐殺を否定しています、だから...。
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> 641 vote 南京にいたナチスのリーダーでさえ、ヒトラーに苦情の手紙を書いた。また、731部隊は、犯人が罰せられることなく、哀れな余生を送ることを許された。
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> 113 vote
> 今度東京に行ったら、靖国神社を訪ねてみてください。ここは第二次世界大戦の戦争博物館で、ヨーロッパ戦線やヒトラーについては一言も触れていないんだ。
> 日本がいかにしてアジア人を白人の支配者に対抗して団結させようとしたかがわかる。南京大虐殺については、1センテンスの説明文がありました。
> "南京が解放された後、民間人に扮して逃げようとした兵士がいた。彼らは相応の処罰を受けた。"
> 本当に驚きました。当時付き合っていた彼女は気分が悪くなったようですが(彼女の祖父は死のビルマ鉄道死の行進に参加)、私は日本人が歴史を完全に白紙に戻すことに憑りつかれていることが分かりました。
> 日本人の第二次世界大戦に対する見方を理解するためにも、お勧めします。
ウクライナが正しいかどうかは関係なく、自国の利益のために、同盟国を怒らせてはいけないのです。
> 250 vote
> しかし、この比較はウクライナの国全体が行ったのか、それともTwitterアカウントを運営する一部のバカが行ったのか?
> > 133 vote
> > 代表者が発言すれば、たとえ国民がその意見に共感しなかったとしても、それは一般的に国家に帰結する。
右翼の修正主義的な政治が広まったのは、マッカーサー率いる戦後の占領政府の決定に直接起因している。
アメリカの支配を維持するために残忍な独裁者が民衆を弾圧することを必要とした韓国や台湾とは異なり、マッカーサーはより「民主的」なアプローチを追求し、「戦後の日本を共産主義と戦うために」多くのA級戦犯を解放した。
最も著名なのは東条の右腕、満州の怪物こと岸信介である。彼は、戦後67年間のうち4年間を除くすべての期間を支配した自民党の結成に貢献することになる。
アメリカの占領が終わり、アメリカ軍の駐留を減らすために、アメリカが作った憲法を改正しようという圧力が国内で強まっていた。
岸はマッカーサーの恩義に報いるため、憲法改正の重要な採決の際に野党議員を物理的に排除するという滑稽な悪事を働き、その後のデモや反乱を残酷に鎮圧する。
現代の自民党は、岸首相が創設した政党とは違うと主張する人は多いし、岸田現首相に一縷の望みを託している人もいる。しかし、自民党は、多くの超国家主義的な行為の中で、この国の歴史の白紙化に積極的に関与している。
日本の政治に極右が定着していることを示す一つの大きな事実として、最近引退した安倍晋三首相は、A級戦犯である岸信介の孫であることが挙げられます。
ここに脳天気な人がいる...。ウクライナは自国と民族の存続と歴史の授業での「正しさ」を天秤にかけているのだ。自分が出血しているとき、援助してくれる人を撃つな。
日本人は何世紀にもわたって野蛮な残虐行為を行ってきたのに、彼らは自分たちの歴史を白紙に戻し続けている。ヒロヒトはヒトラー以下だったのだから、ウクライナが謝罪する理由は、妄想に満ちた日本人をなだめるため以外にないだろう。
> 308 vote
> 日本が援助してくれるからウクライナは謝ってるんだよ。たとえそれが事実上正しくても政治的に不利になるんだよ。
第二次世界大戦中の日本の行動は、絶対にナチス・ドイツに匹敵するものです。
彼らは制御不能であり、その残虐性はとどまるところを知らない。
日本の権力構造はかなり細分化されていたのです。天皇は国民にとって重要な存在でしたが、軍のリーダーはそれぞれ異なる追求と方法を担当していたようで、軍でさえもやや分権的なリーダーシップを持っていました。
だからといって、天皇が免罪符になるわけではありません。天皇として、日本の第二次世界大戦の残虐行為の汚点は彼にもあります。
ロシアはまだ「軍隊によるデモ鎮圧」って段階には来てないと思うけど。
そこまで行ってるのは最近で言えばミャンマー、最も有名な例で言えば中国共産党による天安門事件だよね。
つまり日本政府と自衛隊が中国共産党みたいなことを考えてるっていう、左翼だろうが右翼だろうが批判して然るべき事件が起きたわけだけど、みんな「ロシアだ!ロシアだ!プーチンと同じだ!」って騒いでるか「でも中国や北朝鮮が工作してくるかもしれないし」なんて擁護してるってあまりにも想像力と思考力が欠如してないか?
特にネトウヨみたいな人らって「六四天安門!六四天安門!」って般若心経だか九字護身法みたく唱えてる印象(それで中国人が退散すると信じているらしい)だったけど、そこまで想像が至らないのかな?
オスマン帝国におけるアルメニア人は、中央政府と共存共栄する共同体であった。
19世紀に入ると、カトリックへの改宗などを通じて西欧諸国の庇護を受け特権を享受する
さらに1803年~1815年のナポレオン戦争により西欧において民族主義が高まると、
アルメニア人富裕層の間から西欧との交流を通じて民族主義に目覚める者が現れ始めた。
1877年の露土戦争で、ロシア帝国が勝利し南カフカスとアルメニア人居住地帯の北東部を占領。
ロシアはオスマン帝国領内のアルメニア人を支援するようになり、1878年のサン・ステファノ条約で
オスマン帝国東部の六州におけるアルメニア人の権利向上を目指す改革の実施を約束させようとした。
ロシアという後ろ盾を得たことを機に、オスマン帝国領内でアルメニア民族運動が盛り上がり、
帝国外ではアルメニア人民族主義者によるアルメニア独立を目標とする政党が結成された。
やがて、彼らの中から帝国内に秘密支部を設け、オスマン官吏を狙った爆弾攻撃を行う者も現れた。
露土戦争のときアルメニア人がロシア軍に協力してムスリムを追い立てたのだとする風評がムスリムの間で広まり、
アルメニア人を国内にありながら外国と通謀して「テロ」を行う危険分子と見なす敵愾心が高まっていった。
④1894年、オスマン政府による「暴動鎮圧」としてのアルメニア人虐殺
1894年、アナトリア東部のビトリス県でムスリムとアルメニア人の大規模な衝突が起き、
オスマン政府は正規軍と非正規部隊を動員して衝突を鎮圧し2万人の犠牲者を出した。
アルメニア人政党はこれを国際世論に訴え、西欧諸国はオスマン帝国を批判。
1895年1月、英仏露の列強は共同でアナトリア東部の行政改革案を提示して、その履行をオスマン帝国に要求した。
オスマン帝国はそれらの要求を受諾するも、履行しないため、アルメニア人による履行要求デモが行われた。
デモに対して「外圧を笠に着た横暴」と感じたムスリム民衆が激高しアルメニア人を襲撃。
1905年7月21日、アルメニア革命連盟が爆弾によってアブデュルハミト2世暗殺を試み、
護衛26人が死亡、アブデュルハミト2世は軽傷で済み失敗に終わった。
アルメニア人15,000-30,000人がムスリム住民に虐殺された。
オスマン帝国が同盟国側、ロシア帝国が連合国側で第一次世界大戦に参戦した。
オスマン帝国に対するゲリラ活動を行ったりしてムスリムが殺害された。
これに対してオスマン帝国はイスタンブールでアルメニア系の著名人たちを逮捕・追放し、
著名でないアルメニア人たちをシリアの砂漠に徒歩で強制移住させる虐待を行い、
60万人から80万人のアルメニア人たちが強制移住等の迫害により死亡した。
1918年3月、アルメニア革命連盟が、アルメニア人虐殺への報復として、
バクー(現在はアゼルバイジャンの首都)にて3,000-12,000人のムスリムを虐殺した。
ロシア帝国崩壊により民族主義的な社会主義政党のアルメニア革命連盟を中心として
⑩1918年、同時期に建国された隣国アゼルバイジャンと領土をめぐり戦争になる。
⑪1918年、同時期に建国された隣国ジョージアとも戦争になる。
アルメニア第一共和国が倒れアルメニア・ソビエト社会主義共和国というソビエト連邦構成共和国になる
1938年4月6日に大粛清の一環としてホレン1世が殺害され、8月4日にエチミアジンの総本山が閉鎖された。
1936年にアルメニアの人口を70万人まで減らしてグルジアへ併合することを目論んで、アルメニア人をシベリアへ強制移住させた。
スターリンは戦争によって疲弊したアルメニア経済の復興を期待して、アルメニアの人口増大と労働力強化のために、
キプロス、フランス、ギリシャ、イラク、レバノン、シリアなどに散っていたアルメニア人をアルメニアに帰還させるキャンペーンを開始した。
帰還者には食品券やよい住宅などの優遇措置が与えられたために、在来のアルメニア人との間に衝突がもたらされた。
また、帰還者の話すアルメニア語(西アルメニア語)と、従来のアルメニア人の話すアルメニア語(東アルメニア語)と分岐していたため、
ソ連がアゼルバイジャンに編入したナゴルノ・カラバフ自治州(アルメニア人住民が多数派)が、
ナゴルノ・カラバフの「アゼルバイジャン化」を懸念し、同地とアルメニアの統合を求める運動を開始。
1988年2月29日にアゼルバイジャンのスムガイトで発生した民族暴動。
市内の路上やアパートで、アルメニア人住民に対するアゼルバイジャン人の群集の襲撃事件が発生し、
アルメニア人26人が死亡した。この事件の後、全てのアルメニア人が町から脱出した。
アルメニアで大地震が発生。死者は少なくとも約2万5000人、負傷者は約1万9000人に上る。
震央に近い地域の高層建築物はほとんど倒壊し、40万人を超える人が家を失った。
旧ロシア帝国領におけるアルメニア人共同体がソビエト連邦から独立してアルメニア共和国が誕生した。
それからずっとアゼルバイジャンと、ナゴルノ・カラバフ自治州を巡って戦争してる
アルメニア人の歴史を見てるとユダヤ人に似ている気がするのだけど
イスラエルはアゼルバイジャン軍に武器供与するなどアゼルバイジャンの味方らしい
そして日本はトルコの海底トンネル事業に大成建設が参画してたりなどトルコと蜜月
ロシア生まれでCrowdStrikeの共同設立者であるDmitri Alperovitchが2021年12月22日に投降したtweet
https://twitter.com/DAlperovitch/status/1473362460673515527
Dmitri Alperovitch
この数週間、私はクレムリンが今年の冬の終わりにウクライナに侵攻する決定を下したという確信を残念ながら深めている。
プーチンが緊張緩和する可能性はまだありますが、その可能性はかなり低くなっていると思います。その理由を説明させてください。
ロシアが最近発信した数々のシグナルは侵攻がほぼ確実だと思わせるものであり、また侵攻がプーチンにとって望ましい選択である理由も相当数ある。
シグナル1
明白なもの ウクライナの国境(北、東、南はクリミア)での軍備増強。この動員は、過去とは質的にも量的にも異なっている
ロシアが保有する大隊戦術グループの75%が移動した。また大砲、防空部隊、戦車、装甲兵員輸送車、橋梁敷設装置、地雷除去機、装甲掘削機、工学装置、給油、膨大な量のロジスティクスもだ。
これは莫大な動員であり大規模侵攻のための明確な準備でブラフではない。またこれだけの装備、部隊、兵站をいつまでも維持することはできない。
@RALee85は遅くとも夏までには撤退しなければならないと考察している。
アントン・チェーホフの劇に出てくるライフルのように、使われるからこそ存在しているのだ。
シグナル2
サイバー空間での予兆。12月上旬以降、ロシアからウクライナの政府や民間のネットワークへのサイバー攻撃が激増している。
昨日私が@SangerNYTと@julianbarnesへ話したように、 侵攻前の情報収集と戦闘準備のために、まさにターゲットとなるものです。
シグナル3
外交的な最後通牒。ロシアが先週発表した要求リストは、米国とNATOの同盟国にとって成立の見込みのないものだった。交渉開始のための真剣な提案ではない。
実際、ロシアがカリーニングラードにイスカンダル短距離弾道ミサイルを配備せずロシア西部の領土に巡航ミサイルを配備しないという相互措置を取る取引となれば、ロシア側から拒否される可能性が高いだろう。
シグナル4
要求リストを公開し(公開すること自体が前例のない外交的措置)面目を失わずに取引から降りることを難しくすることは、彼らが実際の話し合いをすることに真剣ではなく、侵攻のためのプロパガンダの口実を求めていることをさらに示す。
シグナル5
多国間交渉を拒否し1対1の米ロ協議を要求する。これは米国の拒絶を誘発するか(戦争の口実になる)、米国と欧州の同盟国との間に亀裂を生じさせることを意図している。どちらでもロシアにとって都合がよい。
シグナル6
緊急の協議を要求する。ロシアが提起している問題について本格的な交渉を行うには何年もかかる。それをすぐに解決することは非現実的でありロシアもそれを承知している。米国が自分たちの懸念に真剣でないと主張することで、さらに別の侵攻の口実を与える。
シグナル7
レトリック的には事態は沸点に達している。外交的な言葉は窓から投げ出され、日ごとに新たなエスカレーションが起きています。
シグナル8
ロシアのセルゲイ・ショイグ国防相がアメリカのPMCがドンバスで化学物質を使った挑発行為を準備していると発言したように。
ウクライナ、米国、NATOへ責任を負わせるための情報戦が行われている。
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理由1
キエフとドンバスの分離主義者の間で軍事的パワーバランスが変化することへの恐れ。
プーチンは昨年のナゴルノ・カラバフ紛争を観察し、トルコのTB2ドローンなど、NATOの近代兵器で武装した軍隊が領土奪還に何をしでかすか、よく理解している。
プーチンはゼレンスキーがドンバス問題を外交的に解決する気があるとは思えず、遅かれ早かれドンバスでの現状変更を軍事的に阻止する必要があると信じている。
ちなみに、ジョージア大統領であったミヘイル・サーカシビリが再軍備と南オセチアを占領し現状を変えようとしたことが2008年の南オセチア戦争の引き金となった。現在との類似点が不気味である。
理由2
NATOの拡張に対する真の懸念。NATOが本当にロシアに脅威を与えるかどうかはいくらでも議論できますが、重要なのはクレムリンのエリートがそう信じていることなのです
過去300年の間に、ロシアには現在のベラルーシやウクライナから侵入してきた壊滅的な侵攻者(ヒトラー、ナポレオン、スウェーデン人、ポーランド人など)が何度もあったのだ。
ウクライナのNATO(暗黙の反ロシア軍事同盟)加盟はプーチン、エリツィン、ゴルバチョフのようなロシアの指導者、あるいは反プーチン派であるアレクセイ・ナワリヌイでさえ、にとって受け入れがたいものであり国家存亡の危機と見なされているのだ。
理由3
プーチンはウクライナの親西側政権、ルカシェンコへの抗議、グルジアのカラー革命、モスクワでの抗議などすべてを、ロシアを弱体化させロシアの近隣に敵国連合を構築しようとする西側の秘密の試みだと見なしている。
理由4
ウクライナがNATOに加盟しなくても、NATOの武器と軍事顧問が配備されていることから、プーチンは親欧米のウクライナが深刻な軍事的脅威になると確信している。
理由5
ウクライナからモスクワへのミサイルの飛行時間が4-5分だとか、クリミアへの脅威だとかいう話は、私たちにはパラノイアに聞こえるかもしれないが、プーチンはそれを信じている。それが今、すべてなのだ。
理由6
ウクライナに侵攻すればウクライナ、グルジア、ベラルーシ、中央アジア諸国がNATOに加盟したり、ロシアの同意なしにNATOの武器や軍隊を自国領土に配備する話は永久になくなることを、彼は知っているのだ。
そうなれば、たちまちロシアの勢力圏が復活してしまう。旧ソ連のどの国も(バルトは別として)NATOやEUに再び媚びる勇気はなくなるだろう。
理由7
タイミングから言えば今が侵攻の絶好の機会かもしれない。米国は国内政治と、中国との新たな地政学的対立に気を取られている
エネルギー価格が高騰している。ヨーロッパはロシアのガスに全面的に依存しており、アメリカでさえもロシアの原油を輸入しているのが現状である。その結果、化石燃料に対する経済制裁が行われる可能性はほとんどない。
理由8
制裁は有効な抑止力にはならない。ロシアは嫌でも制裁と共存することを学びました。ロシア経済は、中国からの援助もあり、制裁に対してより強くなっている。さらにアメリカはロシアが何をしようとも制裁するようになった。
今年アメリカで制定された経済制裁の法は、SolarWinds/HolidayBearのハッキングなど従来は黙認されてきた諜報活動に対しても適用され、ロシアが何をやっても制裁するという信号を送ることになり抑止のための利用価値が損なわれています。
また、石油・ガス産業への制裁はロシアにとって経済的に壊滅的な打撃を与える可能性があるが、寒い冬の最中にヨーロッパが凍え、米国でインフレが急増している今、それが起こる見通しは立っていない。
理由9
プーチンは、自分の目的は軍事力で達成できると考えている。ロシア軍は長距離火力で圧倒的な優位に立ち、数日以内にウクライナ軍を容易に圧倒し、歩兵と装甲兵力でドニエプル川まで押し返すことができる。
彼は西ウクライナに侵攻することはないだろうが、ドニエプル川に沿って国を半分に分け、ヨーロッパとロシアの間に恒久的な緩衝地帯と、クリミアへの陸橋を比較的容易に確立することができるだろう。
彼は最初の侵攻とその後の占領のいずれにおいても軍事的コストは低いと考えているようだ。ロシアはチェチェン、シリア、ドンバス、そしてクリミアで、何十年にもわたって反乱を鎮圧してきた経験がある。
西ウクライナなら話は別だが、だからこそドニエプル川を越えることはないだろう。そしてロシアはその歴史の中で1640年代、1700年代、1920-1950年代と、何度もウクライナの反乱軍と戦って成功した歴史があるのです。
プーチンはもうすぐ70歳です。政権を担うのはせいぜいあと10年程度とわかっている。彼は自分を、壊滅的で屈辱的な1990年代の後、ロシアを経済的にも軍事的にも活性化させた歴史的指導者とみなしている。
2014年にクリミアを比較的容易に奪還したことで、彼は退任/死去する前に、近隣におけるロシアの勢力圏の再確立など長期的問題を解決することを決意したようです。そして今がそのための絶好の機会である。
これは非常に悲観的な見方だが、残念ながら侵略の可能性が高い理由についての現実的な見方でもある。そして、西側諸国がそれを阻止するためにできることは、ほとんどないだろう。
殺してしまったら上から下まで総スカンやで。天皇自体に権威があった (古来からの儀式とかの継承者) からというのはそうだけど、洋の東西を問わず権力掌握のために主君殺すってなかなかない気が...「主君すら簡単に殺す奴が他の勢力ならもっと簡単に潰しに来る」みたいに思わるので相当な根回しが必要やと思う。
臣下に殺されたっていうので思いつくのは三国魏の高貴郷公やけど、これは高貴郷公自らが兵を率いて司馬昭を始末しに行って逆襲されて殺されたから 、後白河が直接平家にぶつかれば殺されるかも?高貴郷公の件は名ばかり皇帝に落ちぶれた東晋の皇帝がこのことを知ったときにそら(皇帝殺して皇帝になったら)そう(権威なんてなくなって名ばかりになる)よ...orz ってなってたので、主君殺すってなかなかできないんちゃうか。
あと、後白河と平家が決定的にこじれたのって鹿ケ谷の陰謀のさらに後の重盛の死後処理で後白河がやらかしたからで、その先は後白河がいようがいまいが戦乱になってたんちゃうか?源平合戦に火をつけたのは後白河じゃなくて八条院周辺だし。後白河にしても平家にしても自分ところの利益だけを場当たり的に追及するところがあって、それがgdgdの源泉だと思う。
なんで天皇がここまで尊くなったかは不明なんだけどやる夫スレでよければ やる夫が大海皇子になるそうです というのを読むといいかも。長いけど。この作者の前作が やる夫が鎌倉幕府の成立を見るそうです でちょうどこの時代やな。こっちも長いけど。
以仁王のことか?そりゃ天皇でもなければ自分で反乱起こして戦場に出ちゃったからね。後白河も後鳥羽も戦場に兵を率いて出てはいないのに注意。どちらも合戦は部下に戦わせて自分のところまで敵が来たら素直に従っている (法住寺合戦、承久の乱等)。ここで抵抗したらなにかのはずみで殺されていても不思議ではない、が天皇とはそういうものではない。また当然ながら尊さにも位があって 天皇・上皇 >> 皇太子 >> 親王 >> ただの王 で、天皇家に連なっていても親王宣下されなきゃたいしてえらくはないで。
このころの上皇とか法皇とかは事実上の最高権力者やで。平安中期は摂関家が自分の甥である天皇の後見をすることで権力を握ったが、平安後期では天皇の直系尊属である上皇、法皇が天皇家の家父長権でもって天皇の後見をすることで権力を握った。最高の権門である天皇家の家長として荘園も集積しているので財産も持っている。まあ後白河は中継ぎって見られてたから前任の白河とか鳥羽とかみたいな盤石の権力ってないけど。ついでに父の鳥羽から財産を受け継いでないし。
頼朝は蔵人を務めていた上西門院(統子内親王・後白河の姉にして准母)と母親の実家である熱田大神宮家が助命に動いて助命されたんやで。これらの貴人達の反対を押し切って殺すのは政治コストが高すぎる。そもそも平治の乱時点での清盛は財力武力はあっても正四位大宰大弐にすぎないわけで政権の中枢にいたわけでもないし、反乱鎮圧の立役者ではあっても処刑にどこまで関与できたというと疑問な気がする。平家政権ができあがるのはこのあと後白河法皇と二条天皇の間を上手に泳ぎ回った(平時の乱もその上手に泳ぎ回ったの一部だが)上で1165ごろに二条天皇と政界の大物複数名が相次いで死んだ結果なので、このときの清盛に平家政権全盛期の公卿殿上人数多という未来を言っても信じなかったんではないか?
そもそも天皇家は神道の権威だろうに、後白河法皇は何で出家してるんだろう。
昔は仏教と神道密着してたのか?神の子孫の天皇家がバンバン出家していた頃って、どんな宗教観なんだろう。
仏が神より高い位置にいたとか?
日本古来の伝統がたった150年ほどで忘れさられるとは嘆かわしい。明治政府のなんと罪深いことよ。仏教は日本に受け入れられる際に神道を取り込んでこのころには不可分になってるで。そのあたりの理屈をつけたのが本地垂迹説やな。出家すると神道の儀式を主催するのは不適切という概念はあったらしいので、神道の儀式は現役の天皇にまかせて退位したら出家して仏教の儀式に専念する、というのはありかもしれない。神道も仏教もどちらも国を護るには重要やしな。
吉田秋生の歴史知らないとホモホモしく感じるのも無理ないよなぁ。
吉田秋生はBANANAFIAH連載より前のウーマンリブ真っ最中の時代に、女が女というだけで不利益を被る事なんかをテーマに「吉祥天女」っていう漫画を描いてるんだよね。吉祥天女読んだことある奴なら皆わかるんだけBANANAFISHの「アッシュ」って吉祥天女の「小夜子」とほとんど同じなんだわ。
今のはてなでよくある「女は性的搾取される」っていう言説に対して90年代に吉田秋生が「男だって性的搾取されるよ」って描いてんのがBANANA FISHなんだよね。(主人公のアッシュは番外編で男のみならずゴルツィネの雇った女講師からも性的暴行を受けてる)
吉祥天女でも小夜子の心の支えになっていたのは住む世界が違う同性の女の子だったから、BANANA FISHのアッシュの心の支えになってたのは日本に住む英二っていうのはその時の流れを汲んでるんだよね。
だからそこだけ切り抜くとホモホモしく感じるのもわかる。俺はホモホモしく感じるよりも悪い意味で都合のいい展開とか後付設定が気持ち悪く感じたわ。野球監督から性的暴行受けてたはずのアッシュが家出した先でマフィアのホモボスに目つけられる設定とか、終盤のアッシュの北斗神拳とかあんなに強かったら序盤のバーの襲撃の時すぐ鎮圧出来きてスキップ死ななかったろ……。
何にでも反対するためにプラカードを掲げたりデモ行進する方が目的になってる人達と考え方が非常に似ている
デモ活動があれば、当然何かに反対するために参加している人達がいるわけだが、
プロ市民のようなプロ左翼も、反対に位置するプロ右翼も、社会問題がなくなってほしくないと思っている
日頃の鬱憤を晴らすために喚き散らすことを正当化できる言い訳がなくなってしまうからである
これは酒鬼薔薇とも非常に似ている
校門の前に切断した首を置いたのは操作撹乱のためだと彼は供述しているが、
私はそれは嘘であるか、もしくは彼本人が自分の本音に無自覚なように思っている
論理的に考えてそんなはずはなく、だからといって彼が論理的思考ができない、
知恵遅れとかそういうタイプではないことは誰しも分かるはずである
彼が切断した首を校門前に置いたのは、過剰な承認欲求を抑えられない、
そういった幼稚さが彼の中に並行して存在しているのではないかと考える
彼の、存在が透明なことに耐えられない、といった主張は決して事件後の話だけではなく、
俺を見ろ!という過剰な承認欲求、
俺に屈服しろ!逆らうとこうだ!という支配欲求のようなものが発露した結果に思う
どれだけ法律を犯したことができるか、みたいな度胸試しが横行するのもそうである
彼等のコミュニティ内での順列を争うため、
そして、彼等のコミュニティ外でも自分の存在感を認めさせるため、
誰かの心に残らないぐらいなら、悪印象でもいいから残りたい、
同じことを「てんちむ」という女性がYouTubeで語ってるのを観たとき、
こういった見捨てられ不安のようなものは、幼少期に形成されたのか、
少なくとも両親、もしくは片親にそういう思考の傾向がやはりあり、
そういう環境下で育ったことが一番大きく影響しているのは否めないと思われる
話を最初に戻すと、
ヤンキーにとって校則は寧ろ自分の存在を証明するために必要不可欠な存在であり、
校則がなければ、寧ろ彼等は学校に完全に来なくなるとさえ思っている
わざわざときどき学校に来る、もしくは学校に来ている知人と接触しては、
小林よしのりが漫画の中で、自分の高校時代に分かったこととして、
ヤンキーは学校の教師側の人間だと描いていたが、個人的経験からも非常に同感である
学校の校則を変えたい、もっと自由な校則にしたいと息巻いていたが、
そして、小林氏がヤンキーに、おまえらも校則が変わった方がいいと思うだろ?
と問いかけると、ヤンキー達は明確に反対し、小林市に制裁を加えるようになるのである
中国の暴力団である三合会の人員を政府が投入したことにも似ている
本来、三合会のような、いわゆる暴力団と呼ばれるべき反社会的組織、
しかし、香港デモでは政府は一変し、三合会に賄賂を渡して民主化デモに投入し、
理由として、表向きは中国政府はデモ活動の鎮圧に非人道的な暴力行為を行えないというのがある
よって、自分達の代行をしてくれる者達として三合会のような暴力団員を投入したのである
本来、もちろん今でもだが、中国は犯罪行為に非常に厳しいところがある
例えばインターネットカジノの業者のような人達も厳しく取り締まられたため、
要は、国に見えないところでいい思いをしている反社会活動は許せない、ということである
反社会的な人達が結託することが非常に都合が良いことが意外と多いように思われる
教師とヤンキーが意外と仲が良い、卒業してからも学校に出入りするなど関係を保っているヤンキーも多い
しかし、ヤンキーに暴力をふるわれ怪我をした、場合によっては障害を負った、
レイプ未遂の被害を受けた等、実害があった生徒たちにとっては溜まったものではない
教師もどことなく、生徒を屈服させる、服従させることに自分の存在意義を見出している人がいる
そういった教師にとっても、ヤンキーはいわゆる「手の掛かった」生徒ということで、
そういった教師にとっても、校則が緩くなり、学校が自由になり、普通の生徒が自由になることが許せないのだろう
なぜなら、教師という職業自体が自由ではなく、その不満が蓄積する職業だからである
家庭などで鬱屈し反社会的な行動に走るヤンキーというか不良少年少女と、
職場等で鬱屈し、自分達が不幸なのに生徒が幸せになるのは許せない、という鬱屈した教師たちが、
互いに共感を抱き、傷を舐めあい、普通の生徒たちに刃を向けるのは不思議なことではない
寧ろ、自然な流れだとさえ私は思っている
ちなみに、これは校則だけでなく、普通の法律でも同じように思う
マリファナを規制しすぎれば、マリファナのルートや使用者が地下に潜ってしまい、警察の管理下から外れてしまう
マリファナのような軽い話ではなく、反社会的な組織や犯罪者であっても同じであり、
法律を厳しくしすぎると、公安や国家が市民を却って管理できなくなってしまうことがある
適度な締め付けが重要であることはマキャベリズムにさえ書いてある
普段から恐怖政治や粛清を繰り返すと、市民は逆に粛清になれてしまう
公開処刑が当たり前のような状況にするよりは、
ときどき、不意打ちのように、見せしめにズバッと公開処刑をするべきである
そうすることで市民に恐怖をときどき植え付けることが、国家へ反逆する意欲を失わせる
普段から頻繁に恐怖を植え付けられると、却って市民はキレるように反逆に転じる
なんだかんだ政府は国家は、市民が反逆し、暴動し、コントロールできなくなることを恐れている
いつも怒っている、怒鳴る人は怖くない
https://www.youtube.com/watch?v=NSS-dl4Wop8
③ガウマン:ダバオに七人からの閣僚がおネンネしているってのがアホなんだよ。
⑤マフティー:我々は、現在の地球連邦政府に反省をうながすために、やむをえず攻撃をした。
⑦ケネス:おれが、奴の首を刎ねてくれる。
⑧ギギ:マフティーのやり方、正しくないよ。
⑨ハサウェイ:じゃあ、教えてくれよ。この仕組みの深さを破壊する方法を。
⑫ハサウェイ:僕は代わるよ。変えてみせるよ。
https://www.youtube.com/watch?v=MJSgeewMd_E
①ケネス:彼は、危険人物だ。地球連邦政府の秩序を乱すものだ。
③ハサウェイ:そうだね、クェス。僕は代わるよ。変えてみせるよ。
⑤ハサウェイ:来るな……!?
⑦ハサウェイ:なんとでもなるはずだ!
⑧レーン:ガンダムだと!?
⑨レーン:逃がすか!
⑩ギギ:やっちゃいなよ、そんなニセモノなんか!
⑫ハサウェイ:敵をかかえこんでいるんだ。いろいろとなっ!
『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』の動画配信及び見放題サービスが
■見放題配信
・Netflix https://www.netflix.com/gundamhathaway
・バンダイチャンネル https://www.b-ch.com/
・Prime Video https://www.amazon.co.jp/gp/video/storefront
ニュースや報道番組で暴力映像を目にするたびに本当にしんどくなる。
近年の話題で言うとアメリカの白人警官による黒人男性への暴力やさらなる問題としてアジア人への暴力。香港やミャンマーでデモ隊を鎮圧する警察官。
日本では入管職員による外国人の人道を無視した暴力の他、理不尽なあおり運転やクレーマートラブル、録音されたパワハラ音声(これは言葉の暴力だけど)等々。
ちょっと古いけど障害者施設の職員が利用者を殴っていた映像とか運動系の部活のコーチの部員への体罰の映像もあった。
何の注意も予告も無く流れてくるので対策の仕様がないのだがニュースを見ないわけにもいかないので本当に困る。
報道する意義があると判断しているのだろうけど、辛くなる人も存在します。言いたいことはそれだけです。
ちなみに数少ない配慮の例として
震災特番で「この後津波の映像が流れます」のテロップと戦争特番で「この後残酷な映像が流れます」みたいなテロップが出ていた。どちらもNHK。
『ダークサイドミステリー』のケネディ暗殺の回では暗殺の瞬間の映像にボカシが入っていた。これもNHK。
pic.twitter.com/QpjknZh8j3— シーズン2 (@Example_bad_pdf) September 8, 2021
趙政の母は淫乱とされていて、国の実質的な権力者である呂不韋とも関係を持っている。
呂不韋は母から逃れるため、巨根男をあてがう。こいつは大きな車輪をイチモツで持ち上げ、更にぐるんぐるんと振り回すことのできるすごいやつ。
母は大車輪男を気に入り、間に二人の子をもうける。調子に乗った大車輪男は、子供を王にするためにクーデターを起こす。
趙政はこれを鎮圧し、大車輪男とその子供の一族を皆殺しにする。
このときの経験は、敵を絶対許さない残酷な絶対権力者、始皇帝を作り上げることになった。
いつ殺されるか分からない趙政の半生をシリアスに描いていく中で、突如、チンコで大車輪を回してドヤ顔の男とそれにうっとりしている趙政の母のコマが出てくるんだよね。この間抜けっぷりが印象的だった。
東周英雄伝を始め、春秋戦国時代を描いた漫画、小説はドラマチックな人生、この話聞いたことある!というエピソードが満載で、面白い作品が多いよ。
1838年:イギリス「ロシアがインドを狙っとるからアフガンにイギリス軍を置かせてくれや」
→交渉決裂
1842年:イギリス「あかん、とりあえずアフガンを占領したけど、反乱が多すぎるから撤退するわ」
→和睦
1878年:イギリス「今度のアフガン国王はロシア寄りっぽくて怪しいわ! また戦争するで!」
1881年:イギリス「今回は勝ったけど、めちゃくちゃ苦労したわ…」
1919年:アフガン国王「世界大戦でイギリスが弱っとるみたいやで! いまこそアフガンから追い出す好機や! ジハードや!」
→イギリス「こっちも戦争はうんざりやし、もう独立してええで」
1919年:アフガン国王「トルコのムスタファ・ケマルかっこええな…ワイも真似したろ! アフガンも近代化や!」
1929年:アフガン国王「あかん、反発が強すぎるわ。無理やり抑えてきたけどもう限界や」
→アフガン新国王「反乱を鎮圧してワイが王様になったで! もっと穏健に近代化を進めるで!」
1973年:アフガン大統領「国王が軟弱やからクーデター起こしたったで! 王制を廃止してワイが大統領になるで! ソ連を後ろ盾にもっと近代化を進めるで!」
1978年:ソ連「大統領のやつ、最初はワイらに尻尾振っとったのに、最近はアメリカにべったりやんけ。ほんならこっちにも考えがあるで」
→四月革命
→ソ連「アフガンは共産主義の同志になったんやで(にっこり)」
→イスラム勢力「共産化なんかありえへんやろ! 反乱するで!」
1979年:ソ連「アフガン政府を助ける名目で軍事介入するで!」
→アメリカ「ソ連に対抗してもらうためにイスラム勢力に武器渡すで〜」
1989年:ソ連「10年も戦って何の成果も得られませんでした…ソ連軍は撤退するで…」
1992年:アフガン政府「ソ連が無くなってもうたやんけ。ワイらもあかんわ」
→アフガン政府「イスラム勢力が集まって新政府が誕生したで! でもバラバラに戦ってた派閥の寄せ集めやから内ゲバでズタボロやで!」
1994年:タリバン「いつまでも派閥同士で争って内戦が終わらんやんけ! ワイらがやるしかあらへんわ!」
1996年:タリバン「首都を占拠したったで! ワイらは欧米化も共産化も目指さへん! 伝統的なイスラム社会を作るで!」
→旧政府あらため北部同盟「北に逃れて『北部同盟』として捲土重来を期すでー」
2001年:アメリカ「なんやテロリストがビルに飛行機を突っ込ませて大惨事やんけ! ワイらにこんなことしたやつは絶対許さへんで!」
→アメリカ「犯人のアルカイダがアフガンにおるらしいやんけ! 引き渡せや!」
→交渉決裂
→北部同盟あらため新政府「まさかの復活やで! アメリカさんのご指導のもとでやっていくで!」
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.dailyshincho.jp/article/2021/08050557/?all=1
掲載は先週だが、「次週表記の号を前週に売る」という慣行のせいで5000人超になった日と号の日付が重なるという奇跡を残した。
木村盛世なんか使ってるのがおかしい。新潮は文春と同じ調査報道&スキャンダル路線を模索しているようだが実力が天地ほど開いてしまってもう無理というのが窺われる記事。品川から京浜急行快速特急に追いつけと京浜東北線に乗ったが蒲田止まりだったような侘び寂びを感じさせる。
島田裕巳はオウムシンパの宗教学者だった。地下鉄サリン事件の前からオウム真理教に惹き起こる疑惑に対し、教団施設を取材しては「オウムとは無関係」という結論を書いていた。
1995年3月20日の地下鉄サリン事件に関して東京新聞に問われ「私が中まで見たところ、サティアンは宗教施設であって毒ガス工場などではない」とコメント。3月22日の同紙に掲載されたが、同日に警察は大々的に第7サティアンを捜索、それがTVや新聞で通常番組を差し替えて報道されている日に島田の「サティアンは宗教施設で毒ガス工場ならず」のコメントが掲載される珍事となった。
これを受けて島田は翌月の宝島30に『「罪深き」私にとってのオウム』を寄稿する事になった。
島田の舌禍はこれに留まらず、TVなどで名指しで散々批判罵倒を受けた。当時、オウムを近代への疑義と評価するのが知的とのスノビッシュな風潮があり、それに乗っかっていた文化人たちが批判逸らしの為に島田をスケープゴートにした為に更にバッシングは苛烈さを増し、島田が勤務していた日本女子大にもクレームや脅迫が殺到して島田は解雇された。
オウムは島田の擁護を最初から利用しており、教団へのバッシング逸らしの為に島田の居宅のあるマンションの玄関を爆破した。教団側の島田を狙う犯行があると見せかける為であった。
中川八洋はアフガン侵攻等を受けて80年代にソ連が攻めてくるから軍備を急げとの主張を論壇誌で繰り広げていた。
ところがゴルバチョフが書記長に就任してペレストロイカとデタントを進めると当然に西側諸国の態度は融和になり、同時に西側でのゴ書記長の人気は絶大なものになっていった。
これに対して中川は「ゴルバチョフの政策が反動化している」「ゴルバチョフ路線が侵略主義に転じている」と論壇で主張し続けた。
だが実際にはそんな局面は無く、バルト三国の独立を認め、東欧の衛星諸国にも改革と自由化を迫るなどしており、ベルリンの壁崩壊など劇的な自由化の流れが起きていた。
要するに「ソ連」という敵が無くなると反共アイデンティティの拠り所がなくなってしまうので固執していたのである。
西側の心配というのは寧ろ一貫してゴ書記長の失脚により東側の自由化とデタントの流れが巻き戻る事であった。それほど急激な変化が東側で起きており、後発の政変になるほど革命や崩壊と呼ぶべき状況が発生していた。
その心配の通りにソ連共産党守旧派はクーデターを敢行、それは鎮圧されてソ連邦は廃止されるという劇的結果になった。
ところが中川は相変わらず論壇誌にゴルバチョフ脅威論を書いていた為にクーデター、ソ連崩壊と同時か直後に「ゴルバチョフソ連が攻めてくる」論が発表されるという珍事に至った。
これによって中川は反共論者として干されてしまい(市場の前提が無くなったのだからそりゃそうだ)、主に徳間書店から黒表紙の陰謀論本を出すようになった。当時は陰謀論とオカルト本が流行っていたのだ。
ところがオウム事件が発生するとオカルトと陰謀論が氾濫しているのが原因だというもっともな反省が起こってその市場も無くなってしまった。
ニューヨークからフロリダへとヒッチハイクの旅はトラックを経由した。光り輝くフロリダオレンジの太陽が私の帽子を貫く。木漏れ日に目を細めるとトラック運転手は荷台へ向かって大声を張り上げた。
「おまえさん、こんななにもない場所へどうしたんだい!」
私のうまく起こせない上体はトラックの端にある紐で結ばれている。少し前運転手はバスケットコートのカメラから見るボールみたいに目を大きくした。私の身体は動かず、車椅子に支えられていたからだ。あんたそんなのでどうして遠出しようってんだ、と運転手は感嘆の声を上げた。それが二時間ほど前のことだ。
私は運転手に家族の集会があることを伝え、その用事がバーベキューであることを教えた。それからフロリダ州の看板が見えたので、コントラストを強く投射する景色を風に流しながら、私の名前を伝える。そうかい、メグっていうのかい、と運転手は陽気に答えた。林立するビルを縫って突き抜ける青が歯科医に飛び込んでくる。フロリダはオレンジの国じゃない。避暑地だ。だからバーベキューには都合がいいのだ。多分そうだし、そういうことにしよう。うちの家族に振り回されたことは忘れて。<溶け出しそうな>夏の頃が思い出されたとしても。そういえばあの日もこんな風に感想した風が髪の毛をさらっていったものだ。サングラスが反射する光のその先に目的地があった。
◆
「どうしてそんな事を言うの」
電話の向こう側でケンがなにかの言い訳をしている。言い訳の仕方はまるで父そっくりだ。もうそんなところばかりだ。わたしときたらそんなケンに向かっていつもは冷静なのだけど、彼が父のように逃げ続けるさまを見ていると、どうしても声を張り上げてしまう。ケンはそんな時に決まって「メグはママにそっくりだよ」と吐き捨てるようにいう。全く美味しくないチリソースをアスファルトにぶちまけるようにだ。理由はこうだ。本当はここで開催される予定だったバーベキュー大会が、父の会社の都合で大きな話になり、他企業を巻き込んだバーベキュー大会に発展したらしい。それも開催地は何故か日本。私はケンに、肉よりも寿司の日本でなぜバーベキューなのかと問い詰めたが、頭に血が上っているのかケンは日本だって神戸牛があるし、開催地としてアメリカとは違った面白さが出せるんだといい始めた。違う、そういうことじゃない。少なくとも久しぶりの家族のバーベキューが行われ、とってもプライベートなものだって聞いていたのに、どうしてそれがお父さんの会社と関わっているのか聴きたいのだ。しかしケンはこれは日本と米国の絆を結ぶためのものなのだ、と主張してやまない。ALS-CoVζ+が未だ収まっていない時期になぜそんなに話を大きくしてしまうのだろうか。そんなことはどうだっていい。それよりも、家族の一致団結できる機会が失われた事実が私にとってショックだった。素晴らしい日差しの下でトロピカルフルーツソーダの飲みながら、サンオイルで日焼けをしている人達もいるのに。
◆
「やあケン。今回は会社から大会の趣旨が発表されてね。ぜひ神戸牛とアンガス牛の対抗戦をという事になったんだ」
「それで、勝った方には?」
「純金製のメダルが贈呈されるだけだよ」
「だけ?」というケンの声がスマートフォンの不協和音とともに響いた。父のノキア製は日本ではマイナーだと聞かされて、その音質に少しだけ疑いを持ち始めたばかりだ。父はケンの懸念事項がバーベキューの開催予定地のことばかりだと思っていたが、どうやらそのノキアで聞く限りそうではないらしいことが理解された。ケンは明らかに家族の集会が壊されたことを怒っており、主催は誰だと問い詰めてきたのだ。父はやむなくドビュッシー会長という人物だと述べたが、俺はクラシックの名曲よりも古いラップが好きなんだと皮肉交じりに父の言葉を投げ捨てた。まるでそれじゃあ、ダディはまたしても「お山」の大将「だ」ろうとまでいう。ダディーはクールじゃないとまで言い放った。それは一体何のジョークだいというと、日本版の4chのセリフさ、と返すばかりだった。ゼータ株はあの頃の僕たちのキャンプを奪ったが、父は僕たちから家族の有り様を奪おうとしているのではないか、そんな懸念がケンの頭をもたげた。そのくせゼータ株は活発に人々を結びつけようとしていやがる。ニューヨークからメグを追いかけるケンはハンドルを回しながらそうつぶやいた。
◆
ケンがメグと合流して数時間後、隔離が完了して未感染者のみが利用できるビーチで突然人が溶けた。その液体は灰色と真っ黒な血をビーチに滴らせ、バーベキューの肉のようにビーチの砂を汚した。それとは関係なく海鳥は通り過ぎ、メグは声にならない声とともにジーザスという単語をピンク色のリップを塗った唇から漏らした。到着したばかりのケンは目の前で人々が弾けて溶けてゆくさまを見て、エボラか何かかと目を疑い、それが数年前に起こった悪夢の再来であることを知覚した。フロリダ州に緊急事態宣言が敷かれ、州知事は政府の圧力によって州ごと隔離されたことを発表した。通信網は途絶え、父との国際連絡も取れなくなったメグとケンは、暴徒鎮圧用のゴム弾を装備したSWATたちに誘導されて収容施設へと向かった。発電の電源はかろうじて発電機型のバッテリーとして供給され、被災地には水が運び込まれた。しかしそのどれもが決死の覚悟で運ばれてくるものであり、運転手は全身防護用の白い服を着て入念な消毒を経た後にフロリダへと入り、そして出てゆく際にも消毒を行わなければならなかった。ひとまずイントラネットとして暫定的に繋がれた外との通信によりニュースだけを見ることができた。
そうして避難所での生活が進む中、ウィルスで隔離された人々の間に奇妙な一体感が生まれようとしていた。それはヒステリックな怒りであったり、それを鎮めようとするものであったり、また話し合いによって解決しようとする者達や、殴り合ったあとで肩を組み合うレッドネックたちなどによってだ。彼等はお互いをファミリーと呼び合い、外にいる連中をウォーキング・デッドだと笑いとばした。正気が保てない人々は、普段忌み嫌っている低所得層のレッドネックたちの話をよく聞いた。富裕層たちは臨時の学校を開いて塾を作り、黒人たちは放課後と称して子どもたちにバスケットボールを教えた。そうして閉鎖空間は小さな社会になった。ケンもメグもよく話し合った。とりわけ、ゼータ株のことについてだ。彼等は先日の家族のことを思い出して悲憤慷慨し、やがてウィルスによって僕たちの絆が深また奇妙さと、ウィルスによって人々がばらばらになった悲劇を語り合った。
その頃からメグの夢枕には、なくなった叔父の姿が映るようになった。叔父は家族の異事で何かをいいかけていたが、そのたびに消えてしまう。そんな夜が繰り返された後のある朝、フロリダの海岸にある変化が起こった。その変化はイントラネットTVに映し出されると、やがて通信の全てが回復した。日本の企業ソフトバンクが提供する緊急ブロードバンド回線につながったメグたちのスマートフォンは、あるものものしい人物たちを映し出した。それは水陸両用車両のようにも見え、中から防護服をつけた人が降りてくるのが見えた。車両には見慣れない文字が書かれており、不意にケンがそれを見て叫んだ。まるでパーティーが始まったかのような喜びようだった。見なよ、あれは"セルフ・ディフェンス・フォース"だぜ! ケンの指差す画像の向こうにあったもの。それは自衛隊の揚陸艇であった。第十七小隊、フタマルマルこれより状況開始。という声とともに彼等は海岸に落ちた血や散らかった廃棄物、まるでタイフーンにやられた風に映るカビの生えた建築物を撤去し始めた。そんな作業が一週間もつづくと避難場所の衛星問題はすっかり快適になり、自衛隊の面々と記念写真すら取れるまでに改善した。ケンはその時彼等にどうして来たのが十七小隊なんだいと問いかけたが、ある隊員は、十七小隊は俺達のメダルみたいなもんさ。と笑って返すのみだった。ケンはそれを聞いて、じゃあ俺たちはあんたたちに助けられたから十六小隊でいいさ、と破顔した(筆者注:2021/08/01)。
◆
日本にいる無責任な父は流石に心配な顔をして息子たちを迎えた。ただし父は両名が無事であることを確認すると1、バーベキュー大会は玉石混交のパトルロワイヤルでありジャパニーズヤキニクとチンギスハーン、バーベキューの三つ巴の戦いだったと熱く語り始めた。勝敗の決し方があまりに不透明な競技だが、メグにとってそんな話はもはやどうでも良かった。怪しげなバーベ審査員のことにも興味がなかった。父がミヤゲに持って帰ったネギマをケンは頬張っていたが、メグはどうしたって騙されることはなかった。クールビューティーと目される荒川静香のイナバウアーが見たかったというわけの分からい答弁を無視して、メグは今回の隔離事件の顛末を事細かに語った。父はそんな事知ってるさと遮ろうとするが、メグは人差し指を父の唇に当てると子供を諭すように父と目を合わせた。彼女は、「それで今回の事件でとっても頼もしいステディな人ができたのよ。自衛隊員の人なの」、という。父は喋りかけていた口を閉じると、目を白黒させた。あのフロリダオレンジの目を見開いたトラック運転手のようにである。
しかしやはり父は普通の人間と少し違った。それなら早く紹介しなさい。次のバーベキュー大会があるんだ、と彼を巻き込もうとし始めたのだ。メグは両手を上げて首を横に振ると、やはりちょっと前の出来事を少しだけ回想しながらジーザス、と小声でつぶやいた。
ケンはそんな様子を見て、口の中のネギをすっかり胃袋の中に押し込めながら、こいつにケチャップをかけると日本人とも仲良くできるかもね、と一人で口角を上げた。ゼータ株が運んだ全ての問題は、まるでその性質のように全てを溶かして人々をつなぎ、父子は空港で呆れながら仲良く語り合った。避難所のメンバーのメール着信がなり響いてメグがその知らせに目配せする。
※別作者です。おしまい。
https://anond.hatelabo.jp/20210708183653が字数制限に達したので書ききれなかった分はここに付け足します
ISILに関する記述もありますが、テロを賛美する意図は一切ありません。あくまで事実として記載しただけです。無論、ISILが惨敗した戦闘もあります。決してISILを格好いいと思わないでください。
・ペルシス門の戦い
B.C330 アレクサンドロス大王の東方遠征 ペルシア軍700vs★マケドニア軍1万7000
マケドニア軍の大軍に対し、ペルシス門を少数の守備隊が1か月守り抜いた。マケドニア軍は現地の住民から得た情報を元に挟撃することでようやく勝利を収めた。
・マリツァの戦い
1371年 オスマン・セルビア戦争 ★オスマン軍800vsセルビア軍2万~7万
セルビア軍は大軍を率いて、オスマン帝国の首都エディルネへの奇襲を試みた。しかし、オスマン軍の夜襲に遭い敗退した。
・ペンコの戦い
1550年 アラウコ戦争 ★スペイン・ピウンチェ連合軍500vsマプーチェ族1万5000~2万
スペイン軍はペンコに砦を築いた。マプーチェ族は大軍で包囲するが、攻城兵器もなく砦を突破できなかったため、兵を引いたところをスペイン軍に追撃される。マプーチェ族は4000人が戦死し、捕らえられた200人は鼻と耳をそがれた。
・チャカンの戦い
ムガル軍がマラータ軍を包囲。1ヶ月の攻防戦の末にマラータ軍は包囲した。マラター軍の死傷は300人、ムガル軍の死傷者は3000~5000であった。
・スラトの戦い
1664年 ムガル帝国1000vs★マラータ王国8000~1万
スラト市をマラータ軍が襲撃、3日間の攻撃の末、同市は6日間略奪の対象となった。ムガル軍の死傷者は28人、マラータ軍の死傷者820人であった。
・サラタの戦い
1699~1700年 マラター王国300vs★ムガル帝国1万
サラタ市をムガル軍が包囲、数ヶ月にも及ぶ包囲戦の末に陥落させ、守備隊も玉砕したが、ムガル軍は3500人が死傷した。
・トルナの戦い
1704年 マラータ王国700~800vs★ムガル帝国1万5000
ムガル軍がマラータ軍を包囲、トルナ市を陥落させた。マラータ軍の死傷者は170~180、ムガルの死傷者は300であった。
・コーレーガオンの戦い
1818年 第三次マラータ戦争 ★東インド会社750vsマラータ王国2万8000
マラータ軍とイギリス軍が交戦、丸一日の激戦の末にマラータ軍が撤退した。イギリス軍の死傷者175人に対し、マラータ軍の死傷者は500~600人であった。
1838年 グレート・トレック ★フォールトレッカーズ664(200人が非戦闘員)vsズールー軍1万5000~3万
フォールトレッカーズ(英領ケープ植民地から南ア北部へのブーア人移民)がズールー族の大軍と交戦し撃退した。ズールー族3000人以上の戦死に対し、ブーア人はわずか3人が負傷したのみであった。
・ヴェコプの戦い
1836年 グレート・トレック ★フォールトレッカーズ35vsマタベレ軍5000
マタベレ軍がフォールトレッカーズを襲撃するも、撃退された。マタベレ184名の戦死に対し、ブーア人は2名が戦死した。マタベレは戦闘には5万500頭の家畜を強奪することに成功した。
・チンハットの戦い
1857年 インド大反乱 東インド会社700vs★反乱軍7000
イギリス軍が反乱軍と鉢合わせし、敗退するが、全滅は免れた。イギリス軍の死傷者は200人ほどで、反乱軍の死傷者は589名であった。
・トゥエンクアン包囲戦
1884~1885年 清仏戦争 ★フランス軍630vs清・阮朝1万2000
フランス軍が清軍に包囲されるが、4ヶ月持ちこたえた末に撃退した。フランス軍の死傷者274名に対し、清軍の死傷者は3000名以上であった。
・ドガリの戦い
1887年 エリトリア戦争 イタリア軍550vs★エチオピア軍1万5000
エチオピア軍の大軍がイタリア軍の大隊を襲撃。イタリア軍はほぼ全滅したが、エチオピア軍も1071名が戦死した。
・サポティラルの戦い
1927年 サンディーノ戦争(アメリカのニカラグア占領)・バナナ戦争 アメリカ軍・ニカラグア政府軍20vs★サンディニスタ400人以上
アメリカ軍・ニカラグア政府軍は撃墜された米軍パイロット2名の救出に20名派遣する。救出隊は途中でゲリラの待ち伏せに遭い、奮戦するも撤退し、作戦は失敗した。救出隊は4人が死亡したが、ゲリラは40~60名が死亡し、1人捕虜となった。
・フォルネブの戦い
1940年 ノルウェーの戦い 第二次世界大戦 ノルウェー軍7vs★ドイツ軍70~80
ノルウェー航空部隊がドイツ空軍と交戦。ノルウェー軍は戦闘機1機、ドイツ軍は4機撃墜されたが、ノルウェー軍の燃料が尽きたため、戦闘はドイツ軍の勝利に終わった。
1942年 北アフリカ戦線 第二次世界大戦 自由フランス軍3703vs★ドイツ・イタリア軍4万5000
ロンメル将軍指揮下の枢軸軍が自由フランス軍の籠城する砦を包囲、16日間の激戦を経て、砦を占領した。フランス軍の死傷者369名に対し、枢軸軍の死傷者は3300名に及んだ。この戦いはイギリス第8軍の撤退と再建のための時間を稼ぎ、エル・アライメンの戦いでの連合軍の勝利につながった。チャーチル、ド・ゴールは勿論のこと、ヒトラーですらフランス兵の勇気を称えた。
・ヴェロニク作戦
1955年 アルジェリア戦争 FLN359vsフランス軍5000+航空支援
フランス軍はFLNの活動を鎮圧するため爆撃を伴った大規模な掃討作戦を実施する。FLNはゲリラ戦で1か月以上抵抗した後に撤退した。ゲリラ側の死者は9名で、鎮圧の失敗はFLNの影響力を大いに高め、アルジェリア独立につながった。
・ヴェラノ作戦
1958年 キューバ革命 ★7月26日運動300vsキューバ軍1万2000
バティスタ政権は反乱軍鎮圧のために軍を差し向ける。しかし、カストロ、チェ・ゲバラ指揮下の反乱軍に返り討ちに遭った。この戦いで反乱軍の指揮は大いに上がり、バティスタ打倒に繋がった。
・サンタクララの戦い
1958~1959年 キューバ革命 ★7月26日運動340vsキューバ軍3900
反乱軍はヒジャ・クララ州の首都サンタクララを攻撃、4日で占領した。その直後バティスタはドミニカへ亡命し、キューバ革命が成功した。
・ドゥヴロブニク包囲戦
1991年から1992年 クロアチア紛争 ★クロアチア軍480~1000vsユーゴスラヴィア軍7000
ユーゴスラヴィア軍はクロアチア軍を7ヶ月に渡って包囲するが、陥落できず撤退した。この戦いで1万5000人以上の難民が出た。
・サパティスタの反乱
1994年 サパティスタ民族解放軍3000vsメキシコ軍3万~4万
メキシコ最貧州チアパスで先住民たちが北米自由貿易協定NAFTAによる貿易関税の撤廃に反対、一斉蜂起した。政府はゲリラを包囲し、徹底的な鎮圧を試みるが、反乱が世間の注目を浴びると、一転、停戦を呼び掛けた。両者の間で先住民の権利と文化を尊重するサンアドレアス協定が結ばれた。
・ファルージャ陥落
ファルージャ市をISILが襲撃。1週間足らずでイラク軍を撃退し、同市を占領した。
・モスル陥落
2014年 ★ISIL800~1500vsイラク軍1万2000
ISILがモスル市を襲撃。1週間足らずで陥落させた。イラク軍は6万人で防衛に当たったと主張しているが、実際にはその2割ほどの兵力しか無かったと推定される。
・バイジ奪還
2014~2015年 ISIL1500以上vs★多国籍軍1万5000+米英加の航空支援
イラク軍は1年弱にも及ぶ激戦の末にバイジ市をISILから奪還した。ISILは2000人以上が戦死したが、イラク軍も2500人以上が死傷した。
・ラマディ陥落