はてなキーワード: リアル社会とは
ブクマカを年明けからちょっと観察してたんだけど、知見がある人が集っているというよりも
仲良くなりたくてネットに群れてるとかではなく、ただただ悪意の共感の輪を広げたい人たちの群れ。
そういう繋がりが強固な絆を生むというのは分かる。反ワクチンのみんなの団結力の高さとか見てても分かるし。
だけどそれはリアル社会での人とのつながりではあまり参考にならないというか、害になる方が多いと思う。
ブクマカはそういう点で害になる存在でしかないのだけども、それでもここで相談するというのは本当に意味がわからない。
小町なんかも覗いたことはないんだけど、こういう空気なのかな?
俺はわりとリアル社会の縮図で本当に良かったと思う。
ネットと比較すると「何やっても外にバレない」のレベルが凄い高い気がする。
たとえば50人ぐらいいる職場であっても、その中であったことを全員が口を噤めば無かったことになるわけじゃん?
でもフォロワー5人のアカウントがやらかしたことがヤバかったら、それはウォッチャーに嗅ぎつけられてあっという間にインターネット中に波及するじゃん?
その昔はネットで犯罪行為や犯罪自慢するリスクは滅茶苦茶低くて、「お前それリアルだったら絶対捕まってるぞ(笑)」みたいな書き込みをよく見かけた。
でも今は逆。
「それネットにアップしたら二度とまともに生きてけないぞ藁」って現実で言われてる。
完全に逆転したな。
こんなの前から知ってるって皆言うんだろうけど、本当に自分の頭で考えたことあるか?
なんかこういう記事を見て「あーわかるわー確かにー」で聞きかじりで終わってね?
何度も聞いたCMソングが脳内再生余裕でもいざカラオケで歌うと必死に字幕を追いかける程度でしかなかったことに気づくような感じっつ―かさ。
まあつまり、職場でちょっとしたハラスメントだったり文書偽造だったり横領だったりがチョコチョコあるわけじゃんリアル社会では。
それをもし誰かが動画にとってアップしたらどうなるのかってのを想像してみ欲しいんだよな。
その瞬間にマジで感じると思うぜ。
そしてこんなにも密室空間なリアルより更に密室だった昔のネットってどんだけアングラなんだろって話よ。
全世界の人間がアクセスできるはずなのに、その胡散臭さと「あ、ネタなんで」で済まされる空気で形作られたオープンアセクスアンダーグラウンドという大矛盾。
<論点整理>
松尾:人間なのに、すごいことやれてるじゃん、みたいな将棋みたいな価値観は残るから教育はあり。未来のために資産的な意味なら意味がない。
松尾:人間を生産性の指標として捉えるからおかしい。農業が8時間労働から30分でできるようになって、なのに仕事作っているってのは人間がそうしたいからそうしてるだけにすぎない。そういう、やってもしょうもない仕事で優劣決めて分配決めてるだけで、生産性は関係ない。そういう人間なのにすごいじゃんで分配しあってるだけ。
働きたくない、社会と関わりたくないです。AIに仕事奪われる側だな自分は。
尊敬されないし、仕事もできないから、人間社会の評価でも負けてるから配分が取れないわけだな。
<論点整理>
松尾:企業数が増える。少人数で、たくさん仕事できるようになるから、小さな仕事をする小さな企業が増える。
川上:しかし経済では、人からお金を取るシステムにしなきゃだから、みんな無職で金がないと経済が回らない。ベーシックインカムが必要。
松尾:人は人からすごいと思われたい、人と接したい。ベーシックインカムでも、人だからすごいと感じて、人は人に金払う関係は維持されるはず。
ひろゆき:すごい人には大量に金が集まるけど、90%の人は人間に相手されずCGとかに相手されて気持ちいいで子供残せなくなりそう。
川上:人口減った方がいい。労働力みたいな人口が国力の指標になってるけど、AIで労働力はダブつく。資本主義は、資本受け継ぐ人が少ない方が有利だから。
松尾:老化は病気という科学的コンセンサスができつつあり、到達ゴールに据えられているから、10年,20年後は子供産む感覚が変わってる。
不老不死なりてえ。
<論点整理>
川上:文字をソクラテスは否定した、馬鹿になると。でも、現代人はソクラテスの賢さ超えた。AI使えば人間は強くなる。整形とかAIとかVRでマトリックスでプラグ繋ぎたいとか受け入れる人は勝つ。
不老不死になったなら、マトリックスみたいなプラグ繋ぎたいなあ。
リアル社会はクソすぎる。
<論点整理>
ひろゆき:日本でも生成AI作ってデジタル赤字出さないために、松尾さんが数百億円、日本で集めても、デジタル庁みたいに、デザイナーとかが上に立って、まともなことできないんじゃないの?
松尾:GPUを買うのに突っ込んでます、まともじゃない人はGPU使えないから
ま〜一応、勝負してんですねえってかんじ。
GPT-5が出て欲しい、マルチモーダル欲しいとかくらいしか思ってなかったけど、日本もファイティングポーズはとってるんですねえ。
AIで仕事奪われるってのは、現状のchatGPTでなく、もうちょいpdfの読み書きとか、ドメイン知識の理解とか、そういう話が今後できた時に来るんだろうけど。
それって、来年にはもう来てそうだね。
弱者男性で現状の社会では救われない身からすると、さっさとベーシックインカムで失業者になるのが最高だなあってかんじ。
そん時にセクサロイドとか、AIが作る神ゲームや神漫画がないときついけど。多分できるんちゃうの数年以内に。
あとは、不老不死が来るかどうかだなあ。不老不死が来てくれないと困るけど、不老不死は今のところ達成できる道が不明なのが怖いところだなあ。
AIで仕事を奪われた天才や秀才たちが、不老不死に到達できるんかなあ。
こうやって、未来に弱者男性が救われそうな可能性がはっきり見えてきたのはありがたいんだけど。
半導体だのフラッシュメモリの進歩がいまいち現状のAIの使用に耐えるために進歩が必要とか。
AI動かす電力問題が解決する道の核融合がまだまだ遠いとか問題はあるかあ。
ソフト側だけの進歩は強いみたいだけど、ハードがノロノロなんだよなあ。
ロボティクスとか、セクサロイドのキーポイントが抜けてるのも痛い。
仕事だけ奪われて、AIが弱者男性に利益与える未来にはギャップがありそう。その時期は地獄やんけ!
個人としては、起業をしてみてるんだけど、小さな会社ってか、自分一人でやってんだけど。AI使ったりしてるけど、営業とか古臭い感じで一軒一軒会社を訪ねる感じになってる。
地獄から救って欲しいなあ。AIが強くなれば、自分の起業も強くなるから、なんとか世界中のAI研究者頑張ってくれ。
インターネットにすごい知能低い人とか認知が普通の人とずれる障害の人とかメンタル不調の人とかサイコパスとか無敵の人とかケーキが切れないヤンキーが普通にいるという事実を、ほんとみんな受け入れられてないよね。
リアル社会では、足りない頭や歪んだ認知に基づいておかしいこと言ってる人がいても、デマや陰謀論を信じてる人がいても、まだらボケの老人がいても 「そういう人もいるね、仕方ないね」って、わりとみんな遠巻きにしてると思う。まじめに反論したりたしなめたりする人いないじゃん。諦めてるから。
なんかね、インターネットにだけ諦めが足りなすぎると思うんだ。
冷静に考えよう。おかしい人に真面目に反論して認識を改めてくれることもないし、批判が集まって反省することもないし、議論して自分の間違いを認めてくれることもない。誤読する人は、頭が悪いから誤読するのであり、人格破綻してるから作者がどんなに言葉を尽くして情報を補足しても「後出しで言い訳www」って馬鹿にする。そろそろ、なんらかの分断を煽るためにAIで投稿するbotだって出てくるだろうしね。一生懸命世界を良くしようと思って絡んでも馬鹿を見るだけ、徒労でしかないんだよ。
大昔、インターネットにつなぐのにも端末買うのにもお金がかかり、難しい設定ができる頭がいい人しかインターネットコミュニティにいなかったころは「インターネットの向こうにもまともな人間がいて、意見が合わなくても話しあえばわかりあえる」「荒らしは子供がほんの出来心でやってるだけでいずれ改心して黒歴史になるか、親に怒られてインターネットからいなくなる」みたいな牧歌的な幻想があったと思う。
でも、今は、「インターネットの向こうで不愉快なことを言ってる人は、刃物を持った異常者である可能性がある。かつてまともだった人も病気や加齢でおかしくなって硫酸を濃縮してる可能性がある(だから触れちゃだめだよ)」ってほうが正解に近いんじゃないだろうか。
なにしろ高齢化社会である。すばらしい業績をあげてみんなの尊敬を集めてたはずの有名人も加齢するとおかしくなったりする。若い頃あんなに聡明だった豊臣秀吉だって晩年はひどいもんじゃん。誰からもおかしさをたしなめられない環境で暮らしているうちに、気がつくと完全に狂ってたりするんだよ。インターネットって個人メディアだからそれを止める人がいない。手元のスマホやパソコンでポチポチ打って投稿すれば怪文書をパブリッシュできちゃう。で、盲目的な信者がそれを拡散したりさ。
サービス運営者は「あんたは異常者だから出ていってください」「年取ったから引退してください」というわけにいかない。「こいつは認知症のデマ野郎なので消します」ってことにはできない。そういうことをやると人権侵害とか言われるし訴えてくるやつもいる(twitterがトランプ凍結したときどうなった?)もし、追い出せたとしてもだ。おかしい人は垢BANされても逮捕されても、普通に戻ってくるよ。新しく無料メアド取り直せばいいだけだし、電話番号認証ある厳しいサービスでも新しく格安スマホの回線申し込んで安い端末買ったらロンダリング終了である。
インターネットでは異常者は野放しでしかなく、インターネット成年後見人制度なんてのはないし、インターネット接続禁止令も裁判所は出せない。リアルタイムで刑務所に入ってでもいない限り、誰かのインターネット活動に制約をかける仕組みはない。刑務所に入ったとしても自由の身になったらまたネットに戻ってくる。そういう事実にちゃんと向き合うべきだ。異常者に絡みに行って恨みを買っていいことなんて何もない。リスクしかない。もういい加減諦めて、不快な投稿はスルー、邪魔になるならミュートブロックが正しい振る舞いだと思うよ。
これ書いたきっかけはこの記事で、ヤフコメの他、はてなブックマークも言いっぱなし構造とか言われてたことです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/d8e8e3ed7d3da41b730bf31d2710ec51b55a4b79
反論できればどうにかなるとか、佐々木俊尚さんともあろうものがそこまで牧歌的ではないだろうと思うその一方で 「この人は、インターネットにキチガイ認知症境界知能がいるということを発言できない立場の人だ」と気づき、インターネット論壇の人でそれを言える人が誰もいないんだなと思って投稿しました。
「言論の場に立つべきでない人は存在するけれども、それを排除する差別行為はできないし、そういう人間の接続を切ることもできない」という問題、本当に難しいところだと思いますが、そこに触れず「反論されないことをいいことに好き勝手言ってる」みたいに矮小化させるのも不誠実な感じはしますよね。
いやあ、耳が痛くてもげそうだぜ!やめてくださいしんでしまいます。
団体の専従者数名が就職せずに「善行」で飯食って行くのが目的の全てみたいな誰も得しないショボい自己満足活動は今もザラにある。
そういうところに公金をイージーに流し込む行政の問題がまず一つ。
最初に言っておくけどこれ全部フィクションだからね。わかった?わかったなら次に進んでよし!
国の予想では近い将来人口ゼロ集落が続出すると予告されている町。
町だが、面積が無駄に広く人口密度はそこらの村よりも低い。自治体を維持するために昭和の大合併、平成の大合併で合併しまくった結果だ。
合併したのに従来の役場はそのまま支所という形で残し、行政改革をせずにくっつたけたけ。無駄に体力を消耗。当然集落の整理なんてできるはずも無くて、だらだらと消滅に向かっている。
この町がなんとなくでもやれていたのは、地方交付税に加えて、特殊な助成金が比較的簡単に取れるからだった。
電源立地補助金ほどは打ち出の小槌ではないが、そこそこ破綻してない申請書を書ければ、国から自動的に金が来ると言う程度の助成金がとれた。
ところが、近年になって渋くなってきた模様。そこでそれ以外の補助金に手を出すようになったのだが、流行のキーワードはこれ
「地域の力を生かす取り組み」
国もこの手の自治体に頭を悩ませており、いろいろな助成金を作って自立を促したり、整理を促したりしている。
その中で、良くも悪くも鈍い感じの自治体に改革を促すために、自治体単体ではなく、民間企業や、地域住民による地域作り団体などと共同で取り組む計画を求めるようになってきた。
こうして「おくにが考えたさいきょうの政策」を実現するために補助金を使っている。THE 補助金行政である。
とは言っても、そんな一緒にやってくれる企業などはそうそう転がっていない。
地元でがんばっている社長さんとかいるんだけど、既に頼られまくってどうしょうもないぐらいになってるのが普通。
地域おこしをするための地域受け皿がない。服を買いに行く服が無いみたいな話である。
行政の出資比率が高くなると駄目な場合があるので、行政の出資比率は見かけ上低くしているが、そのかわりに商工会議所とか、農協、地銀、信金とか、青年会議所関係とかに声をかけて出資させて、一般社団法人を作る。(オイコラそこ、めんどくさそうなメンツとか言わない!俺もそう思う)
そして、そこと共同でやるという枠組みを作ることによって、えらい人の威光を保ったたままに補助金をゲットしようと言う仕組みである。
さて、ここで求人をするとどうなるかというと、デフォルトで最低賃金での募集になる。
そもそも職なんかほとんど選択肢が無いような地域だ。社会貢献ができますよ、と言うところと、自治体が出資している安定した組織に、学歴職歴関係なく就職できるという二つばかりが注目されて人が来るのである。
だから、意識の高い系職員と、ほとんどコネで送り込まれてきたような意識の低い系職員が混ざり合ったカオスからスタートする事になる。
さて、こうしてできた一般社団法人。当時の政治家が鳴り物入りで作ったお国の制度の補助金が出る3年間はある意味やりたい放題である。
給料は安いが、儲けや結果は求められないままに、申請書をぺらっと書けば金は使える。拠点も昔補助金もらってうっかり作っちゃった交流センターを事実上の払い下げ。
行政の看板を使えるからみんなとりあえず話を聞いてくれるし、人も集まるし、金を配ってるような状態だから表面上は感謝もされる。
国の政策集にものったりするから県知事や国会議員が視察にきたりして、注目を浴びて自分がえらい人になった気になる。
何故3年かというと、中央省庁の官僚がそれぐらいで担当替えするから。そして新しい担当になった人物は、前任者がやったそれがどんなに成功していても、引き継いだところで自分の実績にならないので、打ち切るのが普通なのである。
当初の補助金が切れるとどうなるのか。
社会の中で困ってる人に手を貸そう的な活動において重要な・必要なものは、まず実務的な知識・スキル。マンパワー。(金のことを含む)行政との連携。
でも実際に活動の現場にずっと残りがちなタイプは「世直しさん」である。理念を口にするばかりで実務軽視。無駄に好戦的な無謬の正義マン。好きな言葉は「心によりそう」「つながり」。仕事がデキる実務家タイプは潮時を見つけていずれ退出していく。
国の補助金が切れた後、1年は現在の体制が維持できるだけの金を町が用意してくれた。ただお先真っ暗なのはあきらかなので、実務的にいろいろやってくれていた頼りになる人ほど、培ったコネを使って退職していく。
そして、残るのは、
もう解散してしまえ、と思うのだが、この状況に至っても広げに広げた大風呂敷を畳む奴はおらず、地域のキーパーソンに声かけまくって作ったためにしがらみが多すぎて、いつの間にかこの一般社団法人を維持していくことが目的にすり替わる。
そうして今はどうしているかというと、元々作られた地域振興のための団体、と言う看板は下ろせないままに、行政仕事の便利屋みたいなポジションになっている。
上の奴は本来は自治体職員が自らやるべき仕事だが、我々がやると、なあんと!全員最低賃金報酬非正規雇用で人をこき使えるよやったね!
社団法人を維持するためと言う大義名分で役所から出してもらっていたが、心ある町議会議員様から、それは利権だろと正論ハラスメントを受けて価格ヤスクを徹底された結果ご覧の有様です。
団体の専従者数名が就職せずに「善行」で飯食って行くのが目的の全てみたいな
ははは……。
この中で最も実入りがいいのがプロモーションビデオ作成なんだから笑える。
そして、町の仕事で安泰なんでしょとか、儲かってるんでしょとか言われる。うるせーばか
非営利の「社会的課題の解決を志向する活動」におけるコンプライアンスとは、もっと攻めの姿勢のものであるべきだ。
はい。
自分たちだけが秘密ヒーロー戦隊じゃダメなんだよ。全てをオープンにして「出資者」も一緒に運用を考えるんだよ。何にどうリソースを投じるべきか、それでその先どうなるか。コンプライアンスは制限じゃなくて指針なんだよ。
そして情報公開こそがその団体の、活動の命綱だ。
リアル社会でのリアルな人助けってのは難しい「大人の仕事」なんだぜ。
おっしゃるとおりです。
まぁ、今、地域おこし協力隊で面白い兄貴が来たのと、あと何人かを抱き込んで、反旗を翻そうと準備は進めている。今に見てろよ!
じゃなかった。
暖かく見守っていただけるとうれしいです。
例のコラボの件。
社会的な課題の解決を志向する団体活動のありかたについて、本邦の残念な現状が炙り出されていると思う。
トーンポリシングと言えばそれまでだが、その「お行儀の悪さ」はコラボやコラボ側弁護士の独善的な言動に一定の正当性を与える。
戦略としてやってるつもりなのだろうが、どっちもどっちで本当にいいのか。
そして「そこほじくったとて…」という明らかにショボいネタまで敢えて大仰に取り上げて犬笛吹きまくっている。「タイヤ交換が”久しぶり”ということは…!?」とかってさあ。勝手ファンネルどもには事の軽重は区別つきゃしないからな。何でも陰謀の尻尾に見えて「つながる…全部つながるぞ!」となってる連中を止める気は毛頭ねえのな。「女性差別を目的とする妨害行為」というコラボ側の主張を事後的に自己成就してしまってるがな。
仮に各方面からの疑惑の指摘の数々が事実だったとして、おそらくコラボなんて別段悪質なほうじゃないのだ。相対的に。
それなりに活動実績もあるし、寄付金着服で贅沢三昧しているわけでもない(だろう)。
一方で「大雪りばあねっと」のような大規模横領事件がかつて明らかになったことがある。
団体の専従者数名が就職せずに「善行」で飯食って行くのが目的の全てみたいな誰も得しないショボい自己満足活動は今もザラにある。
そういうところに公金をイージーに流し込む行政の問題がまず一つ。
池のかいぼりや、ゆるキャラやふるさと納税みたいにいったんブームに火が付けば小役人は右に倣えだ。惰性で乗っかっておけば仕事してる風のアリバイになる。ブーム前に提案されても耳も貸さない。責任とチャレンジのないミーハー行政。その時々の流行を追った、聞こえのいいネタさえ持っていけばチョロいもの。
会計の透明性や活動内容のクオリティについての説明責任、やりがい搾取問題、そういうことについてはガバガバなのがむしろふつうだろう。コラボばかりが特段悪質ではなかろうというのは、擁護ではない。界隈全体へのDISである。
社会の中で困ってる人に手を貸そう的な活動において重要な・必要なものは、まず実務的な知識・スキル。マンパワー。(金のことを含む)行政との連携。
でも実際に活動の現場にずっと残りがちなタイプは「世直しさん」である。理念を口にするばかりで実務軽視。無駄に好戦的な無謬の正義マン。好きな言葉は「心によりそう」「つながり」。仕事がデキる実務家タイプは潮時を見つけていずれ退出していく。
「困ってる人」の「心に寄り添う」ことがいかに高度にテクニカルでリスクをはらむ行為なのかということが正義マンにはわからない。
例えば宿なしの未成年を保護しておいて、「決して無理強いではなく、結果的に」別の政治活動にオルグしたりなんてこと、死んでもあってはならない。「そんな別におかしな活動ではないよ」そんなん関係ないんだよ。そこは鉄の壁で隔てておかないと全てが台無しなんだよ。わかんねえかな。わかんねえんだよな。
非営利団体の活動がガバガバになるのは「悪意でもって金をポケットに入れる輩ばかりだから」ではない。「営利」の原理と別のところでひとの金を運用するということの難しさをナメているからだ。
「自分たちは善意の団体なので、信じて任せてもらって大丈夫です」そこから躓きは始まっている。「本当か?着服してんじゃねえか?」そういう人が現れた時に「心外な!我々の正義に泥を塗ろうというのか、許さん」そういう方向でつっぱって、どこに行きつくと思ってる?
コンプライアンスという言葉の意味は、儲けが第一の営利企業なら「最低限のルールは守ってますよ」という単なるアリバイの意味になることが多いだろう。本当は違うけどな。
非営利の「社会的課題の解決を志向する活動」におけるコンプライアンスとは、もっと攻めの姿勢のものであるべきだ。
自分たちだけが秘密ヒーロー戦隊じゃダメなんだよ。全てをオープンにして「出資者」も一緒に運用を考えるんだよ。何にどうリソースを投じるべきか、それでその先どうなるか。コンプライアンスは桎梏じゃなくて指針なんだよ。
金の出どころが税金なのか寄付なのかというのも別に本質ではない。
私的な寄付だからどう使おうと文句つけられる筋合いはないというのは既に独善サイドに転んでいる。人の金預かって運用するということに違いはないので。
正義の旗手がアプリオリに正義を独占して正義を執行する。それにケチつけるものは即ち悪。そんな幼稚な世界観からいい加減脱却しないか?