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2022-02-19

石原発言まとめてみた

1977年環境庁長官水俣病患者施設を視察した際に患者から抗議文を手渡される。
   会見で「これを書いたのはIQが低い人達でしょう」「補償金が目当ての“偽”患者もいる」と発言
   土下座して謝罪。その状況の画像は今もインターネット上に残っている。
1981年 石原の弟が倒れた際、小笠原諸島から自衛隊機を呼びつけて帰京した。燃料代は160万円
1982年 石原第一秘書対立候補ポスターに「北朝鮮より帰化」というシールを3000枚以上貼り付け。
   秘書現行犯逮捕される。
1987年運輸大臣・身内のヨット仲間の忘年会の席上で「小網代港の魚網はヨット邪魔から運輸大臣任期中に取り除かせる」と発言
  宮崎にあったリニアモーターカー試験場で試乗した際
   「ブタ小屋、トリ小屋の間を(リニアモーターカー宮崎県内の実験線が)走っており、日本技術力を世界に示すにはふさわしくない」と発言
   その後記者会見謝罪しかし更に「言ってない。謝って損した」などと話した。
2000年東京都知事・「週刊ポスト」で「私は半分以上本気で北朝鮮ミサイルが1発落ちてくれたらいいと思う」とコメント
2001年 ロサンゼルス・タイムズインタビューで「北朝鮮ミサイル日本に当たれば、長い目で見て良いことだろうと思った。」と発言
2006年 文部科学省伊吹文明大臣宛にいじめ問題解決するよう嘆願する手紙が届いた。
   この手紙には「改善されなければ自殺する」と書かれていたことを受け、石原
   「予告して自殺するバカはいない。やるならさっさとやれ」と暴言を繰り返した。
2011年 東日本大震災について
   「日本人のアイデンティティー我欲。この津波をうまく利用して我欲を一回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う。と発言
2016年 小池百合子都知事に対して「大年増の厚化粧がいるな」「厚化粧の女に任せるわけにはいかない」
   小池氏は顔のあざを隠していると明かしている。それにかこつけた発言
2020年 ALSについて『業病』と表現

ぶっちゃけ多すぎて全部まとめるの無理だわ。

かいの含めたらこの10倍あるんじゃない?

引用元

石原慎太郎の言動録 -この危険政治家監視する-

http://camelop.g2.xrea.com/isihara/isihara_gendou1999.html#IQ

石原慎太郎が差別発言「(障害者に)人格あるのかね」「(水俣病患者文書に)IQ低い」

https://biz-journal.jp/2017/03/post_18396.html

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https://anond.hatelabo.jp/20220218161823

2022-02-01

石原さんは政治家としてはよくわからなかったが、

文学者文芸者としては超一流だった。都知事の会見での回答なども文学者っぽかった。

そういう点では宮崎駿監督も同じ匂いを感じる。絵描き映像監督政治家で違うけども、根本文学者だと思う。

文学新聞メディアの中心でなくなった以上、こういう人はもう現れないだろうなあ。

石原慎太郎氏、自作を語る『わが人生の時の時』、死の影と生の充実

2019.2.21 10:12 ライフ 学術アート

ときさし石原慎太郎インタビュー

「こんなにいろいろ体験した物書きはいない。ある意味、ぜいたくな人生だと思うよ」と話す石原慎太郎さん(酒巻俊介撮影

DSC_3468『わが人生の時の時』

小説集や文庫に収められた『わが人生の時の時』

 政界引退して4年余りが過ぎた石原慎太郎さん(86)はサッカーヨットダイビングに、とさまざまなスポーツに熱中してきた。そんな“肉体派作家身体感性が鮮やかに結晶したのが、平成が始まって間もなく刊行された自伝的掌編集『わが人生の時の時』(平成2年)。かけがえのない時の断片を乾いた筆致でつづった40の掌編は死と隣り合わせにある生の輝きを静かにうたいあげる。(聞き手 海老沢類)

 この本は不思議きっかけでね、大江健三郎のおかげなんですよ。テレビ局の依頼で反核運動が盛んだった西ドイツ(当時)に取材に行ったら、同じ目的で来ていた大江と会った。ベルリンの壁の前で僕は覚えたてのスキューバダイビングの話を彼にしたんです。この本に書いたオキノエラブウナギという猛毒をもった不思議ウミヘビと遭遇した体験を語って「海の底全然違う宇宙で、いろんな発見があるんだ」と。大江はやけに感心して「石原さん、そういう話、絶対書きとめておいた方がいいですよ」と言う。

 思えば、僕は他の作家にはない体験をしてきたし、いろんな人と出会って面白い話も聞いてきた。人生を記録として残そうとしたんです。書きながら人生を感じ直したよね、強烈に。

 《収録された40編の多くが海での体験談。知人の遭難自身の大けが、巨大な生物との遭遇などが回想される。弟の俳優裕次郎さんとの別れや霊の存在示唆するような不思議出来事戦時日常も描かれる》

 僕は肉体派からね。肉体を使った行為というのはその裏側に必ず死の影がある。スキューバダイビングでも随分怖い目に遭ったし、遭難にも立ち合った。避けようもない落雷ヨットの甲板上で目にする「落雷」という一編があるけれど、あのときコンパスクルクル回るのが気持ち悪かったね。

 ただ僕はね、恐怖は人間が味わう一番の感動だと思う。恐怖が通り過ぎた後には安息があるし、たった今過ぎていった凝縮された時間の充実をも感じる。死とのコントラストの中での生の味わいは深いですよ。死は人間にとって最後の未知だから興味がある。この掌編群はいわば、いつ死ぬのかな、という緊張の中でとらえた生と死のフラグメント(断片)なんです。

 戦時体験も書きました。横須賀から出航する前、家族最後の別れをする将校の姿とかね。僕らをかわいがって膝の上に乗せて頭をなでてくれた青年将校が死んでいく。その妻が葬式で何も入っていない骨壺を抱いている…。戦争不条理残酷さは僕の中に鬱積して、国家への愛着、そしてアメリカに対する反発となった。盛田昭夫さん(ソニー会長)との共著『「NO」と言える日本』(元年)もそういうもの潜在意識にあって書いたんです。

 《26年、衆議院議員最後政界引退。精力的に執筆を続け、田中角栄元首相の生涯を一人称でつづった『天才』(28年)は大ベストセラーに。現在文芸誌に小説を連載する》

 随分危ないこともやってきたと思うけれど、僕はそれはそれでとてもエンジョイしてきた。自分をつき動かすのは結局、人生に対する好奇心なんだよね。

 ライフワークが一つあってね。仏教徒から法華経現代語に訳そうと思っている。法華経は非常に哲学的で、存在時間について深く考えさせる。今は道半ばだけれど死ぬまでに完成したい。

 やっぱり小説が一番面白いよ。政治家同士のだまし合いなんか、最も薄っぺらいね。僕は作家だしヨットマンですよ、ずっと。でも時化(しけ)たレースではさすがにもう乗れないな。

 『わが人生の時の時』 文芸誌「新潮」の平成元年10、11月号に掲載。翌2年に新潮から単行本刊行され、後に文庫化された。『石原太郎文学』(全10巻、文芸春秋)の第8巻に、エッセー『わが人生の時の会話』とともに収められている。

 〈いしはら・しんたろう〉昭和7年、神戸市まれ一橋大在学中の30年に「太陽の季節」でデビューし、翌年に同作で芥川賞。『化石の森』で芸術選奨文部大臣賞、『生還』で平林たい子文学賞。43年に参議院議員当選。後に衆議院に移り環境庁長官、運輸相などを歴任平成11年から24年まで東京都知事を務めた。

https://www.sankei.com/life/amp/190221/lif1902210022-a.html

 
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