はてなキーワード: ヴェニスとは
糸井重里の『MOTHER』を解き終わった。ラストでは泣いてしまったさ。けれども僕の気持ちがほんとにキュンと来ちゃったのは、最後に流れるスタッフロールの、その最後の最後に書き込まれた名前を見たときだった。きみがまだゲームを解き終わってないと、それが誰の名前だか言っちゃつまらないから、ここでは伏せておくよ。
でも、僕は泣けたな。ラストとは違う感じで。そして、あの人のことを思い出したんだ。僕が昔ゲームセンターでよく会ったあの人のことを。
その頃、僕はあるビデオゲームに熱中していた。どうしてもクリアできないエリアがあって、いつもあと少しのところで、僕のシップは大破してしまうのだった。くやしくて、ありったけの百円玉をポケットに、ゲーセンに通う日が続いた。
「レバーを力まかせに動かすだけじゃだめだよ。もっと敵の動きを冷静に見るんだ」
あの人は、僕の後ろから声をかけてきた。
「きりもみ回転する敵の軌跡を見てごらん。ほら、最初に現れた無人の円盤と寸分たがわない動きをしているじゃないか。あのきりもみは、きみを驚かせてあせらせて追いつめるための見せかけの回転にすぎないんだ。怖がらないで」
そのとおりだった。画面に、高速回転する敵機が一挙に来襲すると、僕はただあせってしまって、自分で自分を隅に追いつめていただけたった。
「画面に映ったものよりも、形や動きのおおもとを読むんだよ」
あの人のひと言で、クリアできなかった危険なエリアを通過したときの僕のうれしさときたら、そうだな、あれに似ていたよ、初めて自転車に乗れたとき声をあげたくなる感じに。その日から、あの人と僕はゲーセン友だちになった。
あの人は20歳くらいに見えた。僕はまだ中学生で、2人はいつもゲーセンで出会った。
あの人は、ちょっと気取ったところがあった。僕に名前を明かしてくれないのだ。どうしてもと、しつこくたずねると、
と言って笑った。ゲーセンのニモ艦長。もちろんそのとき、僕はニモ艦長が活躍するお話を知らなかったし、ニモって言葉の意味もわからなかった。
「名無しの」といえば、そうそう、あの人は不思議なことを言っていた。
「僕がこうしてゲーセンにやってくる理由がわかるかい?それは、ここがまだ名前の付けられていない場所だからだよ」
そんな、と僕は言いかけた。あの人は口に指を立てて、「しっ! そんなに大きな声を出しちゃ、オヤジが起きるぜ」
店番のオヤジは両替台に座って居眠りしている。あの人は続けた。
「ここには、『UFOハウス』って名前があって、ほかにも『ゲームセンターヤマト』とか『パンプキン」とか、そしてそれをひっくるめて、ゲーセンって呼ぶ名前がある。でもそれはすごく不確かな呼び方なんだ。大人たちは、どうも名付けたがるくせがあるからね。ほんとうは僕ときみがいま会っているこの場所に、名前は未だ無い」
そして、
「名前が無いってことは、歴史も未だ無い。それはとても素敵なことだ」
とつけくわえた。
「でも、あいつらは名付けられないものに恐れを感じて、必ずやってくるんだ。もうすぐ、ここも追いつかれてしまうよ。夜の12時になると、たとえきみがゲームの途中でも、オヤジが申し訳無さそうに言うんだ。百円玉は返すよ、って。そして台の横にあるスイッチをいきなり切ってしまう。画面の真ん中に小さな輝点が残ってそれで終わりだ。きっと、あいつらが言いたいのはこういうことさ。12時を過ぎたら、魔法の馬車はただのかぼちゃに戻る。どうだい、少年、やっぱりかぼちゃだったろう、って」
僕は、なんだかその話を聞いてむしょうに悲しくなって、レバーから手を離してしまった。僕のシップは敵弾の雨あられのなかで、4パターンの書きかえの小さな爆発を起こした。
それからしばらくして、新風営法でゲーセンが12時に閉まることが決まったと、友達に聞いた。あわてて僕はゲーセンに走った。もしかしたら、まだ間に会うかもしれない。でも、その期待はやっぱり甘くて、僕はあの人と会えなくなってしまった。
あの人が、ゲーセンで僕に教えてくれた事は多すぎて、とてもここには書ききれない。あの人は、なにもかも知っているようだった。でも、教師のようにふるまったことはけっしてなかった。たとえばある日、あの人は、ゲーセンの目立たないところに置かれた古いキャビネットのほうを見て、「あそこに白雪姫のお付きの精が降りてきているよ」
と言った。
パックランドの追っかけモンスターのインキー、ピンキー、プリンキーたちは、白雪論姫に登場する七人の小人に気持ちを託して名付けられたものだ。そのことを僕が知ったのは、ついこのあいだのことだ。ニモ艦長はいつも答えを教えないで、真実やそれに近い何かを伝えてくれたのだ。
『MOTHER』の最後の最後、スタッフコールの最後に書かれた名前。それに関することを、ニモ艦長が話したときがある。
映画『トロン』を観て興奮気味だった僕が、あんな素晴らしい映画はない、とあの人に話したとき、
「ほんとうに、そう思うかい?」
いつになく神妙な顔をされた。やがてそれは気難しい顔に変わって、やりかけのゲームが終わるまで沈黙が支配した。そしてニモ艦長は話しはじめた。
「あの映画のすべてがいけないとは思わない。たしかに、あの映画は機械のなかで起こりつつある事件を見えるようにしようとしている。でも、プログラムとユーザーの関係きみにわかりやすいように言えば、ゲームとゲーマーの関係はあんな撮り方じゃ不十分なんだ。ゲームは、もっと素敵なものだ。そしてそれはプレイするきみが素敵を目指してプレイするからなんだよ。とても大切な事でいちばん目に見えない部分を、あの映画はバッサリ切っている。そしてそれは、どうじ同時にとても危険なことでもあるんだ」
僕はギクッとした。あの人がこんなに説明口調になったことは無かったし、艦長は怒っているようにさえ見えた。僕があの映画でひっかかりながらも放っぽらかしていた暗闇に向かって、あの人は矢を引いたのだ。一気に話しすぎたことを後悔したのか、あの人はちょっと照れくさそうにした。そして
「……だったら」
と誰にも聞こえないような声で、つぶやいた。その……の人の名前を、僕は聞きとることができなかった。(でも、今の僕にはあなたが呼んだ人の名前を言いあてることができます、艦長。「ウォルトだったら」とあなたは言いたかったのですね)
「もうすぐ、3つの夢の時代がはじまる。いいかい、まず最初の夢は生きものならばみんな見る眠りの夢、ふつう夢と呼ばれる夢がいちばんめの夢だ。それから、最後のは、きみの現実、つまりみっつめの夢は現実という夢だ。そのあいだに入るふたつめの夢、それはいままでもあるにはあったんだけれど、ひとによっては大きくなかったりした。この、ふたつめの夢の力が増して、3つの夢を平行して見る世の中がはじまる」
ふたつめの夢いは僕がみているゲームのなかの夢も入るんですね、と僕は心のなかでうなづいた。
「ふたつめの夢がコンピュータやビデオの信号でやりとりされると、時間や場所を超えて急に勢力を伸ばしはじめる。ほんとうは、このふたつの夢は、類人猿が骨を空中に投げ上げた瞬間に生まれた夢、すばらしい力を持っている夢なのだ。同時に、コンピュータやビデオを通じてコピーされたこの夢の力は、ときに他の二つの夢をねじふせてしまうような恐ろしいことを起こしてしまうときがある。大切なのは3つの夢のあいだを自由に飛び回れるきみの勇気だ。画面にうつったものは、画面の外部にあるものの投影に過ぎない。画面は直接光を発しているが、それを救いの光だと勘違いしてはいけない。それでも、勘違いしやすいんだな、人間は。なんていうか、そそっかしいから」
「また、ふたつめの愛は、森にたとえられるだろう。深くて暗い森のなかで、ときに地図やコパスは役に立たないことがある。迷わないためには、パンくずをちぎっていく方法だ。だけど、パンくずにたよりすぎると、鳥が食べてしまうこともあるから気をつけなくちゃいけないよ」
僕は、とても幸せな気持ちになった。ゲーセンには30台くらいのビデオゲームがあって、それぞれがそれぞれの夢を反復していた。サーカスの玉乗りの夢、第二次世界大戦の飛行機乗りの夢、迷路で怪物に追いかけられる夢、未知の惑星の上空を飛ぶ夢。それぞれのキャビネットがゲームミュージックを奏でている。なにも知らない大人たちには、騒々しくて不快な空間だろう。でも、僕にとっては、ディズニーランドのエレクトリカルパレードなのだ。これはやっぱり美しいシンデレラの馬車だ。たとえ、意地悪な大人たちが寄ってたかって、かぼちゃだと言いふくめようと。
『MOTHER』を最後まで解いた人は、『MOTHER』のストーリーとはまた別の、でもどっかで『MOTHER』とつながっている、僕とニモ艦長のストーリーに興味をもっていただけたと思う。
この夏、『インディ・ジョーンズ3』を僕は見た。そして、きみも知っている不幸な事件に心を痛めた。
「Both You and I have FUTURE.」
その男は、中学を卒業するときの色紙に、そう書いた。「君と僕には、未来がある」それは僕とあの人の、ゲーセンでの暗黙の取り決めと同じだった。
艦長、どうしてあなたは、あの男に話しかけなかったのですか。それとも、僕が大きくなるにつれてあなたのことを忘れがちになったように、あの男も昔は艦長とよく話をしたのですか。色紙に書かれたメッセージは、艦長とあの男の合い言葉ではなかったのですか。
僕はそこで筆を置こうと思って、引き出しを開けた。そこにはブルーの便せんに書かれた手紙が。僕は急いで開封した。
インディ3を観た親愛なる君へ 君は成長したことと思う。インディ3は、人類最大の隠された宝物、聖杯をめぐる物語だったね。聖杯は、ときや場所を変えて現れる。今日までたくさんの騎士や冒険者たちが聖杯を求める旅に出た。聖杯を、悪い考えの者が手にすると恐しい災いが身にふりかかる。そして探索の旅に出る者はみな自分が正しいと思っているから、誰にも災厄がふりかかるかはわからない。その人たちの前を、意外なときに聖杯は横切っていくんだ。 そこで質問をしよう。聖杯には及ばずとも聖杯に敬意をささげてプログラミングされた宝物が、初期のコンピュータゲームのなかにある。ウィザードリィの名刀ムラマサですね。「艦長!」と僕は、机の前で声を上げた。サムライにとって聖杯に匹敵する名刀、迷宮の最下層にあって誰も手にしたことがないと噂される名刀ムラマサ。だから、ムラマサの噂は画面を越えて僕たちのあいだを活き活きと駆けめぐったんですね。パックマンの世界に白雪姫の小人たちが棲んでいたのと同じで、気をつけなきゃいけないのは、聖杯はいつも聖杯のかたちで現れるのではないと、あなたはおっしゃりたいのですね。
君はもう立派な若者だ。君は、君の聖杯を探す旅に出なければいけない。君がプレイヤーなのだ。そして、忘れてはいけない。3つの夢の時代に入るとき、あの不幸を繰り返してはいけないんだ。インディの父を思い出してごらん。斎にこもりながら、あの人は古文書と向き合うことで時間と空間を旅していたんだよ。あれが、ふたつめの夢の力の正しい使い方だ。ヴェニスにあるテンペラ画を、あの人はアメリカの片田舎に居ながらにしてスケッチしていたじゃないか。そして、インディアナの実際の冒険も、あの人の正しい力が守ってくれたんだ。 そして、僕も旅に出よう。きみの言うとおり、僕は臆病者だった。ふたつめの力が予想以上に強くなったので、虚無と手とつなごうとさえ考えたこともあった。あやうく過ちを犯すところだった。また。探索の旅のとこかで、僕ときみは出会えるだろう。 Summer,1989 Nemo.
(1)はこちら。anond:20210212080317
好き。ただし、当時の人にしかわからないパロディやジョークが多く、というかこの本を通じてしか残っていないのもあるので、純粋に笑えるかどうかはわからない。とはいえ、わからないなりにナンセンスさは楽しく(「ぽっぺん先生」シリーズにも引き継がれている)、トーベ・ヤンソンなどいろいろな人の挿絵も楽しめるし、こじらせ文学少年・文学少女とも仲良くなれるかもしれない。大学時代の読書サークルは楽しかったなあ。
ドストエフスキーの小説は基本的に頭がおかしい。ドストエフスキー自身がギャンブル依存症でユダヤ人嫌いのヤバいやつだし。
登場人物は基本的に自己主張が激しくて感情に溺れやすく、数段落数ページにまたがって独白する。プライドが無駄に高くて空想癖がひどく、思い込みが激しくて人の話を聞いちゃおらず、愛されていないのに愛を語る。そしてそんな奴らが大好きだ。
ぜひとも増田をロシア文学沼に落としたいのだが、いかんせん「悪霊」を含む五大長編から挑戦するのはハードルがあまりにも高いので、「永遠の夫」か「賭博者」か「地下室の手記」か「白夜」からがおすすめ。ロシア文学はいいぞ。
ところで、高校時代の友人曰く「ドストエフスキーにはまるのは自己愛と自己嫌悪の衝突を必死にプライドで支える人間、言い換えるとモテない」とのこと。ひどい。
こっちはスマートなほうのロシア文学。一家が没落して家や土地を売らないといけないのに、家の経済状態をわかっておらず(認めず)すぐに物乞いに金貨を上げちゃう、現実の見えていないお母さんのキャラが強烈。ギトギト描写するドストエフスキーに対し、勘所をびしりと抑えるチェーホフ。
実家のお母さんと(特にお金関係で)うまくいっていない人におすすめ。
未読。怪作「木曜日だった男」は読んだんだが。ミステリはあまり読んでいないのでそのうち読む。
誰もが冒頭のマドレーヌの香りから想起されるママンとの思い出についてしか語らず、たぶんみんなちゃんと読んでないからなのだが、実は無職のマザコンが自分の性の目覚め(野外オナニーを含む)やソープ通いや失恋の思い出について延々と語っている話で、何度語り手に向かって「働け!」と言いたくなったことか。
しかし、実のところ登場人物の九割がLGBTという当時としては非常に先進的な小説で、さらに当時炎上していたドレフュス事件という両陣営を真っ二つに分断した冤罪事件をネタにもしているので(今でいえばMeTooやBLMに相当する)、実は差別反差別についていろいろ語っている増田たちにすごく刺さる内容だと思う。俺差別してないし~、あいつは〇〇人だけどいいやつだよ~、的な態度もぐさりとやられている。最高でしかない。
ちなみに、金に苦労しないボンボンがうだうだ恋愛で悩む小説が好きになったのはこの本のせい。「アレクサンドリア四重奏」とかね。
不条理ギャグすれすれで訳もわからずひどい目に合う小説。いきなりこの小説にチャレンジするのはしんどいので、まずは「変身」か岩波文庫の短編集を読んで、カフカのノリが気に入ったら読むといいんじゃないかな。
読んでいるとカフカがお父さんのことめちゃくちゃ苦手だったってのがびりびり伝わってきて気の毒(カフカは線の細い文学青年、父は叩き上げのビジネスマン。想像できるでしょ?)。お父さんとの関係がこじれている人におすすめ。
最高のダメ人間小説。精神勝利法なることばはどこかで聞いたことがあるんじゃないだろうか。作者は当時の中国人の意識の低さを批判したつもりらしいが、万人に刺さる内容。
ちなみに自分はダメな人間、情けないやつ、どうしようもないやつが大好きなので「指輪物語」のゴクリ(ゴラム)だとか、「沈黙」のキチジローだとかが大好きです。
さえないおっさんが妻の浮気を知りながら一日中ダブリンの町をウロウロするだけの寝取られ小説で(途中で女の子のスカートをのぞいて野外オナニーもする)、このリストの前に出てきた「オデュッセイア」のパロディでもある。
これだけだと何が面白いのかよくわからないのだが、実は当時の反英的な機運の高まっているアイルランドの空気を活写している。それだけではなく小説の様々な実験的手法の見本市みたいになっており、和訳もすごい。たとえばある章では英文学の様々な文体を歴史順に真似て英文学の発展をパロるのだけれど、和訳ではその章は祝詞に始まって漢文になり、漱石や芥川の文体を経て現代小説になるという離れ業で訳している。これがもっと無茶苦茶になると「フィネガンズウェイク」になるのだけれど、すでに言語の体をなしていないのでまだ読めてない。
上記の説明でドン引きしないでください。「ダブリン市民」をお勧めします。
結核療養サナトリウム小説。北杜夫ファンの間で有名な「ねーんげん的」の元ネタ。あらゆる知識を山のサナトリウムで吸収した主人公の運命やいかに! 「ノルウェイの森」で主人公が京都山中の精神病院にこの本を持っていくのは村上春樹なりのジョークか。
ただし、やっぱり長いので美少年萌えな「ヴェニスに死す」か陰キャの悲哀「トニオ・クレーゲル」にまずチャレンジするのがおすすめ。
はまったら「ブッデンブローク家の人々」や「ファウストゥス博士」を読もう。
洗脳エンドのディストピア小説なんだけど、増田で「一九八四年」が古いと言われてしまうんだったらこれはどうなるんだろ。読むんだったら他の「すばらしい新世界」とか「ハーモニー」とかと読み比べて、ディストピアの概念が現実の社会の変化に合わせてどんな風に発展してきたからを考えながら読むと面白いのかも。
未読。長すぎる。
未読。
文学サークルの友人に勧められて読んだんだけど、とんでもない小説だった。あらすじとしては、野望に取りつかれた南部の人種差別主義者が自分の帝国を作るために理想の女性と結婚するが、その女性に黒人の血が混じっていたために離婚して別の女性と結婚することから始まる、二つの家系の因縁話なのだが、時系列がしっちゃかめっちゃかなのでとにかくその男の妄念とその子孫の不幸ばかりがじりじりと迫ってくる。あまりにもすごかったのでフォークナーの他の作品は読めておらず、黒人差別を扱った小説も怖くて読めていない。
未読。
読んだがよくわからなかった。うつ状態のときには時間の経過さえも苦痛で、それを救ってくれるのは音楽だけだ、的な話だったか。とにかく本を読み漁っていたころ、新潮文庫のサルトル短篇集を意味も分からず読んでいたのを思い出す。わけもわからないままヌーベルヴァーグを観ていた頃だ。さっき出てきた高校時代の友人曰く「フランス映画のあらすじはセックスして車で逃げて殺されるだけだ」とのことだが、起承転結に還元できない小説を楽しむようになったのはこの頃からだった。
未読。
短いのですぐ読める。ゴドーはいまだに再臨しないキリストのアレゴリーだという説もあるが、実際のところはよくわからない。意味の分からない話だけど、僕らの人生も結構意味不明だよね、みたいな感じか。
未読。「愛人」は読んだが記憶のかなた。まだ幼くて没落する富裕層とその爛れた愛を十分に楽しめなかった。
どうでもいいが自分が年上萌えに目覚めたのは「海辺のカフカ」のおねショタシーンです。
レムの作品の中では一番好き。たとえ出てくる科学技術の描写が古くなっても(SFだとこういうことはよくある)、理解できない対象として立ちふさがるソラリスという惑星の描写は古びない。
SFは考えうるあらゆる可能性を検討し、人類の達成しうることや宇宙の中での意味について想像力の境界をどこまでも遠くまで広げていく文学だ。中には人類がろくでもない理由で滅亡してしまったり、人間など取るに足りないという悲観的なヴィジョンに至ってしまったりするものまであるが、それでさえ美しい。なぜなら、想像力がヒトという種の肉体に縛られまいと羽ばたいた結果なのだから。
最近SFをろくに読んでいないが、元気が出たらまた読みたいものだ。
初めて読んだラテンアメリカ文学。起こりえないことが起こり、名前がややこしいので誰が誰だかすぐに混同され、しかもそのすべてが意図的である。混乱してもとにかく読み進めてほしい。目の前で起きる不可解な出来事をまずは楽しもう。
慣れてきたら、これが不条理としか言いようのない南米の歴史の縮図だとかそんなことを考えてみるのもいいかもしれない。この本のおかげでボルヘスに、バルガス=リョサに、ドノソに出会うことができた。
一説によるとこの本が文庫化されるとき世界の終末が近づくという本の一つ(未確認情報)。新潮社がなぜか頑なにハードカバーしか出さない。ちなみに「薔薇の名前」にもそうした風説がある。
インド独立の瞬間に生まれた子供たちが全員テレパシーの使い手だった! こんな話があの岩波文庫に収録されるんだから世の中わからない。
主人公は裕福な家で育つが、じつはそれは出産時の取り違えによるものであり、誤って貧しいほうで育ってしまった子供が復讐にやってくる。それも、真夜中の子どもたち全員を巻き込む恐ろしい方法で。
インドとパキスタンの分裂、人口抑制政策、そういったインドの歴史をちょっと頭の隅っこに入れておくと面白いが、昼ドラ的な入れ替わりの悲劇の要素のあるSFとして娯楽的に読める。権力を持った強い女性に対する嫌悪感がほんのりあるのが難点か。
ちなみに、「悪魔の詩」も読んだが、(亡くなった訳者には本当に申し訳ないが)こっちのほうが面白かった。あれは当時のイギリスのポップカルチャーがわかっていないと理解が難しい。
独自の神話的なヴィジョンで有名らしいんだが、邦訳あったっけ?
未読。
卒業旅行でパリに持って行った。たぶん時期的には最高だったと思う。とにかく血だとか死だとか堕落だとか退廃だとかそういうのに惹かれる人生の時期というのがあり、まさにそのときに読めたのは幸せだった。もっとも、所詮自分はそれらを安全圏から眺めていただけだったが。
同じく卒業旅行でパリに持って行った。残念ながらフランス語はわからないのだが、フランスのサンドイッチは最高だった。当時はまだピュアだったのでキャバレーやフレンチカンカンは見に行っていない。
未読。
未読。
ドストエフスキーの作品がカーニバル的、つまり一斉にいろんな出来事が起きてしっちゃかめっちゃかになって、日常の価値観が転倒する、みたいな内容。確かにドストエフスキーの作品は爆弾抱えた人間が一か所に集まってその爆弾が一斉に大爆発、的な内容が多い。
ただ、これ以上のことは覚えていない。実はあまり文芸批評は読まない。
未読。
疲れたので続編をやるかは不明。日本文学や哲学・思想は海外文学ほど読んでないし。まとめてみて、遠ざかっていた文学に久しぶりに手を伸ばしたくなった。
腐女子です。ゲイが登場する実写映像作品でオススメなのがあったら教えてくださいませんか。
パッと思い出せる、今まで見たもので個人的に好きだったのは「モーリス」「キル・ユア・ダーリン」「同窓会 (テレビドラマ) 」です。
パッと思い出せる、見たけどあんまり刺さらなかったのは二十歳の微熱、どうしても触りたくない、アナザーカントリー など。
他にもよかったのや刺さらなかったのがあったはずなのですが、パッと思いつくのはこの辺です。
そんなわたしにおすすめのゲイが登場する実写映像作品があったら教えてください。
ゲイがメインテーマの作品じゃなくてもいいですが、ゲイ目当てであるという点はご留意いただけると幸いです。
存在すら知らなかった作品もたくさん!ありがとうございます!見ます!
→すっかり忘れてた!見たのがかなり昔で、当時のわたしには物語を咀嚼するための歯が全く生えそろってなかったのを思い出しました。もう一度見ます!
→もちろん見ました!懐かしい!
ヴェニスに死す
→あんまり刺さらなかった!今見たら違うだろうか?ヴェニスは映像と音楽が美しいので恋愛モノとしてじゃなくても延々見てられますが!
ボヘラプ
怒り
→懐かしすぎ吹いた!吹奏楽部だったのでそういう意味でも感情が引っ張られます!話あんまり覚えてないからまた見よう!
君の名前で僕をよんで
→見てる人多くて感動!これはもうすぐ続編が出るようなのでみんなも見ましょう!評価は続編を見てからに譲りたいと思います。
ぼくたちのチーム
→義務教育期間中に道徳の授業で人類全員に見せるべきと感じます。ゲイがメインテーマの作品だと恋愛映画になりがちのイメージですが、これはそうではなく、ゲイとヘテロの間で芽生える友情物語でしたよね。非常に示唆深い作品でした。似たようなニュアンスの作品でもう一個見たのが…タイトルが思い出せない…ゲイの車の整備士と友人たちとの友情ストーリーみたいな映画…
→わりと追ってます。しかしドラァグクイーンは職業のようなものであって、恋愛や性的の指向とは直接の関係はなかったような。ただ、だからこそそれらと無関係に輝く魅力的を発するドラァグクイーンたちからエネルギーをもらえていくらでも観てしまいます!
以下蛇足
トップコメのゲイの方にはご不快な思いをさせて大変申し訳ありません。
こんなに多くの方にお目にかかる増田になるとは思っておらず、不用意な書き込みであったと思い反省しております。
ただ他の方もおっしゃっているように、ゲイ作品をゲイと言うだけで何でもかんでも好んで思うままに消費しているわけではありません。一つの作品の登場人物の恋愛を尊んでいるのみであります。
ですので、作品によってはゲイ作品でも共感できないこともあります。
私ごとで恐縮ですが、今まで出会ってきたヘテロ恋愛作品たちに全く共感できず、ヘテロ恋愛の映画やドラマにキュンキュンしてありがたがっているクラスメイトや友人たちと心の距離を感じて生きてきた青春時代でありました。
同時に、青春時代からわたし自身も同性との恋愛をも経験してきました。そういう面もあってヘテロ恋愛作品がダメなのかと、思いつめた時期もありました。
(今思うと理由は少なくともそれだけではないのですが…多くのヘテロ恋愛作品に対して思うところについてを語り始めると話題がそれますのでまたの機会に)
わたしは27なのですが、それに冒頭で思い切り腐女子と書きはしたのですが、実は未だに性自認で悩むこともあります。本当はゲイもしくはバイの男性がわたしの正しい姿なのかもしれない?と思うことがあります。
それは、友人や家族や会社の同僚たちとの会話の中で、ひとり夜更けにベッドの中で、時折感じるものです。
そういったときに、いくつかのゲイ恋愛作品に、救われることがあるのです。そういう人間がいることを、ゲイの方にも許していただけたら幸いです。
冒頭で腐女子だと言い切ったのはこういったことを書きたくなかったからでもあるのですが(自分自身まだ向き合い切れていない、筆舌に尽くしがたい自分の問題点であるため)(ゲイ作品に惹かれる精神・身体が女性というひとまずの事実を伴う自認が有る腐女子という属性を振りかざしておいた方が楽)、
どうせ死ぬなら劇的に死にたいというメンヘラ自殺願望も分かるけどね。
結果として大阪市民は賢い選択をしたことになる。
2万票もない僅差で負けたぐらいで、もう都構想のチャンスが無いなんて、
議論を尽くせば尽くすほど、不利になると白状してるようなもんである。
投票してくれた人に悪いとは思わないんだろうか。
若者ほど都構想に賛成が多かったそうな。
気が滅入る結果である。
これで「老害のせいで俺たちの夢が潰えた!」なんて言うんだろうか。
実際には、その老害の投票行動のおかげで自分達が守られたというのにね。
安保粉砕とか言って機動隊に石投げてた時代から何も進歩していない。
そう考えると都構想は実現した方がよかったのかもしれないね。
「この不幸は俺たちの選択の結果なんだ」
って実感の方が、現状維持で緩やかな死よりも貴重かもしれん。
なんのかんの言って、民主党政権は日本を中国の植民地には、してくれなかったわけだし。
おしいところまでは行ったけど。