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はてなキーワード: 黒田長政とは

2023-07-02

黒田長政公は偉人

福岡博多)をゼロからつくった

大坂の陣図屛風をかかせて戦争悲惨さを後世に残した

・家臣と子供意見を誰よりも尊重した

父親黒田官兵衛)の末路から学び、逆に徳川家の信頼を得た

地味だけど偉人すぎるンゴねえ・・・

2022-11-08

anond:20221108150606

乱取り(乱妨取り)で検索すると悲惨な状況がわかりますね...

なお大坂の陣乱取りがあまり凄惨だったので後世の記録に残すべしと絵に描かせたのが福岡藩を創った黒田長政

戦国末期の偉人の一人と言ってよい

2022-06-29

大坂夏の陣 乱取り」で検索すると

戦国時代最後悲惨な状況というのがわかる

また、ウイグル収容所内で何が起きているのかもわかる

https://news.livedoor.com/article/detail/20489742/

https://mobile.twitter.com/Heisaburo_Isono/status/1390604324405878784

https://hypertree.blog.ss-blog.jp/2011-08-11

これを絵にした黒田長政公の偉大さよ

戦国が終わるのに際して、後世に残そうとしたとか

ちなみに福岡を作ったのも長政公である

戦国時代ゲーム漫画で遊ぶのも結構だが、

9割の人間にとって悲惨地獄時代だったのであり、

英雄譚のように見るのは誤りである

2022-06-20

黒田騒動は、江戸時代前期に福岡藩で発生したお家騒動

黒田長政は世継ぎ継承にあたり長男・忠之の狭器と粗暴な性格を憂い、三男の長興に家督を譲ると決めて忠之に書状を送る。書状には2千石の田地で百姓をするか、1万両を与えるから関西商人になるか、千石知行で一寺建立して僧侶になるか、と非常に厳しいものであった。これに後見役の栗山大膳は、辱めを受けるのなら切腹をとの対応を忠之に勧める。そして600石以上2千石未満の藩士嫡子たちを集め、長政に対して廃嫡を取りやめなければ全員切腹すると血判状をとった。この事態を重く見た長政は嘆願を受け入れ、大膳を後見役に頼んだ後に死去した。そこで大膳は忠之に諌書を送ったが、これが飲酒の心得や早寝早起きなど子供を諭すような内容だったため、忠之は大膳に対し立腹し、次第に距離を置くようになる。忠之は寛永元年(1624年)に藩主就任早々、忠之及びその側近と、筆頭家老であった大膳はじめ宿老達との間に軋轢を生じさせ、生前の長政が憂いていたとおりに御家騒動へと発展した。忠之は小姓から仕えていた倉八十太夫(くらはち じゅうだゆう。名は正俊、または家頼)を側近として抱え、1万石の大身とした。そして十太夫に命じて豪華な大船鳳凰丸」を建造。さらに200人の足軽新規に雇い入れるなど、軍縮時代にあってそれに逆行する暴政を行った。これにより遂に藩は幕府より咎めを受けるに至った。

ほんとお家騒動の模範みたいな筋書きだな・・・

これを幕府がとりなすシステムを構築したのはさすが家康しか言えない。

まさに久能山東照宮から日本中を今も監視している存在である

2022-06-02

黒田騒動(くろだそうどう)は、江戸時代前期に福岡藩で発生したお家騒動栗山大膳事件(くりやまだいぜんじけん)ともいう。伊達騒動加賀騒動または仙石騒動とともに三大お家騒動と呼ばれる。他の御家騒動では処分時に死者が出ているが、黒田騒動ではお預けなどはあったものの、死者は出なかった。

経緯

黒田長政は世継ぎ継承にあたり長男・忠之の狭器と粗暴な性格を憂い、三男の長興に家督を譲ると決めて忠之に書状を送る。書状には2千石の田地で百姓をするか、1万両を与えるから関西商人になるか、千石知行で一寺建立して僧侶になるか、と非常に厳しいものであった。これに後見役の栗山大膳は、辱めを受けるのなら切腹をとの対応を忠之に勧める。そして600石以上2千石未満の藩士嫡子たちを集め、長政に対して廃嫡を取りやめなければ全員切腹すると血判状をとった。この事態を重く見た長政は嘆願を受け入れ、大膳を後見役に頼んだ後に死去した。そこで大膳は忠之に諌書を送ったが、これが飲酒の心得や早寝早起きなど子供を諭すような内容だったため、忠之は大膳に対し立腹し、次第に距離を置くようになる。忠之は寛永元年(1624年)に藩主就任早々、忠之及びその側近と、筆頭家老であった大膳はじめ宿老達との間に軋轢を生じさせ、生前の長政が憂いていたとおりに御家騒動へと発展した。忠之は小姓から仕えていた倉八十太夫(くらはち じゅうだゆう。名は正俊、または家頼)を側近として抱え、1万石の大身とした。そして十太夫に命じて豪華な大船鳳凰丸」を建造。さらに200人の足軽新規に雇い入れるなど、軍縮時代にあってそれに逆行する暴政を行った。これにより遂に藩は幕府より咎めを受けるに至った。

大膳も寛永9年(1632年)6月、忠之が幕府転覆を狙っていると幕府に上訴した。藩側は「大膳は狂人である」との主張を行い、寛永10年(1633年)2月将軍徳川家光が直々に裁いた結果、忠之の藩側の主張を認め、所領安堵の触れを出し、10年に及ぶ抗争に幕を閉じた。大膳は騒動の責を負って陸奥盛岡藩預かりとなり、十太夫高野山追放された。なお、十太夫島原の乱黒田家に陣借りして鎮圧軍に従軍したが、さしたる戦功は挙げられず、黒田家復帰はならなかった。のち上方で死去したという。十太夫の孫・倉八宅兵衛に至り、ようやく再仕官を許されている。なお、この時に盛岡藩へ預かりとなった栗山大膳は、藩祖・黒田如水所用の兜も一緒に持参した。現在、もりおか歴史文化館に所蔵されている。

題材にした作品

江戸時代中期には江戸中村座などにて黒田騒動を題材にした歌舞伎が数多く上演された。最初瀬川如皐作、外題『御伽譚博多新織』。のちに河竹黙阿弥により狂言『黒白論織分博多』として加筆集約化された。また幕末には合巻としては最長編である『しらぬひ譚』も歌舞伎化され、こちらも大好評を博した。

また、この事件森鷗外小説栗山大膳』において、改易を危惧した大膳が黒田家を守るために尋問の場で訴えたとして脚色して描いている。十太夫は、島原の乱一揆軍に加わり戦死したことになっている。滝口康彦小説『主家滅ぶべし』では、利章は真面目で実直なものの、その忠義独善的であるため主君家中からまれしまい、忠臣としての自身を保つために引き起こしものとして描かれている。

1956年には東映映画黒田騒動』が公開されている。監督内田吐夢、主演の栗山大膳役は片岡千恵蔵

1965年海音寺潮五郎が「列藩騒動録」新潮社上梓、のち講談社文庫化

2021-01-26

史実厨と謗られて境遇改善するならば

私は刀剣乱舞というゲームを通して刀が好きになった。美術館博物館に足繁く通い、刀を見ていた。

その間に刀剣男士と関係なく推しができた。

その名を五月雨郷という。

五月雨郷、あるいは五月雨江とされる刀はさまざまな家を渡り歩き最終的に尾張徳川家徳川美術館所蔵となった刀である郷義弘が作刀、江派打刀だ。

チラ見せの段階で江だと分かり、雫型の耳飾りだとかで五月雨江では?と囁かれるのに推し実装が怖くて怖くてずっと拒否していた。推しが来るなんて耐えられない、と。

でも実装されたら、すていじあくとに加えてもらって、何を愛するんだろう。晴れを切望なんてちょっとありきたりだろうか?村雲江とペア枠になるとか?回想で後藤くんとか亀甲とかの会話があるだろうか?何が来るんだろう!本当に楽しみだった。ただただ怖くて、ただただ楽しみだった。

それでやってきたのは回想なし犬耳忍松尾芭蕉ファンだ。

公式の紹介文がこうである

越中国刀工郷義弘作の打刀景色を名に宿した名刀は華々しき来歴を辿るが、その言葉には同じ時代を生き、名を詠んでくれた俳人への思いが表れる。

行雲や犬のかけ尿(ばり)村時雨

https://twitter.com/tkrb_ht/status/1333334963043790850?s=21

松尾芭蕉が生きた時代五月雨郷は尾張徳川家にいた。

北へ向かったこともない。初めて見初められたのは福岡である黒田長政が購入し、徳川将軍家に献上したところから彼の歴史は花開く。一番北は加賀江戸である

私は俳句に明るくない。必死松尾芭蕉を調べた。もしかしたら尾張徳川家とただならぬ仲があったのかもしれない。調べて分かったのは「五月雨」と詠んだ句が結構あることくらいであった。

中学国語程度の知識しかない人間でも知っている「五月雨や集めてはやし最上川」に始まり10以上残しているらしい。私が適当地元図書館で借りてきた句集にはそれくらい載っていた。

五月雨江との関係は?

忍どっから出てきた?

犬耳なんだ?

一番許せないのはここで引用された俳句である

『行雲や犬のかけ尿(ばり)村時雨

犬の尿に時雨である五月雨関係ないじゃん。

五月雨を使った句は素人適当図書館行くだけで10以上見つけられる。

集めて早しがダメなのは艦これいるからまあわかるとして、何でいくらでもあった中で五月雨関係なく、ぱっと意味の分からない犬のおしっこなの?

※この俳句意味は犬がおしっこしていくみたいな速さで雲が流れては戻ってきてという天気の移ろいを歌った少し面白い歌らしい。(http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/haikusyu/sigre0.htm)

ゲームをしていない人、入手できなかった人、何よりやっていても第一印象が犬のおしっこである

この場合の村時雨は降ったり止んだりの雨なので五月雨意味はほぼ同じとはいえるが何で犬のおしっこなの?汚いでしょ。

そして顕現セリフもまたひどい。

郷義弘が作刀、名物五月雨江。え? これですか。これは前の主に対しての義理のようなもの

それよりは、同じ時代に生きたあの方への思いの方が強いのです。そう、私の名前を詠んでくれた、あの方への……』

これが指すものがはっきりとしないが、他のセリフと合わせるに多分犬関係の部分である

前の主の一人である徳川綱吉の話だろう。

犬といえば生類憐みの令。犬を大切にした彼への義理である、と。

だが悲しいかな、ネット上では「犬公方」が元だという考えが散見される。はっきり言いたい。

公方蔑称である

義理というか直接的にdisってる。生類憐みの令が元だと言ってくれ審神者全然義理とか思ってない、前の主を嘲笑クズ男士になってしまうから

なお、多分八犬伝関係ないですごめんなさい。

五月雨江を不義理な刀にしないでくれ。

また、刀帳説明において『五月雨江です。五月雨の季節に打たれたこからこの名がついたとも言われております。』と発言しているが、現在この記述確認できるものはない。由来は

五月雨の頃の極められた

五月雨のように美しい刃文

このどちらかとするのが現在の有力な説である

創作というか嘘をつくな。

もう一つ言いたいが忍どっから来た。松尾芭蕉からならひどいトンチキ説を採用したな……と呆れるし、柳生新陰流とするなら遠過ぎてびっくりするぞ。というか五月雨郷が尾張徳川家にやってきた段階では柳生家はもう剣術指南を中心にしてて忍者だった頃じゃないぞ。あと忍者だった頃っていう概念で行くなら奈良伊賀の間辺りなので本当に五月雨関係ないぞ。

さて、ここまで前置きというか許せない部分の羅列である

歴史に興味のない人間がこのキャラを見て何を思うだろうか。

松尾芭蕉の刀だと思うだろうか?元の主に忍がいると思うだろうか?俳句関係する何かがあると思うだろうか?

何も関係ない。残念ながら一切史実関係ない。

刀剣乱舞ログイン画面には「この作品創作であり、史実等とは異なる場合がございますとある

から史実と異なるキャラだとて仕方がない、それでも史実を叫ぶ人間史実厨と呼ばれ嫌われる。

史実と異なる創作(本来は死んでいる人間を生かしている、史実では否定されている戦況などを使用するなど)を批判する人間に対する蔑称である

行き過ぎた史実に対する想いは時に創作の幅を狭めるだろう。どんなに史実を愛しても司馬○太郎がある限り史実のみの創作なぞあり得ない気がするけれど。

閑話休題

五月雨郷とキャラクターの五月雨江とではあまり史実からかけ離れている。

その上史実を語る場=回想が一個もない。江なのにすていじあくとさえない。

もっと苦しいのがその直後に実装された真田の二振りにも監査官さんにも大量の回想があることだ。というか回想なし実装2018年末の袮々切丸以来である。二年ぶりの回想なし男士だ。

何故犬で忍者松尾芭蕉ファンで元の主の話をしてくれないのか一切分からない。何も語ってくれない。

から、彼のことはキワモノ実装だなとしか言えない。

史実厨として言わせていただきたい。

からあるものを貶してまで創作しないでくれ。

五月雨郷という刀は犬のおしっこ関係なけりゃ元の主を犬公方バカにもしない。

男士としての彼は何も言ってないとわかっていても審神者特有深読みで変な謗りを受けるのは刀剣男士の五月雨江で、刀剣五月雨郷だ。

由来から来歴から在り方まで全てを作り替えるな。

全部が全部、今までかの刀が作り上げてきた全てをぶち壊して新しいもの勝手創作する割に名前だけは堂々と名乗るのだから質が悪い。

いっそ関係のない刀だと明言しろ徳川美術館にある五月雨郷と一切の関係がないと言ってくれ。そしたら私は自分推しが汚いものとして凌辱されたと泣かずに済む。

私は刀剣乱舞が好きだった。だから六年もずっと私の本丸を稼働していたし、金だって大量とは言えないけど課金したしグッズ買ったし推しを愛したしリアイベ行ったしてんごだってデビューしたし円盤だって買ったし私なりに推してきた。

人生で初めて同人誌も出すほど好きだったしいつか来る五月雨江という刀剣男士を待ち望んでいた。

出来上がったものがトンチキキワモノ実装でなければ。

私が求めているのは、五月雨郷という実在刀剣名前を騙って創作という免罪符を振りかざすな。それだけである

何度も言われた。刀剣乱舞創作なんだから刀剣乱舞史実とは違うから私自身も何度も何度も創作から仕方ない、創作史実は違うのだから必死自分に言い聞かせた。

でも、やっぱり、許せないのだ。

刀剣乱舞は、国と共同で日本博に出るなどここ最近文化担い手として伝統を伝える試みを多くしている。それを行うところが五月雨郷という一振りの刀を適当キャラメイクキワモノ実装した。創作という免罪符を元にして。

伝統を残す前に、今あるものを守ってくれ。

今ある刀を蔑ろにしてまで実装するべきなのか?

今この世にある刀に汚いもの、元の主の蔑称体現するものとして認識させるのどうかと思う。

創作であるという免罪符を、文化の守り手を自称する企業が振りかざさないでくれ。

私のことを史実厨だと謗ってくれていい。それで五月雨郷という本当に美しい刀が不当に扱われないのであれば何度だって声をあげる。五月雨郷という刀は本当に美しい。私が愛した刀は、何物にも変えられないくらい美しい。私が一番好きで、何度でも見ていたい刀である

キワモノからと、犬耳だからと、どんな刀か知られずに松尾芭蕉のことしか語らない刀である認識しないでほしい。犬も基本関係ないし、歴史がないわけでもない。

五月雨郷が歩んできた歴史全てを蔑ろにして松尾芭蕉という誰もが知っている要素を組み込んで出来上がったキャラクターは可愛いか?

信長秀吉家康も持っていない、有名な武将の手に渡っていないそんな刀の創作は、誰も知らないから好きにしていいのか?

もう一度言う。

私を史実以外許せない史実厨だと謗っていい。

から五月雨郷の本来の歩みを知ってくれ。

五月雨郷の美しさを知ってくれ。

五月雨郷の存在を間違えないでくれ。

五月雨郷は本当に美しい。

五月雨郷という刀剣は何であろうと汚すことはできない。

でも、間違った意識というのはあまりにも容易く色々なものを壊すこともある。創作免罪符ではない。

追記(2020/01/28)

Twitterを見た。

様々な意見が噴出している。私が見た範囲が全てとは思わないがいくつか言うべきかなと思って追記だけつける。

1.他の刀剣もだろ。

A.私の推しじゃないので史実確認できるほど詳しくないです。各々当該刀剣推しの人が叫べばいいと思うのに五月雨郷だけ叫ぶなっておかしくない?

2.犬公方ってことしか綱吉のこと知らないのか?

生類憐みの令が元だって審神者全員が言ってくれたらそれは構わないよ。犬公方っていう言葉五月雨江をつなげるツイートをいくつか見たからこその意見だよ。

3.犬の尿は汚くない

汚いよ。俳句としては汚くない意味でも、今の時代にそれを検索なりなんなりして意味を調べる人間がどれだけいる?

第一印象俳句意味など全て知らずに犬の尿だけを覚える人間って多分思ってるよりずっと多い。だから嫌だと言ったし、俳句自体が汚いとは言ってない。

犬の尿は汚い。人間との比較とかは無駄なのでしないけど。

4.江戸時代だって忍者はい

知ってるよ。でも今出した意見松尾芭蕉=忍者説と柳生新陰流における忍者の話だけだよ。

柳生家と関係があるのは尾張徳川家にいたときだけで、五月雨郷が尾張徳川家にいた時点で柳生家は剣術指南の家だったという話。なお柳生家が忍者じゃない云々に関しての議論は別なのと尾張といえば忍者伊賀町おこし壊すからやめてくれ。

5.五月雨郷・刀剣乱舞史実厨に悪い印象がついた

五月雨郷を実際に見に行って松尾芭蕉は?ってなるより悪い印象って何?キャラが好きになった人が五月雨郷を見にくることをやめろとは一切思わないけど自分が見に行ったとき松尾芭蕉の話を五月雨郷の前でしている人がいたらげんなりはすると思う。

あと史実厨って元から蔑称なのでいいも悪いも最初から悪い。

私は最初から史実厨と言われていいから元となるものを貶してまで創作をするなと言ってるのであって、史実厨という言葉をいい意味で使ったことないよ。創作を認めるなって言っているのに近いと思う。

からこうやって匿名チラ裏に書いてるんだ。

6.とうらぶやめろ

やめるよ。今回の監査官さんが原因で余計病んで五月雨郷をこうしたのに創作で出来上がった自分を考える監査官さんがいることが嫌になったからこれを書いたんだから

ここ二年、他のキャラには最初から回想がついているのに五月雨江だけない事実を突きつけられて辛くなったから吐き出したんだ。

大体Twitter文句言われていた辺りかな。途中で探すのやめたからこれも書けとかあったらブコメか何かして。

2019-01-11

新元号に「安」が入るべきでない理由

左翼の難癖のように思っている人も多いようなので

偏諱授与」からその問題性の解説を試みてみる。

まず「諱(いみな)」について。

諱とはざっくり言って本名のことである

織田信長で言えば「信長」が諱である

諱は「忌み名」に通ずると言われ、おいそれと呼んでいいものではない。

から織田信長には「上総介」という通称仮名)があり、

家臣や他の大名たちは「上総介様」「上総介殿」などと呼ぶわけである

ちなみに、これは実際に「上総介」という官職に任官されたわけではなく、官職風の呼び名にすぎない。

後に「右府様」「織田右府」などとも呼ばれているが、こちらは正式右大臣に任官されたから。ややこしいね

次は「避諱」について。

もともと中国に「避諱」という慣習があった。

これは偉い人の諱を使うことを避けるというもの

たとえば唐の二代目皇帝李世民の諱「世民」を避けるため、

その部下だった「李世勣」という武将が「李勣」に改名したり、

「民部」と呼ばれていた官庁が「戸部」に変更されたりしている。

一説には「観世音菩薩」が「観音菩薩」と呼ばれるのも「世民」の避諱だとか。

一方で、日本では「避諱」の習慣はあまり定着しなかった。

古代の「大伴」氏が淳和天皇の諱「大伴」を憚って「伴」氏に改姓したことや、

国家安康」で有名な方広寺鐘銘事件などは日本での「避諱」の一例と言えるが、

それよりも日本で広く行われたのは「偏諱授与」の慣習だった。

これは「そんなにも大切な諱を可愛い家臣にあげちゃうよ」というもの

たとえば松平信康長宗我部信親らの「信」や、

浅井長政黒田長政らの「長」は、

織田信長から偏諱と言われている(家臣だけでなく同盟国の嫡子かにも与えている)。

文字ある諱のうちの一文字だけを与えるので「偏諱授与」、あるいは「一字拝領」という。

ちなみに、偏諱でもらった字は、名前の上のほうに置くのが基本である

もっとわかりやすい例が伊達政宗さんところの家で、

政宗自身一族中興の祖の名前をもらったものだが、

その父親の「輝宗」は室町幕府第13代将軍・足利義輝の「輝」、

その父親の「晴宗」は室町幕府12代将軍・足利義晴の「晴」、

その父親の「稙宗」は室町幕府10代将軍・足利義稙の「稙」、

その父親の「尚宗」は室町幕府第9代将軍・足利義尚の「尚」…

と代々の将軍から偏諱をもらっており、

それだけ幕府との結びつきが強いということを示している。

さらに言うと、天皇から臣下への偏諱授与は極めて少ない。

後醍醐天皇の諱「尊治」から「尊」を授与されて足利高氏足利尊氏改名したくらいである。

さて、ようやく今回の新元号についてなのだが、

現在日本は「一世一元の制」ということで、

一人の天皇につき一つの元号しか制定されず、

その元号天皇の「諡号(死後に贈られる尊称)」になることが決まっている。

この諡号というのも、そもそも皇帝天皇を諱で呼ばないためのものだったりする。

そして、この元号を決定するのは内閣なので、

いわば天皇名前内閣首長である総理大臣が決めているに等しい。

まり新元号に「安」や「晋」の字が入った場合

偏諱授与ときわめて似通った構図になるのだ。

たか総理大臣が新しい天皇陛下に偏諱を与える」。

これは左翼よりもむしろ右翼問題視する事態だろう。

もちろん安倍晋三の諱は「晋三」なので、

名字である「安」はまだマシなのだが、

それでも安倍首相真の愛国者、真の勤王家であるなら、

自分名前が含まれるような元号は避けるのが当然だと思われる。

以上、長くなっちゃったけど、新元号に「安」が含まれることを危惧するのは、別にギャグでも難癖でもないよという話でした。

いや、まさか含めるわけがないじゃないか、本気で心配するなんて馬鹿馬鹿しいよ、という意味ではギャグだけどね。

 
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