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2024-11-04

日本現代小売業界における10大事

2024年現在から過去数十年を振り返った際の重要イベントトレンドに関してまとめてみた。筆者の出自(旧来側の小売企業所属)によって、記載の濃淡がどうしても出てしまうが、その点は容赦いただきたい。

1位 大店法の緩和と廃止 1991年

大型店舗新規出店に対して規制をしていた「大規模小売店舗法」が1991年に緩和され

2000年廃止された。経緯としては、日米間の貿易摩擦に対する折衝の中で日本国内産業障壁の一つとして指摘されたことによるもので、大店法緩和の象徴として日本進出したのがトイザらスであるしかし、大店法の緩和と廃止によって生じたのは米国企業進出ではなく、商店街などの中小小売業の衰退とロードサイドである。我々が日本の各地で目にしている、寂れた中心市街地と画一化されたロードサイド店舗が並ぶ郊外風景は、これによってもたらされた。

2位 主要EC各社によるサービス開始 1996年

楽天市場サービス提供1996年Yahoo!ショッピングが翌年の1997年である。小売の各セグメントにおいて、Eコマース食品スーパーコンビニ等を抑えて堂々の一位にある。あまり詳しくないので記載はこの程度。

3位 ジャスコ設立 1970年

岡田卓也社長を務める岡田屋ほか3社が合併し、ジャスコ株式会社誕生

大店法緩和以降(第1位参照)の小売業郊外進出の時流に乗って積極的に出店と企業統合および業態拡張を行い、イオンへの屋号変更を経て、日本最大の小売グループと成長していく。

4位 セブンイレブン豊洲開業 1974年

米サウスランドから前年にライセンスを取得したイトーヨーカドー国内第1号店として、東京都江東区豊洲の酒屋を改装オープンした。大店法緩和以降の、中心街および市街地における店舗フォーマットとして、フランチャイズにおける小型店舗という、毀誉褒貶の伴うビジネスモデル確立した。国内初のコンビニに関しては実は諸説あるらしいが、いずれにせよ豊洲店が現在まで続く流れの中で最も重要存在であることは間違いがない。なお、豊洲店は今なお営業しており、従業員国内初のコンビニであることを尋ねると、嬉しそうな反応が返ってくる(何年か前の話)。

5位 海外大手小売業進出撤退 2000年

2000年フランス大手スーパーマーケットカルフール日本進出千葉県幕張市に店舗オープン。また2002年には経営不振に陥っていた西友を買収する形でウォルマート日本進出した。しかカルフール2005年イオンに売却され、ウォルマート2018年西友経営から手を引いた。

両社の進出当時には、EDLP(エブリデーロープライス 特売に頼らない一定の値付け)や卸などの日本的商習慣の打破に対する期待もあった。両社の撤退後、国内リアル小売業日本資本が担っていくという流れが決定的となった。一方で、川上側の流通構造の変化については、イオンユニクロ等が手をつけていくことになったのだが、そこに海外大手進出の影響があったのかもしれない。知らんけど。 

6位 ユニクロの全国進出 1998年

ユニクロフリースを目玉商品として原宿に出店した。ロードサイド型のフォーマットは、レンガを基調にしたオールユニクロファンには懐かしい店舗スタイル1985年にすでに最初店舗オープンしていた。地方発祥の一量販店に過ぎなかったユニクロが、原宿オープン時に社会現象と言われるまでのニュースになり、以後は全国的ブランドとなっていった。またフリースから始まったユニクロオリジナル商品ジーンズなどの数々のヒット商品を経て、単なるアパレルショップという業態からSPA(製造小売)という別のビジネスモデルへの転換へと繋がっていった。今では想像もできないが、昔はユニクロでもリーバイスジーンズとか売っていたのだ。

7位 スマートフォンによるECモバイル化 2010年

スマートフォン発売当初は、国内はいわゆるガラケーと呼ばれた従来型携帯電話主体であったが、2010年iPhone4あたりから潮目が変わり始めて、スマホの普及が加速した。これに伴い、EC担い手も従来のPCからモバイルへと変化していった。

今となっては想像もできないが、当時はECで買い物をするときには、PCの前に移動してブラウザを立ち上げてから買い物をすることが必要であった。

ネットリアル統合とかそういったことがこの頃から言われるようになった。リアル店舗における買い物体験については、モバイル化によって、当時期待していたほどに変化したとは言えないが、今後も続く大きな流れではある。

また、このモバイル化とほぼ同じタイミング東日本大震災(2011年)があったのは、巣篭もり含む社会情勢変化の中で間接的な影響はあったのではないか個人的に思う。

8位 ペガサスクラブ設立 1962年

小売業界以外の人にはほぼ知られておらず、業界内でもペガサスクラブのことを知らない人が多い。読売新聞記者であった渥美俊一氏によって設立された、研究機関ないし互助機関である高度経済成長期以降、アメリカ小売業モデルとした、日本小売業組織化大規模化に、ペガサスクラブの「チェーンストア理論」は大きな影響を与えたとされる。

9位 ダイエー松下戦争 1964年

松下(現在パナソニック)製のテレビを、ダイエーメーカー設定を下回る価格販売したことによる対立。大きくは流通業界全体における主導権を製造側が握るか小売側が握るかという点での争いである。より消費者に近い川下側が主体となって流通全体の効率化と変革を進めていく考えが流通革命であり、1962年に同名で出版された著書がある。

10位 百貨店各社の統合 2007年

大丸松坂屋統合によるJ.フロント リテイリング阪急百貨店阪神百貨店によるエイチ・ツー・オー リテイリングの発足がともに2007年で、翌年の2008年には三越伊勢丹経営統合した。この一連のイベントは、統合のものよりも、百貨店業界全体の不振として捉えたい。

今となっては信じられないが、かつては小売業の中での業態別の首位百貨店であったが、売上高としては1991年12兆円をピークとして現在まで半減している。

ランク

スーパーマーケット紀伊国屋オープン 1953年

日本における初のPOSシステム開発 1971年

マツモトキヨシ 上野アメ横オープン 1987年

マイカル経営破綻 2001年

主婦の店運動 1949年

2024-10-26

「東京」と「地方」でざっくり分類して東京の優位性を語るからおかしな事になるんだと思う

ディズニーもユニバも地方にあるし

三越伊勢丹くらい地方都市にだってあるじゃん

2024-10-06

おばあちゃん商品券

亡くなったおばあちゃんからもらった商品券

今日1000円だけ使った

とっておくより使ったほうが、本来のおばあちゃん意図的には正しいのだろうけど

おばあちゃんからの贈り物と考えると、なんだかずっと使えなかった

10年くらい寝かしてしまった


百貨店共通商品券は、発行元が倒産すると使えないらしい

そして、発行元は地方百貨店三越大丸とは違う

思い切って1枚だけ使ってみたよ

お香買って焚いてみた

詳しくないけど、お香ってなんかご先祖様の供養にもいいっぽいし

いい香りで癒されて、新しい趣味になりそう

これから旅行先とかでご当地お香を集めていこうかな

2024-10-01

与次郎用事というのはこうである。――今夜の会自分たちの科の不振の事をしきりに慨嘆するから三四郎もいっしょに慨嘆しなくってはいけないんだそうだ。不振事実であるからほかの者も慨嘆するにきまっている。それから、おおぜいいっしょに挽回策を講ずることとなる。なにしろ適当日本人を一人大学に入れるのが急務だと言い出す。みんなが賛成する。当然だから賛成するのはむろんだ。次にだれがよかろうという相談に移る。その時広田先生の名を持ち出す。その時三四郎与次郎に口を添えて極力先生賞賛しろという話である。そうしないと、与次郎広田食客だということを知っている者が疑いを起こさないともかぎらない。自分は現に食客なんだから、どう思われてもかまわないが、万一煩い広田先生に及ぶようではすまんことになる。もっともほかに同志が三、四人はいから大丈夫だが、一人でも味方は多いほうが便利だから三四郎もなるべくしゃべるにしくはないとの意見である。さていよいよ衆議一決の暁は、総代を選んで学長の所へ行く、また総長の所へ行く。もっとも今夜中にそこまでは運ばないかもしれない。また運ぶ必要もない。そのへんは臨機応変である。……  与次郎はすこぶる能弁である。惜しいことにその能弁がつるつるしているので重みがない。あるところへゆくと冗談をまじめに講義しているかと疑われる。けれども本来性質のいい運動から三四郎もだいたいのうえにおいて賛成の意を表した。ただその方法が少しく細工に落ちておもしろくないと言った。その時与次郎は往来のまん中へ立ち留まった。二人はちょうど森川町神社鳥居の前にいる。 「細工に落ちるというが、ぼくのやる事は自然の手順が狂わないようにあらかじめ人力で装置するだけだ。自然にそむいた没分暁の事を企てるのとは質が違う。細工だってかまわん。細工が悪いのではない。悪い細工が悪いのだ」  三四郎はぐうの音も出なかった。なんだか文句があるようだけれども、口へ出てこない。与次郎の言いぐさのうちで、自分がまだ考えていなかった部分だけがはっきり頭へ映っている。三四郎はむしろそのほうに感服した。 「それもそうだ」とすこぶる曖昧な返事をして、また肩を並べて歩きだした。正門をはいると、急に目の前が広くなる。大きな建物が所々に黒く立っている。その屋根がはっきり尽きる所から明らかな空になる。星がおびただしく多い。 「美しい空だ」と三四郎が言った。与次郎も空を見ながら、一間ばかり歩いた。突然、 「おい、君」と三四郎を呼んだ。三四郎はまたさっきの話の続きかと思って「なんだ」と答えた。 「君、こういう空を見てどんな感じを起こす」  与次郎に似合わぬことを言った。無限とか永久かいう持ち合わせの答はいくらでもあるが、そんなことを言うと与次郎に笑われると思って三四郎は黙っていた。 「つまらんなあ我々は。あしたから、こんな運動をするのはもうやめにしようかしら。偉大なる暗闇を書いてもなんの役にも立ちそうにもない」 「なぜ急にそんな事を言いだしたのか」 「この空を見ると、そういう考えになる。――君、女にほれたことがあるか」  三四郎は即答ができなかった。 「女は恐ろしいものだよ」と与次郎が言った。 「恐ろしいものだ、ぼくも知っている」と三四郎も言った。すると与次郎が大きな声で笑いだした。静かな夜の中でたいへん高く聞こえる。 「知りもしないくせに。知りもしないくせに」  三四郎憮然としていた。 「あすもよい天気だ。運動会はしあわせだ。きれいな女がたくさん来る。ぜひ見にくるがいい」  暗い中を二人は学生集会所の前まで来た。中には電燈が輝いている。  木造廊下を回って、部屋へはいると、そうそう来た者は、もうかたまっている。そのかたまりが大きいのと小さいのと合わせて三つほどある。なかには無言で備え付けの雑誌新聞を見ながら、わざと列を離れているのもある。話は方々に聞こえる。話の数はかたまりの数より多いように思われる。しかしわあいにおちついて静かである煙草の煙のほうが猛烈に立ち上る。  そのうちだんだん寄って来る。黒い影が闇の中から吹きさらしの廊下の上へ、ぽつりと現われると、それが一人一人に明るくなって、部屋の中へはいって来る。時には五、六人続けて、明るくなることもある。が、やがて人数はほぼそろった。  与次郎は、さっきから煙草の煙の中を、しきりにあちこちと往来していた。行く所で何か小声に話している。三四郎は、そろそろ運動を始めたなと思ってながめていた。  しばらくすると幹事が大きな声で、みんなに席へ着けと言う。食卓はむろん前から用意ができていた。みんな、ごたごたに席へ着いた。順序もなにもない。食事は始まった。  三四郎熊本赤酒ばかり飲んでいた。赤酒というのは、所でできる下等な酒である熊本学生はみんな赤酒を飲む。それが当然と心得ている。たまたま飲食店へ上がれば牛肉である。その牛肉屋の牛が馬肉かもしれないという嫌疑がある。学生は皿に盛った肉を手づかみにして、座敷の壁へたたきつける。落ちれば牛肉で、ひっつけば馬肉だという。まるで呪みたような事をしていた。その三四郎にとって、こういう紳士的な学生親睦会は珍しい。喜んでナイフフォークを動かしていた。そのあいだにはビールをさかんに飲んだ。 「学生集会所の料理はまずいですね」と三四郎に隣にすわった男が話しかけた。この男は頭を坊主に刈って、金縁の眼鏡をかけたおとなしい学生であった。 「そうですな」と三四郎は生返事をした。相手与次郎なら、ぼくのようないなか者には非常にうまいと正直なところをいうはずであったが、その正直がかえって皮肉に聞こえると悪いと思ってやめにした。するとその男が、 「君はどこの高等学校ですか」と聞きだした。 「熊本です」 「熊本ですか。熊本にはぼくの従弟もいたが、ずいぶんひどい所だそうですね」 「野蛮な所です」  二人が話していると、向こうの方で、急に高い声がしだした。見ると与次郎が隣席の二、三人を相手に、しきりに何か弁じている。時々ダーターファブラと言う。なんの事だかわからない。しか与次郎相手は、この言葉を聞くたびに笑いだす。与次郎ますます得意になって、ダーターファブラ我々新時代青年は……とやっている。三四郎の筋向こうにすわっていた色の白い品のいい学生が、しばらくナイフの手を休めて、与次郎の連中をながめていたが、やがて笑いながら Il a le diable au corps(悪魔が乗り移っている)と冗談半分にフランス語を使った。向こうの連中にはまったく聞こえなかったとみえて、この時ビールのコップが四つばかり一度に高く上がった。得意そうに祝盃をあげている。 「あの人はたいへんにぎやかな人ですね」と三四郎の隣の金縁眼鏡をかけた学生が言った。 「ええ。よくしゃべります」 「ぼくはいつか、あの人に淀見軒でライスカレーをごちそうになった。まるで知らないのに、突然来て、君淀見軒へ行こうって、とうとう引っ張っていって……」  学生ハハハと笑った。三四郎は、淀見軒で与次郎からライスカレーをごちそうになったもの自分ばかりではないんだなと悟った。  やがてコーヒーが出る。一人が椅子を離れて立った。与次郎が激しく手をたたくと、ほかの者もたちまち調子を合わせた。  立った者は、新しい黒の制服を着て、鼻の下にもう髭をはやしている。背がすこぶる高い。立つには恰好のよい男である演説いたことを始めた。  我々が今夜ここへ寄って、懇親のために、一夕の歓をつくすのは、それ自身において愉快な事であるが、この懇親が単に社交上の意味ばかりでなく、それ以外に一種重要な影響を生じうると偶然ながら気がついたら自分は立ちたくなった。この会合ビールに始まってコーヒーに終っている。まったく普通会合であるしかしこのビールを飲んでコーヒーを飲んだ四十人近くの人間普通人間ではない。しかもそのビールを飲み始めてからコーヒーを飲み終るまでのあいだに、すでに自己運命の膨脹を自覚しえた。  政治自由を説いたのは昔の事である言論の自由を説いたのも過去の事である自由とは単にこれらの表面にあらわれやす事実のために専有されべき言葉ではない。我ら新時代青年は偉大なる心の自由を説かねばならぬ時運に際会したと信ずる。  我々は古き日本の圧迫に堪ええぬ青年である。同時に新しき西洋の圧迫にも堪ええぬ青年であるということを、世間に発表せねばいられぬ状況のもとに生きている。新しき西洋の圧迫は社会の上においても文芸の上においても、我ら新時代青年にとっては古き日本の圧迫と同じく、苦痛である。  我々は西洋文芸研究する者であるしか研究はどこまでも研究である。その文芸のもとに屈従するのとは根本的に相違がある。我々は西洋文芸にとらわれんがために、これを研究するのではない。とらわれたる心を解脱せしめんがために、これを研究しているのである。この方便に合せざる文芸はいかなる威圧のもとにしいらるるとも学ぶ事をあえてせざるの自信と決心とを有している。  我々はこの自信と決心とを有するの点において普通人間とは異なっている。文芸技術でもない、事務でもない。より多く人生根本義に触れた社会原動力である。我々はこの意味において文芸研究し、この意味において如上の自信と決心とを有し、この意味において今夕の会合一般以上の重大なる影響を想見するのである。  社会は激しく動きつつある。社会産物たる文芸もまた動きつつある。動く勢いに乗じて、我々の理想どおりに文芸を導くためには、零細なる個人を団結して、自己運命を充実し発展し膨脹しなくてはならぬ。今夕のビールコーヒーは、かかる隠れたる目的を、一歩前に進めた点において、普通ビールコーヒーよりも百倍以上の価ある尊きビールコーヒーである。  演説意味ざっとこんなものである演説が済んだ時、席にあった学生はことごとく喝采した。三四郎もっとも熱心なる喝采者の一人であった。すると与次郎が突然立った。 「ダーターファブラ、シェクスピヤの使った字数が何万字だの、イブセンの白髪の数が何千本だのと言ってたってしかたがない。もっともそんなばかげた講義を聞いたってとらわれる気づかいはないか大丈夫だが、大学に気の毒でいけない。どうしても新時代青年を満足させるような人間を引っ張って来なくっちゃ。西洋人じゃだめだ。第一幅がきかない。……」  満堂はまたことごとく喝采した。そうしてことごとく笑った。与次郎の隣にいた者が、 「ダーターファブラのために祝盃をあげよう」と言いだした。さっき演説をした学生がすぐに賛成した。あいにくビールがみな空である。よろしいと言って与次郎はすぐ台所の方へかけて行った。給仕が酒を持って出る。祝盃をあげるやいなや、 「もう一つ。今度は偉大なる暗闇のために」と言った者がある。与次郎の周囲にいた者は声を合して、アハハと笑った。与次郎は頭をかいている。  散会の時刻が来て、若い男がみな暗い夜の中に散った時に、三四郎与次郎に聞いた。 「ダーターファブラとはなんの事だ」 「ギリシア語だ」  与次郎はそれよりほかに答えなかった。三四郎もそれよりほかに聞かなかった。二人は美しい空をいただいて家に帰った。  あくる日は予想のごとく好天気である。今年は例年より気候がずっとゆるんでいる。ことさらきょうは暖かい三四郎は朝のうち湯に行った。閑人の少ない世の中だから、午前はすこぶるすいている。三四郎は板の間にかけてある三越呉服店看板を見た。きれいな女がかいてある。その女の顔がどこか美禰子に似ている。よく見ると目つきが違っている。歯並がわからない。美禰子の顔でもっと三四郎を驚かしたものは目つきと歯並である与次郎の説によると、あの女は反っ歯の気味だから、ああしじゅう歯が出るんだそうだが、三四郎にはけっしてそうは思えない。……  三四郎は湯につかってこんな事を考えていたので、からだのほうはあまりわずに出た。ゆうべから急に新時代青年という自覚が強くなったけれども、強いのは自覚だけで、からだのほうはもとのままである休みになるとほかの者よりずっと楽にしている。きょうは昼から大学陸上運動会を見に行く気である。  三四郎は元来あまり運動好きではない。国にいるとき兎狩りを二、三度したことがある。それから高等学校の端艇競漕の時に旗振りの役を勤めたことがある。その時青と赤と間違えて振ってたいへん苦情が出た。もっとも決勝の鉄砲を打つ係りの教授鉄砲を打ちそくなった。打つには打ったが音がしなかった。これが三四郎のあわてた原因である。それより以来三四郎運動会へ近づかなかった。しかしきょうは上京以来はじめての競技会だから、ぜひ行ってみるつもりである与次郎もぜひ行ってみろと勧めた。与次郎の言うところによると競技より女のほうが見にゆ価値があるのだそうだ。女のうちには野々宮さんの妹がいるだろう。野々宮さんの妹といっしょに美禰子もいるだろう。そこへ行って、こんちわとかなんとか挨拶をしてみたい。  昼過ぎになったから出かけた。会場の入口運動場の南のすみにある。大きな日の丸イギリス国旗が交差してある。日の丸は合点がいくが、イギリス国旗はなんのためだかからない。三四郎日英同盟のせいかとも考えた。けれども日英同盟大学陸上運動会とは、どういう関係があるか、とんと見当がつかなかった。  運動場は長方形の芝生である。秋が深いので芝の色がだいぶさめている。競技を見る所は西側にある。後に大きな築山をいっぱいに控えて、前は運動場の柵で仕切られた中へ、みんなを追い込むしかけになっている。狭いわりに見物人が多いのではなはだ窮屈である。さいわい日和がよいので寒くはない。しか外套を着ている者がだいぶある。その代り傘をさして来た女もある。  三四郎失望したのは婦人席が別になっていて、普通人間には近寄れないことであった。それからフロックコートや何か着た偉そうな男がたくさん集って、自分が存外幅のきかないようにみえたことであった。新時代青年をもってみずからおる三四郎は少し小さくなっていた。それでも人と人との間から婦人席の方を見渡すことは忘れなかった。横からからよく見えないが、ここはさすがにきれいである。ことごとく着飾っている。そのうえ遠距離から顔がみんな美しい。その代りだれが目立って美しいということもない。ただ総体総体として美しい。女が男を征服する色である。甲の女が乙の女に打ち勝つ色ではなかった。そこで三四郎はまた失望した。しかし注意したら、どこかにいるだろうと思って、よく見渡すと、はたして前列のいちばん柵に近い所に二人並んでいた。  三四郎は目のつけ所がようやくわかったので、まず一段落告げたような気で、安心していると、たちまち五、六人の男が目の前に飛んで出た。二百メートルの競走が済んだのである決勝点は美禰子とよし子がすわっている真正面で、しかも鼻の先だから、二人を見つめていた三四郎視線のうちにはぜひともこれらの壮漢がはいってくる。五、六人はやがて一二、三人にふえた。みんな呼吸をはずませているようにみえる。三四郎はこれらの学生の態度と自分の態度とを比べてみて、その相違に驚いた。どうして、ああ無分別にかける気になれたものだろうと思った。しか婦人連はことごとく熱心に見ている。そのうちでも美禰子とよし子はもっとも熱心らしい。三四郎自分無分別にかけてみたくなった。一番に到着した者が、紫の猿股をはい婦人席の方を向いて立っている。よく見ると昨夜の親睦会で演説をした学生に似ている。ああ背が高くては一番になるはずである。計測係りが黒板に二十五秒七四と書いた。書き終って、余りの白墨を向こうへなげて、こっちを向いたところを見ると野々宮さんであった。野々宮さんはいつになくまっ黒なフロックを着て、胸に係り員の徽章をつけて、だいぶ人品がいい。ハンケチを出して、洋服の袖を二、三度はたいたが、やがて黒板を離れて、芝生の上を横切って来た。ちょうど美禰子とよし子のすわっているまん前の所へ出た。低い柵の向こう側から首を婦人席の中へ延ばして、何か言っている。美禰子は立った。野々宮さんの所まで歩いてゆく。柵の向こうとこちらで話を始めたように見える。美禰子は急に振り返った。うれしそうな笑いにみちた顔である三四郎は遠くから一生懸命に二人を見守っていた。すると、よし子が立った。また柵のそばへ寄って行く。二人が三人になった。芝生の中では砲丸投げが始まった。

砲丸投げほど力のいるものはなかろう。力のいるわりにこれほどおもしろくないものもたんとない。ただ文字どおり砲丸を投げるのである。芸でもなんでもない。野々宮さんは柵の所で、ちょっとこの様子を見て笑っていた。けれども見物のじゃまになると悪いと思ったのであろう。柵を離れて芝生の中へ引き取った。二人の女も、もとの席へ復した。砲丸は時々投げられている。第一どのくらい遠くまでゆくんだか、ほとんど三四郎にはわからない。三四郎はばかばかしくなった。それでも我慢して立っていた。ようやくのことで片がついたとみえて、野々宮さんはまた黒板へ十一メートル三八と書いた。

 それからまた競走があって、長飛びがあって、その次には槌投げが始まった。三四郎はこの槌投げにいたって、とうとう辛抱がしきれなくなった。運動会めいめいかってに開くべきものである。人に見せべきものではない。あんものを熱心に見物する女はことごとく間違っているとまで思い込んで、会場を抜け出して、裏の築山の所まで来た。幕が張ってあって通れない。引き返して砂利の敷いてある所を少し来ると、会場から逃げた人がちらほら歩いている。盛装した婦人も見える。三四郎はまた右へ折れて、爪先上りを丘のてっぺんまで来た。道はてっぺんで尽きている。大きな石がある。三四郎はその上へ腰をかけて、高い崖の下にある池をながめた。下の運動会場でわあというおおぜいの声がする。

 三四郎はおよそ五分ばかり石へ腰をかけたままぼんやりしていた。やがてまた動く気になったので腰を上げて、立ちながら靴の踵を向け直すと、丘の上りぎわの、薄く色づいた紅葉の間に、さっきの女の影が見えた。並んで丘の裾を通る。

 三四郎は上から、二人を見おろしていた。二人は枝の隙から明らかな日向へ出て来た。黙っていると、前を通り抜けてしまう。三四郎は声をかけようかと考えた。距離があまり遠すぎる。急いで二、三歩芝の上を裾の方へ降りた。降り出すといいぐあいに女の一人がこっちを向いてくれた。三四郎はそれでとまった。じつはこちからまりごきげんをとりたくない。運動会が少し癪にさわっている。

あんな所に……」とよし子が言いだした。驚いて笑っている。この女はどんな陳腐ものを見ても珍しそうな目つきをするように思われる。その代り、いかな珍しいもの出会っても、やはり待ち受けていたような目つきで迎えるかと想像される。だからこの女に会うと重苦しいところが少しもなくって、しかもおちついた感じが起こる。三四郎は立ったまま、これはまったく、この大きな、常にぬれている、黒い眸のおかげだと考えた。

 美禰子も留まった。三四郎を見た。しかしその目はこの時にかぎって何物をも訴えていなかった。まるで高い木をながめるような目であった。三四郎は心のうちで、火の消えたランプを見る心持ちがした。もとの所に立ちすくんでいる。美禰子も動かない。

「なぜ競技を御覧にならないの」とよし子が下から聞いた。

「今まで見ていたんですが、つまらいからやめて来たのです」

 よし子は美禰子を顧みた。美禰子はやはり顔色を動かさない。三四郎は、

「それより、あなたたこそなぜ出て来たんです。たいへん熱心に見ていたじゃありませんか」と当てたような当てないようなことを大きな声で言った。美禰子はこの時はじめて、少し笑った。三四郎にはその笑いの意味がよくわからない。二歩ばかり女の方に近づいた。

「もう宅へ帰るんですか」

 女は二人とも答えなかった。三四郎はまた二歩ばかり女の方へ近づいた。

「どこかへ行くんですか」

「ええ、ちょっと」と美禰子が小さな声で言う。よく聞こえない。三四郎はとうとう女の前まで降りて来た。しかしどこへ行くとも追窮もしないで立っている。会場の方で喝采の声が聞こえる。

高飛びよ」とよし子が言う。「今度は何メートルになったでしょう」

 美禰子は軽く笑ったばかりである三四郎も黙っている。三四郎高飛びに口を出すのをいさぎよしとしないつもりである。すると美禰子が聞いた。

「この上には何かおもしろものがあって?」

 この上には石があって、崖があるばかりであるおもしろものがありようはずがない。

「なんにもないです」

「そう」と疑いを残したように言った。

「ちょいと上がってみましょうか」よし子が、快く言う。

あなた、まだここを御存じないの」と相手の女はおちついて出た。

「いいからいらっしゃいよ」

 よし子は先へ上る。二人はまたついて行った。よし子は足を芝生のはしまで出して、振り向きながら、

「絶壁ね」と大げさな言葉を使った。「サッフォーでも飛び込みそうな所じゃありませんか」

 美禰子と三四郎は声を出して笑った。そのくせ三四郎はサッフォーがどんな所から飛び込んだかよくわからなかった。

あなたも飛び込んでごらんなさい」と美禰子が言う。

「私? 飛び込みましょうか。でもあんまり水がきたないわね」と言いながら、こっちへ帰って来た。

 やがて女二人のあいだに用談が始まった。

あなた、いらしって」と美禰子が言う。

「ええ。あなたは」とよし子が言う。

「どうしましょう」

「どうでも。なんならわたしちょっと行ってくるから、ここに待っていらっしゃい」

「そうね」

 なかなか片づかない。三四郎が聞いてみると、よし子が病院看護婦のところへ、ついでだからちょっと礼に行ってくるんだと言う。美禰子はこの夏自分の親戚が入院していた時近づきになった看護婦を尋ねれば尋ねるのだが、これは必要でもなんでもないのだそうだ。

 よし子は、すなおに気の軽い女だからしまいに、すぐ帰って来ますと言い捨てて、早足に一人丘を降りて行った。止めるほどの必要もなし、いっしょに行くほどの事件でもないので、二人はしぜん後にのこるわけになった。二人の消極な態度からいえば、のこるというより、のこされたかたちにもなる。

 三四郎はまた石に腰をかけた。女は立っている。秋の日は鏡のように濁った池の上に落ちた。中に小さな島がある。島にはただ二本の木がはえている。青い松と薄い紅葉がぐあいよく枝をかわし合って、箱庭の趣がある。島を越して向こう側の突き当りがこんもりとどす黒く光っている。女は丘の上からその暗い木陰を指さした。

「あの木を知っていらしって」と言う。

「あれは椎」

 女は笑い出した。

「よく覚えていらっしゃること」

「あの時の看護婦ですか、あなたが今尋ねようと言ったのは」

「ええ」

「よし子さんの看護婦とは違うんですか」

「違います。これは椎――といった看護婦です」

 今度は三四郎が笑い出した。

「あすこですね。あなたがあの看護婦といっしょに団扇を持って立っていたのは」

 二人のいる所は高く池の中に突き出している。この丘とはまるで縁のない小山が一段低く、右側を走っている。大きな松と御殿一角と、運動会の幕の一部と、なだらかな芝生が見える。

「熱い日でしたね。病院あんまり暑いものから、とうとうこらえきれないで出てきたの。――あなたはまたなんであんな所にしゃがんでいらしったんです」

「熱いからです。あの日ははじめて野々宮さんに会って、それから、あすこへ来てぼんやりしていたのです。なんだか心細くなって」

「野々宮さんにお会いになってから、心細くおなりになったの」

「いいえ、そういうわけじゃない」と言いかけて、美禰子の顔を見たが、急に話頭を転じた。

「野々宮さんといえば、きょうはたいへん働いていますね」

「ええ、珍しくフロックコートをお着になって――ずいぶん御迷惑でしょう。朝から晩までですから

だってだいぶ得意のようじゃありませんか」

「だれが、野々宮さんが。――あなたもずいぶんね」

「なぜですか」

だってまさか運動会の計測係りになって得意になるようなかたでもないでしょう」

 三四郎はまた話頭を転じた。

「さっきあなたの所へ来て何か話していましたね」

「会場で?」

「ええ、運動会の柵の所で」と言ったが、三四郎はこの問を急に撤回したくなった。女は「ええ」と言ったまま男の顔をじっと見ている。少し下唇をそらして笑いかけている。三四郎はたまらなくなった。何か言ってまぎらそうとした時に、女は口を開いた。

あなたはまだこのあいだの絵はがきの返事をくださらないのね」

 三四郎はまごつきながら「あげます」と答えた。女はくれともなんとも言わない。

あなた原口さんという画工を御存じ?」と聞き直した。

「知りません」

「そう」

「どうかしましたか

「なに、その原口さんが、きょう見に来ていらしってね、みんなを写生しているから、私たちも用心しないと、ポンチにかかれるからって、野々宮さんがわざわざ注意してくだすったんです」

 美禰子はそばへ来て腰をかけた。三四郎自分いかにも愚物のような気がした。

「よし子さんはにいさんといっしょに帰らないんですか」

「いっしょに帰ろうったって帰れないわ。よし子さんは、きのうから私の家にいるんですもの

 三四郎はその時はじめて美禰子から野々宮のおっかさんが国へ帰ったということを聞いた。おっかさんが帰ると同時に、大久保を引き払って、野々宮さんは下宿をする、よし子は当分美禰子の家から学校へ通うことに、相談がきまったんだそうである

 三四郎はむしろ野々宮さんの気楽なのに驚いた。そうたやす下宿生活にもどるくらいなら、はじめから家を持たないほうがよかろう。第一鍋、釜、手桶などという世帯道具の始末はどうつけたろうと、よけいなことまで考えたが、口に出して言うほどのことでもないから、べつだんの批評は加えなかった。そのうえ、野々宮さんが一家の主人から、あともどりをして、ふたたび純書生と同様な生活状態に復するのは、とりもなおさず家族制から一歩遠のいたと同じことで、自分にとっては、目前の迷惑を少し長距離へ引き移したような好都合にもなる。その代りよし子が美禰子の家へ同居してしまった。この兄妹は絶えず往来していないと治まらないようにできあがっている。絶えず往来しているうちには野々宮さんと美禰子との関係も次第次第に移ってくる。すると野々宮さんがまたいつなんどき下宿生活永久にやめる時機がこないともかぎらない。

 三四郎は頭のなかに、こういう疑いある未来を、描きながら、美禰子と応対をしている。いっこうに気が乗らない。それを外部の態度だけでも普通のごとくつくろおうとすると苦痛になってくる。そこへうまいあいによし子が帰ってきてくれた。女同志のあいだには、もう一ぺん競技を見に行こうかという相談があったが、短くなりかけた秋の日がだいぶ回ったのと、回るにつれて、広い戸外の肌寒がようやく増してくるので、帰ることに話がきまる。

 三四郎も女連に別れて下宿へもどろうと思ったが、三人が話しながら、ずるずるべったりに歩き出したものから、きわだった挨拶をする機会がない。二人は自分を引っ張ってゆくようにみえる。自分もまた引っ張られてゆきたいような気がする。それで二人にくっついて池の端を図書館の横から、方角違いの赤門の方へ向いてきた。そのとき三四郎は、よし子に向かって、

「お兄いさんは下宿なすったそうですね」と聞いたら、よし子は、すぐ、

「ええ。とうとう。ひとを美禰子さんの所へ押しつけておいて。ひどいでしょう」と同意を求めるように言った。三四郎は何か返事をしようとした。そのまえに美禰子が口を開いた。

「宗八さんのようなかたは、我々の考えじゃわかりませんよ。ずっと高い所にいて、大きな事を考えていらっしゃるんだから」と大いに野々宮さんをほめだした。よし子は黙って聞いている。

 学問をする人がうるさい俗用を避けて、なるべく単純な生活にがまんするのは、みんな研究のためやむをえないんだからしかたがない。野々宮のような外国にまで聞こえるほどの仕事をする人が、普通学生同様な下宿はいっているのも必竟野々宮が偉いからのことで、下宿がきたなければきたないほど尊敬しなくってはならない。――美禰子の野々宮に対する賛辞のつづきは、ざっとこうである

 三四郎赤門の所で二人に別れた。追分の方へ足を向けながら考えだした。――なるほど美禰子の言ったとおりである自分と野々宮を比較してみるとだいぶ段が違う。自分田舎から出て大学はいったばかりである学問という学問もなければ、見識という見識もない。自分が、野々宮に対するほどな尊敬を美禰子から受けえないのは当然である。そういえばなんだか、あの女からかにされているようでもある。さっき、運動会はつまらいから、ここにいると、丘の上で答えた時に、美禰子はまじめな顔をして、この上には何かおもしろものがありますかと聞いた。あの時は気がつかなかったが、いま解釈してみると、故意自分を愚弄した言葉かもしれない。――三四郎は気がついて、きょうまで美禰子の自分に対する態度や言語を一々繰り返してみると、どれもこれもみんな悪い意味がつけられる。三四郎は往来のまん中でまっ赤になってうつむいた。ふと、顔を上げると向こうから与次郎とゆうべの会で演説をした学生が並んで来た。与次郎は首を縦に振ったぎり黙っている。学生帽子をとって礼をしながら、

「昨夜は。どうですか。とらわれちゃいけませんよ」と笑って行き過ぎた。

anond:20241001201601

2024-08-19

コロッケの唄

一.

ワイフもらって 嬉しかったが

何時も出てくる 副食物(おかず)はコロッケ

今日コロッケ 明日コロッケ

これじゃ年がら年中コロッケ

ハハハ アハハハ

こりゃ可笑し(おかし

二.

晦日みそか)近くに 財布拾って

開けて見たらば金貨

ザッククザク ザックザク

株を買おうか 地所を買おうか

思案最中に 眼が覚めた

ハハハ アハハハ

こりゃ可笑し

三.

芸者が嫌なら 身受けしてやろ

帶も買ってやろ

ダイヤもやろう やろう

今日三越 明日帝劇

いふて呉れるやうな客がない

ハハハ アハハハ

こりゃ可笑し

四.

亭主もらって 嬉れしかったが

何時も出て行っちや滅多に

帰らない 帰らない

今日も帰らない 明日も帰らない

これじゃ年がら年中 留守居

ハハハ アハハハ

こりゃ可笑し

NHKドラマおしん」のなかで、大正12年9月1日、田倉商会の新しい工場開業祝いの準備中に子守を任された源じいが歌っていたのが、このコロッケの唄(大正6年版)。wikipediaによるとコロッケの唄は、その後、昭和37年浜口庫之助五月みどり)版、平成版、令和へとなんどかリメイクされて歌い継がれてきたようだ。

大正時代コロッケは、現代と違って、手ごろなお惣菜ではなく、東京などの洋食店しか食べられない高級食品。この夫婦富裕層であることがわかる。二番以降もあわせてみると、大戦後の好景気を反映し、一般投資家が増大した世相を色濃く映した、興味深い唄だ。

先日、以前より気になっていた番組DVDで購入した。

それはおしんの番外編。1983年放送当時の8月おしんを演じていた田中裕子が過労静養のため撮影を中断せざるを得なくなった事態になって、急遽制作され、放送時間帯に15分ずつ6日にわたって放送された番外編「もうひとりのおしん」だ。これは、おしんと同時代を生きた山形東京女性に当時の話を聞くという番組関東大震災前、おしんはラシャ問屋がつぶれたあと、子供服の店を田倉と始める。同番組では当時、日本橋横山町子供服を始めたというおばあちゃん放送当時90歳)の話を聞く場面がある。まさにこういう話を聞きたくて、わざわざDVDまで購入したのだが、見てよかった。

それまで和服日本髪というのが当たり前だった日本人服装が、洋服に変わっていったのは、関東大震災の後だといわれる。

このおばあちゃんインタビューで「大震災があったでしょ、それからみんな裸になっちゃいましたから。それからだいぶん、服が変わっちゃいました」と答えている。この簡潔な一言歴史ダイナミズムが凝縮されている。

おしん物語では、田倉商会が時代を先取りする形で安価既製服商品としての子供服のポテンシャルを見抜き、田倉の再起を賭けた。そのドラマの展開にリアリティを与えるインタビューだった。

もっとも、おしんは当初、夫である田倉竜三の羅紗問屋事業失敗に懲りていて、大して商才もないのに夢ばかり大きい夫の行動が不安で仕方がなく、本当は手堅く地固めをしたい。子供服作業場拡張には反対していた。だがやがて夫を信じようと思いなおし、夫の夢に賭けるようになる。

おしんドラマは、10年に一度くらい再放送で目に留まって数話くらいずつ散発的にみていたのだが、今回、腰を据えて全297話をみていると、ドラマ演出がなかなか面白いことにも気が付いた。例えば、夫に商売の才能がない部分を自分の働きで夫婦の稼ぎをカバーしようと自分なりの仕事を始めて成功してしまう場面。プライドを傷つけられた旦那は「髪結いの亭主さながら飲み歩くだけの怠け者になってしまう。夫を堕落させたのは自分だと気が付いたおしんは、あえて自ら稼ぐことをやめ、夫を立て夫がいつかまじめに稼いでくれるのを信じることにした。その結果、やがて今日明日の米に困るほど夫婦は追い詰められてしまう。田倉はようやく目が覚めて商人の道を諦め、勤め人として働きだすようになった。その様子をみて安心したおしんは、田倉商会の将来的な再興を目指して、子供服商売のための子供服のデザインなどこつこつと準備を始める。おしんデザインをみた田倉はおしんの才能を知り、いったんは勤め人として手堅く暮らそうとしていたのに、勤め人をやめて子供服商売にまた再起を賭けようと夢を語り始めた。おしん相談もせず勝手ミシンを購入したり、ひとを雇ったりとおしんを戸惑わせた。あげくは事業拡大のために借金をして工場建設をすると鼻息荒くしていう。

そんななか、ドラマの背景で、東京の街中で流れてくるのは「船頭小唄」。おしん不安象徴させる、にくい演出だと思った。

そして、大震災当日の朝、順風満帆工場開業の祝賀を催す準備のさなか、田倉竜三の子供のころからのお目付け役である源じいが歌っていたのが冒頭の「コロッケの唄」だ。源じいは昼に発生した地震で亡くなってしまうので、源じいが幸せだった最後の瞬間だったといえる。その浮かれた雰囲気を、その時代の空気とともに、この歌はとてもよく演出している。

その後のドラマの展開は、田倉の本家である佐賀舞台うつし、橋田壽賀子お得意の嫁姑地獄が待っている。

おしんの味方になるはずの夫や舅はことごとくだらしなく、おしんに対する姑のいじめ現代では信じられないほど陰湿だ。

そのうえ男尊女卑がきつく、おしん物語佐賀時代が一番つらい。ここだけみると佐賀が嫌いになる。

2024-06-27

anond:20240627083656

三越とか高島屋なんかのデパート画廊スペースはタダなので行くべき。あとは銀座蔦屋とか。あ、ゴジラで壊される和光の上階にもタダで入れるアートスペースがあるよ

2024-06-09

[] 2011.6

https://anond.hatelabo.jp/20240609080631

https://web.archive.org/web/20170710054907/http://ashihara-hina.jugem.jp/?month=201106

キューピー

2011.06.30 Thursday19:53

国内を動くたび、買ってきちゃうのがコレです

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ご当地キューピー

通天閣」と「たこ焼き」。大阪ですよー。

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中華街豚まん」        「北海道テレビ父さん」     「水戸納豆

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箱根たまご」         「松葉ガニ」           「仙台牛タン」これちょっと怖い。

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東京大学チア」         「金太郎」            「徳川家康名古屋

友達が買ってきてくれた。

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鬼太郎親子」         「犬夜叉ラムちゃん・らんま」  「サンタ

                  小学館の人がくれた。       全然ご当地じゃなくなってきた。

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パフェ」              「子羊」               基本形。

かわいい

他にもいろいろあるよ。

ついでにコレ。「砂時計」の「杏と大悟キティ」です

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映画ドラマの頃、作って頂いたものなのです。

大悟制服は、ブレザーじゃなくて学ランじゃん!!」っつー

ツッコミはなしで。

キティコラボなんて夢のよう。

キティ砂時計」とか「キティ砂時計メモパッド」もありました。

さすがにもう、売ってないよなあ。

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日記---

@大阪神戸

2011.06.29 Wednesday00:14

というわけで(前日記からの続き)

友人の結婚パーティー@大阪です。

会場は、結婚パーティーにはちょっと珍しい、ライブハウスでしたよ。

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芸達者な友人の、芸達者な仲間の皆様が、次々とステージへ。

楽しいマジックジャグリングショーあり、ワイルドブルース弾き語りあり、

かっこ良いおじ様バンドあり。時間の75%くらいがレベルの高いライブショー。

これ、普通にお金払って観に来るよ、私。

終始関西テンションで、笑いっぱなし。やー、楽しかった。

私もなんかパフォーマンス出来る人になりたいなあ。

音楽でも一発芸でもいいよ!楽しいもん。

ひどいアガリ症だけど。

友人の貴重な涙も見れたし、来れて良かったな。

友達幸せそうだと、ほっとする。

そんで翌日は、神戸で姉と合流。

私はがっつり中華飲茶っ腹だったけど、姉が「胃腸に優しいものを~

(ヨロヨロ)でも、はらドーナッツ本店に行ってみたい~」と言うので、

元町にある「はらドーナッツ」のカフェでヘルシーランチ。

豆腐どんぶりセットとよもぎドーナツをもぐもぐ。

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アメリカンながっつり系ドーナツの後は、こういうヘルシー素朴系が

はやってんのかなあ?東京でも、一気に店舗増えたよなあ。

祖師谷大蔵にある「floresta」と、コンセプトが似てるかな。

あそこの揚げたて大好き。なんて昨今のドーナツ事情に想いを馳せてたら、

姉がいきなり、手作りの「ミニバッグストラップ」をくれました。

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わー。かわいい!嬉しい。

ねえちゃん、私よか全然器用。

久々に降りたら、大阪駅がすんごい豪華になってまして。

伊勢丹三越ができておったよ。

時空の広場?(だっけ?)、風が吹き抜けて気持ち良かった。

雨降りそうで降られなかった。

やっぱ私、雨女治ったっぽい。

しかったけど、横着してかかとの低い靴持ってこなかったから、

足パンパン

帰りの新幹線プロット考えようと思ってたのに、寝ちゃった。

しまった。

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日記---

@北海道

2011.06.26 Sunday00:35

親切にしてくれてた友人の北海道転勤が決まり

皆で泣く泣くお別れ会をして来ましたよ。

お餞別に少女マンガ風、イケメン120%な俺を描いてくれ!!」

と、リクエストを頂いたので、描いてみた。

どーーん

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馬の顔がやたらちっちゃいのは、色紙に収まり切らなかったからです。

調子に乗って、「北海道クッキー」も焼いてみましたよ

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宴は午後2時に始まり、彼がつぶれて眠るまで続くようですが、

私は明日、友人の結婚パーティー大阪なので、

早めにおいとましました。

元気でね~。また、皆で北海道に遊びに行くよ。

雪祭りに行きたい。行くわ!

取りあえず、皆飲み過ぎ。

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日記---

田んぼ

2011.06.23 Thursday11:33

行ってるんですよ。時々。二年くらい前から

間内で始めた田んぼサークル?(なのかな?)に、

誘ってもらって。

人一倍体力ないし、肌質的日焼けに弱いので、

ほんと、申し訳いくらい時々なんですが。

先週末は田植えでしたよ。

〆切前だったけど、なんとか時間が取れたので、こっそり行ってきました。

こんなんです



リーダーが作ってくれたすんごい美味しいカレーを、お外で食べるのです。

ご飯は、去年田んぼで収穫したお米。



畑もあるよ。

トマト


なんだっけこれ

かぼちゃスイカ?(全然わかってない)



他にもいろいろ。

普段恐ろしいほどインドア派なのですけど、たまに自然に触れると

新鮮で癒される。しかも、田んぼに集う皆が超良い人ばっかりで、

心が洗われる。(汚れてんのか。)

前より、お米を大事に食べるようになったよ。

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日記---

FCPiece」6巻のお知らせ

2011.06.22 Wednesday22:44

原稿は、無事あがりましたよー。

今回背景多くて、やばいかなー遅れるかなーと

思ってたんですが、アシスタントさんが頑張ってくれたので、

思ったより早く仕上がりました。よかったよかった。

原稿編集さんに手渡したあと、同日〆切の作家友達

神保町小学館があるところ)でご飯を食べました。

ワイン二杯でフラッフラ。弱いわ~。

私、山葡萄サワー一杯で、意識無くしてぶっ倒れたことあるんですよ。

気を付けないと。

でも、ムール貝が超おいしかった。幸せ

今回の原稿は、編集さんやデザイナーさんや印刷所の方々や、

ほんとに多くの方々の手を借りて、7月13日に全国の書店に並ぶはず。

物語もそろそろ佳境なので、(丁寧にねちっこく描く予定なので

まだまだ終わりませんけど。)、続けて読んで頂けると嬉しいな。

あとですね。6月末に「Piece」6巻発売です!!、、、っと

言いたいところなんですが、、、。

発売日、来月なんですよねえ。。。

「Piece」6巻  7月26日 発売です、、、!!

いつも「Piece」は年二冊、6月末と12月末に新刊が出てたんですが、

今回小学館フラワーコミックスの「FCフェアー」というやつに

くみこまれる事になりまして。

(つまり小学館の方々が、Pieceを売ろうとあれこれ頑張ってくださってる、、

ということです。7月発売の、他の作家さん方のおススメコミックスと共に。)

有難い事なのですが、新刊発売が一か月ずれ込んでしまって、

読者の方が6月末に書店に行ったのに、新刊売ってないじゃ~ん!!

てことになるんじゃないかと、ちょっと心配

お待たせして申し訳ないのですが、7月に書店に行ってみてくださいませ。

よろしくお願いいたします。

別に私の仕事が遅れてるわけじゃないので、7巻はまたいつもの

ペースに戻って、12月末に出せるんじゃないかな。

まり次第、こちらでも載せていきますね。

どうでもいいけど、文字サイズ変換の仕方がいまいちワカラナイ。

元のサイズに戻んないよ。あれれ。まあいっか。。

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お仕事---

ラッキーV.Sカラス

2011.06.18 Saturday14:59

昨日、カラスに襲われました。

カラスが飛行訓練中に、うまく飛べずに家の玄関先に

迷い込んだようで、近づくと頭上からカラスが威嚇してきて

うちに入れない。



カラスをどけなきゃ家に入れない。でも仔カラスに近づけない。

おびえてたら犬を散歩中のご婦人が、心配して犬を放してくださった。



カラスを追うラッキー



そしたら、かわりにラッキーが襲われた。



ちゃんとお礼を言う間もなく、去って行かれるご婦人ラッキー



惚れてまうやろーーーっ。

ありがとうラッキー。ごめんねラッキー

その後アシスタントさんも襲われ(ごっ、ごめんよ~っ)、ご近所の方々も襲われてたので

区役所電話してみたら、ちゃんカラス対策ってしてくれるんですね。

知らんかった。

カラスちょっと可愛かったので写メたかったけど、親カラスに殺られそうだったので

やめときました。残念。

あ~びっくりした。

毎日スリルがいっぱい。

いや、、原稿ちゃんとやってますよ~。

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お絵かき日記---

おやつ

2011.06.16 Thursday23:39

私が砂糖に飢えてると、アシスタントさんがお菓子

恵んでくれます

私も恵み返してみたりします。

今回の仕事中のおやつ

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「京はやしや」の抹茶わらびもちとか、「SOURIRE」のサブレとか、

近所の和菓子屋・・・なんだっけコレ、甘夏ゼリー

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上に同じ「京はやしや」のほうじ茶プリンと、「TED'S Bakery」の

マカデミアナッツクリームパイ

これ、テレビで紹介してて、食べたかったんだー。

ちなみに朝は、ご飯味噌汁です。粗食。

仕事中はあんまりお腹減らない。

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おやつ---

最近

2011.06.14 Tuesday01:16

どんくさい事が多いです。

布製の薄い手提げバッグにピンクボールペンを突っ込んでおいたら

(頭をカチッと押したらペン先が飛び出るタイプ)、なんかの拍子に飛び出た

ペン先がバッグの底を突き破っておりまして。

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そのまま電車に乗って、バッグを膝上にのせてたわけですね。

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すると、こうなるわけですよ。

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あーあー。大人なのに。

あわててクリーニング出したけど、落ちるのかなーこれ。。。

五千円チャージしたばっかりのSuicaを、こないだ落とした

とこなのに。

他にもボケネタあるけど、まあいいや。

仕事に戻ります~。

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お絵かき日記---

Piece」vol.14

2011.06.11 Saturday22:28

7月13日発売のベツコミ8月号に、「Piece」最新話掲載です。

今、黙々ペン入れ中。

肩凝るけど、ペン入れ開始と同時にアシスタントさんが入ってくれるので、

気が紛れるし楽しいよ。

毎度毎度、90ページの原稿用紙を前に、ボー然とするわけですよ。

「いつもながら、終わる気がしないよね、、。」なんて、アシスタントさんと言いながら。

一人じゃ絶対あがらない。アシさん、グッジョブ

今回、水帆たちは、また「折口はるか元彼」をたどって、とある街へと出発します。

つの間にやら旅漫画。。。

先日慌てて資料写真を撮りに、その街へ行きました。

雨降り続きでなかなか行けなくて、(雨降ってたら、写真撮りにくい)、予定の合間に

新幹線に飛び乗って、強行突破滞在時間時間でした。

一人でロープウェー乗って、うっかりハーブ園でくつろいで、ソフトクリームまで食べてたら、

時間が無くなって後半猛ダッシュ。翌日筋肉痛。ヘボいわ~。

大変な背景を描いてくれるのはアシスタントさんですけれども、私もえっちらおっちら

頑張りますので、しばしお待ちを~。

ペン入れ後。トーンもベタもまだ入ってない状態です

成海が小汚いかっこで久々登場。

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ぼけぼけですね。

画像処理の仕方とか、全然わからん。。。

ハーブ園に咲いてた花が綺麗だったので、ついでに

貼っとこ。

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お仕事---

Kiss」13号

2011.06.11 Saturday01:48

6月25日発売予定の、「Kiss」13号(講談社)に、ちょっとだけイラストを載っけて頂いてます

「溺愛語(デキアイガタリ)」・・・自分が日頃ハマってる事、モノを紹介するコーナーです。

私はパンが好きなのですよ、、!食べるのも勿論好きだけど、作るのが。ちょう楽しい

一時期、わりと本気のパン学校に通ってみてたんですが、出席日数足りなくて

中級クラスに進級できなかったという暗い過去が。

そんな訳で初級クラスレベルですが、自分で食べるぶんには、全然、いけるいける。

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いつかパン漫画が描きたいなあ~って言ったら、編集さんに一瞬「ん?」って顔されることが多い。

パン屋さんの話」じゃなくって、「パンの話」。

2024-04-11

真◯苑の功罪[宗教]宗教

私にとっての功罪というか、今は信仰とは距離を置いていて向こうの人たちとは没交渉です。

子供の頃から親に巻き込まれる形で流されるままやってきて、長じて大人になり結婚を機にほぼ関わらなくなった自分が改めて思うことを綴ります

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小学校低学年の頃に母が入信し、そこから日曜は母に連れられて精舎に行く日々に。

ちなみに父は反対していた。(母が強引に勝手に父の入信届も出していたけども)

小さい頃から行っていたので素直に信じていたけど、ずーっと子供は親の言うことを素直に聞くのが修行みたいなことと親への感謝を言われ続けていて年齢が上がるにつれてうんざりしていた。

母は独善的で過干渉な人で、あなたのためによかれと思ってとよくいい、自分が求めたことが受け入れられるまでどこまでも引かない人だったので、イヤイヤながらしたがっていたけども、物心つくかつかないかの頃から親に反抗していた私は、親の言うことを素直に聞かない自分ダメなヤツだという思いと筋が通らないおかしい主張をなぜ受け入れなければならないかという思いの間で揺れながら子供時代を過ごしていた。

母と喧嘩になると、私が母に反発するのは背後にいる呪縛霊のせいだとか御先祖様が水神を利用するだけ利用して疎かにしていたからだとか言ってきて嫌だった。

こんなに親と衝突しないといけないのなら将来子供は持ちたくないと思うほどだったし、自分子供として可愛げがないということにも嫌気がさしていた。

余談だが、教義が家父長的というか今は変わってるのかもしれないけども妻は夫をたてて素直に受け入れるのが大事で、自分配偶者理不尽であってもそれは過去因縁で与えられた試練みたいな感じでたまに明らかに配偶者がモラなのに、至らない自分が悪いんだみたいなことを呟いてるXのポストをみるともやる。

進学して家を出ても、行った先の信者の方にお世話になりながら最寄りの精舎に行っていた。(母による手回しにより)

社会人になってもそれは続いていたが、一人暮らし薄給なのに、定期的に先祖の供養のための施餓鬼護摩お布施をむしり取られるのが地味に痛かった。(5000円〜10000円ぐらい/回)

これまた余談だが、真◯苑は経済的には良心的な宗教法人だと思う。誓願しても最大で毎月3万円ぐらいのお布施だった気がする。(お布施とは言わないが独自用語なのでわかりやすお布施と言っています)

個人金銭的な負担は薄く広くと言ったところか。

その割には、立川に大きな精舎を作ったり、三越を通してオークション流出しそうだった仏像を高額で競り落としたり、村山工場跡地を買ったりと沢山お金を使っていてその財源は一体どこから?と素朴な疑問として思っていた。

若い頃は苛烈だった母も歳をとり、自身病気になったりでだいぶ弱ってパワーダウンし、もう真◯苑には関わらないと宣言したわけでもないが、あれしろこれしろとは全く言わなくなって私は完全に離れ、ホッとしている。

思うに私は信仰をするには怠惰すぎた。早起きして公園掃除をすることも、友人を失う覚悟勧誘することも嫌で仕方がなく、それよりもいつまでも寝ていたいとか友達と遊びたいとかそう言った目先の利益のために信仰することをやめたと言っても過言ではないだろう。多分後悔はしていない。今とても楽だから

それでも時たま、後ろめたく思うのは、悪い因縁を断ち切ってなくて子供達に引き継がれたらどうしようとかそう言うことをふと思ってしまうし、色々な恩を受けたのに仇で返すような生き方をしていてこのままで済むわけがないともたまに思うからだ。

死んだら菩薩にはなれないだろうし… まぁもういいけど。

真◯苑に限らず、よく「大難を小難に。小難を無難に」と界隈では言われるが、そう言うことを能登大地震にあった人にも正面切って言えるのかと思う。

私はあの地震被害を見て神も仏もないとつくづく思った。もしそれでも仏はいるというのであれば、仏とはなんと無慈悲存在か。

それでも、生き残った人たちで真◯苑を信仰している人たちは信仰があってよかったんだろうと思う。

母にもあってよかった。違うものに走っていたら周りの人間も母自身も今よりも断然酷い目にあっていただろうから

代表について一言。直に話したことはないけども、5メートルぐらいの距離対峙した時にこの人はすごいお坊さんだと思って、なぜか知らないが涙がブワッと出てきてすごい奇跡みたいな人だと思った。カリスマ性がすごかった。

そして、つくづく私にはこんな立派なお坊さんにはなれないと感じた。

まぁこんな感じです。

もう2度と戻ることはないと思うけど、歳をとって子供達が独立して配偶者もいなくなったらまた信仰しようと思うかもしれないとも思う。

批判を目にしたりするとそんなことないと思う気持ちもあり、なんと思っていいのかわからないのが正直な気持ちだ。私の人生にとっては、いい面も悪い面もあった。それだけ。

2024-03-14

住民反対運動で街が発展した話すき

これの逆バージョン https://anond.hatelabo.jp/20240313123638

 

池袋サンシャイン地下道

巣鴨プリズン/東京拘置所跡にサンシャイン60ビルを建てるにあたり、池袋から地下道を通す計画があったが、地元商店が「人の流れが変わって駅前が廃れる」と反対し沙汰止みになった。

一番反対したのは洋菓子店タカセ。ここは戦後に繁盛して地元の顔的な立場であった。

これに他の人は「タカセのヤツ、勝手に顔役ぶりやがって」と陰口を叩き、裏では総スカン

地下道都道反対側からだけに短縮されてそこまで利用者は歩くことになった。代わりに都バス乗り入れが行われたが利用者は伸びなかった。

しか地下道入口東急ハンズオープンすると付近カメラ量販店(後にゲーセン)、飲食ビル映画館誕生し、池袋東口東急ハンズは若年向けの飲食サービス業が立ち並ぶ大商圏となった。

 

池袋馬券売り場

90年代JRA女性ターゲットとしたCMを打つなど競馬イメージアップに努めてはいた。

だが池袋東口に場外馬券売り場を開設する計画が持ち上がるとイメージ悪化を恐れて地元商工会は大反対。JRA土地も押さえていたが出店中止に。馬券売り場の上にサロン飲食室などを設ける大規模な計画だった。

この土地を後にヤマダ電機が押さえて都市型店舗第一号としてオープン。その後に近くの三越が閉店して建物が売りに出されるとヤマダ電機が取得して現在LABIとなり、池袋家電激戦区っぷりに火を注いだ。

 

立川飛行場

米軍接収した立川飛行場は手狭のためにジェット機用に滑走路を延長する計画があった。この為に滑走路延長先の砂川町の農地家屋に収用が掛かった。

これに住民は大反対し、そこに学生運動等が乗っかり、デモ隊基地侵入などの事件が起こり大騒動になった。

憲法問題などで出てくる「砂川事件/砂川判決」というのはこの事件

この事件などがどの程度影響を与えたかは判らぬが、米軍立川飛行場の拡大を諦め、瑞穂町横田基地に集約する事を決定。立川飛行場日本返還される事になった。

箱根ヶ崎付近八高線国道16号がぐにゃっと曲がっているのは、横田基地の滑走路拡大をした為である

 

返還された立川飛行場学校研究所法務修習所、陸自基地などに転用されたが、一番広い面積を有するのは昭和記念公園で、電車で3駅分ほどもある巨大公園となった。

真ん中には広大な広場もあり、大コンサートもよく行われている。

 

なお、騒動の原因となった滑走路の残骸が未だ残っている。https://maps.app.goo.gl/ewECyedzGvD9p88t7

(よく見ると滑走路アプローチ>>>>のペイントがうっすら残る)

 

埼京線大宮交通

東海道新幹線が開通して暫くすると、騒音振動問題になり訴訟も提起されるようになった。成田新幹線ゴリ押しによる頓挫もあり、山陽新幹線以降の新幹線開通は困難が予想されるようになった。

そこで都市近郊での建設スキームを変更、新幹線に付随した在来線も同時に工事して迷惑施設というだけではなくて近隣住民利益にもなるスキームにした。

この為に赤羽大宮間では通勤新線(埼京線)、大宮北側には高架にまとわりつく、つる植物のような新交通線が出来た。

なお、東海道新幹線は通常の鉄道のように地面に砕石を敷いて線路を敷く工法なので高速運転では周囲に振動が伝わる。その後は平地でも鉄筋コンクリートの高架を走るのが一般化した。杭基礎で支持されるので振動は地下奥深くに吸収され、コンクリの高架は重いので振動自体が押さえられる。その為に公害は発生しにくくなっているが、交渉時には工法までははっきりしていなかったのでこういう形になった。

 

神楽坂

空襲失地区の戦後復興東京都などが管理して区画整理などを行ったが、計画的過ぎて無機質であるとの反対意見も多かった。

そこで都は神楽坂については住民同士の話し合いで区画整理を決める自律的方法を試す事にした。

しか優越資本や有力な地元のまとめ役が居ない地区だったので、結局は路地などが沢山残る防災的にはアウトな形で復興する事になってしまった。

その為に神楽坂は失敗のモデルケースとされていた。

しか建物の建て替えが進むと、街路側は多くが不燃建物、その路地の奥は不燃建物と古い料亭などが混在する形となって何だか防火風流の両手取りみたいな地区になって、アンテナの高い外国人などにも好かれる町並みとなっている。

 

歌舞伎町

戦後歌舞伎町は全域がゴールデン街のような闇市バラック状態であったが、再開発をする事になった。

しか高田馬場を始発駅とする西武新宿線新宿駅まで伸びる予定であり、歌舞伎町付近に仮駅を設置された。

当時の西武鉄道経営陣としてはピストル堤と言われた堤康次郎も健在であり、堤は人を騙して土地を買収したり、ピストルの名の通りに暴力による脅迫で買収したり人の土地勝手占有して後に所有権移転したりと、要するにやり手実業家の皮を被ったヤクザであった。しか権力とみっちりと癒着しているばかりかその後に代議士にもなっていた。

その為に歌舞伎町地主たちは鉄道が来るのは歓迎だが堤が来るのはたまらねぇ、として西武の買収に対抗する策を練った。

そこで街路幅はきちんと確保しながらも、その所有区分を細分化、買収しにくくした。それが功を奏して西武も含め、大資本が入り難い地域となっている。道幅を確保しながらも細分化策が功を奏したのは主導的な町会長などが存在した為による。

 

鉄道忌避説は後世の作り話が多い

ブクマページの米でそれは違うというのを幾つか。https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240313123638

 

流山

流山常磐線忌避したという話は良く効くが、多分これは違う。というのも、地理的条件があるからだ。

田端を起点にして北千住を通り、土浦に至るというのは決まっていた。で、その途中には避けねばならぬ「水」があるわけよ。霞ヶ浦牛久沼手賀沼は避けねばならない。だから柏の先のルートはこれしかない。

問題北千住から柏で、今の南回り松戸ルート八潮三郷流山の北回りルートTXコース)がある。

でも北ルートには難点があって、それは毛長川、大場川古利根川の氾濫域の土壌ぐちゃぐちゃ地帯に入ってしまう。今でも越谷レイクタウン南側田んぼのままで、ここは乱開発すると土地の保水力が無くなり八潮市街出水してしまうので開発禁止の状態になっている。武蔵野線敷く時もまず水路の開削からやって平地なのに築堤築いている。そうしないと列車振動で沈下して線路が狂ってしまう。それくらい地盤が悪い地域だ。

から日本鉄道はここを通るのは避けたかったはずで、そうすると流山に行くのは無理って事なのだ

 

鳩ケ谷

日光御成街道宿場町として栄えた名残が邪魔して鉄道忌避の街になり、ついに川口市吸収合併された、元鳩ヶ谷市とか?東北本線って計画では、王子以北は今の埼玉高速鉄道をなぞってたって言うし

これも違うと言い切れる。地形で説明するよ。

 

日本鉄道熊谷線(現高崎線)は日本で2番目の鉄道なので工事量を減らす為に「ここしか無い」という厳選されたコースを通っているのだ。工事期間がやたらと短いのも特長で、コースを厳選した結果だ。

 

海食崖

上野駅を出た京浜東北線大宮までは中距離電車じゃなくてこっちが元のルートを通る)は赤羽までずっと急な崖の下を通る。この崖だが、真っすぐなのが特長だ。こういう真っすぐな崖というのは海食崖の特長だ。海の崖だね。

地球の海面は氷河期には氷河南極に氷となって蓄積するので海面が下がる。一方、温暖な間氷期には海面は上がり、平野のずっと奥までが水没してしまう(海進)。

縄文時代などの間氷期の海進で、関東平野海の底となり遠浅の海となっていた(奥東京湾)。間氷期の気温で海進の程度は変わり、最大で高崎あたり、縄文時代では大宮までが奥東京湾だった。(そういう訳で、尾久とか東三条には貝塚がある)

海には波がある。この波は真っすぐ進んでドンと当たって止まり、ではない。斜めに陸に当たった時は、陸に当たった後にその勢いは横に流れる。波が引く時はその横向きの流れのままに引く。沿岸流が出来るのである

すると陸の出っ張っている所は削られて、やがて必ず真っすぐな海岸になるのである

まり上野赤羽の崖が真っすぐなのは海進時に波に削られたせいである。

 

波蝕台

波は崖を真っすぐに削っていくが、この時潮の干満により崖の下には平場が出来る。満ち潮では海面下に隠れているが引き潮では通れたりするアレだ。親不知子不知が引き潮の時だけ取れるというアレ。

上野赤羽では小規模な波蝕台が連続京浜東北線はこの上を通る。但し複々線化で判り難くなってはいるが。

この波蝕台跡は他の低地より少し高いか田んぼになっていないので用地買収がしやすい。更に少し高い故に大雨でも出水しにくいし、砂礫が多いので水捌けも良い。線路用地として優秀なんだな。

 

砂嘴

陸地の角があると波による沿岸流はその先に砂を置いていく(漂砂)ので、真っすぐの海岸線が延長された地形が出来る。砂嘴である北海道標津の野付半島京都天橋立が有名だ。砂嘴で延長された浜により沿岸流と漂砂の働きも延長されるから砂嘴はどんどん伸びていき海底が深くなると砂嘴の延長はとまる。

赤羽台地の角なので波蝕台に繋がる形で砂嘴が出来た。

この先で荒川を渡らねばならないので当然線路はこの砂嘴の上を走る。高さを稼ぐ為である。この砂嘴江戸時代荒川開削と田んぼ開発により削られているが、根元だけは残っている。赤羽の北で環八を跨ぐ時の橋台はこの砂嘴に乗っている。

 

荒川川口町

当時蛇行していた荒川を真っすぐ渡る為に(鉄橋の距離が短くなるから)右に曲がり、荒川を渡る。川口方には堤防曽根)があるのでそれを超えると熊谷に向けて左に曲がりながら築堤で地平に降りていく。地平に降りた所に川口町駅設置。川口宿からは離れているが駅は水平でないといけないのでここしか無い。

 

川口町から熊谷まではほぼ真っすぐ

川口町からは当初の終点熊谷、その先の高崎までは殆ど直線なのだが、所々に緩いカーブがある。このカーブの全てには必然性があり、全て工事の最小化の為のものだ。

特に芸術的とさえ見えるのは南浦和北浦和間だ。

https://maps.gsi.go.jp/#15/35.859927/139.661572/&base=std&ls=std%7Canaglyphmap_color%2C0.79&blend=0&disp=11&lcd=anaglyphmap_color&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1&d=m

南浦和までは低地にあるが、この先で大宮台地に登る。そこで沢が削った斜面に入り、他の沢の斜面側面に取りついて高さを稼いでいく。

浦和駅からはもう芸術点が高く、沢山の小さな沢がある所を、最小限のカーブでその谷頭を両側でギリギリかすめるルートを取っている。ここはダッジボーナスが沢山入る所だろう。舞踏家みたいな避け方である

 

大宮から先も小さいカーブ芸術点高いルートを通るが、中仙道に平行している。中仙道自体芸術点高いルートを通っているのでこの区間コピー忍者って感じだ。

 

このルートの良いところはもう一つあって、途中の蕨から中仙道が平行してくるので宿場町近くに駅を造れば集客と集荷が期待できる。更に当時は道が限定されているので、名のある街道に近くないと客や貨物が駅に来れないのだ。

 

当時の日本が高度な測量でルートを決められたワケ

文明開化したばかりの明治日本が、鉄道二本目でこんだけ緻密なルート選定出来たのは何故か?

お雇い外国人英国人の力だけではない。江戸時代新田開発と用水路開削をしまくっていた為なのだ

台地上に水田を作る場合もっと標高が高い場所から用水路を引いてくる必要がある。水は一度低いところに行ってしまったらもう高さが上がらないから、長距離の測量を正確にせねばならない。その技術が蓄積されていた。

 

やり方は結構単純だ。長い木箱を作り(水盛り箱という)、水を入れる。水面は必ず水平だ。両端の水面から10センチのところに糸を張ったらそれも水平だ(水糸という)。

更に両端の水面から10センチのところにライフルの照準的なものをセットする。その照準で200m先を見て、照準が合っている場所はやはり水平だ。200m先に助手が目盛りが付いた物差しを持って立つと、その地面はこっち側からセンチ下/上がっているかが判る。

これをずっと正確に繰り返す。だから両側の谷頭の直ぐ上を抜けるルートなんてお茶の子さいさいだったかもしれない。

 

という訳で、日本鉄道などが造った初期の鉄道路線は土木技術で地形無視って事を極力避けるルート選定をしているので、マクロ的にもミクロ的にも必然性の塊となっているのでありますよ。

2024-03-07

東京都内外国人観光客が全くいない大きな繁華街がある

それは日本橋京橋

渋谷新宿浅草銀座も、どこへ行っても外国人だらけで嫌だと思っている皆さんへ。

渋谷は、白人人達がやけに多い気がする。

ハチ公前のスクランブル交差点を渡るのが目的らしいが、あれは未だに理解できない。

浅草銀座中国人観光客占拠されている。

一昔前の爆買いはいなくなったが、それでも銀座中国人観光客にとって一定需要がある。

浅草については、言うまでもないでしょう。

そこで出てくるのが、一番最初に書いた日本橋京橋である

永代通りコレド日本橋(昔の東急日本橋から北側へ向かって伸びている中央通りを歩いていくと、本当に日本人しかいない。

日本橋の橋の周辺も外国人は誰もいない。

三越本店なんて、まさに日本人日本人による日本人のための百貨店になっている。

外国人から見ると、日本橋ってそんなに魅力のない場所なのだろうか。

まあ魅力のある場所だとわかってしまうと、外国人人達が集まってくるので、今のままでいて欲しいという矛盾した気持ちにもなる。

2024-02-23

ただのサラリーマンカップルだけど、今日三越に行こうかという話になって

「おしゃれしていかなきゃ。両方年収1000万越えみたいに」

「じゃあ2人とももっと稼いでるからupdressing じゃなくてdowndressingしなきゃじゃん」

ていう会話をしてニヤニヤしてしまった へへへ

2024-01-25

何で上野あたりって新しい建物建てないの?

東京駅より東ってそういう空気あるけど

秋葉原とか三越とかああいうところはまだ開発進んでるよね

上野マジで謎、利用率・利用人数が多いはずなのに時が止まったかのよう

2024-01-07

anond:20240107211109

金払えば丸投げで買ってもらえるサービスとかねえかな

パーソナルカラーとか骨格診断やってる所で選ぶのも付き合ってくれることあるよ(5~10万)

買うところまでじゃないなら2万とかでもある

三越とかも骨格診断やってて服選ぶサービスあるけど、三越ビル内の店舗から選ぶようになる

2023-10-03

anond:20231003180941

それは嘘ですね。

本当に最初期のエスカレータービデオを見ると誰も歩いていなかったことがわかります

日本で初めてエスカレータが設置されたときにも、

之はエスカレーターと申します。自動昇降の階段足を労せず自然に上つたり下つたりする事の出来る機械で御座います、此機械日本に於ては極めて新しいもので、現に建築中で此秋落成すべき三越呉服店新建築場に据付けたのと、此処に設けたのと僅かに二つしかありません、料金十銭を投じて入口に立ちますれば身は自然と昇騰して頂上に達し…

と紹介されており、人々が立ち止まって乗っていたことは明らかです。

人々がエスカレーターの片側を空けて歩くようになったのはもっとずっと後のことです。

2023-09-17

ワイは天一天下一品も行ったことないし新宿にも三越にも行ったことないやでという話

2023-09-09

[] 『"東京某所"がガチスラムになってた』のと『エリートの正しさパンチ

東京都23区足立区南千住(荒川区)がスラムとか荒れてるとか、そのくせ湯島文京区ってだけで住みやすいとかのたまうとか、

ほんとマジで上京カッペ田舎に帰れ*1って思うけど、

 

2023年、"東京某所" がガチスラムになってて草🌱なんだ。ワイがナウなヤングの頃、この街こんなんじゃなかったぞ

 

坊ちゃんバックパッカー』や『ぼくあたちは海外へ行きまちた』は、本物スラムはこんなもんじゃない(キリッ とかやってるけど、

いや・・・マジでそういうの間に合ってるから・・・・本物のスラムとやらを知る君は海外貧困窟に閉じこもって勝手タフガイぶっててどうぞ。一生日本に帰ってこなくていいぞ

 

来訪者のポイ捨てゲロ生ゴミ汚しも歌舞伎町レベルだが、そんなことど〜でも良くなるレベルで、

マンションの緑地部分・アパート共用部分・廃ビル*2ゴミが山積みになってたり、ゴミで埋め尽くされてあからさまに日本ではなくなっている建物以外も、

共同部分が清掃されていない・ヒップホップ的なGraffitiではない単なる落書き設備破壊損傷があったり・遺失物っぽいのが置かれまくってたり、

派手髪派手メイクギャルならともかく、ほぼノーメイク黒髪の地味顔(10代の可能性大)の3人娘が、朝の8時だと言うのに、上に何も羽織らず無地薄手のタントック1枚+パンツ見せてんのよ丈のミニスカ天使コスプレで、なんかキメっちゃったテンションで歩いてたり、

アンモニア臭がなく日焼けも無かった為、おそらく路上生活をしていないと思われるが、髪がまったくブラッシングされずに絡まって固まっていて、ボロボロに破れたスエットをケツを出しながら着て便所サンダル履いた20代くらいのガリガリの異様な風体若者が、駅で切符を購入していた *3

  

ワイがナウなヤングの頃、この街こんなんじゃなかったぞ。スラム以外の言葉でね〜のだわ(二度目)

  

かつて、渋谷では脱法ドラッグ路上販売や売人同士の刺傷事件池袋では青龍刀や発砲事件や薬物絡みだと思われる事件が頻繁に発生していた

また、東京には外国人不審な死亡事件がやたら多い繁華街存在する

これらの地域を考えると、"東京某所" は、せいぜい窃盗犯や酔っ払いの粗暴犯による事件が起こるくらいで、比較安全な部類なのかも知れない

酔っ払いと、利用する飲食店小売店に注意さえすれば、危険に巻き込まれることまず無さそう

 

ただ、実害が少なくても、"東京某所"みたいな景観日本の当たり前になるのはどう考えても良く無いし、嫌よね?

 

つか、反社でもまずこういうとこ住まないのに、『坊ちゃんバックパッカー』や『ぼくあたちは海外へ行きまちた』の本物スラムはこんなもんじゃない(キリッってのは、

ほんとマジで目線での話なんだろうな?

本物の貧困窟に閉じこもって一生日本に帰ってこなくていいぞ。そこで好きなだけタフガイぶってろ(二度目)

 

実際、地元住民以外がわざわざここに引っ越して住みたいと思うことは少ないようで、都心で駅に近いのに家賃が妙に安い

地元不動産屋が張り紙出している系の物件だとさらに安い

築8〜築25年くらいの物件が、越谷の駅近1R〜1Kくらいの家賃水準

  

地方シャッター商店街あるよとか基地があって栄えたとこは今はヤベーとかいうけど、

沖縄のコザとか、"東京某所"みたいに、ゴミが山積みになってたり、朝っぱらキマッってる(しか黒髪地味顔ほぼノーメイクおそらく10代) のが歩いてるとかねーし、

シャレオツカフェコワーキングスペースあったりするし、金武とかが危なかったのも大昔の話だし、

貧困に話を絞っても、ここに住んでるのか・・・かい状態住宅物件はあっても、お金無いなりに、可能範囲で綺麗にしてんのよね

 

 

気分が沈んだけど、用があってせっかくお出かけしてきたことだし、ここで見たことは脳の奥にしまってフタをして、

ワイ的に超好みなデコラティブなビル群でも見に行こうかしら・・・ネットビルを調べていたら、なぜか呪いビル伝説ビルなどの話題が頻繁に出てくるんですよね・・・

デコラティブなビル群がダサい悪趣味時代遅れだといった批評ではなく、ホスト通いの末路や親子の無理心中といったサジェストが表示されたり、

よく人が上から落ちてくるから危険・気を付けろとか出てくる

 

もうこれ、『オカルトゴシップ大好き人間自分好みにオーバーおもしろおかしストーリーを書いてる』のか『ガチ事実』なのか、真偽を確認しようという気失せる米

もういい、お腹いっぱい、おうち帰るか・・・ぴえんぱおん🥺

 

それにあわせて、行き場のない子どもたち(親が子どもがいなくなっても気にしていない)、性を売ることで楽にお金を稼げるを覚えちゃった人たち、

それに群がる人たちの話題も出てきてうっかり読んじゃってさらに気が沈んだ

 

エリートの正しさって、資金的能力的に再現出来ないこと多いけど、

やっぱり、『親の在り方・子育ての正解』、『人間生き方・愛し方の正解』ってどう考えてもあるよねって思った

資金能力的に足りない人を追い込むな』、『ママパパに完璧を求めるな』をした結果がこの惨状やんな?

 

この日、このあとに食べたご飯はまったく美味しくなかったわ・・・

 

 

自分のことだけで手一杯と言うか自分の老後もどーなるかわからなくて心配だけど、

この無限気持ちを沈めるモヤモヤはこの惨状に『何も出来ない無力感』と『していない罪悪感』だと思うんだよな・・・

 

危ない人には、我が身かわいいから、正直関わり合いになりたくないし、

セーフティーネットが整えられていないが大前提にあれど、いちおう無くは無い、福祉の網から漏れちゃうのは、

おそらく発達や精神的な問題を抱えていることが原因になっていることが多いだろうからサポートものすごくひたすらに難しい話だとは思うけど、

なんかできることないのかなぁと改めて思いました

 

それはそれとして、今すぐ出来そうなことは募金くらいしか思い浮かばないので、とりあえずこの記憶封印しておきます

(用があってその地域に出かけるたびに頭に浮かびそうではある)

 

 

 

 

 

 

 


*1 まぁゆうて山手線通ってる荒川区はともかく、足立区葛飾区交通の便が悪いし、遊ぶとこ、スーパー以外の買い物行くとこ無いしで、住むのはオススメはしない。
見栄張って住民票を東京にしようとせず、素直に千葉埼玉神奈川都市部に住んだ方がいろいろあって楽しいし、家族持ちなら教育の質も高い。
そもそも年収1000万程度だと、堅実なリーマン千葉埼玉神奈川都市部に家買うので、住民の質が高いのは当たり前

 

*2 つか、そもそもなんでこんな廃ビル多いのよ、沖縄三越那覇タワーみてーに解体にとんでもない費用が掛かるビルでも、立地的に売却・再利用が見込めない土地でもないでしょうよ。
地上げにあって歯抜けになった一時期の西新宿も閑散とした地方商店街もこうじゃねーのだわ

 

*3 渋谷ドメスティックブランドで全身を固めた10代後半から20代前半のガリガリホームレス見た時の衝撃、見知らぬ小学生に500円せびられたら時の衝撃に次ぐくらいの衝撃だった。
望まない場所から逃げてきた可能性もあるので放っておいたが、徘徊老人と同じくおまわりさんに連絡した方が良かったのだろうか?そもそもボロボロ衣服なのにアンモニア臭がまったくしなかったが、コスプレやイタズラだったのか?

 

追記

"東京某所"は、蒲田でも足立区でも荒川区某所でも台東区某所でも無いぞ

 

まとめの参考にしてください

anond:20240310173949

2023-08-06

anond:20230806164031

文字数制限で書ききれなかったから、追加。

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6位 三越日本橋本店 1,144億円(13.0%)

7位 高島屋大阪店  1,092億円(12.7%)

8位 松坂屋名古屋店 1,039億円(20.0%)

9位 そごう横浜店   949億円(17.9%)

10位 高島屋京都店   740億円(12.5%)

11位 大丸神戸店    701億円(19.4%)

12位 岩田屋本店    679億円(14.9%)

★13位 そごう千葉店   656億円(14.7%)

14位 東急渋谷本店   635億円(5.9%)

15位 小田急新宿本店  595億円(18.0%)

16位 高島屋新宿店   584億円(23.8%)

17位 名古屋三越   582億円(8.1%)

18位 三越銀座店    565億円(27.6%)

19位 京王新宿本店   553億円(15.3%)

20位 松屋銀座本店   544億円(25.3%)

【最新版2022年 全国百貨店 店舗売上高ランキング!: 激安!元家電量販店員が語る業界事情! (seesaa.net)

千葉駅】千葉LOOK

あんまり音楽とか聞かないのだけど、それでも知ってる。BUMP OF CHICKENの初期はここでライブしてたとか、してないとか。

一回だけ行ったことあるけど、めちゃちっさいけど、なんか雰囲気ある。距離感が近い。

幕張幕張だけど、JFAフィールド 幕張温泉 湯楽の里

ギリ自転車でいけるw

めーーーっちゃいい施設!!

2020年に出来た割りと新しいスーパー銭湯で、サウナブーム到来後にオープンした事もあって、割と最新のサウナの楽しみ方に合わせた設計がされている。外気浴スペースが豊富に取られてるからゆっくり休めてよい。水風呂サウナの大きさに比べて狭い気がしたなぁ。

あとサウナはオートロウリュがついてて送風機が天井にあって、めちゃ熱い風がガンガンくる。これが最新のサウナなのかっ!ってなった。まぁそこまでサウナが大好きってわけでもないから、他のサウナと比べてどれくらい良いのかはあんまりわからんけど、景色もオーシャンビューだし楽しくてgood。

西千葉から自転車で30分もあれば到着すると思う。途中の美浜大橋からみる東京湾がめちゃ景色良くて最高の気分になる。

稲毛海岸稲毛海岸稲毛海岸プール(いなプー

ちょい遠いが自転車全然いける。

やっぱね海は楽しいよ。あといなプーでは撮影会できます!!!(よくわかってないけど)

最近洒落雰囲気を纏おうと、桟橋を作ってみたり、白い砂浜にしようとしてオーストラリアから大量の砂を設置してみたりしてる。けど白い砂は、台風結構もってかれちゃってるらしいw悲しい。

まぁでもちょっと遠いよなぁー。埋め立てられる前は、目の前が海だったらしいから惜しいわぁー

西千葉のいいところを紹介するぜ!!!

2008年千葉大入学して、2014年千葉大大学院を修了した、西千葉歴6年の僕が、西千葉のいいところを紹介するぜ!!まぁ西千葉といいつつ、千葉駅周辺とか稲毛とか、ちょっと離れて幕張も少しだけ紹介するよー。

千葉駅北口ベンガルタイガー

西千葉千葉駅の間くらい(ちょい千葉駅寄り)にある。

僕が現時点で、人生で一番美味しいと思ったカレーかな。

美味しいカレーを各所で結構食べてきたと思っているのだけど、一番美味しい。

正統派インドカレーが味わえる「青山シターラ」や、チーズクルチャが美味しくて半地下の店内がめちゃお洒落な「銀座グルガオン」、そしてその系列店「京橋ダバ・インディア(今は御茶ノ水ゴンドになったらしい)」、そしてそのダバ・インディア修行された店主が開業された「木場のカマルプール」、銀座博品館レストラン階にあるビリヤニがモリモリに盛られる「カーンケバブビリヤニ」、いつもじゃがいものを食べるタイミングを見失う神田欧風カレーの「ボンディ」、寡黙でちょっと地味めな店主が黙々とつくる美しく華やかなカレーとのギャップが激しい「御茶ノ水ホンカトリー」、そしてもちろん千葉県といえばココ検見川の名店「シタール」などなど、いろんな場所、いろんなジャンルカレー屋さんに行ったけど、

僕が現時点で一番美味しいと思うカレーはここ、ベンガルタイガー

ここのカレーはもちろんインドカレーとしてのベースの美味しさはありつつ、スパイス香りが華やかで(あまり他のお店では味わったことがない独自性があるのもgood)、それに加え、盛り付けも素晴らしく、食事の楽しさをぐんと引き上げてくれる。

このカレーが気軽に食べられるってだけでも、西千葉(というか千葉駅の方が近いエリアかもだが)に住んでるの羨ましいなと思うレベル。ちなみにベンガルタイガーオープンしたのは僕が西千葉から引っ越した後なので、当時は味わうことができなかった。久しぶりに西千葉に行ったら、こんなカレーの名店がオープンしているとは……。

千葉駅北口千葉公園とthe RECORDSと椿森コムナ

池のある公園の向こうにモノレールのある景色、どこかで見たことあるのではないか?見たことある人は同世代ですね。そうです「俺の妹がこんなに可愛いわけがない通称俺妹聖地ですね。僕がいた当時はラッピング車両が走ってたりしてました。この池、ボートも借りれたりして、結構しかったりします。

で、この千葉公園最近めっちゃいい雰囲気になってきてます。なんでかっていうと、拓匠開発っていう工務店というかディベロッパーというか、色々やってる会社千葉公園まわりでめちゃかっこいいビルを改修したり、建てたりしてるからです。

流石に今は暑すぎるから空調効いた店内でゆっくりするのがいいけど、春とか秋あたりは、コーヒーパンを買って、2階のバルコニーから外に出て開放的な気分を味わうのがgood。もちろん千葉公園ゆっくりするのも最高。

千葉駅北口】Tipstarドーム

臭い競輪場があったんだけど、建て替えて綺麗で宇宙っぽいドームになった。遠目で見る分には結構かっこよかった。けど、なんかコロナの影響かなんかであんまりまだ人を入れてないっぽい。

MIXIホームページとかをみるに、ショー的な要素を組み入れたいのかな?ってのがちらちらと垣間見れるので、ラスベガスっぽい雰囲気にしようとしてるのかなと思ってる。これからもっとMIXI気合い入れて運営してくれたら賑やかになると思う。千葉公園のすぐ隣だから、大負けしたら千葉公園で一息つこうぜ。

西千葉みどり台駅】今はなき、シネシネマ(僕はシネシネって呼んでた)

僕が学生だったときは、Netflixとかアマゾンプライムビデオとかのサブスクなんか無くて、ドラマ映画を見るときシネシネマだった。

毎週火曜日(だったと思う)は映画の日かなんかで、旧作が1本100円で借りられるんだよね。映画にハマってた時は毎週そのタイミングで3,4本は映画借りたなぁ。僕が映画知識をある程度得られたのはシネシネのおかげ。

シネシネがなかったら、「サマータイムマシン・ブルース」にも「キサラギ」にも「運命じゃない人」にも「時をかける少女」にも「グッド・ウィルハンティング」にも「AKIRA」にも「東京ゴッドファーザーズ」にも「モーターサイクルダイアリーズ」にも出会えてなかったし、「24 -TWENTY FOUR-」を24時間で観きるみたいなことも出来なかった。ありがとうシネシネ

あと、全然ハマらなかった、「ショーシャンクの空に」とか「劇場版コナンシリーズ」「デヴィッド・フィンチャー作品セブンFIGHT CLUB)」「三谷幸喜作品ラヂオの時間とか有頂天ホテル)」とかも、自分の好みを知るって上では重要作品だった。自分の好みが把握できたのは、シネシネで多少なりとも作品数をこなしたからだろうなぁ。ありがとうシネシネマ。

千葉駅三省堂書店 カルチャーステーション千葉

ここの漫画の取り揃え結構すごいよ。あと不定期で原画展とか開催されてて本当にすごい。

ジュンク堂書店池袋本店とか、梅田MARUZEN&ジュンク堂書店匹敵すると思う。(いやそれは言い過ぎか…)

人が全然いなくて、通路も広いし、めちゃ穴場。潰れないか不安だよ。

千葉中央駅】京成ローザ

千葉駅周辺で映画をみるなら、京成ローザだった。

未だに僕の人生No.1映画インセプション」を京成ローザで2回みたし、「映画けいおん! 」も3回観て、一緒に行った奴らと入場者特典の生コマフィルムを組み合わせてみたりして、繋がったー!!とかしてたりした。なんか青春映画ってセットみたいなところあるよね。

あとは、明るかったはずなのに映画が終わったらいつの間にか日が落ちて夜になって、急に世界が変わったみたいな気がしたり、

映画を見る前は雨だったのに、観終わったら雨が上がってたり、

真夏映画をみて、映画見終わってガンガンに体が冷えてんのに、外出たらカンカン照りでむわぁーってしたりしてた。

千葉中央駅】今はなき、とらのあな千葉

大学院生のときバイトしてた。

成年漫画結構ハマったりしたのもいい思い出。こんな増田を書いたりもしたよ

・元とらのあな店員が決める 漫画10選と成年漫画10選 ( https://anond.hatelabo.jp/20141222015250 )

・元とらのあな店員が決める 漫画10選と成年漫画10選 2 ( https://anond.hatelabo.jp/20160201015410 )

・元とらのあな店員が決める 漫画10選+α( https://anond.hatelabo.jp/20160911230803 )

師走の翁とか、とらのあなバイトしなかったら出会わなかったんだろうなぁ。

あとはまぁオナホ万引き犯を捕まえたりした。

かいアニメイト、1階にらしんばん、2階にとらのあなっていう、オタクトライアングルが出来てたのに、今はちょっと寂しい気がする(いやまぁただの感傷かもね。なんか今はメロンブックスもあるらしい)。

千葉駅北口千葉中央図書館

蔵書数で日本26位。

明るくて、広くて、天井高くて、座席数も結構あって、雑誌の種類も豊富で、結構使える図書館だと思う。図書館の裏に千葉公園があるって立地感。

千葉駅北口】YohaSアリーナ本能に、感動を。~(千葉公園総合体育館

新しく出来た体育館なんだけど、2時間220円でトレーニングルーム使えて、結構いろんなマシンが揃ってるから気軽に筋トレができる!!!安すぎ!!!西千葉民(特に松波弁天の民)はちょこザップ月額3,000円にいくよりこの体育館行くほうが断然安いから、急げ(急ぐ必要はない)

千葉駅古着屋のデザートスノー

千葉大生は全員ここで服買ってる。

セレクトショップ系の古着からハイファッション系とか結構がちめなヴィンテージものまで扱ってるのいいよなぁ。

とりあえず、ここで服買っておけば、お洒落になれる気がしてんのよなぁ。

西千葉みどり台駅インドカレー ガザ

今となっては、まぁまぁ美味しいって感じのお店ではあるが、あの濃さは唯一無二の濃さ。まぁなんていうか、濃さというか小麦の量が多いのか、ドロっとしているというのか。

接客ぶっきらぼうなんだけど、すげーナンのおかわりいるか?って聞いてくるのだよね。サービス精神旺盛なのかどうなのかよくわからん接客される。

僕が初めてインドカレーを食べたお店。ひよこが生まれて初めて見た物を親だと思う習性的な感じなのかもしれないけど、思い入れがある。最初に食べた時はこんな美味しい食べものがあるのかっー!!!ってびっくりしたなぁ。

西千葉家賃が安い

学生街だからワンルームタイプ賃貸がかなり多い。そして安いワンルームもある。僕が借りてたアパートホテルウキウキっていうラブホの目の前の立地だったんだけど、20㎡くらいで2.8万くらいだったよ。しかも綺麗で普通にいい家だった。

西千葉北京

千葉大生ならみんな1回は行ったことある

千葉大の南門の眼の前にあるお店。普通町中華なんだけど、普通に美味しい。

お金払った分の価値がある料理提供してくれるの嬉しいよな。普通のことを普通にするのって難しいしね。僕は肉玉チャーハンおすすめです。

西千葉東京大学西千葉キャンパス跡地開発

野村不動産主幹になって開発するらしい。3万㎡の敷地結構面白い街になりそうなんだよなぁ。

野村不動産代表企業で、構成企業三井不動産株式会社三菱地所株式会社三井不動産レジデンシャル株式会社三菱地所レジデンス株式会社大和ハウス工業株式会社っていう錚々たるメンバーが顔を連ねてる訳わからん座組になってる。船頭多くして船山に登るにならないことを願うけど、どうなるんだろう。

西千葉みどり台駅ZOZO本社

千葉大の正門付近にある、中村拓志+竹中工務店設計しためちゃかっこいい建物。ここで働きたいわ。かなり街に開いた建物になってて、街の雰囲気をあげてると思う。

建築界のトップランナー中村拓志が手がけた、「ZOZO本社屋」に迫る【ウワサの建築】|Pen Online (pen-online.jp)

https://www.pen-online.jp/article/008115.html

西千葉みどり台駅】前澤社長の別邸(?)

とりあえず、まじででかい建物をずーっっと工事してる。サグラダファミリアなん??

この建物中村拓志設計してるっぽい。まだ工事中だし、外からしか見えないけど、かっこいいのわかる。いっそのこと美術館にして開放してほしいわwバスキアみたい。

西千葉みどり台駅西千葉工作

レーザーカッターがあったのすごい良かったなぁ。そこで世界地図パズルってのを作ってみたりした( https://motion-gallery.net/projects/world_puzzle )。こういう場所がないと実現できなかったから、あって嬉しかった場所

結構賑わってて子どもたちとかの憩いの場になってたり、ギター自作してる人がいたり、おもしろ空間になってた。

千葉駅西千葉ラーメン

ラーメン二郎、一風堂一蘭、とみ田、蒙古タンメン中本、どうとんぼ神座、(天下一品はないの惜しい)と、千葉駅だけで、結構色んな有名店を食べられるの良くないすか?しかも割りと空いてるのがよいのだよ!

もちろん、個人のお店も美味しいお店結構あって、僕が好きなのはこいつら。

淡麗系のラーメンが美味しい「中華蕎麦ごとう」、ここが千葉駅周辺で一番美味しいラーメンだと思う替え玉の事をばけって呼ぶ「中華蕎麦 ます嶋」、二郎系で人気のラーメン「BooBoo太郎。」、有名な家系ラーメン店員さんが結構武闘派っぽい感じがしてちょっと背筋が伸びる気持ちで食べることになる「杉田家」などなど、結構美味しいラーメンコンパクトに揃ってると思う。最近わからんが、僕が学生の頃は「並木商事」も美味しくて結構通った。

あと、西千葉学生街だからかやっぱりラーメン屋は多くて、結構美味しい。おすすめなのはこいつら。

二郎系お腹いっぱいになれて安い「ラーメンやまや」、淡麗系のラーメン結構美味しいし店内も広々してて使いやすい「麺将 松風」、武蔵家から独立して店内も綺麗になったしスープも心なしか雑味が無くなった気がする「裏武蔵家

千葉駅チェーン店

麺系:リンガーハット丸亀製麺ゆで太郎はなまるうどん無し)

牛丼屋各社:吉野家すき家松屋なか卯

カレー系:松のや/マイカレー食堂CoCo壱番屋

カフェスタバコメダ珈琲

定食系:やよい軒大阪王将陳麻家すた丼大戸屋餃子の王将かつや無し)

回転寿司スシローくら寿司、すし銚子丸、(はま寿司かっぱ寿司無し)

ハンバーガー屋:マクドナルドモスバーガーバーガーキングフレッシュネスバーガーヴィレッジヴァンガードダイナー

焼肉焼肉ライクなし

漫画喫茶:快活クラブまんが喫茶ゲラゲラ、花太郎

ファミレスジョナサンサイゼバーミヤンガスト、(デニーズ無し、ロイホ無し)

書いてて笑けてきたな。こんなの沢山あってもしょうがないのだけど、沢山あって楽しいよw

千葉駅千葉そごう

そごう横浜に次ぐ稼ぎ頭が千葉そごうなんだよな。

千葉駅前の立地は強いよなぁ。まぁでも所謂普通百貨店からあん面白いところはないのだけど、見どころとしては、やっぱりそごう立体駐車場。あれまじですごいよ(笑)

スロープ部分が二重螺旋構造になってるんだけど、なんかすげーのよ!要塞感がすごい。

そして、僕は使ったことないけど、結構不便らしい。

グッゲンハイム駐車場めぐり :: デイリーポータルZ (dailyportalz.jp)

https://dailyportalz.jp/b/2009/02/26/b/3.htm

ジュンヌ館はヨドバシなるみたい。そして完全な妄想だけど、玉突きでヨドバシの入ってる塚本ビルは建て替えになるんちゃうかな?そうすると三省堂カルチャーセンターも無くなっちゃうかも。

参考までに百貨店の売上ランキング貼っておきます2022年8月24日日経流通新聞(日経MJ)で掲載された全国百貨店売上ランキングデータらしい)

順位 店舗名     売上高   対前年比

1位 伊勢丹新宿本店 2,536億円(22.5%)

2位 阪急うめだ本店 2,006億円(14.6%)

3位 西武池袋本店  1,540億円(11.1%)

4位 高島屋日本橋店 1,239億円(9.9%)

5位 高島屋横浜店  1,185億円(22.9%)

6位 三越Permalink | 記事への反応(4) | 16:40

2023-08-03

文化メインカルチャーサブカルチャーに分割するとわかりやす

メインカルチャーとは、世の中において健全文化と見なされ、大学学問対象として研究されたりする文化である

戦前から現代まで続いている文化が多く、いい意味でも悪い意味でも「保守的」と言われる。

楽しむためには事前知識とある程度の教養が求められる。

そしてサブカルチャー通称サブカルとは新興文化であり、上記メインカルチャーと比べて主流とは言えない文化である

メインカルチャー大人向けの文化であるとすれば、サブカル若者文化と言えるだろうか。

東京文化で考えてみると地域で分断されているので判り易く、旧東京市の旧市街エリアメインカルチャーが盛んである

そしてサブカルチャー戦後開発された西側エリアで発展している(ただし秋葉原例外)。

1.メインカルチャー地域

銀座日比谷有楽町…巨大劇場群や有楽町マリオンなどの巨大百貨店が集まっていて、銀座は言うまでもなくメインカルチャーの中心。最近若い人は「有楽町で逢いましょう」なんて知っているかな。

日本橋三越百貨店呉服商の街。

上野上野公園の美術館博物館東京芸大と町そのもの芸術の街。

上野広小路・浅草上野アメ横戦前から続く浅草繁華街落語寄席演芸場が多い。

深川地区両国国技館、もう一つの伝統芸能である東銀座歌舞伎座

2.サブカルチャー地域

中央線沿線漫画アニメクリエイター産業が多く集まっている。シンボル三鷹にあるジブリ美術館

池袋アニメイト本店があり、BL文化の中心。

渋谷六本木ライブハウスクラブなど、欧米由来の文化

小田急線沿線下北沢小劇場文化

原宿若者向けのファッション聖地

2023-07-23

大正時代思ひ出

・「乃木大将の歌」が流行った。レコード持ってたよ

カルピスが発売された。もちろん水で薄めるタイプです

甲子園中等学校優勝野球大会を見に行ったよ

結核が怖かった

帝国劇場行ってから三越に寄るのがハイカラと言われてました

世界大戦ドイツと戦って勝ちました

アッパッパをよく着てました(今で言うワンピースです)

関東大震災は悲しい出来事でした

キックボード(スケーター)もありましたよ

扇風機が出てきて、とても涼しかった

2023-07-08

anond:20230708152236

ありがたい!個人的には、賛否両論だったジョエル・ロブションはやっぱりクロワッサンでは別格だと思うが…vironや近くのエシレのやつより美味しいぞ。日本で一番美味しいクロワッサンだと思うがあれを越すやつあるのであったらぜひ知りたい…

アンデルセン東京駅構内、上野品川駅構内):呪術廻戦の七海カスクートはここ。東京駅店にしか確かないクイニーアマンが美味しい。

THE CITY BAKERY銀座):ポテトを練り込んだフォカッチャが美味しい。NY系。※NYベストベーカリーはSullivan Street Bakeryだと思うが、日本上陸していない。

ペル・エ・メール豊洲):オタク女子遠征の度寄るほど美味しいと言っていたが確かにバタールなど普通に美味しかった。

オリミネベーカーズ築地人形町勝鬨新大橋):ここもチャバタとかカレンズとかライ麦パンが美味しい。

フォーナム&メイソン(三越前):食事パンが美味しいし、本国に比べて小ぶりのスコーンも安定の美味しさな気はする。値段もそんなに高くない記憶が(株主になると1割引だし)。

あとはドイツ文化会館の1階のドイツパン屋とか、三越の地下にあるJohanのガレット・デ・ロワミニクロワッサンビゴの店マロニエの地下から移転中なのかな。ちょっと疲れたのでこれくらいにしてみる

休業中:ブーランジェリー銀座カン銀座):とにかく美味しかった。名前を忘れてしまったが黄色い小さいパンオリーブのチャバタ。レカンに行けば食べられると思うがコース3万円。

番外:clinton st. baking company表参道):ドミニクアンセル撤退後、貴重なNY系。マフィンとか、パンケーキのイートイン。昔は表参道アンデルセン日本最強クラスだったと思うが、ビルは再建されていないし移転もしていない。広島に行かないとレストランがない。

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