はてなキーワード: 関東平野とは
弾道ミサイルは確かに都市機能を遠方から破壊するのに適しているだろうけど弾道ミサイルの面制圧能力では北海道で軍事活動する勢力の制圧には使えない
何故ならば北海道が広すぎるから弾道ミサイルが100基200基あっても全く足らないんだよ
弾道ミサイル数発で軍隊が機能不全起こすならばウクライナで使っとるわい
例えば関東平野の広さは16,000 km²だけど北海道の面積は83,450 km²でそのほとんどが山だぞ?
ウクライナのキーウの面積は839 km²で、そのキーウですら使ってないんだ。理由は弾道ミサイルの面制圧能力では全く足りないから
弾道ミサイルは確かに強い。一方的に攻撃できて投石や矢の様に打ち返されない点も素晴らしい
しかし北海道を陥落させるにはあまりにも破壊面積が狭すぎる上に高価だ。アメリカでも無ければ北海道を陥落させるほどの弾道ミサイルを用意できない
コイ本来の分布
もともとはユーラシア大陸が自然分布域だったが、移植によって世界の温帯・亜熱帯域に広く分布している。日本でも全国的に分布。
日本のコイは大昔に中国から移入された(史前帰化動物)と考えられ、縄文時代の貝塚からも化石が発見されている。しかし、関東平野や琵琶湖に野生のコイが分布することや、古い地層から化石も発見されていることから、日本にももともと自然分布していたが中国からの移入がありそれが広まったとされる
つまり、外来種の可能性は高いが、外来種であるという確証もない、というのが現在の通説のようだ
少なくとも縄文時代には日本に入っているので、外来種だとしても2000年以上前に伝わっている
それを外来種だとして日本から排除するのが正解なわけがないし、日本は少なくともこの2000年はコイ込みで生態系を回している
このような生物種を、起源だけでレッテル張りして駆除を主張するのは明確な間違い
コイを駆除しても2000年前の生態系に戻ることはないし、2000年前の生態系が理想的とも言うことはできない
コイによる生態系の破壊問題
コイは都市河川などで川をきれいにする目的で河川の環境保護の一環として放流される種でもある[2]。しかし、コイの本来の生息域は大河川の下流域や大きな湖で、中小河川に放流されると他の魚の卵や稚魚を大量に捕食してしまうことがある。こうした放流について、地元の固有種との交雑が起こって何万年もかけて築かれてきた固有種の絶滅を懸念する(遺伝子汚染)声もあるが、当事者には全く意識されていないのが現状である。
大河川の下流域に放すならば遺伝子汚染やコイヘルペスの防除などのリスクを除けば、生態系としては通常は問題がなく、中流域以上に放流するなら場合によっては問題がある
ちなみに話題のニュース、三重県伊勢市の馬瀬川は海もほど近い下流域
https://hicbc.com/news/article/?id=2022031302
日本の個体群に関しては化石の発見例がない、最も古い文献でも200年前に登場し江戸時代中期以前には本種に関する確実な記録がない、江戸時代や明治時代では希少で西日本や南日本にのみ分布するという記録があることなどから、朝鮮半島から人為的に移入されたと推定されている。台湾の個体群も中華人民共和国の個体群と遺伝的差異がないため、人為的に移入されたと考えられている。
200年前、江戸時代末期には日本にいたと思われるが、それ以前に全く痕跡がないことから外来種である可能性が濃厚
しかし、江戸時代末期以降は西日本、南日本の一部では定着していた
これはもう、コイのように有史以前から、というわけではないが、それなりの歴史がある外来生物である
ではこれを本当に外来種と呼ぶべきかどうか?に関する見解のひとつはこれ
https://kobe-sumasui.jp/wp-content/uploads/2020/10/H24.12.Kiraku04_01.pdf
この法律では,海外から入ってきた生物に焦点を絞り,人間䛾移動や物流が盛んになり始めた明治時代以降に導入された生物を中心に対応する,とあります.
時々,この外来生物法における対象生物の侵入時期の指定が「明治時代以降」と記されていることから,クサガメ日本列島集団は外来起源ではあるが江戸時代には日本に生息していたため外来種とは呼ぶべきではない,と言われる方がおられます.
しかし,そのような解釈は間違っており,現行の外来生物法では明治時代より前に定着した生物を対象とすることが困難であるかもしれないが,「外来種」という言葉の意味や定義を変えることはありません.
クサガメはここ100年ほどで分布を広げ、ここ数十年ではイシガメの減少の原因としても理由があがるなど、日本の生態系がまだ固定化されていない遷移状態と言える
そこに1950年代後半以降はミシシッピアカミミガメなども遅れて移入され、逆にクサガメは減少に転じるなど、さらに生態系が変動している
このような状況の生物は、まだ在来種として保護する段階にはない、と言ってもいいかもしれない
少なくとも「日本ではクサガメ込みで生態系を回してきたんだ!」という段階に至るほど歴史は古くはない
が、差し当って外来種駆除の優先度が高い生物種は特定外来生物に指定されている
そのリストがこれ
https://www.env.go.jp/nature/intro/2outline/list.html
ここには当然、コイもクサガメも記載されていない(ミシシッピアカミミガメやアメリカザリガニは本来指定すべきだが、一般化しすぎて影響が大きすぎるため保留になっているのは例外的)
特定外来に指定されていない外来種は野放しでいいのか?というとそう簡単ではないが、特定外来種とクサガメを同列の優先度で語るのも、それはそれでおかしい
池の水全部抜く、では、いかに生態系が壊れているか、汚染されているかが伝わるほうがセンセーショナルなので、少しでも外来種の可能性があるものは全て外来種として放送している
NYに実際行くと分かるけど、マンハッタン周辺の一部(NYC)を離れると一瞬で何もなくなるんだよね。NYに行くにはニューアークのEWRかブルックリン側のJFKを使うと思うけど、マンハッタンからEWR行きの電車に乗って15分もするとクソ田舎の景色になってマジかってなるよ。東京で言うと成田空港周辺みたいな景色になる(千葉だけど)。
東京の特殊性はどこまで行ってもひたすら街が続いていること、それぞれの街が異なる文化を持っていること(新宿とか渋谷とか池袋とか秋葉原とか)というのはよく言われる。要は関東平野が異常に広かったということなんだけど、そういう街って世界でもそう無いんだよね。だからって東京スゲーってわけじゃ必ずしも無いけど、特殊なのは間違いない。その特殊性を持って「都会」と言うのであれば東京より都会な街はそう無いということになる。
https://anond.hatelabo.jp/20210126012231
こっちの歴史の流れをざっと説明しただけでこんなに反響があるとは思わなかった。
後で書くように、そちらとは現代の情勢がいろいろ違うのでレスポンスが遅くなってしまった。
まず、いろいろとツッコミが並んでるけど、そちらの世界線とは前提が違うからこそ西軍が勝ったわけで、そちらの物差しであーだこーだ言われても困る。
それから、ツッコミの中にそちらの世界の悪いところを全部抜いた世界だ、みたいなのもあったけど、こっちはこっちで悪いこともある。
せっかく興味を持ってくれたみたいなので、少しだけ補足しておこうと思う。
ちなみに、歴史修正主義者の悪質な書き込みだというような反応もあったけど、相手にしないでね。彼(?)のいうことも全部が全部間違いというわけではないのだけれども、彼(?)のようにいまだに野蛮な武士を崇拝するカルトがごく少数ながらこちらの世界にもいて、そちらのネトウヨと同じようにネット上でだけいろいろと騒いでるというだけのことなので。
それから、はてな記法は使えないので見づらいかもしれないのは勘弁。
じゃあ少しだけ前の記事に補足して失礼することにしようかな。
・石田三成について
前に書いた通り、そちらとは前提が違うので関ケ原の戦いも徳川家康と石田三成の戦いというわけではなかった。というわけで石田三成はこっちの世界ではそれほど目立った存在じゃない。関ケ原の戦いで勝利に貢献したのは間違いないけど、1607年に出家してからはどうなったかよくわからない。
・天皇について
小早川秀秋や豊臣秀頼が関白になったのだから、当然その時代には天皇はいた。これは間違いない。しかし、その後商業が発展していくにつれて国民代表議会から「なんで我々の収入から税金を彼らに支出しなければならないのか」という不満が高まっていった。天皇は何もしない・生み出さないわけだから。しばらくの間は国民代表の議会と貴族代表の議会との間でせめぎあいが続いたけど、APS設立後しばらくして天皇は退位した。今も天皇の子孫というか、天皇家みたいなものはあるけど、「だから何?」という程度の扱い。
関東平野が何で開拓されてないのか?というツッコミもあったけど、こちらは良くも悪くも商業中心なので、いちいちそんなくだらないことはしない。前にも書いた通りここに至るまでの前提が違うので、自然的な条件も違う。周辺の標高の高い山(名前があるのかは不明)が頻繁に噴火して灰まみれだし、あんなところを開拓する価値なんてこれっぽっちもない。それでも関東に住んでいる・住んでいた人はもちろんいる。こっちはリベラル化していったと話したけど、当初はそっちの世界でいうところの古典的リベラルであって平等主義的リベラルではなかった。というわけで、関東に住んでいる・住んでいた人に対する差別はひどいものだった。そちらの世界ではとあるアルピニストの野蛮人が外国で子猫を射殺した挙句、それをとがめた友人の脚をも撃ちぬいたという痛ましい事件があったらしいけど、こちらでは19世紀半ばころまで、関東平野に猟銃を持って出かけていく人がたくさんいた。何をしていたかは説明するまでもないと思うのでご想像にお任せする。関東地方の人間は「バン」(坂東の別称?)とか「アズマ」(東日本の別称?)とか「エビス」(これはよくわからない)とか言われて蔑まれ、わざわざ関東から連れてこられて顔にこういう差別用語を焼き印されたり、20世紀の後半くらいまで就職すらできないということもあった。今でもお年寄りがこういう言葉を使って顰蹙を買うことがある。
もちろん、他の連合国家にも差別的な構造はある。そっちの世界と同じように研究は進んでいるけど、やはり周縁部の人に対する中心部の人の態度は冷たい。これは増田も心を痛めてる。
・今の社会について
こちらは母系社会で、近代ヨーロッパの父系主義と激しく対立したこともあった。というか今も対立している。ヨーロッパの人に言わせれば、ふしだらだとか家族像が理解できないとかそういうことらしい。ヨーロッパの人はそこまで潔癖なのかというとそれもよくわからないし、言いがかりなんじゃないかと思わなくもない。こちらでは割と早い時期に子どもを作って働く人が多い。大学に行く人はあまりいない。大学まで行かないと就けない仕事はそこまで多くないので。そっちの世界はどうでもいい仕事をするためにわざわざ大学に高いお金を払って行かなきゃいけないっていうのは本当にかわいそうだと思う。しかもそこまでして就職してもつまらない仕事して不味いご飯食べて結婚もできないって本当にかわいそう。しかもそっちは昔のヨーロッパの真似と武家社会の慣例をミックスしてめちゃくちゃな家族制度つくって、父親にも母親にも訳の分からない責任がのしかかってるんだよね、本当にかわいそう。あんまりかわいそうを連呼すると反感をかいそうなのでこのくらいでやめます。こっちはこっちで子どもがたくさんいて大変だし。
こちらは原発がなく、火力発電と風力発電がメイン。原子力はほとんど理論研究で、これを発電やら何かに応用する研究は全然ない。それと関係があるかどうかはよくわからないけど、そちらほど技術は発展していない。スマホもない。いろいろ反応があったのになかなか返答できなかったのはこういう事情がある。しょっちゅう停電するし、ネットはいまだにPCに回線をつながないとできないし、1人1台所有するのはちょっと厳しい。まあスマホみたいな小さい画面でネットして何が楽しいのかよくわからないけど、もう少し発展したらこちらでも同じようなものができるのかな。ネットの速度はADSLと同じくらい。今これを書いているPCは妻の母のもの。起動に3分くらいかかる。メモリは500メガ。時々接続が勝手に切れる。ちなみにこれを書いてるときも2回切れた。うっかり更新ボタンを押してしまって書いたデータも消えてしまった。
そっちの世界の人ってほんとに首都とか中心がどこなのかとか、権威的なものが好きなんだね。ちょっと理解に苦しむけど、今の首都は京都や大阪じゃない。APS設立当初は広島が首都だったけど、そっちでいうところの日本海側の方が便利ということで首都機能は福井にある。これもこっちの人間からすると「だから何?」なんだけどね。何から何まで福井に集まってるわけじゃないし。そっちの首都は昔江戸だった東京ってところなんでしょ。東京って変な地名だよね。笑える。あんなところに1000万人も密集してるとか信じられない。どうやって暮らしてるの?ブタ小屋にでも住んでるの?あ、失礼。あんまりバカにするとまた怒られちゃうね。こっちの前提が違うのと同じようにそっちの前提も違うんだもんね。ネットの接続が切れたりしてイライラしてたみたい、ごめん。
首都圏から見た北海道というのは、デパート物産展で手に入る美味の産地、国内屈指の畜産農業生産地。
釧路や知床、網走など厳しい気候が育む関東平野にはないスケールの雄大な自然。
大学や就職で道出身者と知り合うと、はじめはなんとなく畏怖を感じる。
そんなところだろうか。
まあ実際のところ、札幌に限った話では日々仕事をし生活に追われて過ごしてしまえばなんということのない、実に味気ない街である。
各地のラーメンもまだ東京に出ていない食材も地元グルメも食べた。
世話になった人はいるし、数は少ないが同好の友も作った。
まだ訪れたことのない町に何があるのか、どんな人がいるのかだって気になって仕方がない。
それでも、この冬を越えてもなおいずれこの地を離れる自分は道民を名乗ることはできない。
挙げきれないほど嫌なモノやコトも散々経験した。
当たり前で、いいヤツも悪いヤツもいる。
きっと任期が終わり首都圏に戻れば雪のなさ、札幌級の街が各地に点在しあらゆるものが手に入る利便性、盛んに開催されるイベントの活気、なにより旧知の仲間たちが居ることのありがたさを感じるだろう。
まとまらなくなってきた。
実際に住み日々を過ごしたことで、今まで単なる魅力的な旅行地でしかなかった北海道は愛憎伴う地となった。