「「東京」」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 「東京」とは

2019-09-09

anond:20190907145052

ちょっと主旨とは違うかもしれないけど、くるり地名ネタはめちゃめちゃ強度高いと思う。

岸田繁がめちゃめちゃ歌詞から高いっていうのはあるのだけれども、

「東京」からして、京都に生まれ育って、京都バンドカルチャーの力がすごく強くて、でも音楽シーンメジャーどころはだいたい東京にあって、

みたいなちょっとしたコンプレックスみたいなものが感じ取れるわけですよね。

京都はすごく良い街で、でも、みたいな。

ぼくも生まれ育ちが関西だったので、そのへんのニュアンスはすごいわかるんです。

あとは「everybody feels the same」の世界地名を挙げたあとに最後に「東京ー」って歌い上げるところのカタルシス

すごく美しいと想います

2019-09-07

anond:20190907014825

東京ツールに過ぎないんだろうね。

仕事が多いとか、マイノリティ出会いやすいとか、明確な目的があれば有用なんだろうな。

「東京」っていう記号にハァハァするのは虚しいよね。

そういう意味では「港区」とか「白金台」も該当するよね。

2019-07-20

『天気の子』を批判している人たちへの反論(1)

ネタバレあるので、まだ観ていない人は右上の×を押してください。

そもそも新海誠薄っぺらいじゃないか

 新海誠監督の最新作『天気の子』を観てきました。「ヤフー映画」の感想とかを見ていると、新海監督が公開前に言ってたように「賛否両論」の様子。……しかし、否定的評価をしている人たちの感想を見てみると、「賛否両論以前の問題」で、人物描写薄っぺらさを指摘している意見の多いのが印象的だった。

 だが、待って欲しい。「人物造形が甘い」とか「人物描写薄っぺらい」という批判新海誠にするのはいかがなものか。そもそも、新海作品にこれまで重厚人物描写などあっただろうか? 薄っぺらくない人物なんて一人としていただろうか?

 まず、大ヒット作『君の名は。』で考えてみよう。瀧君も三葉も奥寺先輩も、ラノベ並みの、いや、そういう言い方はラノベに失礼なくらい、ペラペラの薄さだったと思いますよ。三葉の悪口を言ってた同級生たちなんか、当社調べでは0.01mmの薄さで、わが日本が誇るコンドーム会社オカモトが対抗意識を覚えるくらいの薄さじゃないですか。

秒速5センチメートル』も同じ。主人公遠野君)は半年前に転校したメンヘラ気味の女の子に会うために、東京から栃木電車で向かう。しかし、大雪のために途中で電車は大幅に遅延する。その時の主人公遠野君)のモノローグを皆さん覚えていますか?

「たった一分がものすごく長く感じられ、時間ははっきりとした悪意を持って、僕の上をゆっくりと流れていった。」

 ごめん。最初『秒速5メンチメートル』を見た時、私はここで腹痛くなるほど笑い転げて、逆に何度もここを再生しましたよ。もうね、ほんとリアル中学二年生でもこんなポエムを呟かないですよ。時間は君に悪意を持つほど暇じゃないと思うんだよね。たんに大雪のために電車が遅延してるだけやん……

 未見の方いたら、すみません。この電車の遅延、単なる一つのエピソードじゃなくて、『秒速』のなかでは、物語の要となるようなエピソードなんです。

 意味不明自己満SF雲の向こう、約束の場所』、ジブリを真似た結果盛大にコケた『星を追うこども』。これらも、人物描写書道半紙なみの薄さです。

言の葉の庭』も、ストーリー人物描写の甘さについては微笑せずにはいられません。ユキノ先生いじめられてる理由とか、いじめてる生徒の描写とか、これ薄っぺらくないと思う人いるの……?

まあ、いるんだと思う。それはそれでいい。私が言いたかったのは、『天気の子』が「薄っぺらい」という理由批判されるのは不合理だということである。初めっから薄っぺらいし、中二病だし、セカイ系だし、自意識過剰のウィスパーヴォイスがうざいし。そんなこと、分かり切ったことじゃない。それを今更批判したってどうしようもなくない?

 というわけで、『天気の子』もただひたすらに薄っぺらいわけです。ストーリー人物描写説得力かには期待したらダメリアル中学生でも、もう少し人間に対する洞察力をもった人は五万といる。そのレベルです。主人公はどうやら「神津島から家出をして「東京」フェリーでくるわけですが、家出理由、とくになし。至って普通の家庭で、酷いイジメにあっていたとかでもない。なんとなく嫌だったから、くらいのノリ。いわゆる反抗期? なんとなく盗んだバイクで走りだしたい気分? サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて(The Catcher in the Rye)』を持っていたけど、まさかサリンジャーに感化されて?(笑) いや、笑いごとじゃなくて、マジで新海はそのレベルでなんとなく家出をさせてOKだと思っている人なんですよ。

じゃあ、なんでそんな薄っぺら新海作品はこれまで評価されてきたのか? とくに『君の名は。』の歴史的ヒットはなんだったのか? 問題はそこにいたる。

美しい背景描写

 第一に挙げなくてはならないのは、美しい背景描写だろう。カメラレンズを強く意識して、超広角レンズや逆光、望遠などが多用される。しかし、実際のカメラではあんなに綺麗に映ることはない。細かいファンタジック「嘘」がそこかしこに散りばめられている。ありえそうだけどありえない風景。新海が描き続け、そして観客を魅了しているのは、そうした風景にあるんじゃないのか。もっとも、この美しい風景も、セカイ系の、センチメンタル自意識過剰の、中二病ポエムではないのか、と反問されるだろうが、それについて私は次のように答えるしかない。「いかにも、その通り」

 で、そこから新海誠童貞」のような公式がでてくるわけだ。「たぶん新海さんは楽しい恋愛高校時代したことがないんじゃないですか」(石田衣良)という言葉が出て来る所以であろうが、これについては一言。たしか新海誠自意識過剰中二病ポエマーであるかもしれないが、全ての童貞自意識過剰中二病ポエマーであるわけではないし、またその逆もしかである童貞に対して失礼である石田衣良には猛省を促したい。

君の名は。』のカタルシス

 さて、『君の名は。』ヒットの理由について語るのは当然のことながら難しい。だが、これを見た人の多くが「東日本大震災」を想起したこと無視できるものではないだろう。『君の名は。』は、良くも悪くも「震災芸術」であり、『君の名は。』の賛否両論根底にあるのも、「震災をなかったことにしてもいいのか」というこの作品についての疑問から生じているだろう。

 『君の名は。』には、カタルシス浄化作用)がある。瀧君と三葉の恋物語以上に、この映画で「主役」となっているのは「彗星」であり「隕石である。突拍子もないことのように思われるかもしれないが、これは演出上も疑いを得ないことである。このことについては伊藤弘了という人が「恋する彗星──映画君の名は。』を「線の主題」で読み解く」という卓抜な評論を書いているので一読を勧めたい(http://ecrito.fever.jp/20170123213636)。

 少しだけ説明する。「糸守湖」が出来たのは劇中でも語られるように、1200年前にここに隕石が墜落したことにするものだ。瀧君と三葉は三年の時間差を越えて出会いを果たすわけだが、その奥には1200年という長大時間を経て、同じ彗星が墜落するわけで、あの惨劇を生み出した隕石は、それ自体隕石恋物語でもあったというわけだ。瀧君と三葉の悲恋は、その運命を受けいれて、むしろその「運命のもの」に同化するような形で、自己を超越した恍惚体験へと昇華する。これが、『君の名は。』のインパクトである伊藤は言う。

観客は人智はるかに超えたティアマ彗星の壮大な恋物語のうちに自らの似姿を見出し、同時に自己自身を超越する感覚を疑似体験する。これが本作の記録的大ヒットを支えた一因である

この伊藤の読みは、それ自身、私も正しいと思う。ちょうど隕石地球を目がけて猛烈ないきおいで突進してくる際に流れるRADWIMPSの「スパークル」の歌詞をここで引用しておこう。

運命だとか未来とかって 言葉がどれだけ手を

伸ばそうと届かない 場所で僕ら恋をする

 いわゆる「サビ」の部分がはじめて出て来るのは、隕石墜落のシーンなのである彗星隕石と化して「いまだかつてないスピードで君のもとへダイブを」するわけである。観客はかくして、瀧君でも三葉でもなく「隕石」に感情移入をすることになる。それによって、運命を超越した運命とでもいうべきものに同一化し、「自己自身を超越した感覚を疑似感覚」させるのが『君の名は。である。ちなみに言っておくと、これは何も新しい話ではなく、ギリシア悲劇古典的パターンであり、「悲劇」の快楽のものである。この点についてはニーチェの『悲劇の誕生』を参照して欲しい。

悲劇忘却

 要点のみを記す。1200年前に糸守町に落ちた彗星は偶然の産物である。劇中で墜落する彗星の《片割れ》もまた偶然の産物である。その偶然をしかしながら運命的なものにするのが『君の名は。』のドラマである隕石は、人間視点からはどうしようもない《偶然的=運命的》なものであり、それが世界に災厄をもたらす。それは《悲劇であるニーチェが述べるように、悲劇とは一方では自身運命翻弄され自身の非力さを痛切に認識した上で、他方ではそうした小さな自己を超越し運命のものに一体化する感覚のあるところに《悲劇》の快楽があるのだとすれば、『君の名は。』における悲劇とは、次のようなものである。(A)それは自己意志の無力と運命の強調という形で行われるのではなく、(B)確かに一方では自己意志の無力さを痛感させられるが、星の動きはたんに災厄をもたらす運命だけではなく、同時に強烈な人間的な意志でもあるのであって、運命から逃れていく偶然の力として描かれるのである。ここにおいて、まことに《運命=偶然》という奇跡的な場所での物語が描かれるのであって、その強烈さに私たちは感動をするのである

 震災を《運命=偶然=意志=恋》と化すことにより、現実震災美的昇華してしまうのが『君の名は。である。『君の名は。』は過去タイムトラベルすることで「震災をなかったこと」にするだけではなく、上に書いたように、情動レベル震災というトラウマを「昇華」させて、フロイト流にいうならば「喪の作業」を遂行することを促進するのである。「昇華」とは、「忘却」の別名である

 こうしたところが、『君の名は。』の慧眼な人々に批判される所以であるだろう。

 だが、どうだろう。《忘れない》ことが一つの倫理であることは疑わないが、《忘れる》ことも一つの生き方として否定されるものではないのではないか。また、《忘れさせる》ことを描いたものが《覚えられる》ということ自体が、完全な忘却からは救うはずだと私は考えるが、いかがだろうか。

──ライトな語り口で始めたのに、全然そうではなくなった。そして、肝心の『天気の子』にまだまだ辿りつけていない。次回、『天気の子』の内容に踏み込んでいきます

2019-07-18

anond:20190718021740

「東京」一口に言っても吉原池袋五反田では全然違うし店の種類やランクによっても千差万別しかも「風俗」だけに着目しているとJKリフレやメンエスを見落とす。

2019-07-14

「東京」それ以外は「地方」って、東の京都さんはなんか勘違いしてはりませんか?

東京京都から見れば地方なんですが……

2019-07-10

anond:20190710015902

「東京」に住んでいるからと言って都民とは限らない。千葉埼玉神奈川県民なら増田とは感覚が違うだろう。東京都民でも23区内と23区外では距離時間に対する感覚が違う。

群馬栃木茨城山梨静岡に住んでいる県民すら、鉄道の近くに住んでいれば「東京」に住んでいると言うことがある。

2019-07-03

ブックマーカー読解力なさすぎ案件

まあ姪増田文章も悪いんだが。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20190702145235

就職活動東京の名店と言われる所かたっぱしか電話して4店ほど面接にいったら、ある店舗弟子さんが出した店で(実家から近いこともあって)働かせてもらえることになった。

東京の名店に面接に行ったら、そこで採用はされなかったが、その店の弟子筋で浜松市に店を出している人を紹介してもらえた、という話だろ。

なので姪増田が勤めるのは「東京」でも「名店」でもない。

2019-05-11

anond:20190511171301

これは単純に、日本出版社東京に集中しているからだと思います

最も良いやり方は、英語なら(Oxford: Oxford University Press, 2004)のように「出版地:出版社出版年」を書くやり方で、日本語でもたまに(東京岩波書店2017年)とか書いてる人はいます

ただ、英語(あるいは他のヨーロッパ言語)の文献は出版地があちらこちらにあるわけですが、日本語の場合ほとんどが東京でたまに京都横浜が混じり、分野によっては札幌が加わり、たまに広島大阪福岡で出た本が散見される……といった具合なので、「東京」とだけ書いてたら大混乱必至だと思います

英語圏の日本研究なんかを見ると、「特別表記がない限り出版地は東京ね」と記して、日本語の文献については出版地を書かずに出版社だけ書いてたりします(たとえば、ケネス・ルオフ紀元二千六百年』朝日新聞出版2010年)。

この「出版社を略す」風習欧米でも議論があるところで、ウンベルト・エーコ先生は『論文作法』という名著の中で「出版地だけ書いてあっても本を探せない! 出版社も書くべきだ!」って主張してます。私はもっともだと思うんですが、根強く普及していて廃れない形式なんですよねこれ。

ただ、最近は逆に「出版地を略す」方式が出てきつつあるみたいです。なんでかといえばOxford University Pressみたいに世界各地に支社を持っていると、どこを発行地として書けばいいのか混乱するし煩雑になるからなんですよね……

2019-04-01

anond:20190330172246

東京出身者としては、逆に「東京出身」の息苦しさもあるんですよ、と言ってみる。

出身どこ?」と聞かれて「東京」と答えた時の空気が冷える感覚がつらい。

地元のいいところとか主張したいこともあるけれど、「へえ、東京の人はいいですね」と相手が離れていくので常に謙遜するしかないし。

東京は忙しくて人が冷たくて大変ですね」と言われても、反論は許されないしね。 しんどくたって逃げる地元東京しかないんだよ。

特に地方に行ったときの色眼鏡で見られる感じはしんどい。 

たまに疲れて、「そうだよ、東京いいでしょう。地方ちょっとしんどいよ」と言ってしまいたくなる気持ちを抑えてる。

勿論東京で育ったことのアドバンテージは色々あるからまれてるとは思うんだけどさ。

自分地元はいいとこだよっていうのを、東京出身者も地方出身者も気軽に言えると気楽でいいんだけどね。

anond:20190330172246

これは「東京」というよりも大分慶應環境特殊な気もする。東京出身都内国立大学に行ったけれど、こんな人あんまりたことない。(そもそも地方出身者が多かったのもあるのだけど)

2019-03-29

ずっと都会暮らしだがまったく活用できていない

大学までは地方都市ですくすくと育ち大学に入るとき東京に来た。

以来数十年東京暮らしているのだけど、大都会東京活用できてるとはとても思えないまま生きてきている。

まず東京とそれまで暮らしてきた地方都市とで、あまり違いが感じられなかった。自分がこれは東京からこそかもなと感じる事ができたのは

美術

音楽ライブ

ミニシアター

この3つくらいだ。どれも文化的ものであってこれらは本当にすごいなと思った。ライブ展覧会などは育った地方都市に住んでる地元友達がわざわざ東京まで見に来る事なんかもあり、そのときは「いいなあ電車ですぐ行ける距離じゃん」と羨ましがられ、確かになと思った。

東京しかやらないミニシアター系の映画というのも多い。自分は興味の対象がそれくらいなんだけど、いわゆる文化的な催しというのは東京だととにかく数が多い。

ただそれくらい。そういうのにどっぷりハマるほどの興味もなく、あったらあったでいいよね程度のありがたみしか感じられていない。

結局のところ、東京メリットというのは仕事上の機会損失が少ないというのが(恐らく)一番大きいんではないかと思う。

東京に出てきた時からさして目標も野心もないまま細々と生きてきた自分にはそういった事にもほぼ無関心。

こうなるといよいよなんで東京にいるの?という事になる。そうは言っても仕事の面で東京がやりやすいのは間違いないだろうし、住みたい田舎があるわけでもない。ただなんとなく流れの中で住み続けているだけで、そのために毎朝満員電車とか、高い家賃とか払って、そのくせ週末の休みは家でダラダラするか近所の喫茶店で過ごしたりするだけ。

知り合いに仕事ランチから夜ご飯から休みの日の予定まで見事に東京を活かしきっている人がいて、その人の事が本当に羨ましい。もし東京じゃなかったら生きていけないと言う言葉に嘘はないと思う。それくらい東京を愛している。自分は生まれ育った地元東京、どちらも同じくらいどうでもいい。

「東京」というタイトルの曲がたくさんある。でもどの「東京」自分にはピンと来ない。

東京、この何年かはもうただ怖い事が多い。新宿なんか歩いてるだけでみんな殺気立ってる。

結論としては地方都市くらいが一番いいのではと思い始めている。大阪名古屋は避けてもう少し格下のところ。

2019-03-14

anond:20190313123636

北大東北大、東大名古屋大、京大大阪大、九州大という旧帝国大学英語名

東大以外は地名+ University のかたちだね。

東大のみ the University of Tokyo「東京」にあるんだぜって感じで場所を強調した英語名になっている。

やっぱ、東大って嫌味だなっと思うのはネタミかな?

2019-02-05

anond:20190205115151

「君が」とか知らんがな。おまえが俺の何を知っとるんや。

元増田最初から

大阪京都では「東京」というワードがウけないんでこうなっていたらしい。

と書いているわけで、

それを「大阪京都では『東京』というワードに【反発や抵抗】をする」と捉えたのは増田自身でしょ。

anond:20190205114023

逆や。

大阪人にとって「東京〜〜」はただの屋号から反応せえへんって話やん。

でも大阪以外の、端的に言ってジャイアンツが人気あるような土地では、

「東京」に反応があって、「東京」がついてないよりも売れるねん。

大阪やと売れへん。それだけや。

anond:20190205114023

要するに「東京」ってワードの使われ方の方が問題なんだろうな。「東京」って入れればスタンダードを気取れるっていうそ安易さ、中身のなさが抵抗を生むんだよ。

anond:20190205113604

でも敢えて利用はせんやろ。

横浜スーパー」やから他の店やなくてそこ行こって思うか?

からだが意味わからん

その横浜スーパー横浜って重要

ただの屋号じゃねーか

スーパーは品揃えや安さが重要じゃね?

なんでそこに異常な反応をするの?

普段からそうやってあらゆる屋号に異常な反応してるなら「そういう変人さん」として理解はするけど

実際には「東京」からそういう反応してんでしょ

そういうのを「意識し過ぎ」もしくは「コンプレックス」というんじゃん


俺は「横浜ラーメン」とか「大阪ラーメン」とかに入ったことあると思うけど

そこで横浜大阪にいちいち君みたいな反応したことはない

ていうか世の中の大半の人はそうだろう

anond:20190205113108

でも敢えて利用はせんやろ。

横浜スーパー」やから他の店やなくてそこ行こって思うか?

「東京」という文字列に新しさとかオシャレっぽさを感じる土地では「東京やって! 行ってみよ!」ってなるんや。

でも大阪のような都市圏やと「東京」ブランド価値がないんやな。

「なんで東京なん?」で終わりやから売れへんねん。

ってだけの話やがな。

anond:20190205103856

俺は関東文化圏で生まれ育ち、その後は結構あちこち地方都市にも住んでいるんだが、「東京」という単語の扱われようってのは見ていて面白い。たとえば、東京在住者はそれが当たり前だと思っているだろうが、「東京○○」って商標名とか店名ってあるよな。あれは地方によって求められることも疎まれることもあるのよ。

たとえば、ひと昔前の関東在住者なら子供の頃から厭ってほど聞いているCMソングに、

「♪眼鏡は顔の一部です〜 だかーらー東京メガーネー」

ってのがある。で、俺が関西圏に移り住んだときテレビからこれが流れてきて、へー大阪にもあるんだー、と聞いていたら、

「♪だかーらーフーフーフフーフー」

いやあ、ずっこけましたよ。そこだけスキャットかよ、と。調べてみると、大阪にも東京メガネの系列店があるらしいんだが、特に大阪京都では「東京」というワードがウけないんでこうなっていたらしい。

東京コンプレックスとか言われるだろうが、そうではないんだな。同じ眼鏡屋なんだが、兵庫姫路発祥の「メガネの三城」ってのがある。1930年代からの老舗なんだが、ここが1973年東京進出するとき設立した会社が「株式会社パリーミキ」。

「♪メガネーのーパリーミーキー

って、やはり一昔前の関東在住者ならCMでよく聞いたものだけど、関西圏では、

「♪メーガーネーのー、ミーキー

って「パリ」入らないんだな。要するに関東というか東京では「東京」とか「パリ」とかラベル貼るとウケるってことでしょうね。

これは俺の個人的印象だけど、地方都市独自都市文化都市歴史があるところでは、「東京」の魔力ってのはあまり発揮されない。むしろまれる。京都なんか典型だよね。それに対して、自分のところは田舎だ、というコンプレックスがあったり、都市文化が醸成されていなかったりするところでは、「東京」の魔力が遺憾無く発揮される。そして若い人には居住地に関わらず(昔は文化の集積地として、今は消費できるアイテムの集積地として)今でも十分に魔力が発揮されるわけだな。

ちなみに東京大阪の間の名古屋辺りはどうか、というと、この辺りは「東京」の魔力が十分効力を発揮するわけよ。距離的には京都大阪の方が半分位なのにね。

2019-01-24

anond:20190124123739

まり単に都市生活を送ることができればいいだけなら、

「東京」にこだわらなくてもいいってことなのでは。

その他の大都市だけでなく「東京」でないと「東大目指すような教育」ができないっていうのには反するんじゃないかなと

anond:20190124123311

水色でも「東京」と書いてあるのが多数あるんだが…

そうでなくても千葉神奈川は「首都圏」ってことで東京に準ずるし愛知だの兵庫だののも都会だろ。

田舎と言えるのラサール鹿児島)だけだし、これは単にラサール特別ってだけだし。

anond:20190123214918

人が集まるから都市」なのであって、人が群れる生き物である以上、どこかで群れるのは必定

もちろん、いまの「東京」が少しも便利でも面白くもない場所になり、そこに人々が群れなくなる可能性はあるけれど、それはそんなすぐに起きることではない。一方、今「都市」ではないどこかにこの先人が集まってきて「都市」が誕生する可能性も否定しない。それはただそれだけのことだ。そして、「都市化」したとき、その場所都市でなかったときにもっていた良さのいくらか…もしくは全部が失われる。過去いくらでも起きてきたことだ。だから「東京」と「東京以外」を比較することや、「東京」の盛衰を語ることには意味がない。

結局「東京」の盛衰をテーマに考えている時点で、あなたは「東京史観」に囚われている。「東京」という「土地」が特別なのではなく、今「東京」が「都市」だという事実が全てだ。そして、それはただそれだけのことなんだ。

2018-10-28

anond:20181028130436

俺としては「「東京」23区に使うだと!やっぱり23区人間傲慢だな!」って方向で燃やしたかったんだけど失敗しちゃった。

田舎者23区叩きをする燃料を投下したかったんだ。

食いついてくれる人がいたのは良かったんだけど思ってたのと違う。

まあでも付き合ってくれてありがたい。

anond:20181028124357

俺の主張は「東京」23区意味で使うってことだぞ。

なんか話をずらす人がいるか勘違いしてるみたいだけど。

都庁所在地「東京」って単語が使われている例を出しただけだ。

都庁新宿区にあるってとこはその通りだと思うよ。実際あるし。

じゃあなんで国土地理院都庁所在地「東京」って表記するかというと所在地を市で統一するため。

区は市じゃないんだよ。

そりゃそうだろと思うかもしれないけど区と市は同格じゃないんだよ。

区ってのは特別区23区(旧東京市)をまとめて市と同格なんだよ。

同格って表現が正しいかは知らんが単純な区分の話で権力とか財政の話ではない。

そんで市で統一したいなーって時に23区「東京」ってひとまとめにして表現するんだよ。

今は東京市ってのはないからね。

なんか紆余曲折あったが俺が言いたかったのは「東京」っていったら23区のことじゃないの?ってことで、実際そういう使われ方をしてるんですよってこと。

もちろん言葉なんて使う人によって違う意味があってもいいんだけどさ。「都内」ではそういう使い方してる人多んだよ。実際俺は小学校で習ったし。

anond:20181028122354

そのリンク先に答えが書いてあるじゃんか。

ところが、東京場合は◎の表示の脇に「東京」記載があります国土地理院へ確かめたところ、「東京の23区は市町村ではないので名称記載していないが、便宜上東京23区の総称として「東京」という表示をしたのではないか。」との話でありました。

また、現在の23区の存する区域が、昭和18年まで東京市と呼ばれていたため、その名残りではないかとも考えられます

まり国土地理院では東京23区という意味「東京」っていう単語を使っていてさら都庁所在地「東京」にしてるんだろ?

そんで東京市のなごりってとこまで俺の主張と一致してるじゃん。

俺に反論すると見せかけてソース示してくれるとかツンデレかよ。

ありがとな。

anond:20181028121743

東京都県庁(都庁)所在地「東京」なのは知ってるよね。

この「東京」ってのは東京都特別区まり23区を指すんだよ。

まりにも恥ずかしい嘘松

都道府県庁位置は、条例でこれを定めるよう、地方自治法で定められており、東京都では「東京都庁の位置を定める条例」により、東京都新宿区西新宿二丁目と定められている。

https://www.seisakukikaku.metro.tokyo.jp/information/syozaichi.html

もしかして釣られた??

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