はてなキーワード: 宗教法人とは
私にとっての功罪というか、今は信仰とは距離を置いていて向こうの人たちとは没交渉です。
子供の頃から親に巻き込まれる形で流されるままやってきて、長じて大人になり結婚を機にほぼ関わらなくなった自分が改めて思うことを綴ります。
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小学校低学年の頃に母が入信し、そこから日曜は母に連れられて精舎に行く日々に。
ちなみに父は反対していた。(母が強引に勝手に父の入信届も出していたけども)
小さい頃から行っていたので素直に信じていたけど、ずーっと子供は親の言うことを素直に聞くのが修行みたいなことと親への感謝を言われ続けていて年齢が上がるにつれてうんざりしていた。
母は独善的で過干渉な人で、あなたのためによかれと思ってとよくいい、自分が求めたことが受け入れられるまでどこまでも引かない人だったので、イヤイヤながらしたがっていたけども、物心つくかつかないかの頃から親に反抗していた私は、親の言うことを素直に聞かない自分はダメなヤツだという思いと筋が通らないおかしい主張をなぜ受け入れなければならないかという思いの間で揺れながら子供時代を過ごしていた。
母と喧嘩になると、私が母に反発するのは背後にいる呪縛霊のせいだとか御先祖様が水神を利用するだけ利用して疎かにしていたからだとか言ってきて嫌だった。
こんなに親と衝突しないといけないのなら将来子供は持ちたくないと思うほどだったし、自分が子供として可愛げがないということにも嫌気がさしていた。
余談だが、教義が家父長的というか今は変わってるのかもしれないけども妻は夫をたてて素直に受け入れるのが大事で、自分の配偶者が理不尽であってもそれは過去の因縁で与えられた試練みたいな感じでたまに明らかに配偶者がモラなのに、至らない自分が悪いんだみたいなことを呟いてるXのポストをみるともやる。
進学して家を出ても、行った先の信者の方にお世話になりながら最寄りの精舎に行っていた。(母による手回しにより)
社会人になってもそれは続いていたが、一人暮らしで薄給なのに、定期的に先祖の供養のための施餓鬼や護摩のお布施をむしり取られるのが地味に痛かった。(5000円〜10000円ぐらい/回)
これまた余談だが、真◯苑は経済的には良心的な宗教法人だと思う。誓願しても最大で毎月3万円ぐらいのお布施だった気がする。(お布施とは言わないが独自用語なのでわかりやすくお布施と言っています)
その割には、立川に大きな精舎を作ったり、三越を通してオークションで流出しそうだった仏像を高額で競り落としたり、村山工場跡地を買ったりと沢山お金を使っていてその財源は一体どこから?と素朴な疑問として思っていた。
若い頃は苛烈だった母も歳をとり、自身が病気になったりでだいぶ弱ってパワーダウンし、もう真◯苑には関わらないと宣言したわけでもないが、あれしろこれしろとは全く言わなくなって私は完全に離れ、ホッとしている。
思うに私は信仰をするには怠惰すぎた。早起きして公園の掃除をすることも、友人を失う覚悟で勧誘することも嫌で仕方がなく、それよりもいつまでも寝ていたいとか友達と遊びたいとかそう言った目先の利益のために信仰することをやめたと言っても過言ではないだろう。多分後悔はしていない。今とても楽だから。
それでも時たま、後ろめたく思うのは、悪い因縁を断ち切ってなくて子供達に引き継がれたらどうしようとかそう言うことをふと思ってしまうし、色々な恩を受けたのに仇で返すような生き方をしていてこのままで済むわけがないともたまに思うからだ。
死んだら菩薩にはなれないだろうし… まぁもういいけど。
真◯苑に限らず、よく「大難を小難に。小難を無難に」と界隈では言われるが、そう言うことを能登の大地震にあった人にも正面切って言えるのかと思う。
私はあの地震の被害を見て神も仏もないとつくづく思った。もしそれでも仏はいるというのであれば、仏とはなんと無慈悲な存在か。
それでも、生き残った人たちで真◯苑を信仰している人たちは信仰があってよかったんだろうと思う。
母にもあってよかった。違うものに走っていたら周りの人間も母自身も今よりも断然酷い目にあっていただろうから。
代表について一言。直に話したことはないけども、5メートルぐらいの距離で対峙した時にこの人はすごいお坊さんだと思って、なぜか知らないが涙がブワッと出てきてすごい奇跡みたいな人だと思った。カリスマ性がすごかった。
そして、つくづく私にはこんな立派なお坊さんにはなれないと感じた。
とまぁこんな感じです。
もう2度と戻ることはないと思うけど、歳をとって子供達が独立して配偶者もいなくなったらまた信仰しようと思うかもしれないとも思う。
批判を目にしたりするとそんなことないと思う気持ちもあり、なんと思っていいのかわからないのが正直な気持ちだ。私の人生にとっては、いい面も悪い面もあった。それだけ。
二世なので言う資格はあると思う(10代で疑問を感じ始めて抜けた)。
それはわかる。
不思議な現象や理不尽な災害や辛い現実に人々は目に見えない力で説明をつけてくれるものを求めた。
今まだ分かってないこともこのまま行けばいずれ解き明かせる。
こうなるともはや神様を信じることの方が難しい。
昔は必要だったけどもう違う。
下げる意味で言ってるのではない。
繰り返すが二世なので実感を込めて言ってる。
あれは好きな対象があって同好の士と集まってみんなでわいわいやるサークル活動。
アイドルの推し活や生け花教室や車好きの人が集まってるのと何も変わらない
(唯一違うのは本人たちは高尚で特別なものだと思い込んでいて「上」に位置付けてるところ)。
かつてはみんなが参加していたけど減ってきた。
多くの人が長年信じてきたものだからそこには敬意を払いたいとは思う。
まだ信じている人もいる。
宗教は役目を終えた。
https://anond.hatelabo.jp/20231118203326
「政治上の権力」は政治活動ではなく国や地方公共団体の機能としての統治的権力を指すのが通説である。これは勝手に言ってるわけではなく、憲法学者が書いたまともな本であれば同じように解説してある。
あれ?いつも靖国神社参拝への批判に「政教分離の精神に反する」とかしてなかったっけ?
https://www.nichibenren.or.jp/document/statement/year/2004/2004_03.html
国政の最高責任者である内閣総理大臣が、その地位にあるものとして一宗教法人である靖国神社に公式参拝することは、同神社を援助、助長、促進する効果をもたらすものとして、国の宗教活動の禁止を定めた憲法20条3項の精神に悖る
この言い方だと、今回の、岸田首相の創価学会・池田大作への言及について違憲と感じる人が出てきてもしゃーないだろ。
もしかして、日本弁護士連合会は、法学的には明らかに合憲なので、真正面から違憲とは言えないから「精神に悖る」とかいって法律に詳しくない一般人ミスリードしてたんか?酷くね?
あきらかに常軌を逸した安倍叩きを展開した共産党シンパとマスコミが引き起こしたテロだ。
それを正当化するための統一教会バッシング。このことは日本の未来に禍根を残すことだろう。
・統一教会が問題とされる高額なお布施の強引な勧誘は数10年前のことで、
・民主党政権時も鳩山由紀夫が統一教会の広告塔になっていた。このことを無視する共産党シンパとマスコミ。
・山上テロリストのTwitterアカウントを見ればわかるが、陰謀論にみちた主張を展開し見るに堪えない。
高額なお布施を宗教法人から請求され、檀家をやめる例が多数ある。
・山上テロリストの動機は、宗教の高額なお布施を親が自発的に支払い、それにより困窮した。