はてなキーワード: 文化会館とは
創価中高ですごした増田(https://anond.hatelabo.jp/20220714094742)に触発されて。
今のわたしのように、たとえ大人になってから学会活動をやらなかったとしても、親の庇護下・監督下にあり、人間として成長段階でもある、幼少期・思春期・青年期前半くらいまでを「二世」として過ごすって、人生経験の中で結構なインパクトがある出来事のような気がする。
たまに誰かに話したいな~とか思うけど、世間的な見られ方から、「私親が学会で~」っていうのはいまだに言いづらく、そこでどんな活動をしていたかというのは周囲の非学会員には一切話したことがない。
増田になら…と改めて思ったので、書いておこうと思う。
うちは最初に母が入って、父が母につられて入ったという感じで、活動に熱心なのは母だった。
父は言われて新聞配達してたくらいで、仏壇の前に座るとかそういうことは一切しないライト会員。
私は生まれた翌年の桃の節句の日に入会した。0歳なのでもちろん自発的な悟りとか目覚めとか釈迦みたいなことではなく、親に勝手に入れられた。
このシステムがまずすごいよなと思う。自発的な意思が芽生えないうちから新興宗教に入会って人権的蹂躙っちゃそうだろという気がする。
入会日を桃の節句にあわせたのは女の子だったからだそうです(シンプルな理由)
私自身に学会員の自覚はなかったが、母はバリバリに活動していた。会合なんかにも連れられて行っていた。
地域の役員…地区部長とか? 的な人の家でやるやつと、文化会館といわれる宗教施設でやるやつ、どっちにも連れていかれていたが何の集まりかは全然わかってなかった。
人がたくさん集まってて、同年代の子どももいる集いにつれていかれ、後ろのほうで遊んだり絵本よんだりしてるくらいの感じ。
ちなみにこのころは、まだ学会は日蓮正宗に破門されていなかったので、普通に七五三等で日蓮正宗のお寺にも行っていた。
戦前戦後の墨塗教科書感があり、当時ですらちょっと「え? もうお寺にいかないの…なんで…?」ってなってた。
母が地区の役職についたようで、低学年のころから自宅が週2くらいある会合の会場になった。
家が創価学会の会合の会場になるとか、もしかしたらかなりヘビーな悲劇の二世体験のように思われるかもしれないが、実際にはに集まった大人の人らにかわいがってもらったりおしゃべりしてもらったり、同世代の子どもと楽しく遊んだりという記憶でしかない。
家に人がたくさん来るのがシンプルに楽しいので、自分から会合の場にいることが多かった。
嫌だな~と思ったことはなかった。日常風景みたいな。でもそれは小さかったからで、多感な時期からそうなってたら絶対嫌だったと思う。
会合の最初にみんなで法華経方便品自我偈をとなえたあと、唱題する。
低学年のころ、その方便品の教本(勤行要典という)をみて、会合に来た大人たちに「これは外国の言葉なのか? 何が書いてあるのか?」ときいて困らせた記憶がある。ひらがながふってあるので音だけは読めたが意味不明すぎて…。
あと、会合してる裏で、当時家で飼ってた猫が産気づき、私が猫にかぶりつきで「がんばれー! もう少し!」とかでっかい声ではげましていたので、隣の部屋で会合中の大人らはこっちが気になってしかたなかったらしいということがあった。
会合・座談会の内容は、『大百蓮華』(日蓮の残した著作(まとめて御書とよばれる)の抜粋がのってる会合用のテキスト。月刊)の勉強とか体験発表とか、今思っても穏当な感じだったなと思う。
家で歌われまくってたのと、中学くらいまで学会歌のオルゴール目覚まし時計(なんかの記念品)で起床していたので、今だにメロディーの一部をおぼえている。
https://www.youtube.com/watch?v=Z5ydB2Onbo8
朝この曲で起きてました。奇特すぎ。
役職についてる人がいるとはいえ、子どもの目には会員同士の関係はあくまでフラットな感じに見えていた。
今もあるのかしらないが、当時、学会二世キッズは、学会がやってる合唱団にさそわれることがあった。
しかしこれは入会時とちがい、親に強制的に入れられたのではない。
母に「やってみる?」ときかれたので、そのころウィーン少年合唱団にあこがれていたというただそれだけの理由で「やってみるわ」と答えた次第。
ウィーン少年合唱団にあこがれてなかったらたぶんやんなかったし、やんないならやんないで母は何も言わなかったと思う。
一応入団に際してオーディション的な歌唱テストもあったが、そこで音痴だったら落ちるのかっていうのはわからないし、多分そんなことないんじゃないだろうか。
入ってみたら、多分毎週ではなかったと思う駆れども、日曜日に文化会館で指導があった。
指導は学校で音楽教師してる等、歌舞音曲の心得のある会員が、おそらく無報酬でやっていて、学会歌ではなく一般的な合唱曲の練習をしていた。
「たんぽぽ」(どんな花よりたんぽぽの花をあなたに贈りましょう♪)にここで初めて出会って、なんて素敵な曲なんだろう、情景が目に浮かぶぜ…とめっちゃ感動したのはいい思い出の一つで、いまだにとても好きな歌。でもタンポポは別にいらない…。
小学校が違う気の合う友達もできたし、先生の一人が若めのイケメンだったので合唱団は楽しみだった。
創価中高の増田も似たニュアンスのことを言ってたが、池ちゃんは外国の歴史上の偉人をリスペクトしがちで、それが関係してるのかしらないけど、ある日突然第九…大晦日に歌うあれを練習しますーってなった。
小学生ながらに「フロイデーシェーネルゲッテルフルケン」とかって一生懸命練習したよね…。
なんのためにやってたかというと、当時、学会がヤフド(当時は福岡ドーム)を貸し切って、そこで池ちゃんがやってくる大規模な記念式典をやることになってて、そこに九州ブロック? のみんながあつまって第九合唱する…みたいな話になってたので、そのため。
このときの練習は普段の練習の20倍くらい気合が入っていて、池ちゃんが来ることの重み・貴重さ、池ちゃんの前で歌を披露できることがどんなに名誉かをめっちゃ説かれた記憶がある。
あと、合唱のほかにも「夢や目標をもったら、それがかなうように唱題(お題目を唱える)を一生懸命やりましょう」的な指導があったのだが「でもお題目を唱えるだけではだめ。目標をかなえるためには、そのための努力もかかせない。努力に加えてお題目も唱える。どっちかだけでは意味がない」ということを先生が言っていたのを今でも覚えている。
今の私は別に努力だけでいいだろと思うが、現世利益志向の宗教として、特段変な教えじゃないよなってのは思う。
なんの催しか忘れちゃったんだけど、発表会のために合唱団員の何人かからダンスするメンバーを選ぶってことがあって、私は踊りとかドへたくそなのになぜか立候補。
練習時点でグダグダの踊りを披露してたんだけど、そのとき「自分でやるっていったんだから、責任もってしっかりやろう」という、もはや信仰とかなんも関係ない普通のダメだし(指導)受けたのも印象に残っている。
学会二世には「選挙は祭り」って感覚持ってる人がいるんじゃないかと思う。
実際祭りだし、会員はその時期になると手弁当で友人知人宅を突撃し、候補者のビラをわたして投票のお願いをしていた。電凸とかじゃなくて、家凸。やば。電凸もしてました。
でも不思議なことに、母って、当時凸ってた相手と絶縁どころかいまだに仲いいし、最近できた非会員の友達(母はめちゃくちゃ社交的で友達が多い)に対しても、投票日に投票所に連行する「連れ出し」とか平気でやってるのに、不思議と嫌われてる様子もない。こないだ連れ出し被害食らった人と母と私の3人で飲んだくらい。
私は自分の友達に同じことやったら絶対ドン引きされて絶縁されるだろうなと思うんだけど。このへんは世代感覚なのか、母のキャラゆえなのか、いまだによくわからないところ。
とにかく私は同じことはできないし、したくもないし、そもそも公明党には投票してない。
話がそれたが、当時の家凸は、同じ地区の会員同士で車とかに乗り合わせて回ることがおおくて、子どもの私も車に同乗していた。
完全にお出かけドライブ気分だし、乗り合わせする家の同世代の子とかも来るので、普通に楽しんでついてってた。
あと、当時は親のやってることや信じてることを当然に受け入れていたので、乗り合わせた子といっしょに、信号停止中、後部座席からリアガラスに候補者のチラシを掲げて、後続車にアピったりしていた。
若いカップルがにこにこ笑って、オッケーマーク出してくれたの未だに覚えてる。向こうは覚えてるかなあ。
今おもえばひたすらめちゃくちゃ寛容な人たちだ…それか会員だったのか?
小学生のころから国語と社会(歴史)が好きだったんだけども、中学生になると古文の授業がはじまり、日本史の分量も増えたこともあり、その分野への興味関心は増していった。
母の蔵書である古典文学全集や解説書、文学系文化財の図録本などを開くのが大好きで、たのしみな時間だった。
円地文子が清少納言と枕草子を解説している文章のリリカルかつキリリとした美しさに感銘を受けた。
腐女子としての目覚めとこじらせも発生していて、その脳のままに平家物語の現代語訳を読んで、平経正と守覚法親王の関係(都落ちに際して琵琶返しにいくあれ)に爆萌え。
絶対修学旅行では仁和寺に行きたい!! って心に決めて実際行ったり、数多のいにしえの物語や随筆の舞台になった京都、その登場人物である彼女ら彼らが参詣し今も残っている古寺への興味がすごく高まった時期だった。
しかし学会員は寺とか神社とかを蛇蝎のごとく嫌っており、母もそういうメンタルだったので、京都や、京都に限らず、寺や神社に積極的に行きたがる私との間でちょっと揉めた。
寺や神社を頭ごなしに否定する学会員の在り方に疑問が芽生えてきたのもこのころだった。
教本には、勤行の最後には「諸天善神のおんために」祈ると書いてあり、ご本尊にも「南無妙法蓮華経」の字のまわりに、いろんな神様の名前が書いてあるのに謎すぎる。
(ちなみに改定が入った現在の教本では諸天善神のおんために、部分は割愛されてるらしい。祈れよ)
私は母に、はるか昔から善男善女が祈ってきた場がそんなに悪い場所であるとはどうしても思えない。貴重な文化遺産、歴史の息吹を感じさせるすてきな場所だとしか思えない。そんなに嫌うなんておかしい、というような趣旨のことを懸命に訴えた。
訴えられない、訴えても聞き入れてもらえない学会の家の子もいたのかもしれないけど、私の母はそういうタイプでもなく、私の考え方や言動によって、寺や神社への抵抗感は薄れたといっていた。
そんなわけで、母とはのちに一緒に京都旅行を何度もすることになったし、そんなときには寺や神社にも普通に詣でた。
世間一般は学会に偏見をもっているんだなあ…ということを知ったのもこのころだった。
中学の友達が立正佼成会で、呼び出されて逆折伏されそうになるっていう出来事もあってしんどかった。そして世間からしたらどっちもどっち。
政教分離的なところでも疑問が生じてきて、もやもやすることが増えてきた。
でも学会は小さなころから当たり前に傍らにあるもので、うちは別に多額の献金とかで破産してるわけでもなければ、活動で生活が破綻してるわけでもない。どころかその時点で、楽しい思い出がいっぱいあった。
(今もって)学会の一側面しか知らないにもかかわらず「世間で決めつけられてるような団体じゃないのに…」というジレンマを感じていた。世間で決めつけられてるからには理由があるだろうに…。
ちなみに、法華経の方便品は一体何を言ってるのか? という低学年のころ解消されなかった謎は中学生の時まで続き、ミネルヴァ書房から出てた法華経の日本語訳を読んで解消した。(文化会館の、数珠とかうってるグッズ売り場で普通に買えた)
読んで「シャリホツ!(なるほど!)」みたいな感じあった。(?)
日本語として何を言っているのか? という謎は解消したが、内容は中学生には難しい部分も多く、あまり心に響くことはなかった。
教学試験について説明すると長くなるので省く(説明はここ: https://www.sokanet.jp/kaiin/news/2022070101302/)けど、リンク先にもあるとおり、中学生になると、先述の「御書」やなんやから出題される試験を受けることになる。
一般的な検定試験と同じで、初級~上級みたいな段階的な区分けがあって、当然上の試験程合格は難しいし、そもそも試験も年に1回きっちりあるといかそういうもんでもないらしいがよくわからない。
上級のほうになると、ある程度しっかりした活動してないと受験資格も得られないんじゃないだろうか。
ただ最初にうける、英検で言えば5級的な試験だけは、中学生になったらすぐ受けられるっぽくて、私も中学時代に受けた。
さっきも書いたけど、古文が好きで得意だったので、「御書」の勉強はシンプルにおもしろかった。夜にやってる勉強会も同世代が集まるから楽しかったし、普通に合格した。
でもそれ以降の試験は受けたことないし、受けろと言われたこともない。多分受験資格が発生してない。
高校のころは学会活動への興味はほぼ0になっていたので、文化会館でやる大きい会合だけ顔を出していた。
信教の自由であるとか、折伏や新聞啓蒙、選挙活動についての疑問についてまじめに、ナーバスに考えていたのはむしろ中学生のころで、高校ではもはやあまりそういうことに囚われなくなっていた。
やりたい人がやればいいし、やりたくない人はやらなくていいい、自分はあんまかかわりあいになりたくないかな、くらいの、ごくのシンプルなところに落ち着いてきた。
親は、そういう私の姿勢についてはじめのうちはいろいろと小言を言ってきていたけど、会話を重ねるうち「それも考え方だね」とむこうが折れた感じ。
高校生になると学区がかなり広くなり、生徒数も中学までとは比べ物にならないため、同級生の二世について「あの子学会なんやな…」と会館である大きい会合の場に来て出くわして互いに知ることになる。
けっこういるのにおどろいた。
多分あなたのまわりにもいっぱいいると思いますよ、私がそうであるように口にしないだけで。
学会員の間では、創価大学は超絶いい大学、東大にも負けない日本最高峰の大学! みたいな扱いなので、高校に進学してから偏差値的に全く大したことないのを知って驚いたというか拍子抜けした。
めちゃくちゃいい大学なら目指すのもありかなと思っていたけど、そうでもなかったので、最終的に滑り止めの一環として受験した。
活動自体はどうでもいいかなと思いつつ受験しているの……もうこれは、幼少期からの刷り込みとしか言えないと思う。
偏差値的に大したことなくても、学会員の間ではめっちゃほめてもらえるのもわかってたし…。
当日の試験も易しかったし、学費免除の枠で合格したが、魅力を感じてるわけではないので進学はしなかった。
同じクラスの、割と熱心な二世からは「せっかく合格したんだから行かない?」と最後まで説得されたが「すまん、京都行きたいわ!」ってことで断った。
親でもそんなこといってこないのに…とおもってちょっと引いた。
そんなわけで京都に進学したら、すぐ現地の会員の人が面会に来て、京都の会館(堀川にある立派なやつ)に連れていかれたし、同じ大学の先輩ともつながらせられた。
ちなみに大学には創価学会のサークルがあって普通に活動していた。
極左サークルとかはめっちゃ厳しく規制されてて、校内いたるところに掲示があったが、創価学会のサークルは普通に野放しになっていた。
どっちにしろ私は入らなかったし、学会員としても一切活動しなかった。会館に行ったのも最初の一度くらいだったかな。
この時つながらせられた大学の先輩、1回生前期のかなり早い段階で連絡を取らなくなり、名前も覚えていないのだけど、この人に勧められて宮本輝の『錦繍』を読み、最終章で身も世もなく泣きまくったのを覚えている。
みょんなことからタダ券を貰ったので、東京芸術劇場でやってる「冬のライオン」(舞台「冬のライオン」公式サイト|佐々木蔵之介主演)を見に行った。
舞台を見るのは10年ぶりくらいかも、増田は普段アニメしか見ないので俳優さんとかは全然わからない。「冬のライオン」は歴史ものらしいのでちょっと面白そうかなと思った。歴史は多少興味があるので。
東京の劇場ということは上野にあるアレに行けばいいんだろと思ったら、あっちは文化会館という名前の別の施設で、芸術劇場は池袋にあるらしい。事前に確認しておいて良かった。
主人公はウィリアム征服王の孫で後のリチャード獅子心王やジョン欠地王の親父であるヘンリ二世。彼がある年のクリスマスに家族を集めて、相続問題に片を付けて、ついでにあわよくば妻のエレノア(エレオノール)と離縁して愛人のアレー(アデル)と結婚しようとするところから話が始まり、結局まあほとんど話が進展しないまま話が終わる。余談だけどアレーの名前がアレーなので、あれと言ってるのかアレーと言ってるのか時々わからなくなった。
ヘンリ二世がなんていうか高田純次にドラマ版の露伴先生の演技を混ぜたような人物。狡猾ではあるのだけれど、高田純次だから、この人がいるだけでどんな深刻な話をしていても場がコメディになってしまう。
よく知らなかったけどこの人の相続権て母ちゃんのマチルダ経由で来ているんだな。アキテーヌは奥さんのエレオノールが持ってきたものだし、女性の持ってきた土地で成り立ってる国という感じだ。
元々舞台作品なんだけれど、映画化されたものが有名なようで、ヘンリ二世を扱うときには度々引き合いに出される(たとえば世界史の窓:ヘンリ2世)。
ところでお前らポスターと全然衣装も雰囲気も別物じゃねーか。表紙詐欺にもほどがある。息子2人とフランス王なんかスーツだし、ジョンに至ってはヤンキーみたいな格好してる。エレノアなんかグラサンつけて登場してくるし、中世どこ行った。こんなんやで(https://twitter.com/tliw_2022/status/1497195310422323206)いやでもメガネにスーツのリチャードはそれはそれで格好が良かった。
前半は妻と愛人と3人の息子(ジョンとリチャードの他に影の薄いジェフリーというのが居る)にフランス王がそれぞれに相続権やフランスの領土を獲得しようと互いに陰謀を巡らせては即座に破綻したりする。わりとドタバタコメディの趣が強い。日常会話のように互いに陰謀を企てるので真世界アンバーとかが好きな人は面白いかも。セリフがわりと早口なのと陰謀ゲームの局面がコロコロとめまぐるしく変わっていくので、今誰が何を企んでいるのかちょっと把握しきれなかった。まあ、後半になってみるとこれらの陰謀ゲームは一旦全部リセットされるので覚えきれなくてもあんまり問題は無かったのだけれど。
休憩を挟んで後半に入ると、これまでのドタバタコメディが段々とシリアスさを増してくる。2クールもののアニメの2クール目のよう。前半は登場人物が全員嘘の上に嘘を塗り重ねていたので誰が何を言っても本音ではないというのが明らかだったから、のんきに笑っていられたのだけれど。後半になると段々とその嘘が剥がれてきて、痛ましいまでの本音が見え隠れするようになる。後半の最初の方ではまだ結構笑ってる観客も多かったけど、いやこれはちょっと笑えなくないかと思ったりした。かなり露骨に親に対して愛してくれと叫ぶもほぼ完全に無視されるジェフリーの空気っぷりとか相当悲しかったと思う。まあそういう泣き笑いの境界みたいな展開が続く。
終盤、愛人のアレーがヘンリに対して、私と結婚して子供が欲しいなら、その子供の将来の安全保障のために今いる息子を全て殺せと持ちかけ、ヘンリ自身もだいぶ悩んだ結果せやなと応じ、子供たちの方もいろいろあった結果、親父をやっちまおうと考えるのだけれど…………この家族の愛の形というのは、わかりにくいけれどこういう形でずっと表現されていたのかもしれないなあという感じでおしまい。子供を殺そうとするヘンリを黙って見ているアレーはなかなか迫力があって良かった。
終わってみると、結局の所この劇は、ヘンリの家族がヘンリから愛を得ようともがく姿を描いた劇だったのかもなあと感じた。ヘンリのほうも根っこの所では家族みんなをそれなりにちゃんと愛しているのだけれど、まあ普段が陰謀一家なのでかなり土壇場にならないと家族の間に本当に愛があるのか誰にも解らないという。
わーお。出水市民と増田で会えるとは思わんだ。たぶん、出水市に出張かなんかで来た感じだと思うけど、増田のその感触について書いていくよ!
「とうこうざん」っていう発音だよな?はっきりいうが、東光山は湯の児温泉のコピーだと思っている。水俣と阿久根には一流の温泉地があるけど、出水市にはないんだな。花見以外に使いみちがないし、休みの日も東光山にいかないだろ?まぁ、小学校の遠足に行くということぐらいかな?バスが使えれば、水俣市のグリーンスポーツとかの方が満足度は高いのよね。あと、SFTS やツツガムシ病の原因となるダニに気をつけろよ。
鶴の英語の Crane は建設機械の『クレーン』だろうに... って思っていたけど、語源を調べると 'figuratively from crane the bird' であって、つまり鶴から建築器具となって、しかも発音的に /kreɪn/ なので【クレイン】に近く、まさかのクレインの発音が本場に近いというね。マジっすか?!
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%B3
https://www.oxfordlearnersdictionaries.com/definition/english/crane_1
ぶっちゃけ、クレインパークは日本が体力があった頃の名残りだす。そもそも、高尾野に「鶴の飛来地」があるってあるのだからそっちでやるべきなのに、市町村合併の前にハコモノを作る勢力が力を持っちゃって造られた感じの建物なんだよ。ほら、文化会館やらスポーツ競技場もあの辺だろ?あそこは、出水市の重点投資エリアなんだよね。近場では、長島町の『マンダリンセンター』とかもチェケラ。普通に考えて「クレインパークからリアルな鶴がみえない」なんて変じゃろ?そもそも、あの周りには鶴の餌付けしてないからね。それに、高圧電線やら道路やらあって、鶴が安堵できるには無理な場所なのさ。まあ、オイラはクレインパークで自然科学の学芸員に勉強を教えてもらったり、あの設備で実験させてもらったから感謝しているが。あと、あそこが暗く感じるのは「赤字」だからというのと、古い博物館にありがちだけど投写するスクリーンを持ってるからだろうね。市町村合併をしたのだから、中長期的には高尾野にある鶴の飛来地に博物館を併設して、出水のはクローズすべきだとは思う。
出水駅は昔から何もないよ。理由は、鶴に配慮したからだよ。ソースは見つけられなかったが、鶴に気をつけてたら、あんな不便な場所にしたのよ。俺はデザインは新水俣の方が好きかな。それでも、川内駅よりはかっこいいとは思うが。
昔の「トゥモロー」路線が洒落ていて好きだった。惣菜は、ニシムタとサンキューよりも良いと思う。
そのカニを食べるなよ。寄生虫のリスクあるから。あと、出水市はアフリカマイマイがいるしな。家に帰ったら、手を洗おう。
http://www.nouzai.com/news/webdir/409.html
あそこはかつては建築業者の桑木組があって、あと問屋さんもあったけど消えちゃったけど、平成に入って小売業のメッカになったよね。はじめはナフコが進出してきて、サンキューとコメリとドコモとケーズデンキとかできて、コスモスとトライアルができてね。あそこが発展したのは、水俣の連中が土日に買い物するのにちょうど良かったからよね。正直、水俣の水光社は駐車場とかを含めて設備が古すぎると思う。昭和末期は、本町がダイワと寿屋があって都会に感じたものよ。
あそこはパチンカスの運転が荒いから注意しろよ。あと、自転車でも田んぼに突っ込むと、死ねるから注意しなよ。案外に高低差あるからヤバい。
そりゃ、水俣病あったしね。北朝鮮の拉致問題がある頃は、本当に怖かったよ。不知火海はサンゴ礁がないから余計に暗いよな。
あれ、一応は文化財なんで。とは言っても、修繕やるかしないと、すっごく傷んでるよな。個人宅にするのも大事だろうけど、生活感出てたりするのがなぁ。
7代目青学が大好きだった。
一人一人が輝いていた青学だった。
それでも、彼らなら全国大会優勝する。
メルパルクの座席に。名取文化会館の座席に。名古屋陶業市民会館の座席に。キャナルシティの座席に。
あまりに好きだったせいで2ndが幕を下ろした後、虚無感により3rdを見る気にならず4年以上の月日が経っていた。
(しばらく辛過ぎて引きこもった。)
ふと全国立海が始まるという告知を目にしたわたしは重い腰を上げて久々にチケットを取ってみたのだ。
以下は7代目の過激派オタクの懐古であり戯言なので適当に流してくれて良い。
7代目とはまた違った青学がとても良かった。
若々しくて初々しくて。
(当時お兄さんだった青学が今はほとんど年下であることに一抹の悲しみも覚えつつ……)
初見だったことで音楽のアレンジがあまり耳に馴染まず1幕はすこし入り込み辛い所はあったが。
(何度も見たら刷り込まれるのか?でもすこし編曲のせいで音楽が入ってこなかった印象もある。凱旋だったにも関わらずキャストがあまり歌えてないところもあったので、テニミュの音楽は技巧に走らずキャッチーであってほしい。)
2幕からは(技術面に不安を感じるところはあれど)耳馴染みのあるメロディが多くあの日々を思い出させるとともに、やはりわたしはテニミュが好きだという気持ちを思い出させてくれた。
てっきり3rdオリジナルのカテコ曲が流れると思い込んでいたわたしの耳に、聞き馴染みのある音が聞こえてきたのだ。
(わたしはもはやオタクをおりて久しいため、なんの前評判にも触れていなかったのである。)
「軋むテニスシューズの音を覚えていてね
耳馴染みのあるあの歌詞。
覚えている。忘れるわけがない。
客電がゆっくりと落ちて、客のざわめきが落ち着く。
「キュッキュッ」というシューズの音。
ライトが上がる。
忘れられるものか。
悲しいことはたくさんあった。
二十数年の人生だけれど、捨てた物もあれば得た物もある。
「できればこのままみんなで励まし合いエール交換しつづけたいね。」
ほんとだね。こちらからエールは送れなかったかもしれないけど、あの思い出全てが今でもわたしへのエールになっている。
「頑張れ負けるな必ず勝て。よっしゃそこだ突っ走れ。」
あれからわたしはどこまで走れたかはわからないけどずっとひた走っている。
あのとき輝いていた人たちもひた走っている。
立海公演が4時間もあってヘトヘトになりながら観たけれど、それでも何回でも観たかった。
(2ndもやっぱり前後編で分けて欲しかった。などという制作への愚痴は置いておこう。)
3幕構成だった立海公演で初めて耳にしたあの曲を、あのときにしか聴けなかったGMKK をここで聴くことができた。
それだけでわたしはあの怒涛の日々を全肯定されたような気がしたのだ。
目立った炎上もせず真摯にテニミュと向き合ってくれた7代目を応援した日々は、他の人から見たら阿呆らしく意味のない行為なのだろうが、わたしにとっては人生の核だ。
あの頃からSNSが発達して2.5次元界隈は様変わりしてしまった気がするけれど。
変わらないものもここにあったのだ。
GMKKを受け継いで歌ってくださった10代目青学の皆さん、3rdのライバル校の皆さん。
この曲をカテコに持ってきてくださった演出の方々、製作陣の皆様本当にありがとうございます。
が、その何千人もいる客席のうちの一人のわたしの気持ちをここに記したかった。
同じ気持ちで見ていた人がいたら嬉しい。
隣に座った知らないあなたも、これを読んでいる知らないあなたも、テニミュを通して気持ちを同じくしていたりするのだろうか。
こうやって受け継がれているミュージカルテニスの王子様というコンテンツがあることがわたしは嬉しい。
7代目青学が大好きだった。
一人一人が輝いていた青学だった。
それでも、彼らなら全国大会優勝する。
メルパルクの座席に。名取文化会館の座席に。名古屋陶業市民会館の座席に。キャナルシティの座席に。
あまりに好きだったせいで2ndが幕を下ろした後、虚無感により3rdを見る気にならず4年以上の月日が経っていた。
(しばらく辛過ぎて引きこもった。)
ふと全国立海が始まるという告知を目にしたわたしは重い腰を上げて久々にチケットを取ってみたのだ。
以下は7代目の過激派オタクの懐古であり戯言なので適当に流してくれて良い。
7代目とはまた違った青学がとても良かった。
若々しくて初々しくて。
(当時お兄さんだった青学が今はほとんど年下であることに一抹の悲しみも覚えつつ……)
初見だったことで音楽のアレンジがあまり耳に馴染まず1幕はすこし入り込み辛い所はあったが。
(何度も見たら刷り込まれるのか?でもすこし編曲のせいで音楽が入ってこなかった印象もある。凱旋だったにも関わらずキャストがあまり歌えてないところもあったので、テニミュの音楽は技巧に走らずキャッチーであってほしい。)
2幕からは(技術面に不安を感じるところはあれど)耳馴染みのあるメロディが多くあの日々を思い出させるとともに、やはりわたしはテニミュが好きだという気持ちを思い出させてくれた。
てっきり3rdオリジナルのカテコ曲が流れると思い込んでいたわたしの耳に、聞き馴染みのある音が聞こえてきたのだ。
(わたしはもはやオタクをおりて久しいため、なんの前評判にも触れていなかったのである。)
「軋むテニスシューズの音を覚えていてね
耳馴染みのあるあの歌詞。
覚えている。忘れるわけがない。
客電がゆっくりと落ちて、客のざわめきが落ち着く。
「キュッキュッ」というシューズの音。
ライトが上がる。
忘れられるものか。
悲しいことはたくさんあった。
二十数年の人生だけれど、捨てた物もあれば得た物もある。
「できればこのままみんなで励まし合いエール交換しつづけたいね。」
ほんとだね。こちらからエールは送れなかったかもしれないけど、あの思い出全てが今でもわたしへのエールになっている。
「頑張れ負けるな必ず勝て。よっしゃそこだ突っ走れ。」
あれからわたしはどこまで走れたかはわからないけどずっとひた走っている。
あのとき輝いていた人たちもひた走っている。
立海公演が4時間もあってヘトヘトになりながら観たけれど、それでも何回でも観たかった。
(2ndもやっぱり前後編で分けて欲しかった。などという制作への愚痴は置いておこう。)
3幕構成だった立海公演で初めて耳にしたあの曲を、あのときにしか聴けなかったGMKK をここで聴くことができた。
それだけでわたしはあの怒涛の日々を全肯定されたような気がしたのだ。
目立った炎上もせず真摯にテニミュと向き合ってくれた7代目を応援した日々は、他の人から見たら阿呆らしく意味のない行為なのだろうが、わたしにとっては人生の核だ。
あの頃からSNSが発達して2.5次元界隈は様変わりしてしまった気がするけれど。
変わらないものもここにあったのだ。
GMKKを受け継いで歌ってくださった10代目青学の皆さん、3rdのライバル校の皆さん。
この曲をカテコに持ってきてくださった演出の方々、製作陣の皆様本当にありがとうございます。
が、その何千人もいる客席のうちの一人のわたしの気持ちをここに記したかった。
同じ気持ちで見ていた人がいたら嬉しい。
隣に座った知らないあなたも、これを読んでいる知らないあなたも、テニミュを通して気持ちを同じくしていたりするのだろうか。
こうやって受け継がれているミュージカルテニスの王子様というコンテンツがあることがわたしは嬉しい。
劇場で舞台を見るというのはその舞台を通して自分の人生を見つめ直す行為でもあるのだ。
追記:指摘があったので訂正します。「唐の頭」とは正確にはヤクの毛の兜飾りのことです。武田信玄や石田三成が描かれるときに、よく兜に付いているカツラみたいなやつのことですね。珍しくて高価なものではあるのですが、三河武士のあいだでやたらと流行っていて、十人いたら七・八人はヤクの毛をつけていたらしいです。というのも、ヤクの毛を大量に積んだ貿易船が難破して三河に漂着したから、棚ぼたで手に入れたんだとか。そら「過ぎたるもの」と言われますわ。
「本多平八」とは徳川四天王のひとり、本多忠勝(1548生)のこと。
三方ヶ原の戦いに先立つ一言坂の戦いで、退却する徳川軍の殿を本多忠勝がつとめた。
治部少は石田三成(1560生)のこと。
「島左近」(1540生)はもともと筒井氏に仕えていた武将で、一説には当時の三成の禄高の半分である二万石で召し抱えられた。
関ヶ原の戦いで討ち死にしたが、敵の足軽が後々まで悪夢に見たというほどの戦いぶりだったという。
「佐和山城」は三成が改修した城で、五層の天守閣を備えた立派なものだったが、中に入ってみると極めて質素な造りだった。
「白隠」とは「臨済宗中興の祖」と言われる高僧・白隠慧鶴(1686生)のこと。
大量の書画を残しており、その作風は荒々しくバランスの崩れたものだが、それが逆に迫力を生んでいるとして現代でも人気が高い。
「津軽屋敷」とは、本所にあった津軽藩の広大な江戸屋敷のこと。
火災のときに版木ではなく太鼓を叩くのが「本所七不思議」として知られている。
「炭屋塩原」とは、炭団を改良して一代で豪商となった炭屋の塩原太助(1743生)のこと。
明治期には「塩原多助一代記」として立身出世物語が語られ大人気となった。
亀山とは、現在の三重県亀山市にあった、東海道の亀山宿のこと。
「伊勢屋蘇鉄」とは、亀山宿の旅籠・伊勢屋の庭にあった蘇鉄の名木のこと。
「京口御門」とは、亀山宿の西端、つまり京へ向かう道に作られた門のこと。
坂の頂上に建てられ、下から見上げると壮観だという。
祖父が江島生島事件の江島の弟だったため甲斐に流罪となり、南柯は甲斐で生まれて岩槻藩士の養子となった。
儒学を学んだ南柯は、藩の要職を歴任し、隠居後は私塾・遷喬館を立ち上げて子弟教育に努めた。
「時の鐘」とは、城下に時を告げるために1671年に設置された鐘のこと。
改鋳されたものが現在まで残っていて市指定有形文化財となっている。
「鳶の薬缶」とは「薬缶平」と呼ばれた幕末の火消し・平五郎のこと。
本職は鳶職人で、頭がハゲていたので「薬缶」と綽名されたらしい。
「原宿の山車」とは、青山熊野神社の祭りで使われる山車のこと。
「延寿太夫」とは、歌舞伎の伴奏音楽として発展した浄瑠璃「清元節」を創始した、初代・清元延寿太夫(1777生)のこと。
「鶴屋南北」とは、「大南北」とも呼ばれる歌舞伎狂言作者、四代目・鶴屋南北(1755生)のこと。
一関藩は、仙台藩から分知されて成立した小藩で、現在の岩手県一関市にあたる。
「時の太鼓」とは、城下に時を告げるための太鼓のことだが、これは幕府から特別に許可されたもので、鐘ではなく太鼓が設置されるのは非常に珍しかったらしい。
「建部清庵」(1712生)は蘭学を学んだ名医で、『解体新書』で有名な杉田玄白の盟友であった。
これは加藤家が改易されたあとに熊本藩に入った細川忠興の評らしい。
八代城は、熊本県八代市にあった城で、1622年に完成したもの。地名から「松江城」とも言う。
熊本藩の本城はかの熊本城であり、一国に二城あるのは特例である。
その気兼ねもあったのか、城は未完成で放置されており、天守閣だけは壮麗だったというが、それも1672年に落雷で消失した。
「乞食の松」とは、「浜のお茶屋」とも呼ばれる松浜軒庭園にあった松のことらしいが、詳細は不明。
保土ヶ谷とは、現在の神奈川県横浜市にあった、東海道の程ヶ谷宿のこと。
「苅部清兵衛」とは、その程ヶ谷宿の本陣・名主・問屋を務めた苅部家の当主が名乗る名跡のことで、地元の名士として代々慕われたという。
「花見寿司」は程ヶ谷宿の名物で、現在でもその伝統を引き継ぐ店があるとか。
挙母城は、三河・尾張・美濃・信濃・遠江・伊勢・近江が見えるということで七州城とも呼ばれ、「大手御門」とはその立派な正門を指している。
「海老名三平」とは、挙母藩の剣術師範役に代々指名された海老名家当主の名跡で、落語家のことではない。
「だんじり祭り」は全国でも有名なお祭りで、1703年から始まったという。
「千亀利のお城」とは岸和田城の別名で、五重の天守に総構えの立派なものだったが、天守閣は1827年に焼失している。
松平定信に「昌平坂学問所で朱子学を教えるべき」と訴え、これが「寛政異学の禁」の原因となったという。
京都に出て絵を学び、仙洞御所の屏風を描いている。西山拙斎とは親友同士だった。
川ではなく道に掛かっていて、立体交差となっているのが特徴。
「にっかり」とは、刀剣乱舞でも有名となった名刀「にっかり青江」のこと。
「茶壺」とは、二代目藩主・京極高豊が好んで収集した、陶工・野々村仁清の茶壺のこと。
「多賀越中」とは、京極家の筆頭家老を代々務めた多賀家当主の名跡。
三原とは、広島藩の支城である三原城があったところで、現在の広島県三原市のこと。
その「過ぎたるもの」とは、まず石高のわりに壮麗な「三原城」。
三原城主であり広島藩筆頭家老であった浅野忠真(1618生)に、徳川家光の娘・月渓院が一目惚れし、駄々をこねて彼の側室に入ったために使用を許可された「葵の御紋」。
日光東照宮の工事にあたって、難所をわずか十日で仕上げて称賛を集めた家臣「鈴木方衛」の三つだそうな。
「過ぎたるもの」とは、藩政を改革して名君と謳われた藩主の「板倉勝明(1809生)」。
第六代安中藩主・板倉重形のときに作られたという、城下に時を知らせるための「安中様のお太鼓」(一ノ関だけの特別扱いだったはずでは…!?)。
「火ノ見半鐘」は江戸で最も高いと言われる火の見櫓があったから。
「岡の桜」は、御番医師・岡仁庵の屋敷に植えられていた大きな枝垂れ桜のこと。
「更科の蕎麦」はそのまま更科そばのことで、蕎麦御三家の一つである蕎麦処・更科が永坂にあったことにちなむ。
「表御門」は、三大陣屋と呼ばれる飯野陣屋の門のこと(か?)。
「森要蔵」(1810生)は幕末の著名な剣豪で、保科家に剣術指南役として仕えていた。
森要蔵は藩に召し抱えられたあと、近所の麻布永坂・岡仁庵の屋敷の一部を間借りして道場を構え、
更科そばの初代も、この屋敷に反物商として出入りしていたところ、
蕎麦を打つのが上手いということで藩主から蕎麦屋になることを勧められ、
同じく麻布永坂に店を出した、という縁がある。
奈良生まれの儒学者・森田節斎の言葉であり、高取とは現在の奈良県高取町にあたる高取藩のこと。
「山のお城」は高取城のこと。
日本国内では最大規模の山城で、その白漆喰が輝く様を「巽高取 雪かと見れば 雪ではござらぬ土佐の城」と評した言葉が残る。
「谷の昌平」とは、幕末の儒学者・谷三山(1802生)のこと。
若年の頃に聴力を失うが、勉学に励んで大成し、高取藩に召し抱えられて尊王攘夷を説いた。
新城は、現在の愛知県新城市にあたるが、「新城藩」は藩主が安中藩に移封されたため1645年に消滅、代わって旗本の菅沼氏が入った。
「前の小川」とは、新城陣屋の堀へ水を引き入れるために作られた運河のことらしいが、現在は存在しない。
「太田白雪」(1661生)は、地元の名家の生まれで、松尾芭蕉門下の俳人となった。
「刻の太鼓」は、例によって城下に時を知らせるための太鼓のこと。
「関の鉄砲」とは、関之信が開いた「関流砲術」のことで、その宗家は土浦藩の鉄砲指南を代々務めていた。
下総は下総国のことで、現在の千葉県北部と茨城県西部のあたりを指す。
「久保木蟠龍」とは、儒学者の久保木清淵(1762生)のこと。
伊能忠敬と親交が深く、忠敬亡き後は大日本沿海輿地全図の完成を手伝った。
「正次」と「興里」はどちらも鍛冶師で、刀を打たせれば正次が、兜を拵えれば興里が優れていると言われていた。
そこで正次の刀で興里の兜を斬ったところ、兜は両断できなかったが欠け、刀には刃こぼれがなかったため、引き分けということになった。
しかし実のところ、興里は兜が割られないよう小細工をしており、それがなければ正次に負けていただろうと分かっていた。
悔しがった興里は刀を打つようになり、後に「長曽祢虎徹」として知られる名工となった、という伝承があり、歌舞伎の演目になっている。
「正次」は志摩兵衛正次という名らしいが、こちらはよく分からない。
「佐野の桜」とは、旗本・佐野政言の屋敷にあった見事な枝垂れ桜のこと。
「塙検校」は塙保己一(1746生)のことで、盲人として検校にまでなりながら、著名な国学者でもあった。
秋元とは、現在の埼玉県川越市にあたる川越藩主の秋元喬知のこと。
「無の字の槍」とは、藩祖・泰朝が家康から賜った十文字槍のことで、鞘に「無」の金文字があった。
「岩田彦助」(1658生)は、川越藩の家老を務めた儒学者のこと。
「河原布衣徒」は河原にいる乞食のことと思われるが、芸が上手かったことを言っているのか、よくわからない。
「千秋の寺」はそのまま千秋寺のことで、昔は二十余棟からなる大伽藍があったが、戦火で失われたらしい。
「不動並木」とは、谷田部藩主・細川興昌(1604生)が植えたもので、沿道に二百本ほどの松が並んでいたというが、現在はない。
「広瀬周度」(1782生)は、杉田玄白門下の蘭学医でありつつ、画家としても活躍したという人物。
「飯塚伊賀七」(1762生)は発明家で、自宅の向かいにある酒屋まで往復するからくり人形や、人力飛行機などを作っていたという。広瀬周度から蘭学の知識を得ていたとも。
徳山は、長州藩の支藩で、現在の山口県周南市のあたりにあった徳山藩のこと。
「藩主墓所」は、徳山藩毛利家の菩提寺である聚福山大成寺にある歴代当主の墓所のこと。
創価二世の子供とその親達で集まって子供版の創価新聞を読まされる。
そして皆で記事を読んでどう思ったか意見交換。将来の夢を語り合い、池田大作先生が作詞作曲を手がけた子供向けのテーマソングを歌う。
あんま覚えてないけど、エンジン~全開とっびっだそーうー♪みたいなフレーズだけ頭に残ってる。最後は勤行(お教の読みあげ)で締める。
各地域にある創価学会の文化会館で行われる座談会?にも参加させられた。月一くらいで開催されてて、100人以上いたんじゃないかな。
池田大作先生の説法っていうのかな、ありがたいVTRが放映された後に全員で勤行をあげる。
100人以上の勤行は圧巻だよ。
勤行のクライマックスになると、南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経…って延々繰り返す所があるんだけど、
あの大合唱は圧巻だよ。
そんじょそこらのコンサートや映画なんかよりいろんな意味で大迫力だよ。
中1の頃の年越し前の座談会に連れていかれた時は青年部の人たちがいて、
大学生くらいの美人なおねーさんやかっこいいお兄さんたちが私たちの前に出てベートーヴェンの第九を歌ってくれたんだよ。
最初はにこやかに歌ってるんだけど、途中から感極まって泣いてんの。
泣き笑いながら青春ドラマみたいに皆で肩を叩き会いつつ第九を歌ってんの。
その後は恒例の勤行で締めて、紅白餅もらって帰ったよ。
どうでもいいけど勤行の最後の南無妙法蓮華経の繰り返し読み上げって回数決まってなくて、その場の盛り上がりと、勤行のリーダー役みたいな人のさじ加減で決まるんだよな。
盛り上がってる時は10分くらい南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経繰り返すんだぜ。
逆に時間が無い時なんかは数回繰り返して終わり。なんか面白いよね。
駐車場がいっぱいになっていて使えなかった。
おかげで貴重な学習機会が奪われた。
ああ、これが「バカの壁」か。
十分な駐車スペースがない図書館ではたまに借りても
新しい本を見繕う余裕がなく、返すだけになって循環が切れてしまう。
その点、図書館と他の施設が隣接していて駐車場が大きいところは
冗長性を確保できている。
いつでも駐車場が空いていて、ゆっくりできる信頼がある図書館は
そうでない図書館にくらべて、ルビーと研磨剤くらいの差がある。
パターンもあるのだと知った。
空いている前提でいるので、それが外れたときのダメージは大きかった。
イベントの時はよく対策してほしい。せめて返却ボックスだけ道路際まで出して欲しい。
河川敷が空いているじゃないか。いけ。
学習意欲に機会が最大限与えられることを願う。
よく都会の方が田舎を批判、見下すブログを書いたりしてますが、「田舎暮らし」そんなに悪くないですよ。
(ここに書いてあることは私の住んでいる田舎限定の話です。ちなみに東京神奈川で10年程の生活経験ありです。)
確かに少ないですが大抵の人に必要なものは揃ってるのであまり困りません。
近場にお店が無い時は地方都市(車で一時間程度)と言われるようなところに買い出しに行きます。
田舎人がよく使うお店はこんな感じです。
イオンや地域密着型のスーパー、農協などいろいろあるので困りません。
あまり変わった食材や調味料などを売っているお店はありません。
車で一時間程遠出すれば、カルディ(スーパーではない?)などありますがめったに行きません。
個人的に困ったことと言えば、「少しいい果物」をプレゼントしようと思った時に、売っているところが無くてあきらめました。
スタバやドトールなどはありませんが、田舎の人は出かけついでにコーヒーを飲むというような習慣がないので困りません。
コーヒー飲みたければあまり頻度は高くないですが、個人経営の喫茶店に行きます。
おしゃれなカフェなども数店舗ありますが、10代後半~20代前半独身の人たちは
近場でデートしようとしたら行く場所かなり限られるので不満があるかなと思います。
選択肢が少ないので不満ではありますが、いつものところに行く安心感はあります。
選択肢としては創作料理、洋食、中華、定食系、鉄板系、若者向け居酒屋、バーのような居酒屋のようなよくわからないお店、スナックなど
いろいろ?ありますが子供がいるとだいたい決まったところにしかいきません。
種類も店舗数も少ないですが外食についての不満はあまり聞きません。
外食するお店がありたまーに外食できればそれで満足です、私は。
壊滅的です。私は購入できるお店がありません。パンツすら満足するものを買えません。
地方都市的なところに行っても、男向けの服はまともなものがありません。小さいお店など多少ありますが品ぞろえも悪く割高です。
ユナイテットアローズ的なデザインも品質も値段も普通なものがないんです・・・
女性向けの服の場合は、田舎では安いパチものみたいな服は買えますが、地方都市的なところまで行けば多少選択肢が増えます。
靴やバッグなども同様で壊滅的ですね。
ではどうするかというと、県庁所在地的な都市(ファッションビルがある)に行くか、東京などの大都会に行くかです。
私は遠出するのが面倒なので、服や靴なども通販が多くなってきました。
家具はないです。大抵はニトリ系のお店で済ませます。私は嫌いなので通販か都市まで遠出します。
雑貨は個人経営のお店が多少ありますが高いですしフラッと立ち寄れる感じでもないので行きません。
なにがあるかな。
田舎の味方ホームセンターは沢山あります。毎週のように遊びに行きます。
もちろんです。
都会だと電車、バス、タクシーがないとどこにも行けないように田舎では車がなければどこにも行けません。
個人的には電車が嫌いなので車のほうが好きです。
気に入らない人もいれば気の合う人もいます。
だれだれの家がどうした、あの家の息子がほにゃららなど、地域に人間の話の回転は速いです。
監視されていると感じる人もいるかもしれませんが狭い地域の話なのでそんなもんかという感じです。
私は興味がないので近所の話はいまいちわかりません。
あとは掃除や廃品回収、かっぱらいなどいろいろありますがそこに住んでいる以上しょうがないです。
都会でも団地などでは月一度の掃除などがある場所もあるみたいですね。
一つの地域で20人くらい必要らしいですが若手の頭数が減っているので人集めが大変そうです。
私も入っていますが団員たちは大体20~40歳の働き盛り、これから地域をまとめるようになる人たちです。
付き合いがあればなにかと有利ですが、活動に参加しない幽霊団員になったりすると冷たい目が向けられます。
少ないです。
そして土方は給料いいのでいい生活してます。うらやましいです。
私は意識高いことに興味もないし低学歴なので、土方でも工場勤務でも収入さえあればそれで満足です。
最近都会ではランニングが流行ってますね。田舎では目立つのでできません。できなくはないですが、、
ちなみに私は夜にこっそり走ってます。
私は人の趣味にけちを付けてる人を見たことがありません。
10代くらいだといろいろあるのかもしれませんが30、40代以降になるとみんな自由ですよ。
よく田舎は選択肢が少ないから嫌だ、可哀想という話を聞きますが
そんなに選択肢って必要ですか?選択できないことって可哀想なことですか?
あなたはいろいろと自分で選択したいのかもしれませんがそれって本当にみんなが必要としていることですか?
小さいころからの友達とつるんで、選択肢のない仕事をして、いつものラーメンを食べて、
家族と夕飯を食べに行ったり、だれかが死ねば親戚と酒を飲み、家族の誕生日にはいつものケーキ屋のいつものケーキを食べて、
休みの日は畑仕事して、今の時期は山菜取りに行ったりして、それを毎年繰り返して。
この生活に不満のない人間はたくさんいると思いますが可哀想ですか?
今目の前にある道路や水道などのインフラはいつまでこの状態を保てるんだろうか。
子供が出来るころに田舎を見てみると10代のころとは少し違った田舎が見れるかもしれないよ。
=追記=================
すみません。「かっぱらい」です。
草刈り機を使って地域の川などにある草、薮などを刈り取ることです。
いいところなんてたいしてないですよ。
盗みなんてやり放題だと思います。
鍵をかけない家も多いですし車の鍵も付けっぱなしなので
おもしろいですよね。育った場所や適正でまったく逆になるなんて。
ちなみに私の兄弟は東京にいますが田舎なんて無理、東京から離れる気は一切ない、だそうです。
近くにはないです。車で1時間程度走ればなんとか。
たまーに文化会館的なところに有名な人来たりするようですがどんな状態でライブが行われているのか不明です。
みんな座ってるんだろうか…
都会にいてもマンション買ったり子供の学校のPTAやったりすれば同じような状況になるんじゃないですか。
…マンション買ったこともないしPTAやったこともないのでわかりません。
あとランニングの件、単純に人に見られたくないんですよ。見られたってランニングにけち付ける人はいません。たぶんね。
何処かの家で「あの家の父ちゃんはランニングしてるな」くらいの話題にはなるかもしれませんが。
受け入れるも何も退屈にならないように好きなようにすればいいとしか思いませんよ。
誰かを田舎に押さえつけておこうとも都会の人を田舎に呼びつけようとも思いません。
田舎で満足している選択肢を求めていない人間もいるんですよと書いただけです。
影響ないかと。大会の練習でポンプの使い方は覚えるかもしれませんが
規律訓練、通常点検などもなんのためにやってるのやら…
まぁ年に一度団員を集めて結束を高めるという意味ではいいのかもしれませんが。
都会の人は冷たいなんて言ってる人見たことありますか?私はないです。
体型が最高に貧弱なのでジーンズショップ的な量販店の服はサイズが合いません。
田舎は基本的にゆったりしたM,Lサイズしかないんです。私には致命傷。
その上昇志向ってなんですか?偉くなろう!稼ごう!みたいなものですか?
今ある仕事をまじめにこなして、仕事に必要な技術があれば習得して、
家族を養える給料をもらってほどほど?なんとか?ぎりぎり?の生活をする。
仕事を定年までがんばってそれ以降はシルバーで働いたり畑をやってみたり。
私はこれを貧しいとは思いません。
限界集落でもない限り野球好きな青年9人くらい集まるでしょう。
ずっとスウェットでも問題ないですよ。っとスウェットなのはヤンキーくらいですが。
田舎話の時はいつも病院を気にする人いますが私のいる田舎は病院の心配はないです。
なにを見てそう感じるんですか?
なにを見て釣りだと思ったんですか?
釣りは私はやらないので書いたリストに入ってなかったですがやってる人はたくさんいますよ。
渓流も大きめの川も海も池も。
【追加】
中村あきの星海社FICTIONS新人賞を受賞したデビュー作『ロジック・ロック・フェスティバル』が、古野まほろのメフィスト賞を受賞したデビュー作『天帝のはしたなき果実』と類似していると指摘され一部で話題になっている。『ロジック・ロック・フェスティバル』に続いて『天帝のはしたなき果実』を読了したので、前回(http://anond.hatelabo.jp/20131221141558)に続いて比較検証していきたいと思う。ちなみに私が読んだのは講談社ノベルス版(通称「旧訳」)である。古野まほろとしては全面改稿した幻冬舎文庫版(通称「新訳」)を決定稿としたいようだが、諸事情から旧訳を参考とした。以下の比較検証において新訳では違ってくる部分があることをあらかじめ了承いただきたい。
12月7日にTwitterに於いて古野まほろが「関係性の説明」をした。それは大きく分けて【学校の設定】【死体発見時の言動等】【推理合戦】の3点である。今回はその中から【死体発見時の言動等】について検証していきたい。古野まほろが挙げた「同一性」は以下の通りである。
・警察への通報を拒否する理由は、高校生として「重要なイベント」のためである
・結果、その場にいる生徒による、多数決が行われる
・最後の一票により、イベントを優先して通報しないことが決まる
1つ1つの要素の問題ではありません(要素で見ても厳しいかな、とは思いますが・・・)。私が問題にしているのは、これらすべての要素の「組合せ」です。このような「組合せ」が、まったく別個の作家により、偶然に案出される可能性は、ゼロです。死体発見時の言動等もまた「同一性」の問題です。
古野まほろ(作者)は「死体発見時の言動等」と銘打っているが、前半は被害者の特徴についてである。『ロジック・ロック・フェスティバル』において、メインとなる密室殺人事件の被害者となるのは「灘瀬朝臣(なだせあそん)」である。灘瀬について記述してある部分を引用したい。
ねちねちとした口調、ねめつけるような視線、四十代半ばにして既に注意信号の頭髪、加えて誰が言い出したかセクハラ疑惑まで併せ持った社会科担当の教諭、灘瀬――なんとか。失礼、フルネームは存じ上げない。専門も世界史だったか倫理だったか。
灘瀬朝臣は社会科担当教諭であり、専門が世界史なのか倫理なのかは本文中で特定されていない。高校で世界史を教えるのに必要なのは「高等学校教諭一種免許状(地理歴史)」であり、倫理を教えるのに必要なのは「高等学校教諭一種免許状(公民)」だ。それぞれ別ではあるが、実際は両方を取得しどちらも教えるというケースが多い。
『天帝のはしたなき果実』において殺人事件は何度か起こるが、メインとなる首無し殺人事件の被害者となったのは「瀬尾兵太(せおひょうた)」である。瀬尾兵太は世界史担当教諭である。本文中に世界史以外の社会科科目を教えているとの記述はない。
黄昏の音楽室に入ってきたのは、我が県立勁草館高等学校で世界史の教師を勤めるとともに、同校吹奏楽部の顧問に任じる瀬尾兵太だ。
「要素」で判断する限りは「社会科担当教諭(専門は世界史か倫理か不明)」と「世界史担当教諭」を「同一性」と表現するのは厳密な意味においては正確ではない。だが、少なくとも数学と英語のように全く関係がない教科ではなく、非常に類似している「要素」であるといえる。
『ロジック・ロック・フェスティバル』において、被害者(灘瀬朝臣)の特徴が「理不尽な質問と悪態」であることは、さきほど引用した文のすぐ後に書かれている。特筆すべきなのは、実際に灘瀬朝臣が生徒に理不尽な質問をしたり、答えられない生徒に悪態をつくような場面が一切登場しないことだ。設定として生徒に恨まれる理由があることを示す以上のものはない。
根も葉もない噂には同情を禁じ得ないけれど、彼を生理的に受け付けない生徒は多そうだ。授業も理不尽な質問を当てるし、答えられない生徒には悪態もつく。
『天帝のはしたなき果実』において、被害者(瀬尾兵太)の特徴が「理不尽な質問と悪態」と断言していいものかは迷う。『ロジック・ロック・フェスティバル』の灘瀬朝臣がただの記号として描かれているのに対し、瀬尾兵太ははるかに血の通ったキャラクターで、特徴として挙げるべき点が複数あるからだ。主人公たちの所属する吹奏楽部のOBであるとか、東京帝大法学部出身であるとか、胸に大きな緑色の宝石を付けているとか、語学の達人であるとか……。
そこで、まずは「理不尽な質問と悪態」に該当しそうな部分を探してみることにする。第一章から瀬尾兵太が生徒に質問するシーンを抜粋したのが以下だ。
「p、って何だ」
「阿呆(ドゥラーク)かお前! 確かにfは『強く』でもいいが、pは『静かに』。(後略)
「あと峰葉、お前は腕立て二セット追加だ――理由は?」
「唇に歌口(マッピ)の跡が付きすぎて興を削ぐな。何でそうなるんだ?」
「それは何でだ?」
(前略)音がボケてる。どうしてだ?」
「舌遣い(タンギング)が柔かすぎたからでしょうか(はふう、想定の範囲内)」
瀬尾兵太が吹奏楽部の録音を聴いて指導する場面である。「理不尽」かどうかは判断が分かれるところだが、「質問」をすることによって生徒にどこがよくなかったのか自ら考えさせるのが瀬尾兵太のやり方のようだ。そして適切な答えを返せなかった生徒には、「阿呆かお前!」と悪態をついている。「悪態」については具体的にその言葉が出てくる箇所がある。
「まずは誰も口論の当事者だって名乗りでてこないからです。瀬尾先生の悪態というか音楽に関しての辛辣かつストレートな要求は今に始まったことじゃありません。誰だって何度もボコボコにされてます」
この発言をした登場人物は瀬尾の言動は「悪態」そのものではなく、「悪態」と表現してもいいような「音楽に関しての辛辣かつストレートな要求」と認識しているようだ。
これまでに記述したとおりメインとなる殺人事件を比較した場合、『ロジック・ロック・フェスティバル』も『天帝のはしたなき果実』も「被害者は、成年男性1人」で間違いない。しかし『ロジック・ロック・フェスティバル』は日常の謎を解く場面がいくつかあったのち、メインとなる密室殺人事件が描かれるのに対し、『天帝のはしたなき果実』は連続殺人事件を扱っている。その被害者は男子生徒、女子生徒、教師(これが「成年男性1人」に当たる)である。つまり、メインとなる事件だけを比較対象にした場合「同一性」に該当するが、比較対象を物語全体に敷衍した場合「同一性」には該当しないことになる。
「クローズドな施設」という表現が、含みを持たせている。ミステリーにおいては「密室」と「クローズド・サークル」というふたつの閉鎖状況がある。『ロジック・ロック・フェスティバル』において描かれるのは密室殺人事件だ。文化祭開催期間中に、密室となった社会科研究室で死体が発見される。
「……密室」
僕らが入ってきたドアは確かに鍵が掛かっていた。もう一方のドアは元よりガムテープでがちがちに封鎖されて閉め切りになっており、出入り口としての役目を完全に放棄させられている。四つある窓全てにしっかり施錠されているのが確認できるし、廊下側の壁の上部・下部にそれぞれ設けられた換気用の小窓もご丁寧に施錠がなされていた。
高校の敷地や建物は文化祭期間中で一般にも広く開放されているので「クローズド・サークル」ではない。しかし、社会科研究室を含む四階は、唯一の階段がふたりのバスケットボール部員によって監視されている。
「はい、そうみたいでした。なのであたし、立ち聞きする気はなかったんですが、会話の内容が耳に入ってしまったんです。彼女たちはこう言ってましたよね、『私たちがいる間にここを通ったのは、会長と副会長、あと実行補佐の四人で全部です』って」
『天帝のはしたなき果実』において、メインとなる首無し殺人事件が起こるのは、アンサンブルコンテスト県大会が行われている姫山市文化会館の第7楽屋である。この第7楽屋には死体発見時に鍵が掛けられていたが、オートロック式で関係者が鍵を持っていたこともあり「密室」とは呼べない。
ここの楽屋はオートロック式で、カードキィを持っていなければ開かない代わりに、内側からは鍵もチェーンも掛けられない珍しい扉になっています(朝のミーティングのとき瀬尾がいいましたね)。
姫山市文化会館は一般に広く開放されている公共施設であるので「クローズド・サークル」ではない。しかし、楽屋を含むエリアは関係者以外立ち入り禁止となっている。
「非公開区域にはリボンないと入れへんし、第7楽屋のドアは専用のカードキィないと入れへんで、念のため。借りたら記録残るし」
鷹松学園も姫山市文化会館も一般に広く開放されている。しかし「クローズドな施設」という含みを持った表現をすれば、どちらの作品も外部との出入りが制限される場所で死体が発見されており、当てはまることになる。
ここから死体発見時の状況になる。『ロジック・ロック・フェスティバル』において、被害者(灘瀬朝臣)の死体を発見するのは、主人公(中村あき)、山手線太郎、鋸りりこ、万亀千鶴、生徒会長(衿井雪)、副会長(成宮鳴海)の6人である。
四階に辿り着くと、そこにはなんと会長までもが参席していた。
「鍵、持ってきてくれたか! 早く、嫌な予感がする」
既に事態も把握しているようだ。
走り寄って僕がポケットから鍵を取り出すと、会長が引っつかむようにしてさっさと鍵穴へ差し込んだ。
かちり、と確かに鍵の外れる音。
社会科研究室の扉が開くと、中から冷気が溢れ出した。エアコンがかけっ放しらしい。何か異様な雰囲気と共に、確かな臭気がその中に感じ取れた。
「うっ……なに、この臭い」
千鶴が鼻を押さえる。
呼び掛けながら室内に足を踏み入れる会長。僕がその後に続いた。
研究室の入り口付近は左手にすぐ壁、そして右手に本棚といった配置である。そのため本棚が途切れたところで、ようやく部屋の全容が見渡せた。
目に飛び込んでくるのは痛いほど鮮かで、残酷な色彩。
一面の赤色。
血の海。
赤の海。
そこに沈む、ぐにゃりとした男の体。
深紅に溺れる、こと切れた灘瀬がそこにいた。
『天帝のはしたなき果実』において、被害者(瀬尾兵太)の死体を発見するのは、主人公(古野まほろ)、峰葉詩織の2人である。
うひゃあ! 前を歩いていた瓶緑色(ボトルグリーン)のブレザー着た集団も飛び上がった。彼女はず、ずいと第7楽屋の前に立つ。「キィは?」
「こちらです」
ピ、と脳天気な電子音とともに若草色(リーフグリーン)のランプが灯る。彼女は目を伏せがちにいった。
「こんどは檸檬、買ってくるのよ。古野君の勝――」
次いで教科書どおりの、深々とした、背筋の伸びた息継ぎ(ブレス)。
「僕の、か?」
彼女の凍てついた顔を、僕は忘れない。陸奥(みちのく)の安達ケ原の姫山に、鬼籠もれりというは真実(まこと)か――
そこには、嵌め殺しの机にもたれ、ドアに背を向ける形で、瀬尾だった物体があった。
肩からうえには、首がなく。
それは、避けられない宿業のようだった。
上記に引用したとおり、『ロジック・ロック・フェスティバル』も『天帝のはしたなき果実』も「発見者が生徒である」ことは間違いない。付け加えるならどちらの作品も「死体の発見者が主人公を含む集団である」と言っていいだろう。また主人公自身が鍵を開けるのではなく、別の人物に促されて主人公が鍵を渡す点も共通点と言える。
ここからは、死体を発見したものの警察へ通報しないという判断をするシーンである。上記ふたつについて引用部分が同じなので同時に検証する。『ロジック・ロック・フェスティバル』において、通報を拒否する生徒は生徒会長(衿井雪)である。その理由は自身が実行委員長として力を注いできた文化祭を最後まで終わらせたいというものである。
その時だった。
会長がすっとみんなを置き去りにするように入り口の方に向かった。そして直後、社会科研究室の扉がぴしゃりと閉じられる音が響いたのだ。
「会長……?」
不審に思い、僕も一度灘瀬の遺体から離れ、一同の輪の方へ戻ることにする。
そこから入り口を見ると、なんと会長は信じられないことに扉を背にしてその場で膝を折り、こちらに向かって土下座をしていたのだ。
それだけではない。とんでもない発議がその口からなされた。
それは誰もが理解に時間を要するほどの突飛な提案だった。
「な、何を言って……」
ようやくどうにかして言葉を発した副会長を遮って、会長は哀願するように続けた。
「分かっているんだ、これは普通の思考じゃない……異常だ、狂ってる……そんな風に思うかもしれない……それでも! それでも私は自らの全てを鷹松祭に注ぎ込んできた……実行委員長として私にはこの祭を完成させる義務がある。それだけは誰にも邪魔させない。じきに一般公開も終わる。そこから簡単な片付けがあって後夜祭、ファイアーストーム、そしてグランドフィナーレ――鷹松祭が終了を迎えるまで残り約三時間、あとたったそれだけなんだ!」会長は喘ぐように息を継いだ。「――今一度、三顧の礼を尽くして懇望する。鷹松祭の終了まで示し合わせて黙っていてはくれないだろうか」
『天帝のはしたなき果実』において、最初に通報を拒否する生徒は主人公(古野まほろ)である。その理由はすでに演奏が終わったアンサンブル・コンテスト県大会の結果が聞きたいというものである。
「差し当たり重要なことは」一馬が厳かに口火を切った。「ひとつしかないわ。通報か沈黙か。それが設問よ(ザットイズザクエスチョン)」
「僕は沈黙派だよ」と僕。
(中略)
「今通報すれば、会場は大混乱、大会どころじゃなくなる。あれだけの演奏ができたのは瀬尾のお陰だし、客観的にもその評価を得るのが供養だと思う」
朝日新聞デジタル:宗教法人「顕正会」に家宅捜索 強引に入信迫った疑い - 社会
日蓮正宗派閥争いで創価学会と激しく対立する武闘派カルト宗教団体「顕正会」がすごい
1974年5月 明治公園から創価学会本部まで3000人のデモ行進
1974年10月 男子部70人が創価文化会館に街宣車で乗り込み乱闘事件が発生し12名が逮捕
2005年 強引な勧誘をしたとして会員2名を逮捕、神奈川県警による家宅捜査
2007年 強引な勧誘をしたとして神奈川県警が本部を家宅捜査
2009年 退会しようとした男性に対する傷害容疑で会員の少年1名を逮捕、新潟県内の2施設を家宅捜査
2013年 警視庁公安部は顕正会を強引な勧誘および暴力行為法違反の疑いで本部(さいたま)や東京都内5施設等を家宅捜査←new!
勧誘されたことあるけど何となくそいつらよりヤバイ雰囲気醸し出してたら向こうから勝手にどいてくれるよ
例えばエホバが来たときは、自分宗教研究してるのですが、宜しければ貴方の宗教について教えて頂けませんか、何なら場所用意しますのでそこで3時間程説教を聞きたいので構いませんか?
って感じで追い返したことはある。相手は教団施設に追い込むと長時間説教専門のおっさんがいるから勝ち目ないけどこちらの土俵に持ち込めば大抵撃退できる。殆どの女はその手の話題に得意じゃないからな。ちなみにエホバは大体女二人でやってるから男だったら襲われても文句言えないぞ?的な雰囲気出してたら向こうからどいてくれるよ
創価も同じ。女の方に物凄い視線浴びせて貴方綺麗ですね、とか今度家に来ませんか?とか別の話題特にナンパ目的を匂わせてたら勝手に話逸らすからそれでも指とか肩(鎖骨辺りまで)触るとかしたらいいよ。何か信心深い人ほど同じ宗教じゃない人に触られると穢れるという迷信持ってるのが多いから効果的だよ。下手したら痴漢扱いされるけど。
ただ二人組で男が一人でもいたらちと難しいので注意。ねらい目は女二人組ないし一人。おばちゃんとかおばあちゃんだった場合は親身に聞いてあげて自分は他宗教に属してるけど、向いの家はまだ宗教とかやってないみたいだから脈あるかもしれませんって勧誘の方向を変えてやるといい。
後名前聞かれるから適当に嘘吐くのもいいけど、俺は正直に言って撃退した。小沢信者の親父がいるので多分エホバさんや創価さんの敵になるかもしれませんよ?って言ったら撃退できた経験があるんで。正直に言わないと意外と後悔するのが日本人だからな。
余談だけど創価とかでファミレス勧誘の人がいたら素直に行って高い物ご馳走になるといい。あんなの布教活動の一環でお上からしっかり交際費貰ってるから気兼ねなく奢ってもらうといい。ついでながら、宗教勧誘で教団施設行きましょって勧誘に対して憲法の信教の自由ってのがあるからそこでは断るのが良いよ。勿論たくさん食べた後ね。勿体ないしな
あんなのに誘われた文化会館とか教団施設に行ったら長時間拘束されるから、やんわり断るのが一番。
俺の時は勧誘相手が同級生の女だったからSEX要求(前払い)したら勧誘して来なくなったよ。男って得だな
よくどっかで見る奇声上げるとか奇人変人の真似するのはあまりオススメしない。
下手したら治療しましょうって話になって結局教団行きになるからな。熊相手でも死体のふりしてたら助かるってことは無くて逆に食われる(死体漁りは熊の習性)だろ?
やるなら俺のやり方を実践するか全速力で逃げろ