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はてなキーワード: 南側とは

2021-09-16

anond:20210915201122

https://tetsudo-ch.com/5182813.html

線路南側赤い鳥居がズラッと20本並んでいるのです。(航空写真で数えられます踏切を渡った北側粟津稲生(あわづいなり)神社という社があって、その参道一畑電車が横切っているのです。鉄道ファンには有名なスポットらしいです。不思議なのは、この鳥居の東400mくらい離れた場所に立派な稲生神社社務所というのがあって、その横には大土神社という社があるのです。

一畑電車ホームページから引用します。

高浜駅から西へ向かうと線路に向かって赤い鳥居が続く参道が現れ参道を横切る形で電車が通過します。「粟津稲生(あわずいなり)神社」という社で、祭神は「倉稲魂神(うかのみたまのかみ)」、「稚彦霊神(わくむすびのかみ)」、「有気持神(うけもちのかみ)」で、伏見稲荷の分霊を祀ったと伝えられている。古くから衣食住の神として、また、治病・厄除けの霊験あらかただとして「粟津稲生」の名で知らています。」”

なかなかコレ!といった写真がないが

https://blog.goo.ne.jp/tibinekosan/e/17b1e41bfa0dfef255618e8dba689598

これの一番下や

https://marousagi.com/ichioshi/awazuinarizinjya-ichioshi

とか。

あと動画がいくつかある模様(未チェック)

2021-08-14

anond:20210814231615

まあ南側に縁側でもあって日射がどかどか入ってくる場合もありうるから。

いまどきのZEHとかだとメーカーのいう畳数だと余裕出まくりじゃないか

2021-08-12

anond:20210812174249

シャチは2体ありますが、オスとメスのつがいになっています。見分け方は、オスは口の開きが少し大きく、メスは開きが小さめ。北側がオス、南側がメスで、「オスが冷たい北風からメスを守っている」と言われています

https://www.tokai-tv.com/newsone/corner/20210308-kinnosyachihoko.html

2021-07-04

anond:20210704081615

利根川水路隅田川に直結していて、街道もない時代の水運主流の時代だと、房総半島南側は、港湾入り口側で物流的に京都に近いので上総となってるね

anond:20210703214918

千葉県上総南側)と下総北側)は…

直線距離だと確かに上総のほうが京都に近いけど、そういう考え方はしない気がするよ

2021-06-06

ニュージーランドラウンドアバウト渋滞生成機でしかない

ニュージーランドに限らず、西洋諸国にはラウンドアバウトという丸い交差点のようなものがある。これは日本でも渋滞解消に役立つのではと一部で試験的に導入されているが、ニュージーランドでは渋滞をより深刻にする装置として特に都市部では評判が悪い。場合によっては一時間以上足止めを食うことすらあり、都市部からはその姿を消し始めている。

とはいえニュージーランドオークランドでは、中央東西南北乱暴区分けをすると、北と東に金持ちが多く住んでおり、西と南は割と貧乏な人が住んでいる、というようになっており、そのため、東と北のラウンドアバウトのほうが先に姿を消しているように見える。

ではなぜこのラウンドアバウト渋滞をより深刻にするのかについて書く前に、これのルールについて軽く書いておく。

ラウンドアバウトに入った車は、必ず時計回りに回らなくてはならない。そのため、右に行く車は270℃回っていかなくてはならない。

そしてこの交通機関においては、右からくる車が優先、というように定められている。

信号はないため、入ってくる車が各々のタイミングラウンドアバウトに進入する。中では何周してもいいようだ。たまにいたずらに3周くらいする車がいて危ない事この上ない。

内部は、すぐに止まれる速度で走ることというルールがあるが、実質有名無実ルールになっており、たまにドリフトで駆け抜ける車もいて非常に危ない。

ニュージーランドに来た日本人の最初の難関はこのラウンドアバウトだ。

車の流れる方向を一旦揃えるこの交通機関がなぜ渋滞を深刻にするのか、だが、これは、この右側優先というルールによる。

要は右側からくる車が途切れないなら永遠に侵入することができない。

そして多くのラウンドアバウトでは、この入り口流量が著しく異なる。仮に東西南北に出口があると仮定する。

東と南からは大量の車がくるが、北と西からほとんどこない。この場合、東からくる車ばかりが侵入でき、南からくる車はなかなか侵入できない。なぜなら、車が北から侵入して東から入る車を止める必要があるからだ。結果南側入口には大渋滞が作られる。

からくる車が入るチャンスは2つある、それは北から南に抜ける車が来たときと、西から南に抜ける車が来たときだ。だが、近年の自動車の性能向上に伴い、車はあっという間に駆け抜けてしまうため、南の車は場合によっては事故覚悟の上と飛び込まざるを得なくなってきている。また、何故かラウンドアバウト中央大木が植わってることも多く、見通しが悪いので、ギリギリまで侵入可否を判断できないことも多い。

ラウンドアバウトが正常に働くには、すべての入口から入る車の流量がある程度バランスしており、かつ、中にいる車がマナーよく交通している場合だけか、ほとんど車がこないときだけだ。その証拠に深刻な渋滞を生み出すラウンドアバウト通勤ラッシュとき以外はそれほどこむことはない。

ラウンドアバウトそれ自体侵入する車たちが呼吸を合わせるという事に依存しており、何故か交通整理の方策を立てることは絶対にしない。信号をつけるだけで渋滞は秒速で解消すると思われるが、ラウンドアバウトか進行付き交差点かの選択肢しかニュージーランドにはないようだ。

日本ではラウンドアバウト渋滞解消に役立てたい名目で導入を考えているようだが、なんてこれが渋滞を解消できると考えたのか理解に苦しむ。

そういうわけで今回はニュージーランド交通マナーの話をする。

ニュージーランドマルチカルチャな国であるがゆえに、様々な国の交通マナーも混在しており、これらが全く調和しない。また、車の整備不良も多い。ニュージーランドでは車検と同等の制度としてWOFというのがあるが、実はこれを受けなくてもその車を運転すること自体違法ではない。事故とき保険が降りなくなるだけだ。なので、整備不良の車がいるとき絶対に近づいてはならない。

一言ニュージーランド交通マナー表現するなら「最悪」ですら足りなく、交通事故の多さもひどい。高速道路を走っている間に数台の救急車とすれ違い、数台のパトカーが追い越していき、路肩に帰宅ラッシュときは最低三回は事故現場を目撃する。

以前ニュージーランドオークランド制限速度を20キロ減らすかという議論があった。高速道路は100キロまで出していいところは80キロに、80キロのところは60キロにすれば事故も減るのではないかという議論だったが、多くの国民は「違う、そこじゃない」という反応だった。

おそらく日本ではマナーとしてやるべきではない運転方法というのが教習所啓蒙されていることもあり、よほどだめな運転手以外はやらないこともニュージーランドでは基本テクニックのように使っており、そしてそれが事故を誘発するが、そのことについて制作決定権を持つ人は誰一人言及していない。

また、若者運転マナーがひどい。

若者はどういうわけか前しか見ない。高速道路で時速100キロで走っている車同士が激突するタイミングでも車線変更をするくらいに安全確認をしないが、周囲に違反者を見たとき容赦なく写真を撮る。意味がわからないのだが、周囲がマナーよく運転すればいいと思っているのかもしれない。このくらいの自己中心な人が少なくない。

さらに、以前から言っているように貧困層の酷いレベルストレス交通状況を更に悪化させる。飛び交う怒号、そこらじゅうに建てられた中指オークランド道路はまさに世紀末状態と言ってもいいかもしれない。そんな中交通マナーの良い日本はいいように道を譲らされていくしかなくなり、彼らもまた内部的なストレスをためることになる。

そういうわけでニュージーランド移住することはおすすめしない。

2021-05-25

近所に住んでる猫缶に不凍液混ぜてるおばさん

念の為ぼかす。

一昨年、近所の庭のある1戸建てに一人暮らしのおばさんが引っ越してきた。

その家は前住居者が離婚して、家族が出ていき、その所有者がリフォームを施し貸家にしたものだ。

日当たりが良く、庭はその家と隣の家の間にあり南側道路に面していたので、日照権を得られなかった私の家族はその家を羨ましがっていた。道路に面した部分はフェンスと門扉で覆われているが、野良猫がそのフェンスをくぐり、その庭の間を通るのを昔はよく見かけた。

独居中年女性存在結構珍しく、母の仲間たちも「未亡人なのかね」「子供が独り立ちしてるのかもね」「ママさんバレー興味あるかな」と引っ越し当初は持ち切りだった。

しかし、あまり周りとのコミュニーケーションを取りたがるような人ではなかったみたいで、周りもソッとしていた。

近所に大きな駐車場があり、そこに結構な数の野良猫がいた。過剰に猫に餌やりをする女がいて、そのせいか野良猫のたまり場になっていて、近所に庭のある家は糞尿の被害にあっていて、夏場の臭いは酷いものだった。

おばさんの家の庭も例外ではなかったのが容易に想像はついた。おばさんは園芸が好きみたいで、庭にはプランターや木の入った鉢など沢山おいてあった。

その横に開封してある猫缶らしきものが置いてあったのが驚いた。庭を荒らされても平気な程、猫が好きなんだろうなと思った。

ある日、珍しくおばさんを庭先で見かけた。おばさんはしゃがみこんで、菜箸で猫缶の中身を混ぜていた。その横に青色の不凍液のボトルが置いてあり、チョビチョビと猫缶に不凍液を混ぜながらかき混ぜているのだ。

ギョッとした俺は、見て見ぬふりを通り過ぎた。

今まで彼女はずっと、野良猫に不凍液を混ぜた猫缶を与え続けていたのだ。

今朝、そういえば最近野良猫全く見なくなったね。と母が言った。去年はふん尿のニオイも無くて良かった。窓を開けて喚起ができたから。そういえば駐車場でも冬場に野良猫1匹も見なかった。保健所に連れていかれたのかもね。車運転する時、誤っていつか踏むんじゃないかと思ってたから、ホッとしたよ。

そんな話をしていた。

俺は猫は好きでも嫌いでもないが、野良猫に餌をやる行為は間違いなく誤りだと思う。動物を飼ったことのある人間ならわかると思うが、餌やり、トイレの世話、健康チェックから看取りまで、全てこなして飼育なのだ

去勢手術も施さず1番楽な餌やりだけやって猫を護った気になれるならそれは独善的すぎるし、なんなら雑食の猫の自活力を奪い、の不幸の連鎖を繋ぐ手助けをする悪魔的な行為だ。手えだすならしまいまでやれと、俺が子供の頃に働いていた湯屋で世話になっていた職人が言っていたのを思い出す。

おばさんが恣意的野良猫を殺したことは、褒められたことではない。しかし、おばさんを責める事は誰ができるんだろうか。地域猫としての処置をされた野良猫なんて1匹も居なかった。

愛護法に動物はみだりに殺してはいけないとあるが、おばさんは自分の家の敷地内に不凍液を混ぜた猫缶を置いていただけだ。近所を歩き回って叩き殺したわけでもなく、猫のいるスポットに毒餌を置いて回っていたわけでもない。「みだり」の定義に反するかは疑問である。猫いらずでねずみを殺す感覚に近いのかもしれない。

愛護法によれば猫の放し飼い虐待にあたるるしい。

俺にはおばさんを責める権利が見当たらなかった。

猫殺しの気味の悪い中年女の行為が、近隣住民QOLの向上につながった事を知っているのは俺だけなんだろうな、と今はもう猫缶が置いてないおばさんの庭先を通り、ふと思った。

2021-05-16

新宗教団体本部を見に行こう

日本には数多の新宗教と呼ばれる宗教存在する。そして大体の宗教聖地を持っている。そんな聖地信者でもない人間が入ってもいいのか?と思ってしまうが開放している宗教はそこそこあるので行ったことがある宗教本部の思い出を辿ってみる

霊友会

 法華系新宗教の先駆けであり数多くの分派を輩出したことで知られる霊友会東京都港区麻布台という都内一等地に「釈迦殿」と呼ばれる巨大な建物保有している。最寄り駅の神谷町駅からとぼとぼ徒歩で行ったが、自分は平日に行ったのでほとんど人が居なかった。巨大な礼拝スペースががらんとしているのはこの世の終わりを感じさせてなかなか楽しいものだった。霊友会には小谷喜美と久保角太郎という二人の教祖的な人物がいるのだけれど歴史紹介コーナー的なところはほとんど小谷恩師小谷恩師と書かれていて久保角太郎の名はあまり見受けられなかった。(霊友会の元会長久保角太郎の息子なのだが、平成に入って分裂騒動があり現在霊友会と袂を分ったためか)

奥の方には食堂もあったが行く前に食事してしまったので食べずに終わった。

立正佼成会

 上に書いた霊友会分派として戦後期に創価学会と並んで肥大化した新宗教である立正佼成会本部杉並区和田にある。方南町駅から北に向かって歩いていくと円柱が多数取り囲んだような形の立正佼成会大聖堂が見えてくる。道を挟んで南側には「吹奏楽の甲子園」と呼ばれた教団所有の普門館があるのだが、自分が行った2019年クリスマスには耐震上の問題から取り壊しが行われていた。

 中に入ると一階には土産物屋があった。教団関連の書籍仏具とともになぜか国旗が売られていたのを妙に覚えている。上の階の展示室では脇祖・長沼妙佼の特集が組まれていた。若いころの開祖庭野日敬写真などもあったがなかなかいい顔立ちだなと感じた。展示を見終えた後、屋上に上がり中野から東京を見たりした。

 昼ぐらいになったので食堂に行った。この日はクリスマスだったのでシフォンケーキが売られていた。仏教系とかあんまり関係ないのね…大聖堂の外にもいろいろあったが博物館的なところは休館だったのでコロナが収まったら行ってみたいと思います

国柱会

 さっきから法華系新宗教ばかりに偏ってる気がするけど次に国柱会説明を。戦前日蓮主義を引っ提げた田中智学国柱会本部江戸川区一之江にある。一之江からバスで行くもの最初はどこが入り口かわからずぐるっと回りを一周してしまった。やっとこさ入口らしき道を見つけたが、教団が経営する老人ホーム本部の中にあって驚いた。老人ホームの道を進んでいくと国柱会本部が見えてくる。ただまあそんなにデカ建物ではなかったのですけどね。道の端々にいろんな石碑が残っていたけどあんまり記憶にない。本部の中も恐る恐る入った。術師みたいな恰好の人が居た位しか覚えてないですね。本部の中のパンフは教団関係のやつもあれば右派的な主張のものもあった。そこは戦前からの流れがまだ生き残ってるんだなあ…と思った。

霊波之光

 いままでは東京都内だったが今度は千葉県野田市にある霊波之光本部へ。東武野田線運河駅を降り東京理科大学を横目に歩いていく。途中で信者らしき人々がすれ違いざまに挨拶をしてくる。霊波之光教義挨拶を重視してるようでまあ返さないと申し訳ないな…という感じで返事をする。

 入り口についたころはちょうど正午で礼拝タイムだったのでそれを眺めてから境内にINする。入り口記念撮影ができるようだが内部では写真撮影禁止しかった。休日であったこともあり先に述べた三つの本部よりも人が多かった。とりあえず腹ごしらえに一部オタク認知されているドムドムバーガーの生き残りの店で昼食を食べた。お好み焼きバーガーって炭水化物ばっかじゃん!!!

 施設内のことで覚えてることが花が多いとか焼き物が飾ってあったとかその程度しかない…教団について知らなかったので資料館的なところも見たかったけど休館だった悲しみ。

金光教

 中国地方18きっぷ旅行した時にせっかくだからと行ってみた金光教本部はその名もズバリ金光駅から歩いて行った。

 本部までの道にある店が軒並み金光教マークの提灯を掲げていたのは流石宗教都市だな…と思ったりしました。本部に入ったけど手水鉢とかもあって割と神社に近い感じでしたね、教派神道ですから

 歩き回ろうと思ったけど信者の方々が掃除奉仕活動的なことをしてたからなんか申し訳なくなってそそくさと退出してしまいました。帰りに買った金光教マーク入りのまんじゅうはなかなかおいしかったです。

…と、ここまで駄文を垂れ流してきたわけですが、見に行ける新宗教施設は割とあるように思います。ただ、そこにいる信者の皆さんに失礼とならないようなふるまいは必要となってきますあくまアウトサイダーなのですから

あと、創価学会でおなじみの信濃町なんかは行ったけれど学会本部は厳重に守られてます土産物屋で三色グッズを買うくらいしかできないからあまり面白くはなかったですね。

今後もいろいろな新宗教施設を訪ね歩きたいと思います天理とかまだ行ってないですからいずれコロナが収まったら行きたいですね…!

 

 

2021-05-13

ホワイトハウス周辺で謎の音波攻撃疑惑が浮上。国防総省CIA捜査

ハバナ症候群」がホワイトハウス周辺でも発生

https://karapaia.com/archives/52301763.html

2016年以降、在キューバ米国およびカナダ大使館職員在中アメリカ領事館職員が次々と体の不調を訴えた。この謎の症状は「ハバナ症候群」と呼ばれており、中国大使館でも同様の症状が報告されている。患者検査からは、脳に構造的な変化が生じていることまで確認された。

原因は音響攻撃によるものと推測されているが、真偽のほどは定かでない。

CNNによると、その怪事件が今回、アメリカ政治の中枢でも発生してしまったようだ。1件は、ホワイトハウス南側にある公園「ザ・エリプス」で発生。国家安全保障会議関係者が気分の悪さを訴えた。

もう1件は、ワシントンのすぐ隣、バージニア州郊外で発生。犬の散歩をしていたホワイトハウス職員からハバナ症候群に似た症状が報告されたという。

2021-04-25

anond:20210425034206

コロナ初期に顕在化したけどさ

23区民の民度って都心寄り西側(港、新宿渋谷)が最悪

その次が西/南側郊外(世田谷杉並大田)、北側郊外(練馬、北)、東側郊外区(荒川足立江東葛飾江戸川)、都心寄り東側(中央千代田、文京、台東)と続く

ハイソ感とかじゃなく、他人の指示を聞くかどうかのランキング

2021-04-24

コロナ初期に顕在化したけどさ

23区民の民度って都心寄り西側(港、新宿渋谷)が最悪

その次が西/南側郊外(世田谷杉並大田)、北側郊外(練馬、北)、東側郊外区(荒川足立江東葛飾江戸川)、都心寄り東側(中央千代田、文京、台東)と続く

ハイソ感とかじゃなく、他人の指示を聞くかどうかのランキング

2021-04-17

anond:20210417180853

だけど、一方で、台湾沖のシーレーン中国が扼することで日本海路が阻まれたら

日本石油オーストラリア南側回りで輸入するか中国の顔色を窺い続ける必要が出てしま

「扼する」なんて表現を使ってかっこつけてるけど、台湾沖を通れなくなっても輸送費が少し増えるだけなので大したことない。

アメリカから太平洋経由で輸入できるのだからなおさら

本当に深刻なのは中国太平洋の西半分を支配するようになったとき

中国間抜け過ぎない?

中国にとって台湾統合したいというのは至上命題というか最重要戦略だとは思う。

だけど、一方で、台湾沖のシーレーン中国が扼することで日本海路が阻まれたら

日本石油オーストラリア南側回りで輸入するか中国の顔色を窺い続ける必要が出てしま

石油輸送費の増大は物価ガソリン代に影響して、深刻な問題になるのは予想できる。

輸出入品は何も石油に限らないし輸出入先はシーレーン上の各国で西アジアだけではない。

から日本米国にとっては、台湾沖を敵とみなした国が掌握する事は許せない。

関係諸国は、そういう共通認識を持っているはずだし、中国台湾統合したいなら

日本尖閣諸島問題などで刺激する事は、百害あって一利なしだったと思うんだよな。

しろ日本安心させて味方に付けて、中国台湾沖を握っても被害はないよと安心させて、

出来れば日米離間し日中という枠組みを作るべきだった。

だけど、日米離間どころか、長年にわたって歴史問題や、靖国参拝尖閣諸島問題日本を刺激し続けたので

今や日本人の8割以上は中国は敵、アメリカに頼るしかないという認識を持つに至った。

敵にシーレーンを握られれば終わりと恐怖を持たせてしまった。この現状変更には50年はかかるだろう。

日米が組むことになればファイブアイズはもちろん日米側、QUADも日米側、勝ち馬に乗りたがってEUが加われば

中国には三跪九叩頭が待ってるだけだ。そして実際に、もうそうなった。日米による台湾防衛宣言がなされてしまった。

間抜けだよなぁ。100年の大計ってものがなかったのかな?

すっごく不思議なんだけど、歴史を後から見ると、間抜け判断連続になる時期がある、そんなものではあるよね。

JR乗車拒否問題、「スロープがあっても階段を使いたい」は正義

まだまだ話題が続く伊是名夏子さんの「JR乗車拒否問題

色々考えていて、やっぱりこの件は

階段スロープが併設されているところで「階段を登りたいから手を貸せ」と言った

という案件だと思うのです。

若干今更感はありますが、思うところを書きました。

1.今回の件は「普通日常生活で遭遇した不便」ではない

私もバリアフリーのものに反対しているわけではありません。

例えばスーパーの出入り口から段差をなくすとか、日々の生活に密着した施策はどんどん推進していった方がいいと思います

ただ、「一応お客さんの出入りもできるようになっている」程度の裏口にまでそれを要求するのは正当なのか?とは思ってしまうわけです。

翻って今回の件ですが、SNSメディア等で色々議論はあるものの、個人的に腑に落ちないのは「なぜ熱海駅ではだめだったのか」ということです。

駅員に「熱海駅まででもいいですか?」と聞かれて断ったということは分かっていますが、その前段階、旅行計画を立てている時に、伊是名さんは「熱海駅ではなく来宮駅を選んだ」はずなのです。

旅行計画する時、特に目的地がある場合は、普通そこのホームページを見たり周辺の観光案内を調べたりしますよね。

目的地までのルートを調べない人はいないと思います

伊是名さんも当然調べたと思います

調べるのはとても簡単で、来宮神社ホームページにもありますし、来宮神社を紹介する観光サイト個人ブログを見てもいいと思います

そしてそのほとんどに来宮駅熱海駅からアクセスが書いてあるので、調べていて熱海駅からルートに触れなかったとは考えられないのです。

まり伊是名さんは「熱海駅ではなく来宮駅を選んだ」ということです。

もし熱海駅からルートを知らなかったのであれば、来宮神社から来宮駅だと思ったということなんでしょうか。

それは幕張メッセに行くのに調べないで幕張駅を使うような愚行なので、初めて行く場所でそんなことはしないと思います

(初めだったのかは分かりませんが、そうでなかったら余計問題なのでおいておきます。)

来宮神社まで、来宮駅からは400m、熱海駅からは1.6kmです。

ではなぜ、伊是名さんは熱海駅ではなく来宮駅を選んだのでしょうか。

単純に近いから。

かにそれはメリットです。

ただ、伊是名さんにとっては単純な距離よりも重要な要素がありますよね。

そう、電動車椅子での移動のしやすさです。

この点で来宮駅熱海駅の差は調べるまでもありません。

熱海駅は市の名前が付いているくらいですから利用客も多く、バリアフリー設備も充実しています

駅の利用は問題ないでしょうし、車椅子でも利用可能バスタクシーの手配もしやすいはずです。

一方で来宮駅は、少なくとも伊是名さんにとっては「調べても分からなかった」レベルです。

普通に考えて、この時点で熱海駅を選びませんか?

そして、熱海駅から来宮神社に行くことを考えたら、熱海駅から交通手段を調べますよね?

そうすれば今回のトラブルは起こらなかったんです。

(万一熱海駅が大きな駅だと知らなかったとしても、来宮駅を調べて熱海駅を調べないのは理屈に合いません。)

そのため、今回の件は「避けられたトラブル」と言うよりも、「ドラブルの起こりそうな方を選んだ」という印象が拭えないわけです。

意図的トラブルを起こすのは、誰がやっても問題行動です。

2.健常者でも熱海駅からの方が便利なのでは?

ところで、来宮駅来宮神社は徒歩5分程度と言われていますが、実は難所があります

来宮駅の駅舎は線路南側にあり、来宮神社北側にあるんですね。

そのため最短ルートを通るには来宮暗渠という短いトンネルを通るのですが、そこの歩道が細く、ガードレールもあるため車椅子では通れないのではないかというほど狭いのです。

伊是名さんはブログ特に触れていませんでしたが、果たして歩道を通れたのでしょうか、それとも車に待ってもらって車道を通ったのでしょうか…。

最短ルートを通らない場合は、1.5kmほどアップダウンが激しく歩道が狭い道を歩くことになります

時速2kmで45分かかるわけですから結構負担になるはずです。

伊是名さんは旅行先の条件として「移動距離が少ない」をあげていましたが、これは少ない範囲なのでしょうか。

来宮駅来宮神社間のルートは知っていれば迷う道理がないのですが、トンネルにある小さい看板を見逃して通り過ぎてしまうと熱海駅に行ってしまます(途中でおかしいと気付くかもしれませんが)。

一方、熱海駅からだとバスタクシー神社の目の前まで連れて行ってくれます

数百円でも節約したいとか、迷うのも旅の醍醐味だという人であればともかく、そうでなければ健常者でも熱海駅から行った方が間違いがありません。

安全ルートがあるのなら、そっちの方がよくないですか?

健常者であればスマホ地図を見ながら行けばいい、というのもあるんですが、車椅子利用者は「道はあるけど通れない」という事態に出くわした経験が少なからずあると思うんですよね。

電車なら駅員に相談すればいいですが、旅先の道路でそうなった場合リスク考慮するものではないのかなと思います

障がい者が気にせず外出できるのが理想だ」というのはその通りですが、現実リスク無視するのは違うと思うのです。

また真偽不明ですが、伊是名さんは来宮駅で降りた後、西にある熱海梅園に行ってから来宮神社に行ったと説明している人を見ました。

こちらの説であれば来宮暗渠を通っていないのは理解できるんですが、するとなおのこと、熱海駅から行かなかったのが不思議なんですよね。

来宮駅から熱海梅園は約600m。

しか来宮神社までの迂回ルートと同じ悪路です。

対して熱海駅からバスタクシーを使うと、熱海梅園の目の前まで連れて行ってくれます

車椅子での移動を減らしたいのであればバスタクシーを使うのが合理的です。

そもそも、最短ルートで直接来宮神社に行かないのであれば最寄り駅というメリットがなくなるため、来宮駅で降りる必要がないんですよね。

そこまでして熱海梅園まで歩きたかったのでしょうか?

3.「何を言ったのか」と「誰が言ったのか」の問題

紛糾しているのは、結局これだと思います

伊是名さんの言いたいことは「バリアフリーもっと浸透させてほしい」で、それ自体は正当だと思います

ただ、どう考えてもやり方はまずかった。

旅の計画段階で「合理的」な判断をしていれば起こらなかった問題なんですから、そこをフックにしてしまうと主張そのもの疑問視されてしまます

から、今起こっている事は「誰が言おうが正しいことは正しいのだ」と「言ってることは正しいがお前が言うな」の戦いなんですよね。

熱海市市議会では駅のエレベーター設置の議論が何年も続いており、その結果4つある無人駅のうち2つにエレベーターが設置されたそうですが、今回の論争、本当に必要でしたか

4.まとめ

要するに、熱海駅からバスを使えば来宮神社前ないし熱海梅園前まで行けるという「スロープ」があり、それは見えていたんです。

しかバリアフリー対応状況が分からない来宮駅という「階段」を伊是名さんは望んだ。

それがバリアフリー推進のためにあえてやったことなら、私は「言ってることは正しいがお前が言うな」と言います

もし素で準備不足の旅行だったのなら、社会常識を身に付けて下さいと言います

社会課題を世に問う目的であれは問題行動も有りだという考え方の先にあるのは、アメリカのBLM運動で起こった商店打ちこわしと略奪ですよ。

さすがにそんなものを認めるわけにはいきません。

スロープを作るために階段が狭くなるとか、遠回りになるとか、サービス料金が高くなるとか、そういったことは我慢しますよ。

からスロープがある時はスロープを使ってほしいな、と思うわけです。

2021-03-22

又三郎

風の又三郎

宮沢賢治


どっどど どどうど どどうど どどう

青いくるみも吹きとばせ

すっぱいかりんも吹きとばせ

どっどど どどうど どどうど どどう

 谷川の岸に小さな学校がありました。

 教室はたった一つでしたが生徒は三年生がないだけで、あとは一年から六年までみんなありました。運動場もテニスコートのくらいでしたが、すぐうしろは栗くりの木のあるきれいな草の山でしたし、運動場のすみにはごぼごぼつめたい水を噴ふく岩穴もあったのです。

 さわやかな九月一日の朝でした。青ぞらで風がどうと鳴り、日光運動場いっぱいでした。黒い雪袴ゆきばかまをはいた二人の一年の子がどてをまわって運動場にはいって来て、まだほかにだれも来ていないのを見て、「ほう、おら一等だぞ。一等だぞ。」とかわるがわる叫びながら大よろこびで門をはいって来たのでしたが、ちょっと教室の中を見ますと、二人ふたりともまるでびっくりして棒立ちになり、それから顔を見合わせてぶるぶるふるえましたが、ひとりはとうとう泣き出してしまいました。というわけは、そのしんとした朝の教室なかにどこから来たのか、まるで顔も知らないおかしな赤い髪の子供がひとり、いちばん前の机にちゃんとすわっていたのです。そしてその机といったらまったくこの泣いた子の自分の机だったのです。

 もひとりの子ももう半分泣きかけていましたが、それでもむりやり目をりんと張って、そっちのほうをにらめていましたら、ちょうどそのとき川上から

「ちょうはあ かぐり ちょうはあ かぐり。」と高く叫ぶ声がして、それからまるで大きなからすのように、嘉助かすけがかばんをかかえてわらって運動場へかけて来ました。と思ったらすぐそのあとから太郎さたろうだの耕助こうすけだのどやどややってきました。

「なして泣いでら、うなかもたのが。」嘉助が泣かないこどもの肩をつかまえて言いました。するとその子もわあと泣いてしまいました。おかしいとおもってみんながあたりを見ると、教室の中にあの赤毛おかしな子がすまして、しゃんとすわっているのが目につきました。

 みんなはしんとなってしまいました。だんだんみんな女の子たちも集まって来ましたが、だれもなんとも言えませんでした。

 赤毛の子どもはいっこうこわがるふうもなくやっぱりちゃんとすわって、じっと黒板を見ています。すると六年生の一郎いちろうが来ました。一郎はまるでおとなのようにゆっくり大またにやってきて、みんなを見て、

「何なにした。」とききました。

 みんなははじめてがやがや声をたててその教室の中の変な子を指さしました。一郎はしばらくそっちを見ていましたが、やがて鞄かばんをしっかりかかえて、さっさと窓の下へ行きました。

 みんなもすっかり元気になってついて行きました。

「だれだ、時間にならないに教室はいってるのは。」一郎は窓へはいのぼって教室の中へ顔をつき出して言いました。

「お天気のいい時教室はいってるづど先生にうんとしからえるぞ。」窓の下の耕助が言いました。

しからえでもおら知らないよ。」嘉助が言いました。

「早ぐ出はって来こ、出はって来。」一郎が言いました。けれどもそのこどもはきょろきょろ室へやの中やみんなのほうを見るばかりで、やっぱりちゃんとひざに手をおいて腰掛けにすわっていました。

 ぜんたいその形からが実におかしいのでした。変てこなねずみいろのだぶだぶの上着を着て、白い半ずぼんをはいて、それに赤い革かわの半靴はんぐつをはいていたのです。

 それに顔といったらまるで熟したりんごのよう、ことに目はまん丸でまっくろなのでした。いっこう言葉が通じないようなので一郎も全く困ってしまいました。

あいづは外国人だな。」

学校はいるのだな。」みんなはがやがやがやがや言いました。ところが五年生の嘉助がいきなり、

「ああ三年生さはいるのだ。」と叫びましたので、

「ああそうだ。」と小さいこどもらは思いましたが、一郎はだまってくびをまげました。

 変なこどもはやはりきょろきょろこっちを見るだけ、きちんと腰掛けています

 そのとき風がどうと吹いて来て教室ガラス戸はみんながたがた鳴り、学校のうしろの山の萱かやや栗くりの木はみんな変に青じろくなってゆれ、教室のなかのこどもはなんだかにやっとわらってすこしうごいたようでした。

 すると嘉助がすぐ叫びました。

「ああわかった。あいつは風の又三郎またさぶろうだぞ。」

 そうだっとみんなもおもったときにわかにうしろのほうで五郎が、

「わあ、痛いぢゃあ。」と叫びました。

 みんなそっちへ振り向きますと、五郎が耕助に足のゆびをふまれて、まるでおこって耕助をなぐりつけていたのです。すると耕助もおこって、

「わあ、われ悪くてでひと撲はだいだなあ。」と言ってまた五郎をなぐろうとしました。

 五郎はまるで顔じゅう涙だらけにして耕助に組み付こうとしました。そこで一郎が間へはいって嘉助が耕助を押えてしまいました。

「わあい、けんかするなったら、先生ちゃん職員室に来てらぞ。」と一郎が言いながらまた教室のほうを見ましたら、一郎はにわかにまるでぽかんとしてしまいました。

 たったいままで教室にいたあの変な子が影もかたちもないのです。みんなもまるでせっかく友だちになった子うまが遠くへやられたよう、せっかく捕とった山雀やまがらに逃げられたように思いました。

 風がまたどうと吹いて来て窓ガラスをがたがた言わせ、うしろの山の萱かやをだんだん上流のほうへ青じろく波だてて行きました。

「わあ、うなだけんかしたんだがら又三郎いなぐなったな。」嘉助がおこって言いました。

 みんなもほんとうにそう思いました。五郎はじつに申しわけないと思って、足の痛いのも忘れてしょんぼり肩をすぼめて立ったのです。

「やっぱりあいつは風の又三郎だったな。」

二百十日で来たのだな。」

「靴くつはいでだたぞ。」

「服も着でだたぞ。」

「髪赤くておかしやづだったな。」

「ありゃありゃ、又三郎おれの机の上さ石かけ乗せでったぞ。」二年生の子が言いました。見るとその子の机の上にはきたない石かけが乗っていたのです。

「そうだ、ありゃ。あそごのガラスもぶっかしたぞ。」

「そだないでああいづあ休み前に嘉助石ぶっつけだのだな。」

「わあい。そだないであ。」と言っていたとき、これはまたなんというわけでしょう。先生玄関から出て来たのです。先生はぴかぴか光る呼び子を右手にもって、もう集まれのしたくをしているのでしたが、そのすぐうしろから、さっきの赤い髪の子が、まるで権現ごんげんさまの尾おっぱ持ちのようにすまし込んで、白いシャッポかぶって、先生についてすぱすぱとあるいて来たのです。

 みんなはしいんとなってしまいました。やっと一郎が「先生お早うございます。」と言いましたのでみんなもついて、

先生お早うございます。」と言っただけでした。

「みなさん。お早う。どなたも元気ですね。では並んで。」先生は呼び子をビルルと吹きました。それはすぐ谷の向こうの山へひびいてまたビルルルと低く戻もどってきました。

 すっかりやすみの前のとおりだとみんなが思いながら六年生は一人、五年生は七人、四年生は六人、一二年生は十二人、組ごとに一列に縦にならびました。

 二年は八人、一年生は四人前へならえをしてならんだのです。

 するとその間あのおかしな子は、何かおかしいのかおもしろいのか奥歯で横っちょに舌をかむようにして、じろじろみんなを見ながら先生のうしろに立っていたのです。すると先生は、高田たかださんこっちへおはいりなさいと言いながら五年生の列のところへ連れて行って、丈たけを嘉助とくらべてから嘉助とそのうしろのきよの間へ立たせました。

 みんなはふりかえってじっとそれを見ていました。

 先生はまた玄関の前に戻って、

「前へならえ。」と号令をかけました。

 みんなはもう一ぺん前へならえをしてすっかり列をつくりましたが、じつはあの変な子がどういうふうにしているのか見たくて、かわるがわるそっちをふりむいたり横目でにらんだりしたのでした。するとその子ちゃんと前へならえでもなんでも知ってるらしく平気で両腕を前へ出して、指さきを嘉助のせなかへやっと届くくらいにしていたものですから、嘉助はなんだかせなかがかゆく、くすぐったいというふうにもじもじしていました。

「直れ。」先生がまた号令をかけました。

一年から順に前へおい。」そこで一年生はあるき出し、まもなく二年生もあるき出してみんなの前をぐるっと通って、右手下駄箱げたばこのある入り口はいって行きました。四年生があるき出すとさっきの子も嘉助のあとへついて大威張りであるいて行きました。前へ行った子もときどきふりかえって見、あとの者もじっと見ていたのです。

 まもなくみんなははきもの下駄箱げたばこに入れて教室はいって、ちょうど外へならんだときのように組ごとに一列に机にすわりました。さっきの子もすまし込んで嘉助のうしろにすわりました。ところがもう大さわぎです。

「わあ、おらの机さ石かけはいってるぞ。」

「わあ、おらの机代わってるぞ。」

「キッコ、キッコ、うな通信簿持って来たが。おら忘れで来たぢゃあ。」

「わあい、さの、木ペン借せ、木ペン借せったら。」

「わあがない。ひとの雑記帳とってって。」

 そのとき先生はいって来ましたのでみんなもさわぎながらとにかく立ちあがり、一郎がいちばんしろで、

「礼。」と言いました。

 みんなはおじぎをする間はちょっとしんとなりましたが、それからまたがやがやがやがや言いました。

「しずかに、みなさん。しずかにするのです。」先生が言いました。

「しっ、悦治えつじ、やがましったら、嘉助え、喜きっこう。わあい。」と一郎がいちばんしろからまりさわぐものを一人ずつしかりました。

 みんなはしんとなりました。

 先生が言いました。

「みなさん、長い夏のお休みおもしろかったですね。みなさんは朝から水泳ぎもできたし、林の中で鷹たかにも負けないくらい高く叫んだり、またにいさんの草刈りについて上うえの野原へ行ったりしたでしょう。けれどももうきのうで休みは終わりました。これからは第二学期で秋です。むかしから秋はいちばんからだもこころもひきしまって、勉強のできる時だといってあるのです。ですから、みなさんもきょうからまたいっしょにしっかり勉強しましょう。それからこのお休みの間にみなさんのお友だちが一人ふえました。それはそこにいる高田さんです。そのかたのおとうさんはこんど会社のご用で上の野原の入り口へおいでになっていられるのです。高田さんはいままでは北海道学校におられたのですが、きょうからみなさんのお友だちになるのですから、みなさんは学校勉強ときも、また栗拾くりひろいや魚さかなとりに行くときも、高田さんをさそうようにしなければなりません。わかりましたか。わかった人は手をあげてごらんなさい。」

 すぐみんなは手をあげました。その高田とよばれた子も勢いよく手をあげましたので、ちょっと先生はわらいましたが、すぐ、

「わかりましたね、ではよし。」と言いましたので、みんなは火の消えたように一ぺんに手をおろしました。

 ところが嘉助がすぐ、

先生。」といってまた手をあげました。

はい。」先生は嘉助を指さしました。

高田さん名はなんて言うべな。」

高田三郎さぶろうさんです。」

「わあ、うまい、そりゃ、やっぱり又三郎だな。」嘉助はまるで手をたたいて机の中で踊るようにしましたので、大きなほうの子どもらはどっと笑いましたが、下の子どもらは何かこわいというふうにしいんとして三郎のほうを見ていたのです。

 先生はまた言いました。

「きょうはみなさんは通信簿宿題をもってくるのでしたね。持って来た人は机の上へ出してください。私がいま集めに行きますから。」

 みんなはばたばた鞄かばんをあけたりふろしきをといたりして、通信簿宿題を机の上に出しました。そして先生一年生のほうから順にそれを集めはじめました。そのときみんなはぎょっとしました。というわけはみんなのうしろのところにいつか一人の大人おとなが立っていたのです。その人は白いだぶだぶの麻服を着て黒いてかてかしたはんけちをネクタイの代わりに首に巻いて、手には白い扇をもって軽くじぶんの顔を扇あおぎながら少し笑ってみんなを見おろしていたのです。さあみんなはだんだんしいんとなって、まるで堅くなってしまいました。

 ところが先生別にその人を気にかけるふうもなく、順々に通信簿を集めて三郎の席まで行きますと、三郎は通信簿宿題帳もないかわりに両手をにぎりこぶしにして二つ机の上にのせていたのです。先生はだまってそこを通りすぎ、みんなのを集めてしまうとそれを両手でそろえながらまた教壇に戻りました。

「では宿題帳はこの次の土曜日に直して渡しまから、きょう持って来なかった人は、あしたきっと忘れないで持って来てください。それは悦治さんと勇治ゆうじさんと良作りょうさくさんとですね。ではきょうはここまでです。あしたかちゃんといつものとおりのしたくをしておいでなさい。それから四年生と六年生の人は、先生といっしょに教室のお掃除そうじをしましょう。ではここまで。」

 一郎が気をつけ、と言いみんなは一ぺんに立ちました。うしろ大人おとなも扇を下にさげて立ちました。

「礼。」先生もみんなも礼をしました。うしろ大人も軽く頭を下げました。それからずうっと下の組の子どもらは一目散に教室を飛び出しましたが、四年生の子どもらはまだもじもじしていました。

 すると三郎はさっきのだぶだぶの白い服の人のところへ行きました。先生も教壇をおりてその人のところへ行きました。

「いやどうもご苦労さまでございます。」その大人はていねいに先生に礼をしました。

「じきみんなとお友だちになりますから。」先生も礼を返しながら言いました。

「何ぶんどうかよろしくねがいいたします。それでは。」その人はまたていねいに礼をして目で三郎に合図すると、自分玄関のほうへまわって外へ出て待っていますと、三郎はみんなの見ている中を目をりんとはってだまって昇降口から出て行って追いつき、二人は運動場を通って川下のほうへ歩いて行きました。

 運動場を出るときの子はこっちをふりむいて、じっと学校やみんなのほうをにらむようにすると、またすたすた白服の大人おとなについて歩いて行きました。

先生、あの人は高田さんのとうさんですか。」一郎が箒ほうきをもちながら先生にききました。

「そうです。」

「なんの用で来たべ。」

「上の野原の入り口モリブデンという鉱石ができるので、それをだんだん掘るようにするためだそうです。」

「どこらあだりだべな。」

「私もまだよくわかりませんが、いつもみなさんが馬をつれて行くみちから、少し川下へ寄ったほうなようです。」

モリブデン何にするべな。」

「それは鉄とまぜたり、薬をつくったりするのだそうです。」

「そだら又三郎も掘るべが。」嘉助が言いました。

又三郎だない。高田三郎だぢゃ。」佐太郎が言いました。

又三郎又三郎だ。」嘉助が顔をまっ赤かにしてがん張りました。

「嘉助、うなも残ってらば掃除そうじしてすけろ。」一郎が言いました。

「わあい。やんたぢゃ。きょう四年生ど六年生だな。」

 嘉助は大急ぎで教室をはねだして逃げてしまいました。

 風がまた吹いて来て窓ガラスはまたがたがた鳴り、ぞうきんを入れたバケツにも小さな黒い波をたてました。

 次の日一郎はあのおかし子供が、きょうからほんとうに学校へ来て本を読んだりするかどうか早く見たいような気がして、いつもより早く嘉助をさそいました。ところが嘉助のほうは一郎よりもっとそう考えていたと見えて、とうにごはんもたべ、ふろしきに包んだ本ももって家の前へ出て一郎を待っていたのでした。二人は途中もいろいろその子のことを話しながら学校へ来ました。すると運動場には小さな子供らがもう七八人集まっていて、棒かくしをしていましたが、その子はまだ来ていませんでした。またきのうのように教室の中にいるのかと思って中をのぞいて見ましたが、教室の中はしいんとしてだれもいず、黒板の上にはきのう掃除ときぞうきんでふいた跡がかわいてぼんやり白い縞しまになっていました。

「きのうのやつまだ来てないな。」一郎が言いました。

「うん。」嘉助も言ってそこらを見まわしました。

 一郎はそこで鉄棒の下へ行って、じゃみ上がりというやり方で、無理やりに鉄棒の上にのぼり両腕をだんだん寄せて右の腕木に行くと、そこへ腰掛けてきのう三郎の行ったほうをじっと見おろして待っていました。谷川はそっちのほうへきらきら光ってながれて行き、その下の山の上のほうでは風も吹いているらしく、ときどき萱かやが白く波立っていました。

 嘉助もやっぱりその柱の下でじっとそっちを見て待っていました。ところが二人はそんなに長く待つこともありませんでした。それは突然三郎がその下手のみちから灰いろの鞄かばんを右手にかかえて走るようにして出て来たのです。

「来たぞ。」と一郎が思わず下にいる嘉助へ叫ぼうとしていますと、早くも三郎はどてをぐるっとまわって、どんどん正門をはいって来ると、

お早う。」とはっきり言いました。みんなはいっしょにそっちをふり向きましたが、一人も返事をしたものがありませんでした。

 それは返事をしないのではなくて、みんなは先生はいつでも「お早うございます。」というように習っていたのですが、お互いに「お早う。」なんて言ったことがなかったのに三郎にそう言われても、一郎や嘉助はあんまりにわかで、また勢いがいいのでとうとう臆おくしてしまって一郎も嘉助も口の中でお早うというかわりに、もにゃもにゃっと言ってしまったのでした。

 ところが三郎のほうはべつだんそれを苦にするふうもなく、二三歩また前へ進むとじっと立って、そのまっ黒な目でぐるっと運動場じゅうを見まわしました。そしてしばらくだれか遊ぶ相手がないかさがしているようでした。けれどもみんなきょろきょろ三郎のほうはみていても、やはり忙しそうに棒かくしをしたり三郎のほうへ行くものがありませんでした。三郎はちょっと具合が悪いようにそこにつっ立っていましたが、また運動場をもう一度見まわしました。

 それからぜんたいこの運動場は何間なんげんあるかというように、正門から玄関まで大またに歩数を数えながら歩きはじめました。一郎は急いで鉄棒をはねおりて嘉助とならんで、息をこらしてそれを見ていました。

 そのうち三郎は向こうの玄関の前まで行ってしまうと、こっちへ向いてしばらく暗算をするように少し首をまげて立っていました。

 みんなはやはりきろきろそっちを見ています。三郎は少し困ったように両手をうしろへ組むと向こう側の土手のほうへ職員室の前を通って歩きだしました。

 その時風がざあっと吹いて来て土手の草はざわざわ波になり、運動場のまん中でさあっと塵ちりがあがり、それが玄関の前まで行くと、きりきりとまわって小さなつむじ風になって、黄いろな塵は瓶びんをさかさまにしたような形になって屋根より高くのぼりました。

 すると嘉助が突然高く言いました。

「そうだ。やっぱりあい又三郎だぞ。あいづ何かするときっと風吹いてくるぞ。」

「うん。」一郎はどうだかわからないと思いながらもだまってそっちを見ていました。三郎はそんなことにはかまわず土手のほうへやはりすたすた歩いて行きます

 そのとき先生がいつものように呼び子をもって玄関を出て来たのです。

お早うございます。」小さな子どもらはみんな集まりました。

お早う。」先生はちらっと運動場を見まわしてから、「ではならんで。」と言いながらビルルッと笛を吹きました。

 みんなは集まってきてきのうのとおりきちんとならびました。三郎もきのう言われた所へちゃんと立っています

 先生はお日さまがまっ正面なのですこしまぶしそうにしながら号令をだんだんかけて、とうとうみんなは昇降口から教室はいりました。そして礼がすむと先生は、

「ではみなさんきょうから勉強をはじめましょう。みなさんはちゃんとお道具をもってきましたね。では一年生(と二年生)の人はお習字のお手本と硯すずりと紙を出して、二年生と四年生の人は算術帳と雑記帳と鉛筆を出して、五年生と六年生の人は国語の本を出してください。」

 さあするとあっちでもこっちでも大さわぎがはじまりました。中にも三郎のすぐ横の四年生の机の佐太郎が、いきなり手をのばして二年生のかよの鉛筆ひらりととってしまったのです。かよは佐太郎の妹でした。するとかよは、

「うわあ、兄あいな、木ペン取とてわかんないな。」と言いながら取り返そうとしますと佐太郎が、

「わあ、こいつおれのだなあ。」と言いながら鉛筆をふところの中へ入れて、あとはシナ人がおじぎするときのように両手を袖そでへ入れて、机へぴったり胸をくっつけました。するとかよは立って来て、

「兄あいな、兄なの木ペンはきのう小屋でなくしてしまったけなあ。よこせったら。」と言いながら一生けん命とり返そうとしましたが、どうしてももう佐太郎は机にくっついた大きな蟹かに化石みたいになっているので、とうとうかよは立ったまま口を大きくまげて泣きだしそうになりました。

 すると三郎は国語の本をちゃんと机にのせて困ったようにしてこれを見ていましたが、かよがとうとうぼろぼろ涙をこぼしたのを見ると、だまって右手に持っていた半分ばかりになった鉛筆を佐太郎の目の前の机に置きました。

 すると佐太郎はにわかに元気になって、むっくり起き上がりました。そして、

「くれる?」と三郎にききました。三郎はちょっとまごついたようでしたが覚悟したように、「うん。」と言いました。すると佐太郎はいきなりわらい出してふところの鉛筆をかよの小さな赤い手に持たせました。

 先生は向こうで一年の子の硯すずりに水をついでやったりしていましたし、嘉助は三郎の前ですから知りませんでしたが、一郎はこれをいちばんしろちゃんと見ていました。そしてまるでなんと言ったらいいかからない、変な気持ちがして歯をきりきり言わせました。

「では二年生のひとはお休みの前にならった引き算をもう一ぺん習ってみましょう。これを勘定してごらんなさい。」先生は黒板に25-12=の数式と書きました。二年生のこどもらはみんな一生

2021-03-08

anond:20210308171439

だいたい毎日いつも行っている夢の世界のどこかで夢を見る感じです。

私は北海道の小さな街の生まれで、例えばそこを天塩中川だとしましょう。

中川町の自宅付近もっとも夢に見る場所です。自宅内や庭先、自分の部屋(床についている夢が多い)、町内会くらいの規模で夢の街を思い起こすことができます

だいたい、自宅付近不安な夢になる場合が多いです。時間に間に合わなかったり、課題をしなければならないのに家に戻らなければならなかったり。

小学校にいる夢が一番頻度が多く、ついで中学校高校と続きます

空間的には、中川町には南側に「佐久」という小さな集落があるのですが、ここもよく夢に出ます

自動車で行く場合大きな橋を渡ると交通に便利なのですが(裏道あり)、この橋が渡りにくかったり、河川敷で何かしなければならなかったりして結構大変です。

天塩中川町の北方には、幌延とか豊富とか小さな街があり、最後稚内に行きます。近隣の天塩町含めて、全部夢の中で訪れることがあります

南方には音威子府村があり、美深、智恵文、名寄風連、多寄、士別、剣淵、和寒旭川にたどり着けます

それぞれ夢の街があり、特定の入れる家がある感じです。水族館みたいになっている家や、お土産が売っている家、誰もいない家。

美深のあたりで天塩川を渡らねばならないのですが、たまに橋がないことがあり、難儀することがあります

他にも特定の沢や川が記憶にあるようで、よくそこで作業をしたり、洪水や増水の被害にあったりします。ダムもよく夢に出てきます朱鞠内湖とか。

歩きで移動するので、一回の夢で例えば旭川から天塩中川まではたどり着けたことは多分ないと思います。車を用いても手前の音威子府あたりが限界です。

おそらく、親が自営業旭川稚内までよく車で一緒に乗って行っていたのが記憶にあるのだと思います

高校旭川だったので、旭川の夢もよくみますショッピングモールとか。

大学札幌で、駅の周辺がよく夢に出ます。ただ、配置はかなりランダムで、変なところにカプセルホテルがあり、馴染みの居酒屋も変な場所にあります。夢の中ではいつも同じ場所です。

札幌はだいたい時間帯は夜、季節は冬の場合が多いです。

大学生の頃の冬に、すすきので飲んだ後ずっと歩いて家まで帰った記憶関係しているのかもしれません。

札幌から東の方に車で行くと、空港があります新千歳空港なのでしょうか?

チェックインを済ませて飛行機に乗ると、東京ハワイに行けます

東京からは親戚のいる伊豆半島に行けます

旭川就職して10年以上経ちます

最近ようやく、自分マンションとその界隈が夢に出てくるようになりました。

子供の頃のメインだった場所の夢と比べて、不安な要素はかなり抑えられていますパンお菓子を買いに行こうなどの夢です。

もちろんここから実家に帰るパターンもあります。たどり着いたことありませんけれど。

夢の中では小学校からすら帰れません。色々な事情で寄り道が発生し、途中の公園までが限界です。

最近は、札幌旭川マンションを両方借りたままになっていて家賃が大変な夢だったり、前の彼女と今の彼女と知り合いの女性と全員同時に交際していることになっており(大変!)、これはまずい、ととても不安になって朝目覚めて安堵することが多いです。

明日の朝目覚める直前に見る夢も、きっとこのどこかでの出来事になる(と私が認識しているだけなのかもしれないのですが)と思います

2021-02-23

駅ビルが欲しい

首都圏にいくつかあるマイナー鉄道駅の一つ、西武池袋線元加治駅。今どき駅前コンビニがない。

昔はあったらしいが、近所の高校生万引き被害が多く、閉店していらい復活していないそうだ。

駅は入間市飯能市にまたがり、駅舎所在地入間市。無投票当選した市長は「元加治駅南口の開設」と、

飯能市にある「トーベ・ヤンソンあけぼの子どもの森公園」の観光地化を公約の一つに挙げている。市長就任後に知った。

そう、この駅は北口しかなく、駅南側あけぼの公園に向かうには北口から降りて線路をぐるりと回る必要がある。

検索したら、この駅周辺の開発に強力に反対する市民がいるそうだ。

以前の藤沢駅辻堂駅問題であり、新駅設置が決まった村岡新駅への反対にも通じる。

駅が2市にまたがって開発が進まないというも、横浜市鎌倉市押し付けあった大船駅周辺の開発と同じ。

大船駅横浜市側に新たに乗り降りする笠間口を作って、ようやく形になった。

転居したから昨日まで知らなかったけれど、大船駅前の商業施設が完成し、今年2月23日から順次オープンする。

藤沢市は、工場撤退後、辻堂駅前を開発したおかげで、毎年転入者が増えている。

その成功を見て横浜市鎌倉市はようやく腰を上げ、開発を加速させつつある。

入間市も、隣接する所沢市内各地の再開発の進展を見て、未着手の市西側に目をつけた。

30年もかけず、できるだけ早期に改札口を設置し、保育所学習教室を核テナントとした駅ビルを誘致するべきだと訴えたいので、ここに書いた。

そもそも新宿藤沢辻堂)間、新宿入間市元加治)間、日中の所要時間はほぼ同じ。直線距離ならむしろ埼玉のほうが近い。

電車速度が遅いためで、西武線小田急線見習い特急(有料)・快速急行急行各駅停車に再編してもらいたい。スピードアップも図ってほしい。

大人気の藤沢、対して、落ち目横須賀入間ほか。市が既存住民忖度し、新たな街づくり放棄たからだ。

リモートワークでプチ田舎にほど近い郊外に住むなら(津波地震リスクノーカウント)、現状、藤沢大船間がベスト湘南の海はすばらしい。

その湘南エリア入間ICからETC2.0割引適用で片道2050円新湘南バイパス 藤沢IC)、最短54分で着くらしい。

神奈川東京市部・埼玉南部まで合併すれば、海なし県は「海あり県」になる。車移動1時間なんて、地方では通常行動の範囲では?

藤沢市人口2021年1月1日現在)は43.7万人で、前月に比べて増加。どの自治体も手本にするべき。

2021-02-16

anond:20210216153753

なるほど、色々問題があっての判断なんだなあ

そういえば千葉南側海域豊富レアアースが、なんて話もあった気がする、うろ覚えだけど

本当にそうなら過疎ってる館山とか賑わったりしてなwと思ったりもしたんだが、

その後の話を聞かないんだよなあ

千葉田舎新興住宅地はもうゴーストタウン化してる

バブルの頃は賑わってたのに

2021-01-25

大阪市内で家が買えない

そろそろ家を買おうと思って調べてたけど大阪市内って断層が多すぎてどこもかしこも最低震度5だと知って詰んでる


上町断層系 西側震度6 それ以外震度7

生駒断層系 西側震度5 それ以外震度6

有馬高槻構造系 北側一部震度6 南側震度4 それ以外震度5

中央構造線 東淀川平野の縦ライン震度6 それ以外震度5

南海トラフ 全部震度6


西側がマシかと思いきや西側液状化がかなり起きやすいらしい。


大阪市内の人どうやって家決めてんの?

壊れる前提で地震保証を高くしてるとか???

買えないと言うか住むのも怖いわ

2021-01-24

初めて一人暮らしするから教えてほしい

現在



教えてほしいこと



本当に実家暮らしの箱入りで無知なので何でも教えてほしいです。

2020-12-10

anond:20201210001100

神はつぎに足立区を作った。

直後に、「やべっ」と言って川で隔てた。

その南側に千人の善き人びとが住み着いた。

これが北千住である

2020-09-08

秋田県出身者が総理大臣になること

今回の総裁選では菅さん勝利ほぼほぼ確定しているけど、皆菅さん総理大臣になることの大きな意味をまだわかっていない。

菅さん秋田県雄勝郡雄勝町まれである

雄勝郡とは秋田県南側奥羽山脈のふもとに広がっている農村地帯であり、まあ一言で言えば陸の孤島である

鉄道ファンにとっては、山形新幹線新庄秋田新幹線大曲の間に取り残された在来線区間沿い、と言えば分かりやすいだろうか。

日本近現代史を調べてみると、秋田県という場所は常に貧乏クジを引かされ続けてきた経緯がある。

戊辰戦争時には新政府に寝返ったにもかかわらず、明治時代以降は太平洋側の宮城岩手と比べて冷遇され続けた。

そして未だに仙台から裏切り者」呼ばわりされている。

国道4号線や東北自動車道JR東北本線東北新幹線は全部、福島宮城岩手太平洋側を通っていて、秋田山形は「裏東北」として無視され続けてきた。

つの間にか秋田県自殺者数日本ワースト高齢化日本ワーストネットでも秋田人の陰湿さは常に批判され続けている。

同じ東北地方なのに、仙台駅前の大都会風景と比べると、秋田駅前はシャッター商店街になっているんだよね。

このように衰退一直線の秋田県だけど、ここにきてまさか秋田県出身者の総理大臣誕生である

東北地方出身者の総理大臣は今まで2名いたけど、どちらも岩手出身者だった。

原敬平民宰相と呼ばれ、鈴木善幸東北地方のインフラ整備に尽力したが、菅さんはどんな実績を残すのだろうか。

はっきり言って、今回の菅さんは本当に幸運だったと思う。

岸田さんでは選挙の顔になれないし、石破さんはチー牛顔で総理に向いてないし、敵失の面もあるが菅さんにとっては7年間頑張って来たおかげで「東北地方の日本海側」初の首相になれることを喜びたい。

2020-08-18

和泉山脈が全てメガソーラーになる日

https://twitter.com/sukinisitemokei/status/1294097810787188737

この件が話題になっていたので和歌山市で起きているメガソーラー事業の数々について少し。

このままいくと冗談抜きで和泉山脈南側が全てメガソーラーになってしまう。ちなみに和泉山脈以外の山は全て風力発電所になる。

https://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/032000/taiyokojorei/gaiyo.html

実はこの縦覧中にもヤバい事業結構あるので、それも含めて書いておく。

和歌山平井太陽光発電事業計画

中身を読んだら審議会意見書がかなり慎重なのが理解できると思う。というのも、隣接地にも同様のメガソーラー計画別にある。

http://www.succeed-in.com/gk-wakayama/

この隣接地の件については更に裁判沙汰にもなっているのだが、和歌山県と市がやたらと強硬に反対している。

https://www.wakayamashimpo.co.jp/2019/09/20190904_88979.html

この手の土木工事が大好きな和歌山県と市にしては不審にも思えるが、この辺り一帯は90年代和歌山イトマン事件といっていいフォレストティ問題の予定地だった苦い記憶があるのだろう。

フォレストティ問題とは

住宅地なのかゴルフ場だのリゾート開発だとかよくわかんない開発計画だったのだが、開発会社の和興開発は前田社長逮捕され、紀陽銀行山口頭取以下の幹部たちが億単位リベートを受け取ったのがバレて、県の企画部長自分土地相場の数倍で買い取らせて国土法違反罰金刑。ちなみに数百億円が使途不明闇社会行き。

フォレスト事件が発覚し騒ぎになったのが1995年なのだが、2年後の1997年になると事態が急変する。

なんと驚き県知事西口勇は紀陽銀行からいくら貰ったか知らないが、このデタラメな開発計画許可したのである。この西口グリーンダイヤモンド構想とか紀泉100万都市構想とか意味からないことブチ上げてた本物のバカなので仕方ない。

当然こんな計画が上手くいくはずもなく開発計画書を作った東急建設がこの事業から撤退、和興開発は破産し、フォレストティ計画は消えた。地元政界はどっかから流れた金を掴んでいたので共産党以外みんな推進派で、最終的にはうやむやに。

ちなみにネットにもリアルにも情報ほとんど残っていない。全国メディアが扱うには小さすぎ、県内メディアが扱うには大きすぎた。

根来開拓パイロット

さら東側岩出市山地区には根来開拓パイロット跡地にメガソーラーが完成している。

そもそも開拓パイロット事業というのは農業やるから国の土地払い下げてやるよって話だったのに、この根来開拓パイロットはじきに耕作放棄され、地元眠る土地となった。

しか岩出市曰く「開拓パイロット事業で一度農地にしたんだから環境も何も関係ないし、その後は何やってもセーフ」ということらしく、突如として太陽光パネルを敷き詰めたのである

Google航空写真ではまだだけど、実際には既に完成している。

メガソーラー和歌山西庄発電事業

この事業ふじと台と和歌山カントリーを挟んで西側にあるバブル期宅地開発で削った山をメガソーラーとして再利用しようという計画

https://wbs.co.jp/news/2019/09/06/137724.html

ここがフォレスト跡地と違うのは、既に宅地開発しようと造成済みだということ。県条例がなければ余裕で完成していた。ギリギリ致命傷でセーフだった。

コスモパーク加太

ここのヒドさはメガソーラー関係しなので知りたい人はGoogle検索

なんか島精機会長だったかが、ここに人工スキー場を作るとか息巻いていたという話を聞いたことがある。できたのはトマト農園で、しかも既に潰れた。

仮谷と西口地元ゼネコンから毎年数千万円のお年玉をもらっていたという話が有名なのでお察しください。逮捕されなかった理由もお察しください。

海南・紀美野・紀の川風力発電事業

https://mainichi.jp/articles/20191010/ddl/k30/010/312000c

太陽光だけではなく風力発電もとんでもないことになっている。

県立自然公園のはずの生石高原周辺や、ハイキングコースとして知られる深山渓谷、たくさんの蛍がいる貴志川流域の山という山に超巨大風車バカスカ建てるという計画

土砂が流出して蛍が全滅しようが知ったことではないらしいこの計画は、全部作ると深山渓谷から鏡石山辺りまで全ての山という山に人類が未だかつて作ったこともないような超巨大風車がやってくることになるらしい。

ちなみに紀南は既に手遅れになりつつある。

あのさ、いったいぜんたい和歌山が何したっていうんだ?

温室効果ガス減れば和歌山はどうなってもいいんですか???

これでいいなら原発でもよくないですか??????

全くバズらなかった第一回はこち

https://anond.hatelabo.jp/20200313214124

2020-08-10

anond:20200810204826

東京南側住んでるけどそんな遅延しない。

北側になるとそんな遅延すんの?

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