「自律的」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 自律的とは

2022-03-25

anond:20220325180646

(続き)たとえは不適切だったけど日常経験の中では確かに仮説の仮説を重ねてるというものはあるわけで…。

そういう可能性がある。それならある人はこうする可能性が高い。そのときあいつは前もそうだったしああするだろう、みたいな…。

もちろんどんな憶測も許されるような井戸端会議じゃなくてテレビ政治専門家政治家の今後を発言するみたいなときね。

別に5cnの議論の態度が間違ってるとはいわない。

そうじゃなくて逆に仮説に仮説を重ねていい境界はなんだろうってこと。

どういうときは仮説に仮説を重ねていいのか自律的判断できるようになりたいというか、周りを見て判断するという今の段階から一歩抜け出したい。

あれ、昨日はもうちょっと言いたいことに肉薄していた気の利いた文が思い浮かんでたはずなんだけど…今書いてることを読み返してもほとんどしっくり来ないわ。

だめもとで吐き出してるという感じだけどまあ仕方がない。

一回の判断につき数分の猶予しかないようなリアルタイム環境が変化するサバイバルの状況ではむしろ「仮説に仮説を重ねる」よりはもうちょっと蓋然性の高い意思決定法を無意識のうちのとってるような気はする。

熊が迫っているからと4mの崖から飛び降りても「骨折で済み死ななくても『不思議ではない』」ということで崖と飛び降りしまうことは軽率であり、あまりとられない選択だろう

もうちょっと証明されているような熊の生態を利用した危機回避行動を咄嗟にとるんじゃないか?(正面向きながら後ろは崖なのでかにさん歩きするみたいな)

議論ときある意味生存するために仮説に仮説を重ねるという本当のサバイバルとは異なることをしちゃうんだな

議論ルール学問と離れたサバイバルにおけるような世俗的な感覚とそこまでずれたものでもない気がするっていうか

2022-02-16

風呂に入るコツある?

精神を病んで無職になって一年経った。

食欲や睡眠はぼちぼち、強烈な希死念慮はほぼなくなったが毎日ぼんやりと過ごしている。

風呂に入れない。

2週間に一度の通院の時にだけシャワーを浴びる。

汚れているので入念に洗う。

この時以外は外出できない。

ほんとは食料品の買い出しとかしなきゃだけど、お風呂に入らない汚い状態で人と会えないか我慢している。

それくらいお風呂に入る気力がない。

人と接するのは平気なので、外で会う人は私がこんな生活をしているとはつゆほども思うまい

社畜ときは毎朝入浴してたけど、よくできたなと思う。

人生のうち病んでいる期間のほうが病んでない期間より長く、お風呂が辛い記憶しかない。

というか日常生活と呼ばれるものの大半が辛いんだよね。

2週間も自律的にお風呂に入れないのはさすがに困るので、なにかコツや経験談などあったら知りたいな。

2022-02-04

AIトレースしたものさらトレースしたら?

AI自律的に生成した芸術作品などは、「人間意思」が介在していないので、著作権では保護されないそうな。

すると、AIに有名なイラスト写真トレース (線画化) させて、多少のアレンジを加えたもの著作物にはならないから、それを人間トレースして自分作品とするのは、著作権法上アリなのかな。

だとしたら、無感情に有名作品トレースを作り続けるAIと、それを無感情投稿し続けるSNSボットを組み合わせることで、「有名作品そっくりな、自由トレースしてよいイラスト」が大量に作れるのかな。

そしたら、誰がパクった、パクられたなんて争いもなくなって、みんなハッピーだね!

追記特許庁の関連団体の「特許研究」という雑誌に、そういう事態考察する論文があった。

2022-01-22

[] 『ハウス・オブ・グッチ

見終わったら隣の席から緑のクマぬいぐるみ)が出てきて「なお、この映画はベクデルテストパスしない」って言ってた・・・

冒頭に掲げられた「INSPIRED BY TRUE STORY」がdisclaimerとして機能しているように、しょうがないんだけど、スカッとしないんだよね。

いや、わかるのよ。わかる。悪の凡庸さ、罪の矮小さを通じて人間を描こうとしている。あるいは描かれている。

自律的暴走していく欲望に躓き、尻つぼみにみじめな終局を迎えるキャラクターたち。

だけれども、私がみたいのはガガ姉さんが悪のカリスマを演じるピカレスクロマンなのですよ。

フィクションであればもっと吹っ切れた魅力を表現できた可能性がある筈なのに、そうはならない。

(緑のクマ氏であれば、男性キャラクター女性キャラクターの違いが作劇にどう影響しているか歴史的文脈を踏まえて考察してくれるかもしれない)

ジャレッド・レトジョーカースーサイドスクワッド、エイズ患者ダラスバイヤークラブクラブメンバーエンジェルファイトクラブ)演じるパオロにあてがう「記号としてのダサファッションセンス」を作り上げた美術絶妙

日本ドラマ視聴者を信用していないから大げさに説明しすぎるっていう批判を時々見かけるけど、父グッチ(ロドルフォ)ジェレミー・アイアンズの”病人メイク”はやりすぎの「コントかな?」って思った。

2022-01-17

自動運転現実的運用

車に自律的運転させるってのは絶対無理だよな

地面に何かしら操作サポートになるもの取り付けて、その上を走るみたいな形が現実的運用だろ

公道とか運転もっともっと先で、倉庫系の企業がモノを移動させるのに使用されるのが精一杯って感じ

2022-01-15

anond:20220114133403

文学部のせいにするな。つーかほとんどの就活生は学校勉強内容と仕事内容一致してないよ(実は理系結構そう)。

きちんと勉強してきたってのは立派な強みなので、それをきちんとアピールする練習をするだけでいいよ。所詮就活なんてテクニックなので、対策講座で見てもらって型を付ければOK

この期に及んでバイトとか資格かいらない。

というか文学部ちゃんとやってたってむしろかなりの強みだと思うよ。

自律的資料を読み込んで要約してアウトプットできるって、社会人として一生使えるスキル。どの業界でも必要人材。(いい年してもこれができない社会人、世の中にめちゃくちゃいるのだ。)

増田は実力がないわけじゃなく自己肯定感が低いだけだと思うので、余計なことは考えずにコツコツ就活をこなしていけばいいと思うよ。

2021-12-12

anond:20211212224642

高度に自律的な万能データ処理AI

この言葉がふわっとしすぎて意味不明なんですけどわかります

anond:20211212223258

君が何を「自意識」って言っているのかわからないけど、要するに「画像分類」もできるし「テキスト分類」もできるし...みたいに沢山のタスクを解かせるわけ。言語モデルではないのでテキスト限定ではなく、幅広いタスクを事前学習させる。

で、「ファインチュニングすればいろんなタスク適用できます」みたいなのができるわけだけど、それは単に「沢山の種類のタスクが解ける」というだけの話であって、「意識を持っている」「自律的に動く」という話ではない。

anond:20211212222444

高度に自律的な万能データ処理AIはIITの見地から言えば自意識持ってると見なせるだろ

2021-12-08

anond:20211208021922

男でロリコンだけど、身体に興味があるだけで精神的に未成熟なのは普通に嫌だぞ。支配下に置いて手取り足取り管理するとか面倒臭すぎるでしょ。勝手自律的にうまくやって欲しい。

(もちろん手は出してないよ念の為

2021-11-04

AI グレーゾーン戦争

楽しみ

 

2030 未来への分岐点 (5)「AI戦争 果てなき恐怖」

NHK

BS1スペシャル

11/4 木19:00〜20:50

 

いま世界紛争地では、人間判断を介さず自律的に敵を攻撃するAI兵器が戦力になり始めている。大国AI兵器運用を本格的に開始する2030年、世界はどこに向かうのか。脅威の一つとされるのが「グレーゾーン戦争」だ。従来のように武力行使することなく、サイバー攻撃などさまざまな手段相手国の機能をマヒさせ、支配下におくというのだ。しかし、規制する明確なルールはまだない。森七菜が見た未来戦争の恐怖。

https://tv.yahoo.co.jp/program/92122483

https://www.nhk.jp/p/special/ts/2NY2QQLPM3/blog/bl/pneAjJR3gn/bp/pODBZw34z8/

2021-10-27

anond:20211027102848

この批判は正しいが、微妙に的を外している。

まず当然、オタク醜悪に描くことを忌避するのは「普段みなさんが嫌ってるポリティカル・コレクトネス」ではない。

ツイートが、橋本宗洋が、ポリティカル・コレクトネス基準を全く理解していないことを端的に表している、という認識はあっている。

ただそれはポリティカル・コレクトネス支持者たちの反応を見てから初めて分かるものではない。

なぜなら、そもそもポリティカル・コレクトネス基準においては、「悪」醜悪に描くことは、政治的に正しいからだ。

オタク行為「悪」であることを、行為によってだけではなく、その描き方でも表現することにより、無知大衆でも直感「悪」を判定できるようにする。

これはポリティカル・コレクトネス基準において正しい。

行為の良し悪しは無知大衆には容易には判定できない。その基準言語化できない。その訓練を受けていないかである

から、作者があらかじめ「善」「悪」を判定しておき、それが直感的に、生理的理解できるように表現を工夫しておく。

それが「正しい描写である

もちろん、「悪」でないもの、例えば特定人種性的マイノリティ醜悪に描くことは明確にポリティカル・コレクトネス違反である。当たり前だ。

だが、間違っているのは、「悪」でないものを「間違って」醜悪に描くことであり、「悪」であるオタク醜悪に描くことは当然正しい。

醜悪に描いているかポリコレ違反、なんていうのは、全くの勘違い、何ひとつ理解していない証左だ。

冤罪は悪だから犯罪者逮捕するのも悪だ、というレベルの全くの誤謬である


橋本宗洋およびその賛同者は言語的な訓練を受けておらず、認識能力の欠如した無知大衆側の人間からポリティカル・コレクトネス運用基準理解できていない。

ただし、醜悪に描かれたものに反応する生理的な性能はあるからポリティカル・コレクトネスを用いれば、彼らのような大衆も動員することが出来る。

オタク何が悪いかを理解していなくてもオタクを叩くことは出来る。

なぜなら醜悪に描かれているからだ。

これこそがポリティカル・コレクトネス真骨頂だ。

から、彼らの反応はポリティカル・コレクトネス運用者の意図通りの行動をしているにすぎない。

ゆえに橋本宗洋たちの言説そのもの批判してもあまり意味はない。

それすらもポリティカル・コレクトネスという装置の内側での、想定通りの挙動である

彼らは、いくら批判されても、醜悪批判者が向かってくるから、我々は正しいという認識を深めるばかりであろう。

以上より、彼がサブカルのノリを引きずっていて、真なるポリティカル・コレクトネス理解していない、という推論はありえない。

しろ、彼はポリティカル・コレクトネスを全く理解しないまま、その正当な実行者として振る舞っているにすぎない。



彼らがオタクをいじり、馬鹿にし、気味悪がるのはポリティカル・コレクトネス違反ではない。

しろ、それにより、ポリティカル・コレクトネス体現者となることができる。

それは彼らが理屈を全く理解していないこととは関係ない。

真なる信仰者は、聖書を読めなくても、神学論理構造理解しなくても、その行いの聖性によって信仰を示すことが出来る。

ポリティカル・コレクトネス構造も全く同じだ。

政治的正しさ大衆に埋め込み、自律的に正しさを執行させるための装置、それがポリティカル・コレクトネスなのである

批判するとしたら、この構造自体批判しないと意味がない。

2021-10-23

anond:20211023212513

俳優アイドル動画投稿者を消費することの幸せを保っているから、そういう環境に行けばキモおじ扱いされるだろうけど

ぼくは結婚を迫られない環境自律的に作ることで、「現代的なライフスタイルの人(笑)」くらいになろうと努力しているよ

2021-10-19

anond:20211019101455

建築基準法規定によると通路の幅として

 

エスカレーター:110cm以下

公共階段:120cm以上

 

公共階段に関しては2人が同時に昇降する場合を想定されている。

まり、ある程度の人数が昇降する階段においては120cm以上あることが、

安全必要とされているわけです。

 

エスカレーター自律的に昇降する階段として見ると、明らかに狭すぎる。

2021-09-30

府のガイドラインになぜ「人格を持った多様な姿」という文言が入ったか

追記はじめ】

air77et1980 "俺らの方が先進であるとすら言える"くっさ。きっも。こういうアホな文言さえなければ国語増田さんっぽい書き味なんだけどなぁ。一応、リストに加えとくか

これを書いたのはid:greenTだ。国語増田ではない

俺はくさくてきもいのはご存知の通りで別に言われたって気にはしないが

国語増田も言われて平気かはわからんから一応名乗った

から名乗るのは卑怯臭いんで気乗りはしないんだけど

 

おまけ : これは俺は書いてない

anond:20210930213742

追記おわり】

 

はじめに

anond:20210930030457

人格を持った多様な姿」じゃないと駄目ってどういうこと?

かにこの文は違和感ある。ガイド内に散々登場してるいらすとやアイコンには多様な人格なんて感じないのに

急に萌え絵にだけこんな要求をつけるのだから

 

こんな文言が入ってしまった原因を紐解くために、ラディカルフミニズムの用語性的モノ化」について調べたので今回書いてみる

おそらくこの理論が半端に入ってしまたことが今回の問題の原因だ

 

性的モノ化とは

sexual objectification訳語性的対象化、性的客体化とも訳す

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%A7%E7%9A%84%E5%AF%BE%E8%B1%A1%E5%8C%96

 

性的じゃないモノ化も当然あって、上記wikiでは「企業従業員を交換可能機械として扱う」ことなども事例に上がっている

マッキノン・ドウォーキンなどラディカルフミニズムの提唱者にとって、ポルノがなぜ悪いかというと不道徳・風紀を損なうからではなく

価値が肉体の魅力などのパーツに還元されてしまうことにあるとした

スバウヌがこれを具体化して、下のような例を上げている

1.道具性 : ある対象をある目的のための手段あるいは道具として使う。

2.自律性の否定 : その対象自律であること、自己決定能力を持つことを否定する。

3.不活性 : 対象自発的行為者性(agency)や能動性(activity)を認めない。

4.代替可能性 : (a)同じタイプの別のもの、あるいは(b)別のタイプのもの、と交換可能であるとみなす

5.毀損許容性 : 対象境界をもった(身体的・心理的統一性(boundary-integrity)を持たないものとみなし、したがって壊したり、侵入してもよいものとみなす

6.所有可能性 : 他者によってなんらかのしかたで所有され、売買されうるものとみなす

7.主観否定 : 対象主観的な経験感情配慮する必要がないと考える。

この理論ガイドライン「人格を持った多様な姿」という文の根底にあると考えられる

要はモノのように交換可能なパーツとして魅力を描くのでなく、被写体しか得られない魅力を表現してほしいと言っているのだ

 

女性アイキャッチに使うなと言う要望もこの理論から派生していて

実際は広告にはアイキャッチ自体は不可欠で(そうじゃなきゃみんなに見てはもらえないでしょう)

アイキャッチの内容に人格無視したモノとしての価値しかないところが問題になっている

それゆえ、スポーツ選手などの有名人スポーツしている姿などはアイキャッチにしても問題ない

 

それはイラストにも適用されるのか

この理論本来人格を持った対象モデルになった絵や写真人格剥奪する行為には適用できるけど

から創造された絵にはそもそも剥奪する人格がないんだから適用できなさそうに思える

実際、いらすとやの絵には元々の人格がないし、それが代替可能だったり主観否定されたりしても問題はなさそうだ

 

では、なぜ萌え絵だけ問題視するんだろうか

実は今回の問題はさっきまで議論していた性的モノ化とは別の議論で、

本来メディア効果みたいなのが根底にある

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E5%8A%B9%E6%9E%9C%E8%AB%96

府のガイドラインは萌え絵以外はずっとこれのことを言っていて、メディアに男女不平等描写が盛りこまれていると

人々も釣られて男女不平等な行動をしてしまうのでよくない、という事を言っている

 

じゃあ素直に萌え絵禁止の条文にも「ふしだらで不道徳な姿を描写してはいけない」とか書けばよかったんだろうけど

男女不平等と違ってふしだら・不道徳はなぜそれが悪なのか理論立てが不明瞭なんで

しょうがなく既存理論で構築に問題がなさそうな性的モノ化の理論を元に注意書きを付随させたんだろう

ただこの理論非実在キャラには使えないのだが、そこはあまり考えてなかったんではないか

 

俺らはどうしたらいいの?

とはいえ中の人がいるVTuberみたいに人格が備わっている存在場合いらすとやの絵や文字だけのロゴのように人格のないものと扱うわけにもいかない

男女共同参画ちゃんみたいに元々人格がない存在にも人格見出ししまうのが俺らオタの習性

https://togetter.com/li/1781336

 

であれば、そもそも最初議論に戻って「あくまで俺らはアイキャッチになった事物を交換可能なパーツとは考えていない」と表明し続けるのが正面突破の道だと思う

例えば宇崎ちゃん献血ポスター乳袋さえあれば顔やセリフは別のもの差し替えても効果は変わらなかっただろうか

そんなことはなく、あれは宇崎ちゃんからファンが注目したんだ

 

碧志摩メグキズナアイも戸定梨香も、それぞれ背景があってそのキャラは他とは交換できない魅力があるという声が多くなれば

モノ化されたアイキャッチだという批判効果はなくなるだろう

 

また、隠された動機である「ふしだら・不道徳ではないか」という異議立てに関しては

それを隠した理由をもって堂々と反対を主張すればよいと思う

すなわち、「人をふしだらと断定するのは失礼なのではないか」という反論

この反論を避けたいためにガイドラインでは性的モノ化の理論を持ってきたと思われる

 

道徳不道徳という価値判断は旧来からある価値観を保存しようという動きであり

本来男女共同参画という旧来の価値観を是正する方向の運動とは相性の悪いものである

特にバ美肉男の娘など、肉体の性別から自由になった存在に至っては

「男は男らしく、女は女らしく」という旧来の価値観を揺がすものであるはずなので、俺らの方が先進であるとすら言える

2021-09-29

anond:20210929102030

経済的正論故に貧困者の救済が起きるし、選挙でも勝ち得るんだ。

くだらない見たこともない性的マイノリティーなんざにうつつを抜かしても絶対勝てん。

何より財政出動金融緩和をしても、その後消費税を上げてて叩き落とす未来が見える。経済自律的に動かしていくためには経済をこうすれば整えられると訴え、そして勝つことが必要だ。

それから2012年アベノミクスで、人手不足倒産がチラホラ起き始めてただろ。消費税増税をしなければ、賃金上昇や待遇上昇の波は貧困層にも届いていた。

最悪のシナリオとやらも、産業が衰退して外貨が稼げなくなる未来だというのを認識しないとならない。財政破綻ハイパーインフレだろ?どちらも外貨を稼げなくなり外貨借金漬けになった国の話だ。

その上で自民党だとまた消費税増税で叩き落とす未来が見える。そこで、貯め込む場所から税を回収して、一方で設備研究投資については減税して、経済を良くすることが求められる。野党側が消費税増税だと経済を叩き落とす、取るなら所得税法人税金融所得だと訴えてこそ消費税増税による墜落を防げる。

野党が強く言ってこそ、自民党消費税増税を躊躇する。河野がだいぶ消費税増税だとか緊縮のトーンを落としたようにな。

2021-09-08

anond:20210908093944

自律的意思決定のできる主体じゃない」なら、さっさとあのグレタとか黙らせろって話なんだよなあw

anond:20210908014530

言うと思うよ。

実際、子供なら「麻薬を売られた」と言うべき状況はあり得ると思うし。

あの人たちの認識では、自分らは自律的意思決定のできる主体じゃないんでしょ。

2021-08-30

スマホ断ちする方法教えろ

この土日スマホしか触ってない

いろいろやりたいことあったのに後悔しかない

この後悔をスマホ断ちする糧にしたい

ネットで「スマホ断ち 方法」で検索したけどスマホを鍵付きケースの中に入れるとかスクリーンタイム確認するとかの方法しかヒットしなかった

なんというか…恒久的に自律的スマホ断ちできる方法が良かったのだが

そんな感じのスマホ断ちするいい方法を知ってたら教えてくれ

2021-08-25

社員を「監視」する会社は、なぜ成果が上がらないのか

8/11(水) 10:38配信

リモートワークの実施必要な働き方

 最近多くの企業で、人事制度を「ジョブ型」へ移行する動きが目立つ。なぜならリモートワークとの相性がよいからだ。欧米企業のようにジョブ型であれば、仕事を切り分けてリモート仕事を進めやすいが、メンバーシップ型の場合はそうはいかない。

 リモートワークは欧米を中心に広がってきた働き方だが、欧米企業においては働き方もジョブ型で、仕事個人に切り分け、成果も無理なく評価できる。一方のメンバーシップ型は、出社して同じ「職場というハコ」の中で一緒に働くことを前提とし、メンバー役割を柔軟に調整するため、個人の成果の評価には困難が伴う。

 日本メンバーシップ型の働き方が一般的な中、突然リモートワークに移行したため、極端なミスマッチを起こしてしまった。リモートワークを実施するならば、個々に仕事を切り分けるジョブ型への移行が不可欠なのだ

 ジョブ型へ移行するには、仕事の成果を適正に評価できなければならない。そのためには、仕事の進め方もより個人責任を明確にする方向へ改めなければならない。さらに仕組みを整備するだけでなく、評価する側のスキル必要になってくる。さらには、メンバー全体が新しい働き方を受け入れるよう、価値観シフト必要となるのだ。

ジョブ型への移行を難しくする日本企業特有価値観

 日本においてはメンバーシップ組織歴史は長い。「中世以降、ムラ社会が成立し、環境最適化するために相互監視的な集団主義が浸透していったから生まれた考えだ」と社会心理学者の山岸俊男氏は指摘する。

 そのムラ社会昭和から平成にかけて、会社という組織の中でも脈々と受け継がれてきた。その結果、日本では社会でも会社でも同調圧力が強くなった。会社は働く場であるとともに、コミュニティーでもあった。しかし昨今、転職副業に加え、リモートワークの普及が進み、ムラ社会解体する動きが出てきたのだ。

 働き方の制度を変えても、多くのメンバー価値観一朝一夕には変わらない。日本企業では、「あなたがいてよかった」と存在肯定されたい人のほうが、「あなた能力はすばらしい」と能力肯定されたい人よりまだまだ多い。

 こうした事情から財界を中心に「同一労働同一賃金」の実現という文脈で進められてきたジョブ雇用への移行が、なかなか思うように進捗してこなかった。それがくしくも、コロナ禍という強力な外圧により、待ったなしの状態になっているのである

●「労働時間」を重視する会社論理

 多くの企業で、個々の社員役割仕事成果の品質基準は明確に定められておらず、社員に委ねられている。委ねられてはいるが、会社社員を十分に信用してはいない。だから監視する。「オフィスへ出勤し、上司の目が届く範囲仕事をするのならば安心だが、目の届かない所にいると心配」という感覚なのだ。できるだけオフィスで観察するのと変わらぬ管理をしなければならないと考え、「社員PC管理システム」などを導入してまで細かく監視する事態につながっている。

 しかし、オフィスに出社していても、本当にきちんと管理できているのだろうか。実際には職場でも「やらされ感」を抱きつつ、意欲もなく、非効率的仕事をしている社員もいるに違いないが、そのような状態でも、決められた時間、その場でデスクに向かってさえいれば、これまではよかったのだ。社員を信用しているのか、信用していないのか、不明状態である

 つまり「成果よりも時間。とにかく長い時間仕事をすれば高く評価する」という、生産現場における管理形態から抜け出せていない古い価値観である。かつて目立った、効率的仕事をして上司より早く帰る部下よりも、非効率でも遅くまで残業している部下を高く評価してしまうような価値観だ。昨今では、そこまであからさまではないとしても、残業休日出勤をする人を仕事熱心であると見る価値観が残っている企業はまだ多い。

 これは「ジョブ型」「メンバーシップ型」という枠組みで考えれば、完全にメンバーシップ型の価値観である会社側が「社員サボるかもしれない」と考え、実際に社員も「サボる余地がある」と感じている。監視する側、される側という関係性にある。これではリモートワークがとても機能しそうにない。こうした価値観のままではジョブ型への移行がうまくいかないのは当然だ。

ジョブ型と自律的な働き方は、「鶏と卵」の関係

 一方の「最良のシナリオ」とは、以下のようなものである

メンバー役割や成果が明確に定められている。

仕事の進め方は本人に委ねられている。

社員自律的に働く。

マネジャーは適切なタイミング必要サポートを行う。

 キーワードは「自律」だが、実現には前提がある。いわゆる「ジョブ型」への移行だ。多くの企業理念や行動指針の中で「自律」を強く標榜しているにも関わらず、いっこうに進まないのも、働き方の「ジョブ型」への移行が進んでいない点に原因がある。仕事の仕方や評価のあり方が、社員の「自律」と矛盾した状態にあるためだ。

 社員自律的に働かなければジョブ型は機能せず、ジョブ型に移行しなければ社員自律的に働かない。つまり、「卵が先か鶏が先か」ということになるが、価値観を変えるためには、新たな価値観に合った仕組みが必要で、その仕組みを機能させるには、新たな仕組みに合った価値観への移行が必要となる。いずれが欠けても頓挫してしまう。「ジョブ型」の人事制度など仕組みの整備と、雇用する側とされる側の新たな価値観へのシフトが、同時並行で進められなければならないのである

2021-08-07

anond:20210807051415

狭義のロボットは「人の代わりに何等かの作業自律的に行う装置」を指す。

人間が操縦する機械自律的じゃ無いかロボットじゃなくて乗り物

からガンダムロボットじゃない。テスラの車はロボットかも知れない。

2021-08-05

書け書けと言われたので

これはid:muchonovによる、id:rag_enさんのエントリ muchonovさんの提示した「判断力が未熟だから」論法では、年齢による“パターナリズム”を肯定するのは無理があるよという話と、あとリテラシー - Click Game. への返信です。

引用されている増田テクスト位置づけについて

まず、rag_enさんがご引用くださっている、自分増田で書いた文章子供の権利は制限されているし、性行為に伴うリスクを判断できない」の位置づけなんですが、これはmuchonovが何か新しい提案をしたぞとか、今からそういう社会を作るぞ、という内容ではありません。このスレッドの親増田の「なぜ、子供が性を売ってはいけないのか」という疑問への応答として、今の社会がそういう風になっている理由として、法律的社会的にこのような背景がありますよ、と説明するものです。言い換えると、これは〈べき論〉ではなく〈である論〉のつもりで書いたものです。このことは、ここから先の話とも繋がってますので、ひとまずスタート地点としてご認識ください。

パターナリズムについて

rag_enさんは以下のように、「『社会コンセンサスがあるから』という理由でのパターナリズム肯定」や(判断力が未熟な当事者保護する)「手段としてのパターナリズム自体を強く批判されています

未成年に対しては愚行権を含む自由権一定の制約を課すべきだという社会コンセンサスがあるからです。未成年に対しては人権を制約するレベルパターナリズム保護者的統制主義当事者能力リソースの不足を社会保護者として補い、庇護する)をとってもよいし、分野・状況によっては積極的にそうしなければいけない

いやもうこれ、『社会コンセンサスがあるから』なんていう、ふにゃふにゃな理由での“パターナリズム”を肯定してしまっているの、控えめに言っても完全に思考が狂ってますよね。

そもそも『「判断力」によって峻別すべき』だと仰るならば、「ペーパーテストして免許制にでもすれば?」でほぼほぼ終了する話なわけです。『「判断力」によって峻別すべき』ならば、その「判断力」をテストする、というのはどう見ても最も正道な手段なのですから。“パターナリズム”などという手段を用いる必要は全くありません。


ここを読んでいて、最初「ん?」と混乱してしまったのですが、もしかしてrag_enさんには、「パターナリズム」という概念について重大な誤認がありませんか。rag_enさんが「“パターナリズム”などという手段を用いる必要は全くありません」という主張とともに、代案として展開されている判断力によって(ある問題についての当事者能力責任能力の有無を)峻別する」、そして、判断力がないとみなした対象自由権を(当人保護のために)何らかの形で制限する…という考え方は、まさに『パターナリズム』そのものではないですか? 

現行の日本法律が、年齢によってその人物判断能力推認し、それが十分でないとされた年齢に属する児童保護するために彼らの自由権を一部制約するのも、別の方法判断能力吟味裁定し(たとえば精神的な障害を持つ人や依存症に苦しむ人や認知症患者などを、家裁判断によって成年被後見人とすることなど)、彼らを保護するために彼らの自由権を一部制約するのも、どちらも法学の分野でいう「弱いパターナリズム」だと思います

憲法学世界で「パターナリズム」といえば、まず未成年者の人権制約の場面が思い浮かぶ。すなわち、十分な判断能力のない未成年者については、親が子に干渉するようなやり方で、国が未成年者の人権を制約することが認められると考えるアプローチである(1)。たとえば佐藤幸治は、未成年者の人権制約について、未成年者が「成熟した判断を欠く行動の結果、長期的にみて未成年自身目的達成諸能力を重大かつ永続的に弱化せしめる見込みのある場合に限って正当化される」とし、これを限定されたパターナリスティックな制約としている(2)。このようなパターナリズムは、個人判断能力の不十分さを補うために後見措置を行うことから、弱いパターナリズムと呼ばれる(3)。

https://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:0RwE-rfojV4J:https://core.ac.uk/download/97063334.pdf+&cd=2&hl=ja&ct=clnk&gl=jp

そして、未成年や年齢が低い児童判断能力が不十分とみなされる理由は、法学世界では、彼らの判断が、それ以上の年齢層による判断に比べ、①知識情報を得た上での判断・②適切な理解に基づく判断・③強要なき自律的判断・④実質上も自発的判断ではない可能性が高く、それによって、当事者自身が想定しない結果や不利益をもたらすリスク懸念されているからです。[^1]

[^1]性的自己決定に関しては、古い調査ですが、10代の人工妊娠中絶についてのアンケート結果(https://www.jaog.or.jp/sep2012/JAPANESE/MEMBERS/TANPA/H15/030217.htm)を読む限り、確かにそのリスク存在しているといえます10代の妊娠中絶経験者の68.1%妊娠して「困った」と回答しており、その多くが①②膣外射精安全日など誤った避妊方法を選んだり(情報理解力の不足した判断)、③相手避妊をしなかったり(強要された判断)、④経済的事情などを踏まえれば出産育児不可能なのに妊娠する可能性のある行為をしてしまう(実質的には非自発的判断)など、当人判断能力の不足によって、望まない妊娠人工妊娠中絶に到っています

この前提において、当事者自由権を法と社会が一部制約することが正当化されています。これはmuchonovが勝手に言ってることじゃなくて、法学におけるパターナリズム議論の中で整理されている話です。

ソフト(弱い)パターナリズム」が自由への介入を正当化できるのは、人の行為が以下の何れかに因って判断された場合です。

1. 実際に情報を知らされないで判断した場合(not factually informed)、

2. 適切に理解していないで判断した場合(not adequately understood)、

3. 強要されて判断した場合(coerced)、または

4. その他、実質的自主的にではなく判断した場合(oterwise not substantially voluntary)。

http://www.fps.chuo-u.ac.jp/~cyberian/personal_responsibility.html

そして、未成年者や特定年齢に満たない児童に対する「弱いパターナリズム」に基づく人権制約は、日本を含め、大半の近代国家法制度に含まれています性交同意年齢という概念もそうですし、制限行為能力者という概念もそうですし、ある面では責任無能力者という概念もそれに関わっています。そのような、未成年者や児童人権を明らかに制約する仕組みが各国の法制度に組み込まれているのは、当然、その国家議会立法などの民主主義手続きを経てその法律を定めた結果であり、『社会コンセンサス』の賜物でしょう。

から先ほどのrag_enさんの、「『社会コンセンサスがあるから』なんていう、ふにゃふにゃな理由での“パターナリズム”を肯定してしまっているの、控えめに言っても完全に思考が狂ってますよね」とか、「muchonovさんの提示した「判断力が未熟だから論法では、年齢による“パターナリズム”を肯定するのは無理がある」という指摘は、日本だけでなく、性交同意年齢や制限行為能力などの概念法制度に組み込んでいる全ての国家社会に対して「完全に思考が狂ってますよね」「論法に無理がある」と非難していることになりませんか

現在日本では、性交同意年齢(13歳)未満の男女と「性交等」をすることは法律で禁じられており、もしそうした場合、それが13歳未満の側の当事者主体的判断によるものであっても、相手強制性交等罪(非親告罪)で処罰されます。13歳未満の側の当事者には、必ずしも性交に関して正しく判断する能力が備わっておらず、その能力の不足による誤った判断不利益から彼らを保護しなければならない、とみなされているからです。これも「完全に思考が狂っている」「無理がある」論法でしょうか。

私はrag_enさんがそういうチャレンジングな主張を展開されるのは別に構わないと思っていますし、繰り返しそう申し上げてもいますが、だったらその主張はmuchonovという個人に向けて言うべきことじゃなくて、そうした法制度を運用している国家やそれを是認している国民に対して言うべきことなんじゃないかな、と思います。だから自分は、再三「rag_enさんのお考えを、広く世間に問えばいいと思います」と申し上げているんですけども。

あと、これはこちらの邪推ですけど、おそらくここでrag_enさんが問うべきだったのは、「性的自己決定権をめぐるパターナリズム的な人権制約の適用対象を決める上で、年齢という指標を用いて一律に決める(現在法制度に組み込まれている)方法と、ペーパーテストを行って免許付与するという(rag_enさんが提唱する)方法の、どちらが制度設計として筋がよいか」ということだったのではないでしょうか。そうではなく「パターナリズムという手段ではなくペーパーテスト免許制という手段を使えばいい」と主張されている姿勢から、rag_enさんのパターナリズムについての認識は、一般的用法とズレがあるように感じました。もし「そうではない」ということなら、そうおっしゃってください。

※ここでもし自分がrag_enさんを先回りして擁護するとしたら、「rag_enさんの言うペーパーテスト免許制という提案は、パターナリズム的な観点判断力が未熟な当事者保護するため)に基づくものではなく、その行為による他者危害リスクなどを鑑みて、本来無許可では行ってはいけない諸行為に対し、当事者能力知識技術総合的に認証したうえで特別アクセス権を付与するもの、つまり自動車免許医師免許に相当するものであるからパターナリズムにはあたらない」という立場は、かろうじて取りうると思います未成年児童が関わる性行為について、当事者不利益よりも他者危害リスクを先に考慮しなければいけない状況というのは自分には俄には思いつきませんが、まあそこはよしとしましょう。

しかし、そのような制度---国家国民の性行為に関わる知識判断能力ペーパーテスト弁別し、それが当局の定めた水準を満たしているかどうかによって、セックス権利を与えたり奪ったりする制度---というのは、自分国家による生-権力的介入・管理アプローチとしていささか度が過ぎていると思います。というか、「規律化による〈従順身体〉の構築」というフーコーテーゼをそのまま戯画的に具現化したような感じすらします。

また、自動車免許社会実装コストについてのrag_enさんの記述を踏まえると、rag_enさんは、その「セックス免許」の仕組みを社会実装するコストも、免許取得費用として「受験者」から徴収して賄えばいい、とお考えのように見えますセックスへのアクセス権を求める市民自身から試験料を徴収して、セックス免許センター受験者にテストを行って、合格者に免許を発行する。もしそういう制度運用イメージされて仰っているのなら、この構想が現行の法制度にある「年齢によるパターナリズム保護」の仕組みよりもメリットが多くデメリットが少ない現実的提案だと感じる方は、あんまりいないんじゃないでしょうか。もちろん、rag_enさんのような考え方の人たちが社会運動などを通してそのアイディアを人々に受け入れさせて、社会コンセンサスを変えていくことができれば、その状況も変化する可能性はあると思いますが。

https://anond.hatelabo.jp/20210805095853 に続きます

2021-08-01

笹沼弘志の罪刑法定主義批判

試験終わったし暇だから考えた。

笹沼は罪刑法定主義人権尊重するものとして意味があるので、男権主義権力に援用される場合否定すべきだと言っているように思える。

罪刑法定主義は刑を加えるには法律によって明白に規定されていなければならないとしている。

これは刑罰人権への制約を伴うものなので権力恣意的適用を許さず、法律によって予め定めておくべきであり、また逆にそれによって行為者はどういった行為が罰せられるか判断自律的に行動できる。

そのためここから法律はどういった内容である判断できるように明白性を要求されている。

この判断合理的理性的な通常人であるとされている。

抽象的な人物像を具体化した場合に想定されるのはいったい誰であろうか?例えば裁判官社会権力層の人物はどうであろうか?

これまで考えられてきた罪刑法定主義上で要求されれう明白性を判断し得る者が上記のような者であった場合、この者たちに男権的権力要素は含まれていないだろうか?

私は違うと思うし、違うと言いたい。

からもし「罪刑法定主義」で想定される判断主体が男権的権力要素を含んでいた場合、これはその限りで適合解釈されなければならないだろう。

そういうことを言いたかったんじゃないか

2021-07-25

雑誌映画秘宝』の記憶(57)

 小山田圭吾や元ラーメンズ小林賢太郎の仕出かしたことの影響で、俄に「90年代サブカル業界には、悪趣味鬼畜カルチャームーブメント存在した」或いは「90年代サブカル業界には、露悪的なワル自慢を行うのが格好良いとする風潮が有った」と云う主張が、注目を浴びて議論を呼んでいます。これに伴って「サブカルとは何か/何であったのか?」が問い直されているようです。

 町山智浩Twitterで、自らが悪趣味カルチャーに関与していたことは認めていますが、それと同時に「あの頃は」と強調することによって「今の自分(町山智浩)は、あの頃とは違う」と印象操作をしようと画策しています

 "今の"町山智浩は、悪趣味鬼畜系とは違う?果たして、本当にそうでしょうか?

 つい最近ですら町山智浩は、映画ボヘミアン・ラプソディ』公開の際に、殊更に同性愛者を揶揄するような「主人公フレディが首のネックレスに掛けていたのはペニスリング」と云うデマ発言をしていました。このことは、まだ皆さんのご記憶にも新しいことでしょう。

 町山智浩が「女が急にマニアックなことを言い出したら、それは彼氏の影響」と、まるで女性主体的自律的思考能力を持たないと言わんばかりの、森喜朗に勝るとも劣らない女性蔑視発言をしたのは90年代出来事ではありません。

 そして、例の高橋ヨシキの妻(※当時)の胸を揉んでキスをした性的強要搾取事件を、吉田豪とのインタビューで笑いながら面白おかしく語ったのも2011年のことでした。このインタビューは、当に小山田圭吾彷彿とさせるものです。

 また、町山智浩が、奥さんに着いて米国移住して以来、現在に至るまでずっと、非都市部に暮らす非富裕層白人を「アイツラ土人からw」と呼んで差別嘲笑し続けてきたことも周知の事実です。

 これらは90年代出来事ではありません。また、町山智浩自己正当化の為に言い出した「電通ホイチョイフジテレビ文化に対する対抗意識を持っていた」と云う主張によって正当化できることでもありません。

 町山智浩は、一貫して現在に至るまで、同性愛蔑視差別発言女性蔑視差別発言セクハラパワハラ行為を行い続けてきた"本物"の悪趣味鬼畜系です。そして、町山智浩のような"本物"の悪趣味鬼畜系の人間は「オレたちは露悪的なことをしてワルぶっているけれど、本当はイイ奴なんだよ」とアピールすることを好みますが、それは全くの嘘八百であって、"本物"の悪趣味鬼畜系の人間たちは矢張り中身も"本物"の鬼畜なのです。

 そして、そんな町山智浩のような人間を「流石、町山サン!」と褒めそやして、現在に至るまで長年に渡って野放しにし続けてきたのが、我が国サブカル業界人たちなのです。町山智浩及びその取り巻きと、小山田圭吾及び『QJ』の間には、何ら本質的な差はありません。したがって「アレは本物の悪趣味鬼畜系ではない」とか「過去サブカル現在と違って」等と弁明することは、全くの無意味であり、彼らの自己満足に過ぎないと言えるでしょう。

 小山田圭吾や『QJ』界隈と、町山智浩や『映画秘宝』界隈との間に差が有るとすれば、小山田メディアを通じたイメージ操作によってオシャレでイケてるイメージ演出し、モテ系だったのに対して、町山智浩デニムオーバーオール象徴されるように、ダサ系/非モテ系だったことです。

 そして、この非モテ系として町山智浩が抱き続けた怨念すなわちミソジニー思考こそが、町山の言う「電通ホイチョイフジテレビ文化に対する対抗意識」の本質です。町山智浩が本当に対抗(攻撃)しようとしたのは、電通ホイチョイフジテレビではなく、それらに踊らされている(と、町山智浩勝手に思い込んでいる)「女性」なのです。また、同性愛者を執拗差別し続けるのも、町山智浩にとって同性愛者とは「男のくせにナヨナヨしていて『女性的』な存在」だからとも考えられます

 この投稿は以上です。次回も、小山田圭吾障害者虐待と、町山智浩女性同性愛差別を取り上げるつもりです。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん