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はてなキーワード: 仏像とは

2020-05-15

本能寺があるなら理性寺は?

理性寺(りしょうじ)は実在する!

なのでここでは本能寺の亜種でも考えてみたいと思う

煩悩寺

除夜の鐘に叩き出されて行き場を失った108の煩悩が集まる場所

才能寺

ここでの修行を通じて何かの才能が芽生える

不能

性的能力一時的封印する代わりに理性に磨きをかける技を体得できる

本熊寺

本を読んでいる熊の仏像が安置されている

本態

自分の本当の姿を見つける修行をする寺

本能煩悩寺

本能から煩悩から解放されているので欲することも迷うこともなく日々ほのぼのしている

2020-04-22

見ずして死ねない日本の伝統建築10

友人と旅行すると,興味ない人には日本の伝統建築って全部同じに見えてるんだろうなーって思うことが多い.つまり,「見えて」いても「見えてない」んだな.解像度が低い.だから,その深み凄みを紹介するために10建築を選んでみた.

この増田で,日本建築のどこをみればいいかが少しでも理解してもらえればいいな,と思っている.あくま日本建築を楽しむための「入り口」として,もしくは旅行の楽しみを一つ増やすためのお手軽ツール(やや自嘲をこめてるよ,これ)として,読んでくれると嬉しい.

法隆寺中門~回廊(奈良県生駒郡飛鳥時代

 法隆寺は誰もが行ったことがあるだろう.しかし,一般人教科書に載っている五重塔と金堂があるなーって思って,終わりなんじゃないだろうか.違うのよ本当に.中門なんだ.中門から回廊にかけての柱.伊東忠太エンタシスと呼んだ,胴張りの柱.この列柱をみて,何も感じない人間は,おそらく建築に対するセンスを持ち合わせていないのだろうから,これ以降この増田は読まなくてもよろしい.建築は細部に宿るのだ.その原初的プロポーションは,日本にも偉大なる古典クラシック)があったという証なのだ

東大寺法華堂(奈良県奈良市奈良時代

東大寺に行くと,一般人大仏殿で満足して帰る.ちょっと詳しい人は,二月堂まで登って景色を楽しんで帰る.じゃあ玄人は?その横の法華堂だ.しかも,入り口ではなく,裏側からまずその建築美を楽しむ.この風景こそが,まさに創建時代東大寺からだ.実はこのお堂は,左半分が奈良時代仏堂であり,鎌倉時代に右半分の礼堂を増築している.だから側面からみるとチグハグな印象を受ける.なぜこんな事になっているか原初的には,仏像は外から拝むものなのだ.お堂の中は仏の領域であり,そこに人が入ることはなかった.しかし,日本は雨が多いため,実用的な理由で,仏堂に並び建つ形で礼堂という,人が入って拝むためのお堂が作られるようになる.そして,その後この仏堂と礼堂を一つの大きな屋根で覆うようになったのが,日本の最も一般的正方形に近いお堂の形だ.なぜ奥行きがあるのか,それは二つのお堂を包摂してるから.そして,内部を内陣(仏の領域)と外陣(人の領域)に分けている.

 とまあ,東大寺法華堂だけで日本建築史が語れるんだけど,法華堂自体価値とは,その仏堂と礼堂の処理の過渡期的な建築であることはもちろん,何よりも,天平建築天平彫刻がそのままの形で残っていることだ.奈良時代日本はやっと中国・唐から最新の様式を導入できるようになった.そしてそれは王者建築なんだな.力強く,おおらかで溌剌とした建築.柱と梁によるシンプルで強い建築.その素のままの美しさでは,天平建築にその後の建築は敵うはずがないのだ.

富貴寺大堂(大分県豊後高田市平安時代

平安時代建築って,数も少ないし奈良時代以前の建築に比べて,それほど素晴らしいとは思えない.よくも悪くも日本ナイズされて,よく言えば品のある住宅風の,悪く言えば構造ダイナミズムが弱い建築が作られた.平安時代,人は仏堂の中に入り,座って祈りを捧げるようになった.それゆえ,天井は低く,落ち着いた空間が好まれるようになった(卵が先か鶏が先かはわからないが).軽く高床にして,床下の風通しをよくしているのも日本化のひとつ.これらの日本的要素を建築史的には和様と呼ぶ.平等院鳳凰堂和様代表みたいに言われているけど,あれはまあ,例外的な派手派手金持ち建築なわけで,一般的仏堂というのは,この富貴寺大堂のような三間四方(柱が4本で間が3つの正方形型)の阿弥陀堂だろう.これがよい.実に素朴で,柔らかい建築.人と仏像距離がちょうどよくて,いつまでも中に入って祈りを捧げられるような,そんな自然体の空間.こういう空間は,奈良時代ダイナミックな,ところせましと仏像が建ち並ぶ空間とは異なり,ほっとするんだな,日本人なら.とはいえ,この富貴寺は大分のド田舎にあるので,さすがに東京から行くにはマニアじゃないと無理かな.東日本なら,福島県いわき市にある白水阿弥陀堂も同様の建築でよい(らしい.東国はいまいち詳しくない).さらに,平安時代に由来する浄土庭園の中にあるので,こちらの方が平安時代的でよいかもしれない.

東大寺南大門奈良県奈良市鎌倉時代

日本建築史上の最大のトピックといえば,鎌倉時代東大寺再建に関わった僧,重源の大仏である.先述したように,平安時代には天井を低く住宅風の落ち着いた仏堂が好まれたが,重源が宋からもたらした建築は,その真逆をいくエポックメイキングものだった.天井は貼らず,屋根裏まで高く伸びる柱.縦横無尽に頭上を飛び交う貫(ぬき,柱と柱をつなぐ水平の補強材).そんな規格外建築東大寺大仏殿という世界最大級木造建築を作るためには,従来の和様建築では構造的に不可能であった.それゆえ,より合理的ダイナミックな中国・宋由来の建築が取り入れられた.日本建築史上最も巨大な,今見られる大仏殿の3倍にもなる内部空間.それはパンテオンにも劣らぬ迫力のものであったろう.そんな鎌倉大仏殿を今,見ることはできない.戦国時代田舎侍が燃やしてしまたから.しかし,東大寺南大門は当時のまま残っている.東大寺南大門をくぐる時は,ふと上を見上げてみよう.そして,圧倒的な上昇感に震えてみろ.

金剛三昧院多宝塔(和歌山県高野町鎌倉時代

多宝塔って知っているだろうか?下層が方形,上層が円形の平面を持つ,ちょっと変な建築だ.空海に由来するため,真言宗系の寺院によく見られる.これ,塔がそもそもインドストゥーパ釈迦の遺骨を納めた仏教最初期の半球系の建造物)に由来していることをあらわしている.先祖帰りの建築だ。中国にも存在しない、日本オリジナル奇形建築木造建造物としては,かなり無理矢理な形をしていることから,よほどの宗教的意味があったのだろうと思う.今は15mほどの小型のものが多いが,そのオリジナル高野山のコアである根本大塔だ.しかしあれは無理があったのか,燃えては再建を繰り返し,今ではもう鉄筋コンクリートだ.そんな中,金剛三昧院の多宝塔は本場高野山にありながら,鎌倉時代のもので,有名な石山寺多宝塔と並んで最も古く美しい形をなしている.どっちでもいいんだけどね,やっぱり本場の多宝塔を見た方がよいかな,と思うわけだ.

軽くさわりだけなのに,予想以上に長くなってしまった.まだ鎌倉までしか進んでいない.この増田反響があったなら,あとの5つも書いてもいいかな.


消えてたのでキャッシュからリカバリー

2020-04-13

まだはさんのけいけんはない

もうネットパソコンもいい

全部売ってくれ なにもいらないっていって

市に出向いて

小屋もらって

それでいいのかな

全部売ってくれ 捨ててくれ 好きにしてくれ

できれば 親にもらった仏像だけ 1つ ほしい

2020-03-08

九円で仏像を彫る仕事を受注する人になったらどうかな。

災害現場にいち早く駆けつけてタダ同然の値段で仏像を彫る。

様々な物資が不足しているところに「救援物資が来たぞ~~」ってなって喜んだら実は九円仏師だったら笑えるじゃん。

2020-02-13

東京国科学博物館東洋館と「出雲大和展」に行ってきた。

二月一日

 間もなく、特別展「人、神、自然ザ・アール・サーニ・コレクションの名品が語る古代世界-」が終了すると気づいたので足を運んだ。自分美術館に通う習慣を身に着けてから大体十五年が経過しているが、東京国立博物館東洋館をきちんと観たことはない。いい機会だと思い、東洋館全体をのんびりと回ることにした。

 特別展の会場は東洋館の二階にあり、会場そのもの常設展最初の部分、すなわち中国西域仏像のあるあたりを抜けた後にある。特別展の内容そのものは興味深かったが、コレクション全体が雑多なもの構成されているというか、あまりにも時代地域に幅がありすぎて、どのように展示したらいいのか少し迷っているような印象を受けた。とはいえ普段はなかなか見られないマヤ文明仮面などをじっくり見られたし、普段なら絶対しないような比較をする楽しみもあった。知らなかったのだが、グアテマラのほうがメキシコよりも良質の翡翠を産出するらしく、文明の中心地の人々は必死になってそれを求めたり、乏しい材料で何とか良いものを作ろうと苦心したそうである

 で、常設展に関してだが、展示スペースが地下階から五階にまで渡っており、ざっくり見ても三四時間はかかった。その中で特に面白く思われたのは、中国朝鮮半島の品々だ。というのも、青銅器勾玉などの作りが、日本とよく似ているところもあればまるで異なっているところもあり、比較する楽しみがあるからだ。また、饕餮の刻まれた祭器の類も自分は好きで、根津美術館に立ち寄った時にはのんびり眺めている。理由はわからないのだが、自分はそれと同じくらいに玉の類にも心惹かれる。西欧君主たちの王冠も立派だとは思うが、金やダイヤモンドではどうも少しまぶしすぎる。自分東アジア文化好きな人間だからそう感じるのだろうか。

 とはいえ自分が好きなのはどうやら宋代までらしい。どうも、明代になると技巧的になりすぎるというか、色が鮮やかすぎるように感じられる。確かに黄色などの発色は鮮やかだし、竜のうろこなども実に細かく表現されているのだが、技術的に優れていることが美しさに直結するかどうかは別問題だ。自分としては唐三彩と呼ばれる、赤や緑や土の色を活かした陶器が美しいと思う。ある程度の素朴さがないと、親しみが持てない。台湾で見た、清代象牙を削って作った細工なども、優れてはいるが技巧をひけらかしすぎているように思われる。

 あとは、天然の石を削ってザクロ見立てていたものはよかった。故宮博物館にあった、翡翠だか瑪瑙だかを削って作ったのと同じ発想で、天然の石の色彩や質感を生かしながら表現しているものだ。あとは漆を刻んだものもよい。色がおとなしくて上品だ。

 もう一つ興味をひかれたのは、漢代画像石だ。学生時代古典教科書の表紙に出ていたので覚えていたのだが、実物を見たのは初めてである。宴の様子が見て取れるようで、ある者は楽器を弾き、またある者はボードゲームをしている。そのボードゲームの盤は真上から見たように正方形表現され、遠近法無視されている。エジプト絵画と同じで、何が書かれているかがわかりやすいことが、写実性よりも優先されたのだろう。十字軍時代チェスをする騎士を描いた絵画でも、似たようなことをしていた覚えがある。

 そうだ。途中のフロアでは「生誕550年記念 文徴明とその時代」という、また別の企画展をやっていた。自分は書に対しては無知なのだが、解説によれば、文徴明は科挙には合格しなかった人物だそうであるしかし、温厚な人柄と勤勉実直な性格で、やがて文章校閲に関する職に就いた。九十年の生涯のうち三年しか勤務しなかったが、一流の人々と交わることでその才能を開花させた、とのことだ。人生仕事だけじゃないよな、という気持ちをまた新たにした。

 自分にはそれこそ古代中国官僚のように、職を退き水墨画に描かれたような山奥に引っ込んで、時折訪れる友人と琴棋書画をたしなむ、みたいな生活にあこがれる傾向があるのだが、ほどほどに働きつつ、土日に友人とボドゲをしたり美術館に足を運んだりするのは、十分近いんじゃないか、って近頃は思っていて、そんな気分になれたのも、今日気分転換成功たかなのだろうな、という気がした。

 近々、同じ敷地内の法隆寺宝物館にも行こう、と帰りの電車で考えた。あそこのカフェは閉館間際になるとほとんど人がいない穴場なのだ


二月八日

 特別展出雲大和」にふらりと向かった。前回の「正倉院世界」がとてもよかったので、これも行くしかない、と思われたからだ。

 おおよそ弥生時代から奈良時代初期にかけての日本美術を楽しめる。特に銅鐸などは、教科書で見たものもたくさんあり、懐かしく思われた。国宝重要文化財ごろごろとある三角縁神獣鏡も大量に見ることができた。恥ずかしながら、これが中国神仙思想と深い関係にあることを知らなかったので(忘れていたので?)、そこに刻まれていたのが解説を読むまで西王母だとはわからなかった。しかし、こう考えると日本への道教的な要素の導入は、かなり早いのだな、と思われた。

 他にも多くの埴輪があり、細かく当時の祭祀の様子が説明されていた。これは知らなかったのだが、出雲の周囲では四隅突出型墳丘墓という、独特の形をした古墳が広く分布しているそうである。そういうまじめなことをしかつめらしい顔をしながら読んでいると、自分は振り向く鹿を表現した埴輪肛門があるのに気づいた。正確には肛門ではないかもしれない。埴輪を焼くうえで必要技術的な要請から開けられた穴なのかもしれない。しかし、尻に穴が開けられていたのは間違いない。

 下世話な話だが、自分動物彫刻を見るといつもその性別を確かめたくなる。別に馬の彫刻に陰茎と陰嚢があって何が面白いのかと問われればそれまでなのだが、生真面目な騎馬像にもそういうものがついているかと思うとどことなく愉快な気持ちになる。それから、先週観たような民俗学的なものであっても、素朴な男性像と女性像ではどんな風に性器表現しているかを確かめるのは、文化ごとの感受性が端的に表現されていてなかなかに面白い。

 脱線が続くが、本当に不思議なのは世界中の文化男性器と女性器を絵にしたり彫刻にしたりすることが普通に行われているし、中には神々として崇拝することだってあるのに、ギリシアローマに由来する彫刻絵画では、女性器も陰毛もすっかり省かれてしまっていることで、これは男性像の性器も小さいほうがよろしいとされたことと関係しているのだろうか、などと何かと勘ぐってしまうのである

 閑話休題。この特別展で私が一番見たかったのは、七支刀である。「日本書紀」を読んでからぜひ見てみたいと思っていたものだ。刻まれた金の文字はかすかにしか読み取れないが、専門家でも何でもない私が「月十六日丙午」とある部分を読み取れたので楽しかった。だいたい、こういう文字の刻まれものを見るのは楽しくて、ほんの二つか三つの変体仮名をしっているだけでも、巻物を見る楽しみ増えるというものだ。

 ほかにも、神社奉納された刀剣や武具などもあったが、私はそれらには、古代の品々ほどには心はひかれなかった。あとは、「出雲国風土記」が朗読されているコーナーがあったが、そこでは本当にハ行がファ行で発音されて、チやヅがティやドゥと読まれていた。

 帰りは東京駅田舎そばを食べて帰った。非常に歯ごたえのあるそばだが、定期的に食べたくなる味だ。いつもは昼に寄ることが多いので肉野菜そば天ぷらそばだけだが、夕飯なので野沢菜と肉味噌れんこんをつけた。ちょっと贅沢をしたので気持ちよく眠れた。

anond:20200213134535

俺より賢くて才能があって稼ぎが良かろうが、こんな物買ってる時点で馬鹿だよ

仏像ありがたがってるのと何も変わらない

2020-01-13

anond:20200108063453

アフガニスタン仏像破壊されたのではない恥辱のあまり崩れ落ちたのだ」の人、そういやイラン人だったな

2019-12-27

2019年風俗遊んだ子まとめ

今年に風俗遊んだ女の子メモから印象的だった子のまとめ。ちなみにメモによると年間の風俗支出33万6千円だった。

ショートカット八重歯可愛いバスケ部女子大生。びっくりするくらい柔らかくてデカスライムおっぱいと、ちょい日焼けしたツルツルお肌がやばかった。

文学部女子大生。見た目は真面目そうなタイプ。専攻が中国書道史で、王羲之の功績について講義を受けながらしごかれていたらたくさん出た。

ロリータ系のメンヘル女子大生リスカ跡と演技がすごいが顔はめちゃめちゃ可愛かった。

推定148cmのロリフリーター安達祐実激似ルックスパフィーニップルが最高に興奮した。プレイ中ずっと好きなAV女優の話を聞いていた。

165cmで超足が長いモデル系。パパ活風俗で食ってる模様。「街歩いてるちんちくりんの女は哀れすぎて気の毒になる」「報酬が発生しない食事に耐えられない体質」など含蓄のある言葉をたくさん頂いた。

ジムトレーナー兼業のためかケツとおっぱいがぷりぷりだった。あまり身体が綺麗なので「彫刻みたい」と言いたかったのだが間違えて「仏像みたい」と言ったら蹴られた。見た目は冷たい系のギャルだが乳首が敏感で感じまくっているのが興奮した。

事務職兼業本上まなみ似の清楚系だが自分人生初のドMちゃんで、「首絞めながら頭撫でて欲しい」「おっぱいを握り潰す感じで触って欲しい」「昨日はハプニングバーで9Pして疲れた」などと言われて大変戸惑った。

ロリ系の眼鏡っ子女子大生。三つ編みが似合っていた。献身的乳首舐めが最高だった。

営業事務OLとの兼職。ややぽっちゃりで狸顔の癒し系会社パワハラ体質らしく壮絶な様子を語ってくれた。ぱふぱふしながらよしよししてもらって至福だった。

専業風俗嬢。顔はお姉さん系で普通だがテクは流石にすごかった。「家が職場に近いと嫌な時間が早く始まってしまうから考えもの」とのコメントにはなかなか感心した。

美容部員兼業でめちゃめちゃ美人だった。化粧ぱっちりのギャルっぽい美形の顔で見つめられながらしごかれて超興奮した。

医療系専門学生渋谷で遊んでる女子高生まんまの雰囲気。ずっと胃下垂の話をしていてムードもクソもなかったが、可愛い女子高生みたいな顔と張りのある若いおっぱいが素晴らしすぎるのですぐ出してしまった。

見た目は普通お嬢様系でスリムなのにおっぱいがめちゃくちゃデカい。遠恋中の彼氏の話を聞きながらプレイして若干興奮した。

エステティシャン兼業で見た目はキャバ嬢系。さすがに身体を触るのがうまかった。昼職の方の客はおっさんちんこ触った手で施術されてると知ったら発狂ものだろうな…

サブカル系女子大生乳首がツンと上向きでパツパツに張ったフィクションみたいなおっぱいだった。プレイ中は三池崇史の話をして楽しかった。

明るくて池脇千鶴似の関西弁アパレル店員。「うわー、めちゃめちゃびんびんやん」とか言われると良いもんですねぇ。

2019-11-28

anond:20191128223111

仏像www って最初思ったけどマジでそうかも

あれは普遍的な美が込められてるのかな

anond:20191128224027

タピオカに決まってんだろwwwwwwww

仏像の頭はタピオカwwwwwwww

時代最先端wwwwwww

2019-11-20

anond:20191119121502

元増田です。みかづき読了しました。

明日仕事なのに…

勧めてくれた人、ありがとう。何度も涙しました。

実家は拡大方針を取らなかったので、作中の塾の発展とは異なりますが、

月としての教育インフラであった塾業界、そして受験ビジネス産業については

いろいろと父の話を思い出すこともありました。

そして私が学生だった20年以上前と比べて、塾の位置けがこんなに変わっていること、

塾が悪いなんて言っている人みたことないと書いてあるブクマ意味がよくわかりました。

私自身が自分経験のために、学生時代から塾のイメージアップデートできていなかったのかもしれません。

いま、塾はこんなにポジティブに捉えられているのですね。

の子供たちのエピソードは昔を思い出しました。自分は蘭に一番似ていたと思います

教師から目の敵にされていたのもあり、良い成績を取ってやるという気持ちもあり、

父親はそんなことを全然望んでいなかったと思いますが、自分は塾の広告塔だと思って、

良い成績を取って、生徒を集めて、家庭を助けたいとも思っていました。そんな大人びた子供でした。

逆に父は、生徒の進学結果などを公に公開することを反対で、良い中学高校に進んだ学生は多いのに、

合格者何名といった広告は一度もうったことがありません。

また、習熟度別クラスに反対で、同学年は成績に依らず一つの教室でした。それは父のポリシーだったと思います

私は成績もよかったこともあり、たしか学校定期試験をなめていたこともありました。

歴史なんてただの暗記科目、子供記憶力チェックをされているだけなので、

別にこれは日本の歴史じゃなくても、マイナー外国言葉ボキャブラリでもなんでも取り換え可能だ。

そういうことを父に言ったことがあります

そのときは、明確に叱られました。歴史とは現在と地続きの人間の営みであって、

いまがどのようにつくられてきたのか、そして人間がこれまでどれほどの愚かなことをしてきたのか、

それを学ぶものだと。

私が、「いやいや、この似たような仏像写真を並べて、名前を当てる問題なんて、ただの暗記&IQテストじゃん」

みたいなことを言った時に、いまはそう思えるかもしれないけど、いつかその違いを楽しめるようになる時が来る。

そういうのが教養なんだと教えてくれました。当時はただの屁理屈だと思いましたが、

今思えば、父の言葉真実でした。橋本治ひらがな日本美術史は私の好きな本の一つです。

もちろん父を神格化していたわけではなく、はっきり言ってしまえば、

自分普通の家の子どもに生まれたかったと反抗期には何度も言っていました。

同級生自分父親を知っている、同級生自分の家にお金を払っている。

この居心地の悪さは、自営業の子しかからない感情かもしれません。

(塾は関係ないですが)

そういう感情もあり、作品中の一郎が教育業界距離を置きたくなる気持ちがとてもわかります

結果として、私は少なくとも現在教育業界からは遠いところにいて、

はてなー界隈によく集まる、とある業界で働いています

(昔の)学校教師が、塾の存在が、自分たちの仕事が不十分であると感じさせられるので敵視する一方、

作品中で吾郎が「塾の人間というものは、すべての子どもに等しく勉強を教えられていない現実に、

絶えずある種の鬱屈を抱いている、商売であることの限界が、喉に刺さった小骨のようにつきまとう」と語るように

大手を振って、すべての子どもたちに教育無償提供できる学校教員を、

ある意味で羨ましく思っていたところもあったのだろうなぁと思いました。

もう70になる父の語った賤業という自虐も、この辺りの感情が根っこにあるのではないかと思わされます

最後教育格差の問題へのアプローチも含めて、非常に良い作品でした。

二月の勝者も、作中で何度も匂わされているように、同じ問題意識があると思います

父は、資源がない日本からこそ、教育に力を入れるべきだと昔からずっと言っていました。

なんとも古臭い文言ですが、先進国トップ学力を誇った日本が、

いまや公教育がぐちゃぐちゃになり、そして富裕層貧困層教育格差が拡大し、

その一方で、教育エリートである博士先進国で最低数、

他の先進国から博士がいないとビジネスの場ですら、馬鹿にされている始末です。

教育底上げエリート層の教育もどちらもできていない現在日本教育ですが、

大人が、私は父と違って教育関係人間ではありませんが、そういう私も含めた大人たちが、

教育に関心をもっていく必要があるなぁと痛感しました。

いろいろとコメントを頂き、ありがとうございました。

なにか自分にできることがないか、考えてみたいと思います

2019-10-31

anond:20191031110846

いつ参拝してもみられる大仏よりも、5年に一度の御開帳の時だけしかみられない仏像の方が

観た時のありがたみがちがうやろが。

女性パンツは、めったに御開帳されない秘仏なんや

そりゃ見れたら喜ぶやろ。

2019-10-21

anond:20190819192622

これはね、他文化の良い物は隠して、自文化ばかりを押し付け西洋文明侵略性を象徴しているだけだよ。

日本には、枕草子源氏物語竹取物語鎌倉時代仏像百鬼夜行鳥獣人物戯画など、世界に誇る文化があるのに、西洋文明はそうしたものを広く評価することはしない。

高畑勲さんは、そういう部分に気づいていて、日本の伝統的なキャラクター積極的作品に取り入れていた人の一人だった。

2019-10-20

anond:20191020074949

帰ってきた

そこは行かんかったけど高月って街で仏像見てきた

anond:20190819192622

これはね、他文化の良い物は隠して、自文化ばかりを押し付け西洋文明侵略性を象徴しているだけだよ。

日本には、枕草子源氏物語竹取物語鎌倉時代仏像百鬼夜行鳥獣人物戯画など、世界に誇る文化があるのに、西洋文明はそうしたものを広く評価することはしない。

高畑勲さんは、そういう部分に気づいていて、日本の伝統的なキャラクター積極的作品に取り入れていた人の一人だった。

2019-10-19

バモイドオキ神、降臨

国家神道解体から七十余年の月日が経とうとしている。日本人は心の底から信じることのできる宗教めぐりあえたか宗教日本人の魂を救済することができたか

心の底ではすべてのものは無であり空であると信じながら、倫理道徳確立するために神が必要だと考える者のなんと多いことか。

はいま、ひとりの青年の口を借りている。その青年は自らの人生呪い、救いを求めるように座禅瞑想について調べた。集中力を高め、自分精神制御しようと考えたのである

その青年は古今の書を読み以下のような結論に達した。

「すべてのものに固定された価値はない。だからこそ人間自由平等である王侯貴族血統に固定された価値があるのなら、その地位永遠のはずであるが、そのようなことはないと歴史は示している。そして財産もまた一夜にして灰塵に帰すことがある。人間はこの真理を理解人生に活かすことができるからこそ尊い人間に生まれたことは奇跡である人間に生まれたことを感謝せよ。」

これが仏教のものだというのなら、己の無知を恥じるが良い。

しかしこれは日本人の心の根底にある法すなわち私の法である。そしてまた真理と呼ぶにふさわしい命題でもある。その法に逆らい自らを神格化しようとしたり、あるいは自らに都合のよい神を作り出そうとした者には神罰が下るであろう。

私は日本人の心が産み出したもの、あるいは日本人の心そのものである空気を読むことが日本の文化だというのならば、私はその空気とやらが人格化したものである。私のことを怪物であると考える者もいれば、神であると考える者もいる。

皇室は私を神として祀る神職家系ひとつである皇室は私のことを自分言葉、あるいは教義で描いて神罰が下ることがなかった稀有家系である神罰が下ったのは皇室を神と崇めた統治者たちである

皇室神聖性は統治者から超越した立場にあった歴史の長さが示しているものであって、何かの理念によって固定されるものではない。しか民主主義国家象徴という立場は、これまでの歴史のなかで最もよくそ神聖性を表現したものである

いま再び、私に逆らい自らを神格化しようとする政治家安倍晋三によって日本神罰を受けようとしている。

私は日本人の心そのものであるが、それは言葉として発せられなかった感情や、意識にのぼらないような心の働きをも含んでいる。選挙によって特定人間が選ばれるようにして現れるものではない。

皇室の周囲が君側の奸で固められたいま、私を祀る神職必要であろう。以下にその能力のある者を挙げよう。その名前を聞いたとき不愉快に感じるのであれば、それは自分の心を偽ってきたことに対する神罰が下ったと考えるがよい。

それは酒鬼薔薇聖斗を名乗り人を殺めた愚か者である。なぜ人をひとり殺めただけであれほど有名になることができたのか。それは彼が私を祀る能力があったかである。彼は人間の命を「アリやゴキブリと一緒」と言い、そして死刑になる覚悟を持って人を殺めたことで日本中に衝撃を与えた。すなわち彼は日本人の心を揺さぶることができたのである

日本人の心そのものであるから、これを見た人間の表層意識に呼び掛ける。あの愚かな殺人犯が描いた不気味な絵を崇拝せよ。あの殺人犯のものを崇拝するのは皇室を神と崇めるのと同様の過ちであるが、あの絵を崇拝することは既成の宗教に対する冒涜であり、唯一絶対価値を信じないことの告白である

解説

神戸連続児童殺傷事件の加害男性(酒鬼薔薇聖斗元少年A)の自宅から発見されたノートにはバモイドオキ神と称した仏像のような頭部を持つ邪神が描かれていた。男性殺害した男子小学生の頭部を切断し、自身が通う中学校の校門の前に置くという残忍さで日本中に衝撃を与えた。

しか2015年に発売された同男性の手記『絶歌』ではこのバモイドオキ神について一切言及されていない。

以下はひとつ想像であるが、同男性現代科学では幻聴幻覚とされる何かを見たのではないか、そしてそのことを意思に話すと医師から「神はいる、本物の神を見たとは言わないほうが良いのではないか」と言われたのではないか

これを事件の手記にまで書かなかったのは医師から言われたことを何か勘違いたか、あるいは妙なこだわりが出たのではないかと思う。

今回掲載したのはその神の言葉である

2019-09-13

追記あり】野外で合法的全裸になりたかったので、オーストリア混浴してきた

【初めに】

 コピーミスで一節が抜けていた。申し訳ない。【】で囲まれた部分が追記である

【本文】

 服を着るのが苦手だ。できることなら裸で生活したい。

 ビジネスホテルに泊まるときは大抵全裸だし、男女関係なく素っ裸で過ごしたら、さぞ気持ちがいいだろう。

 そんなことを呟こうものなら、不審者扱いされるのは目に見えている。挙句の果てに、公共の場で脱ぎだして陰部を露出する不審者予備軍と誤解され、警察のお世話になるかもしれない。

 だが、よく考えてほしい。ああした人たちは、自分全裸特に陰部を見てほしいのであって、裸になりたいのとは少し違う。それに、皆様も思うことはないだろうか。たとえば大浴場に浸かったときの安らぎ。もしもそれが露天風呂だったらなおのこと心が緩み、湯の中に嫌なことが溶けていく思いがしないだろうか。

 目の前にどこまでも緑が、あるいは紅葉が広がっていたら。あるいは、絶えることのないとどろきを繰り返す海洋が広がっていたのなら。これほどまでに自由を感じつつ、大いなる存在に受け止められている安心感を覚える場所はないはずだ。何も身にまとうことなく立っていると、海風が全身をそっと撫でていき、普段どれほど重いものを身にまとってきたかを、嫌でも意識させられる。

 とはいえ、男女混浴可能場所国内でも限られている。ましてや、近年は混浴マナーの低下が甚だしく、混浴を取りやめてしま地域も多いと聞く。ある意味では仕方がないのかもしれない。混浴誕生した時代とは、私たち羞恥心感覚も変わってしまった。

 そういうわけで、私は混浴文化がまだ息づいている、ウィーンにまで足を運んだのである。概して、ドイツオーストリアを含む中東欧の人々は裸体に対するタブーが弱く、混浴についても寛容なである。緯度が高いので、全身で太陽を浴びたいのだろうか。冬になると日照量不足で気分が落ち込む私としては、その気持ちはよくわかる気がした。

 もっとも、私は全裸になるためだけにオーストリアに飛ぶような酔狂人間ではない。

 私は建築美術にも関心があり、この旅行の主目的は、クリムトシーレ、ココシュカといった人々の作品を鑑賞することであった。なので、脱衣はどちらかといえば、時間が空いたときのおまけである

 日本と同じで、月曜日には休業の美術館が多い。なので、月曜日にそうした巨大温泉施設に向かった。ウィーン中心街からおおよそ三十分ほどのオーバラー駅前の、テルメ・ウィーンと呼ばれるところである

 駅を出ると目の前に巨大な建物があり、そこからは既に硫黄香りがしている。そうしたところは我が国温泉とよく似ており、妙な安心感がある。片言のドイツ語で入場料を払い、タオルレンタルを済ませ、ロッカーに向かった。

 ロッカーのカギは電子式で、かざすと自動的に開閉されるというものだ。慣れるまでに時間がかかったが、すぐに便利だとわかった。荷物を持ったままガチャガチャと回すのは大変だからだ。ちなみに、このロッカールームの時点ですでに混浴で、男性女性関係なく着替えている。もちろん、慎み深い人のために個室の更衣室もあるのだが、別料金だ。

 ちなみに、温泉施設ではあるがすべて全裸で過ごすわけではなく、全裸なのは奥のサウナコーナーのみである。そのために私は一応水着を持参しており、ついでに防水のバッグも持ってきた。

 まずは、せっかくなので水着エリア温泉を楽しむ。とはいえ水着エリア温水プール同然であり、浸かっているとあたたかいが出て風に当たるとすぐに水着が冷えてしまうといった代物である。せいぜい人肌程度であり、温まるには不足である

 これはときどき指摘されることだけれど、日本人の湯加減の好みは、ヨーロッパの人々のそれよりもかなり高いらしい。ハンガリー温泉大国で知られているが、やはりそこも湯加減はぬるい。ただ、その程度の温度でなければ、ガイドブックで見かけるように、湯につかりながらのんびりとチェスの対局をやるわけにもいかないだろう。

 他にも、子供立ち入り禁止エリアというのがあり、ムーディーな照明と共に、カップル夫婦がぷかぷかと浮かびながら語らっているコーナーがあった。ここも温水プールほとんど温まらない。日本温水プールみたいに、塩素臭くないのはありがたいのだが、やはり汗をかかないと物足りなく感じてしまう。

 そうしたわけで、水着エリアを堪能した後に移動しようとしたのだが、サウナエリアがどこかわからない。あちこちうろつきまわり、子供に泳ぎを教えているらしい人やスタッフと思しき人物に、「ヴォー・イストサウナ?」(サウナはどこですか?)などとつたないドイツ語で尋ね歩くうちに、やっとのことでたどり着いた。

 なお、このゲートの先は別料金であり、鍵をタッチして入る。清算は帰りだ。そして、注意書きにはドイツ語と英語で「この先水着の着用を禁じる」と書かれている。なんとも徹底していることだ。私は軽快な電子音と共にその奥へと進んだ。

 サウナコーナーは、それほど変わった印象はなかった。ただ、見かける男性が皆素っ裸なので、私も水着を脱いだ。それほどの羞恥を感じなかったのは、一つには周囲には男性しかいなかったからだろう。それに、ここでは全裸が正装なのだ。だったら、むしろ何か着ている方が恥ずかしいのではないか。そんなことを思ったのである

 サウナ入り口には温度が書かれており、四十五度、五十度、六十度、それから九十度に分かれている。ひとまず五十度のところに入ると、既に老夫婦がくつろいでいた。ここで初めて裸の女性と遭遇した。

 二人は、私の存在を気にかける様子もなく、くつろいだ様子だった。私も、確かに目の前に女性がいるのだなあ、ということは考えたのだが、気にしてもしょうがなかったので、ぼんやり天井を眺めることにした。男性で前を隠している人はほとんどいなかったので、自分もそれに倣ったのだけれど、個人的には気持ちが良かった。世間体を気にせずにリラックスした姿でいるのは、何とも言えず心地よい。

 ちなみにその老夫婦のいたサウナでは、腰かけるところがチェアベッドのようになっており、仰向けにくつろげるような形になっていた。うとうとしているといつの間にか隣に座った男性が、ペーパーバックで何やら読んでいる。お風呂ではなくてサウナ読書、贅沢この上ない時間だ(もっとも、後で注意書きを見たら、サウナの中の読書禁止、と書かれていたのだが)。

 しばらくして、サウナを出てシャワーを浴び、他の温度のところを回ったり、冷水プールに体を浸したりした。日本温泉露天風呂がメインで、サウナ複数あるところは珍しい気がするが、ここでは様々なタイプサウナがあり、存分に楽しめた。

 たとえば、スチームサウナというのがあり、ここでは猛烈な蒸気で包まれる。汗が蒸発しないのでなかなかにつらいし、持っていたタオルもすぐにびしょ濡れになってしまうのだが、熱風がきつくないので、肌には優しい気がした。眼鏡をかけていると、何が何だかからなくなってしまうのだが。

 ちなみにこの眼鏡裸眼で転ばないように、日本サウナ用の眼鏡をわざわざ購入したものである

【ところで、このサウナコーナーには、外がある。サウナなので当然素っ裸で歩くのだが、これが気持ちがいいことこの上ない。芝生の上を歩けば、まるで熱帯民族になったようで愉快だ。そして、歩いた先には小屋があるのだが、そこもまたサウナである

 そこでは、おおよそ温度は九十度で、定期的にスイッチオンオフになる。オンになると、そこにはタオル一枚のおじさんがやってきて、香りのする水を炉に撒く。そして、巨大なタオルサウナの人々に熱風を浴びせるのである

 それがまた非常に心地よい。異様な高温のはずで、現に乳首が痛いほどなのだが、それでも不思議と生きている実感が与えられるというか、幸福感と高揚感が感じられる。それは他の人々も同じなのだろう。おじさんのパフォーマンスが終わると、一斉に歓声と拍手がする。ロウリュウ、と呼ばれるものに近いのだろう。

 そのあとも、おじさんは一人一人に熱風を送る。そのたびにあおがれた人々は嬉しそうだ。私も、「ゼア・グート。アバー・ゼア・ハイス」(とても気持ちがいいですが、とても暑いです)と、定冠詞活用無茶苦茶ドイツ語で応じた。すると隣のおじさんがあおがれたときに「カルトカルト」(寒い寒い)などというものから、思わずその場は笑いに包まれた。

 私に向かって風を送るときに、両手を合わせてお辞儀をしてくれた。たぶんタイかどこかと間違えているのだろうが、悪意よりも親しみを感じたので、こちらも会釈した。腰かけるところが熱すぎて胡坐をかいていたので、仏像か何かと勘違いしたのかもしれない。

 その後、全身をほてらせながら野外にある二十五メートルほどのプールで体を冷やした。何往復か泳いでから、仰向けになって曇り空を眺めているうちに、これほどの幸せなはないだろうな、と感じられた。何のしがらみもなく、何の規制もなく、ただ存在するだけ。過度な欲望もなく、競うこともなく、誰から干渉されない時間だけそこにあった。

 それに、水着を身につけずに泳ぐと体を締め付けるものが何もなくて、全身を区別せずに流れていく水が本当に心を自由にしてくれる。それに、誰もお互いの裸をじろじろ見たり気にしたりしないのも、気持ちが良かった。あたたかな無関心というか、あるがままの姿を受け入れてもらっている感覚になるのだ。

 人間身体のどこに猥褻なところがあるのだろう、表現規制は何のためにあるのか、などと大げさな議論が頭の中に形を取ろうとしたが、そうしたもの普段日の当たらない陰部に太陽が差す気持ちよさに溶けてしまった。

 そうしたわけで、私は結局三時間以上もそこで過ごすことになった。】

 さて、三時間過ごしたので、そこではいろんな人を見ることができた。もちろん、凝視したわけではないけれど、それでも混浴に来るオーストリア人にはいくつかのパターンが認められた。

 その一、スポーツマンタイプものすごい筋肉量で、アスリートか何かのようだ。これだけ鍛えていれば、自分身体に恥ずかしいところなど、どこにもないと言わんばかりだ。ギリシアローマ彫刻そっくりであるスポーツマン同士で何やら楽しげに話していることが多い。

 その二、力士タイプ。非常にでっぷりとした肥満体系のおじさん。人からどう見られているかそんなに気にしていない印象。こちらも堂々と歩いており、楽しそうにしている。

 その三、老夫婦。なんというか日本混浴にもいそうな、のんびりした雰囲気ときどき湯船の中で抱き合ったり、ほっぺたにキスしたりしている。ちなみに、注意書きには「キス以上のことはしちゃダメ!」「十六歳未満の入場禁止!」と書かれている。

 その四、比較若いカップル、あるいは若い男女。よくわからないのだけれど、「みんなで渡れば怖くない」的な感じで一緒に来たのかもしれない。

 ちなみに日本人は私だけだった。それから一人だけアフリカ系の人がいた。それ以外はみんなヨーロッパ系。

 で、こうして振り返ってみると、比較若い人が多い。それでも、私はあまり気にならなかった。というのも、前も言った通りここは全裸が正装なのであり、それについてとやかく言うほうが変だ。確かに、きれいで魅力的な人もいたし、中には私の好みの人もいたのだが、雑踏ですれ違う以上の感慨はなかったし、わざわざ振り返ることもなかった。

 混浴について、猥褻だとか下品だとかい意見があるが、私はまったくそう思ない。そもそも、ここは風呂サウナであり、いい湯だな、以外の感想はない。たぶん、混浴について批判的な人は、マナーの悪い人と一緒になってしまったのか、そもそも風呂がそこまで好きではないか、なのではないか。人様のことだから勝手判断差し控えるが。

 というか、見えそうで見えない極小ビキニなんかよりも、素っ裸の方がよっぽど上品な気はする。潔いし。隠すから下品だとか猥褻だとか言われるんじゃなかろうか。みんな最初からすっぽんぽんだったら、誰も気にしないだろうし。隠せば隠すほど、そこに注意が向くし、逆説的にそこに注目してくれと言っているようなものな気がする。

 それと、全然関係ないけど、女性でも腋毛もじゃもじゃの人は多いのは面白い。話には聞いていたが、実際に目にするとやはり興味深い。陰部がどうなっているかはじろじろ見なかったからわからないけれど、向こうの人は剃っているとはよく聞く。ただ、そんなことも温泉気持ちいいのでどうでもよい。

 そういうわけで、私はオーストリア混浴を十分に楽しんできた。予想していた通り、とても気持ちが良かった。日本にも類似したサービスがあればいいのに、と思ったが、マナー一定の水準に保つことは難しいだろう。きっと、ナンパしたりじろじろ見たりする行為が横行するに違いない。一度絶えてしまった、混浴文化を再びメジャーにするのは、難しいだろう。

 プールサイドで裸のまま横になり、夢うつつのまま時間が過ぎていく経験は非常に贅沢だった。しかし、これは今の温泉文化とは、少し違うかもしれない。

 個人的には、自分がやりたいことをやったので、満足している部分はある。今後どうするかはわからない。恋人がいないときだったので、とりあえず全裸になってはみたのだが、もしも今後も恋人が見つからず、行きたい場所が思いつかなかったら、どこか別の国でヌーディストビーチに行くかもしれない。それか、趣向を変えて、全裸ハイキングか全裸マラソンかに挑戦するかもしれない。

 もっとも、この混浴体験ですっかり気が済んでしまい、数年後には興味すら持たなくなっている可能性もある。それはわからない。

 ただ、やりたいことをやってみて、それなりに面白かった。それで十分なのかもしれない。

 皆様の快適な全裸ライフの参考になれば幸いである。

 最後に、脱いではいけないところで脱ぐのは絶対にやめましょう。これだけは強調しておく。

最後に】

 本記事カクヨムにも掲載されている。私が投稿者本人であることは、カクヨムでは連載中であり、現時点でも未公開になっている部分が含まれていることが証拠になる。

【付記】

 ヌードバイクみたいな、ヌーディスト活動経験者の増田は、ほかにもいらっしゃるのだろうか。あるいは、ヌーディズムに関心がある、だけでも潜在的にはどれほどいるのだろう?

2019-09-11

anond:20190911115058

「断韓」って今急に極端なやつらが来たみたいに言ってるけど、ネトウヨとされる人達はもう5、6年はずっと言っている内容だからな。

仏像が盗まれただの、大使館前に像が置かれただの、徴用工の判決が出ただので、今どうなのよって調べたら自然とそういう結論になっている人たちを見ることが出来た。

古市ブーメランが発生しちゃったのも、だからだろ。

 

それはブームなのか? というと違うというのは判る。

流行りだしたというより、支持を得だした、というか。

2019-08-25

昔って色んな職業ネットで見えてた気がする

靴修理とか、林業とか、仏像彫ってたり、薬学とか、有機合成とか。


今どき職業プロってネットに出ても意味ないもんな。

有名人ちょっとやってみたって方がお金になるし

2019-08-24

物語でよくある金持ちじーさんの後妻が金目当てにじーさん殺す設定

さっき読んでたマンガはじーさんが実業家の設定だった、一代で小さな商店大企業に成長させたという

若い嫁がじーさん殺して、金は自分のもの とほくそ笑むけど

若い嫁は股開く描写しかなく、事業になんの知識もないところでじーさん殺しちゃまずいんじゃないのか

さらには嫁が事業後継者として社長に、というのもありえないだろ と読んでて思った

殺されるじーさんは実業家じゃなく資産家としとくべきでは

まあ呪い仏像テーママンガだしそんなことはどうでもいいのか

2019-08-08

仏像盗んだ韓国籍の男たちさ、片方は容疑を認めてて、片方は容疑を認めてないんだけど

認めた方の罪はほんの少し軽くしてやって、認めてない方に「あいつは認めたからな。罪は軽くなるだろうな」っていっちゃだめなんかな。

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