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はてなキーワード: 縄文時代とは

2021-11-22

anond:20211122000819

分子生物学考古学は、言語系統についていかなる証明もすることはできない。言語系統証明できるのは言語学だけである

そうですねただしロベーツの論文の肝は言語学、分子生物学考古学を使った三点測量であるという点です。



およそ2500年前くらいまでは言語学、分子生物学考古学共の3つのコンパス共に同じ方向、朝鮮半島北部、を指している状態です(それ以前を言語学で遡るのは資料がないため難しい)。

また日本人DNA的にも黄河長江流域からの影響は極めて少ないことも分かっています

よって、トランスユーラシア語族が成立するか否は別の問題として(成立するとしても言語連合と思っています)、先日琉語族の原郷が遼河流域になるという主張はかなり信ぴょう性が高いと私は判断しています

2021-11-21

anond:20211121201022

元増田です。解説ありがとう

しかし本論文言語学だけではなく、分子生物学考古学視点から考察を行っており、特に分子生物学の成果が大きい。

2010年代以降の考古遺伝学の発達はまさに革命といってもよい。2010年代以降と以前では別物と言っても過言ではない。(この発展については「交雑する人類」を読むと良い)

解析方法の発展と古代人骨の収集によるデータの発展が両輪となって、現代の考古遺伝学はほぼ数理科学となっておりこの論文でもデータセットとソースコードが公開されている。

そこには特に異論はないというか、専門外すぎて口出しできない(『交雑する人類』、日本語版が出た直後に読んだけど面白いよね)。「少なくとも言語学の側面からは」と書いたこからわかってもらえてると思うけど、分子生物学とかそのへんの研究成果について否定するつもりは毛頭ないのよ。

ただ、言語学見地から証拠が弱いけど、分子生物学とかで補強しまーす! って言われると、いやいやまずは言語学見地証明するのが先やろが、って話になっちゃう。ロベーツさんが自分の「トランスユーラシア語族」仮説の脆弱さを分子生物学とかの虎の威を借りて誤魔化してるようにしか見えんのよ。

言語学を置き去りにして分子生物学考古学によって答えを出すのはフェアではないというご主張たしか理解できます

しか日本語起源について、肯定にせよ否定にせよ、答えを出すのは言語学では不可能だと思っています

世界で最も古くから研究が進んでおり非常に多様な姉妹語が現存している印欧祖語でさえ、6500-4500年前の印欧祖語にはまだたどり着けていません。

それに対して日本語琉球語しか姉妹語が存在せず、唯一関係がありそうと思われている高句麗語(正確には高句麗先住民言語pseudo-Koguryŏ)と濊語も資料ほとんどありません。

さら縄文時代言語は「ほとんどない」どころか絶無です。

このような条件のため言語学によってさかのぼることができるのはせいぜい2500年前程度でしょう。


よって今まで日本語起源は「まともな言語学者なら手出ししない危ない分野」と見なされていました、2010年代までは。

https://anond.hatelabo.jp/20211111231157 で紹介した文章ですが、以下のように国内言語学者たちもゲノム研究を軸に研究を進めているのが現状だと思います

http://www.yaponesian.jp/cmsdesigner/dlfile.php?entryname=kikan&entryid=00008&fileid=00000001&/Yaponesian_Vol2summer_online.pdf&disp=inline

http://www.yaponesian.jp/cmsdesigner/dlfile.php?entryname=kikan&entryid=00009&fileid=00000001&/Yaponesian_2_%E3%81%82%E3%81%8D%E5%8F%B7_1120_ALL_online.pdf&disp=inline

福井:ただ日本語と唯一関係があるかもしれないと思っているのは、河野六郎先生や李基文先生など多くの方が扱ってきたいわゆる高句麗語あるいは濊語、つまり高句麗地名から推定される言語で、それが日本語に近いというのはほぼ間違いない。最近伊藤英人先生も注目すべき発表をなさっています

遠藤:ええ、だからこのヤポネシアゲノムプロジェクトでも日本以外の言語学証拠で一番確かな根拠は、いわゆる「高句麗地名だと狙いを定めて、初年度から重点的にやっています。実際にはたぶんそれが全体として「高句麗語」を反映するというよりも、倭人半島部で先住民として当時になるとモザイク化して居住していて、倭系の地名を残したとか、そんなイメージではないかと思うんですけど。

福井:そうですね。それを河野六郎先生がはじめて歴史的資料の中に出てくる濊人の言語ではないかということを言い始めた。その一番きっかけとなった大きな証拠は、もともと朝鮮日本人のことをなんと呼ぶかというと、jej(예)ですね。これが「濊」の字音(jej)とまったく一致します。その一方で、日本人の呼称普通倭人字音「倭(waj)」となるはずなんですが、中期朝鮮語の資料の中ではそれではなくて、jej(예)と呼ばれている。そこから発想されたのかなと思うんです。

遠藤:それが現在中国東北部、古い時代の「夫余」の地域あたりまでJaponicで解ける地名があると以前から言われています

遠藤:それで、九州の無アクセント地域と二型アクセント境界線のあたりにABOの血液型境界線がひかれるんですね。A型瀬戸内海から関西にかけて特に多くなって、その周りに別のタイプがあって、その境界線がちょうど無型アクセントになるあたりなんですね。

それから他にも斎藤先生のおっしゃる三段階説または内なる二重構造、イエナのマックスプランク研究所の人は新幹線モデルといっていましたが、関西から山陽新幹線がはしっている辺りから九州にかけて、身長が高くて、首と胴体の比率が7頭身に割合近いといった形態的な違いもあるそうですね。

それで、服部四郎が『アクセント方言』の中で、北九州の辺りから関西にかけて移住が起こったかもしれないと書いていますね。

しかしたら朝鮮半島からも繋がっているかもしれず、弥生人北九州にもたらした日本語アクセントをもっていたが、周辺部ではアクセントがなかったとかいたことがもし想定できるとしたら風間先生とか狩俣先生とか、もっと早くは山口幸洋が言っているようなこともあるかもしれませんね。

まり一言語内部の比較言語学的な考察からすると対立が少ないところは分化条件が与えられない限り必ずや合流を経たとせざるを得ないので、ウルトラCのような離れ技として民族的ないし言語的なsubstratumを想定に入れないとダメになりますね。

ヤポネシアゲノムが始まる2年前までは我ながらこんなことを言い出すなどとは思いもよりませんでしたね。

もう40年ほど前から日本語系統論っていうのは、本当に危ない分野なので手出しせずに実証的な研究に没頭すべきだと考えてきた世代なので。







また日本語遼河流域を原郷とするのではないかという意見は、本論文以外でも本当にたくさんの論文によって主張されている。

それは「日本人」の原郷であって「日本語」の原郷ではないやんけ。

.....

もちろん古代の話だから、ヒトという乗り物に乗って言語も一緒にやってきた、と仮定するのが無理のない話だろうし、言語学的に想定された原郷と古人類学の観点から突き止められた原郷が一致するなら「なるほど原日本人=原日本語話者の原郷はここなんだな」という結論になるだろうけど、言語学的に穴だらけの仮説を補強するのに古人類学の成果を持ってくるのは話の順番が違うっしょ。

ちなみに言語学的な原郷が遼河流域という説自体は、個人的にはそれなりに「ありそう」だなと思ってる。大陸倭語の存在もあるから古代朝鮮半島に日琉語が分布してたのは事実っぽいし、さらに、五十嵐(2021)は関東から東北にかけてを覆う「拡大東日本語派」と九州から沖縄まで連なる「南日本語派」がマトリョーシカ分布を示すことを指摘して、本州西部から四国あたりの地域日本語の原郷を求めてるけど、仮に日本語祖先朝鮮半島から入ってきたとすると「なるほどそこから列島に入ってきたんだな」という感じで辻褄が合うんだよね。ただこれはなんの証明もできない妄想であって、もっとちゃんとした言語学的な証拠必要だけど。



失礼、そうですね。その論文DNA研究論文ですからね。

言語については以下の論文ですね。

アメリカ人言語学アレキサンダーボビン

"Origins of the Japanese Language(2013)"

“From Koguryo to Tamna: Slowly riding to the South with speakers of Proto-Korean(2013)”

アメリカ人言語学者 ジョン・ホイットマン

“Northeast Asian Linguistic Ecology and the Advent of Rice Agriculture in Korea and Japan(2011)”

オーストラリア国立大学史学人類学部 ピーターベルウッド

"The Global Prehistory of Human Migration(2013)"

ソウル大学校韓国語研究 李基文

"A History of the Korean language.(2011)"

アメリカ人日本語研究ジェームズマーシャルアンガ

"The role of contact in the origins of the Japanese and Korean languages.(2019)"

anond:20211121124146

>少なくとも言語学の側面からは非常にうさんくさい

言語学の面から考慮すると、トランスユーラシア語族証明するには弱いというのは否定できない。

そもそも3500年前の文字しか残っていない東アジアで9000年前の言語を解明するのは言語学的にほぼ不可能

しかし本論文言語学だけではなく、分子生物学考古学視点から考察を行っており、特に分子生物学の成果が大きい。

2010年代以降の考古遺伝学の発達はまさに革命といってもよい。2010年代以降と以前では別物と言っても過言ではない。(この発展については「交雑する人類」を読むと良い)

解析方法の発展と古代人骨の収集によるデータの発展が両輪となって、現代の考古遺伝学はほぼ数理科学となっておりこの論文でもデータセットとソースコードが公開されている。

仮にトランスユーラシア祖語が証明されなかったとしても、分子生物学考古学により証明された人間文化の移動は覆ることはないと思う。

また日本語遼河流域を原郷とするのではないかという意見は、本論文以外でも本当にたくさんの論文によって主張されている。

例えばこれは今年発表された論文だ。

東アジア集団形成に関するゲノムからの知見

Genomic insights into the formation of human populations in East Asia

Wang C.C., Yeh H.Y., Popov A.N., Zhang H.Q., Matsumura H. et al.

この弱まったアムール川流域の影響は、青銅器時代の夏家店上層文化期に乾燥化と寒冷化に伴って牧畜主体とした集団が南下することで、再びもたらされます

この、日本縄文時代から弥生時代への移行期に、西遼河流域の遺伝構成に変化が生じていることは、日本への渡来人遺伝的背景を解明する上でも考慮すべき点です。

論文では、現代日本人の遺伝構成が、西遼河流域の青銅器時代92%と縄文人8%の混成で説明でき、黄河流域からの影響は無視できるほどだとしています

よって、ゲノムの結果を踏まえての私見ですが、西遼河流域周辺の雑穀農耕を主体とした集団に、生業として水稲農耕がもたらされ、それが朝鮮半島を経由して日本列島に弥生時代早期にもたらされたとする解釈妥当のように思います

2021-11-20

anond:20211119172629

 阪神大震災とは、世界中ダム地震と同じく、山を削って住宅地にして、その土砂を使って人工島を二つも作り、淡路島から渦潮のど真ん中に目釘を置いて行き、瀬戸内海太平洋の海流を邪魔すると、あ~ら不思議岩盤割れて新しい活断層が出来て、淡路島から宝塚に至るまで、800ガルを超える浅い震源での直下大地震が起こり、既存土地木造住宅が倒壊して、7000人の貧困層とか若年低所得者とか高齢者木造アパートに住んでるのを全員計画的抹殺しましたと言う人災

 熊本震度7大地震と言うのは、トヨタとかホンダなど世界中の中心となる基幹工場九州建設し、東南海地震心配がある危なっかしくて手狭な中部地方から企業城下町ごと九州移転させて、稼働するところまで行ったのに、建設地震で全て崩壊して、基幹工場移転計画までおじゃんになったバカ丸出し人災

 阿蘇山溶岩ドームを割って、中央構造体と言う九州から和歌山に至る日本最大の活断層沿いに震源が移動して行き、日本滅亡フラグが立って大爆笑。もし東南海地震が起こるか阿蘇山が終局噴火すると、富士山の600倍のエネルギー日本が滅亡し、7300年前に終局噴火した九州南方の海底火山、鬼界カルデラが(富士山の400倍)噴火した時以上の破滅がもたらされる。

 当時山口県まで火砕流が到達して、勿論九州全滅で焼けただれて窒息死、縄文時代の栗の木などを中心とした集落とか、東北まであった巨木信仰集落がすべて消え失せ、太陽である天照大神がお隠れになると言う伝説が残り、相撲の神とされるタジカラオ神が岩戸を投げたという伝承通り、長野県奈良県まで巨大な噴石大気圏突破して飛び、今も天岩戸神社として信仰されている。

 三渓ダム建設した時のダム地震は、四川省大地震と、多分アンダマン海で起きたマグニチュード9.1の地震で、インドネシアインド洋に面するアフリカまで到達する大津波で、数万人の犠牲者を出して、衝撃波地球を三周した大地震

 三国志でも、「諸葛孔明もまた書生であった、寒い漢中では暖かい南方から持ち込んだ麦は穂を付けなかったのだ」のと同じく、自然のしっぺ返しを一切考えない書生で子供戯言

2021-11-19

anond:20211119172629

山は雲を捕まえて雨をもたらすからね。

あと、日本は山を多少は削るけど、縄文時代から膨大な量埋立している国だぞ。

2021-11-18

anond:20211118161021

元は縄文時代の人に萌え絵を見せたら受け入れるかどうかって話や

2021-11-11

anond:20211111231157

どちらかというと、稲作などを海外から持ち込んで弥生時代きっかけを作った人々の方が数の点で劣勢で言語的には現地(縄文日本人)に同化していったと思われる。

逆で同化されたのが縄文

https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/2019/6431/

現代人のゲノムから過去を知る~Y染色体遺伝子系図解析からわかった縄文時代晩期から弥生時代にかけておきた急激な人口減少~

縄文時代晩期は世界的に寒冷化した時期であり、気温が下がったことで食料供給量が減ったことが、急激な人口減少の要因の一つではないかと思われる。また、その後人口が増加したのは、渡来系弥生人がもたらした水田稲作技術によって、安定した食料供給可能になったためと考えられる。

https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/2020/7056/

都道府県レベルでみた日本人遺伝集団構造縄文人と渡来人の混血がもたらした本土日本人内の遺伝異質性

本土人のゲノム成分の80%程度は渡来人由来である推定されているが、近畿地方四国地方には、さらに多くの割合渡来人流入したのかもしれない。

また、地理的位置遺伝構造に影響していることや、沖縄県遺伝的に近い九州地方東北地方が互いには近縁でないことから渡来人との混血時に縄文人は遺伝的に分化していたと考えられる。






縄文時代には現在日本語日本列島では話されていなかった

弥生時代になって流入した渡来人言語日本語祖先

最後にこれは別に俺が主張しているわけではなく、日本人研究者以外にも世界中の研究者論文を書いてる

anond:20211111230103

http://www.yaponesian.jp/cmsdesigner/dlfile.php?entryname=kikan&entryid=00008&fileid=00000001&/Yaponesian_Vol2summer_online.pdf&disp=inline

言語学第二座談会(~前半の部~)

千葉大学にて1月開催

発言者遠藤光暁、青山学院大学教授中国語音韻史・方言学、アジア地理言語学

    木部暢子、国立国語研究所副所長、日本語方言

    風間伸次郎、東京外国語大学教授アルタイ言語言語類型

    福井玲、東京大学教授朝鮮語

    吉川佳見、国立国語研究所非常勤研究員アイヌ語

    児倉徳和、東京外国語大学アジアアフリカ言語文化研究所准教授ツングース満洲語学

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福井:ただ日本語と唯一関係があるかもしれないと思っているのは、河野六郎先生や李基文先生など多くの方が扱ってきたいわゆる高句麗語あるいは濊語、つまり高句麗地名から推定される言語で、それが日本語に近いというのはほぼ間違いない。最近伊藤英人先生も注目すべき発表をなさっています

遠藤:ええ、だからこのヤポネシアゲノムプロジェクトでも日本以外の言語学証拠で一番確かな根拠は、いわゆる「高句麗地名だと狙いを定めて、初年度から重点的にやっています。実際にはたぶんそれが全体として「高句麗語」を反映するというよりも、倭人半島部で先住民として当時になるとモザイク化して居住していて、倭系の地名を残したとか、そんなイメージではないかと思うんですけど。

福井:そうですね。それを河野六郎先生がはじめて歴史的資料の中に出てくる濊人の言語ではないかということを言い始めた。その一番きっかけとなった大きな証拠は、もともと朝鮮日本人のことをなんと呼ぶかというと、jej(예)ですね。これが「濊」の字音(jej)とまったく一致します。その一方で、日本人の呼称普通倭人字音「倭(waj)」となるはずなんですが、中期朝鮮語資料の中ではそれではなくて、jej(예)と呼ばれている。そこから発想されたのかなと思うんです。

遠藤:それが現在中国東北部、古い時代の「夫余」の地域あたりまでJaponicで解ける地名があると以前から言われています

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風間:2つほどあります別に私が言い出した事ではなくて、以前Vovinさんらが日文研から刊行した日本語系統についての本にも書かれていますが、日本語は昔はもっと孤立語的なタイプだったとする説です。先ほど遠藤先生中国語などと比べると日本語全然違ったタイプ言語であるとおっしゃっていましたが、日本語は昔はもっと孤立語的なタイプだったとする説を考えていく必要はあると思っています。昨日も木部先生がおっしゃっていましたように、古代日本語の語はほとんど一音節です。一方、母音の数は現在よりおそらくもうちょっと多かった。助詞自体にも個別の声調があって、現代のテ形のテの部分などにも独自の声調があった。つまり膠着的ではなく、文法要素も独立した語の性格を持っていて、孤立語的だったということです。助詞助動詞には自立語起源説明されるものがかなりたくさんあり、声調があって単音節、という事になると、まるで孤立語であるということになります

遠藤:ええ。それは歴史時代の話ですよね。

風間はい、今まさしくそ歴史時代日本語の事を考えなくてはいけないんだと思います。それを考えるとやっぱり孤立語だったという可能性についてよく検討していくべきではないかと思います

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遠藤:文献言語史的な証拠から言うと日本語はせいぜい1500年前ぐらいしか遡れないですね。あるは『魏志倭人伝』とかの頃ですよね。高句麗かいろんな北方民族の記録については中国側の正史などの東夷伝とかもありますが。考古学の方からするともっと古い情報がわかって、宮本一夫先生の説によると、まず日本語を話す人たちが朝鮮半島に入ってきて、そのあと朝鮮語を話す人たちが現在でいう中国東北部から朝鮮半島に入ってきた、といったことが先史時代に起こっている可能性があるので、そうすると日本語朝鮮語ツングース語を話す人たちっていうのは中国東北部先史時代に非常に密接な接触をしている可能性があることになりますね。われわれは普段そういうことを考えないんですけど、そういうのはどうでしょう。かのアルタイタイプ諸語のTurkic、Mongolic、Tungusic なども地理的な分布範囲歴史時代先史時代ともかなり移動しているんじゃないでしょうか。

福井考古学との関わりという意味ではやはり今後参考にすべきところはいろいろあると思います。昨日の私の話だと主に韓国語から日本語への借用ということを中心にお話しましたけど、まあその逆の場合もありうるわけで。日本朝鮮半島の間で考古学的な遺物共通している場合があります。これは歴史学の人から聞いた話ですけれども、例えば日本式の甲冑韓国のある一部の地域でかなりたくさん出てくるとか、その時期そのあたりで接触があったということは明らかであるし、前方後円墳朝鮮半島でも見つかっていて、それは歴史をやっている人たちからするとむしろ日本から渡ったものではないかという説もあります

遠藤古墳時代ぐらいになるとそういう方向もあるみたいですね。遺伝学的な根拠からしても半島南部のところで縄文DNAが見つかったとかいうこともありますしかし、文献言語史で考えるくらいのタイムスパンだと日本列島には既に日本語が入っていて朝鮮半島朝鮮語が優勢であってツングース語はシべリアから中国東北部にいた、といった現代の状況を投影して考えがちですが、もっと全然違った居住地域で一緒に雑居していて遥かにドラスティック言語接触を考えてもいいんじゃないかってこのプロジェクトに入ってから思うようになりました。言語学的にそれを証明することは非常に難しいと思うんですが。語族単位でやっていると非常に細かい違いが目に入ってくるかもしれませんが、もっと大きいアジア全域といったマクロ範囲で見るとやっぱりアルタイタイプ諸語の共通性が際立って見えるんですね。

.....

風間:もう1つ目についてお話しするには今日はもう残念ながら時間が残っていないと思います。先の話の続きですが、やや推論の上での推論ということになりますが、孤立語だった日本列島言語を話していた人々を大陸から来た別の集団征服して、それが上層言語となり、下層言語孤立語ものだったけれども、最終的に日本語がSOVで膠着的なアルタイ型の言語文法タイプに再編成されたという可能性はあり得ると思います

遠藤縄文語(諸語?)が孤立語タイプで基礎語彙がそこから継承されて、弥生時代大陸から入ってきた膠着語タイプ言語によって文法が組み替えられたというわけですか。私などは『三国史記』で半島大陸部にJaponic地名存在するということからして、むしろ日本語半島とか大陸にあった時代に非常に密接に接触するチャンスがあったのでは、という仮説に傾いているのですが。

風間大陸接触してから列島に入ってきたということでもいいとは思いますが、その支配者層はそれほど多くの人数でなかったとしてもかまわないと思います

遠藤漢語について言うと、遣隋使遣唐使が行って、ごく少数のエリートが本をもってきて、仏典も含めてずっと勉強していく過程日本列島舞台として日本語の中の漢語の中の比率が増えていくわけですよね。そういう事は文化語彙については英語などでもギリシャ語ラテン語フランス語が大量に入るといったことは起こりますが、言語の中核的な部分で民衆言語まで浸透するためには、そういう文化的な学習だけじゃなくて日常的なレベル普通庶民バイリンガリズムとかの状態になっていないと、そういう風な組み換えは起こりにくいんじゃないでしょうか。あるいは完全に支配者の言語に取って代わられる例っていうのは中南米スペイン語とか枚挙にいとまないですけど。

http://www.yaponesian.jp/cmsdesigner/dlfile.php?entryname=kikan&entryid=00009&fileid=00000001&/Yaponesian_2_%E3%81%82%E3%81%8D%E5%8F%B7_1120_ALL_online.pdf&disp=inline

言語学第二座談会(~後半の部~)

...................

風間ゲノムをはじめとする他の学問分野での推定とどのような関係にあるのかはわかりませんが、言語学シナリオとして唯一あり得ると考えられるのは、日本語孤立語タイプから現在膠着語的なタイプへと、何らかの理由で変化してきたという可能性ではないかと思います。それを示唆するような痕跡的特徴は日本語にある程度存在するのではないかと思います。その中でも一番問題になるのはアクセントもしくは声調と呼ばれる現象さらにはその両方が日本語にあるということだと思います。ただ、アルタイ諸言語がどの言語弁別的アクセントを持たない、ということもあり、私は日本祖語は無アクセント言語だったのではないかという仮説に深く関心をもっています山口幸洋さんをはじめとする何人かの研究者提案されている仮説です。

...................

木部:これから先は想像世界ですけども、古くは日本列島各地に今の大和ことばではない言語、何語であるか分からないような言語日本列島にいっぱいあって。

遠藤:たぶん縄文時代とか。

木部:縄文時代縄文語かもしれない。それが無アクセントであったという事はあり得るとは思います。そのあと、大和琉球共通祖語、日琉祖語が上にかぶさって、元の言語は日琉祖語に取り替えられたけれども、アクセントにはサブストレータム(基層語)としてもとの無アクセントの特徴が残った地域があって、現在、各地に点々と残っているということはあるかもしれません。元々、声調の区別をもっていなかった言語が新しい言語を受け入れたときに、アクセント区別をしなかったという事はあると思います。無アクセント言語アクセントのある言語から借用語を取り入れるときに無アクセントで取り入れるという事はよく起きています

...................

遠藤:それで、九州の無アクセント地域と二型アクセント境界線のあたりにABOの血液型境界線がひかれるんですね。A型瀬戸内海から関西にかけて特に多くなって、その周りに別のタイプがあって、その境界線がちょうど無型アクセントになるあたりなんですね。それから他にも斎藤先生のおっしゃる三段階説または内なる二重構造、イエナのマックスプランク研究所の人は新幹線モデルといっていましたが、関西から山陽新幹線がはしっている辺りから九州にかけて、身長が高くて、首と胴体の比率が7頭身に割合近いといった形態的な違いもあるそうですね。それで、服部四郎が『アクセント方言』の中で、北九州の辺りから関西にかけて移住が起こったかもしれないと書いていますね。もしかしたら朝鮮半島からも繋がっているかもしれず、弥生人北九州にもたらした日本語アクセントをもっていたが、周辺部ではアクセントがなかったとかいたことがもし想定できるとしたら風間先生とか狩俣先生とか、もっと早くは山口幸洋が言っているようなこともあるかもしれませんね。つまり一言語内部の比較言語学的な考察からすると対立が少ないところは分化条件が与えられない限り必ずや合流を経たとせざるを得ないので、ウルトラCのような離れ技として民族的ないし言語的なsubstratumを想定に入れないとダメになりますね。ヤポネシアゲノムが始まる2年前までは我ながらこんなことを言い出すなどとは思いもよりませんでしたね。もう40年ほど前から日本語系統論っていうのは、本当に危ない分野なので手出しせずに実証的な研究に没頭すべきだと考えてきた世代なので。

anond:20211111152229

substratum が縄文語で superstratum が弥生時代海外から持ち込まれた新しい要素で、現代日本語にも縄文語の要素が多く残っており、

現代日本語の方言の多くは東京アクセント中国地方九州の大半も)であって関西アクセント地域が島のように残っていることからも、

関西アクセントこそが弥生時代に持ち込まれ渡来人たち(天孫族?高天ヶ原族?)の言語の要素の名残りという見方が有力。(小泉保などを参照)


「substratum が縄文語で superstratum が弥生時代海外から持ち込まれた新しい要素」に関しては同意

しかし基層言語(substratum)と上層言語(superstratum)のいずれが軸となったかについては、弥生時代流入してきた上層言語の方というのが通説。

また縄文語という一つの言語があったということも証明されてはいない。

そして「縄文語の発見 」で知られる小泉保の研究現在では否定されている。

はっきり言って、まともな研究者なら顔をしかめるレベル相手にされていない。

日本語起源」論の歴史展望: 日本語起源はどのように論じられてきたか

10章 ゲノムデータ言語データ関係

p.257

このほか、かつて小泉保(1998)は日本語起源縄文時代のはじめにあるとし、日本語琉球語分岐年代縄文時代のかなり早い時期だと主張しているが、現在研究では否定されている。

そもそも小泉(1998)の本の中核となっている、日本語方言のなかでは一型アクセント(無アクセント)が古いというアイデアは、山口幸洋が以前から日本方言学会提唱していたものだ(山口幸洋 [1998]を参照)が、なぜか小泉山口の業績に全く言及していない。

このあたりの経緯は、山口(2002)に記述されている。

過去研究に目を配り、関連する文献にはきちんと言及するのが、研究者の取るべき態度であろう。

両人ともすでに鬼籍に入られたが、日本方言研究における汚点として指摘すべきであると考え、ここに記すことにした。

2021-11-02

anond:20211102020044

それたぶん室町時代でも縄文時代でも先達の何かより後続の新作のほうがって言い出してる話あったと思うよ

結果、老成した文化しか残ってない現状、そういうのは実にならないよ

2021-10-13

anond:20211013144235

秦の始皇帝の命を受けた徐福は、不老不死の薬を求めて日本わたり

日本の各地には徐福暮らしたという伝承が残っている。冒頭で述べた新宮市徐福公園もその一つだ。ここには公園が整備される以前、江戸時代前期に紀州徳川藩初代の徳川頼宣の命でつくられた「秦徐福之墓」の碑が立っている


始皇帝も本気になった。徐福のいう三神山とは、蓬莱・方丈・瀛州(ほうらい・ほうじょう・えいしゅう)のこと。それは渤海の(遼東半島山東半島に挟まれ内海)の先にある神仙が住むとされた山のことである。さっそく徐福は命を受けて東の海へと出発した。その時には3000人の童男童女若い男女のこと)と百工(多くの技術者)と財宝に五穀の種子を詰めこんでいた。こうして船出した徐福一行が帰ってくることはなかった。「淮南衡山列伝」では、平原広沢(広い平野湿地)を得て王となったと記述されている。

この出来事紀元前219年頃のことと考えられている。日本ではようやく長い縄文時代が終わり弥生時代を迎えた頃である卑弥呼が登場するのは、ようやくこれから400年ほど後のこと。まだ日本には文字で記録されるような文明はなかった。そのためか『古事記』『日本書紀』には徐福に関する記述はない。

ただ不思議なことに古来より日本の各地には徐福暮らしたという伝承が残っている。冒頭で述べた新宮市徐福公園もその一つだ。ここには公園が整備される以前、江戸時代前期に紀州徳川藩初代の徳川頼宣の命でつくられた「秦徐福之墓」の碑が立っている。

20世紀後半まで伝説だと思われていた徐福

あくまで、伝承人物だったはずの徐福研究が活気づいたのは1990年代初頭からだった。長らく徐福は『史記』に記されながらも、存在疑問視されてきた。『史記』は歴史書として名高いが、一方で批判的な視点での読解が求められる書物である。なにしろ作者である司馬遷自分で見たり聞いたりしたことを書いているわけではない。徐福司馬遷の生きた時代からは100年あまりも前の人物である

史記』のほかに徐福記述がある史書は多かったが、話の荒唐無稽さもあって、あくま伝説上の人物という見方が強かった。

徐福上陸したと伝わる三重県波田

その認識が覆されたのは1982年のことである。当時『中華人民共和国地名辞典編纂に携わっていた徐州師範学院教授の羅其湘は江蘇省の連雲港市郊外に後徐阜村という地名があるのを見つけた。調べてみると、この村は清の初め頃までは徐福村と呼ばれていたのだという。

これを契機に秦・漢代の造船所跡などの遺跡も見つかり、にわか徐福実在性は高まったのである。今では、この村は廟も建てられ徐福生誕の地として観光地になっているという。

anond:20211013142220

だいたい日本人縄文時代の頃から中国拳法相手と闘う研究しかしていないぞ

から空手501年目を迎えるため、技をパクる

anond:20211013142659

ちゃんと調べてみたら縄文時代弥生時代区切り紀元前10世紀3世紀ごろまでで諸説あるんだね

学校で教えてるのが紀元前3世紀ごろってのは始めて知ったわ

一つ賢くなった、ありがとう

日本ってマジで遅れてるよな

紀元前3世紀ごろと言えば、

お隣の中国では『キングダムよろしく秦が大陸統一して法も秩序も整ってたし、

ギリシア方面では『ヒストリエ』のエウメネスもとっくに死んでディアドコイ戦争終結

ローマ方面では『アド・アストラ』のごとくハンニバルスキピオバチバチしてたわけ。

で、その頃日本は何してたと思う?

まさか縄文時代

聖徳太子中大兄皇子はおろか、卑弥呼すら生まれてない。

当然法や秩序どころか文字すらない。

土器とか土偶作って石斧で獣追っかけてウホウホ言ってるわけ。

マジかよ、どんだけ遅れてんだよ。

日本で生まれたのが恥ずかしくなってきた。

2021-09-27

anond:20210927163710

かに人口統計が始まったのは17世紀から18世紀ヨーロッパから江戸時代人口推計をする手法は普及していなかっただろうなあ。

人口統計日本で始まったのはヨーロッパ学問移入された明治以降でしょうね。

どうやって江戸時代とか縄文時代平均寿命推計したんだろうな。

2021-09-19

ボランティア フリー男根

縄文時代の石棒などにも見られるように、男性器はあらゆる人々に慣れ親しまれている。

ボランティアで自らのちんちんフリーハグの要領で提供することによって、古来のアミニズム信仰が思い起こされ、人々の幸福度高まる

また、そのおちんぽから精子、精液、ザーメン、ザー汁、金玉汁、赤ちゃん製造ミルク、を排出することによって、より徳を積める。

2021-09-17

肌がしぼんでいる

30代なのに50代みたいなしわしわ

自分でも気持ち悪い

グリセリンオイルも合わない

そんな人はホホバなどと軽々しく言われるが合わない

ワセリンも合わない

高い化粧水もあわない

からだけで改善できるものかよ

縄文時代に飛びたい

2021-08-17

anond:20210817041350

男の服は流行のはやりすたりが乏しいから。

60代の服、つまり20年前に流行った服を今の人が来ても、大した違いが無い。

ところが、

女の服は流行によって変化が激しいので、

20年前に流行った服というのは、それこそ縄文時代流行った服みたいに見えて

とてもじゃないが着れたものでは無い

2021-07-29

anond:20210729163926

それは因果関係が逆。

なんでも擬人化するからこそ、あらゆる存在に神を見出すようになり、八百万の神々が誕生した。

擬人化縄文時代にまでさかのぼることができて、

当時の日本人動植物擬人化することで遊んでいた。

2021-07-13

anond:20210713153202

日本の、食文化への探求心は異常なんだよ。

それは縄文時代にまで遡れる。

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