はてなキーワード: 複々線とは
現行の小浜京都ルートは見積もりが膨れ上がって4兆円はかかると言われている。間違いなく費用便益比が1を下回るため不可能だ。税金の使い方としても全く不適当であるし、ほかの整備新幹線の予算を吸い取ってしまうので四国など他の整備新幹線建設に遅れをきたすだろう。
かといって米原ルートにも問題が多い。そこで、以下のように解決してはどうか。
2. 米原〜京都間の東海道新幹線を政府がJR東海から買い取り、鉄道・運輸機構に移管。JR東海とJR西が運行する上下分離方式に。
・美山にトンネルを掘る必要がないため、環境問題や高額な建設費を避けられる。敦賀〜米原間は費用便益比が1を確実に上回る。
・北陸新幹線が米原から東海道新幹線に直通した場合のJR西の従来のサンダーバードの収益がJR東海に流れる問題を回避できる。
・鉄道・運輸機構保有路線の上下分離方式は整備新幹線と同じなので無理がない。
・京都〜新大阪間にJR西運営の路線を建設することで、九州新幹線の一部の京都行きを実現したり、北陸新幹線を走らせることができる。将来の四国新幹線の直通や関空和歌山方面の新幹線が仮に実現すればそれらの直通にも使える(山陰新幹線は需要面で建設が厳しいだろうが、もし実現すれば使える)。
・京都〜新大阪間の別線建設に関しては上記の直通に使えることを踏まえれば費用便益比が1を上回ることを示すのは可能だろう。米原〜新大阪間をすべて複々線にするよりは費用対効果がはるかに高い。
どうしても心苦しく逃げ出したくなったので、仕事を休んで旅をした。
その顛末を話したい。
大学時代、親(同じく学校教員だ)に強く勧められなんとなく教職課程の受講を始めた。
なんとなく高校教員になろうと思っていたが、何の因果か教育実習は中学校に配属された。
実習中は忙しかったものの、生徒が人懐っこくこちらに近づいてくれたことが非常にうれしく、授業以外でも彼らとの交流(体育祭の練習に一緒に参加するなど)に楽しさを覚えた。
これって本当に教員の仕事か?と思えるような事務作業がやたらと多かった。
また、「校務分掌」という名目でやたらと多くの業務が割り振られた。日本は年寄りは何でもありの価値観が蔓延しており、年齢の低い私には特に業務が集中した。
これらの業務は事務職員の仕事ではないらしい。事務補佐員は人数が少なく短時間しかいない。また、個人情報を含むものの取り扱いができないため依頼できることがほとんどない。
やっと作業が終わり(もちろん時間外)ヘトヘトになったところで始めるほかなかった。
建前では休憩時間はあるらしいが、その時間も業務が振ってきて休むこともできず。
おまけに最近はアクティブラーニングやICTの重要性が叫ばれており、授業の事前及び当日の準備はそれどころではない大変さがあった。
それでも、教育実習の時と変わらず、コミュ障の私に偏見を持たず純粋な心で関わって、笑顔を見せてくれる生徒たち(教室に来れない生徒にも)に元気づけられていた。
体育祭は大嫌いで、私は自チームを応援する気は起きなかった(自チームカラーの服を着ている先生が目立ったが、私はどのチームにも関係ない色のものを着ていた)が、練習は一緒に楽しんだ。
生徒に交じって競技を楽しむのもまた一興。一緒に生徒の中に混ざるだけで生徒は喜んでくれた。
授業はただ真面目にやるのではなく、時にネタを入れると生徒が反応してくれてうれしかった。
アイマス(担当アイドルの話とか)をはじめとしたソシャゲネタ、鉄道ネタ、自虐ネタ、淫夢ネタにちょっと不謹慎なネタなどを入れるだけで笑いが取れた。
定期テストも、かなり完璧主義的に作ったにもかかわらず、その結果を見て教えたことをしっかり身に付けてくれたこともうれしかった。
しかし、どうしても大変なことは大変で、それが私を疲弊させた。
例えば、生徒の失くしもの(学校からの貸与品)の捜索を命令され、どうしても見つからず教頭に報告すると「知るか、自分で何とかしろ」の一点張りで取り付く島もない。
なければ学校に余りはありますか、それとも購入は可能ですか、と聞くと「お前さぁ、それ教育者としてやることか!?」と怒鳴られた。
また、目標申告書(全国でやっている)で下っ端は記入不要の項目も「制度上は記入義務はないがみんなやっている」と強制された。
(余談だが、記入例に不登校生徒減少の話があったが、なぜ不登校は生徒自身の選択なのにそれを無視して無理やり連れだす必要があるのか、それが原因で自殺されたら本末転倒ではと思った)
まあいいやこんなこともあると思いつつ耐えていたが、こんな出来事があり、ついに限界が来た。
生徒が下校した後、いつも通り雑用に追われていたが、なぜか隣の校舎の窓に火が見えた。
他の先生方に相談したところ、無関係な私が急行するよう言われた。するとなぜか鍵が閉まっていた。
鍵を開けると、面識のない生徒数人がおり、その隣には火柱が上がっていた。
どうやら裏側から侵入して火遊びをしていたらしいが、すぐに水をかけ消火した。
事情を聴くと「これは作業だ」「面倒だから仕方ない」「効率的だからやっている」と。
今後こういったことはやめるよう言えば「燃料は自腹だ。100円の自腹がもったいない」と反論。さすがにこちらもキレて「命と100円どちらが大事なんだ」と言って無理やりやめさせた。
重大事案なので当該生徒が在籍する学年に報告すると、ある先生は「あー…最悪のメンバーがそろってる」と。
管理職に報告するとこちらの責任のあることではないのにやはり怒鳴られた。「どうするか自分で考えろ」「早くしろ」とわけのわからないことを言われ。
教頭から「怒るのはあなたを信頼して成長してほしいからだ」と言われたが、(わざわざ応募して選考を突破した)管理職と下っ端は意欲が違うし、成長したくないので信頼せず放置してくれと思う。
校長は「生徒の失敗を大目に見たらどうか」と状況を理解せず、面倒をこちらに丸投げする発言。
なぜ私だけこんな目に遭わなければいけないんだと思った。
気づくと、どうすればこんなことから解放されるだろうと思い色々検索していた。
隣の先生にこれを見られ、「行動に出る前に管理職に相談した方がいい」「教頭は口調がきついから真に受けないほうがいい」「私も色々失敗した」などといろいろ慰めの言葉をくれた。
私と同時に着任した先生などにも相談に乗ってくれた。「あなたは完璧を目指そうとしてたんだ。60点でいいのでは」とも言ってくれた。
また、該当生徒の指導はその生徒が在籍する学年に依頼できることになり、非常に助かった。
何もかもやる気を失った。大好きな曲を聴いても拒否反応がすごかった。
テレビをつけると、時代劇の切腹シーンが出てきてますます気分が沈んだ。
通勤途中に外国人観光客を見ると、なぜ日本人だけ労働に苦しまなければいけないのかと思った。私も自由気ままに旅行したいのに。
(日本は労働法規に甘く、バカンスもなく権利行使がしにくい、下手すると同じ立場の労働者が権利行使を妨げてくるのはなぜだろうか。一説には資源の少なさと正社員制度が原因だというが…)
その後の数日、外出したいとも思わなかった。
そういえば、今までも出勤できていたものの、疲れというかなんとなく休み明け出勤したくない気分になることがしばしばあった気がする。
しかし今回はその気持ちが特に強かった。そんななか、ベッドの上のぬいぐるみが私に話しかけてきた。
渋谷凛「もう休めば。疲れてるでしょ」
島村卯月「早く休まないと…大変です!」
本田未央「よく頑張ったねプロデューサー。思い切って休んじゃお!」
あれ、苦しいときは休めばいいんじゃね?なんでこんな簡単なこと思いつかなかったんだろう。
今まではこんなこと考えつかなかったが、思いついた途端肩の荷が一気に下りた気がして、気がすごく楽になった。
そういえば、小学校の頃の私は皆勤至上主義で、ひどい風邪でも登校していた。
高校でそのおかしさに気づき少しでも体調が悪ければ欠席するようになったのだが、なんでこの解決法を忘れてしまったんだろう。
だが、この計画は勤務校はもちろん、何かの機会で口外するリスクのある同僚には当然言えない。
一見仲間にも見える両親にも口外してはならない。
母親は祖父(母方の曾祖父)が職を失いつまらなそうにしていたのを見て、仕事があることが素晴らしい、働かせていただいていると思うようになったそう。
つまり、「クビになりそう」→「ならないようにどんなことでもする」という感覚の持ち主だ。
父親は偉そうに上司にも独りよがりなイデオロギービジネスマンとしての心構えを力説していたらしい(それで啖呵を切って職を転々としていたらしいが)。
「自分の思い通りにならない、またはその仕事の責任を120%果たせないなら辞めるべき」と思っているらしい。
その日は特別な準備を要する授業や前述の生徒の指導も予定されており、休んだら迷惑かと思ったが、どうでもよくなっていた。
となると、どのような手段で休もうか。
休むのは電話すればいいのは知っているが、真っ暗な家で引きこもっても体調回復は絶望的だろうと思った。
じゃあ逃避行してしまおう。せっかくだし最近行っていない江ノ島に行こう。
ふと気になった。この休みはどういった扱いになるのだろうか。休暇の一覧表をみると、「病気休暇」があった。
利用条件は「ケガや病気で勤務できないとき」とのことだが、「病気」の詳しい定義がない。
ということは、「精神的に辛く体調がすぐれない」(これが悪化したものが「うつ病」「適応障害」などの精神疾患)も問題ないはずだ。
日数でいろいろ条件も変わるらしいが、今回の場合はまずは電話一本で、正式な手続きは出勤できてからで問題ないらしい。
ところで、病気休暇を取得している期間は病気の療養に専念しなければならない。
逃避行で精神の不調が回復するのならそれも療養であるから問題なく、むしろ進んで行わなければならない。
病気休暇が使えないなら年次有給休暇の利用、それもダメなら(給与が減るが)欠勤扱いでもよい。いずれも無断欠勤よりずっとマシだ。
今日は出勤しなくていいんだ。そういうつもりで髭剃りと歯磨き、自宅の風呂掃除とトイレ掃除を念入りに。
教員の労働環境のブラックさが世に知られ叩かれ出したことから、働き方改革の一環で電話は始業時間までつながらない。
始業後に連絡すると迷惑だろうから、自分が所属する学年団への連絡手段(こちらは連絡時間の制限は特にない)があったので、先にそちらに体調不良の旨連絡した。
学年団の先生方(原因となった出来事を直接は知らない人含め)は「ゆっくり休め」と言ってくれた。
「次の日も厳しいかもしれない」と続けて言えば、「好きなことをしてしっかりとリフレッシュしなさい」とも。事情を知っているのかな?
元気のない声で、やる気を出そうにも空回りしている雰囲気を出した。
何の問題もなく休暇が取れた。休暇届提出は次回の出勤日でいいらしい(説明もその時するから急ぐなとのこと)。
混雑したバスが来るいつもと変わりないバス停。そこに私はとてもラフな出で立ちでいた。
家を出発する際は、勤務するときと同等の服装だったが、バス停近くの隠れられる場所で着替えた。
・本田未央ちゃんのフルグラフィックTシャツ(二次元コスパ)を着てアロハシャツを羽織り
・本田未央ちゃんの腕時計(キャラアニ。スーパーグルーピーズじゃないよ)を左腕に
・本田未央ちゃん、渋谷凛ちゃん、島村卯月ちゃんのぬいぐるみをカバンにしまい
・八宮めぐるちゃんやライブ(空は澄み、今を越えて。他)記念のキーホルダーをカバンに付けた。
どうだ、カッコイイだろ。
普段の通勤と時間があまり変わらないので混雑がストレスになるのは変わらない。
まあすぐに解放されるしいいか、と思っているうちに新宿駅に着いた。
ATMでお金を引き出し、藤沢までの切符とロマンスカーの指定券を購入(本当は特急券不要の快速急行でもよいのだが、せっかくなので…)。
江ノ島方面のロマンスカーは夕方までないとのことなので、相模大野で普通電車に乗り換えることにした。
横断歩道で信号待ちをしていると、知らない人からサイエントロジーとかいう宗教団体のチラシをもらった。すぐ捨てた。
コンビニで酒(ほろよい桃味)とつまみを買ってから(車内は)滅多に人が来ないところなんで、そこでしこたま酒を飲んでから(デレステを)やり始めたんや。
飽きたので、Amazonで大崎甜花ちゃんのフルグラフィックTシャツをポチっと購入。送料込みで7,321円也。
小田急線を乗り通すのは15年ぶりだ。複々線区間が代々木上原~向ヶ丘遊園まで伸び、列車種別構成の大きな変更があり、準急が緩行線を走行するようになったらしい。
藤沢に着いた。片瀬江ノ島まで行っても江ノ電を使ってもよかったが、せっかくなので大船まで戻る。
乗り換え専用改札があった。こういう改札は利用区間が制限されないICカードでしか通行できないものだが、聞いてみるとICカードとここまでの切符の組でも通れるという。
ここまでの切符を入れ、すばやくICカードをタッチすれば通行できた。ちなみに、新幹線乗り換え口でも似たようなことができるらしい(クレジットカードやEX-ICは不要)。
ここからは神奈川のジェットコースターとも評される、湘南モノレールに乗車。
強烈な地響きとともに列車が入線。駅壊れるぞ。
大船を出たばかりなのに猛スピード。おい、右に葬儀場があるぞ。車両は棺桶じゃないぞ。
思ったほど揺れなかったが、心配なのは走行高度が低すぎる点だ。大型路線バスとかぶつかるのでは。
湘南深沢から先はさらに本気を出した。70-80 km/hは出したか。これに匹敵するのは東京モノレールの一部区間(昭和島付近)だけだ。
15分程度で終点の湘南江の島に到着。テラスでアイドルたちと記念撮影。
そのまま南に歩き、湘南海岸公園に。やることがないので近くの岩場で昼寝。
雲が動き日差しがまぶしいので、目隠しをした。時に涼しく時に熱くなるがこれが気持ちいい。
1時間ほど寝たら、桟橋の方を覗いてから15年ぶりに新江ノ島水族館へ。
岩場を歩いたり、飛び込み泳ぐペンギンさんが人間の言葉を話せたら何を言うのか、不謹慎なセリフを考えると非常に面白い。
最後に物販店でくじ引き。2等が当たり、店員さんがハンドベルを鳴らした。後ろから拍手。恥ずかしいだろ。
江ノ島にも行った。
恋人同士が鳴らす鐘らしきものの前で、本田未央ちゃんと一緒に記念撮影。
気づかず徒歩で戻ったのだが、どうやら船で江ノ島大橋のところまで帰れたらしい。
時間が足りず、江ノ島シーキャンドルやそのまわりの施設群、しらす丼は手付かずだった。また今度行った時味わおう。
江ノ電は意外にもVISAのタッチ決済による運賃収受を行っているらしい(決済端末は改札内なので、一部改札は不正通行検知装置を切っている)。
日本の改札は専用の券を駅などで購入し、機械に通す方式を取っており、欧州で一般的なQRコード付きの切符を任意の場所で印刷して通行するようにするのは難しいとのこと。
そこでVISAのタッチ決済による運賃収受が導入されたが、おそらく江ノ電は日本で2-3番目あたりには早く導入したかと思う。
本田未央「今日は楽しかったね!ねぇねぇ、明日も一緒にどっか行こうよぉ!」
勤務校と学年団に連絡した。2回目なので良心の呵責は全くない。
電話は教頭ではなく事務職員が取るため、こちらの事情は知らない。「はい分かりました」で終わり。
そこで、今日はアロハシャツの下には乙倉悠貴ちゃんのTシャツを。
いつものバス停に行く途中、ネームホルダーが落ちていた。手に取って見ると近くの幼稚園のものだと分かった。
グーグルマップでその幼稚園の電話番号を調べ電話をかけると、「どこに落ちていたのですか」と聞かれた。近いので「そちらに持っていきます」と伝えすぐに向かった。
その幼稚園に着くと、ちょうど登園時間とかぶっており保護者が子供を預けに来ていた。
乙倉悠貴ちゃんのTシャツ丸出しの男はロリコン扱い間違いなしなので、アロハシャツのボタンを閉めて事務室へ。
対応した職員さんは、電話に出た人とは別のようだが、「これ落ちてました」と言えば「ありがとうございます」で終わり。さっさと退散。
暑いので路地裏に入って下着を脱ぐ。肌の上に直接乙倉悠貴ちゃんがくっついてきて興奮する。
昨日歩きすぎたのか、右足小指に水ぶくれが。
昨日よりかは早いが、それでもまた出発が遅れてしまった。
今日もバスと電車を乗り継いで新宿へ。今日は小田原方面に向かうのでロマンスカーも多く走っている。
なんと小田急の自動券売機はクレジットカードに対応していた。箱根湯本までの切符と特急券を買うと、なぜか乗車券は小田原→箱根湯本のものしか出てこなかった。
小田急の改札は切符を2枚重ねで投入できるが3枚重ねはできず、しかたなく新宿→小田原の切符と特急券を投入。箱根湯本到着後有人改札で事情を話すことにした。
今日もセブンイレブンに行き酒とつまみを買い乗車。今日は酒2本(ほろよい桃味とぶどう味)。
電子レンジによる加熱が必要だが温め忘れてしまったものがあった。まぁ生で食べて腹を壊せば休みを伸ばせて都合がいい。
車内でつまみを全部食べ終わってから Permalink | 記事への反応(12) | 13:12
その一 https://anond.hatelabo.jp/20240318182037
東口の地下に何やら変な駐輪場があるのだが、実はこれは1990年までは地下街であったのだ。出来たのは1960年代のはず。
天井低くてしょぼいし店舗も狭いし店も昭和中期っぽくて古いしで、テコ入れされないままに90年に廃止。
というのも、90年にそごうが出来る事になったので、橋上駅の高さのままにデパートに入れるペデストリアンデッキを築造し、地下じゃなくて上の方で発展させる方向になったのやね。
で、駅の真ん前のデッキの基礎を建てるには地下街通路が邪魔。って事で、通路を閉鎖してデッキ基礎が貫通する形になった。残りの部分は店舗仕切りなどを取っ払って駐輪場へ。
なので一部閉鎖区画があって鉄板や木の板で塞がれているのだ。増田はここにどうにかして侵入できないかを昔から考えているのであった。
ちょっとあるよ。
本来、東アジア反日武装戦線「狼」はお召列車爆破と昭和天皇暗殺を狙っていた。場所は東北本線貨物線荒川鉄橋。
1968年まで赤羽以北の東北本線は貨客混合の複線だったが、輸送力増強の為に複々線化されて貨客分離された。これでお召列車は貨物線を走るようになった。原宿駅のお召列車ホーム自体が山手貨物線に接続されているから。
そうすると、貨物線橋梁爆破しても一般人に危害は与えないという事になる。そこで一味は爆弾設置の為に電線を設置しにいくが、人影があり、付近を徘徊しているので恐れて中止した。
そこで目標を変更して三菱重工爆破事件に至ったというワケ。元の一般人への危害回避はどこに行ったんだ。川口の乗越線はやっぱりこの貨客分離が元だから関係があると言えば関係がある。
wikipediaの虹作戦の項には「爆弾を仕掛けようとしたのは旅客線」と書いてあるが、これは間違いじゃないかと思う。そこは間違えんだろうし、増田が聞いていた話と違う。
東口駅前のそごうはそごう西武グループが売却してゴーストビルのままになってるが、三井が取得する見通しと、去年市議会で報告があった。三井という事はララガーデンとかららなんとかとかららクロフトとかになるのかと思われる。
しかしデパートというのはハイコスト、ハイリターンの業態に合わせた建物で、コストがメチャクチャかかるんだな。それは冷暖房費やエレベーター、エスカレータなどもそうだし、搬入口が狭くて外部の納品代行業者経由で整理して混載で搬入するのでないとパンクするっていうのもある。
だから巨大ダイソー一棟貸しみたいなのなら行けるが、色んなテナントが入って納品代行は使わないっていうのは無理など、難点が多いのだ。
そもそもデパートの損益分岐点って日商4000万円とかそういうレベルなんでショッピングモールなんかに入るテナントと業態が合わないのだ。
だからどうなんのかなと様子見。結局開店が流れちゃう可能性もあるね。
SLあおば通りって道があって、ファミマのSLあおば通り店っていうのもありhttps://maps.app.goo.gl/fWvvCmGbAjvhLPZw6 、道筋にはSLのオブジェとかもある。
でもこれインチキなんだよね。ここに線路があった事ってないんだ。
アリオは元はビール工場で、そこと川口貨物駅の間にユニオンビール専用線という貨物線があった。でもその専用線は現線路に平行していてJRが保線基地に使ってる。
そこでビール工場跡を再開発するにあたり、専用線跡を記念するオブジェを配置したい、でも専用線跡はJRが使ってる…って事で隣の道を指定しちゃったと思われるのね。こういうのは混乱の元だから止めて欲しいですな。
あるね。https://maps.app.goo.gl/dGPVNnEXP6hMg3n26
植物の繁茂で全然読めないが、実は同じものが陸橋の西詰にあるよ。https://maps.app.goo.gl/GNdf7d4UP3eT9aYj7
石碑の内容は、整圃事業の謝辞だよ。戦争中にまだ農地ばかりだった駅付近一帯を碁盤目状に土地の区画整理をして、その協力した地主達を名上げして感謝している。川口は江戸から離れ鋳鉄で栄え舟運で製品を出荷してやがて鉄道が来て~という事を漢文で書いてある。
この区画整理を戦前にやっておいたせいで、戦後に鉄の民需が爆上がりした時に鋳鉄工場が大量に出来て鉄の街となったのだな。
また、最初の碑がある場所というのは実は大踏切があった場所だ。駅の方から来た道が斜めに線路群を渡り、対面の斜めの道に踏切で抜けていた。
でもこれは当然危ないわけで、昭和30年代に埼玉県は荒川~大宮間の踏切を全部立体交差にする工事をしたのだ。それでこの大踏切も廃止になって代わりにこの北の川口陸橋が掛けられた。
因みにこの陸橋の開通セレモニーでは神主が来てお清めしてから神主が渡り初めをしているのが写真に残っている。
だから王子から赤羽には踏切が幾つか残っているのにその北の大宮には踏切が無いのだ。
多分西詰の石碑は元は大踏切の反対側にあったのがこの時に移動されたのではと思う。
タワマンというのは住宅地には建てられないの。日影規制もあるし、日照権も主張できるからあとから訴訟になる。
でも商業地や工業地ではそれらは主張できない。だから工業地帯から転換した地域はタワマンに最適というか、それ以外では建築が難しいの。
更にタワマンには建物の周りに公開空地を設けないとイケないのだが、「大規模な町工場」というのはこれで必要とされる広さに丁度いいのだ。
そういう訳で、川口にある〇〇製鉄、○○鋳造なんて名前の会社は、多くがもう工場を持ってないか縮小して他所に移転していて、不動産業メインの会社ばかりになってる。
日本初のタワマンは川口元郷のエルザタワー32なんだけど、ここは日本ピストンリングというエンジン部品を造っていた会社の工場だったところ。
因みにピストンリングは昔は鋳鉄を丸く繰り抜いたものが使われていた。鋳鉄には細かな穴が沢山あるのでここにオイルを保持して焼付き防止になっていたのだ。って事でやはり川口なので鋳鉄なのだ。
その丸井が閉店になって共同所有になり、ビるの愛称を決めた。もとが0101だから1110って訳でシャレや。
駅西口から徒歩7分くらいの所に飯塚氷川神社という神社がある。https://maps.app.goo.gl/fKh6qXTZGCNTYGRE9
ここだが、境内に結構古い社務所があるのだが、なんとこの社務所、選挙の投票所に指定されている。中は畳と板張りなんだが、そこに土足で入れるようにシートを敷いて投票箱と記帳所を置いて公職選挙が行われる。
すげえ田舎や離島で神社が投票所というのはあるだろうが、東京都境から徒歩10分、駅で一駅のタワマン林立地帯でこんな投票所があるというのは珍しいんじゃないか?
好事家の皆さんは選挙の日に覗きに来てはどうだろうか?
何?じゃなくて教習所や。元々地産グループの教習所だったが、グループ首魁が逮捕された影響で元会社が倒産、売りに出されて飛鳥ドライビングカレッジとなっている。
ここだが、ちさん時代から教習料が安いのが特長。都心から近いのに首都圏で一番安いという穴場なんだな。免許取りたい人はイイゾーここ。
因みに2019年台風19号の増水ではコースが7mの泥水の底になって、後にはコースも見えない泥の沼が残り、教員たち総出で泣き泣き泥かきをしたそうだ。
上野東京ラインの川口駅停車が正式決定されて「あそこは乗降客多いから当然」とか「停車駅増えるのヤダ」とか巷間喧しいところであります。
そこで川口駅の事をちょっとだけ知っている増田が川口駅のあれこれを少しだけ説明するよ。
川口駅の西側は1980年代までみっちりと町工場が密集していて、特に線路に面したところは国の燃料研究所(後に公害研究所)という大工場があったので、西口広場ってものは無かったのよ。
この公害研が廃止され環境研に改組されたのでその空き地に西口ロータリーを造る事になった。
だがこの当時に、今の湘南新宿ラインの元になる東北本線池袋乗り入れが開始されたってわけ。
そこで川口市は駅の西側にこの列車用のホームが増設できるように何も建てない土地をワザワザ造って、「池袋支線停めてよ」アピールをする事にしただった。
場所はここ。https://maps.app.goo.gl/eiJk19EmifLCYrzCA
しかし、これ無理だろ?と気が付いた人も多いかと思う。現在の湘南新宿ラインは15両編成だから隣の10両用京浜東北線ホームの1.5倍になり、ホームを造るには全然長さが足りないんだ。
なんでこうなったの?というとその後の川口市がいけないのだ。
実はこの「川口西口緑地噴水」の場所は駅前ロータリーだった場所なのだ。つまりは道路。こんなせせこましい場所でバスの方向転換とかどうやってたんだか?
で、ここは大きなロータリーを別に造るから廃止になるんだけど、池袋支線のホーム用地にしよう、という事で期待を残して建物を建てなかった。
だけども公害研跡地再開発では人工地盤の巨大公園、更にその下の1階と2階にはコンクリート製の駐輪場を造ってしまったのだ。ホーム用地にすんのかしねえのかで全く平仄が取れてねぇ。やる気に統一感がなかったのだ。
だからホームを造る為に線路敷きを拡幅するには立体駐輪場と公園を一部破壊する超高額な工事をせにゃならん。
詰んでるじゃん。…ところがそうではないのであった。
駅の東側線路際に大きな駐車場が見えるだろう。ここ、実は川口市の土地なんだな。だからここを利用して線路全体の線形を変えるって方法でも行けるって訳だ。
なんで川口市がこの土地持ってるの?かというと、ここは川口貨物駅だった場所なのだ。正確には貨物駅は東口のきゅぽらという高層建物、その隣の駐車場、タワマンの場所にあった。駐車場の場所は貨物駅に入る為に線路が輻輳してあった場所だな。
国鉄は超大赤字を積み上げており、特に貨物営業に人が多すぎで、人件費が莫大だった。
そこで国は思い切って貨物営業をほぼ全廃してしまう事にした。石油の直通便とかコンテナだけ残す。
それで全国の貨物駅は遊休施設となった。例えば都心部だと新宿の高島屋スクエア、渋谷の南口オフィスビル群、汐留の電通とかあのあたり、秋葉原のヨドバシなど、飯田橋3丁目のオフィスビル群などは貨物駅だった所だ。
次に国鉄を民営化する事になり、その遊休土地は国鉄清算事業団に移管される。売却益を赤字補填にするというスキームやね。
それで川口貨物駅の施設は川口市ががっぽりと全取りしたってわけ。
んで駅南側は立体公共駐車場とか貸しビル&図書館&市役所出張所のきゅぽらなんかを建てた。そして北側はそのまんま。何分元が複々線線路だから狭くてビル建てるには手狭。でも元が線路だから線路用地にするのが一番やね。
但しそうなると駅全体を改造する事になるから工費はかなりのものになる。新駅ビル建造込みの工事になるかと。
因みにこういう時、JR線路部分の工事は他社にやらせないで自ら発注するのしか認めないのね。事故があるとヤバいから。だから自治体に金だけ貰うって形になる。
ただ、この全体線形変更案は増田の予想なんで、実際はどうなるかは判らん。立体駐輪場と公園を壊してホーム用地を西口方に確保するかも知れないし、南の方へ伸ばして途中の家屋を買収するかも知れない。そこはまだ全然決まってない。
あと、東口の駅舎(と言っても階段があるだけ)と京浜東北線ホームとの間に隙間のデッドスペースと飲食、床屋店舗群があるけど、そこも川口市有地でここも活用できる。
とするとやっぱ全体を東に移して駐車場活用案にあるんじゃないかと思われる。
電車に乗ってると気になるこれだけど、 https://maps.app.goo.gl/uPyzTQ8tn1QQhPTQA
これはなにかというと、貨物駅に入る為の乗越線だったものだよ。
貨物駅が貨物線(現湘南新宿ライン線路)と反対側にあるから、貨物列車が駅に入る時には東北本線、京浜東北線を全部横切らなきゃならない。その為には全部赤信号にして止めなきゃならないから大遅延の元になる。
そこで乗越線で立体交差にした。
昭和43年まで赤羽から大宮は京浜東北線と東北線の複々線だったんだけど、東北線と高崎線の特急を増発する際のボトルネックになっていた。貨物列車が多いし、新幹線が無い時分だから新潟行きも仙台行きも秋田行きも青森行きも全部ここを通る。
そこで貨物線を増設して貨客分離する事にしたんだが、問題になったのが川口貨物駅。貨物線と反対側にあるこの駅に線路を全部渡って行くったって、既に京浜東北線は通勤ラッシュ常態化で、東北線も列車増発の為に線増したのにボトルネックを造ってどうする。
ってことでこんな大がかりなものをこしらえた。
因みに運転は結構大変で、なにぶんにも片方しか入れない。そこで下り列車であれば、一度蕨駅まで行く。そこで機関車を後ろに付け替えて今来た方に出発。西川口付近で乗越線に入って川口貨物駅に到着。
逆に上りでは駅に着くのは普通でいいが、出発後はやはり蕨駅まで行ってから、機関車を付け直して赤羽方に出発という何とも迂遠な方法を取っていた。
貨物駅廃止で不要になった筈だが、廃止された線路の一部を保線用基地に転用した為に、この乗越線を使って湘南新宿ラインの方にレールを輸送するので残されている。
そもそも貨物駅が貨物線と反対側にあったのがいけないのだけど、川口アリオの場所にビール工場があったのでこっちに造られた。ビール輸送は鉄道貨物の大お得意さんであったので無視できないのだ。
因みにビール工場がここに設置された理由は、見沼代用水の分水が取水できた為で…(以下略
鉄の製造には3種類あって、
1.鉄を融点以上に加熱して砂型に入れて固める鋳造(出来るのは鋳鉄)
3.圧延ロールで押しつぶして板状に、またはパイプ状や棒状にする圧延
というのがある。今一番使わているのは圧延で、何段にも圧延ローラーを掛ける為に長いラインが必要になるので工場も資本も巨大になる。量産効果で製品単価は低くなる。
キューポラ炉はたたら製鉄の応用で、コークス(石炭を乾留して硫黄分などを飛ばしたもの、結構高い)→鉄→コークス→鉄とウエハース状に重ねて入れて鉄が溶ける温度を確保する。
投入口が2~3階にあって取り出し口は1階という結構大がかりなものです。
鋳鉄は炭素が多いので、コークスは温度を上げるだけじゃなくて鉄に炭素を含有させる働きもあるのだ。
このキューポラが沢山稼働していたから昔の川口は大気汚染がすごかった。炭塵だけじゃなくて鉄が溶けた蒸気(ヒューム)も混じってるから健康には悪い。
あと一つ入らないのでその二に続く
これの逆バージョン https://anond.hatelabo.jp/20240313123638
巣鴨プリズン/東京拘置所跡にサンシャイン60ビルを建てるにあたり、池袋駅から地下道を通す計画があったが、地元商店が「人の流れが変わって駅前が廃れる」と反対し沙汰止みになった。
一番反対したのは洋菓子店のタカセ。ここは戦後に繁盛して地元の顔的な立場であった。
これに他の人は「タカセのヤツ、勝手に顔役ぶりやがって」と陰口を叩き、裏では総スカン。
地下道は都道反対側からだけに短縮されてそこまで利用者は歩くことになった。代わりに都バス乗り入れが行われたが利用者は伸びなかった。
しかし地下道入口に東急ハンズがオープンすると付近にカメラ量販店(後にゲーセン)、飲食ビル、映画館が誕生し、池袋駅東口~東急ハンズは若年向けの飲食サービス業が立ち並ぶ大商圏となった。
90年代にJRAは女性をターゲットとしたCMを打つなど競馬のイメージアップに努めてはいた。
だが池袋駅東口に場外馬券売り場を開設する計画が持ち上がるとイメージの悪化を恐れて地元商工会は大反対。JRAは土地も押さえていたが出店中止に。馬券売り場の上にサロンや飲食室などを設ける大規模な計画だった。
この土地を後にヤマダ電機が押さえて都市型店舗の第一号としてオープン。その後に近くの三越が閉店して建物が売りに出されるとヤマダ電機が取得して現在のLABIとなり、池袋の家電激戦区っぷりに火を注いだ。
米軍が接収した立川飛行場は手狭のためにジェット機用に滑走路を延長する計画があった。この為に滑走路延長先の砂川町の農地や家屋に収用が掛かった。
これに住民は大反対し、そこに学生運動等が乗っかり、デモ隊基地内侵入などの事件が起こり大騒動になった。
憲法問題などで出てくる「砂川事件/砂川判決」というのはこの事件。
この事件などがどの程度影響を与えたかは判らぬが、米軍は立川飛行場の拡大を諦め、瑞穂町の横田基地に集約する事を決定。立川飛行場は日本に返還される事になった。
箱根ヶ崎付近の八高線と国道16号がぐにゃっと曲がっているのは、横田基地の滑走路拡大をした為である。
返還された立川飛行場は学校や研究所、法務修習所、陸自基地などに転用されたが、一番広い面積を有するのは昭和記念公園で、電車で3駅分ほどもある巨大公園となった。
真ん中には広大な広場もあり、大コンサートもよく行われている。
なお、騒動の原因となった滑走路の残骸が未だ残っている。https://maps.app.goo.gl/ewECyedzGvD9p88t7
(よく見ると滑走路アプローチの>>>>のペイントがうっすら残る)
東海道新幹線が開通して暫くすると、騒音と振動が問題になり訴訟も提起されるようになった。成田新幹線のゴリ押しによる頓挫もあり、山陽新幹線以降の新幹線開通は困難が予想されるようになった。
そこで都市近郊での建設スキームを変更、新幹線に付随した在来線も同時に工事して迷惑施設というだけではなくて近隣住民の利益にもなるスキームにした。
この為に赤羽~大宮間では通勤新線(埼京線)、大宮駅北側には高架にまとわりつく、つる植物のような新交通線が出来た。
なお、東海道新幹線は通常の鉄道のように地面に砕石を敷いて線路を敷く工法なので高速運転では周囲に振動が伝わる。その後は平地でも鉄筋コンクリートの高架を走るのが一般化した。杭基礎で支持されるので振動は地下奥深くに吸収され、コンクリの高架は重いので振動自体が押さえられる。その為に公害は発生しにくくなっているが、交渉時には工法までははっきりしていなかったのでこういう形になった。
空襲焼失地区の戦後の復興は東京都などが管理して区画整理などを行ったが、計画的過ぎて無機質であるとの反対意見も多かった。
そこで都は神楽坂については住民同士の話し合いで区画整理を決める自律的な方法を試す事にした。
しかし優越な資本や有力な地元のまとめ役が居ない地区だったので、結局は路地などが沢山残る防災的にはアウトな形で復興する事になってしまった。
しかし建物の建て替えが進むと、街路側は多くが不燃建物、その路地の奥は不燃建物と古い料亭などが混在する形となって何だか防火と風流の両手取りみたいな地区になって、アンテナの高い外国人などにも好かれる町並みとなっている。
戦後の歌舞伎町は全域がゴールデン街のような闇市バラック状態であったが、再開発をする事になった。
しかし高田馬場を始発駅とする西武新宿線が新宿駅まで伸びる予定であり、歌舞伎町の付近に仮駅を設置された。
当時の西武鉄道経営陣としてはピストル堤と言われた堤康次郎も健在であり、堤は人を騙して土地を買収したり、ピストルの名の通りに暴力による脅迫で買収したり人の土地を勝手に占有して後に所有権移転したりと、要するにやり手実業家の皮を被ったヤクザであった。しかも権力とみっちりと癒着しているばかりかその後に代議士にもなっていた。
その為に歌舞伎町の地主たちは鉄道が来るのは歓迎だが堤が来るのはたまらねぇ、として西武の買収に対抗する策を練った。
そこで街路幅はきちんと確保しながらも、その所有区分を細分化、買収しにくくした。それが功を奏して西武も含め、大資本が入り難い地域となっている。道幅を確保しながらも細分化策が功を奏したのは主導的な町会長などが存在した為による。
ブクマページの米でそれは違うというのを幾つか。https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240313123638
流山は常磐線忌避したという話は良く効くが、多分これは違う。というのも、地理的条件があるからだ。
田端を起点にして北千住を通り、土浦に至るというのは決まっていた。で、その途中には避けねばならぬ「水」があるわけよ。霞ヶ浦、牛久沼、手賀沼は避けねばならない。だから柏の先のルートはこれしかない。
問題は北千住から柏で、今の南回り松戸ルート、八潮→三郷→流山の北回りルート(TXコース)がある。
でも北ルートには難点があって、それは毛長川、大場川、古利根川の氾濫域の土壌ぐちゃぐちゃ地帯に入ってしまう。今でも越谷レイクタウンの南側は田んぼのままで、ここは乱開発すると土地の保水力が無くなり八潮の市街で出水してしまうので開発禁止の状態になっている。武蔵野線敷く時もまず水路の開削からやって平地なのに築堤築いている。そうしないと列車の振動で沈下して線路が狂ってしまう。それくらい地盤が悪い地域だ。
だから日本鉄道はここを通るのは避けたかったはずで、そうすると流山に行くのは無理って事なのだ。
日光御成街道の宿場町として栄えた名残が邪魔して鉄道忌避の街になり、ついに川口市に吸収合併された、元鳩ヶ谷市とか?東北本線って計画では、王子以北は今の埼玉高速鉄道をなぞってたって言うし
これも違うと言い切れる。地形で説明するよ。
日本鉄道熊谷線(現高崎線)は日本で2番目の鉄道なので工事量を減らす為に「ここしか無い」という厳選されたコースを通っているのだ。工事期間がやたらと短いのも特長で、コースを厳選した結果だ。
上野駅を出た京浜東北線(大宮までは中距離電車じゃなくてこっちが元のルートを通る)は赤羽までずっと急な崖の下を通る。この崖だが、真っすぐなのが特長だ。こういう真っすぐな崖というのは海食崖の特長だ。海の崖だね。
地球の海面は氷河期には氷河や南極に氷となって蓄積するので海面が下がる。一方、温暖な間氷期には海面は上がり、平野のずっと奥までが水没してしまう(海進)。
縄文時代などの間氷期の海進で、関東平野は海の底となり遠浅の海となっていた(奥東京湾)。間氷期の気温で海進の程度は変わり、最大で高崎あたり、縄文時代では大宮までが奥東京湾だった。(そういう訳で、尾久とか東三条には貝塚がある)
海には波がある。この波は真っすぐ進んでドンと当たって止まり、ではない。斜めに陸に当たった時は、陸に当たった後にその勢いは横に流れる。波が引く時はその横向きの流れのままに引く。沿岸流が出来るのである。
すると陸の出っ張っている所は削られて、やがて必ず真っすぐな海岸になるのである。
つまり、上野~赤羽の崖が真っすぐなのは海進時に波に削られたせいである。
波は崖を真っすぐに削っていくが、この時潮の干満により崖の下には平場が出来る。満ち潮では海面下に隠れているが引き潮では通れたりするアレだ。親不知子不知が引き潮の時だけ取れるというアレ。
上野~赤羽では小規模な波蝕台が連続し京浜東北線はこの上を通る。但し複々線化で判り難くなってはいるが。
この波蝕台跡は他の低地より少し高いから田んぼになっていないので用地買収がしやすい。更に少し高い故に大雨でも出水しにくいし、砂礫が多いので水捌けも良い。線路用地として優秀なんだな。
陸地の角があると波による沿岸流はその先に砂を置いていく(漂砂)ので、真っすぐの海岸線が延長された地形が出来る。砂嘴である。北海道標津の野付半島や京都の天橋立が有名だ。砂嘴で延長された浜により沿岸流と漂砂の働きも延長されるから砂嘴はどんどん伸びていき海底が深くなると砂嘴の延長はとまる。
この先で荒川を渡らねばならないので当然線路はこの砂嘴の上を走る。高さを稼ぐ為である。この砂嘴は江戸時代の荒川開削と田んぼ開発により削られているが、根元だけは残っている。赤羽の北で環八を跨ぐ時の橋台はこの砂嘴に乗っている。
当時蛇行していた荒川を真っすぐ渡る為に(鉄橋の距離が短くなるから)右に曲がり、荒川を渡る。川口方には堤防(曽根)があるのでそれを超えると熊谷に向けて左に曲がりながら築堤で地平に降りていく。地平に降りた所に川口町駅設置。川口宿からは離れているが駅は水平でないといけないのでここしか無い。
川口町駅からは当初の終点熊谷、その先の高崎までは殆ど直線なのだが、所々に緩いカーブがある。このカーブの全てには必然性があり、全て工事の最小化の為のものだ。
南浦和までは低地にあるが、この先で大宮台地に登る。そこで沢が削った斜面に入り、他の沢の斜面側面に取りついて高さを稼いでいく。
浦和駅からはもう芸術点が高く、沢山の小さな沢がある所を、最小限のカーブでその谷頭を両側でギリギリかすめるルートを取っている。ここはダッジボーナスが沢山入る所だろう。舞踏家みたいな避け方である。
大宮から先も小さいカーブで芸術点高いルートを通るが、中仙道に平行している。中仙道自体が芸術点高いルートを通っているのでこの区間はコピー忍者って感じだ。
このルートの良いところはもう一つあって、途中の蕨から中仙道が平行してくるので宿場町近くに駅を造れば集客と集荷が期待できる。更に当時は道が限定されているので、名のある街道に近くないと客や貨物が駅に来れないのだ。
文明開化したばかりの明治日本が、鉄道二本目でこんだけ緻密なルート選定出来たのは何故か?
お雇い外国人の英国人の力だけではない。江戸時代に新田開発と用水路開削をしまくっていた為なのだ。
台地上に水田を作る場合、もっと標高が高い場所から用水路を引いてくる必要がある。水は一度低いところに行ってしまったらもう高さが上がらないから、長距離の測量を正確にせねばならない。その技術が蓄積されていた。
やり方は結構単純だ。長い木箱を作り(水盛り箱という)、水を入れる。水面は必ず水平だ。両端の水面から10センチのところに糸を張ったらそれも水平だ(水糸という)。
更に両端の水面から10センチのところにライフルの照準的なものをセットする。その照準で200m先を見て、照準が合っている場所はやはり水平だ。200m先に助手が目盛りが付いた物差しを持って立つと、その地面はこっち側から何センチ下/上がっているかが判る。
これをずっと正確に繰り返す。だから両側の谷頭の直ぐ上を抜けるルートなんてお茶の子さいさいだったかもしれない。
という訳で、日本鉄道などが造った初期の鉄道路線は土木技術で地形無視って事を極力避けるルート選定をしているので、マクロ的にもミクロ的にも必然性の塊となっているのでありますよ。
これ https://b.hatena.ne.jp/entry/s/trafficnews.jp/post/127759
関西人が亀有行くのが難しいという嘆きに対して「老害じゃね?」「スマホで乗換案内見ろ」と好き放題な罵倒がされているが、はっきり言って亀有を含む、JR常磐線の綾瀬~金町に行くのは東京もんでも難しんだよ!
増田は東京の西側ばかりで活動していて、ある日仕事で亀有の隣の綾瀬に行くことになった。だが路線図を見て行き方が判らなくなってしまった。
何故なら乗換駅のJR北千住駅には綾瀬~金町に行く各駅停車のホームが無いのである。
実は常磐線は列車線と緩行電車線の複々線になっており、各駅停車が走る緩行線は綾瀬で地下鉄千代田線に直結している。
当然北千住のホームの場所が問題となる。普通はこういう時は北千住駅手前で地下鉄が地上に出て常磐線に並んだホームで乗り換えできるようにするじゃない?
ところが北千住ではそうならないで地下にホームがあり、その地下の北千住駅を管理しているのは地下鉄なのだ。途中駅なのだから当然だ。
だから「JR常磐線各駅停車の北千住駅は無い」というとても奇妙な事になっている。
乗換駅がJRと地下鉄の接続駅じゃなくてその次の快速以上が止まらない綾瀬が両社線の接続駅なんて無茶すぎる。
渋谷とか新宿以西でばかり活動していた増田はこんな無茶な構造になっている事は知らなかった。
この構造は千代田線乗り入れ開始で出来たのだが、綾瀬、亀有、金町の人らは激怒したらしい。
それまで例えば亀有から上野は一本で行けた。だが乗り入れ後は北千住で乗り換えで、更に地下の地下鉄ホームから高架の常磐線ホームに階段で上がる必要があり、やたらと時間と体力を食う。更に当時は地下鉄路線がまだ少なくて都電が現役だった頃だ。地下鉄で都心に直通出来るメリットも少なかった。
常磐線には
・特別快速
・普通
・快速
・各駅停車
という列車種別がある。普通は各停→普通→快速→特快の順で速くなると思うわな。
しかも各停は地下鉄に直通するから行先が違うという複雑怪奇さである。
快速っていうのは各停の駅を飛ばすから快速らしいのだが、走る線路が違ってこっちは地下鉄に入らない。
昔は「普通」は機関車の曳く客車やボックス席車で、「快速」は通勤電車だったので何となく判り易かったみたいだがJRが全部通勤電車にしてしまったので訳が判らなくなった。これも関西人じゃなくても混乱するポイントだ。
因みに普通は列車由来なのでトイレがあるが快速はトイレがない。ならば便通の方が適当ではないのか?
記事では、列車種別ごとに別路線のように描くのは、昭和中期の国鉄5方面作戦がどうこうと鉄オタ好みの説を書いているが、そうじゃなくて戦前の昭和初期の電車網築造に遡るのだ。
まず、京浜東北線。東海道線が東京、東北線が上野で分断されるのに対してこれらを直通して、更に東北線の方は尾久に車庫を作って列車線の方は車庫の向こうを回る形にした。すると途中の駅が違ってくる。そしたら別路線として案内した方がいい。
山手線。これは大正の終わりから環状運転を始めた。田端~東京~品川は東海道線と東北線だが跨って走る上に渋谷の方に曲がっていくからこれも別路線扱いで案内した方がいい。
中央線と総武線。複々線にしたのだがこれのキモは秋葉原駅で、中央線のお茶の水から分岐して秋葉原で立体交差、総武線の始発だった両国に繋ぐ路線を建設。
地上2階くらいを走る京浜東北線の上を跨ぐために街の上に高架を作るというのは当時は先進的であった。しかも秋葉原駅の東側(今のTX入口やロータリー、アキバヨドバシ)には貨物の荷捌き場と舟運用の堀があり、それを跨いで地上6階くらいの総武線ホームに直通するためのエスカレータもあった。
当時エスカレータは銀座の高級デパートくらいしか設置されていなかったのに駅に設置されるというのは相当に革新的に写ったと思われる。
また、御茶ノ水駅の前後と代々木駅、新宿駅には乗越線を築造した。
お茶の水の前後で一本づつ乗越しして、これによりお茶ノ水で東京駅方面と両国方面の乗客が同じホームの反対側で乗り換えが出来るようになった。
新宿も山手線と総武線(中央線の各停)が同ホームで乗り換えが出来るようにした。
今もあるあの便利な乗り換えが出来たのは戦前なのだ。工事量が2倍に増えるが当時の当局は利便性を優先した。「立体交差のダイナミックさ」に取りつかれていた感じがしなくもない。
こういう感じで、
に大正末~昭和初期に複々線の同じ線路を走る電車を別路線として案内するのが一般化した。そして駅名表にもその電車が止まる駅だけ表示するようになったので、実はかなり古い方式なのだな。
因みにだが、その別路線扱いの電車をそれぞれ違う色に塗るというのは昭和30年代後半に始まった。
更に路線が増えてきた営団地下鉄がその方式を拡張して、電車だけじゃなくて駅もテーマカラーで統一して、乗換案内を色で示すようになると、これは大変判り易い上にサインシステムとしても優れていると絶賛され、各国の地下鉄も同じ方式をやり始めた。
今はどこの国の地下鉄も路線ごとのテーマカラーで統一されていてありふれたサインシステムだが、そのオリジナルは東京の交通営団で、更にそのオリジンは国鉄で、その国鉄は昭和初期の別路線扱いの案内法をもっと判り易くする為に路線別カラーを始めた訳なのだな。
だから「亀有に行くのが判り難い」というクレームは叩き潰すんじゃなくて、先祖が始めた判り易い路線別システム、サインシステムの流れに反する退化だなと考えないとダメなんじゃないかと思うところだ。
https://toyokeizai.net/articles/-/317166
東洋経済(オンライン版)に本日掲載された記事だが、京阪マニアとして突っ込みたい部分がいっぱいあるので、重箱の隅をつつくようでもコメントさせてほしい。
京阪は『「特別停車」「特別通過」を設けていない』(2ページ)とあるが、これは誤りで、特別停車は現存する。淀駅は急行が通過するが、淀駅が始発・終着となる急行は特別に停車する。
現在、区間急行と準急という種別が同じ区間に両方とも走っているのは、京阪、南海、泉北高速、近鉄、東武の各社。そのうち、準急が区間急行より上位になっているのは京阪と東武本線の曳舟~北千住間のみであるから、区間急行が準急より上位にあるのが多数派であることは間違いない。一方、区間急行という種別を最初に作ったのは京阪なので、あたかも区間急行が準急より上で当然という書き方は違和感がある。
『区間急行という名前にもかかわらず複々線区間の緩行線側を走行し』(2ページ)とあるが、守口市~京橋では朝ラッシュ時の一部列車を除いて急行線を走行する。緩行線を走るのは基本的に各駅停車となる区間のみで、当たり前といえば当たり前である。
交野線直通「ひこぼし」は準急または快速急行として設定されており、K特急であったことはない。
記事中、深夜急行は『2008年10月19日の中之島線開業に伴い誕生した』(1ページ)列車だと記載されている。「深夜急行」という種別に関しては確かにその通りであるが、同じ時間帯同じ停車駅の列車はそれ以前から「急行」として長らく存在しており、あたかも中之島線とともに出現したかのような書き方は語弊がある。
種別「ライナー」は、現在のダイヤでは特急と停車駅が同じで、ライナー券を必要とする全車座席定員制の列車を別の種別としたものだ。したがって、特急停車駅の変遷とは切り離して考える必要がある。
コンフォートサルーン(3000系)は今でこそ特急主体の運用であるが、元々中之島線直通快速急行用の車両として導入されており、これを特急の伝統と関連させるのは違和感がある。
無理。
首都圏関西圏の中心部のような輸送力の限界あるいは限界に近いぐらいやってる地域では物理的に不可能な場合が多いし
地方で、輸送力に余裕がある場合ですら、逆にラッシュ時に余裕があるレベルの会社では赤字で無駄な増発はできない場合が多い。
「物理的に無理」を解消するには大幅な施設改良、具体的には複々線化が必要だけど
基本的には費用に対して増える収入が大したことがないという問題がある。
複々線化すれば競合路線を完全に叩き潰せるとかならペイできるかもしれないし
沿線に巨大施設がたくさんできて、今のままでは100%平日昼間でもパンクするぐらい一気に輸送力が増えるとかならあるいは、レベル。
勿論例外はたくさん考えられうるけど。
そもそも列車って、ピーク時に合わせて設備を用意しないといけないけど、
平日昼間とかのオフピーク時には遊びが出るわけで、あまりラッシュ時に余裕をもたせられないのが現実。
「限界に近い」を「限界」にさらに近づけるとか、限界なのを無理して多少輸送力を伸ばすとか
やっても無理がたたることによるトラブル発生リスクの上昇を許容できるほど劇的に輸送力が増えるっていうことでも無いかもしれないし。
数年前の話。
あの花の影響で、明らかに地元民じゃない若者(=聖地巡礼者)がやたらいっぱいいたことより、秩父鉄道とつながっていたことより、東急の車両が走っていることより、都内が高架複々線化されていたことよりも何よりも、飯能まで複線になっていたことが凄まじい驚きだった。
「もうすぐ飯能かあ…直前の信号所から単線になって、いよいよ都会を離れてしまった感が出てくるんだよな…って、あれ?複線のまま右手から単線が…え、飯能?え?複線化されてた!?マジ?うそでしょ!?」
文章化すると実に頭の悪い感想で恐縮だが、一人でパニクって言葉を失った。
実に30年ぶりに乗るまで、自分にとっての西武線は小学校上がる前の記憶で止まっていたので、そりゃもう心底驚愕した。
一応あの花・秩父鉄道・東急・高架複々線の話は情報として知っていたので、そんな大きな驚きはなかったけど、それ以上新しい情報なんて無いと思っていたのが間違いだった。
そんな筆者の幼少の記憶に必ず出てくるのは、5000系レッドアローである。でも何故か行きしか使わなくて、帰りは黄色い普通電車だった。
まさに行きはよいよい帰りは…を地で行く行旅で、帰りは山間の単線で延々揺られるのが超退屈で嫌だった。
でも飯能からちょっと行って複線になると、ようやく都会に戻ってきた→家が近い!と少しだけホッとした。
だから単線→複線という儀式(?)は、忘れたくても忘れられない記憶になってしまった。
ちなみに30年前を最後に秩父行きで西武線を使わなくなったのは、熊谷から荒川沿いのアプローチで秩父に行くようになったから。
更に、今世紀に入ってからは秩父行きそのものがご無沙汰になっていたと。
いや、幼心にすごく不思議だったんだよね。
飯能から池袋方面に出発する時は単線なのに、隣の元加治に着いた時は複線。なんで???という感じ。
それで一回、子供だったら必ずやる、かぶりつき前面展望をやってみて謎が解けた。
駅も何もない所にポイントが有って、そこで複線になるんだ!!
信号所などという存在を知らない当時の自分にとって、これまた「いつの間にか複線」を上回る衝撃だった。
この時点で一生忘れられない記憶として確定したと言っていい。
それなのに、飯能まで複線になっていた。
都会が更に伸びた!くらいのインパクトだった(飯能市の人ごめんなさい)。
それで帰宅して早速調べてみたら、こういうことだった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%A0%E7%B8%AB%E4%BF%A1%E5%8F%B7%E6%89%80
なんと、敵は八高線だったのだ!
昔絵本で、単線非電化ローカル線のガーターの下を黄色い西武電車がくぐる絵があったけど、それか!!
あの本、なんて本だったか全く覚えてないけど、wikipedia読んだらその絵だけ記憶から蘇ってきたとか、一体どうなってんだ。
余談その1
初代5000系の美化された記憶込みだけど、あんまり魅力的には思えなかった。
まあ、新幹線で東京から近くなったことだし、なるべく早く富山まで乗りに行こうと思っている。
余談その2
秩父は第二の故郷だけど、上に書いた経緯から、飯能にもお世話になっている。
なのでお礼に天覧山には登るつもり。
余談その3
京阪の子会社が作った新京阪線(今の阪急の京都線)の地下線の西院駅 - 大宮駅間は1931年に開業。
鉄道省は、対抗して関西急電と呼ばれる、料金不要の優等列車を設定。1936年には、流線型の車体デザインの52系(流電)を投入。現在の新快速の礎を築いた。京都駅 - 大阪駅間を34分、大阪駅 - 三ノ宮駅間を25分。
大阪市営地下鉄の御堂筋線は、1933年(昭和8年)5月20日:1号線 梅田駅(仮) - 心斎橋駅間 (3.1 km) が開業。
開業当初、御堂筋線はわずか1両編成での運転だったにも関わらず、当時からすべての駅のホームが、将来を見越して 17 m 級車による8両編成に対応するように建設されていた。
さらにいうと、東洋初の東京の銀座線と比べると電車が一回り大きい。
近鉄の前身のひとつの参宮急行電鉄は、大阪 - 伊勢間130km超の長大電車路線を作り、1932年(昭和7年)には、上本町駅 - 宇治山田駅間を2時間1分で走破した。ライバルの鉄道省の準急列車は、3時間、鈍行は5時間かかった。20m級車体で最高時速110km/h、二等客車並のクロスシートが装備された。21世紀初頭の電車と遜色ない性能があった。
阪和線の前身の阪和電気鉄道では、1933年に超特急の運転を開始、阪和天王寺 - 阪和東和歌山間を45分で結んだ。表定速度81.6km/h。まじで速いよ。特急こだま号が登場するまでの日本で最速の鉄道だった。
戦前の話じゃないけど、自動改札機も1970年台には関西私鉄の主な駅にあった。大阪万博から続く未来がそこにあった。国鉄は人がきっぷにはさみを入れていたけどね。
いわゆる「ハゲタカファンド」であるサーベラスが、西武HD経営陣と対立し、TOBを仕掛けている。
で、経営陣への要求として「不採算路線の整理」を挙げ、具体的には秩父線・新交通システム山口線・そして多摩川線を挙げた。
確かに多摩川線は、西武各線と切り離された離島路線で、かつ単線でローカル臭が漂っているので、
「確かにサーベラスが言う通り、不採算路線で切り捨て止むなしなんだろうなあ」と考えている人も多いだろう。
「多摩川線=大赤字」主張者のエビデンスの一つに、「推定営業係数」がある。
営業係数というのは、各路線毎に100円売り上げるために要したコストを示した係数で、
これが100を下回れば黒字、100を超えれば赤字、というインデックスである。
元々は国鉄赤字路線廃止のための尺度として用いられた概念である。
しかし、西武HDは、というか、全国の各鉄道事業者は、今は個別の営業係数を開示していない。
なので、外部から「推察」する格好になっており、直近では鉄道ジャーナリスト梅原淳氏が
週刊東洋経済臨時増刊号「鉄道完全解明2013」で公表している数値がある。
それによれば、多摩川線の推定営業係数は「241.9」の大赤字路線、と試算されている。
本当に売上の倍以上のコストが嵩んでいるなら廃止やむなし、となるが、ホントにホントか?
梅原氏の推計仮定に誤りや無理があって、過大に赤字評価されているのではないか?
梅原氏によれば、推計営業係数は、以下の方法で算出している。
★売上=鉄道事業者の鉄道売上全体×(当該路線の旅客人キロ÷全路線の旅客人キロ)
★運送費=鉄道事業者の運送費全体×(当該路線の旅客人キロ÷全路線の旅客人キロ)
★減価償却費等=鉄道事業者の減価償却費等全体×(当該路線の営業延長÷全路線の営業延長)
この推計方法を、池袋線新宿線という大幹線と多摩川線のような枝線を抱える西武鉄道という鉄道事業体に
自分から見ると、この推計方法を、西武のような路線格差が生じている事業体に適用するには、極めて乱暴じゃないか?と思っている。
本当の営業係数と、推計営業係数の、想定される「ズレ」要因を、以下に列記する。
1.実際の営業係数は、推計値より悪い、と思われる要因
★多摩川線の車両は、いわゆる本線系統で長年走っていた車両が「お古」でやってくる。
従って、電力消費が多大⇒推計よりも運送費は嵩んでいると推察される。
つまり、同じ旅客人キロでも、運送費は多摩川線の方が嵩んでいると思われる。
(逆のいい方をすれば、本線は乗客を多量に詰め込むことによって、運送コストを抑えている、と言える)
以上が「多摩川線の営業係数は、推計より悪くなる」という要因だが、
逆に「多摩川線の営業係数は、推計よりも良くなる」という要因の方が、ずっと多い。
2.実際の営業係数は、推計値よりも良い、と思われる要因
★多摩川線は、路線延長が短く、全ての乗車は数キロの乗車でしかない。
初乗り区間の乗車も数多い、と思われる。
鉄道会社の運賃体系は、短距離だと(対乗車キロ単価で)割高運賃になり、
長距離だと割安運賃になる。
なので、短距離乗車ばかりの多摩川線は、「儲かりやすい初乗り乗客比率が高く」、
より売上は多いと推察される。
基本流動は是政が末端で、武蔵境に向かって増えていく、という流動だが、
つまり、双方向流動がある。
本線系の場合は、朝ラッシュ時に池袋・高田馬場へ向かう流動(夕方は逆)が圧倒的で、
逆方向流動は少ない、つまり逆方向輸送の効率は良くないのだが、
多摩川線は、本線系統よりも逆方向流動比率が高い、つまり「効率がいい」。
★沿線に「競艇場前」という駅があり、競艇開催日には競艇客輸送をしている。
競艇客は、普通運賃客(割引率の高い定期客ではない)なので、売上は高くなる。
練馬~石神井公園の高架複々線化などは最近終わったばかりだし、
有楽町線(練馬~小竹向原)は地下線だから、相当な減価償却になる。
あるとすれば武蔵境の高架工事だが、これも大半は国や都の税金で事業を行なった筈だ。
つまり、西武全体の減価償却比率と比べると、多摩川線は減価償却がずっと進んでいる筈。
「単純な路線延長按分」で算出された数値とのズレは大きいはずだ。
駅舎などの減価償却も然り。(武蔵境を除き)旧態依然な多摩川線の駅舎は、とっくに減価償却終わってる筈だ。
あと、多摩川線は単線、本線系は大半が複線。路線の減価償却となると、単線か複線かの違いは大きい。
★車両の減価償却、という観点では、新車が多数投入されている本線系統の減価償却負担が大きく、
★そもそも「路線延長で比例配分して、車両の減価償却費用を按分する」というのは、
多摩川線は4両、本線系は8~10両。同じ1編成でも、減価償却は倍違う。
さらにラッシュ時の運行本数からして、路線長単位の本数落差は甚大。
路線長1キロ当たりの車両減価償却費用は、恐らく本線系は10倍以上嵩んでいると思われる。
・・・と眺めていくと、トータルでは、多摩川線の営業係数は、推計よりも「良い」と推察される。
さらに、多摩川線のようなミニ路線、売上も少なければ費用も少ない路線だと、
例えば、売上10億費用10億の「A線」と、売上100億費用100億の「B線」があったとする。
推計計算の過程で、費用を10億余分に見込んでしまった場合、B線の営業係数は100⇒110になる程度だが、
A線の営業係数は100⇒200と、思いっきり悪化する。
つまり、ささいな推計のブレは、零細路線では大きなブレとなってしまうのだ。
ということで、自分は梅原氏の推計営業係数「241.9」というのは、殆どウソ、眉唾に近いと考えている。
では、本当の係数はどれくらいなのか?
ここから先はあくまで推察であるが、首都圏で似たような境遇の「流鉄」(総武流山鉄道)の営業係数は「120.8」とされている。
また、近畿圏で似たような境遇の「水間鉄道」の営業係数は「130.3」とされている。
これらの事業体は、鉄道路線は1路線しか有してないので、この営業係数はまあまあ信頼できるだろう。
・・・となると、多摩川線の営業係数は、悪くても120~130、恐らく110程度ではないか、と思われる。
地方鉄道の豊橋鉄道、ここは多摩川線よりも輸送人員は少なそうだが、豊橋鉄道で「96.9」の黒字だから、
多摩川線も、実は黒字、という可能性も、案外ありえると思ってる。
まあ営業係数110程度として、それくらいなら、多少の努力で黒字に出来る数字である。
禁じ手かもしれないが、10%値上げすれば黒字化出来る。
あと、西武グループトータルで見れば「黒字」という可能性だってある。
沿線は建売供給エリアで、三井不動産レジデンシャルとかがファインコートシリーズを供給したりしてる。
三井不レジは、23区内だとグループ内の三井ホームに施工させてるが、府中市とか小金井市の物件だと「西武建設」に施工させるケースが多い。
ということは、多摩川線を維持⇒三井不レジが沿線で建売計画⇒西武建設に施工依頼、ということで、
少々路線が赤字でも、西武建設の施工売上で挽回する、ということもありえる。
・・・ということで、梅原氏の営業係数推計は、こと西武のような「幹線と枝線の双方有する会社」に適用するのは
相当に乱暴な議論だと思う。
化粧姿はマナー違反?見なければいい:日経ビジネスオンライン
これを読んで久しぶりに腹が立った。
はじめに言っておくが私は女だ。何に腹立ったかというと、こういう非論理的な語り方をするから、「これだから女は(笑)」「30代女性(笑)」とかいつまでたっても馬鹿にされるんだ。そんなこともわからないのか。
このエントリでは読者からの質問に対して、タレント・エッセイストの筆者(有名なの?)が答えるものだ。
このエントリの流れ、及び筆者の主張は、概ね以下のようなものだ。
まぁこんなところだろう。
つっこみどころ満載でもはや釣りとして思えないが、全力で釣られてあげよう。主なところだけ話すと以下のような感じだ。
もっともストレスなのはまるで自分の部屋のようにのびのび存在する男性だ。もちろん、圧倒的多数の男性はマナーを守って乗っている。だが、車両にたった数人配慮に欠ける男性がいるだけで、そのストレスたるや半端ではない。
ここで、『もっともストレスなのはまるで自分の部屋のようにのびのび存在する男性だ』と言っているが、自分の部屋のようにのびのびする女性に対してはむかつかないのか。
私はむかつく。
筆者は大股広げて座ってるオヤジや、いびきやクシャミ、咳払いがうるさい男性がムカつくと言っているが、これは男性に限った話ではない。女性だってドデーンと座ってたり、荷物広げて座ってたり、咳払いがうるさかったりするし、いびきもかくし、おばちゃんとかは大声で話す。私は老若男女を問わずこういうことをする人はウザイと思う。靴下が臭いとかもはやイチャモンにしか聞こえないが、女性だってストッキングが蒸れて臭うこともあるし、なにより香水や化粧道具はかなり臭う。私も女だが、女性専用車両には極力乗りたくない。その最大の理由があの化粧臭さだ。
つまりここで言っている、やれスペースとり過ぎだとか、やれうるさいだとか、臭うだとか言うのは男性特有のものではなく、同じぐらい女性だって迷惑振りまいてることなのだ。それを男性女性に切り分けて議論することがそもそもナンセンスだ。
もちろん、圧倒的多数の男性はマナーを守って乗っている。だが、~~
(中略)
このように、一応文章の初めで断りを入れているが、『だが』で続けて話せばそれは男性批判の文章でしかない。
この問題は、男性女性の問題ではなく、人が多い(密閉された)場所において自分の動的振る舞い(スペースを取る乗り方をするとか迷惑音を発するとかいった電車内での行為)・あるいは静的振る舞い(体臭や化粧が臭いなど電車外からの問題)が、どの程度他人に迷惑をかけているかを推測する能力がない人がいるという問題と、それがあっても他人に迷惑をかけることをなんとも思わない道徳感のない人間がいるという問題だ。
それを男性女性という切り口で話してしまっては、『たいていの男性は行儀いいですよ。でも一部の男性が~~~』という論調になり、結局それは男性そのものを批判する文章にもなる。この文章を読んだ『たいていの男性』がどのような印象を持つか、筆者はわかっているのだろうか。
しかし、私はそもそも電車内での迷惑行為についていちいち文句をいうことそのものがナンセンスだと思っている。
それは次のような考えからだ。
そりゃ私だって満員電車嫌いだし、満員じゃなくても嫌な客と乗り合わせることもしばしばあるから電車そのものがあんまり好きじゃない。
しかし、電車というのは、性別・年齢・国籍・職業などがまったく違う人間同士を1つの箱に詰め込んでまとめて運ぶ代わりに、格安で移動できる旅客サービスだ。
これだけ多種多様な人々が乗るんだから、それらの人々の価値観が違うのは当然で、相容れない場合もある。だから「電車の中で化粧するな」とか「携帯がうるさい」とか「スペース取り過ぎだ、痩せろデブ」といったような文句が出てくるのは当然だ。
こういう不快感やトラブルに見舞われる代わりに数十キロ~数百キロの距離を、数百円から高くても数万数円ぐらいの値段で移動できるわけで、この不快感に耐えられない人はタクシー、や(運転手付きの)自家用車など自分独自の空間を形成できる乗り物に乗る。金持ちは電車に乗らずに、運転手付きの自家用車、あるいはプライベートジェットを持つというイメージが生まれる理由はこういう背景があると思っている。
そりゃ、電車ってのがそういうサービスだから鉄道会社は何もしなくていいわけではない。鉄道会社はたいてい腰が重いが、女性専用車両の導入をはじめ、ダイヤの調性・改正、あるいは複々線化などを通して混雑解消を試みており、つまりは価値観の違う人間と乗り合わせる確率を減らす努力をしている。
一部の鉄道会社のあの横暴な態度や、顧客満足度を高める努力不足については私も不満を覚えるが、世界一の鉄道網と言われるように、日本の鉄道会社は頑張っていると思う。でなけりゃ数百円の運賃しか払ってないのに、高々5分遅れただけで顧客の文句をいちいち聞いて、証明書付きでヘコヘコ謝ってくれたりはしないだろう。
この筆者、『咳払いをする男性がうるさいから新幹線にも女性専用車両を導入しろ』とか言っているが、このままいくと『男性のイビキやクシャミがうるさいから飛行機のエコノミークラスにも女性専用スペースを設けろ』とか言い出すんじゃないかと心配している。
私も今のままの運賃とサービスを維持しながらそういったことができるなら別にやってみてもいいと思うが、大人数をまとめて運ぶサービスを提供する会社側から言えば、一般的に『〇〇専用』という空間は乗客率(乗客キャパ)を下げる要因でしかなく、コスト的には厳しくなる。この筆者のように、新幹線にも、バスにも、飛行機にも導入しろとか、あるいは女性専用車両の数を増やせとか言い出す女性が増えて、その圧力に負けて企業型がその要望をのみ、結果コスト増大に結びつき、それが消費者に価格として跳ね返ってきたら私はイヤだ。
そんな事態になるなら今のまま数十分~数時間の不満を我慢する代わりに安い運賃で移動できたほうがいいし、なにより「女のせいで運賃が上がった」とか文句言われるのはもっとイヤだ。電車や飛行機が今の価格で乗れるのは、多くの男性ビジネス客が多額の運賃を払っているからだ。筆者も仕事でよく新幹線を使っているようなので、その点ではこういった側面に貢献していると思うが、数で言えば圧倒的に男性のほうが多く、男性が今より電車にのらなくなったら価格は間違いなく上がる。それを承知した上でこの筆者は、仕事で疲れて新幹線に乗りイビキをかいて寝ている男性に文句を言ってるんだろうか?
この筆者、記事のタイトルにもある通り『女性はいつでも化粧したいものなんだから、化粧する女性に文句言うなら見るな。それは男性の理論の押し付けだ!』と言っているが、私は同じようなことをこの筆者に対して思う。
そういうことで文句言われたくないなら電車にのるな。
電車に乗る以上、迷惑と感じる人(価値観の会わない人)と乗り合わせ、時にはトラブルにもなるが、これはどうしようもないし、それが嫌なら電車に乗らないですむ生活を実現できる努力をするか、電車などより低価格で満足度の高い新しい旅客サービス(技術)を提供して下さい。
アメリカでは空飛ぶ車が実現したんだから、そう遠くない未来に電車に変わる交通手段が出てきてもおかしくないと思っている。もしそれが実現できるなら私は全力であなたの提供するそのサービスの顧客になりますから。
私だって大股広げてグーグーいびきかいて寝てる中年デブオヤジのせいで、隣に座ってる女性が肩身狭そうに座ってる姿とか見るとほんと腹立つし、痴漢はもっと許せない。でも男性だって化粧が濃くて香水くさいギャルとかオバサンには嫌気がさしてるだろうし、痴漢冤罪なんかたまったもんじゃないだろう。やはり電車という旅客サービスの特質上、こういったお互い様の不満や犯罪の数は減りこそすれ、なくなることは無いだろう。
だから私は、将来電車に極力乗らない生活を実現するための努力を今している。筆者にもこういう努力をしてほしい。
しかし努力もしないで「女性への気遣いをもっとしろ」とか言って、その結果サービスの質低下や運賃引き上げとなって文句だけは一人前に言うんだったら、それは今の民主党政権に甘やかされて文句だけは一人前に言う生活保護受給者と本質的にはなんら変わらない。民主主義の社会に生きている以上、文句があるなら自分でどうにかしてほしい。
しかしこの記事、そもそも質問者の疑問に答えてるとは思えない。質問者がどういう状況でああいった質問をしたのかわからないので、男女論かどうかわからないが、これだけ見ると、「男ってイヤですわねー」「そうですわねー」と女性が男性のグチを言い合って、そのことに納得している文章でしかないと思う。
というかこの筆者、男性そのものを敵視しているようにしか見えない。男性経験で何かトラウマでもあったのだろうか?
あと、個人的な感覚なのだが、電車内で化粧する女性でかわいいと思える人にはほとんどめぐり合わない。
この筆者も当然、私の好みの顔ではなかった。