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はてなキーワード: 学校生活とは

2018-04-02

SOGI(ソジ)ハラ

好きになる人の性別性的指向:Sexual Orientation)や自分がどの性別かという認識性自認Gender Identity)に関連して、差別的言動嘲笑いじめ暴力などの精神的・肉体的な嫌がらせを受けること。また、望まない性別での学校生活職場での強制異動、採用拒否解雇など、差別を受けて社会生活上の不利益を被ること。 それらの悲惨ハラスメント出来事全般を表す言葉です。

http://sogihara.com/

2018-03-18

海野つなみ『回転銀河』の復刊によせて

ドラマ逃げるは恥だが役に立つ』の原作者として

一躍その知名度を上げた海野つなみ氏は、

さまざまなインタビューで語られる通り

決してヒット作に恵まれ作家ではなかった。

ここにきて過去作品が見直され、知る人ぞ知る作品ではなくなっていることを

子供時代からの一読者として、心から嬉しく思っている。

今回の復刊版の帯には「恋と多様性を描き続けて30年」のコピーがついた。

実際、この『回転銀河』はある高校を主な舞台としたオムニバス作品で、

一巻に収録されているのは、

姉と弟の恋に始まり男子から男子への感情女子から女子への感情…などなどさまざまだ。

ただ、「多様性を描く作家」といわれると、

その「多様性」という言葉の重さに、私個人は少し圧倒されてしまいそうになる。

海野作品の「地味さ」について

海野つなみ作品は、いつも「地味」だ。

姉と弟の恋、みたいな題材を扱っても、

恋にならないごく微妙感情の揺れ動きを描いても、

なんとなく、いつも、地味だ。

そして、それが彼女作品の一番いいところだと思っている。

姉と弟の恋のエピソードは、読者のおたより欄で

「弟にドキドキしてしまった」という投稿から

「そういうことはあるよなあ」と思ったところから始まったという。

この「そういうこと、あるよね」というごく軽い肯定

海野つなみ作品の最大の魅力であって、

そして「なんか地味」な原因でもあると思う。

から弟への想いも、

男子から男子への想いも、

女子から女子への想いも、

彼等はみんな、「私とは違うそういう人たち」として描かれない。

「そういうこと、あるよね」

そういう視点のまま進められる。

それは「多様性を描いている」といえば確かにそうかもしれないのだが、

あなたと私は違う、そして認めあおう」という描きかたというよりは、

「私はたまたまそうじゃなかったけどさ、そういう感じになるの、あるよね」

という、まるで友達雑談しているみたいな、とてもニュートラル肯定だと思う。

多様性を祝ぐような派手さはない。

地味に、私たち生活の地続きとして、また私自身のある選択肢として「多様性」はある。

そこに単純にある。

そういう描きかたをする作家だと思う。

そして、それこそが海野つなみという作家稀有な美点であると思う。

(余談なのだが、2話目の主人公であるイズミという底抜けにいいやつな男子がいる。

 めちゃくちゃ落ち込んで半泣きで家に帰って部屋に閉じ籠ってるのに、「にいちゃん!俺のじゃがりこ食べただろ!」と弟にキレられたりする。

 そのごく短い家での場面で、隅っこの目立たないところに「ママは後妻」って書かれてある。

 彼の家庭環境はそれ以降ぜんぜん話に絡んでこない。

 けど、あ、わかる、と少し思った。

 イズミという少年の優しさや性格の奥行きが育まれた背景があるんだ、とふと思わされる。

 家庭環境が複雑な子は優しい、とか言うステレオタイプな話でなく、ただ、そこに地続きの「多様性」を思わされる)

海野つなみ作品スクールカーストについて

海野つなみは目の前のことを否定しない人だ、と思っている。

あるじゃん、こういうこと、という感じで描く。

『回転銀河』にはスクールカースト描写がたびたび登場する。

立ち向かうべき悪習としてでもなく、

陰惨ないじめとしてでもなく、

ただ、あるよね、こういうこと、として描かれる。

海野つなみ作品は地味だ、と私は書いたが、

その意味ではこの『回転銀河』では三巻くらいか

「美しき悪魔のような双子」という全然地味じゃないキャラクターが出てくる。

成績優秀冷静沈着、自分達以外に価値を認めない、少女漫画萌えキャラ煮詰めたみたいなやつらだ。

けれど、彼等も結局この海野ワールドのなかの住人だなーと思ったのは、

彼らの行動はこのスクールカーストにえらく縛られているのだ。

それをしなければ、彼等は自分達の生活を守れないと感じている。

海野つなみスクールカーストを「そんなのくだらない」と喝破したりしない。

あるよね、そしてそうやって自分を守る人もいるよね。

海野つなみという人は少女漫画をずっとかいてきたひとで、

そこで繰り広げられるのは確かに主人公ヒーロー恋愛なのだけど、

いつもその片隅に、学校という生活のままならなさ、人が人と関わりながら生きていることを描いてきた人だと思う。

恋がすべてにはならないし、恋がうまくいけば生活すべてがうまく回りだしたりもしない。

そういう、どこか突き放したような距離感描写してきた人だ(だから地味なのだが)(そして地味だから好きなのだが)。



海野つなみ社会派作家

海野つなみ作品は、恋愛はこうであるべきだ、からも遠く、

同時に学校生活とは社会とはこうであるべきだ、からも遠い。

逃げ恥」は社会派コメディだと言われたが、

それはたまたま彼女の描いてきたものにそういうメッセージを読み取ることもできたというだけだと思っている。

(めっちゃかいところではそれっぽいのあるけど、炊飯器Amazonで買わないくだりとか)

ただ、少女漫画の基本文法では捨象されがちなことを、

するっとごくさりげなく描くことができる。

社会派なのではなくて、ただ、人間関係というもの

近視眼的ではなく一歩引いた距離で描くことができるだけなんだとおもう。

そこにはスクールカーストがあるし、

少しだけ家庭環境の複雑な少年がいるし、

地味で恋愛物語主人公エントリーしない少女もいるし、

同性愛者もいるけど「同性愛ににている名前のつかない感情」もあるし、

男女の間にも恋に似ている恋ではない感情がある。

だって、いるのだ。そういう人は。いるじゃん。

そして海野つなみは彼らを無視しないし、

センセーショナルスポットをあてたりもしない。

ただ、いるよね、って描く。

ひどくさりげなくふつうに、いる。

海野つなみを語るときに絵が硬い、と言われることがある。

それはわかる(『回転銀河』はアナログ時代作画と思われるため、『逃げ恥』とはすこし感じが違うと思うが)。

けれど、もし海野つなみの絵が恐ろしく緻密な書き込みであったり、生々しく柔らかい描線であったら、

きっと「いるよね、こんな人」のようなある種心地のよい距離感はなかったと思う。

あのどこか生硬な絵柄だからこそ、すっと受け入れられるのだと私は思っている。

そして、あの絵柄だからこそ、時々ぎゅっと心を掴まれるような清潔でうつくしいコマがあることを言い添えたい。


【追記】

ごw本w人wにw見られたwwwww

地味地味かいすみません…好きです…

(センセーショナルに、ことさらお話のために感情煽り立てたりしない、地に足の着いた視点で描かれている、というようなことを伝えたかったのです)

kiss事情ロマンスたまごと学園宝島と西園寺さんと山田くんゴールデンデリシャスアップルシャーベットと豚飼い王子と小煌女が好きです…

レスコープダイアリーズの補完または映像化待ってます………

2018-03-14

anond:20180314001059

大学受験とき鬱々になって結局実力の8割くらいの中堅大学に受かった。

から考えるとギリギリ受かって不相応な大学毎日勉強勉強憂鬱になるよりは良かったと思ってる。

そこそこ頑張ればいい成績がとれて、でもよく見れば自分より成績が良い人がいるから卑屈にならず勉強する気になる。勉強しか出来ない人間になるより、学校生活が緩めで人間的に成長する方がマシな人もいるだろうし。

学歴大学就職率も大事だけどメンタル壊して退学になるよりはいいんじゃないかな?理系なら院進学で学歴アップ狙うのも有り。

大学受験偏差値が低くても、入学後育てるタイプ大学だと下手に高学歴よりいいかもね。

実力出し切っても到底東大なんていけない人間意見だけど

2018-03-04

エロマンガ先生』論:度重なる奇妙さとその正体について

※おれは原作を読んでおらず、アニメを全話視聴しただけ、つまり原作三巻までの内容しか知らない。
※『エロマンガ先生』という表記は、原作ではなくアニメ作品を指す。

この論考もどきの楽な読み方について

結論は最終項「みんな家族になりたい」に書いているんで、各項の見出しだけを読んでから最終項を読むのが最短ルートだ。

もちろん、全部読んでくれることにこしたことはないけれど、どこのだれが書いたかからない約6000字の論考もどきに付き合ってくれる人はまれだろうから全部読んでくれた人にはすごく感激しちゃうマジで


ラブコメ発生装置として学校を使わない=もう学校はいらない

エロマンガ先生』にはいくつも奇妙なところがある。中高生なのに小説家イラストレーターとして第一線で活躍しているのが奇妙だというのではない。現代日本舞台にした中高生ラブコメなのに「学校」がラブコメ発生装置として使われず、それどころか学校がほぼ出てこないのが奇妙な点のひとつだ。

エロマンガ先生』は「家」が舞台の中心であり、方向性でもある。これは長編ラブコメとしてはめずらしい。

1~8話、12話は和泉家、9話10話はエルフ大先生の別荘(家の延長)が舞台になる。出版社はたまに出てくる程度なのでラブコメ発生装置として機能しているとはいえない。

まりこれは、もう学校はいらないという宣言をしているということだ。

まったくもって小説家小説ではない

原作小説家小説家について書いている小説家小説だ。しかし『エロマンガ先生』は小説家小説として奇妙だ。

通常の小説家小説には、小説家あるある小説への熱意・展望愚痴小説論、作者自身体験談らしきもの、などが書かれるものなんだけれど、『エロマンガ先生』にはいっさいそういったことが出てこず、歯の浮くような理想論しか語られない(あんなことを本気で思っている小説家はいない)。また、さまざまなライトノベルが出てくるけれど、どれも超有名どころばかりだ。ふつうもっと自分の好みを推したり、もっとマニアック作品をあげたりするものだけれど、そういったことをいっさいやらない。

以上の二点からエロマンガ先生』は、本来的な意味小説家小説をやる気がないとわかる。

ストーリー人間関係は「小説小説」にたくし、恋愛はおいしいところだけを抽出する

では、なんのために小説家小説の枠組みを利用しているのか。それは話を二層仕立てにするためだ。

第一層目は、「小説小説」(作中でキャラたちが書いた小説)を媒介とした人間関係の構築とストーリーの起伏だ。

まず、疎遠気味だった正宗と沙霧をつないでくれたのは「小説小説」だ。正宗は、沙霧のために最高の妹萌えを目指して「小説」を書き、沙霧はその「小説」のためにイラストを描くという関係になっていく。

エルフ大先生、ムラマサ先輩とも「小説小説」によって関係が構築されている。正宗エルフ大先生の「小説」のファンだということでふたりは仲良くなるし、ムラマサ先輩にいたっては正宗の「小説」がこの世で一番おもしろいとまで言い、かなり積極的正宗アプローチをかけていく。

すべては「小説小説」でつながっている。

正宗が沙霧に告白するきっかけをつくったのも「小説小説」だし、ラノベ天下一武道会なんていう「小説小説」どうしの闘いがあったりするし、ムラマサ先輩が敵意を向けていたのは正宗本人ではなく正宗の新作「小説」だし、エルフ大先生の別荘で合宿をすることになるのも「小説小説」が根っこにある。

ストーリーの起伏は「小説小説」に依るところがとても大きい。

第二層目は、おいしいところだけを抽出した甘々な恋愛要素だ。

ふつうラブコメでは、主人公ヒロインとの関係性(恋愛要素)でストーリーの起伏をつくっていくため、ときには喧嘩をしたり、すれ違いがあったりとマイナス方向に話をもっていく必要もある。

エロマンガ先生場合は「小説小説」がストーリーの起伏を担当してくれるから恋愛要素で起伏をつくる必要がない。その結果、超ウェルメイドで、甘々な恋愛のみを抽出することに成功している。マイナス方向の恋愛要素がなにもないのにラブコメとして成立している。これはすごい

男女間の摩擦のない恋愛描写批判もあるだろうけど、こんなにうまく抽出できている長編作品の例はすくなくともおれは知らない。

やたらと凝っているエロシーン

ふつうラブコメエロシーンというのはおまけ要素だ。風でスカートがめくれて女の子パンツが見えて「ムフ」となったり(ラッキースケベ)、露天風呂ヒロインたちが「***ちゃんの胸大きい~」と会話していたり(サービスカット)、というものだ。

エロマンガ先生』のエロシーンは格がちがう。『エロマンガ先生』の場合エロシーンも「本編」であり、ストーリーの進行を補助していく。

たとえば、一話を思い返してほしい。エロマンガ先生の生配信を見ていた正宗エロマンガ先生が妹であることに気づき配信を切らずに着替えようとしているエロマンガ先生をドアを叩いて全力で止め、ネット上に妹の裸を晒すことなく済んだというシーンがあった。これはラッキースケベの応用で、一話でもっと重要なシーンだ。

三話の冒頭では、となりの無人洋館からピアノの音が聴こえてきて、もしかするとオバケかもしれないと怖がる沙霧の頼みで、正宗がとなりへようすを見にいくと知り合いの少女作家が裸でピアノを弾いていたというシーンがあった。これもラッキースケベだ。エルフ大先生名誉のためにも念を押しておくと、あれはエロシーンだ。エロと同時に話もすすむ。

このように『エロマンガ先生』のエロシーンは、ハプニングというかたちでストーリーの展開を補助する役割果たしている。これに加えサービスカット豊富だ。というかエロシーン・サービスカットのない回がなく、ものすごいサービス精神でもって甘々な恋愛を強化していく。

エロマンガ先生構造をまとめるとこうなる。

一般的な学園ラブコメの一例

学校――人間関係の発生―→恋愛要素(人間関係ストーリーサービス)←―サービスを強化――エロ

エロマンガ先生場合

【第二層】恋愛要素(サービス)←――――――――サービスを強化―――┐

      ↑                           │

     サービスを強化                      │

      │                           │

第一層】小説小説人間関係ストーリー)←―ストーリーを補助――エロ

学校は出てこないのに制服ちゃんと出てくる

あと、これはおまけ程度の話なんだけれど、この作品学校のシーンはほぼないのにヒロインがわざわざ制服を着て、主人公に見せにくるという奇妙なシーンがある。それも二回も。

普段は見られない、エルフ大先生とムラマサ先輩の制服姿が拝めるのはいい。けれど、ふつうだったら学校帰りという設定にでもしておけばいいのに、ヒロインふたり共に「男って制服が好きなんでしょう?だからあなたのために着てきてあげたんだよ」というふうなことを言わせる。

とても奇妙なシーンだけれど、つまりこれは、もう学校はいらないと宣言したけれど、学校生活の面倒くさいところを取り除いた女子象徴としての「制服萌え」は残っている、ということだ。

ここまでの話を三行でまとめる

エロマンガ先生』とは!?
学校なんていう公的領域は信じられない!!
信じられるのは己の仕事と、楽しい恋愛描写オナニーのためのエロネタ制服萌えだ!!というアニメ

でも、もうちょっとだけ、おれの話はつづくんだ……。

幼なじみキャラのあまり空気感山田エルフのお隣さん感のなさ

学校もいらないけど、「となり近所」もたいして重要じゃない。

智恵という幼なじみキャラがいる。この幼なじみほとんど活躍しない。「お嫁さんになってもいいよ」みたいなことを言うけれど、目立った活躍はそれくらいで、あとは正宗ラノベ談義に花を咲かせているだけだ。

また、エルフ大先生にお隣さんの感じがないことも気になる。お隣さんの感じがない理由はさまざまだ。初登場時にお隣さんではないこと、お隣さんらしい活躍を見せるのが三話から五話前半までの短い期間だけだということ、お隣さんのテンプレートをこなしていないこと(たとえば、朝起こしにくるとか、両親公認の仲になっているとか、いっしょに登校するとか)などが挙げられる。

幼なじみもお隣さんもさほど有効につかわれない。つまり、「となり近所」という公的領域重要ではないということだ。

みんな「家族」になりたい

学校」「となり近所」といった公的領域重要ではない。では、『エロマンガ先生』のキャラたちは、なにを支えに生きているのだろうか。みんな我が強いし、仕事成功しているから、自分ひとりの力で自立しているように見える。けれどそうではない。ましてや恋愛至上主義者の集まりでもない。

第八話「夢見る紗霧と夏花火」の終盤、こういうやりとりがある。

正宗打ち上げ、楽しかたか?」

沙霧「ふつう……」

正宗「この家にみんなが集まってくれてさ、みんなで同じもの食べていろんなこと話して、おれはすげえ楽しかった。その分みんなが帰ったらシンとしちまったな」

沙霧「兄さん、寂しかったの? あのとき電話、なんだかおかしかったから……」

正宗そうかもしれない。おれはね、ひとりでいるのが怖いんだ。おれの実の母親な、おれがひとりで留守番してるとき事故にあって帰ってこなかった。だから新しい家族ができて嬉しかった。情けないよな」

花火の上がる音)

沙霧「やっとわかった。兄さんは家族がほしいんだ」

正宗「うん、おれは家族がほしい」

沙霧「私は兄さんを家族だなんて思ってなかったし、兄さんの妹になんてなりたくない。でも、しょうがいから、ちょっとだけ妹のふりをしてあげる」

おれが『エロマンガ先生』のなかでいちばん好きなシーンだ。でも、いい話だというだけではなく、とても重要なことを言っている。

正宗は沙霧と「家族」になりたい。そして、沙霧も正宗「家族」になりたい。でも、いまふたり「家族」ではない。

複雑な家庭事情の結果、一軒家にふたりきりになってしまった正宗と沙霧が、どうやって家族になるか。それは第四話「エロマンガ先生」の終盤で提示されている。

正宗「なあ紗霧、おれにも夢ができたぞ。おれはこの原稿を本にする。たくさんの人たちをおもしろがらせて、バンバン人気が出て、楽勝で自立できるくらいお金も稼いで、そんでもってアニメ化だ!」

沙霧「それが兄さんの夢?」

正宗「ちがうちがう、こんなのは前準備だ。うちのリビングに大きな液晶テレビを買って、豪華なケーキにろうそく立ててさ、おまえを部屋から連れ出して、ふたりアニメを見るんだ。おれが原作で、おまえがイラストを描いた、おれたちのアニメだ」

正宗が熱心に語る「うちのリビングに大きな液晶テレビを買って、豪華なケーキにろうそく立ててさ[……]ふたりアニメを見るんだ。」というのは幸せな家庭のイメージのものだ。そして、「おまえ(沙霧)を部屋から連れ出して」というのは、沙霧の閉じこもり克服=ふたり家族になるための第一歩目という具体的なイメージ正宗はもっていることを示している。

まり正宗ヴィジョンはこうだ。ふたり作家イラストレーターとして協力して仕事成功させる、その成功は「家族になりたい」という夢につながる。
単純化すれば「仕事 → 家族」というヴィジョンだ。 

正宗と沙霧だけではなく、エルフ大先生やムラマサ先輩も家族の夢をもっている。

エルフ大先生は第九話で「結婚」を強調した愛の告白をする。両親がプロポーズをした場所で、両親の幸せ結婚生活イメージを、自分正宗が築くてあろう幸せ結婚生活イメージに重ね合わせる。ただ、父親とは幼いころに死別しているため、その幸せイメージは淡い。

ムラマサ先輩も七話で、正宗に「わたし専属小説家になれ」「印税のすべてをあげてもいい」と言い、後に愛の告白もする。セリフからは「ヒモ」のようなイメージが浮かんでくるけれど、見方を変えれば、世帯主の女が男を養うという家族といえる。

主要キャラはみんな家族の夢を支えに生きている。

ただし、正宗と沙霧が共有している「仕事 → 家族」というとても明確なヴィジョンに比べて、エルフ大先生とムラマサ先輩のもつヴィジョンは不完全だ。エルフ大先生のは曖昧すぎるし、ムラマサ先輩のは一方的すぎる(そもそも無自覚だ)。ついでにいっておくと、智恵(幼なじみ)は「お嫁さんになる」というフワ~ッとしたことしか言えてないので蚊帳の外だ。

ここまでの話で「仕事 → 家族」という考え方はおかしい。「仕事+恋愛 → 結婚 → 家族」と考えるのが常識なのではないかと思う人もいると思う。

率直にいうと、家族をつくるのに恋愛結婚をする必要はかならずしもない。『エロマンガ先生』において恋愛はおまけにすぎない。

前述したとおり、『エロマンガ先生』は小説小説仕事さえあれば人間関係を構築できるし、ストーリーがすすむし、家族の夢に向かって前進することができる。恋愛あくまサービス要素にすぎず、あってもなくても、なにも影響しない。つまり、おまけだ。

エロマンガ先生』における各要素の重要度は「恋愛 < エロ < 仕事 < 家族」というふうになる(学校、となり近所は除外)。

このなかで恋愛はおまけだから簡単に省ける。エロストーリーの補助をしてくれるけれど省こうと思えば省ける。仕事小説小説)はストーリー人間関係などさまざまに絡んでいるので必須だし、家族は最終目標だ。

よって「仕事 → 家族」が成立する。


結論エロマンガ先生』はこういうアニメだ。

家族になりたい」という夢を叶えてくれるのは学校やとなり近所といった公的領域ではないし、家族をつくるために恋愛をする必要はかならずしもない。家族の夢を叶えてくれるのは己の仕事のみであり、その仕事に耐えるために100%甘々な恋愛エロネタ制服萌えといった癒やしが必要だ。

おれは『エロマンガ先生』に共感してしまう。

家族をつくる=(常識で考えれば)結婚する、ということに恋愛はいらないんじゃないかとおれは思っているし、国や会社やとなり近所が直接的に手助けしてくれるわけでもない。会社がしてくれるのはあくま金銭的な補助のみであり、仕事をしていないとその恩恵あやかれない。国はほんとうになにもしてくれない。仕事こそが最重要だ。おれは会社に生かされている。そして日々の辛い業務から離脱すべく、おれはマンガアニメに没頭する……(宗教? 芸術? 知らない子ですね……)。

エロマンガ先生』はこういったおれの(おれたちの、おまえたちの)現実をしっかりと的確に描きつつ、荒唐無稽エロバカアニメを全力でやっているところがすばらしいところだ。

※追記 指摘のあった箇所を修正

2018-02-18

LGBTqのプライドとは

自分はFtXで、パンセクシャル(男女トランスわず愛せる)寄りのAセクシャル(性欲がない)と自認している。

学校では男装

積極的性自認セクシャリティについてオープンにしているわけではないが、聴かれたら答える。

隠しているわけでもない。

私が一番最初に「LGBT」について考える機会を持ったのは、外国人言語を教えあうようなコミュニティアプリに参加していたところ、各国の性的マイノリティの方の集まるコミュニティを教えてもらったあたりだった。

元々興味深かったし、当時は曖昧だった自身の性の認識を確かにするために、英語など外国語は全く不得意ながら参加することにした。

そこで盛んに唱えられていたのが「pride」である

当初私は何を指しているのかよくわからなかった。

pride意味はわかる。

なんで彼らは誇りを求めるのだろう。

もしかして辞書的な意味ではないのだろうかとさえ思った。

それから数ヶ月経ち、自分性別の違和、女性強制されることに耐えられなくなって、制服男性のものに変更してもらい、登校するようになった。

元々男子クラスメイト達のグループだったし、あいつはそういうやつだ、となって、全く問題なく学校生活が送れた。

だが後輩や他クラスの人から視線は存外冷たいものだった。

加えて、通学中にしても、わざわざ聞こえるところで悪口を言うような人もいるし、なんで女なのに?と見た目を変えてもなお女性強制する人もいた。

今一番困っているのは、公衆トイレ問題だ。

体は女だが、見た目は髪型まで男に寄せている。

どちらに入ればいいんだ。

どちらに入っても通報されそうだ。

もやもやしているのは、制服まで男性に寄せた私はともかく、なんとなくオカマっぽいキャラクター男子生徒が「オカマオカマ」と本人が否定していながら囃されることだ。私についてはそこまで執拗には言わないのに、中途半端だと茶化されるのか。

修学旅行の班決めの時は、男女別で分けたいという意見があったが、私がいたせいで基本的に混成の構造になってしまったのと、半端な性別ゆえに扱いにくいのか、これといったグループに参加していなかったのとによる「どこにいても迷惑なのでは」という考えに囚われ、少し仲のいい人にさえ声をかけられず、メンバー希望は全く叶わなかった。

私は独りなのかもしれない、と初めて感じた。

制服を変える前に、スカートを履きたくなさすぎて不登校になっていたときにも思ったのだが、どこにいても罪悪感が付きまとってくるのである

女性専用車両の話で「男と女」の対立構造の論を見ても、私はどちらにもいないんだな、と感じて胸が重くなった。

しかしたらトランスやnonbinary(日本ではX)は透明人間存在しないものとして扱われているのでは?とまで考えた。

そこでふと思い出したのが「pride」だった。

私は性別に負い目ばかり感じて、誇りが持てていない。

周囲の狭いコミュニティでさえ是とされていないと感じるものが、社会的に認められていると考えることは、若い私には難しい。

女性地位向上のためのシステムが「男女差別」と言われるのは、彼らの目に写る男女の像が「平等であることを指す本来好ましいことの筈なのだが、実際格闘技他のスポーツ特別に鍛えている女性でもない限り、男性の力に抗うことはできないのだから「pride」が損なわれている状態になる。

一般的自分の生まれもった性別に違和のない人のことをシスジェンダーと言うが、シスジェンダーの人でさえ誇りをもって「男」「女」として生きている訳でもないと思うのに、どうしてトランスが誇りを求めずにいられよう。

「ひとりの人間として」考えれば、男も女もトランスも何も変わらない。

ゲイでもレズでもバイでもヘテロ(異性愛者)でも、見た目だけではわからない。

それを何故排除しなければいけない?

何故一方的に損なわれた誇りを自力で回収しなければいけない?

そしたら周囲の理解や協力を求めるのも至極当然のことだろう。

女性専用車両場合は話が難しいが、少なくとも性的マイノリティについてはこの理論で通せる筈だ。

ヘテロセクシャルの人が同性愛者を気持ち悪がるのは構わない。でも排除してはいけない。

あなたは偶然異性にしか魅力を感じないだけで、両性共に魅力を感じることのできる人は、普通にいるのである

恋愛感情を持たないノンセクシャルの人だって結婚恋愛強制されることなんて必要ない。

同性愛者の権利向上を唱えるのは、なにも「あなた同性愛者になろう?」という誘いではないのだ。

異質なもの否定してしま心理はよくわかるが、マジョリティ言動が全て正しいなんてあり得ない。

あなたがもし異性愛者なら、心のどこかで覚えておいてほしい。

あなた同性愛者になる必要はないが、人の在り方を否定してはいけない。

2018-02-16

泰明小学校にお子さんを通わせている、保護者の方からメッセージです。

是非、シェアをお願いいたします。

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賛否両論あります

制服が高い、高くない以前に、新しい制服を着させたい保護者と本人の意思で新しい制服を着たいという子供たちがいる事実は置き去りになったままですが、制服云々の前に…

この報道が加熱しすぎて、毎日毎日学校には報道陣が押し寄せています

学校帰りに『今日は楽しかったね』とか話も出来ないで厳戒体制の中、下校している子供たち。

警察から子供たちの身の安全確保についての連絡がありました。

学校電話回線パンクして、欠席の電話も緊急連絡も通じなくなり本当に困っています

子供がかわいそうとか言うのであれば、子供たちが1日も早く元の学校生活に戻れるようにして欲しい。

そして大好きな校長先生が責められている姿を見て悲しんでいる子供たちもたくさんいる。

そういうところから解放してあげたい。

子供の心と身の安全心配でならない。

悲しすぎます

万が一、子供たちの大好きな校長先生学校を去ることになった場合は誰が責任を取ってくれるのでしょうか?

私たち和田校長先生いるか学校安心して預けられ、子供たちが伸び伸びと楽しく過ごしていることも忘れないでください。

1日も早く元の生活に戻してあげたいです。

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https://www.facebook.com/junichi.den.tanaka/posts/1808096515890791

2018-02-04

脱皮に失敗した蝉

自分のことを何か別の生き物としてイメージしてみろ、と言われたら、

私は自分が脱皮に失敗した蝉の幼虫だと例える。

多分小学生の時だ。

蝉の抜け殻は美しくて好きだった。

透明な飴色の細部まで奇跡のように形作られた精巧な殻。

夏になると私は、公園の木の幹を抜け殻を集めて回った。

それを見つけた時は、なんだか奇妙な抜け殻だと思った。

半分が白く濁ってその上に飴色の皮がかぶさって居るように見えた。

私はその時、多分まだ低学年で幼かった。

喜んで、その珍しい抜け殻を手にとって、母に自慢しようとした。

すごい抜け殻を見つけたよ、と。

ところが母は、少し顔を歪めて、

この虫は、大人になるのに失敗してしまったのね、

かわいそうだから、埋めてあげましょう、と言った。

そう、それはなんらかの原因で、脱皮の途中に息を絶えた蝉の幼虫の死体だった、というわけである

その時は、おそらく幼すぎて、脱皮に失敗した死骸ということは、よく理解できなったのだと思う。

でも、それは無意識下で私に強く印象付けられて、

今は脱皮に失敗した蝉は、強い嫌悪感とともに時折私の中に蘇ってくる。

あのくすんだ灰白い体、奇妙な手触り、かぶさった幼体の殻。

いつしか私は、まるでそれが自分のようだと考えるようになった。

大人になるはずであったのに、大人になれず、子供にとどまって居る事もできず、

脱皮を試みようとしたまま息絶えた蝉。

長い幼年期の果てに、脱皮はできずに、大人でもなく子供でもないまま息絶える生き物。

こうして実家の一室に三十代を迎え、とある長い修行時代の果てに失敗しようとしている自分が、

あの脆く醜い怪物めいた昆虫しか思えなくなっている。

別に誰が悪いというわけでもない。

不幸な生い立ちどころか、人が見れば、ひどく恵まれ人生に見えるかもしれない。

私の苦しみは、どこから来たものでもなく、

ただ、私が私として生まれて来たことに起因していると思う。

人は、不全の状態を様々な原因に去来するものとして分析しようとする。

親の教育学校生活における問題などの外的な要因、

今は発達障害人格障害などの内的な要因によって、

これまで原因不明だった社会的な不全、あるいは存在的な不幸が解体されようとしている。

それを目の前にして、もしかしたら私はもしかしたら自分傲慢なのだろうと思う。

そのような一般的病理説明で私の不幸を説明することを許したくない、というのが本心だ。

私の不幸は、私のものであって、誰かに理解されるものではない。

の子供じみた我儘を胸に大事に抱えながら、

脱皮に失敗したまま、自分が静かに腐っていくのを、

半ば愉快な気持ちも混じりつつ眺めているのである

2018-02-01

一生進級できない

大学生です不登校になってしまった

去年の今頃もそうでテスト期間に重い昼夜逆転と軽い引きこもりを起こして単位を全部落として留年している

無理矢理起きて登校を試みてもなぜか教室に入れないし図書館で寝てしま

別に学校生活で嫌なことがあるわけでもないツイッターで作ったオタクたちとの交友関係もあり孤立もしてない

まだ入学してから一度も単位を取ったことがないのでこの留年が一生続くんだろうなという気がしてやまない

病院に行けという話もあるがフットワークがそう軽ければこんなに困ってない

腰が重い

心配してくれる(後輩だった)同級生の「テストたか?」に対して嘘ついちゃうのが本当に情けなくて不甲斐ない

こんな不良債権にドボドボ学費融かしてくれる親の顔が見られない

むしゃくしゃして下宿で叫んだら薄い壁をドンドン叩かれてまだ深夜だったなと我に帰る

学問がやりたくて進学したのに学生に向いてなかったって自虐ネタももう笑えなくなった

労働も試したがどうにも身体に合わないし牛丼からも土方からも逃げてしまったしもうすぐ採点バイトからも逃げるだろうな

実家に帰ってニートをやることくらいしか生存手段を見いだせないがその逃げ道があるだけ幸せなのだろうか否

実家を出る前両親は主に俺の扱いでいがみ合っていたし盆と正月以外に居住してはあの幸せな家は壊れる

生活全般に苦手で部屋は臭い

俺も臭い

多分もう5日シャワー浴びれてない

何もわからなくなったので前に飯を食ったのが何時間前なのかツイッターを見ないと確認できない

干し忘れて何回も回すから洗濯物も臭い

去年はこれに加えてインフルと思しき体調不良があった

今年はまだマシだ否

登校できてないのにマシもクソもあるか

何を言いたいのかもわからなくなってきた

何もわからない

件の友人に助けを求めろという話もある

プライド邪魔なのである

そんななので先生単位をせびりに行ったり再テストを頼んだりもできない

他人に何かをお願いするのが怖い

有効なふうに「助けてくれ」を言うのが気恥ずかしくてだめだ

変にプライドは高い

高校までの18年間勉強は得意なつもりだった

定期テストは無対策壊滅だが模試の点数は無対策クラス上位」をしていた

中学担任には「絶対にお前を許さないし絶対に推薦入試は受けさせてやらない」と言われた

楽だった

テスト勉強をする習慣がなかった

苦もなく第二志望に現役合格した

大学入学して模試がなくなった

大苦手な学内テストだけになってしまった

俺が得意だったのは入試パズルだけだった

大学生活が上手くいってない大学生はいつまでも入試の話ばかりしている

生活が上手くいっていないアカウントはいつまでも非生活の話ばかりしている

どこで間違えたんだろうな

どこで道違えたんだろうな

はいつまでもインターネットで何をしているんだろうな

大学卒業したあとのことも何も想像できない

生活に向いていないし詐欺強盗でもしようかな

これをここに書いて俺は増田に何をしてほしいんだろうな

読者のこと何も考えてない本当に不親切なエントリーだな

諸兄ありがとうございます

もう一生進級できる気がしない

追記

少しずつやっていきます

ありがとうございます

2018-01-26

阿曽山大噴火2018年1月22日に傍聴した裁判について語る

阿曽山大噴火さんが2018年1月26日放送されたCBCラジオ北野誠ズバリ」のコーナー「3時にズバリ」に電話出演し、2018年1月22日に傍聴した裁判についてトーク。筆者の判断被告人被害者ともにイニシャル表記にしてますが、放送http://radiko.jp/#!/ts/CBC/20180125130000 )では実名トークしてます

阿曽山大噴火今日はですね、東京地裁で今週月曜日に行われましたO被告人の初公判の話をしたいと思います。もちろん実名報道された事件なんですけども。新聞記事によりますと、声優のUさんの殺害予告インターネット掲示板書き込み事務所業務妨害したとして警視庁山形県高等専門学校生O容疑者20歳逮捕した。容疑は認めている。逮捕容疑は去年の6月2日と5日インターネット掲示板2ちゃんねる」に自身携帯電話から明日Uをころすわ」などと書き込み事務所イベント会場周辺の警備に充てるなど業務妨害したとしている。

-中略(被害者である声優Uについての紹介)-

阿曽山大噴火起訴された内容は、去年の6月2日と5日、被告人山形県内の自宅から自分携帯電で2ちゃんねるアクセスしまして「明日くそ女Uをころすわ」などと書き込みしまして所属事務所7月16日までの間、数回の臨時会議を開かせ、さらコンサート会場の警備強化をさせ通常業務妨害したという内容。で、被告人は罪を認めておりまして、検察官の冒頭陳述によりますと、被告人前科前歴は無し、今回が初めての犯罪犯行当時には高等専門学校に通っていたんですけども事件後に自主退学している。取り調べに対して被告人はですね、学校研究卒論ストレスが溜まると2ちゃんねる書き込みをしてみんなが反応をしてくれることでストレスを発散していた。で、Uさんのスレッドを見ると元々誹謗中傷をする書き込みがあってその中で「ぶっころす」と書けばどんな反応があるだろうと思って10回くらいやっていた。

阿曽山大噴火)で、被告人高専にいたわけですよね。高専って工学勉強機械に関する勉強じゃないですか、だから2ちゃんねる書き込みもばれないような何か知識があるのかと思いきや、自分携帯普通に2ちゃんねるアクセスして書いてるだけ。

北野誠)ばればれやんか、それ。せめてネットカフェかなんかに行けよ。

阿曽山大噴火)自宅で自分携帯でということで。

北野誠)そのまんまやがな。

阿曽山大噴火法廷には被告人のお父さんが山形実家からやって来まして「普段から会話が無くて家族のせいでもあるかもしれない」と、泣きながら今後の更正を約束。そして被告人質問、本人に対しての質問なんですけども、まず弁護人がですね「何故こんなこをやったんですか?」と。そしたら被告人が「元々コミュニケーションをとるのが苦手で家の中でも家族と話さずインターネット上の人間交流することが多かったので自然とこうなった」で、(弁護人)「その内容が殺人予告だったのはなぜですか?」と、(被告人)「学校での勉強、将来の不安などの悩みがあり先のことも考えず書き込みをしてしまいました」すると弁護人が「なるほど普段から2ちゃんねる書き込みをしていて、やりすぎたことをかき込むと周りがすごいすごいと反応になるから」そしたら被告人が「はい、反応があるのがうれしかった。本当に殺害をする気持ちはなくて掲示板上でのやりとりが面白くてやってしまった」ということなんですね。で弁護人がですね「所属事務所警備員を雇ったりして70万円も費用がかかっているんですよ、迷惑かると思わなかったんですか?」と聞いたら被告人が「いや、このような結果になるとは思わなかった。本当に軽い気持ちでやってしまった」で、弁護人が非常に珍しい質問をしたんですけども「もし、あなたタイムマシーンに乗れるとして過去自分に何を言いたいですか?」と、被告人が「過去自分に会ったら、悩みをひとりで抱えないで家族に話してみろ、と言います」ここで質問は成り立ってますよね。さら弁護人は「じゃあね、タイムマシーンで戻ったのが書き込みの直前だったらどうですか?」どうゆう設定の質問なのかわからないですけど、

北野誠)んー、それで何になるねん、その質問

阿曽山大噴火)よくわからないですけど、被告人は「そうゆう書き込みをしちゃだめだ、と言いたいと思います」それを聞いた弁護人が「そうだね、じゃあ質問おわります

北野誠)何がええねん、なにしたかってんねんその茶番は。茶番茶番

阿曽山大噴火)変わった弁護人でしたね。

北野誠へぇ茶番やでそれ、なにやってるのかしらんけど。

阿曽山大噴火)で検察側の質問なんですけど「インターネット交流を求めたのは何故なんですか」と。被告人はですね、小学校中学校と通しての友人がいなくなってしまったので、どうやったら友達が作れるのかわからなくなって」それで検察官が「内に内にと籠るようになったんですね」と言ったら被告人が「そうです。ただ今後は人と会話していきたいと思います」つまり実際に人と喋らないことが原因だと被告人反省しているんですね。最後裁判官「今事件を振り返って、何が一番悪かったと思う?」と聞いた。すると被告人の答えが「学校生活の悩みから逃げてインターネットに逃げ込んだのが悪かったんだと思います」と答えたんです。そうすると、それを聞いた裁判官がですね、ゆっくりアドバイスしまして「コミュニケーションが苦手でインターネット依存していた、そこが問題じゃないと思いますよ。あなたはやって良いこととやっちゃいけないいことの区別がついていない、これが問題だと思いますよ」で、しかも「取り調べで『悪いことだけど、捕まらないだろうと軽く考えていた』このように言っていましたよね、これも間違っている。あとUさんの事務所あなたのせいで時間もとられ、お金もかかっている。なぜ正しい判断ができなかったんでしょう」と問いかけた。で被告品が「知識が足りなかったからだと思います」。(裁判官)「じゃ、なぜ知識が足りなかったのか考えてきてください」宿題まで出した。

北野誠)なんかこの裁判官の冷静な喋りと、さっきのタイムマシーンと設定が全然違うね。なんかもうグラグラする、その法廷

阿曽山大噴火)で、そのあと弁護人また爆発するんですけど、検察官被害は甚大であるということで懲役1年を求刑した。で、被告人はさっき言いましたとおり前科も前歴もないということで執行猶予がつくのは間違いないんですけども、弁護人としては是非とも執行猶予をつけてくれという弁論、なんですが、その弁護人の弁論というのが「被告人が本気で殺害予告をするならUさんの所属事務所ホームページに対してしてるはずである。今回書き込んだのは2ちゃんねるという低俗社会的信ぴょう性の低い掲示板なので実行するつもりはなかったのである」と。なかなか変わった弁護人なんですね

北野誠)そうやねー、なんかなぁ

氏田朋子20歳くらいの若い子やったら、2ちゃんねるだと見つからないと思っちゃう。やっぱり。ノリで書き込むみたなところもあるかな

阿曽山大噴火)ここまで報道されると思ってなかったんでしょうね

北野誠2ちゃんねる現在5ちゃんねるですか

阿曽山大噴火犯行当時はまだ2ちゃんねるだったと、現在5ちゃんねるです。判決は来週火曜日1月30日に行われる予定です。

北野誠はいわかりました。ありがとうございました

<書き起こしおわり>

2018-01-22

疲れる

体力がなさすぎて仕事部屋の暖房をつけずに過ごした

ファンヒータータンクを一階に運んで給油して二階まで運ぶ

無理 できない 疲れる

正社員じゃない、職場で2番目に若い、勤務経験も浅いのでこんなことを人に頼めるような立場ではないし

頼んだら頼んだで「すすすすすすみませええええぇぇぇええぇ~~~んンンゥッ!!お手数おかけしますゥ~~~~~!!!!!ありがとうございます!!ありがとうございます!!ありがとうございますうぅぅ~~ん!!!!!!」と大声で申し訳ない気持ち感謝気持ちを述べなければならない

つかれる

それなら一人寒さに耐えていた方がいい

体も口も脳みそもあまり動かしたくない

「つかれる」「だるい」は理解されにくい

頭が痛い、お腹が痛い、熱が出てるとかじゃないか

汗をかかないし気絶したりしないから誰にも気づかれない

毎日だるくてだるくて

体力があまりにもないことで学校生活仕事にずーっと支障をきたしているが解決方法がない

今の仕事は辛いがそれでもかなりヌルいのでこれ以下となると無職になるしかないのだろう

2018-01-16

私小説 不登校

私は中一の途中から不登校になった。

元はと言えば小学校高学年で「ハブる」という文化のもと、クラスメイトからの徹底的に無視をされたことが発端である担任との相性の悪さなども相まって、学校生活への自信や信頼をなくしていった。核家族共働き家庭の一人っ子の私は、学校では人と話せず、放課後時間も一人で過ごした。特に習い事などもしておらず、学校と家庭の二つしか生活の場がなかった私は人間関係における信頼や安心などを失い、自分の考えを人に話すことや言葉スムーズに出すことができなくなっていった。

そして中学入学環境が変わることを期待したが、結果的には悪化した。たいていの公立中学では部活動には強制参加させられる。しかし私が入学した中学校は全校生徒が少なく、文化部は一つだけ。他運動部一般的にはあるような部活がなかった。当時文化部に入るとスクールカースト底辺になる空気があり、私は運動部所属した。しかし、運動神経が良くない方だったため部活でもうまくいかず。小学校高学年で人間関係に対する安心や信頼を失った私は、中学出会ったクラスメイトともうまく接することができなかった。

そして決定打となったのは合唱コンクール「絆」「仲間」「大きな声を出す」「グループ練習」などといったものは当時の私には地獄だった。音楽時間が恐怖の時間になり、合唱コンクールが近づくにつれ朝練や帰りの学活でも練習を行うようになり、一日の始まりから終わりまで恐怖の時間となった。そこから学校に行けなくなるまでは簡単だった。学校に向かう足が遠のき、制服に袖を通すのが怖くなり、家から出られなくなった。共働きの私の家で朝一番最後に家を出るのは私で、一番最初に帰るのも私だった。そんな中で、朝起きて制服を着て仕事に行く親を見送り自分学校へ行かず無断欠席をするようになった。当然学校から固定電話電話が掛かってくるが、家には私しかいないため無視。親に連絡が行く。意外にも親は私が不登校になったことを受け入れてくれた。

会話からまり日常生活の行動全てに自信をなくした私は学校での学習電車に乗るといった行為もおぼつかなくなっていた。授業で先生から発問されれば、注目される恐怖や答えを急かされるような焦燥感で「わかりません」というのが精いっぱいだった。「私は何をしてもうまくできない」という強迫観念に襲われ、不登校の間に学習障害検査などを受けたこともあった。一人で家で勉強する分には問題なく、また中間テスト期末テストを受ける分には人と関わらず済むため、それなりの点を取れていた。

不登校だろうが、家から出られなくなろうが、無情にも時は過ぎていく。中二では、通知表は「1」「2」「-」がほとんどになっていた。中三が見えてくると頭をよぎる高校受験入試資料集などを見ると、入学選抜に当たっての内申点基準数字が踊っていた。家から出られなくても、学力低下だけは避けたかった私は家で学習を続けていた。当時、私の学力から出される偏差値は60〜63あたりであった。それくらいの学力層の高校では、おおよそ大半が9教科36以上の内申点基準としていた。一方、私の内申点は9教科で23地元工業高校ですらあやしい点になっていた。また、中二の時の担任は繰り返し私に面談の場を設けてくれた。私の話を無視したり、相槌を打たないなどということはなく、久々に会話ができることに感動した。担任もっと話したいと思うようになり、徐々に学校に行けるようになっていった。

この状況の中で、私には一つだけ自信が持てるものがあった。それは絵を描くことである。まだ学校に行けていた中一の初めに美術先生から風景画を褒められ、不登校になってからは家でよく写真模写などをしていた。授業にも出られるようになった中三一学期、今まで体験たことのなかった画材出会った。油絵である。失敗しても被覆度が高く上から重ねることができ、乾くのも遅くゆっくり描くことができるこの画材は私の中で革命的であった。人間関係で失敗を重ね、急かされることに恐怖を覚えていた私は、個人で取り組むことができ、ゆっくりと描ける油絵具に希望見出した。もっと油絵が描きたいと思い、誕生日には親から油絵セットを買ってもらった。もっと油絵を描きたいと思い、美術コースのある普通科高校への進学の意思を固めた。

その高校を受けるにあたり、偏差値は足りていた。美術コースを受けるにあたり、実技の力も合格するであろうという程度には達していた。しか問題となったのは、やはり内申点であった。担任からは渋い顔をされた。それでもやっぱり受けたい、あの高校に行きたいと思い受験制度などを調べ尽くした。すると、不登校などを経験した生徒のための特別選抜制度発見した。内申点度外視し、受験時の学力テストと実技、面接入学選抜を行うという制度だ。その制度担任に報告すると、なんと担任は知らなかった。50も過ぎたベテラン教員がその制度を知らないということにはがっかりした。その教員が受け持ったクラス過去不登校の生徒はどんな進路をたどったのか心配になる。

何はともあれ、私はその制度活用し無事志望校合格することができた。入学後は絵と勉強に励み、学力では上位10%あたりを維持し絵では県の高校美術展で賞を取った。

そしてやってくる大学受験もっと油絵を描きたかったので美大を望むも、家計が厳しく断念せざるを得なかった。幸い、学力はそれなりにあったため国立大教育学部美術専攻に進学することでどうにか油絵を続ける手段を得た。

時は流れ大学四年。義務教育時代に失った人間として生きる自信や信頼関係高校大学の友人と接するうちに取り戻し、バイトをしたり彼氏ができたりと一般的大学生として大学生活を送ることができるようになった。教育学部で学ぶ中で、義務教育時代自分メタ認知することができた。当時の自分と同じように人間関係に悩む子供に接し前向きな未来を示せたらと思い、教員の道を選び教員採用試験合格した。

卒業制作バイトに追われる今日、私が四月より働く予定の自治体では不登校の生徒が高校に進学する際の特別選抜制度が数年前に廃止されたと知った。

2018-01-14

anond:20180114145533

俺も大卒就活失敗してから5年ニートやってたけど今は就職支援事業所に通ってる。

毎日決まった場所に行ってだいたい同じ人と会ってっていうのは

夏休みでずれた生活リズム学校生活で戻すみたいに 隔絶された自分だけの世界社会のつながりになると思う

2018-01-13

[]ひさかたのおと

ひさかたのおとを読んだ。こういう物語大好き。ゆるーいアニミズムというか、超自然的な非日常と日々の暮らしが隣り合っている物語は、読んでいてわくわくするし何だか安心してしまう。

今のところ一話完結の連作ものでまとめてあるのも読みやすくて素敵。精緻な描画に宿っている力と効果的なオノマトペがどんどん世界観を広げていく漫画になっていると思った。

内容としては、都会で学芸員をしていた主人公が、靑島という架空の島の学校に赴任してくるところから始まるんだけど、あんまり学校生活に傾倒していないのが珍しかった。

かといって島の暮らしを詳しく描く漫画でもないし、とにもかくにも神宿る自然とのファンタジックな触れ合いに重点を置いている漫画だと思う。

雰囲気漫画って言ってしまえばその通りなのかもしれないけど、独特な雰囲気に溶けてみたい人やじっくりと浸かってみたい人にはおすすめしたい。

透明感のある漫画だったので今後が楽しみ。

2018-01-08

空っぽな私の半生を記す

小学生

バスケミニバス)をやっていました。

小さい頃から根暗で引っ込み思案。バスケというチームスポーツでは迷惑存在でした。

ある日、監督メンバー全員の前で、「お前チームで浮いてるぞ。」と苦笑いしながら言われました。

自分普通にしてるつもりなのに、みんなと仲を深められない。どうすれば浮かなくなるのかわかりませんでした。

元々私にとっては居心地の悪いクラブでしたが、監督一言があってからは、練習が終わったあとの後片付けの時間に、いつも倉庫に隠れて泣くようになりました。

辞めたかったのですが親に「辞めたい」と言う勇気すらなく、卒業しました。


中学生

ブスと言われ、クラスでいじられるようになりました。

私の行動や発言クラス中が逐一ネタにする、という、よくあるやつです。

幸い完全に孤立してはいなかったので、なんとかやっていけました。

私とよく一緒にいてくれたグループは、いわゆるオタグループなのですが、私はアニメ漫画ほとんど見ない人間でした。

グループ流行ってるアニメを見たりして、最低限の知識は抑えていましたが、オタク話題にはその程度の知識では通用しません。しかほとんどが腐女子だったのでもうちんぷんかんぷんでした。

ですので、話はすれど友達にもなりきれず、孤立を恐れた私は金魚のフンのようにグループにくっついて回りました。

部活は、経験のあるバスケをやりたかったのですが、小学校での苦い経験と、バスケ部メンバーが軒並みスクールカースト上位のいじめっこだらけだったので入りませんでした。

進学は、そこそこの進学校に行きたかったのですが、自宅から距離があったのでやめました。

こうやって、やりたいことをすぐ諦める人間でした。


高校生

いわゆる自称進学校入学しました。

友達がとうとう1人もできなくなり、完全に孤立しました。

この頃から、なぜか、本気で死にたいと思うようになりました。

1年生の後期くらいか学校を少しずつサボるようになり、2年になった頃には不登校になりました。

何もかもどうでもよくなり、自殺のことしか考えられない。1年生の頃はトップだった成績も、最下位レベルに落ちました。

担任心療内科受診を勧められ、鬱と社交不安障害と診断されました。数年通いましたが全くよくなりませんでした。自殺を図りましたか未遂に終わりました。

出席日数が足りず進学できなくなったため、通信制高校に転学して卒業しました。

昔は大学に行きたかったけど、この頃はもうすっかり頭が悪くなり、これまでの経験から学校生活でうまくやっていける気もしなかったので、大学進学は考えられませんでした。

高校卒業から現在

メンタル調子が悪いままだったので、社員として働けそうにないと思い、実家寄生しながら短時間バイトを始めました。バイト先でも浮いていました。

2年ほどバイト生活をして、「いい加減就職しないと」と思い就職活動を始めた矢先、精神科入院することになりました。閉鎖病棟で数ヶ月過ごしました。

そして先日退院しました。

特に良くなってはいません。

治らないのは、病気でもなんでもなく、ただの甘えでこうなっているからだと気付きました。

こうして振り返ってみると、私の人生に不幸なんて何一つありませんでした。家族もいたし周りも優しい人ばかりでした。全部自分の甘えや選択が招いた結果です。

周りの人は、「私はこれを頑張った」「努力した」と言い切っていて、心底尊敬します。

私は頑張ったことや苦労したことがありません。何もない半生になってしまいました。

私より怠惰な人はあまりいないと思いますが、もしいたら、福本伸行の熱いぜ辺ちゃんでも読んで頑張ってください。


死にたい

2017-12-15

女って「男の娘」好きすぎてウザい

男の娘と話してたら無性に腹立った

anond:20171211134237

今更だが、これ読んで「男の娘」に腹をたてる女性がいることに驚いた。

俺の周りにいる女は片っ端から男の娘」が大好きな奴ばかりで、うんざりするほどだった。

2012年頃の、ニコニコ動画全盛期は本当に酷かった。

当時は「若者テレビを見ないでニコニコ動画ばかり見ている」とか言われてて、

今は逆に若者からダサい」「オワコン」「むしろ知らない」とか言われてるのが信じられないほど大流行、というか若者話題の中心で

生放送では女装野郎がウジャウジャいて、

歌ってみたには女声野郎がウジャウジャいて、

それがアイドル視されて若い女に大人気。

こちとら微塵も興味もないのに、会社休み時間に同僚の女が

スマホ初音ミクの格好をした男の写真を見せてきて

「これ女の子に見えるでしょー?本当は男の子なんだよー」

「こんな可愛い子が近くにいたら惚れちゃうでしょー」

とか言ってくる。

はああああああ!?どう見ても男にしか見えねえわ!

こんなゴツいのが可愛い訳ねーだろ!

こんな汚物、惚れる訳ねーだろ!

と言いたいのを我慢して、「うんうん、そーだね」とこちらが話を会わせたが負け、

次々と色んな女装野郎写真を見せてきて終わんない訳ですよ。

もう二人目の写真見せられても、「はいはい、どうせ男なんでしょ」としか思えないじゃん。

それでも奴等は「これも女の子だと思ったでしょー?実は男の子なんだよー」とか言ってきて、

それに付き合わされるのがマジで地獄だった。

せっかくの仕事中の休憩時間台無し

素人の女声野郎アニソンカラオケしてる音声を延々聞かされて、「女の子が歌ってると思ったでしょー?」パターンもある。

会社の同僚の女、女友達、友人の彼女

俺の周りにいる女は全員これをやってきた。

普段は仲良くやってる奴等だから、内心イライラしてぶちギレそうだったけど我慢して付き合ってやったよ。

こんな時間無駄にするだけの地獄に耐えた俺は紳士マジで偉い。

で、理解できなかったのがこういう女って、冒頭にも書いたとおり女装野郎のことを「アイドル視」ジャニーズのような観点で好んでいる。つまり性の対象としている点だ。

女の子しか見えない」ってことは、要は

きゃりーぱみゅぱみゅを「可愛い」と言っている感覚なのかと思いきやそうではなく、

しっかりと男として認識し、なんなら「付き合いたい」とすら思っている。

男の娘」を可愛いという感覚は、女同士のときに言う「可愛い」とはなにか違う。

当時は「美少年」の新ジャンルだったのだろうか。

で、俺が最も嫌悪感を示したのは「男の娘」本人のスタンス

もちろん「ただ女装するのが楽しい」だけの男の娘が大半だろうが、

当時ニコニコ動画チヤホヤされていた「男の娘」は明らかに女性モテたくてやっていた。ファンの女とセックスしまくっていた。

これは俺の女友達2015年頃に打ち明けられた話だが、

2012年頃、その女友達は顔出しでニコニコ生放送をしており、「美人生主」としてそこそこ有名な存在だった。

ツイッターアカウントスカイプIDを公開してリスナー交流をしていたが、

ニコニコ動画で有名な「生主」「歌い手」たちは急にスカイプしてきたりツイッターにDを送ってきて、セックスを迫ってきたそうだ。

んで、当時ニコニコ動画のことしか頭になかったその女友達は、もちろんその「ニコニコ有名人」たちと片っ端から実際に会ってセックスしたそうだ。

オフパコ大会議」とかよく言われるが、カドカワが大赤字こいて大会議しなくても最初からオフパコ場所だったのだ、ニコニコ動画は。

まあ、そりゃあ俺の彼女でもない、ただの知りあいの女が誰とセックスしようが俺の知ったこっちゃないが、

この女友達も俺に女装男の写真を見せながら「この子本当は男なんだよー」と言っていた頃は、「男の娘」にハマっており

ニコニコ出会った「男の娘」とオフパコしまくってたそうだ。

わあ!自分セックスした男が女装してる写真をなにも知らない俺に見せつけてきてたってことかー。

すげえ捻れた変態行為だな!なんかめちゃくちゃエロい勃起しそう!

けど、相手女装させてセックスしたのかどうかについては教えてくれなかった。

男の娘」側もよく「自分ゲイではない、異性愛者。ただ自分を美しく見せたいだけ」と言うが、

それを「異性にモテるための手段」にするのはどういうことなのか。

なんで女装なんていう、面倒臭い手段を用いるのか。そのままでダメなのだろうか。

それに惹かれる女も、なぜあえて「女装男」なのか。

なんか色々面倒臭くて気持ち悪い。

で、俺がここまで女装男に嫌悪感がある決定的な記憶があって、

それは俺が高校生の頃、他校の女友達(さっきのニコニコの子とは別人)が

自分クラス女の子しか見えない男の子がいて可愛い」と

肥満児の男子女装した写メを自慢気に見せつけてきたことだ。

その学校では女子連中から可愛い可愛いチヤホヤされていて、その女友達チヤホヤしている一人だった。

学校には普通に男子制服で登校してくるが、常に女装グッズ一式を持ち歩いており

放課後女子高生の格好で、同じクラス女友達と街中を練り歩くという。

本人たちは「本当の男だと気づかれてはいない」と思い込んでいるようだが、

どう見ても肥満男子セーラー服を着ているだけだ。

放課後女子たちがその肥満児にメイクを施してあげるのだという。

で、セーラー服に着替えて街中を練り歩くのだが、

女装とき女子トイレに入るのだそうだ。

ちょっと待って!そいつ性同一性障害なの?」と質問したが

自分を男だと認識して、異性が好きな至って普通少年だという。

体は男だが自分女性だと認識する性同一性障害の子を他の女子と同じように接していたなら美談というか、とても素敵な学校だと思うが、これは口が裂けても素敵とは言えない。

お世辞にも顔が綺麗とはいえない、ただの肥満少年に化粧してセーラー服着させて、女子トイレ使うのを見ても何とも思ってないなんて、完全に頭がおかしい。

ただのド変態のスケベを好き勝手にさせているだけだ。

普通男子女子トイレに入ってくるのは嫌だが、その肥満児は別に良いという。

お前らは良いかもしれんが、他の女性絶対嫌だよ。

また、放課後着替えるのは女子たちも肥満児も同じ部屋であり、

肥満児は同じクラスの仲の良い女子の下着姿をほぼ毎日見ており、女子側は平気だという。

それでいてその肥満児には彼女がおり、放課後女子たちと街を練り歩くことには賛成しているという。

そんな肥満児、同じクラス男子からはさぞ嫌われているのかと思いきや、

案外「あいつは仕方ない」みたいに扱われて平和学校生活を過ごしているという。

それって絶対おかしいよ!

どう考えてもその肥満児はただの変態だろ!

けど、「そんなことないよー、いい奴だよ」の一点張り

その変態を野放しにするどころかチヤホヤする、

若い女のこういうところが本当に嫌だ。

こんなイカれた高校あんのか、と胸糞悪くなる話を聞かされてから女装男が信用できなくなった、

で、俺の周りには女装男が大好きな女ばかりで、冒頭のように終わらない「これ実は男なんだよー」に付き合わされることが多かったかウンザリしていたところに、

この「男の娘無性に腹が立った」女性増田発見して、ホッとしたんだ。

そうだよ、それが正しいリアクションだよ。

俺の周りという狭い世界だけの話だけど、ただのセックス目当ての女装男に甘すぎる女が多くて怖い。

2017-12-11

教師

なんか(犯罪とか)するとニュースとかじゃ「教育者としてあるまじき……」みたいな論調になるけど、教師に何を期待しとんねん。

教師なんて普通~にただの人間だしどっちかっていうと頭おかしいやつしかいないだろ。

教師はまさに各々宗教を持ち教祖になりたいのである

何が嫌かって、ほぼ自分じゃ選べないで強制的に入信させられることだね。もしくは、圧倒的に不利な状況に追い込まれる。"成績"はもちろん、"学校生活における自分"さらには学校なんか関係ない"自分自身"まで人質に取られて。

常に踏み絵(絵踏みだかなんだか知らんが)よ。

手のかからない子の心の摩耗もそうだが、まずこの、教師という宗教が本当に嫌だ。

そりゃ、どんどん高次元な学びになれば、○○先生を師として弟子やら部下やら手下やらなんにでもなれって感じだけど、足し算引き算なんて誰にどう教わっても同じであるきじゃん。それを宗教邪魔する。

足し算引き算なんて、まだアレだけど、やっぱり一番は"道徳"の宗教。それぞれの教祖が説く理想に沿わなければいけない苦痛

いや、あえて、そういう風に個人個人で考えてることは違いますよって、ある特定思想のみを植え付けられないように、毎年毎年下手すれば毎日時間異なる宗教を叩き込んでるのかもしれないけど。

子どもの頃って、大人が圧倒的に怖くて、教師なんて両親より"怖い"よりの大人で、その大人に、子ども心にも「なんだかよくわからない理由」で怒られるってのは、すごい恐怖だった。なんか、いっそのこと、「俺がそう思うからだよベロベロ~ン」と言ってくれればいいのに、基本、"道徳"を持ち出すよね。

それを、各々異なる"道徳"という宗教押し付けられつつ、"成績"を人質に取られてまた踏み絵させられる、いつ他の教祖にそれは間違いだと言われるかもわからないことをする、もう、そりゃ、摩耗しますよ。

摩耗に対する、摩耗を防ぐための「心のケア」も、初めから教師に期待するのが間違ってるんだ。

生徒たちは、「心のケア」というこれまた踏み絵をさせられ、"ケアされた"顔にならなきゃいけない__毎年毎日時間ごとに。

そう考えると、ドラマの中「生徒はお客様ですよ!」みたいなセリフの、なんと馬鹿馬鹿しいことか。

学校なんて、「社会生活練習」とか教祖はよく言うが、という名の、心をすり減らす訓練する場所じゃないか

文字通り、学校耐久性を何度も何度も何度も何度もテストされ、社会に出荷されるわけですね。客でもなんでもねーよ。

いや、かえって、学校の、授業の時間教祖のディナーショウだと思えば、お客様なのかもしれない。教祖の、宗教の、言うなればサクラ客だね。この宗教はすごいってことをアピールしなければいけない。信者の顔、"ケアされた"顔をして。

長~くなったけど、要するに、教師がなんか犯罪とかしても、「まあするやろな教師なんだし」程度にしか思ってないということ。宗教・ショウを日々開催して、生徒がみんなワッとしてくれていたら("俺"に従わないような生意気なやつもスパイスとして楽しみつつ)、そりゃ頭もおかしくなりますよ。

さすがに、男子生徒になりすまし女子生徒叩いてたのはお前そこまで馬鹿馬鹿しいことやれるかって感じだけど。

2017-12-07

告白をされた

昔の話。

中学2年生だった頃の話。

思い返せば、最も異性と交流があった時期だ。

まだ人間として腐ってなかった時代

それから1年後、俺は女性恐怖症になり、高校大学と、女性との関わりを避けて生きてきた。

中2のあの頃の自分にそんなことを言っても、きっと信じてもらえない。

それほど、普通中学生をやっていた。

季節は夏だった。

当時、学年の過半数はもう自分携帯電話を持っていて、当時の主な連絡手段メールだった。

俺の電話帳には、無数の男女の名前とともに、電話番号メールアドレス登録されていた。

いつもと変わらない学校生活を送った、ある日の夜のことだ。

知らないアドレスから、知った名前とともにメールが送られてきた。

『○○です。△△からメアドを聞きました。よろしくね』

ニュアンス的にはこんな内容だったように思う。

送られてきた名前は、一緒のクラスになったこともなければ、一度も喋ったことのない女子のものだった。そういう名前女子がいるということだけは知っていた。

からアドレスを聞いてメールをするというのは別によくあることで、それは男女間でも同様だった。

適当に返信した。よろしく。

翌日、学校に行くと、その女子から声をかけられた。

「昨日は突然メールしてごめんね。驚いたでしょ」

今日の夜もメールするから、見てね」

なんだ、こいつ。

面と向かって話しているんだから、今、直接言えばいいのに。

釈然としなかった。頭の片隅には恋愛沙汰的な予感も、なくはなかったかもしれないが、直接は結びつかなかった。

その日の夜、昨日とさほど変わらない時間彼女からメールは届いた。

本当に取り留めもない内容のメールだったことは覚えている。

どうでも良すぎてほとんど忘れてしまったけれど、確か、違うクラス女子についての話題だったと思う。

適当に返した。正直面倒くさかったけれど、何通かメールのやり取りはした。

ほぼ初対面であったことには代わりはなかったし、彼女と仲のいい友人もいたため、あまりにそっけないと申し訳ないと思ったからだ。

しかし、誰と話しても結論が変わらないような話だった。

何回かに分けて「1 + 1 = 2」という内容のメールを送られているようだった。

俺はそのメールに対していちいち「そうなんだ」みたいに相槌を打っていた。俺がどう反応しても、話の終着点ははっきりと「2」と決められていた。

彼女はそれでも喜々としてメールを送ってきた。何がそんなに楽しいのか分からなかった。

そんなやり取りを続けていくうちに、少しずつ、彼女自分好意を抱いているということを俺は理解し始めた。

学校ではたまに会う程度だった。しかも、仲のいい友人とグループで話す程度。2人だけの会話はメールでのやり取りに留まっていた。

この状態が1ヶ月以上続いた。

携帯の画面を眺めて夜を過ごすことが、一種の習慣になっていた。

そんなある日の夜、次のメールが送られてきた。

お祭り、一緒に行かない?』

地元お祭りを今週末に控えていた。そのお誘いだった。

幾度となく他愛のない話題メールを交わしていた彼女からの突然の誘いのメールに、俺は少し戸惑った。

しかし、断った。友達と周る予定だから、ごめん。とメールを送った。それは事実だった。

明日、話があるんだけど、いい?』

すると、こう返ってきた。ああ、これは多分そういうことなんだろうと察した。

これに関してはどうやっても断れそうになかった。承諾した。

翌日、俺は彼女から告白をされた。

今思うと、彼女は、どちらかというと人気のある方だった。

常に笑顔で過ごしていたし、人と衝突するのを嫌っていたように思う。

そのせいか、周りの女子も穏やかな人が多かった。

加えて、ルックスは良かった。

美人というよりは可愛い系で、小動物、という形容が似合っていた。

背は低かったが、それがプラスイメージ個性として成り立っていた。

彼女のことを想う男子は少なくはなかったが、彼女はどちらかというと平等で、友人といることを好んでいた。それ故に、その類の話は(自分を除いて)卒業まで聞かなかった。

彼女の周りには、マイナスの因子はひとかけらも存在していなかった。

そんな彼女から俺は告白されたのだ。

俺は断った。

理由は言わなかった。

それを言ってしまうと、嫌われてしまいそうで、言えなかった。

俺は怖かったのだ。

それを承諾してしまうと、途端に何かとてつもなく重い責任自分にのしかかってきそうな気がして、怯えてしまったのだ。

その重荷に自分は耐えられる気がしないと、はっきりとわかった。

ビビって逃げたんだ。

だって彼女のことは可愛いと思っていた。

知り合う前までは、それこそなんとも思っていなかった。

けれど、突然のメール、そして初対面で突然声をかけられた時から、その心境は少しずつ変化した。

最初は投げやりだったメールのやり取りも、いつしか楽しみになっていた。

それなのに、俺は断ったのだ。

俺に失恋させられた彼女は、涙目になって、その場から立ち去った。

去り際に、何か言っていたような気がするが、俺も気が気じゃなくて、聞き返す余裕なんて無かった。

直後、ものすごい後悔に襲われた。

死にそうになりながら俺は帰った。飯も食わずに寝た。

翌日、廊下で見かけた彼女は、外見からはいつもどおりのように見えた。

それだけで安心した。

途端に、昨晩の出来事はもうとっくに終わってしまたことで、遠い記憶のように思えた。

それでも、お祭りには行かなかった。行けなかった。

少し経って、俺は電話から彼女の項目を消した。

今まで交わしたいくつものメールも全て一括削除した。

とにかく全てをなかったことにしたかった。

彼女出会う以前の生活現在まで続けてきたように自分を偽った。

そうして、心の奥底に強引に蓋をして閉じ込めた。

今、22歳になってから唐突にこの事を思い出した。

あの時、違うアクションを起こしていたら俺は今変わっていたかもしれないと、思ってしまう。

ただ、彼女と交わしたメールの日々は、それはもう楽しかった。

いくら履歴から消そうとも、当時の携帯がなくなろうとも、それだけは変わらない事実である

2017-12-05

anond:20171205005308

普段学校生活でウェイたちに抑圧されてできなかったことを、オタクたちがウェイぶってネットでやってるイメージだな。

2017-11-28

朝弱い私の半生【追記あり】

朝に弱過ぎる私の半生について語りたい。

幼稚園時代

朝に弱い傾向は覚えてないが、この頃から超面倒臭がり屋。

確か、年長くらいまで母に着替えさせてもらっていたと思う。

母に、「こんな年になってお母さんに着替えさせてもらってるのなんてあなたくらいよ」と言われるけど、平均的な園児の平均的な着替えのスピードなどは分からない。

小学校時代

基本的に間に合わない、起きれない。

小学1年生頃くらいまではまだちゃんと登校班に間に合うように行っていた気がするが、学校が好きではない事もあり、徐々に「登校」に燃え尽きていく。小学6年生になる頃には、半分以上登校班に間に合わなかった。そういう時は、1人で走って学校へ行った。夏休みの朝のラジオ体操は、2回くらいしか行ったことがない。毎日行っていたという人がいるが、私とは全く別の種の人間だと思う。

中学校時代

ギリギリ登校。遅刻をする人がクラスメイトから悪口言われているのを見て、頑張って登校するが、やはりギリギリ。早く起きれないから、女子で仲良く登校しているグループに入れなかった。

無理やり身体を起こして、半分寝ぼけたような顔で学校に来るから、よく笑われた。髪とかも、ボサボサでみっともない事が多かったと思う。体力がなくて部活は辞めてしまった。夏休み冬休み部活練習も、行く気になれなかった。中3になり、受験で塾に行くが、せっかく授業料払っているのに疲れて寝てしまう。勉強したいのに、身体がついていかない。ここら辺から学校に行けないことが増えて行く。遅刻も増える。このあたりでうつ病っぽくなってしまった。志望校には受かったものの、おそらくこの時期に大きく心と身体を損ねてしまったと思う。

高校時代

眠い。授業に全く集中できなくなった。登校は、良くてギリギリでほぼ毎日遅刻。遅刻する自分が嫌で、遅刻する事に何か言われるのも嫌で、自己嫌悪もひどくなっていくし、登校日数すら危うい。学校生活に支障を来していたので、この頃から心療内科に通う。夜眠れる薬をもらったが、効きすぎて翌日さらに眠かったり、元気を出す薬も効きすぎて躁転したりした。本で発達障害のことを読んで、私はADHDではないか医者に言ってみたら、やはりADHDだった。しかし、当時はリタリン規制されてしまった時期で、ADHDの私の症状に処方する薬はなかった。

死にそうになりながら、受験シーズンがきて、やはり塾に通う。先延ばし傾向の強い自分は、塾に行かなければ勉強しないと思った。しかし、やはり言われたことをできない。夏期講習も、参加して勉強したいのに、起きれない。勉強のできる男子が、私のことを批判して、本当に辛かった。詳しくは書かないが、彼の言動は何年もトラウマになり、私を苦しめた。結局学校自体の成績も悪く、偏差値も伸びず、私は浪人してしまった。

浪人時代

再び、眠い。勉強しようにも、様々なトラウマが蘇る。しかし、週2で予備校に通っていたものの、週5回毎朝起きて、学校に通うという習慣がなくなったのは良かった。予備校は夕方だったから。元々面倒くさがりな私が浪人で勉強するわけもなく、よくネットをやっていたので、家族から批判された。しかし、座ることさえ苦痛になった私が、せめて熱中できるのが、ネットと本だった。

英語の音読はとりあえずやっていたが、私が早稲田慶応マーチにも受からないことは明らかだった。そもそも、この状態では社会人にとしてやっていけるかさえ危うい。「社会人になったら大変だよ」「社会に出たらそんな事は許されない」みんな言う。今でさえ大変なのに、これからもっと大変なのか。私は、本を読んだり、知識を頭に入れることが好きだ。だから大学には行きたい。しかし、その先、働いたとしても、上手くいかないのではないか

いつでもベットと本があった浪人生活。こんな風に、生きていけたらなあ。

昔は大学卒業して無職で家にいる女性は「家事手伝い」と呼ばれ、それなりにいたらしいが、今の世の中だとそれでは「ニート」だし、聞こえも悪い。家族も私の将来を心配するだろう。

もう一つ、大学卒業後「家でゆっくりする」生活を手に入れるとしたら、それは専業主婦になることだ。そして当時、婚活、という言葉が流行り始めた。結婚できない女性が増えているらしい。そして、奥さんが専業主婦できるくらいの年収の男性も減っているらしい。ならば、早いうちに準備しなければ。稼げて、かつ、生涯を共にしてもいいと思えるほど愛せる人など、きっと何年かに一度しか会えない。私は、こんな私をバカにし、理解しない家族や、嫌な思い出のつまった家を早く出たい。新しい家族が欲しい。幸い、私はまだ若く、容姿も良い。私の最大の武器

志望校は、早稲田慶応も受けたが、もちろん撃沈し、あとは男ウケの良さそうな女子大を受けて、その中の一つに合格する。この頃から婚活意識して志望校を選んでいた。(本当は高学歴学校に受かるのが一番良い。優秀な男にたくさん出会えるから。)

大学時代

受かった女子大は家から遠く、やはり朝がキツかった。2限より前の授業に遅刻せずにいけたことなんて、数えるほどしかないと思う。お嬢様で育ちの良い女子大生たちは、ほとんど授業をサボらず、皆真面目だった。服も髪もメイクも、本当にみんな綺麗。その中で遅刻しがちで、寝ぼけた顔で大学に行くのが嫌だった。相変わらず、どうしようもなく朝が苦手だった。もう、遅刻することとか、何か色々言われるのが嫌で、大学ではほとんど友達を作らなかった。

サークルには入った。音楽が好きなので、軽音サークルボーカルギターをやった。先輩になってくると、バンドを組んで、バンドリーダーという立場にもなった。歌とギターが上手くなりたくて色々頑張ったこと、人前で大きな声で歌ったこと、ギターソロができるようになったことは自分の中で大きなプラス経験になった。ここで、念願の優秀な彼氏もできた。男子校育ちでモサかったので、そこは私が磨いた。彼氏にもメンタル的に支えてもらい、いろんな事に挑戦するようになった。飲食店バイトギターを習う。ボランティア読書会浪人してしまったが、やはり大学には行って本当に良かったと思った。

就活

大学3年生の終わり、就活の時期がやってくる。ここでまた、私の朝の弱さと先延ばし傾向が炸裂した。

まず、ESが書けない。面倒くさい。要領の良い人は、「一応受けとく」レベルの会社でも、さーっと書いてさっと出す。私は、書けない。やりたくない。夜、書こうと思ってPC開いたは良いものの、書きたくなさすぎて朝になる。会社説明会は4割くらい遅刻。自己嫌悪で自信がなくなり、また受からなくなる、できなくなる。

結婚の話もちょくちょく出ていた彼氏は、やはり私が就職しない、というのは嫌らしい。旦那の親から見ても、優秀な息子の彼女が就職できず無職というのは、今の時代恥ずかしいのではないか。優秀な彼氏にふさわしい妻になる彼女として、どうしてもどこかに内定をもらい、就職しなくてはいけない。

自分が、社会に対して何ができるのか。今まで、私が褒められた事を思い出す。私は容姿が良く、友達は少ないものの、コミュ力には問題ない。元気で礼儀正しいと言われたこともある。ブラック低賃金と名高いが、販売職で明るく物を売ることならばできるのではないか椅子に座ることが苦手だから事務職視野に入れなかった。

確かに、彼氏もこの世の中、彼女が一度も社会人経験なく専業主婦になる、というのも不安だろう。ある程度社会を知ってから結婚した方が良さそうだ。

最後の方は一ヶ月に一回、会社を受けるというペースで、私はなんとか販売職に内定をもらった。

販売職時代

数年前炎上したブログに、「社会底辺の人とは関わってはいけません」https://ameblo.jp/akky-0829/entry-12188216276.htmlというのがあったけど、販売職はまさにこういう世界だった。いや、このブログはさすがに極端すぎるけど、残念ながら、大方賛同できてしまう。私はここで、巷で噂される「若くて可愛い子に嫉妬して悪口を言うおばさん」を初めてみた。一日中、イライラしている大人を初めて見た。それでも、人が足りないからと言う理由で彼らは雇われているのである。私は遅番が多く、昼から出勤が多かったから、朝の弱さは軽減された。しかし、基本的ギリギリ出勤ではあった。基本、先輩よりも遅く来た。出勤が昼とはいえ、30分も早く売り場にいることが生理的に無理だった。ある日、私の評価をつける人が、「店の準備」の評価項目にCをつけた。毎日商品の埃を払ってフロスなどを熱心にかけているのに、なぜここがCなのか。上司に聞いてみると、ギリギリ出勤だからだと言う。おいおい、そういう準備も、規定就業時間の中に入っているんじゃないのか。ギリギリでも、時間内に来てるんだから、せめてBでしょ。会社に、強く不審感を抱いた。

一方で、私は働く楽しさも感じていた。私は、よく売れる販売員となったからだ。それは、私の容姿愛嬌コミュ力のおかげだ。また、商品提案のための勉強も進んでした。そして、若い私は男性社員からも気に入られた。しかしそこがまた、先輩から気に入られなかった要因でもあった。いじりとしても、先輩からキツイ言動が増えた。その頃からまた、私は心療内科に通うようになった。当初の予定通り、専業主婦になって辞めればよかったが、人手不足の中、辞めて良いものかわからなくなっていた。まだ若い私は、色々なことが経験不足で、判断がつかなかった。

色々あって、ああ、もう、キツイなと思った時、退職を考えた。このころあたりに、結婚した。職場に行くのもキツくなったときに、休職し、傷病手当をもらって辞めた。旦那に養われながら、傷病手当をもらいながら、ゆっくり休むことにした。この頃、ストレスでガリガリになっていたが、念願の専業主婦になる夢がやっと叶った。

専業主婦時代

本を読む。RPGのゲームをする。ジムに行って、身体を鍛える。ギターを弾く。散歩する。

ささやかな、やりたいことを色々やった。この頃あった友人に、「なんか綺麗になったね」と言われた。

しかし、念願の専業主婦になったにも関わらず、私の中にはある思いがあった。

「このまま、20代半ばにして専業主婦で過ごしていて良いものか」

他の同年代はみんな働いている。そして、私はどうも、仕事ができない方じゃない。子供を産んだら、子育て中心の人生だ。それで良いのか。私は、働けばお金になるのに。

そこで、転職活動を始めた。しかし、職歴販売職のみ20代半ば既婚、いつ妊娠するか分からない私はなかなか良い職に受からない。しかもここでまた朝弱いが発動、面接もしばしば遅刻してしまう。

やっぱり私はダメなのかな。

そう思った矢先、親戚の保険のおばちゃんに声を掛けられた。正直、保険営業に良いイメージはなかったので断った。しかし、給料も販売よりずっとよく、女性が働きやすい環境で、福利厚生もしっかりしているという。とりあえず、面接だけは受けてみないか。そう言われ、とりあえずで受けに行くと、トントン拍子で面接が進み、あっさり合格。保険営業には抵抗があったが、他に受けた企業よりは条件が非常によかったため、挑戦してみることにした。

保険屋時代

最初は、毎日16時帰りで研修をした。保険についての授業を受ける。保険を売るための試験に受かったら(みんな受かる)いよいよ営業活動である

相変わらずのギリギリ出勤だが、このころ、やっと安定して朝9時の出勤時間に間に合うようになる。20代も後半に差し掛かり、やっと。

しかし、本格的に営業が始まると、やはり体力的にキツかった。荷物も重い。大抵の保険屋の女の人は、バッグを二つ持っている。一つは財布やポーチなどを入れるバッグ、一つは資料お客様の提案書など、書類を入れるバッグだ。自分が保険屋になると、他の保険屋が分かるようになる。保険屋さんって、いっぱいいるんだなあ。

1週間のうち1日は、出勤だけして、疲れて何もできない日があった。そう言う時は、カフェ図書館時間を潰して、適当報告書を書いて一日が終わった。情けないけど、この一日があったから、私は今まで続けられたと思っている。

数字の方だが、私は順調な方であった。しかし、その順調な数字も、多少無理して働いた結果であった。週1日は休む日を作っているとはいえ、疲労でキツイ日も多かった。それでも、1年は続けようと思った。保険営業でやっていけたら、他のこと何でもできるような気がした。自信がつくと思った。確かに1年は、私は頑張った。しかし、段々とまた、身体が弱っていった。風邪を引きやすくなったり、頭痛や腹痛も増えた。

私は愛嬌保険を売っていたと思う。愛嬌で近づき、仲良くなり、アポをとり、上司が提案する。しかし保険知識があるかと言われると、あんまりだ。形が見えない商品は、イメージしづらく、正直あんまり興味が持てない。飛び込みも、営業先の企業で知らない人を呼び止め名前と生年月日聞くのもキツくなってきた。

この仕事を続けて2年。同じ時期に入った同僚が半分以下になる中、私はよく頑張ったと思う。

今月、私は上司退職したいと申し出た。

最近は会社も休みがちになってしまい、今日も会社を休んでこの増田を書いていた。

私が今、会社を休みがちになってしまったのは、朝弱いにも関わらず、無理矢理にでも9時に出勤し続ける生活をして、また壊れかけてしまったのだろうなと思っている。

はいだって、他の人とは違うと言うコンプレックスに苛まされていた。普通になりたい、普通になりたいともがき続けた。一日中、寝っ転がって本を読むような生活だってしたかった。でも、誰かの役にも立ちたかった。いろんな思いがグルグル回って、色々やり続けた。

私は今、27歳。昔よりは色々落ち着いて、大人になった。自分のこともよく分かった。

ひとつ、これはもう辞めようと思ったことがある。それは、週5のフルタイム労働だ。体力的にキツイし、学校でも、会社でも、週5で何かして良い結果を残したものはない。幸い、旦那高収入から基本的には週5でフルタイムで働くことはなさそうだ。しかし、人生何があるか分からいから、お金を稼ぐ手段は手に入れたいと思っている。

いや、それにしても、私は生きてきた。思うに、色々やっていれば、人の能力は年々高まって行くものらしい。朝9時出勤も、ずいぶんできるようになったし、寝つきの悪さもかなり改善した。仕事終わりにササっと美味しい手料理を作り上げた日など、旦那からはあまりの変わりように「お前は誰だ」と言われたものだ。

欠点があっても何とか色々頑張ろうとがむしゃらに生きた結果、今があるのだと思う。

誰がこの増田を読んでいるかからないけど、読んでくれた人、ありがとう


【追記】

書いた当初、自分としては力作に関わらずあんまり反応がなかったので、残念な気持ちになっていたのですが、昨日夜見たら色々反応があって嬉しかったです。

反応をいただくのは何でも嬉しいですが、「読んでよかった」「人の半生は面白い」「頑張ったね」などの言葉は特に嬉しかったです。

ありがとうございます普通の人が普通にやっている事が私にはとても辛く、例えできたとしても世間では「当たり前」ですから、自分が頑張っていることが認められていない気がしていたのです。本当に、ありがとうございます

元増田が能力が高い、勝ち組、若くて容姿の良い女はイージーモードだと言う声について

まずは、ご意見ありがとうございます

あの記事は、また会社を休みがちになってしまい内面的にもグダグダになり、誰かに自分がADHDであり、朝が弱く、辛い人生を送ってきたと言うことを誰かに急に吐き出したくなり、衝動的に書いてしまったものです。

匿名ダイアリーからこそ、自分は実は発達障害で〜などと秘密にしていることも話せるように、「私は若くて容姿が良い」など、現実世界ではちょっと言えないようなことも吐き出すことができます。普段人に言えないようなことがかけるからこそ、魂の叫びのような記事を読めるのも、増田醍醐味だと思います

知り合いには誰にも見せない日記から、私の良いところも、悪いところも正直に書きました。日本謙遜する文化から、はっきりと「私は容姿が良い」などかくと、自慢に聞こえてしまったかもしれませんが、私の人生を語る上で、これは重要ファクターでした。

正直、私は発達障害者にしては恵まれている方だと思います。しかし、これはあくまで「発達障害の中では」と言う話であり、やはり人一倍辛い人生を送ってきました。

この記事コメントにも死にたい、とありましたが、死にたい、と思って死ねる人なんてほぼいないと思うのです。私は小学校低学年の時から死にたかったですが、結局、人間苦しくてもよっぽどのことがあっても死ねないのです。死ねなかったら、生きるしかないじゃないですか。それも、なるべく苦しくないように。

から、私は自分が持っているものを、最大限使おうと思いました。その事実を書きました。

自慢したかったのではなくて、「そうやって生きてきた」と言いたかったのです。

あと、ちなみにイージーモードではありません。

美人からと言って何でも許される訳じゃないんです。

それに、遅刻はするわ色々ミスするわなのに、「可愛いから」もしくは「イケメンから」という理由でモテてたり、かわいがられる同性の同僚がいたら、ちょっと嫌じゃないですか?なんか悪口言いたくなりませんか?私だって、そんな人が周りにいたら、少し黒い感情が湧きます容姿の良さが仇となることもあるのです。

・そこまで朝弱いのは起立性調節障害や低血圧では

血圧は十代のころから低めでしたが、目立って低い訳ではありませんでした。

大人になって、疲れやすいと言うことで甲状腺の病気を疑い、検査したりしたのですが、結果は到って健康でした。正直、体のどこも悪くないのです。

しろ今の会社の上司が、女性営業職10年と言うことでかなりバリバリ働く人なのですが、健康診断の数値で低血圧で引っかかっています。しかし、普通にバリバリ働いています。本人曰く「気合い」だそうです。体の色々な数値よりも、結局「気」と言いますか、生命エネルギーのようなものの方が大事そうです。私には、それが足りないようにも思います

起立性調節障害については確かに、十代の頃、親が調べてくれればよかったな。。。肝心の母は私が朝全然起きれないことを母の母(つまりおばあちゃん)に愚痴ってた。。。私が発達障害な事もあんまり認められない感じだったし。父母共に優等生だった故か。もう過ぎた事だけど、書いてて悲しくなってきたわ。もうフルタイムでは働かないって決めたから、もう治療する気もないけど、子供の時に親がもっと色々やってくれればと言う思いは確かにある。学校が辛くても、せめて家庭だけでも私を受け入れてくれたら。子供の時の記憶は、悲しい事ばかりです。

・朝の時間を守ることを以上に重要視するせいで道を踏み外す人が結構いると思う

私もそう思いますそもそも人には色々リズムがある訳で、全員朝9時出勤と言うのも無理があると言うのも同意です。遅刻する人に対する嫌悪も、「自分は周りに合わせてこの時間に来ているのにお前はゆっくりしやがって」という嫉妬なのかもしれません。

あと、大学の授業でやったのですが、日本人はとても均等性を重視するのだそうです。なので、その観点からも、遅刻をする人は「均等を乱す」ため、好かれないのもしれません。

・朝起きれないのは自己肯定感の低さが原因だった

自己肯定感が低いと、全てにおいてレベルが下がりますよね・・・私も、旦那暮らしから急速に成長したように思います。これから私はしばらく子供も作らず好きに生きる予定ですが、それは自分の自己肯定感を上げるために、必要な期間であるように思います

・小規模な会社なら増田の働けるところがあるかも

そうですね・・しかし、周りの人たちに聞きますと、大企業より中小企業の方がブラックなところが多いようで、就職先として探すのは尻込みしてしまいますコメントをくれた方は人を雇う立場なんてすごいですね。何かのご縁があり、あなたのように寛容な人の元で何かしら活躍できればそれはとても素晴らしいことだと思います

2017-11-12

女子中学生

俺は女性恐怖症なんだと思う。

女性恐怖症というもの定義については何も知らないし、そもそもちゃんと定義されているものなのかすら知らないけど、女性が怖い。

現在大学4年。工学部のため、女子はほぼいない。

社会に出て、女性と関わるのが、怖い。

小学生の頃は男、女問わず友達がいっぱいいて、それこそ言い方は悪いが、クラスカーストの高い男女グループにも所属していた。

たか小学生の頃、と吐き捨てられるかもしれないが、俺の人生の中では輝いていた時代だった。

そのグループ休み時間も、放課後も、休日も、いっつも一緒に遊んで、ときには地元遊園地とか、ディズニーとか行ったりした。

本当に毎日が楽しかった。

彼らの大半は、というか、俺以外、みんな中学受験をした。

俺だけは、普通地元公立中学に進んだ。

俺の小学校はある程度治安が良くて、それは理想的だった。頭の悪いやつが頭の良いやつを尊敬し、頭の良いやつが頭の悪いやつに勉強を教えるような。

その環境にいて、俺は勉強ができた。つまりは、尊敬される立場だった。真面目に勉強していたし、褒められることは嬉しかった。

だが、中学で何もかも変わってしまった。

俺の進学した公立中学校は、複数小学校から生徒が集まっていた。

俺の出身小学校と、近くの2つの小学校が主勢力だった。

この場合公立中学校ってのは、中学受験しない、いわゆる「そこまで勉強できない」生徒たちの割合が多くなってしまう。

勉強できない」と「素行が悪い」では必ずしも同じではない。これははっきり言える。

ただ、俺の進学した中学校は「勉強ができなく」て「素行が悪い」生徒の温床であった。

2つの小学校から進学してきた生徒のおよそ半分ぐらいが、不良だった。半分以上かもしれない。

壁に穴をあけたり、トイレを壊したり、窓からものを投げたりするような連中だった。

男子だけではなく、女子も同じくらいの割合で不良だった。

女子は、器物破損は流石にないが、口での嫌がらせや陰口、陰湿いじめだった。

入学当初はみんなで和気あいあいおとなしく相手の動向をうかがったりしていたが、そのうちに本性を見せた。

俺と同じ出身の生徒たちは、みんな最初は怖がっていた。俺も怖かった。

こいつらと同じ環境で3年間過ごさねばならないのだ。今までの平穏暮らしじゃ、到底ない。

だが、人間は慣れる生き物だ。

しばらくして、俺と同じ出身の生徒が、次々に問題を起こし始めた。

彼らは、環境適応して自分を守ろうとしたのか。

それとも、今までの抑制が放たれてしまっただけなのか。

いずれにしても、いい影響ではなかった。

俺と同じ出身で、腐らずに真面目に学校生活を送っている生徒もちゃんといた。

俺は彼らと一緒に行動した。なにより小学校が同じで、もともと友達だった。気兼ねなく話せた。

小学校のころいつも一緒にいたグループの彼らとは、休日、会えるときは会って遊んでいた。しかし、今の生活に精一杯で、各々、徐々に会わなくなってしまった。

真面目を貫く生徒と、腐る生徒、完全にそれらが分断されるまで、1年ぐらい時間がかかった。

1年というのは、相手のことを色々知るには十分な時間だ。

中学という、クラス単位で密閉されてる空間であれば、なおさらである

中学1年の成績は、かなり良かった。

俺は喜んだ。この環境でも1年間やったぞと。

その話は問題の彼らにも簡単に渡った。

勉強が出来ることを理由に、俺は迫害された。

主に女子から迫害された。

最初は、同じ班の女子だった。

学年からクラスに、クラスからは、班というものにわけられる。これは小学校の頃から同じだ。

中間試験か何かの答案返却があった。

苦手な歴史試験だったが、なんとか90点を取った。

かなりテンションが上がっていて、友達と答え合わせをしながら騒いでしまっていた。

その様子は、クラス全体が見ていたと思う。

その授業後の給食時間、班の女子に、面と向かって

勉強できるだけで調子乗ってんじゃねーぞ」

と言われた。

すると、

「言われてやんの。うざいんだよお前」

と、同じ班の男子に言われた。

ここで、全て崩壊した。

俺は何も言い返せず、悔しくて、怖くて、うつむいて飯も食わずにその場をやり過ごした。

今までは、不良相手ではあるが、それなりのコミュニケーションを取って、空気を壊さないように、深く関係を持たずに、壁を何重にも張って、テリトリーを守って接していたのに。

1年はこれでやり過ごせた。あと2年間、無理だった。

泣きそうになった。鼻水が垂れてきた。

多分、この女子自分勉強できない腹いせにこういうことを言ったんだろう。

確か、記憶が定かじゃないが、彼女偏差値30の高校に進学していたと思う。

見た目もギャルで、校則破って先生に怒られるのが常だった。

不良の中でも発言力が強いタイプだった彼女

話はすぐに広まった。

男子は、今までの関係もあるから、いじられることが増えたくらいで、敵視されるようなことはそんなに多くなかった。

対して、女子からは全体的に嫌われた。

まずは不良連中から、「無理」「キモイ」と暴言

次第に無視されることも多くなり、俺は病んだ。

あれだけ頑張って勉強して、その対価に、テストの点数で喜んだだけなのに、それを僻まれて、馬鹿にされて。

同じ出身女子から距離を置かれるようになり、さらにつらくなった。

好意を抱いていた女子を、諦めた。

俺はプライドが高く、それ故にこれまで頑張ってこれた。

このプライドをこの一瞬でずたずたにされて、しかもそれに対して何も言い返せなかった自分に腹が立った。

2年後半から成績は次第に悪くなり、交友関係も減少。

年代人間が怖くなり、インターネットに走った。

小学校の仲の良かったグループとはもう会わなくなっていた。

これまで興味のなかったアニメゲームに没頭し(今ではこれが必ずしも悪かったとは言えないが)、放課後休日パソコンに張り付いた。

深夜まで起きてそれをやり、朝、寝不足学校に行く。

授業の知識は何も入ってこなかった。

先生からは怒られることが多くなり、それまでやっていた部活も途中で何かと理由をつけてやめた。

高校受験は、入学当初考えていたより、かなりひどい結果に終わった。

それでもなんとか偏差値50の高校に入ることができた。

卒業するまで、彼女らの陰湿嫌がらせは続いた。

卒業式、俺はまっさきに家に帰ったことだけを覚えている。

高校は、空白の毎日を過ごした。

いじめなんて一つもなかったが、青春なんて程遠かった。

何も期待せずに相手と接し、全て平穏無事でことを済ませられるような対処をした。これを3年間続けた。

中学に、あのグループと一緒に進めていたら、なんてことを考えてしまう。

もしくは、俺も中学受験して、環境の良いところに身を置けばよかった。

少なくとも、"幸せな状況がいつまでも続く"という幻想を抱いていた俺が馬鹿だったと思う。

中学のあの頃、死にたいと思ったことが何度もあった。それでも耐えた。勉強にも身が入らなくなって、別の方向に腐った日々だったけど、必死毎日を行き続けて良かったと思う。

卒業式、真っ先に一人で家に帰る、あのときの俺の気持ち想像できるか?

これ以上、あの校舎に足を踏み入れなくていいんだと思った、あの気持ち

あいつらと顔を合わせなくていいんだと思ったあの気持ち

一応、成人式には出た。数年経ったあいつらの顔を見た。

あれから、変わったやつもいた。

変わらずに、いつまでもあい人生を続けていくんだなと思うやつもいた。

3時間の飲みの席では、数人としか喋らなかった。

正直苦痛な3時間だった。でも、これで、心の整理がついた。

もう一生会うことがないだろう、さようなら。と。

女性が怖い。

いつ、ふとした行動でどん底に落とされるか。

考えただけで、いやになる。

2017-10-29

まともなディベートの姿

https://anond.hatelabo.jp/20171029085625

ひどいディベートの授業の体験増田があったので、ディベート経験のある自分解説してみる。

ディベート経験は5年くらい。大学から始めて、高校生指導ディベート甲子園運営全国大会出場などをしてきた。

論題を決める

何について討論するのかを決めなくてはいけない。

元増田にあった、「ルーズソックスに賛成か?反対か?」ではディベートしづらい。中高生では基本的政策ディベートというものを論題にする。

例えば、「日本は生徒のルーズソックスの着用を禁止すべきである

という、行うことがはっきりしており、肯定否定に分かれる事ができるテーマが望ましい。

また、現状で肯定側と否定側の意見が戦えるほど現状の価値観が偏っていない論題が望ましい。

もしルーズソックス校則禁止されてる場合は、この論題をすべきではない。

今までディベート甲子園で行われた論題はここにある

http://nade.jp/koshien/proposition

ゆるい論題だと、「ドラえもん未来に帰るべきである」「日本学校制服廃止すべきである」などがある。

肯定側と否定側に分かれる

これは大前提。1チームは2~4人。というのも、スピーチをする機会というのは試合を通して4回しかいからだ。

自分の考えとは関係なく、機械的に決めたほうがよい。また複数回行い、肯定側・否定側を両方経験することが望ましい。

ディベート甲子園では、試合当日に肯定側か否定側のどちらになるのかが決まり複数回試合をする。

準備する

ディベートをするには、立論というものを最低限準備する必要がある。これは討論の土台となるものである

肯定側は、論題を肯定する政策の中身と、それを行ったときに発生するメリット説明する。

否定側は、その政策から生じるデメリット説明する。

この立論がディベート試合の中で土台となり、試合の一番最初スピーチする。そこから討論を行っていく。

逆に立論中に述べられなかった論点は後から出してはいけない。出してしまっても審判は、その発言無効と判定する。

なので言いたいことはできるだけ立論にいれる。中学生なら4分、高校生なら6分にまとまるよう原稿を用意する。

メリット構成

メリットは、「現状分析」「発生過程」「重要性」の3つから構成される。

ルーズソックス論題で例を挙げて説明する。

現状分析では、主にルーズソックス規制されていない状況で起きている問題について説明する。

できるだけ問題が大きいことを主張する。例えば、ルーズソックスを履いていることで犯罪に巻き込まれやすい、と設定する。

この問題を具体的に説明できるよう、資料を集める。例えば、高校生犯罪巻き込まれる率、ルーズソックスを履いている高校生への印象調査、声をかけやすいと言った定性的資料など。

発生過程では、ルーズソックス規制したときに、この問題解決されることを立証する。

現状では、ルーズソックス履く→下校時にそのまま遊びに行く→声を声をかけられる→トラブルになる であるが、

プランを実行すると、規制されるとルーズを履いてくると怒られるので履かない→下校時に遊びに行くが、声をかけられる率が減る→トラブル減少

というルートを立証する。

重要性では、このメリットが発生したときに、それがどれだけインパクトがあるのかを示す。

青少年トラブル精神に悪い影響を与え、学業を疎かにさせる。それは国全体の産業競争力に大きく影響してくる。

できるだけ大きいほうが良いが、大きくするとそれだけ立証が甘くなるので注意。

デメリット構成

デメリットは、「現状分析」「発生過程」「深刻性」で構成される。

メリットほとんど同じだが、簡単説明する。

現状分析では、現状で特に問題が起きていないことを述べる。現状サイコーという訳である

週5日も校則され時間の大部分を占める学校生活でみんなルーズソックスを履いていきて、おしゃれとして、自己表現として楽しんでいる。

発生過程では、立てるデメリットが起こる過程を立証する。デメリットを「多様性の低下」としてみる。

ルーズソックス規制される→学校に履いてこれなくなる→時間の大部分を占める学校生活自己表現ができなくなる→画一的人格形成される

とか。演繹的に論理の矢印を作ったら、主張を補強する資料を集める。

ルーズソックスは私を表現するもの」と言っている資料だったり、服装の厳しい学校卒業生クリエイティブ職業に就く割合が低いみたいな資料を探す。

深刻性では、デメリットが発生した場合にどれほど深刻なのかを述べる。

画一的人格形成によって、クリエイティブ思考が苦手で国際競争力が低下するとかかな。あまりよい深刻性が思い付かないが。

試合の流れ

ここまで準備して始めて試合ができる。

各側の発言機会は4回。スピーチ担当者以外は話してはいけない。(準備時間を除く)

中学生なら以下のフォーマット試合が進行する。

肯定側立論 4分

否定側質疑 2分 (肯定側立論にわからないことを質問する。反論NG)

否定側立論 4分

肯定側質疑 2分

否定第一反駁 3分 (肯定側立論に反論する)

肯定第一反駁 3分 (否定側立論に反論する + 否定第一反駁の反論に再反論する)

否定側第二反駁 3分 (肯定第一反駁に再反論する +議論をまとめる)

肯定側第二反駁 3分 (否定側第二反駁に再反論する + 議論をまとめる)

反論について

基本的に立論で主張されたメリットデメリットを削り合う。

メリットの大きさは  発生確率×重要

デメリットの大きさは 発生確率×深刻性

判断される。なので、反論するポイントは、

①発生過程を削る

重要性(深刻性)を削る

のいづれかになる。

発生過程というのは、A→B→C→Dのようにつながっているものうち、一箇所でも切れば、例えばB→Cを完全に切ると、全く発生しなくなる。

完全に切るのは難しいので、B→Cの半分を削る、という反論の仕方になってくる。

例えば、メリット現状分析の、ルーズソックス履く→下校時にそのまま遊びに行く→声を声をかけられる→トラブルになる、だと

1. 規制なくても全員履いてるわけじゃないよね

2. 全員が下校途中に遊びに行かないよね

3. ルーズソックス履いてるからといって声かける人の割合がわからないよね

みたいな反論になってくる

重要性への反駁だと、

1. もう既に日本競争力落ち始めてるし、影響ないのでは?

みたいな反論になる

判定について

ここまでやれたとして、ジャッジができる人間がいないと教育としてのディベート価値はない。

議論をまとめて、メリットデメリット、どちらが大きいか判定して、勝敗をつける。

ジャッジは、すべてのミクロ議論について、どういう反論があったか説明し、最終的にどちらが優勢で、なぜその判定をしたのかを話す。

その結果、立論におけるメリットデメリットが何%削れたのかを定量的に示す。

先程出てきた

メリットの大きさは  発生確率×重要

デメリットの大きさは 発生確率×深刻性

を元に、紙に丸を書いて、メリットデメリットの大きさを書いて判定するやり方が取られている。

決して主観でなんとなく判断していいものではない。

ディベートジャッジは通常ディベート熟練者が行う。つまり有効ディベート経験者がいないとまともに成立しない。

ディベートを身につけるには

ディベートをやるときは、1つの論題に対して数ヶ月かけてリサーチ、立論作成試合を繰り返し、議論熟成させていく。

この過程で、反論ポイントの探し方、強固な論理的思考力、頭の回転速度、スピーチ聞き取り及びメモ方法を学んでいく。

ディベートで一人前になるには2年くらいかかると思っている。授業で1回やったとか、企業研修で1日とかでは決して身につかない。

ディベートを始めたい場合は?

中学校高校場合は、地域ディベート甲子園事務局に連絡を取ろう。

http://nade.jp/about/contact

それか近くにディベートサークルがある大学を探そう。指導に来てもらえるかも。

大学生社会人場合は、サークルに入ろう。探せば色々出てくるよ。

とにかく指導者が付いて、じっくりやらないと身につかない。

試合を見てみよう

とりあえずディベートがどのようなものか、一度見てみよう

中高生ディベート甲子園は夏の時期に毎年行われている

http://nade.jp/koshien/index

全国大会

11/11-12に全国ディベート連盟秋季全国大会がある。

http://japan-debate-association.org/contest

論題は「日本難民認定基準を大幅に緩和すべきである

想像を絶するスピード論理資料の殴り合いが見られて、初見ではほとんど理解できないだろう。

本当に理解して議論が成立しているのか、と思うだろう。

だがこういう世界があるということを知っておくのも良いだろう。

全国大会決勝のトランスクリプト(書き起こし)はこちらのページに置いてある。

http://japan-debate-association.org/contest/history

2017-10-16

そして、やっぱり僕の心臓おかしい。

今日はみんなに、転校生を紹介するわね。ほら田辺さんおいで」

「ねえ、どんな子かな。男?女?」

「知らないよそんなの」

練馬区から来ました。田辺です。よろしく」

「ちぇ、女か。でもかわいい子だね」

 近藤さんの言うとおり、たしか田辺さんはかわいい

趣味は?」

特にない」

「ねえ、好きな芸能人は?」

「いない」

田辺さん」

「……何?」

 分厚くてカラフルな拍子の本を片手に携えた彼女はその横顔に初夏の太陽の光を受けている。 田辺さんの黒い目がじっとこちらを見つめる。

「いいか、すごく強い敵、勝てそうにない相手と戦う時はな。心構えを変えるんだ。いいか、勝とうと思うから負けたときショックなんだ。思いっきり負けた想像で頭をいっぱいにしろ。むごたらしい負け方を考えろ。そうしたら実際負けたとしても、まだ想像で負けたのよりマシだと思えるだろ」

「なに笑ってるの?」

 田辺さんの不審そうな顔を無視する。

ちょっと見といて」

 ポケットからバナナの皮を取り出し、前方へと投げる。小さくびしゃっと音が鳴り地面に着地するバナナの皮。

「……?」

 得意げな顔で、胸を張って廊下を歩く。ずんずんと腕を振って。少し振り返った視界には、頭にひたすら疑問符浮かべた田辺さんの表情が写る。

「おじいちゃんは負けてばっかりだったの?」

「ああ。でもな、じいちゃんは決して勝負から逃げることはせんかったぞ。見逃し三振より空振り三振の方が見た感じ格好良いだろ!」

「ぐっ」

「…………」

田辺さん」

「ねえ、あなた今日ずっとわたしの事見てたでしょ」

わたしの事好きなの?」

「興味はある。すごく」

 それを聞いた田辺さんは初めて、笑った。こらえきれないといった感じで、曲げた体を揺らして笑っている。 想像と違う。

面白いね、それ」

なんでやねん

「あっはっは、なにそれ」

「きみ、おもしろいね

幼気な少年は、社交辞令を真に受ける。彼女に認められていると思いたかった。そんなノスタルジック学校生活の一面。少女からすれば既に記憶の奥底にしまい込んでいるような些細な事象に過ぎない。結婚し、家庭を持ち、子供が出来た。学生時代にそう言えば変な子がいたな。再会しても思い出せないであうそ面影。今や現実の方がよっぽど大事になってしまった。

2017-10-09

美容院に髪を切りに行った

新しく行きはじめたところで勝手はまだわからない

小さいけれどスッキリして綺麗なお店で

今日は髪をメンテしてゆっくり自分にご褒美…

くらいのつもりでいた

が、ゆったり癒し時間という期待は叶わなかった

客の会話、それに答える店員の会話、そういうのがなんかもうダメだった

子供がどうの生活のあれこれを語るおばさん、それはまだいい

女子高生の客の学校生活や交友関係を食い入るように聞くオッサン店員、下心丸出し

職場のお局の愚痴悪口を延々と吐く派遣OL、このあたりでもうダメだと思った

髪切ってる間にそんな話聞きたくないんだよ

隣の席から地下アイドルやってる友人がオッサンハグしてチェキ撮ってる話題とかどこの下世話な週刊紙だよ

こざっぱりしておしゃれな内装美容室だったが

ここはダメだ、と思った

お金を払って店を出て、ぐったり疲れた気分になっていた

美容室行った帰りとは思えぬ疲労感

次は別の店に行くことにしよう

2017-10-03

校長は正しい」-授業中暴行高校生校長声明に関する一見

http://b.hatena.ne.jp/entry/hakata.ed.jp/highschool/_common/pdf/20171002.pdf

について。校長文章に不可解さを覚えている人が多数いるようなので解説してみたい。結論から言えば、「SNSにアップした生徒を更に強く指導する必要がある」という見解は十分ありうる。というか、教育現場判断としては十分正しい。

今回の件、講師が新任だということで納得したが、一般人として見るなら大変気の毒な先生に見えるとは思うが、教員として見るならあの対応は未熟の誹りを免れない。動画を見る限り、クレームをつけている生徒を無視して授業を継続しようとしているようだが、実際に店舗などでクレーム対応従事した経験のある人なら分かるとおり、この「黙殺」という対応は悪手だ。相手社会的経験を積み忍耐力が十分以上にあることを期待できるかあるいは力関係で圧倒的に弱い相手に対してなら有効かもしれないが、いきり立って席を立ち教壇までやってくる生徒には、明らかにそのどちらも期待できない。ここは、少なくとも授業を止めて相手と向き合い、一対一で目を見て、相手椅子に座るよう指示し、その上で話すなどの対応必要だった。にも関わらず、相手黙殺した上に、背中まで向けるとは!!

…そこから見るに、今回の件は、おそらく普段人間関係などからくる油断もあったのだろう。生徒も、怒りに我を忘れて暴力をふるうというよりは、ただ駄々っ子が親に手を挙げるような甘えたつっかかり方に見える。このことから普段から冗談に任せるように背中を叩いたりパンチの真似をしたり(そういうことをさせては絶対にいけないが)するようなコミュニケーションがこの二人の間にあったのではないか想像する。講師の側では生徒とコミュニケーションをとっていたつもりだったかもしれないが、それは実はマウンティングである。生徒の中には、「相互に信頼や敬意を持ち合う」といった人間関係形成できず、ただ身分上下や力の強弱といった人間関係しか理解できない生徒もいる。新任(身分が低そう)や気の弱そう(力が弱そう)な「センセイ」に、からかうようにマウンティングしかけてくるのは、大体そういう生徒だ。そして、それは今回のようにエスカレートしたとき暴力事象」として大事になってしまう。が、本人としては普段マウンティングが少し行きすぎたという程度のつもりなので、改めて「暴力をふるった」と言われても十分指導が行き届かない。想像ものを言うことにはなるが、こういう場合も、実は指導者の側の未熟のためにこういう事態に立ち至っているのである

ここまで述べたことは、この講師先生を責めたいという趣旨ではない。本来責任を負うべき立場にはない講師先生がこういう生徒に対応しなければならないほど大変な現場なのだろうし、それだけに教諭管理職の方々は、いっそう忸怩たる思いでこの事件を受け止めているのではないかということを言いたいのだ。

今回の動画を見て、大半の方は「修羅の国暴力教室」みたいなイメージを受けたのだろうか? 警察沙汰しろ、とか、厳しく現実を教えるべき、みたいな意見を見るに、多分そうなのだろう。だが、個人的にはこれは「やや指導規律の甘い学校で、かつ講師若いため生徒をコントロールし切れていない教室の状況」であり、極論すれば「ごくありふれた」日本高校の一風景に過ぎないように感じる。全国どこでも、学校指導規律が数年間甘くなり、そこに生徒をコントロールし切れない(個人資質能力だけでなく「講師」や「新任」という肩書きも含め)教員が配置されれば、簡単にこの風景は現出する。おそらく生徒指導プロフェッショナル先生なら、このビデオを見て「そりゃそうなるだろうよ」と思ったことだろう。

要するに、これは「起こりうる/よくあること」なのだ。この生徒は持って行きようによってはまだ「なんとかなった」生徒だし、教員も「もう少しなんとかしないといけない」、その意味忸怩たる思いを抱える、それが教育関係者の実感ではないだろうか。これは「教育悲惨な現状」などではなく、いわば「ケアレスミス」に近い、教育現場によくある失敗の一事例なのだ自分自身ちょっとした認識の甘さ、生徒把握の甘さ、指導規律の緩み、態度や言葉の綾のせいで、大丈夫だと思って対応していた生徒が突然牙を剥いてきて、あわや大事になりかけて慌てる……それなりに経験のある教育関係者なら、一度や二度は目にし経験しもしてきた風景なのではないだろうか。

そう考えるなら、教育関係者目線が、暴力を振るった生徒と講師の方にではなく、今度は周囲でこれを笑っている生徒たち、そしてビデオ撮影ネットにアップした生徒、そちらにある大きな問題に向かっていく、ということも理解できるのではないか。なぜか。まず笑っている生徒たちは、激昂している彼が「次に何かしたら退学」と言われていることくらい知っていただろう(そういう話を内にとどめておくことの出来る子はああいう荒れ方をしない)。多少荒れた学校であっても、そういう生徒が教員につっかかっていったら、普通は何人かの生徒がそれを止めに入らなくてはいけない。なのに、止めるどころか「笑って放置」されている。つまり、彼はクラスメイトに完全に見放されているということだし、クラスメイトはそんな彼が高校をやめることになるだろう状況を見て無視ならまだしも冷笑し、(こう言ってよければ)自分たちの気晴らしネタとして消費している。クラスがこのような状況にあるというのは、率直に言って担任によるクラス運営の失敗だ。あのクラス担任は今頃泣きたい気持ちでいると思う。「あの教室の生徒全員を指導しなくてはいけない」と喝破したブコメもあったが、おそらく教育関係者と推察するその意見、真にもっとである。少なくとも、あの場に自分の子どもが座っていると想像したら、誰しも自分の子育ての失敗を真剣に疑うのではないだろうか。

そうして、件のSNS投稿した生徒である。彼のことを「内部告発者」扱いしている人が多いが、これは失礼ながらただ事件を外部から眺めているだけの立場から意見と感じる。この生徒は、上に上げたようなクラスの一員であって部外者ではない。彼はこの状況を、他のクラスメイトのように無視し冷笑するにとどまらず、積極的ネタとしてインターネットに放流したのであるネタとしてそれが炎上するであろうことは想像に難くない。単純にその場でネタとして消費する以上にやっていることは悪質である。それだけではない。彼はその行為によって、暴力を振るった生徒の退学を世間宣伝し、振るわれている教員晒し者にし、それらをネタとして消費しているクラスクラスメイトの退廃を笑いものにしているのであるしか自分は姿を見せずに)。彼が善意の人であることは期待できない。なぜなら、彼もまた、使うはずのない授業中にiPad自分スマホを取り出して撮影しているのであるから自分のやっていることは件の生徒と同じ行為だということを、彼が認識していないはずがないかである。その意味で、この生徒はそもそも件の生徒を馬鹿にしたり批判したりする立場には全くない。にも関わらず、暴力をふるった生徒、教員クラスメイトを嘲り傷つけるような行為を行っていることになるのだ。

このことを彼が自覚しているかどうか分からない。だが、自覚していようがしていまいが、彼のやったことはそういう行為だということに「なる」。彼はこの後も学校生活普通に送るはずだが、それだけに、自分がどのような行為をしたことに「なる」のか、厳しく彼には自覚を求める必要がある。でないと、クラスメイト、退学になった生徒、そして件の教員が彼をどういう目で見るか、理解できないことになってしまう。

我慢の効かない子ども保護者かんしゃくをぶつける行為と、一時のかんしゃく世間永遠にさらして笑いものにする行為と、どちらが罪深いか? 人によって感じる罪の軽重には差があるかもしれないが、「より自覚が少ない」という意味で、後者をより「厳しく指導」することは、教育判断としては十分ありうることである。でないと、この生徒のこの後の学校生活は真に悲惨ものになりかねない。

以上を踏まえて、考えてみるとどうなるだろうか。校長的外れだとか、更には「馬鹿」だとか気楽に罵っている方々には、こういう教育現場の緊迫感は遠い世界の話なのだろうとは思うが、今回の件に関する学校この声から事件の正確な分析、原因への理解とともに、今後行うべき対応をしっかりと考えていることが伝わってくるのではないだろうか。更に言えば、上で上げたような事件発生への「無念さ」も。それと共に、このようにモノがよく分かっている人がいてもこういう事件が起こってしまうほど、学校が大変な状況にあることについて、どうしていけばいいのか少しだけでも考える人が出てくれれば、この文章を書いた意義があったことになる。

今回の件は、大事にするような話ではないし、できれば速やかに消え去ってくれればよい。暴力を振るった生徒、振るわれた先生だけでなく、あのクラスの生徒、ネットにアップした生徒のためにも、それを祈っている。

長々と拙文におつきあいいただいたことに感謝したい。筆の走った部分も多々ある。また、こうして文章を書くこと自体晒し上げの一種というご意見、これもごもっとである

それらを含め、ご批判は甘受したい。

(追記)

福岡県内の中学校で、男子生徒(14)が、男性教員(46)の顔を拳で数回殴る暴行を加え、顔面打撲の傷害を負わせた

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171003-00010010-nishinpc-soci

こちらは「単なる暴力」の実例。これなら警察沙汰になっても仕方ないとは思う。

不満で心が捻くれてる人にはどう接したらいいの?

過去によくない家庭環境生活してきてたり、学校生活であまりいい目に合ってこなかったり、好みの恋愛対象に好かれた経験がないとかで他人に対して否定的になってる人がいるとするじゃないですか。

そんでその人が周囲に対して否定的言動ばかりを繰り返していたり、こっちがいいなと思っているようなものまで無神経な思い込み誹謗中傷していたりするんですよ。

さすがにたまりかねて「ちょっとその言い方はよくないね」って言うんですけど、それに対して「差別主義た。お前はこちらをバカにしている」みたいなことを言い出すんです。

「そんなことないよ話し合いをしようよ」と言っても、言い返すのは最初にそちらから持ちかけた裏付けのない誹謗中傷ループしかなくて。

その誹謗中傷は全く根拠がないんだよってできるだけ理性的に説得しようとすると、今度は「理屈で説得するな、そんなんでマウンティングとってくるな」とか言うんです。

なんなんですかね。

「そうだね、その誹謗中傷はそのとおりだね」とか言ってやればいいんですか?

そういう反応する人ってどういうふうに対応してもらいたいと思ってるんですかね?

あくま一般論として。

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