「躁転」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 躁転とは

2019-06-27

anond:20190627134247

いや、メンヘラだとしたら気負いより躁鬱の躁転モードっぽくね?

そのまま女事業家になってホスト飼えるくらいの女傑(そうは見えなくても)になるかもしれないし

ここは下方婚大好き増田が思いっきフレーフレーしてあげればいいとおもうなー

 

ちなみにパットガリガリだけどトライアスロンやってる50代女社長独身)しってるからそういってます

その人はホストはたぶん飼ってない。もうちょっと人生楽しめばいいのにホントクソ真面目。

(まあ自分もその気があるけど好みの異性の出る娯楽はしょっちゅう見に行くからその人よりは柔らかいと思う)

そういう人も結構いるよ

2019-06-16

anond:20190616202141

躁転おめでとう

しぼむ筋肉を抱えて怯える夜を過ごしな

2019-05-09

野菜を讃えよ

長い間鬱状態で苦しんでいたけど、野菜を摂るようになったら嘘みたいに回復した。どうやら俺は鬱ではなく、低血糖症によって精神障害引き起こしていたようだ。

鬱だけではなく、幼少期から悩まされていた慢性的下痢改善されたし、心の奥底から勇気希望が湧き上がってくる。なんなんだこれは。

これが野菜の力なのか。なぜもっと早く教えてくれなかったんだ。

追記

瞑想運動はやったことあるけど効果ない。

躁転したわけではなく、24時間平常心でいられるようになった。躁状態だと途轍もない多幸感に包まれたり、はたまた鬱状態だと死にたくなったりするけど、今はそんな症状もない。

追記2

躁転してないって言ってるでしょうが。俺は鬱じゃなくて低血糖症による精神障害引き起こしていたわけだから鬱でも何でもなかったわけ。変な難癖をつけられても困るんだけど。

それと「なんで野菜低血糖症が治るの?」っていうコメントがよく目に留まるけど、野菜を摂ることによって低血糖症の「食後に血糖値が急激に上がって空腹時を下回るまで急激に下がる、ずっと低い値で推移する、乱高下を繰り返す」という3つの典型的な症状を防ぐことができるようになったわけ。低血糖症は「血糖値を調節できず、安定した血糖値を維持することができない」病気からね。それくらい調べてくれ。あとは知らん。

2018-12-23

親と話すとパニック発作が起きますが、実家に帰らされることになりました。

 タイトルが全てです。

 今の私には上手い対処法が思い浮かばないので、

おとなしく従おうと思います

以下はただの感情を宥めるための吐き出しです。

疲れて頭が回らないので推敲などはしていません。

再読すらしていない書きっぱなしなので読みづらいです。

わざわざ読んで時間無駄にすることはありません。

キチガイ勘違い被害妄想がたくさん含まれているので真に受けないでください。

1.経過

 幼少期から両親に苦手意識があり、情緒不安定子供でした。

理由不明です。

強いて言うなら、母は精神疾患持ちでヒステリックであり、

父は素面とき過保護なだけの良い父親でしたが、酒を飲むと意味もなく独り言暴言を吐き、大きな音を立てて扉を閉めるような人でした。

また、私は発達障害者なので、私のコミュニケーション能力などに原因があったのかもしれません。

(※発達障害の診断自体は成人後に受けました。

 (ADHDASD協調性運動障害

 しかし、小学生の頃には担任発達障害を疑われていたので、当時から難有りの子供だったのだと思います

変わったところはある家庭ですが、毒親とか虐待とかまではいかない微妙ラインだと自己認識しています

(※母に、子供日本語が通じなくて怖いから幼少期はネグレクトしていたと近年告白されましたが、単にほったらかして一人で遊ばせていた程度のことだと捉えています

 そもそもそれを私に告白してどうしたいのでしょうか。

 私の世話は父が主にしていたようなうっすらとした記憶はあります

 n年前、就職と同時に上京し、一人暮らしを始めました。

(※家族親戚一同から地元就職を暗に望まれていましたが、運良く東京配属に滑り込めました。)

就職直後は実家から解放された喜びもあり、調子が良かったのですが(躁転なので本当は良くない)、

生来不安性や情緒不安定さ、発達障害などのためか、次第に生活業務に困難を抱えるようになりました。

発達障害者社会適応、正直無理ゲーじゃない?)

一時期、プレッシャーの大きく、長時間労働を伴う業務に付いたこともあり、

それがとどめとなってか、

結果として最終的には重度の鬱状態に陥りました。

 診断は双極性障害の2型です。

現在の症状は典型的鬱状態のため、詳細な説明は省きます

なお、躁鬱の自覚症状自体はは高校生の頃にはあり、

ちょうど入社直後に大きく躁転したことを切欠に、

上手くコントロールできなくなりました。

 復職と失敗を繰り返した結果、

現在会社の方から1年以上の長期の休職命令がおりたところです。

 休職となると私が東京に留まる理由もなく、

しろ経済的に厳しくなるため、

帰省余儀なくされているところです。

(父がそういうふうに展開を誘導したことは否めません)

2.実家の現状

 現在実家の状況は、あまり芳しくありません。

 私が上京する少し前に、母は精神疾患により長期の入院となりました。

なお、この時に初めて私は母が学生時代から精神を患っており、独身時代入院歴もあったことを知りました。

それまではずっと、母に癇癪を起こさせるのは私がキチガイからなのだと信じていました。

母はその後入退院を繰り返し、今は入院中です。

(※母の疾患に関する詳細は省きます

 父は、平時は非常に優秀且つ良き父親でしたが、先述した様に、些か酒癖が悪いです。

般若面のような顔をして暴言を吐く父と二人で食事をするのは、正直少ししんどかったです。

また、無自覚ながらも高圧的なところが有りました。

彼の過保護さは抑圧と表裏一体でした。

部活で帰りが遅くなったからって、酔った父から数分間暴力を受けたこともありましたが、いつ思い出してもちょっとよく意味が分かりません)

そもそも何故か私は部活自体が禁じられていましたが、流れとゴリ押しで入部しました。部活動はとても楽しかったです)

 我が家では、父>母>私という明確なヒエラルキーがありました。

(遅くなりましたが、私は一人っ子です)

ただし、ストレスの発散方向は、

父→母→私で固定されていたので、

直接父からストレスの発散としての不機嫌さを向けられたことは少ないです。

もっとも、父の不機嫌さを受けることにより母のヒステリー悪化したため、

そのヒステリーを受ける私の精神ダメージは結局増大するのですが。

 また、父はもともと精神疾患者を迷惑がり、下に見ているところがありました。

休職中の同僚に対する悪態を聞いたことがあります

(なんで母と結婚したんだ?)

父は入退院を繰り返す母にあからさまにうんざりしており、

私が帰省したとき、父は明らかに母に精神DVを振るっていました。

正直ドン引きしましたが、当時の私にはそれを真剣諌める元気はなく、

少し口出しはしましたが、ほぼ見て見ぬフリをしました。

そもそも、あの人たちと真面目に会話しようとすると、平静を保っていられなくて怖くて、迂闊に行動できませんでした。

 この頃にはもう、彼らの顔を見たり声を聞くだけでつらく、真顔を取り繕うのも厳しかったです)

現在も母の病状は芳しくなく、父の酒癖やDVもそのままだと思います

 余談ですが、入社直後に大きく躁転したのは、

入社直前に起きた母の入院に伴う様々なトラブルに起因する、過去最悪の鬱転の反動です。

あの三ヶ月間の私は、道を歩いているだけで唐突に泣き出すような奇人でした。

(発生していたトラブルの詳細は省きます。思い出したくない)

3.懸念事項

 下記は、私が戻らなければならないことを前提として記します。

もっとも、父がそういうあらすじを書いた以上、ヒエラルキー下位の私は逆らえないのですが。

 まず、精神疾患者を下に見ており、なおかつ精神疾患者にうんざりしている父の元に精神疾患者の私が戻ることで、

父の不機嫌さがさら悪化する恐れがあります

父は私には甘いのですが、それでもいずれ我慢限界は来るでしょう。

 次に、母の入院によって、父のストレスの発散先が私になる可能性があります

正直この数年の母の精神疾患は、母のストレスの発散先である私の不在に加え、父からDVによって悪化しているのではないかと私は考えております

しかし、私が実家に戻ることで、おそらく日常の細やかなストレス解消は私の役割となるでしょう。

一々病院に行くより近いですから

ただでさえ日常生活も厳しいような状態の私が、父のストレス発散対象に選ばれることでどうなるのか、考えたくもありません。

療養は諦めて、修行と思って己を鍛えて克服するしかないでしょう。

再び家を出るにはなんとしてでも私の精神疾患を治さなくてはいけないため、

無理してでも治ってしまったら雨降って地固まるですね。

 3つ目に、母と日常的に接触しなければならないことが挙げられます

私は主に母のストレス解消の役割を担っていたため、父よりも母と接触するほうが情緒不安定になりやすいです。

また、私は自分を母と似たような人間であると考えているため、母を見ていると私を見ているようで非常におぞましい気持ちになり、自己嫌悪で居た堪れなくなります

父と会う場合にはその場はとりあえず我慢して、その後自室やトイレなどに籠もってから涙を流して受け流しますが、

母と会う場合にはそこまでの我慢もできず、その場で発作を起こしてしまうこともありました。

(なんで理由もないのに涙が止まらなくなるんでしょうか。正直、止めたくても止まってくれなくて非常に不便です)

 あとなんか他にも色々あった気がするけど忘れました。

雑多なところで言えば

・今の主治医とかかりつけ薬局を信頼しているため、転院に不安がある

地元気候身体に合わない。

地元友達が(東京より)少ない

そもそも東京のほうが圧倒的に住みやす

などがあります

全体的に、今の私には言う権利もないような我儘ばかりですね。

外出も覚束ない状態ではあまり関係のない話でした。

ここまで書き殴ったら少し気分が晴れました。

問題は何も解決していません。

 先程、父と2時間くらい会話した結果、

5時間くらい泣いたり過呼吸したりを繰り返して収集がつかなかったので、

文章に吐き出せて良かったです。

そもそも書き殴りなので文章の体を成していない)

肉体は疲れ果てました。

 パニック発作がここまで悪化してるとは思わなかったので、今までこの症状に関して主治医相談したことはありません。

流石にこの状態では色々と怖いので、主治医頓服精神安定剤など服用できないか聞いてみたいと思います

主治医には実家に帰ること自体、避けたほうが懸命だと言われましたが……。

お金がないのは仕方がない。

治療する気があるのかって叱られても文句は言えない。

 カウンセリングとかで解決しないかな、と思って提案してみましたが、

カウンセリングできる病状ではない

・傷を掘り起こすことで悪化する

のでやんわりと断られました。詰んでる。

 実は以前に2回、父との通話中に我慢できずに泣いたことがありますが、

父は、私が父を恋しくて泣いてると勘違いしてくれたので丸く納まりました。

私は父が怖いです。

 しばらく前に、母の蔵書の目立つところに

『「子供を殺してください」 という親たち』

が置かれていましたが、これが母によるなにかの意思表示、嫌味でないことを願うばかりです。

 余談ですが、この話の最大の被害者は父です。

本人が身体障害手帳持ち)というハンデを背負っている上に、

妻は精神障害者(手帳持ち)、

娘もどうなるか分からないと言うこの状況は流石に申し訳ないです。

私の将来の夢は、

私が責任を持って両親の介護をして、

解放されたあとはできる限り人に迷惑をかけないように一人で老い死ぬことでしたが、

それも果たせそうにありません。

(ここで書かなくても良い父の身体のことを書くのは、

本人に気づかれない程度のちょっとした嫌がらせです)

 最後に。

上京してから色々なことがありましたが、

基本的地元にいた頃よりもずっと良い事ばかりでした。

初めて生活が少し楽しくなりました。

初めて泣かない日ができました。

挨拶をしてもしなくてもランダム罵倒されることがないのは、とても快適でした。

残業帰りに近所のコンビニで買って歩きながら齧ったカロリーメイトも、美味しかったです。

東京趣味に関するショップイベントコミュニティ豊富だし、

社会に馴染めない変わり者にも寛容なコミュニティが多く、居心地が良かったです。

私の様子を見ておすすめ心療内科をこっそり教えてくれるような友人、地元で巡り合うのは難しかったでしょう。

もしも今地元で、あるいは実家で息苦しい人がいて、万が一この部分だけでも読むことがあったら、

家を出る、都会に出るという選択肢があることに気づいてほしいです。

手遅れになってからでは遅いので、一刻も早く決断してください。

都会、楽しいです。

実家の外は、安心できます

 主旨も何もないメチャクチャ駄文を吐いてしまって申し訳ありません。

以上、乱文失礼いたしました。

(これで文章を締める癖が抜けないちょっと昔のオタク

追記(1223-1910)

はてなに長文を書くのは初めてなので常連ではないです。

誤解を産んでしまったならごめんなさい。

証明する方法がないのですが、黙っておくのも申し訳ないので、一応宣言だけしておきます

強いて言うなら、私はAセクかつ性嫌悪なので、

彼氏旦那がどうこうと言う文章をかけるような想像力はありません。

というか想像すると気持ち悪くて無理。

なお、生活保護の方向も検討しましたが、父をどう言いくるめるか考えて諦めました。

アドバイスいただきありがとうございます

2018-08-24

軽躁時に取るべき行動

いや、精神科に行けよ、で終了なんだけど。

なんだけど。。。

過去二度、躁状態に入った実績から

自分現在躁鬱病を患っているという自覚は持っている。

そして今、そのサイクルが三週目に入り、軽い躁状態に移っていると思われる。

わかる人にはわかると思うのだけれども

この状態、軽躁は実は非常にパフォーマンスが良い。

頭の回転も従来比でそこそこ速くなり、ポジティブな考えが出来る。

この状態が続けば、日々の暮らしは充実する、

というか、現状は充実しているので、この状態で居たい。

過去の実績からすると、この状態から本格的な躁に移るのは時間問題だと思う。

そうなった時に、周囲にトラブルを起こすのは必定なので、

それを抑止すべく精神科に通院するべき、ということは分かってはいる。

ただこれも、過去の実績からいえば、この後に鬱が来る。

そのことを思うと二の足を踏んでしまう。

精神科に行く、それしか答えはないもののこの状態から鬱になることに恐怖している。

現状をキープしたいという願望とやがて来る躁への対処の間で揺れている。

本格的な躁にも鬱にもならずに、今の状態キープする、そんな都合の良い方法はないものか。。。



------以下、蛇足------

一回目は、十年ほど前のことだった。

学生時代に荒れた家庭環境がトリガとなり、躁状態になった。

今振り返れば、攻撃的な発言が多くなり、周囲とトラブルを重ねた結果

精神科で「躁鬱病」と診断されたらしい。

らしい、というのは私自身はその診断を聞いてはいいからだ。

ただ、その後服用した薬を調べればその病名にマッチしたので間違いはないと思う。

その後、数ヶ月で(服用した薬の効果があったのか無かったのかは不明だが、)躁は治まった。

その代わり、2年程鬱に沈み、つらい日々を過ごしながらも、ゆるやかに回復することができた。

二回目は、五年ほど前。

社会人になって初の転勤をトリガに、躁状態になった。

どうやら五年位の周期に外部環境が相まって躁転するようだ。

このとき経済的にも余裕があり、一人暮らしであったためいろいろハチャメチャをした。

ただ、転勤を契機に躁転したため、周囲がそれに気づくのが遅かった。

その余りに高いテンションに転勤先の上長おかしいと思ったのか

転勤前の上長相談したらしく、転勤前の上長面談をすることになった。

「一体、どうしたんだ?」という類の質問を受けていたが

その渦中の自分自分躁状態とは認識できないため、

何故面談なんかしなければならいのかと、勝手に腹を立てていた。

結局、この躁状態を3ヶ月ほど経過して、自然鬱状態になり、

鬱状態が1年程続いた。

そして、軽い鬱なのか、普通なのかといった状態を経て今に至る。

二回目の発症から現在に至るまで、精神科へは通院していない。

発症から鬱状態の期間、だけを見ると通院していない二回目の方が鬱状態が短かった

というのはあくま結果論だけど、これもまた通院へ二の足を踏む要素となっている。

2018-06-12

anond:20180612212849

普通に指導しろよ。あと主治医にも報告するべき。

双極性障害(躁うつ病)の患者躁転してるのをコントロール出来ない、そういう病気なんだから

薬(リチウムなど)で上がりすぎている状態を落とさないといけないんだよ。

2018-03-29

母が躁鬱になった~寛解した記録

ドワンゴを二回やめた人のブログに対し

鬱じゃなくて躁鬱なのでは、躁鬱は統合失調症と並んで不治の病というブコメがあったので、

そういえば躁鬱って不治なんだっけ?どうなんだっけ?と不思議に思った。自分思考整理と記録のために書き残す。

なまえをかくしてたのしいにっき。

母が躁鬱になってからかれこれ10年がたった。

■誤診期

「誤診」と書いたが、診断確定の難しさは他でもない私が知っているので、「誤診」よりもイメージの良い、精神科医名誉を傷つけないワードがあったら教えて欲しい。

時期:十年前~七年前

症状:元々パワフルで仕事人間しかし分配された家事はきちんとやる母であった。共働きフルタイムだったが、食事ははおいしかったし、稼ぎもそれなりにあり、仕事も好きだった。趣味があまり無かったが、車は嫌いではなく毎日通勤に乗っていたのでストレス発散の手段ゼロではなかったと思う。

母は突然、朝起きれなくなった。仕事に行けなくなった。

涙を零すとか不満をぶちまけることはなく、全てのことに無気力になってしまった。

休職期間が切れ退職扱いになるまでの一年はあっという間で、家族(父、増田を含む兄妹二人)は通院をはじめとした外出に抵抗を示す母を引きずって病院に通いながら、減った収入補填すべくがむしゃらに働いた。

診断:鬱病。加齢によりが少し体のある器官のせいで、全盛期に比べ仕事効率が目に見えて落ち、生きがいだった仕事への活力が失われたことが原因ではないかとの意見

まだ地獄ではなかった。


躁転期(地獄

時期:六年前

症状:何をするにも無気力食事を採らせるのも一苦労、10キロ以上体重が落ちほぼ寝たきりの状態だった母から仕事中の増田電話がかかってきた。

内容は「お前を大富豪にするビジネスプランを考えた。今すぐに実行しろ、金は私が出す」。

我が家に金なんてない。

妹に対しては「お前を玉の輿にのせるプランを考えた。」という電話があったらしい。

その後、仕事中に着信が1分1件ペースで入る。

躁鬱に対する知見が全くないので家族パニックに陥り、全員が仕事を早退し家に帰ると、見違えるほど元気な(元気すぎる)母がいた。

躁転時にやらかしたことは下記に箇条書き

投資マンション契約をしようとする(一番やばかった、本当に手付け金が帰ってきてよかった)

キッチンをめちゃくちゃにする

風呂場に調味料をぶちまける

アドレス帳のすべてに電話を何度も何度もかけまくる(母本人の希望で疎遠にしていた人含む)

テレビを壊す、壊れたからといって過剰に大きいサイズテレビを買う

・そのほか高額なものを買いまくる

・「私の考えた最高のビジネスプラン」を話しすぎて、喉が切れて血が出る。血が出てもまだ話すので、口元からずっと血が垂れ落ちている

などなど。今から考えると「自殺こころみる」が含まれていないのは、本当にラッキーしかいいようがない

診断:「わたし鬱病は治った」と言い切る本人をなんとかだまくらかして病院に連れて行くまで半月、その間に家の中は大惨事。様々なものクーリングオフ迷惑をかけた方々へのお詫び行脚に明け暮れる。

医師は「躁鬱の波が長いタイプ。鬱が最初に来てしまったので、診断できなかった」とのこと。

なんと躁鬱に効く薬と鬱に効く薬は全く別で、医者家族も効くわけもない薬を無理やり嫌がる母にのませていたのである。「効果ありませんね~」じゃねーよ、とこの時は思った。暴れるのを抑えるための措置入院を経て、三年間見たこともなかった名前の薬に変わる。

回復

時期:五年前~

症状:正しく躁鬱の薬を処方されてからはかなり早く、措置入院は1カ月、その後はテンション上下自体はあるものの、順調にその波はおさまっていった。勿論きちんと薬を飲むか等、かなり細かく監視必要はあったが、「鬱だな」「躁だな」と判断出来るようになったことで、家族全員がだんだんそれぞれのパターンでより刺激しない接し方を覚えていった。

また、この頃、自分が通院する必要性について自分でやっと理解できたように見えた。激しい鬱期は被害妄想が強く、躁期には「治った」と思いこんでいたため。

少しずつ少しずつ安定した生活習慣を取り戻し、知り合いのツテで仕事にも一部復帰。(突発的に休む可能性がかなり高いにも関わらず専門性の高い仕事に復帰させて貰えたのは奇跡しか言いようがない。復帰後の職場の皆さんには、今でも、母も自分も頭が上がらない)仕事をするようになってからは、自己肯定感が増し、安定している頻度が増えたように感じた。働くことはプレッシャーであると考えていた自分には意外だった。

寛解

時期:三年前

診断:「寛解

精神病には、基本「全治」はないという。

骨がくっつきました、とかと違って明確な基準がないため。

勿論再発しない限り、引き続きの治療必要ない。

が、家族から見ると、一度病気を経た母は少し罹患前より変質しているようにみえた。9割5分、記憶のままのマトモな母だが、やはりどこかしら違ってしまたことがあるように感じた。

私が好きだった母と全く同じものは、もうどこにもいないかもしれない。それは少し寂しかったし、それこそが「寛解」と「治癒」の差かもしれないと感じた。再発のリスクは、限り無く少ないが、ゼロではない。


最近

おまけ。

寛解から三年たってようやく、「あのころこうだったね」等の振り返りを当人含めてできるようになってきた。妹は良く「玉の輿に乗る方法」の話をして笑いをとっている(※妹は未婚)。

しかしたら病気になるまえの母はストレスを押し殺していて、本当の母ではない=今の母が本当の彼女の姿なのかもしれないと漸く思うことができた。確かに記憶の中の母よりもほんの少しだけセンシティブである

でも我が家はこれを乗り越えられてよかった。家族みんなが、自分ストレス閾値を考えられるようになり、出来ないことを頑張りすぎないようになった。そして家庭の外でも、頑張り過ぎようとしている人に優しく出来るようになった。人間的成長ではなく、壊れたらより損失が大きいことを身を持って知ったかである

結果、皆母のために暫くの間キャリア犠牲にはしたが、最終的には職場での評価はあがった。

振り返ると家族の中に三人働ける人間いたこと、子供二人はまだ未婚で家族以外にかける迷惑が最小限で収まったこと、そして三年の膠着期間を経たとはいえきちんと正しい診断がおり寛解に至れたこと、様々な幸運に助けられたんだなと思う。

かなりベストに近い形だとは思うが、それでも躁に転じたとき二段回目があるのか、この先もっともっとおかしくなるかもしれないという底知れない恐怖ははかりしれない。母がどうこうというより自分だっていつかは、ああなってしまうかもしれないと恐ろしかった。

これはただの日記から伝えたいメッセージとかは無いけど、

周りにもし近い状況になっている人がいたら情報共有したい経験ではあるし、我々のように幸運が重ならなかったとしても、何からセーフティーネット患者家族がなんとか生きていける社会であればいいなと思う。

2018-01-08

anond:20180108133709

自分躁転する前もそんな感じだったわ。

何を見ても美しく感じて、些細なことに感動するような。

うつで凍り付いていた感受性が元に戻って、豊かになったんだなーと当時は嬉しく思ってたけど…。

増田さんは自分のことを客観的に見れていて大丈夫そうだけど、一応お気をつけて!

2017-11-28

朝弱い私の半生【追記あり】

朝に弱過ぎる私の半生について語りたい。

幼稚園時代

朝に弱い傾向は覚えてないが、この頃から超面倒臭がり屋。

確か、年長くらいまで母に着替えさせてもらっていたと思う。

母に、「こんな年になってお母さんに着替えさせてもらってるのなんてあなたくらいよ」と言われるけど、平均的な園児の平均的な着替えのスピードなどは分からない。

小学校時代

基本的に間に合わない、起きれない。

小学1年生頃くらいまではまだちゃんと登校班に間に合うように行っていた気がするが、学校が好きではない事もあり、徐々に「登校」に燃え尽きていく。小学6年生になる頃には、半分以上登校班に間に合わなかった。そういう時は、1人で走って学校へ行った。夏休みの朝のラジオ体操は、2回くらいしか行ったことがない。毎日行っていたという人がいるが、私とは全く別の種の人間だと思う。

中学校時代

ギリギリ登校。遅刻をする人がクラスメイトから悪口言われているのを見て、頑張って登校するが、やはりギリギリ。早く起きれないから、女子で仲良く登校しているグループに入れなかった。

無理やり身体を起こして、半分寝ぼけたような顔で学校に来るから、よく笑われた。髪とかも、ボサボサでみっともない事が多かったと思う。体力がなくて部活は辞めてしまった。夏休み冬休み部活練習も、行く気になれなかった。中3になり、受験で塾に行くが、せっかく授業料払っているのに疲れて寝てしまう。勉強したいのに、身体がついていかない。ここら辺から学校に行けないことが増えて行く。遅刻も増える。このあたりでうつ病っぽくなってしまった。志望校には受かったものの、おそらくこの時期に大きく心と身体を損ねてしまったと思う。

高校時代

眠い。授業に全く集中できなくなった。登校は、良くてギリギリでほぼ毎日遅刻。遅刻する自分が嫌で、遅刻する事に何か言われるのも嫌で、自己嫌悪もひどくなっていくし、登校日数すら危うい。学校生活に支障を来していたので、この頃から心療内科に通う。夜眠れる薬をもらったが、効きすぎて翌日さらに眠かったり、元気を出す薬も効きすぎて躁転したりした。本で発達障害のことを読んで、私はADHDではないか医者に言ってみたら、やはりADHDだった。しかし、当時はリタリン規制されてしまった時期で、ADHDの私の症状に処方する薬はなかった。

死にそうになりながら、受験シーズンがきて、やはり塾に通う。先延ばし傾向の強い自分は、塾に行かなければ勉強しないと思った。しかし、やはり言われたことをできない。夏期講習も、参加して勉強したいのに、起きれない。勉強のできる男子が、私のことを批判して、本当に辛かった。詳しくは書かないが、彼の言動は何年もトラウマになり、私を苦しめた。結局学校自体の成績も悪く、偏差値も伸びず、私は浪人してしまった。

浪人時代

再び、眠い。勉強しようにも、様々なトラウマが蘇る。しかし、週2で予備校に通っていたものの、週5回毎朝起きて、学校に通うという習慣がなくなったのは良かった。予備校は夕方だったから。元々面倒くさがりな私が浪人で勉強するわけもなく、よくネットをやっていたので、家族から批判された。しかし、座ることさえ苦痛になった私が、せめて熱中できるのが、ネットと本だった。

英語の音読はとりあえずやっていたが、私が早稲田慶応マーチにも受からないことは明らかだった。そもそも、この状態では社会人にとしてやっていけるかさえ危うい。「社会人になったら大変だよ」「社会に出たらそんな事は許されない」みんな言う。今でさえ大変なのに、これからもっと大変なのか。私は、本を読んだり、知識を頭に入れることが好きだ。だから大学には行きたい。しかし、その先、働いたとしても、上手くいかないのではないか

いつでもベットと本があった浪人生活。こんな風に、生きていけたらなあ。

昔は大学卒業して無職で家にいる女性は「家事手伝い」と呼ばれ、それなりにいたらしいが、今の世の中だとそれでは「ニート」だし、聞こえも悪い。家族も私の将来を心配するだろう。

もう一つ、大学卒業後「家でゆっくりする」生活を手に入れるとしたら、それは専業主婦になることだ。そして当時、婚活、という言葉が流行り始めた。結婚できない女性が増えているらしい。そして、奥さんが専業主婦できるくらいの年収の男性も減っているらしい。ならば、早いうちに準備しなければ。稼げて、かつ、生涯を共にしてもいいと思えるほど愛せる人など、きっと何年かに一度しか会えない。私は、こんな私をバカにし、理解しない家族や、嫌な思い出のつまった家を早く出たい。新しい家族が欲しい。幸い、私はまだ若く、容姿も良い。私の最大の武器

志望校は、早稲田慶応も受けたが、もちろん撃沈し、あとは男ウケの良さそうな女子大を受けて、その中の一つに合格する。この頃から婚活意識して志望校を選んでいた。(本当は高学歴学校に受かるのが一番良い。優秀な男にたくさん出会えるから。)

大学時代

受かった女子大は家から遠く、やはり朝がキツかった。2限より前の授業に遅刻せずにいけたことなんて、数えるほどしかないと思う。お嬢様で育ちの良い女子大生たちは、ほとんど授業をサボらず、皆真面目だった。服も髪もメイクも、本当にみんな綺麗。その中で遅刻しがちで、寝ぼけた顔で大学に行くのが嫌だった。相変わらず、どうしようもなく朝が苦手だった。もう、遅刻することとか、何か色々言われるのが嫌で、大学ではほとんど友達を作らなかった。

サークルには入った。音楽が好きなので、軽音サークルボーカルギターをやった。先輩になってくると、バンドを組んで、バンドリーダーという立場にもなった。歌とギターが上手くなりたくて色々頑張ったこと、人前で大きな声で歌ったこと、ギターソロができるようになったことは自分の中で大きなプラス経験になった。ここで、念願の優秀な彼氏もできた。男子校育ちでモサかったので、そこは私が磨いた。彼氏にもメンタル的に支えてもらい、いろんな事に挑戦するようになった。飲食店バイトギターを習う。ボランティア読書会浪人してしまったが、やはり大学には行って本当に良かったと思った。

就活

大学3年生の終わり、就活の時期がやってくる。ここでまた、私の朝の弱さと先延ばし傾向が炸裂した。

まず、ESが書けない。面倒くさい。要領の良い人は、「一応受けとく」レベルの会社でも、さーっと書いてさっと出す。私は、書けない。やりたくない。夜、書こうと思ってPC開いたは良いものの、書きたくなさすぎて朝になる。会社説明会は4割くらい遅刻。自己嫌悪で自信がなくなり、また受からなくなる、できなくなる。

結婚の話もちょくちょく出ていた彼氏は、やはり私が就職しない、というのは嫌らしい。旦那の親から見ても、優秀な息子の彼女が就職できず無職というのは、今の時代恥ずかしいのではないか。優秀な彼氏にふさわしい妻になる彼女として、どうしてもどこかに内定をもらい、就職しなくてはいけない。

自分が、社会に対して何ができるのか。今まで、私が褒められた事を思い出す。私は容姿が良く、友達は少ないものの、コミュ力には問題ない。元気で礼儀正しいと言われたこともある。ブラック低賃金と名高いが、販売職で明るく物を売ることならばできるのではないか椅子に座ることが苦手だから事務職視野に入れなかった。

確かに、彼氏もこの世の中、彼女が一度も社会人経験なく専業主婦になる、というのも不安だろう。ある程度社会を知ってから結婚した方が良さそうだ。

最後の方は一ヶ月に一回、会社を受けるというペースで、私はなんとか販売職に内定をもらった。

販売職時代

数年前炎上したブログに、「社会底辺の人とは関わってはいけません」https://ameblo.jp/akky-0829/entry-12188216276.htmlというのがあったけど、販売職はまさにこういう世界だった。いや、このブログはさすがに極端すぎるけど、残念ながら、大方賛同できてしまう。私はここで、巷で噂される「若くて可愛い子に嫉妬して悪口を言うおばさん」を初めてみた。一日中、イライラしている大人を初めて見た。それでも、人が足りないからと言う理由で彼らは雇われているのである。私は遅番が多く、昼から出勤が多かったから、朝の弱さは軽減された。しかし、基本的ギリギリ出勤ではあった。基本、先輩よりも遅く来た。出勤が昼とはいえ、30分も早く売り場にいることが生理的に無理だった。ある日、私の評価をつける人が、「店の準備」の評価項目にCをつけた。毎日商品の埃を払ってフロスなどを熱心にかけているのに、なぜここがCなのか。上司に聞いてみると、ギリギリ出勤だからだと言う。おいおい、そういう準備も、規定就業時間の中に入っているんじゃないのか。ギリギリでも、時間内に来てるんだから、せめてBでしょ。会社に、強く不審感を抱いた。

一方で、私は働く楽しさも感じていた。私は、よく売れる販売員となったからだ。それは、私の容姿愛嬌コミュ力のおかげだ。また、商品提案のための勉強も進んでした。そして、若い私は男性社員からも気に入られた。しかしそこがまた、先輩から気に入られなかった要因でもあった。いじりとしても、先輩からキツイ言動が増えた。その頃からまた、私は心療内科に通うようになった。当初の予定通り、専業主婦になって辞めればよかったが、人手不足の中、辞めて良いものかわからなくなっていた。まだ若い私は、色々なことが経験不足で、判断がつかなかった。

色々あって、ああ、もう、キツイなと思った時、退職を考えた。このころあたりに、結婚した。職場に行くのもキツくなったときに、休職し、傷病手当をもらって辞めた。旦那に養われながら、傷病手当をもらいながら、ゆっくり休むことにした。この頃、ストレスでガリガリになっていたが、念願の専業主婦になる夢がやっと叶った。

専業主婦時代

本を読む。RPGのゲームをする。ジムに行って、身体を鍛える。ギターを弾く。散歩する。

ささやかな、やりたいことを色々やった。この頃あった友人に、「なんか綺麗になったね」と言われた。

しかし、念願の専業主婦になったにも関わらず、私の中にはある思いがあった。

「このまま、20代半ばにして専業主婦で過ごしていて良いものか」

他の同年代はみんな働いている。そして、私はどうも、仕事ができない方じゃない。子供を産んだら、子育て中心の人生だ。それで良いのか。私は、働けばお金になるのに。

そこで、転職活動を始めた。しかし、職歴販売職のみ20代半ば既婚、いつ妊娠するか分からない私はなかなか良い職に受からない。しかもここでまた朝弱いが発動、面接もしばしば遅刻してしまう。

やっぱり私はダメなのかな。

そう思った矢先、親戚の保険のおばちゃんに声を掛けられた。正直、保険営業に良いイメージはなかったので断った。しかし、給料も販売よりずっとよく、女性が働きやすい環境で、福利厚生もしっかりしているという。とりあえず、面接だけは受けてみないか。そう言われ、とりあえずで受けに行くと、トントン拍子で面接が進み、あっさり合格。保険営業には抵抗があったが、他に受けた企業よりは条件が非常によかったため、挑戦してみることにした。

保険屋時代

最初は、毎日16時帰りで研修をした。保険についての授業を受ける。保険を売るための試験に受かったら(みんな受かる)いよいよ営業活動である

相変わらずのギリギリ出勤だが、このころ、やっと安定して朝9時の出勤時間に間に合うようになる。20代も後半に差し掛かり、やっと。

しかし、本格的に営業が始まると、やはり体力的にキツかった。荷物も重い。大抵の保険屋の女の人は、バッグを二つ持っている。一つは財布やポーチなどを入れるバッグ、一つは資料お客様の提案書など、書類を入れるバッグだ。自分が保険屋になると、他の保険屋が分かるようになる。保険屋さんって、いっぱいいるんだなあ。

1週間のうち1日は、出勤だけして、疲れて何もできない日があった。そう言う時は、カフェ図書館時間を潰して、適当報告書を書いて一日が終わった。情けないけど、この一日があったから、私は今まで続けられたと思っている。

数字の方だが、私は順調な方であった。しかし、その順調な数字も、多少無理して働いた結果であった。週1日は休む日を作っているとはいえ、疲労でキツイ日も多かった。それでも、1年は続けようと思った。保険営業でやっていけたら、他のこと何でもできるような気がした。自信がつくと思った。確かに1年は、私は頑張った。しかし、段々とまた、身体が弱っていった。風邪を引きやすくなったり、頭痛や腹痛も増えた。

私は愛嬌保険を売っていたと思う。愛嬌で近づき、仲良くなり、アポをとり、上司が提案する。しかし保険知識があるかと言われると、あんまりだ。形が見えない商品は、イメージしづらく、正直あんまり興味が持てない。飛び込みも、営業先の企業で知らない人を呼び止め名前と生年月日聞くのもキツくなってきた。

この仕事を続けて2年。同じ時期に入った同僚が半分以下になる中、私はよく頑張ったと思う。

今月、私は上司退職したいと申し出た。

最近は会社も休みがちになってしまい、今日も会社を休んでこの増田を書いていた。

私が今、会社を休みがちになってしまったのは、朝弱いにも関わらず、無理矢理にでも9時に出勤し続ける生活をして、また壊れかけてしまったのだろうなと思っている。

はいだって、他の人とは違うと言うコンプレックスに苛まされていた。普通になりたい、普通になりたいともがき続けた。一日中、寝っ転がって本を読むような生活だってしたかった。でも、誰かの役にも立ちたかった。いろんな思いがグルグル回って、色々やり続けた。

私は今、27歳。昔よりは色々落ち着いて、大人になった。自分のこともよく分かった。

ひとつ、これはもう辞めようと思ったことがある。それは、週5のフルタイム労働だ。体力的にキツイし、学校でも、会社でも、週5で何かして良い結果を残したものはない。幸い、旦那高収入から基本的には週5でフルタイムで働くことはなさそうだ。しかし、人生何があるか分からいから、お金を稼ぐ手段は手に入れたいと思っている。

いや、それにしても、私は生きてきた。思うに、色々やっていれば、人の能力は年々高まって行くものらしい。朝9時出勤も、ずいぶんできるようになったし、寝つきの悪さもかなり改善した。仕事終わりにササっと美味しい手料理を作り上げた日など、旦那からはあまりの変わりように「お前は誰だ」と言われたものだ。

欠点があっても何とか色々頑張ろうとがむしゃらに生きた結果、今があるのだと思う。

誰がこの増田を読んでいるかからないけど、読んでくれた人、ありがとう


【追記】

書いた当初、自分としては力作に関わらずあんまり反応がなかったので、残念な気持ちになっていたのですが、昨日夜見たら色々反応があって嬉しかったです。

反応をいただくのは何でも嬉しいですが、「読んでよかった」「人の半生は面白い」「頑張ったね」などの言葉は特に嬉しかったです。

ありがとうございます普通の人が普通にやっている事が私にはとても辛く、例えできたとしても世間では「当たり前」ですから、自分が頑張っていることが認められていない気がしていたのです。本当に、ありがとうございます

元増田が能力が高い、勝ち組、若くて容姿の良い女はイージーモードだと言う声について

まずは、ご意見ありがとうございます

あの記事は、また会社を休みがちになってしまい内面的にもグダグダになり、誰かに自分がADHDであり、朝が弱く、辛い人生を送ってきたと言うことを誰かに急に吐き出したくなり、衝動的に書いてしまったものです。

匿名ダイアリーからこそ、自分は実は発達障害で〜などと秘密にしていることも話せるように、「私は若くて容姿が良い」など、現実世界ではちょっと言えないようなことも吐き出すことができます。普段人に言えないようなことがかけるからこそ、魂の叫びのような記事を読めるのも、増田醍醐味だと思います

知り合いには誰にも見せない日記から、私の良いところも、悪いところも正直に書きました。日本謙遜する文化から、はっきりと「私は容姿が良い」などかくと、自慢に聞こえてしまったかもしれませんが、私の人生を語る上で、これは重要ファクターでした。

正直、私は発達障害者にしては恵まれている方だと思います。しかし、これはあくまで「発達障害の中では」と言う話であり、やはり人一倍辛い人生を送ってきました。

この記事コメントにも死にたい、とありましたが、死にたい、と思って死ねる人なんてほぼいないと思うのです。私は小学校低学年の時から死にたかったですが、結局、人間苦しくてもよっぽどのことがあっても死ねないのです。死ねなかったら、生きるしかないじゃないですか。それも、なるべく苦しくないように。

から、私は自分が持っているものを、最大限使おうと思いました。その事実を書きました。

自慢したかったのではなくて、「そうやって生きてきた」と言いたかったのです。

あと、ちなみにイージーモードではありません。

美人からと言って何でも許される訳じゃないんです。

それに、遅刻はするわ色々ミスするわなのに、「可愛いから」もしくは「イケメンから」という理由でモテてたり、かわいがられる同性の同僚がいたら、ちょっと嫌じゃないですか?なんか悪口言いたくなりませんか?私だって、そんな人が周りにいたら、少し黒い感情が湧きます容姿の良さが仇となることもあるのです。

・そこまで朝弱いのは起立性調節障害や低血圧では

血圧は十代のころから低めでしたが、目立って低い訳ではありませんでした。

大人になって、疲れやすいと言うことで甲状腺の病気を疑い、検査したりしたのですが、結果は到って健康でした。正直、体のどこも悪くないのです。

しろ今の会社の上司が、女性営業職10年と言うことでかなりバリバリ働く人なのですが、健康診断の数値で低血圧で引っかかっています。しかし、普通にバリバリ働いています。本人曰く「気合い」だそうです。体の色々な数値よりも、結局「気」と言いますか、生命エネルギーのようなものの方が大事そうです。私には、それが足りないようにも思います

起立性調節障害については確かに、十代の頃、親が調べてくれればよかったな。。。肝心の母は私が朝全然起きれないことを母の母(つまりおばあちゃん)に愚痴ってた。。。私が発達障害な事もあんまり認められない感じだったし。父母共に優等生だった故か。もう過ぎた事だけど、書いてて悲しくなってきたわ。もうフルタイムでは働かないって決めたから、もう治療する気もないけど、子供の時に親がもっと色々やってくれればと言う思いは確かにある。学校が辛くても、せめて家庭だけでも私を受け入れてくれたら。子供の時の記憶は、悲しい事ばかりです。

・朝の時間を守ることを以上に重要視するせいで道を踏み外す人が結構いると思う

私もそう思いますそもそも人には色々リズムがある訳で、全員朝9時出勤と言うのも無理があると言うのも同意です。遅刻する人に対する嫌悪も、「自分は周りに合わせてこの時間に来ているのにお前はゆっくりしやがって」という嫉妬なのかもしれません。

あと、大学の授業でやったのですが、日本人はとても均等性を重視するのだそうです。なので、その観点からも、遅刻をする人は「均等を乱す」ため、好かれないのもしれません。

・朝起きれないのは自己肯定感の低さが原因だった

自己肯定感が低いと、全てにおいてレベルが下がりますよね・・・私も、旦那暮らしから急速に成長したように思います。これから私はしばらく子供も作らず好きに生きる予定ですが、それは自分の自己肯定感を上げるために、必要な期間であるように思います

・小規模な会社なら増田の働けるところがあるかも

そうですね・・しかし、周りの人たちに聞きますと、大企業より中小企業の方がブラックなところが多いようで、就職先として探すのは尻込みしてしまいますコメントをくれた方は人を雇う立場なんてすごいですね。何かのご縁があり、あなたのように寛容な人の元で何かしら活躍できればそれはとても素晴らしいことだと思います

2017-08-03

鬱躁で躁じゃないちょっと躁鬱

僕がまだ思春期だったころからときどき気分が上下するときがある

ニュートラルな時期はそれなりに楽しいし、それなりに疲れる

鬱っぽい気分のときはあまりキッカケがなくて、とにかく何もやりたくなくなる

出社するのは億劫で、昼飯は他の社員と話したくないので、弁当を買って一人車のなかでたべてる

定形仕事以外は本当に苦痛で定時で帰れるように最大限の努力を重ねて、定時で速攻帰ってる

帰宅しても何もやる気がなくて、ぼーっとPC増田とか掲示板を見て眠くなったら寝るという生活自分でもうんざりしているけれど止められない

一番つらいことは、趣味読書に対するやる気がなくなって「何をしても無駄」という気持ちでいっぱいになる

なんで生きてるんだろうって本気で悩むし、どうせ皆死ぬだっていう絶望感に包まれ

しかし、無気力でもこんな感じの状態が3日〜2週間くらい続いて、突然気分が晴れて普通の気分になるときもあるし、躁転することもある

頭痛がして耐えられなくなって頭痛薬を飲んで昼寝すると、躁っぽくなる

躁っぽいときは朝目が覚めるのが目覚ましより早いし目覚めが最高に良い

会社に行くのが楽しみで、クリエイティブ業務アイデアが山のように生まれ

仕事楽しいのでガンガン進むし、疲れをあまり感じないので少し残業もする

こんなときは誰に会っても物怖じしないし、他人意見積極的に聞きたいし、意見も言いたい気分になる

帰宅すると、本を読むのが楽しい

誇張なしで「世界のすべてを知りたい」というおおらかな気分になる

こっちの躁っぽい感じは3日くらいしかつづかなくて、1周間はつづかない

躁っぽい状態大学生くらいのとき、とくに夏休みに頻発してたけど最近は年に4〜5回しか体験できない

鬱っぽい症状は昔と頻度は変わらず月に1回くらいある

躁鬱病というにはちょっとマイルドすぎるんだけど、自分制御できない気分の上下に悩んでいる増田いる?

躁っぽいときの僕と、鬱っぽいときのぼくでどちらが本当の自分なんだろうって思う?

会社では平常心を装ってるけど、気分が沈んでるときは誰とも話したくないし、気分が良いときはっちゃけたくなる気持ちを押さえてる

みんなどうやって対策してる?

2017-05-18

しか躁転双極性障害ではないので正しくはない)してるんだが、ここ3〜4年の俺は「これから異常行動をするだろうが異常行動に対する被害を最小限に食い止めるため異常じゃないような方法を試みる」ということを行うようになり、30歳位のころに心のバランスを崩した俺が新小岩自転車を片っ端からしまくっておっさんに殴られた挙句とつぜん三ノ輪ワープしていたあの頃と比べたら(30でそれか)老成したものだなあと思う。こういうこと書いてるのも含めて躁状態に類する精神状況といえる。

2017-05-01

http://anond.hatelabo.jp/20170501003325

助言ありがとうございます

双極性うつ病抗うつ薬を使ってもよいのかどうかは、専門家あいだでも議論が続いていて、決着がついていない問題のようです。私の主治医最初抗うつ薬を出すのをかなり渋っていましたが、1ヶ月近くお風呂に入れない、歯も磨けない、外出もできない状態が続いたとき、「本当は出したくないけど…」と言いつつ、ごく少量の抗うつ薬を出してくださいました。そのおかげで少なくとも1年くらいはまともに動けていました。

私が知っている限りでは、抗うつ薬を最も避けるべきなのは双極I型障害の方で(私は双極II型障害です)、三環系抗うつ薬特に避けるべきであり、抗うつ薬単剤での使用は勧められない、抗うつ薬を用いる場合は必ず抗精神病薬気分安定薬と併用する、というものです(「臨床精神医学」46巻3号より)。

また、SSRI躁転リスクは非常に低いというデータもあります日本うつ病学会双極性障害治療ガイドライン」より)。

私は現在エビリファイベースSSRIをごく少量服用している状態で、SSRI服用開始後に特に軽躁とうつの波が大きくなったということはないと感じています

精神疾患のほかに内科疾患を抱えているので、どうしても総合病院精神科にかかる必要があり、セカンドオピニオンも難しい状況です。

そういった事情もあり、なんとか今の病院に再度受診できるように頑張りたいと思います

心配してくださってありがとうございました。

ブックマークコメントをくださった方もありがとうございます

1人心細い気持ちのなかで、勇気をいただけました。

2017-04-25

ナオトインティライミ違和感を感じる理由は彼の引きこもり経験関係してるのでは?

一度CDデビューをしたもののまったく相手にされず凹んでしまい、そのまま半年近く引きこもってたって話はあんま知られてない、彼自身キャラとしてそういうのを売りに出されるのもほじくり返すのも嫌だろうし、それは仕方ないんだが

まり誤解を恐れず言うと彼は陽キャラというより、躁転キャラに近いものがある、そこがあの独特の空回り感、サイコパス感に繋がっていったんじゃないかって気がする、側から見ると痛々しいからね、躁転っての

ただ彼の言動を取り上げてガチサイコパスだのクズだのいうのはい気持ちしない、人生うまく渡っていそう、悩んだことなさそうとかい偏見を盾に安全から石投げてる様は見ていて気持ちが悪い、重大な実害を誰かに与えたわけでもないのに

2017-03-16

http://anond.hatelabo.jp/20170316175812

抑うつ気分を伴う適応障害かもしれないし、非定型うつ病かもしれないし、双極性障害抑うつエピソードかもしれないし、診断名がつかない抑うつ状態かもしれない。

それは実際に医師の診察を受け、もっと詳細な問診をし、今後の経過を見ていかなければ分からないことじゃないでしょうか。

適応障害や非定型うつ病ならば抗うつ薬は効きづらいですし、双極性障害なら抗うつ薬躁転リスクがあるのが悩ましいところですね。

2016-07-27

http://anond.hatelabo.jp/20160727024446

双極性障害の人が躁転時に覚せい剤キメたらああい暴挙に走りそうだよね。麻薬だと逆にマターリしてしまう。

なんとなくあの攻撃性はSSRI副作用っぽい感じもする。たぶん双極性障害なのに、普通の鬱向けの薬を処方されて、躁転したとき攻撃性が増したのかな。

たぶん衆院議長あての手紙躁転時に書いたもので、その後、激鬱状態対処するためにSSRIが処方されて、というパターン悪寒

2016-02-20

死にたい。いや、死にたくはないんだけど、死んでしまいたいというか、苦しい。頭の中が死にたい一色になってしまうんだよなー。

鬱だかなんだかわからない状態になって1年半。

多分解離性障害なんだと思う。頭の中でずーっと音がする。正確には、耳鳴りと歌が聞こえる。

24.の時の最初医者から鬱と言われてそのあとの医者双極性障害と言われたけど、それから10年、

どうも、一時的な鬱→抗鬱剤ドグマチールパキシル躁転→躁だから双極性障害2型→パキシル中止してデパケン追加→眠くて仕方ない→やっぱり鬱ってなんなんだよ!12年越しの誤診ってなんなんだよ。

母親との共依存父親仕事に逃げてしまい、母親愚痴をずっと聞かされてた。

小学生の時、借金があると聞かされたし、母親父親に騙されて結婚した。農業なんてしなくていいって言われてたのに来てみたら家事と牛とで大変で、といわれて、離婚したらどう?って言ったんだよ。帰るところないから離婚できないっていわれたけどさ。

そういう風に自分の奥さんだけはしたくないって思ってたけど、結局結婚できなかった。

彼女できない、付き合い出したらすぐ別れてしまう。

仕事自治体非正規嘱託仕事がある分、恵まれてるのだとは思う。

あと、何人か、一緒に遊んでくれる友人がいてくれることもありがたいと思う。

こんな田舎、早く出て一人暮らしして、できれば結婚したい。1年前に別れてしまった彼女とできれば一緒になりたい。

無理だとわかっていても、グダグダ、ありもしない空想ばかり浮かんでくる。

カウンセラーと話す分には普通の人、らしい。

多分体が弱いとか未熟児ギリギリ出産とか学校勉強オール5体育だけ1とかから考えてなんらかの発達障害なんだろうな。

吐き出したら、少しは楽になった。少なくとも、今は死にたくない。死にたいなんて思わない。

今の医者は、あなたがやってることは小学生が靴が気に入らないと言って学校に行かなくてただこねてるようなものだ、とっとと学校に行けばいいのに。という。頭を殴られたような感じだった。これが本当の精神療法なんだろう。お説教して診療報酬330点か。今までの医者はなんなんだ?

はてな上場しても、増田だけは無くさないでほしい。

広告ならいくらでもクリックするから

2015-08-08

躁うつ病になって悟ったこと

うつ病発症し、そのリバウンド躁病になった。

毎日が楽しくなって活動しまくった。

SNSで知らない人が何か面白そうなイベントをやると告知したら、すぐに参加したりしていた。

それで悟ったことがある。

 

人生を本当に楽しめているのは、一部の人間だけだということに。

 

もちろん大多数の人もそれなりには人生を楽しめるのだが、

ある種の人の楽しみ方は、それ以外の人とは全く次元が違う。

 

彼らをオプティミスト(楽観主義者)と言えば、イメージに近いが、

それとも少し違う気がする。

 

しかし、ここでは便宜上彼らをオプティミストと呼ぶ。

それらの人は、他人交流する時に

「気まずいなぁ」とか「どう思われてるだろう」とか「何を話せば良いんだろう」などと気をもんだりしない。

普通の人は気まずい場などに居ると偽物の笑顔の下で冷や汗タラタラ胃はキリキリという事が結構あるが、

オプティミストは、どんな現場でもあまり気まずさや居たたまれなさを感じない。

から、思いついたアイデアをすぐに試せる。

普通の人は何か楽しそうな事を思いついても、関係者がどう思うかを心配して、実行しなかったりする。

 

例えば街を歩いていて、たまたま空き店舗を見つけたとする。

すぐに不動産屋に電話して、賃料などを確認し、立地などからできそうな事を想像し、

その場でスマートフォン関係するキーワードSNS検索して、初対面の人に連絡を取り、

日程を調整し1週間後には飲み会主催して、情報を集める、

などという事が、何の心理的抵抗もなく行える。「自分素人から。。。」などというマイナス思考は一切ない。

別に本気で起業しようと思ってるのではなく、単に面白いから、という理由だけで実行できてしまう。

から街をダラダラ歩くだけでも、誰か知らない人と話をするだけでもワクワクしっぱなしなのだ。

普通の人では上記のことは、よほどアイデアに自信があったり、何か逼迫した事情がないと実行できないだろう。

 

見ず知らずなのに、いきなり「飲みませんか?」などと誘ってくる人に乗っかる人はたいてい

オプティミストのケがあるので、そういう人で集まって飲むと、すぐに具体的な話がどんどん進んで行く。

その過程で、情報収集の為に一緒に旅行に行ったり、イベントに参加したりする中でフィルタリングされ、

本物のオプティミストだけのグループ形成される。

なぜなら「最初アイデアたまたますごく興味があって参加した普通の人」は、

話し合いの中で出てくる、ほとんど本筋と関係ないようなイベントには参加しないからだ。

オプティミスト目的が違う。成功することが目的ではなく、その過程を楽しむことが目的なのだ

からわざとそういう人だけが残るように最初の呼びかけと関係ないイベントを発案して実行したりしていた。

単なる好奇心でそうしていた。

 

私はその途中で躁状態が解除され、普通の人に戻ってしまったので、

今では当時知り合った人のSNS情報を見るだけなのだが、

流れて来る情報には偽物の「楽しんでますよ」感が全くなく、

本当に心から人生を楽しんでいることがわかる。

全員が全員社会的成功しているのも面白い

当時はただの学生だったり、サラリーマンだったりした人も、

あれから数年経って、みんな職業は違うが、

経営者だったりエリートサラリーマンだったり議員だったり、

みんなそれぞれ成功したり、成功しつつある。

最初から有名だった人も多勢いた。

堀江さんとかひろゆきさんとか家入さんとか。

(彼らには思考文体からすぐにバレるだろう。突然連絡取れなくなった奴が私です。当時は失礼しました)

 

私だけが何もできない泥沼のような中を無為にダラダラと過ごしている。

当時の連絡先を使えば、容易に成功が手に入ることはわかっているが、

恐ろしくて実行できない。

当時の知り合いから連絡が来ることもあるが、

電話番号を変えて、メールSNSにも一切反応しない。

すぐに色んなことに誘われて面倒だからだ。

今では、ただただ、ひっそりと無難に生きて行きたい。

 

でもたまに当時のことを思い出して、みんなが羨ましくなる。

 

あ、素人童貞だった自分がやっとの事でゲットしたモデル彼女には、すぐに振られました。

 

8/9 1:50 追記

ホッテントリ入りしてるのに気が付いたので、多勢に変に誤解されないように追記。

 

リバウンド躁病になった」というのは確かにおかしいかも。医者にも「躁転してますね」って言われたんだった。

当時は「これは躁じゃないよ。本来自分だよ」と思って気にもしてなかった。病院にもすぐに行かなくなったので、ちゃんとした病名は不明

躁鬱の人がこんな文章を書けないってのは、どういう意味かよくわからないけど、今はうつ病ではないです。普通の状態です。

強いて言うなら、生活不活性病気味ではありますが。

即行動でウェーイの人が孤独ってのは、意味がよくわからない。私の知人は、心の中まではわからないけど、心底人生を楽しんでいるようにしか見えない。

あと私自身がウェーイ系の人と相性が良くないので、あまりウェーイな人とつるんでる認識は無い。ウェーイの人の事はよくわからない。

ハイテンションというのも、ちょっと違う。大声を出したり騒いだりは、みんなしなかった。「カンパーイ!!!」とかほとんど無かった。

ただ「これどうですかね?」「へー、面白いね。やってみよう」みたいな方向でノリノリではあったけど。

一部シェアハウスに出入りしてた時期に「あー、これがウェーイ系かー」と感じたことはある。そういう人は確かに空虚な感じがした。話もあまり面白くなかった。うるさいだけ。

急に性格変わったって人はひとりだけ知ってる。大学生のころに何かを悟ったらしいけど、その後も彼女はその性格10年以上維持してるので躁病では無さそう。謎。

でも、そんな人はひとりしか知らない。たぶん1000人以上に会ってるし、けっこう深い話(好きなんです、そういうのが)をしたが、自己啓発みたいなので性格が変わったって人はひとりも会った事ない。無理してるなーって人には結構会ったけど。

失敗してる人も多そうって言うけど、オプティミストから深刻な失敗の話は聞いた記憶がない。借金して大変って話は噂も聞いた事がない。軽い失敗は、楽しいからぜんぜん問題なしって感じだし。そういう小さい失敗なら、成功の数十倍はある感じ。

逆に普通性格だけど、頭が良かったり、少し意識が高くて行動力がある程度の人は、深刻な失敗をしてる人が多かった印象。

あと、オプティミストの人に共通するのが、すごく自然体なこと。変にテンションを上げたり緊張したり力が入ったり、他人攻撃したりする人はほとんど居なかった。

例えば堀江さんとかひろゆきさんがテレビとかで他人攻撃してるのを見るとわかるけど、あまり怒ってないんだよね。

不快感は示すけど、根に持たないし、すごく付き合いやすい。躁状態自分はけっこう失礼なことを言ったりやったりするけど、

普通の人は二度と会ってくれなくなったり、陰でグチグチ言ったり、サディスティックな表情で嫌味を言ってきたりするけど、

オプティミストはそんな事を一切しなくて、すごいサッパリしてたのが印象に残ってる。

2015-06-10

過剰服薬やリストカットは、双極性2型。うつ病じゃない

過剰服薬やリストカットは、双極性2型だよ。単極性のうつ病じゃないよ。

過剰行動が激しくて、危険レベルになると入院なっちゃって、それは双極性障害1型。

双極性2型なのに、単極うつ病だと早合点(誤診に近い)して、元気が出る方の薬(抗うつ薬)を出すんだから、そりゃ自殺もするよ。落ち込みと高ぶりの両極があるのに、自己否定感覚をもったままで高ぶったタイミングで、さらに元気が出る薬を飲んでるんだから自殺する最後障壁を、医療が取り除いてるっていう感じだね。

ここ3年くらいかな。躁転リスクが高いから抗うつ薬はキホン出されなくなったのは。オレは個人クリニックが信用できないから大学病院に移ってきたけど、双極性だと正式方針変更になるまで5年かかっている。その間も躁防止のリチウムは出てた。個人クリニックなら、今でも抗うつ薬だけのままなんじゃないか。ちゃんと精神病院に勤務して、双極性や分裂病(統合失調症)を診てきたのかな。あれだけ激しいのを見ておけば、自傷行動もそのマイルドバージョンだと分かりそうなもんじゃん。

よっぽどの陰性症状(落ち込み)のとき抗うつ薬とんぷくで出るけど、デパケン(前はリチウム)でクスリといったらそればかりで眠剤を少々という感じか。

最近の若者系のうつ病で、仕事は落ち込んでてできないけど(陰性)遊びはできる(陽性)というのは、双極性にしか見えない。芸能人うつ病自殺して、痛ましくて防げなかったのかなとなるけど、医者が陽性を見抜けなくてリチウムもらってなかったんだろうなと思うんだよね。それでも死ぬ人は死ぬから

ガンとか糖尿病とか、素人には治せないって認識するのに、精神疾患素人でも治せるって思っちゃうのが変だなと思う

2015-01-30

双極性障害パキシル

http://b.hatena.ne.jp/entry/ibaya.hatenablog.com/entry/2015/01/30/092600

このブコメ

双極性障害パキシルを多剤(大量?)処方したら躁転移(躁転のこと?)を起こす危険がある。そんな処方するのは藪医者

みたいなブコメ見かけたので。

自分双極性障害2型だけど、うつ状態が一番ひどい時で10mgx4錠(40mg)飲んでたよ。

1錠10mgから様子を見て、徐々に40mgまで増えていったんだけどさ。

もちろん躁転しそうだったら漸減していくんだろうけど、効かなかったら処方できる最大投与量までは増やしていくでしょ。

はてなーが大好きなDr.林もこう言ってるよ。

林:

双極Ⅱ型障害のうつ病相(7ヶ月と長いうつの病相です)に抗うつ薬は使っていけないのでしょうか?

そんなことはありません。むしろ抗うつ薬を使うのが常識です。

もちろん単極性うつ病のケースに比べれば、抗うつ薬の処方は慎重になりますが、だからといって使わないということはありません。特にこの【1185】では、つらいうつ状態が長く続いているようですので、一刻も早く抗うつ薬による治療を開始すべきです。

http://kokoro.squares.net/psyqa1185.html


「本当に○○だったら△△しない」みたいなこと言う人って、どういう立場の人なんだろうか。

2014-08-08

言いたくないけど

これ、もうかなりダメだよな。すごくおかしくなってる。

それなのに「ちょっと良くなって来た」とか言ってるあたり目も当てられない。

躁鬱の人間死ぬときはだいたい鬱状態の時から躁転したときから注意したほうがいい。

2014-06-21

躁病の時に彼女を作って分かったこと

仕事うつ病になり、そこから躁転して躁病になった。

ご存知の通り、躁病の時は何も怖いものがなくなり、すごく爽快な気分になり、なんでもできるような気になる。

その状態で異様な積極性を出して彼女をゲットした。

 

具体的には親の居ない若い娘を彼女に欲しいと思ったので孤児支援をするボランティアに参加し、

そこで知り合った娘を強引にゲットした。

親が居るとたぶん親は俺を受け入れることが出来ないだろうということから思いついた計画だったが、うまくいったのだ。

(なんせ無職40歳という高齢だ。親がいる18歳の女の子は俺と結婚してくれないだろう)

 

の子は親に性的暴行を受けていたせいか、めちゃくちゃ可愛いのに父親以外の男性を全く知らないという、俺的には処女な感じな子だった。

「なぜ親が居るのに孤児ボランティアで知り合ったの?」など疑問は多いと思うが、

かなり特殊な(俺にとっては幸運な)状況で知り合ったので身バレ防止からこれ以上具体的に書くのは自重する。

 

で、本題だが、普段の俺は全く積極性がなく人見知りでおどおどしていて、お察しの通り童貞だった。

しかし躁病の時の俺は異様に人懐っこく、誰とでも仲良くなって、いわゆるリア充である。かなりモテた。

複数女性関係を持ったが、その中から一番若くて可愛い子を選んだのが今の彼女だ。

しか彼女いわく、当時の俺はかなり怖かったそうで、すぐに別れたいと思うようになったそうだ。

しかし俺はその後すぐに躁病が治り、普段の俺に戻った。

俺的には躁の時のような全能感や積極性がなくなり最悪の気分なのだが、彼女に言わせるとこの俺の方が大好きなのだそうだ。

 

おいおいって感じがしないか?

普段の俺はこんな可愛い子には絶対に話しかけられない。

万が一なにかの間違いで話すきっかけができたとしても、たぶん挙動不審&キモい必死さで彼女からしたら気持ち悪くて付き合うなんて不可能だろう。

逆に躁病の俺は自信満々でぐいぐい彼女を引っ張って、色んなところに遊びに連れて行ったりして、

自己満足かもしれないが、彼女は色々経験できて充実した日々を送れていたと思う。

海外旅行スキューバダイビング乗馬陶芸教室北海道一周旅行洞窟探検牧場めぐり、などなど)

しかし、今では収入彼女生活保護費のみなので俺は貯金が減るのが怖いからひきこもり生活

もちろん彼女はそれに不満で、昔のように色々遊びに連れて行って欲しいという。

「躁病の俺だったらできるよ」と言うと「それだったらいいや」と答える。

今の生活は退屈で不満らしいが、昔の俺に戻るぐらいなら今のままで居て欲しいそうだ。

 

彼女からしたら、躁病の俺は怖くて嫌いだったが、強引だったので、流されるまま彼女になった。

しかし、普通モードの俺は可愛くて面白くて大好きなのだと。

たまに図書館に行って家をあけるとめちゃくちゃ寂しがるし、

俺はひとりじゃないと眠れないので寝室を別にしているのだが、しょっちゅう俺の部屋に来てすりすりしてくるし、

俺以外の彼氏など考えられないと言うし、間違いなく俺のことが大好きなんだと思う。

 

まり、なんというか。普段の俺は30歳後半まで童貞なぐらい女にモテない人生だったのに、リア充になったとたん童貞喪失し女に不自由しない生活になった。

しかし実はそんな俺は人間的には魅力がなく怖い人だった。実は普段の俺の方が彼女からしたら魅力的である

えーっとつまり若い女をこましたいだけの悪い男を女は好きになるが、実際に付き合ってて幸せなのは、俺のようなおどおどビクビクしたキモいである、という事が分かった。

 

うーん。うまく書けない。言いたいことは明確なのにうまく言葉にできないのでこれで終わり。

超能力者が俺の言いたいことをうまくまとめてくれる事を祈る。

2014-06-10

http://anond.hatelabo.jp/20140610030321

大人しく治療しようとしたが、実は双極性障害で、

治療したことによって躁転してそういう行動をとったのかもしれないな。

2013-10-28

アラサーメンヘラの現状

土曜日大学時代の友人の結婚式に行ってきた。これで自分以外の女性は全員結婚した。

一方の自分はといえば、一番初めに結婚した友人の結婚式前後して精神疾患にかかってしまった。

適応障害の診断に始まり抗鬱剤を飲みつつステージ4まで肝がんが進んだ父親の世話をしていた頃の私は、かなりしんどそうに見えたらしい。実際私は女性にもかかわらず、友人の結婚式リクルートスーツで参列しようとして友人に諭されてようやくブローチをつけていたぐらいだった。

その後父親が死んでから躁転自分で何をしているのか何が起こっているのかわからないまま、気がついたら数年前に卒業した大学の近くにある精神病院閉鎖病棟で手足を縛られた状態で横たわっていた。数週間して個室に移ったあとも自由な外出もままならず、病棟廊下を死んだような顔で歩き回っている人たちの輪に加わっていた。

その後、半年ほど引きこもり、その間に私の病状を心配した家族から長年住んでいた家から引っ越したのちに、半年ほど精神科デイケアに通った。

そのころから、もう自分普通人間(いわゆる健常者)では、なくなってしまったと思うようになった。実際そのころはストレス精神病薬の副作用による食欲亢進のお陰でBMIが30位上になっていたし、今は父親の遺産社会で働いていた頃に入っていた保険からでた入院保険金で生活出来ているけれど、いつかは障害年金生活保護生活することになるのかなとぼんやり思い始めていた。実際私が通っていたデイケアの利用者の大半は障害年金生活保護生活しており、丸々と太っている人たちが大半だった。

いつだったか、ふとその話を母親にした時に、「そんなことがこれからも出来ると思うな。外に出て働け。働くことができなくても復職のために準備をしろ」と言われ、簿記1級の受験のために資格予備校に通った時期もあった。2級受験から5年以上立っていた上に、精神病薬を飲みながらだったから、受験直前期になってやっぱり無理だと思い、受験料だけ払って受けなかったけれども。

簿記1級を諦め、パートで1年働いている間に肥満外来に通って、なんとかBMI健康的な水準に戻した。その後契約社員ではあるけれども、中堅企業採用されてフルタイムで働いている。

でも、肥満だった証のだるだるの皮膚を見るたびに、閉鎖病棟にいた現実を思い返すたびに、もう私は普通ではないと思ってしまう。みんな普通に結婚して、子供も産んでいるのに、小学校の頃から結婚して家庭を作るんだ~などとのほほんと考えていた自分ができない立場になってしまった。

職場恋愛をしようとしても、会社には病気のことを隠しているのでできない。外部で婚活しようとしても、妊娠するためには断薬する必要があること、断薬すればまた躁転するかもしれないことを条件に結婚してくれる相手などいやしない。それに楽器演奏と月1のお笑いライブ趣味にしている今が一番ラクだと思っている自分もいる。

けれど、このままは嫌だ、自分にもパートナーがほしい、早く親元から離れたいと思っている自分もいる。でもパートナーは作れないだろうな、ある程度貯金がたまったら一人暮らしして、いきなり紐なしバンジーしたくなっても周りに心配かけないように物品の処分や死後の手続きについて書き置きしておかないと…

2013-07-29

http://anond.hatelabo.jp/20130728151347

それ躁転って言わない



自立支援法あるからほとんど薬代かからんだろ

保険も払えないなら病院相談して保護出してもらえ

2013-07-28

http://anond.hatelabo.jp/20130728151347

興奮してるんでよくわからん

うつって何?

躁転してるんなら働けるんじゃないの?

躁が出るなら双極性だろうしそれは薬のみ続けてるはずだし

リーマス増やしてもらえば良いんじゃないの?

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん