はてなキーワード: パンセクシャルとは
付け加えて言えば、ボーイズラブもガールズラブも、ますそれらを描くという前提から始まって、その読者が好きそうな容姿なり物語の筋なりに作品の各要素を最適化していると思う。
パンセクシャルが、というより性愛対象が同性か異性かで差別する感覚自体がない世界観を描いた結果論としてこの世界でいう同性愛が描かれる場合とはだいぶ作品のあり方が違ってくると思う。
なんといえばいいか。たとえば現実の恋愛でも背が高い人が好きな人もいれば少数派だが小さい人が好きな人もいる。ほっそりなよい人が好きな人もいればがっちりマッチョが好きな人もいる。
私の想定する世界観で男を愛したいか女を愛したいかというのがもしあるとするなら、つまりその程度のこだわりとしてあると考えている。
背が小さいのが好きというのと同じ次元で男が好きというだけ。
でも何にこだわりをもってるか人それぞれかつ、同性愛異性愛の概念がないから、基本的には男か女かにこだわりを持たない人が多いために、この世界で言う同性愛も異性愛もランダムに発生してるって感じかな。
ただ唯一同性か異性かで考える場合も作品に込めとかないとやはり作品として不自然にはなると思う。やはりそれは生殖問題になってくる。
これはちょっとどうししてもsfかファンタジー的な要素を世界観に持ち込まないと物語を動かせないところで、たとえば人間には二種類の繁殖過程があって、一つは各地に偏在する木からなる実から生まれるとして、もう一つの方法としていわゆる異性間のセックスがあるとする。
人々は木からの繁殖で十分労働力等確保しておて人口的には満足しており、社会的に子作りせよとかプレッシャーをかけられることがないとする。
それでも自分が誰かを愛するならその人の血のつながった子が欲しいというこだわりがある人ぐらいが、直接的に異性かどうかにこだわりを持って恋愛対象をあらかじめ絞るという感じ。
別に木じゃなくても、たとえば人類が文明を持つはるか以前に宇宙人が地球を支配して後の人類に無胎盤繁殖の技術を授けたとかなんでもいいんだけど、別にsfを見たいわけじゃなくあくまで物語を円滑に進めるための最序盤の舞台装置に過ぎないので極力主張が激しすぎない設定がよい。現実の恋愛の延長というかちょっと文化が違うだけのもう一つの地球として描きたいぐらいなのでsf要素不要に描ける方法あるなら即そっちが選ばれるべきだし
保健の教科書でも男と女がばらばらに描かれてて、それらの間で性交関係にあった人の矢印が男同士でも女同士でも普通に結ばれてる箇所があるみたいなページがあったと思うけど、ああいう感覚を漫画に落とし込めたらいいじゃないかって思う。
売れる見込みないならそれはそれでそもそも啓蒙要素が強いからnpoでも作ってそこで出版するのがいいかもしれない。
漫画はあくまで表現手法でしかなくて、娯楽目的以上の漫画を描いてはいけない理由も、娯楽以外の目的を漫画に持たせてはいけない理由もない。
愛の在り方が現実の何かから乖離した作品の話だと思ったんだけど、
現実の延長線上で、ただその世界におけるフォーマルな性的指向がパンセクシャルな話を求めていたわけか。
すまん、勘違いしていたわ。
観念としての同性愛とか異性愛みたいなのがそもそもない世界観で漫画って描けないものなんっか?
同性愛を忌避するからこそ同性愛というのはカテゴリとして切り出され名詞として概念化されるわけだし、同性愛って概念があるからこそその対比として異性愛っていうのがわざわざ概念化されて意識されるんだよな。
つまり恋愛対象を決めるためのファクターとしてそもそも性別を勘定に入れない文化、世界においては同性愛も異性愛もクソもなく、等しくなんらかの形の恋愛があるだけとなる。
そういう現実とは違う感覚の世界をわざとらしい説明文句なく自然と描いてる作品があったらLGBTqに関する啓蒙にもなると思うそう何より純粋に面白い
カテゴリとしてのボーイズラブっていうのは多様性に効果があるようで単純に男と男の恋愛を商品化してるだけ。男と男であるという組み合わせとしてむしろ性別という概念を強調してしまってるだけなんだよな。当然百合も同じ。
そうじゃなくてさ、たとえるなら源氏物語の光源氏みたいな遊び人が男も女も構わず、というより性別というファクターがそもそも考慮に入ってないために性別であえて見たら偏りなきいろんな人に手を出してるみたいな作品があればいいとおもうわ。当然世界観としてそうであるから、他の登場人物も現実の用語でいうなら全員パンセクシャル。(ただその世界観においては異性愛自体異端じゃないし概念としてないのでパンセクシャルという言葉を作中で使ったら不自然)
ただそういうの出したとき電子書籍とかでどのタグで売ればいいのか困るかが些細な問題。まあ普通に少年漫画でも少女漫画でもいいじゃねそこはむしろただの画風という視覚的な問題であって物語の筋はあんま関係ない
俺が少数派だということは承知しているが全男性がこうだと思われても困るので俺個人について書く。
なお俺は童貞&処女の20代後半、体の性も性自認も男のパンセクシャル(バイに似ているが、バイセクシャルが「男と女の2性」を対象とする(バイは「2つの」の意。バイシクルとかバイアスロンとかバイナリとか。)のに対しパンセクシャルは「男女以外の性や無性も含む全て」を対象とする(パンは「全」の意。パンゲアとかパンデミックとかパノラマとか。)という違いがある。俺個人としては「文章だけを見て性を判断できないのと同じように容姿や声を観測したところで性は判断できないだろ、エロいかどうかに性が関係あるかよ」という立場だが、パンセクシャルが全員そう思っているというわけでもないんじゃないか。知らんけど。)
途中で飽きてきたのが目に見えて分かる。
表のSNSに書けないのでここに。
当方30代後半、女。
パンセクシャル自認。バイとはちょっとちがう。(性別に隔てなく恋愛感情がある)
過去に彼氏も彼女もいたけど、セックスしたのは元カノ1人だけ。
相手は単純にセックスが好きでセフレもめちゃめちゃいて、毎日別の人と遊んでるような人。
私は女性経験しかないけど、男性もいやなわけではなく、でも今までご縁なく、積極的にパートナーとして探したいのも女性なので、元カノと別れてフリーな時でタイミングも良かったので、遊んできた。
男性は初めてだったから、身体を見るのもするのもされるのも初めてだったけど、何かもっとこう恥じらいとか興奮とかあるかな、と思ったけど、特に何もなかった。男も女も、全身その人の身体の一部っていう認識。口でするのもなんの抵抗もなかった。
入れられるのも初めてだったけど、一人でする時におもちゃは使うから開通してない訳ではなくて、それと同じで特に平気だった。
女性とする時は、いわゆるタチ、攻め。
男性とだったらどうかなーと思ってたけど、攻める方がはちゃめちゃ楽しかった。
攻めるって言っても相手のおしりに入れるとかじゃなくて、主導権を握る方。
押し倒して『ちょっと待って』『初めてでわけわかんない』『ちんこ取れた』『イッてないのに気持ちいいのが続く』と言わしめたので、満足。
正常位とバックはなんとも思わなかったけど、騎乗位で自分から入れて、入れたまま手と口で攻めるのが超楽しかった。入れられてるのは私なのに、『(体勢)痛くない?』って聞いちゃって、おかしくて笑った。
枕ぎゅーってしたり、顔隠したり、うつ伏せむりむりって恥ずかしがる姿がまるで女の子で、経験人数100人超えでもこんなんなるのか、って面白かった。こっちは処女なのに(笑)
男性がいやなわけではないけど、自分が抱かれる側として見られるのはにがてだな、っていうのが再認識出来たのは良かった。
彼氏いたことあるし、男性からアプローチされたこともあるけど、なんか感じるこの違和感はなんだ、と思ってたけど、抱かれる側に見られること、抱きたいという感情を向けられることは、あんますきじゃないなぁ。
他にもそういう女性、いると思うんだ。でも自分が抱く側になるっていう発想にまぁならないし、なっても実行するのむずかしいだろうし。
気持ちよくない、楽しくない、って思ってる女性が、気が楽になる道が開けたらいいのに。
逆に男性も、抱かれる側の方が向いてる人もいると思うんだけど、それはわかんないや。
パートナーを求めるなら、今の日本なら相手は男性の方が生きやすいのは正直そうなんだけど、自分のこの癖を受け入れてくれる人探すのは大変だろうなぁ。
いじめてください!抱いてください!!って人がいたとしても、それはちょっと違うので。
でも女性に攻められるのはすき。それはすき。
楽しかったので、誘われたらまた行くと思う。
今日はおしりは触るだけだったけど、初めてでわけわかんない、でもいやじゃない、って言ってたから、機会あったらそっちも進めたい。
ただの厨二病こじらせた外国の女の子が手術してやっぱり自分は女だったって気づいた悲劇の記事読んだけど、トランスジェンダーって何万人に1人かしかいないもの。
なのにいて当たり前の存在とするのはやっぱり間違ってると思う。
世の中の当たり前に当てはまらないトランスジェンダー、性同一性障害という病気を持った人もいますっていうくらいにとどめないとこういう悲劇は繰り返される。
特に自分みたいな【発達で女のスタンダードに当てはまらず、思い込みが激しい女】がインターネットでトランスジェンダーのコミュニティやらに出会うのが一番やばいと思う。
特性ゆえに女の軍団に馴染めない女の自分は女ではないと思い込みトランスするってマジで現実的にあり得る話で、実際既に起こってる話だと思う。
スマホ中毒で思春期かつ発達障害の女は自分の生きづらさの原因を勘違いしてそのまま突っ走るよ。
人の人生をスーパーハードモードに突っ込ませる責任をLGBT活動家やマスコミはとれるの?
女装おじさんが爆増してるけど(言い方悪いけど)ちゃんとした性同一性障害の人はマジで何万人に1人の割合だよ。
親の方にも娘が思春期になって突然自分は男だとアホみたいなこと言い出したら男性ホルモンなんか絶対打っちゃダメですって教育が必要。
発達未診断の思春期の奴がトランスジェンダーだのパンセクシャルだのノンバイナリーだの言い出したらとにかく病院に連れて行って発達の受けさせろ
だいたいFTMの手術率よりMTFの手術率の方が圧倒的に上回っているって時点で、持って生まれた体の性別は変えられないって証明されてるようなもんな気がする。
https://odaibako.net/gacha/5976
それを容認するのはよくないし悪いよな~の考えです。
ノーマルがアブノーマルの反対の論が通るのなら、そのまま異性愛者の意味で伝えられてる以上それはNLより直球で排除する人が多くなってて結果的に差別なくせてない…のでは…
個人的には悪口と分かって広めるのもNLより直球に差別的な思考に感じてしまってます
へテロはホモと対称なのがなんか嫌…て意見もよく見るんですが、その心理を使用して「差別主義者」という意味合いの悪口として使われてるので、その嫌だなって意見は気に入らないし通らないって意見もその悪口として使われてる事実を封じ込めてしまっているんですよね…だからそういう理由でHL表記に差別性があるのは通らない…という論は無理があるというのが私の意見です。
感覚として実際悪用されてるんだから間違ってないんじゃないかな…
だってその異性愛表現そのものを悪口で呼んでいいって考え方は、その中に含まれるバイセクシャルが異性と恋した瞬間に悪口で呼ばれることになるってことですよ
そういうの考えもせず異性愛描写だからって悪口であるのを無視して使わせようとするのは差別でないと言えるのかな…って
対照だからというのは差別にならない、というのは、実際に悪口として使われていない状況で初めて作用するもので、差別を無くすためと言いながら異性愛の中の少数派が見えてないのは、そうしてもいいって思い至らない、これにはそういう扱いしていいって優しさの欠如ではないかな…
また悪口として避けられている側面がある状態の現状、区分けして平和を保つのための表記という本来の意味をなしていないので…
(思想がめんどくさくてすみません)平和的でないという理由でNLもこのガチャでは使っていません…争いって最近のニュースとか見てると嫌気さすよね…
なのでそれらの問題を解決するため、新しく表記についての記事をもとにまだ提唱されていないco-edloveを提案します…!
考えに同意していただけたら他の方も使って頂けますと嬉しいです…!
もとは共学の意味でしたが、現在はそのまま男女混合としてそのまま使われてて、共学の際はcoed schoolとするそうです。
これならバイセクシャルや性自認で悩む方も使えるんじゃないかと思いました。
現在NL表記で、HLが悪口として使われているのを見かけ変えにくく困っているという方も、考えに同意していただけたらCo-ed Love(NL)など分かるように表記してもらえたり、表記を変えなくても「こういうのがあるよ」とツイートしてくださると助かります。※ハイフンを入れてco-edにしてください。coedだと男女混合のスポーツのタグとして使われてます…
HLを広めてくださってる方にも
「世間に広まっていないのNLを使い続ける理由にならない」という考えの方が多く見受けられるので、クラスタ内でも提起して浸透するのにご協力いただければと思います…!
・昨今の情勢を問題視し日常でも争いを巻き起こすことをよしとしない方
・性を揶揄したり否定することを容認する、差別の根本的な価値観を問題とされる方
はぜひ広めてほしいです。
https://odaibako.net/gacha/5976
※CLとは※
Coは共同・対等
もとは英語でco-educationで男女共同教育を表していたが、現在は略したco-edのみで「男女混合」や「男女いっしょに」という意味で使われるようになっている。
そのため混同しないよう男女共学と表す際にCoed schoolと表記することもある。(韓流アイドルでもCoed schoolという男女混合グループが存在した)海外アパレルブランドのマ/ル/ジ/ェ|ラにもco-edという男女共用ラインがある。(男女混合として表す語はミックスが多いですが、メンズラブのMLがあるためこちらにしました)
ヘテロ(異性愛)は対義語がホモ(同性愛)として使われているため「ヘテロラブ表記をすることによりBLGLも同性愛者と決めつけてしまい創作にバイのキャラクターが暗に含まれない意味」となりますが、
「co‐edは対義語で同性愛と決めつけることなく単純に男同士の愛、女同士の愛、男女の愛という意味を差す」ことになり「より表現したい原義に近い」言葉だと言えます。
また男女いっしょだけでなく男女共用の意味もあるため、男か女かどちらか一方の性を断言できない方も含めて使えると言えます。
CoLはHLタグは語源がへテロセクシャルとして使われてそのへテロが悪口のニュアンスで使われている以上、HLの中に入ってくるバイやトランスジェンダーにも悪口を浴びせていること、異性愛者全体へのヘイト用語として使われることもあること、へテロは性的少数者を差してないなど、
そもそものへテロラブ表記の抱える直球の差別につながる要素を解消するための表記です
それを容認するのはよくないし悪いよな~の考えです。
なによりHLを広めてる方でへテロを悪口や罵倒語のニュアンスとして使ってらっしゃる方が、少なくない数見受けられます…
罵倒として使っていらっしゃる方本人のセクシャリティをスルーしているのではなく、単純にオタクという対等な属性として考えたらマナー的に考えてよろしくないんじゃないかと・・・。
(特定の性への罵倒を堂々と行うのはどんな立場やセクシャリティであっても人として根本的にマナー違反ですし…)
ノーマルがアブノーマルの反対の論が通るのなら、そのまま異性愛者の意味で伝えられてる以上それはNLより直球で排除する人が多くなってて結果的に差別なくせてない…のでは…
個人的には悪口と分かって広めるのもNLより直球に差別的な思考に感じてしまってます
へテロはホモと対称なのがなんか嫌…て意見もよく見るんですが、差別用語のホモセクシャルと対称であることを使用して「差別主義者」という意味合いの悪口として使われてるので、その嫌だなって意見は気に入らないし通らないって意見もその悪口として使われてる事実を封じ込めてしまっているんですよね…だからそういう理由でHL表記に差別性があるのは通らない…という論は無理があるというのが私の意見です。
感覚として実際悪用されてるんだから間違ってないんじゃないかな…
きっと私の主張を見て「世間の扱いとして差別されておらず釣り合いが取れてないから悪口として使われていてもスルーしていいし差別じゃない」と思った方もいるでしょうが、それは正直危険な考えではないかな・・・と自分は思います。
だってその異性愛表現そのものを悪口で呼んでいいって考え方は、その中に含まれるバイセクシャルが異性と恋した瞬間に悪口で呼ばれることになるってことですよ
そういうの考えもせず異性愛描写だからって悪口であるのを無視して使わせようとするのは差別が発生せず配慮されていると言えるのかな…って
「構造上ヘテロとホモは対称であるには事実」でも「立場が違うため同一に扱えるものでない」ということは、「だから差別を作り出さない言葉になるということとイコールにならない」です。
異性愛の中にも少数者がいてその人たちを無視しているのは事実ではないでしょうか。
推奨している方々でもそのことを頭の片隅で一度は意識したことがある人はいるのでは・・・
マイノリティを日頃から意識されている中でそれらに言及した方もいたのではいでしょうか
対照だからというのは差別にならない、というのは、実際に悪口として使われていない状況で初めて作用するもので、差別を無くすためと言いながら異性愛の中の少数派が見えてないのは、そうしてもいいって思い至らない、これにはそういう扱いしていいって優しさの欠如ではないかな…
ヘテロはホモの対象な言葉で、悪口として使う際は「同性愛と違って差別用語とされない差別や孤独と無縁な無自覚な人たち」という意味合いなんですよね
それって異性愛の中でセクシャリティで孤独を感じてる人に対して「結局はあなたの悩みはお遊びでしかない」とバイやパンセクに言ってるのと同じじゃないでしょうか。
あなたの苦しみなんて気遣う価値がないものだと言ってるのと同じじゃないでしょうか。
実際実在の該当者に対してそのような(結局はヘテロかよというような)悪態を吐く場面を見たことがあります。
それは差別でないと言えるんでしょうか。
そのことに気づかず善意で使っている方が、NL使用についてよく言われる「人を踏みつけているのに気付かない」を一番守りたいと考えている性的少数者に結果的に行ってしまっているのは悲しいことではないでしょうか・・・
平等のためと言っている方が多い中、意識して他人を踏みつけることが目的なわけではないでしょうし…
そのような考えの方がいらしても、それは性的少数者が悲しむのを自分のことのように受け止め悲しんでるからであって、個人の感情のみで発散の大義名分にされている方は少数だと思うので…(それがおもな理由でもそれはそれで何か理由があると思いますから適切な発散ができるとよいなと思います)
全体の大きな目的のためにふるい落とされる存在を瑣末なこととしてないもの扱いで無視されるのなら、それが差別意識っていうものなのではないかな…と
多分そう遠くない未来にバイやトランスやアセクシャル、パンセクシャル、その他さまざまな少数派のセクシャリティやジェンダーの方からHL表記から暗に排除されていることや悪口としての使用について意見が出る可能性は高いのでは・・・・
実際数年前からぽつぽつそういった当事者からの意見もお見かけしました。本当に少しですが・・・
逆に出ないほうが問題かなーと思います・・それは当事者が痛みに声を上げにくい社会になってしまっているということなので・・
そもそも悪口として自分が認知しているにも関わらず人に勧めるのはそれが少数者であっても良識的にアウトではないでしょうか。
もちろん声を上げて自分は普通だ、と主張することは自分は対等な人間であると表明するのに必要なことですが、悪口として自分が率先して使うこともある用語を事情について詳しく伝えず「正しい言い回しである」として勧めるというのはそれこそ「普通から外れ良識が欠如した異常な行動」に該当するのでは…
「自分達はアブノーマルでも良識から外れているわけでもなく、たただ当たり前に人を愛しているだけだ」と主張する行動を損なってしまうのではないでしょうか
ヘテロを悪口や罵倒のニュアンスで使いながらHLを勧めている方は、自分達は異常者でないと証明したい意図から外れ、過去に抱かれていた「良識がない異常者」というイメージを覆すどころか、差別を抱かれていたイメージに根拠を与える行動になりかねない、一部では既にそのようなイメージが強化されている人もすでに出ている印象です・・・・
分断を生む要素が多く悪口としての用法のイメージを抱いている人が少なくない以上、平等のために掲げる表記としては不適切な部分の方が多くなってしまっていると思います
また悪口として避けられている側面があるのでは、区分けして平和を保つのための表記という本来の意味をなしていないので…
メジャーですが問題提起されるのが多い表記ですし…平和的でないという理由で…色々論争の的となっていて判定が難しいところがある…浸透していて変に変えるのは混乱が起こるし…と思います
直球で悪口として使われてるわけではないですが、人より異常でマイノリティなオタク趣味だからこそと楽しむ時代ではもうなくなっており、それぞれ平等な人間として扱いたい流れがあるので…
なのでそれらの問題を解決するため、新しく表記についての記事をもとにまだ提唱されていないco-edloveを提案します…!
他の方も使って頂けますと嬉しいです…!
もとは共学の意味でしたが、現在はそのまま男女混合としてそのまま使われてて、共学の際はcoed schoolとするそうです。
海外ブランドのマ◯ジェラにも男女共用ラインでco-edがあります。
これならバイセクシャルや性自認で悩む方も使えるんじゃないかと思いました。
現在NL表記で、HLが悪口として使われているのを見かけ変えにくく困っているという方も、考えに同意していただけたらCo-ed Love(男女CP) 、字数がきついならCo-ed Love(NL)などでもいいので分かるように表記してもらえたり、表記を変えなくても「こういうのがあるよ」とツイートしてくださると助かります。
※ただし使う際はハイフンを入れてco-edにしてください。coedloveだとTwitterでは男女混合のスポーツのタグとして使われてます…
HLを広めてくださってる方にも
「世間に広まりにくいというのはNLを使い続ける理由にならない」という考えの方が多く見受けられるので、クラスタ内でも提起して浸透するのにご協力いただければと思います…!
・昨今の情勢を問題視し日常でも争いを巻き起こすことをよしとしない方
・「マイノリティマジョリティ関係なく性を揶揄したり否定することを容認する、差別の根本的な価値観」を問題とされる方
(※マジョリティ関係なくというのが重要で、多数派のBLジャンルの方が揶揄されがちなのもこれらの価値観が欠如してるため起きているのではと思います。)
何よりも
・異性を愛することもある性的少数者で、世間のマジョリティに不満を抱えている者同士で関わってみたものの異性の恋愛になるといくら叩いてもよい、悪口であることを
スルーしてもよいという風潮に苦しんでどこにも行き場がないと感じてしまっている。でも痛みを主張しづらいと感じている当事者の方
・または上記のマイノリティの中のさらにマイノリティの方の痛みをどうでもいいことだと決して考えていない方
はぜひ広めてほしいです。
社会的弱者であれば排他してよいという考えはいつか全ての人間を追い詰めるだろう、という論で配慮を促す意見をよく見ます。
それと同じく、世間的には被差別でなく差別する側であれば配慮がいらないという考えもまた、いずれ自分に降りかり追い詰めていくものではないでしょうか。
なによりお互い踏みつけることになるのを「配慮」と称して推奨するのは配慮の定義とは外れると思います。
そういった状態をナチュラルに肯定し、HL表記を勧めている方も見られる以上、争いの火種になってしまいます…できれば共有いただけると幸いです。
追記:ぽつぽつツイートしてくださる方お見かけしまして大変嬉しいです・・・!
でも表記や使っている方そのものに批判的な発言しながらの引用はしないでいてくれるとハッピーに変われていいと思います
HLが広まらないのは強く薦めてる方がNL使ってる人を侮辱的ともいえる悪口で批判したりNL表記は完全に悪で白い目で見られるものだ!って極端な考えて不快にさせるような物言いをする方が目立ってしまうことがあるのもかなり大きいと思うので・・・
HL使ってる人にこそ問題提起をしてほしくて記事を書いたので批判する内容にはなってるのですが、HL表記を広めたいって方の考え方は優しいし大事にすべきだと思うからあんまきつい言い方しないで広めてやってください〜
自分の言い方でHL使いたい人の気持ちそのものを悪いものだって言われたみたいに感じさせてたら自分が文章力なくてまことに申し訳ない気持ちです・・・
あくまで悪口や罵倒語として使われてるのをスルーして広めることをに私は問題提起したいのですが、うまく伝えれれてなくてすみません
ただやはり現状が問題提起される空気がないのは危ないと思うので、できればまだ浸透率が低い今のうちに軌道修正をはかったほうがいいのではと思います。
異性愛のみをノーマルとする考えが差別の温床であり撤廃すべきだと言うのなら、
異性愛の中に入ったのならマイノリティであっても罵倒してもいいという考えを補強するような用語を、
人権について語る人がいたずらに広めるような動きも撤廃しなければならないと考えます。
そもそも男女の創作なら悪口スラングで元々使っていたものを使わせるのはむしろいい気味という考えなら、何をそんな小さいことを言ってるんでしょうか。
そんな平和や平等、悲しみをなくす為の活動らしくないことを言わないでください。
全てのLOVEを平等に扱いたいからNL表記に疑問を感じていたのではないですか。
それを広めることでどうなるか、広めようとしている方や
ノーマルという呼称で傷ついて来た方々ほどその痛みをよくご自覚なさっているはずだと思います・・
悲しいことの繰り返しはもうやめませんか・・・?
マジョリティの世界ではホモは差別用語でヘテロはそういうカテゴリに未だ認定されていないです。
でも、マイノリティはマイノリティのコミュニティを主に生きているのではないですか。
その中で排除されている方はどこに行ったらいいんでしょうか。
ノンケラブを広めようって誰か大きい声を出して広めてくれないかねえ…と思うが、
だからBLGLと並べて意味が通ってる男女CPが最適ではと思ってるわ
差別されてる同性愛者を優先して守りたいって主張みたいだけど、今は「差別だからいけない」ではなくて、「どんなジェンダーも平等で法に触れない範囲であれば貴賤はない」って時代なので、異性愛者も同性愛者も無性愛者も両性愛者も、すべて平等に並べる時代なんだよ
差別がなくなるってそういうことだし、基本の大枠のくくりは男女CPで異性愛しかない作品ですってカテゴリーにのみへテロを適用するのが本来はコンプラ的にもポリコレ的にも正しい。
・同性愛者なら「同性愛こそが正しい愛の形である」と子供に刷り込むだろうというのは偏見強すぎる
日本の法律では夫婦ではなく一人でも養子を取れるらしいけど、それを「男女の夫婦ではない不自然な家庭で育てることは虐待」と言う?法律を変えて禁止する?
・ゲイカップル(男性の同性愛者同士)じゃなくて、レズビアンカップルだったら? バイセクシャルやパンセクシャル(全性愛)なら? たとえ本文で言われている「自然な営み」であっても、実際のセクシャリティはさまざまであって、どれかだけに「おかしい!」と思うならば自らの認識を疑った方がいい
・友情婚のような恋愛関係にない男女が養子を取った場合、お互いを好きあって子供を生むという「自然な営み」をしてないからいけないこと? 「恋愛するな」という教育をするだろうから虐待になるのか?
・同性愛者=異性愛を嫌う人ではない もちろん異性愛者=同性愛者を嫌う人でもない まずそこから間違っている
・そもそも当たり前のことだけど、へテロロマンティック/へテロセクシャル(異性を好きになる)の男女の方がセクシャルマイノリティについての知識を欠いていることが多く、子供のセクシャリティを否定/矯正しようとする確率が高いんだけど、そっちを先に何とかしようとは思わないの? 言ってしまえば「例外」について規制するよりも、マジョリティ側に教育をする方が救われるであろう子供は多いんだけど、それでもまず「ゲイカップルは養子を取るな」を言いたくなるのはなぜ? なんとか理屈を付けてゲイを排除しようとしているだけじゃないの?
自分は、LGBTQとやらに属するらしい、と昨今のマイノリティブーム(と呼ぶのが正しいかは別にして)のおかげで気づいてしまった。
バイセクシャルっていうのかな。正確には「パンセクシャル(全性愛、性別関係なく好きになる)」だけど。
しかし、社会的にはヘテロセクシャルですよってことで生きていけている。異性と結婚してるし、特段嫌悪感があることもない。知られても、知られなくても構わない。差別されるなら、それでも構わない(こちらから距離をおけばいい話だ)。
認めて!でもほっといて!系の人たちはどういう神経なのかと結構まじめに考えたよ。仮説だけど、「セクシャルマイノリティであること」しか社会と接点が持てない人なのではないか。目立つタイプは「セクシャルマイノリティ系〇〇」みたいな肩書がないと埋もれるような文化人、もっと底辺だとフリーターとして不安定な生活してる中でやっと仲間を見つけられた人とか。
そういう一部の人間とは違って、ふつうに働いて、性別関係なく仲間がいて…みたいなタイプは、マイノリティガー!する暇もないし、何も得しないからね。
と、↓の増田を読んで感じたのでした。
その文字通り、性自認は自分が自分をどういう性だと思うかという話で、性指向はどのような性の人が恋愛(あるいはセックス)の対象となるかという話だ
LGBTという語で表されてるLGB、すなわちレズビアン・ゲイ・バイは、いずれも性自認と性指向の両方のパラメタの関わりによって定められている
性自認が女で性指向が女ならレズビアン、性自認が男で性指向が男ならゲイ、性自認に関わらず性指向が男女どちらもならバイセクシャル、というような具合だ
一方でLGBTのTであるトランスジェンダーというのは、肉体の性と性自認が一致しない人のことであり、性指向については問題としていない
つまり、LGBTという語は、性自認と性指向の関わりによって定まる話と、性自認のみによって定まる話が混ざった構成になっているのだ
この語に座りの悪さがあるのは、たとえばトランスのゲイとかトランスのレズビアンという存在するということを初めて知った人が混乱をおぼえがちだろうというような点にある
LGBTのあとにいろんなアルファベットが足されていく謎の文字列が必要とされたことがあるように、LGBTという語は、この世を男と女にハッキリ分ける時代に生まれたせいもあって、その語の構成を字義通りに解釈してしまうと、現実の多様で曖昧な性のありかたを実は表しきれないのだ
もちろん、語の構成と意味に乖離があることは言葉の世界ではよくあることであり、LGBTという語はその構成通りの意味よりも、世の中には多様な性がありますよねというくらいの意味で認識されて欲しい単語として存在しつづけているのだと捉えればよいだろう
だがそんな風に註釈と文脈が付帯する語というのは、しばしば誤認を生みやすく、馴染みのある人間にもない人間にとっても座りが悪いものなのだ
つまるところLGBTという語は何が問題となっているのだろうか?
2つ問題がある
1つめは、男と女という明確な線引きがされたカテゴリーから脱却しないままでいるのが可能であること
2つめは性自認と性指向がセットである印象から抜け出さないままでいられてしまうことだ
ノンバイナリというのは、上記の問題に呼応して、性自認の側面についてより精確な状況を表そうとして生まれた言葉だ
その文字どおり、自分の性はバイナリ(二分法)ではない…自分の性を考えたときに、男だねとか女だねと、いつでもどちらかに属してるよってあんまり言えないな、というのを表したい言葉だ
再びになるが、注意すべきなのは、これが性自認についての語であって、性指向についての語ではないということだ
以下のような疑問に対し、こう答えることができる
Q: ずっと男としか恋愛してないのにノンバイナリって言えるの?
A: 恋愛関係において対象が常に典型的な男性であったとしても、自分が男として好き・女として好きだとか、はたまたそのどちらの要素もある…という状況もある。また、自分が男的であるなとか、女的であるなというのは、恋愛と関係のない場面においても、社会における人との関わりにおいてちょくちょく生活の中で意識にのぼることがらであるはずだ。友人たちと、より男性的な振る舞いかどうかとか、より女性的な振る舞いだといった評価をしあうときだって、性自認は関わってくる。
A: 男性として生まれて常に女性装をしていてノンバイナリという自認の人もいるだろう。肉体性を手術で変えた上でノンバイナリでありたいという人もいてもおかしくないだろう。逆に、ぜんぜん肉体も格好も今のままでいいやって人もいるんだろう。
A: ゆる〜く話すならそれでも構わんって場合もあるでしょうわね もっと精確に表したい〜って時のための言葉なので
まとめるとノンバイナリというのは、性自認と性指向を切り分けなければ精確ではないという現状のもと、性自認をより精確に表しているとして好まれている語なのだ
個人的には、単にLGBTとか多様性という言葉の印象だけでなにかを知らなければならない人間にとってもよりわかりやすい言葉なのではなかろうかと感じる
ちなみに、性指向のみを表す言葉にはアンドロセクシャル(男が好き)、ガイノセクシャル(女が好き)、パンセクシャル(みんな好き)…などなどがある
出会い厨(同性含む)だったり、ホストだったりウリやってたり、ヤリチンだったりってのはレア中のレアだからな
(セックス依存症だけなら『世界鬼』の人ほかそれなりにいるけど)
でも腐女子は『醜形恐怖症』なのに、出会い厨だったり、キャバ嬢・風俗嬢だったり、ヤリマンメンヘラだったりが
元増田(anond:20210621141045)は、オタク界隈の出会い厨(同性含む)に対する揶揄い、『お前の容姿ジャッジしてやってるからな』と
腐女子・腐男子・自称バイorパンセクシャルにありがちな『ぼくわたしの性欲すごいんです』(← おつむが足りない)だろ
anond:20210624160242 anond:20210624165423 anond:20210911163103
その「統一的なフォーマット」とやらではバイセクシャルとパンセクシャルの違いは表現出来ないし、デミセクシャルやリスセクシャル、フィクトセクシャルなども表現出来ない。
用語を暗記して機械的な対応で済ませようとすること自体が問題視されていることに気付いて欲しいんだよな。
現代的には「セクシャリティは人の数だけある」と言われているのだが、こういう人は60億以上全て暗記するつもりなのだろうか?
そうじゃなくて、無数にある具体例を知ることで、無限に広がるセクシャリティの地図を頭の中に描いていく必要があるのだよな。
はっきり言ってしまえば用語をいちいち覚える必要なんてないんだよ。言及するのに便利なだけで。ただ「世の中にはそういう人がいる」と知っておくことが大事なんだよな。
もうね、用語が多すぎ。
いつの間にかLGBTQになったかと思えば、LGBTQIAにバージョンアップしている。
増えすぎなんだよ・・・SOGIだのMTFだのFTMだのお前ら俺に理解させる気あるの?
レズビアンやゲイならまだ聞き馴染みがあるが、パンセクシャルとバイセクシャルとXジェンダーの違いになるともう良くわからない。
こんなの当事者かよほどセクシャルマイノリティに関心がある奴しか理解できないだろう。
これが日本ローカルの話になるとホモ、オネェ、オカマ、オナベと更に扱う単語が増える。もう勘弁してくれ。
セクシャルマイノリティを抱える人たちに言いたいが、これらの言葉そのものにアイデンティティを感じたり、それを求めてはいないか?
でも、本質は違うだろう。
本来、男が女を好きである事と、男が男を好きである事は同列に語られるべきだし、同様に許容されるべき事なのだ。
LGBTはマイノリティではなく、普通の事であると社会に受け止められる事こそがセクシャルマイノリティを抱える人たちが本当に求めるものではないだろうか。
だが現状は違う。
「LGBT」などマイノリティを表す言葉が生み出され続ける昨今、近年それがエスカレートしている事でセクシャルマイノリティがマイノリティ街道を一直線に邁進している様にしか思えない。
このままではあなた達マイノリティは社会からマイノリティのまま認知され続けることになる。
あなた達はこれからもマイノリティであることを自認し、受け入れ、マイノリティのまま生きて死ぬことを社会からは求められ続けるだろう。
あなた達は「普通の人」である筈なのに、マイノリティを意識し過ぎるあまりに「普通の人」である事を自ら手放している。
私はそれを許容したくない。
そこで提案したい。
自らの性別、性自認、性嗜好を表明することで、他者に自身のセクシャリティを理解してもらおうという取り組みだ。
性別が男ならMaleの頭文字を取ってM、性自認も男ならM、性嗜好が女ならFemaleの頭文字を取ってF、両性が対象ならBothの頭文字を取ってBで表す。
私の場合は
性別は男(M)、性自認は男(M)、性嗜好は女(F)なので、「MMF」とこんな具合だ。
仮に
性別が女(F)、性自認は男(M)、性嗜好が両性(B)だという人がいれば、「FMB」という事になる。
まぁこれは一つの提案ではあるが、この様な表現方法の方が平等であり、相手のセクシャリティを正確に把握する事が出来るのは明らかだ。
そろそろセクシャルマイノリティを表す言葉を生み出し続けるのは止めにしないか?
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性嗜好を表明する必要は無いという人もいるので、それなら当該部分にはEmpty(空)の頭文字Eを入れれば良い。
例えば性別は男(M)、性自認は両性(B)、性嗜好を非公表(E)とするなら、「MBE」となる。
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だが、現状セクシャリティを表す統一的なフォーマットが存在しない様に感じた。
昨今のマイノリティを表す言葉の爆増と乱立する定義がマジョリティに受け入れられるとは到底思い難い。
「LGBT」という言葉を生み出してしまったがばかりに、現状「普通の人」と「それ以外の人」という歪んだ構造が出来上がってしまっている。
指向=orientationという言葉は「裏か表か」「ホモかヘテロか」という1bitで区別可能という前提に基づいているが、実際にはその間に連続的な広がりがあることがわかってきている。
すなわち、「ホモかヘテロか」という区別は、1bitではなく1次元の直線の中にプロットされる現象と解釈すべきである。
そこで「1次元でなくn次元ではいけないのか?」という疑問は当然出てくる。
実際、近年では「性自認」とか「生物学的性」とか「ふるまう性」といった言葉がしばしば使われているが、これもまた不十分である。
たとえば「アセクシャル←→非アセクシャル」という軸や、「バイセクシャル←→パンセクシャル」という軸は上記の言葉では表現しきれないだろう。
いい加減「指向と嗜好は違う」という言葉を万能視するのはやめて欲しい。「指向と嗜好は違う」という言明それ自体は正しいが、そんな議論はとっくに時代遅れ。そんなレベルの話はとっくの昔に通過している。