はてなキーワード: 「家族」とは
https://anond.hatelabo.jp/20220612235706
●5位 はるかなレシーブ
運動神経抜群で体育大好きな女と、背が伸びなくてビーチバレーを諦めたかなたの2人がペアを組んでビーチバレーをやるアニメ 片方が運動神経バツグンで背も高いだけどビーチバレーは初心者 もう片方はビーチバレーの技術はあるけど背が低いからトッププレイヤーには及ばなくて一度引退している 独特のコンビ 二人が知略を巡らせて勝っていくのが面白くて爽快だよ こう紹介するとちょっとパリピ孔明っぽいかもしれない おかあさまはスポーツアニメはあまり見てなさそうだけど 超面白いから見たほうが良いよ 舞台が沖縄なんだけど 沖縄に行きたくなる ビーチバレーは特にやりたくはならない
●4位 スロウスタート
女の子が中学浪人したことを隠しながら高校生活を送るアニメ "しあわせは、ゆっくりはじまる。"がテーマ 超泣ける 軽井沢アウトレットの池くらい泣ける 人生オワタと思ってる女の子が別に浪人したくらいでは人生オワてないないってことを理解していくアニメだからな 似たような経験をしたことがある人には刺さる だからなのか高めの年齢層にも受けが良い気がする 主人公の友達に十倉栄依子って奴が居て、こいつがアクセサリーを自作するのが趣味なんだけど 周りには趣味のことを隠していて 7話で主人公だけにアクセサリー作ってることを打ち明ける回がすごくいい 浪人の挫折感と秘密を打ち明けられない罪悪感を丁寧な作画とセリフと音楽で表現している 名作 主人公が超いい子で 作中のキャラもスロウスタート見たオタクもみんな主人公のことが大好きだよ お前の母親も例に漏れないだろう
●3位 恋する小惑星
主人公が小惑星を見つけたくて地学部に入学するアニメだよ 理科って生物、化学、物理、地学の4ジャンルがあって 地学って受験で使えないことが多いし 勉強してもつぶしがきかないからあんまり人気無い不遇な科目だけど それでも地学選択しとけばよかったって思った 地学ってロマンだよな 地球について考えたり宇宙について考えたりするのが地学だ 宇宙も地球も知らないことばっかりで楽しい ロマンしかない このアニメのテーマは夢なんだけど 星やロケットや望遠鏡って夢との相性良すぎだろ ロマンチックすぎる 俺も女子高生に戻って小惑星見つけたい おそらくだがお前のお母様は知的好奇心の旺盛な方だろう きっとハマるよ
●2位 こみっくがーるず
会話の頭に必ず「あっ」ってつけてしまう極度の人見知りのピンク髪主人公が漫画家を目指して漫画家寮に入るアニメ いろんな漫画家が出てくる みんな頑張ってて偉いなって思う 割りとキャピキャピしたアニメなんだけど何故か高めの年齢層にも人気があるから不思議 でも確かにいいアニメだから人気出るのはしょうがないね かわいい動物の漫画を書きたいのになぜかエロ漫画を連載している爆乳♥姫子って人が出てくる こいつが4話で人生初の握手会を経験して 嬉しさのあまり「人生いろいろ大変なこともあったけどエロ漫画書いてきてよかった」って言いながら号泣するシーンがあるんだけど 確かに俺もつまんない仕事ばっかりして間違いだらけの人生を生きてるけど、間違ってることがわかっていても懸命に生きていて俺偉すぎだろって思って号泣しちゃったわ すごくいいアニメ 見たら本当に絶対感動するよ もし感動しなかったら木の下に埋めてもらってもかまわないよ
親の再婚をきっかけに姉妹になった2人が釣りをするアニメ うさドロとか好きなら絶対はまるよ ソースは俺 俺もうさドロ大好きだもん まあ黙って3話まで見てほしい お前の母親にもおすすめだけどお前にもおすすめだからな 見ろよ スローループはすごい スローループがすごいのは 趣味としての釣りを楽しむ女子高生を描いているだけじゃなく、釣りをする家族(姉妹)を通して、家族とは何かを解き明かしている点にある スローループのテーマはずばり家族 主人公姉妹の2人はどっちも親を亡くしているんだけど 二人とも親が死んでから数年経っているから親の死を半分受け入れている それでも悲しさは無くならない 年月が経っても悲しさにただ慣れていくだけで悲しくならないわけではない 毎日悲しい しかも主人公2人はどっちもコミュ障 親が再婚して新しい家族が誕生したものの、両方コミュ障だからなんだか気まずいな、って状況で活躍するのが釣り スローループは釣りを通したコミュニケーションで姉妹2人が家族になっていく話だ ほら 釣りをするってなると料理もすることになるしキャンプもすることになるじゃん 主人公一家は釣りをするたびにどんどん家族っぽくなっていくんだけど 人間は狩り(釣り)をしたり食糧を食べたり寝たりして原始的な欲求を共有することで初めてわかりあえるんだとこの作品は言っている(そう俺は解釈している) 一緒に食べたり寝たりって、世の中の「家族」が毎日やってることじゃん?家族だから一緒に食べたり寝たりするんじゃなくて、一緒に食べたり寝たりするから家族なんだな、ってスローループを見て思ったわ 何が言いたいのかよくわからなくなってきたけどとにかくスローループはすごい スローループの話をする上で外せないのが吉永恋だな 吉永恋はスローループ屈指の人気キャラ 主人公姉妹の妹のほうの幼馴染が吉永恋なんだけど コイツが主人公を差し置いて大人気 吉永恋で検索してみろ な?かわいいだろ? かわいい上に性格も良いんだわ 吉永恋を教祖とする宗教団体を作ったら冗談抜きで10人くらいは信者が集まる みんな大好きだし俺も大好き 吉永恋はとにかく性格がいい 主人公姉妹が土下座で頼めばばエロいこともさせてくれそう でもエロいシーンは無いから親子で安心して見れるよ 原作最新話では姉妹の姉のほうがブラのサイズが合わなくなって母親とブラを買いに行く回があって スローループには珍しい露骨にエロい回だな~って思ってたけど 俺の友達にスローループ最新話珍しくエロかったよねってLINEしたら「姉のほうはいままで父親と二人暮らしだったから親とブラの話なんてできなかったんだろう 血の繋がりのない母親とブラを買いに行くシーンを描写することで、再婚で誕生した新しい家族が家族として機能していることを表現している回だぞ 真剣に読め」って言われたお前の言う通りだわ…と思った かようにスローループは奥が深い でも話は難しくないよ 釣りと家族を描いた大傑作 今すぐ見ろ この文章読んでるそこのお前らも黙って今すぐ見ろ 原作も買え スローループ見て一緒に釣り行って母親とアニメの話をしろ 吉永恋の話もしろ
アメリカだって欧州だってレイオフしたら訴訟リスクはあるし現に訴訟されてる
だから実際にはアメリカでもレイオフが無いような安定的職業の方が人気が高い
レイオフされても次の職がすぐ見つかるかどうかは景気次第なところがあって
実際にリーマンの時なんて高給取りがいっぱい野に放たれた
じゃぁなんでこういうレイオフがあんまり問題にならないのかっていうと文化的な側面の方が大きい
例えば「会社=家族」って考えてるか、「社会=家族」って考えてるかの文化的な違いがあったりする
会社を家族と捉えてるような日本企業的文化からすると「社員育成」「内部昇格」を当たり前に考えているし
だから解雇したり減給したりすると「家族から追い出された!」っていう風になって問題に捉える人が多い
英語だとbrotherだけど日本語では兄弟っていう風に上下関係に名前が付いているように日本的文化だと年長者が重んじられる
これが会社になると長く居る人ほど立場が上っていう考え方になる
給与が年功序列っていうのもこの辺から考えが来ているし、上司の方が高給とかいうのも同じような考え方だと思う
長く居るほど給与が上がるからクビにはなりたくないし転職もしたくない
加えてこういう文化の上に国が成り立ってるので税制だってそれを引きずっていて
住民税は前年の収入から計算されるのでいきなり大幅な減給されると次の年の税金を払うことができない
「家族」なんだから、父の日、母の日、誕生日、勤労感謝の日、クリスマス、バレンタイン、敬老の日…には感謝を込めて何かを用意するのが当然だと言い含められていたから、そういうものか、と思って今まで特に疑問に思わずやってきた。
実家を出てからは、お中元やお歳暮、折々の仏前のお供えなんかも送ってきた。
家族の好みや世間の流行りも考えて何を送るか考えるのはそんなに苦ではなかった。
けど、感謝されるでもなし、そもそも5つ下の妹は何も用意したことないにも関らず特に親から何も言われてもいないのを知って、なんか家族のために心を砕くのも時間をとるのもお金をかけるのも馬鹿馬鹿しくなってしまった
そしたら、母親からしょっちゅう送られてくる「仕事やめて地元に帰らないか、帰らないならせめて結婚しないのか」というお小言も、父親から毎日のように送られてくるクソどうでもいい写真やクソ滑ってる親父構文も、ぜーんぶ相手するの嫌になっちゃったー!あははー!
ウクライナ情勢で戦争とか諜報に神経質になる昨今にしては、リアリティーラインが低いおかげで気を抜いて見れるのがいい。
逃げ恥は、漫画は未読だったが、ドラマは毎週楽しみに見ていた。
ガッキーと星野源のリアル結婚にきゃっきゃしたくらいにはハマっていた。
どちらの作品も、仕事の遂行のため、効率性のため、社会的圧力をかわすためなどの、「愛情ではない理由」で偽装結婚をするのがストーリーの出発点、骨格になっている。
そして、そんな偽物の家族・パートナーシップが、いつの間にか「本物の家族」、「本物のパートナーシップ」になるというところがエモくて、ウケている。(と自分は勝手に思っている。)
つまり、「旧世代やら社会のの結婚の押し付けうぜぇ」という入り口から、でも幸せな結婚したいよねぇっていう気持ちに対して、ほらこれが見たかった家族でしょ?って提示してくれる。
一見、「家族」ということのアンチテーゼっぽい作品なのに、実はゴリゴリに保守的な幸福感を提示してウケているのが、興味深い。
彼氏?ではないらしいけど書き捨て
好きな人ができたとかなんとかでわたしの母から離れる宣言をしながらも、
気に入った家が見つかるまでと居座ってるらしいので
私もこの人とは二十年くらいの知り合い。
「好きな人ができたとは言ったが恋愛感情がわからないので違うかもしれない」
の繰り返しで、こんなに話通じない人だっけ…となっていた。
変わってる自分に酔ってる?なんなのかな
母もそこそこ年齢が行っていて、
母の感情の起伏が激しくなっているのも気になるし、
お金の問題ならホテル代を出すので家が決まるまでビジネスホテルに宿泊してほしい。
と伝えても「僕は気にしない」「僕が見る限り体調は大丈夫」と…
挙句「きみよりお母さんといる時間は長いんだから僕のほうがわかってる」と言う。
ただただ悲しかった。
若いころの彼を知っていて、
人格者だなあと思っていたので母だけじゃなく私も結構動揺してしまい、
とにかく一度は娘だと言った人間のわがままだと思って聞いてほしいと押し通した。
彼が母と一緒に住むとなったとき(すでに私は独立してたけど)、
「じゃあこれから〇〇ちゃんが娘なんだね、目に入れてもいたくないね」
と言っていた彼を信じてしまっていた。
結局彼はそんなこと言ったことすら覚えていなかった。
「変わらず何かあったら呼んでほしい」
と言われたが、本当に、本当に申し訳ない、無理。
「家族」となる前ならできたのかもしれないが、
こんな終わり方じゃ無理だ。
なんというか20年も母も私も、何を見ていたんだろうという気になってあれからとてもむなしい。
揃って見る目がなかったんだな。
【追記】
なんか優しいコメントもらっていた。
ありがとう。泣いた。
母と件の男性が知り合って20年、一緒に住み始めたのはここ数年ってかんじです。
人に説明しづらいところがあったので吐き出せて少しすっきりした。
だから向こうの一緒に住む=結婚じゃないって主張は分からなくもない。
多分向こうはそれじゃ変わらないしもともとそういう人なんだなと思い直した。
昔の母と私がしんどかった時期に支えてくれた人でもあるんだけど、
ベルリンの壁崩壊後の1990年に「女性解放の理論が、マルクス主義の射程から脱け出ていないのは、マルクス主義だけが、ほとんど唯一の、(近代)産業社会の解明とそれからの解放の理論だからである」としており[28]。その後にも、ハンガリー動乱とプラハの春以降もヨーロッパの社会主義者であった人らについて、2008年に「ソ連があるにもかかわらず社会主義者になった、良心的・体制批判的な人たち」と社会主義を「善」とする立場をとっている[29]。2009年には女性の抑圧を解明するフェミニズムの解放理論には社会主義婦人解放論、ラディカル・フェミニズム、マルクス主義フェミニズムの三つしかないと主張している。労働者階級が勝利し階級支配を廃絶すれば女性も解放されるという「社会主義婦人解放論」を強く批判、「ラディカル・フェミニズム」も「社会主義婦人解放論」と同様に「市場」と「家族」が重なり合った近代産業社会における資本主義社会を前提としていることが固有の女性差別の根源であると主張し、マルクス主義フェミニズムを支持している[30]。
34歳女、総合職、結婚願望なし、子供も欲しくない。10年ちかく恋人はいない、アプローチされても断ってきた。でも最近そろそろやっぱりパートナーはいてもいいかな〜と思いはじめマッチングアプリを始めたが、自分がいいなと思うひとはいない。いいねしてくれる人はゆくゆくは結婚したそうな人が多い(確かに30〜40代でマッチングアプリに課金する男性はそうなのかもしれない)。会ってみても友達にはなりたいけど付き合いたい人はいない。アセクシャルではないが別にもう一生セックスしなくてもいい、むしろ面倒臭い。という自分がイマイチ理解できずなんなのだと思っていたのだがこの記事を見てピンときた
https://ta-nishi.hatenablog.com/entry/2022/02/23/132151
さらに彼・彼女らと私はどこまで行っても「点」の関係でしかない。趣味なり酒なりネットなりを媒介にして私は友人たちと繋がっていますが、どんなに親しい友人でも、どんなに気の置けない仲間でも、どこまでいってもそれは媒介を通した「点」の交わりでしかなく、生活や想い出の積み重ねといった「線」としての繋がりではない。それが「友人」の持つ限界なのです。
私の人生を知る存在は、私の「線」としての人生を共有する存在は、この広い世界に私ただ独りしかいないのです。それは、なんと孤独で寂しいことなのでしょう。そう、私は「生活友達」が欲しいのです。趣味や店といった「点」ではなく、日々の積み重ねの共有という「線」で繋がった「生活友達」が。
そしてそうした「線」としての存在は、現在の日本社会では結局のところ「家族」という形式をとらなければ得難いものなのでしょう。そう考えたとき、私は結婚をしたくなりました。「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです」
これに全然共感できなくて、気づいた。自分は自分の人生で起こった楽しいことや嬉しいことや面白いことを、独り占めしたいと思っているところがある。親しい友人は遠距離で数人いるけど数年に1回合えば楽しいし時々メールで近況を報告し合うのが楽しい。友達と毎日会うとイライラし始めて仲が悪くなりかけたこともある。昔付き合っていた恋人とも全部は打ち明けなかった。確かに好きだったがもっと境界が欲しかった。
「自分だけの考え」「自分だけの感動」を他の人とシェアしたくないと思っている。どんなに仲の良い人間でも所詮他人であり、感動を100%伝えることは不可能なので、「伝わらなかったフラストレーション」が生まれるのである。本を読んだ後の感動とか、絶対誰にも喋らないようにしている。仕事が終わった後に一人の家に帰るのが至福である。帰った後に家で誰かが待ってると思うとゲンナリする。それを守るならば孤独死もしょうがない、人生の最後10年間が大変だったとしてもそれまで楽しく生きてれば人生積分的には満足である。今を大事に生きているので今のところ人生の後悔は特にないし今後もそうだろう。「点」の友達をつくって一人で生きていくのは自分に向いているのかもしれない。
毎日のように掛かってくる鬼電and鬼電。出れば「お前らは冷たい」「死にたい」「忙しいって言うけどそんな事よりあたしの生き死にがかかってるんだ」「ここのオーナーとケアマネが結託してあたしを追い出そうとしているからあんたたちの所に行くしかない」出なければこれにプラス「誰ひとり電話に出やしない」である。
大前提。認知症は本人が一番苦しんでいる。不安感、孤独感に苛まれ、一人の時間は一分が一時間にも感じる程長い。正論で反論される程被害妄想は悪化する。何か本人の中に強い「トリガー」のようなものがあり、あらゆる感情でそこに執着してしまう。本人に自覚がある時もない時もある。OK。その上で言わせて欲しい。
○○という対応をしたら死にたいと言わなくなりました?此方からも電話をかけてあげましょう?愛されていると安心させてあげましょう?○○な時は○○と言って気を逸らせてあげると機嫌が戻ります?
ねーーーーーーーーよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
認知症侮んじゃないわよ。アイツらボケて何も出来ず被害妄想膨らませて家族に呪詛の鬼電かますだけのルーティンで生活してるクセにめちゃくちゃトリッキーに揚げ足取ったり言質取ったりこちらが答えに困るクエスチョンを選んで投げてきたりする頭あるからね!!!!!!!!誰にでも攻撃的なんじゃないのよ!家族を選んで罵詈雑言吐いてんの!その時点で我々がどんな対応をしても無意味なの!
私に出来ることは心を殺してウンウンソウダネソウダヨネワカッタヨと相槌を打つことだけ。話題を逸らしても無駄。ループするから。その内話を逸らされている事に気が付いて発狂度が増すから。壁打ちさせてあげる事しか出来ない。私たちに貴女を楽にしてあげる事は出来ない。祖母にだってそれが分かっているから、一度だって愛情を抱いた事なんかない、血が繋がっているというだけの「家族」をそんなにも責めるのだから。
年末の忙しい仕事帰り、祖母の家へ寄って。機嫌がよく、一生懸命作ったのだろうユリ根の炊き込みご飯を持って行けと言うから、おにぎりにして持って帰った。べちょべちょである。私はお米はもっと固めが好きだなあと思いながら食べる。普通に美味い。べちょべちょだけど。
ユリ根ご飯美味しかったよって、伝えたいだけだった。電話したら、そんな事はどうでもいいといつもの罵詈雑言のループだった。久しぶりにガッカリして荒い声で反論をしてしまった。その後、泣いた。
何でこんなにも何をしても無駄なんだ。認知症だから。病気だから。ネットに落ちてる認知症への対応例なんかアテにならん。お腹の中でズンと重くなったユリ根ご飯もそう言ってる気がした。
※はじめて利用させていただくので不手際などありましたらすみません。
「人生楽そうでいいな~」と言われることがよくある。それも、本物の人生楽そうに生きてる人間からよく言われる。
最近だと久しぶりにごはんに行った昔の同級生に言われた。「そっちは人生楽でいいよね~わたしなんてさ~」から始まる同級生の自虐風自慢。昔はそんなこと言わなかったじゃん、というのを飲み込んで笑うしかない。下手に「そんなことないよ~」と返すと「そんなことあるじゃん! だってさ~」と言い返される。
人生楽そうなんて、そんなことはない。「人生楽そうに生きている」とみられるように、わたしがふるまっているだけだ。だから「人生楽そうでいいな~」と言われるのはまあ自業自得なんだけど、実際のわたしの人生はゴミみたいなものだ。
わたしが生まれてすぐ、両親は離婚した。理由は知らない。わたしは母親に引き取られ、母の実家で母と祖母と暮らし始めた。母は平日仕事だったため、ちいさいわたしの世話は祖母と保育園の職員がやっていた。
記憶がある幼少期のわたしは、いつもぞんざいに扱われていた。保育園から帰ってきたらひとりで庭で遊ぶか、家の中でひとりで絵を描いたり本を読んで過ごす。祖母は趣味のガーデニングをしたり、信仰している宗教をしたりしていて、たまに友だちの家に行く以外、兄弟もいないわたしはほぼひとりで過ごしていた。
母の帰りはいつも遅かった。気まぐれに休みの日にわたしを遊園地やら観光地やら旅行やらに連れていくこともあったが、言葉通り「連れていく」だけだ。一緒に遊ぶという概念が母にはないらしい。いつもひとりで放り出されていた。
それに母は「しつけ」と言ってわたしのことを殴っていた。泣いても謝っても母の気が済むまで続いた。それは「してはいけないこと」をしたときの罰だったので、ちいさいわたしは「してはいけないことをしたら殴る」ということを学び、それを保育園で実践した。相手の子を泣かせた。職員に怒られた。家に帰ったら母に殴られた。祖母は無視していた。
それでも優しい時もあった。絵本を買ってくれたり、母の気に入るものという条件はあるがおもちゃも買ってもらえる。服もちゃんとしている。ご飯も食べている。外から見れば、わたしは「若干行動に問題があるがまあ大丈夫だろう子」だった。そのときは母に殴られることにも疑問を持たなかったので、自分から発信することもなかった。
わたしが小学生になっても母からの暴力はずっとへばりついていた。謝っても泣いても殴られ続ける。しまいには何度謝っても無視される。かと思えば次の日には元に戻っている。母の機嫌はよくわからなかった。
ついでにいじめも始まった。社会で生きていく中で「普通」からすこしでも外れると標的にされることを知った。
それに、小学生に上がって生活をしていると、嫌でも保育園や幼稚園では知ることのなかった「外の世界」を知ることになる。
どうやらお風呂の水を追い炊きで三日間も使わないらしい。どうやら宗教にのめりこんでいる家はあまりないらしい。どうやら世の中のお母さんとお父さんは出かけたときにいっしょに遊んでくれるらしい。どうやらしつけで殴ることはないらしい。どうやらけがをしたら手当をしてくれるらしい。どうやら絵を描いていて「紙の無駄だ」と怒られることもないらしい。どうやらテストでいい点数を取ると褒められるらしい。どうやら熱がありフラフラの状態で学校に行かせることはないらしい。それで早退させられ病院に行ったら「即入院です」と言われたのに点滴だけを打たせて持ち帰ると言うことをしないらしい。
それらを知ったときはびっくりした。いやわたしの家「普通」じゃないやんけ。薄々「そうなんだろうな~」と思っていたことが本当になってしまった。
でも知ったからってどうすることもできなかった。なにせ逆らうと母に殴られる。時々蹴られる。小学生に上がると、それらに加えて悪口も増えた。わたしに直接言うこともあるし、わざとわたしに聞こえるように祖母と母でわたしの悪口を言い合っているときもある。それに対してなにかを言うと殴られる。
家も地獄だし、学校もいじめやら担任のえこひいきがひどすぎるだとかで地獄だった。一週間ずっと休める日がない。
そんな中で普通に生きていけるわけもなく、高学年になってからは自傷が始まった。最初は髪の毛を抜くだけのかわいいものだったのが、当時流行っていたいじめやら援助交際やらリスカやらの漫画の影響でカッターで手の甲を切り出した。最初は薄くて傷も残らずすぐ治るようなものだったのがエスカレートして、切る場所が手首になるまではそんなに時間がかからなかった。
よくリスカしてる人が「切ってるときが落ち着くんです」って言うけど、あれは本当だと思う。切ってるときは落ち着く。なので家では、母に殴られる→手首を切る、がセットになった。最初は恐る恐る、うっすらだったものも、いつのまにかより深く傷が残るものになっていった。手当だって自分でするしかなく、適当にティッシュを重ねたものをセロハンテープで止めた。
中学生になってもその連鎖は続いた。その頃になると学校でのいじめはなくなり、勉強もできなければ授業態度も悪いために教員に目をつけられている以外は普通だった。学校にいれば殴られないしいじめもない。誰も手首にたくさんの傷があり、時々ティッシュを巻いている人間のことも気にしない。嫌いな人間とも友だちをしないといけないのは面倒だったけど、小学校よりはまだましだった。
でもさすがにわたしも耐えきれなくなったみたいで、一度だけ担任に「お母さんに殴られてるんで助けてください」と言ったことがある。結果は無視。わたしが嘘を言ったのだと思ったのだろうか。手首に数えきれないくらいの傷跡があっても信じてもらえないのか。家に帰ったら殴られた。母の機嫌が悪かったらしい。次の日、学校を休もうとしたら怒られた。学校も地獄になった。どこも地獄。
高校は中学よりもましだった。わたしの学生時代で唯一平和だったのは高校の三年間だった。リストカットは続いていたけれど。技術系の高校だったので、他の人とのレベル差に泣きそうになったけれど、それでもいじめもえこひいきもなかった。友だちもわたしのことを見下すことなく、対等に接してくれた。
このまま技術系の大学に進学したいな。そう思っていた。その頃になると勉強やら実技やらの言い訳をつけて帰宅時間を遅くして、母に殴られることは減っていた。母は他人の目を気にする人だから、大学には行かせるだろう。一、二年生の三者面談では、わたしの希望する技術系の大学に行ってもいいと言っていた。
それが変わったのは三年生で、急に「教育系の大学以外は行かせない」と言ってきた。嫌だと言ったら殴られた。今までだんまりだった祖母もそうするように言ってきて、挙句の果てに近所の人にまで「技術系の大学に行ってどうするの」とまで言ってきた。他人を巻き込むな。
そこから高校生活も変わった。進路希望は「教育学部」にした。もう疲れたのだ。殴られるのも蹴られるのも悪口を言われるのも全部疲れた。人生で一度くらいは母に褒められてみたい。そんな感情で受験して、教育学部のある県内の底辺大学に受かった。祖母は合格通知を見て泣いていた。母はなにも言わなかった。殴られも蹴られもしなかったけれど、褒められなかった。
わたしの人生ってなんだろうな~! 母親に褒められたことはなく、かわりに暴力と悪口と宗教がある。家はいつも物であふれかえっているけれど、そこにわたしの物はすこししかない。手首や腕や足には数えきれないくらいの傷跡があって、それは年々増えている。ここで逃げればよかったんだけど、わたしは母に褒められたかった。それだけで大学に行って、母に言われた通りの資格を取って、勧められたままに子どもと接する職場に就職した。そこまでしても母に褒められなかった。仕事で子どもたちとその保護者に関わるうちに、いつのまにか精神が削られていたのだろう。仕事で接する「家族」を見せられるたびねむれなくなり、食べ物が一切食べれなくなり、手首の傷はどんどん深くなり、切る回数も増え、仕事に行けなくなった。体重も三か月で20キロ落ちた。仕事に行くかわりに精神科に通いだし、薬をもらってなんとかねむる。それでも悪夢を見て目が覚める。「普通」でいなくちゃ殴られるのに「普通」でいられない。薬を飲んで手首を切っているときが唯一「普通」でいられた。
もう死んじゃおっかな。そう思い始めて準備をしていると、はじめて母が今までわたしにしてきたことを謝ってきた。「悪いことをした」というだけで、「ごめん」とは言われなかった。母によると「母(わたしの祖母)に殴られて育ってきたからそう育てた」らしい。手首を切っていたのも最初から全部知っていて、知っていながら無視していたらしい。死までもう少しのところまで追い詰めたあとにそんなことを言うな。楽に死なせてくれ。安定剤がなければ生きていけない人間にそんなことを言うな。なによりも、それだけで母のことを許してしまう自分が情けなかった。
わたしに「人生楽そうでいいな~」と言ってきた同級生は、そんなわたしのことを知らない。たぶんわたしのことを「好きな大学まで行かせてもらったのに社会に出てだめになったクズだけど親に守られてる」と思っているんだろうな。実際外から見ればそうなんだろう。母は外からの目を気にする人で、隠すのがうまかった。殴るのだって顔を狙ったことはない。わたしから周りの人間に「母親に殴られたり蹴られたり悪口言われたりしててさ~褒められたこと一度もないんだよね」なんて言ったことはない。わたしから見れば両親が仲良く、いじめられたこともなく、手首がきれいで精神も異常じゃない同級生のほうが十分「人生楽そうでいいな~」と思う。今はもう楽に死ねたらそれでいいです。
弟が大金を稼いだので、なにに使うかと思ったら
https://note.kishidanami.com/n/n1e53de014372
筆者への好意的なコメントが大半だが中に本人/家族が障害を持つブクマカの筆者と弟への嫉妬が滲み出たブコメも見受けられる。
いくら妬ましくても、統合失調症に苦しんでても、これは思ってても書いちゃいけないことじゃないのか。
ブクマカ本人がなのか家族がなのか知らないが、本当にダウン症に生まれてきたとして心底「ダウン症で良かった」と思うのか?
ダウン症は知的障害を伴うことが多いが、その障害度合いは人によってかなり違う。
世の中には大学進学したというダウン症の人もいるらしい。一方で言葉を話すことができない人もいる。
性格も自閉症を併発しているのでなければ穏やかであることが多いようだ。
だがダウン症であれば、まず特徴的なあの相貌になる。ダウン症の子供が産まれた時、見た目が受け入れらず苦しむ親も多い。
見た目の問題というのは大きい。奇異の目で見られたり、可哀想という目で見られたり。
障害受容しているようなのに、ダウン症っぽくないねという言葉に縋り付く親もいる。
人の苦しみは色々だ。
「統合失調症が心底羨ましいです。薬が合えば症状抑えられるんでしょう」と言われたらどう思うのか。
25歳にもなりろくな職にも就かずふらふらとしていたが、そんな私の生活にも終わりが来る時はある。もうしばらくしたら、25年間惰眠を貪った部屋と脛を齧った自分の親元を離れ、遠くで細々と働きながら暮らす。
何をするわけでもない間に老いた両親と離れて暮らすのはなんとも申し訳ないが、だからと言ってこれ以上世話になるのも気が引ける。私は「旅立ち」と言うには薄汚れた、遅い巣立ちの時を迎えたのだ。
しかしそんな両親にも懸念点がある。一見仲睦まじい両親だ。老いてなお息子を支えるために協力する姿は、子からすれば1番の理想と言っても過言ではない。
きっかけは些細だった。帰宅したら黒い女性用ボンテージランジェリー姿の父親がいるのだ。一瞬何がなんだかわからなかった。頭が真っ白、という表現以外思いつかないほどに混乱した。
別に何をするのも父親の人生、そもそも苦労をかけた身としては「やめろ」なんて言える訳はないし、言おうと思わない。しかし、この家は両親と私で住んでいる。母親は知ってるはずもない。知り得もしないものを、急に脳に叩き込まれた。私はどうしたらいいのかわからず、1回目は見なかったことにした。
もちろん、2回目もあった。その時は、少し小言を言った。たしか「何をしようと父親の自由だが、流石にびっくりしてしまう」とだけ言った気がする。本心だが、言った後に1人で考えている際、「そこじゃないだろ」と自分にツッコミを入れたのは言わずもがなだ。
そして今日、3回目があった。今回は前の2回とは勝手が違う。自分がシャワーを浴びる際、見慣れないボトルがあったので見たら「LOTION ANAL」と書いてあった。流石に笑ってしまった。
仏の顔も三度まで、今回ばかりは父親に話をした。父親がしまい忘れたローションをタオルでくるんで隠しながら、ゆったりしている母親を別室に押し込めた。我ながら今思うと阿呆らしいが、ここでミスをすれば人生が終了するかのようなプレッシャーを感じていた。それを取り出し、父親に見せた。父親は、気まずそうな顔をして動揺を隠しながら、平静を装っていた。「別に何をしようと勝手だし自分の好きなことをするのは構わないが、家で隠そうとしてるのに隠せないなら家でやるのをやめろ」と言った。そして父はどこかにそれを隠し、また座りながら煙草をふかした。
正直、気づかないフリをした方が良かったのかもしれない。または母親に隠さない方が良かったのかもしれない。全くわからない。何をしても、今までの「家族」として見ていた映像が瓦解するのでは、という感覚に苛まれる。我ながら、無理を通した。
確かに父親が何をするのも止められないが、父親の性具が転がっているのを見るのは息子としては最悪である。母親のナプキンを見てようわからんと思っていた頃よりも微妙な気持ちがある。父と母の性行為を想像するのに抵抗があるように、父親と母親と性事物が同時に視界に入るのは、頭がぐるぐるしてしまう。
つい最近のタコス屋の一件以来、鉄オタが気軽に「死ね」「どけ」「なにやってんだ」と言われる機会が増えた気がする。
祭りみたいになったので皆知っているあの件だ。
あれだ確かにあのとき無数のクズ鉄達が無実の一般通過外国人に対してそのような罵倒を浴びせたのは事実だ。
だがしかしそれを理由に鉄道オタクを罵倒していいと考えるのはおかしくはないか?
テレビやラジオが語る「部屋からゲームが見つかったのでゲームを1秒でもやった事があるやつは犯罪者予備軍です。人を殺す前に死んで下さい」と何が違うのだろうか?
もし偶然あなたがあの撮り鉄達に街で遭遇し、もしも貴方達が「死ね」と言われたのなら「テメーが死ねよ」と口にしてもいいだろう。
だが待ってくれ。
きっと多くの鉄オタが先に自分たちが口にした「死ね」の部分を切り取って「死ねと言われました~~~僕たちはただ電車を撮っていただけなのに~~~」と貴方を袋叩きにしてくるだろう。
だが、「死ね」と誰かに言い返すのは本来それぐらいの覚悟が必要なことだ。
今、空前の鉄道バッシングブームによりこちらが言い返せない量の「死ね」が飛び込んできているため、こちらは防戦一方だがよく考えて欲しい。
貴方に近所に住む100人の鉄道オタクに粘着されて自宅と職業と氏名と人生と学生時代の卒業文集を晒される覚悟があってその「死ね」を書いているのだろうか?
もし、今回叩かれているのが貴方の好きな文化だったらどうだろうか?
貴方の好きな文化のオタクが、偶然通りすがりの無理解な外国人の手により空前絶後のチャンスを失ったとしよう。
その時に口にした「死ね」がもしも貴方の文化を滅ぼしたとして貴方は納得できるだろうか?
そもそも貴方達が何を勘違いしているかと言うと、あの「死ね」は一般通過外国人の人権を軽視していたから出てきた言葉ではないのだ。
そこを勘違いしないで欲しい。
そもそもなぜ鉄道オタクは彼らを「アイツらが特別おかしい。同じ鉄道オタクとして恥ずかしい」と切り捨てないのだろうか?
そんな疑問を持つ人達もいるだろう。
何故か。
確かに現代では家族を毒親だなんだと切り捨てるのがある種のブームとなっている。
だがそれをやってしまった人にとってもはやこの世界に永遠の絆と呼べるものなんて一つもないだろう。
だが鉄道オタクの世界には確かで絶対的な「鉄道」という繋がりがあるのだ。
遠い国で遠い国の鉄道の写真を取る時、同じく別の国からその鉄道を取りに来た鉄道オタクに出会う。
そのとき感じるのだ。
オシラサマ思い出した
Japaaanマガジン 歴史・文化 なんと馬と結婚した女性の末路…「遠野物語」より、オシラサマのエピソードを紹介
@2019/08/18
世の中は実に広いもので、結婚と一口に言っても人間同士とは限らず、イルカや抱き枕など、様々な相手と結婚した方のニュースにふれると、愛情の形は実に色々あるものだと実感します。
と言っても別に昨日今日の話ではなく、日本でも人間と人間以外のパートナーが夫婦となったエピソードが残されています。
そこで今回は柳田國男『遠野物語』から、オシラサマの話を紹介したいと思います。
あまりに馬が好き過ぎて……
むかす、あったづもな(昔、こんな事があったそうだ)。
とある農家に一人娘がおりまして、気立ても器量もいいのに、年頃になっても縁談を断り続けていました。
あまりの事に、将来を心配した父親がその理由を糺したところ、娘はなんと「おらァ、ウチの馬と夫婦(めおと)になりてぇ」などと言い出します。
この申し出には父親も仰天しましたが、確かに以前から、厩(うまや)に一人で籠もって馬に向かってずっと独り言を続けている様子を目撃していました。
確かに馬は昔から、単なる家畜ではない「家族」だけれど……(イメージ)
馬といるのが何でそんなに楽しいのかと訝っていたら、なるほどそんな眼で見ていたとは夢にも思っていませんでした。
「バカもん!お前を永年、手塩にかけて育てたのは馬なんぞにくれてやるためじゃない!」
父親として当然の思いを伝えると、思い切って遠野城下へ出かけていきます。
「……お前が『馬と夫婦になりたい』などと言い出すのは、村にロクな男がいないからに違いない。よぅし、これからお町でこれ以上ない好青年との縁談を取りつけてきてやるから、楽しみに待っておれ!」
父親が出かけてしまうと、娘は馬と夫婦になりました(具体的なやりとりについては割愛されています)。
馬の首に縋りついた娘が……
さぁ、娘が馬と「夫婦になった」ことを知った父親は、烈火の如く怒り狂います。
「おっ父ぅ、やめてけろ!」
懇願する娘も顧みず、父親は馬を裏庭にある桑の木につるし上げ、斧でその首を叩っ斬ってしまいました。
「あぁ……何てむぞい(かわいそう)!」
娘が叩っ斬られた馬の首に縋りついて泣いていると、どういう訳か、馬の首ともども飛んでいってしまったそうです。
たった一人の大切な娘を失った悲しみに暮れていた父親は、ある晩不思議な夢を見ました。
「おっ父ぅ、親不孝な娘でごめんなぁ……その代わりって訳じゃあねぇんだども……」
「裏庭の桑の木で、私たち夫婦を彫ってお祀り下されば、きっと功徳がありましょう」
自分たちの結婚を認めて欲しい……そんな娘の思いに、とうとう父親も折れて馬と娘の像をお祀りするようになりました。
その像は桑を削った棒の先端に顔を彫り込んだ素朴なもので、幾重にも布を着せて支えるのですが、どういう訳か迷い事などある時には馬の顔がどちらかへ向いて「お知らせ」してくれるので、いつしか「お知らせ様」と呼ばれるようになり、それが転じて「オシラサマ」として今日に伝わっているそうです。
どんどはれ(昔話などで「おしまい」の意)。
実家暮らしで去年からテレワークをしている。ずっと座りっぱなしだからか腰に違和感があり、去年から整体に通い始めた。
先日、整体に出かけて、出かけたついでに母の日のプレゼントやら洋服やら必要なものを買ってから帰った。すると帰宅するなり父親が開口一番怒鳴りつけてきた。
正直に「整体と買い物。母の日のプレゼントも買った」と伝えたら、「どっちも行かなくても死なないんだから、行くのを控えろ。食料なら近所のスーパーで買えばいい。余計な外出でコロナをうつしたらどうするんだ。今は医療が受けづらい。俺のような高齢者の死亡率を知っているか。まだ死にたくないんだ」と捲し立てられた。
父曰く、整体なんてものは普段から運動とストレッチを欠かさず行えば行かずに済むものらしく、母の日のプレゼントも「余計なもの」らしく、洋服も「買わなくても死なないもの」らしい。
実家暮らしである以上、家族を慮って外出を控えることは当然であり、半日にも満たない外出であっても非常識らしい。
家族のことを考えろという点についてはわからないでもないが、我が家は夫婦間の冷戦がずっと続いており、家族で食卓を囲むことはまずあり得ない。使う食材や調味料も母・私と父とで分かれているほどの徹底っぷりだ。冷蔵庫のスペースだって明確に区切られている。
父と会話することも年に2,3回あればいい方で、「一つ屋根の下にいる他人」という認識の方がしっくりくる。それが、このコロナ禍、何回目かの緊急事態宣言中に急に父親ヅラをし出したのがおかしかった。
何より、「自分が死にたくない」という気持ちが一番で、「コロナにかかったら若者だって重症化するかもしれない」とか、娘である私に対する言葉が一切なかったことに違和感があった。
70歳オーバーの父は誰がどう見ても高齢者であることに変わりはない。感染時のリスクが高い、確かにそうだろう。だが我が市ではもうすぐワクチンの接種が始まる。高齢者から優先的に。
父の言い分では、俺がワクチンを受けたらお前は好きにしろ、ということなのだろうか。
私が実家に留まっているのは、以前母が倒れたことがあったからだ。今は回復している。その時父親は母に対して何もしなかった。「家族」なのに。
せめて母の面倒だけでも、と思っていたが、父親が怒鳴る顔を見てなんだかどうでも良くなった。父との喧嘩はもう数え切れないくらい起きているが、今回「早く出て行け」とまで言われたから、留まる理由が薄らいできた。
コロナ禍の中、引っ越しのためにあちこちの内見をするのもそれこそ感染が怖いから嫌だったのだが、もう家を出ようと思う。今後介護のために戻れと言われても無視をしよう。勝手に死んでくれ。お金なら出すから介護サービスを受けて欲しい。
それと母は離婚を希望してるんだから、早く印鑑を押して欲しい。怒鳴り散らして自分のことしか考えていないあなたのことなんて、誰も愛していない。