はてなキーワード: 「絆」とは
「女性スペース守れ」有志デモに罵声(新宿)ってニュースを見た。トランスジェンダーの人が戸籍上の性別変更をするのに性転換手術が必要とされている現行の法制度が適切か、最高裁でいま検討されいているという話もあったが、これらの件で面倒なのは、両者が「人権」「ジェンダーフリー」そして「社会的弱者」というよく似た基盤をもちながら、対立の構図を生み出している点だ。
デモは杉並区を拠点に活動する「女性と子どもの権利を考えまちづくりにいかす杉並の会」が主催した。
(中略)参加した約20人の女性らはプラカードを手に、「男女以外の性別はない」「女性スペースに身体男性は入るな」「女らしさ、男らしさから自由になろう」と訴えながら、新宿駅周辺の車道を練り歩いた。
だが、こうした参加者の訴えをかき消すような怒声も飛び交った。
参加者を上回る数の抗議者らが、レインボカラーの旗や「トランスジェンダーの権利は〝人権〟」「ヘイトスピーチ、許さない」と書いた紙やフラッグを掲げ、歩道からデモの参加者の顔を撮影したり、「トランス差別をやめろ」と声を張り上げたりした。(同ニュースより。魚拓ははじかれたのでリンクナシすまん)
コレたぶん、多くの人(特に男性)の印象は「どっちにも加担したくないなあ」だろうと思う。それは、彼らの価値観に親和的でないからではなく、むしろ親和性が高いほど問題で、それは両者にとっても社会全体にとっても一番マズい結果にしかならんと思う。
たとえば信頼してる気の合う知人が2人いたとして、どんないい人らであっても、彼らが喧嘩はじめたら両者から距離を置くくらしか現実的には対処できなさそう、みたいな感じ。リベラル寄りの政治・社会運動が失速するのって大体コレで、逆に言えばリベラル寄りの運動を失速させたいときの定番は、そういう「分裂の楔」を見つけて提供することなんだよね。で、現状この対立はまさに「人権」「ジェンダーフリー」「社会的弱者」立場の運動における「分裂の楔」になってる。そして、その「楔」にたくさんの人が踊らされている。
立場を同じくするなら、本来「手を取り合って解決する」道はあるはずなんだよ。たとえば、トイレの種類を増やす、風呂についてはもう全員水着着用を必須とする、とか。そう、一部の人でなく社会全体が薄く広くダメージを被る形での解決を目指すのが本道なんだが、それをするためには社会全体の納得が必要で、現状それが追い付いていない。この問題がいかに厄介か、少数の人がいかに苦しんでいるか、それを目指すことが社会全体にとっても結局はどのくらい価値があるか。多くの人がピンとはきてないんじゃないか。
たとえば障碍のある人への社会的な対応は、この数十年で相当進歩したけれど、それは問題に直接かかわっていない多くの人々への粘り強い社会的教育とセットになっていて、そして、それら抜きでは実現しなかった。点字舗道、音声信号、駅などのエレベータ、スロープの設置……今では当たり前なそれらの風景は、この数十年でまさに「社会全体の合意を得た上で広く浅くコストを負う形で」実現したものだ。だがもし、当事者たちが「分断の楔」に足を取られていがみ合っていたら、絶対に実現しなかっただろう。
だから、
抗議者「(デモに)参加した女性の顔写真をさらす」「トランス差別をやめろ」=攻撃とレッテル貼り
デモ側「男女以外の性別はない」「ヘイトスピーチと批判される意味が分からない」=言うこと言っておいて知らん振り
……なんていう、無自覚でも意図的でもお互いに対する攻撃は何も生まなくて、落ち着いて話し合いと協力を目指すのが唯一正解への道だと思うし、その際には、いかにして多数の人に訴えを届けるかについて方策を練った方がよいと思う。
たとえば(くだらないたとえ話だが)、「風呂場に『身体男性』の人がいることで受ける恐怖」を理解させるためには、「風呂場に『身体女性』の人がいて情欲を感じないと断言できるか」と考えさせてみるのもいいかもしれない。それに対する答えはもちろん多様でありうるだろう(「すでにゲイの男性が入っていることは避けられない」「自分は情欲を感じない」から「むしろ自分が気恥ずかしい(のでやめてほしい)」に至るまで)が、そういう議論が男性の間で起こっていない時点で、この問題はまだ社会全体で共有できていないということなのだ。ぶっちゃけ男性同士がこの問題を上記のような観点で議論しているのを見たことがない。
……と言うと、「その程度の想像力がないのか!これだから男性は…」とか毎度毎度のように絶望しはじめる人もいるかもしれないが、当事者でない限り人間にそうそう便利な「想像力」が発揮できるわけない、ということすら毎度毎度想像できないならそんなこと言わない方がいいと思う(つまり、馬鹿に馬鹿と言っても無駄だと気付けないのは十分馬鹿だ、ということ)。そうやって味方同士刺しあうより、手を取り合う方法を検討した方がよい、というのがこの書き込みの趣旨だ。上で見たように、わずか一つの「楔」が運動全体を崩壊させるのならば、逆にそれを打ち消す「絆」を実現するのも、意外とちょっとしたアイデアや行動であったりするかもしれない。それはそんなに難しいことじゃないかもしれないのだ。
ラグビーワールドカップ・ニュージーランド大会とスポーツアジア大会が始まった。
今回に限らず、世界的なスポーツ大会では、メディアは日本応援一色になるのが常だ。
(ノーベル賞とか海外で活躍する人とかについても同様の傾向があるが、ここでは取りあげない)
毎回のようにこのムードを見せられると、はっきり言ってうんざりしてくる。
嫌なら見るなといわれても、どうやっても目に入ってくるので、どうしようもない。
私が思っていることをつらつらと書いていきたい。
幽谷霧子(の中の人)と同じ日に生まれた(投稿日現在)27歳男。ちなみにアナスタシアの中の人は誕生日が一緒。
個人的にアングラネタ(淫夢、Syamu、オウム、北朝鮮、恒心教)が好き。
面白い人(元首相銃撃の後ろで転んだ女子高生、「私は森の妖精です」の人、優木せつ菜推しの上履きの匂いフェチなど)も好き。
ハプニング(まれに起こるストライキ、皇族のコロナ感染、北朝鮮のミサイルなど)はもっと好き。
シャニマスのキーホルダーが生徒にウケた。デレマスのフルグラフィックTシャツ(二次元コスパ)で授業すればもっとウケた(そのまま退勤したら女子高生にすれ違いざまにキモイと言われたが)。
っていうか、10月のシャニマスのライブ、ゲーム先行と一般抽選両方やって全部外れたんだけど。
せっかく283プロのレッスンジャージにイルミネーションスターズの腕時計、ライブ公式グッズもいろいろ買って準備してたのに。
言いたいことはこれに尽きる。
別にどこが勝とうと自分には何のメリットもないのに、なぜ日本だけを応援するかわからない。
もちろん日本が勝ったら給料が上がるというのであれば応援する理由にもなるし、本気で応援する。しかし現実そうではない。
自国やそこにいる人やチームなどを応援する気持ちは、どうやら昔軍隊がいたころの名残なんだそう。戦勝は自民族の生存に直結するためだからだ。
現在の日本だと、防衛大学校がこれと似たような状況になっているらしい。
というのも、2年次の手漕ぎボート大会で自分たちの宿舎が勝てば、宿舎の雰囲気がよくなり今後の学生生活がぐっと楽になるから、1年生は先輩を本気で応援するんだそう。
でも日本全体が防衛大学校と同じ環境なわけはないし、それに日本人や日本代表チームは軍隊ではない。別に勝ったとしても生存には関係ない。
仮にそれが軍隊だったり、日本戦が戦争に相当するようなもの(結果で自国の未来が決まる)だとしても、そのうち日本は衰退して消えるんだし、あまり応援する意味はないんじゃない。
もし日本が消えても、なんだかんだでどこか別のところに拾ってもらえるんじゃないかしら。なんなら英語できるし。
言い換えると「日本が勝ったからといって、自分が勝ったわけではない」「スゴイのはその選手やチームであって、自分ではない」ということ。
なので、日本が勝とうが自分がすごいとは思わないし、正直日本戦の結果はどうでもいい。
ほぼ毎回のように「感動をありがとう」なんていうメッセージが飛び交う。
しかし私は、なぜ日本代表が勝っただけで感動するのかわからない。
同じ日本人でも、私は日本代表のメンバーではない。自分のことではないのだから勝とうが負けようがどちらでもいい。
日本代表が勝ったとして、自分には何の影響もないのだから、感動するわけがない。
感動がらみでいえば、選手側からの「感動を与えたい(届けたい)」がある。
日本戦で感動しないのは上で書いたとおりだが、その前に感動は自分で勝手にするものであって、誰かに与えてもらうものではない。
というか、「与えたい」とはずいぶん偉そうだこと。
「俺様たちの素晴らしいプレーを見て感動しやがれ」とでも言いたいのだろうか。
「与えたい」もそうだが、「届けたい」もひどさ満点の言葉だ。
だから押しつけがましいつってんの。要らないのに勝手に押し売りするのやめてもらえませんかね。返品していいっすか。
よくテレビで言われる、(日本代表の活躍などに)「日本中が熱狂した」。
自分たちの思っていることをそのままメディアに起こすのであれば、どこかは対戦国を応援していたりしていてもいいはずだ。
まぁ、今のインターネットの状況を見ているとさもありなん、って感じかな。
少し日本を応援しないだけでやれ反日だ、○○人だ(なんかそういうデータあるんですか?)、祖国に帰れ、などと、愛国心しか取り柄のない暇人日本人が騒ぐ。
そういう意図がなくても、誰かの勝手な妄想で尾びれ背びれがつくものだから、ありもしない話が出来上がっていく。
逆にこの炎上を逆手にとって注目を集めることもできるが、マスメディアがやるとリスクが高いのだろう。
それに、スポーツ観戦は結果がはっきりしてる分、自分のパッとしない人生を自分が頑張れない分投影できて人気もいいらしい。
となると、無理やりでも日本を応援して、そういう人たちのニーズにこたえた方が堅実に利益になるというわけか。
もしそのムードに水を差すと思われる発言をした出演者に対しては、他の出演者は軌道修正を図るか、冷たくあしらいなるべく関わらないようにする。
前者はファインプレーを視聴者にアピールし、人気を得るために使う。
後者はこちらに延焼しないようにするためのもの。和田アキ子あたりがやっていたような(こちらはリスクを冒してまで人気を取る必要もないんだけど)。
マスメディアがダイレクトに日本を応援するのはよくあるが、一見中立に見せかけてやっぱり日本を応援するパターンもある。
それは、このように識者や人工知能を使って勝敗を予想するパターンだ。
そりゃそうだ。日本が負けるなんて言えないもんね。
この押し付けがましい応援ムード、どうも裏で金が動いているように感じてしまう。
スポンサーがうるさいから、下品な音とテロップで日本応援ばかりしてるようにしか見えない。
出演者はもっと大変だ。どんなに心にないことだろうが、どんなに勝ち目がなかろうが、無理やりオーバーな声とジェスチャーで日本を応援しないと仕事がなくなるもんな。
多くは雇用契約でなく、メディアや所属事務所との個人契約なので、簡単に切れるし。
一見プライベートを映してそうなSNSも、結局は営業のためのツールに過ぎない。
プライベートでも応援してますって風を装って、オナホアピールをしているだけなんだよな。
しばしば、試合会場で自主的なごみ拾いをしていることから「日本人は世界一マナーがいい」といわれることがある。
だがそれは対外的なもの(国内外に対する宣伝)であり、見えないところでのマナーはお世辞にもいいとはいえない。
・郷に入っては郷に従えを錦の御旗に、外国人を差別(イスラム教徒に豚肉を食べさせたり…)する
・法で認められた権利を主張しようすると、同じ立場のくせして足を引っ張ってくる
・「自分に実害がなければ別に私はいいですよ」というのが理解できずいちいち無関係な他人に干渉する→多様性の阻害
・なによりも匿名や強い立場になると何でも言っていいと思っているし、実際にそうする
…まだまだあるが、全部日本人がやってることだが。これのどこがマナーがいいんだ。
そのくせ、何の合理性もないマナーを放置(上座下座とか)したり、余計なマナー(マナー講師、お前らだよ)を作ったり。
日本は災害が多いが、そのたびにスポーツが出てきて、スポーツの感動で復興みたいはわけのわからない話が出てくる。
そのたびに言われるのが「みんな一緒になって頑張ろう」とか「絆」てきなフレーズだ。
そのくせして、なんで勝手に見ず知らずの人と絆があったことにされ、協力を強制されるのか理解できない。
絆は感じたい人だけで、協力はしたい人だけで勝手にやっていればいい。こちらを巻き込むな。
日本の応援と一緒に、他国(特に韓国)を貶す動きがみられる。特にTwitter(現・X)。
過度な応援ムードだけでも十分気持ち悪いが、他国を貶し負けを願うものはもっと気持ち悪い。
相手を貶して、そして相手が負けたからといって、何になるんだろう。
話を聞いてみると、昔貶されたから貶してやるんだそう。
どこを見ても日本応援一色だ。嫌なら見るなといわれて他を当たろうにも、やはり同じものが目に入ってくる。
スポーツ観戦しようにも、せめて一歩離れて中立に見たいのに、ここまでニッポンニッポンうるさいのは勘弁してほしい。
他のチームの状況を知りたくても、ほとんど取り上げない。それどころか、日本が負けそうになると中継を切ることさえある。
(似た傾向は、ノーベル賞などでも見られる)
どうにかならないのこの風潮。
だが、上に書いたようなことが重なり合うと、過度な応援ムードだけでなく、日本代表そのものにもネガティブな感情しかわかなくなる。
というか、これから先もメディアに取り上げられる前にさっさと負けてくれた方がうるさくなくて済む。
できるなら日本代表には再起不能になってほしい。二度の目の前に現れないでほしい。
色々書いたが、要するに日本応援一色のムードが嫌で嫌で仕方がない。
他のメディアに変えようが、どこへ行こうが、どうやってもこの話題が入ってくるので避けようもない。
どうすればいいんだろう。
再掲ですが。
日本向けの演説では、「私はアメリカ議会での演説で、『この侵攻はアメリカが体験した真珠湾攻撃と同じだ』と述べました。しかし、あなたがたはその歴史を反省し、今や自由と平和を強く求める、民主主義国家の代表として、確固たる地位を築いています。だからこそ、あなた方にはかつての自分たちと同じ過ちをおかしたロシアを強く非難しなければならない義務があります。悲惨な歴史を乗り越え、民主主義を実現した日本のみなさんには、侵略者から自由と平和を取り戻す責任があります。どうか、あなた方のこの70年の歩みを世界に証明するために、私たちを助けてください」くらい言うと思うよ。
イギリスにはノブレスオブリージュ、アメリカには「自由」と「正義」、それぞれ議員と国民の心をくすぐるようなフレーズを入れてくるんだから、日本には「反省」「(世界での) 高い地位」「義務」「責任」「絆」といったあたりを入れてくると思うんだよね。真珠湾に言及しても、「でも皆さんは反省して平和国家を築いたよね」と言えば、「反省していない」とは言えないから、右も左も黙るしかないし。
テレビでいい父親アピールしてる芸能人とか一般人とか出てて、どれだけいい父親アピールの映像が流れても、家族を「お前」って呼んだだけで全部冷める。
妻なんてもってのほかだけど、子供にも「お前」って呼ぶ神経が理解できない。
流石に赤ちゃんをお前って呼んでる人は見たことないけど、幼稚園ですでに子供に「お前」って呼んでるパパやママは見たことがある。
家でそんなに威張ってどうするんだろう。
外でも他人のこと「お前」って呼ぶのかな。
それって何かで役職とか立場が逆転したら「お前」って呼ばれることを受け入れるってことなのかな。
まぁそういう関係なら仕方ないけど、家族に「お前」って呼ぶのってもはやDVだよね。
うっかり使っちゃってる人は本当にやめたほうがいいよ。
ふと中学の時のことを思い出したので書く。
学校行事のたびに、「クラスメートの全員分の下の名前をひらがなで書くのが好きな女子」っていなかっただろうか。
体育祭の時の黒板とか、学級旗とか、遠足のしおりとか、寄せ書きとか。
スペースのあるところをみんなのファーストネームで埋め尽くす系女子。
ウチらのクラスは仲がよくて、気軽に下の名前で呼び合えるようなアットホームなクラスなんだよね~っていう「絆」の表明だと思う。
自分が中二の時のクラスに、それが好きな女子がいた。(Aちゃんとする)
Aちゃんは、クラスの中心的な存在で、行事が好きで、「クラスみんなで取り組も~っ」ていう感じの陽キャな女子。
宿泊行事のしおりの表紙の作成を任されたときにも、Aちゃんはいつものようにクラスメートの下の名前で空白を埋めていた。
でも、Aちゃんはそのときはやらかしてしまった。クラスの中の目立たない系の女子の名前を一人書き忘れてしまったのだ。
そのことが発覚したとき、Aちゃんは自分のミスにすごくショックを受けていた。泣きながら何回もその子に謝っていた。
書き忘れられたほうの女子は、Aちゃんがあまりにも泣きじゃくるので、逆にAちゃんのことを心配して慰めていた。
その子がクラスの中で、嫌われたり、いじめられていたというわけではない。
Aちゃんと仲が悪くて、意図的にハブられたというわけではもちろんない。Aちゃんに悪意なんて本当になかった。
Aちゃんは行事に向けてみんなの一体感を強めようと努力していたけど、
その「みんな」の一員として、その子の名前を思い出すことができなかった。
Aちゃんが大好きな「クラスのみんな」のなかに、その子の占める場所がなかっただけだ。
この騒動が起きた時に、自分がある種の爽快感を感じたことを思い出した。
「絆」の危うい弊害。災害女性学を提言する研究者は「ネットワーク」を訴える。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_603c6d46c5b6d7794ae0177a
女性たちが立ち上げる"運動"や"活動"に入る"女性"という言葉
問題なのは、"女性の"、"女性のための"とつけることによって
(もちろん、女性たちは包括できると主張するだろうが、私はそうは思わない)
保守的な女性にとって、進歩的な女性がリーダーシップを取ることで
(まぁそうならないために"女性"と一括りにしていると思う)
保守的な女性にとって、その位置関係であるなら進歩的女性が目指す社会にとって
混乱させるかもしれないが、私は別に保守的な存在を犠牲にするのは全然かまわないと思っている。
私サイドの男性の活動を見ると、"男性の"、"男性のための"とはあまりつけない
進歩的男性にとって保守的男性は下に見てるし、また保守的男性も進歩的男性を下に見ている。
ここらへんは女性も同じだと思う
90歳の祖母がいるけど、男はキッチンに入るなとか平気で性差別主義者のようなことを言い出すし
でもそれがこれから犠牲になっていく保守的な女性ってことなんだと思う(それを女性は教育してなんとかなると思うのだろうか?)
男性も女性も保守的な人は差別的だし、進歩的はその保守的な人に対して差別的だ
私が言いたいのは、"女性"とつけることによって保守的な存在も包括してしまい、
犠牲になるべく保守的な存在も生き残らせてしまう可能性があるということだ。
1961年生まれ。史上2頭目の三冠馬、そして史上初の五冠馬である。ディープが登場するまでの史上最強馬といえばルドルフであり、そしてルドルフが登場するまではシンザンこそが史上最強馬だった。19戦15勝、2着4回。3着以下に負けたことがなく、そのわずかな敗戦もトライアルばかりで「調教代わりに手を抜いて走っているのでは」とも言われた。ルドルフを超える神のごときカリスマを持った最強のウマ娘として出てきてほしい。
1965年生まれ。29戦して海外遠征を除けばすべて3着以内という強さを誇った怪物。驚くべきはそのレース選び。芝でもダートでも長距離でも短距離でも勝ちまくる。いわば強化版アグネスデジタルである。3200mの天皇賞春と1200mのスプリンターズステークスを両方勝っているのはタケシバオーだけであり、当時はシンザンと並ぶほどの評価を与えられていたらしい。豪放磊落って感じのウマ娘として出てきてほしい。
1970年生まれ。日本競馬史上においてオグリキャップと並ぶアイドルホース。地方から中央競馬に殴りこんで連勝を重ねたのも同じ。しかしハイセイコーは皐月賞では勝ったものの日本ダービーでタケホープに敗れてしまう。実はハイセイコーは2000mまでの馬。馬場もダートのほうが合うと言われていた。マイル路線もダート路線もまだ整備されていない時代。ハイセイコーは不利な戦いを強いられ、しかしそれにより更なる人気を獲得した。同性から人気があるタイプの不良っぽいウマ娘として出てきてほしい。
1972年生まれ。ツインターボやメジロパーマーの究極形。人呼んで「狂気の逃げ馬」。とにかく最初から最後まで全力で逃げ続ける。しかもその戦法で9連勝して皐月賞とダービーの二冠馬となっているのである。なぜそんな極端な戦法をとっていたかというと、実は幼い頃に他馬に蹴られたトラウマのせいで、馬込みの中で走らせることができないからだった。狂気の暴走と思いきや泣きながらいじめっ子から逃げていたわけで、この時点でもうウマ娘っぽい。
1973年生まれ。「流星の貴公子」と呼ばれたアイドルホースである。競馬ではしばしば「三強」の構図が表れるが、テンポイントにもトウショウボーイ・グリーングラスという同世代の好敵手がいた。三頭とも出走したレースでは必ずワンツースリーを占め、三頭ともが年度代表馬になったという、稀有なライバル関係だった。そしてレース中に骨折し予後不良となった名馬としてキーストンやサイレンススズカと並んで語られることが多い。正統派のイケメンウマ娘として出てきてほしい。
1980年生まれ。(ウマ娘に)もう出てるだろ!って突っこまれそうだけど、個人的に大好きなので、まだゲームには実装されてないのを言い訳に紹介するわ。
ミスターシービーは史上三頭目の三冠馬。最後方からまくって追い込む豪快な競馬が身上で、皐月賞では泥んこの不良馬場を後方から差し切り、ダービーと菊花賞では当時のセオリーをガン無視して勝ってしまった。とにかく破天荒でド派手な馬だというイメージがある。ルックスもイケメンで、現役時はアイドルホースと言っていいくらいに人気があった。また、父親は「天馬」トウショウボーイ、母親はそのトウショウボーイと同じ新馬戦を走ったシービークインで、この母からはミスターシービーしか生まれていない。これも「初恋の馬に操を立てた」などとドラマチックに語られて人気の一因となった。
しかし悲しいことに、シービーの一歳年下には無敗の三冠馬シンボリルドルフがいた。シービーは皇帝と戦い、完膚なきまでに負けてしまう。ジャパンカップ。有馬記念。天皇賞春。いちども勝つことができなかった。当時の人気が忘れ去られた現在では、シービーは「史上最弱の三冠馬」などと言われてしまう始末である。言い訳をすると、シービーは本質的には中距離馬だと言われており、ルドルフと戦った距離は得意としていなかった。また体質も弱く、菊花賞のあとは一年もの休養を余儀なくされており、古馬になってからは蹄がボロボロだったらしい。ゆえに私は、もしルドルフと同世代で皐月賞を戦ったなら、彼はきっと皇帝を倒していただろうと信じてやまないのである。
実にミスターシービーこそは、ディープインパクトのような走り、トウカイテイオーのようなアイドル性、ナリタブライアンのような悲劇性を兼ね備えた名馬だと思う。ウマ娘でもかっこよく描かれてほしい…早く実装してくれ…。
1994年生まれ。通称「サニブ」。ほとんど注目されずに皐月賞では11番人気。しかしそこでまんまと逃げ切ってしまう。誰もがフロック(まぐれ勝ち)だと思ったその次の日本ダービー。皐月賞馬なのに7番人気。しかしサニブはまたしても逃げ切ってしまうのである。「これはもうフロックでもなんでもない!」という実況が有名だが、サニブはその直後にあっさり故障引退してしまったため、いまでも「サニブは本当に強かったのかどうか」で議論になるのだった。昼行灯な態度で周囲を油断させて実は有能みたいなウマ娘として出てきてほしい。
1994年生まれ。通称「ステゴ」。GIでも好走するのに何故か1着が取れない「シルバーコレクター」の代表的な存在としてファンから愛された。そして50戦目の香港遠征、引退レースでついにGIに勝利するのだから、作ったようにドラマチックである。が、ステゴの真の活躍はそれからだった。種牡馬として次々に超大物を輩出したのである。ウマ娘のアニメには「キンイロリョテイ」なんて名前で出ていたが、やはり実名で出てほしい大器晩成型の名馬だ。
1998年生まれ。ダービーがはじめて外国産馬にも開放された年の馬だったので「黒船」から名付けられた。が、毛色は芦毛(白)である。有力馬としてダービーに出走したが勝てず、さまざまな巡り合わせからダートに出走したところ、驚異的なレコードで9馬身差圧勝。次走のジャパンカップダートでも7馬身差でレコード勝利を収めたが、その直後に屈腱炎で引退した。ダートではたった2走だけだったがその強さは鮮烈で、今なお「史上最強のダート馬」として支持されている。やはりまだまだダート馬が少ないのでダート最強格のウマ娘として出てきてほしい。
1999年生まれ。10番人気で勝利した菊花賞。7番人気で勝利した天皇賞春。6番人気で勝利した宝塚記念。GIを3勝もしているのに「強い馬」とはなかなか思われないムラのある個性派だった。特に有名なエピソードとして、宝塚記念のときにヒシミラクルに1000万円を賭けて的中させた通称「ミラクルおじさん」の話がある。払い戻しは2億円だったという。まさに「奇跡」という言葉がよく似合う馬である。ウマ娘としてはマチカネフクキタルあたりと仲良くやってほしい。
2008年生まれ。サクラバクシンオーをも超える日本史上最強のスプリンター。香港スプリントを連覇した世界のロォォォォォォォォォォォドカナロア。異名は「龍王」。また種牡馬としても初年度から9冠牝馬アーモンドアイを送り出し、ディープ亡き後のリーディングサイアー最有力候補とみなされている。カレンチャンと同じ厩舎で、カレンチャンから短距離路線の王者の座を受け継いだので、ウマ娘でもそのあたりの絡みを見たいところである。
2009年生まれ。馬主がアニメ『銀魂』の脚本家だったため、作中に登場する謎の爆弾「ジャスタウェイ」の名前がつけられた。ググってもらうと分かるが完全にギャグである。銀魂を知っているとネタ馬としか思えないが、しかし4歳時の天皇賞秋で突如として覚醒、三冠牝馬ジェンティルドンナをぶっちぎって勝利した。中距離ではサイレンススズカ級の評価を受けている。最強12年世代がウマ娘ではゴルシしかいないのは寂しい。社台系は無理でも個人馬主のジャスタウェイなら…。
2010年生まれ。生まれた翌年に東日本大震災が発生し、そのことで苦労した馬主が、関係者への感謝を込めて、震災復興のスローガンである「絆」を、その年の一番馬に名付けたと言われている。皐月賞を捨ててまで狙った日本ダービー。1枠1番1人気。大外一気で見事に1着となり、父ディープインパクトの主戦だった武豊にダービー5勝目を贈った。とにかく主人公感がある。ウマ娘としては挫折してもめげない王道主人公っぽい感じで出てきてほしい。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 127 | 10525 | 82.9 | 35 |
01 | 149 | 10133 | 68.0 | 42 |
02 | 59 | 8248 | 139.8 | 59 |
03 | 29 | 1901 | 65.6 | 32 |
04 | 26 | 9570 | 368.1 | 101 |
05 | 33 | 5462 | 165.5 | 44 |
06 | 12 | 2416 | 201.3 | 61 |
07 | 24 | 3405 | 141.9 | 50.5 |
08 | 56 | 4405 | 78.7 | 35.5 |
09 | 79 | 9644 | 122.1 | 48 |
10 | 126 | 11377 | 90.3 | 33.5 |
11 | 157 | 12500 | 79.6 | 38 |
12 | 175 | 26482 | 151.3 | 55 |
13 | 142 | 12011 | 84.6 | 37 |
14 | 133 | 11626 | 87.4 | 49 |
15 | 176 | 15675 | 89.1 | 50.5 |
16 | 111 | 8006 | 72.1 | 34 |
17 | 150 | 17491 | 116.6 | 40 |
18 | 249 | 23957 | 96.2 | 48 |
19 | 220 | 14791 | 67.2 | 37 |
20 | 199 | 18812 | 94.5 | 44 |
21 | 205 | 24971 | 121.8 | 52 |
22 | 180 | 25904 | 143.9 | 51.5 |
23 | 170 | 15789 | 92.9 | 44.5 |
1日 | 2987 | 305101 | 102.1 | 44 |
本震(7), トンボ鉛筆(7), 差別扇動(8), 余震(10), レイピスト(4), 二重思考(5), 難民受け入れ(6), 井戸(44), ウイグル難民(3), ロリキメセク(15), チンポコ(8), 地震(70), ウイグル(19), イスラム(13), 不謹慎(21), チョコ(22), 毒(44), 天皇(29), ジョーク(11), バイデン(32), 扇動(9), 男女平等(12), 新自由主義(11), ガイ(8), 電通(9), 森(14), 性別(29), 差別(113), 貧乏人(14), 真(13), オリンピック(17), デマ(13), リベラル(28), 不足(20), 目指す(12), 通報(16)
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扶養照会、99%以上断られてるらしい。そりゃそうだよね。共助の社会構造じゃないもん
まず三親等以内と一緒に住んでない人が大半でしょ。単身世帯が3割、夫婦と子供が3割ちょい、夫婦のみが2割、二世帯同居が0.5割。で三親等のおじおば、甥姪なんかと同居してるのが当てはまりそうな「その他」は7%もない
だいたい親戚なんか、よほど血縁重視の田舎じゃなきゃ年に2回も会えば多い方で、年1も会わないのも普通
仕事のために引っ越すのもよくある話
今や血縁共同体なんか、せいぜい親子と夫婦関係でしかもはや成り立ってないんですよ
昔の日本には確かにあったかもしれません。でも、それもけして強いものではありませんでした
中国人なんかどこの国にいても、中国人のコミュニティを発達させてきましたし、今だって親戚をすごく重視します。アラブもそうです。日本にアラブや中国のような強い血縁主義はありません。あなたは親戚をあげて一族いちの秀才に学費を援助したりしないでしょう?
もともと「絆」の薄かった日本の血縁共同体をさらに薄くしたのが終身雇用です
会社のそばに暮らし、会社の中で一生を終える社会では血縁共同体はますます不要になりました
血縁共同体を軽視し、破壊したのが転勤制度です。会社に依存させるためにあちらはこちらへ人を飛ばし、血縁や地縁を切らせてきました
そんなことをしておきながら、まさか2020にもなって「共助」なんて言葉を耳にするとは思いませんでした
別に共助が悪いというわけではありません
共助ができるような土壌が日本にはないんですよ
共同体意識の拠り所は「うつくしい国、日本」。ネトウヨの愛国心なんか共同体意識とは言えません。地方の衰退は共同体意識の喪失の表れです。地方を愛しているのは今やマイルドヤンキーぐらいのものです
今までもなかったし、これからもないでしょう
今や毒親からも嫌な親戚からも生まれ育った地域からも皆解放されたがっていますから
「自助共助公助」、気が触れた発言だとしか思えません。さもなくば何も考えずに言ったか、おちょくってるかです。
「自助 公助」しかないんですよ。「自助 null 公助」なんですよ。国に頼らないでnullに助けてもらってください、なんて何も言ってないのと同じです。
ひとつ援護するならば、政治家が世襲であることが原因かもしれません。コネと地縁と血縁で構成された政治家の世界に生まれれば、「共助」なんて口から出るのも仕方のないことなのかもしれません
ここ10年というもの、表現者の端くれとして、気の合う仲間とライヴ演奏活動をしたり、パーティーなどに神出鬼没して自由気ままな音楽のやり方を実践したりしてきましたが、今年2月にコロナ禍が到来してからはそんなわけにもいかず、ただひたすらに自分が今までやってきた音楽表現を反省することに時間を費やしていました。
それをするため、都内にあるとある「ライヴハウス」に度々寄らせてもらい、お客さんを呼んで行うライヴの域に達しない程度の弾き語りをさせて頂いたりしていましたが、思うところあり、本日12月6日を最後に、その場所及びそこを活動拠点とする音楽仲間との接点を、表現者としての自分が精神的に落ち着くまでの間、解除させていただくことを自主的に決心致しました。
端的に理由を言うと、自分がその場所と関わり続けることが、何かの妨げとなっているとしか思えなくなったからです。
2017年の夏にその場所に初めて足を踏み入れてから、自分の表現者としての振る舞い方の幅が広がっただけでなく、より広義な音楽仲間との付き合い方を手に入れた気がしていました。過去作って恥ずかしさのあまり封印していた曲を掘り起こして堂々と歌ったり、慣れない類の音楽演奏に自分なりのやり方で絡む術を手に入れたり、色々と楽しい思いをしてきましたが、コロナの到来後、こうした音楽実践方法論が意味を持たなくなったばかりか、それによってある種の人を遠ざける結果になったのではと思わせる気配を、周辺人物数名の言動から感じ取れずにいられなくなり、その度に苦しい思いに駆られるようになりました。
なら、その事を一切考えずに人生を歩むのがベストなのです。そのために、自分が謝らねばならない相手が何人現れようが。
しかし、この決意をするにあたって決定的要因となったのは、つい2日前に目に飛び込んだあるニュースでした。
詳しいことは、そのニュースで告知された出来事の執行が遥か先の話ということで、ここでさえ語ることができません。基本的には、非常に目出度いニュースであり、自分もそう思ったはずです。もし、昨年11月のある日に「その場所」にいなければ。
その日、その場所で私は例によって、封印されていた昔の自作曲を歌っていました。本来なら、誰の心をも動かすはずのない曲の群れです。故に封印されていたのですから。しかし、その夜だけは違っていました。その後しばらくの間、かつてない規模で音楽的幸福を味わい、そして散りました。コロナのコの字も伝わってこないうちにです。その短い間の出来事が、まるで兆候のように感じられました。決定的な終幕は、「その場所」に導いてくれたある人に対して、自分が過剰に心配してしまったせいで訪れたのです。
その時に「その場所」との縁を切っておけばよかったんだと思いましたが、自分の音楽哲学を唯一受け入れてくれる場所を、そう簡単に蔑ろにできるわけがありません。そんな、自由な戯れへの捨てきれない思いを、コロナがぶっ壊しました。表面的には、です。
でも、結局一番情けないのは、自分の信頼されなさです。だからこそ、いい結果が出ないのです。
先の目出度いニュースに対して寄せられた嬉しいコメントの数に、改めて心を痛めました。そこまで見守られているのなら、自分如きに寄りかかる必要なんかなかったんじゃないかって。それに比べて、自分は何なんだ。いかなる建設的意見を呼びかけようが、誰も反応してくれない。
もう、自分は人に信頼されるために表現を行える身ではないのです。単に年輪を重ねた生きる屍ですから。文頭で一旦「表現者としての自分が精神的に落ち着くまでの間」としましたが、どうやらその時は自分が棺桶に入る時だと思われます。
以上、極めて個人的な見解になりましたが、従来行ってきた対外的音楽活動再開への道が益々狭まる一方なのは否めなく、今後は全く別のアプローチを探ることになるのは目に見えています。コロナの終息をそう簡単に願えないからには、今まで捉えてきた「絆」の在り方そのものを劇的に見直さねば始まらないのです。
「その場所」が誘ってくれた、全ての絆に愛をこめて。何よりも、命を大切にね。
流行ってるアニメってことは知っていたけど何の話かは全然知らなかった。
見たら流れはすぐわかった。人間が鬼を殺す話。だから鬼滅の刃って名前なんだね。
昨日の話は、敵役のキャラクターが子供の頃病弱を理由に親に殺されそうになって、それ以来人間不信になって殺人しまくるみたいな話だった。親も殺した。
そんな殺人鬼を主人公が成敗して殺すんだけど、死ぬ瞬間に鬼は「俺は誰からも愛されなかった」と絶望する。
しかし同時に親の幻が浮かんできて「私たち両親はお前と一緒に地獄に行ってやるよ」とメッセージをもらう。
初めて見たから話は理解できてない部分があるかもしれへんけど涙が出てきた。
何て素晴らしい親だ。感銘を受けた。学ぶべきことしかなかった。
物語の一つのテーマとして「絆」というのがあったけど、昨日の話では実に緻密に親子の絆が描写されていた。
もしも自分の子供が人を殺したらどんな風にしたらいいか分からないと思う。正解はこれなんだな、と。
昨日の話は長かったけど、もうちょっと短くして道徳の教科書に載ってそうな感じ。
そして、人を殺したら絶対に罰を喰らうぞと。それは自分の命をもって償うことになる。
自分は強いつもりでも世間にはもっと力を持っている人がいて、その人たちが命がけで自分を狙いに来る。逃げきれない。