はてなキーワード: ノンセクシャルとは
俺は年収400しかないけど、自分の身の回りのことは全部自分一人でやるし、炊事は適当だけど掃除は換気扇の離線までやるし、簡単な電気工事から水道周りの1次補修もやるよ!普通自動車と普通二輪が運転できるよ!身長は180cmあって10km40分代で走れる体力もあるよ!
俺と結婚するデメリットは過眠症気味で休みの日は夜の6時に寝て朝の4時半に起きるのと、性欲が薄くてぶっちゃけセックスはしてもしなくてもどっちもいいのでノンセクシャルな人も性嫌悪の人でも大丈夫だよ!
アセクシャルまたはノンセクシャルなポリアモリーというのが、言われている中では一番近いか。
アセクシャルなポリアモリーも存在する。アメリカなどではポリアモリーは「複数人と合意のもとでセックスを含む恋愛関係を結ぶこと」というニュアンスが強いのに対し、日本では複数人に恋愛感情を持ち交際をするがセックスはしない者も比較的多い[10]。
10.^ きのコ (2020年11月17日). “ポリアモリーにもアセクシャルはいる”. cakes. わたし、恋人が2人います。. 2020年11月17日閲覧。ポリアモリーにもアセクシャルはいる - ウェイバックマシン(2020年11月17日アーカイブ分)
ただ恋人とはセクシャルだとすると、モノセクシャル・ポリアモリーあるいはモノセクシャル・ポリロマンティックとでも言うべきかもしれない。
しかしセクシャルもロマンス(あるいはアモーレ)も相手があってこそ成り立つが、ロマンス相手が増田と恋人のモノセクシャルを受け容れ、また恋人が増田と他者とのロマンスを受け容れる可能性は極めて低いから、なかなか夢は叶わんだろうな。
結婚することのメリットや得られる幸福をみんなに教えてほしい。
26歳オタク女、フル在宅の派遣社員。月~金・フルタイムで働いて残業なし。実家暮らし。明日を生きる金があればいい。
恋愛体質でもなく、人間関係はほどほどに狭い。外見だけは褒められることが多いががっつりどっぷりオタク趣味で性格もいい方ではない。
自己肯定感はそこそこ高いから基本的にポジティブ。自分の足で立っていられる。強気で可愛げのない女。
同じ人とは月1回会えれば普通に満足。人付き合いより趣味のゲームやイラストを優先しがちだ。インドア派。
結婚願望はとても薄い。そもそも、おそらくではあるがアセクシャルもしくはノンセクシャルで、人に恋愛感情が限りなく湧きづらい。人を好きになったとしてもそこにある感情は親愛の延長だろう。
そんな自分がなぜ「結婚」を視野に入れ始めたか。シンプルに言えば一番の幼馴染の親友の結婚がきっかけだ。
複雑な生い立ちで、人より孤独の影が強い親友。彼女の幸せを誰より祈ってきた。彼女とのことは長くなるので詳細は伏せるが、彼女の結婚報告を聞いて私は2時間は泣き続けたし、人生で嬉しかったことベスト3に入るくらいうれしかった。というか当たり前に暫定1位だ。重い幼馴染だと自分でも思うが、そのくらい彼女が大切なのだ。
そんな大事な大事な幼馴染が結婚して、インスタグラムを見てみれば他の友人達もチラホラ結婚や婚約、出産報告をしている。女の25~26歳のSNSは大体そんなもん。
そして自分も今後のライフプランの見直しを兼ねて改めて考えてみた。結婚したいのか、そもそも人を恋愛的に好きになれるのか、愛せるのか。
大学時代の自分には結婚願望なんてものはなかった。大学時代彼氏や彼氏っぽいものは何度かいたが、どの相手も好きになれなかった。自分の恋愛より少女漫画や人の恋愛が面白かった。私は同じものを返せないのに、好いてくれて時間や気持ちを割いてくれる相手との温度差に耐えられなくなるたびに別れた。「重いな」と感じるたびに別れた。付き合うときは「この人のこと人間的にそこそこ好きだし、今度こそ恋愛面でも好きになれたらいいな」と思うのに、好きになれないまま付き合うことに罪悪感を覚えて、限界を感じて別れを切り出した。相手を傷つけるたびに好きになれたらよかったなと、しても仕方がない後悔と感傷を抱いた。
高校時代には好きな人がいて、失恋したり、成就したり、人並みに「恋愛」をしていた。将来結婚するんだろうなとぼんやり考えたりもした。
思春期のことを指標にしていいのか判然としないが、昔そうだったのだから人を好きになることはできなくはないと思う。
5年以上恋をしていないから、多分恋愛スイッチが切れてるか断線しているのだろう。
私は令和の今を生きている。結婚しない選択肢もある。結婚しなくてもともに暮らすパートナーを見つけるか、今後一人で生きる覚悟を決める選択もできる。
でも死ぬとき家の中で一人でいたくない。孤独なままは嫌だ。結婚を忌避しているわけでも否定しているわけでもない。
結婚するとしたら今現在理由がそれくらいしかないのだ。これをもし読んだら結婚によって得られるメリットや幸福を教えてほしい。
多分一種の人生の岐路なのだろう。年齢も年齢だし、どっちにしてもそろそろ決めなくてはならない事項だ。
あなたたちは結婚するだけならお見合いしたらいいんじゃねと思うだろう。私もお見合いはいい制度だと思う。でも99%向いてない。私は結構好き嫌いで動くのだ。
そもそも結婚したい相手も結婚願望もない。好きじゃない相手と結婚して、今後の人生を共に過ごすなんて考えられない。絶対人生を通してのストレスになる。
結婚するなら好きな人がいいよね、みんなもそうだと思う。私もそれがいい。何年も恋愛してないからこの先そんな相手ができるのかわからないけれど。
普通になんの抵抗や疑問なく人に恋して、愛せて、結婚を考えられて。そんな人に生まれたかったかも。そう育ったらこんなことを考えず済んだのだろうなあ。そういう人生もそれはそれで大変なことが多いだろうけれど。
前はネットカフェでまとめ読みした
初回に読んだ時は気づかなかったけど、
主人公(男性)の一番大切な人(友人だったり、部下だったり)という表現がしれっと出てくる
同僚の警察官で誤って婚約者を撃ってしまった男が言う「お前と俺は似てるのかもしれない、親が人殺しで一番大切な人をこの手で殺した」。
同窓生の監察官の女性が言う「あなたが誰より大切に思う人はいつも私を見るのよ」。
ノンセクシャルロボットのエレナの話にもあったけど、大切な主人を奪うムカつく人間のメス、みたいな話
なんかゲイっぽいというかなんというか
話の上では性的な描写など一切なく、強い信頼関係としてだけ描かれて終わるのだけど
まあなんというかBLっぽいなと思った
昔々、あるところに拓郎という名の少年がいた。拓郎はいじめられている所を源太に助けられ、彼に一目惚れしてしまう。以来、拓郎は源太を追いかけ続け、追いかけ続け、追いかけ続け! じじいになった現在も、追いかけ続けているのだった……。
BLというかギャグ。老人二人がベンチトークしている場面がメインで、時々過去話があったり、拓郎のイケメン過ぎる孫や源太の家の癖の強い家政婦さんが登場する。
BLなんだけれども全くエロがない。積年の片想いが成就してすらいない。登場人物達の関西弁の掛け合いがテンポよくてめちゃ楽しい。何も小難しいこともないし、頭を空っぽにして笑って読めた。愛しさ5割、切なさ1割、残りは心強さ(折れないという意味で)ってところかな。
各話とも短いので、お休み前の憂さ晴らしに布団の中で読むのにいいかも。
高校時代の源太がとても可愛い。これは拓郎が初恋を拗らせ続けてしまうのも已む無しだが、その源太が現在はなかなか切れ味の鋭い毒舌を吐くじいさんに成長してしまっているのは何故なのか……その過程をちょっと知りたかったけど、拓郎の語る若かりし頃の源太は全盛期の高校時代ばっかりなのが歯痒い。まあ初恋がエターナルラブになっちゃったのだから仕方ないか。
クソ重感情を抱えた拓郎の方がサクッと家庭を持って子孫を拵えているという設定好き。(長野まゆみオタの血がさわぐ)
なお、本作は短編集『じじいの恋』の続編なのだけれど、短編集の方は表題作の分量がそんなに多くないらしい上に、Renta! とかの試し読みでその多くを読めてしまうので、とりま表題作のみに興味があった私は丸ごと『じじいの恋』な本作を買った。短編集の方を読まなくても差し支えなく楽しめる。
ところで今日、増田の人気エントリにおばあちゃんに勧めたい漫画募集のやつがあったから、早速リプでこれをおすすめしようかなと思ったけど、副題が「命短し恋せよ老人」ってリアル高齢者には酷な気がしたので、やめた。
こっちは少々エロあり。
一騎が風邪で寝込んでいるところへ、別れたばかりの元彼・唐木田が押し掛けてきた。まるで別れ話などなかったかのように、唐木田は一騎の世話を焼く。
実は一騎はノンセクシャルで、誰に対しても性欲を感じる事がない。そんな一騎に唐木田は惜しみ無く愛情を注ぐが、一騎は性愛でそれに応えることが出来ないことに負い目を感じていた……。
たしか『ミッドナイトレイン』(CTK)をKindleで買って読んだら関連本としてゴリゴリにおすすめされて、気になってはいた(ゴリラ系繋りなのか、体毛繋りなのか……)。が、表紙をひと目見ただけでわかるほどにやたら個性的な画風だったので躊躇し、いつしか忘れ去っていたのだが、ふと思い出してKindleレビューを読んでみたところ、体毛について熱く書き散らしている素敵なレビューに心惹かれてしまい、つい衝動買い。
レーベルがビーボーイだからエロ8割でストーリー2割かなあと思ったら、そうでもなかった。エロが読みたい人は他を当たるべきな、エロ少具合。
性的指向の違いにより、お互いに相手を別の生物視している所のある二人の出会いと別れと再会の、心の揺らぎが丁寧に描かれている。実をいうとあまり期待していなかったのだけど、けっこう好き。
ちょっと気になったのは、ノンセクシャルの一騎が恋したてでまだ片想いの頃に、唐木田の体毛わさわさな腕を見て「いいな、あの腕。抱きしめられたい」って思う場面。そういう所に性欲含みでなく惹かれる事ってあるのかなあ……と思うのは、私がノンセクシャルではないからだろうか。うーん、まあ体毛にエロスを感じるなどパブロフの条件反射のような気もするし……きっと性的な経験0だと単純に頼もしそうな腕に抱かれて安らぎたいなと思ったりもするのだろう、たぶん?
唐木田が性欲を剥き出しにした場面は、一騎目線では唐木田が得体の知れないモンスターのように描かれているのが怖かった。別に何も痛いことをしたりとか異常性癖を無理強いとかする訳ではないのだが、一方的にそういう目で見られるということ自体の気持ち悪さとか理解不能さがビンビンに伝わる描写だ。
最後までお互いに相手の性的指向を理解することはなく、別次元の生き物だと割りきって恋人関係を続けていくというのがよかった。理想を追求し過ぎない感じで……、いや、むしろ現実ではただ性的指向が合わないっていうたった一つの問題でもカップルの仲は決裂しがちだから、これこそ理想的な落としどころなのかな。
「性欲」って気軽に使われているけど、正直よくわかっていないので考えをまとめてみた
増田はノンセクシャル (ロマンティック/アセクシャル、つまり恋愛感情はあるけど性的欲求が他人に向かないタイプ) だけど、だいぶ例外かもしれないから一般化しないでね
「触ると気持ちいい」みたいなのや「何にもないけどムラムラする」
これはなんとなくわかる
手慰み的に自慰することあるけど、ホルモンの増減によって気分が全然違う (5分で止める日もあれば1時間くらいやるときもある) から、生理的な欲求っていうのがあるんだなーと認識している
まあ欲求に突き動かされてっていうよりも、半分癖になっている節はある
これはある……というか、見ているうちに植え付けられたのだと思う
猫にエロいと思わないけど、猫耳を見てえっちだ……と思ってしまうように、エロい創作物を見て後天的・条件反射的に①になるようになった
ただ、後述する④セックス欲が湧かないためか、ニッチなシチュエーションや特殊性癖に対して条件付けされてしまったようである 検索履歴がヤバい
BLなど女性向け作品のエロに関しては、エロ創作を読む気分になれるか、ストーリーやキャラクターを楽しみたいかで受け入れられる度合いが変わってくる (後者の場合が多いため、性描写がない作品にハマりがち)
これはおそらく「アニメ見てシコるときもあれば萌える/推すだけの場合もある」的な感じでわかってもらえるのではないだろうか
あるようなないような?
「他者をセクシーだと思う」はあるけれども、「それを妄想してオナニーする」に繋がらない
昔の担任の先生が、腰がほっそいことと、『西洋骨董洋菓子店』の小野 (数々の男を魅了する「魔性」の男性キャラ) にそっくりで「うわ~~セクシーだ~~好きだ~~」とは思ったことはあるが、自分がその人に押し倒されてあれやこれやみたいなことはまったく考え付かなかった
おそらく「推し」に近いのかもしれない
恋愛方面で言うと、好きになった人としたいのは「もっと話したい」「一緒に遊びに行きたい」であって、その人の裸を見たいとかは思わなかった
「セックスしたい」というより、フィクションで見るあれこれって実際やったら面白いのかね?っていう興味しかなく、風俗で1回試せば気が済む程度である
(しかも大金払ってでも試したいわけではないので、ぶっちゃけ生涯未経験で構わない)
なので漫画とかである「死ぬ前に童貞捨てたかった~~」みたいなのはあんまり理解できていない
あとコストもリスクも高いので、欲求もないのに積極的にやろうとは思わない
おそらく③で「この人に性的な魅力を感じる」と思い、①と④の欲求と合わさって「この人とセックスしたい」になる……で合っているのだろうか
「誰でもいいからセックスしたい」という考えがそう珍しくないことから、③の絡まない④が単体で存在するのだろう よくわからないけど
20代後半。3回に1回は中折れする。
なのでEDかと思ったけどそもそも性行為に興味がないのだとも思う。
・自慰行為は週1か2週間に1回くらい。どこか義務的にしてしまう。
・セックスしたいとそんなに思わない。全く思わないわけではないけど、外食のちょっと良いランチくらいの価値にしか思わない。
・もし仮に風俗が500円ならたまには行くかなってレベル。なので2万も3万もする風俗とかも興味ない。
・知らない人と話してご飯行ってホテルに誘うみたいな流れのめんどくささの対価にセックスが釣り合わなすぎるのでマッチングアプリもやらない。
今の恋人に冷めてるから、とかそういうことではなくて、過去の恋人に対しても、したいと思ったことがない。
求められるからまあ一応しとこうか、そういうことするものらしいからね恋人同士って……くらいの義務感でしてきた。
すればまあ楽しいし気持ちいいよ。不感症ではないし、気持ちいいとこ触れば普通に気持ちいい。相手が気持ち良さそうならよかったなあと思う。
けど、するまでのハードルが高い。ひたすら面倒くさい。し、終わったあとも『やっと終わったか』って思う。
性欲がないわけじゃない。肉体的には健康だからオナニーは結構する。AVで勃つし興奮する。
でもセックスしたいな~とは思わないんだよ。
誰が相手でも。
恋人のことは好き。
近くで元気に楽しく生きててくれるのが幸せだと感じる。些細な物音とかが愛しい。
向こうは文句も言わないし誘われることもほぼないけど、これじゃ浮気されても責めたりできないよな。別れてくれって言われても仕方ないし。セックスレスって離婚原因にもなるんでしょ?
でも、自分から正直に『キスやセックスはしたくないんですけどこれからも一緒にいてください』と言って別れ話になるのが怖くてセックスレスのままぼんやりと同棲(つーかもう同居って呼んだほうがいいのか?)続けてる。
子供はそもそも向こうの事情で不可能なのがわかってるし、子作りも必要ない。
枯れた老夫婦みたいにして今後も相手と暮らしていけないもんかなあ。
黙ったままなあなあで、は不誠実だってわかってるんだけどさ……….。
ノンセクシャルってこういうことなの?違う?それもわからない。
どっか受診して相談したら『あなたは無性愛者です』とか教えてくれるもんなの?
それともまだ恋愛したことないってだけでいつかは誰かとセックスしたいと思えるようになるわけ?
しんどい。
最近流行りのノンセクとかいうクソワード、アロマンティックっていう理解され難いであろう存在を無かったことにしているので滅んでくれ。
ノンセクシャルって『恋愛感情がある(ロマンティック)かつ性的接触に嫌悪感を抱く(アセクシャル)人』のことじゃん。
この世には『恋愛感情がない(アロマンティック)かつ性的接触に嫌悪感を抱く(アセクシャル)人』もいるし、一番理解され難いであろう『恋愛感情がない(アロマンティック)かつ性的接触に嫌悪感を抱かない(セクシャル)人』も存在するんですよね。
Aロマ/セクの私としては、認知されてるロマ/Aセク(ノンセク)も、理解されやすいAロマ/Aセクも、もちろんロマ/セクとかいうマジョリティもどれもこれも羨ましいわ。
あと(ア)ロマンティックと(ア)セクシャルを間違えて覚えてる人めちゃくちゃ多い。
それとLGBにTを並べるのは烏滸がましいと思うし(パンとか並べろ)、そもそもLGBTなんたらかんたらじゃなくて、セクシャルマイノリティって言葉使って欲しい。
日本語ならセクマイって四文字で済むし、LGBTなんとやらだとAロマみたいなのがいつまで経っても可視化されない。
ま、自分もほんの少し調べただけなんで詳しく知らないんですけどね。
ネットではこんなにも、自称アセクシャル・ノンセクシャル等の恋愛嫌悪の声が大きいのに
そういった人達の多くは何故か、この少子化悪玉論で『子育て支援』一辺倒の、独身苛めが蔓延する社会に対して声を上げる事はないようだ
本当にアセクシャルならば不利益を受ける筈なのに、何故か恋愛・結婚までは敵視しても、
その結果である出産・子育てについてはノータッチか寧ろ行為的。
「恋愛を押し付けるな」と言うけれど、「恋愛しない」だけなら現代社会においてそんなの容易いのに
恋愛や結婚・出産をしなかった結果としての独身者への税制面での不遇や職場での皺寄せといった問題には触れない
多分あの手の人達の自称アセクシャルはその殆どが若い頃の一過性のもので、どうせ年頃になったら男と結婚出産して子育て支援をーとか言い出すんだろと冷めた目で見ている
アセクシャル、とひとまとめにされがちだけど、アロマンティックやらノンセクシャルやらが含まれているのが、日本語の「アセクシャル」。
そして、じゃあ、アセクシャルとアロマンティックとノンセクシャルの3種類があるんですね、という理解ももちろん間違ってて、
しばしば言われるように、(それ以外のセクシャリティも含め)グラデーションとして存在しているし、
一見排他的なセクシャリティも、本人の中では矛盾なく(あるいは矛盾しながらも)両立していたりと、
一言で「ぼくアセクシャル」などと表現できない(が、場合によっては何らか表現するしかなかったりする)のである。
なので、あなたの「アセクシャル」と、彼ら、彼女らの「アセクシャル」は違っていて当然だし、
なんならパートナーが欲しいし子供も欲しい人も、パートナーはいらないけど子供は欲しい人もいる。
いま、例えとして「欲しい人」「欲しくない人」などと2種類に分けたが、実際には、これすらも2種類に分けられるものではない。
そう考えると、性的マジョリティだってグラデーションの中の1つでしかなく、
ただただ多数を占めているというだけで、どちらが特殊というものでもない。
なんなら、「性的マジョリティ」とひとまとめにされている人たちの中にだってグラデーションはあって、
結局、誰一人としてマジョリティなんかではなく、マイノリティの集合でしかないのである。
マイノリティの権利を叫びたいばっかりに、マジョリティとの間に線を引くなどもってのほかだ。
まあつまり、誰一人、自分と同じひとなんかいないし、そこにいるAさんとBさんだって、同じじゃない。
逆に言えば、AさんとBさんが「同じ」なのと同程度には、「自分」と「Aさん」、「自分」と「Bさん」も同じだ。
なので、元増田の
アセクシャルと言っても人それぞれなんですねー
という認識でOKだとは思う。
増田です。
皆さん返信ありがとうございます。
ネットの率直な意見が欲しくて、叩かれるの覚悟で書いたけどそれ以外の意見もあり、参考になりました。
誤解させていることもありますので何点か加えさせてください。
・娘が持っていたBLは18禁の表現はありますが、普通の本屋でも買えるものです。娘は複数所持しており、おそらく自分で買ったものだと思います。
・性欲がないのに、子供を作ったことに関してですが、コメント欄でも指摘してくださった方もおりますが、私はアセクシャルであり、その中でも私は人に愛情は抱いても性的欲求を持たないノンセクシャルという部類の人間です。旦那、子供の事については私なりの愛情を持っています。アセクシャルの方でも子供を持っている方はおります。
・息子が18禁のものを持っていたらどうしていたのか、ということですが個人的な考えですがそういったものに興味を持ち、見るのは成長過程の中で当たり前のことだと思っております。ですが、書かれている内容だけ鵜呑みにして相手に暴力を働くことは親として無いようにしたいです。
・娘の所持していたBLは暴力的なものを含んでおり、私目線でいうとこれを未成年が読むのは良くない、と思っております。見てしまった事に対しては娘に申し訳ないという思いはあります。
・コメント内で「何か娘に対して同一視した気持ちがあったのでは?」と言っている方がおりましたが、それに対しては確かに私の中でそういった気持ちがあったかもしれません。なので息子のような気持ちにならず、私と同じように性的なものに娘は興味無いのだろう。と心のどこかで思っておりました。
そのギャップというか、裏切りという気持ちが今のこの娘に対しての気持ちだと思っております。ただ、それに対しては自分のエゴだと言うことは理解しています。
改めて自分の書いた文章を読むと誤字脱字はもちろんですが、色んな感情が混ざってしまい、収集がつかなくなっており、様々な解釈をされたことは仕方ないと思っております。
様々な意見をいただき、私自身考えを整理することが出来ました、ありがとうございます。
「セクシャリティを確定していない」もまた一つのアイデンティティだと思うよ。
私は生物学的にも女だし、女性として扱われることに違和感はない。
男性になりたいと思うことはないこともないけど、それは「自分が女性であることを肯定したうえで、女性社会に嫌気が差した結果」なので、そういう意味でも私は女性であることは間違いない。
恋愛対象は男性で、男性と性的な関係を持つことも、相手に対して心を許していれば嫌悪感はない。
けど、男性向けの発禁本を読んだり、男性向けの(女性の)そういう音声を聞いたりするし、
Twitterで、とある漫画がバズっている。伊咲ウタさんという方の、「ノンセクシャルの彼氏のお話」という漫画だ。下記にリンクを張るが、増田を書くのは初めてなので、うまくできてなかったらごめんなさい。
https://twitter.com/uta_isaki/status/1298224018911145985?s=20
この漫画自体を読んだときは、なんとも思わなかった。切ないなあ、っていうくらい。問題は、この漫画に対する評価だ。引用RTを見ると「女の子が「キスしたら別れてあげる」と彼氏に言ったのは、ノンセクシャルに対する性暴力である」という意見が多い。うんうん。そうだね。ノンセクシャルにそうでない人間が性的な接触を迫るのは性暴力だね。わかるよ。じゃあ聞くけどさ、
なんでお前ら「彼氏がノンセクシャル的な付き合いを彼女に要求したこと」は無視してんの?
劇中でも「好みの顔があんなに近くにあっていちゃつけないなんて拷問だ」と言っている。そう。性欲がある人間からすると、好きな人に性的な接触ができないというのはかなりの苦痛だ。拷問というのは的確な表現だと思う。精神的暴力だ。なのに、Twitter上で見る限り、ノンセクシャルの方々はそこを完全に無視している。彼氏の側は性欲のある人間の無理解に巻き込まれた被害者で、女の子は加害者、と主張している。でも私からしたら女の子はノンセクシャルの人間の無理解に巻き込まれた被害者だという言い方もできるんじゃないの、と思っている。そこの暴力性を無視するのはなんなんだろう。多分それが暴力だって気づいてないんからなんだろうけど、それじゃ性欲のある人間がノンセクシャルにしてることと、立場が逆転しただけじゃないか。まったく納得がいかない。
私はノンセクシャルじゃない。性欲も恋愛感情もしっかりある。別にそのことがノンセクシャルに勝っているとは思わない。が、別にノンセクシャルに対してそこが劣っているとも思ってない。利き手の違いと同じだと思っている。だから、ノンセクシャルが自分たちの気持ちは理解される受け入れるべきだが、性欲のある側の気持ちは受け入れないし理解しない、みたいなことを言っているのは意味がわからない。
ノンセクシャル側からしたら、性欲のある人間は多数派で力がある側だから理解して「あげないといけない」と主張するのかもしれないが、そんなパターナリスティックな「理解」で本当にいいの?少なくとも私は、それが健全な理解のあり方だとは到底思えない。