「今日はみんなに、転校生を紹介するわね。ほら田辺さんおいで」
「ねえ、どんな子かな。男?女?」
「知らないよそんなの」
「ちぇ、女か。でもかわいい子だね」
「趣味は?」
「特にない」
「ねえ、好きな芸能人は?」
「いない」
「田辺さん」
「……何?」
分厚くてカラフルな拍子の本を片手に携えた彼女はその横顔に初夏の太陽の光を受けている。 田辺さんの黒い目がじっとこちらを見つめる。
「いいか、すごく強い敵、勝てそうにない相手と戦う時はな。心構えを変えるんだ。いいか、勝とうと思うから負けたときショックなんだ。思いっきり負けた想像で頭をいっぱいにしろ。むごたらしい負け方を考えろ。そうしたら実際負けたとしても、まだ想像で負けたのよりマシだと思えるだろ」
「なに笑ってるの?」
「ちょっと見といて」
ポケットからバナナの皮を取り出し、前方へと投げる。小さくびしゃっと音が鳴り地面に着地するバナナの皮。
「……?」
得意げな顔で、胸を張って廊下を歩く。ずんずんと腕を振って。少し振り返った視界には、頭にひたすら疑問符浮かべた田辺さんの表情が写る。
「おじいちゃんは負けてばっかりだったの?」
「ああ。でもな、じいちゃんは決して勝負から逃げることはせんかったぞ。見逃し三振より空振り三振の方が見た感じ格好良いだろ!」
「ぐっ」
「…………」
「田辺さん」
「わたしの事好きなの?」
「興味はある。すごく」
それを聞いた田辺さんは初めて、笑った。こらえきれないといった感じで、曲げた体を揺らして笑っている。 想像と違う。
「面白いね、それ」
「なんでやねん」
「あっはっは、なにそれ」
◇
幼気な少年は、社交辞令を真に受ける。彼女に認められていると思いたかった。そんなノスタルジックな学校生活の一面。少女からすれば既に記憶の奥底にしまい込んでいるような些細な事象に過ぎない。結婚し、家庭を持ち、子供が出来た。学生時代にそう言えば変な子がいたな。再会しても思い出せないであろうその面影。今や現実の方がよっぽど大事になってしまった。