はてなキーワード: ネットカフェとは
私のことについて書きます。
1.捨てられたきっかけ
まず、親に捨てられたきっかけは私のニート生活でした。ニート中は模範的に深夜アニメやゲームをしながら過ごしていました。ところが実家でニートを始めて1年ほどたったある日急に家から親が居なくなっていました。
急すぎる。
何も連絡なしに急に家から誰もいなくなってしまった。食べるご飯もなく、収入もない。これではどうしようもないので近くのネットカフェのバイトに応募しました。そのすぐ後にアパートを契約して一人暮らしを始めることにしました。
実家はあるからアパートは借りる必要がないと思われるかもしれないが一点だけ補足させてほしい。私の世帯構成は父母姉私の4人だが、そのうち家から突然出ていったのは母と姉である。すると、父と2人になるがこれは厳しいのです。元々、父のだらしなさが原因で夫婦関係が悪く、父は別居していました。しかし、母と姉がいなくなったことで父が実家にINしてくることになってしまった。父はだらしない人間で実家に戻ってきたときには無職だったので、家に無職2人生活は耐えられないものがあります。だから、早く家を出ていく必要がありました。ニートはニートを支えられない。
話を戻すと、家を飛び出した私は、アパートを借りてバイトではあるが収入を貰い自立した生活を始めることになりました。収入は少ないが、1人だから生活を管理できることが何よりも楽だし嬉しい。ニート時代では、収入を限りなく抑えるために外出をしなくなったし、友達と遊びに行くことを全くしなくなった。とにかくひっそり生きていた。
起床が大体お昼前、昼食は冷蔵庫から物を頂戴してよく自炊していました。そして昼食後から夕方まではオンラインゲームをよくしていました。夕方ごろになると姉や母が帰宅するので音を立てないよう仮眠していました。0時過ぎたころに寝静まるので、そこからは深夜アニメのゴールデンタイム。毎クールごとに時間割を作ってリアルタイム視聴して楽しんでいました。そして見終わると3時ごろで、またゲームを始める。ゲームに夢中になって朝日が昇り始めると就寝という生活をひたすら毎日続けていました。ニートの才能あり。
余談ですが、ゲームは原神という無料のオンラインゲームをプレイしていました。ニート始めたてのころは何をしていいか分からずニュースのニート特集を見漁ると、ほとんどのニートが原神をプレイしていたから、それを真似して始めました。無料でプレイできるのに遊べる要素が多くて、ありあまる時間をつぎ込んでもアップデートが来るため永遠と遊べました。ありがとう原神。
閑話休題。そもそもニートになったきっかけは、会社をクビになったことです。大学を卒業後、新卒で会社に入ったが、あまりにも仕事ができないため3ヶ月でクビになりました。試用期間内で正式に職を失った。ショック!仕事のできなさ具合の詳細は省くが、あまりにも仕事ができていないことは、自分、上司、同僚からみても明らかでした。働かない方が人に迷惑をかけないで済むからという点で、働くべきでない人もいると思いました。それがたまたま自分だっただけ。入社1日目で自分辞めるなという予感がありました。仕事を始めて、環境がかわり精神的にとても不安定でした。実際に2日目には精神科を初めて受診して、仕事に行ったあとは病院に通う生活をしていました。こんなのじゃ働いて精神を不安定にさせて、お金をもらっても結局病院代に消えて意味が無い。そう思って壊れて破綻してしまった。
4.さいごに
それでも、今はバイトを5年続けられていて、生活も低水準ながら維持できている。家族との縁は完全に切れているが、不安定な時期を支えられないなら関係性の修復をすることは今後ない。たかだか血の繋がりだけで、縁があるように見えるが、家族であっても得体の知れない他人だと思う。先日、戸籍を分籍して、一切の他人であることを公的にした。もう記憶からも無くなって欲しいので、断捨離としてこの文を書きました。
消えてなくなれ
国会の議事堂は白熱する議論に沸き返り、各党の議員たちが口角泡を飛ばして意見をぶつけ合う。
だが、どれもこれも的外れだ。
税制をいじっても、保育所を増やしても、何をやっても人々は子どもを産みたがらない。
「こうなったら仕方がない...」総理は秘書官に静かに命じた。
「娯楽を、止めよう。」
その瞬間、場内は凍りついた。記者たちのペンが止まり、議員たちは一様に顔を見合わせた。
しかし誰も反対はしない。今はもうそれしか手がない。皆が分かっていたからだ。
ネット上のすべての娯楽を完全にシャットダウンする。それだけじゃない、テレビはニュース一色、ラジオもお役所が発表するお知らせばかり、出版物はすべて半年間の停止だ。
国民は急に何もすることがなくなった。会社から帰っても、家でできるのはせいぜい家事か、静かに座って窓の外を眺めるくらいだ。
最初の一週間はパニックだった。ネットカフェや図書館には長蛇の列ができ、裏ルートで娯楽コンテンツを手に入れようとする連中が現れた。
だが政府の監視は厳しい。アンダーグラウンドの娯楽マーケットもすぐに摘発され、密かに楽しんでいた者たちは「娯楽依存者」として社会的に抹殺された。
人々は絶望し、娯楽を渇望した。
彼らは朝起きて仕事に行き、帰ってくればYouTubeを見るか、またはお気に入りのドラマを見ながらお酒を飲むのが日常だったのだから。
しかし、今やそれがすべて奪われた。もうやることがない。誰もが手持ち無沙汰に過ごす毎日が続いた。
やることがなくなった国民は、そのうち奇妙な行動に出始めた。
最初は手芸やDIYを始める人が増えた。次に家庭菜園がブームになり、自宅のベランダでトマトを育てたりする人々が増えた。
でも、それも飽きるのに時間はかからなかった。何かもっと根本的な「刺激」が必要だと、人々は感じ始めていた。
そして、半年後、街角ではこんな光景が普通に見られるようになった。
「暇だし…セックスでもする?」
「うん、そうだね」
実際、半年の禁娯楽期間が終わった後、日本中の産婦人科は赤ん坊の泣き声で溢れかえった。
数年前、身内がある男(A)の被害に遭った。
Aと身内は同じ学校とは言え面識は無かったが、身内が所属していたグループの活動に対し一方的にケチをつけて
学校側に根も葉も無い嘘を一方的に通報されたり、学校外にまでの同様の通報や公的機関にまでグループの悪事を告発する、という体の怪文書を送りつけられるという
嫌がらせとしか思えない事をされた。身内の所だけで無く、複数のグループやサークルに対し同様の嫌がらせをしていたらしい。
怪文書の方は、身内の所についてはさすがに相手にされてはいなかったみたいだが(他の所では相手先から問い合わせが入ったケースもあったという)
学校側については学生から通報があった以上、何もしない訳にはいかず、身内らは対応に追われる羽目になった。
この時点では、通報者がAという同じ学校の人間らしい、という事は認識していたが、Aとは全く面識も無かった上にやった事も動機も意味不明過ぎて
本当に気味が悪いと身内はスルーして関わらない様にした。
その際身内からは「同じ学校に凄い気持ち悪い奴がいて怖い」「目をつけられても嫌だから無視するしかない」といった相談というか愚痴を聞いてはいた。
私もAの話を聞いて直接どうこうするよりは関わらない方が良い類の人間だと思った。
最初の嫌がらせ通報の時点では無視する事にした身内だが、その後、同様の事をやられた別のグループがAに対し直接文句を言った所
身内らの名前を出して「あの人達も自分のやる事には同意している」「彼ら(身内らのグループ)から依頼されて通報した」
「彼らから情報提供を受けて(通報を)やっただけ」などと言った嘘を吐き、そのグループから身内らがクレームを受けて事態が発覚した。
話し合って何とか誤解は解いて貰ったが、直接面識も無い相手に勝手に名前を出された挙げ句に、Aの粘着・嫌がらせとしか思えない行為に加担している
などと嘘をつかれて人間関係を滅茶苦茶にされそうになり、さすがに身内らも頭にきたらしくAに対して直接文句を言ってしまった。
こういう事は止めてくれ、あなたの行為はハッキリ言って迷惑だし嘘をついて名前を出すのも困ると。Aは渋々といった感じで、その時は一応謝罪はしたらしい。
もし仮に、その時に相談を受けていたら、当時の自分はどう答えていただろうと思う時がある。
今の私ならば、そんなヤバい人間は無視した方が良い、悔しいと思うけど世の中には関わってはいけない人間がいるのだから、と答えたと思うが
当時にそんな事を言って冷静に身内を制止出来た自信は無い。その事が非常に悲しく悔しい。
程無くして、Aによる「被害の告発」と共に、恐らくAと思われる人物によって大量の迷惑メールが身内のアドレスに送りつけられたり
身内の個人情報が特定出来る様な中傷が匿名掲示板に書き込まれるなどの被害が発生した。
身内らの(少なくともこちらからすれば)正当な抗議は、Aには「何も悪い事をしていない自分への攻撃」と受け取られた様だった。(事実、後で送られる事になる書類にはその様な主張が書かれてあった)
身内も含めた複数名(最終的には数十名の被害者が発生した)の個人情報と共に事実無根の中傷を「被害の告発」という体でA自身に個人ブログで公開される様になった。
告発という名の誹謗中傷も相当酷い行為だったが、Aの「(自称)被害の告発」、Aが周囲に生徒らの悪口を言い回っていた時期、身内も含めた様々な人物に犯人不明の嫌がらせが発生したタイミングが余りにも一致していた為、当然周囲はAを疑った。
悪意を持って拡散された個人情報の内容は、Aによる学生の権限を悪用して収集したであろう個人情報が大量に含まれていた。状況的に犯人はAとしか思えなかった。
しかし悪質な事に、基本的にネットを使った手口なので、当然確固たる証拠は無かった。Aに問い正した人間もいたが、当然Aは否定した。証拠が無いからと。
俺が犯人だと思うなら証拠を出してみろよ、出来ないならそっちが犯罪者ですよ?などと半笑いで煽ったりもしたらしい。
個人情報を掲載された中傷ブログについてはともかく、証拠も無い嫌がらせについては、例えAが疑わしくともどうしようも出来ないと。
話を聞く限り、学校側もAの異常な行動に対し、どう対処して良いかよく分かっていない様だった。
身内が別の学生と良からぬ行為を繰り返している、等という真っ赤な嘘の中傷も、A自身による一方的な他生徒への話しかけやブログのコメント欄等を介して拡散された。
その頃にはAが異常な行為を繰り返しているとんでもない人間という事が被害者である身内らやその周囲には知れ渡っており、悪質な噂を信用する者は殆どいなかったのが不幸中の幸いだった。
しかし、この様な気色の悪い嫌がらせや事実無根の中傷をされて、身内は相当精神的にダメージを受けた。
いくら客観的に見てもちょっとおかしなサイトで、まともに相手にする人間の方がおかしいと言える様な代物とは言え
個人情報と共に根も葉も無い中傷がブログに書かれているのも、就活を控えた身だった身内としては相当堪えていた様だった。
身内からもヘルプが入り、私や両親らも何とかしようとしたが、結果だけ言えばどうにも出来なかった。
なにせネットの書き込み一つにしても証拠は無い、当時はあまり情報が無く開示請求をしようとしても
弁護士に依頼すると多額の費用と時間がかかるというハードルがあるという思い込みもあった。
仮に開示に成功したとしても、ネットカフェ等で書き込みをしているとまず書き込み者は特定出来ませんよと、相談に行った弁護士の人にも言われて愕然とした。
「この程度の中傷」は無視した方が良いです、と言った弁護士もいた。世間はそんなものかと思ったが、身内も私もまだ若く、それがおかしいと否定出来る根拠は持ち合わせていなかった。
こんな事をしでかすAの動機がただの逆恨みとしか思えないのも、Aという人間から感じる理不尽な悪意を更に強くさせた。
自分や両親にも仕事や生活があり、出来る限りの事はしたつもりだったが、同居親族では無かった為身内へのサポートにも限界はあった。
身内も就活を控え何かと不安定な時期で、ストレスは傍から見ていても辛そうだった。
そんな折、身内は当時勤めていたバイト先から自主退職を促された。実質クビだった。
身内を名指ししたクレームのメールや身内の根も葉も無い「悪事」を通報する怪文書がバイト先の親会社の人事部に届き
説明を求められた身内はAの名前こそ上げなかったものの学校でトラブルに巻き込まれ以来不審な嫌がらせが続いていると弁解した。
身内にも怪文書の詳細な内容は伏せられたが、警察沙汰にもなる様な問題を起こしている、といった内容が通報されたと暗に示唆されたらしい。
会社とは関係無い所で面倒なトラブルに巻き込まれている人間など、面倒なだけだったのだろう。
こんなおかしな嫌がらせをされる様な人間とは関わり合いになりたく無かったのかもしれない。
弁解は受け入れられず、身内は結局職場を追われる羽目になった。
追い打ちをかける様に、身内宛にAから内容証明が届いた。Aに対し身内がやった抗議は「名誉毀損である」として、示談に応じない場合は訴訟を検討しているという。
書面には弁護士の名前もあった。遂に身内は心が折れてしまった。Aに対し頭を下げて何とかして貰うと言い出した。
自分は最初反対したが、両親とも話した結果、もう身内のメンタルが限界だしこれ以上Aの様な異常者と相対するのは無理だろうと。
悔しいが多少の金を払ってでもAに嫌がらせを止めて貰って、泣き寝入りをした方がマシだと。
弁護士にも相談したが、やはりAの様な相手と全面的に争うのは難しいと言われた。
多額の費用がかかり、仮に勝ったとしても弁護士費用を考えると完全にマイナス。
またAの様な「無敵な人」なタイプが(弁護士は言葉を濁してはいたけど)素直に賠償をするとも思えず、従わない場合更に手続きに費用が…と言われた。
今思えば相談した弁護士はどちらかと言えばハズレだったが、こちらは法的知識もあまりない一般家庭の一般人で
弁護士さんが言うのだから、世の中はそういうものなのだと愕然としてしまった。
どうしてこちらは何も悪く無いのに一方的に被害に遭って、明らかに悪であるAが得するばかりなのだろうと、社会の理不尽さを痛感させられた。
結局一応こちらも弁護士を立てて示談をする事になった。示談金としては少額だったが、弁護士費用も考えると自分の月給が飛ぶ程度の費用がかかった。
お金は両親が支払った。悔しいが身内を守る為の勉強代だと思うしかないと言っていた。
Aみたいな太い家の出身と違い(A自身が自慢していたという)決して安くは無い出費だった。
父や母が普段から真面目に働いているのは、Aみたいな人間に金を差し出す為では無いのにと、本当に悔しかった。
Aと示談した途端、嘘みたいに嫌がらせはパタリと止まった。中傷ブログの方は駄目だったが、どうしようも無かった。
この中傷ブログに関しては、後で知る事になるのだが、別の被害者がブログの記述を削除する為に裁判を起こし
100万程の費用をかけて削除させたらしいが、即座にAはコピーブログを立ち上げ内容を転載、裁判は完全に無駄に終わったという。
この胸糞悪い話を聞くと、あの頼りないハズレの弁護士の言う事もあながち間違ってはいなかったのかと思った。
Aは結局中傷ブログの件や他の問題(異性絡みで警察沙汰になる様なトラブルも起こしていたらしい)もあり、遂に学校側も対処して
結果的には限りなく退学処分に近い形で自主退学したというが、それでも私達の気は全く晴れなかった。
それでも身内は就職活動を頑張ったが、結局不本意な結果に終わった。
まともな企業や人間なら、怪文書に近い中傷ブログや、仮に匿名の真偽不明なメールが送られていたとしても相手にしないだろうと言ったが
身内自身のストレスや不安による不調もあったのだろう。元の志望した業界への就職は叶わず、異なる職種に就職する事となった。
就職してからもしばらくは精神科に通い、カウンセリング等の治療を受けていた様だった。
この事は自分達にも最初は隠しており、ある程度状態が落ち着いた時に初めて「実は…」と打ち明けられた。
Aとの一件で多大な迷惑をかけてしまい、更に心配までかけさせたく無かったから、と謝罪された。
こんなにも身内を追い詰めたAを、改めて憎んだ。
何も関わりが無かった筈なのに、勝手に関わってきた挙げ句に一方的に逆恨みして嫌がらせや虚偽の事実を振りまいて中傷した挙げ句に
いざとなったら被害者ぶってこちらを加害者呼ばわりして攻撃する卑劣さ。
ギリギリ違法にならない様な嫌がらせや、証拠を取る事が難しい違法なやり口で相手を追い詰めて苦しめる異常さ。
まさに悪意の塊の様な人間だと思った。
やっとAとの嫌な記憶も少しは薄らいできた頃、再びAの姿をネット上で見かける様になった。
彼は退学後も、(恐らく太い実家とやらの金を存分に使って)華麗な経歴を引っ提げ、有名なネットメディアや
テレビに出演したりある有名人らと絡むなど、所謂知識人的な立ち位置としてネット上で活動していた。
当時の嫌な記憶がフラッシュバックを起こしたのか全身が冷えて血の気が引いていくのを感じた。
当時同じ学校だった身内含めた多数の人にあれだけ迷惑をかけ傷つけておいて、よくこんな堂々としていられるなと思った。
よっぽど文句の一つでも言ってやろうかと思ったが、その頃にはAにも既にある評論家など似た様な同類の取り巻きも多数いて、結局諦めた。
所詮自分は普通に働いている一般人で、相手は少なくともネット社会では多数のフォロワーを従えているネット有名人。
数に押されるのは目に見えていたし、身内を追い詰めた様に今度は自分が訴えられるかもしれない。
身内だってAにはもう今後一切関わり合いになりたく無いだろう。ブロックして忘れたフリをするしか無かった。本当に悔しかった。
それからまた時は経ち、今度は別の方向からAの名前を聞く様になった。
あるインフルエンサーの人間に喧嘩を売ったAは(割とそういう事を以前から各所で繰り返していたらしいが)
ある人間らに過去の言動や経歴の矛盾点等、恐らくAが知られたく無かったであろう事まで掘り返され暴かれて、笑い者になっているという。
Aや取り巻きは、ある人間や支持者によるネットリンチだ!などと被害者面をしていた。
何も事情を知らぬ第三者であれば、自分もそう思ったかもしれない。
けれど自分は、正直「ざまぁみろ」と思った。Aが身内らにやった事を思えば、これぐらいの被害など因果応報だろうと。
ある人間は所謂政治系のインフルエンサーで、Aはその対立する相手方の勢力に元々属していたんだか後で取り込まれたんだかで
Aとある人間らは本格的に対立する様になった。その過程を追って行く内に、様々な事を知った。
Aによる被害者は、身内や個人情報を晒された他の学生達だけでは無かった事。
身内も知らなかった様な、結構なトラブルを在学中に既に起こしていた事。(警察沙汰になる程の事をしでかしていた事は、この時に知った)
金で買ったであろう自称の経歴は大半が虚飾に塗れた代物だった事。
違法な中傷や嫌がらせ以外にも、多数の人々を挑発し愚弄する様な数々の酷い暴言を吐いていた事など。
近しい人にコロナで亡くなった人は幸いにもいなかったが、親類の一人はコロナが原因で持病が重症化してしばらく入院していた。
会社にも、コロナにかかった後、後遺症でしばらく苦しんでいた人がいた。
例えばAは、コロナ患者を「ざまぁみろ」などと愚弄していた。本当に鳥肌が立った。
彼の様な人間が、平気で人の心が無い様な暴言を吐けるのだろう、と思った。
自分もAが苦しんでいるであろう光景を見て同じ事を思ったので、同じ穴の狢かも知れないが。
対立の過程で、Aの被害者の一人が声を上げた。自分はAの被害者だと。
被害を受けたので訴訟も起こしたが、Aは判決を無視して逃げ回っていると言った。
当時私が懸念した通り、被害者はAやAの取り巻きらに攻撃された。
取り巻きはAの言動をどこまで信用しているのだろうかと思った。
Aの言動や被害の現状を知っていれば、一緒になって被害者をセカンドレイプなど出来ないだろうと。
しかしながら、党派性の強い人達の異常な言動を見ていれば、答えは自ずと分かった。
Aの取り巻きをやる様な人間にとっては、Aの言動の真偽などどうでも良く、ただ対立相手を攻撃する、叩き棒の様な理由があれば何でも良いのだろうと。
度合いが違うだろうが、取り巻きらもAと同類なんだなと思った。
そんなAを公然と支持する(していた)、所謂知識人界隈の人間や法曹関係者がいる、という事実にも面食らった。
被害者はAの取り巻きらに攻撃されネット上から姿を消したが、その後、どういったやり取りがあったかは定かでは無いが
ある人間は、被害者複数を支援しAを再度訴える事になった。裁判の過程で、Aはどんどんと追い詰められていくのを感じた。
ある人間の動画もたまに観る様になった。Aが様々な方向から、合法的に詰められ、追い詰められていく過程に、涙した事もあった。
やっと、被害者が報われる様になったと思った。
身内はAの言動を直接見るのはトラウマが蘇るから無理というので、自分がある程度まとめてから時折連絡している。
ある事でAの嘘や実像が暴かれた事を知った時には、身内も本当に安心した様に泣いて喜んでいた。
正直な所、ある人間は賛否両論が激しいインフルエンサー系の活動家だ。
ここはてなではハッキリ言って否の方が多く、少なくとも観測範囲では否定派しか見かけた事が無い。
その否定派に対し異論するつもりも無い。党派性がどうこうにもその手の話題には関わりたくも無い。
ある人間のメインの活動には正直興味が無いし、人間的にはちょっと色々と生理的に無理…とすら思っている。リアルでは関わりたく無いからフォローもしていない。
けれど自分は、ある人間の活動により結果的にAが表舞台にはもう戻れない様なデジタルタトゥーがついていく事には
率直に言って良かったと思っている。あの様な悪意の塊の様な人間が、被害者を踏み躙ってまで表舞台に立つべきでは無いだろう。
ある人間の活動には興味無いが、感謝の意味も込めてたまに課金している。
累計すると自分的に結構な金額を課金しているかと思うが、ある人間は被害者の裁判支援に数百万出資しているというのだから
それについては素直に頭が下がる思いだし、泣き寝入りしてしまった自分達の悔しい無念を晴らす意味でも応援する思いで課金している。
支援の意味も込めて本も買った。内容には正直興味が無かったので、読んでみたいと言っていた知人にプレゼントした。
客観的に見て、自分は賛否両論激しい、悪く言えばカルト的なインフルエンサーに感謝して課金している、信者にしか見えないだろう。
しかしそれでも、ある人間の活動によって結果的には救われた思いがあるのも事実なのだ。
その感謝の念を、声を上げられない被害者の無念を晴らしてくれた礼を、ささやかながらにしているだけだと自分では勝手に思っている。
タイトルの通り、小学生時代に遭った痴漢やそれに類することについてと、書き出してみて思ったこと。
当時の私はピアノを習っていて、発表会に祖母と母が来てくれた。おろしたてのワンピース、フリルのついたソックス、少しだけかかとの高いよそゆきの靴、いつもより豪華に結ってもらった髪にはリボン。かわいい格好ができて嬉しかったのを覚えている。
発表会は市民ホールを貸しきって、昼すぎまでかかっていたと思う。早起きしたぶんお腹はペコペコで、遅めの昼食は近くて回転率がよくすぐに食べられるお蕎麦屋さんを選んだ。
昼すぎでも土日だったからか、お客さんが並んでいた。回転率のよさは知っているので、並ぶのは苦にならない。眠気も出てきていささかぼんやりしつつ、だらだらと前に並ぶ人へ続く。
すると突然、ぐいっと左手を掴まれた。反射的にそちらを見上げると、知らないおじさんが私の手をとり握手するみたいにぎゅむぎゅむ握っている。とても、とても驚いた。けれど声は出なかったし、ぴくりとも動けなかった。知らないおじさんは「可愛かったからつい」と言って、手を離して店を出て行った。
母たちは「びっくりしたねぇ」などと何だか和やかに言っていたが、私はほんとうに驚いて、つまりショックで、その後どうしたか覚えていない。もちろんかなり古い記憶なので、単純に時間経過によって忘れてしまっただけかもしれないけれど。
ほんとうに驚いたとき、人間は悲鳴も上げられないしすぐに逃げもできないのだな、と何だか絶望に近い気持ちになったことは覚えている。アニメやドラマ(刑事ドラマが好きでよく観ていた)のようにはできないのだ、と。
「かわいい」は褒め言葉のはずなのに、なにも嬉しくなかった。なんとも言えないモヤモヤが澱のように腹の底に溜まった。
プライベートゾーンを触られたわけでもなく、何なら一緒にいた親族も問題視したふうでもなく、法的に痴漢には分類されない体験。今でも一般的になんと分類するものか分からないままだ。それでも私の中でだけは、初めて遭った痴漢として記憶している。
私の地元は田舎で、徒歩通学だった。当時はとにかく読書が好きで、通学中は図書室で借りた本を読みながら歩くのがほとんどだった。二宮金次郎みたいに。
学校帰り、季節もあってまだまだ明るい中、いつも通り本を読みながら一人でひたすら歩く。毎日毎日そうしているから慣れたものだった。
車が1台ぎりぎり通れるくらいの、田んぼと畑と農家然とした少し古めの民家ばかりの道で、ふいに後ろから声をかけられた。自転車に乗った男子学生だった。中学生か高校生か、とにかく同じ小学生でないことしか分からなかった。親や学校の先生以外で年上と話す機会もそうなかったし。
喉が乾いたので飲み物を分けてもらえないか、と言われた。夏なので肩に水筒をぶら下げていたのだ。大人なのに変なの、とは思いつつ、水筒のコップ代わりの蓋になみなみ注いで渡した。
水筒のお茶を飲むところをぼんやり眺めていたら、コップを持つ男子学生の手がぶるぶる震えていた。おそるおそる口をつける。そのさまを見て、なぜだか急に、明確におかしいと感じた。一気飲みはせず、謎に丁寧にお茶を飲んでから返されたコップ。水筒に戻しながら、どうやって帰ろうか不安になった。自宅までそんなに距離がなかったからだ。なぜかついてこられるのでは、と思った。その間も、ぽつりぽつりと男子学生からの問いかけが続く。いつもこの道を通るの、とか、何年生なの、とか。
今の私は何でそこで律儀にと思うが、その時は走って逃げるとか急に話を切り上げるとかいう選択肢がなかった。失礼だと思ったからだ。誰か帰路の小学生でもいれば、知らない子でも混じって帰ったと思う。でも誰もいなかった。人っ子一人。えー…とか、うーんと…とか枕詞みたいに付けたふんわりした回答をしながら、子供なりに頭はフル回転していたはずだ。でも、打開策が思いつかなかった。
少しして、私たちがいた道沿いの民家から住人のおばさんが出てきた。知らない人だったけれど、何してるの、と声をかけてくれた。それを見て、男子学生は何も言わずに自転車を走らせて去っていった。その背中が私の帰り道と同じ方向だったのを見届けて、まだ呆然としたままの私は、なんにもないです、とだけ答えた。知らないおばさんが「さっきの子は知り合い?」と言うので、首を振る。ちょっと回り道してから帰りなさいね、と言われた。私もそのつもりだった。
この体験も、お茶をくれと言われて分けただけで何もされていない。痴漢ではない。なので何と呼べばいいか分からないけれど、自分の中ではその他の痴漢と同じカテゴリに分類して記憶していると思う。そういう系統の嫌な気持ちだった。
これも小学校中〜高学年頃。
私の両親は離婚しており、母に引き取られていた。夏休みに父のところへ泊まりに行っていたときだった。
例によって本が好きなので、県立図書館へ連れていってもらった。いっちょまえに児童書は卒業していたので、見る本棚は一般書架。父はAVコーナー(ネットカフェみたいに区切られたブースで各々映像資料が観られる。アダルト資料ではない)にいるというので、一人でゆっくりと本棚を眺めていた。作者なんかは知らないから、タイトルや表紙のデザインを中心に何となく気になった本を探す。児童書に比べてかなり数が多いので、背表紙を眺めているだけでも楽しかった。タイトルしか読んでいないのに、いくら読んでも読み終わらなくて。
ふと、足元がぬるい感じがした。見下ろすと人が床に手をついてしゃがみ込んでいた。年齢は分からなかったけれど、男の人であることだけは分かった。
図書館の本棚は上下左右ギチギチに本が詰まっている。下の段の本を見るには、学校でミクロマンとイジられていた私の体躯でもしゃがみ込まなければならなかったので、下の方が見たいんだなと思った。図書室で人気の本棚にみんなが密集するのはよくあることだ。と思ったけれど、はぁーーー、と長い息を膝に吐きかけられているのを見て、一気に過去の嫌な気持ちが呼び起こされてしまった。気付いていないふりでじりじりと距離をとり、別の本棚へ移動する。
何だったんだろう、と心臓がばくばく言うのを落ち着かせているうちに、暑いから息が上がっていただけでは?という気になってきた。そう思うと何をビビっていたんだろうと馬鹿らしくなって、また端から背表紙を読んで、読んで、時には取り出して表紙やもくじを眺めて。
じきに、また足元に違和感があった。今度は微妙にぺたぺた?ぬるぬる?する。見下ろすと先ほどの男の人がしゃがみ込んで、私の膝辺りを舐めていた。他人の舌が肌を這うことなどないし、誰か分からないし、理由も分からないし、どうすればいいか分からなくて、なのに気付いていることを勘付かれてはいけないと咄嗟に思った。心臓はまたばくばく暴れて、目の前の本を適当に抜き取り「これにしよ」なんてわざとらしく声に出して、父のところへ逃げた。
この時に借りたのは『エリコ』という本だったと思う。いま調べてみると表紙が記憶と違っているけど、女の子のモノクロっぽいイラストの表紙だったはず。父の家に戻ってから読んだけれど、分厚い上に当時の私には内容が難しくて、とても難儀した。話が全く分からなくなってからは飛ばし飛ばし読んで、なんだか図書館での嫌な気持ちがフラッシュバックするような描写を目にして、結局ギブアップした。主人公が高級娼婦らしいので、確かに当時の私には早すぎたし「猥雑と戦慄がからみあう、嗜虐と倒錯の近未来バイオサスペンス(引用元:BookLive)」はあんなことの後では取り合わせが最悪だった。今までの人生で読み始めたのにギブアップした本はこれと『ドグラ・マグラ』だけなので、すごく印象に残っている。
この体験は一般的にも痴漢に入るのではないかと私は思うけれど、そのときの私には分からなかった。知らない人に舐められて驚いたし怖かったのに、誰にも言えなかった。一緒にいたのが母だったら、もしかしたら言えたかもしれない。正直、相手と同じ性別である父には言いづらいと感じた。自宅に戻ってからは、今度は今更だと思って母にも結局は言えなかった。
4度目は小学校高学年。
さすがに生きているだけでも変な目に遭うことはあるのだと理解していた。それに、そういう場面では声も出ないしパニックになって機敏に動くのは難しいことも。
私は護身術として極真空手に通うようになっていた。ビビって声が出ないし動けないなら、度胸をつければよいと思ったからだ。流派だの何だのはよく分からないままだけれど、男子に混じって毎週通った。練習は体育館で行われていて、フローリングの上で拳で腕立て伏せをするのが大嫌いだった。骨が痛すぎるし、未だにフローリングでやることではないと思っている。
それから、通学路も勝手に変えた。2回目のときに使っていたのは車1台でいっぱいの道幅だったが、片側1車線ずつの道だ。さらに少し行くと複数車線の道もあるけれど、遠回りになるのでこちらばかりを通っていた。徒歩通学だしショートカットしたかった。車通りはやはり少ない。
この時も学校からの帰り道だった。一人で帰っていて、道路の向かい側に停まった白い車から声をかけられた。運転席の窓を開けて、男性が小学校へはどっちに行けばいいかと尋ねてくる。あっちです、と指をさすと、地図で教えてほしいと大きな紙を広げた。道路を挟んだままだと見えないので、道路を渡って運転席の窓から紙を覗きこむ。それは確かに地図だったけれど、地図と腹との隙間から陰茎が見えていた。数センチの隙間から、手で擦って見えたり隠れたりする陰部。
相変わらずショックではあったけれど、またか、という諦観もあったように思う。私はやはり気付いていないふりをした。努めて地図だけを見て、現在地も分からなくて、「地図読めないけどとにかくあっちです。ずーっとまっすぐ道なりで左側にあります。私はそこから来たんだから間違いないです」というふうな回答をした。
習い事があるからとその場を駈け出して、ないと思ったけど一応追ってきていないのを確認して、座り込んだ。心臓は毎度のようにばくばく言っていたけど、走ったから当たり前だなと思った。前よりも怖くなくなったし、毅然と振る舞えた気がするからたぶん空手の効果はあった、と思いながら自宅へ帰った。今回もこのことは誰にも言えなかった。
そういうわけで、私が小学生のときに遭った痴漢やそれに類するものは覚えている限り4回だ。多いのか少ないのかは分からない。
もちろん、中学生でも高校生でも大学でも大人になっても何かしらは遭った。それでも一番覚えているのがこの小学生時代。今やすれた30代だけれど、私も子供の頃はさすがに無垢だったのでショックが大きかったのだと思う。
どう気をつければいいのかというと、正直私は分からない。嫌な言い方だけれどもはや事故みたいなものだから。防ぎようがないという意味で。ただただ、こういうことをする人がいなくなってくれればいいのだけど。
一つだけ。もしもこんなことがあったと言われたら、ちゃんと聞いてあげてほしいとは思う。
中学にあがってから、路上で知らない人に突然キスされたことがある。グレてイキって気は強く成長した私は、黙り込んでいた小学生時代とは違ってすぐに学校に報告した。とにかく腹立たしかったからだ。分かることはすべて話した。場所とか、相手の風貌とか、原チャだったとか。それらは全校放送で流れた。
おそらく親にも連絡が入ったのだと思う。その日の夜、養父(母は再婚した)にリビングへ呼びだされた。本当なのかと聞かれたので、本当だと答えると、場所を地図で描けと言われた。不審に思いながら自宅から中学校への道順を描き、ここ、と丸をつけると、嘘だと言われた。こういう場合、被害に遭った場所から描き始めるのが心理学的に普通だそうだ。私としては通学中に起きたのだから理にかなって描きやすい順番だったのだけど、そう言われた。心理学なんて分からないので反論もできなかった。原チャの車種はなんだとかも聞かれたけれど、私が知っている中での形や大きさで最も近い名称が「原チャ」だっただけで、詳しくは知らなかった。グレ友達に2ケツで乗せてもらったやつくらいにしか認識していなかったから。養父の趣味にハーレーがあったので、バイクを中途半端に出したのもよくなかったのかもしれない。
そうして私の虚言であったとされ、おそらく学校へも連絡したのだと思う。保健室登校しても、教師がどこかよそよそしかった。あくまで私の感覚なので、実際のところは分からない。
ショックだった。折り合いの悪い養父であっても、もはや養父側の人間で信用していないと自分では思っていた母であっても、なぜだか報告すれば信じてくれると思い込んでいた。
初めて報告したらこうして狼少女にされてしまったので、前述のとおりその後も何度も変な人に遭ったけれど、誰にも話していない。
今でも覚えているので、やはり他の家庭、いわゆる子供(年齢は問わない)をもつ家庭では子供を信じてあげてほしいと思う。様々な要因で恒常的に嘘をつく子供がいたりするらしいのは知っているけれど、嘘でなかった場合に取り返しがつかないからだ。私のようになってしまう。独身の私が言うのもおかしいけど、子供は健やかに育つべきだ。大人になったら嫌でもすれてしまうのに。
この文章は、職場の男性から小学生にあがった娘の親バカノロケを聞かされてぶわっと思い出したまま書き殴った。
電車通学が珍しい地方の小学生だった私でも、4回。0回の方がいいに決まっているので、こんなことがどこでもありうるから気をつけてあげてほしい、と言おうと思ったけれど、職場の人に実体験を話すのは憚られたので。初めて表に出して少しすっきりしたかもしれない。
刺される側はホストだったり水商売で金巻き上げたり騙したりしてたりしていたという事案
痴情の縺れで女が武器を持てばいいっていう結論に至る奴って事件について何も調べてないよな
男同士でも女同士でも刺したり刺されたりしてるぞ
一応、窮鼠猫を噛むのパターン
幼稚園の頃から父親や同級生に殴られてて常に痣があった。わたしはコミュニケーションが不得意でブス。他人から嫌われたり疎まれる要素しか無かった
小学校も中学校の時も先生や親から理不尽に毎日怒られる生活。 親はともかく先生はきっと理不尽に怒っているつもりは無いのかもしれないが出来ないことに怒ってくるので理不尽だと思っている
生活がガラッと変わったと思ったのは中学2年生の頃私にスマホという名の黒船が到来した。
深夜にネットサーフィンをして病み垢と言うものの存在を知った。知った瞬間からTwitterのアカウントを作ったと思う。病み垢のお姉さんから夜の仕事(所謂デリヘル)の存在を教えて貰って、どんなクズ人間でも高給を貰える仕事を知ってから密かな将来の夢がデリヘル嬢になった。
年も開けて中学3年生、受験シーズンになると担任の先生からどんな馬鹿でも入れる女子校を勧められ勉強できる頭も器量も環境も無かったのでそこにした
これが私の間違いだったと思う。
私は病み垢のキラキラした女の子達を見て重大な欠陥を忘れていた。ブスという事である
女子校においてブス、コミュ力なし=人権なしなので私は1軍と呼ばれるキラキラグループからは離され所謂普通の女の子である二軍の女子からは陰口を言われ同類と思っていたチー牛女オタクからはTwitterで悪口を書き込まれていた。
遂に精神を来たし始めた私は担任の勧めでメンタルクリニックを受診しはじめるようになる。
全ての落ち着きのなさ、コミュニケーションの取れなさに病名がつきほっとしたような気持ちになった。
これが高校2年生までの話。この頃にはデリヘル嬢になりたいなんて馬鹿な夢は消えていたと思う。
高校3年生の確か夏、担任の先生からは推薦での進学を勧められていたが名前の知らない九州と北海道のFラン大学だったため就職コースに乗った。
最初は製造系の面接を受けてその次はショップ系その次はスーパー。最終的に5つくらい受けた。高校の就活は1人1社なので普通2つ受けたら受かる筈なのに何故か全て落ちた。おかしいと思い5社目に落ちた理由を聞いたら障害がある事が理由だった。
私は障害がある事を先方に伝えていなかったのに担任が勝手に障害がある事を伝えたらしい。
だから勉強の出来ない私に大学を進めていたのかと思うと妙な納得感が出てきた。
結局1社も受かること無かった私は4月1日30万円の入った封筒を父親に投げられ家を追い出されることとなった。
30万円を持ち私が向かったのは東京だった。
昔見たインターネットカフェ難民の動画を見て下手な知識をつけた私は下町の激安ネットカフェを拠点に生活していくこととなる。
だがこれが間違いの元だった。基本的に住所のない人間はどこも雇ってくれないことを私は知らなかった
激安ネットカフェでコンビニの飯を食べながら東京生活を満喫していた頃には渡された30万は残り5万程度になっていた。
ある日、東京の街を徘徊していると「求人、高収入」と歌いながら走っているトラックを耳にした。
急いで拠点に戻りそのサイトを見てみると風俗の情報がいっぱいあった。
職業が決まった私は嬉しくて嬉しくて仕方なかった。
サイトに貼られた時給は顔がいい女の時給で私の給料は8時間で6回して9000円。
しかも私は上手いこと乗せられて知らないおじさんの客に初めてを捧げてしまった。
惨めで死にたくなってしまいそうな時もあったがそこしか私の居場所は無かった。死ぬ度胸も無かったし
退勤している時ホストに声をかけられホイホイついて行った。そして売掛という形で借金を作った
なんで私の人生はこんなにダメなんだろうか。 発達障害だから?馬鹿だから?計算がまるでダメだから?
話は変わるが男女論を見る度に女は股を開けばお金が稼げるという煽りを見るが股を開いてもブスだと二束三文にしかならない。なぜ自分が股を開けば稼げる美人に産まれると勘違いしているんだろう。
もう書きたいこと思いつかないのでやめる
シリアスめのラブストーリーの人、との印象があるのはスリーからだろう
大人になってネットカフェに入り浸るようになって、チェーザレを見かけた
あー、あのマンガ家さんがこんなの描くようになったんだなあ、と思った
今回の記事で惣領氏が、マンガ家だって自分の好きなものを描かせてもらえるわけではない、少女漫画だったら必ず恋愛をテーマにと編集から要請される、それが読者である少女達にウケるものだから、と発言されているのを読んで あーこの人は恋愛マンガを描きたいわけでは無かったのか、と
辻褄があったような気がした
売れた作家さんがこれまでの売れに売れた作風をガラッと変えて、新しいマンガを描くのをたまに目にする
この人、こんなものも描くんだなあ、なんて思っていたけど、逆なのかもしれないなと