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はてなキーワード: 機械的とは

2018-12-14

anond:20181214100457

捕食の瞬間にアドレナリンバドバなのに、金を取られたうえ疲労した人体相手機械的マッチングって大損じゃないか

2018-12-09

anond:20181209054452

そうなんだけど、如何に機械的時間を短縮できるかという面もあるよね。大人になるとこの純粋機械作業が地味につらい。

2018-12-05

焼き色をつけたショッピングカート

カートは黒か銀が多いんですが、どうも機械的な印象をぬぐえません。

チーズケーキのように焼き色をつけたカートにすれば買い物意欲も上がろうというものではなかろうか?

2018-12-04

anond:20181130174943

○○な人に言われたくはない。

どんなに辛くても、哀しくても、○○大人には必要なのです。

いやあ。見事な「決まり文句」ですね。あなたこの書き込みを見て、私は自分の前の書き込みの正しさを確信しました!


「友人」を無くした息子に「母親」が言葉をかけるとき、その「母親」は「顔で笑って心で泣いて」いる…わけはないですよね。あるいは、母親自分の息子に「顔で笑って心で泣く」をしてもらいたいため、あえて自身の考える「儀礼的振る舞い」をしてみせた? それもずいぶん奇妙な仮定です。

なぜなら、この場合どう考えても「母親」は「息子」ほど悲しいはずがなく、自分より悲しくないはずの人から「悲しくても儀礼的に振る舞う」見本を見せられたことで何かを得ることは期待できないのですから。仮にこれが、母親親友を亡くし、息子から気遣いメールが来て、その返信に「心配してくれてありがとう。私も彼女の分まで精一杯生きていこうと思います。」とあったという話なら何も分からないことなどないし、「悲しくても儀礼的に振る舞う」見本であるという話は成立するでしょう。でも事実はその逆です。最初増田さんがご自分母親メールを「全く意味がわからなかったし、失意の息子を励ます言葉としては意味が通らない」と感じ、いったい何を考えて言ったのか? と問うのは当たり前ですね。

さらに、これに対してたとえば「言葉が足りなくて悪かった。親友の死に落ち込むあなたを見て、私までまるであなたを失いそうな不安かられ、ついああいう言い方をしてしまったのだ」なりの説明があったというなら、まだ分からない話ではありません。しかし「よく言うから言ったのだ」では台無しです。控えめに言ってもやはり意味が通りません。正直、最初発言よりもこの言い訳の方がずっとヤバさの度合いで言うと大きいような気がします。元増田違和感もそこが出発点で、私はこの違和感は十分理解できるものだと思います

にも関わらずあなたは、増田に対して「大人になればそういうこともある」的な、ズレた、しかも恐ろしいほど定型の決まり文句で返しましたね。私は、最初は単にあなたが読解力のない人なのかと思いました。しかし、文面を見ても、それなりに整っており、特に疑うべき部分はありません。あるいはタイトルだけを読んでレスを書くタイプの人なのでしょうか。その割には、ずいぶん丁寧に(上から目線で)元増田にお説教をしておられます。ただの煽りとも思えません。

そこで考えました。確かに、「決まり文句」に拭えない違和感を覚えた人へのレスを、違和感のぬぐえない決まり文句で返す、というのは、考えようによってはなかなか洒落が効いた行為と言えなくもありません。そこで、私はあなたレスを「高度なジョーク」と仮定することにしました。それが前回のレスです。

そしてその結果、あなたから返ってきたのは「恐ろしいほど定型口調のレス」でした。素晴らしい! あなたが、ディープラーニングのためのデータ収集中のAIではないとするならば、あなたは「何もかも分かった上で、意味のない定型文回答をしている」と仮定するしかありません。すなわちあなたは、いかなる場合も「場にふさわしい定型文を言うことが、自分意見を述べることだと考えている」……という「自分の主張する内容をそのまま実践している」と言わざるを得ません。そうでなければあなたはただのAIです。つまり一見もっともらしいことを言っているように見えるのに、普通に読めば「全く意味がない」言葉機械的に書き連ねるような存在です。今回は、どうも後者の疑いが強くなってきましたね。

いいですか?「定型しか書けない人に言われたくありません。どんなに辛くても、哀しくても、真面目に相手尊重して振る舞う事が大人には必要なのです。」こんな言葉なら、百でも二百でも書けますよ。「ただし民主的社会ルールに生きる人は、自分の頭で考え、ものを言うことを身につけないと、容易く信用を毀損してしまうことだってあるのです。」「今でなくても遠い将来にでも、あ、この事だったんだなと判って下さることがあればいいと思って書きました。」そこらにあふれているでしょう? こういう言葉相手に寄り添っているかに見せつつ、中身が無い分反論不能な、マウントするための言葉あなたの話には、まったくあなた自身論理というものがない。結局のところ「それはそういうものだよ」以外のこと言ってないじゃないですか。もしあなたが、本当は人間だ、というなら、元増田あなたのような人や態度をこそ問題にしている、とせめて分かってあげてください。

それから、ついでに質問です。いま私は、どういう気持ちでこの書き込みをしていると思いますか? …真面目に? or ふざけて?、 笑って? or 怒って?

2018-12-03

上沼恵美子M-1審査員引退

審査スタイルは悪くないけど、ちょっとミキ贔屓を前に出しすぎた。そこさえ我慢すれば良かったのに

そこ以外は別に悪くないし、機械的に採点するならもうAIで良いよね

2018-11-28

ソースコードコピペは悪です

ソースコードコピペはあらゆる行為の中で最も罪深いものです。

スニペット登録された構文を使うことですらソースコードから人間味を奪い、機械的で冷たい印象を与えるソースコードを生み出します。

テンプレート化されたプロジェクトフォルダ生成機能などもっての外です。

文字文字人類の叡智への感謝を込めてタイピングすることで人間らしい温かみのあるソースコードが生まれるのです。

易きに流れてはなりません。

心を無にし、タイプ音に耳を澄ませ、一緒に高みを目指しましょう。

一人称の話

ネットなんて匿名の吐き溜めなんだし、一人称なんてどーーーだって良くないですか?

俺女、僕女は嫌われる。

思うに、それらが嫌われるのは「一人称『俺』だけど女ですー!」みたいなアピールする存在いるからではなかろうか。知らんけど。ギャップ萌え狙ってるのか?

それってもう、女が使う「俺」「僕」に対する嫌悪じゃないよね。





ぼくが「私」と言えなくなってしまったのは、いつからだろう。

幼い頃から自分名前一人称に相応しくないと思い込んでいた。

最後ちゃん名前で呼ばれたのはいつだろう。

小学校の頃は、まだ呼ばれていたかも知れない。

親は、ぼくを名前で呼ばない。

それは別にネグレクトだとかモノ扱いだとかそういうことではなくて、具体的には言えないけれどとにかく名前では呼ばれなかった。

このことは友人からもたまにからかわれていて、ぼくとしても恥ずかしいのであまり言いたくはない。この友人は後にぼくが「私」と言えなくなった原因の発端に少し関わってくる。

中学に上がってから名前で呼ばれることは、多分なかった。

皆、苗字でぼくのことを呼んだ。

クラスに必ず何人か入る、「ああ、そう言えばそんな名前だったよね」って人種だった。親しくない訳じゃないんだ。

高校の頃には、自分名前が嫌いになった。

キラキラDQNと言われるような名前じゃない。

読みづらい訳でもなく、むしろこれ以外の読み方はできない、ってくらい分かりやす名前だ。

ひと目で女と分かる名前

高校二年、性自認が揺らいだ。

春頃に軽く精神を病んで、学校を休んだ。

この精神を病むことになった原因に、さっきの友人が絡んでくる。ぼくは今も、この人が苦手だ。

また学校へ通うようになっても、スクールカウンセラーと、ではあるが定期的にカウンセリングを続けた。

何かしらの病名がついた訳ではないが、後から思えばあの時のぼくの精神状態は最悪だったし、おかしかったとも思う。

きっかけが何だったのか、分からない。

気付いたら、自分が女であることに嫌悪感を抱いていた。

膨らんだ胸も、柔らかい身体ラインも、生理も、高い声も、女性らしくあることを強制されること(校風としてはむしろである前に一人の人間であることを尊重されることが多かったように思うが)も、嫌でたまらなかった。

ひと目で女と分かる名前も、「私」という一人称を使うことも、苦痛で仕方なかった。

奇しくもぼくが通うのは女子校であり、周りには女子しかいなかった。

これが共学であれば、自己自己たらしめるもの他者であるように、男子という存在によってさら自分が女であることを意識してしまっていたかも知れない。

だが、友人たちのはしゃいだ高い声にすら苛立ちが隠せなかったこともある。

とにかく、「私」と言えなくなったぼくは、自分苗字一人称とすることに逃げた。苗字に「さん」を付けて呼ぶこともあった。

自分名前は相変わらず嫌いだった。

友人から認識されず、親からも呼ばれない名前

漢字機械的に記された自分の氏名を見ると、それが自分のものではないようにすら思えた。

ほとんど時を同じくして、ネット世界で辿り着いたのが「ぼく」という一人称だ。

本当の自分とは全く関係のないHNを使っているので、その名前一人称とすることもあったが、「ぼく」と言うのがしっくりきた。

ネットですら「私」と言えない事実からは目を背けた。

本名への嫌悪からHNに「ちゃん」を付けて呼ばれることはどうしても受け付けず、誰かと仲良くなるたびに、それ以外の呼び方をして欲しいとお願いした。


であることへの嫌悪感は、今はもうほとんどない。

ジェンダーとしての女性ステレオタイプ押し付けられることには少し抵抗を覚えるけれど、身体への嫌悪はなくなった。

それでも自分名前を好きにはなれないし、公的な場以外で「私」とは言いたくない。

理解しろ!!! と大声で主張することはしないが、私的な場面でのそういった選択多様性に対して、もっと寛容な世界になれば良いのになあ、と思う。

正式な場では男も女も「私」と言うんだから、と指摘する人がいるが、嫌いなものは嫌いなのだ

ぼくはネット中の人物としてのパーソナリティを持ってはいるけれど、それは現実世界のぼくとは別人だ。

ネットの中でくらい、「ぼく」と言っても良いじゃないか

現実では、嫌でも「私」と言っているのだから






……という文章を発掘し、懐かしくなったのでここに葬ることにする。

今はもう、ネットでは「私」と言えるようになったが、「ぼく」には少々愛着があるのでたまに使っている。

しかし未だに会話の中で「私」ということには幾らか抵抗があるし、この時の気持ちを完全に忘れた訳ではないのだ。

2018-11-26

anond:20181125190426

システム上分割払いできないから念押しのために機械的に聞いてるだけ。

リボ払い店舗から見ればカード会社が肩代わりした一括払いなので分割払いとは違う。

2018-11-20

anond:20181120034102

ごめんな・・・

気象予報って膨大な気象観測記録によって過去の記録と比較し、過去情報から割り出される最も近い気象観測記録をもとに計算して予報を出してるんだ

まり一般人が想定するAI的なアレで気象予報を出してるんだよ

んで流石に全く同じ気象観測記録なんて無いから、そこに気象予報士の知識経験によって修正解説を加えたものテレビラジオで見る気象予報な

機械的に出すAI的なアレと専門家である気象予報士の力を合体させても気象予報はハズレちゃうんだ・・・

ぶっちゃけそれこそ地震予測並みに実は難しいのが気象予報だったりする

じゃあなんでそんな不確かなもん発表してんの?って言ったら明治16年時事新報気象予報を載せたら話題なっちゃったんだ

そりゃそうだ明治16年なんてまだまだ近代的な工業化の走りで一次産業で食ってる人がいっぱい居たんだから天気が予めわかったほうが良いに決まってる

時事新報気象予報が人気になったものから他紙も載せるようになって、まぁ気付けば気象予報は新聞に載るものが当たり前になった

新聞に載るんだから、その後のラジオテレビに載るのも当然の流れで今に至ってる

明治ときはまだまだハズレるのが当たり前で、科学が発展すりゃ精度も高くなるだろってノリだったんだ

でも百十数年もの期間、手を変え品を変え色んな気象予報やってみたけど最近は「コンピュータガリガリ計算しても性能足りてなくね?もっと超高性能にならなきゃ無理じゃね?」って意見が主流になってる

2018-11-18

見たくないものブロックして不快もの通報した

それらに絡まれないよう一切話題にも出さず、機械的ブロック通報・削除・管理者報告・非表示あぼーんNGを使い続けた。
結果、俺にとって嫌いなものは目に映らず、嫌いなものに絡まれない環境が各コミュニティで構築された。

だが俺のやってることはある意味頭がおかしいのかもしれない。わかり合うのではなく、嫌いだから見ないようにし、臭いから蓋をし、不快から上の人間の力で消してもらってる。
これじゃ俺が嫌いなネトフェミネトウヨネトサヨ反日と同じじゃないのか?彼らのよくやる「嫌いなものは力づくで排除。都合が悪いなら聞こえぬフリ、時には仲間を呼んで圧殺」じゃないか

粛々と自衛をする事自体が、もう何か狂っているのかもしれない。

2018-11-09

anond:20181109202623

信号なんかなんも考えんと機械的に止まっておけばいいんだよ

何も考えず頭使うコスト限りなくゼロ事故起こす確率グンと下げれる良いシステムだよ

2018-11-07

セミナーゼミナール 同じseminarなのに読みを変えて明確に使い分け

seminar英語読みとドイツ語読みでニュアンスを使い分けている。

セミナー:講座とか講習会とか一方向に教授する意味合いがある。

ゼミナールゼミ):双方向的に議論を進めるような演習科目について使われる。

他にも

【titan】

チタン金属元素

タイタン巨人もしくは土星衛星、とくにギリシャ神話を扱うときにはティタン呼称することがある。

idea

アイデア:思いつき

イデア哲学用語

【glass】

グラス:コップ

ガラス:二酸化ケイ素を主原料とした素材

【company】

コンパ飲み会

カンパニー会社

【iron】

アイロン:熱してシワをとる機器

アイアン:鉄

【energy,energie】

エネルギー物理的、工業的、機械的ものを動かす原動力

エナジー:肉体的、精神的なものを動かす原動力

他にもある?求む集合知

2018-11-06

ハルヒの歌きいてる

やっぱりけいおんよりこっちが先だよなあ

ストマイミュージック好きだわー

ギターソロはクソだけど歌自体は好き

つかギターソロまじでなんなんだよあれ

ハルヒがひいてるって考えるしかねーよな

長門だったらめちゃくちゃ機械的に超絶テクニックで弾くはずだし

でもギター1本だよなあ・・って考えると長門がひいてんのかな・・・うーん

2018-11-03

anond:20181103210247

思想や媚云々を抜きにして機械的にそれが持ちうる機能を踏まえると

要求をほぼ満たすから引き合いに出されるんじゃねぇかな

2018-10-24

たまにリアル書店いくとラノベ一般書籍区分けにびっくりするというか

自分の中ではラノベだと思ってたもの一般のほうにあったりするんだよな

レーベル機械的に分けてるだけなんだろうけど

2018-10-20

権利のせめぎあい

プロ著作物アイコン無断使用 ツイッター社に情報開示を命じる

http://news.livedoor.com/article/detail/15469647/

いわゆる画像パクリ普段から見てストレスを溜めている人が多いのか、この判決については好意的コメントが多いようだ。

そこについて何か言いたいことがあるわけではない。ただ、この写真家について私には書かないといけないことがある。

数年前、私の姉のところに突然この写真家から五万円を求めるコンタクトがあった。

姉が行ったことはただひとつ。その写真家写真プロフィール画像にしたわけでもなく、ヘッダー画像にしたわけでもない。

ただそのサイト内の、気に入った写真が載っているページのURLFacebookで公開しただけ。

向こうの言い分としては、今回と同じ。

Facebookで該当サイトへのリンクを張った時に自動で行われる画像の取得及びサムネイル化とトリミングが、著作物同一性保持権侵害しているとの主張である

Facebookにより機械的に行われている作業であることかどうかは関係ない、というところも今回と同じ。

(当該サイトリンクを張っただけではてな迷惑が掛かる可能性があるのでここでは直接リンクは貼らないが)写真家サイトには最高裁まで争った上でNHKに勝訴したとの記述があり、姉への連絡の文章内にも同様の文章があった。

この場合法律が味方をしてくれないのだから法テラスなどへの相談無意味なわけだ。あらかじめ「抵抗無駄だ」と書いてあってひじょうにしんせつですね。

熟考したが、対抗手段が本当にない。払うしかない、と姉に言わざるを得なかった。

個人としての意見を言わせてもらえば、こんなことは社会正義的にありえないし、Web全体にとってのプラスマイナスとしても、明らかに害だと思う。

悪意のない紹介リンクでこの人から5万円をもれなく請求される世界を、みなさんはお望みですか?

未だに思い出すたびに腸が煮えくり返るほどの憤りを感じているし、いくらでも罵詈雑言を思いつくが、相手相手なのですべてが訴訟で返ってくる可能性が高い。そのためここではただ事実のみを記した。

でも、やっぱり一言だけ。

法が許しても、私はこの男を許さない。一生。絶対に。

anond:20181020134642

テクノロジーわかってる論者の中にはIPがただの宛先で通信の中身じゃないと薄々思いつつもイデオロギーのために通信の秘密の侵害を盾にしてる人もいるってこと?

正直自分視点からIPルーティングにおける機械的ブロッキングの反対根拠通信の秘密侵害っていうのは弱すぎると思う。

あと「抜け穴があるからブロッキング意味ない。だからやるべきではない。」も違うと思う。元にも書いたけど違法なことするならせめてそれを自覚してバレないように行うべきであって、つまり「抜け穴」を使うくらいはすべき。現状は抜け穴も何も、Google名前打ち込めばバカでも著作権侵害できる状況で、その状況を肯定する根拠が無い。これはグレーな意見だけど、むしろバカスケープゴートにして抜け穴あるブロッキングで手を打ったほうがバカ以外には良くない?

2018-10-11

日本臨床心理学における査読論文価値

anond:20181009215657

心理学について書こうと思ったら、お一人書いてくださった方がいたので、そこで「特殊」とされていた臨床心理学について書きます

臨床心理学系の大学院博士号を取って、現在大学で臨床と研究をしています

論文事情を書こうと思ったら、背景にある臨床心理学事情になりました…。そして「日本の」と書いたのは、日本の固有の事情もあるためです。

はじめに

臨床心理学における研究は、おおよそ以下の3つに分けられます

 1:ブコメであったような、症例報告から始まってランダム対照試験まで行くという医学疫学的な研究

 2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究

 3:その他の調査研究ちょっと大雑把ですがゆるしてください、そして私のメインはここです)

少々雑な括りで、中間位置する方や例外もままいることを踏まえ、あくまでも概要を述べているということを踏まえたうえでお付き合いください。

論文事情

https://anond.hatelabo.jp/20181009215657 では心理学論文事情として以下の順序を挙げていらっしゃいました、

 査読付き英語論文>>>>査読日本論文>>査読なし日本論文(いわゆる紀要査読有り紀要も含む)

これは、1と3を自分研究領域にしている臨床心理学者にもほぼそのまま当てはまりますし、海外でも同様です。

そのため、競争が激しい業界院生さんだと、Predatory Journalに投稿しているケースも残念ながら見ます

特殊なのは、「2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究」を中心としている人たちです。

この方々の多く(全員ではありません)は、場合によっては「論文」というものを軽視すらしていますし、査読論文の数も非常に少ないです(大学に勤めている以上、建前で「論文書かないとね」と言ったりはしますが)。

これは分野外の人からはよく見えないため(もちろん業績調べればわかります)、中々ややこしい問題です。

私の観測範囲ですが、下手にこういう人たちが多い大学就職しようとしたり、あるいは就職してしまったりすると、論文業績が多い人はかえって冷めた目で見られたりすることすらあります

このような信じられない断絶が臨床心理学の中にあるので、業界からはわかりにくいのです。

ちなみに「2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究」の人たちの業績に対する意識は人文系に近く、私も完全にはよくわかりません。ただ少なくとも、英語査読論文を無条件でありがたがったりはしません。

しろ”深みのある”事例研究理論検討が尊ばれ、そうしたものに特化した特定学術雑誌論文や、あるいは書籍などを重視する印象です。

業界事情(長いです)

なぜ学問を行う場である筈の大学において、こんな断絶が起こるのでしょうか。

つの要因は単純に「世代」です(繰り返しますが大雑把な区切りです)。

世代によって何が違うかというと「臨床心理学に対する考え方」が違います

もっと具体的には「エビデンスを重視するか否か」の違いです。

エビデンスを重視しないなんてバカ?」と思う方も多いと思います

私も7割同意しますが、これにはこれで事情があります

先ほど書きましたが、2の人たちが重視するのは事例研究です。

https://anond.hatelabo.jp/20181009215657 には、「事例研究には物語以上の価値はないのでは」とありました。

「そう見えるのは仕方ないだろうな」と思う気持ちと「物語価値過小評価しすぎですよ」という両方の気持ちを抱きます

なぜかと言えば、「クライエントの人生」を理解しようとすれば、どうしても「物語」というフレーム必要になるからです。

古典的な臨床家(心理療法をやる人)は、クライエントの人生全体を見ます

クライエントが訴える問題(やる気が出ないとか、落ち込むとか)を全てと考えるのでなく、むしろ人生における氷山の一角と捉えます

そして、クライエントの人生をそのものを見つめ、その人がより良く人生を歩んでいけるよう、どうにかこうにか支援をしていくわけです。

(「大きなお世話」「思いあがるな」と思われる方もいるでしょうし、下手すると実際にクライエントにとっても大きなお世話になります

その人の知能や症状の程度、パーソナリティなどを数値化して客観的に捉えることは心理学の得意技ですが、それでその人の人生全ては捉え切れません。

人生というものを捉えようとした時、どうしても物語必要になります

もちろん、物語ですから完全に同じ事象再現されることはまずありません。そのため、厳密な「エビデンス」はそこから得ることはできません。

ですが、だからといって物語意味がないわけでもありません。

物語から自分は何も学んだ覚えはない」という人がいたら、それは物語意味がないのではなく、恐らくその人に学習能力がないためです。

物語を蓄積していくことで、我々は人間に対する理解をより深いものにしていくことができます

そのため、日本臨床心理学者は「エビデンスなんかいらない」というよりも、「物語を蓄積してくしか、やりようがない」と思っていた部分もあると思います

またもう少しフォローしますと、単に物語を乱立させるのでなく、蓄積された様々な「物語」を体系づける理論の構築自体は脈々と行われてきました。

それが、「2」の後ろ半分「それを踏まえた臨床論的研究」です。

フロイト精神分析なんかは、今でも理論精緻化され続けていて、それはそれで読むと非常に面白いですし、人間理解に大いに役立ちます

というわけで昔の臨床心理学は、多分に人文的というかアート的な学問領域でした。学んでみると非常に面白いのですが学問としての欠点もたくさんあります

最たる点が、多くの方が既に感じていらっしゃる通り、物語性を重視するあまり客観性エビデンスをあまりに軽んじてしまたことです。

 ◆

しか1990年代の後半頃でしょうか、「認知行動療法」と「エビデンス重視」の立場が、アメリカから日本へ本格的にやってきました。

心理療法の一つである認知行動療法エビデンスを非常に重視します。

例えば「うつ病」ならば、患者抑うつの程度を測定し、「認知行動療法を行うと抑うつの程度が有意に下がる!」みたいな研究バンバンやるわけです。

当時の学会の様子は今でも覚えていますエビデンス重視の方々は「それエビデンスあるんですか?」と、どこかの誰かのようなセリフを旧来の臨床心理学者に容赦なく投げつけ、大変気まずい空気を作り出していました。(別に悪いことではないですが)

残念ながら旧来の臨床心理学者はそれに真っ向から反論することができません。なぜなら、実際の所エビデンスは無いからです。

ただし、客観的エビデンスが求められる研究では、「客観的に扱える要素」しか扱うことができません。

そういう「客観性」では捉え切れない人間の心を探求していったのが、これまでの臨床心理学だったはずです。

ですから多くの人にとって、「エビデンス」というものが極めて底の浅いものに見えたという部分もあると思います

実際私もそう感じる部分はありました。確かにエビデンス大事だけど、余りに機械的人間の心を扱いすぎていないか?と。

それって、本当に臨床心理学が目指していたことだっけ?

とはいえ、旧来の臨床心理学者がその文学性に浸りすぎ、客観性過小評価していたのは間違いないと思います

エビデンスに対して「人生の深みをわかっていない」「客観性が全てではない」と言っても、インチキしか聞こえないでしょう。

要するに、物語偏重し、エビデンス全否定する姿勢は間違っていますが、エビデンス偏重し、物語全否定するのも同様におかしいと、私自身は思います

そういう微妙バランスというか面白さが臨床心理学の中にはありますし、どちらも人を支援する上では大事視点だと思います

 ◆


まぁその後は各学会大学内で、明に暗に色々な小競り合いがあって、現在は昔よりもだいぶ両者が折り合いつつある雰囲気です。

一つは、純粋な「2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究」の人たちが減ったという単純な理由です。大御所の多くが高齢化し、以前よりはだいぶ比率が少なくなりました。

逆に、認知行動療法がだいぶ浸透した結果、若い世代では認知行動療法が専門外でも、エビデンス重視の考えは馴染みのあるものになっています

また、認知行動療法の人たちも”表面的な”エビデンスが全てではないという姿勢の人が増えてきました。

また、個人的にすごく大事だと思うのが、実証重視の方々にとっては「物語」の代表に見えるであろう精神分析系の心理療法も、ちゃん効果確認されるようになってきたたことです。

これによって、「エビデンスが全てではない」と意地を張らなくても良くなってきたのだと思います

結局、エビデンス否定するのではなく、自らエビデンスを出すことで (とはいえ研究殆ど海外ですが)、問題は解消されつつあります学問としてこれはとてもよいことだと思います

 ◆

つい最近中室牧子さんとかによって、教育業界エビデンス視点を持ち込む動きがありますが、同じように、日本臨床心理学にもエビデンス視点を持ち込もうという動きが20年程前にあったのです。

エビデンスに対する考え方の違いは、人間理解に対する考え方の違いであり、それが論文業績に対する考え方の違いにもつながっていたという話です。

これを読んでみて、改めて「臨床心理学ってクソだな」と思った人もいるかもしれませんが、こういうゴタゴタも乗り越えつつ、少しずつ学問としてブラッシュアップされていっている臨床心理学が私は大好きです。

長くなってしまいました、すいません。

おまけ

長くなったついでで恐縮です。

https://anond.hatelabo.jp/20181011091532 「再現可能性が4割」の部分に

https://anond.hatelabo.jp/20181011091734 「びっくりするほど信用できない学問だな てか学問かそれ 」というコメントを見かけましたが、これ心理学だけの問題じゃないんですよ。

Natureが少し前にいろんな研究者に調査しましたが、理系領域だって再現性は決して高くありません。

https://www.nature.com/news/1-500-scientists-lift-the-lid-on-reproducibility-1.19970

しろ追試をちゃんとやって、どれが再現できるか否かをふるいにかけ、学問を発展させようとする態度こそが科学的だと私は思います

anond:20181011040543

人文学社会科学か。社会科学のほうが科学なのに怪しさが入り込む余地がある気がしてしまうのも奇妙だが、哲学とかだと論理的議論はあっても「正しさ」を決めることはできないからかな。

なんとなく「人文学」と書いたけど,「人文科学」と呼ぶこともある.私個人としては別にどっちでもいいかと思うけど.人文系社会科学系と呼んだりもする(総称は「人文社会系」とか「人文社会科学」とか).「社会科学」は略せないんだよな,「社会学」とかぶちゃうから.このへんは前増田で参考文献として挙げた隠岐さんの著作面白かったから読んでほしい.オススメ

理系でも教授の贔屓やコネはないわけじゃないけど論文数(あるいは引用数)で無能認定する仕組みは馬鹿排除には有効なんだよ(捏造動機にもなるけど)。

論文数で無能認定文系でもよくあることです(ただ,論文をあまり書いていないだけで該博な知識を有してる人なんかは尊敬される.周りは「もっと論文書いて! 読みたい!」って思ってるけどw そういう人がポストを得られていなかったりして業績少ないから仕方ないと思う反面すごいもったいないなと思ったり).ただこれも分野によっては1年に1本書いてりゃまあ標準的,というところもあれば1年に2・3本書くのが当然だろ? という分野もありで,その上分野によっては査読の有無での格付けとかもあまりしないので(そりゃ学振申請書では査読つきとなしを分けて書くけどね),安易に異分野の人が自分野の基準無能判定するのは本当に良くないからやらない方がいいと思う.今年は著書1冊書いてるけど論文は書きませんでした,を理系基準で業績ゼロって判定されたら暴動起きますよ.

あと歴史学文学だと,いちばん大事仕事論文執筆じゃなくて史料校訂だ,という感覚もあったりして,そのへんがきちんと評価されるのが望ましいよなぁと.ある平安貴族について論文書いても分析視角ニッチならあまり引用されないかもしれないけど,どこぞのお寺なり旧家なりにしまわれてたその貴族日記活字に起こして誤字脱字を訂正して単語意味解説して背景情報を補足して(日記って本人にとって当たり前のことは書かれないけど,1,000年経ったらそんなことわからないので),っていう作業をしたらその後平安時代歴史文学をやる人に参照されまくる基礎文献になったりする.こういう地道なレファレンス作りや史料校訂がきちんと評価される仕組みであってほしい……

で,引用数については問題点が2つあって,

1.どうやって数えるのか

これは技術問題.色んな言語で発表される紙の本での引用数,どうやって数えたらいいの……? ってやつ.異国の本屋さんで面白そうな学術書があったから手に取ってみたら私の論文引用されてたとか,異国で買った本をパラパラ読んでたら知り合いの英語論文引用されてたけどその知り合いはその異国語を読めないから多分存在を知らないだろうなとか,そういうの割とあるあるなので,人文系じゃ誰も被引用数なんて気にしてない.ぶっちゃけ無理ゲーだと思う.

あと,英語の本で引用されて,そのあとその英書が10国語翻訳出版されました,という場合は,何回引用されたと数えるべきだと思う? 1回? 11回?

2.それ数えて意味があるのか

そもそも優れた先行研究を褒めるのにもダメな先行研究をけなすのにも引用をするわけで,ある論文の中でむっちゃ参考にされた文献とけちょんけちょんにされた文献の2つがどちらも引用1回ってことにされちゃう不公平すぎない? って思うんだけど.それに,自分の専門分野についてあまりにひどい俗説が広く出回ってるとき学術文献じゃなくても引用して批判することがあるので,たとえば日本近代史の人が小林よしのりの『戦争論』を名指しで批判するとかよくある.純粋引用された数で勝負したら小林よしのり惨敗するマトモな研究者って大勢いると思うんだよね.

というか,文系だと「他人の書いた文章研究対象にする」というのがあるので,村上春樹研究なら当然村上春樹引用するわけで.さら学問分野によっては,「文献リストに先行研究研究対象を一緒くたに並べる」慣行を持つところもあり(これはその分野なら英語圏の査読誌でもそうなってる),たとえば樋口直人『日本排外主義』という日本極右研究した本の文献リストには,日本欧米社会学者が書いた真面目な研究文献と桜井誠櫻井よしこ西尾幹二の本がABC順でごちゃ混ぜに配列されていて,両者は引用形式からはまったく判別できない.本文を読めば前者を参考にして後者分析したり批判したりしてるのがわかるんだけど,機械的区別することは不可能.なので在特会に関する研究が進めば「桜井誠引用数で負ける研究者」がたくさん出てくると思うけど(というか現時点での私が負けてる疑惑),この基準どう考えてもおかしいでしょ.文系の業績を考える上で被引用数はマジで無意味だと思う.

追記

id:q-Anomaly 面白かった。一般文芸と一緒になっているから大変なのかな?理系だとわざわざトンデモさんに言及したりしないしね。間違いを指摘するとき論文ではなくて直接メール、もしくは研究会で議論かな。

もちろん文系でも別に公な場で晒し上げるほどじゃない間違いだったら直接本人に言うとかあるのでそのへんは批判する人の性格とか人間関係にも拠るところはあり,一方で理系でもSTAP細胞ときはさんざん批判論文出てたように思うので公開の場で批判する文化は当然あると思うのだけれど,間違いの指摘を必ず公開の場でやるわけじゃないとか言われるとじゃあこれまで理系には透明性のある評価基準があるけど文系にはそれがないかダメとか言ってたのはいったい何だったんだよ……って思うわ.あなたが言ってきたわけじゃないかあなたに言うのは不当なのかもしれないけれど.

id:hogefugapiyox 増田 理系(理論)でも独創的な論文で高く評価されるけど問題自体が超ニッチ引用は増えないことはありうる。そこで論文誌や国際学会のランクが役立つことはある。正しくてもレベルがそぐわないもの査読で落とされるので

これは文系でもあるあるメジャーテーマ研究していてもつまら論文しか書いてなければ意味はないしマイナーテーマでも面白論文が書ければ就職が決まる.

id:death6coin 参考にしたのと批判したのは別にリストアップする形式がいまからまれ得るかというと・・・難しそうですね。批判にも論外から一部の点で疑問があるまで程度があるだろうし。

「この論文はこんな資料を発掘してくれたので重要だ.でも発掘した資料解釈に疑問がある」とか,どっちにリストアップすればいいんだよという話で.

でもって,リストアップの形式については出典をどう示すかという形式が大きく絡んでくるんですわ.たとえば,歴史学なんかだと先行研究研究対象は別々にリストアップするけど(それでも流石に優れた先行研究ダメダメな先行研究は分けないよな),それは社会学とは違うやり方で出典を表記しているからそういうことが可能なんだという事情もあって,まあこのへんは自分学術書やら論文やらを読んで出典チェックしたことがないとわかりづらいかもねえ.社会学とか一部の分野で全部ごちゃ混ぜにした文献リストを作るのにも合理的理由があるんですわ.

id:hisawooo 増田に言うんじゃないんだけども、トンデモ論文への直接的な批判するなら一番マトモで普通な手段編集者宛のレター(つまりは読者からのお便り欄)じゃないかね(理系の話をしてます

なるほど,そういう慣習があるのね.言われてみれば文系でletter欄って見ないな.

で,文系論文だと本論に入る前に「先行研究の整理」ってやるんですわ.「先行研究Aは基本的妥当だがこの部分の解釈問題があり,先行研究Bは古いため近年発見された資料を使っておらず,先行研究Cは優れた研究だがちょっと私のやりたいことについてあまり触れられてなくて,先行研究Dは論外」みたいに整理した上で,じゃあ先行研究A~Cの成果を踏まえて先行研究Cが見落としている角度から先行研究Bが使ってない新資料を使って先行研究Aとは違う解釈します,みたいに自分論文の意義や新規性アピールするわけ.なので純粋な参考文献だけの抽出とか無理ゲー

id:enemyoffreedom 引用数の正しいカウントがやりづらいのは、さすがにその分野の引用慣習に問題ありな気も。他分野や門外漢から見た透明性の確保も今後は必要になっていきそう。まぁそれだけが業績評価を左右するようだと不健全だが

たくさん引用されたか価値がある研究! とかいローカル基準に基づいてヨソの分野の引用慣習をまるごとdisるならこっちもお前らのそれってPV数狙いのSEO対策でクソ記事垂れ流す互助会みたいなクソ慣習だなって言っていい? つーか文系査読なしで論文のチェックをしない! 不健全! と文系批判対象も引用に含めている! 不健全! ってマジどうやれば同じ口で言えるんだよって感じ.クソ論文をきっちり論文中で批判してるから正しいカウントが難しいって話に正しいカウントがやりづらいか問題とか言われるのマジ批判のための批判じゃん.全部ごちゃ混ぜで引用するのにも合理性はあるんですよ.そんなのはその分野の論文なり著書なりを読んで出典チェックしてみればわかりますよ.何度も言うけど英語圏でもこういうやり方なの.本当にこの慣習を是正たかったら理系の皆さんが大好きな英語で全世界普遍的問題提起をなさってくださいよろしくお願いしますクソが.

すごい大事追記

id:rci このシリーズはとても面白い。

面白いと言ってくれるのはありがたいんだけど,あなた一連の増田ちゃんと読んでる? このトラバリーの中で,私は何度も自分オタクだって言ってるよね? だからhttp://b.hatena.ne.jp/entry/372509722/comment/rciみたいな雑括りされても本当に困るんだけど.まあ記事の隅っこで書いてるから気付かなくても仕方ないところはあるけど,そうやって文系オタク対立構造にされて困るのは私みたいな文系オタクなんだよ.ほんと勘弁して.

正直私はキズナアイについては興味ないし,どうせならシロちゃんやらせればよかったんじゃ,とか思うけど,同時にあのくらいの服装が叩かれるとかおかしいよな,とも思うよ.なぜか服装に関してはゴリゴリ保守派になる連中が多くて目眩がしてるよ.色んな変わった服装を好む人への抑圧だろ.ぜんぜんNHKに出ていいよ.それが多様な社会であり自由社会だよ.

とにかく私は両側にもうウンザリ.ろくに事実関係を調べもせずVTuberについて基本的なことを知りもせずキズナアイを叩く連中にも,ろくに文系について知りもせずどんな研究をしているか理解もしないできないのにクソバイスを垂れ流す連中にもウンザリです.オタク叩きも文系叩きもクソくらえ.どっちも私の敵.ただもう本当にこれ以上関わり合いになりたくないのでここ数日の荒みきった心を『ヤマノススメ』の録画を見ることで癒やしてきます.一連のレイニーブルー展開を鑑みる絶対ここなちゃんはひなたをあおいから寝取ろうとしてるしかすみさんはあおいをひなたから寝取ろうとしてると思うんだよね.

もうちょっとだけ続くんじゃ

これ面白い。「実際は擁護・反発ツィートが多かった」オタがヒステリックにわめいていたことが可視化されました。千田さん、池内さん、森次さん、宇野ゆうかさんあたりはネットリンチ被害者といっていいよなあ

http://b.hatena.ne.jp/entry/373077720/comment/rci

理不尽言いがかりに反発したら「ヒステリックにわめいた」ことになるんだ.そんなの私が書いた増田を「なんで発狂してるの」とか「文系理系と違って感情的」とか言ってきたクソ野郎どもと同じじゃん.

キズナアイ叩きについてはオタクとして腹が立つし社会学叩きについては文系として腹が立つし,とにかくこの騒動に関わった連中全員不快だとしか思わないよ私は.つーか公共放送でへそ出しノースリーブの服着て解説して何が悪いんだか.

あー、この内容の本だから表現の自由戦士に粗さがしされて叩かれた、ってことなのね(今やっと理解)。回収にならなかったら読みたかったのに。

http://b.hatena.ne.jp/entry/374561923/comment/rci

あなた文系学問に敬意なんてさらさら持ってないことはよくわかりました.あなたみたいな人は文系叩きに加わってた方がお似合いですよ.

一章まるまる他人の論なのを擁護するつもりはないけど、なぜ編集も見落としてしまたこの件がいま見つかって話題になったんだろう?っていう話。で、地味な本書がじっくり読まれたのはそのテーマのせいだよね?

http://b.hatena.ne.jp/entry/374571758/comment/rci

勁草書房みたいな文系学術出版では名の知れたところから現代社会と密接にリンクした論争的なテーマの本を,学術書としてはお手頃な価格販売しておいて「地味」はねーわ.あれは当初から論争的な書籍として出版されたものでしょ.そういうのを出したら一般読者からも読まれるに決まってる(だからあの価格でも売れたんだよね).

で,それが日本語で学術出版する意義だって私はこの一連の増田で主張してきたわけだけども.日本語で学術論文学術書執筆することは研究成果を広く私たち社会に届けることと同義であり,文系にとってはそれが重要社会貢献なんだという話を私はしてきたのだけれど,私の増田を「面白い」と言ってた人がそれを真っ向から否定するのには困惑しかないっすわ.あなた,いったいどこを読んでいたの?

ファンタジーに興味のある一般人が中世ヨーロッパについての学術書を読む,小説好きの一般人が文学研究書を読む,古代文明ロマンを感じる人が考古学書物に手を伸ばす,そういった行為の延長として「表現の自由に関心を持つ人が表現規制を主張する著書を読む」という行為があるのであって,それは学術書をじっくり読む動機としては極めて真っ当としか言いようがないです.文系出版を,学問バカにしないでください.

anond:20181010164531

あと言及群で触れられていない点では、

ご丁寧にも、敵味方に弾切れをお知らせしやがる銃、というものがありました。WW2に米が使用していたM-1ライフルです。

これは、弾が切れると弾を入れるための金属容器を銃が機械的にはじき出し、この際に特徴的な金属音を立てるので彼我共に弾切れが起きたことがわかってしまう、という特性がありました。

いくつかの創作(例を挙げるなら、NHKの咬んだ日豪合作映画最後弾丸」。あと松本零士戦場漫画シリーズにあった気がする)でこれが弾切れを知らすサインとして使用されています

ごく少数ですが、外部動力によって駆動する銃、というものはあります

例えば初期のガトリングガン日本では維新動乱の時に河井継之助がつかまされたことで有名)。これは人力です。

現在でも米系のガトリングや、大口機関砲の一部は外部電源で駆動されます。ただし、これらはヘリを含む航空機用のシステムで、人が手持ちで扱うような代物でもなく、そのためバッテリー切れの心配などというモノはありません。

とここまで書いて、バッテリー駆動拳銃を一個だけ思い出しました。「H&K P11」という奴です。ググれ。かなり特殊な部類ですが、水中用のダーツを射出する拳銃で、信管電気的に激発させるためにバッテリーを使うという代物です。が、この銃は再装填すらメーカーに一旦送りなおしてやるような代物で、使用中にバッテリーを入れ替えるような仕様ではありません。ま、銃版の「写ルンです」だと思えば。

まあ、ほとんど補遺のような内容ですが、重要なことはこれでしょうか。

ヤフー知恵遅れでやれクソ雑魚ナメクジ

2018-10-10

anond:20181010040838

機械的拡散してくれる人にRTされたって嬉しくないんだよね、どういうわけか

32のふぁぼの中に、めちゃめちゃ絵がうまい人がくれたふぁぼが1つあるだけでおれは満足してるんだあ

やっぱわかる人はわかるよなおれの絵の価値をなってね

まあもう少し見てくれたら嬉しいと思わないでもないが

2018-10-08

anond:20181008102122 は何なんだろう?

可能性1

皮肉や嫌味を理解しない人。そういう人が増えているとニュースになっていたやつ。荒れていると言われるブコメ機械的判断できる罵倒語が飛び交うことは少なく、皮肉ハイコンテキスト表現を用いて攻撃する人が多い。

可能性2

わざと誤ったことを書く、ツッコミ待ちブクマ稼ぎ手法を使っている。

可能性3

数万ID中の数百ID存在しないも同然と冷静に見てる人。

可能性4

過激サヨク左翼から見ると右翼に見えている。過激ウヨク右翼から見ると左翼に見えている。

anond:20181008002714

俺はそんなものいないと思ってるんだけど

きもちんちんで判断せずに機械的に判定できる基準が良いね

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