「機械的」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 機械的とは

2017-06-21

https://anond.hatelabo.jp/20170621144849

レーベルで分けるよりはイラストの有無で分けるほうが意見割れない」

イラストの有無だけで判断する(と仮定する)ならイラストの付いた児童文学ラノベということになる」

というのがこちらが言っていることだよ。

そして、その仮定が成立するなら、児童文学の部分が一致してる、全部が一致してる、なんて関係がない。

児童文学かどうかなんて無視してイラストが付いているどうかを機械的に判定すればいいだけなんだから

どうもおまえは、「レーベルで決まる」とか言いつつも、実際にはそれで判断しているわけではなく、なにか別の基準を持ち出してるくさいよね。

まず児童文学がなぜラノベではありえないのかを説明してみたほうがいいよ。そこに無意識判断基準が潜んでいるかもしれないし。

ミステリについては、また定義論になるのであまり踏み込まないけど、

ミステリ」というカテゴライズと「ラノベ」というカテゴライズ性質が違うと思うよ。

2017-06-07

意識とは何か その2 意識物体から生じるのか

その1 http://anond.hatelabo.jp/20170602204654

動物意識はあるのか」という問いは出来ても、「人間意識があるのか」と問うのは難しいだろう。自分意識があるのは実感として分かる。しか自分以外の人間は、知性あるように見せかけているだけの、分子機械人形であり、意識はなく、自分だけに特別意識がある、と考えるのは、おこがましく、中二病である

同じように、知性があり、「思考している自分存在する」という認識に達し、自分について考えているコンピュータを見た時に、「こいつは知性があり、自意識があるようにも見えるが、所詮見せかけである意識があるのは人間だけであり、計算機とき意識はない」と断ずるのも、同様におこがましいように思う。計算機にも意識自意識は生じうる。

これは特に根拠のある話ではなく、「おこがましくない考え方をするならば」ということに過ぎない。しかし、その1でやったように、意識機能として定義するならば、存在することは疑う余地がないように思う。

そうでない定義採用しようとするならば、ではそれは何なのかという問いが生じる。「AI意識があるのか分からない」といった場合意識がどういうものか分かっていないので、それが存在するか分からない、というのが大方のところではないだろうか。しかし、なんだかわからないものが、あるのかないのかわからないのは、ごく普通のことである

意識がどういうものなのか理解できれば、意識存在自明となる。意識について詳述し、定義することで、人の脳は、意識という存在を納得し、受け入れるようになる。

存在を見たことがない、たとえばエルニーニョ現象とか、フェーン現象と同じように、意識という現象も、存在を詳述することで、実際に見たことはなくても、人は受け入れる。だから、その1で私は、意識について詳述し、物理現象として定義した。

そして意識存在を納得したならば、物体から意識が生じるのを、受け入れることになるだろう。あなたは非宗教国家日本で、現代科学文明の一員として生きているので、物理現象に、魂のような、科学説明できないものが介入することを拒むと思う。全ての物理現象物体から生じている、と考える世界観から離脱する気がないならば、意識物体から生じていることを、認めざるを得なくなる。

意識について考えている時、それに付随して出てくる問題として、感覚とはなんなのか、というのがある。物体感覚が生じるのか、という問題である

あなたが感じている感覚は、あなたが感じているのであるから存在することは自明である。そして、「すべての現象物体から生じる」という世界観に留まるならば、物体感覚が生じていることを、受け入れるしかなくなる。

犬や猫のような動物が、感覚を感じていることは、見れば分かるだろう。しかし、たとえば石を蹴った時に、石には神経がなく、痛みを認識する脳も、「痛い」と言う口もないので、痛みを感じているようには見えない。

他者感覚意識と同じように、観測できないので、現代人が存在を納得して受け入れるには、物理現象として記述する必要がある。たとえば、感覚は、五感のような感覚発生器官からの刺激を、情報処理していく過程で発生するものだ、と考えるのが自然だろう。神経が刺激され、ある種の電気パルスが発生すれば、痛みを司る脳の部位に電気パルスが流れ、痛みを感じる、といった感じだ。

計算機には感覚が生じるだろうか。今行った定義から見れば、感覚は生じているはずである。今は感覚器官、カメラマイクなどの入力に対して、適切なリアクションを返していないので、計算機には感覚があるようには見えない。しかし、刺激に対して機械的反応ではなく、計算機判断を行い、人間レベルまでいかなくても、動物レベルの適切なリアクションを返すようになれば、計算機感覚が生じているように見えるようになる。そうなれば、計算機感覚が生じるのが納得できないという、今の人間が持っている違和感も、大部分が氷解するはずである

現代人が存在を納得するためには、物理現象として記述し、それを受け入れることが必要である。そして、その描写が正しければ、判断予測に使える。私は、私がその1で書いた意識定義が、そんなに間違ってるとは思っていない。人の意識について考える時に、この定義を使えば有用だし、予測も出来るだろうと考えている。(たとえば、言葉を口に出さずに考え直すことが、知性の発達を助ける、とか、カラスがクルミを道路において、車に轢かせて、中身を取り出して食べるのは、論理的思考した結果ではない、といったようなことだ。偶然落としたら食べられたので、また落とすようになったり、他のカラスが落としてるのを真似した、といった程度のことである

唯物論世界から出る気がないならば、物理現象に絞って考えることで、思考節約でき、また予測など出来て役に立つので、オススメである

2017-06-03

スターをつけられて悲しかった

はてなブログをやっている。別にブロガーっぽい記事を書いているわけではなくて、好きな作品感想考察記事ほとんどだし、アクセス検索流入が多く、はてなでは有象無象の弱小ブログもいいところだ。

で、けっこう前のことになるんだけど、バズっていたよそのブログ記事シリーズもので、続きが気になったし他の記事面白かったので読者登録をした。

私も人間なので、基本的にはスターコメントブクマをつけてもらえると嬉しい。嬉しくなければわざわざネットになんて書かない。でも、そのブログを書いている人からもらったスター全然嬉しくなかった。

その人は数時間で私のブログに読者登録を返し、最新の記事スターをつけてくれた。

でも、その記事というのが問題なのだ。その時点で最新のものだったのは、地方劇団の公演の感想だったのだから

相手が彼らを知っているとはとても思えなかった。小劇場界隈では無名というほどではないけど、まだ若い劇団東京公演を打っているわけでもないし、興味がなければ知り得ない存在なのではないかと思う。

その劇団ファンなので貶したいわけではないけれど、テレビ活躍する役者よりも舞台俳優劇団の方が、そしてその中でも小さな規模(人数という意味ではなく)の劇団であればあるほど、その中でも地方であればあるほど、やっぱり世間ではよく知られていない。

一応その人のブログツイッターアカウントを確かめてみたけど、演劇役者に興味がありそうな様子すら見つけられなかった。

しかった。作品に演技に演出に、とにかく全てにすごく感銘を受けて、一生懸命書いた感想だったのだ。我ながらうまく書けたとも思っていた。そこにつくスターは、彼らや演劇愛する人の、同じように感銘を受けた人の手によるものであってほしかった。

ブロガーとしてのし上がるための読者登録・読者返し、スターブクマ。そういうもの別に否定はしないと思っていた。

でも違った。愛と自分の心をこめて書いたもの機械的につけられたスターを見ると、とても悲しい。たぶん興味もないのに読者登録、もしかしたら読んでさえいないのにスター

読む価値なんてないけど利用させてもらいますよってか。ただ無視されるよりもずっとつらい。いや、こちらとしては読者登録はただ続きを読むためにやったことで、返しやなんやを期待していなかったぶん、唐突に殴られたようなものだ。

どうでもいいことで傷つきすぎているんだろうし、続けるうちに慣れていくんだと思う。でも「好き」は、私の中でもっとも大切な部分だし、とてもモヤモヤしたのは事実だ。

2017-05-29

留学しないと英語ができないのは、日本英語教育が嘘まみれだから

直訳と"literal translation"

日本人にとって、直訳という言葉は「機械的文法に沿って訳語を並べて、意味不明の訳文を作ること」といった印象が強い。意味が通じる翻訳をするには、意訳、つまり元の文を理解した上でその内容を自分言葉で書き直す必要があると考えられている。

しか英語で直訳を表わす"literal translation"は、そういった言葉ではない。もちろん、機械的に置き換えて意味の通じない文を作ってしまうことも言うのだが、"literal translation"は「原文に忠実である」というポジティブな側面を持っていて、formalで立派な翻訳という感覚を伴う。

それはつまり、「意訳」に良い印象がないということでもある。それは「意訳」に当たる適切な英語表現がないことでも分かる。

https://www.onehourtranslation.com/translation/blog/literal-translation-vs-conveying-sense-text

ここでは"literal translation vs. conveying the sense of the text"(直訳 vs. テキスト意味を伝えること)というタイトルになっている。日本人から見ると「"直訳 vs."と来たら『意訳』が来るに決まっているだろう」と言いたくなる。しかし、英語で意訳という言葉は、直訳とvs.出来るほどの市民権を得ていない。

英語翻訳フランス語ラテン語といったヨーロッパ圏の言語から知識を取り入れるために行われることが多く、ヨーロッパ圏の近縁語同士では直訳は有効方法論だ。結果として、"literal translation"は立派でフォーマル翻訳という意味合いが生じた。

対して、訳者勝手自分なりの表現を加えてしまうと、fidelity(原文に対する忠実さ)が欠けているという批判対象になる。

たとえば、私は素人ながらアニメ英語翻訳に関わったことがあるのだが、海外アニメオタクは意訳を嫌う。佐藤さんはSatou-san,斎藤先輩はSaitou-senpaiだし、学校先生敬称英語だとMr.なのだが、犬塚先生はInuzuka-senseiだ。

たとえば、アニメセリフに「ありえなくね?」と出てきたら、文字通り"That's impossible, right?"と訳すのが好まれ意味を汲み取って"Are you kidding?"と訳したりすると、"over-translation"とか"liberal translation"などと言われて叩かれてしまう。日本人の私から見ると、とても理不尽に感じるが、彼らの感性はそうなっている。

http://www.proz.com/forum/translation_theory_and_practice/160439-%22overtranslation%22_vs_%22undertranslation%22.html#1349407

この問題についてググっていたら「literal translationが良いというのは神話だ」という海外の人の意見を見つけた。これを言っているのが日本語英訳をしている人だというのも示唆的だ。

日本では英語文献を翻訳するのが主なので、literal translation、直訳はほとんど役に立たず、ひどい翻訳代名詞のようになっている。英語話者にとっての日本語英訳でも同じだろう。

Translationと翻訳

基本的に、英語圏でTranslationと呼ばれているものと、日本翻訳と呼ばれているものは、行為としては似ているが、内実は全く異なっている。

英語圏で行われているのは直訳であり、我々がやっているのは意訳だ。英語圏でやっているのは文法ルール訳語を覚えて他言語に当てはめ、原文を出来るだけ変えずに英語に直すことであるが、我々がやっているのは「他言語を(何らかの方法で)理解し、その内容を自分なりに日本語で作文する」という行為である

直訳が役に立たないとはどういうことか

直訳が役に立たないということは、つまり文法ルールを覚え、日本語訳語を覚えて適用しても、英語理解することは出来ないということだ。

これは残酷現実であるが、「いくつの文法ルールを覚え、何万の訳語を覚えても、英語理解することは出来ない」

これは文法訳語が不必要だと言っているのではない。文法訳語はヒントにはなる。だが、答えにはならない。

はっきりいえば、ヒントを一生懸命集めて暗記しても、意味がない。文法ルールをいくつ暗記しようと、英単語訳語をいくつ暗記しようと、それは英語力ではない。

身も蓋もない言い方になってしまうが、法則化出来ないなんらかのプロセスによって、英語を直接理解する能力。それが英語力だ。

そして直訳が出来ない、つまり英語日本語に変換して理解するための法則が導けないという事実から分かるのは、日本語理解している我々の脳をどういじくっても、それを英語適用することは出来ないということだ。

それはつまり、「英語理解するための脳の回路を、日本語とは別にゼロから構築する必要がある」ということに他ならない。赤ん坊が新しい言語習得するときのように、何年もかけて、少しずつ脳を開発していき、英語理解できる脳を構築していくしかないのである

どこかの英語学習体験記で読んだことがあるのだが、「留学に行った所、フィンランド学習者と同部屋になった。フィンランド学習者はひたすら単語帳を眺め、英単語だけをひたすら覚えていたが、それによってあっという間に英語が出来るようになっていた。だから、私も一生懸命単語帳を眺めることにした」といったものだ。

これがつまり、直訳が可能言語使用している脳と、直訳できない言語使用している脳の違いだ。欧州の人々は基本的に、母国語理解するために使っている脳を英語向けにアレンジするだけで、英語ができるようになる。我々はそうではない。

しかその体験記の終わりは、「一生懸命英単語を覚えた結果、留学を終える頃にはかなり英語ができるようになっていた」となっていたように思う。しかし私が声を大にして言いたいのは「それは英単語を覚えたおかげではない」

留学神話は本当か

日本英語学習界には、留学神話がある。「留学さえすれば英語は出来るようになる。留学しないといつまでたっても英語ができるようにはならない」というものだ。

もちろん留学さえすれば英語ができるようになるというのは嘘だ。それはもちろん神話しかない。「留学して、英語を使わざるを得ない環境自分を追い込み、一生懸命英語に取り組めば英語は出来るようになる」というのは正しいが、「留学はしたものの、日本人同士で固まって遊んでいただけで、勉強はしていない」といった生活英語ができるようになるはずもない。実はそういう日本人留学生は数多い。

しかし「留学しなければ英語ができるようにはならない」というのは真実を突いている。

日本英語教育に従って、文法ルールを覚え、訳語を覚え、どんなに努力を続けても、英語ができるようにはならない。留学して、日本英語教育から離れ、ただがむしゃらに英語と格闘すれば、それだけで英語は出来るようになる。

そして「がむしゃらに英語と格闘する」ためには、留学別に必須ではない。がむしゃらに英語の本を読む事もできるし、映画を見てもいい。海外英語フォーラムに書き込んでもいいし、Lang-8英語日記をつけてネイティブ添削してもらうのも、アジア圏のネイティブスカイプ英会話をやるのも良いだろう。

がむしゃらに英語と格闘することが必要なだけだ。そしてそれ以外に英語ができるようになる方法はない。

なぜ日本英語教育では英語を出来るようにならないのか

基本的に、日本英語教師英語ができないという事実がある。

http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG25H1M_V20C15A5CR0000/

全国の公立中学高校英語教員のうち、英検準1級以上かそれに相当する資格を取得しているのは中学28.8%、高校で55.4%だったことが25日、文部科学省2014年英語教育調査で分かった。政府教育振興基本計画17年度までに中学で50%、高校で75%との目標を掲げている。英語教員のいっそうのレベルアップが必要な状況が浮かんだ。

高校英語教師英検準一級が55%、半分近くが英検準一級を持っていないということだ。準一級を持ってないということは、日本文法単語の暗記中心の教育をする能力すら疑問符がつく。

準一級の問題は、日本英語教育で教えられたとおりに暗記した単語を当てはめ、文法ルールにそって直訳すれば理解出来る、日本人向け英語もどきしかない。それが分からないということは、英語もどきを教える資格もないということだ。

もちろん教師聖職として尊敬されるべき存在であり、それを指揮するのは霞が関文部科学省エリート官僚であるから自分たちが教えているのが「実際には役に立たない英語もどきです」とは言えない。「私たち英語がよく分かりませんし、『生徒をちゃんと英語が出来るようにしろ』と言われても出来るわけありませんよ。むしろ、そんなやり方を知っているなら教えて下さいよ」などと口が裂けても言えるはずがない。

それに対して一方では「聞き流すだけで英語ペラペラに!」とか「たった100語で英語は出来る!」とか「頻出フレーズを暗記すれば日常会話はバッチリ!」とか、英語教育界はオカルトだらけである

もちろん商売でやってるのであるから、「がむしゃらに英語と格闘しろ、それ以外ない」などと言えるはずもないのだが、そんなことを言っていても誰も英語が出来るようにならない。なんとかならないものだろうか。

私が実践してきた、オススメの、実際はがむしゃらにやるだけの英語学習法を紹介しておく。

http://anond.hatelabo.jp/20170526220542

http://anond.hatelabo.jp/20170524213622

http://anond.hatelabo.jp/20170522214348

TOEIC3000語が覚えられない

コメントを頂いた。本を読んでもTOEIC3000語が覚えられない、ということだった。

TOEICリーディング結構速読必要なので、その実力が身につくまで、100万語ぐらい、500ページのペーパーバック12冊分程度読まないと、普通最後までたどり着かないんじゃないかと思う。12冊分を辞書を引きながら、単語表現感覚を感じ取りながら舐めるように読めば、どうやっても8000語程度の単語感覚的に理解できる、生きた語彙力が身についてるはずだ。必要なのは暗記力ではなく、文を深く読み、英語表現意味を感じとる力だ。記憶は忘れるけれど、感覚は忘れない。忘れたと思っていても残っていて、何度か同じ表現を見かければ、その都度感覚は強化され磨かれていく。

単語を覚えるというのは読書の途中で自動的についてくるもので、ピクニックの途中で摘める野イチゴのようなものだ。しか英語学習者は読書というピクニックには出かけず、ピクニックの準備だけを念入りに行っているように感じている。「自分にはピクニックも難しい。ピクニックに出かけたらヤマで遭難するかもしれない。その時のために食料を買い込んでおこう」と言いながら、辛い奴隷労働をして腐りかけのイチゴを買い込んでいるように見える。ヤマに出ればいくらでもおいしい野イチゴが摘めるのに、ヤマに行っても腐ってて使い物にならない表面だけの単語知識必死で暗記しているように感じている。これは本当によくないことだと思う。

LONGMANをやるべきか

もう一つコメントを頂いた。学習者は英英辞典オックスフォードでなく、ロングマンをやるべき、というご意見だ。

辞書から得られるもの単語理解ではなく、ヒントでしかない。ヒントを英語で貰っても基本的英語学習者にはわかりにくい。英英辞典自体を読み物として楽しめないなら、英英辞典を見ても英和より効率が悪いと考えている。もちろんロングマンが読み物として楽しい、読んで頭に入りやすいという方がいるならその方が良いと思う。私はオックスフォードが読み物として楽しいので使っているが、面倒な時はウェブリオに走っている。

忘れていた

この記事は長文すぎて最後が切れていたので、二つに分割したものの後半部分だ。前半部分はこの記事と繋がりがあるようでないのだが、いろいろと書いた。 http://anond.hatelabo.jp/20170529095534

終わり

ネタがなくなったので、多分この増田で吠える英語考察は今回でしばらく休止するかと思います。今まで長文をご覧いただいた方、コメントを頂いた方、ありがとうございました。

英語教育は嘘まみれではないのではないか、という意見について

http://anond.hatelabo.jp/20170529221645 こちらでコメント返しをしました。

2017-05-28

差別的ツイートを見たら逐次通報しているようにしているんだけど、報告した3割くらいしか対応されないんだよね…

こういうのって内容を見ないで報告数を機械的判断・処理しているんだろうか

2017-05-27

ローカル文化無造作に無遠慮に手を突っ込むなクソがって意味では今回の件ではアカデミックがもうちょい慎重に自重しろよ派だけど

ピコシボのランキング上位10位って機械的に選定してるのにBL狙い撃ちって被害妄想吹き上がってるのだけはフォローのしようがない

2017-05-19

http://anond.hatelabo.jp/20170519095932

星の数によってその店舗の信用度が機械的上下したり、出店サイト対応が変わってくるので実害ありありです。

2017-05-17

江戸川 女子高生殺害青木正裕被告について

事件の内容が既知であることを前提に書く。知らない人はURLを。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170516-00000560-san-soci

憶測を踏まえて、彼について思ったことや犯罪者境遇などについて書く。また、この見解が上記のリンクニュースZERO報道内容をソースとした、個人の雑多な意見であることを念押ししておく。

まず、彼がサイコパスと指摘されていることに関して、昨今のサイコパスについて誤解を述べる。(参照:サイコパス-冷淡な脳-)

現在サイコパス倫理観の欠如した人間代名詞として、市井では乱用されているが、医学上、サイコパス及び精神病質は、脳の前頭前野皮質眼窩部と側頭葉前部、扁桃体などが18%ほど先天的に萎縮した遺伝的な発達障害者であることがわかっている。その結果、他者に対する共感能力の欠如が起因となり、倫理観の欠如が現れる。また、サイコパス特質として、不安に対する鈍感さ、過大した自尊心がある。ここにおける自尊心は、精神医学における自己愛パーソナリティ障害ナルシシズム的な歪んだ自己愛ではなく、正真正銘の等身大自分を愛していることであるサイコパスは決して自暴自棄にはならず、不安も感じない。不気味なほど前向きだ。今回の青木被告供述境遇から、彼がサイコパスでないことは明白である。よって、ここからは彼に罪悪感と不安が備わっていることを前提として書いていく。

この事件についてブコメに書かれているのは、「オタクによる犯行に関する意見」や「自殺しろ」、中には「どうせなら他の奴をを殺せ」といった過激ものであるが、この記事で最も注目すべきは彼の境遇だと思う。

彼は親から愛されず、周囲からいじめによって虐げられ、生活費のために借金までし、健康も患っていた。経済的に困窮してまで、親に頼らず一人暮らしをしていたのは、おそらく自身を愛してくれない母親といるのが苦痛に感じることや、愛してくれない母親感覚的に親ではなく他人に感じ迷惑をかけたくなかったことが関係していると思う。彼の自尊心精神は、その環境によって着実に蝕まれていき、もはや人生希望や魅力なんてものほとんどなかったのだと思う。アニメゲームは、おそらく彼にとっての現実逃避、唯一辛い現実を忘れさせてくれる憩いの場であったはずだ。彼にとってのオタクカルチャーは、犯行助長するものでなく、むしろ疲弊した精神癒し、こういった破滅的な末路を長引かせることに寄与したと思っている。残念ながら、それを回避させるほどの効果はなかったが。

自暴自棄になっていた」「死刑になろうとおもっていた。」という供述から、彼が死を願っていた、この現実から逃げたがっていたことが伺える。自殺を避けた動機については不明瞭ではあるが、やはりそれを為す気概がなかったのだと思う。「自殺すればいい」という直情的なコメントも見受けられるが、一人の幸も不幸も喜びも苦しみも感じる人間が、自らの意思で死を選択し実行する難しさを考慮しているのだろうか。自殺大国といわれることもある日本においては、他者自殺は珍しくないかもしれないが、一人の人間にとっては、自身の全てに自ら終止符を打つ人生最大の決断であるはずだ。容易に成せることではない。

から彼は自分ではない外部に殺害を委ねたのだろう。こんなことを言ってしまっていいのか不安ではあるが、少なくともこの国で最も効率よく確実に外部に殺害される方法は、司法制度における死刑執行を受けることだと思う。リスクを物ともせず、罪悪感を排斥、または抑制自己欺瞞していることが前提であれば、この国で極悪非道犯罪を犯すことは容易だ。多くの人々が周囲になんの警戒もなく、街を悠然と出歩いている。殺人を望む者にとっては、いつでも凶器などを用いて犯行を犯せる環境だ。それは多くの通り魔事件などが示している。そして今回、彼は「連続殺人をして、死刑になろうと思っていた」という判断に至った。しかし、この判断はもはや理知的計画性があったかどうか怪しいところである。心身ともに疲弊していた彼には長期的な計画想像試行錯誤ができるとはあまり思えない。おそらく思いつきに近いのであろう。倫理の軛から一度は解放させられた彼の思考は、この人生最後の機会を用いて、自身の醜い欲望を満たすことに帰着した。次は事件時の彼の心境と性的嗜好について書く。

ここから私が見たニュースZERO報道ソースとしている。

彼が犯行の標的として、バイトの同僚を選んだ動機は、殺害成功可能性の高さ、か弱く家に連れ込むことができるという合理性と「青木被告女性が首を絞められ、乱暴される様子に興奮する性癖があった。」というものと関連している。ここで注意したいのは、彼の性的嗜好が「女性が首を絞められ、乱暴される様子」であって、「女性の首を絞めて乱暴すること」ではないことだ。昨今の、アダルト業界カテゴリーに、二次元三次元を問わず、「強姦」というカテゴリーがある。また、そのコンテンツからこのカテゴリーの大きな需要が伺える。彼の自宅からそういった類のアダルトビデオが見つかっていると報道されていたので、彼もそのコンテンツ消費者であることがわかる。彼にとっての自慰行為は、オタクカルチャー同様、現実逃避の一つであったと思う。彼は創作物の、画面の向こうの非現実的世界にある「女性が首を絞められ、乱暴される様子」に興奮することを、「女性の首を絞めて乱暴すること」で興奮することと混同していた。大きな罪悪感は性的欲求を阻害するが、非現実的アダルトコンテンツはその罪悪感をなくさせ、単純な性的欲求のみを刺激する。事実報道によると、彼は被害者絞殺後、「遺体を見て申し訳ないと思った」と供述しており、罪悪感が起因となり、強姦を行うことができなかった、したくなかったようだ。

犯行中、彼は被害者の首を絞めるリアル感触の中、興奮なんてしないことに気づいていたはずであるしかし、もはや後には引き返せずそのまま犯行遂行した。犯行後、彼は現実に戻り罪悪感を感じた。そして、ここで彼は「遺体写真を撮った」と供述している。ここの行動の意図は明かされていなが、可能性の低い見立てとしては、画面の中に遺体を収めることで犯行を非現実的ものに感じたかったのかもしれない。犯行後、彼は当初の荒唐無稽計画を断念した。これは殺人に対する恐怖と罪悪感が原因だろう。また、彼の「すっきりした」という供述は、犯行それ自体が爽快なものであることを示したものではなく、自首までの二日間の意気消沈と冷静さを含んだ思考からくる人生へのけじめを示すものであるように思われる。

被害者は彼とまともに話してくれる数少ない人間の一人であり、彼にとってはそれなり重要存在だったと思う。自暴自棄になり盲目的に死に向かう彼はそれに気づいていなかった。二日間の冷静な思考気持ちの整理の結果、自身の罪について、本来備わっていたわず倫理観がその贖罪判断した。死にたいではなく、死ぬべきだと。

裁判中の、深々と頭を下げた彼の、遺族と被害者に対する謝意本心からくるものであると思う。死刑を望む彼に情状酌量を得るための演技は必要ない。おそらく、自暴自棄からくる死への渇望、被害者を巻き込んだ罪悪感、それに連なる遺族への罪悪感、わずかな倫理観からくる自身のあるべき姿、などの多くの感情思考犯行後の彼の精神を占めているのだろう。

おそらく、常人であれば、「強姦」のコンテンツを消費して、「女性が首を絞められ、乱暴される様子」と「女性の首を絞めて乱暴すること」を混同しないと思う。しかし、死を望むほど精神的に追い詰められていた彼には、そこまでの自己洞察はできなかったのである。この記事を見ている人の中には、このコンテンツ消費者のような、あまり公にはできない欲望を持っている人もいると思う。しかし、あなたブレーキを踏むことができ、社会的な行動をすることがさほど難しくないであろう。だが、彼のブレーキはもはや壊れていた。彼を取り巻く環境破壊したのである

追記

彼はごく普通人間として生まれた。社会的意味でも普通な人生を、本来は送れたはずなのである。多くの者が彼などの犯罪者境遇犯罪者を生み出す起因について鈍感であるように思われる。もし彼が両親から愛され、周囲から適切に親しみを持って接してもらっていたら、彼は今回のような犯行を犯しただろうか。彼の自尊心は両親の愛によって確立され、適切な社会との接触により、健全精神が養われていれば、今回のような結果は起きなかったはずである。これは彼だけではなく、サイコパスを除く犯罪者ほとんどにあてはまることだと認識している。多くの犯罪者境遇は、現在ある程度の社会的地位を確保している者のほとんどにとっては無縁のものであり、想像すらカスリもしていないこともある。今回のようにその境遇報道されようとも、多くの者が犯行それ自体に目がくらみ、犯罪者自身について考えず、激情に任せた罵声を浴びせる。まるで彼が生まれつきの狂人であるかのように、自分たち一般人とは違う側の人間であるかのように認識する。彼はただの平凡な人間であり、現在の我々が彼とは違う道に進んでいるのは、たまたま彼とは違う環境にいたかである。決して、今の自分自身の力のみでここにいるなどとは思ってはいけない。頭でわかったふりをしても、先入観のどこか思っているというのもダメだ。我々がこの混沌とした世界で、今のところはある程度健全精神をもって犯罪を犯さず生きていける側の人間位置していることは、ただの偶然の積み重ねによる一つの奇跡だと思う。その境界線があまりにも曖昧であることを、彼と我々の違いがどれだけわずかなものであるかを自覚すべきである

こんなことを書いたところで何か大きな変化が起こるなどとは思っていない。こういった事例を避けるために政府がどれだけ社会に介入できるのか、個人にできることはなんであるのかはわからない。法は法であるから守る価値があるのであって、決してそれが正義であるから守るのではない。もちろん、法を施行する側の人間は、倫理正義を持ってそれをなすべきであるしかし、法の内側にいる我々一般市民が、少なくとも法のもとにいると意識している間は、法に対しては盲信的な姿勢が肝要となる。また、法を破った者を、倫理的非難非人間的である非難するのではなく、ただこの国のルールを破った者として機械的認識することが、重要であるように思える。健常者である犯罪者にも倫理感はある。国家には守る価値のある秩序もある。なのに犯罪は今もなお横行している。

2017-05-13

文章とか、お金とか。人とか。

この長さの怪文書を投稿することにためらいはあるけれども。

偶には、言いたい事を思い切り言ってもいいかなと思う。

商品」としての文章

まず自分のことを書くと、稀にしか更新しない覚え書きのようなブログをやっている。あと好きな文章を書く人は結構な頻度でチェックしているくらい。

自分新参だけれど、新しいタイプブロガーの人が使う、押しが強めの手法がじゃっかん苦手である

新規ブログを始めた際、こちらのブログは全く読まずに(本人には割と分かるものです)、宣伝のためにスターを付けてくる人が一定数いる。まあ当然、興味を持たれる文章を書けないこちらに非があるわけですが、「貴方のことは気にならないけど私の書いた文章はぜひ読んでくれ」と受け取ることもできる。

露出を求めて「記事お題」を引用し、全く関係のないことを書く人も多い。例えば「雨の日グッズ」というお題を引用しておいて、いつもの調子日記を書く。露出したいのは分かるけれども、そのばあい読者が読みたいのは傘や長靴の話であって、職場愚痴とか趣味の紹介とかではない。

あと、リクルートの適職診断、またはリクナビNEXTのグッドポイント診断を薦めるエントリ。MIIDASの適正年収診断、dTVの紹介。日常会話みたいな感じでお勧めされるんだけれど、あれは紹介料が入るからやっているのだそうで。道理で数が多いと思った。…あれはステマにはあたらないのだろうか。「PR記事」とかの表記がない分、「選挙前にさりげなく電話をかけてくる友達」みたいな感じがして、個人的には警戒してしまう。

CGMは、そのコンテンツの持つ価値判断が難しい、とは思う。それは人によって違うし、ネットでの人気には「親しみ」も大きな要素である

ただ分かりやす基準として、例えば、寄稿出版の話が来る人にはそれだけの実力と、その人固有のブランドがあるわけで。

なので余計に、「とりあえず100記事書きましょう」「SEOを勉強しましょう」「PVを稼ぎましょう」と、クリックしてもらうことに血道を上げる風潮がどうもよくわからない。読み手客観的価値提供できているのかな?と、不安になることはないんだろうか、と。(言うまでもないことだけど、価値がある/ない、という話ではない。「価値のものさしはどこにあるのか」という話)

ここで、いやらしくも。商業文章出版物の話をする。

はてなの人なら、自分なんかよりよほど熟知されていることと思うけれど。執筆され、編集の手が入り、校正されてデータ印刷所に渡り、取次を経て本屋に巡ってきたり電子書籍になる、それだけの手がかかった、色々な「出版物」は本当に凄いなと思う。

個人がもっている「有益情報」には限界がある。取材して一次情報にあたるプロに、正確性や量で比肩するのは正直、むずかしいのではないだろうか。

比肩しなくてもいいけれど、そこから発生する「収益」は最大限にしたい、というなら、それはインターネットが役に立たなくなるわけだと思う。

媒体が紙でもネットでも同じことで、例えばキッコーマンサイトを見ると、料理の基本から旬の料理から詳しく載っている。歯の健康について知りたいときは、クリニカ辺りのサイトが役に立つ。商品の紹介記事しろエッセイしろ企業がやっている媒体掲載されている文章をみると、何歳ぐらいのどんな経歴の人が書いているんだろうと思う。

コード料理商品になるように、文章もまた商品として存在することは確かだ。ただ、コード個人お金にするにはそれなりの手順が必要だと思うけれど、文章はなぜか、個人ネットに上げるだけでも「儲かる」。

他にも、ネットにアップするだけで儲かるものは色々あるけれど、合法かつ元手がかからず、特に技術習得をしなくてもできる「稼ぎ方」として、「文章を書く」というのは確かに適しているのだろうとは思う。

個人メディア」ができること

ここまでを踏まえて。「商業クオリティ情報量には敵わないが(※ケースバイケース)、読んだ人に満足を与えるような文章を書き、お小遣い程度の利益を得られる、Win-Win取引(読者が読む時間によって「収益」を発生させるなら取引みたいなものではと思う)」を考えてみる。(ものすごく飛躍しているような気がするけど気にせず進めます

商業ではなく、市井個人が書くことに意味がある文章とは何か。

それは、「その人にしか書けない文章を書く」ということではないだろうか。

別に個人情報を晒せということではない。出身地職業家族構成は確かに、その人を知る大事情報だけれど、同じような属性を持った人が世の中にはごまんといる。

他者から客観的に見た自分」と、「自分演出したいキャラクター」には、往々にして懸隔がある場合が多いと思う。シニカルに渋く決めているかと思えば、愚痴悪口を書いてしまったり。写真にお洒落な加工をしていても、背景がどうも決まっていなかったり。「本当の自分らしさ」は、他者からの反応や自省によって得られるもので、見たくもない自分を見せられることも多いし、自分評価されたい項目と他者から評価される項目が違ったりもする。

それでも。「自分の良いところ、推せるところ」を見つけて、「それによって他の人を満足させ、楽しませる」ことが、「個人としてメディアをやること」の強みなのではと思う。

その人にしか言えない言葉、できない話。培ってきた価値観文章テンポ言い回し自分なりの軸による知見や考察。人によってはイラスト作品。例えブログ名や使っているテーマを変えても、文章ならば増田に書いても、「ああ、あの人だ」と分かってもらえるかどうか。

「その人にしか書けないブログ」こそが、個人ブログ存在意義なんじゃないだろうか、と。

商業に出来なくて個人ブログならできること」は多くある。言及合戦ボールの打ち合いもそうだし、商業の連載や肩書を背負ったブログと違って、思ったことを好きなように、題材も自由に書ける。

日記を見ると、今日したこと、最近興味のあること、生活感情の移り変わりを感じることができる。例えば料理写真ブログであっても、書いている人のキャラクターが違えば、受ける印象は全く違う。

「その人らしさ」が感じられるなら、面白くないブログなんてひとつもない。どんな個性でも、ネットに上げれば一人くらい、それを楽しんで、好きになってくれる人がいる。それがCGMの良いところで、インターネットが普及した利点であると思う。

さらに言えば。有名ブロガーの人たちを見ていると、やっぱり「読者を楽しませること」にとても力を入れているなと感じる。

スタイルは人によって様々だけれど、重い段落がつづくとその人のやり方で空きを入れたり、ボケてみる。自分の愛されている分野以外のことはあまり書かない。反応がよかったらまた掘り下げる。とか。(まあ、こうやって分析されるのも嬉しくないのかもしれないけれども。)

当たり前に、お互いがWinWinになっている関係で。それは愛されるよなあ、と感心したりする。

交流勢について

互助会」という言葉について書くにあたり、ブログをやっている人を便宜的にタイプに分けます

A)古参はてダ時代からやっているような人。総じて文章が上手い。更新頻度は低め。交流はあまりしない。

B)新参。好きなことを書いてあわよくば若干の収入を得たい感じ。更新頻度が高い。交流が好き。

C)アフィリエイター。以下のようなタイプがあるように見える。

ガチのアフィの人。それなりの戦略があるタイプ。「かわいい画像!」とか「速報・芸能ニュース」とかそういうやつ。よくダッシュボードの右に載っている。他にも色々やっていると思われる。

・何を考えているのかよく分からないタイプ。ほぼ中身のない記事にひたすら広告を貼る。偏狭そうな人が多い。

・「ブロガーとして」明確に互助を目指し、ブクマ不正している、らしい。偶に増田告発されているけど割とスルーされている印象(興味がないのでよく知らない)。

よく見かける「互助会」という言葉は、B)に向けて使われる。「お互いのブクマコメントブクマ数を稼いでいるんだろう!」というやつ。

でも、実際のところ。「当たり障りのない敬語コメント」は、「相手好意をもっていて話しかけたいから」「交流が楽しくて」やっているのだと思う。

その証拠に、「スターブクマフォローしたけど返してくれなかった!PVが伸びない!」なんて愚痴を書いている人は誰もいない。(このクラスタは素直な人が多いので、そういう気持ちがあったらたぶん正直にそういう記事が書かれ、誰かの目に留まるのではないかと思う)

ブクマしてほしい」という気持ちももちろん多分にあるだろうけれど、自分リアクションするにあたっては、利益を期待してやっているんじゃない、と思う。

嘘だと思ったらそのへんの、自分が「互助会」と呼んでいるブロガーに聞いてみたらいい。相手言葉をなげかけるのが楽しいから相手のことが好きだから。たぶん、思うより多くの人が、そう答えるのではないだろうか。

そうはいっても、はてブ的には馴れ合いコメントは確かに鬱陶しいだろうと思う。では、コメント欄を使えば解決する話ではないのか、とも。

そう考える人はもちろんブログを書いている側にもいて、読者に向けて「ブクマでなくコメントで交流しませんか」という提案をするブロガーもいる。読者が何百人レベルになってくると、はてブ側に気を遣ってのことだと思われる。

Twitterとの連動など、利点はあるようだれど。言葉をかけたいだけなら、ブロガー本人が「互助会」と叩かれるリスクをとる必要もないのではないかコメント欄もっと気軽に使っても良いように思う。

もうひとつ別にお互いに便宜を図っているわけでもないのに、「互助会」と呼ばれるのは何だかおかしい気がする。「交流会」「ひつじ会」とかのほうが実態を表しているのではないだろうか。(「ひよこ会」とかでもいい。何かかわいい名前がいい)

マネー勢について

で、じゃあ「スターブクマフォロー利益を得ることを目的とした行為」はないのか!というと、うんざりするほどある。

C)のアフィリエイター系。これが本当にしつこい。見るからに書いていて楽しくなさそうな、NAVERまとめ的なブログからリアクションがそこそこの頻度で来る。凄かったのは、同じ記事に2度3度つけてくる人。無言でそれをやられても、ただ気味が悪いだけで、何かを返したいとは思えないのだけれど。

相手の人格や思いを無視して、金銭のためにブクマをつけて何が楽しいのか、と。他人の顔が札束しか見えていないような、うわべだけの文章を読みたいとは個人的には思わない。まして広告クリックなんてしない。

これは自分に矛先が向くことを恐れているとか、好きな人擁護したいとかでもなく、単純にクラスタの分類として。交流勢よりも、こういった「機械的な無言のリアクションによって、露出や返報を期待する」アフィリエイター勢のほうが、真に「互助会」と呼ばれるに相応しいのではと思うのだけど、どうだろうか。

ネット上で、文章で稼ぎたいのは勿論、悪いことではない。でも、個人的に読みたいのは、誰でも書ける情報のまとめとかではない。

アフィリエイトをやっている人であれば、どうしてそれを始めたかとか。情報収集はどうやってしているかとか。ライバルはいるかとか、作業するときにかけている音楽とか。その人にしか言えない言葉面白い話。そういう文章が読んでみたい。

「読む側」としてのスタンス

はいえど。面白かったり為になる文章無料で読みたい、というのもある意味、何というか難しい話だとは思う。

医学辞典なんて手元にないかネットでいいや、とか。先述のように、企業宣伝のために作成しているページを利用する、とか。「ネット」と書いたけれど内訳は、キュレーションサイト個人がアフィ目的で作ったサイト質問投稿サイト個人ブログのどれかが引っかかることが多いのではないだろうか。

それが確実な情報源でないことは、もちろん周知の事実である。それでも取り敢えず適当情報がほしくて検索する人がいるから、それにあわせて少ない労力で情報を供給し、利益を得ようという流れが自然に出てくる。

「分かりやす出所の確実な情報」ならば、上述のように、出版業界商品に頼るのが却って近道ではないかと思うことが最近増えている。「集合知」は確かに無料だけれども、「文章」にクオリティを求めるならば、書籍を買うか図書館に行けばいい。紙が面倒ならデータの形で入手すればいい。

商業としての出版を信頼しているから、例えば某警察官やめたブログ暴露されていたように、CGMのふりをして売名する商業があるとしたら個人的には少し悲しい。プロとして作り上げたものプロモーションされたものに、正当な敬意を払いたい。

…ここまで書いてきて心配になったのだけれど、出版業界の回し者ではなく、ごく普通の読書好きのオタクが書いています。信じて欲しい、としか言えないけれども。

逆に言えば、ネットで、商業ではなく個人が発信するとき、それは受け取る側となんら変わらない、「普通の人」なわけで。文章を発信する側は全ての責任とリスクを負うべきで、受信側は何を言っても良い、ノーリスクハイリターンな立場である、とは自分には思えない。

ネットを使っている人であれば誰でも、ある程度の文章は書けると思う。たまには「発信側」になってみるのも、悪くはないんじゃないかと思ったりする。

同じ人間が一人としていないならば、誰にでも、「その人にしか書けない文章」があるはずで。私はそれが読みたい。

色々書いてきたけれども、これが正しい見方であるとは自分で思っていない。誤りや偏りの指摘も含めて、議論一助になればと思う。

2017-05-05

賢者になった話

第二、第三の犠牲者を出さないため、そして自戒意味を込めて書く。

GWに人肌恋しさをこじらせて出会い系に手を出した。

サクラ業者を最大限警戒し、エロ全開のプロフィール、やたらと人と繋がりの多いアカウント回避した。

プロフィールを見定め、慎重にメッセージを書き、サイト外での連絡先の交換までこぎつけた。

メッセージが返ってくるまでに適度な時間があったこと、相手の利用端末がPCではなくスマホだったことも安心材料だった。

会うことが決まった。出かけるための準備も整えた。

待ち合わせの場所時間を決めようとしたその時、彼女から金額についてのお決まり文句が飛び出した。

食事を取ることも考えて多めにお金を下ろしており、内心期待していたため、断る選択肢は残されていなかった。

待ち合わせの場所に現れたのは朝青龍だった。

もはや言葉感情も失い、そのままホテル直行行為に至った。

機械的ではなく、時間を気にする素振りもなかった。ただ気遣いが全く感じられなかった。

すごく空しい。まともに風俗を使ったときの何倍も空しい。

元カノにでもヤらせてもらえば良かった。いないけど。

2017-04-29

昔に比べて増田ホッテントリ入り率高まってね?

ただいまホッテントリ49件のうち増田7件、多すぎね?

増田が入りやすくしてるように運営が設定してるんだったら直してほしいし、

単純にアルゴリズム機械的に入ってくるっていうならはてなーが内向き過ぎると思う。

キュレーションサイトなんだからもっと多様化しろよ。

ある程度耳目を集めるニュースがたくさん入るのは当然だろうけれど、

そこに完全内輪・楽屋ネタ的な増田がたくさん入るのはどう考えても健全じゃねえだろ。

2017-04-25

30代のアラフォーだけど食欲がなくなってる割に酒は飲んでてヤバイ

しか食事しなくても太る(食ってる実感はないだけでおにぎりとか間食を機械的に食べてるだけだろうけど)

年を取っているというのは「飯を食えない」「酒ばかり消費する」みたいな日常性の変化に現れるのだなーと思った

2017-04-21

レッドリボン軍ハッチャン

ハッチャンていうのは

ドラゴンボール無印にでてくる

レッドリボン軍ていう悪の組織

下の人人間

見た目はまんまフランケンシュタイン

人造人間8号ていう正式名称なんだけど

途中で悪の心から善の心に心変わりして

上司ホワイト将軍命令に対して葛藤したり反抗したりする

この、いわば「善の心を持ちはじめたロボットアンドロイドが元々の産みの親である悪の組織葛藤して最終的に反抗する」ていうモチーフドクタースランプでも、既にオボッチャマンくんで行われているんだ

○○号っていう機械的呼び名から、無邪気な心をもったアラレや少年悟空出会うことにより改名するくだりも共通していたりするんだよね

2017-04-16

機械学習をかじりはじめて

人間が知能を使ってできることを機械的再現する技術ことなのかな、という印象を受けたけど、将棋とか囲碁では人間を超えているようだし、まだ全貌がよくわからない。

あいうのって機械学習とは別物なの?

とりあえずデータ判定系の仕事は全部AIに取られていくんだろうなってことはわかった。

そういうのってそもそも仕事としてはつまらないし、つまらないことは機械やらせる流れ自体は悪くないように思える。

このくらい雇用に影響あるからこういう社会的問題が起こるよ、というインパクトの大きさがよくわからないので、どのくらい受容していいのかもわからないけど。

とりあえずわからないことだらけなので、もっと色々学習してみようと思った。

2017-04-14

[]vitaニューダンガンロンパV3ネタバレあり)

いやー発売後3ヶ月、ネタバレ一切見なかった甲斐あってめっちゃ楽しめた

1,2は去年プレイしたけど、後半の裁判理不尽に思える部分が多くて、結局攻略見ちゃったりしたけど、

今回は全部通して3回くらいピンポイントで見たくらいで、それ以外は基本全部自力で考えられるレベルだった

しかも1,2はやさしいでもむずかったけど今回は普通でもなんとかクリアできるレベルだったし

それでもパニック議論で大声で邪魔してくるのをおさえつつ射抜かないといけないところは相当イライラさせられたけどね

1賞で女主人公犯人ってのは驚いたけど残念だったなあ

バトンたちした林原探偵全然魅力がないんだもんな・・・

ずっと女でプレイたかったわ・・・

全体のストーリーネタとしては二段オチになってたね

1段目のオチは序盤からからさまなくらいヒントが出てたから大体想像もついた感じ

2段めのオチでいろいろ賛否両論になってるみたいだけど、個人的にはアリだと思う

理由は2つ

これまでと同じように希望が勝つ流れにしてもマンネリって言われるし、それならいっそちゃぶ台返ししてやるっていう、ありがちだけど尖った選択をするってのはありだと思うから

作中で真実の先にあるものを見極めてほしいって言葉が出てきたけど、まさにそれ

そのまま、プレイヤーゲームの中で与えられた「真実」の先を見極めてほしいってことだと思うのに、

ファン豪語する人ほどそれをないがしろにして、表面的なゲーム上の「真実」にだけ惑わされて「騙された!!!」ってギャーギャー叫んでる気がする

それすらも嘘かもしれないっていうフカヨミするとかできるだろうに

与えられるものをぽかんと口あけて待ってるだけで、それをそのまま咀嚼して感じた電気信号うまいまずいを機械的判断してつまらんと断じるとかサル並の条件反射だと思う

でもブレインドライブの尺稼ぎは擁護できない

新事実が出てくるわけでもない、ただのこれまでの議論整理をなんであんなダラダラ時間かけてやらんといかんのだ

理論武装リズムゲーになってなさもひどすぎで擁護できない

理論武装は試み自体はいいと思うけど、さんざんいろんな人が言ってるように、全然リズムゲーになってない

ミクのDIVA音ゲーシステムを真似てるのはわかるけど、真似度が低すぎる

ホールドとか魔方陣もまったくチュートリアルなかったし

マシンガントークからの大幅な劣化だわ

2017-03-17

http://anond.hatelabo.jp/20170317112611

サイト性質にもよるんじゃない?昔から結婚紹介所的な所は、そのへんもう少しケアがある(苦情が多いと退会させられるとか)と信じるが。機械的希望マッチングだけする所は、出会い系+αくらいになっている所もあるのかも。

昔付き合った人からレビューと星付けられる婚活サイトあったら面白いような気もしたが、地獄っぽい気もした。

2017-03-10

増田ブクマをしてみようと思ったけど

玉石混交の石が多すぎて唖然

増田ブクマカとか言われてる連中ってどんだけ暇なの

っていうか、

一々全部絶対見てないだろ?

なんか機械的仕分け基準がなんかしら絶対あるだろ?

たとえばタイトルが無記入だと無視とか、

トラバっぽいやつは一切読まないとか

そうでなければこんなの一々読もうと思えるはずがない

2017-03-08

怪文書書いてる人は、機械的

トラバされた文章に対してトラバを飛ばすとかそういうのやってるんだろうか。

最近はやってるらしいこういう怪文書的なアレ、

記を記を。みたいなのと似たような感じでただただ迷惑なだけだし、

どうにかして機械的スパム対策みたく出来ないのだろうか。

http://anond.hatelabo.jp/20170308202129

http://anond.hatelabo.jp/20170305140853

これから未来では、フルタイムで働く人間の数は減るのだから

うーん。ラボ的な仕事にいたので。労災申請は諦めた方がいいのかなーって、考え始めている。

今更、勤怠記録とか、あれだけど。ググると、なんか、残業代請求アプリとか、色々とツールがあるのね。

  

幼稚園児にクマさんのぬいぐるみが、人工知能で体調管理をしてくれるソリューションCMで見るけど、

そういうものこそ、おじさんの為のストレスチェックするような人工知能装置を作ってくれんかね。。

労働者の味方となるようなAIの出現が待たれる。

お菓子カップラーメン自動販売機の横に、無料電話の仕組みのように、

企業広告が流れるような仕組みでもいいから、なんかこう、

目が充血しているとか、表情が曇っているとかを、読み取ってくれるAIはないのか)

  

これから労働者価値が上がるのか、どうかは分からないが。

フルタイムで働く人間の数は減るのだから制度設計の変更をサポートするような機械的な仕組みが待たれるように思う。

  

2017-03-07

はてなブックマークするとツイートされるように外部サービス連携の設定をしてる。

自分ツイッターフォロワーには、よくわからないアカウントが少しいるだけ。

毎回 4 か 5 click される。

なんなの。機械的クリックなの。

2017-03-02

http://anond.hatelabo.jp/20170302194928

人力検索はてな」にそれを言われましても。

人力検索」だぞ。「人力」で検索するんだぞ。

検索エンジンが色々と進化したこのご時世で、人力で検索するんだぞ。

やっぱり、機械的収集とは別の、人間視点からデータもわりと求められてるってことではないのか。

ブクマ共有サービスっていつまで必要とされるのか

はてブは、サービス立ち上げてそろそろ10年でしょ。

ブクマと、ブクマに対するタグコメント付けを、『人的労力』でやるのがはてなの基本サービスだったけどさ、ちょっとなんかもう今の時代からすると古くなった気がする。

そろそろグーグルあたりが、自動クロールでとってきたサイトblogに対して、アクセス集中が起きてる有用記事ならば、人工知能によるページの内容判断を加えて共有ブクマ機械的作成するようになってきてもいいんじゃねーかと思う。

自動的に用意された共有ブクマに対して、そのページを読んだ人間が人的にイイね!してみたり、腐すコメントつけたりする機能現在はてブと同様に盛り込めば、自動ブクマサービス現在はてブサービスは、利用者からみてなんら差がない。

ということでそろそろグーグルヤフーにとって替わられる?

それよりも先にサービス会社ごと売却したほうが安全??

初期のネット時代は、検索エンジンがしょぼかったから、有力ポータルサイトは、アクセス数の高い有力サイト~そのほとんどが特定趣味志向もつユーザコミュニティの場でもあった~を社員が人的に探してきてリスティングするのがメインの仕事だったけど、ネットインフラの普及とサーバコンピュータの高性能化の流れにのって自動化が進んだ。

でもってウェブサーフィンしてるだけの社員レイオフされた。

そろそろブクマ自動化されるべきっしょぉー。

2017-02-26

http://anond.hatelabo.jp/20170226153940

  1. Lintやプロジェクト規約などのガイドに沿う
  2. 言語についての品のない言動は控える
  3. 他人が2.を行っても追随しない

 

1.手元のソースを扱う際は自由に書いても、人に渡す際には規約どおりに。機械的にやってしまうのが良い。タブだのスペースだの非常にどうでも良い議論が起きない。

2.使用中の言語や他の言語悪口を書かない、言わない。理解が出来ていない場合が大半。

3.他人と同じレベルに下がる必要はない。

2017-02-22

まるちゃん

人生で初めて、こいつダメかもって思ってしまった知人の話

後輩の中にも退職してしまって働いていなそうな奴らは居るけど、そいつらはまぁしょうがないなぁと微笑ましく思えるが

その彼は大阪大学博士号を取っていて、そして今は無職

都会で某TVコメンテーターの自宅に住み込み書生のような生活をしていたが、三行半を下されて来月から住むところにも窮しているという相談だった

地方の山奥に昔の実家で今は空き家になっている物件を所有しているので以前、空き家から住んでくれても良いよと言ったのを覚えていてそれに期待しているらしい)

  • 生物化学の分野では食いっぱぐれることがないとずっと思っていたとか(ダメだったから路頭に迷っているのに気づいていない)
  • 就職活動マッチングサイト登録してその中から選んで応募しているだけ(沢山メールは来るよ!とは言っていたが、機械的に送ってくるだけだからそれはそうだろう)
  • 住所が未定なので本格的な就職活動はしていない(今まで書生していた処の住所で良いか事情を話してどんどん応募すれば良いのに、それすらやっていない)

TVコメンテーターから小説を書いて持ち込みをしてみては?とか有名国立大博士号取得の肩書塾講師ならできるのでは?というアドバイス最後にもらったそうだが

塾講師最近受験事情を全く知らないか勉強しないといけないので難しそうという言い訳

この辺までは黙って話を聞いていたのだけど、私はゲームソフトウェア開発会社プログラマーとして働いているので小説に関しては一寸言いたくなってしまった

博士号は持っていないけど、エンターテイメント世界でなら彼より先輩だと思ってしまった)

小説については書生時代に7冊書いてブルーバックスから出版したことがある(科学のふしぎみたいな本)のでいけるのでは?と私も思ったのですが未だ書き上げていない。

どのくらいの時間をかけているかは聞かなかったけど、結末まで考えているプロットが頭の中にあって、いくつか書いてみたいエピソードがあり、その間をうまく繋ぐことができないという言い訳

自分が読んでみたいと思えないとダメじゃん?なんて言うが、書いてみたいエピソード間をうまく繋ぐことができるならそれはもう立派なプロ小説家であって

まだ持ち込みすらしていない素人なのだからとにかく完結まで書いてみろと言ってしまった。

きっと持ち込みをされた編集者の中にはそのうまいつなぎ方のアドバイスとか、膨らませた方が良いエピソードとかそういったそれこそプロとしてのアドバイスをしてくれる筈だとも言ってみた。

一人きりで作品を完成パッケージまで仕上げるには強靭精神力必要だし、その例として新海誠を挙げたら知らないといわれたのでほしのこえの成り立ちから説明する羽目になったので

エンターテイメントには全く興味が無かった様子。

彼曰く、ラノベ文庫本1冊は大体12万字なので大体その文字数を目指して執筆していて8割は書きあがっているというのであと少しで終わりなのになぜ書き上げないのか?とか

そもそも字数目標にしている時点でやっぱりずれていてモヤモヤとした気持ちになった。

出来上がった小説を読ませてもらう事と、空き家を貸す件については年限を設けて書面できちんと契約しようという事を決めて話は終わりになった。

生活全般についてルーズというか危機感が薄い人だという印象を持ってしまったので家を貸すことによって家賃未納等で

今までの友人関係がこれで終わってしまうかもと思ったり、家を貸すことについて両親から反対意見が出たりしたら本当に路頭に迷ってしまうので彼の生殺与奪権を握ってしまった様で

今とても気が重い。

毎日エゴサーチしていると言っていたので、もしかしたら本人が見るかもしれないけど今私が感じているのはこんな気持ちだよ

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