「ミニバス」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ミニバスとは

2019-01-04

anond:20190102063518

面白そうなので私も書いてみようか。東日本公立学校卒→東大理Ⅰのケース。

・家庭環境

電車は通っている、程度の田舎町。父は高校教諭、母は学校事務員、同居する伯母は小学校教師。そういう家庭だから学業に対する意識は高かった。

田舎町なので私立中学校などというものはなく、受験高校から

小学校入学

小学校入学からそれなりに頭は良かった記憶がある。特に算数が得意で、数の理解も早かった。

両親が共働きなので、朝保育所に預けられて、放課後は母の知人が預かってくれていた。この養母のような方には今でも感謝している。

小学校

選択肢も何もなく近所の市立小学校入学国語算数理科社会はまあオール5。伯母の影響で音楽の成績も良好。体育は3。典型的頭でっかちで、いじめられっ子になるという定番コース大人になってから「ごく軽度のADHDだったのでは?」と言われたことがある。

うちの小学校には、4年生になったら全員部活に入ること、という不文律があった。男子ソフトボールサッカー女子ミニバスケットボール合唱しか選択肢がない。4・5年生の間はなんとか回避していたが、6年生では避けきれずサッカー部に入部。運動が得意じゃなくコミュ障な上に「6年生なのに新入部員」で、部のしきたりも知らずあからさまに浮いていた。今から思えば入るもんじゃなかった、のだが、そういう「自分には向かない世界」を早く知ることができたとも言える。

自宅近くにそろばん塾があったので、小1の時に親の勧めで入塾。かなりさくさくと習熟して、市内の競技会(というものが当時あった)では上位の常連だった。但し、それなりに上達してくると飽きる悪癖があり、塾も徐々にさぼりがちに。小6で辞めた。お山の大将になるのはそれなりに簡単でも、世の中にはもっと上の人がいる、ということを子供心に知らされる。

運動が苦手なことを懸念した父により、同僚が運営に携わっている剣道同好会へ入門させられる。中3までの間、道場には週2回真面目に通ったが、練習は不真面目で大して上達もせず。

中学校

選択肢(ry)市立中学校へ。成績は相変わらず。部活動のバリエーションは増えたが結局のところほぼ全部運動部で、剣道部に入って万年補欠。帰りに学校近くの駄菓子屋ゲームやって帰ってくる生活

英語塾に行った他には学習塾の類は行かず、自宅での勉強のみ。この頃までは「学校で課された科目」だけ順調にこなしていたと思う。

高校はいわゆる進学校しか考えてなかった。地方の常で、歴史ある県立高校偏差値的な意味トップ私立すべり止め扱い。模試では毎回トップ争い。

受験すべり止め無しで本番一発。直前に風邪を引いて親は心配していたが、合格圏内には入った。

高校

進学校なので、近隣中学校の成績上位クラスが集まってくるため、何でもありな小中学校とはかなり雰囲気が変わる。校風リベラルで、校長先生もその校風に沿ったユニークな方だった。

部活動は管弦楽部に入部。やっと運動部の呪縛から解き放たれる。管楽器中学校ブラスバンド経験者が占めているため、素人必然的弦楽器担当ヴァイオリンを弾くことになった。相変わらず不真面目に練習して、東大でもオケに4年間在籍したがその後はぱったり。


2年生で文系理系コース分け。私は理系クラスへ。成績は高校でも順調だったが、伸び悩みも出始める。そんな頃に、部活の1学年上の先輩からの勧めでZ会に入会。当時の地方在住高校生で、難関大志望の人は大半が入会していたと思う。教科書レベルを超えた難問・良問で鍛えられた。おかげで授業中は講義スルー、ひたすら問題集を解くことに集中。部活後に家へ帰って夕飯を食べたら深夜までZ会に取り組む生活が続いた。

科目としては数学化学は得意で、トータルでは学年トップクラスだったが、物理が苦手で平均点+α程度。これはまずい、と対策…した筈なんだが具体的な中身を思い出せない。結局教科書に沿って、一番最初力学から復習したんだっけかな? 3年生になる頃までには苦手意識も解消。

中学生の頃からパソコンで遊んでいたので、大学最初東工大第5類を考えていたが、周囲からの「行けるなら上行っとけ」というプッシュで東大理Ⅰを目指すことにした。Z会にも東大コースがあるのでそちらを開始。模試は毎回A判定なので、これならいけるかなと。

センター試験自己採点は720点ぐらいで、足切りクリアできただろうと。当時の東大入試は、1次と2次の成績が1:4の比で加算されるので、ぶっちゃけ1次は足切りさえクリアできればオーケーレベル。(理Ⅲは知らん)

2次試験は、前期は東大理Ⅰ、後期は東大理Ⅰの出題形式ちょっと特殊なので、トラディショナル形式京大工学部受験することにした。大学受験私立すべり止め無しの舐めプ

初日に、得意な筈の数学で大問6問中1.5問しか解けず「これはやべぇ」と焦る。理Ⅰ合格ラインは2.5〜3問。残りの化学物理英語で取り返すしかないので、宿に戻って総復習。幸い2日目は好調普段よりよく出来た感触。かつて苦手だった物理もきっちり得点源にした。

結果、現役で一発合格

・その後

地方お山の大将は、東大生の一部であるスーパーマンを見て我が身の程を知るわけで。いろいろあってどうにか卒業就職してエンジニアやってます

受験生の人は、なんだかんだ言ってもやはり王道は反復練習なので頑張って。大学に入るとがらっと世界が広がります

2018-03-05

anond:20180305174738

四年から希望者のみ入部でサッカーミニバスケ、吹奏楽部活があったよ。

子供の多い学校で、先生もたくさんいて

指導ができる先生施設、道具、夜間の施設使用許可が揃ってないと出来ない学校もあると思う。

2018-01-18

[]2018/01/17

山道っぽいところをフィールドワークハイキングっぽい感じで一人で歩いてる

途中で道がわからなくなったから近くにいた人にきこうとした

そいつは、小学校ときに俺をしょっちゅう馬鹿にしてきたやつ

イケメンで背も高くてミニバスやってたけど、俺は大嫌いだった

閑話休題

そいつに聞くと、「空き地にある建物ロッジみたいな一軒家)の間取り構造とかを教えてくれたら、道教えてやるよ」って言ってきた

なんだそんなことかと思って言おうとしたら、会社上司がなぜか近くにいて、俺を無言でじっと見つめて「言うなよ絶対言うなよ」っていうオーラをびしびし感じた

そこではっとして「あっこれは教えたらあかんやつや」と瞬間的にわかった

そいつは悪いやつだから、もし教えたらその建物が燃やされるんだった!と脳内設定が即座に補完された

そんですんでのところで間取りを教えずに済んだ

2018-01-08

空っぽな私の半生を記す

小学生

バスケミニバス)をやっていました。

小さい頃から根暗で引っ込み思案。バスケというチームスポーツでは迷惑存在でした。

ある日、監督メンバー全員の前で、「お前チームで浮いてるぞ。」と苦笑いしながら言われました。

自分普通にしてるつもりなのに、みんなと仲を深められない。どうすれば浮かなくなるのかわかりませんでした。

元々私にとっては居心地の悪いクラブでしたが、監督一言があってからは、練習が終わったあとの後片付けの時間に、いつも倉庫に隠れて泣くようになりました。

辞めたかったのですが親に「辞めたい」と言う勇気すらなく、卒業しました。


中学生

ブスと言われ、クラスでいじられるようになりました。

私の行動や発言クラス中が逐一ネタにする、という、よくあるやつです。

幸い完全に孤立してはいなかったので、なんとかやっていけました。

私とよく一緒にいてくれたグループは、いわゆるオタグループなのですが、私はアニメ漫画ほとんど見ない人間でした。

グループ流行ってるアニメを見たりして、最低限の知識は抑えていましたが、オタク話題にはその程度の知識では通用しません。しかほとんどが腐女子だったのでもうちんぷんかんぷんでした。

ですので、話はすれど友達にもなりきれず、孤立を恐れた私は金魚のフンのようにグループにくっついて回りました。

部活は、経験のあるバスケをやりたかったのですが、小学校での苦い経験と、バスケ部メンバーが軒並みスクールカースト上位のいじめっこだらけだったので入りませんでした。

進学は、そこそこの進学校に行きたかったのですが、自宅から距離があったのでやめました。

こうやって、やりたいことをすぐ諦める人間でした。


高校生

いわゆる自称進学校入学しました。

友達がとうとう1人もできなくなり、完全に孤立しました。

この頃から、なぜか、本気で死にたいと思うようになりました。

1年生の後期くらいか学校を少しずつサボるようになり、2年になった頃には不登校になりました。

何もかもどうでもよくなり、自殺のことしか考えられない。1年生の頃はトップだった成績も、最下位レベルに落ちました。

担任心療内科受診を勧められ、鬱と社交不安障害と診断されました。数年通いましたが全くよくなりませんでした。自殺を図りましたか未遂に終わりました。

出席日数が足りず進学できなくなったため、通信制高校に転学して卒業しました。

昔は大学に行きたかったけど、この頃はもうすっかり頭が悪くなり、これまでの経験から学校生活でうまくやっていける気もしなかったので、大学進学は考えられませんでした。

高校卒業から現在

メンタル調子が悪いままだったので、社員として働けそうにないと思い、実家寄生しながら短時間バイトを始めました。バイト先でも浮いていました。

2年ほどバイト生活をして、「いい加減就職しないと」と思い就職活動を始めた矢先、精神科入院することになりました。閉鎖病棟で数ヶ月過ごしました。

そして先日退院しました。

特に良くなってはいません。

治らないのは、病気でもなんでもなく、ただの甘えでこうなっているからだと気付きました。

こうして振り返ってみると、私の人生に不幸なんて何一つありませんでした。家族もいたし周りも優しい人ばかりでした。全部自分の甘えや選択が招いた結果です。

周りの人は、「私はこれを頑張った」「努力した」と言い切っていて、心底尊敬します。

私は頑張ったことや苦労したことがありません。何もない半生になってしまいました。

私より怠惰な人はあまりいないと思いますが、もしいたら、福本伸行の熱いぜ辺ちゃんでも読んで頑張ってください。


死にたい

2017-02-03

読んでるだけで胸糞悪い

356 :名無しさん@おーぷん:2015/08/24(月)15:51:01 ID:???

妊娠7ヶ月、娘二歳連れて市営のミニバスに乗った。

乗った時は小さいバスだし座席満席でしばらく立ってたんだけど、ちょっとして目の前の座席が空いたから娘を膝に乗せて座った。

2、3個停留所止まってしばらくして後ろのおばさんに肩叩かれて振り返ったら

「そこ、年寄りの席だから…」って言われた。

小さいバスだけど優先席ではなかったし、意味がよくわからなくて

「え?年寄りの席ってなんですか?」って聞いたら若いんだし貴方より年寄りが座るべきとかごにょごにょ言い出して。

おばさんは後ろだったしお腹マタニティマーク子供が見えてないのかと思ったけど、なんで2歳児抱っこで妊婦の私に立てって言うのか理解できなくて、「妊婦も座っちゃいけないんですか?」って聞いたらムッとした顔して目をそらされた。

それを聞いてたのか、聞いてないのか知らないけど割と離れた席の年寄り

若いもんが年寄り立たせて平気な顔してんだから信じらんないわ!」とか言うし。

じろじろバスの中で視線が痛くて、目的地よりだいぶ早く降りた。

あの市営のミニバスみたいなのって年寄りが多いけど、あの年寄り若者排除しようとする団結感みたいなのなんなの?

ほんと腹立つ。

育児愚痴を書き込むスレ

2016-08-08

漫画とかでよくある危機的時にスローモーションになるやつ

人生で3回経験したことあるぜ!みんなの経験も教えてくれ!

1回目 小学生

クリスマス給食ですげー楽しみにしてたケーキを食べようとしてた時。

ふざけて井上さんのケーキをみんなで奪おうとしてたら、井上さんのケーキが床に落ちた。

いきなり景色スローモーションになって、驚いてる井上さんの顔とか、形を崩しながら落ちていくケーキと、ケーキから外れて落ちていくイチゴがありありと見えた。井上さん、あの時はごめんな。

2回目 社会人、25才

対向車のおっちゃんが意識を失ってこっちの車線に出てきて正面衝突した時。

あーぶつかるなって思った。乗ってたミニバス運転手さんがちょ、ちょ、な!?みたいな意味不明叫び声あげてることとか、一緒に乗ってたお姉ちゃんが何何何?!って言ってた事とか、旦那が私を咄嗟に庇ってくれたこととか、実質10しかなかった自己なのに全てクリアに見えた。衝撃に備えた!おかげで軽傷で済んだぜ!

3回目 社会人、26才

姉の結婚式に出てて、その参列者の赤ちゃんベビーベッドから落ちそうになった時。

赤ちゃんママは別のテーブルで誰かと喋ってた。寝てた赤ちゃんが不意に起きて、むずがって上半身を起こした。柵が付いてないベビーベッドだっから赤ちゃんその拍子に落ちそうになった。

それを見た瞬間が人生いちスローモーションだったね。

私、着物着てしかも別テーブルだったのにダッシュして赤ちゃんキャッチしてた。

みんなびっくり。私もびっくり。よく間に合ったね、って赤ちゃんと同じテーブルだった人からも言われた。

あれが私の人生いち偉かったことでもある。

スローモーション能力、捨てたもんじゃないぜ。

2016-02-17

中学バスケ部だった

なんの変哲もない地方公立校たまたまミニバスケット経験者に上手い子が多かったからか、顧問教師が張り切った。

毎日朝練放課後練。夏休み毎日練習。休みお盆の1日と年末年始の2日だけ。1月2日から練習だった。今振り返ると頭がおかしいとしか思えない。

私の学年の部員20人くらいいたが練習を休む人はほとんどいなかったように思う。休むと陰口を叩かれた。

バスケットは5人でやるスポーツだ。ベンチには15人が入れた。バスケ野球サッカーと違って何回でも交代出来るし、一度ベンチに下がっても再び交代してプレイすることが出来る。バスケは走りっぱなしのスポーツだ。ものすごく疲れる。

でもうちのチームは6人目のプレイヤーが育たなかった。顧問も育てようとしていたが途中で諦めたように思う。もともと一番上手い5人がスタメンなのだ。それに劣る6人目が、試合経験スタメンより少ないのに突然交代してスタメンと同じように活躍するのは難しい。

土日は毎週のように練習試合を行い、1日2試合から3試合全てにスタメンけが出場した。

チームの最終的な結果は県大会1回戦敗退。

スタメンは体力的にも精神的にも本当にきつかったと思う。1人は途中で疲労骨折をして一時離脱した。

スタメン以外はあれだけの時間を費やしながらほとんど試合経験もないまま引退した。

もっと違った部活のあり方があったのではないかと今にして思う。

2014-11-03

http://anond.hatelabo.jp/20141102014412

他人から評価されないんじゃなくて、他人評価に敏感すぎるだけやん。

普通ミニバスでの運動神経だの、かげ口叩かれただの、まあそんなこともあったかな程度で。そんな根に持たないよ。

2014-11-02

評価されない人生

今年で30歳になった。

人生を振り返ってみると、周りから評価されることが少なく、生きて行くのがとても辛い。


まり小学校

ミニバス所属していたが、プレイ中の姿を見たクラスメートが、「あいつ、下手くそだよ!」とクラスで言いふらしていた。

確かに僕は運動神経がとても悪かった。


小学校高学年の時、周りに一気に背丈を抜かれた。身長測定が終わった後、背の順番の並び替えを行うが、段々前の方に行く僕の姿を見て、クラスメートが歓喜した。

僕は成長が人より遅かった。


中学校の時、チン毛が生えていないことがバレて、「ガキだなっ笑」とバカにされた。

その後は「あいつ、殴りたくなるような顔をしているよな」と言われ、ジャイアンみたいなやつに殴られた。時期を同じくして、クラスメート全員が僕を無視をした。


周りを見返したくて、必死勉強した。その結果、地元北海道進学校入学することが出来た。彼女も出来た。その子は学年のマドンナだった。初めて人から認められた気がして、とても嬉しかった。だけど、彼女が「顔で選んでない」と友達に弁明しているのを人づてに聞いた。そんなの言われなくても分かっているよ。その日は泣いた。程なく彼女から別れを告げられた。


唯一得意だった勉強ダメになった。順位を低いことをバカにされ、自信をなくした。後は負のスパイラル浪人もしたが結局志望校合格は出来なかった。


顔も良くない、スポーツも出来ない、勉強も出来ない、そんな自分のことを知らない場所で生きたいと思い、北海道から離れた静岡県大学入学した。その時に「どんなに努力しても報われない」という思いが爆発した。何の取り柄もない自分がとても恥ずかしかった。授業にもでず家にこもっていたら、教授からゼミを辞めるよう言われた。謝罪して何とか残ることが出来たが、わだかまりは消えなかった。


就活も失敗した。面接に辿り着いても、面接から憐れみの目で見られてる気がした。スタンダードな受け答えさえも出来ていないと自覚していたからかもしれない。大学四年生の夏、あるERPパッケージ会社説明会を受けた。経営陣の考え方、会社ビジョンがとても素敵だったから、説明会が楽しみで仕方なかった。当日、ある経営陣が「この時期になって、今だに内定が出ていない学生なんていないと思うが••••」と言った。そうだよね。だけど、そんな学生だった僕はとても、傷ついた。その会社は筆記にも通らなかった。結局、12月東京ベンチャー企業就職が決まった。


一人一人が会社インパクトを与えられる可能性がある、それがベンチャー企業。そんな思いを旨にガムシャラに働いた。会社のために積極的発言した。会社から評価も上々だった。だけど、リーマンショックが全てを変えた。会社の業績はみるみる下がり、経営陣は従業員に不信感を抱くようになった。意見を言う者ではなく、意見に従う者を重宝するようになった。同時に社内イジメも横行した。景気が良かった時に意見を沢山言っていた僕はスケープゴートにされた。その姿が気に入らなかった直属の部長が発端だと、後から知った。当時は社長含めて、多くの従業員が僕の姿勢評価していたのに、たった一人に嫌われただけでこんな辛い思いをしなくちゃいけないのか、そう思った。やがて、毎日終電まで働いた残業代承認されず、人事評価ではすべての項目で最低ランク評価を下された。その後、自己都合退職という形で、リストラを言い渡された。


生きている意味が分からなくなった。もう諦めようと思ったが、一つだけケリをつけたいことがあった。それは受験勉強への思いだった。唯一得意だった勉強、だけど失敗した受験。「僕は何にも取り柄のない人間じゃないっ!」て周りに認めさせたかった。そこで憧れだったが挑戦に躊躇していた公認会計士試験を目指すことにした。


覚悟を決めたら後は走るだけ。朝から晩まで、休みなく1年半、勉強しまくった。努力が報われ、一発合格ができた。就職氷河期だったのに、大手監査法人就職も決まった。とても清々しかった。まるで自分人生とは思えなかった。だけど、一緒に未経験から受験を始めた仲間からの一報で、落ち込むことになった。「俺、7位でした笑」。あんなに勉強して1100位だった僕はやっぱりダメ人間なのかな。そう思って失意のなか入社式を迎えることとなった。


大量退職をした後の監査法人は、一気に人手不足になっていて、僕は仕事忙殺されることとなった。終電まで働くことが多く、休日も働いた。だがそんな僕の会社の3年目の評価は低かった。一番ショックだったのは2年目の評価と同一だったことだ。理由は明白だった。メインジョブ主任から評価がとても低いのからだ。結果をみてある思いが込み上げる。「僕は、人から評価されにくい」。


最近仕事にやる気が出ない。問題点は分かっているのに、改善するための行動が出来ない。

そして、生きていることに意味も感じられなくなった。だけど、30年も生きていると、10%くらいはいいことがあると分かってしまっている自分もいる。そのことを考えると、この先、生きていてどんないいこと出会えるだろうと期待してしまって、死ぬこともできない自分もいる。


だけど、朝起きると会社へいくのがとても辛い。

どうしようも出来ない、自分が情けない。

誰か僕を助けてください。

2008-04-20

2次元ヲタ小学校教諭になったようです

大学時代、数多くの2次元の嫁とベッドを共にした私ですが、何を思ったのか小学校の教諭になりました。

2次元世界には、ランドセルをしょった18歳以上が多数在籍しているわけですが、とうとう私は3次元でその生活に足を踏み入れることになりました。

さて、当然ですが、小学校1種の免許を取り、きちんと採用試験を通過しております。

また、3次元には正直あまり興味を持てませんので、3次元での活動はすべて脳内2次元化され、処理されています。

そんな中で、2次元ですら体験したことの無かったことがいくつかありましたので、書き綴って行きたいと思います。

1.ニーソ

 期待と不安で胸がいっぱいだった始業式。

 新しい先生です、と紹介される訳ですが、私はとりあえず目の前に並んでいた列のニーソ着用率を調査してみました。

 15人中、2人がニーソ。(黒ニーソと縞ニーソ

 ほほぅ…。

 2次元世界では、着衣時および行為時という2種類のニーソ着用パターンが一般的ですが、着衣時はたいてい制服に限られており、また、学校内のシーンでは教室および特別教室における行為に限定されています。

 要は、ニーソ着用者の学校における行動パターンが不明であった。

 それに答えを準備できました。

 結論から述べれば、「ずっとニーソ。」

 私は2年の担任になりましたが、2学年ともなるとさすがにニーソ着用者はぐっと減りました。

 学年に1人いるか、いないか。

 

 そんな中、6年生になると、ニーソ着用率がぐっとあがります。

 後ほど知ったのですが、集会時の集計は5年生でした。

 そして、6年生の最初のイベントと言えば、「ミニバス大会」です。

 ミニバス大会まで、学年担任および教務が持ち回りで体育館に赴き、顧問を務めます。

 そのとき、見てしまったのです。

 体操着ニーソという、新しいコラボレーションを。

 ショートパンツニーソが繰り広げる、絶対領域を。

 

 これは…2次元化せざるを得ない。

 どなたか、絵を!w

 とりあえず、ニーソに関しては、着替えることなく、掃除時間もそれでした。

 給食時間もそうに違いありません。ニーソ+給食着? …正直…自分の想像力が怖いです…。

 

2.着替え

 2年生は、男女の性差をあまり感じることなく、男子でも女子を蹴りますし、女子も男子をぶちます。

 分け隔て無く接し、たまに「えっちー」とか言ってますが、「だから?」という空気があります。

 それは、1時間目の授業を終え、「次体育だから早く着替えるんだよ」と言ったときのことでありました。

 女子が。本当に早く着替え始めました。何のためらいもなく服を(以下略

 我が目を疑いました。同時に絆創膏の準備を怠った自分を呪いました。

 とりあえず、私にできることはそそくさと退散し、何知らぬ顔で職員室に行って漢字ドリルの丸付けをすることしかありませんでした。

…とここまでは、変態と呼ばれても仕方ないような現状が繰り広げられていた訳ですが、ここから教師の愚痴が始まります。

3.休憩が無い

 休憩時間は、一応形だけあります。

 給食時も給食指導という大事な仕事がありますので、昼休みはありません。

 学校によると思いますが、15??16時あたりが休憩時間として一般的であるようです。

 休憩時間放課後です。プリントの用意、教室の掲示(掲示教育)、教材研究、教務必携への書き込み、校務分掌、児童の親への対応などなど、様々なタスクを児童が居ない間にこなさなくてはなりません。

 退勤時間は17時05分。休めるわけ無いです。

 逆に、休憩時間をつぶしても仕事が終わりません。

 一般企業の経験が無いので、何とも言えませんが、これっていいのでしょうか…?

 更に述べると、残業しても手当無いです。(その代わりとして4%の調整がつくらしいのですが)

 学期のはじめは様々な用意がありますので、7時過ぎまで残りますが、残業手当は無し。2時間残業…Ctrlキーを押せば1人はクリアできる計算ですね。

4.思った以上に児童がひどい

 書くのがだんだん面倒になってきたので詳細は書きませんが、

 授業中出歩いたり、ロッカーの上に上ったりするのは「デフォルト」です。

 現代っ子は、ここからがもっとひどいです。

 「ロッカーの上に上って良いの?何でそんなことしたの?」

 典型的なパターンではありますが、注意します。

 学級経営における4月の重要度は最高ランクに位置します。

 ここでなめられると、1年間を棒に振ります。

 なので、厳しく、何度も注意に入るわけですが、

 「チッ」(舌打ち)

 「はぁあ」(あくび)

 「うぜぇ」(苦情)

 合いの手がこれです。

 信じられます?

 先生に怒られている児童が、舌打ちしたり、あくびしたり、うぜぇとか言うんです。

 正直、唖然とした。

 そして、それに唖然とし、注意の手が一瞬休まったところで、彼は隣の人と話を始めました。

 …あれ。俺、怒ってたよな?

 こんぼくいじめを取り扱ったゲームではありましたが、実態は更に上を行っているようでした。

 とある児童に、女性先生に関する話を聞けば

 「あ、あの先生?全然怖くないよ!」

 「あ、そうなの…。」

 「だって、泣かしたもん。」

 「……。」

 これが学校現実です。

 今すぐ、3次元世界を捨てて2次元に戻るんだ。

 あぁ。明日が来るのが怖い。

 午前0時09分追記:

 

 変態部分は誇張表現ありますよwwwwもちろんwwwwww

 どちらかと言えば、同じ新卒で入った女性教諭を気がつくと目が追いかけていたりするくらいのピュアハートの持ち主です。私は。

 (一部誇張表現があります)

 ただ、一番最後の部分。児童との関わり合いは本当に胃が痛くなるくらいです。

 過去自殺した新任の先生がいましたが、彼の気持ちがわかります。

 親からは「新卒に何ができるんだ」というプレッシャーを放たれ、

 同僚も同じく多忙、もしくは私の穴を埋めるために忙しいので、私を手取り足取り指導するわけにも行きません。

 (それでも、様々なことをご指導くださる学年主任の先生には頭が上がりません)

 無い経験と知識を振り絞って、睡眠時間を削って、

 それでも、児童が意図したとおりに動かなかったり、集団の秩序が守られなかったりしたら、自殺を考える。

 とても他人事では済ませられません。

 そのくらい追い込まれてしまう時もあるでしょう。

 これから団塊の世代の教師が大量に辞めていきますので、新任の教師はどんどん増えていきます。

 そんな中、新任の教師に任される子どもたちはこういう子どもたちなんです。

 「小学生ニーソはいてるwww天国wwww」

 …そんな甘い世界じゃない。

 それを痛感している、ここ1ヶ月なのでした。

 明日も児童が待ってます。ホントは怒りたくないけど、25人の息子と娘のために、心を鬼にして行ってきます。

 最後までお読みいただきありがとうございました。

 
アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん