「教育者」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 教育者とは

2020-05-21

暗記数学が正しい

受験生諸君は、悪質な情報に惑わされないように。

暗記数学の要旨

和田秀樹らによるいわゆる「暗記数学」の要点をまとめると、以下のようになるだろう。

数学重要なのは、技巧的な解法をひらめくことよりも、基礎を確実に理解することである

これは従来、数学入試問題を解くのに必要なのはひらめきや才能だと思われていたことへのアンチテーゼである特別な才能がなくとも、基礎事項を確実に習得することで、入試を通過できる程度の数学力は身に付くことを主張している。

そもそも大学入試大学研究をする上で重要知識や考え方の理解度を問うているわけであって、徒な難問を出して受験生を試しているわけではない。したがって、そのような重要事項(つまり教科書の基礎事項や、数学活用する上で頻繁に出てくるような考え方)を身に付けるのが正攻法である

そのための教材としては、エレガントな別解や難問に拘ったものよりも、基礎事項や入試頻出の問題網羅したスタンダードものが良いとされる。

数学理解するには、具体的な証明計算例を通じて行うのが効果である

これはいわゆる解法暗記である。なぜ、具体的な実例を学ぶのかと言えば。数学に限らず、具体的な経験と関連付けられていない知識理解できないためである

実際、教科書を読んだばかりの人の多くは、自身知識入試問題との間にギャップを感じる。たとえば、ベクトル内積定義線形性等の性質を知っただけでは、それを幾何学問題に応用するのは難しいだろう。教科書を読んだばかりの段階というのは、将棋で喩えれば駒の動かし方を覚えただけのようなもので、実戦で勝つのは難しい。実戦で勝つには、定跡や手筋のような、ルールだけから直ちに明らかではない、駒の活用法を身に着ける必要がある。

将棋の定跡を初心者独自発見するのが難しいのと同様に、数学自明でない実例を見出すことも難しい。そのほとんどは歴代数学者が生涯をかけて究明してきたものなのだから、当然であるしかし、現代高校生には既に教科書入試問題がある。特に入試問題は、数学専門家が選りすぐった、良質な実例の宝庫である受験生はこれを通じて数学概念活用のされ方や、論理の展開等を深く理解するべきである

そしてこれは、大学以降で数学工学を学ぶ際も同様である特に大学以降の数学では、抽象的な概念が中心になるため、ほとんどの大学教員は、具体的な実例を通じて理解しているかを非常に重んじる。たとえば、セミナー大学入試等では、以下のような質問が頻繁になされる。

  • ある概念(群やベクトル空間など)の具体例を言えるか。
  • 逆に、そうでないものの具体例を言えるか。
  • ある定理を具体的な状況に適用すると何が言えるか。
  • ある定理仮定を除いて、反例を構成できるか。

論理ギャップや式変形の意味等の不明点は曖昧なままにせず、人に聞いたり調べたりして、完全に理解すべきである

教科書記述や、解いた問題は完全に理解すべきである。つまり

といったことを徹底的に自問するべきである自分理解絶対に正しいと確信し、それに関して何を聞かれても答えられる状態にならなければいけない。「微分極値が求まる理屈は分からない(或いは、分からないという自覚さえない)が、極値問題からとりあえず微分してみる」というような勉強は良くない。

そして、理解できたと思ったら、教科書の一節や問題の解答を何も見ずに再現してみる。これはもちろん、一字一句を暗記するということではなく、上に書いたような知識有機的な繋がりを持って理解できているのかを確認することである。ある事実が、どのような性質を前提としていて、どのように示されるのかという数学ストーリー理解していれば、何も見ずともスラスラ書けるはずだ。

また、問題を解く際は、いきなり答えを見るのではなく、一通り自分で解答を試みてから解答を見ることが好ましい。実際に手を動かすことにより、分かっている部分とそうでない部分が明確になるからである

以上のことは、何も受験数学に限った話ではない。他の科目でも、社会に出て自分で調べたり考えたりしたこと他人に発表するときでも同様である

暗記数学に賛成している人・反対している人

一般的に、暗記数学に賛成している人。

要するに、数学の専門知識社会的常識のある人は暗記数学に賛成しているようだ。

逆に、反対している人。

反対しているのは、金儲けが目的で目立つことを言っているか、何かをこじらせて勉強法に無駄な拘りを持っている人たちのようだ。

----

追記

思うに、アンチ暗記数学派というのは、精神根底に以下のような考えを持っているのではないのだろうか?

一部の人は、大学入試では「ひらめき」や「発想力」を試すために敢えて典型的ではない問題を出しているとか、「天才」を発掘するために常人には解けないような難問を出題していると思っているのかも知れない。しかし、先にも述べたように、大学入試は、大学に入って研究するための基礎学力を測っており、入試問題は、そこで問われている知識や考え方が重要から出題されるわけである。したがって、そういう重要知識や考え方を十分に身に着けていれば受かる。ただそれだけの話である。そして、良識ある教育者は、数学重要なところが分かっているから、それに基づいて教材や予想問題を作っている。

また、「数学自体重要ではなく、数学を通じて思考力を鍛えることが重要」とか「受験勉強社会に出て嫌な仕事我慢するための訓練」等と思っている人もいるかも知れない。特に前者は、自称数学好きにもいるようだ。しかし、深く考えるまでもなく、大学受験数学が課せられるのは、大学研究するために(少なくとも、教員が望む水準で)絶対必要からである。また、数学をそれほど使わない学部にも課せられるのは、多くの大学には転部等の制度があり、文学部から経済学部とか、農学部から工学部に転部するような事例は珍しくないかである

上記2つに共通するのは、「理解」よりも「ひらめき」等のオカルティックなものを重視することである。これは、上に述べた胡散臭い教育業者や、受験生に絡んでる学歴コンプが暗記数学に反対する理由と符合する。金儲けがしたい受験業者にとって、「基礎を確実に理解することが重要」などと言うよりも「入試本番に典型問題は出ないから、ひらめきが大事」などと言った方が、客は集まりやすいだろう。また、SNS等で受験生教員などに絡んでる奴にしても、数学本質理解できず霊感的なもの価値見出しおかし勉強理論かぶれてしまったと考えれば納得がいく。

繰り返しになるが、受験生諸君はそういう悪質な情報に惑わされてはいけない。

平田オリザ氏の失敗を日本教育の失敗みたいに主語を広げていくのは

ご遠慮頂きたいなって思ったんですがタイトル長すぎて切れましたてへぺろ

平田オリザ炎上にみる、コミュニケーション教育は「他者相互理解する能力」を害しているという現実

https://note.com/hirayama_t/n/n9ee3544db3b0





これ見て「伝える力偏重コミュニケーションはパッと見だとうまくいってるように見えるけどちょっとしたきっかけで破綻する」ってのはその通りだよなーと思いつつ、どうしてもひっかかることがあったんですよ。

そもそも日本コミュニケーション教育は伝える力偏重」ってマジなの?ってとこです。

自分職業コミュ障のくせに他者との会話が必須なので教育で得たスキルでどうにか人並みの仕事をできるようにしてるんですけど、そのコミュニケーションのための教育で教わることって「相手の話をちゃんと聞こうね」なんですね。

相手の話には適切に相槌を打つことで相手安心感を与えよう、だとか、相手の言ったことを再確認することで齟齬が起きにくくなるだけでなくて相手からも信頼してもらいやすくなるから言われたことはちゃんと「○○ですね?」って聞き返そうね、とか。

もちろんこっちからしかける時の注意として分かりやすく簡潔に、とか、伝えるためのスキルってのも教わりましたよ。でも相手の言いたいことをちゃんと把握するための技術はきちんと教わりましたし偏ってるなんて思ったことないです。

そもそもこの平田オリザって人、コミュニケーション教育ナントカ座長第一人者って言うけど今回の炎上まで名前も知らなかったんですよね。もちろん自分アンテナが狭いってのはあると思いますが、それだけ重鎮のはずの人ならそれこそテレビ御意見番とかで出てきて名前くらい聞いててもよさそうなのになーとか思ったり。




そんでちょっとググってみたんですけど、この「コミュニケーション教育推進会議」って悪名高い民主党政権時代に発足してて、しか文科省WEBサイトを見る限りでは会議自民党政権に戻った後は開かれてないっぽい(議事録が4回目までしかないしその後の活動特に掲載がないし資料も見当たらないし)感じなんですよ。いや活動継続してるなら教えて欲しいのでリンク下さい。

もちろんその2・3年ほどのせいで日本教育に深い爪痕を残したっていうのであれば理解できなくはないですけど、そういう方向の話でもなさそうだし。

日本には昔から「話し上手は聞き上手」っていうことわざだってありますし、いわゆる陰キャと呼ばれるようなタイプの間でリア充の人のコミュスキルの高さの話が出る時って「真のリア充自分らみたいなコミュ障でもうまく会話を誘導して話を聞き出して広げてくれるからすごい」って話であって「リア充の話っていつまで聞いてても飽きない」みたいな方面の話はほぼ聞かないです。自分は。

時間の都合とかスキル不足で教育が足りてないという現実はあるにせよ、コミュニケーションには自分意見を正しく伝えることも重要だけど、相手意見を引き出す能力であったりその為の傾聴能力であったりもすごく重要だよね、と思ってる人の方が多いんじゃないかなあ。少なくとも自分観測範囲だとそうです。

ネット上のコミュニケーション発言重視のコミュニケーションになってしまうのは、どちらかと言えばどうしても対多人数への発信が主になりやすく、かつ相手の反応が返ってくる(相手の反応を確認できる)のがリアルタイムではなくてタイムラグがある(ブログなどだと記事投稿⇒読んだ誰かによるコメント⇒更にそれを書いた本人が確認するための時間差がある)という対話方式構造上の問題であって、教育がどうこうじゃないと思うんですよね。

いや、そういう1対多数のコミュとか発言からレスポンスまでにタイムラグがある場合対話術とかを教育できちんとやるべきではって話であるならやった方がいいでしょうねとは思うんですけど、それって傾聴能力を軽視したかコミュニケーション教育は失敗したんだ、っていう話とは別の話じゃないですか。別の話に平田オリザを混ぜ込まれると問題点が見えなくなるのでは?っていう。





十数年前の道徳教科書には既に「英語が得意な『私』と得意でない友達がそれぞれ海外ホームステイに行ったけど、『私』はステイ先の同年代の子供と話が合わずギクシャクして、友達の方が海外の友人と仲良くなっていた」っていう話がありましてね。喋るのが得意でもそれだけでは相互理解なんてできないというのはずっと前から教育者も理解してると思います。(まあこの話の本題は自分の国に目を向ける、自国に誇りを持つことにあるっぽいですが)(ちゃん最後には仲良くなれるのでごあんしん)

でもって傾聴能力のもの教育である程度まではどうにかなります。何せ自分仕事できているので。

もちろんそこには仕事からこそ相手の話をちゃんと聞こうという意識が働いているという部分があり、相手の話を聞こうとしなければ傾聴スキルいくら磨いてもコミュニケーションできないってのはその通りです。ですが「相手の話を聞こうと思えるようになるためには何をすればいいか」についてはこれもやっぱりある程度までの話になりますけど教育で賄える部分かと思います

という横の話はおいといて、やっぱり平田オリザ氏のコミュニケーション論を軸に日本全体、あるいは主軸のコミュニケーション論が伝える力偏重であるという論調で話を進めるのはちょっと乱暴でないかなーと思うのです。

昨今の英語教育だって技能、読む、聞く、書く、話す、と受け取る能力が盛り込まれます

日本コミュニケーション論が伝える力偏重になっているのでは、という話をするならそんなごく一部かつ負けた政権人間で今は開催されてないっぽい会議議長の話を出すんじゃなくて、もっと他に今話題の方とか継続して活動を続けておられる方とか現在全国で取り組まれている試みとかを例として提示しないといけないんじゃないでしょうか。





あとググって出て来たここのページ

http://web.iec.ehime-u.ac.jp/reinelt/2018JCAcsComp/2018JCAcs3WakiTadayuki.pdf

とかを見て当時の会議資料のありかを知ったんですが、確かに2000年代初頭の資料については伝える力について主題として扱っているんですが、これはそもそも国語力とコミュニケーション能力関係性について語られているのであって主題になってるのは国語力の方では?というあたりの問題もあって一概には言えない気もするなーとか。

国語力は円滑なコミュニケーションには重要です、という話とコミュニケーション能力とは高い国語力のことです、では話が違いますよねってことです)

それにこれって「意見を発信する時には相手への尊重必要不可欠だよね!だから敬語大事にしようね!」みたいな話なので(雑すぎる要約なので詳しく知りたい方はちゃん一次資料を読んでね)相手こちらの話を聞いて貰えるようにするための警戒心を解いてもらう話術の話だと思うんですよ。

そんでもって平田オリザ氏の例の発言炎上したのってその「相手への尊重」が欠片も感じられないんですけど、ってところが起点じゃないですか。

発信する側としてのコミュニケーションスキルである相手への尊重とそれを実際に示す態度、話法というのができてない時点で「平田氏のコミュニケーション論には問題があるかもしれないけれど、そもそもとして平田自身自分の主張するコミュニケーション技法を守れていないので、今回の炎上を元に平田氏のコミュニケーション論が間違っていたかを論ずることはできないのでは?」という。平田氏のコミュニケーション論が正しいかかには別のサンプルを持ってこないと駄目なんじゃねっていう。

なんかこう、平田氏の失敗を直接的には関係ない仮想敵への攻撃に便利に使っているように見えてしまって、伝える力偏重コミュニケーション教育はよくないって主張そのものについては同意できるだけになんかむずむずするなーと思いました。

2020-05-13

『連ちゃんパパ』における主人公の悪行一覧

主人公の悪行に絞る

・細かいクズムーブは拾ってない(第六話の最後コマセリフとか)ので君の眼で確かめてほしい

・得た金はだいたいパチンコの種銭に。


1〜2話:特になし(妻がパチンコ借金をつくったあげく男と駆け落ち

3話:友人のパチプロにつられて妻捜索そっちのけでパチンコにはまる。

4話:特になし(発見した妻にまた逃げられる)

5話:闇落ち。

6話:特になし(金貸し回。主人公パチンコうってるだけ)

7話:女のヒモに(女は横領犯)

8〜9話:借金取りとしての才能が開花。債務者の子もの学校で「親が借金まみれ」と暴露することで子どもをつまはじきものに仕立て、子どもから親へ返済のプレッシャーをかける手法確立

10話:紛失した学校の金をパチンコで埋め合わせようとする。父親が口を世話した学校を突然辞職。

11話:息子を三百万で売る。

12話:息子の学校担任強姦ホームレスになる。

13話:強姦した担任妊娠したので婚約者として転がり込んだ担任実家でやりたいほうだい。

14話:特になし(真面目に働く)

15話:強盗未遂

16話:教え子にたか

17話:特になし(証券詐欺に騙される)

18話:特になし(金貸し人情回)

19話:特になし(逃げられた妻のところへ転がり込む)

20話:妻のパート先で勝手給料前借り。妻のお産費用をむりやりせびる。

21話:妻の出産祝いをむしる。働き口を口利きされている状態なのに「働きたくない」という理由生活保護申請

22〜23話:バイト先の弁当屋社長をたらしこんでパチンコ仲間にした上で闇金で金を借りさせ、最終的に店を取り上げる(すべて計画的犯行

24話:借金取り立てのバイト先にあったガラクタの壺が500万の価値を持つことを知り、債務者にも金貸しにも黙って壺を持ち出す。

25話:特になし(働かずに妻にパチスロ用の金をせびる)

26話:隣接区画マンション建設反対運動リーダーとなって建設会社から金をむしろうとする。

27〜28話:特になし(保険金目当てで妻に殺されかける)

29話:大企業による不当解雇に加担しかけるが、心変わりして企業から金だけむしる。

30話:離婚調停から逃げる。

31話:特になし(パチンコ依存症の治療を開始)

32〜33話:特になし(離婚のごたごたから息子が落ち込む)

34〜39話:特になし(塾講師として教育者矜持を取り戻し再婚もして真人間に戻りかける。だが元妻が再びパチンコ中毒となり蒸発再婚先の親もクズだと発覚)

40話:パチクズに戻る。

41話パチンコ台を触った手で団子生地をこねて食中毒を発生させる。

42話:息子を残して自殺未遂

43話:パチクズに戻る。

2020-04-28

フェイスブック友達が妹しかいない状態が長年続いてるんだけど

こんだけ続くとフェイスブックから提示される友達かもリストがめちゃめちゃ奇抜なものになってくる

海外のなんとか博士かいろんな種類のショップオーナーとか風俗嬢みたいな人とかよくわからない教育者とかマルチっぽい人とか

妹の交友関係友達がいないんだったら、だったらこれはどうだ?こっちはどうだ!?とそういう流れの末路という感じで、リストを眺めてるだけで楽しかったりする^ ^

2020-02-28

検査は不足もあるし、過剰要求もあるけど、なんか大臣答弁おかしくね

検査の過不足について

これは、気づいている人も多いけど、検査の不足が一部にある一方で、過剰に検査要求している人も多数いて、両方を分けて議論をして、両方とも改善しなければいけないという話。

検査不足については、高山義浩先生岩田健太郎教授プロレス相手)も「これまでの積極的疫学調査感染者の接触者を追跡する調査)の結果をみると、このウイルス感染力は必ずしも強くはありません。少なくとも、インフルエンザほどは強くない。」「私たちは封じ込められる可能性を捨てるべきではありません。」と語っている(https://www.facebook.com/100001305489071/posts/2716494688404021/)。封じ込めるためには、感染者を確定診断し、その濃厚接触者を追跡・隔離することが何より重要であるにも関わらず、死亡後に感染確認という例があったり、検査忌避に関する報道が多数あり、後述する検査キャパ改善が遅々としている点は問題であり、何としても改善すべき話である

現状において、風邪症状のみで濃厚接触者でもない人が検査を求めるのが害悪しかないという言説は、確かにその通りであり、啓蒙必要であると考えるが、良い記事があるのでリンクを紹介して省略する。(新型コロナ、なぜ希望者全員に検査をしないの?  感染管理専門家に聞きました/https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/covid-19-sakamoto)

検査キャパについて

検査キャパについては、これが不足しているがゆえに検査不足があり、改善すべきと考える。積極的検査抑制不正告発が容易な日本社会においては、ほぼないと考えるが、検査キャパ不足が改善がなされないのは行政不作為であり、追及すべき段階と考える。(当初は、「武漢市への渡航歴」とか「武漢市への渡航歴があり、発熱かつ呼吸器症状を有する人との接触」など検査対象に制約があって、それも問題であり別増田で指摘したりもしたけど、そこは改善した https://anond.hatelabo.jp/20200210110528

では、なぜ検査キャパが後述の大臣発言もあるのに増えないのか。この件は、1)受け手側の機器検査要員の限界、2)輸送手段限界 3)院側での梱包発送 という問題があり、全てクリアにならないと検査実施できないという3点があり、さらにはその限界を超えないように見通して、優先順位をつけ、検体受入れ可否も含めた調整も必要であること。

また、大きな要因として検体を量産していたダイヤモンドプリンセス号も含めて、検査需要があるエリアが偏っていて、稼働率が極端に低い都道府県と、極端に高い都道府県があることは容易に想像でき、日本全国での検査機器キャパを母数として稼働率を見ても、そうそう上がらない状況にあった可能性は高い。

特定病原体を含むかもしれない検体の輸送は、梱包受け渡しにせよ、輸送業者体制にしても厳格な決まりがあり、末尾にリンクを貼るが、そう簡単民間委託キャパを増やせず、結果として保健所職員などの自治体職員の人的リソースの枯渇もあると考えられるし、長距離輸送も困難を伴うことになる。この点は特例的な臨時許可業者検討したり、自衛隊災害出動をかけるべきと考える。

また、東京都愛知県内などの一部の保健所・衛生環境研究所では、人的リソース不足があるのは明白で、DMATでも自衛隊でも県庁職員でもいいし、その他大学教育者研究者技官でも良いので、応援人員の動員を検討すべきである

検査数についての追加疑惑

加藤厚労大臣は、国会答弁で18~23日の検査件数の内訳を明かし、その内容は18日996件 19日672件 20日656件 21日1594件 22日1166件 23日675件とのことである。この検査数はダイヤモンドプリンセス号、武漢帰国者チャーター便の搭乗者を含む可能性は高いが、両者ともにピークは超えている日程と考えられる。

一方で、「新型コロナウイルス感染症の現在の状況と厚生労働省対応について」と題して、ほぼ日次で厚労省Web上で報告している文書によると、「2月25日18時時点までに疑似症サーベイランスおよび積極的疫学調査に基づき、計1,061件の検査実施。そのうち147例が陽性。」とある。同文書時点の国内感染者数は160名(含む無症状者・除くDP号とチャーター便帰国者)であり、陽性者数と国内感染者数に大きな乖離はないので、市中の検査においては、1,061件がほぼ国内検査全数であるように読める。

一番さかのぼれる「1月27日12現在 計14件」から約1カ月を経過して、1,061件しか検査してないという説明は、加藤大臣の答弁とも大きく乖離してており、どちらの数字が正しいかにより、検査不足の度合は大きく異なる。マスコミならびに野党各位は、「1日約3800件の検査可能説明していた」のになぜ「1日平均約900件」というピンボケな指摘をやめて、厚労省Web大臣答弁の数字差異こそ追及して欲しい。

なお、厚労省Web数字は一部韓国紙にも参照されていて、間違いがあるのならば国際的な誤解を解くためにも訂正が必要であり、一方で大臣答弁に虚偽や欺瞞があったとすると、実態として1カ月でわずか1000人ちょっとしか検査していないということであり、国家総力をあげて改善すべきであると考える。

加藤大臣答弁の数字について、1つ仮説を述べておく。厚労省が出している検体採取に関するガイドラインリンク末尾記載)によると、1人の患者から2検体「下気道由来検体(喀痰もしく䛿気管吸引液)」「鼻咽頭ぬぐい液」を検査することになっているが、それを2件とカウントし、同一患者からの経時的な検体も個別カウントアップして検査数としている可能性を指摘しておきたい。

他に検査数・陽性者数の差異として、DP号下船厚労省職員や検疫官を中心に、一部「疑似症サーベイランスおよび積極的疫学調査」のいずれにも該当しないものの、検査実施し、一部陽性となっているものがあることは予想される。

自宅待機要請検査について

「自宅待機しろって言うけど、家族への感染は許容しろってことか?」という発言も多い。これは一理ある。この観点から課題は2つあり、隔離場所の確保と、隔離に際して誰をどこへ隔離するかの優先順位付けの問題とに分かれる。この隔離優先順位付けのために、PCR検査もっとすべきという意見は一面では正しいが、以下の観点から現状では軽症者は避けるべきという話になる。

PCR検査キャパが限られていること

・(特に軽症者の)検査精度が低いこと

日本国内流行がそこまでではなく感染確率のものが低いこと

PCR検査をするために病院へ出かけることが感染リスクを高めること

家族への感染リスクは、現状ではそもそも感染確率が低いところから許容すべきではあるが、より流行が拡大した場合などは、もう一方の課題、「軽症の疑い者」の隔離場所の確保という観点も含めて対応すべきであろう。その場合インバウンド激減となっているホテルの一棟借り上げとかも想定されるが、その施設スタッフの防疫も考えると、むしろ「軽症の疑い者」の家族を、普通に宿泊客としてホテル等へ避難させ、当人を自宅隔離する方が簡便だと考えられる。

地場観光産業を救う意味にもなるし、補助金を積んで「軽症の疑い者」の同居者に感染リスク回避したい高齢者、基礎疾患がある高リスク者、もしくは受験生などがいる場合リスク回避する家族が、ホテル公立宿泊施設公営住宅の空き部屋などを比較安価に利用できるようにすれば良いと思う。自宅に要介護者がいるケースなどは、例外対応的な、病院未満の隔離先もあればなお良い。

そこまでの事態にならないといいんだけどね。以上。

情報ソース検査数について

貼ろうとしたらリンクが多すぎると投稿できないみたいなので、伸びたらトラバで貼ります

2020-01-19

今年の3週目が終わった

年末中学時代の友人と集まって飲み会をした。

人間での飲み会ほとんどして来なかったし無職ニートの今行くのはなあと思いつつ、2回目のニートだしどうにでもなれと思って参加した。

皆それぞれの職に就いてそれぞれの生活をしている様だった。家業を継いだ者、責任ある職位で頑張っている者、故郷を離れ少し遠い田舎の地に勤める者もいる。

ちゃん大人になっていた。彼女とか結婚とか、貯金とか株の事とか、将来の事をちゃんと考えて生きていた。

丸2年しか続けられなかった仕事を辞め、半年以上何もしていないのは自分だけだった。その事を告げても友人達は気を遣って冗談交じりに優しい言葉を掛けてくれたが、酒の席だからその場に居られた様なものだ。

自分は将来の事をいつの間にか考えられなくなり、死にたいと思う様に気付けばなっていた。高校の時からだが、働き始めてもやはり変わらなかったし今でも変わっていない。

友人は「増田大人っぽくなったね」と言ったが、確かに「ぽい」だけだ。中身も外身も大人ではない事は解っているつもりだ。

趣味免許を取った事を話すと、運送関係仕事をしている友人に連絡してみたらと連絡先を教えてくれた。しかしその友人に連絡もできないまま気付けば2週間が過ぎた。

その間に25歳になってしまった。高校の時は18で死にたいとか思っていたのにずるずる来て7年生きている。高校卒業後2年間ニートになり、2年間職業訓練校に行き、2年間正社員で働き、昨年またニートになった。では2年目の今年は? 即死イベントが来たら言う事は無いが願って起きる様なものでもない。死にたければ自分死ぬしかない。しか中途半端でもいけない。

そう言えば昨年は厄年だったが面倒だったので厄払いをしていなかった。そうしたら辞める様な事になった。その後で厄払いしたがもう遅い。仏教だの神道だの宗教に関する物事面白いとは思っているが、厄年とか厄払いとか気持ち問題だろとしか思わない程度に信仰心は無い。だから厄年関係無いと思っているが、「厄年」というミームが内心影響した…のかも分からない。他者に原因を求めるのは楽だけれど空しくなるだけだ。結局環境適応出来ない自分が悪いのだ。

教育者だった祖父は「増田は賢くなるよ」と言っていたそうだが、実際は違った。全体ではなく当座の、それもとても小さな利益だけしか見えないずる賢い小心者になっただけだった。

もし私が狂気に走り何かの大罪を犯したら、刑事だったというもう一方の祖父は生きていたらどういう顔をするのだろうか。

どうせ日記から良いんだけど取り留めもなくなってきたしそろそろ寝よう。寝ても強い自殺願望が残っていたのはまだ一度しか無い。

2020-01-15

anond:20200115214152

現場教育者教育者養成する機関文部科学省も頭からっぽだけど、正しい指針を持ってるやつがカネ撒けば何とかなるかもね

なぜ大学教員教育者かつ研究者でなければならないか

研究をしていない大学教員教育者としてキツい.日本では概ね,科研費を始めとする競争研究資金を長年本気で取りに行こうとしていない人が非研究者かなとは思うけど,ここでは「論文や専門書を読んでないので,専門分野のトレンドを知らない」人を非研究者とする.もちろん近年,特に私学では校務の負担がどんどん上がっているので自分研究時間ほとんどない.査読付き論文の本数で世界と殴り合うぞっていう研究出身教員研究時間の作り方を知ってるけど,そうでない場合博士号持ってようとそもそも研究って何すんだっけ状態な人も結構いるというのが実態

今は教育機関として大学がどのような役割を果たすべきかということに結構焦点があり,シラバス厳格化ルーブリック作成といった様々な取り組みが行われている.それで,授業に完結した「学習」ではなく能動的な授業外の学びを含めた「学修」を行わせるために,授業を通じてどのような学びができるかということを強調するようにさせているところも多い.シラバス厳格化に含まれる,到達目標明確化評価の際に重要になるわけだけど,その授業を通じて自分がこうなれる,と想像させるという点も重要だと思っている.あまりきじゃないけど,「この授業が何の役に立つんですか?」とか言う人増えたしね.

本題だけど,非研究者は新しい知識がないから,教科書通りのことしか話せない.あるいは,かつての栄光の超古い自分の取り組みとかを語りだす.前者については正直授業である必要性がないし,後者ネットニューズパソコン通信いかに楽しかたかを語り出すおじいちゃんみたいな感じ.2000年って20年前で,今の大学生は生まれてないか乳児くらいなんですよね.そんな昔のことの話は,「この授業が何の役に立つんですか?」という疑問とは全然結びつかない.もちろん,最新の動向「も」知っていれば,点ではなく未来に向けた流れを重厚に語れることになるけど,昔のことしか知らなければ昔話にしかならない.

結局のところ,大卒という就職必要資格を得るために大学に進学してきた学生に,大学生のうちにサークルバイト以外に勉強も頑張るべき,というのを実感させるために一番必要なことは「この授業が何の役に立つんですか?」という素朴な質問にきっちり答える力を大学教員が身につけることだと思うんですよ.そのためには研究者になって,その分野の最新の知見を学生の身近な話題と紐付けて,学修に対する関心を抱かせるのが絶対必要不可欠だと最近は考えてます.たま~に他の先生の授業聞いたりしてるけど,こりゃ寝るわって感じの授業が多い.

まあ,根底にあるのは雑務が多すぎて研究時間が取れないということなので,共通テスト記述問題採点とかのどうでもいい仕事は増やすべきでないし,職員や私書ガンガン雇って事務作業を減らすべきなんだけどね.前者はただの思いつきに振り回されてるだけだけど,後者は金で解決できる.ただ大学は金が無いし交付金もどんどん減ってる.世知辛い

2020-01-13

今、大学教育者ですごい人って誰なんだ?

俺の知らないすごい人を誰か知ってるだろう

2019-12-30

今年の年末

年末はずっと家に引きこもって寝るか卒論執筆するかしている.12 月初旬に中間発表を終え,特に新規性も出ないままはてどうするかととまどっていたのであるが,同じ分野をやっていた研究室の先輩の卒論をじっくり読み返していたら奇跡的にその拡張を思いついた.個人的にはそこまで非自明な結果ではないが,あまりにもきれいな結果であるので,他分野のどこかで誰かが同等のことを思いついているであろう.私がやっている分野では知る限り誰も思いついていない.恋人ベットで寝ている夜明けに夢中で数式を書きなぐった.思いついたものをすぐに実装し,いくつかの観点で「自分の出した結果は確かか?」を検証した.するとどうやら間違いないようであり,理論的に最適なものが導けたようである確信を得てから指導教員に報告に行った.

そこからはずっと夢中だった.うつ気味でやる気のしない時もあったが,シャーペンを持って紙に向かっている時,プログラム実装している時,論文を書いている時,夢中になれた.

先日卒論の第 1 原稿を持って指導教員ミーティングをしたのであるが,先生は「数学能力も高そうであるし,研究者になる道も考えてみてはどうか」と言ってくださった.うれしかった.無論,自分特筆するような才能はないことはわかっているし,先生は新たな研究者を輩出することを目的とした教育者であるからそのようなことをおっしゃったのだろうが,それでもなんだか無性に喜ばしかった.

卒論学術論文として外部に出してはどうかと勧められている.卒論英語執筆することにした.いろいろなことに挑戦できている気がする.来年から同大学院修士に進学する.どこまでやれるかわからないが,希望が少し見えてきた.

2019-12-23

「この中にも同性愛者がいる」の何が問題

https://this.kiji.is/581526968514757729

さすがブクマカの皆さんはリベラルで、人権講師に「この中にも○○がいる」と言われても動じない方ばかりなんだな。

皆さんには信じられないかもしれないが、世間はそこまで同性愛理解していない。

同性愛を、同和地区の人、在日外国人など、見た目でわからない被差別者に言い換えてもいい。世間ブクマカの皆さんほど理解していない。

私の友人に、性的マイノリティ人権講師をやっている人がいて、私はそのサポートをしている。講演のあと、アンケートをまとめたりする。(以下アンケートの回答は原文のままではありません)

アンケートでは、児童生徒が否定的な回答をすることはまずない。記名で先生が読むアンケートからということもあろう、模範的に答えようとする子供ほとんどだ。

・かわいそうだと思いました

同性愛性同一性障害の人は、頑張っていて偉いと思います

・もし友達がそうだったら、優しくしてあげようと思います

講演の中で、「クラスメイトの皆さんと変わらず仲良くしていたいと思っているのに、ゲイかもしれないと疑われた時点でよそよそしくされる。それはとても辛いのです」と伝えているにもかかわらず、だ。「自分たちカミングアウトをしなくても、皆さんと一緒に普通に生活しています。多くの当事者は、特別扱いされたいとは思っていません」と伝えているにもかかわらず、だ。

子供たちの多くは友達に優しくあろうとしているので、アンケートの答えが点数稼ぎばかりとは思わない。きっと本心でそう思ったのだろう。

でも、そんな、腫れ物に触るような対応を誰が望む?

発言当事者探しを誘発し、いじめ助長する懸念がある

ブクマを読んでると、子供たちが何らかの手口で当事者を燻り出していじめる場面を思い浮かべたのかな? と思えるもの結構目についた。子供がそんなことやるのはどう考えても悪だし絶対ダメだ。

実際の現場でおきることは違う。

「このクラスにもいるかもしれないんだって」「もしいたらどうする?」「あの人"そう"っぽくない?」「かわいそうだし、優しくしてあげる」

そんなような会話が、数名の仲のいいグループ内でなされる。そのグループの中に当事者がいる可能性に気づきもしないで。

これまで隠してきた当事者は、ますます「言えないな」となる。隠さなきゃいけないなら友達じゃないって? 誰だってすっごく仲いい人にだって打ち明けない秘密の一つや二つ持ってるでしょ?

あるいは、クネクネと「実はおれ、ゲイなのよん。差別しないでね〜ん」なんてウケを取ろうとする子がいる。その場に当事者がいる可能性に気づきもしないで。助長される「いじめ」はこんなふうに、特定個人相手ではなく自覚なく行われる。諫めると自分が疑われるかも、と思って、周りも笑う。当事者ならなおさら、怖くて抗議できない。

クラスもを一度に集めた講演会で、数分から時間程度のお話を聞いただけで深く考えることができる子って、実際すごく少ないんですよ。上っ面の理解で、インパクトのある「この中にもいます」だけが印象に残る。当事者探しは教室で「お前か?それともお前か?」なんてわかりやす方法じゃなく、それこそ LINEグループなんかでヒソヒソやられるんだ。クローズド当事者がそのグループにいたら? 自分が疑われなかったとしても、「この中にだけは当事者はいないだろう」を前提にされている空気にすり潰される思いをする。

(すり潰される経験があまりに多すぎて諦めている人もいる。すり潰されているのは自尊心で、人生を大きく左右するのに。)


性的マイノリティ人権講演は、自治体教育者対象のものも多い。児童生徒よりも、講演後アンケートの回答はばらける。大人自分の部下や子供からカミングアウトされたら? ということを現実的想像して答える。

理解してあげたいが、職場での対応は難しいかもしれない

・気の毒には思うが、やはり不自然存在だと感じてしま

・うちの生徒にはいないが、今後の参考に

とても現実的だと思う。自分理解していても周囲はそうじゃなく、変えていく力はないと思っていたり、自分偏見が拭えないことに悩んだり、どこか他所ごとだと思ったり。社会現実はこうなんだ。

実際、近しい人が当事者だと気づいたときに戸惑わないと言える人はどのくらいいるのか?

(戸惑ったら「戸惑った」ってリアクションしてもいいと思うけど。なかったことにされるよりずっといい)

世の中はまだまだこんなふうで、子供たちはそんな世の中で成長しているのだ。

理解の浅い段階で「この中にも同性愛者がいる」って言葉を投げかけられると、当事者不安とショックに囚われる。当事者でなくても立場の弱い子供にも、しばらく友達との会話が恐怖になる可能性がある。

しっかりとした性的マイノリティ教育(その他人教育)が行われていれば、子供たちは、自分の周りにも当事者いるかも、という前提で人と付き合うことができる。「この中にも同性愛者がいる」とわざわざ言う必要がない。

児童生徒向けで、全体講演のあと、クラス単位希望者のみなど、もう少し少人数で距離も近くして講義を行うことがある。質疑応答時間も設ける。子供たちの姿勢が違って、上っ面だけじゃなくしっかり理解しよう、受け止めようとして聞いてくれる。その後、アンケートよりもずっと長文のレポートを送ってくれる。

・もし友達カミングアウトされたらどうすればいいかって考えていたけど、その人にいつもしてるみたいに言葉をかければいいんだなと思いました

・将来自分が同性を好きになることもあるかもしれないから、今はそうじゃなくてもふざけてネタにするのはやめようと思った

性的マイノリティの人がその場にいたら言えないようなことは、誰の前でも言ってはいけないと思いました

講師は「この中にも同性愛者がいる」とは絶対に言わない。「同性愛者にはこう接しなさい」と言うわけでもない。人と人との関係の、答えのない問いを、一緒に考えていこうね、と伝えただけだ。

2019-12-15

anond:20191215105026

教育職だと、なる難易度大学高校中学校幼稚園 なのではなかろうか。そうすると、幼稚園教諭になれば正規教育者で正式先生と呼ばれる中では最もなりやすいかも。(短大資格取れたっけ)

もっと手近なところだと、子供達に何かを教えれば、子供達や親御さん達から先生と呼ばれるよ。塾の先生とか、スポーツとか音楽とか将棋とか。公文先生という手もあるね。

2019-12-13

anond:20191111141311

一月前の投稿だが、読んで気になったので言及する。

今思うと、単に仕事として依頼されたからというだけでなく、こういう学習漫画を描くことで社会貢献して箔をつけようとしていたのかな。単に雑誌大衆向けとして描くだけでは社会人評価が得られにくかったから。あと、こういう漫画執筆を通じて、漫画自身勉強になり、学がつくというのもあるだろう。最初から立派な監修がついてくれてるから安心できるだろうし。

かつて矢口高雄が、エッセイ教科書に載せたいという教科書会社の申し出に対し、「エッセイではなく1ページマンガを書かせてほしい、原稿料もいらないから」と頼み込み、マンガを初めて教科書掲載させることに成功したという。

これはどういうことかというと、「音楽教科書ビートルズ」と同じ。かつてマンガは俗悪な読み物として親や教育者から敵視されていたが、マンガを読んでいた子供たちが大人になり、その社会的評価も変わっていったということをあらわす象徴的なエピソードだ。矢口子供の頃から敬愛する手塚治虫マンガ大人から白眼視されることにいらだちを抱えていたというし、積年の思いを晴らしたとは言える。

例示された漫画家は、そのようなフラストレーションを抱えた世代だろう。学習漫画を描くということは、彼らにとっては「子供たちのために漫画を描く」ということが世間に認められたことの一種確認にはなったと思う。しか増田の言う「社会人評価のために箔をつける」は的を外してないように見えてだいぶズレている感じがするし、「漫画家にも勉強になる」って、まるで漫画家は勉強してないような言い草だな。この投稿で一番気になったのは増田の持つ漫画家への蔑視偏見だ。

2019-12-04

anond:20191204000609

そこでワークシェアリングマッチングなんで育児者・教育者の「この子はこれに向いているぞ」ノウハウ必要なんだけど

 

なぜか家庭内子育ては無給で無休

2019-11-17

anond:20191117221101

どうしてもあなた私たち家族に非があるように仕立て上げたい様ですね。

そこまでして「ぼくちゃん景観を壊すない!」と主張するオタクの方でしょうか?


まず私は件の時まで二次元嫌悪までは抱いていませんでした。

そんなこと言いだしたら、しまじろうサザエさんだって二次元じゃありませんか。

過激ものがあったとしても、私たちの預かり知らぬところでやってくれと思っていましたし。

ですから旦那がそういった趣味の持ち主ならとっくに開示しているはずです。

教育子供には見せないでほしいと譲歩を願う程度は教育者として当然すると思いますが。

(そして快諾してくれるでしょうね。ぐちぐちいうあなたみたいな狭量日陰者と違って!)


そうやって放っていたらこの有様です。

日和見治療は何の役にも立たないことを手を噛まれて初めて知りました。


ところであなたの主張はさっきから的外れなんですが。

オタク論理的と言いますから、期待していましたのに少し残念です。もう少し建設的な議論をしてくださいな。

2019-11-05

教え子の観察ネタバズる人たち

たまにRTされてる勉強のできない子の共通点みたいなネタがマジ無理

学校先生塾講師か知らないけどどうして自分が預かってる子供たちのネガティブ情報世界中に流せるんだろう

対象になるのが大人でも「仕事できないやつの特徴」なんて話題は叩かれるのに

子供相手教育者立場自分担当してる範囲見ただけの観察結果を平気で口にできるとか信じられない

ほんと自分子供の時にTwitter流行ってなくて良かった

知らない間に先生に影でネタにされてる可能性とか想像したくない

2019-11-03

anond:20191102225347

仲間思いで信頼されてる評価の男も気軽にブスネタやるから

お笑い芸人教育者が建前だけでも禁止してくれないと

最近はブスにも人権がどうのこうのとヘラヘラやるから誰も尊重しないしするとKY扱い

2019-11-02

フェミニスト教授牟田さんの記事読んで納得できなかったところ

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/68185

読んだんだけどさ。

まずこれは、「見る人が不快に思う」からダメという言う話ではない。

当然、不快に思う人もいるだろうが、重点を置くべきはそこではない。

女性の性が断片化され、人格から切り離されたモノと扱われることが、女性蔑視・女性差別だから問題なのだ

たこれは表現の自由に属する問題でもない。いつでもどこでもどんな表現でも見せてOK、なのが表現の自由であるけがない。

いや、俺は「性が断片化され、人格からきりはなされたものと扱われる」っていうのが何を言ってるのかさっぱりわからんのだが。

だいいち、この人の理屈だと、公共の場に限らず、宇崎ちゃん差別的ダメってことになると思うんだが。

なんで公共の場以外だったらOKになるの? それはそれで適当過ぎない? (挨拶




ここから本題。



ねえ、牟田さんの記事さすがにひどくない?

とても教授が書いた文章とは思えないっつーか。




最初にさ、赤十字じゃなくて埼玉県ガイドラインの話するじゃん?

んで、宇崎ちゃん埼玉県ガイドライン的にアウトって話をするのね。

なんでも女性笑顔にしてるだけでダメなんだってさ。(ここよくわからないポイント1)

んで、埼玉県ガイドラインですらアウトなんだから赤十字もっと公共にあたるし当然だめっていうのね。(ここよくわからないポイント2)



んで、ここまでのよくわからんポイントはとりあえず飲み込むとして

公共での広告の在り方を定めるガイドライン的にNGだから宇崎ちゃんダメ」っていうのはとりあえず受け入れるとするじゃない?

ここまではまだモヤモヤはするけど受け入れられるのよ。


でも、次からこの人の話いきなりおかしくなるのよね。

まずこれは、「見る人が不快に思う」からダメという言う話ではない。

当然、不快に思う人もいるだろうが、重点を置くべきはそこではない。

女性の性が断片化され、人格から切り離されたモノと扱われることが、女性蔑視・女性差別だから問題なのだ

たこれは表現の自由に属する問題でもない。

いつでもどこでもどんな表現でも見せてOK、なのが表現の自由であるけがない。


ここよんで「はあああああ?」ってならんかった?

なんでさ。

公共ガイドライン的にちょっと自重したほうがいいよっていう話を受けいれたら、

自動的に、「宇崎ちゃんの絵は、女性の性が断片化され、人格から切り離されたモノと扱われることが、女性蔑視・女性差別だから問題

ってところに合意させられるわけ? (ここよくわからないポイント3。というか納得できないポイント

そもそも論理が逆転してんじゃん。

今までは一応「ガイドライン」の存在が先にあって、それにひっかかるからアウトって話だったよね。

これはちょっと判定怪しいけどいちおう理屈は通ってるの。

でも、よくわからないポイント3はさ


全然違う話をつなげてる上に、その違う話でNG判定が出たってとこから無理やり逆算してるのね。

ガイドライン的にNGだった」→「女性蔑視・女性差別だから」→「宇崎ちゃん女性の性が断片化され、人格から切り離されたモノと扱われてるものだ」になってる。

これずるくね?

だって牟田さんの記事、どこにも「宇崎ちゃん女性の性を断片化して、人格からきりはなしたものである」ということについて説明してないじゃん。

なんかいつの間にか自明なことになってんじゃん。

なんか、前のガイドラインの件の続きで、あたかもこの点については説明済み・合意済みって前提で話進めてんじゃん。


これが、大学教授の書いた文章ですか?

ちょっと牟田先生の知性を疑いたくなるレベルでひどいと思うんですけど。


いや牟田先生バカからじゃなくて、説明してないことを説明したつもりになって記事書いてるだけならまだいいよ。

でも、もっと恐ろしいのは、牟田先生がわざとこういう構成文章を書いてるとしたら。

それはもう教授失格でしょ。

読み手バカだと思って騙す気満々で記事書いてるよね。

それが教育者のやることですか?

この件での騒動で明らかになっているのは、多くの人々に、女性差別撤廃条約やそれにもとづいて国や自治体が取り組む、女性差別撤廃に向けた取り組みの中身がまったく理解されていないことだ。ツイッターを見ていると、弁護士評論家と称する人たちにさえ「個人気持ち問題」「感じ方の違いにすぎない」「表現の自由を侵すな」等の発言があったのにはまことに頭の痛い思いがした。

別に素人なら頭の痛い思いをしたとか感情的なことを書くのもいいけどあなたフェミニズム学の教授でしょ。

なに素人みたいなこといってんの?

そこを説明するのがあなた仕事でしょ。



そのあとに続く文章ますますひどいよね。

考えてみてほしい。

物心つく前から、街頭で目にするポスター本屋コンビニ店頭にならぶ雑誌の表紙に、性的ポーズを取り男性欲望に訴える女性の姿を見ない日はない。道を歩いていると見知らぬ人から容姿について卑猥言葉を浴びせられる。学校先生男子たちから体つきについてからかい嘲笑を浴びる…。

日本普通に生きていてこんな体験したことがない女性はいないと断言してよいが、こうした体験は、女性たちの尊厳を傷つけ自己肯定感を奪って、生き方のものさえ歪めてしまう。あまりにも日常的に起こっていることだから自覚することさえなくやりすごすことも多いのだが、これはまぎれもない女性への人権侵害だ。上述の条約基本法の警告や指摘は、女性たちにとってリアルなのだ

そうかもしれんけど。

それと牟田先生がろくな説明もせずに「宇崎ちゃん女性の性を断片化して、人格からきりはなしたものである認定したことは全く関係ないよね。

ごまかしてるよね。


ねえ。

フェミニズムの授業っていっつもこんな非論理的解説やってんの?

それ学問としてどうなの?

さすがに、今回の記事をまじめに書いてこれだったんだったら、教授としての資質を疑いますよ。

象牙の塔で、誰も批判する人がいないからいつの間にかこんなずさんな文章書いてもやばいと思わなくなったのかどうか知らないけど。

さすがにこれは大学教授の書く文章じゃないよ。


書き直して。どうぞ。

2019-10-07

anond:20191007102432

育児でも学校教育でも、教育者自身過去ちゃんとしてたかどうか気にしてたらキリないから、自分のことは棚に上げて指導するのは仕方ないと思うよ

2019-09-27

組体操について

組体操をやめない理由を知りたがっているブコメが多かったので、現場より。

特定防止のため色々曖昧にはするが、組体操は百害あって一利も無い訳でもない。

「皆で目に見えて体感を伴って明確にして具体的な何かを完成させる」のは一定心理効果があるようで、

それまで同級生と馴染めていなかった子が、良い笑顔で皆と交流できるようになった例はある。

勿論、そういうキッカケは生徒によって様々だし、必ずしも組体操である必要は無いが、

他のダンス芸術活動等々と比べ、組体操は前述の可視化体感容易性の点においては比較的優れている。

万人の子供に通ずる銀の弾丸でもないが、それで救われる子が比較的出やすい方ではある。

ただし、個人的意見としては、そのために何処までの危険性を許容できるかは議論余地がある。

組体操難易度と、それによって得られる心理効果相関関係があるのかは分からないが、

だとしても過度に高難易度危険性を犯すのは賛同しかねるし、前述の心理効果比較安全・容易なものでも得られる。

逆に、高難易度危険性を忌避するが故の、比較的容易なものも含めた組体操全廃論にも賛同しかねる。

組体操ばかりが悪目立ちしているが、子供怪我をする要因はスポーツ等多々あるし、

怪我を“過度に”恐れていては結局「子供を外で遊ばせるな」という極論にしかならない。

何がその子にとって良いor悪い、嬉しいor嫌いは千差万別であるため、何かをすればそれを嫌がる子も出てくるものだし、

いじめ問題でも何でも、ある子にとっては正解の対応が、別のある子にとっては間違いであるケースも多々あるため、

全体で何かをしようとすれば、必然的にそれを良く思わない生徒も出てしまうが(当然そういう子のケアも求められるが)、

少数(や、自分個人体験)に配慮して何から何まで全体を規制してしまえという、昨今の風潮には疑問もある。

もっとも、教育現場に限らず、人との関わりにおいて最後大事なのは手法ではなく、それを実行する人間のものである

本当に優れた教育者なら、組体操なんて用いずとも優れたクラス作りができるだろう。

ただ、世界カリスマ人材のみでは満たされていないし、

上位2割の層のみが実行可能手法を残りの8割に強要したところで、皆が不幸にしかならない。

まして教育者権限立場が失墜した現代教育現場では、熱心な教育者ほど我の暴走した現実の壁に潰されて辞めてしまい、

理念も熱意もない事なかれ主義教育者の方が生存率が高い。

批判で満たされる世界で生き残るのは、往々にしてそれを覆す優れた人間ではなく、それを適当に受け流せる図太い人間が大半である

そんな訳で、確かに理想ではないかもしれないけれど、そんな世界妥協模索するならば、組体操はそう悪い手法ではない。

数ある学校行事の中でも、比較的高い効果を得られやすい部類であるし、

少なくとも「やめてしまえ」の一言で片付けられるほど、そう単純な話ではない…と、個人的には思っている。

2019-09-02

叱られすぎると反省できないよね(叱り方戦略について)

昔、そこそこ仲の良かった男子結構くだらない事でめちゃくちゃ叱られてグレてしまった

グレたと言っても、自習時間に机をドンドコしたり、補習をサボってバッセンに行く程度だったけど、まあうちの学校ではグレてる部類だった

彼はそのうち課題を出さなくなり、その事で他の先生にもしょっちゅう叱られるようになり、余計態度を硬化させる負のスパイラルに陥って

もともと下がっていた成績もガタ落ち、結局3浪して消息不明になった。f欄に行ったという噂も聞いたが、謎だ。

彼を叱った先生とついこの間お話しした際に、彼についての話も出たのだが、「怒りすぎちゃったなあ」と後悔していた。他にも彼の没落の原因はあったのだろうが、アレがキッカケになったのは確かだった

宿題やったの!?」「今やろうと思ってたのに!」みたいなの、大人になってもずーっとあるよね。あんまり叱られすぎると反感や怒りが先行してしまって、なかなか自分省みることが出来なくなる

叱られて伸びないタイプの人は、やんわりと諭してあげるのが一番良いのだと思うが、叱る側に立つと結構難しい

「叱る」とはどうあるべきなのだろう

鬼の生活指導に叱られて、不登校になってしまった女の子中学時代いたが、彼女にとっての「叱られる」は、しょっちゅう叱られている剽軽男子にとっての「叱られる」とは同じ叱られ具合でも全く違うものだったろう

クラスメイトの前で「ちゃんとやれよ!」と一言言う事だっておとなしく真面目な子と活発で不真面目な子とでは受け取り方が全く違う

前者の場合先生にみんなの前で怒られた」という羞恥を引き起こす、精神的苦痛は絶大だ

本人のタイプに合わせて指導法をきめ細かく変えてやるのが一番人を伸ばす叱り方だと思うが、「人によって叱り方が違う」というのは集団不公平感を生む

教室のような閉じた、それでいて壁のないオープン集団の中で人によって態度を変えながら叱るのは難しい

そう考えると、何か悪いことをした子はそっと別室に連れて行き叱るのが適切なようにも思える

しかし、自分自身小学校のころよく知らない先生と二人きりの教室で隣に座って密着されながら委員会資料作成をさせられたのは軽くトラウマなのでそれはそれで問題があるように思う

一対一での指導、は多分ロリコン教師欲情させるシュチュエーションになってしまうし、閉鎖的な空間上下関係が残るのも監獄実験のような状態になって「叱りすぎ」を誘発しそうだ

職員室で叱るという手もあるが、他の先生の前で叱られるというのも精神的な負荷が大きいだろう(忘れ物が酷くて何度やられたことか)

保健室で「厳しい担任先生」と話をそばで聞くだけの「優しい保健室先生」という二対一のお説教が思いつく限り一番良いように思う

仕事量を考えると養護教諭ではなく、昼休みだけ来る外部カウンセラー数人で回すのが風通しが良く現実的な形になるだろう

これが家庭の場合「厳しいお母さん」と「優しいお父さん」のような役回りでの叱り方になるのだろう

しかし、甘やかすだけ甘やかす父(母)に子供がなつき、損な役回りをさせられる母(父)の言う事を子供がきかなくなる、というようなケースも聞くので、適宜「厳しい」と「優しい」は交換しながらやっていく必要がある筈だ

「叱る」一つの手前でも、どちらがどちらの役割をするのか話し合う必要があるのはやや面倒だが、子供の糧になる「叱る」のためにはそのぐらいの手間は必要ではないだろうか

職場で叱るケースでも、教育係を一人に一任せず「直属の厳しい教育係」と「見守る優しい先輩」というロールで叱ってみるのも一つの手なのではないだろうか

我々は普段から「叱る」と「怒る」を混同し、ただ感情を発露させるだけの行為を目下の相手にしてしまう事が多いが、効率的に人を成長させるためには「叱る戦略」をきちんと考えて叱るべきだ

個人的に、教育現場における「叱る=怒鳴る」は論外である。怒鳴る事によって相手を萎縮させ、内省させる間も与えない行動が反省を促すとは到底思えない。

生徒、部下の立場は怒鳴られても怒鳴り返すことの出来ない立場である。おずおずと返答をしても「言い訳をするな」と一蹴される恐れがある。怒鳴る行動は対話の機会を奪うのだ。

勿論、いじめや命を落としかねない悪ふざけには少なからず「怒鳴る」のコマンド必要かもしれない。事の重大さに気づかずヘラヘラ対話による説教を聞き流すような生徒もいる。なぜ「怒鳴る」が必要になるのだろうか。この場合「怒鳴る」はどのような効果を発揮しているのだろうか。

主観的かつブラッシュアップの足りない考えではあるが、一つの仮説がある。「怒鳴るとは上下関係をわからせる手段ではないか」という仮説だ。そもそも動物としての観点で見ると大声とは威嚇の手段の一つである動物のように大声を上げることで、相手を威嚇し、上下関係再確認させるのだ。プラスして、感情をあえて大袈裟表現することで「自分真剣だ」と伝える意味もあるだろう。(しか演者時点が自身の演技に呑まれ可能性はかの有名な監獄実験で示されている通りであるので、十分な精神力と慎重さが求められるだろう)

社会動物である我々は猿山の猿のように、狼の群れのように序列に弱い。だから不真面目な相手を前にした場合、この「怒鳴る」という行為はある程度有効なのだろう。怒鳴るは相手の「話を聞く真剣さ」を+5するというようなコマンドなのかもしれない。

人間感情は複雑なように見えて案外単純だ。悲しい時に怒る、傷ついた時に傷つける、というような行動も一見ブラックボックスを抜け出たものに見えるが、案外類型的なものである。それはピンボールの玉がピンに当たって跳ね返りながら、最終的にはいくつかの穴に収束していくのに似ている。無限可能性を持ちながらも、個々のピンでの跳ね返り方はある程度の予測がつく。我々の行動自体が、大したパターンを持たないからこそ、我々は相手気持ちを思いやり、共感できるのだ。

宿題やったの!?」という言葉子供時代私たちにもたらしてきた感情は「後ろめたさ」「反省」「反感」である。この感情パターン類型的だからこそ、私たちに「先に言われるとやる気なくすよね〜」という共感をもてる。

というように、人間感情がある程度パターンとして把握できる以上「叱る」のマニュアル化可能ではないだろうか。

「優しく諭す」というコマンド相手の「真剣さ」には効果が薄いかわりに「反感」の数値はあまりあげない。だが「真剣さ」の数値が低いと「反省」には至れない。

「怒鳴る」というコマンドは逆に「真剣さ」には絶大な効果を持つ、が、「反感」のポイントを高めてしまう。「反感」の数値が一定を超すと「反省」への道は閉ざされる。

前述の優しい医者と怖い医者戦略も、数値化で説明してみよう。怖い医者は「真剣さ」「内省を促す」方面に強いキャラクターであり、優しい医者は「反感」という感情共感し、怒りを和らげ「落ち着き」を取り戻させるヒーラーのような役割キャラクターである

「叱る方と叱られる方」という絶対的上下関係に、そのどちらでもない第三者を加える事で、叱り手の感情暴走を抑えるとともに、第三者による「共感」で叱られる側の精神負担を減らし、自分省みる余裕を与える。

無論、感情の数値の動き方には個人差があるので、叱り手は自分コマンド相手にどんな影響をどの程度与えるのかを考えながら叱り具合を調節していく必要がある。 と言っても、その個人差もある程度はパターンに当てはまるように思う。不真面目だが誠実な子、真面目だが反抗的な子、結局は要素の集合体である。実際に「元気な子(そして剽軽悪戯っ子)」「明るい子(そして優しくてポジティブな子)」「大人しい子(繊細で真面目な子)」という安易パターン化はあらゆる人間関係において常に行われている※。タイプに応じてコマンド駆使の仕方のマニュアルがあれば、どんなボンクラでも効果的な「叱る」ができるだろう。

※これには幾らか問題がある。私のように「大人しい子(割合図太く不真面目で陰険な子)」という相反するイメージの要素を持つ人間は取りこぼされる。そして不理解大人失望し私は余計陰険になった。教室のような大人数を把握すべき空間では、雑なラベリングが横行して、かえって正確な人格の把握の障害となるかもしれない。ここにもいくつかの心理検査を用いた人格パターン化による把握が必要かもしれない。

このように数値化して考える方法を主張すると必ず人の心が通っていない、愛がないという人が現れる、が、なんの考えもなしに相手の叱られた後の情動予測せずに感情をぶちまける事の方がよっぽど動物的で、「人の脳味噌」という回路を通わない非効率不合理なくだらぬ行動だと私は思うのだが。

(だいたい愛の鞭なんて言うが、恐怖政治よりインセンティブによる動機付けの方が効果がある事なんかもう数十年前から言われているのだからいい加減卒業してほしい。)

叱る、は上手くいけばとてもポジティブ効果を発揮する。しかし下手にやればかえって人から反省の機会を奪う。説教正論気持ちが良すぎるので、叱り手側は容易に権力を振りかざす楽しさに呑まれしまう。だから、叱る前に一呼吸置いて、叱る戦略を立ててみるのはどうだろう。戦略という言葉大袈裟かもしれない。叱る前に叱られた相手気持ちを考える、それだけの事だ。

人材育成教育現場、家庭での指導法においては、「叱り方マニュアル」の作成も試みとして楽しそうだ。心理テストで振り分けられた生徒や人材ごとに診断チャート作成し、それを参考に叱り方戦略を立てる。大規模に実験調査結果を取り続ければ有効性を立証できるかもしれない。最終的にはAIが掛けるべき言葉演算し、叱り手という演者がそれに従うようなディストピア教育が出来上がるかもしれない。AIの愛のない教育、は痛烈にこき下ろされそうだが、「データを集め、型に当てはめ、パターン化された指導をする」という一連の行動は学習行動として常日頃個々人が行なっている事であるし、そこに統計処理がより得意なAIを解すのはそれほど不自然でないように思う。

教育者には当たり外れが多すぎる。一生涯呪い殺したいようなクソもいれば、人生の節目のたびにあって感謝の意を述べたくなるような聖者もいる。マニュアルさえあればどんなクソにも一定ラインを超えた指導ができるようになる筈なのに……!と思うと悔しいばかりだ。しかし、こうなると今度は「マニュアル一辺倒の叱り方」という批判が生まれてくるだろうか。教師マニュアル依存、なんてニュース流れるようになるのも嫌な話である。優しい医者と怖い医者も何も知らずに信じ込めるとステキ装置ではあるが、そんなプログラムだと言われてしまうと薄っぺらさにがっかりしてしまう。マニュアル化した叱り方は叱られる側に不信感をもたらす逆効果となるかもしれない。うーん、難しい(そこまで進んだ未来だと生徒もプログラムが組まれたのをわかった上で乗れるほど慣れるかもしれない、AIカウンセリラーを利用したマインドセット人生の基本になるのだ!←楽しそう)

まあ、今のところは感情的に怒る前に、相手情動予測しながら諭してあげるというのがいいと提案してみることにします。つまるところは思い遣り。プラスして、叱るときは座って目線を合わせるっていうのも提唱してみる。叱り手側も怒りをセーブやすいし、叱られ側も対等な立場での対話であると感じやすい、と思うから。(座って足組んでる奴から立たされて叱られるのも、立った状態で目の合わない相手を見上げながら叱られるかもつまらないもの。)それと、誰かが厳しく叱られていたら、優しい第三者として「反感」や「落ち込み」に共感してあげたりね。まあ普通のことです。しか実践はクソムズイ。人生手強いね

(思い出話あるあるを書こうと思っていたのに、思いのほか筆が乗って長文増田になってしまった。noteにでも貼るべきだったかな、図解しながら書き直したくなってきた。ところで、25件を無限リロード中の増田様方には大変ご迷惑をおかけします、すまない。途中送信しちゃっただけなので再投稿の甘えではないんだよ!)

2019-08-30

忖度は必ず悪いことを起こすのか

忖度って言うけど、要はそれ自主判断でしょ?

自主判断、つまり「良かれと思って」だよ

「上手くやってくれ」と言われた時、言われた人がどうするかという話

 

「良かれと思って」というのはその行動主体となる人の思想倫理観が強く出る

その人がとにかく善人思考なら、意図忖度した時に善い行動をするだろうし

その人がとにかく悪人思考なら、意図忖度した時に悪い行動をする

となると重要なのはその集団基本的思想理念となる

 

もちろん明確に指示を出すべきというのは前提にあるけど

上の考えを完全に末端まで伝えるのは不可能

そうなると重要なのは上ではなく、むしろ手足となる集団全体なのではないか

 

集団全体の考えを善くするには選別と教育するしかなく、これは上にしかできないからもちろん上(任命者・教育者)にも責任はあるんだが

2019-07-06

anond:20190706132051

子供には労基署うごかないのが問題だろ

大人がいったってろくに動かないのに)。

 

ハリーポッターにも描写されてるけど中学生ならまだ義務教育範囲内だけど

高校生に体力と時間無限にあるとおもいこんでる教育者が多い。

夏休み冬休みにまで「補習」と称してボロボロクタクタになるまで子供を使い果たして実質休息日が3日しかない学校がある。

親が校風あわないからあわてて転科(文転など)や転校させたくても「制度上無理です」。

体調くずして休むと教科書さない上でテスト受けさせるいじめみたいな場合もある。

モーレツ社員募集したブラック企業じゃないんだからせめて連携とって整合性をとれと思う。

 

暇で大人人口がない田舎高校生なら

自分原付免許くらいはとったりしてくれる。

(=すきなところにいかせるのに親の送迎をつけなくていい)

自主的になにかやろうと思う暇をこどもにつくれよまず。

2019-06-30

anond:20190629192946

どうすれば保育士地位って向上するんだ?

かに結婚して子供をもった人にしか必要とされない仕事であり、

人生において関わるのは自分が園に通ってるときと、自分の子供を預けるとき

だけなんだけど、

でも本当に必要職業なんだけどなぁ

タピオカミルクティー屋より必要なはずなだよな

保育士もそう、学校教師もそう

教育者に対しての待遇が悪すぎるよな

2019-06-26

anond:20190626022949

自分指導教官もそんな感じだった。院に進んだのに一生を研究に捧げなかった自分に非があるけど、何か意見を言うと不勉強だのバカだの言われて心底嫌だった。

結局多くの教授研究者であり教育者ではないから、学問裾野を広げることに失敗している

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん