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はてなキーワード: 釈然とは

2021-07-26

オリンピック反対派ブクマカ選手を労われると不快

オリンピックには反対だけど選手応援するのは矛盾しない」

↑こういう人はてなに多そうだけど、釈然としない。

あなた方の意見が通ってオリンピックやってなかったら彼らの舞台も快挙もなかったんだよ!

それなのにしれっと「おめでとう!」とか言われると腹が立つし、釈然としない。

言いたいことは分かるけど、はたから見ればダブルスタンダードのものだよ、ご都合主義

オリンピック反対なら最初から最後まで観ずに黙止を貫きなよ。

かっこ悪い。

2021-07-22

2週間とかあっと言う間に終わってそう。

部屋にテレビもないし。

生活仕事探し訴訟とか引越し

てんやわんやだし。

どの道、通常開催されても

チケットあるがホテル無し状態

だったから、なんだか良く分からない

五輪

でも選手現場の皆さんは、頑張ってほしい。

パソナ電通に、中抜きされてるのが、なんか釈然としないが。

2021-07-19

なんか気分悪いな

釈然としない。

anond:20210719125034

漫画道的なストーリーは好きだったけどなんで京アニ犯人入れるのかわかんなくて釈然としなかった

2021-07-18

昔、「探偵ナイトスクープ」という視聴者の疑問を探偵役のお笑い芸人レポートする番組で、ご意見番ポジションキダ・タローがいるときに、彼が作曲した「アホの坂田テーマ」をノルウェーだかカナダだかのホッケー試合で聴いたという調査依頼があり、それは要するにどこかの民族音楽キダ・タローがパクっただけという話なのだが、コメントを求められたキダ・タローが「引用や!」と開き直ってスタジオ爆笑というオチになった回があった。

それで済んでしまったので子ども心に釈然としない思いを抱いたものだが(もちろんアホの坂田原曲著作権が切れているのだろう)、音楽業界の「引用」って、もしかして思ったより根深くて、当時キダ・タローが「引用や!」と言ったのも、ウケ狙いとかではなく、本気だったのかなあというようなことを、昨今の騒動でふと思った。

ちなみに「フニクリ・フニクラ」という曲はどこぞの登山鉄道宣伝のために作られたものだそうで、それを知らず「イタリアの昔の民謡かなんかだろう」と思い込んで「引用」したクラシック作曲家が訴えられて著作権料を払う羽目になったそうな(Wikipedia情報)。

2021-07-17

anond:20210717155016

開発者ツールから通信内容を見てみたら、NS_ERROR_DOM_ABORT_ERRORと出てた。

調べると、設定のプライバシーセキュリティからCookieサイトデータを消せば良いらしく、mail.google.comの消したらGMailのページが表示された。

なんか釈然としないけど解決したよ。ありがとう

障碍者小山田圭吾知識人Eテレ

巷では小山田圭吾イジメ問題大炎上している。……どんな時代でもイジメはなくならないというが、イジメスタイル感性時代とともに変わってきたようにおもう。

70年代は、ゴリゴリ暴力カツアゲという"利益目的イジメ"だった。社会全体が貧しく、不良はイカつげで、弱者障碍者はカモだった。だが大多数の層は「見て見ぬ振り」か、せめて白い目では見ていた。

80年代は、お笑いブームと金余りもはじまり、不良はヤンキー臭があってもお笑いもイケる奴が「モテ」になった。暴力や貧しさという負の側面はイジることで笑い飛ばす風潮になった。ヤクザはヤッちゃんと呼ばれ、貧乏長屋パロディになり、弱者障碍者はイジりの対象になった。暴力的な不良でなくとも、弱者のみっともなさや不自然さを笑えば勝ち組に回れる。暴力より笑いのほうが平和じゃん?と。弱者をマジ顔で擁護する正義漢なんてアナクロだしダサい。強きを助け弱きをくじくタケちゃんマンは笑いにくるんだ本音としてウケた。そんなライト感覚で従来の一般層も弱者を笑うほうに回った。

90年代は、社会隠蔽する負の側面を見世物小屋的に取り上げるサブカル民の一部……つまり従来のモテの条件だった暴力金も顔も微妙だが面白いことは言えるし弁は立つ……が、80年代モテ系のイジメ作法を真似し始める。知的階級弱者障碍者擁護すべしという戦後リベラル的な不文律を、「だーってそんなんじゃモテないし、助けてもいいことないし、素直に見たら笑えるじゃん?」と開き直った感じでもある。つまりビザール系な知的興味の"対象物"扱いである。

かくて不良系のみならず知的とされる階層までが、「ジョークだよジョーク」、「悪ふざけが過ぎたけど一緒に遊んでただけ」、「社会参加しさせろというから仲間に入れて遊んでるんじゃん」とうそぶく、そういう笑いにくるんだ「道化イジメ」に精を出す時代ともなった。

小山田圭吾が「俺はアイデア出してただけよ?」と言い募るのは当然だ。彼はサブカル民だから、「あたまのわるい不良みたいに直接暴力に訴えるなんてダサイ真似は、この俺がするわけないよ?」と言いたかったわけだ。

前フリが長かった。

この時代Eテレに、児童向け特別支援教育番組の"グルグルパックン"というものがあった(1994~1999年放送)。かの有名な"ストレッチマン"が最初に登場した番組である。当時の生活リズムとちょうど合う時間放送されていたのと、自閉症知的障害児童たちのゆるさとストレッチマンハイテンション不思議空気感に、何となく習慣的に見るようになっていた。番組内容はゆるくて差別感や悪意も感じず、むしろ怪人に扮した支援学級の先生たちの奮闘や障害児童の頑張らない日常……チャリティ番組的なお涙頂戴ではない……は穏やかでいい感じであった。

ある日、寝ぼけまなこでテレビをつけた時、そこには隅に小さく番組ロゴが映っていた。自分は目を疑った。

https://pbs.twimg.com/media/EubSIAtVIAEI9Rp.jpg

寝ぼけた目に小さなロゴは、"クルクルパークン"……"くるくるパー君"と読み取れたのだ。(画像を縮小して、目を細めてぼやっと見てほしい。) ものすごい悪意を感じて、たじろいだ。

もちろん。「自分の目がボケてた見間違いでしかないじゃん」、「差別意識や被害意識のある奴はどこにでも差別を見出すんだよな」、「障害児童を画面に出すのも微妙なのにそんなヤバいことしないでしょ?」と、矢のような反論が飛んでくるのはわかっている。ただの見間違いか因縁をつけているだけと言われるだろう。ただあの、「弱者障碍者に親切顔で接近しながら裏では小馬鹿にして嘲笑うことは、知的イケてる層のウィットに富んだ身振り」とされていた90年代雰囲気を踏まえると、何とも奥歯に物がはさまったような釈然としない気持ちにもなる。ましてや、「NHKでは知性や学歴を鼻にかける高慢反抗的な奴はEテレに回される」という風説を耳にしていると、陰でイジメをする優等生が「見間違いで妄想して何を言っているんだ。邪推でみんなの善意努力否定する気なのか?」とうそぶくような、抜け道確保済みの確信犯的な振る舞いじゃないかとも思えてくる。いや、出てくるみんないい人だよ。それら全部を身内ごとひっくるめて嘲笑うような"見間違い"だから知識人特有の底意地の悪い見下しを感じたのだが。

そういえば、このあたりから日本の成長は失われていったな。二枚舌が使えない者が"発達障害者"としてあぶり出されはじめた時期でもあった気もする。

真偽は謎の上に、四半世紀前のことを持ち出して因縁つける気もないが、世間話題にのっかって「90年代はそういう風潮だった」と確認し、「だれか同じようにロゴに気づいてた人いなかったのかな」と書きおいてみたかっただけだ。読み捨てていただきたい。

2021-07-11

義理いいねってなんだかなぁ

フォロワーは1桁、呟きに対して付く「いいね」は基本的に0、どんなに多くても3が限界という弱小ツイッタラー

ちなみに主に特定ゲームアニメについてよく呟いてる。

何人かい相互さんの中で

他の相互絵師声優積極的にリプ(意見感想、労い等)をする人がいるんだけど、

なんだろ、私には全く絡んでこない。(1回だけリプ来たような)

私も絡みに行かないので絡んでほしいというわけではないんだけど、気になるのは「いいねのしかた。

共通話題に関するツイートをしても全く「いいね」が来ないと思ったら

クッソどうでもいい独り言に対して秒で「いいね」が来たりすることもあるわけで、

いいね基本0の私にはその一貫性のない振る舞いは異様に目立ち、

「本当にこの人ちゃんツイートを見てくれてるのかな?」

という気持ちになってしまった。

あいいねがある時間帯は大体決まってるから

たまたま目についたから」と考えるのが妥当だろう。

ツイッターなんてフォローが数百あったらTL追うのも一苦労だろうし、

こんな取るに足らない人間過去ツイなんて確認するくらいなら他の人のを見る方が良いと思うんだけど、

だがやっぱり釈然としない。

他の相互考察ツイなどには"高頻度で"いいねRTをしているのに、

どうして私にはしてくれないのか。

実は相互の中にはリア友もいる。

そいつにはリプしたりしているけど、その振る舞いのせいで一線を引かれているのだろうか。

リア友以外の人には粗相がないようにしているつもりなんだけど…

「またなんか言ってるな、とりあえずいいねしとくかー」

みたいな感じで大して内容も読まれずあしらわれていると考えると正直悲しい。

それならスルーしてくれた方がまだいい、とは思うけどここで折り返し。

一番気になるのは、

内容のある発言を心掛けてけっこう考えて呟いてるのに、

他の人のたった数文字感動詞の方が積極的に反応を示すこと。

絵師声優はまあ次元が違う人たちだから比べてもしょうがないのは理解している。

だけど、他より多少熱心なだけのオタクの、

意味があるとは思えない発言に逐一同調を示すのが腑に落ちない。

「そんな余力があるなら、こっちのツイートももう少し注力してくれてもいいのでは?」

と考えてしまう。

かまってちゃんなのは否定できないけど、表に出さないだけかなり良心的だとは思う。

その相互さんはこっちが先にフォローしたわけで当然嫌いではないし、

なんだったら一番「いいね」してくれる人だしリムる理由特にない。

本当に困った。

というかこんなツイッター程度で一喜一憂してる自分が一番イライラするわ。

やっぱり人に媚びるのも媚びられるのも嫌いな私にSNSは向いてないわ。

2021-06-25

女性に対する「良い偏見」は素晴らしい物と扱ってよいのか?

「今回の裁判女性裁判官の割合が高ければ結果が違っていたであろう」って言説も、女性個々人の意思存在無視して、女と言う属性ならこういう結果が出る筈だっていう偏見のものだと思うけど。それは良い偏見から良い物だ!って扱う人ってどうかと思うんだけれど。

政治的には正解かも知れないが納得出来ない。

昔、村上龍のやっていたリューズバーってテレビ番組村上龍が「女性は素晴らしい。それに比べて男は情けない」という話を頻繁にしていて、現場ゲストもその内容を表立って批判はしにくいから、なんとなく「そうですね」みたいな感じで終わっていて、個人的にはどうも釈然としなかったんだけれど。

2021-06-17

月45時間以上残業するとき会社申請を出さないといけないのだけど、わりと釈然としない

そもそも末端社員である俺としては別に残業なんか好き好んでやりたくないし、会社の指示でしぶしぶ残業するにしても法定の45時間がリミッターとして機能してて

ここで残業を止めるは労働者権利としてあるわけだ。

45時間以上残業させたいなら会社側(管理者)がこちらに打診してきて申請だすべきであって

なんで俺が自発的申請ださにゃいかんのだ

申請出さずに残業できませんって言うと絶対怒られるわけだし

そんなのってないよー!って風ちゃんも言ってた

2021-06-12

インターステラレター

5-6年前くらいにデートSF映画の「インターステラー」見に行って、ボロ泣きして映画館出たらドン引きされて振られたんだが、未だに釈然としない。

音楽性の違いというやつだろうか。

2021-06-10

日本の政治

長年忘れてた、と言うか記憶から消していたのだが、このコロナ禍の間に思い出したことがあった。

二十年近く前、私と当時の妻は共働きで、子供保育園に入れなくてはならなかった。それで希望の園を選んで、抽選に申し込んだが、見事に落ちた。

二十年近く前だから、「日本死ね」が話題になるよりずっと前の話だ。保育園抽選が厳しいというのは噂には聞いていたが、実際落ちてみると、非常に困った。第二希望の園では仕事に定時に行けるかわからないし、第三希望となると定時出社は距離的にほぼ無理だ。今みたいに「イクメン」なんて言葉もない頃で、少なくとも私の勤務先は、保育園に行くからシフト勤務、など許してもらえる会社ではなかった。

困った挙句、妻が知人にその悩みを相談したところ、何処そこの誰それさんに連絡してみて、と言われ、藁をも掴む思いだったので言われた通りにした。したところあっさりと、第二希望が通った。

助かった、と思った。が同時に、なんとも釈然としない気持ちになった。だってそうだろう。そんなことで決まってしまっては、抽選など、なんの公平性もない。

後日、その議員さんに、手紙を書いたのか菓子折りでも持って行ったか忘れたが、とにかくそれきり、そのことは忘れた。何処の党の人だったかも、聞いたかどうかすら記憶がない。

何故、この話を今思い出したのかというと、日本の政治家のやっていることは詰まるところ、こういった御用聞きというか人たらしというか、そういうことなのだと、この二年間のニュースを見続けて嫌というほど思い知らされたからだ。安倍にしても菅にしても、他の多くの政治家にしても、皆が皆、我々が想像するような悪人ではないのかも知れない。ただ近しい人によくしてあげる、ただそれだけを何の魂胆もなくやってきて、その積み重ねで今があるのではないかと。これは与党野党も同じなのだが、強いて言えば政権を取れる人というのはチヤホヤされるのが人一倍好きな人で、その分周りに親分肌を利かせるのではないだろうか。

そして、偉くなればなるほど、金目当てでイカサマ取り巻き連中も増えるだろうし、全力で証拠隠滅に走る部下もまた、いるのだろう。

決して日本だけの話ではないだろう。とはいえ日本人は良くも悪くも、純真過ぎるのだと思う。「美しい国」なんて言葉であったり、党首討論オリンピックの思い出話を始めたり、我々からしたら何故それが受け入れられると思ったのか理解に苦しむ失言であったりというのは、まさにそういうことなのだろう。

ただそろそろ、そういうことは本当にやめにして頂かないと、この国は滅んでしまう。この二年間に報道されただけでも、一体どれだけの金が訳の分からぬ処へ流れたか。もういい加減、限度を超えてしまっている。近しい人だけ見ている人は、それに永遠に気付かない。

思い返せば自分も、それでその議員感謝して応援するような人間でなくて良かったと思う。その分、生きづらい人生を送っている気もするが。

近しい人を助けることで、全体が上手く回った時代というのもあったのだと思う。がしかし、とうの昔に、そしてこの二年間で尚のこと、時代は変わってしまったのだ。

2021-06-02

anond:20210602022727

人工授精とかで男性を排せばいいかと言われても違くね?ってなるし、

何となく家内手工業とか人が沢山いてなんだかんだ信用のおけるメンバー子供に気をかけてくれる的な小さい社会が羨ましく思えるんだよな、なんか釈然としないが…

2021-05-21

エスカレーターの歩行を禁止してはいけない。

確か埼玉県エスカレーターの歩行を禁じる条例が可決された(ただしま施行されていない)。

これについてはてブでもエスカレーター歩行弾圧主義者が絶賛していた。しかし私は釈然としない。その理由を以下に述べよう。

エスカレーターの歩行は素晴らしい

エスカレーターの片側を立つ人、もう片側を歩く人と分ける事の良い点は、多様性が認められている事である。つまり、急ぎたい人は急ぐことができ、のんびりゆきたい人はのんびりと立って行くことができるという点である。これは高速道路で通常車線と追越車線があるのと同じだ。

これに対して、「急ぎたい奴は階段を歩け」とかい妄言を放つ馬鹿がいる。しかし、階段普通に歩いた場合は、エスカレーターに立った場合と速度はほとんど変わらない。そこに多様性は無いのであるしかし、エスカレーターを歩行、または走行した場合人間の脚力に電力によるエスカレーターの速度が加わることで素晴らしい効率的速度が生まれるのである。ここに本当の多様性選択の自由生まれる。

反論その1「エスカレーターは歩くことを想定していない」

これは簡単論破できる。実際に歩いても事故は起きない。つまりエスカレーター設計段階で歩くことを想定していなかったが、実際歩いてみても故障や破損といった問題は起きないのである。これに対してエスカレーター歩行反対派が出してくる例は常に的外れで、ヨーロッパでチームの勝利歓喜したサポーターエスカレーターの上でバンバン飛び跳ねて起きた事故映像を示したり、そもそも整備不良だったエスカレーターの両側に人をギッチリ立たせたことで起きた事故(誰も歩いていない)の例を出してくるが、どちらも歩いたことで起きた事故ではない。エスカレータを歩行したことが原因であると明確に定められた事故世界存在しないのである

私が知っている例では、例えばJR赤羽駅では上野東京ライン埼京線京浜東北線などの乗り換えで時間が1〜2分の場合エスカレータを沢山の人たちが轟音を立てながら駆け降りたり駆け上がったりしているが、それが原因で大事故が起きたことは無い。実際のエスカレーター強靭であり、勝利に酔いしれるサッカーサポーターが飛び跳ねると言った異常事態は別として、通常の紳士淑女の皆様が通勤通学で駆け降りたり駆け上がったりした程度ではビクともしないのである

反論その2「両側に立つ方が輸送効率が良い」

これもエスカレーター歩行否定派がよく出してくる馬鹿げた主張である。この主張のもとになったシミュレーション最初から作為的で悪意に満ちている。このシミュレーションでは、「歩行しない場合」では両側にギッチリと人が立っており、「歩行する場合」では「片側にギッチリと人が立ち、もう片側をパラパラと人が歩く」という想定をしている。この想定自体エスカレーター歩行否定派に都合の良い想定であることは言うまでもない。なぜ歩かない場合は両側にギッチリ人がいるのに、歩く場合パラパラにしているのか?

ちょっと頭の良い人は気づくだろう。ただ単に「輸送効率」だけを考えるなら、もっと効率が良いのは両側が歩くことであり、最も輸送効率が良いのは両側にギッチリ詰まった人々がエスカレーターを走ることである。もちろんそのような状況は想定し難いが、「輸送効率」を理由にした「エスカレター歩行否定論」が馬鹿げた妄言なのは明白である

結論 エスカレーターを歩く、もしくは走ることで脚の筋肉を鍛え、健康を増進しよう

エスカレーターの一段は通常の階段の一段よりも大きい。なのでエスカレーターを歩いたり走ったりすることは階段を歩いたり走ったりするよりも脚力を鍛える効果がある。足腰を鍛えることは健康の基本である

2021-05-11

上司にお前の机が散らかっているので印象が悪いと言われた。

この春に異動してきた上司表題のとおりの説教を受けた。別に言ってることは全然間違っていないし、上司仕事がらソフト言い回し相手欠点を指摘するのが得意なので、そんなにイヤないわれ方はしなかった。が、昔から片付けられない女である私としては、かつての多くの上司が目をつぶってたことを今さら言うなと思いつつ、さすがに少々凹んだ。

これでも今の職場に異動したばかりの時に比べれば、重要書類が埋もれて困る案件は激減したし、仕事の処理スピードもアップしたのだが、上司の元職場で私と同じポストにいた若い子がかなり有能だったらしく、何だかんだと比べたくなるらしい。

前の上司にも「片付けようね」「断捨離しよう」などとソフトに片付けを促されてはいたが、片付けする時間もったいないと思ってしまうし、定時になると一分でも早く家に帰りたくなってしまう。問題は要らないものを捨てられないことなんだが、私は「重要書類の置き場をきちんと決めておく」「必要もの必要ときに出てくればよい」という考えで、重要書類の置き場所だけ少し片付け、あとは傍から見ればゴミの山に見えるところで仕事している。

職場パソコンデスクトップで、キーボードも少し高いところにあるので、私は訳のわからない書類の山をアームレスト代わりにして仕事している。強いていえば困るのはメモを付箋に買いてパソコンに貼るとすぐにどこかに落ちて埋もれることである気持ち時間に余裕があれば、何でも時系列で書くことにしているノートにそのメモの内容を丁寧に書いた新しい付箋を貼る。世の中ではノート術が花盛りだが、ノートを何冊にも分けたり、内容によって書くページを変えたりすると書く前に悩んでしまってかえって時間無駄になる。

自分では発達障害みたいな傾向があるのではないかと思っており、父も私と同様片付けられない人なので、単なる性格なのか病気なのかはともかく遺伝性の代物だと思う。いっそ発達障害診断書がもらえるのなら「私はこういう病気なので片付けられません」と診断書を掲げて上司に認めてもらいたい。

容姿とかで差別されるよりは、机の上を片付けられないか無能レッテルを貼られる方が妥当判断基準なんだろうけど、何だか釈然としない。私にとって重要なのは大事書類をなくさない」「机の上の状態がどうあれ、仕事ちゃんと前に進む」「やらなければいけないことを忘れずにやる」の三点であるレベルが低いのかも知れないけど、これ以上のことを求められるのは迷惑だと思ってしまうのはいけないのだろうか。

anond:20210511110430

実際白人が半分混ざるともう別みたいなんだよな

オバマハリスジョージロイドが同じ黒人ですって言われても、社会的地位と合わせて二重の意味でやっぱり釈然としない

選手個人五輪開催の責任を求めるべきでないって主張すると、

五輪に賛成

五輪特別視されるべき

って意見だと決めつけてくる人たち何なんだろう。

その人たちの中では五輪反対で特別視しないなら選手個人責任を求めることは必須というか当然なんだろうか。

はてな自分正反対意見でもその人の思考回路自体理解できると思ってたんだけどこの件に関してはマジで分からん

五輪反対なら手段を問わず中止に向けて動くべきだってんならまだ理解はできるけど、その手段を取らないなら五輪に賛成してるはずだって見なされるのが釈然としない。

2021-05-09

anond:20210509190547

いの一番で疑われるの確実なので、私としては無駄金払ってでもPCR検査受けたい。全責任押し付けられてしまたことに釈然としないだけで……。

2021-04-28

「親が金持ちだったんだね」

最近上司にいわれたことをここ数日ひきずっている。

俺はそこそこ有名な大学をでているんだが、上司と同席した場でそれを明らかにされる機会があった。

俺は真顔でいたのだが、正直にいえば、「へ~、頭いいんだね」と言われるのを内心期待していた。

学歴が明らかになるとそんな反応をされることが多かったので、今回も少し期待していた。

でも上司第一声は違った。

「へ~、家が裕福なんだね」と一言

それだけだった。

まるで俺の実力ではなく、たまたま裕福で教育資本のある家に生まれてよかったねというような口ぶりだったのだ。

親の経済力子供学歴相関関係があるのは俺だって知ってる。

塾に行かせてもらったりしたし、それがなかったら確かに大学には行けなかったかもしれない。

上司言葉を聞いた時、落胆とともに「そりゃそうだよな」と納得する自分がいた。

でも、なんだか釈然としない。自分自身の努力否定されたような気がした。

悲しくて悔しい気持ちがわいたけど、運に恵まれたのも否定できない。

は~もやもやするわ。素直に学歴褒めてくれりゃよかったのに

2021-04-27

オタクの人たちって頭おかしい人じゃんと言われるのはまあ、まあ気が狂ってるところはあるし、正気の沙汰とは思えないような趣味嗜好をしているかもしれないか否定はできないけれどだからといって

オタクから人混みの中でガスコンロで火をつけて料理をすると思われるのは釈然としないのだが?なぜそのようなことをしなきゃいけない?

一応常識はあるんだ

何?そっちの思考の方がおかしくねえか?そっちの方が常識あるか?大丈夫か?

なんかこうやってオタクじゃなくても●●だからバカにしてもいいみたいな風潮?思考?本当に滅んでくれねえかなと心底辟易しながら思ってます

そういう考え方の方が頭おかしいと思うよと遠回しに伝えたつもりだけれど伝わったかな〜、そういう風に言われて嫌な気持ちになるってわからないのかな、わからねえからいうんだろうな。

2021-04-25

anond:20210425143531

なるほど

"大雑把な人はもう緊急事態宣言なんかなかったように路上飲みしている"という人たちも、金を配れば路上飲みもしなくなるという趣旨だったのですね。あまり釈然しませんが

2021-04-17

ネタバレ注意!】『劇場版名探偵コナン 緋色弾丸』最速感想

ネタバレ注意※


今年のコナン映画を早速見てきたので、備忘録も兼ねて感想を書くことにした。

ちなみに、増田コナン映画の中では「時計じかけの摩天楼」と「ゼロ執行人」、「紺青の拳」が好きな一般人だ(つまるところ、その映画カラーがはっきり打ち出された作品が好みである)。

以下ネタバレの為スクロール注意。













◎良かったところ


・灰原が終始可愛い

この映画最大にして最高のセールスポイント。「緋色弾丸」は灰原の可愛さを堪能するための映画と言っても過言ではない。今回の映画最初から最後まで灰原がコナン相棒ヒロイン。途中で襲撃された際もコナンの安否を真っ先に気遣い、随所で相棒らしいサポートを見せている。特にクライマックスで何度も「江戸川くん!江戸川くん!!」と叫ぶのはクール彼女の可愛さや健気さが珍しく露わになり、普段とのギャップに悶えた。


秀吉と秀一VS犯人カーチェイス

将棋で鍛えた頭脳犯人を追い込むシーンはまさに圧巻の一言最後ジョディのもとに犯人の車が辿り着いたときには鳥肌が立った。犯人の車が横転して爆発したのには本当にそうなるかなあと唖然としたが、フィクションなので良しとしましょう。



◎いいところでもあり悪いところでもある点


秀吉と由美のラブラブシーン

秀吉と由美がラブラブしているシーンは単純に可愛くて良いし、見ていて癒やされる。紺青の拳で園子と京極さんのラブラブシーンを上手に描いていた永岡監督らしく、純粋に微笑ましく楽しめた。

が、二人のラブシーンが事件解決につながることはなく、どうしても無理くり入れたシーンのようにしか見えなかった。櫻井さんはラブ要素の薄い作品では非常に面白い話を書かれる方(ゼロ執行人や純黒の悪夢面白かったと思う)なので、ラブを描きたい(?)永岡監督とはうまく噛み合わなかったのだろうか?



面白くなかった点、首をかしげた点


赤井家の出番にムラがあり、特に秀一・世良の活躍が少ない

 題名からして秀一が主役なのかと思っていたが、蓋を開けてみると赤井フォーカス映画ということだった。そこまではまあそうか、勝手に期待したこっちが悪かったなと思えるが、秀一の目立った活躍リニア銀の弾丸狙撃するだけというのはいかがなものか。

 タイトルを「緋色弾丸」と秀一を彷彿とさせるものにするのならば、秀吉ラブコメシーンを削って秀一の出番に当てた方が良かったのではないか?これならばまだ純黒の悪夢の方が安室との直接対決があった分格好良く見える。

 世良に対しても不遇な印象が否めなかった。秀一とジークンドーで対決したシーンは沖矢昴=赤井秀一という気付きを彼女が得るのではないかと期待したが、そのシーンは単純なアクションシーン以上の意味を持たされないまま、世良がコナンと連れ去られた被害者を見つけるまでの繋ぎとして終わってしまい、肩透かしを食らったような気持ちになった。

 特にクライマックスにおいては彼女コナン助手程度の役目しか果たしておらず、リニアに一緒に乗っている必然性を感じない。リニアを止める方法に関しては彼女の得意なジークンドーは何一つ生かされておらず、この映画における世良の役目はバイクに乗れる者であるなら誰でも代替できる(仮に彼女ポジション服部平次が担ったとしても物語の進行には何ら支障を生じない)のが非常に残念だった。


犯人動機犯人目線からしたら真っ当に思えるものだが、映画視点FBI側にフォーカスしているせいで犯人がかなり自分勝手に見えてしま

 今回の犯人は男女二組のぺアだが、どちらも偏った情報FBIを恨んで犯行に及んだ。話を聞いていると、「そりゃそれだけの情報しか与えられていなければ恨んで当然だろうな」という気持ちにさせられる背景事情だが、視点が終始FBI側に寄っている為「逆恨みしたお前らが悪い」といった印象にさせられてしまったように感じ、釈然としない部分があった。


主題歌と内容が合っていない

 主題歌担当したアーティスト東京事変ハード系の歌詞だったため、純黒の悪夢ゼロ執行人のようなかなり殺伐とした内容を期待していたが、実際見てみると少年探偵団が活躍するシーンや秀吉彼女のラブシーンがこまごまと挟まれており、主題歌と内容の雰囲気が合っていないように感じた。



総評

 一言で言うと「永岡監督櫻井さんの良さが上手く噛み合わなかった映画」といった印象。リアルハード志向を得意とする櫻井さんを脚本に起用するなら、ラブは削って事件のみに集中させてあげた方が面白かっただろうし、永岡監督に任せるならラブに振り切れる脚本家さんを呼んであげた方が「から紅の恋歌」や「紺青の拳」のような女子ウケする作品になったように思う。

 キャラ的には秀一ファンが行くと肩透かしを食らうだろうが、秀吉、灰原ファン一見価値あり。というか灰原ファンは全員行け。とにかく灰原の出番がてんこ盛りで、ツンとおすまししたシーンからコナン相棒としてクールに決めるシーン、犯人に襲われても健気に頑張るシーンまで全部詰まっていて最高に可愛い。灰原の可愛さに心臓を撃ち抜かれる。「灰色弾丸」に改称した方が良い。それぐらい灰原の出番が多い。灰原ファンは今すぐ劇場にレッツゴーだ!


※このエントリ個人の感想です


2021-04-01

SES企業で働いてます

から何か希望を出したわけではないが、自社からは俺一人が行って客先常駐するプロジェクトアサインされることが多い。

基本的に昇進しようがしまいがどうでもよくて、そのとき役職通りの仕事をやるつもりなのだけど

人事考課上司から

「内部スコアは昇格基準に達しているが、もっと上位の契約を取れないと昇格できないので上位の役職意識して仕事してほしい」

というようなを言われて釈然としない。

良い契約をとれるかどうかは営業仕事なのでは?

部下をかかえてマネジメントしたりすることで上位の契約が取れるのだろうが、そういう人員配置会社側の責任なのでは?

まあ昇進しないうちから上位の役職っぽい仕事をするつもりはないので頑張ってるふりだけしておく。

2021-03-14

anond:20210314010000

オレ左利きだけど、この世界あらゆる機器が右利き用に作られているよな

もはや不便と思うまでもなく順応してはいるが、これはマイノリティのオレがマジョリティ不公平押し付けられて弾圧されてたってことなんだろうか

いやまあ広義としてはそうだとしても、使用率とか予算とか諸々考えられた結果右利き用にしか作られてないことは、仕方のないことだと思うんだよな

オレはこの世のあらゆる物が左利き用に対応するだけのコストを誰かに背負わすつもりはないし、当然札束で叩いて「ほら作れ」と言える立場でもないから何もしない

生きてる上でたくさんある中の妥協点の一つだと思ってそれがどうにかなるべきなんて考えたこともない

ただ、実はこの考えも多数派洗脳されてるものなんだろうか

本来オレは戦うべきだったのか?

もし左利きのオレが立ち上がったら、普段不公平マイノリティマジョリティ問題に厳しいはてな民は共に立ち上がってくれるのか?

普段こういう問題で見せてくれるのと同じくらいの怒りを、例えば左利き用の改札を用意してくれない鉄道会社に向けてくれるのか?

あるいは性の自認についてと利き手についての話だと問題の重みが違うから考慮される必要のない話だったりするのだろうか

いやまあ個人的には重みは違うけど、「世の不公平をなくす!」という人たちにそういう態度とられたらそれはそれで釈然としない

2021-03-11

シン・エヴァンゲリオンは別の結末を観たかった

Yahoo! 映画評価は4.32点で、お役立ち度の高い感想は概ね5点満点。概ね好評のようだが、ぼくはあまり楽しめなかった。ここ数日、このことをずっと考えていて、気持ちを整理するために書くことにした。

エヴァンゲリオンは、使徒という人知を超えた存在との、生き残りをかけた戦いがテーマだと思っていた。生き残りのためにエヴァという力にも手を出し、本当にギリギリのところで危うく戦っていく物語だと、少なくとも新劇場版の序と破までは認識し、そこに魅力を感じていた。

登場人物内面を丁寧に描きつつ、とき人類存続の危機を前に、個人の思いが非情に潰されてしまう。破で3号機に閉じ込められたアスカを守ろうとするシンジや、使徒殲滅のためにダミーシステムを使う判断をするゲンドウの行動、そしてその後のシンジの怒りなど、そのあたりはとても心に響いた記憶がある。

しかし、Qから雲行きが怪しくなってくる。使途との生存をかけた戦いというテーマは影を潜め、人類のために戦っていたはずのシンジは、逆に人類を滅ぼしかけた張本人になってしまう。そして戦いは使徒人間ではなく、ネルフヴィレ、つまり人間同士の争いになっている。シンジアスカエヴァで戦う羽目になるが、そこには使徒との戦いにあったような心に響く要素はなかった。

Qで共感できたのは、「何でこんなことになったのか、ちっとも分からない」と叫ぶシンジの声だけだった。

あれだけ切羽詰まっていた使徒との戦いはどうなったのか。勝ったのか負けたのか。結局人類を滅ぼしたのは使徒ではなくシンジだったということなのか。それなら、あの序と破で描かれた必死の戦いはなんだったのか。生き物がほとんど消滅した地球で、ゲンドウは今更何をしようとしているのか。Qを観たあとは疑問ばかりが残り、釈然としなかった。

ぼくは結局、「破の予告の続き」をQで観たかったのだと思う。しかし、それはQには描かれていなかった。

そしてシン・エヴァンゲリオン。そこに描かれていたのはQの続きであり、TV版と旧劇場版の再構築だった。終わらせ方としては、本当にきっちりしっかり終わらせたと思う。しかし淡い期待は裏切られ、「破の予告の続き」は描かれなかった。

ぼくは使徒とのギリギリボロボロの戦い、多大な犠牲を払う戦いのなかで、最後最後使徒勝利し、やっとのことで人類の存続を勝ち取るという展開を観たかった。しかし、描かれていたのはシンジの救済、そして主要登場人物の救済であり、戦いはある意味で添え物のようなものだった。

ひとつ言いたいのはゲンドウ。あいつはどうしようもない。ネルフの長であるゲンドウは、死んだ(消滅した)嫁さんに再会するためにヴィレ敵対し、ラスボスをやっていたのか? エヴァを使った謎の儀式は嫁さんに会うためにやった? 人類が滅ぶかどうかという状況で、それはあまりにも話が小さすぎる。共感できない。そんなことだから部下が離反するんだよ!

最後のほうの劇中劇のような演出登場人物内面語りと救済の展開は、やっぱりエヴァならこうなるよねと思ったし、救われていく人たちを観るのは悪くなかった。でも、シンジ以外は軒並み非業の死を遂げて、最後にやっとのことで使徒に勝ち、使徒が襲来しない世界が実現するという話も、やっぱり観たかった。

エヴァンゲリオン新劇場版は、Q以降、方向性が大きく変容しているように感じる。変容する前の新劇場版に魅力を感じていた身としては、シン・エヴァンゲリオンは不満の残る内容だった。

もちろんこれは、ぼくの「チラシの裏」であり、ほかの方の感想否定するものではありません。気に障るようなところがあったら許してください。

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