はてなキーワード: 釈然とは
30も半ばになり一応した方がいいのか?くらいの感じで婚活を始めた。
殆どいいねも無し、こちらから送っても返ってくることはなしなので
一年半以上アプリ触ってて面接なるものもふた月に一度あるかないか。
結構な偏食かつ晩飯外食したくねえ~という確固たる意志があるため
ネットで見るところの「男が何故奢らないといけないのか」という意見もそりゃ確かにと思ったので、
これは男と会う頻度が低いのと
年齢の割に小金を溜め込んでて財布があまり痛まないからやれることでもあるが。
正社員ではあるがこどおばなので
ネットで何かと炎上させられがちなサイゼを提案するのだが一度も行けたことがない。
あとコメダも10割「それはちょっと…w」みたいになるのが釈然としない。
県内あちこちにあるし、基本移動手段が車なのでコメダはどこも大きい道路沿いにあって
何でコメダが向いてないのか分からないから非コミュで非モテであると言われるとそうかもしれないが、
税金払わずに毎日図書館に来て冷房を浴びながら昼寝しているホームレスがいる。
何日風呂入ってないのかも分からないクッセーオッサンが一角を占拠している。
宿無し生活用の装備が詰まったリュックを近くにおいて椅子の上に横になって寝てる。
クッセー靴下の匂いが染み付いて汚染された椅子は、あとで職員がファブリーズかけまくってるんだろうなと想像がつく。
住民税払ってる人間が図書館に来て本を借りるのは全く恥ずかしいことじゃない。
皆でお金を出しあっているクソデカイ学級文庫が図書館なんだから。
絵本をすごい勢いでグルグル読んでいく生き急ぎ園児、ラノベを大量に借りているニキビの中高生、彼らはきっと親が税金払ってるから堂々と使って良い。
実験や論文用の資料を読み漁っている大学生、その日の分の新聞を3つぐらい掴んで読み終わったらまた次の新聞を3つぐらい掴んで戻ってくる新聞ジジイ、将来税金を沢山収めてくれたり、過去にたっぷり税金を払い終わった人間も堂々と使うべきだ。
だがホームレスはどうなんだろう。
ずっとずっと税金を払わず、本を借りるわけでもなくただ涼しい場所、暖かい場所を求めてやってきて、夜の怪しい仕事にでも備えているのか堂々と昼間から寝息を立てている。
3人がけの椅子に堂々と横たわり、場合によっちゃ隣の椅子に荷物をボンボン置いている。
1円の税金も収めること無く公共の施設を貸し切っているホームレス。
こんな存在が許されて良いんだろうか。
「ホームレスじゃなくてツーリストがちょっと休憩に来てるのかもよ?」←知らねーよこの街で住民税払ってね―奴が知識や娯楽を求めるでもなくただエアコン効いてる場所で寝るためだけに来てるのがおかしいっつってんだよ。
健康で文化的な最低限度の生活を誰もが送るために弱い人にも優しくしなきゃいけないってのは分かる。
俺がいつかホームレスに転がり落ちた時、同じようにどっかのデパートや空港の待合室で怒られるまで寝てるかも知れないから。
でも釈然としないんだよな。
ホームレスが単なるホームレスで居てくれているだけまだマシで、風雨を凌ぐ場所欲しさにどっかの家に押し入ってくるぐらいなら、公共施設で悪臭撒き散らしてくれてた方がまだマシだってのはある。
冬場は凍りつくから仕方ないにしても、夏場だったら公園の蛇口からぬるま湯が出てくるだろ。
どうしたらいいんだろうな。
長いが、暇つぶしに読んでくれれば嬉しい。正直、これでどうこうというより俺としてはアウトプットすることで気持ちを整理する面が強い。
後々出てくる友人には今でも頭に来てるんだが、それでも文章にするとまだ情が残ってるところもあるのだと再認識したことは発見だった。
いきなり脱線したが話を戻そう。
高校時代に予備校で知り合った友人がいた。たしかたまたま隣の席だったのがきっかけだったんだと思う。高校は違ったがウマが合い、
予備校ではお互いの高校の友人をさしおいていつも一緒に話をしたり、飯を食っていた。
受験の辛い時期も励ましあって過ごした。大学は違ったが、長期の休みになると自然と地元に戻ってきて毎日遊ぶ、そんな日々が続いた。
その後友人は誰でも知っている大企業に、俺もそれなりの企業に就職した。よく社会人になると疎遠になると言うが、俺たちはそんなことはなかった。
就職して10年以上たち、友人には嫁も子どももできたがそれでも相手の奥さん含め必ず1年に何回かはどこかで会って近況を話したりした。
雲行きが怪しくなってきたのは俺が会社を辞めて自分で事業を立ち上げてからだ。
色々根回しをして退職したが、やはり事業を立ち上げた直後の数年は厳しい時期もあった。旅費や飲み費も厳しかったがそれでも友人とはいつも通り会って近況をお互い話した。
当然、事業が厳しい話もした。
友人も俺の事業がどうなっているか気になっていたみたいで、色々聞いてアドバイスやらなんやらをくれていた。
しかしこのあたりから異変を感じ始める。あるタイミングから「友人としてのアドバイス」から「コンサルとしてのアドバイス」に変わってきた。
友人は週末はビジネス勉強会を立ち上げて興味のあるやつらと勉強してると言っていたのを思い出した(マルチとかではない純粋な勉強会)。
どうも自分が勉強したことのアウトプット先にされている感じがした。
最初は友人としてのアドバイス100%だったが徐々にその色は消えていき「コンサルとしてのアドバイス」が100%になった。
彼の中で「俺は素人、自分はビジネスの勉強をしたプロ」という序列を作られたのだ。
このあたりから友人に不信感を持ち、これまで隠し事なしでいたが、徐々に自分の事業に対する考えやロードマップなどは真剣に話さなくなくなった。
一方でこの時は「そう感じる」ぐらいで、決定的なものはなかった。人によっては親身にアドバイスくれてるじゃない、と言う人もいたかもしれない。
しかし、それが決定的になったのは2人でカフェで話をしていた時だ。
俺は友人と雑談ができればそれでよかったのだが、どうやっても俺の事業の話に戻される。その時も結局したくもない事業の話をすることになり、
そして彼はカフェを出る時に「コンサル費」といってレシートを俺に流したのだ。
※これまではどんなことがあっても貸し借りなしの必ず自分で頼んだものは自分で払うというルールがあった。
俺は「あ、ああ、アドバイスありがとう」会計したのだが、釈然としなかった。雑談として久しぶりに集まったはずなのに偉そうにしょうもない
本人はすごいことを言っていると思っている様だがそうではなかった。奇をてらう必要はないが彼の話はどこまで行ってもどこかで聞いたことのあるビジネス論だった。
俺の考えを聞き、否定してアドバイスする。その様式が常に続いた。俺が毎日必死に知恵を絞って考えだしたアイデアを簡単に否定してああしろ、
こうしろと言ってくるのに耐えられなくなってきた。
「こいつは安定した給料もらいながら片手間で週末にちょろっと考えてリスクを取らず俺にアドバイスして気持ちよくなってんのか。
俺がお前のアドバイス聞いて結果しくじって路頭に迷ってもコイツは知らぬ存ぜぬを通すだろうな」
そう思うと友人に対して怒りが出てきた。
友人は帰る時にこういった。
「そういえば会計ソフトは入れた方がいい。Freeってのがあるから、それを導入しよう。俺が半額出してやる。ただしお前が営業利益やら全部教えて、
俺がその会計をやることが前提だ」
ここで俺は「もうダメだ。今日限りでコイツと会うのはやめよう。メッセージのやり取りだけにしよう」と決めた。
その後はのらりくらりと会うことを断り、メッセージのやりとりだけにしていった。しかし、それも終わりが来る時がきた。
俺「どうもこうも俺はこの仕事が好きだし、この分野も好きだ。この分野がこれから盛り上がれば良いと思ってるし、
そこに俺が関われたら最高だよな」
俺「・・・」
この瞬間、友人は他人になった。ここで20年の友情に幕が閉じたのだ。
その後事業は順調に伸び、市長から名指して呼び出されて役所でプレゼンするぐらいまでは認知度も上がった。
今でも季節の変わり目には「会おう」という連絡が来るが、一切無視している。彼に会うことは2度とないだろう。
うちは先祖代々引き継がれてきた庭付き一戸建てで庭にはデカい木が何本も生えてる。
この季節になるとセミがすげーくる。
うちは犬を庭で飼ってるんだけど、犬がセミ食うんだよ。
一番好きなのは幼虫っぽいんだけど、バリバリムシャムシャしてるのをちょいちょい見かける。
獣医さんに相談したこともあったんだけど栄養足りてないんですかねぇって言ってて
普通にそこそこ腹いっぱいなるまで食わせてるんだけどなぁと釈然としない思いで帰った。
ちな、セミには犬に有毒な成分や寄生虫は含まれていないため基本的には健康上の問題はないとのこと。
実際、セミを食べる季節になるとうちの犬はちょっとぽちゃっとしてくる。
食い過ぎとるやんけ!
お前さーセミ食いすぎじゃない?って聞いても「いかんのか?」みたいな顔で見返してくる。
いかんことはないけどさ。
「完璧すぎる!」「すごすぎる!」みてえなコメントを見るたびに何か釈然としないものを微かに感じていて
当初はなんとなく若い表現だからとか、単純な「○○すぎる」という誇張表現がキライだから、っていう自己分析で終えていたが
他の視点が見えてきた
"感嘆詞化"ってやつだ
つまり「完璧すぎる睡眠管理」や「美人すぎる教師」とかであれば、割合何にも思わないんだけど
「完璧すぎる!」「美人すぎる!」という感嘆詞用法だと、ゾワゾワとした受け付けないものが生まれ、ワアッ、と感じやすい傾向にあるようだ
まあここ数年の言葉の変化でもないだろうが
ただ、なんだね、言葉は変わりゆくものだと頭で理解してはいるが、肌感覚的に近頃の日本語が気色悪くなってきたっていう実感は、年を追うごとに着実に積もっている気がするんだな
会話の際に、相手の言葉を先回りして話す事を非難する記事を連続して目にしたが、私はあれを一方的に悪いふるまいとは感じない。
私が高校で演劇部に入っていた頃、部員たちのダベりが舞台についての話題になることが何度かあった。
その時はたいてい、部の中でも特に活躍していた先輩二人――主に役者でたまに脚本&演出もする男の先輩と、主に演出でたまに役者もする女の先輩が演劇論をぶつけあっていた。
その二人は口も早く、「だからああいう時の芝居の流れって、えーと――」などと相手が少し言葉を探すと、「○○?」と先回りして言い、それに言われた方は「そうそう○○。○○がお約束だから、それを雑に裏切るだけじゃ観客についてきてもらえなくて」とスムーズに話を再会できていた。話に先回りし言葉を奪っているが、むしろ意見をぶつけ合う相手への助け舟であり、二人の会話や知性は非常に格好良く見えた。
最近だと、実況者や配信者が人気だが、トーク上手が二人集まっている時ほど、会話の先回りが発生するし、それがいい効果を発揮している。その話題でメインに語ってる側が言葉を探すともう一方が適当な知識や言語化を先回りして提案し、それによって途切れず進む。もしその先回りした表現が外れていても、なぜその表現が不適なのかを明らかにすることで、本来言いたかったことのニュアンスが視聴者に伝わりやすくなったりする。
知識と言語力の高い人たちが、お互い相手の言葉を先回りすることで助け舟となりポンポンと話が進むシーンを人生で何度も体験してきたので、それは駄目だ、言葉を盗むな、と言われまくっていることに釈然としない。
まあ、根本的に言語センスがないのでズレた先回りしかしない人とか、知識のない分野の話題でも先回りしようとしてくる人がいたら迷惑だと思うが、そういう人とはあまり関わったことがない。
自分はわりかし鍛えているので上腕が太い。
だからといって冬の間はどうということもないのだけれど夏場になると気軽に触ってくる女子が出てきて釈然としない気持ちになる。
飲みの場とかで新しく知り合いになった子なんかは、うわすごいねー、とか当たり前のように触ってくる。
一応、触っていい?てきなジャエスチャーはあるけど、いや触んないで特に左腕ないで、とか返せないじゃん?
逆に自慢気に喜んだふうに受け入れるのが当然という風潮があるじゃん。
でもおかしいよね。
もしもさ、俺がさ、女の子の身体をすごいねーって触っったりしたら色々と大問題になるじゃん。
すごいおっぱいしてるねえ、触っていい?って聞いただけでアウトじゃん。
これ、おかしすぎるよ。
まぁそうだろうなと思う。
少なくとも以前のSATは、百人二百人にひとり、
州や全国の大会に出場しようとする。
で、このあたりの一芸では、よっぽど平均的な日本人より
毎日朝と夕方は多くの学生たちがうちの前の道を歩いていました。
私は会社に出勤するため、朝は自宅から駅に向かって歩き夕方は駅から自宅に向かって歩くので、ちょうど学生たちとすれ違いなら歩くことになる毎日でした。
道幅は普通の歩道なんで、3人並んで歩くってのは厳しく、2人なら余裕といった感じなので、
1対1なら特にすれ違う時に問題はないんですけど、学生さんたちは結構2人並んで、話とかしながら歩いてきます。
しかも、困ったことに、、ほとんどの人が前から私が歩いてきてるにもかかわらず、並んだままで避けようとしない。
彼ら・彼女らがアホだからなのか、前を見て歩いてないからなのか、私が小柄だから舐めてたからなのかわからないんですが、本当にびっくりするくらい避けない。
大人なんだし自分が避ければ良いじゃんって話なのかもしれないですが、さすがに駅に向かうまでに何度も何度も自分だけが避け続けてると腹が立ってきます。
おそらく私と同じように迷惑な思いをされている方が大学にクレームを入れたのか、ある時期から警備員が通学路の途中途中に立って、「学生は左側に寄って歩け」と指導しはじめたんですが、さほど改善はされませんでした。
それで、私ももう避けるの辞めたんです。もういいいや、と。
君らは2名でやってきて道を空けようともしないけれど、自分は道の左半分を歩く権利があって、君らのためにその左半分を半身になって差し上げる理屈はない。
権利とかそういうたいそうなものじゃないことはわかってますが、とにかく自分だけが毎日譲歩し続けるのって精神的に結構キツイです。
で、私が避けないとどうなったかというと、ぶつかるんですよ。お互い避けないから当然ですけど。
男も女も一日に何度もぶつかる。
先にも書いたように私自身は小柄なので、体格のいい学生とぶつかったら衝撃もそれなりに受けるわけなんですが、それでもこっちの方が全然精神衛生上よかった。
そして次第に向こうも避けることを覚えたのか、すれ違う時に1列になることを覚えてきたのか、ぶつかる回数は減ってきたのは良かったんですが、昨今のぶつかりおじさんの話題をみるにつけて、
学生の間で自分が「ぶつかりおじさん」と呼ばれてたり、この話題で自分が思い出されてたりしたら、なんか釈然としないな、という話です。
<追記>
何に釈然としないのかがあまり伝わってなさそうなんですが、お互い避けないで歩いた結果ぶつかってるのに
こちらがおじさんであるがゆえに?「ぶつかりおじさん」呼ばわりされてたら納得いかないよな、ということ。
そんなの言ったら、こっちからすればむこうは「ぶつかり学生」なわけで。
でもそういう呼び名ができたことで、お互い様の問題が、おじさんが悪いよね、おかしいよねってなりかねないところが釈然としないということです。
自分は三重県鈴鹿市出身で現在も鈴鹿市在住、幼い頃から鈴鹿という言葉に囲まれて育ってきた。
私の地元には鈴鹿と名のつく施設がたくさんある。遊園地、学校、山脈、企業、デパート等、様々な場所で鈴鹿という言葉が使われているが、それらはもちろん鈴鹿に縁を持つから鈴鹿を名乗っているわけだ。
そんな自分が同じく鈴鹿を名乗る、新進気鋭の俳優「鈴鹿央士」を見ると、どうしても「鈴鹿央士って誰に許可得て鈴鹿を名乗ってるのか?」と感じてしまう。
そもそも鈴鹿という言葉の出自は非常に古く、地名の成立から定かではない。
最も古いところでは日本書紀(西暦720年完成)にも鈴鹿の名は登場し、それでいうと我々鈴鹿市民は1300年以上鈴鹿という地名を守ってきたことになる。由来も鈴をつけた鹿がいたとか、鹿に鈴をつけて川を渡ったとか、古い地名によくあるように色んなふうに言われている。
だいたい鈴鹿をスズシカでなくスズカと読むのもその成立が古いことを表す証左だ。古代の日本では鹿のことを単にカとか、カノシシなどといった。もし令和の時代に鈴と鹿を使った地名を作るならスズシカだろう。でも鈴鹿市は1300年代々住民がその名を守ってきたからスズカと呼ぶのだ。
日本には他に鈴鹿という地名や鈴鹿と呼ばれる事物はない。正真正銘鈴鹿の民がずっと守ってきたからこそ、鈴鹿という日本語が存在するわけである。
鈴鹿央士に関して特段の説明は不要かと思う。それでも知らない人のために説明すると、彼は映画やドラマで広く活躍している俳優だ。最近だと2022年に大ヒットした木曜劇場のドラマ「silent」にも出演していた。要は期待の若手俳優である。
この鈴鹿央士なる人物がテレビに出てきた頃、自分はてっきり鈴鹿という名字は本名なのだろうと思っていた。しかし、名字は芸名で後からつけたものらしい。そうなると鈴鹿という芸名はやはり鈴鹿市に由来するような名前なんじゃないか?とちょっと期待してしまう。鈴鹿央士の芸名命名についてのエピソードがあるので紹介する。
央士が高校2年生だった2016年、ある映画のロケが通学していた高校で行われ、エキストラとして参加。その際、出演者の広瀬すずの目に留まり、広瀬がマネジャーにスカウトするよう進言した。
2018年、スカウトをきっかけに、東京の大学へ進学すると同時に芸能事務所に所属。広瀬すずの「すず」にちなんだ芸名として「鈴鹿央士」とした。
驚いたことにこの俳優は鈴鹿を名乗りながら鈴鹿市とは何ら関係がないらしい。ただ広瀬すずになぞらえて鈴がつく名前なら何でも良かったようだ。
鈴鹿の民が1300年守ってきた鈴鹿という地名、なんら鈴鹿との関係も持たない俳優が、ただ鈴が付く言葉なら何でもよかったという理由で自分の芸名として使っているのはなんだか釈然としない。
それに加えて情報汚染である。最近ニュースサイトでも鈴鹿が踊る題目をたびたび目にするようになった。しかし中身を開いてみると鈴鹿央士の話題である。テレビを見ていても「鈴鹿が〜」という話を聞くことがあった(日テレ系だったと思う)。なんだなんだとテレビを見るとこれまた鈴鹿央士の話題。鈴鹿と言うのに鈴鹿市関係なくガックリくる。
鈴鹿という言葉はこれまで我々鈴鹿市民が使い、我々鈴鹿市民のためにある言葉だったはず。どうして鈴鹿の地に関係のない人間の話題に吸い込まれないとならないのか。
鈴鹿市民だからといって鈴鹿央士の名にケチをつけるな、鈴鹿を名乗ることぐらいいいじゃないかというご意見ももちろんあることと思う。おそらく鈴鹿央士に対するこの憤りは、幼い頃から当たり前に鈴鹿という地名に囲まれてきた人間でないと通じない。なので1つ思考実験をしてみたい。以下はあくまでフィクションの話だ。
最近ハリウッドで新進気鋭のイケメン俳優がデビューした。身長190cm、ふわりとした金髪に青い目、スーツのよく似合う長い足は白人の特徴をよく表している。彼は芸名Mr. Japanを名乗り、現在もドラマに映画に大活躍している。
Japanを名乗った理由は意外だ。彼は学生時代、Justin Bieberに声をかけられそれをきっかけに俳優の道を歩むことになった。この道を進むきっかけになったJustinに感謝の気持ちを込めて、芸名はJで始まるものにしたいと考えた。別に日本に思い入れはなかったがJから始まる適当な単語でMr. Japanを名乗っている。
彼の活躍はニュースサイトでもよく見かける。「Japan映画が大人気!」「いま大注目のJapanに密着」。日本で生まれ育った私達が密かな期待を込めて記事を開くと、その中身はMr. Japanのニュースだった。テレビでもJapanの声を聞く。「Japanの演技は最高ね」「会ってみたいセレブはやっぱりJapanだよ」。メディアではもうすっかりJapan=日本のイメージではなくJapan=イケメン映画俳優になった状況に、日本で生まれ育ったあなたは深く溜息をつくのだった。
もしあなたが上記の思考実験でため息を付いた人物であったら、Mr. Japanに「誰に許可得てJapanを名乗ってるの?」と文句の一つでもつけたい気持ちになったりしないだろうか。そうであればその気持ちは今自分が鈴鹿央士に感じているものと同じものだ。
私は鈴鹿央士に特に攻撃的な感情があるわけではない。ましてバッシングしようとか活動止めさせようだなんてことは微塵も思っていない。ただそれでもやはり、鈴鹿市になんのルーツも思い入れもないのに勝手に鈴鹿を名乗っていることに、深い憤りを覚えてしまうのだ。
最後に、どうして携帯電話でスズカと入力して一発で鈴鹿と変換できるのか、それは鈴鹿市民がこの地名を大切にし守ってきたからこそなのだ。鈴鹿央士さんが鈴鹿市で1300年守られてきた鈴鹿という地名になんの思いも持たないのであれば、さっさと改名してもらいたいものである。
臭い。どれくらい臭いかというと同居人の通った道やさっきまでいた部屋に入ると残り香がするくらい臭い。
原因は肥満体型とゴミ屋敷のような部屋だとわかりきっているが、仮にも女性に体臭がきついのでなんとかしてくれとは言いづらい。特に恋人などではなく普通に同性の友人という間柄なので前者はともかく後者はなんとか言えそうなものではあるかもしれないが…彼女は何かを指摘すると逆ギレする厄介な性質を持っているのであーはいはいそうですねごめんなさいねとこちらが折れる展開になるのが目に見えている。
社会人なので一応毎日シャワーは浴びているようだが、風呂上がりにすれ違った際にも体臭がするのでおそらく洗髪も何もかもが雑すぎるんだと思う。あと部屋自体に臭いがこびり付いているせいもあるだろう。
自室のみならずリビングやキッチンにも自分のゴミを悪びれもせず置いている時点で彼女の図々しさがわかる。飲み終わったペットボトルの容器をそこら中に散乱させているわ、共用部の清掃を一度もしたことがないわ、明らかに自分の大で便器を汚したときも掃除しないわ、ついでに増田が使用口座の関係でまとめて支払っている家賃も半年以上滞納しているわで本当にひどい。流石に家賃は何度も柔らかくせっついて返す日取りを決めてもらったが。
浴室の乾燥機能が壊れ、一度壁に黒カビが生えてしまった際に「なんかこれカビてるんだけど…」と言われたときは殺意が湧いた。何のために洗面所に激落ちくん置いてると思ってるんだてめえも掃除しろ。「激落ちくんでこすれば落ちるよ?」と言ったらえ、そうなの?なんか洗剤とか使わないといけないのかと思った〜と返され終了。もちろん掃除は増田がした。クソが。
増田と一緒に暮らす前は一人暮らしをしていたそうだが、一体どんな家に住んでいたのか考えるだけで恐ろしい。ゴキブリとかいなかったんだろうか。ここに引っ越してくる前に「なんか敷金全然返ってこなかったし退去費用とか言ってすごい金取られたんだけど!」とかなんとか言っていた気もするが、今思うと掃除をしなかったツケが原状回復費用として回ってきたのでは。というか常識が欠如しているので家を出る前にある程度掃除をしなければならないルールも知らなさそうな気がする。
自分が散らかしている訳じゃないので増田が片付けるのも釈然としないしムカつくしこれで結局自分がやらなくても誰かが片付けてくれる、という成功体験を得させてしまうのも腹が立つが放っておいたらおいたで本当にどこまでも際限なくだらしなくなる。根本的に人と暮らすのに向いていない。
遠距離の彼氏がいるらしいが、その彼氏に部屋の写真を送り付けてやれたらどんなにいいだろうなと妄想してしまう。連絡先も名前も何も知らんけど。増田からの注意じゃ聞かないだろうけど彼氏からの注意だったら少しは聞いてくれるんじゃないのかなあ、なんとなく。将来同棲したときにドン引きされてほしい。
来年の春にこの家の契約が切れるのでそれまでの我慢と思ってはいるが、耐えきれなくなってきたのでここで供養。うじうじせずに言えば〜なんて意見もあるだろうけど逆ギレされるのが嫌すぎて無理!ピザの逆ギレ大暴れはこえーぞ。
元々は友達として普通に好きだったのと増田にも事情があり同居を始めたのだが、かなり後悔している。部屋が雑多なのと不衛生なのは全く違う。。。
「ポイントカードはお持ちですか?」
とかレジで聞かれるたび
「ありません」
と答えたいんだけど、頑張って
「無いです」
って答える。
いつぞや
「ありません」を「あります」と聞き間違えられて数秒ほどお見合い状態になったトラウマが疼くんだよ。
別に声は小さくなかったと思うんだけど。ざわついてたしな。決してコミュ障が久々に喋ったからでは無いはずだ、会社の電話対応では聞き返されるなんて、ほぼ無いので。大丈夫なはず。
とりあえず「です」って語尾にしとけば丁寧に聞こえるって思い込んでる感じして好きじゃないんだよな。でも、間違いなく通じるってのを優先すると「無いです」になっちゃうんだよな。でも釈然としない。
親しい相手との会話であれば気にならないんだけども。
なんか「アル」って語尾にしとけばキャラ付け完了する的な何かを感じてしょっぱくなるので。
っていうか、「無いです」って言い方する文化じゃなかったんだよな世代的に。
くだけたシーンでなら気にならないんだけど。丁寧に喋ろうとしてる時に出てくると、びっくりする。
時々大切なものと叫ばれる「愛国心」、そして日本やそれに関するものがすごいことをすると熱狂する国民。
ところが私はそういったものに引き込まれないどころか、つい冷めた目で見てしまう。
そんなエピソードを書き綴っていくが、自分でも理由がわからないしどうすればいいのかわからない。
時々ニュースに出てくる、「すごいことをした日本人」。スポーツや学術など分野は多岐にわたる。
言い換えると、だから何、というもので、別に私までうれしくはならない。理由は簡単だ。自分の功績ではないからだ。
スポーツ競技の日本代表は、「すごいことをする日本人」としてメディアに大きく取り上げられるものの代表例だ。
日本代表がスポーツ大会に出る時期になると日本代表戦関係の番組ばかりで埋め尽くされる。
どこもニッポンニッポンうるさい。番組内容もインタビューも日本の応援しかしない。これでは中継・特集番組じゃなくて日本礼賛番組だ。
まるでエロサイトのバナー広告のようだ。1局くらい、日本以外を応援したり、せめて日本に肩入れせずまんべんなく取り上げるようなところがあってもいいのに。
これについても、上記と同じ理由で日本代表を応援できない。勝とうが負けようがどうでもいい。
もし日本代表が勝ったら100万円くれます、とかなら本気になって応援するが、勝ったところでこちらに何のメリットはない。
というか、なぜ日本国籍があるだけで日本代表を応援しなければいけないのか。
別に興味なかろうが、どこか別のところを応援しようが自由ではないか。
その前に、今回のWBC、対戦相手に負けろとかいうのがTwitterのランキングに出てたぞ。恥ずかしくないのか。人のこと言えないぞ。反省しろ。
敬うかどうかはこちらの勝手。単に自分とは関係ない人なので、別に敬う義務はないと考えている。
正直言って天皇が病気になろうが死のうがこちらには関係ない話。ただそれだけの話だ。
メディアでは皇族を様付けで呼び、まるで何も影のない神様のように扱っているが、釈然としない。
まるで問題点を意図的にそらしているかのような印象を受け、どうしても天皇そのものを信用できない。
「天皇陛下は日本国民の幸せを祈っています」とか言われるのも釈然としない。
「日本国民の幸せを祈っています」とか言われても、だから何なの。祈られるだけで幸せになるなら今頃大金持ちだ。
最後に区別しておきたいのは堀江貴文氏のように炎上狙いでわざと天皇を貶しているわけではないことだ。
単純に敬う必要性が感じられないから個人的に敬わないだけの話である。
小学生のころ、「しゃかぽん」(朝日新聞出版)という雑誌を父親が買ってきてくれた。そこには世界各国を紹介するセクションがあり、これをきっかけに海外に興味を持った。
そして中学生のころ、英語・英会話の先生が非常にわかりやすい授業をしてくれて、英語にも興味を持ち、すぐにでも使ってみたいと思うようになった。
(結局使ってみたのは親戚の葬儀の時。故人に手紙を書こう的なコーナーがあり、私はそれをAll Englishで書いた)
背伸びしてワールドニュース(NHK BS1)やThe Travel Show(BBCワールド→Dlife)など英語圏の番組を通訳音声を切って見るようになった。
スマホにBBC Newsアプリをダウンロードし、通学途中英字ニュースを読んだり英語のラジオ放送を聞いていた。
学内には英会話講師が常駐しており、友人がいなかった私は毎日のように通っていた。
大学院のころ、外資系企業でのインターンシップの機会があり、そこで海外留学に十分なだけの資金を得られた。
しかし留学には指導教員の許可が要るものの仲が悪かったので、100円ショップで指導教員と同じ印鑑を買って押印し、そのまま出願した。
事務にはバレることはなく、奨学金(もちろん給付型)付きで送り出してもらえた。
留学の日々は非常に楽しく、刻一刻と近づく帰国の日が恨めしく思えた。
結局帰国の日を迎えてしまったのだが、羽田空港での日系企業の広告を見て「どうせブラック企業なんだろ」と思ってしまった。
ちなみに帰国したのは2020年2月初頭、新型コロナウィルスのパンデミックが始まる2週間ほど前だ。帰れなくなった方がよかったと何度思ったことか。
別に法律で決まっているわけでもないのに、なんで自分の国に協力しないといけないのか理解に苦しむ。
協力したところで何のメリットがあるのか見いだせないので協力する価値がない、と考える。
そもそもこちらは自国に協力するために生まれたわけではない。自分の人生は自分のものだ。なのに、なぜそうさせられるのか。
例えば「子供を産め増やせ」というが、なぜ今までの失策の尻ぬぐいをしないといけないのか。そんなもの移民でもやって自分で解決しろ、と言いたい。
ところで、「みんなで協力しよう」的な言葉がある。
東日本大震災や東京オリンピック前、今回の感染症の直後など、こういったメッセージを目にしたかと思う。
もう一度書くが、だからなんで協力しないといけないのか。私は奴隷じゃない。
協力したい人は勝手にすればいいが、なぜ協力しないことが非難の対象になるのか。
そこまで協力してほしければ、労働契約でも結べばいいだろう。
インターネットはもちろん、書店にも韓国に対するヘイトスピーチが散見される。
私の父親もそれに影響されたかのような言動をするようになった。
ならば私は逆に韓国の人たちと仲良くなりたいと思うようになった。
そこで、上記の留学で一緒になったKAIST出身の韓国人と仲良くなってみようとした。
「今難しい時期だが、ぜひあなたとはもちろん、韓国の皆さんと仲良くなりたい」というと、とても喜んでいた。
それを機にその人とは仲良くなり、毎日食事に行ったり、休日も一緒にするほどの中になった。今ではFacebookで定期的にやりとりしている。
ちなみに、韓国ばかり(日本からの)ヘイトのターゲットになっているが、日本人にヘイトを向ける人はどの国にもいる。
会ってみたらわかるが、韓国人はとても好意的。こういうヘイトスピーチって、外国語リテラシーも渡航経験もない人が想像で言ってるに過ぎないんだな、と改めて感じた。
何というか、個人的には「日本は生まれ育った国に過ぎず、それ以上の感情はない」と思っている。
それに、「別に住みやすければどこでもいいし、なんならそのためにどこでもいきれるようなスキルを磨いた方が効果的」とさえ思う。