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2021-05-08

anond:20210508100330

逆におもしろそう

文官から

武断派の清正公とか福島正則はいつも叫んでそう

信玄とか家康はマジメなことばかりかいてるからまらなく思われるけど一句一句に含蓄がありそう

2021-04-07

日本史信長をやるのは可笑しい

秀吉日本統一したし家康幕府を気付いた

信長は寺焼いて自分も焼かれただけだろう

秀吉までの流れがーってんなら織田家全部やらないと駄目

2021-02-17

源平→源氏VS平氏という分かりやすい構図。ラスボス格の清盛に対して、一度は敗れた源氏御曹司辺境で力をつけて逆襲するというオーソドックス貴種流離譚。ただし、めぼしいキャラクターが他に義経木曽義仲くらいしかおらず、平教経とかいうよくわからん奴を義経ライバルに据えてしまうくらい平氏側の人材がいない。あとみんな似た名前で覚えづらいのも地味に難点。

南北朝→敵味方が目まぐるしく入れ替わってマジでよくわからん。大きな戦で決着がつくということもなく延々と争い続けている。勝ったら身内で争いはじめる。負けてもゴキブリのように復活する。主人公格のくせに何をしたいのかよくわからない尊氏もさりながら、「優柔不断な後醍醐」像が定着したのもグダグダ感が増している要因かもしれない。後醍醐評価路線でやればワンチャン

戦国時代群雄割拠で各地方ドラマがあり、群像劇としてさまざまな視点から物語ることができる。天下人になったと思われた信長本能寺死ぬという驚きの展開、秀吉の驚異のサクセスストーリー、そして家康権力掌握が関ヶ原という天下分け目の大戦で決まる分かりやすさ。消化試合感のある大坂の陣真田幸村のおかげで最後の盛り上がりを見せた。やっぱ戦国時代っきゃねえよ。

幕末暗殺粛清陰謀歴史が進んでいく陰湿さ。打つ手打つ手裏目幕府。ただのテロリスト集団長州。佐幕の強硬派として長州いじめていたくせにいつのまにか幕府を裏切っている薩摩奥羽越列藩同盟でもうひと盛り上がりあるかと思ったら瓦解して終わる戊辰戦争維新の最大の功労者無駄に戦いを起こして惨めに死ぬ西南戦争。全体的にグダグダで、スカッとした盛り上がりに欠ける。キャラ人気に頼る他なし。

2021-02-13

anond:20210213122350

難癖つけて毛利を滅ぼしたりしたら、それを見ている他家は危機感を覚える。

やられるまえにやり返せと結束されたら困る。

というバランス感覚かな?

まあ改易とか行ってぼちぼちと勢力を削っていくほうが費用対効果が大きいし。

あと家康寿命が少し足りないよね。

とりあえず豊家をつぶさんことには毛利島津にまで手は回らないわけで。

 

結局ヤクザ親分みたいなもんだからね。

屈してる相手に難癖つけるのは難しいだろうね。

2021-02-03

天伝の悪口を言う

舞台刀剣乱舞天蒼空の兵〜大阪冬の陣〜をdisる

【前提】これは刀ステのほぼ全演目を時にライビュ時に配信時に現場で見た上で基本的に末満さんとはセンスが合わないと思っているオタクによる悪口である

【おことわり】

・嫌なら観るなについて→刀剣乱舞ファンとして「今度こそは」の期待とか一度追いかけ始めたものから退却できないサンクコスト効果とかで引くに引けないんですよ

・この感染症さな劇場に行くなよ→ごめんて……

(1)長い。中だるみする。ちょくちょく挟まれ殺陣のせいで話が分からなくなる。

しょっぱなからアレですがこれは仕方ないと思う。上演時間ありきで脚本作るから

殺陣については私のアクション適正が低い。アクションを見慣れてない人間って殺陣が始まると

・「とおけんだんしが敵とたたかってるー!がんばえー!」くらいにIQが下がる

戦闘の背景にある対立構造、誰と誰が何故(何を賭けて)戦っているのか等の情報認識できなくなる

・結果として全ての殺陣が「代わり映えのしない場面」に見える

という現象が起こります(個人の感想です)

刀剣乱舞を題材にしている上殺陣特に売りにしてるステで殺陣を減らすわけにも行かないのも分かるのでこれも仕方ないとは思う。アクション適正上げてから来いってね。

(2)台詞が頭に入って来ない

末満さんの詩情が体質に合わない(完)

これに尽きてしまうとは思うんだけどもう少し悪口を。末満さんって滅茶苦茶台詞量多くないですか?一つ一つの台詞も長いし。青空のような人ってなんやねんいいこと言ったような雰囲気で無理矢理まとめんなて。

筆者は小説でも長い台詞や長いモノローグを嫌うのでマジで合わない。長台詞はここぞの一回くらいしか許されないと思ってる。心情の説明台詞モノローグに頼るのならもうそれは物語の形を取る必要はなくて増田で長文語りしとけよって思う。舞台物語をやるのなら、物語の展開からキャラクターの心情を追えるように手を変え品を変え尽力するのが職人仕事だと思ってる。

(3)複数ライン物語を同時並行する割にそれらが交錯しない。一つの物語でやる必要あった?一時間舞台二個やればよくない?って思う。

今回で言うと多分ストーリーラインが二筋あって

①秀頼と一期の「自分は誰であるのか」という物語…秀頼「自分秀吉の作った天下の上のお飾りに過ぎないのではないか自分が本当に秀吉の子であるかも定かではない。自分は本当に天下に立っていていいのか」→太閤から秀吉との繋がりを保証された上で「これはわしの戦だ!」・一期「弟がいてようやく成立する兄としての自己像以外に依って立つところがない」→「歴史を守るのが私の使命だ」(一期の物語誤読してるかも。すまぬ)

弥七真田信繁の「歴史に抗いたい」物語…しにたくヌェ〜〜ってやつ。序盤家康が「お前の知るわしがわしの全てではない」(物語は語り手の視点恣意に影響され、ある事柄完璧に語り尽くすことは不可能)からの諸説の可能性の提示からの決められた物語に納得いかね〜〜俺は後世のお前らの語る歴史のための駒じゃね〜〜俺の闘志を無かったことにすんじゃね〜〜ってやつ

①②って特に相互作用働いてないと思うんですよね

関連性のない複数ストーリーラインが(殺陣や長台詞ガンガン交えて)同時進行するからま〜〜〜〜じで集中力途切れるし作品全体も散漫な印象になる

あと諸説ってめっちゃ連呼してたけどなんかダサい

あと細々したところで家康の戦への欲求とかね。正直家康のあのキャラ付け加州の見せ場作りと三英傑の物語やりましたってアリバイ作りのためとしか思えない。ちなみに戦への飢えについての話は義伝でもうやってんですよ……再利用かよ……

(4)弥七真田信繁の行動原理に納得行かない

諸説に逃げて生き延びればそれで良いってなんか随分控え目だけどそれこそミュのみほとせの信康みたいにコソッと逃げればよくない?弥七が言ってた通り諸説の余裕があるならその余裕に自力で滑り込むことは可能では?史実を守る本能に導かれた刀剣男士にナイナイされちゃうの?そっかあ……

「生き残りたいポン!」「諸説に逃げるポン!」「俺らを助けるオリジナル刀剣男士作るポン!」「だから逸話集めのために刀剣男士斬るポン!」「だから派手にドンパチ起こして刀剣男士誘い込むポン!」って論理の飛躍を感じる。

(5)物語恣意性、物語無き物の物語、無かったことにされた物語についての話はもうやってるんだよなあ……

ミュのむすはじとあおさくでやってるんだよなあ……

今作で特に別解を出したわけでもなく、ただ無かったことにされた物/者たちの憤りにスポットライト当てたところで終わってるし

(6)いつもの謎のやついい加減にしてクレメンス

三日月と山姥切国広と結の目となんやかやを巡る時空SFっぽいやつ

ようわからん(完)

基本、作中の本筋に関わらず、また作中で解決されない謎って作品鑑賞のノイズになると思うんですよ。ステはこの謎と三日月の行く末を全作品を通してのサブストーリーにしていますが。

ちゃん考察しつつ追ってればワクワクするんだろうけど。いや連載モノなら○○編をやりながら全体としてはワンピース探したり黒ずくめの組織追ったりするのが普通なので別に刀ステが下手打ってるとは言い切れませんが。

ただね〜〜〜〜やけに難解だし時系列スターウォーズ形式だし末満さんは意味深キーワード大好きだしですっきりしなすぎて私にとってはノイズなんすよ。公式解説本出してくれ。図解してくれ。

そもそも作中での情報開示渋ってファン考察に委ねるのやめてくれ。本能寺再演で左右逆とかキャス変にも意図があるとかそういうのほんといいんで……そういう場外戦が許されるのはエヴァだけなんですよ……

まあ昨今はインターネットSNSのお陰で場外戦が盛り上がりやすくなっているから、そういう作り方もアリ寄りのアリなんでしょうが……

ツイッター考察読んでもいまいちわからんってか読む気も失せるのよ……結の目ってなんなんだよ……

(7)真田十勇士の処理雑すぎワロタ

史実存在してはいけないもの」を登場させたか物語内で回収しないといけないのは分かる。でも集団自決から無駄死にって雑じゃね?てか登場させる意味あった?物語ある刀剣遡行軍が回収したポン!って次作への伏線のためか?

(8)キャラクターが多すぎて登場に必然性がない

これはどちらかというと過去作、悲伝や慈伝への悪口ですね。維伝以降大分気にならなくなった。登場されるためだけの登場シーンが多いし「このシーンは大般若じゃなくて小夜の方が当人性格や来歴踏まえて相応しいだろ」(キャラ適当です)みたいなシーンが頻出してた。

今回はまあ……主人公の一期とそれを支え受け止める弟二振り、一期とシンクロしてアイデンティティに悩む秀頼、一期と秀頼に秀吉のことを話してなんかいい感じにする太閤江戸の終わりに物語を持つ者として江戸を始めた家康対峙する加州、今回の主人公ではないけどシリーズ主人公である山姥切国広という具合でそれぞれに役割があったかな。宗三は必然性に劣るけど、一振くらい作品中の葛藤から距離を置いて渦中のキャラを諌めたり助けたり話を進めたりするゲリラサポーターキャラがいるのは悪いことじゃない。

(9)加州顔濃ッ

ごめんて

ごめんけどキュートでけだるく飄々とした加州というキャラクターからキュートが抜け落ちてただのハンサムになってんだよな〜〜〜〜いや演技は良かったよ全然加州だった

ただ加州っぽい媚びがなかった。まあ主の前じゃないから当たり前だけど

ただただHandsomeになっていた

「愛されっこないよね」とか言われても「せやな……お前は多分愛する側やな……」って言いたくなるくらいハンサムだった

【よかったところ】

ステアラをよく活用してた。クライマックス360度の戦闘を次々見せる場面はとても華麗だった。

弥七が健気でかっこよかった

最後巨神兵みたいな出来損ない刀剣男士のデザインFGOっぽくてかっこよかった

2021-01-30

麒麟がくる最終回ネタバレ

天皇信長が道を間違えてたら光秀がとめろ」

帰蝶「殿は変わってしまわれた」

義昭「光秀が京を平定したら京都にもどってもいいよ」

家康「これ以上の理不尽があれば三河武士がだまっておりませぬ」

秀吉「お互い大変でございますな」

駒「公方様が「光秀なら麒麟をつれてきてくれる」そう申しておりました」

 ↓

 

光秀「敵は本能寺にあり!」

 ↓

天皇「なんのことでおじゃるか」

帰蝶「顔も見たくない」

義昭「わしはもうつかれた」

家康「しらんがや」

秀吉「上様の敵!成敗致す!」

駒「誰だよお前」

 ↓

光秀  ヽ(`Д´#)ノ

2021-01-27

anond:20210126092411

佐藤大輔信長新記」簡易年表

1582年夏 本能寺の変信長親子脱出成功山崎合戦で光秀滅亡。

1582年末 織田信忠羽柴秀吉による四国制圧

1583年夏 信忠秀吉による九州攻め開始。信長による小田原城砲撃で後北条家滅亡。柴田勝家小田原からの帰路で謀反。

1583年秋 第一関ヶ原合戦。勝家勢が信長を追い詰める間際、勝家勢後方に下品金成瓢箪が現れ勝家勢崩壊お市に会いたく無い勝家が安土城自刃

1584年夏 「三州騒乱」勃発。伊達上杉を巻き込んだ徳川家康による信長への叛逆。岐阜城攻防戦で家康勢遅滞。

1584年秋 秀吉による近江口への誘引で「第二次関ヶ原合戦」発生。

 

1585年頃 信長により天下統一完了日本皇国成立。海外進出が本格化、大陸方面では無く東南アジア北海道方面へ。

1587年頃 スペイン帝国主力の欧州連合による東洋派遣艦隊撃破印度以東の欧州権益取得。信長南海覇公と呼ばれる。

1620年頃 新大陸で新出雲新界成立。その後スペイン帝国領ヌエバエスパーニャ副王領併合日本皇国大和州となる。

 

1762年 日本皇国大和派遣軍が大和民国軍に新出雲の戦いで敗れる。これにより大和民国独立が確定。

 

1813年 プロイセン陸軍参謀本部九州攻めを参考にした「ライヘンバッハプラン」でナポレオンの内線作戦崩壊寸前にまで追い込む。

1814年 ウィーン会議ナポレオンは失脚せずフランス帝国も存続。

1848年 大和民国武力恫喝によってヴァージニア割譲される。欧州新大陸領土消失

1898年 大西戦争によって大和民国スペインからキューバをはじめとするカリブ海領土を得る。

 

1910年頃 第1次世界大戦。詳細不明

1930年頃 第2次世界大戦。詳細不明

 

1937年 「満州戦争」勃発。中華連合共和国中華民国満州へ侵攻開始。日本皇国中華民国との同盟により渋々介入。

1938年 大韓帝国日本皇国宣戦布告大英帝国艦隊大和民国キューバを奇襲攻撃し「大西戦争」勃発。

1939年 中華民国中華連合共和国降伏林彪上級大将率いる中華沿海州装甲軍日本皇国沿海州で攻勢に出る

1940年 日本皇国大和民国を中心とする「大東洋同盟」が成立。

1941年 大韓帝国日本皇国と休戦。中華連合共和国宣戦布告

1942年 中華連合共和国大英帝国が大東洋同盟降伏大西戦争終結

1948年 大和民国英国安全保障条約を締結。

 

1990年頃 大ロシア連合崩壊フランス帝国経済自由化経済発展が進行中。

2021-01-26

戦国時代かについて色々考えると、結局

家康すげーな」

って感想になる。

家康嫌いな人は絶対そうは思えないのかもだけど。

史実厨と謗られて境遇改善するならば

私は刀剣乱舞というゲームを通して刀が好きになった。美術館博物館に足繁く通い、刀を見ていた。

その間に刀剣男士と関係なく推しができた。

その名を五月雨郷という。

五月雨郷、あるいは五月雨江とされる刀はさまざまな家を渡り歩き最終的に尾張徳川家徳川美術館所蔵となった刀である郷義弘が作刀、江派打刀だ。

チラ見せの段階で江だと分かり、雫型の耳飾りだとかで五月雨江では?と囁かれるのに推し実装が怖くて怖くてずっと拒否していた。推しが来るなんて耐えられない、と。

でも実装されたら、すていじあくとに加えてもらって、何を愛するんだろう。晴れを切望なんてちょっとありきたりだろうか?村雲江とペア枠になるとか?回想で後藤くんとか亀甲とかの会話があるだろうか?何が来るんだろう!本当に楽しみだった。ただただ怖くて、ただただ楽しみだった。

それでやってきたのは回想なし犬耳忍松尾芭蕉ファンだ。

公式の紹介文がこうである

越中国刀工郷義弘作の打刀景色を名に宿した名刀は華々しき来歴を辿るが、その言葉には同じ時代を生き、名を詠んでくれた俳人への思いが表れる。

行雲や犬のかけ尿(ばり)村時雨

https://twitter.com/tkrb_ht/status/1333334963043790850?s=21

松尾芭蕉が生きた時代五月雨郷は尾張徳川家にいた。

北へ向かったこともない。初めて見初められたのは福岡である黒田長政が購入し、徳川将軍家に献上したところから彼の歴史は花開く。一番北は加賀江戸である

私は俳句に明るくない。必死松尾芭蕉を調べた。もしかしたら尾張徳川家とただならぬ仲があったのかもしれない。調べて分かったのは「五月雨」と詠んだ句が結構あることくらいであった。

中学国語程度の知識しかない人間でも知っている「五月雨や集めてはやし最上川」に始まり10以上残しているらしい。私が適当地元図書館で借りてきた句集にはそれくらい載っていた。

五月雨江との関係は?

忍どっから出てきた?

犬耳なんだ?

一番許せないのはここで引用された俳句である

『行雲や犬のかけ尿(ばり)村時雨

犬の尿に時雨である五月雨関係ないじゃん。

五月雨を使った句は素人適当図書館行くだけで10以上見つけられる。

集めて早しがダメなのは艦これいるからまあわかるとして、何でいくらでもあった中で五月雨関係なく、ぱっと意味の分からない犬のおしっこなの?

※この俳句意味は犬がおしっこしていくみたいな速さで雲が流れては戻ってきてという天気の移ろいを歌った少し面白い歌らしい。(http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/haikusyu/sigre0.htm)

ゲームをしていない人、入手できなかった人、何よりやっていても第一印象が犬のおしっこである

この場合の村時雨は降ったり止んだりの雨なので五月雨意味はほぼ同じとはいえるが何で犬のおしっこなの?汚いでしょ。

そして顕現セリフもまたひどい。

郷義弘が作刀、名物五月雨江。え? これですか。これは前の主に対しての義理のようなもの

それよりは、同じ時代に生きたあの方への思いの方が強いのです。そう、私の名前を詠んでくれた、あの方への……』

これが指すものがはっきりとしないが、他のセリフと合わせるに多分犬関係の部分である

前の主の一人である徳川綱吉の話だろう。

犬といえば生類憐みの令。犬を大切にした彼への義理である、と。

だが悲しいかな、ネット上では「犬公方」が元だという考えが散見される。はっきり言いたい。

公方蔑称である

義理というか直接的にdisってる。生類憐みの令が元だと言ってくれ審神者全然義理とか思ってない、前の主を嘲笑クズ男士になってしまうから

なお、多分八犬伝関係ないですごめんなさい。

五月雨江を不義理な刀にしないでくれ。

また、刀帳説明において『五月雨江です。五月雨の季節に打たれたこからこの名がついたとも言われております。』と発言しているが、現在この記述確認できるものはない。由来は

五月雨の頃の極められた

五月雨のように美しい刃文

このどちらかとするのが現在の有力な説である

創作というか嘘をつくな。

もう一つ言いたいが忍どっから来た。松尾芭蕉からならひどいトンチキ説を採用したな……と呆れるし、柳生新陰流とするなら遠過ぎてびっくりするぞ。というか五月雨郷が尾張徳川家にやってきた段階では柳生家はもう剣術指南を中心にしてて忍者だった頃じゃないぞ。あと忍者だった頃っていう概念で行くなら奈良伊賀の間辺りなので本当に五月雨関係ないぞ。

さて、ここまで前置きというか許せない部分の羅列である

歴史に興味のない人間がこのキャラを見て何を思うだろうか。

松尾芭蕉の刀だと思うだろうか?元の主に忍がいると思うだろうか?俳句関係する何かがあると思うだろうか?

何も関係ない。残念ながら一切史実関係ない。

刀剣乱舞ログイン画面には「この作品創作であり、史実等とは異なる場合がございますとある

から史実と異なるキャラだとて仕方がない、それでも史実を叫ぶ人間史実厨と呼ばれ嫌われる。

史実と異なる創作(本来は死んでいる人間を生かしている、史実では否定されている戦況などを使用するなど)を批判する人間に対する蔑称である

行き過ぎた史実に対する想いは時に創作の幅を狭めるだろう。どんなに史実を愛しても司馬○太郎がある限り史実のみの創作なぞあり得ない気がするけれど。

閑話休題

五月雨郷とキャラクターの五月雨江とではあまり史実からかけ離れている。

その上史実を語る場=回想が一個もない。江なのにすていじあくとさえない。

もっと苦しいのがその直後に実装された真田の二振りにも監査官さんにも大量の回想があることだ。というか回想なし実装2018年末の袮々切丸以来である。二年ぶりの回想なし男士だ。

何故犬で忍者松尾芭蕉ファンで元の主の話をしてくれないのか一切分からない。何も語ってくれない。

から、彼のことはキワモノ実装だなとしか言えない。

史実厨として言わせていただきたい。

からあるものを貶してまで創作しないでくれ。

五月雨郷という刀は犬のおしっこ関係なけりゃ元の主を犬公方バカにもしない。

男士としての彼は何も言ってないとわかっていても審神者特有深読みで変な謗りを受けるのは刀剣男士の五月雨江で、刀剣五月雨郷だ。

由来から来歴から在り方まで全てを作り替えるな。

全部が全部、今までかの刀が作り上げてきた全てをぶち壊して新しいもの勝手創作する割に名前だけは堂々と名乗るのだから質が悪い。

いっそ関係のない刀だと明言しろ徳川美術館にある五月雨郷と一切の関係がないと言ってくれ。そしたら私は自分推しが汚いものとして凌辱されたと泣かずに済む。

私は刀剣乱舞が好きだった。だから六年もずっと私の本丸を稼働していたし、金だって大量とは言えないけど課金したしグッズ買ったし推しを愛したしリアイベ行ったしてんごだってデビューしたし円盤だって買ったし私なりに推してきた。

人生で初めて同人誌も出すほど好きだったしいつか来る五月雨江という刀剣男士を待ち望んでいた。

出来上がったものがトンチキキワモノ実装でなければ。

私が求めているのは、五月雨郷という実在刀剣名前を騙って創作という免罪符を振りかざすな。それだけである

何度も言われた。刀剣乱舞創作なんだから刀剣乱舞史実とは違うから私自身も何度も何度も創作から仕方ない、創作史実は違うのだから必死自分に言い聞かせた。

でも、やっぱり、許せないのだ。

刀剣乱舞は、国と共同で日本博に出るなどここ最近文化担い手として伝統を伝える試みを多くしている。それを行うところが五月雨郷という一振りの刀を適当キャラメイクキワモノ実装した。創作という免罪符を元にして。

伝統を残す前に、今あるものを守ってくれ。

今ある刀を蔑ろにしてまで実装するべきなのか?

今この世にある刀に汚いもの、元の主の蔑称体現するものとして認識させるのどうかと思う。

創作であるという免罪符を、文化の守り手を自称する企業が振りかざさないでくれ。

私のことを史実厨だと謗ってくれていい。それで五月雨郷という本当に美しい刀が不当に扱われないのであれば何度だって声をあげる。五月雨郷という刀は本当に美しい。私が愛した刀は、何物にも変えられないくらい美しい。私が一番好きで、何度でも見ていたい刀である

キワモノからと、犬耳だからと、どんな刀か知られずに松尾芭蕉のことしか語らない刀である認識しないでほしい。犬も基本関係ないし、歴史がないわけでもない。

五月雨郷が歩んできた歴史全てを蔑ろにして松尾芭蕉という誰もが知っている要素を組み込んで出来上がったキャラクターは可愛いか?

信長秀吉家康も持っていない、有名な武将の手に渡っていないそんな刀の創作は、誰も知らないから好きにしていいのか?

もう一度言う。

私を史実以外許せない史実厨だと謗っていい。

から五月雨郷の本来の歩みを知ってくれ。

五月雨郷の美しさを知ってくれ。

五月雨郷の存在を間違えないでくれ。

五月雨郷は本当に美しい。

五月雨郷という刀剣は何であろうと汚すことはできない。

でも、間違った意識というのはあまりにも容易く色々なものを壊すこともある。創作免罪符ではない。

追記(2020/01/28)

Twitterを見た。

様々な意見が噴出している。私が見た範囲が全てとは思わないがいくつか言うべきかなと思って追記だけつける。

1.他の刀剣もだろ。

A.私の推しじゃないので史実確認できるほど詳しくないです。各々当該刀剣推しの人が叫べばいいと思うのに五月雨郷だけ叫ぶなっておかしくない?

2.犬公方ってことしか綱吉のこと知らないのか?

生類憐みの令が元だって審神者全員が言ってくれたらそれは構わないよ。犬公方っていう言葉五月雨江をつなげるツイートをいくつか見たからこその意見だよ。

3.犬の尿は汚くない

汚いよ。俳句としては汚くない意味でも、今の時代にそれを検索なりなんなりして意味を調べる人間がどれだけいる?

第一印象俳句意味など全て知らずに犬の尿だけを覚える人間って多分思ってるよりずっと多い。だから嫌だと言ったし、俳句自体が汚いとは言ってない。

犬の尿は汚い。人間との比較とかは無駄なのでしないけど。

4.江戸時代だって忍者はい

知ってるよ。でも今出した意見松尾芭蕉=忍者説と柳生新陰流における忍者の話だけだよ。

柳生家と関係があるのは尾張徳川家にいたときだけで、五月雨郷が尾張徳川家にいた時点で柳生家は剣術指南の家だったという話。なお柳生家が忍者じゃない云々に関しての議論は別なのと尾張といえば忍者伊賀町おこし壊すからやめてくれ。

5.五月雨郷・刀剣乱舞史実厨に悪い印象がついた

五月雨郷を実際に見に行って松尾芭蕉は?ってなるより悪い印象って何?キャラが好きになった人が五月雨郷を見にくることをやめろとは一切思わないけど自分が見に行ったとき松尾芭蕉の話を五月雨郷の前でしている人がいたらげんなりはすると思う。

あと史実厨って元から蔑称なのでいいも悪いも最初から悪い。

私は最初から史実厨と言われていいから元となるものを貶してまで創作をするなと言ってるのであって、史実厨という言葉をいい意味で使ったことないよ。創作を認めるなって言っているのに近いと思う。

からこうやって匿名チラ裏に書いてるんだ。

6.とうらぶやめろ

やめるよ。今回の監査官さんが原因で余計病んで五月雨郷をこうしたのに創作で出来上がった自分を考える監査官さんがいることが嫌になったからこれを書いたんだから

ここ二年、他のキャラには最初から回想がついているのに五月雨江だけない事実を突きつけられて辛くなったから吐き出したんだ。

大体Twitter文句言われていた辺りかな。途中で探すのやめたからこれも書けとかあったらブコメか何かして。

パンティーヶ原の戦いでパンティー軍が勝ったパンティラインに住んでる

結論から言うと、東軍が勝ったパンティラインに住んでる人かわいそう。

以下、ざっくり現代までのパンティー史を書いていく。

 

パンティー川家康関ケ原パンティーを被り討ち死に。パンティー川秀忠は切腹。両者のフンドシは一条戻橋に晒される。徳川家結城秀康が引き継ぐも程なくパンティー川家に改名され実質滅亡。

その後パン東ィーには何人か大名が移り住んだが誰も定着せず荒れ野のまま。

パン東ィーなんて今もほとんど人が住んでいないド田舎の話は誰も興味がないと思うので話を元に戻す。

パンティーケ原の戦い後、小早川秀秋白パンティーを履くも5年で病死。その後は豊臣秀頼白パンティーを履く。日本上杉、宇喜多毛利島津などが各地域を100年ほど分割支配し、相互監督をはたらかせていたが、パンティーぬがしっこが起こらず、外国との下着交易も進みパンティー業が発展していったので時代遅れ武士は次第に消えていった。その代わりに交易利益を上げた大名が豊臣を中心にパンティー体化していく。というわけでこちらの歴史の授業ではいちいち武将名前なんて覚えない。そちらではやたらと武士がもてはやされているらしいが、こちらでは武士鎌倉幕府まではともかく、室町幕府以降はフンドシしか履いていなかった印象で、野蛮で恥ずかしい存在しかない。交易パンティーが発展しているので、日本のせまーいフンドシでチンポなんてものを覆わせて税金徴収するなんてバカなことはパンティーケ原の戦いの50年後にはなくなった。18世紀に入ると各地域下着難民や縫製労働者が蜂起して自パンティー権が漸次的に認められるようになっていく。そちらとは違って武士の強権的な支配がないのでゆるやかにパンティー化していく素地があった。パンティー教も新旧両派が認められ、汎帝教と二大勢力になっている。その後、ヴァンディー教やパンツィル教を信じる人も増えていく。フンドシがいなくなっていくにつれてブリーフトランクスは消えていった。後述のように、近隣のアジア諸国でもトランクスは消えていった。今でも下着の残骸のようなものは残っているが装着する人は誰もいない。

 

19世紀になると大名支配していた地域で縫製労働者下着難民代表者からなるパンティー会と豊臣を首班とするパンティー人からなる下着会が設置されていく。いわゆる列強とも条約を締結したが、そちらの江戸幕府かいものが結んだような不平等条約ではない。もちろん条約下着会が承認する。19世紀の半ばにはアメリカヨーロッパ思想パンティー語に翻訳され、誰でも読めるようになっているが、モンテスキューロック思想パンティーと大して関係がないということで学校議論する程度。そちらの学校では武士の強権的な支配によって作られたせいで自由議論することは認められてないらしいけど、こちらは子どもたちが自由パンティーを履いて走り回るのがメイン。この教育きっかけにパンティー族の力は次第に失われていく。19世紀半ば以降は欧米列強に対抗するため、近隣諸国連合巨大パンティーを形成する構想が何度も浮かぶアジア大陸では日本と同様、汎帝教とパンティー教がメイン。フンドシ教は非合理的なので衰退。ここでは一致できるのだが、しかし、ヨーロッパ発の裸体主義思想の影響もありうまくいかない。結局最初は2~3か国の同盟からパンティ連合が始まる。19世紀終盤にはアジア圏と欧米列強との間で大きなパンティ戦争が起きる。フンドシのような抑圧的で野蛮な下着が早い時期になくなり、無駄戦争はしなくなっていったこともあり、1年ちょっとで早々に講和条約を締結。20世紀を迎える。

 

20世紀に入ると漸次的に汎アジア国家条約連合(PANTY)が形成されていく。PANTYはそれぞれの装着者で温度差はあるものの人体の曲線的な魅力を布地が補強するコンセプトからなる。パンティ列島地域は力を失ったパンティー族が政治的な実権を失い、国民代表からなる下着会と各地域代表者からなる元パンティー院、PANTY議会派遣される議員存在している。ヨーロッパで発生したヌーディズムと戦う第二次世界大戦こちらの世界でも勃発する。しかし、パンティ地域に没個性で野蛮なフンドシが存在しないこちらの世界では他国侵略を行うようなことはない。PANTY含む連合国がイタリアヌーディストノーパンドイツを倒して戦争は2年半で終結。その後、PANTYとブルマ圏、欧米諸国との間でイタリアドイツを再建。アジア大陸では中国全裸党とPANTYの戦いが続くが、1964年に休戦。中華全裸共和国はそちらの世界よりも規模がかなり小さく(朝鮮半島の付け根北部地域のみ)、影響力もあまりない。PANTYは中東諸国に対するブルマ圏やアメリカ侵略から防衛にあたり、友好関係現在に至るまで結び、勢力圏を拡大。意地でもヌーディズムを譲らないソ連と意地でもブリーフを手放さなアメリカ1980年代になると衰退していく。インド中東諸国が加入したことでPANTYは汎アジアインド中東国家条約連合(PANTIES)へと改組される。PANTIESとブルマ連合アメリカソ連の再建の中心となる。

21世紀に入ると世界はPANTIES、ブルマ連合全裸連合ノーパン連合、紐パン連合連邦国家構成されていく。返す返すも、そっちの世界のように東パンティーの野蛮な武士支配権を握らなくてよかったと思ってる。

2021-01-20

松潤主演で大河家康やるらしいけど

お客さん入るの?

2021-01-19

どうする家康

10万、配らんらしいぞ。

2021-01-18

なぜ私は聖地巡礼をするのか(の話をかくはずだったが)

聖地巡礼とは中世ヨーロッパ封建社会においてキリスト教徒あいだで流行した、キリスト教聖地であるエルサレムを訪れる宗教的行動である

転じて、現代においてはアニメ映画などの熱心なファンが、創作物キャラクター縁の地を訪ね歩く行為を指す言葉として使用されるに至った。

私も昨年度から今をときめくアイドルグループ乃木坂46好きが高じて、(暇を持て余していたことも手伝い)彼女たちが番組ロケで訪れたり雑誌メディアで紹介したりしていた場所を巡ることが退屈な日常を彩る楽しみの一つとなっている。

大塚天祖神社バッティングセンター千歳船橋喫茶店ぱおーん、五反田デニーズ……

思い起こしてみたがそれほど多くはなかった。

それはさておき、この日記(?)で私が考えたいのは「人はなぜ聖地巡礼をするのか」その理由だ。

聖地巡礼には楽しさがある。

思えば私は日本史世界史も好きなので、歴史上の史跡を巡ることが旅行に行く際の主目的の一つだったりする。映画ロケ地を訪れることもある。

(前提として書き加えておくが、行ったことがない土地を訪れるのが好きな方であると思う。「まだこのへん歩いたことがないから」という理由で6時間ぐらい散歩することがざらにある)

今も『世界史をつくった海賊』(竹田いさみ著)なる本を読んでいて、大航海時代マゼランに続いて史上二度目の世界一周航海を達成した海賊フランシス・ドレーク(ワンピースのドレークのモデル)に関する記述を読んで、「彼の航路を船で辿ってみたいなあ」などと空想に耽っていた。

そう、私はフランシス・ドレーク足跡を辿りたいのである

乃木坂メンバーが参詣した神社自分も赴きたいし、バットを振るったバッティングセンターで、彼女らがそうしたように、自分バットを振るいたいのだ。

そして、「ここに彼らも、自分と同じように立っていたんだ」などと感じたいのである

この衝動はなんなのだろう。何故、こんなことをしたいと思うのか。

バッティングセンターで行ったバッティングは、それ自体として面白かった。乃木坂のことがなければ、私はバッティングセンターに行きはしなかっただろうが、バッティング最中乃木坂のことは忘れて純粋ボールバットで的確に打ち返すことに集中していたし、それが成功することに喜びを覚えていた。

しかし、やはりその一連の行為には、「メンバーも同じ場所で同じことをした」という事実認識によって特別意味を付加され、それが私の心に満足感をもたらしている。

私の記憶には、明らかに「ただのバッティング」以上の色が付いて、この思い出が保存されているのだ。

この違いは何に由来するのか。

まず一つ、見逃せない重要な点は「私は乃木坂が好きである」という事実だろう。これは明らかに聖地巡礼動機に深く関わっている。

私は何も藤田ニコル西野亮廣の訪れた場所に行きたいとは微塵も思わない。ニコるんはどちらかと言えば好きだが、出演番組をチェックするほどではない。西野に至ってはどちらかと言えば好きではないし、好きではない人間の縁の地を訪ねたい、その足跡自分足跡を重ねたいとは思わない。

フランシス・ドレークのことも、まあ好きになりつつある。(暇があれば伝記を読んでもいいかなと思うぐらいには)

では、好きな人なら誰でも聖地巡礼したくなるのかと言えばそんなことはない。身近な友人のことは好きだが、彼らの足跡を辿りたいとは思わない。

これは極めて重要着眼点である

恐らくは、その人物との関係性および距離感聖地巡礼に向かわせしめる大きな引鉄の一つなのだ

想像するに乃木坂メンバーでさえ、もし私が直接的に関係性を構築してしまえば、聖地巡礼したいという衝動はなくなるだろう。

同じ場所を訪れて、同じことをしたいという気持ちの裏にあるのは、「近付きたいが手の届かない者の存在」を少しでも身近に感じたいという欲求なのだ

友人という生々しい関係は、最早相手をそういう「聖なる存在」にしておかない。

ただし、友人との関係が何らかの理由で解消され、手の届かない存在になった場合はその限りではない。その最も単純な例は「死別である。死が二人を分かてば、当たり前な存在は当たり前でなくなり、会いたいのに会えない、焦がれ求める対象になる。

「手の届かない特別存在を思うこと」が聖地巡礼の肝なのだ

そしてその感慨は、対象と同じ空間的座標に立つこと、そこで同じ行為追体験することで増幅される。ただ、家でスマホをいじりながらその人のことを考えているだけの時間よりも、その人に少し近付けたような気になる。

その対象は人に限らない、作品、ひいてはその世界観全体も対象になりうる。

私は宮崎駿監督映画が大好きで、監督ハウルを撮り終えた後に数ヶ月間療養し、次回作の『崖の上のポニョ』の構想に繋がった広島県鞆の浦や、『耳をすませば』の舞台となった聖蹟桜ヶ丘も訪ねているが、ポニョや雫個人をそこまで好きかといえばそんなことはない。

フランシス・ドレークのことは好きになりつつあると言ったが、やはり人物に対しての好意それだけというよりは、世界史的な偉業であるという点の魅力が大きいように思う。俗な言い方をすれば世界一周ロマンを感じるし、楽しそうである(実際は辛いことの連続だろうが)。

しかし、ドレークな先立って世界一周航海を達成したマゼラン足跡を辿りたいと考えたことはないことを踏まえれば、やはりドレークには読書を通して僅かながら彼の功績やエピソードに触れたことにより、マゼランに感じる以上の魅力を感じていること、それが巡礼への衝動を後押ししていることは間違いない。マゼランのことは何も知らない。何も知らないので魅力も感じなければ、より深く知りたいという動機も起こらない。

(どうやら相手のことを「知りたい」と思うには、まず相手のことを知ることが必要らしい。少なくとも私にとっては。難儀なことだ。)

「手の届かない「聖なる存在である対象をその足跡を辿り行為をお手軽に追体験することで、少しでも身近に感じること」が聖地巡礼の意義であると一旦結論付けてみる。

ここで唐突に「お手軽に」という制限を付け加えたのは、私はバッティングセンターバッティングをする程度の追体験はしたいが、乃木坂メンバーが日々の研鑽を重ねたダンスレッスン場で一年間同じレッスンを受けたいかといえば真っ平御免だなということに思い至った。

一年彼女たちが受けたレッスンと同様のレッスンを受けることは、彼女たちの辛さや頑張りをよりリアル追体験することになる。追体験としての質は高い。だが時間がかかりすぎる。ダンスよりもやりたいことがあるし、辛そうなので、暇潰しに週二程度通うならチャンスがあればやらなくもないが、それはもう追体験としての価値は薄れて、一年間におよぶダンスレッスンそのものが持つ価値が問われている。(追記そもそもこれ、巡礼ではなくダンスでは?)そういう意味で1000円分のバッティングには十分その価値があったし、世界一周航海も同様である。(追記:これも巡礼と言えるのか?場所を訪ねる行為限定するべきだったかもしれない)

聖地巡礼はお手軽でなければならない。言い換えるなら、その行為自体を楽しめないのならやりたくはない。滝行は楽しそうなのでやりたいが、例えば彼女らが受けていた辛い仕打ち自分も受けたいかというと難しい。

例えばメンバーの誰かが過去イジメを受けていたとして、それと同様のイジメを受けたいか。これに関しては少し受けたい。マゾヒスティックな願望ではなく、多少なりとも彼女らの苦労を追体験することは彼女らを理解することにつながるからだ。

しかし、紛い物のそれはやはり本当のイジメ体験とは辛さの質が大きく異なるし、よりリアルに状況を再現するために半年継続してイジメを受けてくださいと言われればお断りする。あくまでもその一部を、私が本当には辛くならない程度に体験することで、辛さに思いを馳せたい、という程度に存在への接近願望は留まる。

キリスト教徒だってエルサレムには行きたくても、ゴルゴダの丘の上で十字架に磔にされたいかと言えばそんなことはないだろう。ごっこ程度にはやってみたいが、それはごっこ遊び自体が楽しさを持つからである。高所に磔にされて「こえ~」などと言ってるのは楽しいが、手足を本当に釘で打ち付けられるのはたまったものではない。(追記:これも巡礼の話ではなくなっている気がするが、でも巡礼先で対象が何かしてたら同じことやりたいよなあ。(追追記:でもやらなくても巡礼は成立するからやっぱりおかしいねはい。))

体験総体として楽しくないならやりたくない。少なくとも私は。この「楽しく」は何も笑顔になったり、興奮したりするといった類の楽しさである必要はない。

心地よい感情が動きがあればよい。

郷愁に浸るとか、感慨に耽けるとか、今風に言えばエモさがあってもよい。「泣く」ことによる感情の発露も、人間にとっては快感であるので、ここで述べる「楽しさ」に含まれる。

いや、違うな。

上に述べたエモさは体験のものに由来する(既出の例をとればバッティング行為によって引き起こされた)感情ではなく、「行為追体験している」という事実に付随する感情の動きだ。そこは切り分けるべきだろう。

例えば「同じ場所に立つ」ことも、聖地巡礼に伴う追体験行為の一形態だが「立つ行為のもの」には特に何の楽しみもない。(立っているだけで楽しい場所もあるが、必ずしもその必要はない)(追記:この例の方が純粋巡礼っぽい)

先例のイジメのように行為自体許容範囲であれば不快であっても構わない。これは個人差があるし、対象に対する思い入れの深さによっても許容範囲が変わってきそうだが。

追体験行為包含する巡礼行為」が総体として満足感をもたらす体験であればよい。(追記:「巡礼追体験包含する」よりも「巡礼追体験が付随する(ことがある)」が正しい)

距離重要な要素だ。ここで言及する距離とは、対象との関係性としての距離ではなく、その聖地との物理距離感である

遠ければ遠いほど、巡礼を達成した際の体験価値は高い。エルサレムが近所の公園にあったら巡礼の有難みも霞むだろう。

「ここまで来た」という感覚聖地巡礼には必要である

私は電車移動含めて一時間もあれば十分であるしかし、ここまで書いて想像してみたが、家の隣にあった昔馴染みのなんでもない祠が実は家康が足繁く通った祠であったと発覚すれば、そこにはそれなりの感慨が生まれるように思える。巡礼と呼ぶにはあまりにも短距離だし、巡礼としての価値希薄化するものの、完全に失われることはない。いや、とはいえやはり価値の減少は免れないな。

遠ければ遠いほどいい、というものでもない気がするが。例えば、乃木坂メンバーが訪れた場所比較として、私の現在地から大塚バッティングセンターパリ街角にあるカフェとの物理距離には圧倒的な差があるが(もちろんパリの方が遠い)、パリカフェを訪れた際の感慨がバッティングセンターに比べてそれほど深いかといえば、あまり変わらないような気がする。

これは、「パリ旅行のついで」にカフェを訪れるのか、「乃木坂メンバーが訪れたカフェを主目的に」パリを訪れるのか、物理距離を越えんとする直接的な動機がどちらにあるのかによっても異なりそうだが、メンバーが通った小学校とか、生まれ育った地域ぐらいの重要地ならともかく、たかだかロケで立ち寄っただけのカフェ目的渡仏する気にはならない。

いや前者でも渡仏する気にはならないが、(追記:というかメンバーの母校って言うほど感慨深いか?その頃のメンバーが好きな訳ではないし……)するにしてもそれはやはりそもそもパリ自体が好きで巡礼を抜きにしてもパリに行きたいからであって、パリの一地域を訪ね歩く行為のもの乃木坂とは無関係に楽しみを見出している。その意味巡礼行為は「ついで感」が否めない。(追記:「むしろ行きたくない場所への巡礼」を考えてみようと思ったが、思いつかなかった。(追追記日焼けと車酔いに弱いのでそれらが伴う場所には積極的行きたくない。苦労した分、到達時の達成感はありそうだが、それは聖地が持つ意味とはやはり無関係目的地に至る行程に由来する価値を抜きにした純粋巡礼価値は何によって決まるのか。))

これはもしかしたら聖地巡礼も、エルサレム旅行のものに少なから体験としての楽しみが含まれていた可能性もあるが、中世を生きる農民の長旅の過酷さや宗教に対する敬虔さはとても無知蒙昧な私の想像のおよぶところではないので、お叱りを受ける前にこの説は引っ込めておく。

でも伊勢参りとかは楽しそうだよね。明日(もはや夜が明けたので今日なんだが)近所のブックオフ聖地巡礼事情に関する本でも漁ってみよう。

眠いし目も疲れたので「過去自分への巡礼」とかまだ考えたいことはあったが、このへんにしておく。

おやすみなさい。

2021-01-03

信長は筆マメだった

信長というと、短気で気分しだいで人を殺していたとか思われがちだが、

しろ逆で、すべて緻密な計算政治を行っていた。

20年来の宿老の佐久間信盛を解任する際も、暴君なら理由もなしに追い払ってしまものだが、

信長は以下の長文をわざわざ直筆で書いている。

信長による19ヶ条の折檻状(現代語訳)

一、佐久間信盛・信栄親子は天王寺城に五年間在城しながら何の功績もあげていない。世間では不審に思っており、自分にも思い当たることがあり、口惜しい思いをしている。

一、信盛らの気持ち推し量るに、石山本願寺を大敵と考え、戦もせず調略もせず、ただ城の守りを堅めておれば、相手坊主であることだし、何年かすればゆくゆくは信長の威光によって出ていくであろうと考え、戦いを挑まなかったのであろうか。武者の道というものはそういうものではない。勝敗の機を見極め一戦を遂げれば、信長にとっても佐久間親子にとっても兵卒の在陣の労苦も解かれてまことに本意なことであったのに、一方的な思慮で持久戦に固執し続けたことは分別もなく浅はかなことである

一、丹波国での明智光秀の働きはめざましく天下に面目をほどこした。羽柴秀吉の数カ国における働きも比類なし。池田恒興は少禄の身であるが、花隈城時間も掛けず攻略し天下に名誉を施した。これを以て信盛も奮起し、一廉の働きをすべきであろう。

一、柴田勝家もこれらの働きを聞いて、越前一国を領有しながら手柄がなくては評判も悪かろうと気遣いし、この春加賀へ侵攻し平定した。

一、戦いで期待通りの働きができないなら、人を使って謀略などをこらし、足りない所を信長に報告し意見を聞きに来るべきなのに、五年間それすらないのは怠慢で、けしかぬこである

一、信盛の与力保田知宗の書状には「本願寺に籠もる一揆衆を倒せば他の小城一揆衆もおおかた退散するであろう」とあり、信盛親子も連判している。今まで一度もそうした報告もないのにこうした書状を送ってくるというのは、自分のくるしい立場をかわすため、あれこれ言い訳をしているのではないか

一、信盛は家中於いて特別待遇を受けている。三河尾張近江大和河内和泉に、根来衆を加えれば紀伊にもと七ヶ国から与力をあたえられている。これに自身配下を加えれば、どう戦おうともこれほど落ち度を取ることはなかっただろう。

一、水野信元死後の刈谷を与えておいたので、家臣も増えたかと思えばそうではなく、それどころか水野の旧臣を追放してしまった。それでも跡目を新たに設けるなら前と同じ数の家臣を確保できるはずだが、1人も家臣を召し抱えていなかったのなら、追放した水野の旧臣の知行を信盛の直轄とし、収益を金銀に換えているということである言語道断である

一、山崎の地を与えたのに、信長が声をかけておいた者をすぐに追放してしまった。これも先の刈谷と件と思い合わされる事である

一、以前からの家臣に知行を加増してやったり、与力を付けたり、新規に家臣を召し抱えたりしていれば、これほど落ち度を取ることはなかったであろうに、けちくさく溜め込むことばかり考えるから今回、天下の面目を失ってしまったのだ。これは唐・高麗南蛮の国でも有名なことだ。

一、先年、朝倉をうち破ったとき(=刀根坂の戦い)、戦機の見通しが悪いとしかったところ、恐縮もせず、結局自分正当性を吹聴し、あまつさえ席を蹴って立った。これによって信長は面目を失った。その口程もなく、ここ(天王寺)に在陣し続けて、その卑怯な事は前代未聞である

一、甚九郎(信栄)の罪状を書き並べればきりがない。

一、大まかに言えば、第一に欲深く、気むずかしく、良い人を抱えようともしない。その上、物事をいい加減に処理するというのだから、つまり親子共々武者の道を心得ていないからこのような事になったのである

一、与力ばかり使っている。他者から攻撃に備える際、与力に軍役を勤めさせ、自身で家臣を召抱えず。領地無駄にし、卑怯な事をしている。

一、信盛の与力や家臣たちまで信栄に遠慮している。自身の思慮を自慢し穏やかなふりをして、綿の中に針を隠し立てたような怖い扱いをするのでこの様になった。

一、信長の代になって30年間奉公してきた間、「信盛の活躍は比類なし」と言われるような働きは一度もない。

一、信長の生涯の内、勝利を失ったのは先年三方ヶ原へ援軍を使わした時で、勝ち負けの習いはあるのは仕方ない。しかし、家康のこともあり、おくれをとったとしても兄弟・身内やしかるべき譜代衆が討死でもしていれば、信盛が運良く戦死を免れても、人々も不審には思わなかっただろうに、一人も死者をだしていない。あまつさえ、もう一人の援軍の将・平手汎秀を見殺しにして平然とした顔をしていることを以てしても、その思慮無きこと紛れもない。

一、こうなればどこかの敵をたいらげ、会稽の恥をすすいだ上で帰参するか、どこかで討死するしかない。

一、親子共々頭をまるめ、高野山にでも隠遁し連々と赦しを乞うのが当然であろう。

右のように数年の間ひとかどの武勲もなく、未練の子細はこのたびの保田の件で思い当たった。そもそも天下を支配している信長に対してたてつく者どもは信盛から始まったのだから、その償いに最後の2か条を実行してみせよ。承知しなければ二度と天下が許すことはないであろう。

また、秀吉浮気したときに、奥さんの禰禰にこのような手紙も送っている。

私の命に従い、この度、この地(安土城)にはじめて尋ねてくれて嬉しく思う。

その上、土産の数々も美しく見事で、筆ではとても表現できない程だ。

そのお返しに、私の方からも「何をやろう」かと思ったが、そなたの土産があまりに見事で、何を返せば良いのか思い付かなかったので、この度はやめて、そなたが今度来た時にでも渡そうと思う。

そなたの美貌も、いつぞやに会った時よりも、十の物が二十になるほど美しくなっている。

藤吉郎(秀吉)が、何か不足を申しているとのことだが言語同断けしかぬことだ。

どこを探しても、そなたほどの女性を二度とあの禿ねずみは見付けることができないだろう。

これより先は、身の持ち方を陽快にして、奥方らしく堂々と、やきもちなどは妬かないように。

ただし、女房の役目として、言いたいことがある時はすべて言うのではなく、ある程度に留めて言うとよい。

この手紙は、羽柴(秀吉)にも見せること。

又々 かしく藤吉郎 女ども

のぶ

2020-12-10

ワイが羽柴秀吉を好きな唯一の理由

戦国時代でめずらしい、ドストレートのノンケだったから。

ホモだらけ・衆道だらけのあの世界で唯一の女好き側室100人

しかネネ夫人とは最後まで添い遂げる。

あの家康信長でさえホモだったことを考えると、秀吉偉人である

2020-11-23

anond:20201123035110

例えばお前が戦国武将だとして

上司家康が対して上手くもない自作水墨画見せてきたら精一杯の佞言を用いて誉めそやすだろ

同じことだよ

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