はてなキーワード: 川越市とは
https://maps.app.goo.gl/yNX4GoyoaAnz4EVe6
https://archive.md/dmsr0川越。日本で発展途上国みたいなこんな現場。実物初めて見た。クルド人 pic.twitter.com/Ro8lRyLQo9— しずく (@shizukuchan111) July 12, 2024
戦前に建設された銀行を新しい建物で包み込むように設計された1階と上階で雰囲気の違う不思議な建物。
目[mé]とか宮島達男、三沢厚彦とかピーター・ドラッカー・コレクションとか行きたくなる展覧会が多い。
最も有名なのはロスコルーム。マーク・ロスコの赤い絵画作品で囲まれる空間は日本で唯一無二。これは見るというより体験する絵画だね。他にも抽象作品が多く、サイ・トゥオンブリーやフランク・ステラなど他の美術館ではなかなかお目にかかることの少ない作品がたくさん見られるよ。遠いけど、自然に囲まれて気持ちは良いですー
写実絵画専門の美術館。美術史とか意識せずに作家さんの技術と表現を純粋に楽しむことができる。日建設計の建物も面白いね。
建築は磯崎新。英名アートタワーミト。タワー!(展望室見学200円)
今は反対側に伊東豊雄の水戸市民会館ができて時代の変化と建築家の特徴を感じられて面白いよ。
水戸芸術館自体は音楽、演劇、美術を扱うけど、小澤征爾氏の参画などそれぞれが一級であったのは初代館長吉田秀和氏の功績が大きかったと耳に挟んだよ。
内藤礼とか大竹伸朗とかピピロッティ・リストとかとかとか展覧会楽しいね。
水戸駅からバス。コスパなら東京駅からバスで水戸駅に。時間優先なら常磐線特急ね。
取手と言えば藝大の先端芸術。ということで市民と取手市、東京藝術大学の3者が組んで行われているプロジェクト。1999年からだからもう25年目?今は日常的にイベントをやっているらしい。
にしても、日比野克彦氏のような現代美術の人が藝大学長になるとは思わなかったなあ。
椅子の展覧会が定期的に行われるので、それを見に行く。できれば全部に座りたい。所蔵作品も良い小品が多くあった気がする。
アンディ ウォーホル、ジャン=ミシェル オトニエル、草間彌生、束芋など常設いいよね。加えて今は、品川の原美術館から移設された奈良美智、宮島達男、森村泰昌の作品が展示されている。品川の原美術館がなくなった時は悲しかったなあ。オラファー・エリアソンの「ビューティー」を見た時は感動したよ。
元館長等によるパワハラで有名。で、特に罰を受けるでもなく東京藝大の教授に。増田もパワハラをされて美術業界から撤退したので、パワハラしても日本一の藝術大学の教授になれるとは、さすがに気持ち悪く感じたよ。学生は大丈夫かな。北陸の美術館でも学芸員一斉退職とか何でなんでしょうね、この業界は。横道失礼。
龍ヶ崎観光物産協会-うな丼発祥の地 龍ケ崎市の牛久沼(市内うなぎ専門店一覧)
https://www.stib.jp/stayeat/unagi.shtml
東武鉄道-名店揃い! 川越グルメで欠かせない「うなぎ」を堪能しよう
https://www.tobu.co.jp/odekake/area/tojo-line-south/tojo-line-south013.html
http://www.nrtk.jp/enjoy/attraction/narita_eel.html
日本旅行-日本屈指のうなぎの街!静岡県三島市にあるうなぎの名店7選
https://www.nta.co.jp/media/tripa/articles/xsPtY.amp
https://www.unasen.org/sp/map/
https://www.tsukanko.jp/gourmet/scid_10/type_side/d.html
「月がきれい」(2017)
岸誠二監督、柿原優子脚本のオリジナルアニメーション。中学生の主人公2人の恋愛を中心に卒業までの日々が淡々と描かれてる。
舞台は埼玉県川越市で小江戸と呼ばれる美しい街の描写や地元のお祭りなども出てくる。
中学生日記のアニメ版といった感じで、LINEでのメッセージのやり取りの描写が当時のアニメとしては目新しかった。
エンディング後にCパートもあり、こちらは現実寄りの生々しい感じで、本編主人公たちのピュアな恋愛と対照的になってる。
「初恋」「やさしい気持ち」「夏祭り」など歌謡曲が挿入歌に使われていてMV風にストーリーとシンクロしている構成も珍しかった。(YouTubeで公開されてる)
優秀なご家庭ほどお子さんも優秀になるとおもいがちだが
優秀な遺伝子を一人でも残したければ3人くらい産むのがよい
3人いるとわりといじめ耐性とか公平性・おもいやりに関する感覚も強くなる
あといまの子供ってのはネットで世界がすぐ見えるだけに、自信が無い
奨学金どころか、(この少子化でハードル激低の)私立大学を敬遠すらする
ほぼ無試験の私学にいかせられる家計なんだからいかせてやればいい
そして小さい頃から「うちは贅沢は嫌いだけど世間からみたら立派に金持ちなんだから、
そういう金の我慢は一切させるな
金があるからポリシーで学校やすませて海外旅行する(留学もしたければさせる)
賢い子ほどつまらないところで金の節約に傾き遠慮しがちなので、
「金持ちってのは実際はこういう使うとこ使うポリシーなんだなぁ」とガツンとワカらせないといけない
うち、子供に「ママは霞ヶ関に通ってるんだよ」っていいきかせたら
何度言い聞かせても「ママの貯金で海外留学くらいいかせてやる」ってのを信用されてなかった
(ママの金で親と子の3世代をハワイにつれてったのはじいちゃんの金だとおもってたらしい)
https://medimarl.net/tensyoku/?p=668
元増田いわく
「書きたくてたまらないけどまだ我慢する。変わらなければ名前を書く。大学病院です。」
と。
東京女子医科大学病院 東京都 新宿区 1314
東京大学医学部附属病院 東京都 文京区 1163
聖マリアンナ医科大学病院 神奈川県 川崎市宮前区 1156
公益財団法人大原記念倉敷中央医療機構 倉敷中央病院 岡山県 倉敷市 1151
岩手医科大学附属病院 岩手県 盛岡市 1088
一般財団法人太田綜合病院附属太田西ノ内病院 福島県 郡山市 1055
国立大学法人 京都大学医学部附属病院 京都府 京都市左京区 1046
帝京大学医学部附属病院 東京都 板橋区 1035
大阪大学医学部附属病院 大阪府 吹田市 1034
東京慈恵会医科大学附属病院 東京都 港区 1026
https://www.j-cast.com/2007/10/04011960.html?p=all
容疑者は9月29日午前1時35分ごろ、川越市南台の市道上で無職の男性(51)を足で蹴る暴行を加え、同日の8時半頃に腰椎骨折などによる後腹膜出血で死亡させた疑い。
07年9月には、船橋市本町のスーパーで万引きした男性に暴行を加えて死亡させたとして、スーパーの店長(40)が傷害致死罪で逮捕・起訴された。
店長は9月4日夜に缶ビールを万引きした男性(56)を店の資材置き場に連れて行き、殴る蹴るなどの暴行を加え店近くの路上に放置し死なせた。
万引きした男性は過去にも2回このスーパーで万引きしており、店長は「懲らしめてやろうと思った」などと供述していたという。
ということわ
容疑者は9月29日午前1時35分ごろ、川越市南台の市道上で無職の男性(51)を足で蹴る暴行を加え、同日の8時半頃に腰椎骨折などによる後腹膜出血で死亡させた疑い。
07年9月には、船橋市本町のスーパーで万引きした男性に暴行を加えて死亡させたとして、スーパーの店長(40)が傷害致死罪で逮捕・起訴された。
07年9月11日には墨田区のカードショップで漫画本1冊を万引きしようとした男性(29)が店員に取り押さえられ意識不明になる事件が発生。店員2名が翌日に傷害容疑で逮捕された。万引きした男性は漫画本1冊を万引きしようとしたところを店員に捕まえられ、殴りかかるなど暴れたため、押し倒して首を絞められた。男性は1週間後に死亡。警視庁は傷害致死の疑いもあるとして捜査していた。
万引きが「近年増えたということはない」
「全くないわけではないが、多発しているという話は聞いていない」(セブン&アイHD)
「近年増えたということはない」(ローソン)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E7%B7%9A%E9%A1%9E%E5%9C%B0%E4%B8%AD%E5%8C%96
歴史的・伝統的な町並みがよみがえることで、地域経済が活性化される。
埼玉県川越市の川越一番街では、電柱・電線によって隠れていた蔵造りのまちなみがよみがえり、それまで年間150万人であった観光客数が400万人に増加している[4]。
三重県伊勢市のおはらい町では、電柱・電線によって破壊されていた伊勢の伝統的な木造建築の町並みをよみがえらせた。この結果、1992年に約35万人まで落ち込んでいた通りの往来者は、1994年に200万人に急増し、2008年には400万人を超えるようになった[4]。
追記:指摘があったので訂正します。「唐の頭」とは正確にはヤクの毛の兜飾りのことです。武田信玄や石田三成が描かれるときに、よく兜に付いているカツラみたいなやつのことですね。珍しくて高価なものではあるのですが、三河武士のあいだでやたらと流行っていて、十人いたら七・八人はヤクの毛をつけていたらしいです。というのも、ヤクの毛を大量に積んだ貿易船が難破して三河に漂着したから、棚ぼたで手に入れたんだとか。そら「過ぎたるもの」と言われますわ。
「本多平八」とは徳川四天王のひとり、本多忠勝(1548生)のこと。
三方ヶ原の戦いに先立つ一言坂の戦いで、退却する徳川軍の殿を本多忠勝がつとめた。
治部少は石田三成(1560生)のこと。
「島左近」(1540生)はもともと筒井氏に仕えていた武将で、一説には当時の三成の禄高の半分である二万石で召し抱えられた。
関ヶ原の戦いで討ち死にしたが、敵の足軽が後々まで悪夢に見たというほどの戦いぶりだったという。
「佐和山城」は三成が改修した城で、五層の天守閣を備えた立派なものだったが、中に入ってみると極めて質素な造りだった。
「白隠」とは「臨済宗中興の祖」と言われる高僧・白隠慧鶴(1686生)のこと。
大量の書画を残しており、その作風は荒々しくバランスの崩れたものだが、それが逆に迫力を生んでいるとして現代でも人気が高い。
「津軽屋敷」とは、本所にあった津軽藩の広大な江戸屋敷のこと。
火災のときに版木ではなく太鼓を叩くのが「本所七不思議」として知られている。
「炭屋塩原」とは、炭団を改良して一代で豪商となった炭屋の塩原太助(1743生)のこと。
明治期には「塩原多助一代記」として立身出世物語が語られ大人気となった。
亀山とは、現在の三重県亀山市にあった、東海道の亀山宿のこと。
「伊勢屋蘇鉄」とは、亀山宿の旅籠・伊勢屋の庭にあった蘇鉄の名木のこと。
「京口御門」とは、亀山宿の西端、つまり京へ向かう道に作られた門のこと。
坂の頂上に建てられ、下から見上げると壮観だという。
祖父が江島生島事件の江島の弟だったため甲斐に流罪となり、南柯は甲斐で生まれて岩槻藩士の養子となった。
儒学を学んだ南柯は、藩の要職を歴任し、隠居後は私塾・遷喬館を立ち上げて子弟教育に努めた。
「時の鐘」とは、城下に時を告げるために1671年に設置された鐘のこと。
改鋳されたものが現在まで残っていて市指定有形文化財となっている。
「鳶の薬缶」とは「薬缶平」と呼ばれた幕末の火消し・平五郎のこと。
本職は鳶職人で、頭がハゲていたので「薬缶」と綽名されたらしい。
「原宿の山車」とは、青山熊野神社の祭りで使われる山車のこと。
「延寿太夫」とは、歌舞伎の伴奏音楽として発展した浄瑠璃「清元節」を創始した、初代・清元延寿太夫(1777生)のこと。
「鶴屋南北」とは、「大南北」とも呼ばれる歌舞伎狂言作者、四代目・鶴屋南北(1755生)のこと。
一関藩は、仙台藩から分知されて成立した小藩で、現在の岩手県一関市にあたる。
「時の太鼓」とは、城下に時を告げるための太鼓のことだが、これは幕府から特別に許可されたもので、鐘ではなく太鼓が設置されるのは非常に珍しかったらしい。
「建部清庵」(1712生)は蘭学を学んだ名医で、『解体新書』で有名な杉田玄白の盟友であった。
これは加藤家が改易されたあとに熊本藩に入った細川忠興の評らしい。
八代城は、熊本県八代市にあった城で、1622年に完成したもの。地名から「松江城」とも言う。
熊本藩の本城はかの熊本城であり、一国に二城あるのは特例である。
その気兼ねもあったのか、城は未完成で放置されており、天守閣だけは壮麗だったというが、それも1672年に落雷で消失した。
「乞食の松」とは、「浜のお茶屋」とも呼ばれる松浜軒庭園にあった松のことらしいが、詳細は不明。
保土ヶ谷とは、現在の神奈川県横浜市にあった、東海道の程ヶ谷宿のこと。
「苅部清兵衛」とは、その程ヶ谷宿の本陣・名主・問屋を務めた苅部家の当主が名乗る名跡のことで、地元の名士として代々慕われたという。
「花見寿司」は程ヶ谷宿の名物で、現在でもその伝統を引き継ぐ店があるとか。
挙母城は、三河・尾張・美濃・信濃・遠江・伊勢・近江が見えるということで七州城とも呼ばれ、「大手御門」とはその立派な正門を指している。
「海老名三平」とは、挙母藩の剣術師範役に代々指名された海老名家当主の名跡で、落語家のことではない。
「だんじり祭り」は全国でも有名なお祭りで、1703年から始まったという。
「千亀利のお城」とは岸和田城の別名で、五重の天守に総構えの立派なものだったが、天守閣は1827年に焼失している。
松平定信に「昌平坂学問所で朱子学を教えるべき」と訴え、これが「寛政異学の禁」の原因となったという。
京都に出て絵を学び、仙洞御所の屏風を描いている。西山拙斎とは親友同士だった。
川ではなく道に掛かっていて、立体交差となっているのが特徴。
「にっかり」とは、刀剣乱舞でも有名となった名刀「にっかり青江」のこと。
「茶壺」とは、二代目藩主・京極高豊が好んで収集した、陶工・野々村仁清の茶壺のこと。
「多賀越中」とは、京極家の筆頭家老を代々務めた多賀家当主の名跡。
三原とは、広島藩の支城である三原城があったところで、現在の広島県三原市のこと。
その「過ぎたるもの」とは、まず石高のわりに壮麗な「三原城」。
三原城主であり広島藩筆頭家老であった浅野忠真(1618生)に、徳川家光の娘・月渓院が一目惚れし、駄々をこねて彼の側室に入ったために使用を許可された「葵の御紋」。
日光東照宮の工事にあたって、難所をわずか十日で仕上げて称賛を集めた家臣「鈴木方衛」の三つだそうな。
「過ぎたるもの」とは、藩政を改革して名君と謳われた藩主の「板倉勝明(1809生)」。
第六代安中藩主・板倉重形のときに作られたという、城下に時を知らせるための「安中様のお太鼓」(一ノ関だけの特別扱いだったはずでは…!?)。
「火ノ見半鐘」は江戸で最も高いと言われる火の見櫓があったから。
「岡の桜」は、御番医師・岡仁庵の屋敷に植えられていた大きな枝垂れ桜のこと。
「更科の蕎麦」はそのまま更科そばのことで、蕎麦御三家の一つである蕎麦処・更科が永坂にあったことにちなむ。
「表御門」は、三大陣屋と呼ばれる飯野陣屋の門のこと(か?)。
「森要蔵」(1810生)は幕末の著名な剣豪で、保科家に剣術指南役として仕えていた。
森要蔵は藩に召し抱えられたあと、近所の麻布永坂・岡仁庵の屋敷の一部を間借りして道場を構え、
更科そばの初代も、この屋敷に反物商として出入りしていたところ、
蕎麦を打つのが上手いということで藩主から蕎麦屋になることを勧められ、
同じく麻布永坂に店を出した、という縁がある。
奈良生まれの儒学者・森田節斎の言葉であり、高取とは現在の奈良県高取町にあたる高取藩のこと。
「山のお城」は高取城のこと。
日本国内では最大規模の山城で、その白漆喰が輝く様を「巽高取 雪かと見れば 雪ではござらぬ土佐の城」と評した言葉が残る。
「谷の昌平」とは、幕末の儒学者・谷三山(1802生)のこと。
若年の頃に聴力を失うが、勉学に励んで大成し、高取藩に召し抱えられて尊王攘夷を説いた。
新城は、現在の愛知県新城市にあたるが、「新城藩」は藩主が安中藩に移封されたため1645年に消滅、代わって旗本の菅沼氏が入った。
「前の小川」とは、新城陣屋の堀へ水を引き入れるために作られた運河のことらしいが、現在は存在しない。
「太田白雪」(1661生)は、地元の名家の生まれで、松尾芭蕉門下の俳人となった。
「刻の太鼓」は、例によって城下に時を知らせるための太鼓のこと。
「関の鉄砲」とは、関之信が開いた「関流砲術」のことで、その宗家は土浦藩の鉄砲指南を代々務めていた。
下総は下総国のことで、現在の千葉県北部と茨城県西部のあたりを指す。
「久保木蟠龍」とは、儒学者の久保木清淵(1762生)のこと。
伊能忠敬と親交が深く、忠敬亡き後は大日本沿海輿地全図の完成を手伝った。
「正次」と「興里」はどちらも鍛冶師で、刀を打たせれば正次が、兜を拵えれば興里が優れていると言われていた。
そこで正次の刀で興里の兜を斬ったところ、兜は両断できなかったが欠け、刀には刃こぼれがなかったため、引き分けということになった。
しかし実のところ、興里は兜が割られないよう小細工をしており、それがなければ正次に負けていただろうと分かっていた。
悔しがった興里は刀を打つようになり、後に「長曽祢虎徹」として知られる名工となった、という伝承があり、歌舞伎の演目になっている。
「正次」は志摩兵衛正次という名らしいが、こちらはよく分からない。
「佐野の桜」とは、旗本・佐野政言の屋敷にあった見事な枝垂れ桜のこと。
「塙検校」は塙保己一(1746生)のことで、盲人として検校にまでなりながら、著名な国学者でもあった。
秋元とは、現在の埼玉県川越市にあたる川越藩主の秋元喬知のこと。
「無の字の槍」とは、藩祖・泰朝が家康から賜った十文字槍のことで、鞘に「無」の金文字があった。
「岩田彦助」(1658生)は、川越藩の家老を務めた儒学者のこと。
「河原布衣徒」は河原にいる乞食のことと思われるが、芸が上手かったことを言っているのか、よくわからない。
「千秋の寺」はそのまま千秋寺のことで、昔は二十余棟からなる大伽藍があったが、戦火で失われたらしい。
「不動並木」とは、谷田部藩主・細川興昌(1604生)が植えたもので、沿道に二百本ほどの松が並んでいたというが、現在はない。
「広瀬周度」(1782生)は、杉田玄白門下の蘭学医でありつつ、画家としても活躍したという人物。
「飯塚伊賀七」(1762生)は発明家で、自宅の向かいにある酒屋まで往復するからくり人形や、人力飛行機などを作っていたという。広瀬周度から蘭学の知識を得ていたとも。
徳山は、長州藩の支藩で、現在の山口県周南市のあたりにあった徳山藩のこと。
「藩主墓所」は、徳山藩毛利家の菩提寺である聚福山大成寺にある歴代当主の墓所のこと。
超能力者は世界中のいたるところにいる。超能力者はあらゆる物事を透視できるが、聞こえた内容をそのまま喋れば名誉毀損になりかねない。雑談のフリをして重大な情報を示唆することもある。
そんななか、増田は埼玉県の川越市の超能力者に『平成くん、さようなら』の感想を語ってくださいと依頼したところ、重大な示唆を得ることに成功した。
──古市さんは続編を書くのでしょうか?
「構想はあるんじゃないかしら。」
「まず『私』の家が火事になるところから始まります。数日前からホームレスのような男に後をつけまわされていたのだけれど、『私』は、まあそんなこともあるかと思って放置していたの。そしたらそのホームレスが家に火を放ってきたの。」
──それは衝撃ですね。
「玄関が燃えて逃げられなくなった『私』は自分の人生を振り返ります。そして安楽死した平成君や猫のミライの顔を思い浮かべるの。こんな死に方をするなら安楽死しておけば良かったって、心底後悔するのよ。」
「私が透視したところ、古市さんは安楽死について『どうでも良い』と思っているようね。平成が終わるから安楽死したいって意味が分からないでしょう。それに、あの小説から人間が死を選ぶとはどういうことかっていう根源的な問いは感じなかったわ。あとで医療費とかの問題にからめて安楽死をもっともらしく語ってもダメ。私には分かっちゃうんだから。」
──古市さんが聞いたらキレそうですね。
「ま、面白い話を書きたかったんじゃないかしら。たしかに面白かったわよ。」
「『私』は間一髪のところで消防士に助けられます。それがまた無骨で良い男なのよ。平成くんとは違った良さがあるの。平成くんが死んじゃって寂しいこともあって、電話番号とかを交換したいと思うんだけれど、まあ、ムリよね。しばらく悶々とした日々を送ったあと、ふっきれて消防署のまわりを歩きまわってブログに書いちゃうの。ブログの記事中には散歩をしたって書いてあるんだけれど、写真には毎回消防署が写っているの。最後には出入りする消防士の顔写真が撮れるんだけれど、本人に気づかれて削除してくれってメールが来るのよ。」
──ストーカーですか。
「それで、削除はするんだけど『イケメンですね』って返信して、メールのやりとりが始まるの。消防士のほうも火事のときに救った女の子だとは知らずにメールのやりとりを続けるのよ。」
──どんな結末になるんでしょうか。
「古市さんに悪いからすべては書きません。ひとつだけ約束して欲しいのは、予言が外れても気にしないこと。超能力なんてアテにならないから。」
──ありがとうございました。