はてなキーワード: プリエとは
マ・プリエールが混在している
このあたりがそのへんの説明なのかな
https://bijutsutecho.com/magazine/series/s22/21006
現時点においてアンディ・ウォーホールの著作物の使用は部分的にフェア・ユースと見なされている、イコール、著作物の引用はアンディ・ウォーホルの思想の表現に必要だったツールであり、原著作の翻案でもないと理解した。
AI規制派のなかでそのような創作を行っていればよかったのかもしれないけど、実際には翻案権、同一性保持権の範疇で説明可能な二次創作しか行っていないと思われるので、たぶんアンディ・ウォーホルの例はあたらないのではないかという理解。
元増の意匠権というのも本人が言うとおり無理筋なんじゃないかなと思った。自分の理解だと意匠は著作物を保護するための二次的な仕組みなので、原則としてほぼ著作者と同一であることが期待値なのかなと思う。原作者と異なる二次創作者が意匠権を認められる具体例が想像できない。
30代前半男性。柔軟性はほぼない。思い立ってストレッチをはじめてちょうど一年。わかったことを書いていく
・ストレッチを続ければ柔らかくなり続けるわけではない
これは衝撃の事実だった。その部分を頻繁に使っていないと、あるいは使いすぎるとすぐに固くなり、翌日のストレッチはまたゼロからのスタートになる。バレエダンサーが柔らかいのは、踊りによって各部位を使っているからなのだなあと学びがあった
股関節がとにかく硬い。でも股関節ストレッチだけしても焼け石に水であった。これは体幹の筋肉がないと正しい姿勢にならないので股関節がちゃんと使えていなかったせいである。股関節を柔らかくするために必死に筋トレしていた。ここでバレエの基本動作
筋肉量に対して重量が重すぎる場合、つまり太っているとやはり正しい姿勢が取りづらくなり腰や股関節、膝などに負担がかかっていく。慢性的な腰痛の原因は脂肪だったというね。柔らかくするために必死にダイエットした。そういえば太ったバレエダンサーとかいないもんな。
撃ち合いの強さだね。ミクロ面での強さと言ってもいい。1対1や1対多数で相手を倒せる個人技の強さって感じ。
マクロ面は全体的な攻め方、守り方。チーム全体での連携力や対応力がどうかって話になる。
5人対5人のゲームなので、チームとして対応できずに有利を作られた場面でも、1人が3人4人と倒してしまえば一気に形勢が逆転する可能性がある。敵5人全滅でそのラウンドは勝ちなので。
基本的にアサルトライフルならヘッドショット1発で敵を倒せるゲームなので、行動予想の正確さ(いわば勝負勘のようなもの。ピークのうまさやプリエイムの正確性に関わってくる)、銃の扱いのうまさ(エイムやリコイルコントロールの正確性、あとはフリックエイムの速さと精度)この辺りが重要になってくる。
確かに、言われる通りピカソ、ビートルズも過去のオリジナルの上塗りだと思う。
ただ、悲しいがなそれらは時代が進むにつれてオリジナルからコピーへと進化し続けるしかない。
近現代の技術発達に伴いもうオリジナルがどうとか盗作がどうとかいう時代ではない。
過去にトリスタン・ツァラが唱えたダダイズムから生まれた、デュシャンのレディメイドにしても既製品という概念をオリジナルと捉え、それを開き直って芸術としか呼んだ。創造は概念として独り歩きし始めたのだろう。ましてや写真や映画は複製芸術という言葉通りオリジナルの芸術作品なんてものは、今の現代はほぼ存在しない。ご存知の通りそれらを皮肉ってアプロプリエーションという表現もある。
オリジナルが正しいという概念を捨て、オリジナルに過去の作者の人生観や経験、普遍的観察を植え付けて概念を形や文章にして創り上げていくことが現代の創造であると個人的には考える。
バールアームズ99Fまでいった
でもそのおかげでATKが200万くらいになってたwwwうほwww
ダメージも300万→3億とかwww
調子にのって修羅100Fでバールストーン盗もうとしたら99Fのゲートキーパーつよすぎて倒せなかったwww
300万くらいのダメージを数回与えてもまったく死なないから、無敵ジオシンボルなのかなと思ってHPみたら4000万くらいあったwwwそりゃ無理だわwww
あきらめてぷりにがーX轟でレジェンドアルカディア目指すことに
レア利ティ2だったから残念だったけど、アルカディア、トラペマックスにしたあとで盗みなおすか、ユーザーから無敵スーツ盗むからロボスーツはそこまでこだわってない
とりあえずトラペのためのアルカディアだ
こないだ1体しかいないときに30分近くギブロしてたのがほんと時間の無駄だったなこう考えると・・・
アルカディアは2回失敗した
せっかくレジェンド出て盗んでもそのあとうまく8体をまとめきれずにバールアームズもったプリエがやられてなくなくリトライってのを1回、同じ技きかなくなること忘れてプリエやられたの1回
でも災い展示てなんとやらという感じで、最後盗めたのがレア利ティ0だったからラッキーだった
じゃあもぐりますかと思ってATKSPDとかHPSPいがいのやつつめて10Fまでもぐったあとで、「いやアルカディアって所詮通過点でしかないから、トラペと同じように全部満遍なく育てること考えなくていいんじゃないの」って思ってATK1本にしぼることにしてやりなおすことにした。
うまくいきゃあアルカディア複製するだけでテキセイオチールと組み合わせてユーザーから育成済みトラペ盗めるようになるかもだしな
結局まだ4R続けてる
修羅いきたかったけど条件厳しそうだしなあ・・・でもとりあえずちょっとだけやってみて無理だったらあきらめるか
くらいの感覚でにゃんこ探しにいったら斧もどきイノセントルートの90階でぽろっとでた
でも地域振興券がない・・・と思ってたら不思議な小部屋を確実に出せる方法があったからそれで何度もリトライして出した
んで修羅だすために必要な裏面もwiki参考にしてさくっとクリアして修羅開放
転生がクソはかどるわ
1攻略時はクルルっつう攻略サイトで、転生によるステ底上げよりもアイテムあげるほうが効率いい、ってかかれてたけど、
4だと1回転生すりゃATK10万ずつ増えてくから割とそんなことない感じする
まあトラペ入手後は意味なくなるんだろうけど
便利なのいっぱいあるじゃん
きゃら界めんどいと思ってやってなかったけどもっとやっときゃよかったなあ
この3連休プレイしてて思ったのは艦これに似てるなあってことだな
何度もギブロしてチャレンジしてほとんどストーリーもない攻略を目指す
強いステータス目指す
運のよしあしもかなりからむ
ただあっちと違うのは一応終わりが見えててかつユーザーフレンドリーなシステムがあるところだな
チート屋の便利さしったらもう123には戻れんわ
とりあえずプリニガーXごうの2回目以降を軽く倒せるようにしたいから、まずは1回目倒したときに盗んだバールアームズを100階まですすんで強化する
それプラス魔物マスタリー+クリティカル屋+各種まびりてぃ(エトナとか?)で一発でいけるようにしたい
それがいけるようになったらアルカディアレジェンドをとって、それの100FでトラペGETするとこまでいきたいなあ
4はバールまでいきたいなー
転生はとりあえず固有キャラは5回しておいた方がいい。
天才に転生すると性能が上がるのと、固有キャラは5回転生までは1回ごとに装備適正が上がっていく。
その次の転生段階は総Lvを万単位で稼ぐ作業になるので当面は忘れていい。具体的にはLv4桁を軽々と稼げるレベルになってから。
稼ぎは7-2だったかな、敵が3x3で固まってるマップ。何回か敵強化を可決すると、敵がLv99になる。Lv99の敵は、Lv100よりも遙かに大きな経験値になる(確かLv300くらいに相当する)。練武4を1撃で倒せる攻撃力をここで確保する(Lv上げて→適当な強武器に潜る、で多分届く。ブレイブハート重ねがけで倒せるようになったらそれでしばらく頑張ってれば、そのうちブレイブハート抜きで倒せるようになる)。
キャラは拳が使えるならぶっちゃけ誰でもいい(拳技、というかビッグバンがないと稼ぎ効率が落ちる。弓を使わせる場合ですら、拳でレベル上げて弓持たせた方が手っ取り早く育成できる)。モンスターを育成するならウッドゴーレム(魔チェンジで拳になるから)だが、人間で鍛えて転生させた方が速い。
戦闘要員は、基本、そこから先のボスは一撃で殴り殺すか一撃で殴り殺されるかの勝負になるので、戦闘要員はひとりでもいい。アイテム界を考えると最強のひとり+適当にその半分程度まで鍛えたキャラ複数、とかがいいかな。職選定は、まず固有アビ。攻撃力を割合(20%とか)で上げる能力は総じて強い。あとは武器の装備適正。まあ細かい事を考えずレベルを上げて物理で殴れば全て解決するので、別におっぱいの大きさで選んでもいい。攻撃力20%アビなんぞ無くとも、レベルを上げて攻撃力を2倍にすればどうとでもなる。
あとは非戦闘要員。職ごとの特性で選ぶ。アイテム界を駆け抜けるために靴を4つ装備した飛行系(蛾とか)、相手をどかすための拳要員、Lv1でいいのでブレイブハート要員(多くても5人で十分だし、Int依存しないので職はなんでもいい)、投距離6の重騎士、辺りがいればいい(鍛える必要はあまりないが)。Jmが高い盗賊がいると便利な事もある。強敵戦は夜魔族などの割合ダウンも強い。
ディスガイア3での肉球スティックの入手法を詳しく教えて欲しいです。
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kikitu9966さん 2014/10/2023:50:47
入手方法は3つ
1.後日談のビッグスター様のステージクリア後に十紳士の議題が出現する。
十紳士の議題を可決し、十紳士のステージすべてをクリアすると入手できる
2.後日談のアクターレのステージに登場する敵が装備しているので盗む
3.アイテム界に出現する猫猫界賊団の敵が装備しているので盗む
猫猫界賊団に関しては運がからんでくるので1.2.の方法をオススメする
1、マオ(ヴァサアエグルンが使えるし、捕獲レベルにも影響する)
4、盗賊(レベル9999にしておけばどんなアイテムでも盗めるから)
5、アクターレ(ラヴダイナマイツが錬武4稼ぎに適してるから)
6、ラハール(鍛えたら最強のアタッカーになるし、マオと魔王コンビということで)
7、賢者(アイテム界で不利なジオ効果があってもジオチェンジでなんとかなるから)
僕は数年来のにわかボクシングファンだけど、年末ボクシング商戦とTBSの現状について語ろうと思う。
まず、確認しておきたいのが日本ボクシングの歴史において、現在は非常に盛り上がっている時期だといえる。
理由としては、日本の総合格闘技の凋落と日本人ボクサーの世界における相対的なレベルの向上が挙げられる。
00年台の日本格闘技といえば、総合格闘技全盛だった。立ち技系のK-1と寝技ありのPRIDEという2大団体だ。
かつてはこの2大団体が興業としても、選手のレベルも世界でトップクラスだった。そのため、年末の格闘技放送は総合格闘技+泡沫色物プロレスがメインだった。
しかし、ヤクザ問題やUFC等海外団体の台頭など色々あった結果、K-1もPRIDEも消滅した。後発団体ももはやかつてのそれほどの求心力は持ち合わせていなかった。
そして、時期を同じくして日本人ボクサーのレベルは急上昇した。
かつてはファイティング原田や浜田剛史、具志堅用高など日本人ボクサーのレベルは世界の中でもレベルが高かったが、日本人ボクサー冬の時代が訪れていた。
世界的にはボクシングチャンピオンというと、各階級ごとに4つの団体があって、その一つを保有することで世界チャンピオンになれる。
WBA、WBC、WBO、IBFの四団体で、さらに暫定王座やスーパー王者などがあり、世界チャンピオンは階級に一人ではないのだ。
冬の時代のボクサーはこのうち最も弱いチャンピオン(俗に穴王者と呼ばれる)を狙って世界戦をしていた。
それでも勝ち切ることができなかった。勝ったとしても、防衛戦が待っている。そこでも弱い相手を迎えるのだけれど、負けてしまうことが多かった。
日本人チャンピオンの数は冬の時代に比べて格段に多くなり、さらに防衛戦でも勝ち続けているのだ。
それだけにとどまらず、世界戦で強い相手と試合をすることがとても多くなった。
軽量級世界最強と呼ばれるローマン・ゴンサレスとマッチメイクをした八重樫東の世界戦は記憶にあたらしい。
それは、今の世界ボクシングの風潮がビッグマッチ思考といって、世界王者であるということよりも、実力者に勝つことが重視されることもあるだろうし、アジア人のマニー・パッキャオが世界トップクラスのボクサーとして評価を受けていることもあるだろう。
日本人の西岡利晃がメキシコでジョニー・ゴンサレスを、ラスベガスでラファエル・マルケスを破ったこともあるだろう。
なにはともあれ、日本におけるボクシングの注目度は今世紀最高であるといっても過言ではない。
さて、こうしたわけで年末の格闘技には当然ボクシングが放送されるわけだが、テレ東、フジ、TBSの3局がボクシングを放送する。
TBSが育てたチャンピオンとして最も有名なのが亀田兄弟である。
放送権をTBSが囲い込み、対戦相手は徹底的に弱い相手を選ぶ。後はキャラクターと試合前の煽りVTRで視聴率を取る。
試合は日本で行われ、判定に持ち込めば地元判定と謎の疑惑判定で有利に戦う。これぞボクシングの黒い部分だ。
しかし、亀田兄弟はやり過ぎた。日本ボクシング協会の逆鱗に触れ、日本追放された。
手持ちのボクサーが失われたTBSは新たな手駒として井岡一翔を中心とした井岡ジムの囲い込みに出た。
井岡一翔は若手の中でも実力者で、ファンの中でも評価は非常に高かった。かつては。
しかし、井岡一翔もTBSボクサーに成り果ててしまった。マッチメイクは段々とレベルが落ち、弱い相手としか戦わなくなった。
その上、弱いと思った相手が想定外の奮闘をした結果、一方的な内容で負けてしまった。なぜか判定は僅差の判定だったが。
そのTBSが、ボクシングを愚弄しているとまで言われたTBSが、年末にギレルモ・リゴンドーの試合を放送する。
これはかつて東京でマイク・タイソンが世界戦をした以来であると言っても過言ではない。スター性は別だが、傑出度とクオリティという意味では間違いないだろう。
ここでギレルモ・リゴンドーの紹介をすると、アマチュア時代にあらゆる大会で勝ちまくり、キューバから亡命して鳴り物入りでプロデビューした。スター候補としてだ。
その目論見は半分はあたった。リゴンドーはプロのリングでも無類の強さを見せ、かつて日本人ファンの期待を一身に背負った西岡利晃を寄せ付けなかったノニト・ドネアを完封した。
この一試合でリゴンドーの名は軽量級最高峰として轟いた。かに見えたがリゴンドーはスターにはなれなかった。
その試合内容があまりに堅実で、テクニカルで、盛り上がりに欠けたからである。
打たれずに打つというボクシングの本質を体現したリゴンドーの試合はその完成度と裏腹にエキサイトできないものであった。
結果的にリゴンドーはアメリカのスター戦線、ドル箱スター街道から干されてしまった。ショービジネスの悲しい側面である。
あのリゴンドーが地上波で見られるというのは恐ろしいことである。
あろうことかこの放送をスポーツバラエティ番組とバーターにしてしまう所がTBSのTBSたる所以なのだ。
井岡は名も無きロートルとノンタイトルマッチを組み、リゴンドーは名前も出ない。もう一試合にはノーコメント。
せめて井岡だけでももっとエキサイトできるカードを組めば、年末ボクシング商戦で頭一つ抜けられるところだろう。
ボクシングなんて野蛮なものは見ないというはてなユーザーに年末の注目カードを伝えておく。気が向いたら見て欲しい。
日本人最速世界王者に加え、マッチメイクが素晴らしい。強い相手としか戦わないという宣言通り、強い相手と戦い続けている。今回のナルバエスも王座11度防衛の強敵だ。
そして八重樫東。軽量級最高峰との呼び声高いローマン・ゴンサレスと戦い散るも、その勇姿はファンの心を踊らせた。回転の早い連打に注目が集まるが、フットワークを使ったアウトボクシングが光るスピード溢れる選手だ。
ホルヘ・リナレス(これ放送するのか?)は日本人に馴染みが浅いが、幼い頃から日本のジムで練習を積んでいる。ハンドスピードが早く、スタイリッシュなボクシングを展開し国内では敵なし。海外でも有力選手を退け、スター街道を歩むかに思えたが、打たれ弱いのが玉にキズ。イケメン。
そしてリゴンドーだ。天笠選手はここでいい結果を出せば一気に世界に名が広まる晴れ舞台だ。
さて、年末が楽しみですね!
「フランス革命は、平民(第三身分)が旧体制を打破した革命である」
のように説明されることがあります。この説明は間違っているわけではありませんが、「平民」という均質な集団が一丸となって何かをしたかのような誤解を与える点で、フランス革命の内容を分かりにくくもしています。
平民(第三身分)は、農民や都市の下層住民を総称した民衆と、民衆よりも裕福な中間層であるブルジョワからなります(職人を雇わずに家族だけで仕事をしている親方や店主ぐらいが下層のブルジョワと民衆との境界層です)。しかしブルジョワと民衆は意識の上でも利害的にもあまり仲がよくありません。
ブルジョワと民衆は協力関係にあるよりもむしろ敵対しており、それぞれ自律的に行動していたととらえる方が、フランス革命の動向が分かりやすくなります。
普通フランス革命の期間は、バスティーユが襲撃される1789年7月からロベスピエールが処刑され恐怖政治が終わる1794年7月までの5年間、またはナポレオンが総裁政府を軍事クーデターで倒す1799年11月までの10年間とされます。
しかしその当時フランスの社会構造がどのようなものでフランス革命が始まるまでどのような進展があったを知っていた方が、フランス革命の推移もわかりやすくなります。
わかりやすくなるのですが、ここではバッサリはぶきます。ブルジョワと民衆がそれぞれ自律的な勢力であるという複合革命論の考え方を前提にして書かれた
などを読んでみてください。
があります。こちらのタイプの説明の方が分かりやすいという人もいるでしょう。
(ヴェルサイユで開かれた全国三部会は、第三身分の強硬姿勢により憲法制定の議会に変身し、バスティーユ襲撃後の国内混乱を利用し封建的特権の廃止に至ります)
1789年5月5日にヴェルサイユ(パリから約25キロ)で始まった全国三部会は、採決形式でもめ審議に入らないまま紛糾します。第三身分が強硬姿勢を崩さず、特権身分の中にも第三身分への同調者が出たこともあり、7月9日に憲法制定国民会議として再出発します。
しかし7月11日に第三身分に融和的な財務長官ネッケルが罷免され、これがパリが伝わるとパリ市民は王の軍事行動が近いと恐れ、自衛のための食料調達武器調達に動き、焼き討ちや略奪が発生します。富裕市民は政府軍隊への対抗と秩序維持のため常設委員会を設置し民兵を組織します。
7月14日にはバスティーユの要塞に武器の引き渡しを求めて民衆が殺到し、バスティーユ内で交渉が続くさなか襲撃が始まり、バスティーユは陥落します。市庁舎まで連行された司令官ドローネーは群集に引き込まれて殺され、市長フレッセルも射殺されます。
新たに組織されたパリ市政当局とブルジョワの民兵(国民衛兵)を国王政府は追認せざるをえず、他のほとんどの都市でもブルジョワが市政の実権を握ることになります。
一方バスティーユ占拠の報を受けた農村では、貴族が浮浪者を雇って報復をおこなうという噂が広がり、その恐怖から各地で領主の館の襲撃が行われ、「大恐怖」と呼ばれるパニック状態になります。
自由主義貴族だけでなくブルジョワの議員の多くも地主であるため民衆の騒乱は早急に鎮める必要がありますが、正規の軍隊に頼ることは王や保守貴族の立場を強めることになるのでできません。そうしたなか8月4日の決議が行われます。
8月4日閉会後の夜に抜き打ち的に再開された議会で、自由派貴族によって領主特権の廃止が提案され、熱狂的興奮のなか課税特権の廃止など諸特権の廃止が次々と宣言されます。大恐怖の圧力を利用して封建的特権の廃止に成功し、農民の騒乱も沈静化していきます。
これで憲法の議論が進むようになり、8月26日には人権宣言が採択されます。
しかし王は特権廃止の法令も人権宣言も批准せず、9月末には治安維持の名目でヴェルサイユに軍隊を集結させます。
10月5日に食糧危機を訴えるパリ民衆がヴェルサイユに行進し国民衛兵がそれに続き、民衆は窮状を訴え国民衛兵は王に圧力を加えます。王は法令と人権宣言を批准、翌日には王一家はパリのテュイルリ宮に移されます。続いて議会もパリに移り、ここから憲法と法令の議論が本格化していきます。一方で亡命する貴族が増えていき、国内の政治分裂も本格化していきます。
(91年半ばまではフランス革命期としては平穏な時期ですが、この時期に国内の対立が進んでいきます。また国王の逃亡未遂が発覚するヴァレンヌ逃亡事件(91年6月)によって王の威信が失墜し戦争を望む声が高まります)
議会がパリに移り、諸特権廃止の内容や具体的な法律が決められていきます。ヴァレンヌ事件が起こるまで比較的平穏とされる時期ですが、国内にさまざまな対立が生じていきます。
1789年後半から91年にかけて、議会外に政治組織が形成されていき対立の構図ができていきます。
また各地で反領主騒乱が発生していますが、そうした騒乱は徐々に革命か反革命かという政治的な枠組みで解釈されていくようになります。
さらに聖職者民事基本法をめぐって宣誓拒否問題が起こります。カトリック聖職者の多くは革命には好意的でしたが、叙任式における宣誓義務に対して大多数が拒否をします。議会からの警告が出されますが、地方によって大きくバラツキがあるもののフランス全体で約半数の司祭が拒否します。教皇ピウス6世が民事基本法を否認したこともあってカトリックは内部分裂する事態になります。宣誓拒否司祭とそのもとにあるカトリック民衆は「反革命」に押しやられ、のちのヴァンデの反乱(ヴァンデ戦争 1793年3月~)の原因の一つになります。
91年6月に国王一家がパリから逃亡し途中で発見されるというヴァレンヌ逃亡事件が起こります。
これを受けて、外国に支援された亡命貴族が攻めてくる、外国の侵略が始まるという考えが広がり、国王救出を目的とした外国人が侵入してくるという予想から国民衛兵による警戒体制もしかれます。
7月には主要な政治組織であるジャコバン・クラブが、王の廃位と共和制を要求する請願書をめぐって分裂し、多数派の穏健グループはフイヤン・クラブとして分離します。
8月にオーストリアとプロイセンが、フランス国王のために武力介入もありえるとするピルニッツ宣言を出したため、亡命貴族の陰謀説にさらに拍車がかかり、外国との戦争を望む声が高まっていきます。
そうしたなか9月3日に立憲君主制にもとづく1791年憲法が制定され、9月30日に憲法制定国民議会は解散します。
(インフレや物価上昇により食料問題が悪化し民衆の不満は増大していきます。国内の多数が開戦を支持するなかオーストリアに宣戦布告し(92年4月)、続いてプロイセンとも戦争状態になりますが、フランス軍の劣勢となります。軍事的危機と国王への不満が積み重なり、パリに集結していた連盟兵やパリ民衆の恐慌的な敵意が王に向けられ、王の廃位が要求され、8月10日テュイルリ宮が武力制圧されます(8月10日事件)。これを受けて議会は王権の停止を宣言し、新たな憲法制定のための国民公会の召集を決議します)
憲法制定議会が解散した翌日91年10月1日に、9月までの選挙で選ばれた議員達による立法議会が開会します。再選が禁止されたため全て新人議員で、貴族がほとんど選挙に立たなかったため議員のほとんどは裕福なブルジョワです。立憲君主制を守りたい穏健派のフイヤン派が議会の最大勢力、共和制を主張するジロンド派(ジャコバンクラブのこの頃の多数派)がそれに続きます。
なお同業組合や団結を禁止したル・シャプリエ法(91年6月)に抵触する恐れがあるため、政党は存在しません。そのため、どの派でもない、審議内容ごとに立場を変える中間派(平原派)が、この時期に限らず常に議員の多数を占めます。そのため派閥の議員数だけでなく、中間派の動向(またその動きに影響を与える議会外の動向)が重要になります。
また議会内の各派の勢力数自体も確定したものではなく常に流動的で、各勢力をどう呼ぶかにかんしても文章によって違うことがあります。
議会の中心的課題は、周辺諸国からの脅威にどう対処するかです。(それと穀物価格の上昇に対する価格統制の要求に対して、革命後の基本原則である自由主義をあくまで守るのか、民衆の要求を受け入れるのかも問題になっていきます)
これに対してジロンド派は、国内の不満をそらして(インフレにより物価が上昇し各地で食料暴動が発生していた)政治のイニシアティブを獲得するために「自由の十字軍」などの言葉で対外戦争をあおります。民衆の多くも「外国と共謀する亡命貴族」への脅威と愛国感情の高揚から戦争を望んでいました。
92年3月、フイヤン派の大臣が王によって解任されジロンド派内閣が成立し、4月にオーストリアに宣戦布告、数週間後にはプロイセンとも戦争に入ります(戦争はナポレオンが二度目の失脚をする1815年まで中断もありつつ続くことになります)。
しかし緒戦から敗戦が続き、「反革命」者へのより強力な措置を求める声や宮廷への不信から共和制を求める声が高まっていきます。またセクション(区)の政治活動を通じて民衆が政治的に組織化されていきます。
そうした流れが最終的に民衆と連盟兵による8月10日のテュイルリ宮の襲撃に行き着くのですが、この事件は偶発的に起こったバスティーユ襲撃とは異なり王の廃位を求めての組織された行動だったにもかかわらず、そこに至る決定的な原因があるわけではないので要約しづらく、フランス革命の大きな転換点の一つのわりに説明しにくい事件です。
ここでは事件の結果だけ述べると、立法議会は蜂起側の勝利がはっきりした後、王権の停止を宣言し、新たな憲法を制定するための国民公会の召集を決議します。これでフランスが共和制に向かうことが確定します。また国王一家はタンプル塔に幽閉されることになります。
(戦争はフランス軍の劣勢から優勢に変わり周辺領土を占領します。93年1月には国民公会の裁判結果により国王が処刑されます。周辺領土の占領や国王の処刑を原因として周辺諸国の多くと戦争に突入し、さらに国内ではヴァンデ地方を中心に大規模な反乱が起こります。議会ではジロンド派と山岳派の対立が深まっていき、国内外の諸問題への対応のまずさからジロンド派が民衆の支持を失い、93年6月ジロンド派は逮捕、議会から追放されます)
8月10日に王権が停止しますがフランス軍が劣勢の状況にあることは変わりません。義勇兵がつどわれ前線への準備がなされる一方、反革命、裏切り者を排除する空気が広がり、家宅捜索がなされ多くの反革命容疑者が逮捕されます。さらにパリへの侵攻の脅威が高まり、義勇兵が出発したあと反革命者がパリ住民を虐殺するという噂も流れ出します。
そうした不穏な情勢のなかヴェルダン要塞陥落のニュースがパリに届きます。これをきっかけとして、囚人の多くが殺されるいわゆる九月虐殺が発生します。
この事件の結果、内の脅威が消えたと民衆が大挙して義勇兵に参加し兵数万を増やすことになります。
一方、この事件は国外からの印象を非常に悪いものにします。宥和政策を取っていた隣国スペインの首相も宥和政策を撤回せざるをえなくなり、またフランス革命開始時には革命に好意的だった知識人たちも国王一家の幽閉と九月虐殺で決定的に革命嫌悪に転じます。
戦況にも変化が生じます。フランス軍はヴァルミーの戦いで勝利し、戦況が優勢に転じていきます。なお多くの本でこの勝利はフランス兵の志気の高さによるものと説明されていますが、志気が影響するような戦いではなく兵と砲台の数の差によるものといった指摘もあります(たとえば『近代ヨーロッパの情熱と苦悩』)。
普通選挙でしたが投票率は悪く、ほぼブルジョワ議員で占められています。フイヤン派は出馬していないので議会におらず、共和制穏健派のジロンド派と共和制急進派の山岳派、それに中間派という構図です。(ジロンド派がジャコバンクラブを脱退していくので、山岳派=ジャコバン派とも呼ばれます)
ジロンド派は経済的・政治的自由主義を維持し議会主導で政治をおこなうという近代的な原則をあくまで重視し、山岳派は革命の推進と防衛のためには民衆の要求も受け入れ民衆運動の利用もありと考える現実路線です。
……とまだまだフランス革命の時期は続いていくわけですが、予想外に長くなったので中途はんぱなところですがここまでとします。
93年1月に国王が処刑され、6月ジロンド派の追放で山岳派の一党独裁(ただし基盤の脆弱な独裁)になり、恐怖政治の時代が翌94年7月まで続き、ここで一区切りとなります。
先日、池袋のヤマダ電機日本総本店に、友人のiPhone5購入(MNP)の付き添いで行った。
iPhone5購入受付の最中に突然、みまもりケータイ、フォトビジョン、プリペイドケータイの説明をしだし、当惑した友人が、「これタダでくれるんですか?」と聞くとそうですと答え、基本使用料が二年間無料ですという。フォトビジョン、プリエイドケータイも同様であった。店員の説明によると、みまもりケータイ二個とフォトビジョンとプリペイドケータイが無料でついてくるということであった。
その後、私は、友人と一旦分かれ、友人が商品受け取った後、合流した。
その後、友人宅で、契約書等の控えを確認すると、店員から全く説明されず見覚えもない、みまもりケータイらの契約事務手数料と本体端末代金、プリエイドチャージ料が記載がされており驚愕した。
無料でついてくると説明したにもかかわらず、本体端末代金が割賦として請求される仕組みになっているのかとひどく驚いた。友人は、今後店舗及び、softbankと交渉する予定だという。
付き添いの私及び友人に不注意だったことは間違いなく、猛省すべきであろう。契約にあたり会話録音等を怠り証拠を作れなかったことも悔やまれる。
ただ、友人に非があったとも言えず、代理店側が非常に悪質だと言わざるを得ない。
私自身もsoftbankでMNPしようと考えていたところであったから、非常に考えさせられた。またネット検索等すると、友人の同様の事例が散見される。softbankの顧客に対する姿勢に疑問を感じる。正直なところ、顧客を馬鹿にしているとしか思えない。
私は今後softbankを利用することは一生ないだろう。残念ながら、softbankという文字、CM等見る度不快な気分になってしまう。
友人や周りの人にもsoftbankだけはやめておけと忠告したい。
ただ、ケータイキャリア3社とも顧客をバカにしているという点では、同じなのかもしれない。先日auの不実表示もあった。わかりにくい料金体系、選択肢の少ないパケット定額制、なかば強制される不要なオプション契約など、顧客、特に知識の少ない者から、搾取しているといわざるをえない。
最近は、MVNOが増加してきており選択の幅広がってきているが、モバイル関連に詳しくない一般人が利用するにはハードルが高いし普及していない。
どこか、ケータイキャリア買収してより顧客の側にたったサービスを展開してくれないかな。あと、国内でSIMフリーiphoneを販売する会社とかも出てきて欲しい。