「草間彌生」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 草間彌生とは

2019-10-16

近い未来草間彌生iPhoneプロダクトデザイン担当するってマ?

背面一面がカメラになるけど草間デザインから違和感は無いってマ?

2019-10-01

前衛芸術に国が補助金を出す意味ってあるの?

商業的に成立しなくなった伝統工芸継承・保存するために補助金を出すのはまだわかる。そういうのは国が補助金さないとロストテクノロジーになってしまう。

でも前衛芸術補助金出してまで保護する必要ってあるのか? 今は商業的に評価されなくても芸術的な価値が高いものが、補助金受けてる展示の中にあるのか?

ゴッホピカソが国から補助金貰ってたとは思えないし、そこまでいかなくても岡本太郎草間彌生補助金で食いつないでた時代があるとも思えない。

市場で高く評価されて高価なアート公立美術館が買い付けるために補助金を出そう」という話ならわかるけど、「作家を食わせるために補助金を出そう」という話はさっぱり理解できない。

2018-11-12

ナチスデザインかっこいいんだよな

赤白黒。かっちりしたデザイン。かっこいいんだよなあ

でもナチスが出使ったからもう使えない。永久欠番意匠権保護永遠ちょっとでも似てたらダメ草間彌生をパクれる中国ですらナチスはパクれない。悔しい。赤白黒のカッチリデザインを返せよ

2018-10-26

現代美術のわからなさって

たとえばデュシャン便器バンクシーシュレッダーアートなのに、草間彌生の偽物展覧会アートと見なされないことだったりする。

偽物展覧会だっていくらでも屁理屈つけて意義を見いだせるはずなのに(作者とは何かという根源的な問いだとか、資本主義に対する痛烈な批判だとか言えばいいんでしょ?)、便器シュレッダーにはやっても、偽物展覧会にはやらないんだよなあ。不思議

から見てると"誰がやっているか"が重要なんだろうなと思うけど、界隈の人は認めないわな。

2018-10-19

横山由季子「ブロックバスター展は善か、悪か」を批判する

 美術手帖で連載中の「シリーズ:これから美術館を考える」の第6回、横山由季子(金沢21世紀美術館学芸員)による「シリーズ:これからの美術館を考える(6) ブロックバスター展は善か、悪か|MAGAZINE | 美術手帖」。一読して何が言いたいのか理解し難かったが、それもそのはず、書いている本人が考えがまとまらないと言っているのだった。

まとまらない考え、逡巡をそのまま書いてしまいましたが、現状を共有することで、今後の共催展、ブロックバスター展について考えるきっかけになれば幸いです。

https://twitter.com/blanche1002/status/1051094298815430659

 「考えまとめてから話せ、バカ」で済む話ではあるけど、一部好意的に受け止められている様子もあり、少しこだわってみたい。

 まず、かなり気に食わないことの一つに、ブロックバスター展について「善か、悪か」と問うている点がある。「善悪」というのは倫理道徳的価値判断であり、展覧会評価をするにあたってはなじまない言葉である。「是非」でよかったはずだ。にもかかわらず、横山は敢えて「善悪」という強い言葉を用いた。その理由は推測することも可能だが、不要から止めておく。ただ、私自身は「善か、悪か」という問いに答える気にはならないし、また応じて「ブロックバスター展は悪だ」と言っている人がいたら異様だと思う。些末な問題ではある。しかし、筆者の立ち位置や考え方が無意識に出ているように見受けられる所、注意を要する点である

 次。筆者はタイトルで「ブロックバスター展は」と議論対象提示する。そして文中で「ブロックバスター展」の定義を明確に行う。ここまではまったく素晴らしい。だが、なぜか横山は文中でブロックバスター展以外についても語り出してしまう。こんなわずか短い文章にもかかわらず、その対象を固定することすらできない。大丈夫なのか、この人?

 実際に対象になっているのはブロックバスター展と共催展である。前者も後者の一部だが、このうち60~70万人ほどを動員したものを指すと定義している。もちろんそれ以上動員した場合も含まれるのだろう。また、共催展以外でこの規模の動員は不可能と考えられる。すなわち、60万人以上の動員を記録した展覧会ブロックバスター展だと言っていい。明確だ。

共催展のなかでも、とりわけ規模が大きく大量動員が見込まれものは「ブロックバスター展」と呼ばれる。ブロックバスター展の基準について100万人以上の動員としている記述もあるが、近年ではさすがにそこまでの来場者を集めた例はないので、ここでは60〜70万人規模の展覧会ととらえることにしたい。広報会議メディア担当者と話していても、60万人あたりがひとつ分水嶺になっているような感覚がある。

 共催展一般共通するものであるならば、わざわざ分ける必要はない。だが、60万を越える規模になると、単に量の違いではなく、質の差が出るようだ。「60万人あたりがひとつ分水嶺になっているような感覚」というのはそういうことだろう。ならば、「ブロックバスター展」と呼び分けることに意味が出るわけだ。

 しかし、結局筆者が俎上に乗せるのは共催展一般であって、ブロックバスター特有問題についての指摘はわずしかない。筆者は読者にブロックバスター展のみに絞って考えて欲しいのか、それを含めた共催展一般について考えて欲しいのか不明である。というよりも、筆者自身の中で、その程度のことすら整理できていないのではないかと思われる。

 そんな筆者横山が共催展やブロックバスター展の「現状」についてどのように認識しているか批判的に捉えているか文章引用しつつ細かく見ていこう。

ブロックバスター展はその華やかな話題性によって、普段美術館に足を運ばないような人が展覧会を訪れるきっかけをつくり、美術裾野を広げているという側面もある。そのいっぽうで、やはり集客のために打ち出される広報の数々は「イベント」としての側面を強調するものであり、一過性の消費で終わってしまうのではないかという危惧がつきまとう。

 一過性の消費の何が悪いのかさっぱり分からん人生は短い割に、世界はあまりにも豊かだ。誰しもが、美術とがっぷり四つに組んでいる暇があるわけではない。すべてのことに入れ込むことはできないわけだ。学芸員成るほど美術真剣に取り組んでる横山も、例えば音楽とか、芝居とか、映画とか、ほかのジャンルに関しては一過性の消費で済ませていたりするわけでしょ? 美術に対してそういう態度をとる人たちを批判する権利なんかないわな。

そして現場学芸員は、採算性と学術性を両立させるという大きな矛盾に直面することになる。

 ブロックバスター展やそれに準ずる共催展に足を運ぶ人の多くは、作品を見に来ているのね。有名作に心踊り、傑作に胸を打たれに来てる。学術性とか、正直無くても構わないとすら思っている。

最近ではメディア側も展覧会事業にこれまでになく採算性を求める傾向にあり、10万人を動員する小規模の企画を年に何本も実施するよりも、大量動員が見込めるブロックバスター展を1本開いたほうが、労力的にも資金的にも報われるという事情もあるだろう。

 共催展の数を減らして、ブロックバスター展に集約していると読めるけど、事実なのか?

あくまでも組織としては採算性が優先されることになる

 当たり前なのでは。

ここで、そこまでの費用をかけてまで、海外作品を借りてくる必要があるのかという問いが生じるだろう。国内美術館にも豊かなコレクションがあり、それだけでも十分に展覧会は成り立つ。実際に、近年では国内の所蔵品を中心に見ごたえのある展覧会が多く企画されている。

 ブロックバスター展や美術館展など、学術性の低い展覧会批判する人って、だいたい欧米によく行っていて、そこで十分に作品を見ている人なんだよね。だから、そういった展覧会が名作や有名作を持ってきているということ自体意味を見いだせないわけだ。でも例えば、今後10年間、海外所蔵の作品を見ることを一切禁じるって言われたら、我慢できるの? できないでしょ。できないなら「国内美術館にも豊かなコレクションがあり」とか言って欲しくないよね。子供仕事で忙しい人、貧乏人、障害者、老人。誰しもが気軽に海外に行けるわけではない。そういうところにブロックバスター展の意味の一つがあると思うんだよな。弱者に優しいという点を鑑みれば、筆者の問いかけに「ブロックバスター展は善である」と答えることも可能かもしれない。

共催展の広報において差し迫った課題は、いかにして若者展覧会に足を運んでもらうかということである。とりわけブロックバスター展を支えているのは、バブル期以降の大型展に足を運んできた50代以上の世代であり、メディア側も確実な集客を見込んで、この年齢層に的を絞った広報戦略を立てることが多い。しかしながら、このような目先の集客ばかりを求める広報が続くようであれば、美術館展覧会未来はそう長くはないであろう。

 若者じゃないから分からないけど、どっちかというとやはりブロックバスター展の方が若者リーチしていて、それより規模の小さい共催展に問題がある気がするけどなあ。今なら例えばフェルメール展とルーベンス展。

近代美術の延長線上に現代美術位置づけ、両者を結びつける作業は、やはり美術館が担うべきものである。そして、村上隆草間彌生などの知名度と人気を誇るごく一部の作家を除いて、メディア現代美術展に出資することは考えにくい。美術館が主導して近代美術現代美術をつなぐ展覧会企画したり、現代美術一般へと浸透させる持続的なプログラムを行うための体制づくりや予算が求められる。

 これはブロックバスター展や共催展の問題じゃないよね。美術館学芸員が怠けていたからこういう状況になったんじゃないの? 「国内美術館にも豊かなコレクションがあり、それだけでも十分に展覧会は成り立つ」んでしょ。美術館主催粛々とやってればいいのでは。

数十万人の来場者を想定したブロックバスター展の場合、あまり大胆な切り口を提示することは難しく、個展であれば年代主題ごとに画業をたどるようなオーソドックス構成となりがちだ。先行研究調査をふまえた新たな視点を、カタログ論文作品解説のなかで示すことはできても、展覧会構成全体に反映するにはいくつものハードルがある。とりわけオルセー美術館ルーヴル美術館からまとめて作品を借りる場合は、これらの美術館学芸員が監修を務めることが多く、そのことによって企画自由度が低くなるという側面もあるだろう。

 そういう学術性は不要なんだって。単にいい作品を持ってくればいいの。学術性を発揮したいのであれば美術館主催の展示でやればいい。それでは自分能力が十分に生かされないと感じるなら本場の美術館就職してください。あと、日本学芸員よりオルセーやルーヴルの学芸員の方が信用できるから、その場合は口出さなくていいよ。

オルセー美術館には各所蔵作家の膨大な資料が集められており(ルノワールだけでざっと50箱以上はあり、フランス語だけでなく、英語イタリア語ドイツ語スペイン語、そして日本語や中国語韓国語資料網羅されている)、それを日々リアルタイム更新していくドキュメンタリストたちがいる。学芸員は彼らの協力を得て調査研究に勤しみ、その成果が展覧会に反映される。この蓄積こそが、オルセー美術館の、さらには今日における世界的なフランス近代美術の人気の礎なのである。これは一朝一夕に実現されるものではなく、長期的な視点に基づいた、たゆまぬ歴史化の作業の賜物といえよう。

 日本フランス絵画についてオルセーと張り合う必要なんかないよ。自国美術研究環境が貧弱なこと(いろいろ話を聞くに相応の事実だろう)については悲しむべきことだけど、西洋美術基本的に横のものを縦にしてればいい。もちろん立派な研究をなしとげれば敬意を表するが、俺達のブロックバスター展を研究発表の場として利用してくれるな。

 私はブロックバスター展やそれに準ずる規模の共催展を楽しんでいるのだ。それを学芸員風情の浅薄な考えや安っぽい使命感によってぶち壊さないで欲しい。日本に居ながらにして傑作や有名作を鑑賞することができる。これだけでブロックバスター展は素晴らしいものなんだ。ということを学芸員玄人気取りに理解してもらいたいのだが、なかなか難しいのかもしれない。

2018-09-30

草間彌生と派手な樹木希林との違いが分からなかったが

ようやく区別がつくようになった

2018-08-21

anond:20180821193108

一応草間彌生作品インターネットホットラインセンター通報しといたから、その結果もpixivに突き付ける。

私はアトリエ所属しているのだが、その旨をメールで言ったら

「どのサークル所属していても構いません」とよ。

アトリエ名前(元メールでは具体名挙げた)を言ってサイトURLも教えたのに、サークルっていう認識をしているってザルすぎるだろう。

まあええわ。草間彌生はどうせ「対象外のためフィルタリング事業者に〜」って出るけれども、その結果も突き付けてやるわ。

草間彌生わいせつ扱いせずに、私のエロティックアートわいせつ扱いするのは差別ではないのか?と

pixivアカウントが停止されたので、訴訟を考えている件

(2018/08/21追記表現修正)

小生、pixivアカウントが停止されました。

消費生活センター相談しています

私はエロティックアート作品投稿して、本も作っていたのですが、ある日突然

====

メールが来ました。

ショップにて販売をされている商品につきまして、

確認をさせていただきたくご連絡を差し上げました。

(以下略)

上記の通り、ショップ説明ページへ記載をされておりますが、

BOOTHでは隠蔽処理が不足している商品

その他ガイドライン違反する商品登録をすることができません。

隠蔽処理につきましては以下ガイドラインを遵守いただき

現在公開されている該当商品は、非公開にしていただきますようお願いいたします。

まりショップ説明イチャモン付けられたわけです。

それに対して、「抵抗権は正当な権利である」とかまあ当然の事を言ったら、

規約を遵守頂けない方の利用はお断りしている

みたいな事を言われて、

取り敢えず

反論しました。

(註:この反論は直接メールでは言っていません。メールで言おうとしても無視されるし、こちからpixivに言わないよう言われてる)

禁止行為等については法律禁止されている、または処罰等の対象可能性がある行為も含まれており、

この行為抵触した場合オーナー自身が訴えられる可能性があります

民事刑事混同していますよ?企業がこんな認識大丈夫ですか?貴方訴訟される立場にいつでもなり得るんですよ?

書店販売されている成年向け雑誌などで、適切なモザイク処理が施されていないことで発売元責任者逮捕された事例などもあります

コアマガジンの件は警察の匙加減ですよ。pixivはそんな事も分からずにサービスをやっているのか。こりゃあワタミの方がマシだね。

昨今インターネット上での監視が強まっており、警察から業務委託されているインターネットホットラインセンターから送信防止措置を求められることがあります

書店等で販売されている成年向け雑誌を参考に、できる限り隠蔽処理を実施することをお勧めいたします。

馬鹿かこいつら?草間彌生男根オブジェエゴシーレ全裸イラストインターネットホットラインセンターがなんか言ったか

取り敢えず草間彌生男根オブジェ写真が載ったサイトをIHCに通報して、多分対象外になるだろうがホットライン対象外と言う結果を突きつけてpixivドナルド・トランプと同様のフェイクニュース野郎であることを暴いてやるつもりだ。

実際に販売されている商品確認したところ、利用規約違反する商品確認いたしました。

是正いただけない場合は、利用規約に則りショップ強制非公開等の措置を行わせていただきます

調べたら、利用規約に書いてるからって何してもいい訳じゃないみたいだな。

是正いただけないようですので、アカウントを停止いたしました。

また闘われるとのことですが、ご自身責任範疇でご対応ください。

弊社が提供するサービスが、間接的にでも関わることは許容できません。

弊社含め第三者迷惑がかかるのであれば、弊社サービス提供いたしません。

抗議したら、こんな神作譲や司忍もびっくりな事を言われてアカウント停止されて、今消費生活センター相談している所だ。

※後日母親相談したが、話聞いてるので行かなくていいとのこと(2018/08/21追記:母親は私がエロティックアートを描いていることは知っていますし、別に止めてもいません。むしろ応援しています。)

あとBOOTH利用規約の36条の免責事項が異様に多い

https://booth.pm/terms

魚拓 http://archive.is/3srzr

消費者契約法8条に触れやしませんかね?

あと感情的になっているのでそこらはすまん、訴訟の目処が立ったらこれは消すつもりだ

今はまだ分かりませんが、某サイトにも相談済みです(勘のいい人ならバレるか)。

あと草間彌生作品通報した証拠

1533039372-00321

対象外となったら訴訟の時に突き付けるつもりだ

(2018/09/02追記)草間彌生作品の載ったサイト通報したところ、

通報された情報ホットライン運用ガイドライン対象外のため、関係機関フィルタリング事業者等に情報提供しました。」

との事です。インターネットホットラインセンター草間彌生男根オブジェに介入しないそうです‪𐤔𐤔‬。

2018-08-13

チームラボってどこが評価されてるの?

常設でできた森ビルとやってるやつの写真見ただけだけど、ライトと鏡の組み合わせとか草間彌生のやつそのままだし、描いた絵が動き出すのとかも既視感しかない。

もちろん、パクリ をしてる自称アーティスト日本人だけ見ても腐るほどいる。

でもそれで許されるわけではない。

そもそもパクリではないとしても、あれはアートなのか?

美術批評家太鼓持ちとしてではなく、批評家としてちゃん仕事してるのか?

2017-04-18

20170406_ミュシャ

ちょうど仕事の谷間も時期だったので、衝動的に有休を取って平日の昼間に六本木国立新美術館まで行ってミュシャ展を観に行った。

連休にぶつかると混雑は必至なのはわかっていたので、そうなる前に観に行きたいと思って行ったのだが行って正解だった。

はいえ、平日にも関わらずそれなりに人が多かった(ちょうど草間彌生展も同時開催してたので、そちらの客入りの影響もあったのかもしれないけど)。

少し前のNHK特番を見て予習したのだが、やはり生で観るのとでは迫力が全然違った。

まず、ミュシャの画風がスラヴ叙事詩とそれ以前(パリポスターとか広告絵を書いてた頃)で全くの別人のようで大変驚いた。

スラヴ叙事詩はそこに描かれた苦難の時代を生きるスラヴ人眼力の凄まじさに、まさに射竦められる心地がした。

「残りの人生スラヴ民族のために捧げる」というミュシャのの真摯姿勢が感じられた。

一般的ミュシャイメージといえば、パリ時代サラ・ベルナール舞台ポスター代表される作品群だが、これはこれでもちろんよかった。

花と女性四部作に描かれる女性官能的だけど、決して下品ではないエロティズムが魅力的だった。

「花と女性」だけでなく、宇宙的なモチーフ(太陽・月・六芒星星座)も取り入れられてるのも特徴的だった。

故郷チェコ(当時はチェコスロヴァキアか…)に戻ってからパリ時代ポスター画みたいな作品をいくつか描いているが、

そこに描かれる女性は少し趣が異なる、スラヴ系特有の丸顔が特徴的だった。

朝の10時半頃から昼過ぎの14時までゆっくり鑑賞することができて満足した。

帰りは遅めの昼食を東京ミッドタウンの中の店で採った、新宿にもあるだし茶漬けえんで冷汁を食べた。これは美味しかった。

後はついでに近くにあった日本酒ショップで取り扱ってる日本酒三種の試し飲みセットを注文したがこれは正直微妙だった。

保存のせいなのか…どれも苦味が気になってしまい味に違いがあまり感じられなかった。

2017-03-13

今日電車から

文藝春秋の中づり

いっつもおんなじ特集だな。

・意外と熱海広告

久川綾さんが出てるのかと思った。

草間彌生片岡鶴太郎広告が並んでいる

おもしろい。

・「伝え方が9割」の漫画版広告

文章で伝えるのが間違ってたのですね。

2016-12-08

http://anond.hatelabo.jp/20161208143344

はいえ「日本現代アートいちばん有名なのは」って言ったら村上隆じゃね?

Googleトレンドで言えばこんな感じよ。

村上隆, 箭内道彦, 草間彌生, 佐藤可士和 - Google トレンド

草間彌生佐藤可士和比較サンプルとして追加したけど、

村上と草間が目まぐるしく入れ替わり佐藤がたまに伸びてるのに対して箭内道彦は安定の最下位よ。

2016-04-23

ろくでなし子の何が嫌って、「男性の、男性目線による、女性器の俗称」を声高に叫びながらそれをあたか女性解放のような態度をもって成した事ですね。

ろくでなし子のやっている事は一見草間彌生と似ているようですがその根本真逆だと思います

差別語認識しつつ皮肉のために敢えて使っているという様子でもないんですよね。ろくでなし子は、男性目線女性俗称をまるで無批判に受け入れそのまま使っているように見える

2013-09-29

奈良ラッセン論争について

奈良美智 「自分の作品のファンがラッセンも好きなら発表をやめる」 - Togetter

ムサビの受講生アンケートにおける「嫌いなアーティスト」に村上隆草間彌生会田誠カオスラウンジが挙がるも,奈良美智が挙がらなかったらしい。

それについて,武田氏(誰?)が「奈良美智好きな人ラッセンが好きなんだろう」という発言をしたらしい。

それについて,奈良氏が「武田さんの発言は、なんだか心外だなぁと思います。僕の作品が好きな人統計をとってみてほしいですね~。ほんとにそうだったら、発表を辞めます。本気で。」とtweetした。

ラッセンは「美術」として扱われておらず,他方で奈良は「美術」として扱われている。これは,ラッセン美術館に展示されない(あるいは美術館を発表手段としていない)が,奈良美術館に展示されていることに端的に表れている。村上隆美術館に入り鳴子ハナハル美術館に入らないのと同じである

もっとも,そのような,業界での位置づけ(奈良=内部者,ラッセン=部外者)という視点は,両者のファン層が重複するか否かと関係しない。

ファンになるか否かは,業界での位置づけではなく個々人の好みの問題であるから,作品あるいは商品自体の性質から導かれるはずだ。

 

ラッセンの絵は,海とイルカという具体的なモチーフを扱いながら何らの意味を持たない。

奈良の絵もまた,何らの意味を持たない。(それ故に,殊更に「嫌いなアーティスト」として認識する必要に迫られない。)

少女という具体的モチーフを扱っているかのように見えるが,実際にそこで行われているのは,キャンバスに直線を数本引いて「この線の緊張感が」と云々する古式ゆかしい現代アートのものである

作品のスタイルからして,ラッセンは中身の無い美しい物好きに,奈良は中身の無い顕学主義者に好まれるであろうから,両者のファン層は異なると予想される。

したがって武田氏の発言は失当であり,奈良が怒るのも尤もなのである

 

(などと書いてみたけど,何らの意味を持たないという点では草間彌生も同じなのに彼女ムサビ生に嫌われているらしいので,間違ってる気がする。)

2010-11-07

映画しんぼる」の正しい解釈ネタバレ

松本人志監督作品の映画しんぼる」を見た。以下「しんぼる」及び「バベル」の相違点について言及しているため、両作品のネタバレ含むので注意。






松本人志テレビで見せるフリートークと、コントで演じる役とのギャップが激しい芸人である。フリートーク自我を全面に押し出して、コントでの演技は別人格かのような憑依型。この二つを偏らず両立させて、しかも成功している。

映画しんぼる」においてもまた、見た目奇抜だが、無口で平凡な思慮の浅い男(それでいてどこか狂気をはらんでいるような)男を自分に憑依させて演じようとしている。

では、何故見た目を奇抜にする必要があったのか、果たしてこの主人公があのような服や髪型のチョイスをするような人間だろうか?

見ているとそのような矛盾や違和感が何度も起こる、矛盾や違和感だけを繋げて映画にしたといっても良いぐらい出てくる。しだいに全てに何か理由があるんじゃないかと思うようになり、どうしてもそれを考えてしまう。最終的に「くだらない」が「面白い」って事ね、という所に一応行き着くが、やっぱり「で、それが何なの?」という疑問の答えにはなっていない。

この映画が、観客の解釈や理解をうながす為に作られているのは間違い無い。「もっと理由や意味を考えてみて!」と言われているような、そうやって考えるのが面白いという事だろうか。その結果裏切られてしまうカタルシスを楽しめ、そういう作品なのかもしれない。


解釈や理解しようとする事自体を楽しめ、というテーマだとして、ではその映画に正しい理解や解釈の正解は存在するのか? 存在しているはずだ。その方が面白いから。

という訳で、正解を探す事にする。

僕が考えた正解なんじゃないかと思う答えを検索してみると、バラバラの要素としては既出なのだが、統一されたものが無いのでここにその解説を書いてみよう。

タイトルを付けるなら「小日本人」

しんぼる」は、日本人海外に対するコンプレックス表現した作品だ! と強く断言してみる。


しんぼる」は、2006年カンヌ国際映画祭監督賞を受賞した「バベル」という映画を非常に意識した作品である。

バベルネタバレになるが、バベルメキシコ出身の監督脚本家による映画で、ナショナリズム的な視点から観ると、思慮の浅い日本人のせいで、モラルの無いモロッコ人の子供が銃を使い殺され、それに巻き込まれた白人自分達の事しか考えない。それにひきかえ他民族子供低賃金で助けるメキシコ人は陽気で善人だ、という解釈が出来る。松本人志ナショナリズムが強い思想の持ち主なので、バベルを観てメキシコ人ふざけんなよと、日本馬鹿にすんなと怒ったはずだ。

だからしんぼるでは、同じ文脈で皮肉たっぷりに、思慮の浅いヘンな日本人のせいで、メキシコで不条理な出来事が起こり子供が不幸になる、バベルと同じくそ因果関係に理由は無い。また物語舞台となる国の数も同じ。バベルアメリカモロッコで起こる出来事と違い、しんぼるでのロシア中国で起こる出来事は不幸ではなく、ただくだらない出来事なのだが、これはバベルの偶然性による不幸に対する皮肉なのだろう。バベルの偶然性による不幸が、メキシコ監督恣意的なナショナリズムにすぎない事への批判である。

さらに、映画撮影の仕方も同じで、カットバックを使った演出もさる事ながら、しんぼるにおいてメキシコの場面での映像は、ドキュメンタリーのような手ぶれのあるハンディカメラ映像なのだが、これはバベルが終始そのように手ぶれのある映像だからである。


次いで、上記のバベルに対する皮肉を、さらに拡大して日本の文化による世界に対する皮肉、あるいはバベルを絶賛したカンヌフランス)のアートシーンに対する皮肉として、現代アートの文脈でアイテムが構成されている。

まず主人公の髪型衣装は、フランス芸術文化勲章を持つ海外でも評価の高い草間彌生の格好で間違いない。脱出劇としては広すぎるあの白い部屋もインスタレーションそのもの。飛び出てくる意図的に日本の物に偏ったアイテム、それを使っての笑いは日本の文化の文脈のようでいて海外向けの笑いでもあり、これは海外でウケる日本現代アートのコンセプトそのものである。

バベルカンヌに反発を覚えながらも、欧米文化の中で迎合して同じ舞台に立たないかぎり世界的に受け入れられないというジレンマを抱え、それに対して下ネタパロディという形で皮肉をこめ、彼らの持つ日本人イメージを利用して、滑稽な道化のふりをして笑いを取り、しっかり世界にウケる現代アートの文脈にそって作品を作っている。

そして映画クライマックス最後最後に、神のような姿になった主人公の背後の壁に立体的な世界地図が現れる。多くの日本人は何の疑問も持たないと思うが、外国人にとっては違和感のあるシーンである、その世界地図日本が中心となっている。


このように「しんぼる」という映画は、日本日本以外の世界意識した作品である。世界に向けて表現しながら、媚びずに日本的であろうとした訳だ、しんぼるというタイトルも、英語ひらがな表記であるのはそういう理由だろう。

要約すると、松本人志による海外アートシーンを皮肉った「日本最高!」を世界に向けて表現した映画


おそらくアートの文脈を松本人志が知っていたとは思えないので、その文脈を組み込んだのは脚本を共同作成している放送作家高須氏によるものなんじゃないかと思われる。


憶測だが、バベル脚本家監督菊地凛子演じる聾唖女子高生イメージを、例の毎日新聞waiwai事件の、元ネタの記事を見て得たんじゃないだろうか。元ネタ(http://www8.atwiki.jp/mainichi-matome/pages/435.html) 女子高生ノーパン、チラ見せ、男を誘惑、家で裸、という点が同じである。最もリアルに創り込むべき役なのに、日本にそんな女の子居る訳がないというような人物を設定した矛盾。海外受けするメジャーアニメ映画でその様なイメージ女子高生キャラが居てそれの影響を受けたとは思えないんだが、しいて挙げるなら岩井俊二作品の女子高生不安定さと元ネタの記事を合わせた感じだろうか。

 
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