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2021-03-19

西武

No. 選手守備 生年月日 年齢 年数 身長 体重 血液型 投打 出身地 年俸(推定)

1 栗山 巧 外野手 1983/09/03 37歳 20177cm 85kg O型 右左 兵庫 17,000万円

2 岡田 雅利 捕手 1989/06/30 31歳 8年 173cm 80kg B型 右右 奈良 3,000万円

3 山川 穂高 内野手 1991/11/23 29歳 8年 176cm 103kg A型 右右 沖縄 17,000万円

4 山野辺 翔 内野手 1994/05/24 26歳 3年 170cm 74kg AB型 右右 東京 1,400万円

5 外崎 修汰 内野手 1992/12/20 28歳 7年 177cm 82kg O型 右右 青森 13,000万円

6 源田 壮亮 内野手 1993/02/16 28歳 5年 179cm 75kg O型 右左 大分 15,000万円

7 金子 侑司 外野手 1990/04/24 30歳 9年 179cm 76kg B型 右両 京都 12,600万円

8 渡部 健人 内野手 1998/12/26 22歳 1年 176cm 112kg O型 右右 神奈川 1,600万円

9 木村 文紀 外野手 1988/09/13 32歳 15年 183cm 86kg O型 右右 東京 5,000万円

10 森 友哉 捕手 1995/08/08 25歳 8年 170cm 85kg A型 右左 大阪 16,000万円

11 今井 達也 投手 1998/05/09 22歳 5年 180cm 70kg A型 右右 栃木 2,800万円

12 渡邉 勇太投手 2000/09/21 20歳 3年 191cm 91kg A型 右右 埼玉 650万円

13 髙橋 光成 投手 1997/02/03 24歳 7年 190cm 105kg B型 右右 群馬 6,700万円

14 増田 達至 投手 1988/04/23 32歳 9年 180cm 88kg AB型 右右 兵庫 30,000万円

15 宮川 哲 投手 1995/10/10 25歳 2年 177cm 85kg O型 右右 奈良 2,300万円

16 松坂 大輔 投手 1980/09/13 40歳 15年 182cm 92kg O型 右右 東京 2,000万円

17 松本 航 投手 1996/11/28 24歳 3年 176cm 87kg AB型 右右 兵庫 3,000万円

20 浜屋 将太 投手 1999/01/26 22歳 2年 175cm 77kg O型 左左 鹿児島 1,550万円

21 十亀 剣 投手 1987/11/07 3310年 183cm 88kg O型 右右 愛知 7,000万円

22 スパンジェンバー内野手 1991/03/16 30歳 2年 183cm 89kg 不明 右左 アメリカ 8,000万円

25 平井 克典 投手 1991/12/20 29歳 5年 180cm 86kg A型 右右 愛知 8,000万円

26 佐々木 健 投手 1996/05/13 24歳 1年 179cm 87kg B型 左左 青森 1,350万円

27 内海 哲也 投手 1982/04/29 38歳 18年 186cm 93kg A型 左左 京都 5,625万円

28 森脇 亮介 投手 1992/07/13 28歳 3年 175cm 70kg A型 右右 京都 3,300万円

29 小川 龍也 投手 1991/09/03 29歳 12年 182cm 85kg A型 左左 千葉 3,600万円

30 榎田 大樹 投手 1986/08/07 34歳 11年 180cm 90kg AB型 左左 鹿児島 3,700万円

31 佐藤 龍世 内野手 1997/01/15 24歳 3年 174cm 88kg AB型 右右 北海道 640万円

32 山村 崇嘉 内野手 2002/09/28 18歳 1年 180cm 86kg O型 右左 東京 700万円

33 ギャレット 投手 1993/01/02 28歳 2年 188cm 95kg 不明 右右 アメリカ 8,500万円

34 佐野 泰雄 投手 1993/01/18 28歳 7年 177cm 90kg B型 左左 タイ 1,800万円

35 若林 楽人 外野手 1998/04/13 22歳 1年 177cm 72kg B型 右右 北海道 1,000万円

36 伊藤 翔 投手 1999/02/10 22歳 4年 177cm 74kg A型 右右 千葉 820万円

37 柘植 世那 捕手 1997/06/03 23歳 2年 174cm 88kg O型 右右 群馬 1,200万円

38 牧野 翔矢 捕手 2001/03/04 20歳 3年 178cm 80kg B型 右左 石川 600万円

39 呉 念庭 内野手 1993/06/07 27歳 6年 178cm 75kg AB型 右左 台湾 880万円

40 田村 伊知郎 投手 1994/09/19 26歳 5年 173cm 86kg B型 右左 兵庫 1,000万円

41 井上 広輝 投手 2001/07/17 19歳 2年 181cm 82kg AB型 右右 神奈川 600万円

43 吉川 光夫 投手 1988/04/06 32歳 15年 178cm 79kg O型 左左 福岡 3,000万円

44 與座 海人 投手 1995/09/15 25歳 4年 173cm 78kg O型 右右 沖縄 900万円

45 本田 圭佑 投手 1993/04/24 27歳 6年 180cm 80kg A型 右右 宮城 1,360万円

46 鈴木 将平 外野手 1998/05/20 22歳 5年 175cm 78kg O型 左左 静岡 960万円

47 松岡 洸希 投手 2000/08/31 20歳 2年 180cm 81kg A型 右右 埼玉 750万円

48 武隈 祥太 投手 1989/11/24 31歳 14年 180cm 90kg A型 左左 北海道 2,200万円

49 ブランド内野手 1998/06/15 22歳 1年 179cm 84kg O型 右右 沖縄 700万円

50 中塚 駿太 投手 1994/12/26 26歳 5年 191cm 102kg B型 右右 茨城 700万円

51 西川 愛也 外野手 1999/06/10 21歳 4年 180cm 82kg A型 右左 大阪 730万円

52 山田 遥楓 内野手 1996/09/30 24歳 7年 180cm 84kg A型 右右 佐賀 620万円

53 愛斗 外野手 1997/04/06 23歳 6年 177cm 92kg O型 右右 大阪 740万円

54 ニール 投手 1988/11/09 32歳 3年 191cm 95kg 不明 右右 アメリカ 21,500万円

56 川野 涼多 内野手 2001/06/28 19歳 2年 178cm 78kg AB型 右両 熊本 650万円

57 齊藤 大将 投手 1995/06/03 25歳 4年 178cm 80kg A型 左左 東京 1,300万円

58 熊代 聖人 外野手 1989/04/18 3111175cm 77kg O型 右右 愛媛 1,200万円

59 大曲 錬 投手 1998/05/21 22歳 1年 179cm 78kg A型 右右 福岡 900万円

60 中村 剛也 内野手 1983/08/15 37歳 20175cm 102kg O型 右右 大阪 22,000万円

61 平良 海馬 投手 1999/11/15 21歳 4年 173cm 100kg O型 右左 沖縄 4,200万円

62 駒月 仁人 捕手 1993/04/21 27歳 10176cm 97kg O型 右右 京都 500万円

63 綱島 龍生 内野手 2000/01/21 21歳 4年 178cm 78kg A型 右左 新潟 500万円

64 上間 永遠 投手 2001/01/31 20歳 2年 180cm 79kg B型 右右 沖縄 500万円

65 戸川 大輔 外野手 1996/04/29 24歳 7年 188cm 90kg B型 右左 北海道 560万円

66 仲三河 優太 外野手 2002/10/22 18歳 1年 180cm 90kg A型 右左 栃木 600万円

67 粟津 凱士 投手 1997/03/01 24歳 3年 180cm 88kg A型 右右 山形 700万円

68 岸 潤一郎 外野手 1996/12/08 24歳 2年 174cm 82kg A型 右右 兵庫 550万円

72 川越 誠司 外野手 1993/06/30 27歳 6年 174cm 80kg A型 左左 北海道 880万円

73 高木 渉 外野手 1999/12/06 21歳 4年 181cm 81kg B型 右左 福岡 700万円

78 齊藤 誠人 捕手 1995/08/07 25歳 4年 180cm 86kg A型 右左 北海道 500万円

98 ダーモディ 投手 1990/07/04 30歳 1年 196cm 102kg 不明 左右 アメリカ 6,000万円

99 メヒア 内野手 1985/12/02 35歳 8年 198cm 118kg 不明 右右 ベネズエラ 10,000万円

118 多和田 真三郎 投手 1993/04/13 27歳 6年 182cm 82kg B型 右右 沖縄 1,000万円

120 出井 敏博 投手 1997/04/29 23歳 2年 185cm 75kg A型 右右 栃木 400万円

121 赤上 優人 投手 1999/02/10 22歳 1年 177cm 81kg A型 右右 秋田 400万円

122 長谷川 信哉 内野手 2002/05/17 18歳 1年 183cm 80kg B型 右右 京都 280万円

123 ジョセフ 外野手 1999/03/24 21歳 1年 175cm 88kg O型 右右 三重 400万円

124 豆田 泰志 投手 2003/01/15 18歳 1年 173cm 82kg B型 右右 埼玉 280万円

125 東野 葵 投手 1996/11/30 24歳 3年 183cm 85kg B型 左左 福岡 400万円

126 大窪 士夢 投手 2000/08/02 20歳 3年 199cm 96kg A型 右右 北海道 280万円

127 中熊 大智 捕手 1996/08/27 24歳 3年 174cm 87kg A型 右左 熊本 400万円

128 水上 由伸 投手 1998/07/13 22歳 1年 176cm 81kg O型 右右 長野 400万円

2021-01-29

anond:20210129095152

東北山村では村八分が今でもあるぞ


農産物物々交換生活が成り立ってるから

(濃厚)接触は避けられないからな

2021-01-04

地方在住者から見た『天気の子

少年少女友情恋愛感情?の結果、知らんどうでもいい都市が水に沈む話だ

少年少女結構好感の持てる感じの子らなので、応援したくなる

知らんどうでもいい街はどうでもいい

どうでも良・シティがどんなことになろうとノーダメージ なんなら現実に沈んでくれても一向に構わないくらいなので、フィクションの中で沈まれたところでなんの感慨も湧かない 

なので純粋ハッピーエンドに見える

 

東京がどうでも良いというのは嘘で、本当は憎い

なのでそれが水に沈むのはうれしい

そういう意味ではラスト付近で「なんやかんやで適応してる」みたいなエクスキューズを見せられるのは腹立つ 遷都しろや 東京を捨てろ

まあ、東京のみなさんは東京が大好きで大好きでたまらないみたいなので、多額の税金を投入して無理矢理あのちっちゃいギチギチのキモい都市にへばりつき続けるというのは大いにありうる

多分、なんにもなくて後進的で頭の悪い田舎者しか住んでない地方に住むくらいだったら雨に沈んだ東京に住む方がマシなんだろう

でも、客観的に見てさすがに延々雨の東京より地方の方がマシっすよ 普通梅雨ですら気が滅入るんだから一年中雨なんて最悪だ あの状況では東京民の東京至上主義は己を縛る鎖として機能するんだろうな、と思うとちょっと胸がすくような感じすらある

 

なので、あれがセカイ系だって言われると腹立つんだよな まあセカイ系文脈を汲んでるのは確かなんだけど、東京はセカイじゃないですよ

地方山村舞台だった場合あんなにセカイ系セカイ系言われただろうか?いいや言われなかったに違いない

つかそんなに小さくなくてもいいかもな 鳥取市とかが舞台だった場合どうなるか?とかを考えても面白い

とにかく、鳥取市がセカイじゃないのと同じように東京もセカイではない それが言いたい

そして全体としてあの映画は小気味良い

✖️「友達女の子を救うために東京犠牲になってしまった」

⭕️「友達女の子も救えたし、東京も滅ぼせた」

2020-12-26

脳味噌がお花畑なのでこの期に及んで会食しまくってバンバン感染者を増やしてる街があるらしい

ええーっ!そりゃひでえなあ

とんでもないバカばっかり住んでんだから、当然そりゃ時代遅れのクソみたいな田舎なんだろうなあ

都会人はみんな賢くてニュースをよく見てるし、田舎特有のジメジメした閉鎖的な人間関係なんてないかそもそも会食をする機会もないもんなあ

バカ無知蒙昧で、無駄飲み会ばっかやってる最悪の田舎だよなもちろん、そんな感染者出すなんてさ!

 

えっ、東京

……ああ、東京って自治体田舎あんのね

びっくりしたあ〜、あんだけいつも賢しらぶって東京のみなさんが、まさか田舎山猿みたいに会食やって感染広めたりするわけないもんな!

そうだよ、この前見たもん 東京で働くホワイトカラー上級労働者は当然全員リモートワークができるんだし、出前システムなんかも充実してるんだ、日本の中心たる東京さまなんだから

最高の都市システムに超賢くて先進的な最高の市民が揃ってんだから、このご時世にわざわざ会食なんてするわけないんだよな

 

えっ、ガチ東京?あの首都東京

あんだけいつも偉そうに田舎はクソ田舎はクソ言ってた、すべてにおいて優れし神都東京現人神みなみなさまが、コロナ対策日本ワースト数字を叩き出していらっしゃる

いやいやいや、そんなバカな!

だってそんな、そんなアホなのにあんなに偉そうにできるわけねえじゃん

田舎の劣った社会に比べて、全ての面で卓越してんでしょ?東京 当然人間も洗練されてるって言外に匂わせまくってたじゃん

そんな、山村イノシシ同然の田舎者よりバカ揃いなんてありえないよ!

だって、もし東京の人が田舎の人よりバカなんだったら、ホントにいいとこないじゃん

ただドブ臭くて顔がキモくてクソだっせえアクセントで喋る全然センスのないカスの集まりってことになっちゃうじゃん

そんなわけないよ 東京は優れてるんだ

じゃないとあんなに偉そうにできるわけない

よってコロナ関連のニュースは全部フェイ

東京感染者、ゼロ人じゃないと辻褄が合わないよ!

2020-11-20

anond:20201120114419

それな。県庁所在地レベル人口数十万)の地方都市でも、東京横浜大阪名古屋あたりの大都会から見て相対的に「田舎」と言うこともあるからね。都会の連中は農村山村漁村は眼中に無いらしいし。

2020-10-28

anond:20201026003439

まれ育った場所格差>>>経済格差はマジ!!!

うちは夫婦はともに30代で地方県庁所在地出身の私と、横浜市出身パートナー構成だけど、

正直、実家の裕福度は私実家>>>夫実家

(私家は二馬力の士業、夫家はシングルマザー


しかし、御三家東大に進学した夫と、

子供教育学費の積立や習い事について話し合っていくなかで、

彼が与えられてきた教育や、その周辺の学ぶことに関する環境が、

ものすごく!圧倒的に!自分実家より上だったことを早々に気づいて驚愕した……。

(なお、どちらの実家教育については「できるだけのことはしてあげたい」という前向きな家庭)

というか、東京近郊の教育に関するリテラシー文化資本の豊かさ…レベチすぎ……。


都会の子小学校3~4年生から塾に行ってるなんて30歳になるまで知らなかったよ…

塾なんて早くても中学になってから行くものだったよ…小学生公文式くらいだよ…

私は個別指導塾入れてもらったけど、同じクラスでそこまでしたらもってるのも私くらいだって驚かれるくらいよ…

あと東大をはじめとしたトップ大学に進学する子が、中学受験→都内私立中高一貫校のルートをたどる人が爆裂多いなんてのも知らなかった…

あと、塾のレベルもね!!SAPIX鉄緑会もSEGも…そんなのあるの!?

地方には!?そんな塾がめちゃ選べて!?エリート養成塾みたいなのがあるなんて!?想像もつかないよ!?

塾に入るのにテストがあるんだって!?ま?

習い事の種類だってだって、ぜんぜん違う。え?勝負は未就学児の時代から始まっていた…だと!?

そもそも地方勢には塾や習い事を精査するなんて文化がねぇ!母数が少なすぎて選択肢は3択くらいだからだ!


居住地によるアクセシビリティ格差が拡大してるってだれかがコメントしてたけど、これはガチ寄りのガチ。。。

文化資本の圧倒的な違いがどんどん開いていってるし、なによりも怖いのは、地方勢にはそれが可視化されていないってこと。

知らされない間にドンドンドンドン置いていかれてる。たぶん国は知ってて置いてってる。

今この瞬間もさ、「捨てられてる」言うの分かるくらい、本当に格差についてつまびらかにせず放置されてる。

2月の勝者」って最近話題中学受験漫画があるんだけど、

これ読んでると、地方出身の私、保護者子供に配り歩きたくなってくる、

そんで、みんなー!!!気づいて!!って言いたい。


"私は東京に生まれて彼らと同じ環境にいれば東大合格できた。"

これは本当だよね、きっと、本当にそうだと思うよ。きっとすごく悔しいよね。

子供教育につい話し合うようになってから夫婦で2人で地方旅行に行き、

離島とか山村とか風光明媚土地に立ち寄ると「綺麗だね」と言いながら、教育格差について思い馳せることが多い。

「こういうところに生まれたら、遺伝子的にすごく頭のいい子が望んでも東大に行くのはすごくハードルが高いだろうね」って話して…悲しくなる。

不公平人生につきものだけど、それでも地方と都会のこの教育格差はあまりにも不正義じゃない???って思う。



逆に言うと都会勢は下駄履きすぎじゃない???ってことなんだけど。

特にお金持ちの子弟なんかすごい厚底だよ。

でも、もちろんその人達努力否定するつもりはないんだけどさ。

ただあまりに悲しいんだよ、「勉強したい、学びたい」と思ったりした、素質のある一生懸命子供が、ただど田舎に生まれた、ってだけで圧倒的に救われないことが。

私は頭が良くないし増田みたいな努力家じゃないから、自分がマシだったはずなんて言うつもりないけど、

増田みたいな子供が今もいて、どこかにたくさんきっといて、でも救われてないはずなんだよ。

大人として悲しいよ。そんな社会でいいのかよ。よくないよ。どこに投票すればいいんだよ。なにをすればいいんだよ。

2020-08-27

コロナウイルスがもたらす日本人文学危機

コロナ人文学ヤバい

といっても哲学とかそういうのじゃなく、歴史学とかがヤバい

もうちょっと言うと、日本史とか日本文学とかはぜんぜん大丈夫なんだが、西洋史とか東洋史とか、要するに外国のことを調べる学問ヤバい

今はまだ大丈夫だけど、じきに破綻する。

なぜかといえば非常に単純な話で、研究を進める上で必要資料アクセスできないからだ。

歴史学根本は、オリジナル資料(=一次史料)にあたることにある。一次史料には色々な形態があるわけだが、歴史上の出来事の背景とかを実証的に調べようと思ったら、公文書館にある史料を使うことが不可欠だ。

そして公文書館というのは行政機関なので、日本国立公文書館外務省外交史料館東京にあるように、あるいはイギリス国立公文書館キューにありアメリカ国立公文書記録管理局ワシントンDCにあるように、当然ながらそれを管轄している国や地方自治体に設置されている。

そう、公文書館に行けないである

コロナが2~3年で過ぎ去り、その後はすべてが元通りになるなら、その数年を耐え忍べばいい。数年が過ぎればまたヨーロッパなり世界の他の国なりに行けるようになる。当然、歴史学も元通りだ!

でも残念ながら、中東諸国の割安の航空券ヨーロッパ渡航できる日々は、もう戻ってはこないかもしれない。航空券が割高になるだけではなく、全世界的に航空産業が縮小し、これまでであれば容易にアクセスできていた史料アクセスできなくなるかもしれない。

明治維新以降、政府が雇ったお雇い外国人たちによって、ランケに始まる近代歴史学日本に持ち込まれた。だが初期の日本歴史学はあまりにお粗末なものだった――現在の水準からすれば。

オリジナル史料を見ずに、西洋人の書いた歴史書を読んでそれを日本語で紹介して論文を書き、吾は教授でございと偉そうな顔をしている。英語フランス語ドイツ語の文献だけを読んでヨーロッパ史全体を講じるなんていう無謀なことが平気でまかり通っていた。

けれど、そのような稚拙な「論文」も必要だったのだ。日本歴史学が独り立ちするためには。

やがて、それらの先人たちの業績を踏み台にして、きちんと史料集(=オリジナル史料を集めてまとめた本)にあたって論文を書く人や、英仏独だけではない色々なマイナー言語習得して研究する人が増えてくる。そして、交通技術の発展に伴って海外旅行安価になるにつれ、国外文書館アクセスして論文を書く人が増え、英仏独以外の言語を学ぶ人が増え、留学して現地で学位を取る人も増え、日本歴史学レベルはどんどん上がっていった。

2000年代から2010年代にかけての日本歴史学界で生み出された外国研究レベルの高さは誇るに値する。もはや横のものを縦にしただけではまともな論文とは見做され得ない。現地の言語を読めることが最低条件で、その上でどのようにオリジナル面白い研究成果を積み上げるか。多くの研究者たちが競うように優れた論文や著書を生み出してきた。

そこをCOVID-19パンデミックが直撃したのだ。

留学の予定も史料収集計画も、すべてが白紙になってしまった。

分野によって違うと思うが、外国史を学ぶ者は多くの場合修士課程博士課程で留学をする。これは現地で史料収集したり、現地で言葉勉強したり、現地の研究者と触れ合ったりするきわめて重要プロセスで、修士卒ならともかく博士号を獲ろうと思うなら避けては通れない。多くの研究者はだいたい1年から3年くらいの留学を経て、外国歴史に興味がある若者から若手の歴史研究者へと成長する。

COVID-19直撃世代は、この留学経験を持てない。彼らは外国研究者として足腰を鍛える機会を奪われることになる。

2~3年でコロナ禍が終熄するなら、この世代が数年間のハンデを背負うだけで済む(たとえば、留学することな博士課程の年限が来てしまったとか、在学を引き伸ばす羽目になり学費が余計にかかったり就職市場に参入するのが遅れたとか、せっかく学振DCを取ったのに海外調査をすることな任期が過ぎてしまったとか、そういう悲劇が量産されることだろう――外国研究者は学振研究費のかなりの割合出張費に充てている)。

けれど、コロナ禍が終熄しなかったら、あるいは終熄後に海外調査ハードルものすごく高くなってしまっていたら、日本外国研究は大きな打撃を受けるだろう。

そりゃ、留学終えてる組は今すぐに困るってことはない。彼らはもう現地語ペラペラだし、これまでの現地滞在史料たっぷり集めてるだろうから、当面はそれを消化しながら外国研究者とオンライン会議すればいい。

でも、これから留学しようとする人たちは、現地に長期滞在して外国能力を鍛える機会を奪われ、史料を集めることもできず、中途半端研究能力しか持てないままに博士課程を終えざるを得ないことになる。

もちろん、先行世代よりマシな点もある。デジタルアーカイブの発展によって、従来は現地の図書館に行かないと見られなかった古書や古新聞が自宅にいながらにして読めるようになった。中には所蔵している史料ウェブで見せてくれる親切な公文書館もある。外国雑誌だってオンラインで入手できるし、何なら研究書をkindleで読んだっていい。そういえば友達ドイツ語学術書kindle版で引用していた。

から研究の水準が明治時代に戻るということには、おそらくならない。

ただし、その方向性限定される。

どのような種類の史料必要かは、結局研究テーマに左右されるのだ。もしも「ドイツにおける日本人のイメージ歴史」を調べたかったら、古書や古新聞を徹底的に調べればそれでいい。けれど、「1960年代における西ドイツ政策決定過程」みたいなテーマを扱おうと思ったら、公文書館史料を見なければお話にならない。

現代日本で考えてみればよくわかる。「安倍首相メディアでどう扱われているか」と「安倍内閣の内側ではどんなふうに物事が決められているか」とでは、立論に使うべき資料全然違う。前者は新聞ネットを見ればそれでいいが、後者情報公開請求必要だし、『朝日新聞』や『週刊文春』だけを見て後者を論じたら手抜きだと謗られるだろう。

そして歴史学とは「昔のことなら何でも扱う学問」であり、内部には表象を論じる研究から外交政策を調べる研究者まで色々いるのだが、後者のような人たち――つまり研究のために文書館史料必要とする人たち――の研究はずいぶんやりにくくなるだろう。外国研究において、思想史文化史古代史の割合が高くなるかもしれない。

(いやでも、ガチ思想史文化史をやろうと思ったら文書館史料を見ないといけない局面も割と出てくるので、思想史なら文書館行かなくてもいいでしょ、という話にはならないんだよな……明治時代知識人留学先の国に出かけてその国の文書館史料使って明治期の思想についての本書いた人とかいからな……逆にある程度昔の外交史だと関係する史料ほとんど翻刻されてたりするし……)

逆に、先行世代よりも悲惨な点は何か。

それは研究レベルが上がってしまたことだ。

ネット上で読める範囲古書や古新聞だけを史料として使って「18世紀におけるドイツ諸邦の外交」みたいな研究をまとめたとして、明治時代ならこんな多くの一次史料を使うなんて素晴らしい研究だと大絶賛され東京帝大の教授になれるかもしれない。でも現代では、研究レベルが上がってしまった現代では、「新聞しか見てないじゃん。文書館史料使ったの? え? 使ってない? レベルいね」と一蹴されてしまう。論文英訳なり独訳なりして海外ジャーナル投稿しても、それなりのレベル雑誌からは軒並み落とされるだろう(というか、国内でも有力学術誌の査読を通過できるとは思えない)

ふんだんに文書館史料を使う質の高い研究に慣らされてしまったら、今更横のものを縦にすれば教授になれていた時代研究水準には戻れないのだ。

ハードルを下げる?

外国最先端研究成果がワンクリックで手に入るこの時代に?

つい去年まで史料調査のために渡航するのが当たり前で、今アラサー以上の人たちは研究水準が高かった時代を身を持って知っているのに?

コロナ禍の影響が数年で収まるのなら、業績の不足で苦しむのは直撃世代だけで済む。だが、もしもコロナ禍の後遺症が何十年も続くのであれば、外国史を研究する歴史家たちは困難な撤退戦を強いられることになるだろう。

それはより史料入手の容易なテーマへの撤退戦であるかもしれないし(政治史ハードルが高いから、表象歴史とかを研究しよう)、より史料入手の容易な国への撤退戦であるかもしれない(○○国と比べて××国の方がデジタルアーカイブが充実してるから、○○史じゃなくて××史をやろう)。

ともかく、これまで日本歴史学が積み上げてきた多様性は、徐々に失われていくことになるだろう。

日本外国研究にとって、冬の時代が迫っているのかもしれない。

まあそうは言っても史料さえどうにかなれば研究はできるので文化人類学記述言語学よりはまだマシ。これらの学問では現地に長期間滞在して現地人の間に分け入って調査する必要があるので、現在レベル渡航制限が長続きすると文字通り危機に瀕する。これらの分野では伝統的に外国に関する研究が盛んで、オセアニア島国アフリカの奥地で調査してきた日本人が何人もいるのだ。今後、外国舞台にした文化人類学記述言語学は消滅し、国内対象として細々と生き延びるほかなくなるのかもしれない……

(まあ、国内伝統文化方言を保存するために、一度外国文化言語記述するのに使っているエネルギーを全部日本に関する研究に注ぎ込むのもアリかもしれない……でもCOVID-19で次々と伝統的なお祭りやら寄り合いやらが中止になっているし、うかつに都会の大学修行する若手研究者が離島山村に出かけてお年寄りのインフォーマントと接触するのもはばかられるよなぁ……)

ブコメにお返事

日本だけの問題では無さそうなのでよりデジタル化したりオンラインで閲覧する仕組みが出来そうだけど

デジタルアーカイブの発達はうながされるだろうけど、そんなに急速には進展しないだろう。それには2つの理由がある。

第1に、単純にデジタル化はすごい大変なのだマトモな国なら行政の作った公文書は破棄されずに何十年にもわたって保管されているのが普通で、それらすべてをデジタル化するのは労力がかかるというのは納得してもらえると思う(国だけじゃなく地方自治体にもその自治体公文書集める公文書館があったりするからね。連邦制の国だと連邦レベル・州レベル・市レベル文書館が別々に設置されていたり)。優先順位をつけてやっていくほかないけど(「まずは外交関係公文書を先にデジタル化しよう。環境保護関係は後回しだ」)、優先順位の低いテーマ研究しようと思ったらそれでは困る。

第2に、困るのは外国研究者だけで、本国研究者はそんなに困らないのだ。

日本人がイギリスドイツ調査に行けなくなっても、イギリス人やドイツ人の歴史家は何も困らない。彼らは渡航制限など気にせず自国にある公文書館アクセスできる。これは日本のことを研究する日本人の歴史家にとっても同じだ。仮に外務省外交史料館から外国研究者の姿が消えたとして、いったい日本研究者になんの不都合があるのだろう?

(ここでは「外国人」と書いたが、厳密には、外国拠点を置く研究者と言った方がいいだろう。日本大学で教鞭を執っている中国人日本史研究者はなんにも困らない。逆にうっかり日本学の専門家として英米大学就職しちゃった日本研究者は大変だ。また、日本研究する歴史家がなにも困らないというわけではない。日米関係歴史研究しようと思ったら当然アメリカに行かなければいけないし、国内政治だけを研究する場合であっても、日本政府公文書管理がザルすぎるせいで重要史料日本じゃなくアメリカにあるみたいな状況もありえるので……)

まり世界的に、自国研究する研究者にとってはあんまり困らないが、外国研究する研究者はめちゃくちゃ困る、という状況が訪れると思われる。外国研究者への配慮が、果たして自国公的施設デジタル化への強い圧力となるだろうか? 正直疑問だ。

資料を集めたり読んだりするのはその国の研究者に依頼する、というのはダメなの?現地に行く必要性がよくわからなかっった。

第1に、それ本国研究者に何のメリットがあるの? お金を払ってやってもらうとして、その人件費渡航費よりも安上がりだとはとても思えないんだけど…

第2に、史料の山に埋もれて色々探していく中でお目当ての史料を見つけるコツとか時代ごとの史料の特徴を見分ける目とか崩し字の読み方とかそういった歴史家としての技倆が養われるので、単純に他人に任せればよいという話ではない(「時代ごとの公文書形式の違い」みたいなのも当然論文テーマになるけど、これ書くためにどのくらいの史料読む必要があると思う?)。

ていうか、なんか勘違いされてるフシがあるけど、読んだ史料が全部研究に使えるわけじゃないからね。目録面白そうな史料があったか地方文書館に足を運んで閲覧してみたけど期待ハズレで全然使えませんでした、とか、膨大な史料の山を探しまわってようやく使えそうな史料の一群を見つけました、とか、何気なくパラパラめくってた史料の片隅にさり気なく重大なことが書いてありました、とか、そういうのあるあるなので。お目当ての史料だけ外人コピーしてもらえばいいじゃん! なんて夢物語しかない。

第3に、そもそも論としてなんで自分研究オリジナリティの源泉たる史料の入手を現地人任せにするのか。現地の文書館に通って現地人がちっとも注目してないけど重要史料を発掘したなんてこともあるわけだけど、そんな史料を現地の研究者にコピーさせられるわけないだろ、常識的に考えて……論文で発表するまで史料存在をひた隠しにするわ……(現地人が自力でたどり着く分には止められないけど、わざわざここにこんな重要史料がありますと教えてさしあげる必要はどこにもない)

日本史であっても一次史料海外にある日本キリシタン史では、史料アクセスハードルが以前から言及されていたのを思い出した。

なおアジアアフリカの旧植民地ではそういう状況がデフォルトの模様。日本史研究する日本人の歴史家は日本国内研究を完結させられる余地があるけど、インドネシア史を研究するインドネシア人の歴史家がオランダに行けませんとか、インド史を研究するインド人の歴史家がイギリス(ryとか、台湾史を研究する台湾人の歴史家が日本(ryとか、そういうのはマジで研究に支障が出るよなあ……

そもそも論だが、「日本人が」イギリス政治史とかドイツ経済史とかを研究する意義が不明。「現地の研究者に任せる」だと何故駄目なのか?

それな! ぜひ同じことをドナルド・キーンロナルド・ドーアケネス・ポメランツイアン・ニッシュJ・ヴィクター・コシュマンブレット・ウォーカーにも言ってきて!

2020-08-15

8月15日に記しておきたい怖い祖父の話

大正まれ祖父は、坊主頭メガネをかけ、こけた頬に冷たい眼差しを持ち、いつも気難しそうな顔をしていた。息子であるから聞く話でも、私は祖父に対して怖いというイメージしか抱いていない。第一印象も第二印象も、とにかく怖い。祖父を評する言葉はそれ以外に無い。もっとも、祖父は私が生まれる7年前に亡くなっている。だから、私が見る祖父はいつも仏壇の脇に飾られた白黒写真のみであり、その気難しそうな佇まいを見るたびに幼心にピシッとした気分になり、怖い爺さんだなぁと思うだけだった。私にとって祖父は、無機質な写真のみで完結していた。

対照的祖母はとても優しい人で、おっとりしたお婆ちゃんだった。私は末の孫だったこともあり、とにかく甘やかされていたので、特にそう思うことも多かった。祖父とは会ったこともないが、祖母とは長い時間を共にした。私は幼稚園に入る前、母が働いている間は朝から夕方まで祖母の家に預けられていたので、祖母とは二人きりの長い時間をゆったりまったり過ごしていた。かなり幼い頃の記憶だが、何故だかその日々のことは断片的によく覚えている。暴れん坊将軍と蒸し芋が大好きな未就園児だったので、祖母とは気が合い可愛がられた。

祖母は幼い頃の私にとって第二の母のような存在で、お話もたくさんしたけれど、既に亡くなっている祖父遺影インテリアのように飾らせているだけで、その人となりについては何一つ聞いたことがなかった。息子であるはずの父や叔父からも、祖父の話は聞いたことはほとんどない。思い出話も一つも聞いたことがない。祖父がどんな人かと聞いても「おっかねぇ(怖い)人だった」と返ってくるくらいだ。そんなこんなで、私が知る祖父像は極めて薄い。とても薄っぺらい。お前の爺さんだよと言われてもピンと来ることはなく、いつまで経っても白黒写真遺影の人でしかなかった。

そんな祖父遺影の脇には、立派な額に入れられた賞状が飾ってある。内容は、抑留生活を慰労し、銀杯を贈られたという内容で、すでに故人になっている祖父政府が贈ったものだ。戦後日本には57万人以上もの人々がシベリアへ連れて行かれており、祖父もその一人であった。『祖父戦争へ行き、シベリア抑留をされていた』たったそれだけの漠然とした事実が、私の中の祖父像を大きく占めていた。小さい頃から、「うちのじいさん、ロシアに連れてかれたんか」と単純に思っていた。どこからともなくの知識で、多くのシベリア抑留者がそうであるように「終戦時は満州にでもいて、捕まったんだろう。だが、どうにか生き延びて帰ってきた」と思っていた。

去年、祖母が97歳で亡くなった。50過ぎの時にヘビースモーカーが祟って肺癌で亡くなった祖父に反し、かなりの大往生である。そこで私は、葬式での親戚が口にした言葉で「祖母が嫁いだ翌日に、爺さんに赤紙が来た」と耳にした。おいおい、なんだそのタイミングは。ドラマかよ、と思った。そもそも祖父母はお見合い結婚だし、祖父戦後抑留され、長いこと家に帰って来なかったし、つまりそれが事実なら祖母は長々と見知らぬ姑と過ごしたことになる。しかも、ど田舎山中にある村で、家業農家という典型的な家だった。時代時代とはいえ、婆ちゃんは肩身の狭い思いをしていたんだろなぁと可哀想に思った。

その頃から興味が沸いていたんだと思う。

遺影の中で怖いオーラを放っているだけの、実態の無い祖父像について。

私はどこからともなく『兵籍簿』の存在を知り、取り寄せたいと決意して、去年の8月15日実家終戦番組を見ながら父に話を切り出して頼んだ。兵籍簿の取り寄せは三等親まで可能で、孫の私でも可能だが、故人の息子にあたる父が取り寄せた方が、必要書類が少なく済むからだ。父は戦争映画などを見るのが好きな人だし、その手のものに興味があるタイプなので、あっさりOKしてくれた。断られたらどうしようと思っていたので、聞いた時はタイミングを見極めドキドキだった。

兵籍簿の取り寄せは案外簡単だ。やり方は調べればネットに載っている。うちの祖父陸軍なので、県の恩給科に電話で問い合わせ、手続きを始めた。ちなみに、海軍だと厚生労働省になる。陸軍であれば『〇〇県 兵籍簿』あたりで調べれば、どこの県もやり方を導いてくれるだろう。発行に際して必要ものは、対象者が故人の場合申請者との繋がりがわかるための除籍謄本戸籍謄本といった、役所簡単に発行してもらえる書類。あとは申し込み用紙を書いて郵送する。コピー代などで数百円かかるが、あまりにも簡単なので、もっと早く取り寄せればよかったと思った。

まぁ、取り寄せた所で、どうせ祖父はちょろっと満州にいて、そのままシベリアに連れてかれていたんだろう。祖父は誰にも戦時の話をしなかったので、家族の誰しもがそう思っていた。語らずに亡くなったがために、語るまでもない軍歴だったのかと、我々は思い込んでいたのかもしれない。みんなが祖父戦争について知っていたのは、彼が『シベリア抑留されていた』たった一言事実のみであるのだから

待望の兵籍簿は一か月かからずに送られてきた。

当時の書類ということで、読み難く難解な旧字も多かったが、やはり同じ日本語なのでほとんどは解読可能だった。それもネットで調べられた。

読み解いてまず驚いたのが、祖父1940年から43年2月まで、きっちり軍生活をしており、一度は満期除隊をしていたということだ。その時は主に満州国境警備をしていたらしい。大きな作戦戦闘に関わることなく、晴れて日本へ戻っていたのだ。もしかしたら亡き祖母は知っていたかもしれないが、祖父は息子たちへ語らずに亡くなったので、満期除隊をしていたことなど誰も知らなかった。

次に驚いたのは1944年2月祖父除隊からほぼ一年後に再び徴兵されており、(祖母が嫁いですぐに赤紙が来たエピソードは日付けから事実だと裏付けられた、祖母マジでお疲れ様すぎる)今度は満州ではなく、北海道の先にある『千島列島』に行っていたことだった。私は先入観からてっきり、祖父満州終戦を迎えたと思っていたので、想像していた祖父人生はガラリと色を変えた。

千島列島……千島列島……たくさんの島が連なる北海道の向こう側……北方領土……。そうか、そこにいた人たちもシベリアへ連れて行かれたのか……。そりゃそうか。

千島列島といえば、日本降伏後にソ連が乗り込んできた占守島の戦いが有名だが、祖父は『新知島(シムシル島)』から途中で『得撫島ウルップ島)』に回され、その二度目の徴兵では約一年半の千鳥列島生活を送り、終戦を迎えていた。兵種はずっと砲兵終戦時は上等兵だった。祖父はヒョロ長い体を駆使し、轟音の轟く砲をぶっ放していたのだろうか。なんともたくましい。

お恥ずかしいことに、私は新知島のことも、得撫島のことも、「なんか名前は聞いたことあるなぁ〜」程度で何一つ知らなかった。千島列島ソ連が攻め入った経緯すらも、占守島の戦いの名前漠然としているだけで、よくわかっていなかった。

どんな所か調べたくなった。特に長くいたらしき得撫島について。当時の千島列島について。

祖父のいた部隊結果的には戦闘をしておらず、言わば活躍をしたわけでもないので、ほとんど資料がなくて見つけ出すのには苦労した。

得撫島はもとより、千島列島自然の宝庫であると同時、一年を通してほとんど霧に包まれ、風も強く、ましてや長い長い冬を有する極寒の地。白夜であり、夏の夜は極めて短い。夏でも長袖は欠かせない。ほぼ無人島。そんな場所で「はい今日から暮らしてね〜」となったら苦労していないわけがない。制空権を奪われていたので、空から米軍攻撃もあった。制海権も奪われており、艦砲射撃が降り注ぐ。戦時中その海域では民間人も含め、2-3万人の人が亡くなっている。祖父のすぐ後に続いて小樽港を出港した同郷の部隊は、魚雷を撃ち込まれ沈没。冬の海に投げ出され、当時は軍機密に隠され2000人以上が死んでいた。祖父もほんの僅かな順番が違っていたら死んでいた。私もこの世にいない。数奇な巡り合わせで今の私は生きている。

得撫島ラッコの島と呼ばれるほどラッコがいるらしい。オットセイもいるらしい。祖父は間違いなく野生のラッコを見ただろう。自然豊かな大地。現代人の私が見たこともない美しい景色を、祖父は計らずとも見ていた。不本意戦時下に望んでもない場所へ飛ばされてはいるが、愛くるしいラッコちゃんとの遭遇が顰めっ面の祖父の心を癒してくれていたことを願わずはいられない。

兵籍簿には、祖父召集や転属などの略歴が淡々と日付けと共に記されていた。必要最低限の事務的情報であるが、その一つ一つの行間にも目に見えぬ多大な苦労があったはずだ。

昭和20年

8月15日終戦

9月29日ソ連により武装解除

10月19日ソ連により得撫島出発

10月24日ソ連ポートワニー上陸以降土工作業従事

昭和23年

7月22日舞鶴上陸

古ぼけた紙は語っていた。戦争8月15日に終わっていなかった。南方の激戦地のように食糧に困る事はなく、敵と遭遇することも戦闘もしなかったとはいえ祖父戦後も長らく闘い続けていた。自分血縁である祖父が歩んだ具体的な数字を見せられ、これはリアルなことだったと肌身に伝わってきた。日本がしていた戦争と、祖父存在への深みが増した。

シベリアでの日々を、祖父の白黒写真の顔と合わせて想像してみた。マイナス40度の永久凍土で働く、ろくな装備もない日本兵たち。栄養失調。ひもじい。所々にシラミが沸く。病気流行る。ご飯は堅い黒パン。粗末なスープ戦争は終わったのに、周りがどんどん死んでいく。いつまで経っても日本に帰れない。故郷よりももっと寒い、極寒の異国の地。日本には結婚生活を1日しか送らなかった嫁が待っている。祖父は雪深い土地で生まれ育ったから、シベリアでも適応能力が多少なりともあったのだろうか。そう思うことが唯一の救いである。

祖父が何も語らずに亡くなったのは何故か。千島列島を盗られた背徳感か。過去抑留生活に蓋をしていたのか。赤化教育を受けたことによる偏見を隠すためか。南方の激戦地に比べたらと、自分の半生は話すまでもないことだと思っていたのか。祖父の心を知る事はできない。私は想像することしかできない。祖父日本に帰ったが、一切を語らずに亡くなった。故郷山村とは掛け離れた四季の彩りのない場所で、途方もない八年もの戦争と闘ったのに、一言も喋らずに亡くなってしまった。

ここでは政治的な話はしない。

兵籍簿を読むことによって、それまで漠然としていた祖父存在がぐんと近づいた。存在のものを実感した。祖父ちゃんと生きていた。過酷時代を生き抜いた。ドラマ映画主人公になるような経歴ではないが、私が一分で根を上げるような過酷環境に長々と身を投じていたのは明らかだ。じいさんすごい。マジでお疲れ様すぎる。生き抜いてくれてありがとう。じいさんが頑張ってくれたおかげで、私はこんな平和世界ツイ廃をしながら、ソシャゲに夢中になれて、推しに心血を注ぎ、それを通して素晴らしい友人と出会うことが出来た。夏にはクーラーの効いた部屋でアイスを食べられるし、冬には暖かい部屋でアイスを食べられる。平和は素晴らしい。色んな国の友達もいる。その中にはじいさんが憎んでいた国の人もいるかもしれない。私は紙切れ一枚で戦地へ送られることなく、空や海からの脅威を感じることもなく、当たり前の明日をのほほんと待ちながら好きなように生きている。これは素晴らしいことだ。そんな当たり前のことを、強く思った。

兵籍簿を取り寄せて良かった。兵籍簿はどこからともなく知った物だが、私はこれを読まなければ自分流れる血に関してとても大事なことを知らずに死んでいた。

仏間へ行き、再び祖父遺影を見上げた。祖父は相変わらず怖い顔をしている。けれど、もうそれだけではなくなっていた。その遺影漠然とした無機質なものではなく、凄惨時代を生き抜いた血が流れているのだ。仏間を見下ろす祖父は、計り知れない威厳を背負っていた。

2020-07-17

anond:20200717042238

不動産屋です。

子供あたりの教師の数」のところは、ここ、笑うところですか?思わず爆笑してしまいました。

子供あたりの教師の数が多いエリア理想なのならば、離島か過疎山村に行けばいいですよ。子供1人に教師2人とか、超「恵まれた」教育環境が待ってますよ。

そういうことなのか?そんな数字不動産の将来性になんの意味があるのか?

逆説的だが、「子供あたりの教師の数が少ないエリア」の方が、つまり子供比率が多いエリア」だから、将来性あるんじゃないの?

最高に笑わせてもらえた。ありがとう

2020-06-26

anond:20200626182740

それって山陰人口8人の山村県道に「橋○徹は包茎」って張り紙貼ってて侮辱罪で逮捕みたいな侘しさがあるな

2020-05-28

地方都市で育ったというニセ記憶

キリンジの『エイリアンズ』って曲のレビューで、「公営団地とかバイパスとかそういうニュータウン的なものノスタルジーを帯びるようになってきた」的なことが書かれていた

どこかで見つけた『ニュータウン青春』って映画トレーラーと「さよならけが人生だ、いやマジで」ってコピーが好きだった

Twitterで「田舎ってのは田園風景神社・山って感じじゃなくてもっとゴチャゴチャしたショボい都会の下位互換だぞ」みたいな意見をよく見る

Fozztoneってマイナーバンドの『平らな世界』って曲の"つまらない話ばかりでごめんよ つまらない街なんだよ"って歌詞が気に入った

 

こういうのが積み重なって、俺はガチのど田舎育ちのはずなのになんか半端な地方都市とかベッドタウン衛星都市で育ったような気がしてきてしまった

俺が育ったのは人口500〜600人、小学校の全校児童45人、その辺にサルイノシシアライグマなどが出没するマジの山村だったのに

「つまらない街なんだよ」じゃねえよ そもそも街ですらないんだよな 森に阻まれ全体像全然掴めないからまとまりとして把握すらできねンだわ

山を2キロ下りたところにある最寄駅の周りはさすがにちょっと町っぽい!と思ってたんだけど、前に帰省したとき「駅の歩道橋から町を見渡してエモくなるやつやるか」と思い立って見渡したら全然町じゃなくてただ「道路に家々がへばりついている場所」でしかなくて絶望したんだよな この程度のものを町と思ってしま環境暮らしてたのか!と

公団バイパスもないし てか何もねえわマジで 山だから田んぼすらまばらなんだよな 何があるんだ? あんなとこに住むなよな 

2020-04-09

山村高史の写真に「Official Worldwide Olympic Partner Panasonic」が写り込んでた

ああやっぱりそうか。

東京オリンピックに関わっている人間達というのはこういう人種だったのだと得心がいった。

薄ら寒い自己満足のために若者の命なんてゴミクズのように扱える者たち、他人の作り上げた成果を自分の物と勘違いするような盗人。

そういう者たちが、「2020年に予定されていたオリンピック」を作り上げていたのだ。

オリンピックがいつからそうなったのか、今回の東京五輪けが特別にひどいのか、それは私にはわからないが。

ただ間違いなく言えるのは、今回のオリンピックを作り上げてきたのは、こういったエゴにまみえれた中高年達であったのだ。

今度のオリンピックは、若者による健全スポーツの祭典などでは断じて無い。

自分では体を動かすつもりもない者たちが、自分人生に箔をつけるために他社を踏みにじり利用する過程で産まれた生贄の儀式だったのだ。

ハッキリ分かった。

こんなものはやるべきではない。

2020-03-27

ヴィンランドサガで海賊山村集落を襲撃して乗っ取る会で

備蓄した食料は倉庫に入ってる内容だったな

ひょっとして陽性患者出現でスーパーコンビニが全部閉鎖しても倉庫食糧備蓄しとけば死なないのか

2020-03-09

anond:20200309012039

流行り病で孤立した山村芸人さんがまわってくるとみんな大喜びでお布施を払うって感じ。

今は健康な人でもそうなんだからむしろ堂々と家にいてやすんでおけばいいのでは

2019-11-25

山村もみもみ

もみもーみ・もーもみ

2019-11-10

anond:20191110125906

今年一番のパンティーを決める山村太郎賞は去年不正が発覚して権威が地に落ちたけどな

anond:20191110125700

パンティーを愚弄する者はパンティーによって死ぬ」と明治時代パンティーを広めた山村太郎も言っていたぞ

2019-08-14

NHKっていい番組多いじゃん

映像の世紀とか。

すっっっっっっっっっっげえつまらねえ田舎山村の老人の独白みたいな番組は正直無用だけど。

2019-07-30

anond:20190730125151

約束反故にすれば相手が信用を失って困るだけだから」って理由曖昧な部分を残した結果が今の日韓関係なわけでな

今の韓国は「無敵の人」ならぬ「無敵の国」状態から

後進国の貧しい山村なんかに行って「この書類署名すれば先進国から何万ドル賠償金がもらえる」と触れ回ったらどうなる?

それが複数国で大規模かつ組織的に行われたら?

政局狙いでそれに便乗する欧米メディアが出てきたら?

こういうときってのはだいたい最悪の事態に限りなく近いことが起きると思って警戒しておくべきだろうね

2019-05-12

移動時間を上手く使えっていうけど

あんなもん、乗り物に酔わない奴らの妄言だよ。

選民思想といっても過言ではない。

生憎と私は死ぬほど乗り物酔いをしやすい。

電車新幹線フェリー飛行機高速バス。なんでもござれで瞬時に酔う。

なんなら車の助手席で窓を開けてても偶に酔うくらいには酷い。

(自分運転してても段差が多かったり長時間運転してると酔う)

酔い止めもダメストレッチダメ三半規管を鍛えようと色々やったけど症状全く寛解せず。

そのせいで、乗り物に乗る時は、必死で前を見ているか眠ることしかできない。

横や後ろを見ていたら、十分もしないうちに気持ち悪さで限界になるから


から、私は移動時間を上手く使う発言が憎らしいし、同時に羨望の対象になっている。

新幹線スケジューリングとかPC作業をやるサラリーマンが眩しい。

夜行バス、隣の席でプロレスだかの週刊記事遂行して書いていたライターおっちゃんが羨ましい。

電車のどか山村地域をバックに、小説を読みふけっていた眼鏡のお姉さんが輝かしい。


そして、それらが出来ない自分が悔しくて、恨めしい。

移動時間を上手く使え、と執拗に言ってくる輩に文句の一つでも言ってやりたい。

その選択肢が無い人が、少なくともここにいるんだ、って。

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