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はてなキーワード: カウンターカルチャーとは

2020-09-23

漫画男性向けや女性向けとカテゴライズされているのはなぜか

この記事テーマに解を与えるようなものではなく、むし不可解な点を挙げるにとどめるものであることを断っておきます

漫画は必ずといってよいほど性別(+世代)基準カテゴライズされています

少年向け、少女向け、青年向け、TL、ヤングレディース女性向け…

単行本はこの分類に従って、書店では棚分けされていますし、電子書籍サービスにおいては一つの作品につき一つこれらがタグとして付与されているものです。

結果、読者がターゲットして想定しない性別の読者には作品存在が目に入らないということになっていると思います

マニアとかは気にしないことでしょうが、たまに漫画を読む程度の人にとって、男性(女性)ならば女性(男性)向けが陳列された棚に行ってみるというのは、気が引けるか、そういう発想自体起こりづらいのではないかと思います

電子書籍サービスでも、アクション恋愛といったジャンルではなく、青年向けとか少女向けといったカテゴリー第一分類とし、ページデザインにもトップページからそういった分類に基づいて専用の入口を作ってあるといった具合に反映されているのが普通です。

そのようにデザインされたサービスアクセスした普通の読者は、疑いなく自分性別に合った入り口のみから漫画を探すようになるでしょう。

まりそもそも売る側が読者を性別限定するような売り方をしているわけです。これは特異なことだと思います

たとえば映画なら、たとえばSFとかアクション男性に好まれるといったような傾向はあるでしょう。だからといって映画館に男性向けと女性向けに分かれた別々の入り口があって、片やでSFアクションのみを扱って片や恋愛映画などを扱って、なんてところはないでしょう。

しろ宣伝する機会があるならば、自分作品が万人に受けると思った供給側は、積極的に「男性女性)にもおすすめ」といって積極的顧客の間口を広げようとするでしょう。

レコードにしても、ロックとかニューミュージックみたいなジャンルに分けられた曲男性向けと女性向けという分類で恣意的再構成して売り場を分けるということはしないでしょう。ゲームもそうです。エロゲーですらホームページに入る時の注意書きは「未成年の方や性描写の苦手な方は入場はご遠慮ください」といった言い方をしてます

未成年の方や女性の方は~」みたいな決めつけは行いません。

テレビでやっていたアニサマライブを見たのですが、萌えアニメといわれるようなものや、乙女ゲー原作アニメのような視聴者性別に偏りがありそうな作品の曲が流れているところでも、男女関係なくサイリウムを振って盛り上がっているようでした。もしアニメ性別で見る人を選ぶものならば、そもそも作品ごとの視聴者層の性別の偏りを考慮せずに編成したようなライブは成立しないでしょう。そうであるならば曲目の半分ぐらいがいずれかの性別人間にとって退屈なものということになりますお金を払ってまで退屈な曲が半分もあるようなライブを聴きに行く人などいるでしょうか。

以上の例から言いたいのは、おおよそサブカルチャーと呼ばれるようなもの男性向けとか女性向けといった区別はされないものであるということです。

消費側で性別が偏ったり、「これは○性向けだ/○性におすすめだ」と批評する人は出てくることはあるでしょうが、少なくとも売り手が、この作品は○○向けだから一方の性の目には極力入らないようにしようみたいな、押しつけがましい売り方をすることはないのです。

サブカルチャーのことを語ると「では芸術はどうか」と気にするべきかもしれませんが、語るまでもないことでしょう。

ダビデ像モナリザに対して男性向けだの女性向けだのにカテゴライズしたがる評論家を、少なくとも私は寡聞にして知りません。

以上が漫画が特異だと申し上げた理由です。なぜわざわざ間口を狭くするような売り方をするのか、かえって作品と読者のミスマッチにつがなったりしないのか甚だ疑問です。

この状況を引き起こした要素として考えていることが二つほどあります。それはコンテンツ構成歴史にまつわることです。

まず漫画物語+絵を楽しむコンテンツだということです。田山花袋蒲団太宰治美少女官能的な描写がありますがそういった文学作品に対して男性向けとか言う人はいません。文字だけで構成されたもの特定性別に訴えかける力が弱い/特定性別嫌悪感を催すことが少ないということで、○○向けと限定する根拠に乏しいのかもしれません。まあ、戦前作品なので日本資本主義が本格化してないかという事情もある気がしますが…。

宗教画は屏風画は一つの作品の中に動的な物語性があって漫画祖先ともいえそうですが、これもまた絵のみで構成されたものなので文学作品の裏返しといえます

しかしそれ以上に、これらが描かれた時代にはマーケティングという概念どころか資本主義自体存在しないという背景が理由比重として大きい気がします。

まりこれらは、誰に売り込めば効率よく売りさばけるかといったことを分析的に考えるための主義概念もないので、これらは当時の人にとって○○向けだと考える動機もなかった、また我々がこれらを○○向けと批評するのも現代パラダイム恣意的投影に過ぎないから、そういった検討一般的に行われていないのだと考えます

時代が下って少年キングが出たあたりが転換点なのでしょう。なぜ少年○○と冠する漫画雑誌を出したのか?やはり絵と文字を組み合わせたものは性依存的な訴求力が強いものになりうると考えたからか?とにかくここから少年漫画興隆し、対立するように少女漫画雑誌も生まれ成功体験を経たこれらの漫画雑誌供給者は読者の成長に合わせて、既存雑誌カラーに、読者の年代という要素で微調整を行って雑誌派生させていく、これが、いかなる漫画雑誌も、その総集編に過ぎない単行本にも性別が想定されている理由だと思いますライトノベル性別が想定されているのも漫画編集方針を見習ったというところでしょう。

歴史のものがこうだったとして気になるのは、この歴史への舵取りをした人の考えは正しいものなのかということです。

男性向けとか女性向けって何でしょう?たとえば男性男性向けに描かれたものを好むという発想はどこから来るのでしょう?

自分男性であるという自覚男性向け作品に描かれる絵や物語に向かわせるのでしょうか?それとも(特にラブコメ恋愛なら)女性が好きであるという欲求の方が根源なのでしょうか?

まり性に基づく嗜好というものを考える際には最低でも性自認性的指向という切り口は欠かせないものではないでしょうか。しか最初期の少年誌が発刊された当初には日本にはジェンダー論が存在しません。つまりこの歴史的な漫画雑誌の創刊自体理論根拠に乏しい見切り発車なのではなかったのかという気がします。

おまけとして、同じ漫画作品なのにある巻が男性向けで別の巻が女性向けに分類されてしまっている例を挙げておきます。これは漫画に読者の性別というものを想定して仕分けようとすることが原理的に無理のあることを示す一例ではないかと私は思っています

賢者の石(13)→男性向け

https://www.cmoa.jp/title/48001/

賢者の石(14) →女性向け

https://www.cmoa.jp/title/124998/

追記

ある娯楽が男女どちらに強く求められるものであるかということを検討する際には、性自認性的指向概念必要だろうということは述べました。

日経ってこの考え方の厄介なところに気づいたのでまずはそれを示しておきたいと思います

たとえば男性向けとされるコンテンツの集合が受け手性自認依存するもの性的指向依存するものの混合であるします。では性自認依存する作品ならば、恋愛対象男性FtM先天的性別基準にすれば女性異性愛である人についても、シスジェンダー男性同様にそのような作品を読む人の割合は高いのでしょうか?

ちょっと分かりづらいと思うので、語弊が生じるのを覚悟でざっくりした言い方をしますと、男性向けコーナーにいる女性には、一定割合トランスジェンダーがいるのかということです。

また性的指向依存する男性向け作品女性読者には、いわゆるレズビアン一定存在しているということなのでしょうか?

いやむしろ逆に考えた方が分かりやすいかもしれません。そういうトランスジェンダーレズビアンの多くが、男性向け作品の愛好家なのでしょうか?逆に言えば、そういう人たちにとって女性向け作品はその性自認や性指向には受けが悪い作品ということなのでしょうか?

以上の議論は男女をひっくり返しても全く同様です。今の所このような議論は全く抽象的です。個人が「確かにレズビアンって少女漫画より青年誌のお色気漫画の方をよく読んでるな」とか言っても印象論にしかなりません。

そもそも性自認的な要素や性的指向的な要素は何に宿るのでしょうか?キャラクター容貌や魅力といったものについては、人物的な好感を喚起するものとして性的指向に関わるものと考えられそうです。ではそれ以外の線のタッチ物語の筋書きといったはどちらに関係するのしょう?たとえば一般的女性向けとされるBL耽美的と呼ばれる細い線で描かれることが多いですが、あれは性自認性的指向のどちらに関わる魅力を増幅しているのでしょうか?またこれは、BLを持ち出していることで、まる細い線が女性一般的に持つ性自認性的嗜好に訴えるものであることを前提としたような書き方ですが、もしもここに男性読者が多い作品を引っ張ってきたら、意図するしないにかかわらず、全く逆の前提が演出されます。どうにも、よほど注意しないと結論根拠が単なる具体例の寄せ集めにしかならないようです。

物語の筋書きならば、恋愛物のような自分投影すべき対象が明らかなではなく、俯瞰的目線で話を追うことを読者に仕向ける人間ドラマを描いた作品も数多くありますが、その物語性自認性的指向といった観点分析するにはどうすればよいのでしょうか?

結局、漫画を要素に分解することはいくらでも可能しょうが、その性質直感的に判定できるものは少なく、そうではないものについて単なる具体例の寄せ集めではない形で検討して統合するのもまた困難でしょう。

からこの切り口は、創作論には応用しにくいといえます。具体例の寄せ集めで出された結論を応用するぐらいなら具体例そのものを応用した方がよいわけです。

マーケティングとしても、有効かどうかも分からない他所科学概念でまどろっこしく分析するよりは、単に典型的男性女性存在する社会モデルに対して作品を売り込む方式のほうが合理的なようです。

一つ懸念があるとすれば、漫画文化におけるクィアの居場所です。どんな作品に対しても男性向けか女性向けのいずれかのタグけがされている社会なのでは、自分男性とも女性とも思わないクィアの人たちの中で「私達に向けられた作品は無いのか。漫画典型的男性女性だけのものなのか」と思って疎外感を抱く人がいても不思議ではありません。男性向けと言っている以上は男性向けでしかないし、女性向けだと言っている以上は女性向けでしかないわけで、自分自身を男性とも女性とも考えない人の主観にとって、自分に目を合わせてくれる販売者が誰もいないような世界なわけです。

ただこれはトイレ入り口にある男女の図案に対して文句を言うのと同じ構図で、不満を募らせても仕方のないことです。ジェンダーという考え方が存在する以前に成立している慣習には社会的に認知すらされていなかった人々に対する悪意などあるはずもないのだから、むしろ過去遺物に囚われずに思うままに自分にとって好ましく感じた漫画を読めばいいのです。

でもやっぱり囲い込みみたいなやり方は問題

はっきり言えることは、ゴルフとか釣りとか盆栽みたいな芸術でもサブカルチャーでもない娯楽は、どんなに特定の性に好まれそうなイメージがあっても、それらの用具を売る立場の人がそのイメージに即した宣伝をするようなことはしません。その愛好者の性がいずれかに偏っているというイメージ共通認識といえるほど強力にあったとしても、それには何ら必然性はなく、ただ現時点における流動的で結果論的な現象として捉えられているのではないでしょうか。売り込み次第でいくらでも状況は変わると思われているから、むしろそういう趣味ほど「女性にもおすすめ」みたいな宣伝がなされるのではないでしょうか。

初音ミクってありますよね。ニコニコ動画話題になった2007年当初こそはいわゆるキモオタ向けといった様相を呈していたようですが、数年後には女性ファンの方が多いぐらいになってコミュニティとしてはむしろ男性の肩身が少し狭いぐらいになっていたといいます。※1

初音ミクはもともと作曲支援ツール以上でも以下でもないので、当たり前だとは思いますが、男性向けコンテンツして宣伝したわけではないですし、当初とコミュニティ層が変わったからといってヤマハクリプトンフューチャーがそこへ軌道修正的な介入をすることもありませんでした。男性に愛されようが、女性に愛されるようになろうが、すべてが結果論、成り行き任せというわけです。別の言い方をすれば、そのコンテンツカラーは消費する側で意味づけする。ユーザ主権ということです。

漫画も、これぐらい読者任せでもよいのではないでしょうか?

出版業界不況は今に始まったことではないですが、そういう垣根をなくしたほうが作品間の読者の流動性が高まって漫画の売上が底上げされるのではないかと思うのですがどうでしょう

まあ、ピンチからこそ安易な賭けもするわけにはいかないという考え方も至極真っ当ですけどね…。

でもメリットもある

ここまでずっと弊害のように書いておいてなんなのですが、男性向けや女性向けという分類にメリットというか効能のようなものを一つ見いだせました。

単にアクションとかファンタジーといった次元ジャンルしかないのと比べると、性別というレイヤーもあったおかげで、むしろ漫画表現が多様になった側面があると思います

もしもそのような分類がなければ、たとえばアクション漫画は今よりも男性に好まれものばかりだったかもしれません。

男性向け女性向けという概念があって、それに基づいて男性誌、女性誌があるから、たとえば女性誌の制約のもとでアクション漫画を描こうとすれば、そこで必然的に「女性向けアクション漫画」とも言うべき新たな特色を持ったジャンルが起こるわけです。男性向け、女性向けという概念が、漫画家にとってはカウンターカルチャーとしての新ジャンルを創出する意識付けになっているという見方ができそうです。

今後、男性向け嫁姑漫画なんてのも出来たりするかもしれません。

多分追記する前の方が断然まとまりは良かったと思います。乱文失礼しました。

注釈

※1 ニコニコ学会βを研究してみた」という本にグラフも交えて書いてあったのですが、具体的なページは忘れたのでそれは後日

※2 この記事価値観マンガ古本雑学ノートに培われたところも大きい。全くジャンルというもの意識させない、ジャンルに偏りがない漫画遍歴だった。

※3 読書メーターにも数千冊数万冊と読んだ漫画感想を逐一丁寧に書いている人がいるが、多読家ほど雑食なことが多い気がする。でもそれは彼ら彼女らが変人からというよりも、むしろ漫画にそういうジャンルけがあるせいで見かけ上の断片化しているだけのような気がする。そういうバイアスを取っ払った先には彼ら彼女らの嗜好にも何らかの一貫性というものが見えてくるのではないか男性向け<

2020-05-18

オタクですらない日陰者

俺は日本のどこかの高校に通っている高校生です。

俺のいる高校にはオタクと呼ばれる人々がいます


オタク毎日何人かでつるんでデレステやらバンドリやら荒野行動やら楽しそうなスマホゲームで遊んでいるようですし、

少し前には五等分の花嫁ヒロインの話で動物園サル山の如く盛り上がっているのを見たことがあります


そういうオタクどもは大抵淫夢のこともよく話しています

淫夢語録はオタクもの間でちょっと面白い定型句コミュニケーションとして使われているようです。

かくいう俺もなんとかぼっちにならないように一部の連中と淫夢語録で会話したりもします。


最近インターネット上では鬼滅の刃かい漫画アニメが人気らしいですね。

みんなが喜んでみているようなので俺は覗きすらしていませんが。

自分高校国語教師(四十代後半と思われる)がかまど丹次郎だかなんだか鬼滅の刃キャラクター名前を出してきたのには心底驚きました。




いつからクッセエ萌え豚アニメ淫夢はこんな日向の連中に浸透したんですかね。いつからオタク”という存在がこれほどライトものになってしまったんですかね。

どうしてこんな奴らのことをわざわざオタクと呼ばなければいけないんでしょうか。

こいつらのことをオタクと呼びたくありません。





とはいえ俺も昔はきららアニメなんか見てましたよ。

中学生くらいのときはそういう奴らとつるんでたんでいっちょ前に「あぁ^~心がぴょんぴょんするんじゃぁ^~」なんて言ってましたよ。喜んでわめいてましたけれども。

高校生になったらなったでこんなクソすれた逆張りウンコに成り下がって女児アニメ見てます。5年後の俺はこの俺を殺したいだろうな。
















以上感情にまかせっきりで書いてましたが多少は理性的に書きます

オタク”というアイコンはすでに日陰者からウェイ系の連中に引き渡されました。




俺は若いのでよく知りませんが、90年代00年代くらいまではオタク文化はある種のカウンターカルチャーだったんですよね。

筋骨隆々元気溌剌な連中から隠れて教室の隅っこに2~3人で集まって深夜アニメの話をするとか。


そんなもの現代高校にはありません。少なくとも俺の高校にはない。

深夜アニメどころか明らかに社会道徳にもとっていてカウンターカルチャーになりそうな淫夢でさえライトオタク共の間にも普及しているし、

そういうライトオタク共はデカい顔して教室の真ん中で机を囲んで昼飯を食ったりしています







俺のような教室内の2~3人の日陰者たちが共有できるカウンターカルチャーなどというもの現代には存在しません。俺はどうすればいいんですか。助けてください。

2020-05-11

なんでもネトウヨのせいにするのやめてもらっていいすか?

こちとら生まれvip、育ちは嫌韓板の生粋ネトウヨなんすけど、

自分に都合悪い意見を見るとすぐにネトウヨ認定する奴ら。

お前らがやってる事、ネトウヨ在日認定と変わらないんだけど。

ネトウヨ根底には、反日的教育的な報道を繰り返すマスメディアへのカウンターカルチャー所謂ネットde真実)があるわけ。

歯に衣着せぬ物言いで痛快に反日新聞記者を言いまかす「俺たちの麻生」だったか応援してたの。

メディア検察アンダーコントロールに置き、真実をひた隠し、日本の国力を下げる安倍麻生は最早ネトウヨの敵だよ。

2020-03-24

百分で名著アーサー・C・クラーク幼年期の終わり

原点あたってないけど、基本的翻訳年を観るとちょうどUFO超能力が取り沙汰された、70年台の頃の作品だなと。これはあくま国内事情で、向こうではアダムスキーなど、数年早くブームがきていた。この頃の空気感自分の子供の頃にはまだ全然残っていて、TVでは超能力特集とか毎度のように放送していたと記憶している。

番組ではクラーク氏の科学観を云々と述べていたいのだが、どこまでいっても時代の制約を人は脱しきれないのだ、という印象が強くなるばかりだった。時代の空気を読んで何かを作らざるを得ない以上仕方ないことなのかもしれない。

科学カウンターとして宗教的ものを尊ぶという極端なヒッピー文化的な発想、近年の疲れ切った西海岸IT実業家カウンターカルチャーとして嵌まるメディテーションとそう変わらない印象を受ける。西洋人はその不自然なまでの実存主義に厭世感を覚えて常に別世界に逃げ込もうとする。

厭世的と極端なユートピア思想の背景は言うまでもなくベトナム戦争にるものなのだろう。両極端な分離した心理で常に葛藤して、それに対して内外圧と極端な癒やしを求める。もはやアメリカ全体がうつ状態なのではと思う。躁鬱の差が激しい国だと感じる。そういえばうつ病になりやす性格は白黒はっきりつけようとする性格だとか。

2020-03-14

anond:20200314191110

強者をいじって遊ぶのは弱者なりのカウンターカルチャーだってこと。

問題強者だと思ってた相手の中に、LGBTという女性以上の弱者が混じってたケースだね。

2020-01-11

anond:20200109114755

島国だし

内需が強かったし

この辺は音楽に限らずガラパゴス進化を遂げられた要因の上に

ラップを上手くローカライズできなかった

日本人ラッパーの質が悪かったのかも知れない

ダジャレ言ってるみたいでクソダサみたいな偏見あるし

なんか第一人者風の人が実は高学歴ボンボン

カウンターカルチャー精神は置いてきぼりで

ファッションセラップになっちゃったのも悪かったのかもしれない

全部偏見

2019-08-23

anond:20190822233353

あえてマジレス的に考察比較してみる(★印は主観だが、世界観点のつもり)

1899年1909年 激変度★★★

 世界帝国主義絶頂期。飛行機実用化、ドレッドノート軍艦が登場。

 国内日露戦争に勝って一流国の仲間入りした気分になる。

1909年1919年 激変度★★★★★

 世界:清・独・露・オーストリアトルコ革命帝政やめる。第一次世界大戦で陸海空の技術レベルが激変。男が兵隊に取られた分を埋めるため女性社会進出が拡大。

 国内第一次世界大戦成金が続出。余禄で商工業が発達。

1919年1929年 激変度★★

 世界基本的に2つの大戦間の平穏な時期。アメリカ大戦後の好景気で急成長。自動車産業が発達。あと各国でラジオ映画が普及して大衆文化が拡大。

 日本大正デモクラシーの時期。藩閥政治家が高齢化して影響力を失う。

1929年1939年 激変度★★★

 世界恐慌で各国経済がガタガタになる。ファシズムが台頭。

 日本満州開拓戦争景気の時代右翼テロ流行

1939年1949年 激変度★★★★★

 世界第二次世界大戦の勃発と終結冷戦体制の到来。核兵器ロケット兵器実用化。戦勝国の多くも植民地を手放す。

 日本敗戦大日本帝国は一度滅亡。新憲法が制定。社会制度は激変したが、日本人の大部分は引き続き貧乏農民で、生活風景昭和初期とそれほど変わってないはず。

1949年1959年 激変度★★

 世界戦後復興でみな忙しい。あと冷戦期。

 日本:まだみんな貧乏。でも高度経済成長が始まる。

1959年1969年 激変度★★★★

 世界冷戦体制から緊張緩和。東南アジアとかアフリカ諸国とか次々と独立カウンターカルチャーとか出てくる。新左翼運動が激化。汎用コンピュータと月ロケットが登場。

 日本高度経済成長が本格化。農家個人商店からサラリーマン世帯が激増し、家電製品自家用車が一気に普及テレビが普及してエンタメも変化

1969年1979年 激変度★★

 世界ベトナム戦争は失敗。米中が国交樹立。米ソ両陣営とも停滞。

 日本オイルショック高度経済成長が終了。新左翼運動が失速。

1979年1989年 激変度★★★

 世界:前半は停滞の冷戦体制。後半急に米ソ冷戦は雪解け、ソ連より中国のほうが危険視されるようになる。イランイラク戦争を契機にイスラム原理主義が台頭。

 日本:一億中流とかポストモダンとか言ってたおめでたい時代。後半はバブル突入

1989年1999年 激変度★★★

 世界冷戦体制終結世界アメリカ一人勝ち……と思ってたんだよこの頃は。インターネットの普及、といってもまだダイヤルアップ時代

 日本バブル崩壊。だんだんみんな貧乏になる。ネットはまだどちらかといえばオタクアイテム宮崎勤という男のせいでオタは日陰者だった黒歴史時代

1999年2009年 激変度★★★

 世界テロ戦争時代中国経済が急成長。最後のほうはリーマンショックネットの高速・常時接続化とともに電子商取引が普及。後半にスマホが登場。

 日本失われた10年だか20年だか。新自由主義構造改革活性化するつもりで失敗。宮崎駿だの押井守だの庵野秀明だのの商業成功のせいか、いつの間にか「ジャパニメーション日本が誇る文化」になった。

2009年2019年 激変度★★

 日本:引き続き、総じて先進国は少しずつ落ちてアジア新興国が伸びる。

 日本:失われた20年だか30年だか。

2019-06-18

anond:20190618100617

スポーツ関係コミュニティが持つ強ければ強いほど発言権のある強者カルチャーの逆で、童貞カルチャーは惨めであればあるほどマウントを取れる弱者カルチャーなのかもしれないな。

カウンターカルチャーって感じあるな。

2019-06-14

anond:20190614052059

カウンターカルチャーに反発するのは、年のせいじゃなくてオタクからだろ

10代でもやるぞ

オタクの異常なタピオカ、インスタ、K-POP叩きってさ

ついにオタク高齢化してきて

自分たちに対するカウンターカルチャー理解を示さなくなったって良い例だよな

00年代芸能人大好きテレビっ子オタク叩きみたいにさ

自分らもそうやって偏見に晒され、憤慨してきたのにね

 

 

俺ならどうやって自分の好きなオタク文化

この手の新参文化(まあ以前何度かブーム来てるんだが)と絡ませられるか考えるけど

ほとんどの人間は拒絶で終わってしまうのが悲しいもんだ

ちょっとサムゲタンが出ただけでキレる方々もおるし

歴史は繰り返す

2019-05-28

anond:20190528185102

にじアンスレってまさに優しい世界カウンターカルチャーからな。

5chですらマンセーが溢れてNG含めた言論統制だらけになったからみんなアンチスレに移ったんだし。

2019-04-10

もうオタク趣味には飽きたから次の話

かつてのテレビ業界のように

既得権益化したオタク業界に対するカウンターカルチャーって何が来るんだろうな

2019-01-05

anond:20181225224942

よくできたまとめ。

かくいう自分はロストメビウスあたりで離れた組(※と、いいつつ結局今でもどこか目の端で作品群を追いかけている)

このあたりの解説もまさに増田の言うとおりで、作品テーマが難解になって、作者の言わんとしているところと作品読了後の自分の得たいカタルシスが一致しなくなったため。

自分ブギーポップに求めていたのは第一に『笑わない』のような多重構造ミステリーを通して語られる世界というものの複雑さと適当さに圧倒される閉塞感。

第二に『パンドラ』『ホーリィ&ゴースト』『冥王と獣のダンス』『ビートのディシプリン』『ナイトウォッチシリーズ』で示されるような、閉塞的な世界において個々の人生という名の運命=<試練に立ち向かう戦士>の話。

第三に、前項ふたつの要素が組み合わさって終幕を迎えた物語におけるカタルシス

初期作品は間違いなくこの三つの要素で形作られていたといっても過言ではない。

そして著者のあとがきで語られる分析考察独白みたいな結論通称上遠野節と言われる)がこのカタルシス絶妙な味を与えてくれて、二週目以降の読破にも興が乗る。

このカタルシスだが、二期後半以降かなり薄れる、

具体的にはまさに増田が触れているとおりで、ロストメビウスとそれ以降の作品群。

世界の謎要素』が強くなった二期以降のブギーポップにおいて、ロストメビウスは作品群として重要位置づけにはなりえても『戦士』よりも『世界の謎』を優先したために作品単体としての完成度が低い。

そのわりにロストメビウス以降も大筋でブギーポップ世界観に進行があったということはないので、かなり肩透かし感がある。

そして二期作品以降はこの傾向が加速して、世界観に一切進行のない肩透かし感(「結局あれはなんだったのか」)が続く。

その原因について、ブギーポップを含む作品群についてを含めてこのblogがすばらしい考察を書いているのでリンクを張っておく。

http://gentleyellow.hatenablog.com/entry/2019/01/03/135038

もともと上遠野氏の作風ストーリー自体がもともとスタンドアローンで、ストーリー同士をつなぎあわせることで全体が見えてくるというミステリーみたいなスタンスだった。

まり最初期における『笑わない』で用いられていた手法が、今度は作品群全体において用いられるというスケールアップが面白かった。

したがって、巻が進むごとに世界の謎が徐々に解き明かされるというミステリーっぽさが熱狂的なファンを生んだ。

しかし二期後半くらいから過剰になってきたために、年単位放置されてきた伏線が増えてきたことで、作者の中でネタ賞味期限が切れてきた、というのが正直なところではないだろうか。

この賞味期限の切れ具合から起こったネタ在庫整理が、そのまま上遠野氏における二期、三期の切り替えの時期に一致している感じがある。

したがってこの賞味期限切れの結果、世界の謎要素は徐々に手仕舞いしなければならなくなる。この手仕舞いが「ヴァルプルギスの後悔である

ではそれ以降のブギーポップはどうなるのかというと、作品全体を覆う世界の謎がなくなってしまったので、あとにはスタンドアローンになったストーリーしか残らない。

筆者が特にこの傾向を感じたのは「沈黙ピラミッド」あたりであり、確信したのが「化け猫めまいスキャット」あたりである

この辺になってくると、もはや世界に謎がないのでスタンドアローン作品を見ていく以外に楽しみ方がない。

もともと外伝作品スピンオフのかたまりだけで構成されていたブギーポップシリーズが、それでもシリーズの体を保っていたのはブギーポップ存在世界の謎だったのだが

世界の謎がなくなったことで(※まぁ、振り返ってみるともともとそうではあったのだが)ブギーポップシリーズが明確に単純なスピンオフの塊シリーズとなった。

類似作品としては「地獄少女」みたいなものだと思ってもらうと分かりやすいだろうか。

ブギーポップの魅力が一番詰まっているのはやっぱり原点である「笑わない」とそこに連なる初期9作品、ロストメビウス手前までの二期前半だと思う。筆が載ってた時期が一番面白かった。

個人的には「ビートのディシプリンシリーズこそ真骨頂だと思っている。<世界>と<戦士>の構図をカタルシスと共に描くことにかけては著者の作品でいまだ右にでるものがない。

時系列的にも世界の謎がもっとも沸騰していた頃だったので、ここまでは大きな流れが見えて面白かったように思う。

二期後半以降から作者はたぶんブギーポップ関係とは別作品を書き始めて、ブギーポップ位置けが自分の中で変わってしまったんだと思う。

やりたいことをやるために別の枠が用意されているなら、ブギーポップではもはやそれをやる必要はない。特にヴァルプルギスの後悔>という大仕事を終えてからはそれが顕著である

したがって初期作品に見られたカタルシス二期作品と並行で書かれた著者の別作品できちんと得ることができる。

たとえば<戦士>と<世界>の構図の代表作であれば『冥王と獣のダンス』や『ビートのディシプリン』『ナイトウォッチシリーズ

そして<世界の謎>=ミステリーであれば『しずるさん』『ソウルドロップ』があげられる。

まりこの辺から上遠野さんは、やりたいことがいろいろとできちまってブギーポップについてはとっちらかし始めた感じがあり、最終的にもともとそうであったようにスピンオフスタンドアローンストーリーの寄せ集めに落ち着いた感じがある。




アニメ化について

すでに二話まで見てみたが、まぁこんなもんなのか?という感じ。

個人的演出が惜しい。

もっとカットを多様してキーワードとなる台詞にはキャラクターの口元を映したり、必要なシーンを瞬間的な回想で一瞬だけ挿入させるなど、雰囲気を出すためにシャフト演出必要なのではないか

シーンごとのつながりは見た人に分かりやすいつくりにはなっていると思う。

ただ木村君を出さないのはどうかと思う。「笑わない」を読んだことがある人にはわかると思うが、通しで読むと途中までは単なる青春ストーリーしかなかったもの

木村君のチャプターから徐々にストーリーの肝へと近づいていく、いわば切り返しのチャプターなのだ

というよりそもそも三話か四話程度で「笑わない」をやってしまう今回の計画自体に無理があると思うのだがどうなのか。

聞くところによると中盤から後半は「vsイマジネーター」をやる予定らしい。

上遠野氏にとって間違いなく重要存在だったイマジネーターだが、多分筆者の雑感ではおそらくまだこのテーマは著者の中ですっきり終わってないまま放置されている。

原作がまだすっきりと終えていないものアニメ化したところで面白い話になるはずもない。

個人的監督に対する批判としては、アニメ化するなら上遠野氏の作品のなかでもスタンドアローンできれいに完結しているものを選ぶべきだった、と言いたい。

何かと話題になる『笑わない』とか『イマジネーター』ばかりに目をやるのではなく、形としてワンクールに綺麗に収めやすい初期の作品なら

ペパーミント魔術師』『ホーリィ&ゴースト』『エンブリオ侵食炎上』『パンドラ』があったではないか

初期作品の趣を正当に継承しつつ、ワンクールという短い話数でまとめやすくきちんとカタルシスを与えられるストーリー強度を持っているのは間違いなくこの四作品だ。

監督はこの中から映像化する作品を選ぶべきだった。

■三期以降の作品ブギーポップシリーズについて

三期以降の著者の作品は手にとっていないので分からないというのが正直な感想だが

懸念していることとして何点かあげておきたい。

第一に、90年代の閉塞感というものはもはやない。

少なくとも現代ジュブナイルにそういう感情はない。

成熟期~衰退期にある現在日本は、当時の熱狂からの急速の冷却時期をある種越えて、落ち着いた感じがある。

またITの広がりを受けて知識を得ることが一般かつ容易になったために、今まで知らなかった社会の謎や不満、不安が解き明かされつつある。

少なくとも「自分の感じていること」が何なのかを社会的な構造論理できちんと説明できるようになった。「何がなんだか分からなかったものから、少なくとも「原因はこれなんじゃねえか」と言えるような、手触りのあるものにまで落ち着いてきた。

そしてエヴァで示されるような自分自身の心理的問題や、ガンダムのような社会自分との対決ではなく、もっと普遍的なある種受け入れざるをえないような構造上の問題として理解されつつある。

働き方も人生に対する考え方も将来に対する展望も、今の若い人たちはよりリアル現実的だ。

自己実現の形も身近で多様になってきた今、閉塞感を主要な題材として手探りで作品を作る事は普遍的とはいえやや共感が難しい。

ある種のカウンターカルチャーから始まっているとはいえストーリー路線もっと王道的なもの回帰する必要があるのではないか

■第二に、<世界>と<戦士>の関わり方もまた時代を経て変わってきたように思う。

いまの若い子たちのほとんどは迷いがない。情報がたくさんあり、そのことに慣れているので、彼らのほとんどは過去90年代存在していたような迷いや苛立ち、先行きの見えなさというものからきちんと卒業している。

先行きが見えないレールとして見るのではなく、多くはレールを立派に相対化して統合評価し、少ない選択肢のレールの中から自分の納得のいく選択を手にして自分人生を生きている。

平凡ではあるが、意思ある存在としてその平凡さを選んでいるのだ。わけもわから梯子を登り続けた90年代を背後から俯瞰して「だいたいこんなものだ」という感覚を肌で分かっているのが00年代だ。

したがって、振り落とされて振り回される世代ではない。また将来に対する不安はあれど、道しるべや指標、解析ツールは探せば手に入る時代に、無理をして多くを手に入れようとはしない。

したがって、ピート・ビートが感じていたような不安感は、物語の没入のためには役立つが、そこに共感を感じさせる要素は見つけにくいだろう。

過去SF現実社会を映すものであり、社会の謎を解き明かす鍵があると考える読者も多かった。それがカルト信者を生んでいた一面もあった。

しか現在の若年層にとって、SF提供する社会の謎はエンターテイメントの一部でしかない。

したがって<世界>と<戦士>の構図も同様に、エンターテイメントとしての構図に終始するか、あるいはこの時代における新たな<世界>と<戦士>の構図を再度見つけなおさなければならないだろう。

一言で言ってしまえば、セカイケイはもう終わってしまって古くなった。

人々は自意識というものについての興味を、以前ほどにはもっていない、ということだ。

したがって、意識というもののあり方が大きく変わってしまった以上、<世界>と<戦士>のあり方も本質は変わらずともあり方を変えて描かざるを得ないのではないか

第三に、引用するサブカルチャーの変遷である

知っての通り、上遠野氏はジョジョ熱狂的なファンであると同時に、洋楽から多数の引用を行う。

これはあとがきに書かれている通りだ。

これはこれで悪くない選択だとは思うし、古典に学ぶことが創作の近道なのだが、現代サブカルチャーとその源流についてももう少し学んでいいのではないか

現代っ子が引用するサブカルチャーほとんどはpixivニコニコ動画が主流である

そして引用のされ方にも傾向がある。

売れ筋に寄せろといいたいわけではないが、そもそも戦場ライトノベルであるからハードな戦い方(※つまり正統的なSFミステリ)をしていても遠巻きに眺められる終わるのがオチではないか

たまにはもうすこしライトなことをやってもいいのではないか

もう立派な大御所なのだから売れるための本を書く必要はないのかもしれないが、もっとキャラクターがきちんと動くストーリーを書いてくれたっていいのではないか

ファンサービスのありかたも商業小説のあり方も変化してきたのだから、もうちょっと寄せてくれてもいいのではないか

そんな気がする。

2018-08-27

anond:20180826214119

違う。現実の女は生き残るためにエロゲボカロを吸収した。無意識のうちに。

周りを見渡せ。JKはみな清楚になり、「ツンデレ」の概念を皆が理解し、コスプレは気軽なカルチャーと化し、ボカロの曲を歌う地下アイドルライブハウスにはドルオタが押し寄せる。

きらきら着飾りたがるギャルたちがSNOW猫耳やす世界を誰が想像した?

2.5次元やらスクフェス、又はVtuberなんかが成功した背景には、オタク文化カウンターカルチャーとなりそしてメインカルチャーに吸収されていった経緯が幾分かは関係しているのだろう。

2018-08-18

頭の黒い鼠についてっていう便所の落書き

※以下の文章を書いた人間は、2018年の夏のある日、何者かに連行されて戻ってきませんでした。多分どこかの留置所で鼠に囲まれ暮らしているんだとおもいます

オリンピックを2年後に控えた平成最後の夏を送りながら、なぜオリンピックに向けて気持ちが盛り上がらないかをつらつらと考える。

こういった大きなイベントに無邪気に期待を寄せられなくなってしまった原因のひとつは、純粋イベントの本旨を楽しめなくなったためだ。オリンピックはその事前準備で、政治的な思惑に翻弄されまくりすぎた。復興五輪だと言い出したのは誰だったか、今となっては定かではない。復興に手を貸してくれた世界復興状態を知ってもらう、興味を持ってもらうということ自体は素晴らしい。しかし、例えば小池百合子氏の、長沼ボート場を巡る一連の経緯を見ると、うんざりしてしまうのだ。

頭の黒い鼠とは何かを調べると、こんなのが出てくる。インターネットは便利だ。

曰く、食物などをかすめ取る身近な人をネズミにたとえた語、物がなくなった時に、身近にいる人間が盗んだのだろうということを暗にいう言葉だという。

都民は失った。オリンピックの時に輸送を担う大動脈となりうるはずだった環状二号線輸送能力とか、元から安全性には問題がなかった豊洲ブランド安全イメージとか、年間200億円に上る市場移転延期経費とかを。そして何より、もっと健全な都政というサービスを受けられるはずだった2年間を。怪我の功名的に交政審の優先して整備されるべき6路線が整備されることになったのは皮肉だ(こんなのいままでだったら都が基金を積み立てるなんてあり得なかったが、彼の方が手柄を焦ったがために成立したように見える。早速8号線に江東区が食いついているし)。

そろそろ都民は気がついていいと思う。ていうか気がついているか

オリンピック施設見直しや、豊洲市場移転の一連で「支持率」とか「イニシアティブ」とか「期待感」とかっていう名前の”利権”をむさぼっていたのは誰なのか。そしてむさぼり尽くした挙げ句に後に残った膨大な敗戦処理をひっそりやり過ごそうとしているのは誰なのか。見せ方だけで国政に打って出ようとし、あまつさえ自民党の寝首すらかこうとし、さすがにそれはけっちんを食らって以来イメージカラーと称する緑を封印し、ギトギトしたイメージ払拭することに必死で、2020年に再選を狙っているのは誰か。

これの1:48から顔面演技がとても好きで、シニカルな笑いをウィスキーの肴にしている。

こういう顔面芸でコトを進めるのではない、重厚で落ち着いた人が知事にならないだろうか。都道府県政策遂行こそ、地に足の着いた住民本位のものであって欲しい。そういうのを見て国政が襟を正すくらいの、粛々とした都政運営であって欲しい。

そういうファンダメンタルな部分がしっかりしていて初めて、都民オリンピックに無邪気に期待できたりするのではないだろうか。

小池氏の政策の特徴のひとつイメージ戦略が幅をきかせることであるイメージ戦略も、確かに重要だろう。しか小池氏のはイメージ「だけ」戦略ではないか首をかしげものが多い。ボランティアユニフォームダサいからもっと格好良くします、とか、&Tokyo意味からないのでTokyoTokyoOldmeetsNewにします、とかは、舛添前知事カラーを消し去るためとしか意義が見いだせない。実際、ダサいといわれるボランティアユニフォームは新デザインと併用で継続使用しているし、TokyoTokyoについては意味不明度合いでいうと&Tokyoとどっこいである。首都大学東京については石原慎太郎のネーミングセンスが悪いのはわかるが、それを変えろと言い始める時点で同じ土俵に乗った愚策になるという感覚がない。というか前の知事がやったことの色消しに躍起になるところが、そういうレベル勝負していることが透けて見えて、心胆を寒からしめるのである。前政権政策否定トランプ大統領十八番だが、あちらは内容に賛否があるとはいえ公約実施である。翻ってこちらは実施意味がよくわからない。東京さくらトラム都電荒川線で良かろう。そんなものに一体、いくら予算を割くつもりか。

小池氏が展開するイメージ戦略個人的に最悪だと思っているのは、氏自らを指して女子呼ばわりすることである首都トップに君臨する首長が自らを指して女子呼ばわりとは、悪い夢である。一回ジェーン・スーに3時間くらいぶっ続けて説教されるといいと思う。そしてそれを氏のお好きなニコニコ動画で流してみればいいのではないか自民党代表される旧弊いじめられ、ガラス天井に阻まれるかわいそうな、しかしそれに負けない女子小池百合子66歳。サリーちゃんメーテルコスプレもしちゃう(これについては、体制側がカウンターカルチャーにすり寄るナンセンスを指摘したいが、本旨からそれるのでやめる)。

強権発動して見せしめに部下や先達の粛正をするあたり、独裁者のよくあるスタイルである。どうせ強権を発動するのであれば、今時の民主主義的なやり方では速成が無理な都市改造を広域にするのが良かろう。狭域でデベロッパーどや顔して整備する拠点開発に蹂躙される東京ではなく、広域で東京都ならではで推進できる内容を実施してみるのはいかがか。独裁者トップに立ってきれいになるのは街並みと軍服くらいしかないのだから。でも小池氏は多分、しない。そこまで腰の据わった政策論を持っていないのだからだって鼠だし。コスプレが好きな氏のこと、ミッキーマウスになれば見栄えも受け入れられやすいかも。あ、女子からミニーマウスか。

2018-08-02

勉強しか取り柄のない学生オウム洗脳され幹部となった」

この意見唱えてる奴は馬鹿だという自覚あるのか?

本当に勉強しか取り柄のない奴は学校教員、親をも疑ったり批判したりする姿勢が一切ないから、言わばカウンターカルチャーのようなものであるオウム真理教の教えになんて耳を向けるはずもない。

というかそもそも勉強しか取り柄のない人とは言うけど、他に「取り柄」があるとしたら何のことだ?どうせ「スポーツ」の一つしか挙げることが出来ないだろうね。即ち、人間を知能(というより学力)と運動能力しか判断していないような人なんだろう。

兎にも角にも、こういう阿呆丸出しな意見唱えてる奴は、少しは知識を身につけてから公の場で情報を発信するように心掛けてほしいね

2018-05-26

GDPRに関するお知らせが届いていた

このレギュレーションサイバー空間万里の長城を築いた中国と同様に、EUサイバー空間にもベルリンの壁が構築される。

と、解釈していたのだけど全く違うようだ。

GDPRは最終的にはグローバルな規制基準になるということ。

そして、この流れのあとに個人情報を非公開に保つか、公共のために共有するかを制御するツールが配布される。

(DECORD project)

サイバー空間国家を凌ぐユーザー数を獲得したグローバル企業

そこに国家連合(欧州委員会)が待ったをかけた構図である

これは、後に反シリコンバレーというカウンターカルチャーに発展するだろう。

二次 ITバブル崩壊は近い...

2018-05-19

anond:20180519180258

いやいや、当時生きてた世代けど誰も言わなかったわ

一般人には不謹慎過ぎてとても使えんし

せいぜい麻原の恰好バカにする程度

 

こういう度を触れたような用語

ネットみたいな「何でもありの世界からまれ

オタクとかのカウンターカルチャー人間が良く使う

 

それ以外の人間には割とモラルとかあるから優しいもんよ

(ここ最近オタク文化や保守思想の伸びで、一般人侮蔑的言葉を使いだしてるが)

2018-03-22

anond:20180322173844

美人画文化 ~ はオタクって見向きもしないよね。

ではなく、美人画収集家美人画オタク

個展美術館不細工サクラを送り込んで「やっぱり彼の絵は肌の質感がいいんですよねハァハァ」ってテレビでやれば満足かい


要はアンタのオタク定義低俗ものを集める人間、って事になってるだけ。どうせテレビ雑誌で言われてるオタク像を鵜呑みにしてるんだろ?

ついでに言うと低俗かどうかなんて時代で変わる。

サムライフィギュア海洋堂チョコエッグはどう違うんだ? AKBイラスト描いて写真集に乗せる絵師江口寿史村上隆とどう違う?

今更ハイカルチャーカウンターカルチャー議論でもあるまいに。(失笑

2018-01-16

ももクロへの違和感というか

今日は久しぶりに感情を動かされました

ももクロ有安杏果卒業の件

私は彼女と同世代アイドルファンで、ミライボウルぐらい?の時に彼女らを知った覚えがある

当時はSKEスマイレージももクロか、みたいな時代だったので私も満遍なく追っていて、ももクロちゃんにも好感を持っていました

よくカラオケで歌ったりリリイベに行ったりという思い出

「Z」になった辺りからファンも増え、露出も増えだして、あれよあれよと言う間にトップアイドルに登り詰めたのに反して、私の中では違和感がどんどん大きくなっていきました

それであんまりいかけなくなっちゃったんです

最初自分でもあんまり理由はわかってなくて、まぁ楽曲の好みなのかなあとか思ってたのですが

歳を重ねるにつれてその違和感は徐々にはっきりしてきて、20代前半になった今、ようやく掴めてきたような気が

アイドルとしてのももクロちゃんたちは、大人になりません

スタッフの手によって、あたかも「昭和ギャグ漫画にでてくる、歳をとらない女の子」のように演出されてきたように見えます

いつでも明るくふざけたトークギャグアニメみたいな面白衣装元気一杯パフォーマンス

彼女たちはそれを笑顔でこなしていました

わかりやすキャラクター化された姿は、見る者に対しても、「彼女たちをそういうキャラとして扱っていいんだ」と思わせます

でも現実メンバーは生身の女性であって、歳を重ね、成熟していきます

いつかその齟齬には限界がきます そんなことは誰が見ても明白です

それは織り込み済みのプロレスなんだよとか、その限界突破しようと頑張ってるももクロちゃんはかっこいいんだよと言われるかもしれませんが

私にとって、それを見続けるのはしんどかった

なんというか、私も同年代の女として、彼女たちがアイドルとして過ごしている期間、「普通女の子」として生活してきました

彼女らと違って何も成し遂げてはいませんが、人生や夢や社会のクソさについて友人と語り合ったり、似合うファッション模索したり、何人かに恋をしたり・されたり、男性目線不条理言動に傷ついたり、反発したり、自分女性性に疑念を持ったり、憎んだり、肯定したり、

この期間は女としての自分に向き合う時間性的主体性を獲得する時間だったなと思います

そしてそんな中で、女としてどういう風に生きていくかとか、何を楽しんでどんな風に生きたいかとか、ちょっと見えてきたように思います

なんかこういう、10代後半〜20代前半の自分にとって一番大切だったステップというか、時間はきっとわりと普遍的ものなのかな

女友達とそういう話をするのも私は大好きです

でもアイドルとしてのももクロって、そういう「女っぽい」部分を徹底して排除しているように見えます

宮台真司か誰かが「AKBから生理匂いがするけどももクロからはしないのが良い」とか言ってた気がしますが(最悪発言すぎる)

そうは言っても彼氏くらいいるだろ的な、つまりそれが欺瞞だってことが言いたいわけじゃなくて、

私が違和感を感じるのはそれを演出するスタッフ側、受け入れるファン側の視点です

まず性的アイコンみたいなもの絶対に見せない、そうなんですよね

過激な言い方になるんですけど、ももクロってAKB乃木坂を筆頭とする、ストレートな疑似恋愛を売りにするようなアイドルカウンターカルチャーである割に、むしろその手のアイドルよりも強く"処女性"みたいなのを求められてることないですか

しかもこれはAKBメンバーに対する純潔の要請とは異なります

AKB場合、「自分だけの性的客体でいて欲しい」、そして「自分以外に性的主体性を発揮しないで欲しい」となるのはわかります

でもこの理屈は、疑似恋愛を主な売りにしていないももクロには当てはまりません

例えば彼女らは水着仕事しません

まあ無理やり脱がされるよりずっといいのは間違いないんですけど

なんだろうなー、

そんな彼女らを応援するファン一定層には「水着が見たくて応援しているわけじゃない」「彼女らを性的消費の対象にしていない」と自負するような傾向があるように見受けられます(観察した範囲では)

でも一方で、メンバースキャンダルが撮られたらものすごい拒否感を示すと思う(妹分であるエビ中スキャンダルの時に驚きました)

疑似恋愛対象にしてたわけじゃない、性的対象として処女性を求めるわけじゃないっていうのになんでだろうと

その中には「ももクロは性の匂いをさせないことがアイデンティティだったのに、それを崩された」という怒りもあるような気がして(さっきの宮台的発想です)

それは「自分が当該アイドル性的客体として扱わない」ことと、「アイドル自身性的主体性肯定しないこと」を混同してるのではないかと思うのです

まあこれはももクロファンに限らず、わりと世に根深蔓延る発想なのかもしれないですが

少女性的に消費しないということと、少女の(女性性を含む)主体としての人格成熟してゆくことを肯定しないことは別の話でしょと

当人は前者をおこなっているつもりで、後者のことをしてる事例が世間には間々有りませんかね?

ももクロ運営がやってることってその最たるものな気がするんですよね

それがウケることを知って、売るために故意にやってるのかもしれませんが

で、なにに違和感を感じたかという話に戻すとですね

世代として生きる自分にとって一番大切で興味がある部分を見せてくれない、それどころか否定されてるところが、魅力的に思えなかったのです

(あ、ちなみに女性としての成熟過程アイドルとして見せることと、表立った恋愛禁止の建前は両立すると思います

なんていうかなぁ、幼く性的主体性を持たない(ように見える)「少女」の姿と、成熟した「女性」の姿はスイッチで切り替わるものではなく

連続性のあるものだと思います

わたしはその過程を美しく尊いと思うし 自分にとっても大切だった

それを否定されるのを見るのは辛い

そして、これは余計なお世話かもですが

そんな大切なことを隠し、時に否定されながら、「少女」像をたくさんの人の前で演じ続けるってしんどくないかなって思うんですよ

私だったら絶対やりたくないなあって

個人的に、同性アイドル推し続ける理由は、その子たちにめちゃくちゃ憧れて、なりたいとすら思うからであって

ももクロはそういう意味で対極にいたんです

でも、ももクロはそういう姿だからこそみんなにパワーを与えてるのだろうし

その役目を真剣果たしてメンバーは本当に頑張っていて、めちゃめちゃすごいんですよ ほんとに

それはわかってるんだけど

まぁわたしがどんどん変わっていく中で

ずっと変わらないパフォーマンスをしているももクロを見ているのがしんどくなったんですよね

この点に目を瞑る限り、ももクロ永遠なんかあり得ないし

それを体感しながら応援するなんて残酷なことできないなあと

おもったんですよね

そしたら有安があんなこというから

勝手にあーと思っちゃった

こんなの全部わたし気持ち問題しかないし

彼女らはそんなこと歯牙にもかけてないのかもですが

とりとめなくなってしまった

ももかにはこれからもずっとずっと楽しい人生送ってほしいです

(疑似恋愛か否かのくだりはちょっと図式的な見方をしすぎてすみません、疑似恋愛してないけどAKBとかも好きです)

2017-12-24

anond:20171224092156

歴史上、ジーンズカウンターカルチャーシンボルとして長らく君臨していたか

丈夫で長持ちするということから労働服として着られたのが最初

そのあとはやっぱり丈夫で長持ちするからG.Iでよく着られ

やがて行き場所がなくて暴れる若い帰還兵の装いとしてマーロン・ブラントが着たり

社会に反抗する繊細な不良の装いとしてジェームズ・ディーンが着て大スターになった

そうして「自由と反抗」の象徴化し、ヒッピーとかのカウンターカルチャー文化でも採用され続けた

日本でも「太陽にほえろ」のジーパン刑事なんてあだ名になるくらい、ジーパンには象徴的な意味があった

(服飾文化に詳しいわけでないので大丈夫だとは思うけど違ってたらごめん)

当時の日本大人組織人の着物としては象徴的過ぎるって思ったのか、労働服や不良・ヒッピー文化とかから、汚い・洗練されてない・なんか怖い・階層が下のやつの服みたいなイメージを嫌ったのかはわからないけど・・・

私は日本においては最初後者として言われてたんじゃないかなと思う

時計はいものつけとき!と同じ思想もしかして良く思われなかったり、馬鹿にされたり、子供っぽいと思われるかもしれないから「やめておいたほうがいい」

放送禁止歌しかり、多くの禁忌はみんなが自粛たことで生まれ

現代を生きる人もサイゼリヤで飯はーとか、なんとかぐらい買えだとか、いろいろ「やめておいたほうがいい」を生み出してる

そう考えると見た目や印象や服装人間判断してしまう心がある限り、いろんな禁忌は生まれては消えたり消えなかったりするんだろうなーとか

適当だけど

2017-12-19

コミックマーケットは存続させるだけで良いのか?

もうすぐコミケですね。はい

ジャンル同人活動をしています

ジャンルという程の横の繋がりはないのですが。

今年の冬にコミックマーケットという有名な同人誌即売会があるのですが、一応書く事は書きます

この件はまた詳しく後述しますが、コミケに関する批判は余りにも少ないです。

私は最近、5ちゃんねるの同人板を見る事にハマっています。只、そこの記事オタク叩き(とも取れる言動)もあり、万人にはとても勧められない書き込みもあります

『男向けや男オタが嫌い』スレには、ツイッターレディースまなざし村と思われる、または近い書き込みもあります

かと言って、私はオタク文化が大好きだった身として、これだけは書きたい。

コミケへの違和感、それを中々言い出せない人に、この記事を贈ります

https://togetter.com/li/1144990

私がオタク文化に疑問を持ち始めたのは、真木よう子氏に対して、「コミケの掟を分かっていない」という人がいた事です。

これを聞いて、私は既視感しました。

連合赤軍ナマモノ赤軍(確かな根拠なくナマモノジャンルをやめさせようとする人々。ディズニー自警団酷似している)のそれと、変わらないからです。

更に言うと、真木よう子氏が「コミケを止めるまで」追い込むのは、スマイリーキクチ中傷被害事件加害者メンタリティが変わらない。

ここが私がオタク文化に疑問を持った理由です。

存続させることに偏りすぎている

先のTogetterまとめでもありますが、「コミケは何かあっただけで潰れる」とあります

果たして本当にそうでしょうか?

あの殺人事件を起こした革マル派中核派もっと言えばアルカイダタリバンですら、潰れてはいません。

もしコミケが潰れたとしても、『コミケ』は無くなるかもしれませんが、アンダーグラウンドでも何でも何らかの形で『同人誌即売会』は残るでしょう。

先の例で言えば、イスラム過激派が無くなっていないように。

都が建物を貸してくれないのなら、資本家に頼み込む、自分達で作るなど手法はいくらでもあります

何なら「ビルを丸ごと借り切る」、「無人島の仮設テント同人誌即売会」もアリかもしれません。

ところがそれを多くの人は積極的にはしません。

ぶっちゃけ、面倒臭いからです(多くの人は)。

コミケを、天から降ってきた表現の場か何かと思っている。

そんな表現者が多い様に感じる。

自分達で、コミケとよく似た即売会を作ろうとは思わない。

そこに疑問を覚えます

可能な限り全ての表現を受け入れる」と言いながら、「悪法でも従っていればいい!」とばりに表現規制に加担すること

ある表現者は言いました。

表現規制問題と、現行法下で無修正エロをばら撒く事は話が別」と。

まり、一部のオタクは、コミックマーケットにおける検閲は「検閲ではない」と言い張っている可能性がある、という事です。

考えてみてください。

オタク」を「中国国民」に変え、「コミックマーケット」を「中国」に変えると、凄くおかしなことになる。

完全に国の意向に従っているも当然ですよね。

コミケは元々日本漫画大会へのカウンターカルチャーとして生まれたのに、今は国家検閲に加担しており、それを「存続のため」と目を瞑る。

まるで薬害エイズ事件ミドリ十字のようです。

ミドリ十字は、加熱製剤が安全だと知っていても、厚生省の言う通り、非加熱製剤をずっと輸入し、HIVに多くの人が感染した。

私達はこの問題問題意識を持つべきです。「存続出来なくなる!」と騒ぐだけでは何も解決しません。

自分から、強烈に主張すべきです。

そしてこれは、韓国でもアメリカでもフランスでもやっている事です。

終わりに

私は「元」オタクでした。

只、今のオタク文化には失望せざるを得ません。

自分達で変えようとせず、他者に委ねるからです。

判断力自分達で潰して良いのか!?価値観をハッキリさせろ!

正直そう思います

コミケへの批判が少ない件ですが、個人的にはオタク叩き、差別的言説以外で(私はリバタリアンなので、ヘイトスピーチ含む差別的言説の規制には反対です)、コミケへの批判を少なくとも見た事がありません。

本当に少ないんです。

https://en.m.wikipedia.org/wiki/Criticism_of_Apple_Inc.

上の記事Apple社への批判ですが、かなりしっかりとまとめられています

只の一企業であるApple社と、コミケを並べる事はおかしいだろう、そう思う向きもあるかもしれません。

然し、大企業ですら批判があるのですから、巨大化していったコミケ批判されるのは時間問題かもしれません。

私はコミケにはぶっちゃけ参加した事は無いのですが(すみません、参加する予定もありません)、これを機に、内部で変えていく必要があるのではないのでしょうか。

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