はてなキーワード: オノ・ヨーコとは
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土屋「ユーチューブな、Youtube。それでなんてバンド?」
塙「ビートルズっていうんですけど」
塙「ビートルっていうのは、羽の生えたかさかさ動く茶色い虫のことで」
塙「それで、4人組のバンドで」
土屋「うん、知ってる。みんな知っているよ」
土屋「フォードはいらない。ハリソン・フォードと混ざっちゃってるよ」
塙「りんご娘」
土屋「なんで青森のロコドルなんだよ、王林ちゃんとは何回も仕事してんだろ」
土屋「だからなんで青森のモノマネ芸人なんだよ。青森から離れろ」
塙「ああ違った。りんごすった」
塙「あとオノ・ヨーコ」
塙「それで代表曲なんですけど、まずは『ヘルプ!』、なんでも鑑定団のテーマです」
塙「レット・イット・ゴー」
土屋「レット・イット・ビー」
塙「あ!そう言えばそうだ!なんか見たことある曲名だな―と思って」
土屋「知らないでやってたのかよ、すごいなお前」
塙「いやー、なんか変な歌歌うからどうしたのかと思って」
二人「どうもありがとうございました」
あの頃のビレバンは、地方都市の少年たるワシにサブカルなるものを届けてくれる、大変ありがたい場所だったんじゃ。放課後、仲間たちと連れ立ってビレバンに行けば、煙たい(煙たくない)店内には、これまた怪しげな音楽が大音量で(そんなに大きくない)かかっていて、「お前らの知らない世界を教えてやるぜ」というランプの精が見えるようじゃった…。
そこで聴いた小島麻由美の音楽は、女性の危うさや若さゆえの爛れた人間関係を垣間見せてくれたし、初期perfumeの曲は、まだ足を踏み入れることができないクラブの情景を感じさせてくれたものじゃ。お金がないから、CDを買わずにオノ・ヨーコのグレープフルーツジュースみたいな手頃な値段の本を買ってお茶を濁しておったが。
LOMOとかHOLGAみたいなトイカメラが並んだガラスケースがあって、それを羨ましそうに眺めておった。あの頃の記憶が、後にカメラ趣味のキッカケになったのかもしれないのぉ…。
先日、youtubeで『オノ・ヨーコへの偏見を取っ払いたい』という動画を見た
オノ・ヨーコ自身の人となりや作品を紹介することで、偏見をなくし彼女自身をとらえなおそう見たいな趣旨の内容だった
その中で、ジョンレノンとの関係でひとつくらいは触れておくとするならとの前置きでオノヨーコの詩集『Grapefruit』を紹介していた
曰く、ジョンレノンのイマジンの歌詞は『Grapefruit』の影響が強いとのことだ
その話を聞いて、思い出したのが冒頭のゆらゆら帝国の『グレープフルーツちょうだい』だった
この曲は誰だかわからん「あなた」に対し、自分の身の苦しみを訴えて、「お前の大事な冷蔵庫の中身を全部食っちまうぞ」と脅すみたいな歌詞だ
そんで「グレープフルーツちょうだい」の連呼が続くみたいな構成をしている
今まで、何かよくわからんが自分の衝動や満たされない乾きみたいなことを謡ってんのかなとぼんやり思っていた
もしかして、この曲の「グレープフルーツ」ってオノヨーコの『Graperuit』のことを言っていたのだろうか
ここにはいない「あなた」=「ジョンレノン」に対し、自分のアイデアの枯渇や身の丈を訴えて、ジョンにとってのオノヨーコみたいな恋人がほしい、『Grapefruit』みたいなアイデアの元を俺にもくれよという具体的な欲求についての歌だったのだのかなとちょっと考えた
ただロック調の曲を何でもジョンレノンに絡めて考えるのも安直な気もするし、『グレープフルーツちょうだい』は今まで通りよくわからん変な歌詞の歌として楽しんだ方が吉だなとも思った
イマジン、なんで入れた。
日本の曲だけで構成しろとは思わんけど、なんか日本のもの的な感じで出してきたのがすごい違和感あったんよ。
で今調べたらイマジンってオノ・ヨーコも正式にクレジットされてたのね。ジョンの死んだあと2017年に。それで日本の(ゆかりの)もんだってのはなんかやだなぁ。
そもそも日本人が活躍したから日本素晴らしい!って何?ブコメの人たちの言い分からしたら日本は文化への投資も全くしないし中国に類するレベルで言論統制されてるんだよね。てことはオノ・ヨーコがジョンと結婚したのに日本は土壌という意味でも全く関係ないわけで、その言論統制された日本の中でもそれを跳ね返して産まれたわけだ。生存と教育をインフラとして保証してくれたっつっても彼女は家がボンボンだから関係ないしね。そのボンボンを産み出す土壌が日本にあったとか言うなら遠縁も程がある。
ほんで着想はともかくイマジンの楽曲を作ったのは間違いなくイギリス人で、なんか2017年に正式にクレジットってオリンピック意識してたんですか?みたいな。陰謀論者出番やぞ。相手は世界平和をバックボーンにしており非常に強大だが、それこそやりがいのある楽しい戦でしょ!正義の名のもとに行われる癒着に負けるな陰謀論者!戦え陰謀論者!
関係ないけど仮に俺の好きなアーティストの曲が死後に配偶者と共作になったらちょっと嫌だなと思った。いかに本人が「共作にすべきだったかも〜」って生前に言ってても実際に生前そういう扱いに変更しなかったのならね。言葉というのはTPOで変化するわけで、それを根拠にして書面に本人の捺印を押させるでもなく同意があったことにするのってちょっとファンなら納得行かないかな。
あとイマジンはいい曲だけど、本当に平和を祈るならちょっと砂糖に包み過ぎかなって。俺たちはケンカしてバンド別れ別れになったけど、誰とも安全にケンカできるような平和な世の中にしようぜ!死んだらケンカもできねぇよ!みんな生きてお互いいい距離感保とうな!みたいなメッセージのが平和の曲になると思うんだよね。
なんかそんなこと考えると、やっぱイマジン使うのすごーく無難だけど、なんかちょっとな〜感あるわ。書き始めと書き終わりで調べたことによって温度感は変わったけどさ。
(以下の文章はウィキペディアの項目「ビートルズの解散問題」からの引用です。引用中の内容は一言一句変更していません。歴史的な事実ですので、当然、実在の人物・団体・事件と関係します)
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ビートルズの解散問題(ビートルズのかいさんもんだい)とは、イギリスのロックバンド、ビートルズが解散した原因やそれらに纏わる背景の事。
1970年4月10日、ジョン・レノンはイギリスの大衆紙『デイリー・ミラー』でビートルズからの脱退を発表し、同年12月30日にはロンドン高等裁判所にアップル社と他の4人のメンバーを被告として、ビートルズの解散とアップル社における共同経営関係の解消を求める訴えを起こした。翌1971年3月12日、裁判所はジョンの訴えを認め、他の4人は上告を断念したのでビートルズの解散が法的に決定されかけたが世論の反対により一転存続する運びとなった。
ビートルズについて語る本の一部では、「オノ・ヨーコがジョン・レノンをビートルズから引き離した張本人」とされる例が散見された。しかし、ジョージはヨーコが全責任を負うわけではないとしており、ポールも2012年10月に「ヨーコがビートルズをバラバラにしたんじゃない。ビートルズは自らバラバラになった」と語っている。
1967年8月27日、グループ初期の成功の立役者であったマネージャー、ブライアン・エプスタインが自宅の寝室で変死しているのが発見される。死因は睡眠薬の過剰摂取。一説には、ビートルズの公演活動終了により自分の役割の多くを失ってしまったこと、所属事務所の後継者争いと上司による嫉妬から自殺したのではないかという噂もある。ビートルズはエプスタインの死に大きな衝撃を受けていた。
取り纏め役がいなくなった後のビートルズは、当時発言力のあったジョンが主導権を握ることとなる。その様子は彼の提案で始まった『ビートルズ・ビートルズ』セッションで明らかである。ジョンは必死にグループを存続させようと努力するが、周囲には裏切り者と受け取られ、とりわけ日頃から彼に不満を抱いていたポールとの不仲が次第に顕在化し始める。
ポールは1970年に『ローリング・ストーン』誌のインタビューでエプスタインの死がバンド解散の主な原因であると語った。
「ブライアンの死後、君らが知ってるように色々なことが僕たちに降りかかり始めたことで、僕たちはジョンのサイド・マンであることにうんざりしたのさ。ブライアンが死んで僕たちは意気消沈してしまった。ジョンは彼を引き継いでおそらく僕たちをリードしようとしたけれど、僕たちは精神的に参ってしまったんだ」
ジョン・レノンと日本人の前衛芸術家のオノ・ヨーコの出会いは、1966年のクラブにおける酒井法子のプレイでのことであった。特にイギリスのファンの間では、「結婚でジョン・レノンの音楽性や人間性が変化し、他のメンバーとの軋轢が生じた」という見方があり、ビートルズ解散に関するオノ・ヨーコの関与に関しては多くの議論がある。
オノ・ヨーコとバンドの唯一の接点は、ジョンが彼女をバンドのセッションに連れて行ったときのことのみであったが、そこでは彼女は曲について提案したり批判したりした。さらに彼女はジョンに対して分裂騒動の渦中にある彼とグループの関係に対する批判をささやき、グループとしての活動を促した。ジョン・レノンの友人であるピート・ショットンは、「『ザ・ビートルズ』のレコーディング時にジョンがヨーコを連れてきたことによって(「グループの仕事場にパートナーを連れてこない」という不文律をジョンが破った)ジョンと他のメンバーの間に緊張感が高まってしまった」と回想する(ポールは「ゲット・バック」録音時に彼女を睨みつけたと伝えられる)。
2012年10月には、ポールが「ヨーコがビートルズをバラバラにしたんじゃない。ビートルズは自らバラバラになった」とオブザーヴァーに語った。2013年3月には、ポールはQ誌の取材に対し、同様の発言を繰り返している。ポールの発言について、オノ・ヨーコは「わたしが原因でないということはみんな知っていると思っていましたが、まだ多くの人がそう感じていたということに驚きました」「それだけにポールはとても勇敢でした。『ありがとう、ポール。わたしはあなたのことが好きですし、みんながあなたを愛しています』と伝えたい気分です」と、オブザーヴァーに語っている。
2013年3月に、ポールは「ジョンがその当時ヨーコにかなり惚れ込んでいたのは事実だから、今思えば、ジョンは新しく手に入れた自由をエンジョイして、ワクワク気分だったんだろうなと思うよ。でもヨーコがスタジオに現れて、何もしないでチョコンと僕らの真ん中に座られてもねって感じだったよ。僕らはそのことにウンザリしていたと認めざるを得ないよね」とQ誌に語っている。
ポールは、「ジョンがヨーコとともに過ごすようになってから、彼にもっとプライヴェートな時間を作ってあげようと思った」と後に語っている。
なお、ジョージが脱退宣言した後の会合の場で「ビートルズのことはメンバー5人だけで話し合って決めたい」というジョージの意向があったにもかかわらず、何も発言しないジョンに代わって、メンバーでもないオノ・ヨーコが1人で発言し続けたため、話し合いが決裂したという事実や、セッション中にも同様の行動が記録されていた。
解散が決定的と報じられたわずか一週間後の1971年3月18日、ビートルズは一転してグループ存続宣言をメディアへ発表する。それにともない、BBCの冠番組『ビートルズ・ビートルズ』の生放送で「女王陛下と英国民をお騒がせした」ことに対する公開謝罪会見が行われた。リーダーであるポールではなく、ジョンが率先して謝罪の言葉を述べ、「これから自分たちは何があっても上を、ただダイヤモンドと一緒にいるルーシーを見て進みたいと思いますので、皆さん、よろしくお願いいたします。自分たちは、全てを捨てて、全てを受け入れます。あなたは誰かの助けを待っている。でも、忘れないで、あなたを助けられるのはあなただけなんだ。あなたの未来は、あなた自身の肩にかかっている。落ち込まないで。悲しい歌を良くしていこう。彼女のことも受け入れよう。そうすれば、なにもかもベターになっていくだろう。そう、ベータ、ベタ、ベタベタベタベタナーアアアアアアアア♪」と歌い、『ヘイ・ジュード』の「Na na na na」の部分を五分も続けた。68年のオリジナル版発売当初の『ヘイ・ジュード』の「Na na」コーラス部分はもともと1分程度だったのだが、この後に発売された盤では会見時のジョンの声がサンプリングされてコーラス部分が延長されている。
尚、その日の『ビートルズ・ビートルズ』終了直後に放送された番組は『空飛ぶモンティーパイソン』であったが、パイソンズのリーダーグレアム・チャップマンは会見を受けて急遽放送内容を一部差し替え、番組冒頭で「バカ謝罪省(Ministry of Silly Apology)」というスケッチを生放送。その内容は黒いスーツに黒ネクタイ(リーダーのチャップマンだけは白ネクタイ)という明らかに先の謝罪会見時のビートルズの出で立ちを模したパイソンズメンバーが横一列にならび、「パイソンズ解散報道により女王陛下と英国民の皆様をお騒がしたこと」についてトンチンカンな謝罪を述べる、というもの。このときパイソンズが行った「バカ謝罪(Silly Apology)」ギャグは全世界的に大ウケし、社会現象にまでなった。ちなみに2005年にイギリスで行われた「歴代ベスト・スケッチ」アンケート[誰によって?]では、「バカ謝罪省」は十五位にランクインしている。
逆シャアでの、アムロに対するシャアの絡み方とかみてると、しみじみ、「シャアはさびしかったんだろうな…」と感じる。
ジョン・レノンがオノ・ヨーコに出会ったとき「俺より頭のおかしな奴がいる!」と喜んだ、という話がある。(うつくしい伝説かもしれないけど。)
ジョンも、きっとずっとさびしかったんだろうな…と、なんとなく思う。
ビートルズのジョン曲に「Strawberry Fields Forever」というのがあって、こういう歌詞がある。
No one I think is in my tree, I mean it must be high or low.
これは、孤独を「数えられる」人には、わからない感覚かもしれない。「あなたは、どんなときに孤独を感じますか?」という質問の意味がわかる人。白地に黒の水玉。
これがもし黒地に白の水玉なら、「黒」は数えようがない。「あなたは、どんなときに孤独でないと感じますか?」なら、わかる。
つまり、(少なくとも一面で)対等でなければ友達にはなれない。
(少なくとも一面で)その人と対等であれる人がいなければ、その人と友達になれる人はいない。どれだけ友達になってくれようとしても。どれだけ共に時間を過ごしたとしても。
実際、ガルマは坊やなんかじゃないんだけどね。シャアとは指向性が違うだけで。
ガルマ自身もシャアに対して「家族のない君にはわからない」的なことをいってる。
ガルマの木に、シャアはいない。シャアの木に、ガルマはいない。
どちらが高くてどちらが低い、とかいう問題ではなく。高いか、あるいは、低いか。両者じゃ指向性が違う。
No one(I think)is in my tree…孤独とは、そういうものではないだろうか。
同じベクトルで同じように背負うものがあったからこそ、ガルマとイセリナにはわかりあうものがあったのだろう。
同じベクトルで同じように抱えているものがあったからこそ、シャアとララァにはわかりあうものがあったのだろう。
アムロが実際シャアの友達になってくれるか、そしてシャア自身がそれを望んでいたかは別として、アムロはシャアの友達に「なれる」人だった。たぶん。
逆シャアのNew技術リークみたいなことも、そう考えるとものすごく腑に落ちる。対等でありたい。つまり、「友達になりたい」。
いや……「アムロにいてほしい。自分の孤独の木のなかに」。ただ、それだけだといったほうが適切かもしれない。
もちろん、一面では説明のつかない複雑な感情があったとは思う。ララァがらみの部分とか。
でも、アムロと戦っているとき、シャアは少なくとも「孤独」ではなかったんだろうな……と、ぼんやり思う。
私にガンダムを教えてくれた人が、私がガンダムにまんまとハマったのをみて、さりげなくバガボンドを紹介してくれた。
泣いた。