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はてなキーワード: ピエロとは

2024-11-14

給付金とか言う馬鹿げた愚策がまた実行されるらしい

低所得世帯に向けて、とか言われてるがもっともらしい屁理屈で「自分にも寄越せ」の大合唱がまた起こることは想像に難くない。

一度小銭をばら撒いてしまえば、そのあとはなし崩し的に何度でもやるよなぁ。チョロいもんだ。

前澤なんとかがばら撒いた大金を夢見て詐欺犯罪ピエロに手を出す若者を笑えないよな。

ホントに、大した効果もなく副作用だけは甚大な大規模金融緩和とか、給付金とか、軽い神輿負の遺産ヤバいわ。

アメリカの混乱を眺めながら知ったかぶって議論(笑)やってる場合じゃねぇ

2024-11-09

格闘技やってる奴がまともなはずかないよな

格ゲーを生身でやってるようなもんだろ?

まともな発想ではないよ。

見世物小屋で金を得るために殴られ屋と殴り屋を一度にやる狂った行為だ。

剣闘使となんら違いはない。

まあ、命綱もなしに綱渡りをしたり猛獣に噛みつかせるフリをさせるサーカス芸人と同じ人種とも言えるがね。

結局の所、自分の体以外売るものがない上に、そこに危険性を上乗せして趣味の悪い客からその分のチップをせしめようとする魂胆の仕事だ。

それでプロ同士でやり合うなら、血の気の多い観客向けの興行として枠に収まってるうちはいいだろう。

だが、アマチュア同士でペチペチ戦って名誉やなんだをかけようっていうなら少し頭の作りがおかしいと感じるね。

そんなのはもうゲームでやれよ。

喧嘩マニアの間でしか価値証明もクソもない名誉の追いかけっこのためにお互いの体を傷つけ合うなんてまともじゃない。

まして、それを子供やらせたりしてる連中は頭がイカれてるね。

成人した同士が愚行権行使する分には、ある程度は自由にすればいい。

でも判断力のない子供やらせるのは駄目だ。

そんなことをさせてニコニコと「がんばれー」と応援していることを異常だと考えるべきだ。

世界中がそのことを一度真剣に考えるべきでは?

まだ体も出来上がってない子どもを戦わせて、ましてや「国の代表選手だ!」と持ち上げたりする。

イカれてんね。

国の名誉のために徴兵してるようなもんだろ。

ストリートファイター日本代表選手アメリカ代表選手を倒したとして、両者はコントローラを置いてすぐ握手ができるし、次の日は清々しい顔で目覚めるだろう?

でも格闘技はちがうんだよな。

お互いにボロボロの体、表彰式が終わったら病院送り、次の日は腫れ上がって目も開けられないかも。

こんなのさ、イカれたピエロが金欲しさにやるようなハラキリショーしかないだろ?

それを子供やらせてる奴ら、マジでクソだぜ。

それに補助金出してるスポーツ庁も国の名誉のために進め一億火の玉を掲げてるようなもんだろ。

軽蔑するよ、マジで

大人ファイトクラブしたいだけなら、馬鹿だなって軽蔑するし、子供やらせてるなら、人道を見失った地獄ゆきのカスだと軽蔑するね。

これ、令和の一般的感覚から

2024-10-30

anond:20241030112651

ピエロみたいな化粧のJK見かけたけど流行ってるの?

ピエロにはエロが入っている

まり・・・どういうことだ?

2024-10-06

今年のフェス食中毒やって救急車で運ばれたり落雷に当たって救急車呼んだり刃物振り回すピエロ乱入したりと多彩だったが、今日クレーンカメラが倒れて観客下敷きかよ

海外奇想天外ニュースじゃなくてこれ全部日本発なんだよな。厄すぎるだろ

2024-10-04

anond:20241003191731

「知障は拡大自殺に巻き添いにされるに相応しい」

その文章を読んだほぼ全員が、ああソーシャルバッドが喋ってるな… って思うだろうね。

稀に見るレベルの極めて邪悪人間だが、しかし気の毒なくらいにピエロ過ぎて、誰にもノーダメージ。

どう考えても虫みたいな知性は君だろう。何者にも成れず努力を諦めた意気地なしが頭にブーメラン刺して自分から笑い物になりに行く自傷行為は哀れは誘うが笑いは取れないって気付け。

anond:20241002111546

一番おもろいの、笑われまくってるのに意味不明のおもろない追記までするピエロじゃないのか?

anond:20241002111546

こんだけ叩かれてるのに追記かよ。ピエロ大人しくしてればいいのに

2024-10-03

anond:20241003143951

そうだよ?

彼らはピエロやることで承認欲求満たしてんの

そういうやり方でしか世間に注目すらしてもらえないしな

2024-09-27

イラストレーターの本当の敵は《生成AI》ではない。

Xで気軽に出来なくなった話題匿名という立場をいいことに書き記そうと決めた。

この文章は殴り書きに近く、分かりやすく熟慮しやすいように噛み砕いた文章を書く才がないことを先に謝罪しなければいけない。

ここにそういう人がいるかは分からないけど、一人でも私の気持ち理解してくれる人がいれば救われると思う。

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こういう話題SNSで話そうものならAI推進派や反生成AI攻撃されるのを知ると、とてもじゃないが素性を明かしての発言が出来ない。

少し名のある漫画家イラストレーターが生成AIに対して褒めればAI推進派と決めつけて燃やされる。

同じように忌避感が少しでもあれば反生成AIというレッテルを貼られる。

画像生成AIを使っていないのにAIイラストだと疑われて潔白を証明しても謝ってくれない。

自分気持ちを表明してもお気持ちだと笑われて理解してもらえない。

そうやって気持ち蔑ろにされたクリエイターは多いはず、私もその一人だから

卑怯な私は匿名でこうやって吐き出すことで消化することしか出来ない。

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SNSにおいて出身学歴、どんな人であるかはもはや関係ない。

おもちゃになるか、おもちゃにされるか、傍観者の三種類しかない。

クリエイターだろうが一般人であろうが意味を成さない、私からしてみれば反生成AIはただの蒙昧無知ピエロなのだ

何故名のあるクリエイターたちが間違った知識を振りかざしてピエロとして踊るのか、TLを見て共通点があることに気づいた。

もしかして無断学習に怒るイラストレーターの中に無断転載トレースなどさまざまな被害者が多いのでは?

人間は傷ついたり怒ったりすると正常な判断が出来なくなって感情洪水に飲み込まれ法律の正しい意味を読み取れなくなり、法律マナー区別トレースパクリ学習(ディープラーニング)の区別曖昧になってしまい反生成AIというピエロ誕生してしまったのではと推測してる。

SNSさえなければ間違った思想に染まることも哀れなピエロを演じることはなかった。

画像生成AIに対して忌避感があるのは否定しないし、間違った知識を振りかざすことは誰しもが起きうること。

間違ったことを正したいのも理解出来る。

画像生成AIからまれAIイラストを絶賛することも間違っていない。

しかし間違った知識を振りかざせば正論されて、納得いかず反発することを繰り返す。

それらを利用反生成AIAI推進派に話題として消費されるのも事実としてある。

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クリエイターの本当の敵は《生成AI》ではなく《生成AI》という言葉を利用してクリエイターたちを蔑ろにする人間だ。

画像生成AIを使わないイラストレーターAIイラストだと疑ったり決めつけて攻撃するのは《生成AI》のせいではない。

些細なきっかから火種が大きくなり、戦争などに発展して収拾つかなくなることが多いけど、その原因を作っているのは昔も今も人間しかいない。

人間の敵はいだって人間だけということを認識しなければいけない。

怒り、悲しみ、疑心が生成AIという武器に変わってそれを使って殴り始めた。

包丁凶器に変わって人を殺めるのと同じ状況になってしまった。

イラストレーターは《生成AI》ではなく人間に殺されている。

この問題クリエイターたちは重く受け止めるべきだと思う。

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絵を生業としている人間は何故か下に見られがちな職種だと思う。

他の職種と比べて受ける劣等感は大きく、名が売れなければ自己肯定感が下がってしまう。

頑張って描いたのに下手くそと言われた。

頑張って描いたのに無断転載された。

自分名前や絵柄を利用されてイメージを下げられた。

依頼してくれたと思ったら安く値踏まれた。

せっかく描いたのにお金を払わず逃げられてしまった。

さまざまな被害を受けて傷ついた心を癒そうと都合のいい言葉しか耳を貸さなくなり、目に入らなくなったのが反生成AIになる理由ではないかと思う。

心当たりがある人はSNSから離れて外に出て空気を吸いに行こう。

そこで感じた光景SNS殺伐とした雰囲気と違ってとても平和から

閉じられたコミュニティで殴り合うより絵を描いたり、外で体を動かす方が健全だと思う。

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何も悩まずに絵を描きたい。

AIで作られたものかどうか疑わず自分作品を見て。

画像生成AI忌避することを否定しないで。

生成AIを使うことを認めよう。

間違ったことを強く責めないであげて。

正しい知識を学ぼう。

この言葉が届く人はもう周りにいなくなってしまった。

願わくば行き場のない怒りや悲しみを生成AIに向けないでください。

クリエイターたちを蔑ろにしないでください。

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小括:イラストレーターの本当の敵は《生成AI》ではなく《攻撃する人間たち》である

反生成AIは蒙昧無知ピエロである

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小括でまとめた三行を読んで理解出来るクリエイターがいることを願って筆を擱く。

2024-09-19

誰でも入れるオープンコミュニティありがちなこと

1.発達障害

確率でいる。

空気読めないか善意コミュニティ微妙空気にする、いじられキャラになり居場所を作ることもあるけど、ピエロ役をしつつ内心コミュニティを恨んでいる。

 

2.某知事みたいな人

「若く見えるんですよね」といって

そんなことないでしょう、年相応ですよ。とはいえない微妙空気にする

口はうまいがやってることは告発者が出てきてしまうような行為多数、さら犯人探しなどをする

告発者には罰を与える

死んでも辞めない悔し涙を流してでも辞めない

自撮りをあげる

2024-09-15

昔にゲーム会社で働いてただけで「元ゲーム会社社員です」って言い続ける自分ピエロみたいで飽きた

一生元ゲーム会社の人じゃんと思って言うの止めたけど、ゲーム会社に憧れてるフォロワーから勝手失望されて一斉に切られたな。ブロックした人も居るんでたぶん悪評バラまいたんだと思う。

いや俺ただのおっさんやぞ。何を期待してるのか知らんが俺の出すオーラに惹かれただけやん?お気持ちなんか言わんと黙って去れや

2024-09-10

anond:20240910085631

ピエロから何いってもお目こぼしされてるんであって、そっから外れた瞬間に顧客バカにした商売認定されちゃう

おお怖い怖い

2024-09-09

anond:20240909223359

一生懸命調べたんだねえ

でも、おまえが貼った資料におまえ自身否定された事実は覆らないか

今書いてる理屈全然通ってないけど、

これ以上の説明は金を取ると宣言したので説明はしてやらん

一人で踊ってろピエロ

2024-09-02

anond:20240902103753

そういう輩は頭おかしピエロか、頭おかしピエロを演じてると思ってる頭おかしい人のどっちかなのでスルーするに限る。

2024-08-25

リファーってホラー映画を見た

プラッタ表現かなり攻めてておーいいじゃんって思いながら最後まで見たんだけど

最後に主役?というかメインヴィラン?の殺人ピエロが息を吹き返してさも続編ありそうな感じで終わってさ


なんで生き返ったんだろうな〜って調べてみたら、“悪魔に取り憑かれて不死身になった”って結果が出てきて急転直下でクソだなって感じてしまった




ホラー映画ではあるけど、それまで人間人間レベルでやってたのに急に悪魔とか霊的な要素ブチ込まれるとクッソ萎え



ヘレディタリー/継承最後ガッカリだったな

序盤で主人公の娘が亡くなるシーンとかそれが発覚するくだりとかはよかったのに、最後カルト全開で“はい悪魔復活しました!”で終わりなのグダグダすぎて意味不明だった

いや悪魔復活のわりにやってることスケールちっさすぎだろ

そんな矮小悪魔世界征服とかできるんか??


設定とか世界観が飛躍しすぎて良いことなんて何もないわ

2024-08-24

男っぽく振る舞うのを辞めたい

男っぽく振る舞うのを辞めたい。

この男っぽく、というのは女らしさを感じさせないようにふざけて見せたり、ピエロを演じたりして、極力女友達などから女の敵として看做されないように演じる、という意味で。

男は基本他人にそこまで興味ない人が多いせいかいじめることはあっても陰口こそこそ、仲間はずれ、表向きは仲良しごっこということはあまりないと思う。

自分は本当はそんなキャラじゃないのに、わざとふざけて見せたり戯けてみたり、男っぽく振る舞い、女の子っぽく振る舞うことはしないようにしていた。(服装や口調、髪型など)

なぜならそうすると、何もしていなくてもなんだか気に食わない、仲間に入れない、意地悪されたり陰口たたかれる、等

社会に馴染めないからだ。

お陰で女からは好かれ、男からは私は異性として見れないというポジションにつくことができた。

それがもう癖になっていて、いかに女に嫌われないような振る舞いをするか、退屈させないように会話をするか、ということが当たり前となり、そういう機会があるたびに疲弊して、ぐったりしてしまう。

本当は可愛いものが好きだし、可愛い服や声でゆっくり話したりしたいし、もっと自分を大切に扱って欲しいと思ったりもするし(守るより守られたい)いろいろ拗らせている自覚がある

そんな自分は、ネットでも同じように振る舞ってしまうくらい、重症状態だ。

これはおそらく家庭にも原因があって、母がとにかく芸能人の見た目について批評したり、父が私の見た目を笑って弄ったり、そういう部分もあると思う。母が嫌う人間は、いい意味でも悪い意味でも女の主張が強い、人間だった。

父は子供をいじってバカにする事で愛情として接する歪んだ部分があった(おそらくこれは自分にもコンプレックスもあったんだと思う)

そんな環境で生きてきたので、私が平和に生きられて心を守る術が、見た目いじりされても、うるせー!と笑って反抗したり、女でありたい、女として磨きたい部分を諦めて、私は女だけど女として見られる女じゃない、みんなのいじられるキャラですよ、どうぞピエロをたたいて反応見て笑ってくださいねというキャラだった。

でも、女になりたいんだよ本当は。

話し方も本当は優しくゆっくり話したい。

ひらひらワンピースきて、可愛い小物やアクセつけて、可愛いヘアスタイルメイクに。

私の顔は可愛いタイプではない。でも。

なりたい自分になる勇気が欲しい

2024-08-22

面白かった頃のITを書いてみる

「ハーイ!ジョージ!」の頃はまだ良かったんだ

俺もピエロ🤡に扮して「ハーイ!女児ぃ!」とか言たいだけの人生だった

でも、ラストで巨大な蜘蛛が出てきた時点で興醒めですわ、どんなサメですわ

ウソです

田舎MSXに搭載されていたマシン語モニター機能とか使ってマシン語書いてた頃ですかね

文字をレンガ🧱とかに変えて、ロードランナーみたいなの作ってました

ウソです

中学校の私はマシン語理解する脳がありませんでした

MSX1以降、大学に入るまで、私はほとんどパソコンを使っていないブランク期間があります

ブランクの間、主にやってたことは絵とか漫画とか描いてました

パステルとかアクリル絵の具とか楽しかったですね

大学に入って、物置からMSX発見して、当時購入したマシン語入門的な本とか、

MSXカートリッジ機能を使って電子工作やる本を買ったりとかして、

MSXカートリッジの形状をしたユニバーサル基盤を秋葉原に買いに行ったこから、そこから毎週毎日秋葉原に行くようになります

まだ、オタク系のアニメとか漫画とかフィギュア模型の店とか、メイド喫茶とか、まったくない時代でした

MSXZ80マシン語を一通り理解して、MSXカートリッジユニバーサル基盤刺して、自分で組んだ電子回路MSX制御したりして遊んでました

あと、大学入学祝いPC-9801だったので、それをいじったりもしてました

Microsoft Quick CとかTurbo Cでプログラムを書いたり、Cマガジン定期購入するようになり、TeX最初に動かしたのもPC-9801だったと思います

そのあと、米国から輸入したPC/AT互換機を当時のドスパラだったかな?で購入して、私は運が悪いのか、ちょっと色々と酷いのが届いたのですが、

それを騙し騙し使うことにして、Laser 5が販売していたSlackwareLinuxインストールしたり、DOS/V海外ゲームやったり、なんだかんだ楽しかったのかもな

あと、まだアルファ版?だったかんのJavaを、えらい長い時間かけてダウンロードして、それのサンプルをひたすら眺めて勉強したりしてました

CとJavaソケット使ってネットワーク系のプログラム書いたりとか、簡単チャットみたいなのとか、JavaだとAWTGUIまで作れちゃいますから便利になりましたよね

JavaからSmalltalk勉強したりもしたなぁ

そういえば、前のバージョンScratchソースコードをなんか読んだ記憶がある

ただ、自分はBIO100%みたいにもなれなかったし、X68使ってる人たちみたいにもなれなかったし、Lightwave使ってる人たち、新海誠みたいにもなれなかったし、

なんか色々仕事したり、賞をもらったり、色々あった記憶はあるのだけど、何者にもなれなかったし、今も何者にもなれてないままですね、心に刻んでおくよ

2024-08-19

自分のズレてると思ってる部分を勇気出して口にしてみたら、案外共感を得られたりする。

ある場でそれを口にすれば、腫れ物に触るかのように軽く咎められつつ流されるかもしれない。嘲笑を受けるかもしれない。あるいは神を冒涜した者が如く非難されるかもしれない。

でもある場ではいやわかる〜〜〜って共感を得られるような。特にネット匿名環境なんかだと特にそれが多いかもしれない。

一つ目過ぎる例えだけど、それこそ飲み会ダルいよな〜とか。友達との誘いが近づくと、楽しみなはずなのなんかダルくて憂鬱になるとか。

マジで一切共感を得られず、シンプルに異常さを露呈するだけに終わるかもしれない。まあそれはそれで、ピエロを見て喜ぶが如くウケるかもしれないけど。

インターネットの人気者ってその辺のラインの見極めが上手いんだろうなって思う。物書きとかもそうなんだろうけど。

2024-08-18

anond:20240818155812

バカバカがなんか語ってら」

自分の方が理解できてるのを示さなきゃ、なんの説得力もない

だってそのレスを読んで「なるほど、この人は賢い」ってなるか?

ならんでしょ

バカ無知晒しピエロしてるとしか見えんのよ・・・

ただ、なんか、という所に自覚が透けてるのは少し面白い

2024-08-13

anond:20240813185207

本当に男と親しいならいいけど、そうじゃないならピエロだよね

女同士でしか絡みたくないですって言う女なんて大体望み通り放置されてるし、男からなんの危害も加えられてないストレスフリーなんだから

嫌いな奴に絡みに行って愚痴を言ってるのと同じ

2024-08-12

[]【高橋源一郎にきく】今あえて社会内面化しない勇気

本書は、3年毎日に連載されている「これはあれだな」の中から選ばれた文章を集め、過失したエッセイです。

「これはあれだな」とはどのようなコンセプトのコラムでしょうか。

何か気になった事件や本、作品などがあったら、それについて書くのが普通ですよね。それだけじゃ面白くないので、過去に同じようなことがなかったかと探し当て、その二つを比べて何が変わって何が変わっていないかを考えるというのがコンセプトです。

まり、例えば文学作品であれば、文学作品と何かの映画とか、100年前に同じようなことがあったとか、こういう事件があったけど、50年前に全く同じようなことがあったよね、といったことです。だからジャンルが違う場合もあって、例えば映画と最新作のアニメでは、これどこかで見たことあるなと思ったら、80年前のあの映画と同じことをやってない?ということです。

パッと5、6個思いついて「これならできそう」と思って始めたんですが、途中で「大変だ」ということに気づきました。少なくとも二つは見つけなければならない作業であることに10回目くらいで気づいたんです。普通は一つの話題で済むところを、必ず二つ見つける必要がある。多ければ多いほどいいんですよ。例えば今と大正明治で同じようなことがあった、とか。

時代は変わらないね、というのは面白いんだけど、めちゃくちゃ手間がかかる。読み直しを結構確認しなければならないですからね。一応記憶に頼って「こんなことあったな」と思い出しても、記憶曖昧になってきます。でも、本当にこれ面白いんだと。途中からは大体ストックがあって、これは似てる、逆に今のこれがあれだけど、あれから発想する場合もあるんです。昔こんなのあって、こんな面白ものって今にはないかな、と。

そうやって見ていくと、最近若い人の旅に出た記録が1000年前の元神尚の記録に似てるとか、1500年前のものそっくりだ、とか。そういうふうにしていくと、結構いろんな時代に似たものがある。特徴性が被るものがある。だから時代にそういうものを生み出す必然性があるっていうことを考えると、話としては面白いんで、ただ手間がかかる。

今回本にまとめられたのも、別に今回が初めてではないです。これで3冊目です。毎週締め切りがあると憂鬱なっちゃう。まずこれを見つけるでしょ?で、あれがなきゃダメなので、どんなに面白くても「これ面白いんだけど、ペアになるものがいないよね」ってなると、できない。

そもそも、ご自身文学作品を作るっていうのも、アイデアを出さなきゃいけない。アイデアはひねり出すんですけど、あれを見つけるっていうのはなかなか難しい。でもやっぱりコンセプトが光ってますね。やっててうまくいったときは「これ、よく見つけたな、自分でも」って思います

あの、本書の前半では、2022年9月13日フランス映画監督ゴダールの死について書かれています高橋さんにとってゴダールはなぜこれほど特別存在なんでしょうか?

これは世代的なもので、僕の世代芸術音楽映画文学好きな人ゴダールに影響を受けていない人はいないと思います

皆さん結構しますね、やっぱり。

当時はSNSもないし、情報だって今ほどは入ってこなかったから、例えば映画ニュースもなかった。テレビニュースやらないから、どこで知ったかというと、映画雑誌とか、映画芸術とか、そういうところにちょこっと載っていて、新作が出たって今だったら全部SNSでお知らせが来るんでしょうが、そういうのがなかった。だから新作が出たって言っても、日本公開がいつかはわからなかった。

僕は映画だと、アートシアターというのに入っていました。60年代、相当幼い時から、そういう会の会員になって、中学入ってすぐそういう会に入った。だから映画クレイジーキャッツからゴダールまで一緒に見ていました。そもそもそれを分けて考えるのはダサいって感じだった。

しかも極端なことを言うと、芸術ばかり見ていると馬鹿にされるから、逆にクレイジーキャッツとかGS映画を見ないと恥ずかしいって感じだった。そういう背景の中で、ゴダール作品はかっこいいと思ってましたね。彼の即興スタイル特に印象的で、シナリオを書いていかないんですよね。当日、その場でセリフを持っていく。そして基本的編集映画を作るというスタイル

引用が多い。ゴダール作品は、引用が多くて、ただ引用しているだけのものもある。それはオリジナリティに対する嫌悪なんだと思うんです。オリジナリティではなく引用作品を作る。だから過去世代否定する度合が一番強いのが彼で、その影響を受けていると思います

最後作品についても書かれていますが、イメージばかりが連続してくる、写真バンバンバンと順番に来るような映画で、画質は必ずしも良くないのに、なんだか異様に綺麗な映像が印象的でした。

どうでしたか?その最終作に対する感想は?というと、ゴダール作品が好きだなって感じですね。もういい悪いじゃなくて、好きだって感じですね。ゴダールはずっと「映画テーマがどうとかじゃなくて、90分なら90分、じっとその映画館に座って見ていればそれでいい」と言っていて、ただ画面を見ていれば幸せ映画ってそれでいいんだ、という考え方を持っていました。

ゴダールは、自分映画自殺映画だと言っていて、主人公死ぬ映画が多いんです。「気狂いピエロ」もそうだし、「勝手にしやがれ」もそうだし、最後主人公自分で目を閉じて死ぬ。あれはすごいなと思う。しかも、あれがデビュー作なんですよ。最後自分意思表現する映画を撮るという意味で、彼の作品は一貫してそのテーマを持っているんです。

「映画史」という映画も撮っていますが、ゴダールという監督は、常に作品現実境界を取り払うことを考えていたんです。作品現実が別々のものではなく、その境界を取っ払って、映画館で観ている観客に語りかけるという姿勢がありました。

映画の中で、主人公が観客に話しかけるというのは珍しいことではないですが、それを堂々とやったのがゴダールアメリカでも10年くらい前に「ハウス・オブ・カード」とかで流行りましたけど、ゴダールもっとからそれをやっていた。それがかっこよかったんです。

また、魚くんの電気映画「魚の子」や、中村喜子の「女と刀」、植物学牧野富太郎の「牧野富太郎自伝」などについて書かれた箇所を読むと、一つの観念や興味に取り憑かれて、非論理的であろうが、非経済的であろうが、自分の道を進む人が高橋さんの好きなタイプなのではないかと思いました。そういう方にどんな魅力を感じるのですか?

いや、面白いですよ。単純に普通面白くないですか?ちょっと病的な感じさえありますが、頭おかしいんですよね。でも、そういう人は見ていて面白いですね。付き合いたいとは思わないけど。

でも例えば、魚くんだと、そこに書きましたけど、魚くんも面白いけど、お母さんがすごいですよね。僕も読んで「あ、そうなんだ」と思いました。魚くんの主人公はお母さんなんですよね。つまり、こういう人はいるんですよ、きっと。街を歩いても変な人はいます。変な人はいるけど、大体は困るんですよね。それが普通で、生きる人の知恵です。普通に生きてるとそうなるんですよ。

でも、時々そうは思わない人が出てくる。だから、変な人も大事なんだけど、その変な人を受け入れる人の方が自由だと思っています。お母さんがそうですね。お母さんは自分の息子だけど、そのおかしさを全面的に抱きしめる。

普通おかしいって言っても結局排除されるか、直されちゃう。「お前、おかしいか普通にしなさい」と。でも、そのおかしさを育てるというのがすごいなと思います。それは他者とか異業のもの尊重するってことなんですよね。つまりおかしくても存在意義がある。

これは結局、すべての人に存在意義があることにつながるんですけど、普通の人は存在意義があると認められている。でも、おかしな人とか、魚くんならいいけど、例えば身体障害者とか、知的障害者の人たちは見たくないと思うこともある。でも、それでも家族でも受け入れられない人もいる。

僕も色々調べました。障害ある子供が生まれると、受け入れられる家族と受け入れられない家族がいます時間をかけて受け入れられるようになる家族もいます特に父親最初は受け入れないんですよ。でも、母親はすごいなと思います。お母さんは何でも受け入れるんですよね。

魚くんも牧野富太郎も色んな人が出てきますけど、その面白さとは別に、それを誰が受け入れたのかが重要なんです。牧野富太郎変人だけど、奥さんが受け入れたんですよね。牧野富太郎植物愛に没頭する変人ですが、それを受け入れるのは大変なことですよね。

でも、それを受け入れたからこそ、彼の生存保証されたんです。だから、僕が書いた美方ククスとかも超天才だけど、あれ夫だったら困るよ。でも、受け入れた人がいたから、その生存保証された。

でも、どうですかね。例えば、牧野さんとか魚くんとか、みんな著名になって仕事に繋がって成功しているけど、そこまでお母さんが考えていたか奥さんが考えていたかは分からないけど、魚くんになれなかった魚くんや、牧野富太郎失敗版みたいな人も絶対たくさんいたはずです。

結局、成功者の影には1000人の失敗者がいると思います。きっとそういう人たちのところにも、お母さんがいたんですよ。でも成功しなかったけど、いいんじゃない、それで。

これでも、親もすごいけど、1000人の失敗した人を見守ってた親がいて、その人たちが不幸だったかっていうと、そうでもない。そういう人たちは必要なんですよ、ということをよく考えますね。

セコさんの漫画マダムたちのルームシェア」とか、信友直子監督の「ボケますからよろしくお願いします」、早川知恵監督の「プラン75」など、老いと向き合った作品が多数言及されています。今、世界で最も高齢化の進む国と言われる日本で、高橋さんは何を感じていますか?

自分が年取ってきましたからね。今年で73歳です。もうやばいです。あと2年で後期高齢者です。やっぱり、身体的な衰えを感じます。確実に老いていくのがわかります。それに対して色々と体に気をつけています

一つは、老いを新しい経験だと捉える感覚です。確かにそうですよね、経験したことないことですから、新鮮です。僕もそうですよ。ちょっと年を取ってきて体が辛くなってくると「こんなの今までなかった」と思うことがあります

例えば、鶴見俊輔さんという哲学者の方が「限界芸術論」を書かれたんですが、90歳を過ぎて、「今日1日転ばないことを目標に生きよ」と書かれていました。「あ、そういうもんなのか」と思って、わかりました。

転びそうになるんです。僕、スクワットして足腰を鍛えているから平気だと思っていたら、筋肉じゃないんですね。バランスが悪くなっている。神経が悪くなっていて、神経は鍛えようがないから転ぶ。僕は筋力鍛えれば大丈夫だと思っていたけど、そうじゃなかったという新しい発見がありました。

そんな老いを新しい経験だと思って、余裕を持って受け入れることが大事なんです。実際、この国、これは日本だけじゃないと思いますが、68歳、70歳、72歳になると社会の窓が次々と閉まっていく。つまり、色々なことができなくなってくるんです。

例えば、家を借りようと思ってインターネットを引こうとしたら「72歳ですか、ではご家族契約になります」と言われたんです。「70歳とインターネット契約ができないってどういうこと?」と聞いたら、「こういう決まりなので」と言われて、「おかしいでしょ」と思いました。これってちょっと差別的ですよね。

プラン75もそうですが、年寄り不要だという考え方があるんですよね。これが寂しいです。今「シルバーデモクラシー」と言われて、年寄りが恵まれていると言われていますが、それは嘘だと思います。年を取ってみたら、社会の窓が閉じていく。シルバーデモクラシーという言い方で、年寄りが恵まれていると若い人に思わせようとしているんです。

でも実際には、全世代がそれぞれ抑圧を受けている。70代以上はこういう抑圧があるけど、20代30代も年金の支払いなど、みんなそれぞれ抑圧されているんです。だから、全世代連帯しなきゃいけないと思うんです。分断が一番都合がいいから、それをやめるべきです。

僕は政治テーマとして、全世代連帯すべきだと考えています。知らないかもしれませんが、70歳になったらインターネット引けないんですよ。72歳になったらローンもできないんです。なのに恵まれているなんて、ふざけているとしか思えません。

これは、土線(映画)とかでテーマになってもいい話ですよね。でもそれはなかなか声になりにくいんですよね。40代50代の時には知らなかったけど、68歳70歳72歳で新しい抑圧が出てくるんだな、と気づくんです。

社会ってさ、普通のことは知らせないようにしているんですよね。それぞれの世代とかジェンダーで、社会から抑圧されていることをお互いに調べ合って、連帯しなきゃだめです。

ジャニーズ問題玉音放送について、高橋さんテレビ局の幹部たちに「ジャニーズ問題無視するのか」と質問した時のエピソードについて書かれています。昨年末ジャニーズの性加害問題が巨大なテーマになりましたが、この間、どう感じていましたか

あそこにも書きましたけど、僕がちょうどBBC放送した直後に番組審査員を辞めて、最後番組で「これはダメだよ」と言ったんですが、沈黙がありました。その後、某テレビ局が漫画問題で騒ぎになって、それを良かったと思って続けました。

でも、やっぱりテレビ局は商業放送から視聴率が下がることが怖いんですよね。だから視聴率が下がる可能性があることはなるべく避けたい。僕は怯えすぎだと思うんですけどね。もうそんなに怖がらなくても、普通常識でやればいいのに、忖度している。忖度しない方が視聴者の指示を得るんじゃないかと思いますが、なかなかそうはならないんですよね。

今と昔を比較して、昔の方が保守的だったかというと、そんなことはなく、テレビ全体は進化している。ただ、メディア動画サイトSNSに壊れていく時にどうするかを同時に考えなきゃいけなくなっているので、やることも多いんです。

から、僕も言ったんですが、面白動画サイト番組テレビより面白いですよ。テレビバラエティなんてやめたらいいと思います個人で作っているものでも、ものすごくよくできた動画番組があるんです。それを見たら、テレビお金も人もあるんだからもっとできることがあるはずなんですよね。

Netflixドラマなんかも面白いですよ。コンテンツの中身も含めて、やれることがあるのにやっていない。同じようなラブコメばかり作って、誰が見るんだろうって思います

江戸川乱歩の「芋虫」を現代では取り上げることがかなり難しいということについて書かれていますが、以前、マルキ・ド・サド作品を絶賛されていた話もあります。今の時代言論空気感についてどう感じていますか?

メディアテレビラジオだけじゃなくて、小説も含めて、僕がデビューした頃に比べると、だいぶ書きにくくなっています。例えば「ピエロ」って言えないじゃないですか。今では「ピエロレフ」って言われることがありますが、検索しても出てこない。

一番怖いのはこれですよね。こういう名詞ごと削除されること。ポリティカル・コレクトネスで、こういう言葉を使いなさいというのは一つの考え方としてあるかもしれませんが、元々あった言葉が使えないというのは、歴史捏造じゃないですか。

今、「ジプシー」って言葉も使えないんです。「ロマ」とか言いますが、これは歴史捏造であり、存在させないという方向に進んでいるんです。例えば、ゴダールの「気狂いピエロ」も、僕はそれを見ましたからね。でも、「ピエロレフ」って言われてもわからない。

ポリティカル・コレクトネスについては、理解できるところもありますが、理解できないところも多いです。多分、それを推進している人も、やっていて変だと思っているんじゃないかと思います定義や限度が確定していないのが問題で、空気みたいなものから

ポリティカル・コレクトネスの一つの問題点は、日本が元々空気社会から空気で決めるというのはやばいポリティカル・コレクトネス空気で決められるようになっているのが、日本事情なんですよ。

上辺だけの議論が多く、社会的な不正義の問題は見ないで、言葉だけで物事判断する。ポリティカル・コレクトネスは、社会的な問題言葉だけで覆い隠そうとしているだけです。

その辺が、日本という国は忖度する社会から空気を読めということがずっと言われてきて、変わらなかった。変わるかと思ったら、ずっと空気を読んでいる。片方では多様性を唱えているけど、それは言っているだけで、実際には何も変わっていない。

大杉栄についても言及複数見られます思想生き方性格、私には高橋さんと似ている印象を受けましたが、大杉栄をどのように見ていますか?

大杉栄は、日本でも代表するアナキストですが、やっぱり感じがいいですね。友達になりたいなと思う。問題はいっぱいありますが、女癖が悪いとか、迷惑な部分も多いけど、その一方で愛すべき点がある。だから、あの人は人たらしなんです。

例えば、子育てをしていたんです。普通政治的な人は政治活動はするけど、家のことは見ない。でも、大杉栄は、伊東のと結婚して子供が生まれたら、赤ん坊選択をしたり、オムツを変えたりしていた。嫌じゃなくて、それが好きだったんです。

彼の中では、夫婦や男女の形は形式じゃなくて、対等であって、子供から自分 Permalink | 記事への反応(1) | 08:25

2024-08-11

anond:20240811170226

和田アキ子はふわちゃんと同じことしたけど、立ち回りが上手い。

やす子にもトドと言える人間

本来芸人ピエロなんだから、今の世の中はおかしい。

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